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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
96/152

会談

 ゾンの経済的混乱は、中央から南部にかけて集中していた。

 奴隷不足という状況は同じでも、食料や日用品が比較的不自由のない東部では、ある者は中央の混乱に怯え、ある者はそこに商機を見出そうと神経を張り詰めている。

 人それぞれの状況であったが、その中で中央の状況を心から歓迎している人物がいた。


 ゾン東部貴族の筆頭とも言える大貴族、ビルゴン家の現当主ザバッシュであった。

 

 ザバッシュは終わらない冬の末期において、ゾン北東部国境の要であるトカッド城塞を、カーシュナーの策略により失って以降、領地にこもり、情勢をうかがっていた。

 本来であれば城塞の陥落に対する責めを負うべく王都エディルマティヤに出向くべきであるのだが、もともとメティルイゼット王子との確執により、表向きはヴォオスに対する重要拠点であるトカッド城塞の管理監督のためとなっていたが、実質はメティルイゼット王子との衝突が深刻化してきたため、物理的な距離を置くために、王都から追放されてトカッド城塞に身を置いていた経緯があるため、ザバッシュにその気は全くなかった。


 それどころかカーシュナーの策により、トカッド城塞の陥落は、目障りな自分を殺すためにメティルイゼット王子が企てたはかりごとであったと思い込まされたザバッシュは、もともとの確執もあり、メティルイゼット王子を含むゾン王家そのものへの不信感で凝り固まっていた。


 兵を集め、東部貴族に使者を送り、領内の城砦の増強に着手するなど、その行動はあまりに露骨であり、中央もザバッシュの動きに対して備えた。

 衝突の気配が濃厚になったとき、二年ぶりの酷暑がゾンに帰還し、すべてを焼き尽くした。

 奴隷どころか王族貴族までがバタバタと倒れだしたことで戦どころではなくなり、うやむやの内にザバッシュに対する処置は先送りとなった。


 状況は東部もさして変わらず、ザバッシュ自身は暑さなどものともしなかったが、率いるべき兵が使い物にならないとあっては戦のしようがなかった。

 そうこうしている内に奴隷不足が深刻化し、自領であるビルゴンの経済状況が逼迫してくると、もはや戦そのものが不可能な状況に追い込まれていた。


 家臣たちからは恥を忍んで国王に援助を頼むべきだという意見が出され、ザバッシュを激怒させたが、ザバッシュ自身怒りをぶつけながらも、奴隷の補給なしには領地の経済が成り立たないことは理解していた。

 武人としての面が印象的なザバッシュであるが、ゾンでも屈指の大貴族の当主である。政治的な計算が出来ないわけではない。

 その計算が導き出す答えが、王家への服従以外にないと告げる。

 なまじ計算が出来てしまうからこそ、その怒りはより深くなり、苛立ちと不安を増幅させた。


 国王アリラヒムと和解するのは難しい話ではない。

 アリラヒムとザバッシュは一回りほどしか年齢が離れていないため、戦場を多く共にした。

 今でこそ肥大化したその巨体は玉座に収まらず、寝椅子に沈み込むことになっているが、ザバッシュがまだ駆け出しのころのアリラヒムは見事な偉丈夫で、心から尊敬し、兄のように慕っていた。

 ザバッシュが王都からトカッド城塞に出向くことになったのも、実の息子と、弟のようにかわいがってきた国内屈指の大貴族の衝突がこれ以上深刻化しないようにという配慮もあっての決定であったことから、ザバッシュから頭を下げれば、アリラヒムもけして無下には扱わないはずだ。


 だが、その息子は違う。

 ザバッシュも始めのうちは、メティルイゼット王子のことを高く評価していた。

 見目好い容姿以上に、武人としての才気は若き日の父を思わせ、とかく政治的な思考になりがちな王族の中では珍しい武辺者であったこともあり、ザバッシュは実の息子たち以上にメティルイゼットをかわいがった。

 父であるアリラヒムへの敬愛の念を、形を変えてその息子に注ごうとしたのだが、メティルイゼットから返ってきたのは冷めた反応と明らかな拒絶であった。


 ザバッシュが属する東部貴族は、政治的で商魂たくましい中央の王族や貴族と違い、武断的で剛直な性格をしている者が多い。

 この違いは歴史的背景の違いでもあるのだが、ゾン国では東部貴族の方が王家よりも歴史がはるかに古く、ゾン王家は比較的歴史の浅い家柄であり、東部貴族は歴史の浅い王家を腹の底で軽蔑し、王族はそんな東部貴族を疎んじてきた。


 もともと東部貴族と王族の間には反目があったのだが、ここ十年ほどはアリラヒムとザバッシュの友好関係のおかげで目立った対立は存在しなかった。

 だが、メティルイゼット王子は東部貴族の在り様を、単なる時代遅れと容赦なく切り捨てたのだ。


 自分同様政治よりも戦に傾倒していたメティルイゼット王子の態度に、ザバッシュは裏切られたような失望を味わった。

 これが若さ故の驕りであったなら、ザバッシュは許すことが出来ただろう。

 だが、後に<神速>とまで異名をとるようになったメティルイゼット王子の戦略、戦術は斬新で、これまでゾン軍にあった戦の常識を覆し、その上で確かな戦果を挙げて見せたのだ。


 実力に裏打ちされた拒絶は、芯からの軽蔑であり、武人としてのこれまでの人生を根底から否定されたザバッシュには受け入れられるものではなかった。

 この辺りはメティルイゼット王子に政治的配慮が出来るだけの器があれば回避出来た衝突であったのだが、才能に優れていただけに、自身の正しさを曲げず、主張することにこだわったため、関係の悪化は加速度的に進んだ。

 加えて、ゾン建国以前から険悪な関係だった大貴族であるシヴァス家の令嬢をメティルイゼットが妻に迎えたことで、ザバッシュとメティルイゼットの確執は個人の枠を超え、シヴァス家を加えた家同士の確執にまで発展し、両者の亀裂は修復不可能な状態に達した。


 アリラヒムに頭を下げることは出来ても、メティルイゼットに頭を下げることは出来ない。

 だが、農業も産業もこれからが最盛期だ。

 奴隷の補充なくしてビルゴンの経営は成り立たない。

 ザバッシュは答えの出せない問題を前に、苛立ちだけを積み上げていた。


 古くから仕える家臣たちすら近づけない空気を纏うようになったザバッシュに、新参の小姓の一人が恐る恐る来客を告げる。

 本来小姓の仕事ではないのだが、今のザバッシュには誰も話しかけたくないので、立場の弱い者に仕事が押し付けられたのだ。


「客だとっ!」

 苛立ちから反射的に怒鳴りつけたザバッシュは、これはいかんと自省し、声を落として問いかける。

 この辺りが他のゾン貴族と違い、ザバッシュの優れた点の一つであった。


「は、はい。一人は商人なのですが、お連れの方は見たこともないほど立派な風采のお方で、商人はチャルルのヨゼフと名乗っておりました」

 来客の相手などするつもりのなかったザバッシュは、追い返せと言いつけようと思っていたが、商人の名に聞き覚えがあり、暫し記憶を辿ってみた。

 記憶はすぐに答えを吐き出し、ザバッシュに苦い記憶をよみがえらせる。


 チャルルのヨゼフ――。


 それはザバッシュがゾン北東の要衝であるトカッド城塞に城主として赴任していた時に、貴重な興奮剤の一種である<赤の精製水>を持参し、クライツベルヘン家からの密書を届けた商人の名であった。


