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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
87/152

決着! (その2)

 今回は一話を複数話に分けて投稿しております。

 その1をまだお読みでない方は、申し訳ありませんが一話戻っていただき、その1からお読みください。


 それでは本編その2をどうぞっ!

 暗い海の上を滑らかに進む船上で、エムレムは早くも復讐の鬼と化していた。

 クライツベルヘン家の密偵すらも出し抜いて進められていた計画は、エクレムの中では頓挫していた。

 完璧を求め、今日まで完璧に遂行されていた。

 だが、もはやエクレムが望む完璧な結果を得ることは不可能になってしまった。


 俺のすることに間違いはない――。


 俺の考えに間違いはない――。


 俺の邪魔をするな――。


 この世の全ては、俺の思い描く通りに進めばいい――。


 それで誰が損をしようと、誰が傷つこうと、この俺の利益になればそれでいい――。

 

 俺の意思がすべてであり、俺の意思こそが、この世でもっとも尊いものなのだ――。


 人の世においては大きく捻じ曲がったその思考も、エムレク本人にとっては、己が望み描く未来図へと最短で辿り着くための一直線の意思であった。


 計画は頓挫した。

 だが、それは完璧を求めるうえでの話だ。

 船は用意した。

 さらった連中さえ確保すれば、計画は達せられる。


 完璧ではないが――。


 この借りは必ず返す。

 この段階で自分に刃を向けた他の組織は、必ず皆殺しにする。

 誰に対して盾突いたのか、その身にじっくりと、時間をかけて思い知らせてやる。


 何がクライツベルヘン家だっ!

 どれほど力があろうと、所詮は一国家の一貴族にすぎないではないかっ!

 海を支配し、大陸東西の富をすべて手に入れることになるこの俺の敵ではないわっ!


 ハウデンの危険区域などとケチなことは言わん。

 次に戻るときは、クライツベルヘンそのものを手に入れてみせるっ!


 エクレムは目の前の闇を見つめながら、自分の完璧な計画を台無しにしてくれた者すべてに対して復讐を誓った――。









 ブルーノの活躍によって九死に一生を得たカルラは、邪魔な調教師の死体を蹴り剥がすと、残りの調教師たちへと向かった。

 忠誠の対象であるデボラを失ったことで激怒するかと思われた調教師たちであったが、怒りというごく自然な感情すらも制御されていたため、即座にカルラに襲い掛かるでもなく、思考麻痺に近い状態で愚鈍な対応しか出来ないでいた。


 当然カルラに対抗出来るわけもなく、瞬く間に倒されてしまう。

 ブルーノはそもそもさらわれた人々を解放するのが役目だったので、加勢の必要はないと見極めると、漁網の取り外しに向かった。

 カルラも調教師たちを倒すと手伝いに向かう。

 

 足止め目的で掛けた漁網だけあり、絡まってなかなか上手く外れてくれない。

 その時、苦戦する二人の頭上に、不意に影が落ちる。

 少ない星明りを雲がさえぎったと思うには、あまりにも濃い影。

 カルラとブルーノは咄嗟に振り向く。

 そこには滑るようにこの場に到着したエクレムの巨大船が佇んでいた。


 港に横たわる数々の死体。

 その正体が自分の部下たちであることを、エクレムは僅かな明かりしかない状況下でも理解する。


 使えない連中だ――。


 怒りではなく、蔑みを込めて呟く。


「運び込め」

 エクレムはそれだけを命じると、船上から冷たく商品(、、)を見下ろした。

 命令に従い、夜の港であるにもかかわず、見事な腕前で巨大船を接岸した水夫たちが下船していく。

 その手には、湾曲した刃を持つ鋭利な短剣、舶刀カトラスが握られている。

 海上商人であるエクレムの部下は、海賊対策のため、地上戦力よりも海上戦力の方が精鋭が揃っていた。

 

