混沌を撒く者
今回の話は、もう少し先までの展開を書いて投稿するつもりだったのですが、1万5千文字まで書いたところで着地点の文字数が予測不可能な長さになることが分かったので、キリのいいところでまとめることにいたしました。
最後まで書いていたら、下手をしたら来週どころか再来週までかかっていたかもしれないので、キリにしてよかったと、まとめてから思いました。
ここのところ不定期更新になってしまい申し訳ありません。
週に一本土曜の17時頃を目標に今後も頑張りますので、お付き合いいただければ幸いです。
それではヴォオス戦記の本編をどうぞ!
地獄のふたを開けたような酷暑が去ったはずのゾン国王都エディルマティヤであったが、その中心である奴隷市場は、殺気立った空気によって焼け付いていた。
歴史上初めて行われた南方民族の地における奴隷狩りの権利を巡る競売は、先の奴隷価格の異常な上昇の影響か、異様な盛り上がりを見せた。
競売に参加したのはいずれもゾン国の有力者ばかりで、並みの貴族や商人では参加も許されない近年稀にみる大競売となった。
一般商品の競売ではあまり見られないが、奴隷の競売には見物人が出る。
競売そのものが一種の見世物と化しており、一般商品の競売とは違い、競売人も淡々と進行するのではなく、役者顔負けの演出と弁舌によって競売を盛り上げる。
盛り上がりの中、競り落とした者の歓喜が見物人を巻き込んで爆発し、その対比として競り落とされた奴隷たちの絶望が、見る人々の嗜虐的興奮を呼び起こす。
普段の奴隷競売でも十分楽しめるものが、歴史上初開催となる南方民族の地における奴隷狩りの権利となれば、そこに奴隷がいなくても盛り上がることは間違いない。
競売は、参加が許された大貴族と大商人たちの面子をかけた競り合いになることが予想されるため、その期待感は尋常ではなく、普段は好き勝手に眺めることが出来る競売も、この時ばかりは場所を大劇場に移し、入場券を販売して規制をしなけらばならないほどの盛り上がりとなった。
事実、観客の盛り上がり以上に競売参加者の熱狂振りが凄まじく、意地の張り合いもあって、見る者を飲み込んでの白熱した展開に、入場料を払ってまで競売を見るために訪れた人々を満足させた。
期間と区画で落札範囲を区切り、期間は前期、中期、後期の三つに分けられ、区画に関しては情報非公開とし、落札者にのみ伝えられることになった。
前期の落札者に参加者の中でも特に有力な大貴族と大商人が集中したが、これは奴隷市場の窮状を鑑みて、事前に前期の入札に関しては一定条件が提示され、落札から一週間以内に王家が定める最低規模以上の奴隷狩り部隊を編成、派遣出来る者にのみ入札が許可された結果だった。
奴隷不足は深刻化しており、一日も早い状況の回復が最優先された形となった。
そういう意味では中期以降が競売の本番で、特に条件付けはなかったが、それは本気で利益を得るつもりであれば、最大戦力を整え、落札と同時に部隊を出港させるくらいの気概がなければ落札など不可能なほど、競売開催前から盛り上がっていたからだ。
こうして前期十名の落札者が決まり、動員兵力合計約五万、奴隷船に至っては七十隻を超える大規模遠征となり、南方民族の地に向けて出港して行った。
出港は大勢の人に見送られ、ゾンの各港から南方民族の地を目指して旅立って行った。
その中でも、王都エディルマティヤから出港していった大商人の船団はひときわ華やかで、本来の目的がなんであったか忘れさせるほどの賑わいとなった。
そして出港から一か月。
彼らからの連絡は一切届かなかった――。
◆
酷暑が完全に去り、色鮮やかな花々が咲き乱れるようになった王都エディルマティヤは、さわやかな香りが通りにあふれる常春の国と化していた。
この地に拠点を構える外国人商人は多いが、この季節になると自国で冬を過ごすことから逃れてきた他国の有力者も多く、喧騒が絶えないエディルマティヤの空気がより華やいだものへと変わる。