「よくも抜け抜けと顔を出せたものだ」

 ザバッシュは呟くと、猛獣のように笑った。

 この時届けられた密書は、クライツベルヘン家から、ザバッシュに対して同盟を求めるものであったのだが、その実ザバッシュを油断させるための計略であり、クライツベルヘン家は王家を裏切ってなどいなかったことが後からわかった。


 ザバッシュが放った密偵が得た情報の中には、トカッド城塞の陥落そのものが、メティルイゼットがクライツベルヘンに持ち掛けた計略であったとするものがあった。

 ヨゼフ自身陥落に巻き込まれていたことから利用されただけだったのだろうが、それでも計画に関わったことに変わりはない。

 命があったからいいようなものの、ザバッシュは刺客の心変わり(、、、、、、、)がなければトカッド城塞での計略で命を落としていた可能性が高い。


 そのことはヨゼフ自身わかっているはずだ。

 そのうえで図々しくも顔を出すとは、今度はどんな魂胆で乗り込んで来たのかと興味をそそられた。

 計画に加担していたことに対する怒りは今もあるが、それと同時にあの抜け目のない商人を、どこか憎み切れないでいる自分もいた。


「連れてこい」

 追い返すのをやめたザバッシュは、小姓に命じる。

 まるで獅子の前から逃げ出す兎のごとく小姓が去ると、ザバッシュは剣を帯剣するために立ち上がった。

 自分の屋敷にいる間は、ザバッシュは帯剣しない。

 武人として、いついかなる時でも戦いに備えるべきだと心得ているが、自分が主として治める領地の屋敷の中にいながら帯剣するのは、武人としての心得ではなく、領地を掌握しきれていない臆病者のすることだからだ。


「つまらん話であれば、真っ二つにしてくれるわ」

 そう言ってザバッシュは猛々しく笑った。


 気に入らなければ斬り捨ててくれようと待ち構えていたザバッシュであったが、久しぶりに見るチャルルのヨゼフが連れた人物を目にした途端、そんな考えはどこかに吹き飛んでしまった。


「ここに謹んで、イェ・ソン国の王子であるサルヒグレゲン様と、ツァガーンロ―将軍をご紹介いたします」

 チャルルのヨゼフは、ザバッシュの機先を制し、この場に連れてきた二人の人物を紹介した。


「高名なゾンの大貴族であるザバッシュ卿にお会い出来るとは、光栄の至りだ」

 そう言ってサルヒグレゲンは目礼した。

 まさかこれほどの人物が訪れるとは思っていなかったザバッシュは、一瞬呆気に捉われていたが、他国であろうと王族を立たせ、自分が座して挨拶を受けるような無礼は出来ないと、慌てて立ち上がった。

 

「これは不作法した。このような出迎えになり誠に申し訳ない。直ちに席を設けさせますのでしばしお待ちいただきたい」

 ザバッシュはまず詫びを入れると、場を設けるために家臣たちに指示を出す。

 家臣たちも只者ではないと思っていたが、まさかイェ・ソン国の王族とは思っておらず、慌てて酒席の用意に奔走する。

 さして待つこともなく、サルヒグレゲンはザバッシュの屋敷の中でも最上級の部屋へと案内された。

 仕事が早かったのは、主であるザバッシュに恥をかかせまいとする家臣たちの懸命の努力の成果だ。


「ヨゼフ。少し話がある」

 サルヒグレゲンとツァガーンロ―を侍女に案内させつつ、ザバッシュはヨゼフを呼び寄せた。

「お久しぶりでございます。ザバッシュ様、びっくりされま……」

 ニコニコと満面に笑みを浮かべながら近づいてきたヨゼフの頭に、ザバッシュの拳骨が振り下ろされる。

 あまりの一撃に、家臣たちは思わず目を伏せ、恐ろしく鈍い音を響かせながら、ヨゼフは床にひっくり返る。

 床にうずくまり、「ぬおおおっ……」と呻くヨゼフに、家臣たちは心からの同情を送った。


「何を考えておるのだ、貴様っ! 身分のある客人を案内したのなら、自分の名ではなく客人の名をまず先に名乗らぬかっ! 恥をかかせるでないっ!」

 ザバッシュの怒りに、家臣たちも大きくうなずく。

 あまりにも強烈過ぎる一撃に同情こそするが、礼を欠いたヨゼフにも非がある。


「ウケると思たんですが……」

「ウケるかっ! 他人事であれば腹を抱えて笑っただろうが、当事者としては笑えんわっ!」

「ゾンの笑いは難しいですね……」

「難しくなどないっ! 貴様の笑いがやり過ぎなのだっ! ゾン人のどんな芸人であろうと、王族を使って一笑い取ろうなどという破天荒な真似はせんわっ!」

 ザバッシュのツッコミに、家臣一同再びうなずく。


「それより、なんで貴様がイェ・ソンの王族などと知り合いなのだ。それと、なんで俺の元に連れてきた」

「話すと長くなりますし、他にもお伝えしたいことがございますので、ここではなく、あちらで王子も交えて説明させてください」

 ヨゼフは声を落とすと、周囲の家臣たちにさりげなく視線を向けた。

 余計な人間の耳には入れたくないということだ。


 自分の家臣を疑われて不快に思ったが、それでもザバッシュはヨゼフの言葉を受け入れた。

 家臣たちの中に王家との和解を提案してくる者がいる現状で、信用し過ぎるのは危険だ。

 はっきりと自覚している者はいないだろうが、和解などという言葉が出てくる背景には、現在の窮状から気持ちがここビルゴンから離れ、奴隷市場を牛耳る王都エディルマティヤに向きかけている証拠だ。


「お待たせいたした」

 ヨゼフを引き連れて部屋に入ると、サルヒグレゲンは出された酒を上品に口に運んでいるところだった。

「見事な一品ですね」

 サルヒグレゲンは出された酒の香気をもう一度楽しむと、頬を緩めた。

 その秀麗な横顔に、酌をしていた侍女がうっとりと見とれる。


 ザバッシュもサルヒグレゲンの美貌に、侍女とは異なる意味で見入っていた。

 間違ってもイェ・ソン人の顔ではない。

 それどころか、大陸中のどの種族にも似ていない。

 真偽のほどを疑っていたが、イェ・ソン王家には、今も古代帝国ベルデの帝室の血が、色濃く守られているというのは本当だったようだ。


 ザバッシュは改めて名乗り、まずは旅の疲れを癒してもらおうと、食事を優先させた。

 本格的なもてなしは夜にということで、出されたものは軽食の部類に過ぎなかったが、どれも最高級の素材を用いたもので、ザバッシュのサルヒグレゲンに対する配慮が表れていた。


「殿下のような高貴なご身分の客人を迎える栄誉を賜り、このザバッシュ、光栄の至りでございます。季節も良い時期に入りました。ぜひここビルゴンでごゆるりとお過ごしくださいませ」