 一瞬対応に迷うも、カルラは撤退を選ぶ。

 ここで戦っても犬死しかない。

 それに、目標であったデボラの討伐は果たせた。ここで終わりではない。

 この場を生き延び、何としてもクライツベルヘン海軍に報告を入れ、さらわれた人々を救い出すのだ。


 だが、カルラのその判断は、まるで悪意が手を取り合ってこの港を包囲しようと謀ったかのよう間で現れた新たな敵によって断たれてしまった。

 エルモント率いる私兵部隊が到着したのだ。


「ブルーノ。漁網の下に隠れろ。そして、隙を見て海に逃げるんだ」

 カルラの言葉にブルーノが目を吊り上げる。

「何言ってんだ姐さんっ! こうなっちまったらもう腹括るだけだろっ!」

 ブルーノがむきになって言い返す。

 仮に自分が隠れても、カルラは身を隠すつもりがないことはわかりきっている。

 ついさっき出会ったばかりの相手ではあるが、自分が生き残るための生贄にするなどまっぴら御免だった。


「お前が死んだらチェルソーや他の子供たちはどうなる? それに、ここにいる人々を諦めるわけにはいかない。お前は生きて目的を果たせ」

「姐さんにだってやりたいことや目的があんだろっ!」

「一個人である以前に、私はクライツベルヘンの騎士だ。領民のために戦う義務がある。ブルーノ。お前もその中の一人だ」

「…………」

 返す言葉を失い沈黙するブルーノ。

「早くしろっ!」

 ブルーノは目に涙を浮かべながら従った。


 カルラは巨大船の影から、星明りが照らす港の中央に歩を進めた。

 迷いも気負いもないなければ、一片の恐怖すらもない。

 その姿は、己の使命を柱として立つ、真の騎士のものであった。


 その姿を、カーシュナーは離れた倉庫の影から見つめる。

 ラズを倒すため、通路深くに引きずり込んだのが裏目に出たのだ。

 状況は最悪の形で覆ってしまった。


 もともと計算するには情報がなさ過ぎた。

 カーシュナーには救出を諦めるか、出来得る限りの手を尽くして賭けに出るかの二択しかなかった。

 そして、諦めるという選択肢をはなから放棄していたカーシュナーは、賭けに出るしかなかった。

 ここまで賭けには勝っていた。

 ここからでは確認出来ないが、デボラの姿がないところを見ると、カーシュナーがラズを倒すことに成功したように、カルラもデボラを倒すことに成功したのだろう。


 後はさらわれた人々を逃がすことさえ出来れば、賭けはカーシュナーの目論見通りに成立していたのだ。

 たった四人で、この危険区域最大派閥の裏組織の犯行を潰すことが出来たのだ。

 だが、幸運は最後まで味方をしてはくれなかった。

 むしろ、この結末を突きつけ、最後に嘲笑うために、これまでの幸運を与えてくれたのかもしれない。

 さすがのカーシュナーも、使命と情の間で揺れ動き、即断出来ずにいる。


「我が名はカルラ。クライツベルヘンの騎士なりっ!」

 決断出来ずにいるカーシュナーの視線の先で、カルラが朗々と名乗りを上げる。

「貴様らの悪事はすべて露見したっ! これよりクライツベルヘンの裁きが下る。己が犯した罪を悔い、大人しく投降せよっ!」

 そのあまりに堂々とした姿に、エルモントとエクレムの部下たちは呆気にとられる。

 一瞬の静寂の後、エルモンドの高笑いが響いた。


「カルラか。その名、聞いたことがあるぞ。幾人か存在するクライツベルヘンの女騎士の中に、己の分もわきまえず、平民上がりの分際で図々しくも騎士叙勲を受けた者がいるとな」

 笑いを納めると、エルモントは苛立ちを込めて言葉を吐き捨てた。


「平民ごときが騎士に叙せられた程度でのぼせ上りおってっ! 誰が誰を裁くだとっ! 貴様のような平民が、賢しらな口を利くでないわっ! 平民は平民らしく、黙って命令に従っておればよいのだっ!」

 失われた特権にしがみつくエルモントにとって、カルラは存在そのものが苛立たしい。

 そのカルラに、それが実の伴わない虚勢であるとわかっていても、上の立場から自分の行いを容赦なく断罪されたエルモントは怒りを抑えることが出来なかった。


「おい、貴様っ! たった一人で何が出来るっ! 今すぐ地面に額をこすりつけ、非礼を詫びるなら、楽に死なせてやるぞっ!」

 エルモントがカルラを挑発する。

「私の言葉のどこに非礼があったのか理解出来んな。貴様がどこの誰であろうと、この場に立つ者が私一人であろうと、領民を害する悪に対し、詫びる言葉など一言たりともないっ! 礼を語るのであれば、まずは己の非道を恥じることを学んでから語れっ! 私はクライツベルヘンの騎士カルラだっ! 騎士としてその道に恥じず、課せられた責務を果たすのみっ!」