例年であればそうなるのだが、今年に限っては加わる華やかさが、湧き上がる苛立ちによってかき消されてしまい、毎年エディルマティヤで年を越す常連観光客を驚かせている。
「面白れえことになってきたな」
そんな観光客たちを飲食店の二階席から見下ろしながら笑ったのは、ゾンの暗部に所属する密偵の一人、ジェウデトであった。
年齢不詳な外見は、二十代の軽薄な若者のように見えるときもあれば、五十代の落ち着いた初老の紳士にも見える。
ゾン人としては体も大きく、百八十センチ近い長身に、無駄な肉のない引き締まった肉体をしている。
肥満が富の象徴であるゾンでは、あまり風采が良いとは言えないが、いまだに最前線で活躍する密偵としては、動ける体を維持しておく必要があった。
階級を金で買えるゾンでは、密偵という職業は他国のものと比べてかなり性質が異なる。
そこで得た情報をもとに利益を得ることが出来るのだ。
ここがヴォオスや他国の密偵と大きく異なる部分で、普通密偵とは私欲を廃し、国のため、情報収集に徹するものだ。
だがゾン人の気質では、目の前に儲け話が転がっている状況で、それを見て見ぬふりをすることは到底不可能だ。
幼いころから教育によって洗脳するという手もあるが、そうやって育てる密偵にゾン人が使われることはない。
人種的に不向きであるため、ゾン人自身が洗脳を済まされたゾン人の密偵を信用することが出来なかったのだ。
ゾン特有の理由により、密偵とは身分の低い者が成功者へとのし上がるための近道の一つとされており、それ故優秀な人材も集まりやすく、ゾンの密偵はヴォオスの密偵に対抗出来るほど優秀であった。
優秀であるため財を成す者も多く、現場を離れて商人として身を立てる者や、没落貴族から爵位を買い取り、貴族階級へと進む者もいる。
こうした者たちは暗部から完全に切り離されることはなく、情報網の一部として活動することが暗黙の了解となっており、どの階級に身を置こうと、その忠誠は国王に捧げられる。
暗部としてはかなり特殊な性質を持っているが、それでも裏切りに対する制裁の手が緩むわけではなく、一度その身を暗部に置けば、その身には一生見えない鎖が掛けられることになる。
ジェウデトは、その優秀さに反して今でも密偵一本で活動している。
金儲けに興味がないわけではなく、ゾン人のたしなみとして爵位の一つや二つ簡単に手に入れられるだけの財は成している。
ただ、ゾン人としてまともな性格をしている者であれば、とうの昔に現場を退き、築き上げた財産の上に胡坐をかき、ゾン人らしく享楽にふけっている年齢に達しても、いまだに現場で働いているのはジェウデト一人であった。
ジェウデトは暗部の管理者から、金で自由を購入していた。
自由といっても働かないのではなく、任務の内容に対する裁量権だ。
要は好きな任務を好きなように処理する権限を手に入れているのだ。
このことから同僚は、ジェウデトにとっての娯楽が他人の秘密を暴くことにであり、美食や美女では満足出来ない一風変わった性癖の持ち主であるとみなされていた。
事実任務で貴重な情報を手に入れた瞬間の興奮は、密偵であればよほどの無能でない限り、誰しも一度は味わうものだ。
その興奮も場数を踏んでいくごとに薄れていくものだが、どうやらジェウデトは別らしく、いくつになろうと、どれほどの財を成そうと、秘密を嗅ぎまわるという行為に飽きることはないらしい。
また、仕入れてくる情報は有益なものが多く、その情報を密かに回してくれるので、ジェウデトを管理する立場の人間も、彼に関わる人間も、誰もその行動に異を挟むことはなった。
他人によるジェウデトの評価は、本人が望む形と概ね一致していた。
変わり者だが役に立つ。
その認識がジェウデトに行動の自由を許している。
そして、自由に行動したいジェウデトは、他人からそう評価されるようにこれまで演じてきた。
だが、ジェウデトには多くの秘密があった。
いつどこで、誰の元に生まれ、どのように育ったのか。
それを知る者は暗部の中にも存在しない。