 先の三国同時侵攻に際し、ザバッシュはイェ・ソンが最終的にヴォオスに敗れ、もはや国としてのていを成していないことを知っていた。

 規模は王家の暗部に劣るが、ビルゴン家にも優秀な密偵はいる。

 特にメティルイゼットとの対立が決定的になったことから、情報収集には余念がない。 

 来意など問わずとも、母国に帰る場所をなくしたサルヒグレゲンが、身を寄せる場所を求めて訪ねてきたことは百も承知であり、ザバッシュはわれる前に、自分の方から乞う形でサルヒグレゲンの面子めんつを立てたのである。

 これに対し、サルヒグレゲンは余計なことは口にせず、優雅に礼を返して感謝の意を示した。


「さて、ヨゼフよ。貴様が殿下のご案内だけでここに来たわけではないことくらいはわかっている。用向きを話せ」

 サルヒグレゲンが会話をヨゼフに任せているようだったので、ザバッシュはつまらない探りを入れるような真似はせず、単刀直入に話をヨゼフに振った。

 それまで壁際に控えておとなしくしていたいヨゼフが、満面に笑みを浮かべながら進み出てくる。


「昨今ゾンも随分ときな臭くなってきております。ザバッシュ様の下でしたら、いい商売が出来るのではないかと思いまかり越した次第でございます」

「まあ、貴様が商売以外の目的で私の前に姿を見せるわけがないからな。当然だろう。だが、ひとつわからんのが、どうして貴様がサルヒグレゲン殿下ほどのお方と通じているのかということだ。イェ・ソンの王家と繋がりを持つ商人など、ゾンの大商人たちの中にもおるまい」


 ゾンとイェ・ソンはヴォオスを挟んで隔たっている。

 両国間の親交はないわけではないが、ゾンの主な産業である奴隷売買は、ヴォオスを通過することが出来ず、イェ・ソンは経済網がヴォオス向きではなく、東の大国ミクニに向かって広がっているため、ゾンとイェ・ソン間の流通路は開拓しても利益が薄いため、商人の行き来も通過するだけにとどまっている。そのため、ゾンとイェ・ソンの繋がりはひどく薄いのだ。


「その辺りはヴォオス人の特権とでも申しましょうか、ゾン人の商人にはない縁がございますので」

 ヨゼフが大きくぼかして答える。

 その答えにザバッシュは、そういえばこの男、あまりにヴォオス人らしくないので忘れていたが、ゾン生まれのゾン育ちのヴォオス人だと以前話していたことを思い出した。

 そもそも何がしかの繋がりがなければ、ただ優秀なだけでクライツベルヘン家が密書を預けるはずがない。


「いくらヴォオスに縁があると言っても、つい先ごろまでヴォオスはイェ・ソンから侵攻を受けておったのだぞ。どのように縁が廻ればヴォオス人の貴様と殿下を繋げるというのだ」

 ザバッシュの疑問は当然である。

 そもそもゾンとイェ・ソンはヴォオスを挟んで南西と北東という対極に位置している。

 ヴォオスとイェ・ソンが争ったのも、ヴォオスの北東部であり、その位置からここビルゴンまでは、ヴォオスを斜めに突っ切らねば辿り着くことが出来ない。


 三国から同時に進行されるという苦境の中にあって、イェ・ソンはヴォオス北の要衝であるハウデンベルク城塞を陥落させるほどの猛攻を見せ、ヴォオスを追い込んだ。

 それだけに、侵攻して来たイェ・ソン軍に対する怒りは、戦ったヴォオス軍にとどまらず、ヴォオス全体に広がった。

 これ程目立つ容姿をしたイェ・ソンの王族を、ヴォオス軍や一般のヴォオス人が見逃すはずがない。

 ヨゼフは縁などという言葉で軽く表現しているが、並大抵の権力ではここまでサルヒグレゲンを連れてくることは不可能なはずだ。


「さて、どこから話しましょうか」

 問われたヨゼフは困ったように頭を掻いた。その手がザバッシュの拳骨で出来たたんこぶに触れ、思わずひるむ。

 ザバッシュはヨゼフのその様子に意地悪く笑うと、

「トカッド城塞以降からだ」

 と、話を促した。


「そこからですか。長いですよ?」

「なら面白おかしく話せ」

「無茶を言わないでくださいよ! まあ、何とか善処いたしますが」

「するのか」

 いかにもゾン人らしい会話を交わすと、ヨゼフはトカッド城塞陥落以降の苦労話を語って聞かせた。


「やはりあの時全財産をなくしたのか」

 そう言ってザバッシュは笑った。

「まあ、その前の奴隷船の沈没で失った財産に比べれば微々たるものでしたが、それでも再起を賭けた最初の商売で、またすっからかんになったんですから、精神的に参りました」

 ヨゼフのため息に、ザバッシュがさらに笑う。

 ゾン人は他人の不幸話が大好きなのである。


「その後ゾンとヴォオスの戦の気配は消え去り、大きな商機もなく、私は途方にくれました。地道な商いなどやりたくはありませんからね。そんな私に、中央南部で大きな商売をしておられる大商人からお声が掛かりまして、そのお方の下でヴォオスからゾン北東部の商売を任されて働いていたところ、今回の役目を仰せつかった次第であります」

 そう言うとヨゼフは話を締めくくるように一礼した。


「なんだ、貴様。使用人になり下がったのか」

 そう言ってザバッシュはゲラゲラと笑う。

 サルヒグレゲンの手前抑えていたが、堪え切れずに噴き出したのだ。


「私も本意ではなかったのですが、再起のための足場固めに実に都合の良いお方でしたので、お世話になることにいたしました」

「貴様のような奴を従えるとは、その大商人、どこのどいつだ?」

「アフィヨンのオラティウス様でございます」

「オラティウス……? おおっ! 宝石商の男かっ!」

「はい。都市アフィヨンは宝飾品の一大産地でございます。オラティウス様はそのアフィヨンでも屈指の大商人様でございます」


「それにしても、ずいぶんと似合わぬ仕事に就いたものだな、ヨゼフ。奴隷商人から一転宝石商とはな。貴様に目利きが務まるのか?」

「石の見分けはいささか不得手でございますが、オラティウス様が扱っている商品は宝石ばかりではございませんので、私のようなものでも少しはお役に立てるのです。今回のように人脈を生かした仕事などで」

「そうだな。貴様の名を思い出したから会ってみようと思ったのだから、そのオラティウスとやらの判断は正しかったと言えるだろうな。だがヨゼフ。私が思い出したからいいようなものの、思い出さなかったら殿下共々追い払われるところだったのだぞ。私が相手だからいいようなものの、他の者が相手ではこうはいかん。以後気をつけろ」


「ご安心ください。誰にでもあのようなことをしているわけではございません。笑いのわからない者は、身分を問わず相手には致しませんので。例えば、この国の王子様とか……」