 見事に言い返されてしまったエルモントは、怒りのあまり泡をふんばかりの状態になる。


 その言葉は、まだ決断出来ずにいたカーシュナーの胸に突き刺さった。

 おそらく、カルラ自身も近くにいるであろうカーシュナーに正しい決断を促すため、エルモントに応えるという形で自身の思いを口にしたのだろう。

 貴族という特権には、それに比するだけの責務がある。

 情を優先し、放棄することは出来ない大きな責任だ。


 カーシュナーは自分の中にあるカルラを助けたいという思いを無理矢理押し殺し、その場に背を向ける。

 そんなカーシュナーを見つめるチェルソーの目は、苦悩に揺れていた。

 クライツベルヘン海軍目指して全力で走り出す。

 だが、しばらく走ったところでカーシュナーは不意に足を止めた。

 そして、耳をそばだてる。


「この音は……」

 確証が得られない情報ばかりだが、それでもカーシュナーは表情が抜け落ちるほどの集中力を発揮して、あらゆる可能性を精査する。

 無数の選択肢が脳内に列挙され、カーシュナーに選択を迫る。

 選べるのは一つ。

 カーシュナーはここでも賭けに出ることにした。

 それは、冷徹なクライツベルヘンらしからぬ選択であり、後々までカーシュナーの行動に影響を与えることになる賭けだった。

 足を止めたカーシュナーはチェルソーに振り向くと、決然ともと来た道を戻った。


「お前たち、あのつけあがった愚かな女を地面に這いつくばらせろっ! 自分が本来地べたを這う蛆虫にすぎないことを思い知らせてやれっ!」

 カルラの言葉は、その高潔さが理解出来るだけに、余計にエルモントを怒らせた。

 命令一下私兵部隊二十名が突撃を開始する。

「エクレムッ! 手下に邪魔をさせるなよっ!」

 同じく手下を配備していたエクレムに、エルモントは声を荒げる。


 命じられたエムレムは、

「勝手にしろ」

 と呟き、冷笑を浮かべただけで何も答えなかった。

 そもそもエクレムは、エルモントのようにカルラの言葉を真に受けていない。

 エルモントのようにむきになる理由がないのだ。

「お前ら、さっさと荷物を(、、、)積み込め」

 もはやカルラには目もくれず、網に絡まった彼の大事な商品にその関心を向ける。


 カーシュナーを探して走り回り、その後は連戦が続き、カルラの体力は限界に近づきつつあった。

 だが、その事実はカルラの意識のどこにも存在していない。

 それどころか、自分自身に対して言い訳につながるような甘えの要素は、一片たりともカルラの中には存在しない。

 諦めも、妥協も一切許さない、どこまでも己に厳しい一人の騎士がそこにいる。


 身体の重さを吐き出すように、カルラは長く息を吐く。

 そして姿勢を正すと肩の力を抜き、正眼に構える。

 鼻から大きく息を吸い込み、気合いと共に吐き出す。

 カルラは襲い掛かってくるエルモントの私兵部隊に向かって一歩踏み出した。


「全員がハウデン貴族に連なる強者たちだっ! 雑種の群れの様なクライツベルヘン騎士とは違う、高貴な血の流れをくむ真の騎士の実力を思い知れっ!」

 エルモントが興奮して喚き立てる。

 日頃抑えられている選民意識が、平民であるカルラを前にし、暴走していた。

 だが、それはカルラにとっては朗報(、、)でしかない。


 旧ハウデン王国は都市国家だった。

 港湾都市であるため見かけの人口は多かったが、定住する純粋なハウデン人はとなると、中規模な地方都市に匹敵する程度の人数だ。

 その中でもほんの一握りの存在だった旧ハウデン貴族は、疫病蔓延の際にその数を大きく減らしている。 現存する旧ハウデン貴族の純血を守る者たちの数は、三百人にも満たない。