見た目が年齢不詳であることから、実年齢も測り難く、古くからの知り合いが、自分の年齢から推測して、おそらく四十代であるとみなしている。
密偵は広く公募されるような職業ではない。
他国の密偵が潜り込む可能性もあるので、採用に際してその身元は徹底的に洗われる。
にもかかわらず、ジェウデトの身元は判明しなかった。
ジェウデトはこれを自身の優秀さの証明と豪語し、もし自分の身元を探り当てることが出来た者には、金貨十枚を支払うとまで言い放った。ただし挑戦料として金貨一枚の支払いが必要であったが。
この賭けに当時の暗部首脳陣は乗り、見事に敗れ、ジェウデトに金貨百枚以上を進呈することになった。
密偵とは、潜み、紛れることが重要だ。
自分を売り込むためにここまで徹底して過去を消し去った者はかつて一人もなく、新人ながらその能力が群を抜いていることは明らかだった。
その徹底ぶりに他国の密偵ではないかと疑いを持つ者もいたが、首脳陣はその意見を一笑に付した。
潜むことも、紛れることもせず、いきなりここまで自己主張する密偵など存在しない。
この行動でジェウデトに対して張り付いた視線は、ジェウデトの行動を縛ることにしかならない。
この状況でゾンの機密を探り出せるとしたら、それこそゾンはジェウデトを高額の報酬で引き抜くだろう。
その後ジェウデトは巻き上げた金貨をそのまま報酬に上乗せし、今でも賭けを継続している。
こうした悪ふざけを真面目に続けるところはいかにもゾン人らしく、また常に自身に対して疑惑の目を向けさせ続けることで、逆にその信用を揺るぎないものへと変え、改めてその情報操作技術の高さを同僚と後輩たちに思い知らせた。
自分がどこの誰なのか。
たったそれだけの情報を操作することで、ジェウデトは周囲の目をくらまし、その本性を表に出さないまま今日まで過ごしてきた。
いや、ある意味本性は常にさらされているとも言える。
黒い冗談を好み、混乱や騒動を好む。
周囲はそれを単なる悪癖と捉えており、その認識自体は正しいのだが、その程度を図り損ねていた。
嗜虐性の高いゾン人であれば、別に珍しくもないジェウデトの悪癖であったが、その悪癖もさすがに自分や身近な者にまで類が及ぶとなれば話も変わってくる。
対岸の火事と笑っていたところに火の粉が飛来し、自分の家を燃やし始めたら、笑いている場合ではない。慌てて火消しに回ることになる。
だがジェウデトは、それでも笑い続ける男なのだ。
面白いと思えばそこに制限はない。
そして、制限がないこと知る者は、ゾンの暗部にすら一人も存在しなかった。
ジェウデトは手に入れた自由な立場を利用して、一人の男を追い続けてきた。
初めて出会った頃は、まだ十歳の少年であった。
出会ったといっても面識はない。
面識はないが、互いの存在は知っている。
だが、ジェウデトの方がより一方的に知っていると言える。
男の名はカーシュナー。
ヴォオス貴族五大家筆頭クライツベルヘン家の末子であり、表立って知る者は一人もいないが、大陸経済において五指に入るほどの大商人でもある。
その実態はゾン暗部ですらいまだつかめず、母国であるヴォオスの密偵ですら把握していない。
情報操作の技術に関しては、ゾンの暗部すら手玉に取るジェウデトの目から見ても極めて高く、カーシュナーを探るつもりが、逆にジェウデト自身が危うく尻尾をつかまれかけたことが何度もあった。
その度にジェウデトは笑い、カーシュナーとの見えない糸の手繰り合いを楽しんでいた。
恐ろしい速度で成長を続けるカーシュナーを、ジェウデトはまるで父親のように見守ってきた。
その成長が母国ゾンにとって脅威にしかならないと理解したうえで、その存在を隠し、自分の楽しみのためだけに観察し続けている。
王都エディルマティヤは干上がりかけている。
時期的には最も過ごしやすい常春の陽気であるにもかかわらず、灼熱の大乾季以上の渇きを人々は覚えていた。
水なら大乾季にあっても絶えることのない大河アスイーの恵みによって渇きとは無縁でいられるが、物資の不足は人の心を乾かせる。