「口が過ぎるぞ、ヨゼフ」

 ザバッシュの叱責が飛ぶ。

「失礼いたしました。私、根が正直なもので」

 ヨゼフの返しに、ザバッシュは堪え切れずに噴き出した。


「一介の商人風情が、あまり王族を馬鹿にすると、不敬罪で首を落とされるぞ」

「馬鹿にするとは異なことをおっしゃいます。私はただ単に、全然面白くないと正直に申し上げているだけでございます」

「それが馬鹿にしているというのだ」

 そう言ってザバッシュはゲラゲラと笑った。


 この場でゾン国の王子といえば、メティルイゼット王子のことになる。

 トカッド城塞ではザバッシュもヨゼフも、メティルイゼットの策略により、多くのものを失った。

 ヨゼフのメティルイゼットに対する反意に、ザバッシュは共感めいたものを感じていた。


「貴様が使われていることはわかったが、それでもそのオラティウスとやらが、サルヒグレゲン殿下とどう繋がっているのかがわからん。いくら名うての大商人であろうと、簡単につながりを持てるようなお方ではない」

「きっと王家にふさわしい装飾品でも献上して、その時にでも関係を築いたのではありませんか?」

 カーシュナーの回答は、一応の筋は通っている。

 そもそも宝石商の商売相手は富裕層に限定される。当然王族も顧客に入る。

 商売の規模、商う商品の質が高ければ高いほど、相手はより限定されてくる。並みの貴族や富豪では、手を出せる装飾品には限界があるからだ。


 だが、仮に繋がりは持てたとしても、他国の商人に、王族が命を預けることが出来るほどの信頼を寄せるだろうか?

 仮に自分が窮地に陥った際、ヨゼフに身柄を預けるかと考えたとき、自分は預けないと断言出来る。

 気に入っているとかいないとか、そういう問題ではない。

 身分が低い者が、高貴な身分の者に対して命を懸けることはあっても、その逆はあり得ない。

 使う側と使われる側との間にある溝は、どれほどその幅が狭まろうと、埋まることはないからだ。


「もしくは……」

 ヨゼフがさらに言葉を重ねようとしたとき、それまで会話をヨゼフに任せていたサルヒグレゲンが口を開いた」

「クライツベルヘン家との取引により、私は今、ここにいるのです」

「サ、サルヒグレゲン様っ!!」

 ヨゼフが思わず悲鳴を上げる。


「お主、やはり気づいておったか」

 ヨゼフの反応に、サルヒグレゲンは薄っすらと笑った。だが、その切れ上がった目の奥は笑ってはいない。

「いや、まあ、私もそれなりに情報網は持っておりますので、推測くらいはいたします」

 立場上知りえるはずのない情報を得ていたことに対し、ヨゼフが慌てて言い訳をする。


 ヨゼフの慌てように、ザバッシュは本能的にサルヒグレゲンの言葉が真実であると判断した。

 それに、クライツベルヘン家が一枚噛んでいたのであれば、イェ・ソンに対して殺気立っていたヴォオス国内を、サルヒグレゲンが無事通り抜けることが出来たことにも説明がつく。

 何より、ヨゼフはクライツベルヘン家と繋がりがある。

 トカッド城塞では利用された形になり、損な役回りを演じることになったが、その一事をもってクライツベルヘン家との繋がりを切り捨てるには、あまりにもクライツベルヘン家は大き過ぎる。


 ザバッシュの読みでは今もヨゼフはクライツベルヘン家と繋がっているはずだし、だからこそ本来であれば使用人の立場では知り得ない情報を得ていたのだ。

 自分宛てのクライツベルヘン家からの密書の中身を確認しようとするような男である。サルヒグレゲンのことを調べないはずがないのだ。


「ここからは私が話をしよう。確かにお主の言う通り、ザバッシュ卿は一般的なゾン貴族と違い、利益よりも名誉を重んじる方とお見受けした。であれば、こちらとしてもつまらぬ隠し立てをして、示していただいた信義に反するような真似は出来ん」

 そう言うとサルヒグレゲンは酒杯を上げ、唇を湿らせた。


 ザバッシュとてゾンの貴族である。

 イェ・ソン人ほど名誉を重んじることはなく、利益を追求し、政治的な立ち回りもする。

 それでもゾン屈指の大貴族でありながらいまだに軍を率い、前線に身を置く武辺者だ。

 多少の利益と己の名誉を秤にかけた時、名誉を選ぶくらいの矜持は持ち合わせている。

 ただし、多少ではなく多大な利益となれば話は変わってくるだろうが、それでも他の貴族と比べれば、サルヒグレゲンの言葉は正しくザバッシュを評価していると言えた。


 ヨゼフはあからさまに大きなため息をつくと、それ以上は口を挟まず、壁際に戻った。

 そのあからさまなため息がサルヒグレゲンに対する牽制であることを、ザバッシュは見抜いていた。

 見抜いたというより、ヨゼフはサルヒグレゲンだけでなく、ザバッシュに対しても警告を発したのだ。


 生意気な奴め。

 ザバッシュはそう思いつつも、ヨゼフの警告を無視するつもりはなかった。

 サルヒグレゲンが何を語るつもりなのか大いに興味があったが、好奇心を優先させるほど貴族として幼稚ではない。

 厄介事に巻き込まれるつもりはないし、ヨゼフの警告が何を指してものであったか間違えるつもりもない。


「まず始めにお断りしておくが、この訪問はクライツベルヘン家の意図に沿ってものではない。もうすでにご存じのことと思われるが、イェ・ソンはヴォオスに侵攻し、敗北した。これはただの敗北ではない。国としての存続を懸けた後のない戦いだった」

 サルヒグレゲンはここで言葉を切り、ザバッシュを真っ直ぐに見つめる。

 その瞳には鋭さはないものの、容易にはその内心を読ませない硬さがある。


「国王は討たれ、主だった将軍と大部族の長もヴォオスの地に倒れ、イェ・ソン軍は壊滅した。それ以上に食料を持ち帰れなかったことで、故国に残された女子供たちも、今頃は寒さと飢えで命を落としているだろう」

 そう言って目を伏せたサルヒグレゲンに、ザバッシュは欠片の同情も抱かなかった。

 戦を仕掛けた以上、負ければ多くを失うのは当然だ。

 とは言え国が亡ぶほどの大敗北というものは、ザバッシュが戦に出るようになってから今日まで、ただの一度もなかった。

 これが西方諸国の小国の話であれば、大して衝撃的でもないが、大国と呼ばれるだけの規模を持つ国の消滅となると、さすがのザバッシュもそう簡単に切り捨てられる話ではない。


「命を拾った私も、イェ・ソンに帰るわけにもいかず、さりとて行く当てもなく途方に暮れていたところに、クライツベルヘン家から取引が持ちかけられた」

 話が核心に迫る。

 サルヒグレゲンは取引と言ったが、状況的には無条件で受け入れる以外に手はなかったはずだ。

 トカッド城塞では、一歩間違えばザバッシュもクライツベルヘン家に身柄を抑えられた可能性があった。

 それを思うとさすがのザバッシュも、サルヒグレゲンの現状には同情を覚える。


「クライツベルヘン家は、私がイェ・ソンの王位に就くことを支援する代わりに、鉄と鉄鋼製品の取引優先権と、向こう十年間のヴォオスへの不可侵を条件として提示してきた」

 イェ・ソンは遊牧民族の印象が強い国であるが、サルヒグレゲンの先祖である古代帝国ベルデの皇子一派が実権を握って以降鉄鋼業を発展させた。

 東西に長い国土を持つイェ・ソンにおいて、鉄鋼業は鉱山の関係で国の東部に集中しており、必然的に商業路はヴォオスではなく距離的に近い東の大国ミクニに向けて発展していった。