 ハウデン都督府の治安部隊でもなければ、クライツベルヘン騎士団でもなく、エルモントの私兵部隊などに席を求めるような者たちの資質など、たかが知れていた。


 たかが知れているとはいえ、基礎訓練を受け、部隊連係も習得している彼らは、けして弱くはない。

 技量の不足を数と連係で埋め、カルラに肉薄する。

 包囲されたら勝負は一瞬で終わる。

 カルラは懸命に足を使い、敵の連携を崩しつつ反撃の隙をうかがう。

 だが、意識からは締め出せた疲労も、さすがに肉体から締め出すことは出来ない。

 足がもつれることが多くなり、敵の剣が浅くではあるがカルラの身体を捉えはじめる。


 呼吸を乱し、足取りも乱れ始めたカルラに対し、エルモントの私兵たちに精神的ゆとりが生まれる。

 それは統制に緩みを生じさせ、結果として連係に隙を作ることになる。

 その一瞬にも満たないわずかな隙を、カルラは見逃さなかった。

 

 斬り下ろし、斬り上げ、再び斬り下ろす。

 直後にその足元に、三つの死体が生産された。

 

 油断したところに突きつけられた騎士としての明確な格の違い。

 私兵たちと、何よりエルモントに激しい動揺が生まれる。

 三人が倒れたことにより、崩れた連携に決定的な穴が出来る。

 気持ちを立て直せないまま、それでも反射的に反撃に出るが、力量差を数と連係で埋めていた私兵たちは瞬間的に生じる一対一の状況に対応出来ず、次々と斬り伏せられてしまう。

 さすがに全員致命傷とはいかないが、腕や脚に深手を負わせることは出来た。

 エルモントの私兵部隊の戦力が半減する。

 手傷を負わされた私兵たちの心がこの時点で折れてしまったことを考えれば、それ以上の戦果と言える。

 

 クライツベルヘンでは訓練で手傷を負えば、そこからが訓練の本番となる。

 実戦で傷を負ったからといって、戦いが終わるわけでもなければ、敵が手加減してくれるわけでもない。

 むしろとどめとばかりにさらに厳しい攻勢にさらされることになる。

 負けたくなければ、それ以上に、死にたくなければそこから形勢を逆転するしかない。

 そのための強靭な精神力と、万全ではない状態での戦い方を身につける。

 追い込まれたカルラが状況を逆転出来たのは、騎士として受けた訓練の質の違いだった。


 さらに五人の死者を出し、全員がそれぞれ手傷を負わされると、私兵たちはエルモントを置いて逃げ出した。

 彼らは全員が旧ハウデン貴族の子弟だ。

 クライツベルヘン統治下ではその肩書は何の意味もなさないが、その自尊心だけは、代を経ようが状況が変わろうが、微塵も失われることなく彼らの中に存在している。

 命とは他人が自分のために投げ出すものであり、自分が誰かのために投げ出すものではない。

 彼らは尊い血を受け継ぐ者の真の使命は、その血を次の世代に残すことだと思っている。

 有利な状況が覆れば、手を引くのは当然のことであり、恥ではないのだ。


 一人取り残されたエルモントが、逃げ去る私兵たちの無様な後ろ姿に罵声を浴びせるが、誰一人振り返りもしない。

 エルモントは子供のように地団太を踏んで悔しがったが、この場におけるエルモントの力では、もはやどうすることも出来なかった。


「か、勝ったよっ! カルラさん勝ったよっ!」

 チェルソーが声を抑えながらも興奮する。

 だが、カーシュナーは構えていた弓を下ろすと、若干の焦りをうかがわせる表情で周囲の気配を探っていた。

 

 ギリギリの戦いを何とか切り抜けたカルラであったが、さすがに無傷というわけにはいかない。

 疲労を集中力で抑えつけているが、反応速度に遅れが出始めている。

 いざとなれば飛び出し弓で援護するつもりでいたが、何とか一人で乗り切ってくれたが、まだエクレムの部下たちが残っている。

 こちらも相手取るのはさすがのカルラでも不可能だ。

 カーシュナーはある状況の変化(、、、、、、、)を待っていた。


「エクレムといったかっ! クライツベルヘンの領民たちに行った非道の数々、その身でもって贖ってもらうぞっ!」

 立っているのもやっとの状態にもかかわらず、カルラはエクレムへの糾弾を始めた。

 後方を塞いでいたエルモントの私兵が退いたのだから、自分も退けばいいものを、カルラは自身の状況も顧みず、カーシュナーを信じて時間稼ぎに出たのだ。


「あの馬鹿真面目っ!」

 カーシュナーが舌打ちをする。

 エクレムはエルモントの命令に従ったわけではないのだろうが、カルラに関して一切意に関した様子を見せていなかった。

 これまでの経緯から、自陣に取り込んだハウデン都督エルモントを立ててはいたようだが、ここまでのことを成し遂げるだけの才能を有した男であれば、他人の下風に立つことを快く思ってないないだろう。

