同盟交渉
「とても信用なりません!」
トカッド城塞の主だった将兵が集められ、カーシュナーが持ち込んだ書簡をもとに軍議が開かれていた。
書簡の内容は、クライツベルヘンが南部貴族を糾合し、王家を討つために同盟を申し込んできたというものだった。このような内容であれば、本来ならゾン国王にあてて送られるのが常識であるが、ライドバッハの反乱が予想に反して急激にその勢力を拡大したため、危急の策としてトカッド城塞に特使を派遣することになったとある。
ミデンブルク城塞を共に攻め、陥落させてくれれば、南部の王家直轄領を差し出すとある。国土の約十分の一に相当する面積を、宿願ともいえるミデンブルク城塞陥落の報酬として手に入れることが出来るという破格の条件だ。だが、この条件は別にクライツベルヘンの腹が痛む話ではない。であれば、いくらでも気前のいい話が出来るというものである。
罠を疑う声が多く、軍議はなかなか決着がつきそうもなかった。
将兵たちに首をひねらせたのは、ザバッシュ将軍がこの書簡にかなりの信憑性を持っていることだった。本来であれば、このような怪しげな同盟など歯牙にもかけず、使者も書簡も王都に送り、それで終わりであったはずだ。行動を前提に軍議を重ねるなどあり得ないことであった。
ザバッシュは使者が赤の極上精製水を献上品として持参したことを伏せている。報告すれば証拠品としてそのまま王都へ送らねばならず、ザバッシュの手からすり抜けてしまう。
一度手に入れてしまったら手放すことなど考えられない状態になっているのだ。また、これほどの逸品を奴隷女相手に試すなど、それも考えられないことだった。
早く王都へ帰りたい!
ここでミデンブルク城塞を陥落させるという功績を上げれば、ザバッシュは堂々と王都へ凱旋することが出来る。また、ミデンブルク城塞を落とすことに成功すれば、<神速>などともてはやされていい気になっているでしゃばり王子が前線に出てきてザバッシュから兵権を奪うのも目に見えている。普段であれば業腹な所業であるが、今回ばかりは王都に帰るための格好の言い訳になる。
何としてでもミデンブルクを陥落させたい!
ザバッシュにとっては娯楽の品でしかない赤の精製薬は、ラタトスの魔力を秘めた軍や国を狂わす劇薬であったのだ。
議論は紛糾したが、結局はザバッシュの判断により、乗る事となった。元々軍全体としても、トカッド城塞に大量の食糧物資を運び込むなどしてミデンブルク城塞の警戒を強めさせ、内乱終息への介入を牽制するという動きがあった。それは内乱を極力長期化させ、ヴォオスの国力を削ぐことを目的とした戦略であり、ヴォオスにとってはもっとも嫌な対応であった。
ゾンは酷暑の国だ。国土には砂漠や荒野などの多くの不毛の地がある。そして、そのような場所に多くの鉱物資源が眠っている。
ゾンで奴隷売買が盛んなのは、過酷な環境での重労働が、国の主な産業と直結していることに原因がある。そのような仕事をやりたがるゾン人がいないからだ。
暑さに馴染んでいるゾン人は、大陸を覆っている異常寒波の影響を、比較的受けずにすんでいる。国力の余力という点においてはヴォオスをも上回っているだろう。だが、だからといって安易に武力行使することは出来ない。
仮に今、五年前のような大規模侵攻をかけた場合、寒さに弱いゾン軍は、敵兵と戦う前に寒さのために瓦解してしまうだろう。
ここは待ちこそ最上の策なのである。
だからといって攻め込まない訳ではない。ヴォオス国内の混乱に乗じてミデンブルク城塞を陥落することが出来れば、寒波が去り、時期が整うと同時に大攻勢をかけるための重要な戦略拠点を得ることが出来る。
虎視眈々と機会をうかがっていたトカッド城塞としては、疑いつつも無下には払いのけ難い提案だったのだ。
実際クライツベルヘンのような大物貴族には接触を図らなかったが、いくつかの南部貴族には、ゾンから離反を促す使者を出している。ヴォオス側の人間が、同じ発想に至るのもなんら不思議はないのである。
ただ、あまりにも予想を上回る大物からの同盟の申し出であったため、疑心に駆られてしまっているのだ。