 大陸でも屈指の品質を誇るイェ・ソンの鉄鋼製品を独占しようと企むクライツベルヘン家の抜け目のなさに、ザバッシュはゾン人として素直に感嘆した。


「正直国として衰退したイェ・ソンの王位になど何の魅力も感じないのだが、断れば大侵攻を仕掛けてきたイェ・ソンの王族として、王都ベルフィストの城門飾りにされることは目に見えている。私はクライツベルヘン家が提示した条件を受け入れ、都市ハウデンから海路を使いゾンへと逃れて来たという次第だ」


 クライツベルヘン家の行動は、ヴォオスに対する明らかな裏切り行為だ。

 また、そうでなければサルヒグレゲンは本人の推測通りヴォオス軍の手によって処刑され、その首は晒されることになっただろう。 

 さすがにヴォオス領内には置いてはおけぬと国外に出したのは当然の処置であったが、それが廻り巡って自分の下に辿り着いたことに、ザバッシュは皮肉を感じずにはおれなかった。


「ですが、素直にクライツベルヘン家の思惑に従うつもりはありません」

 サルヒグレゲンが伏せた瞳を再び上げ、ザバッシュの瞳を見据える。

「ほう。従いませんか」

「ええ。首根を抑えつけられ、一方的に従うのでは、イェ・ソンの国王なのか、クライツベルヘン家の奴隷なのかわかりません」

 その瞬間、ザバッシュは硬かったサルヒグレゲンの目に、微かな憤りの炎が宿るのを見た。


 ヨゼフの警告はここにあったかと、ザバッシュは納得する。

 サルヒグレゲンはクライツベルヘン家の力を利用し、ゾンにおいて力を蓄え、傀儡の人形としてイェ・ソンに戻るのではなく、サルヒグレゲンからも一定の条件をクライツベルヘン家に突きつけたうえで王位を手にしようと企んでいるのだ。

 それに一枚噛むということは、サルヒグレゲンを間に挟んでクライツベルヘン家と事を構えるに等しく、それはゾン屈指の大貴族であるビルゴン家であっても危険な賭けとなる。

 奴隷の流通が滞り、王家との和解を検討せざるを得ない状況にある今、クライツベルヘン家と事を構えるような余裕はない。


「殿下のお気持ちはよくわかりますが……」

 ザバッシュはこれ以上の深入りを避けるため、サルヒグレゲンの話を遮ろうとしたが、その言葉をさらにサルヒグレゲンが遮った。


「奴隷を提供する用意があります」

 サルヒグレゲンの言葉にザバッシュが眉を吊り上げる。

 今のサルヒグレゲンには、イェ・ソンの王族という血筋以外何もない。

 この場にいられるのも、クライツベルヘン家がサルヒグレゲンの血筋を利用し、弱体化したイェ・ソンに唯一残った鉄鋼業を独占しようと目論だ結果に過ぎない。

 サルヒグレゲンの意思で提供出来るようなものは、何一つないのだ。


「もちろん私が奴隷を所有していわけではありません。ですが、ザバッシュ卿に奴隷を提供出来る者から、交渉権を譲り受けています」

 ザバッシュの目の色が変わる。

「……ほう。それはどなたですかな?」

「もちろんアフィヨンのオラティウス殿です」

「宝石商人が奴隷を?」


 おそらくオラティウスという商人はクライツベルヘン家と繋がりがあるのだろう。クライツベルヘン家がサルヒグレゲンを託すほどだ。実力も確かなのだろう。

 だが、ザバッシュの情報網には、奴隷商としてのオラティウスの情報などまったくなかった。装飾品にはそれほど興味のないザバッシュにとって、オラティウスという商人はあまり縁がなく、押さえておく必要のない人物だったのだ。


「そもそも現在の奴隷不足の原因がなんであったか覚えておりますか?」

 サルヒグレゲンの問いに、思い出したくないビルゴン領の現状を思い出し、ザバッシュは唸った。

「奴隷狩り部隊の謎の失踪が、原因です」

「確かにそうですが、それ以外にも原因がありました。奴隷の買い占めです」

 奴隷価格の高騰にばかり目が行っていたが、確かに奴隷不足が顕在化する前の異常な買い占めが、現在の奴隷不足に大きく影響していることは確かだ。

 

 奴隷が全くいないわけではない。

 だが、価格が異常高騰した状態で供給が止まり、結果として奴隷の価格が恐ろしい額に跳ね上がったままになってしまった。

 ここで売れば大儲けが出来るが、そもそも奴隷はゾンの産業になくてはならない存在だ。

 売って利益を上げたとしても、労働力が失われ、事業が成り立たなくなっては意味がない。

 買い戻すときには売った時以上の額で買い戻すことになるのは目に見えているし、そもそも売りに出されるかも定かではない。

 誰もが一時の利益のために、最終的に事業破綻して破滅することを恐れていた。


「オラティウス殿はこうなることを予測し、誰もが売りに走っていた奴隷価格の高騰期に、買い占めに加わっていたのです」

 サルヒグレゲンの言葉に、ザバッシュは大きな衝撃を受けた。

 もしその言葉が本当だとすれば、恐るべき先見の明だったと言える。

 

「何故そのオラティウスという商人は奴隷を売りに出さないのですか? 価格の引き上げが目的だとしても、ゾン経済が破綻してからでは遅過ぎるでしょう?」

 ザバッシュの疑問は当然であった。

 買い手に買うだけの余力があるうちに売りに出さなければ意味がない。

 仮に国外市場に狙いを絞っているとしても、どの国も終わらない冬の影響で余力がない。国外市場で奴隷を売り捌いても、ゾンの奴隷市場で売る半分も利益は上がらないだろう。最大限の利益を狙うのであれば、やはりゾン国内で売りに出す以外ない。

 そう考えると、ここまで売りの時期を引き延ばすのは得策とは言えず、この状況を予測するほどの商才を持った人物が時期を見誤るなどあり得なかった。


 不意にヨゼフが身じろぎする。

 その顔には、理解と驚愕の色が広がり、次の瞬間には狡猾な色に塗り潰される。

 そして次の瞬間には表情がなくなり、自身の考えに没頭し始めた。


 それだけでザバッシュには十分だった。

 ヨゼフが何に集中しているかなど、推測するまでもない。

 金儲けの算段だ。

 利益を失するほどの奴隷の市場投入引き延ばしに、別の価値があることに気づいたのだろう。


 ヨゼフの様子からザバッシュが察したことに気が付いたサルヒグレゲンは、苦笑を浮かべると、小さく肩をすくめた。

「どうやら彼は察したようですが、オラティウス殿の市場への奴隷投入の引き延ばしは、価格の吊り上げが目的ではありません」

 サルヒグレゲンはこの後の言葉の効果を上げるべく、一旦言葉を切る。

 単純な駆け引きではあるが、ザバッシュの気持ちを引き付けるには十分だ。


「私の得た情報によれば、ザバッシュ卿はメティルイゼット王子の謀略により、危うく暗殺されるところだったとか。しかも、その根本的な原因は、ザバッシュ卿を筆頭とした、これまでゾンの国益と秩序を守るために尽力してこられた方々の考え方が、自分の考えに劣る古い考え方だと見下し、差別したことが始まりだと聞き及んでおります」