 おそらくその意趣返しの意味もあって、エルモントの私兵たちの窮地に対し、エクレムはエルモントの命令を守るていで見殺しにしたのだ。


 だが、こちらから絡めばエクレムも黙ってはいない。

「おい、お前ら。あの死にぞこないを黙らせて来い」

 案の定さらってきた人々を船に移動させていた水夫たちに、エクレムから命令が下る。

 エルモントの私兵との戦いを目にしていたにもかかわらず、恐れも躊躇も見せずに水夫たちが従う。

 腕に覚えがあるということだ。

 カーシュナーはここが限界と見定め飛び出した。


「カルラ。ご苦労だった」

 気配を殺して近づくと、カーシュナーはあえて余裕を見せつけながら暗闇の中から姿を現した。

 水夫たちは何事かと足を止め、エクレムも怪訝そうに眉をしかめる。

 だが、一番驚いたのは、名を呼ばれた当のカルラ本人だった。


「もう足止めの必要はない。下がれ」

 カルラに有無を言わせずその場の主導権を握る。

「聞こえているのだろう? この場に集結しつつあるクライツベルヘン軍の足音が?」

 そして水夫たちに問いかける。

 まだ年端もいかない子供の言葉ではあるが、その落ち着きぶりが余計に言葉に真実味を持たせる。

 事実、先程までカルラとエルモントの私兵たちが戦っていたため気づかなかったが、人の気配が確実に近づきつつある。  

 水夫たち同様気配を察したカルラも驚きの表情を浮かべる。


「クライツベルヘンの密偵の目を欺いた手並みは見事であったが、最後まで欺かれるほどクライツベルヘンの密偵は無能ではない。さすがに一軍とというわけにはいかなかったが、異変を察知した時点で一部隊をハウデンに動かしていたのだ」

 子供の声で告げられる凶報は、まるで嘲笑う悪魔の死刑宣告のように、夜の港に不気味に響いた。

     

 まったく予想外の事態に、エクレムの頭脳が高速で回転する。

 今計画に狂いが生じたのは、今日の昼間、最後の商品の仕入れ(、、、、、、、、、)に一人の少年が介入してきたところから始まっていた。

 その後商品(、、)出荷準備(、、、、)を行っていた倉庫に少年が侵入し、状況は一変した。


 そして、今、目の前に一人の少年が現れ、エクレムに計画が潰えたと告げる。


 エクレムはようやく気が付いた。

 倉庫でデボラに発見された少年が、クライツベルヘン家の関係者であったことに――。


 たった一人のクライツベルヘンの騎士が、何故これほどまでぼろぼろになって戦うのか、これで説明がつく。

 まっとうな騎士であれば、ラズを筆頭とした戦力を前にすれば、まず戦力を整えることを考えるはずだ。

 いくら正義感ぶった騎士であろうと、騎士としての常識が冷静に戦況分析を行う。また、その程度のことは当たり前に出来ないようでは騎士叙勲など叶わない。


 その騎士がここまで捨て身で行動するのは、主君の危機以外にありえない。

 つまり、少年の正体はその年齢から察するに、クライツベルヘン家が末子、カーシュナーということになる。

 この状況下において、これほどまでに冷静かつ勇敢な行動をとることは、そこらに転がる浮浪児が芝居で出来ることではない。

 ある意味エルモントなどよりはるかに不遜に響くその幼い声は、他者を従わせる立場にある者特有の傲慢さと、何より平民では持ちえない強さを秘めている。

 私兵たちのようにさっさと逃げ出してしまえばいいものを、行動を決めかねて未だにこの場に居残っていたエルモントが、少年の登場に夜の闇の中でもわかるほどはっきりと怯えているのがいい証拠だ。