それでも、ゾンは行動の国である。一度方針が決まってしまえば、性に合わない待ちなどより、ずっと将兵の士気を上げさせた。
カーシュナーは使者としてトカッド城塞内に留められていたが、その間にもチャルルのヨゼフとして精力的に動き回っていた。ゾン人顔負けの<しゃべり>で、兵士たちの心を開き、精製されていない赤い薬草を通常の薬草と抱き合わせでせこく売りさばいて回っていた。金にこだわる姿勢こそ、ゾン人の疑いを一番招かずに済む隠れみのなのだ。
一度は兵士たちを集めて勝手に腕相撲大会を開き、これを賭けの対象にして見事に捌いてみせたのだが、さすがにやり過ぎだとザバッシュから厳重な注意を受けた。だが、よくよく聞いてみると、自分でも赤い薬草などの上りをつぎ込み、大負けしていたことがわかり、最後にはいい笑い話の種になっていた。このころになると警戒のためにつけられていた兵士たちも、カーシュナーのことをかけらも疑ってはいなかった。それどころかサイコロ遊びの良い振り手として尊敬すらされていた。
カーシュナーがトカッド城塞に到着してから二日後の夕刻。ミデンブルク城塞の偵察任務に就いていた密偵から報告が入り、リードリット王女以下、五千騎の赤玲騎士団が、兵装と糧食を整えて急遽ミデンブルクを発ったとの知らせが入った。
これはクライツベルヘンからの書簡の中に記されていた内容と一致した。
クライツベルヘン家の子息が言葉巧みにリードリット王女をライドバッハとの決戦に誘い出し、その身柄を拘束するというものであった。この五年、戦闘狂の姫将軍の短気な性格を、口汚い挑発と共によく知っていたザバッシュ以下ゾン兵たちは、リードリットの行動を疑いもしなかった。むしろ、寒気の中、夜間に馬を走らせようという理解不能な行動が、逆に納得出来た。
ライドバッハが悪口を言っていたとでもいえば、頭の中身まで筋肉で出来ているあの王女なら、簡単に誘い出せると全員思っていたからだ。
「信用はせん! だが準備は済ませておけ! 何もクライツベルヘンから与えてもらう必要などない! 隙あらば力ずくで手に入れるまでのことだ!」
ザバッシュ将軍の号令の下、トカッド城塞に駐留している騎兵一万、歩兵二万の兵士が戦闘準備に入る。
物々しい雰囲気の中で、カーシュナーは変わらずチャルルのヨゼフを演じ続け、シヴァは賭け事好きの兵士たちとサイコロを片手に面白そうに城内を観察していた。
「俺たちに出番はありそうかい?」
シヴァがいかにも退屈だと言わんばかりに伸びをしながらたずねてくる。
「どうかな? レオフリード卿とドルク卿が動いてくれることを願うばかりだよ」
「カーシュ、あんたは自分を策士ではなく賭博師だって言っていたが、本当は詐欺師なんじゃないのか?」
「詐欺師は計画に運なんて練りこまないさ。俺は最後に欲しいサイコロの目を呼び込むために、策を弄し、嘘をばら撒いているだけだよ」
「なるほどね。まあ、あんたといると面白いもんがいろいろと見れて退屈はしないな。先月の俺には、トカッド城塞でサイコロばっかり転がしている今の姿なんて想像も出来なかったからな」
「俺も、シヴァがこんなにチンチロが強いとは思わなかったから、埋め合わせに負けて回らなきゃいけなくて予定外の散財だよ」
ぼやくカーシュナーの肩を、シヴァが嬉しそうに笑いながら叩いた。
「おかげでそっちの人気はうなぎ上りだっただろ? 俺なんか遊んでくれる相手を探すのも一苦労な有様だぜ?」
カーシュナーはこれを受けて両手を天に放り投げた――。
◆
「なんともきわどいことをする弟殿だな」
ミデンブルク城塞をあずかる二人の将軍の一人であるドルクが、カーシュナーの兄であるセインデルトに苦情とも取れる口調で言う。
「失敗しても救出のための兵は出せませんぞ」
「死ねばそこまでです。クライツベルヘン家にとっては痛手ではありませんのでお気遣いなく」
満面の笑みを浮かべながら、無情なことを口にする。
言ったドルクの方が思わず同情の念を覚えてしまう。
「殿下の許可がある以上、我々はカーシュナー卿の策が上手くいくよう全力を尽くしましょう」
レオフリードが生真面目な表情で口を挟む。