「いかにも」

 サルヒグレゲンの言葉に、ザバッシュは反射的にうなずく。


「メティルイゼット王子は軍略において、確かに優れた資質をお持ちなのでしょう。ですが、それが旧来の体制を否定してもよいということにはなりません。真に優れた資質をお持ちであれば、旧来の体制を生かしたうえで、自身が考えるこれからのゾン軍の在り方を模索すべきなのです。それを、自身の考えに反する者たちをいきなり排除し、ゾン軍を自分の意に添うように改革したいと望むのは、もはや改革ではなく、国を混乱させるだけの愚行にほかならず、団結しているゾンにあえて亀裂を生じさせる非道にほかなりません」

「全くその通りです。我が国の王子も、殿下のように大局的に物事を見る目があればその才能も生きたのでしょうが、自分の名誉欲を満たすためだけに戦いを求める濁った眼では、小さな戦の勝ち筋は見通せても、一国の在り様までは見通せんのですっ!」

 サルヒグレゲンの言葉は、ザバッシュの不満のすべてを肯定していた。

 王家との関係で頭を悩ませていた状況であったこともあり、返す言葉には熱がこもる。


「オラティウス殿に限らず、民の多くがメティルイゼット王子の不見識から、いずれ大きな問題に発展するだろうと考えていました。そして、トカッド城塞での愚行により、ザバッシュ殿との亀裂を決定的なものとしてしまいました。多くの有力者たちが決断すべき時が来たと判断し、行動に出始めたのです。ザバッシュ卿を支持するという行動に」

 サルヒグレゲンの瞳に鋭さが宿る。

 ザバッシュは思わず息を呑む。


「ですが、ザバッシュ殿が国を想い、ご自身の名誉を捨て、揺れるゾンを今一度団結させるための捨て石になろうというお覚悟でおられるのであれば、オラティウス殿を筆頭とした有力者たちも、その決断を支持し、メティルイゼット王子を支援するでしょう」

 サルヒグレゲンの瞳に宿った鋭さが、ふっと緩む。


 メティルイゼット王子にどれだけ非があろうと、ゾン貴族であるザバッシュにとって主筋であることに変わりはない。メティルイゼット王子が折れないというのであれば、ザバッシュが折れて見せるのが、混乱を回避するためのもっとも大人な対応と言えるだろう。

 だが、ことはザバッシュが頭を下げればそれで終わるという問題ではない。

 メティルイゼット王子がゾン軍の実権を掌握すれば、ザバッシュを筆頭とする東部貴族は排斥されてゆき、政治の中心からも外れていくことになるだろう。


 そうなればオラティウスが奴隷を市場に投入したとしても、ビルゴン家に奴隷が回ってくるとは限らず、ビルゴンの経済は破綻する。

 場合よっては弱体化した隙を衝かれ、今度こそ暗殺される可能性もある。

 何よりサルヒグレゲンが口にした解決策は、戦いを恐れる軟弱者が選ぶ選択肢であり、武辺者として今日まで生きて来たザバッシュには耐え難い屈辱でしかなかった。


「国を割らぬこと。それは確かに大事なことかもしれません。ですが、その努力は王家も等しく払うべきもの。一方的にこちらに押し付けられなければならないものではない。そもそも現在のゾンは、ヴォオスの建国王ウィレアム一世による魔神ラタトス支配の終焉時に、現王家がコソ泥のようにゾン東部の支配権を掠め取っていたいったからに過ぎません。現在のゾンなど、我ら東部貴族にとっては、恩もなければ義理もない。武人としての名誉を踏みにじられてまで義理立てするようなものでは、断じてないっ!」

 ザバッシュの答えに、サルヒグレゲンの目に再び鋭さが宿る。


「でしたら、私を含め、オラティウス殿を筆頭とした有力者たちは、惜しまずザバッシュ卿を支援することでしょう」

「それは是非ともお願いしたい。ちなみに、具体的にはどれだけの数ご都合いただけるのでしょうか?」

 この時すでにザバッシュの腹は決まっていた。

 もともとメティルイゼット王子に下げる頭などなかったのだ。

 むしろこうなれば現在のゾン全体の窮状はザバッシュに優位に働く。

 おそらくそこまで見越してサルヒグレゲンは話しているのだろう。後は自分がはっきりと態度を示すだけなのだ。


「まずは五万」

「ご、五万っ!」

「即日で」

「なあっ!」

 もう一桁少ない数字でもザバッシュにはありがたかったが、はるかに予想を超える数字に、ザバッシュは度肝を抜かれた。

 しかも、それだけの数の奴隷を即日で用意して見せようというのだ。

 ザバッシュは呻いたきり後の言葉が続かなかった。


「い、いささか多過ぎはしませんかな? さすがに現在の奴隷価格で五万人分の支払いは、ビルゴン家といえども用意いたしかねます」

 ザバッシュは生唾を飲み込むと何とか言葉を絞り出す。

「価格は高騰以前の平均価格で構いません。ここで儲けを得ようなどと考えるような小物なら、そもそもザバッシュ卿でなく、メティルイゼット王子に取り入ろうとしているでしょう」

「こちらとしてはありがたいお話ですが、それにしても五万とは多過ぎるのではありませんか?」

「ザバッシュ卿の口利きという形で、他の東部貴族方にも奴隷を売る計画なのです」


 これはもはやビルゴン家のみにとどまった話ではない。

 もともと軋轢のあった王家を中心としたゾン中央と、東部貴族をはっきりと二分し、ビルゴンを中心とした新たな支配権の確立を目的とした反乱に他ならなかった。


 その旗頭して選ばれたのが自分であることに、ザバッシュは何の反発も覚えなかった。

 メティルイゼット王子の独善的な部分に、不満を覚えているのは自分ばかりではない。

 それに、かつては評価していた武人としてのこだわりも、政治を顧みず、商人などを見下すその性格に、ゾンの将来に不安を覚えている貴族や商人、役人も多いと聞く。

 メティルイゼット王子を見限った者たちが自分を頼るのは必然であり、そもそもゾンが今の形で存続しなくてはいけない決まりもなければ、国が割れて困るのは王家の方なのだ。


「ここビルゴンからヴォオス国境までの貴族との交渉は私が致しましょう。殿下には今後もご協力いただければ幸いです。もちろん一方的に協力していただくつもりはございません。こちらも殿下のために尽力させていただきます」

「ありがたい。ですが、そうなると厄介なのがヴォオスの動きです」

 サルヒグレゲンの指摘にザバッシュも眉間にしわを寄せる。


 これまではゾン軍としてヴォオスに対抗してきたが、メティルイゼット王子と事を構える以上、対ヴォオスはザバッシュにとって頭の痛い問題になる。

 ヴォオス軍にそれほどの余力があるとは思えないが、それでも国境を越えられれば兵を向けないわけにはいかない。

 それはそのまま中央に対する戦力の減少を意味する。


「それに関しては、少しはお役に立てるのではないかと思います」

 オラティウスの目的を察して思考を働かせていたヨゼフが口を開いた。

「貴様にヴォオスをどうにか出来るとでもいうのか?」

「ヴォオスは無理ですが、クライツベルヘン家であれば交渉の余地がございます」

 ヨゼフの答えにザバッシュは顔をしかめた。


「殿下がそのクライツベルヘン家を出し抜こうとお考えなのだぞ。協力どころか妨害されかねんぞ」

「それはどうでしょう。いささか穿うがち過ぎかもしれませんが、そもそも殿下をオラティウス様にお預けになられたのはクライツベルヘン家でございます。オラティウス様がメティルイゼット王子ではなく、ザバッシュ様に与すると決めたことにも、クライツベルヘン家の作為が働いてのことかもしれんません」