 いきなり現れた少年がクライツベルヘン家のカーシュナーであることは間違いないだろう。

 だが、だからこそエクレムは違和感を覚えた。

 少年の行動はおそらく独断だ。

 だからこそ、たった一人の騎士があそこまで身体を張ったのだ。

 味方と連係が取れる状況にあるのなら、ここまでの無茶はしなかったはずだ。

 何よりこれほどの無茶をやてのけるほどの忠誠心の持ち主であれば、この場に主を立たせるような危険な真似を許すはずがない。


 時間の流れと事態の展開を逆算する。

 そしてエクレムの頭脳は、カーシュナーの言葉がはったりである可能性が高いという答えをはじき出した。

 同時に、近づきつつある気配の正体の見当もつく。

 ハウデン治安部隊だ。

 放火で使いものにならなくなった船の代わりを手配している間に仕入れた情報では、逃走した放火犯を捕らえるためにこの危険区域の捜索に向かったということだったが、この危険区域の特性をよく知るエクレムは、土地勘のないハウデン治安部隊では迷子になるのが関の山だろうと考え、早々に無駄な情報として思考から削除していたためすぐに思い至らなかったのだ。


 そうなると思考停止し、逃げることも出来ないでいたエルモントが役に立つ。

 埒外らちがいの事態にまるで対応出来ないでいた役立たずだが、結果としてこの場に居残ってくれたことがエクレムにとっては有利に働くことになった。


「エルモント卿。クライツベルヘンの小倅こせがれごときに翻弄されてはなりませんぞ。こちらに近づきつつあるのはクライツベルヘン騎士団などではなく、あなたの配下(、、、、、、)であるハウデン治安部隊だ。到着次第その者らを捕らえてしまえば万事解決です」

 それまで使えない奴と見切りをつけていたエルモントに、エクレムは手のひらを返して助言を送る。


 だがエクレムの言葉は、エルモントに別の事実も同時に突きつけた。

 突如現れた少年が、クライツベルヘン家の子息であるという事実の肯定だ。

 エクレムは海を主として活動する限り、クライツベルヘン家など恐れるに足る存在などと思ってはいない。だが、ハウデンという一地方都市に縛りつけられているエルモントはそうはいかない。

 クライツベルヘン家の力の強大さと、何よりその恐ろしさは、一個人としてでなく、旧ハウデン貴族の出身者として、ハウデンの歴史としてその本能に刻み込まれている。

 これまで一度としてクライツベルヘン家はハウデンに対して高圧的な態度に出たことはなかったが、それはハウデン側がクライツベルヘンを敵に回したら絶対に敵わないと悟っていたからでもある。

 心情的にはどれほど憎く思っていても、本能がクライツベルヘンという名に絶対服従を迫るのだ。


 エルモントがさらなる混迷に陥っている側で、カーシュナーも判断を迫られていた。

 エクレムの洞察は正しい。

 カーシュナー自身、今この場に近づきつつある気配の正体を、ハウデン治安部隊と推測している。

 その気配を察知した瞬間、カーシュナーはカルラがエクレムの配下とエルモントの配下に加え、ハウデン治安部隊からも包囲される絶望的な状況を予見することが出来た。

 だが逆に、まだその気配しかこの場に存在しないハウデン治安部隊には利用する手段があることも同時に思いつく。


 そこでカーシュナーは一世一代の大博打に打って出ることにしたのだ。

 気配に名など書いてはいない。

 カーシュナーがクライツベルヘン騎士団だと断言すれば、その気配はクライツベルヘン騎士団の気配として認識されるのだ。

 エクレムの考えは読めていた。

 海に出てしまいさえすれば、夜の暗闇と時間差で、たとえクライツベルヘン海軍の追手がかかったとしても、その追跡をかわしきれると計算していることを――。


 そこでカーシュナーはエクレムの計算を狂わせるために、想定外のクライツベルヘン騎士団の存在をちらつかせ、あわよくばさらわれた人々の回収も諦めさせて撤退へと追い込もうとしたのだ。

 だが、エクレムの冷静さと頭脳はカーシュナーの賭けを上回り、その手の内を見事に読み解いてみせた。

 これでエクレムの撤退はなくなった。ハウデン治安部隊がこの場に到着すれば、再び二つの勢力に挟まれることになってしまう。


 退くなら今しかない。


 判断に迷うような場面ではない。

 だが、カーシュナーは迷った。

 それは、まだ自分の賭けが終わってはいないと感じていたからだ。


 明確な理由はない。

 だが、カーシュナーのはったりをエクレムが情報、条件を徹底的に精査して見抜いたように、カーシュナーも現状に至るまでの過程で得て来た情報と条件から、今現在の状況に違和感を覚えていた。