贅沢に慣れた人々は、手に入るものだけで暮らすということが難しく、一日三食十分な量を食べられることのありがたみに見向きもしない。
より高い地位と、より良い生活のために、法を犯すことなど気にも留めないゾン人の上昇志向は、表向きには称賛されることはないが、それでもゾンという国を強く豊かにしてきた。
その結晶ともいうべき存在が、ここ王都エディルマティヤであり、この都に暮らす人々は、熾烈な生存競争を勝ち抜いてきた者たちだ。
皮肉にも、勝ち取った暮らしの水準が高いがために、その上昇志向によって引き下げることが出来ないのだ。
「奴隷、食料品、日用品。よくもまあ、これだけのもんを買い占めたもんだ。特に香辛料はやばいな。魚に塩振っただけの料理なんて、エディルマティヤの人間には味気なくて一日で飽きちまう」
そう言いつつジェウデトは、塩焼きにした白身魚を口に放り込んだ。
そして美味そうに酒を一口喉に流し込む。
「美味いっ! これで満足出来ないってんだから、舌まで肥え太っちまったんだろうな」
もう一口酒を飲みながら、意地悪く笑う。
密偵として若い時分は海外での任務がほとんどだった。
身分をやつしての潜入任務となると、食うや食わずの生活を何か月も続けることもある。
贅沢を身に着けると、任務に支障をきたすことはさすがにないが、それでも任務期間中自分自身が苦しむことになる。
そういった経験を経るからこそ、密偵たちはより早く財を成し、今の境遇から抜け出そうと努力するようになるのだが、ジェウデトは自制心にゆるみが出ることを嫌い、過度な美食は避けてきた。
新鮮な魚は今でも十分な量市場に出回っている。
だが、その新鮮な魚を調理するのに必要な調味料や香辛料が不足している。
塩はさすがに不足することなく流通しているので一安心だが、塩だけでは料理の味はどうしても単調になる。
贅沢に慣れた舌は、至高の味わいを求めて人々の中の不満を膨らませていく。
「食うには困らない。だが、贅沢は出来ない。絶妙な匙加減だ。料理だけにねっ!」
自分の冗談に、大いに笑おうとしたジェウデトであったが、大口を開けたところで笑うのをやめた。
「……そこまで上手くはないか。むしろしょっぱいな。塩だけにねっ!」
そう言ってゲラゲラと笑う。
「そして買い占めた食料品類を、一部の有力者にだけ回し、あたかもそいつらが買い占めを行ったかのような印象操作を行う。阿呆どもの不満が噴き出すとき、その方向性はすでに定められているってわけだ。怖い、怖い」
ジェウデトが見抜いた通り、カーシュナーは買い占めを行った商品を、一部の有力者のみに流している。
そして、手に入れることが出来る者たちの優越感を煽り、同時に、手に入れられない者たちの不満も煽る。
「酒を買い占めなかったのも小憎らしい限りだよなあ。美味い食い物はない。なら、せめて酒だけでもってのが人の性だ。だが、不満を抱えて飲む酒ほど厄介なもんはねえ」
まるでジェウデトの言葉を待っていたかのように、言った直後にジェウデトが見下ろす通りで酔っ払い同士が喧嘩を始めた。
「苛々しているところに酒が入りゃあ、そうなるわな。おっ! あの倒れ方はまずいんじゃねえか? あ~あ、やっぱ死んだか。いよいよ死人が出るとこまで来たな」
悲鳴が上がり、通りが混乱するのをよそに、一人納得したジェウデトは、再び魚の白身を口に放り込む。
死人が出るほどの喧嘩も、ジェウデトにとっては丁度いい酒の肴に過ぎない。
「権力者層には、あいつらみたいな不満はない。だから事の深刻さもなかなか伝わらない。五大家の腹芸を読んで見せた王子様も、こういう細かい腹芸には疎いからな。事態が手の施しようがなくなってからようやく気が付くってとこだろう」
市井の人気が高いメティルイゼット王子であるが、市井の暮らしには詳しくない。当然その心情にも疎い。
メティルイゼット王子は戦場の雄であって、そこから離れれば他の王族貴族と大差はないのだ。
「ここに買い占めた奴隷を小出しに投入されれば、奪い合いの殺し合いになるだろうな」
そう言ってジェウデトはいやらしく笑う。