「我らは赤玲騎士団ではない。本来殿下のご意向など関係ないのだぞ」
「国が滅んでしまったら、誰の意向かなど、それこそ関係なくなっていしまいますよ。ドルク卿」
「お主、そのような男であったか? 最近ミデンブルクに赴任してから、ちと考え方が柔軟になったのではないか?」
ドルクが顔をしかめる。
「頭が柔軟になるのは良いことではありませんか。ミデンブルクでの経験が、私を育ててくれたということです」
「そういうところは相変わらず生真面目だな。まったく、誰の影響やら……」
ドルクはそう言うと視線をセインデルトに投げた。
投げられたセインデルトは、サッとかわすと、さも心外だと言わんばかりの表情を浮かべ、顔の前で手を振った。
ドルクは大きくため息をつくと、
「ではやるとするか。トカッド城塞を落とせるのなら、この際どのような策でもかまわん」
ミデンブルク城塞は、とりあえずカーシュナーの思惑通りに動き出した――。
◆
「どうしても鎖をかけなくてはいけないのですか?」
アナベルが眉間にしわを寄せてダーンに詰め寄る。
前日の夕刻にミデンブルク城塞から出発したリードリットと赤玲騎士団、ダーンとその配下三千騎は、<悦楽の樹>が生息していた森近くに身を潜めていた。
クライツベルヘンの策略にはまり、捕らわれの身となったことになっているリードリットは、芝居のため鎖をかけられることになっている。
王女の身に鎖をかけることに、策略としての必要性は理解出来るのだが、長年仕えた者として、心情的にどうしても飲み込めないのだ。
「お前がわがままを言ってどうする。守ってやることが出来ず、五年前に連れ去られた者たちは、今も本物の鎖につながれているのだぞ。これは王族に課せられた義務と思え」
「このようなことが陛下のお耳に入れば、どれほどお嘆きになりますことか……」
アナベルの言葉を聞き流しつつ、リードリットは思う。
(私は王女として、父上の分まで働かねばならんのだ……)
リードリットは、よく脳みそまで筋肉で出来ているなどと言われることがあるが、本当に何もわかっていない訳ではない。
父はおろか、大将軍職にある叔父のロンドウェイクですら、宰相のクロクスに対抗することが出来ないでいる。この国の実質的支配者が、あのたまご頭であることくらい理解出来ていた。
これまでは国が栄え、安定しているのだから気にする必要など感じていなかった。もし、クロクスが父上を排除し、王位を望もうとすれば、それこそ五大家が総出で阻止するはずだ。
黒髪黒目の人種ばかりのこの国で、赤い髪に黄金色の瞳を持つ自分は王族ではあっても、王族であることを誰からも望まれなかった厄介者だ。臨終の床にある母には、見舞うことを拒まれ、ついには死に目にすら会うことが出来なかった程である。
国王である父の愛がなければ、とうの昔に死んでいただろうと、自分でも思う。
だから強くなった。強くなったから、自分の我を押し通してきた。
国などどうでもよい。クロクスが上手く回してくれているではないか。自分はただ、手に入れた力を振るい、一人の武人として満足したかった。誰も自分になど、何も望んではくれなかったのだから――。
だが、あの男は突然現れ、王族としての義務を果たせと要求してきた。
赤い髪をしたこの私に――。
金色の瞳をしたこの私に――。
命を懸けてまで望まれたのならば、応えるまでだ。王女であるとか、立場がどうとかなど関係ない。今も、最も危険な場所に身を置くあの男の、この国を正そうとする心意気に答えられなくて、何が武人かと思う。
リードリットの意識は、カーシュナーが望む以上に変わりつつあった――。
◆
「ミデンブルク城塞が攻勢を受け、場内からは火の手が上がっております!」
ザバッシュの自室兼執務室で、衛兵の一人が報告する。その頬には興奮の色が見られる。
「ほう。どれ、クライツベルヘンがどの程度本気か見てやるとするか」
ザバッシュはそう言って不敵に笑うと、ゆっくりと立ち上がった。
配下の武将たちを引き連れ、ザバッシュはミデンブルク城塞を監視するために建てられた北の城壁塔の最上階に向かう。