「ゾンが内戦状態になって得をするのはヴォオスだ。お主はクライツベルヘン家が、私を利用し、ザバッシュ卿に反乱を起こさせようとしていると疑っているのだな?」

「いかにもクライツベルヘン家がやりそうなことです」

 ヨゼフとサルヒグレゲンの言葉に、ザバッシュが唸る。

 

「ですが、ヴォオスではなく、クライツベルヘン家の企みであるということが重要なのです」

「どういうことだ?」

 サルヒグレゲンがヨゼフに問いかける。


「これがヴォオスの企みであれば、一方的に利用しようと考えていることは間違いないでしょう。殿下もザバッシュ様も、ヴォオスにとってはゾン攻略の捨て駒に過ぎません。ですが、クライツベルヘン家にとっては違います」

「どう違う? 同じではないのか?」

 今度はザバッシュが問いかける。


「クライツベルヘン家は小国並みの力を持つと言われていますが、だから安泰というわけではありません。むしろ現状の力を維持するために、ヴォオスとは異なった考えで動いております。殿下の一件だけでもそれは証明されております」

 ヨゼフの言葉に、ザバッシュは一つうなずいた。


「ここビルゴンとクライツベルヘン。そしてイェ・ソンが一つの経済網で繋がれば、クライツベルヘン家は王都ベルフィストを除外した経済網を手に入れることが出来ます」

「そんなことをすれば、ヴォオス王家が黙ってはいまい」

「事実を知れば確かに黙ってはいないでしょうが、ヴォオスの視点から見れば、クライツベルヘン家はゾンを分断に追い込んだ功労者ということになります。まさか殿下やザバッシュ様と手を結び、新たな経済網の確立を図ったとは思わないでしょう」

 ヨゼフの意見は正しい。

「だが、そこまでするか?」

 だからこそザバッシュは疑問に思った。


「するでしょう。むしろしない方がクライツベルヘン家らしくありません。それに、クライツベルヘン家と他の五大家の繋がりは非常に強いものがあります。新たに誕生する経済網は、他の五大家とも繋がると考えれば、そこから生み出される利益は莫大な額に上ります。それはクライツベルヘン家だけではなく、他の五大家や殿下、ザバッシュ様にも莫大な富をもたらすでしょう。これはある意味五大家にイェ・ソン王家とビルゴン家を加えた七大家同盟といえるものになるでしょう」

 ザバッシュの疑問に対するヨゼフの回答は、あまりにも大きな内容であった。


「ゾンの王都エディルマティヤと、ヴォオスの王都ベルフィストに集中している利益を奪い、それを五大家とビルゴン家、そして私が治めることになる新たなイェ・ソンで維持することで、大陸中央の力関係をより均一化しようということか」

 サルヒグレゲンが納得したようにうなずく。


「先のライドバッハによる反乱は、元を正せば急成長したヴォオス経済の流れに乗ったクロクスの台頭が原因でした。ですが、それをヴォオス王家はもちろん五大家ですら制御出来なかったことが致命的だったとも言えます。これはさすがのクライツベルヘン家も想定外だったでしょう。第二のクロクスを台頭させないためにも、ヴォオスやゾンの力を削ぎ、その上で自分たちの力を増すことで大陸経済をその制御下に置こうと考えるのは、いかにもクライツベルヘン家らしいとやり方だと思います」

 ヨゼフの推測に、ザバッシュは呆気にとられた。

 あまりにも話の規模が大き過ぎる。

 

「そこまでして、クライツベルヘン家にどんな利益があるのだ。いや、確かに利益はある。だが、そこまでするのであれば、クライツベルヘン家こそが大陸の盟主にならんと、もっと野心的に動くべきだろう。計略の大きさに比して、得られる利益があまりに少ない。まともな思考の持ち主がすることではない」

「さすがにその辺りは計り知れません。そもそも五大家の在り様が、大陸の常識からすれば異常過ぎます。その中でも特にひねくれた思考の持ち主がクライツベルヘン家です。こちらがまともであればあるほど、その思考の根底は見えてはこないでしょう」

 ザバッシュの意見に、ヨゼフは大きなため息をついた。


「おそらく均衡を保つことを意識しているのだろう」

 サルヒグレゲンが考え意を口にする。

「均衡ですか?」

 ザバッシュが尋ねる。


「五大家の結びつきは強い。だが、そこに主従関係は存在せず、五つの家は対等の立場にある。仮にクライツベルヘン家だけが勢力を伸ばすことになれば、他の四家も黙ってはいないだろうし、五大家が対立し、争い合えばその隙をヴォオス王家に衝かれ、最後には五大家そのものが滅ぼされてしまうだろう。クライツベルヘン家が力をつけようと考えれば、均衡を崩さずに力を増すしかない。そう考えると、すでに力関係が出来上がってしまっているヴォオス国内だけで力を増すことは不可能であり、他国を巻き込んでの力の再分配が必要になる」

 さすがのサルヒグレゲンも、自身の考えに呆然とする。

 まともな思考の持ち主であればあり得ないと一笑に付すところだが、その計略に自身も組み込まれているとなると笑い飛ばすわけにはいかない。

 何よりサルヒグレゲンの計算では、それは実現可能な計略であった。

 

「恐ろしく壮大な計略ではありますが、おそらく実現可能でしょうな」

 ザバッシュも同じ考えに至り、唖然とする。

「ですが、失敗する可能性ももちろんあります」

 そこに一人冷静なヨゼフが考えを口にする。

「徹底的に干渉しよとしないのがその証拠です」

 ヨゼフの言葉に、ザバッシュとサルヒグレゲンが、言わんとしていることを察し、視線を向ける。


「この計画を何としてでも成し遂げようと考えているのであれば、まるで私を泳がすようなこのやり方は迂遠に過ぎる。ザバッシュ卿を巻き込むにしても、もっと直接的なやり方が出来たはずだ」

「失敗してもいいということなのか?」

 サルヒグレゲンの言葉に、ザバッシュが眉をしかめる。


「この計画は、成し遂げただけでは意味がないということなのでしょう」

「と言いますと?」

 ザバッシュが尋ねる。


「力を拮抗させ、管理しやすくすることが目的ならば、その力関係を維持していかなければ意味がない。勢いや運だけで実現出来たとしても、どこか一か所でもその維持に失敗すれば、むしろ崩れた力関係をめぐって争いに発展しかねない。ゾンは別として、それ以外の国々は終わらない冬の影響で疲弊している。この時期に長く続く戦はどこも望まないでしょう。混乱を呼び込むくらいなら、現状を維持する方がはるかにいい。簡単に言ってしまえば、私とザバッシュ卿が、独力でクライツベルヘン家の目論見に達するだけの力がなければ計画そのものが無意味ということなのでしょう」