「王族でさえ、いきなり復活した酷暑で多くの奴隷を失っている。下手をすれば、市場を通さずに手に入れようとするだろう」
国王アリラヒムを熟知しているジェウデトには、やりそうなことが容易に想像出来る。
「そこで交渉だけはして置き、奴隷を確保出来たと思わせたところで東部の大貴族辺りに売り払う。そして、その情報に尾ひれをつけて一般に流す。そうなれば奴隷市場の枠組みそのものが危うくなる」
奴隷市場を通さない奴隷取引は禁止されている。この法は、王族貴族に対しては定められていないが、それでも王族貴族もこの決まりを順守している。
奴隷市場の安定こそがゾンの国益の礎である。
これが乱れれば商人たちも後に続き、各地で闇取引が横行するようになり、場合によっては奴隷市場の中心が、ゾンから近隣国へとその軸を移しかねない。
ゾンはこれまでそうならないように近隣国に目を光らせ、その影響力で奴隷市場をしっかりと抑えつけてきた。
ヴォオスの奴隷制度廃止は、奴隷という存在そのものの否定であり、ひいてはゾン国内での奴隷解放運動へとつながりかねない危険性をはらんでいたが、同時に市場の独占という意味では、ヴォオスの奴隷市場撤退は、ゾンにとっての最大の競争相手がいなくなったことを意味した。
ヴォオスとの関係は急速に悪化したが、それでもゾンもヴォオスも大陸隊商路を守護する立場として、国交を閉ざすようなことはしなかった。
そのため、ゾンは最小限の被害で大陸奴隷市場における優位を確立することになり、ヴォオス以外の近隣諸国が奴隷市場の拡大を図ることを阻止してきた。
だが、動き自体がなくなったわけではない。
ゾンの影響力が低下し、そこにゾンの奴隷商人が乗れば、大陸奴隷市場におけるゾンの優位は揺らぐことになる。
王族貴族が本来自分たちを縛るものではない法を、商人たち同様順守するのは、市場そのものを守るために必要だからであった。
「これまでは余裕があったから守ってこれた。さて、ここまで引っ掻き回されて、今まで通りというわけにいくかな?」
自国の王族貴族を巻き込む危機を目の前にしながら、ジェウデトは傍観者を決め込んでいた。
長年見続けてきた少年が、いよいよその牙をむき、ゾンに襲い掛かってこようとしている。
国の興亡を、特等席で見物出来るとは、なんともいい時代に生まれたものだとジェウデトは思う。
「そう思わないかい、アデちゃん?」
向かいで黙々と食事を続けていた男に、ジェウデトはいきなり話を振った。
話しかけられた男は一言も答えず、ジェウデトの酒をを自分の酒杯に注ぎ、美味そうに飲み干す。
無視しているというのではなく、ジェウデトに話しかけられていることに気が付いていないらしい。
「……あの、アデちゃん?」
無視された格好になったジェウデトが、向かいの男に遠慮がちに声をかける。
「ん? 俺に話しかけていたのか?」
「そうだよアデちゃん。お願いだから無視しないでよ。おじさん寂しいよ」
ジェウデトがわざとらしく泣き真似をする。
「独り言が多いから、話しかけられたと思わなかった」
「一応さっきまで話したこと全部、アデちゃん向けて話していたんだよ」
ジェウデトの目じりに小さく涙が浮かぶ。どうやらこれは本物らしい。
「ん? そうなのか? 俺にそんなこと話して何になる。興味がない」
「そう言わずに少しは聞いてよ。おじさん友達少ないんだから」
「ん? 少ない? いないだろ」
「ひどっ! 今のはひどいわ~。おじさん傷ついちゃうよ、アデちゃん」
本当に傷つきながらジェウデトが抗議する。
「さっきから連発している「アデちゃん」というのはなんだ?」
男が首をひねる。
「何言ってんの。アデルラールだから略してアデちゃん。親愛の情を込めた俺からのあだ名だよ」
「たいして略されていないと思うがな。それと「ちゃん」はどこから来た? どんな意味なんだ?」
「あ、そういう難しいことおじさんに聞かないで。「ちゃん」は昔から「ちゃん」だから」
「そうか。難しいのか。ならいい」
「そういう聞き分けのいいとこ、おじさん大好き」
