2:プロローグ
ーー覚醒せよ。
その声が耳に届いた瞬間、急速に俺の意識は深い暗闇から引き上げられた。
途端、とてつもない息苦しさを感じ、必死になって周りの空気を吸い上げる。
俺はがむしゃらに酸素を求め、大きく呼吸を繰り返した。
「……ハァ、……ハァ」
ようやく呼吸が整いはじめ、当初の窒息感が薄れてくる。
どうやら今まで息を止めていたらしい。
そうしてパニック状態から抜けだした俺は、思考が冷静になりつつあった。
ーーーーなんだなんだ?
突如自分を襲った呼吸困難に首をかしげながら、視線を前にやった俺。
だが、入ってきた目の前の光景にまたもパニック気味になりかける。
俺はさっきまで会社への通勤途中で忙しなく動いていたはずだった。
そしてぼんやりとしか覚えていないが、通りに出た後大きな衝撃を受けて……それから……。
とにかく、俺は死んだはずなのだ。とても信じたくないが。
なのにーーーー。
「気分はどうだい?」
シミ一つ無い白地の壁。部屋の大きさはそこまで大きくない。むしろ少し狭いくらいか。
刑事ドラマなどで見かける取調室のような大きさの部屋に俺は立っていた。
そして気楽な口調で声をかけてきたのは、目の前の謎の人物。
わざとらしいほど真っ白い衣装を身にまとった男、だが何故か胡散臭さを感じさせない奇妙な凄みがある。
ただ者では無い。と思う。いやまあわからんけど。
しかし俺にとって一目見た印象が強烈だったーーだってそれはまるで。
「水でも飲んで落ち着こうか」
はい、と白い男から差し出された手には水の入ったガラスのコップが握られている。
俺は反射的にそれを受け取りグイっと呷った。味は普通の水だ!
ふう。
落ち着け。
今の俺は自分の置かれた状況について何ひとつ分かっていない。
せいぜい憶測で考えるなら、俺はついさっき死んでしまったのかもしれないということぐらいだ。
だとすればここが天国? どうにも信じられない。
そして今しがた水をくれた目の前にいる人物。
その真っ白な格好はともかく、顔つきはとても若々しく爽やかだ。
どんな組織や集団の中に居ても一番にモテる男というのは存在するが、この人はまさしくそのタイプに違いあるまい。
二十歳そこらのイケメン大学生のような雰囲気、隙が無い。
かっこいい。
だが。
ここが死後の世界だとして、この人が、いわゆる、その……。
ーー神様だとしたら。
いったい、これから何をされてしまうのだろう。
未知の不安に、俺の体の奥底がブルリと震えた。
「……あ、りがとうございました」
乾いた喉も潤い、震えながらもなんとか声に出す。
得体の知れない状況に緊張するが、水のお礼はきちんとしないとな。
「やあ、ようやく落ち着いたようだね。もう大丈夫かい」
「はい、なんとか。しかし、俺は一体……」
相手の物腰が柔らかいのもあって、俺はあっさりと心からの疑問を口に出した。
自分がどうなったのか、今どんな状況に置かれているのか早く知りたかった。
すると、神様(仮)はニコッと微笑み、こちらに向かって手をかざす。
次の瞬間、突然俺の体が目も開けられないほど眩しい光の中に包まれていった。
「ーー!? なっ、ちょっ……!」
「それだけ元気になれば十分だ。悪いけど、さっそく向かってもらうよー」
せ、説明プリーズ!
落ち着いたかとか聞いといてこの仕打ちは無えよ!
またパニクっちゃうわ!
俺はじたばたと抵抗するようにもがく。
だが体を包み込む光は一向に消えることはなかった。
そうこうしているうちに、どんどん俺の全身は光の中に飲みこまれてゆく。
ああ……意識が……また。
これが次の人間に生まれ変わるプロセスなのかな。
目も眩むほどの光の中でそんなことを呑気に考えつつ、しかし俺の思考はゆっくりと閉じていく。
「あとはシステムのガイドに従ってくれ。君の第二の人生がよりよいものになるよう祈っているよ」
柔らかな声が耳に届いたが、その内容は朧げな意識の中に溶けて消えていった。
そうしてーー
起きて間も無い俺の自意識は、光と共に完全に消えたのであった。
ーー消え行く意識の中で最後に見た男の口元は、わずかに歪んでいるように見えた。