ミデンブルク城塞とトカッド城塞とは、その間に国境の役目を果たしているヘルデ河を挟み、勾配がなだらかで開けた土地が続いている。そのため、小高い場所に築かれた両城塞は、視力が良ければその姿を互いに確認することが出来た。
まだまだ視力に衰えのみえないザバッシュは、ミデンブルク城塞の各所から黒煙が吹き上がっているのを遠目に確認する。
「なるほど、情報通りだな。我らが牽制のつもりで補充した食糧物資を、出兵のための準備と判断し、増援として兵を送る。その兵が時機を見てミデンブルク駐屯兵に襲い掛かり火を放つ。その上で王女を捕らえ人質にし、降伏を迫るとは、なかなかにあくどい手を使うものだ。これなら我らと同盟など結ばずとも陥落させれらるであろうに、よほどライドバッハの動きが早いと見えるな」
「どうされますかザバッシュ将軍。兵を出されますか?」
「しばし待つ。督促の使者が早々に来るようなら、やつらには余裕がないということになる。そうなればこちらの兵力をいくらでも高く売りつけられるというものだ」
ザバッシュの考えは的確だった。場合によっては一兵も損なわずに約束の条件を要求できる可能性もある。だが、事態はザバッシュの思惑以上の早さで進んだ。
煙を上げるミデンブルク城塞を眺めることに飽きたザバッシュは、居心地の良い自室兼執務室へと取って返していた。時折衛兵に様子を確認させに行くが、使者が訪れる気配はなかった。そこへ、予定外の報告が代わりに飛び込んでくる。
「ザバッシュ将軍! ミデンブルク城塞が陥落いたしました! 王女を人質に取られ、内側からクライツベルヘン軍に攻められ、あっけなく降伏した模様です!」
「なに!」
あまりに早い決着に、ザバッシュは驚きの声を上げる。介入する隙を逃してしまったのだ。
こうなると、せっかくの同盟も、それによる報酬も得られなくなってしまう。
「し、使者を送れ! そうだ! あの男を呼んでこい! チャルルのヨゼフだ!」
「成功しましたならば……」
「わかっておる! 奴隷だけでなく、あらゆる戦利品のその後の処理にお前を使ってやる!」
カーシュナーを呼び出したザバッシュは、ミデンブルクを陥落させたクライツベルヘン軍との交渉役に、使者として遣わされたチャルルのヨゼフことカーシュナーを使者に立てることにした。
もちろんゾン国の人間も使者として同行させるが、カーシュナーは何といってもクライツベルヘンが極秘裏にザバッシュと交渉するために送り込んできた男である。本来であれば同盟条件を履行しなかったザバッシュとの再交渉など受けるはずもないが、この男であれば、口八丁でなんとか段取りをつけられる可能性がある。もちろん相応の利益を用意すればの話になる。
だが、ザバッシュとしては、理想や信念、忠誠心といった、ただで他人を動かせる都合のいい精神的行動原理より、自分の利益のために働く人間の方が理解も信用も出来た。それは、ゾン国でも有数の武人であり、武人としての名誉を重んじる心も当然持ち合わせているが、それ以上に、ザバッシュ自身が利益を重んじる現金主義者だからだ。
ザバッシュの言葉にカーシュナーは満面の笑みを浮かべると、ゾン国の他の使者と共にトカッド城塞を後にした。カーシュナーに同行するのは、用心棒役のシヴァだけである。
ミデンブルク城塞に到着した使者の一団が目にしたのは、煤まみれになった城塞と、かたずけに忙しく働く兵士たちの姿だった。
周囲には様々なものが焼けた臭いが混じり合い、胸が焼けるように臭いを放つ煙がまだ漂っている。
同盟を申し込まれているとはいえ、敵地に身を置くことに不安を隠せないゾン国の使者たちを放置して、カーシュナーは要領良く兵士たちの間を渡り歩き、クライツベルヘン軍の指揮をとっているセインデルトに渡りをつけて見せた。
ちなみにカーシュナーがチャルルのヨゼフであることを知る者は一人もなく、その中で素早くセインデルトまでたどり着いてみせたカーシュナーの交渉術は本物であった。
周囲の雰囲気はいまだに緊張感に包まれている。無理もない。内側からの攻撃であっさりと陥落させることこそ出来たが、五大家の筆頭が、真っ向から王家に反逆を企てたのだ。もはや引き返すことなど出来ないところまで来てしまっている。