「そうか? 俺はあんたのそういう面倒くさいところは嫌いだ」
「ひどっ! それもひどいわ~。おじさんこんどこそ傷ついちゃったよ」
「嘘をつけ」
アデルラールが一言で片付ける。
「そんなことないよ。おじさんだって傷つくんだから」
「そう思い込んでいるだけだ。あんたは傷つかない。そして友達もいない。何故なら、心がないからだ」
アデルラールの言葉にジェウデトはゲラゲラと笑う。
「アデちゃんは俺のことよくわかっているよ。でも、その言い方だとまるで俺が人でなしみたいじゃないか」
「似たようなものだろ」
「いやいや、似ていることと、本物の人でなしは大きく違うよ」
「なら人でなしでいいだろ。国の危機を面白おかしく見物しているような奴なんだから」
「なんだ。やっぱり話聞いててくれたんだ」
「いや聞いてない。いつもそうだろ」
「そうだね! いつもそうだよね!」
そう言うとジェウデトは再びゲラゲラと笑った。
「ただねえ、今度だけは特別なの。だって本当にこの国バラバラになっちゃうんだから」
「それで笑っているんだから、密偵失格だろ」
「それを言われるとおじさん……」
ジェウデトの言葉の途中で、不意に人影が頭上から降ってくる。
手には短剣を装備し、ジェウデトの背中のど真ん中を狙っている。
無音の襲撃に、ジェウデトは能天気にもアデルラールに持っていかれた酒瓶に手を伸ばした。
「死ねっ!」
刺客の短剣がジェウデトの背中に触れる直前、刺客は胸を刺し貫かれて即死した。
一瞬前まで椅子に腰かけていたいたはずのアデルラールが、刹那の間に踏み込み、抜剣と同時に刺客を刺し貫いたのだ。
「死ねっ! だって。ダサいね、君」
片手一本で刺し貫かれたまま宙に浮く刺客に対し、ジェウデトは追い打ちをかけるように駄目出しをする。
「お前が追っている男の刺客か?」
刺客を自ら作り出した血溜まりに落としながら、アデルラールが問いかける。
「まさかっ! あのお坊ちゃんに居所突き止められたら、こんなもんじゃすまないよ。アデちゃんがいても全力で逃げてたね」
「この程度の刺客しか雇えないような相手に居場所を探り出されておいて、よくそんなことが言えるな」
アデルラールの皮肉に、、ジェウデトは大げさに肩をすくめる。
「暗部には居場所とか隠してないからね。おじさん友達はいないかもしれないけど、敵は大勢いるのよ」
「ん? 敵以外に誰かいるのか?」
「味方してっ! お願いだからおじさんを一人にしないでっ!」
「言葉だけ聞くと気持ち悪いな」
「確かに!」
そう言うとジェウデトはゲラゲラと笑った。
「丁度消したい奴がいてね。これで堂々と殺れるよ」
この襲撃が、ジェウデトの意図したものであったことを何気に白状する。
「消したければさっさと消せ。大義名分を求めるなんて甘いことをしていると、いつか死ぬぞ」
どうせそんなことだろうと思っていたアデルラールが、どうでもよさそうに忠告する。
「裏の世界にもそれなりのしがらみみたいなものがあるのよ」
ジェウデトはいかにも疲れ切った中年男のような表情を浮かべると、哀れを誘う声で言い訳した。
「好きにしろ。俺の命じゃない」
軽口の応酬に飽きたのか、アデルラールがため息をつく。
「でも俺が死ぬと、アデちゃんたちの給料出なくなっちゃうよ」
「そしたらお前が追っている男にでも雇ってもらうさ」
「マジで! 絶対死ねなくなったわ~」
アデルラールの軽口に、ジェウデトは大きく肩を落とした。
「死ぬなんて欠片も思っていないくせに」
アデルラールが呆れ果てる。
「いやいや、俺だって人間だよ。いつ死んでもおかしくないって」
「だったらせめて逃げる素振りくらいしろ」
先ほどの襲撃を、わかっていて無視したことをアデルラールは見抜いていた。
「いや~、アデちゃんなら余裕かなって思ってさ」
実際アデルラールの動きは常軌を逸していた。動きだけでなく、片腕一本で大の大人一人を剣先に掛け、宙吊りにした力も尋常ではない。
「そうだとしても、自分で出来ることは自分でしろ」
「アデちゃん俺のお父さんみたい」