「ぬうぅっ。こしゃくな……」

 サルヒグレゲンの説明に、ザバッシュが歯噛みする。


「ですが、だからこそ、交渉の余地があります。いや、むしろ交渉を待っていると見るべきでしょう」

 ヨゼフの言葉に、ザバッシュが苦虫を嚙み潰したように顔をしかめる。

 そうだとしたら、すべてがクライツベルヘン家の思惑通りということになる。

 他国の貴族に躍らされるのはどうにも面白くない。


「なるほど、そういうことか」

 何かに思い至ったようで、サルヒグレゲンが皮肉気に笑う。

「どうされました。殿下?」

 不審に思い、ザバッシュが問いかける。


「クライツベルヘン家は見極めようとしているのです。ザバッシュ卿が真にメティルイゼット王子に対抗出来るだけの武人なのか、それとも、最後にはその足元にじゃれつく政治家イヌなのかを」

 それまで礼節を保ってきたザバッシュの表情が、サルヒグレゲンの強烈な皮肉に大きく歪む。


「なんとも痛烈な皮肉だ。だが、このゾンという国で、あなた以外にあのメティルイゼット王子に対抗出来る者がいるでしょうか? 東部貴族は中央貴族と比べ、武辺の貴族です。ですが、それでも対抗出来る者は一人もおりますまい。特に、近年では東部貴族の盟主はメティルイゼット王子の腹心の一人であるシヴァス家であるとみなされている現状では、東部は完全に中央の軍門に下ったものと諦めている者がほとんどでしょう」

「ふざけるなっ!」

 怒声と共に、ザバッシュが激しく卓を打ち付ける。

 何事かと慌てて顔を出した衛兵を一睨みで下がらせると、ザバッシュはサルヒグレゲンに頭を下げた。


「お見苦しいところをお見せしました。だが、はっきりと言わせていただきましょう。殿下の見識は、口さがない平民共の身勝手な噂話と何も変わりません」

 ザバッシュの言葉に、サルヒグレゲンではなく、その背後に控えていたツァガーンローが反応する。

 サルヒグレゲンはスッと片手を上げただけでツァガーンローを下がらせたが、その一瞬に放たれた百戦の気の大きさに、ザバッシュは無意識の内に腰を浮かしていた。


「東部貴族は中央の軟弱貴族共の下風に立つつもりは微塵もなく、それこそメティルイゼット(、、、、、、、、)の足にじゃれついているだけの、シヴァス家のクシュユスフごときを盟主と仰ぐ者など一人もおりません」

 ザバッシュの言葉から、メティルイゼット王子に対する敬称が取り払われた。

 その意味するところをはき違えるサルヒグレゲンではない。


「ならばこちらも堂々とクライツベルヘン家を利用するといたしましょう。何も力を得て以降もクライツベルヘン家の思惑通りに踊ってやる義理などこちらにはないのですから」

 言葉と同時にサルヒグレゲンの両目が冷たく光る。


「いかにも。策士、策に溺れるの心境を、クライツベルヘン家に味合わせてやりましょう」

 答えるザバッシュの両目は、獣のように猛々しく燃え上がっていた。


「クライツベルヘン家との交渉は、ヨゼフ、貴様に任せる。報酬は新たに築き上げられる経済網における取引優先権だ。しっかりと税金を搾り取ってやるから、開拓から流通まで、死ぬ気で取り組め」

「でしたら、第二のクロクスを目指して見せましょう」

「クライツベルヘン家に暗殺されるぞ」

 ヨゼフの軽口に、サルヒグレゲンからツッコミが入る。


 ザバッシュは大笑いし、会談はそのまま盛大な宴へと移っていった――。









「殿下、不意打ちは勘弁してください」

 ザバッシュの邸宅に客人として正式に招かれたサルヒグレゲンは、豪華な一室を用意され、くつろいでいた。

 用意された果物を口に運ぶサルヒグレゲンに、チャルルのヨゼフこと、カーシュナーが冗談混じりに抗議する。


「ザバッシュ卿はだいぶ迷っているようだったのでな。たきつけるためにも興奮させる必要があったのだ」

「咄嗟に話を合わせるのに一苦労ですよ」

 そう言ってカーシュナーはげんなりして見せた。


 二人がザバッシュに吹き込んだクライツベルヘン家によるビルゴン家―クライツベルヘン家―イェ・ソン王家をいう新しい経済網に関する計略は、その場で即興で練り上げられた架空の計略であったのだ。

 カーシュナーはザバッシュを中心としたゾン東部にのみ奴隷と物資を投入することで中央の不満を煽り、偽装兵を使って東部貴族を襲撃して売り払った奴隷を奪い、今度はその奴隷を中央貴族に売り払って東部貴族の怒りを煽り、両者の衝突を生むつもりでいた。

 それでも十分目的を果たすことは出来たが、中央と東部の力関係は、ザバッシュの覚悟次第で中央に傾く可能性があった。


 ザバッシュがあくまで和平を望み、メティルイゼット王子と手を取る選択をすれば、これまでの力関係よりも若干は東部に傾いた状況でゾンは安定を取り戻すことが出来る。

 そうなった場合は弱腰のザバッシュを標的に据え、ゾン東部の攻略を進める計画だったが、出来れば先に中央を攻略したいのがカーシュナーの本音だった。

 中央を押さえるということは、ゾンの奴隷市場を押さえることであり、それは同時に大陸全体の奴隷市場を押さえることになるからだ。


 だが、サルヒグレゲンとカーシュナーが即興で生み出した壮大な計画の可能性は、ザバッシュを本気にさせた。

 それはその計画が実現不可能な絵空事ではなく、現実的な可能性を秘めていたからだ。

 二人の知恵者は大陸の中央部に、新たな地図を広げて見せたのだ。


「後のことはお任せいたします。私は間違ってもヴォオスが下手な動きを見せないように手を施しにまいりますので」

 そう言うとカーシュナーはヨゼフの顔に戻り、部屋を後にした。


「……オリオン卿やシヴァ卿の言う通り、実に変わった御仁ですな」

 二人だけになると、ツァガーンローが正直な感想を口にした。

 果実をもう一つ口に運ぶと、サルヒグレゲンはうなずいた。

「商人に扮して堂々と敵地を渡り歩くのだから、面と向かい合った後でも、あの男がクライツベルヘン家の子息とは信じられん。完全に優秀な密偵だ」

「貴族のすることではありませんな」

 そのあまりの特異性に、ツァガーンローも呆れ返る。


「クライツベルヘン家か。いったい何を考えてあの男を放置しているのやら……」

 全く読めないその意図に、サルヒグレゲンは小さく笑った。

「これからいかがいたしますか?」

 ツァガーンローが尋ねる。

「待つさ」

「待つ?」

 問い返すツァガーンローに、サルヒグレゲンは視線を向けた。


「事態は大きく動き出した。それが一つの流れになった時が、私の動く時だ」

 サルヒグレゲンは自身の脳裏に描き出されたゾンの今後を見つめながら、もう一口果実を口に運ぶのであった――。 

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