 それはこの状況に関わっているであろうと者たちだけでは、今の状況には至ってはいないとカーシュナーの状況計算が告げているからだ。

 

 その違和感が、カーシュナーに自分たちとエクレムの勢力以外の第三者の意思を感じさせる。

 それは意図的に巻き込んだ、ここ危険区域を根城とするエクレム以外の裏組織とは明らかに異なる、カーシュナーの意図から離れた存在だ。


 今この時この場所にハウデン治安部隊が近づきつつあること事態、そもそも不自然だ。

 彼らはこの危険区域の入り組んだ地形に不慣れだ。

 その中で小隊単位で互いの位置を見失ってしまった彼らには、どれだけの偶然が手を貸そうと、この夜の闇の中では再び集結することすら不可能だ。


 そのハウデン治安部隊がすでに集結し、明確にこの場所を目指して近づいている。

 カーシュナーはそこに掴み切れていない第三者の介入を疑っている。これまでの展開は非常に厳しいものがあったが、要所ごとで状況展開に空白の様な時間が存在した。


 エクレムの組織力を考えれば、カーシュナーたちはたった四人で、逃走にしろ奇襲にしろ、その組織力の隙間を衝くことに見事に成功している。

 いや、し過ぎている(、、、、、、)と言える。

 ブルーノたちの知識やカーシュナー自身がエクレムの組織の戦力を分散させるよう策を巡らせたことも大きく作用しているだろう。だが、カーシュナーはそれでもそれを単なる幸運として片づけてしまうことは出来なかった。


 圧倒的戦力差と時間的拘束により、カーシュナーは賭けに出ざるを得なかった。

 当然そこには自身の決断に対し、幸運が味方してくれることを切に願う気持ちがあった。

 そしてその気持ち、言い方を変えれば願望を、カーシュナーは見透かされ、その上で物事が推移したのではないかと推察した。


 カーシュナーが想定している第三者は、味方というより、自分たちの意志のためにカーシュナーたちの行動を利用し、今もこの場にハウデン治安部隊を誘導している可能性がある。

 であればこの第三者の目的は何か?

 カーシュナーたちと利害が衝突しないということは、エクレムを標的とした行動と考えることが出来る。


 すべてはあくまで推測だ。

 利用されることは好ましくない。だが、それでもカーシュナーは望む結果を手に入れるためならば、そんな小さな屈辱など笑って呑み込んでみせる。

 カーシュナーは結果を誇りたいわけではない。

 だが、カルラとさらわれた人々を救い出すという結果は何としても手に入れたい。

 読み切れない第三者の意図に、カーシュナーは自分自身を含めたすべてを賭けた――。


 気配は明確な足音となって近づいてくる。

 エクレムの言葉に対し、カーシュナーは微塵の揺らぎも見せずに待ち続ける。

 その豪胆さに、エルモントは未だにどうすることも出来ずにいる。

 そしてついに、正体不明だった気配がこの場に姿を現する。


 ハウデン治安部隊の到着である。


「ははっ、……は、はははははははっ。お、驚かせおってっ! 何がクライツベルヘン騎士団だっ! すべて私の手駒だっ! この場は私の支配下だっ!」

 極度の重圧から解放された反動だろう。エルモントは狂気を含んだ笑い声を上げる。


「貴様らっ! そこの二人を捕らえよっ!」

 声を上ずらせながらエルモントがハウデン治安部隊に命令する。

「いや、捕らえる必要はないっ! 殺せっ! 殺してしまえっ!」

 目を血走らせ、腕を振り回しながらさらに命令を重ねる。

 だが、返って来たのは治安兵たちの沈黙と、疑惑に満ちた眼差しだった。


「な、何をしおるっ! さっさと命令に従えっ! この私が誰かわからんのかっ!」

 声にまとわりついていた狂気が焦りに代わる。

 さらにエルモントはわめき続けたが、返って来たのは不服従を貫く沈黙だけだった。


 この時ばかりはニヤリ笑いではなく、確定された第三者の意思に、カーシュナーは不機嫌に唇を歪めながらも一歩前に足を踏み出した。

 どうやら賭けはまだ終わりを迎えず、続行中のようだ。

 この賭けに勝には、カーシュナーは治安部隊を味方に引き入れなくてはならない。

 カーシュナーは彼らを説得すべく、大きく息を吸い込んだ――。 

その3に続きます。

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