「かなりいい年したおっさんを、息子に持った覚えなない」
「かなりの部分を強調しないで!」
ジェウデトが悲鳴を上げる。
二人が死体のわきでズレた漫才のようなやり取りをしている傍らで、店の従業員がアデルラールに討たれた刺客の片付けを行う。
それなりに人の入った店内で、騒ぎ立てる客は一人もいない。
その異常な光景が、この場では正常なのだ。
店はもちろん従業員から利用する客に至るまで、全員がジェウデトの配下で占められているのだ。
「死体は片付いたが、この始末はどうつけるつもりだ?」
ジェウデトの軽口に付き合うのに飽きたアデルラールが問いかける。
言外に俺がやるのかという問いだ。
「アデちゃんが出るまでもないよ。アデちゃんの出番はもっとずっと後だから」
「退屈は好かん」
ジェウデトの答えに、アデルラールが不満を口にする。
「アデちゃんはわがままだな~。しょうがない。アデちゃんや他のみんなのために、おじさんも少し頑張って事態を引っ掻き回しますか」
そういってジェウデトはにんまりと笑った。
その笑いの黒さは、カーシュナーにも劣らに深さがあった――。
翌日の朝、ゾン暗部首脳陣の長が死体で発見された。
発見されたとき、長は寝台の上で、左右にぐっすりと眠りこける二人の奴隷を侍らせていた。
腹上死でもしたというのなら、まだ笑い話の種になっただろうが、発見された長の死体は、まるで喉を握り潰されたかのような状態で、その顔は鬱血でどす黒く変色し、目玉は飛び出し、魂を地獄に引きずり込まれたのような苦悶の形相だったという。
他殺であることは誰の目にも明らかであったため、暗部は総力を挙げて調査にあたったが、その結果、長はジェウデトを暗殺し、その情報網を横取りしようと計画していたことがわかった。
いや、わからされたのだと、首脳陣たちは悟った。
ジェウデトの仕事の痕跡を追うのは難しい。
難しいというより、不可能だと言い換えてもいい。
いまだに新人時代にその能力の高さを証明するために隠されたジェウデトの身元すら探り出せないでいるのだ。これが本業となれば、手抜かりなどあろうはずがない。
ジェウデトはあえて痕跡を残すことで、自分と遊んでほしいと本気で思っているのなら、相応の覚悟で来いと、言っているのだ。
権力闘争は何も暗部の専売特許ではない。
他の首脳陣も、多かれ少なかれ、他人を引き摺り下ろして現在の地位にいる。
地獄まで落とした相手の数は、両手でも足りないだろう。
故にジェウデトの警告に対し、怒りを示す者は一人も存在しなかった。
長はジェウデトの後輩でありながら、暗部の長に立ったことで、ジェウデトを低く評価したがる傾向があった。
自分こそが暗部の伝説的存在だと主張したかったのだろう。
そして、その対抗心が寿命を縮めることになった。
長がなぜ死んだのか判明したことで、この件の調査は終了した。
もちろんジェウデトが処罰されるようなこともない。
頭をさっさと切り替えた首脳陣たちは、空いた席の椅子取り合戦にその意識を向けた。
ゾン暗部には、暗黙の裡に触れてはいけないものが二つ存在した。
クライツベルヘン家の逆鱗と、ジェウデトの逆鱗だ――。
どちらも触れたが最後、ろくなことにならない。
長はまだ、楽に死ねた方なのだ。
不用意に触れてはいけない存在。
それがジェウデトであり、ゾンの闇の常識であった。
そのジェウデトが動き出した。
その動きはカーシュナーの目論見を後押しするように働き、王都エディルマティヤを飛び出し、中央から北西部にかけて混沌の手を広げていった。
カーシュナーは自身の計略の一部が、他人の意思によって操作されていることにまだ気づいてはいなった――。
次回は懐かしいキャラが登場いたします。
<序>が序になる前からお読みいただけている方々にはもはや記憶にないかもしれませんが、忘れていてもそれほど今後の展開を理解するうえで困ることはございませんので気にせずお待ちください。
なるべく早く次の話を投稿出来るように頑張りますので、お付き合いいただければ幸いです。