兵士たちは部隊長の目を盗んでは集まり、不安気な表情でひそひそと言葉を交わしている。
そんな中、カーシュナーたちは城塞の外に張られた天幕でセインデルトに迎えられた。
「城塞の中には入らないのですか?」
カーシュナーが挨拶のあと、不思議そうにたずねる。
「城内にはまだ王国派の兵が潜んでいる。レオフリードを逃がすために、兵士たちから慕われていたドルク将軍が死んだ今、掃除も終わらん内から城内をうろうろしておれば背中から刺されかねんからな」
普段とは打って変わって、不機嫌の塊のような表情で答える。
ドルク将軍の名はゾンでも広く知られている。ドルク将軍の戦死に使者たちは驚きを隠せなかった。
「首はどちらに?」
そんな中カーシュナーは無邪気ともいえる口調でたずねた。
「はねるわけがなかろう! 主君に最後まで忠義を尽くした武人として、略式ではあるが他の戦死者とは分けてこれから埋葬するところだ! クライツベルヘン家は大義のために立ったのであって、決して私欲のために兵を挙げたわけではない! 同国の勇者の首をはねるような蛮人のごとき真似をして、大義が語れると思うか!」
セインデルトが怒声を上げる。
ゾン国の使者たちの非難の視線を背中に受けつつ、カーシュナーはセインデルトをなだめる。
「ドルク将軍には以前商売上の問題でお世話になったことがありましたものですから、出来れば手だけでも合わせたいと思ってお聞きしたまででございます」
「そうか。では見送ってやれ。お主らが来たので中断したが、埋葬の準備の途中だったのだ。ついてくるがいい」
セインデルトはそう言うと、さっさと天幕から出て行ってしまった。
ゾン国の使者たちは、とりあえず怒りの矛先がそれたようで一安心したが、目顔でカーシュナーに下がるように指示を出す。
戦死者の数は意外に少ないようだった。それは、クライツベルヘン家のとった奇襲作戦の優秀さの証明でもあった。
ごみのように荷車に積まれた兵士たちが、馬に引かれて運び出されて行く。ミデンブルク城塞周辺は戦場になる事が基本であるので、死者を弔う場所は少し離れた場所に設けられている。弔うと言っても、疫病の発生を避けるためにひとまとめにして穴の中で燃やされ、その後土が被せられるだけである。
ドルク将軍は、血と泥にまみれた姿で、木枠を長方形に簡単に組んだだけの粗末な棺に納められていた。
ゾン国の使者たちが生唾を飲み込む。
五年前の大侵攻後、一度は攻め落とされてぼろぼろになったミデンブルク城塞を修復しながら、ゾン国との小規模ではあるがすべての戦闘を退けてきた鉄壁の武将の死は、ゾン国の使者たちに特別な感慨と、時代の変わり目を感じさせていた。
ヴォオス併合――。
それはヴォオス国を取り巻く周辺諸国の長年の夢であり、その夢に最も近い位置にあると考えられているのがゾン国なのである。使者たちは徐々にではあるが現実の流れがゾン国に有利に流れていることに興奮し、それを必死で押し隠していた。
その後ろ姿を、皮肉な視線でカーシュナーは眺めている。このすべてが、彼が描いた大きな筋書きなのだから当然だ。
カーシュナーはここでは何も口を挟まず、ただ静かに手を合わせた。心の中では、
(寒い中ご苦労様です。くしゃみ我慢してください)
と、かすかに動くドルクの鼻を見つめながら感謝していた。
運び出されるドルク将軍の棺を見送ると、セインデルトと使者たちの一行は天幕へと戻った。
そこからはゾン国使者によるミデンブルク城塞攻略の際に派兵しなかったことへの言い訳が始まった。
言い訳が進むほどにセインデルトの不機嫌さは増し、筋の通らない言い訳に、護衛の衛兵たちからは濃い殺気が放たれる。
場の空気は澱む一方だった。
ここまでカーシュナーの正体に気づいた者は一人もいなかった。だが、さすがに実の兄であるセインデルトは一目で見抜いていた。
セインデルトの指がかすかに動き、それを見たカーシュナーが、使者たちの隙間からのぞかせた指を同様にくねらせて見せる。
(まさかお前が使者にまぎれてくるとは思わなかったよ。どんな魔法を使ったんだ?)
(単にザバッシュに気に入られただけです。こちらの状況はどうですか?)
(指示通り完璧に運んでいる。一部の兵士のみに計画を伝え、事情を知らない兵士たちだけがこの場にいる。おかげで本気で国を裏切った思っている兵士たちの俺を見る目が痛くてたまらん)
(普段通りに見えますけど?)
(おい! それはどういうことだ! それじゃまるで、俺が普段から兵士たちに痛い目で見られているみたいじゃないか!)
(知らなかったんですか?)
(知ってたよ~ん)
クライツベルヘン家特有の指言葉でしょうもない会話を交わしてるその表面では、セインデルトが舌鋒鋭くゾン国の対応を批判していた。
「このままお主らの首をはね、この商人に持たせて返してもかまわんのだぞ!」
知ってたよ~んと弟に軽口を叩いてる瞬間に言い放ったのがこの台詞である。
その落差にカーシュナーが思わず吹き出しそうになり、何も知らないゾン国の使者たちは冷や汗を吹き出すことになった。
その後、使者たちがいかに言葉を尽くしてもセインデルトから色よい返事を引き出すことは出来なかった。そこで仕方なくといった感じで再びカーシュナーが口を開き、まさしく口八丁でセインデルトとザバッシュとの会談の場を設ける約束を取り付けて見せた。
首をはねるとまで言われた使者たちは、命だけでなく、大きな土産まで手にしてトカッド城塞に戻れるとあって、胸をなでおろした。
そのすべてが二人の兄弟の狂言であったことを彼らが知ることはないが、もし知ったなら、そのあまりにも周到な手口に、二人のことを悪魔が化けているのではないかと思ったことだろう。
トカッド城塞に戻り、報告を行うと、会談の約束を取り付けることに成功したと聞いたザバッシュは上機嫌で使者たちにねぎらいの言葉をかけた。
カーシュナーは、ここで手柄を他の使者たちに譲り、その裏ではトカッド城塞の上級役人である彼らと今後の商売上の裏取引を持ちかけていた。これが一方的に功を譲られたとあれば彼らの中に好印象だけでなく、劣等感から来る悪意が芽生えたかもしれないが、対等な取引とあれば話は別である。まして、カーシュナーことチャルルのヨゼフが今後トカッド城塞が入手するであろう戦利品の処理に一枚噛むことが確定している今、彼らにとってはチャルルのヨゼフと繋がりを持つことは願ってもないことなのだ。
会談場所は国境がヘルデ河であるため、比較的広さのあるヘルデ河の中州に決まった。どちらの領土に渡っても、渡った方は退路が断たれることになるため、やむを得ない選択である。
終わらない冬の凍てついた風が川面を走り、容赦なく吹きつける中州で会談用の大天幕を張らされたゾン国兵たちは不幸であっただろう。ただでさえ寒さに弱いというのに、カーシュナーにいいところをすべて持って行かれた使者たちのつまらない面子のために設営準備をやらされているのである。
準備が整うと両岸から船が出され、セインデルトとザバッシュは天幕の中で顔を合わせた。設営等の準備をゾン側で行ったので、型としてはセインデルトが訪問した形となる。
ここで同盟を成立させ、何らかの成果を上げないことには王都へは帰還できないザバッシュは、普段よりも愛想良く、一回り以上も年下のセインデルトに応対した。
同盟の申し込みの真偽を確かめるために慎重に行動していたことを謝罪するとともに、作戦の見事さとそれを証明した迅速な結果とをしきりと褒め称えた。随員の武将や文官は、ザバッシュが終いには商人のようにもみ手し出すのではないかと思うくらい、その態度は友好的なものだった。
応えるセインデルトも、ザバッシュに対して武人としての敬意を払い、ザバッシュの言葉に好意的に謙遜してみせる。
ミデンブルク城塞で厳しく糾弾された使者たちは、セインデルトの対応を見て、ザバッシュに尊敬の眼差しを送った。さすがはザバッシュ将軍だという空気が、ザバッシュをより饒舌にする。
天幕が開き、セインデルトの部下が、「荷が届きました」と報告する。
ザバッシュらが何事かとたずねる前に、鎖と猿轡をかませれ、その上で鉄檻に入れられたリードリットが運び込まれた。
驚きに目をむくザバッシュたちに、セインデルトは愉快そうに、
「なかなか面白い見世物でしょう?」
と言って、見世物小屋の団長のようなしぐさでリードリットを紹介した。
それまで饒舌を誇っていたザバッシュもさすがに咄嗟の言葉も出ない。
「ここ何年か、将軍にご迷惑をかけたであろう張本人から、直接謝罪でも……」
セインデルトの言葉は途中で激しい衝突音に遮られた。セインデルトとザバッシュの姿を見たリードリットが、躍りかかろうとして檻に衝突したのだ。
怒りのために顔色が頭髪と同じくらい真っ赤に染まり、炎の化身のような形相になっている。
ビキィィィッ!!
異様な音が天幕内に響く。
何事かと全員の視線が集中する中、リードリットが巻きつけられていた鎖を引きちぎってみせたのだ。狭い檻の中ではあるが、自由を取り戻してからのリードリットの暴れっぷりは尋常ではなっかった。
近くにいたセインデルトはおろか、ザバッシュや部下である武将たちさえ思わず後退りする。
檻の隙間から伸ばされた手に捕まれば何をされるかわかったものではない。
「これは、これは、聞きしに勝る金剛力だ……。普通鎖など人の力では千切れんだろうに、なんとも恐ろしい王女様だ」
思わず額に浮いた冷や汗をぬぐいながら、セインデルトが軽口を叩く。
「運び出せ! 見世物の大猩猩のように、糞を投げつけられてはかなわん!」
セインデルトの命に従い、兵士たちがリードリットから極力離れながら鉄檻を運び出す。このとき、ようやく猿轡を外すことを思いついたリードリットが噛み切りながらむしり取り、セインデルトに投げつけた。
「私の部下たちをどうした!」
「赤玲騎士団の方々ですか? 素直に従おうとしてくれませんので、仕方なく別の用途で有効利用させていただくことにしました」
「どうするつもりだ!」
「大した事ではございません。殿下。彼女たちには、残りの人生をゾン国か、もしくはそこから大陸各地に旅立ってもらい、新しい人生を始めてもらうだけです」
「……!! 貴様! 部下たちを奴隷として売り飛ばすというのか! そこまで腐ったか! クライツベルヘン!!」
届かないと知りつつも、リードリットは檻の隙間から目一杯腕を伸ばし、セインデルトののど元を締め付けるように握りしめた。
「ゾン国との古き友好を取り戻すための親善大使ですよ。殿下」
「ふざけるな! 貴様! 必ず殺してやるからな! 覚えていろ! ザバッシュ! 貴様らもだ! この命がある限り、一人残らず、生きたまま、心臓を引きずり出してやるからそう思ええぇぇぇっ!!」
呪いが発動するのではないかと思わせるほどの怒りの言葉を吐き出すリードリットに、誰もが凍りつき、口を挟むことが出来なかった。そんな中、一人だけセインデルトは動じることなく、呪詛の言葉を投げつけるリードリットを煩わしそうに眺めていた。
「誰が足を止めろと言った。うるさくてかなわん。さっさと運び出して川向こうに返してしまえ」
運び出されたリードリットの声は、対岸に渡った後もしばらくの間響き続けた。
「ちょっとした見世物にでもなればと考えたのですが、獣の考えることは理解しかねますな。お騒がせして申し訳なかった」
自国の王女を獣呼ばわりして肩をすくめるセインデルトに、それまで沈黙を保っていたカーシュナーが物欲しそうにたずねた。
「セインデルト様。何やら私めの耳には素晴らしい情報が入ってきたような気がするのですが……」
「気の早い男だ」
「そうおっしゃいますが、この会談が友好的に終わる保証はどこにもございません。商売というものは一度機会を逃したら、もう一度巡ってくることなどそうはございませんので、はい」
「心配せずとも貴様に任せる。だが、代金は払えるのか? 貴様確か最近破産したそうではないか」
「いかにもいかにも。ですので、今回は私をお雇いいただけないでしょうか? 報酬は売り上げの中から……」
「五割くれてやる」
「なんですと!!」
カーシュナーことチャルルのヨゼフが歓喜の叫びをあげる。
この気前の良過ぎる報酬に、ゾン側からは羨望のため息が漏れる。
「五割とは剛毅だな」
ザバッシュも半ば呆れながら感心する。
これに対してセインデルトは小悪魔的な笑みを浮かべて見せた。
「私はクライツベルヘン家の三男です。国家の改革がなったとしても、私が得られるものなどたかが知れております。ですので、私は五十年前に途絶えたヴォオス人奴隷市場の再開拓を考えております。そのためにも、基本額の引き上げを行いたいのですよ」
五年前の大侵攻で、数万人のヴォオス人が連れ去られ、奴隷として売却された。約五十年前に三賢王により奴隷制度が廃止され、ヴォオス人が奴隷としてゾン国に流れることはほとんどなくなった。そのため、希少価値が上がり、高値がつくようになったのだ。
セインデルトはその価格操作を自分の支配下に置こうと考えているのである。
この発言に、ザバッシュは思わずニヤリと笑みをこぼした。
セインデルトの計画には、ゾン国側で同様の価格操作を行う協力者が不可欠である。極上の赤の精製薬まで用意し、自分個人に同盟を申し入れたことには、表面上の理由はもちろんだが、新たな奴隷市場を築く上での協力者として、ザバッシュが望まれたということなのだ。
事が成れば、ザバッシュは想像もつかないような巨万の富を得ることになるだろう。
旨味のあり過ぎる同盟内容を不審に思っていたザバッシュであったが、ゾン国と、ヴォオス最大の貴族であるクライツベルヘン家の同盟という大陸全土に影響を及ぼすであろう歴史的一大事を隠れみのに、新たな経済圏を築き、その中心に座を得ることが真の目的なのだ。
それはある意味ザバッシュにとっては裏切りに等しい行為とも言えるのだが、表面上は領土拡大に最大限の功績を遺したことになるのだ。
会談は双方が歩み寄り、ミデンブルク城塞は当初の約束通りゾン国に引き渡され、王家打倒の暁には、約束通り南部の王家直轄領がゾン国領として引き渡されることとなった。
加えて、その日の内に赤玲騎士団員とクライツベルヘン家への忠誠を拒んだミデンブルク城塞駐屯兵が奴隷として手かせをはめられヘルデ河を渡った。その数約一万三千。
歓喜のあまり小躍りするチャルルのヨゼフの姿を、多くのトカッド城塞兵が目撃した。
赤玲騎士団員約三千は、夜のお楽しみとして城塞内に入れられ、残りの兵士一万は、ザバッシュが気前よく出してくれた兵士たちに見張られ、場外に張られた粗末な天幕の中に押し込められた。
カーシュナーはトカッド城塞での商売であげた売り上げをすべてつぎ込み、クライツベルヘン軍やゾン軍、近隣の村から大量の酒を購入し、驚くほどの安さでトカッド城塞で提供した。これを喜ばない兵士はおらず、城塞はまるで祭りのような賑わいとなった。
ここでもカーシュナーは腕相撲大会や拳闘大会を開き、賭けの元締めとして、酒代を安く提供することで出した損失の数倍の利益を上げてみせた。その商魂に、ザバッシュを始めとした城塞幹部たちは素直に感心し、止めようとはしなかった。ゾン人は優れた商人を、優秀な武将と同じくらい高く評価する人種なのだ。
夜の始まりの喧騒が響く中、奴隷たちは複雑な腕の動きを繰り返すと、次々と足元に手かせを落としていった。その音はゾン兵たちが生み出す馬鹿騒ぎに飲み込まれ、誰の注意も引かなかった――。




