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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
84/152

大混乱の港

 だいぶ間が開いてしまい申し訳ありませんでした。

 とりあえず、ゴールデンウイークを10連休にしようと考えた連中にワンパン入れてやりたい今日この頃の南波です。


 連休前の飛び込みの仕事。

 連休中の休日出勤。

 連休後のずれ込んだ仕事の処理。


 連休がこれほど苦痛だったのは初めてでした(苦笑)


 これ以上愚痴ると長くなり過ぎるので、更新が遅れた言い訳はこの辺にしたいと思います。

 では本編をどうぞ!

「止まれっ!」

 ハウデン商業区港――。

 昼間の活気とは正反対の静寂に包まれている夜の港に、ハウデン都督府治安兵の厳しい声が響く。

 停泊中の船の甲板に、運悪く船の留守番を押しつけられた船員がいるだけの港には、兵士の声に反応する者はいない。

 留守番役の船員たちは、酒場に繰り出したどこぞの間抜けな船員が、酔っぱらって自分の船を見つけられずにうろついていたのだろうと鼻で笑うだけで見向きもしない。

 港の夜では日常茶飯事の出来事だからだ。


 だが、港を警備する治安兵たちはそうはいかない。

 夜間は密輸、密航を防ぐため、乗船も下船も許されない。当然入港も出港も出来ない。

 酔っぱらった船員を装っての禁制品の持ち込みや密航の可能性もあるので、夜間の警備は昼間以上に厳しかった。


 そんな夜の港に現れたのは、足元のおぼつかない酔っ払いなどではなく、ランタンの明かりに照らし出された幽鬼さながらの人の群れだった。

 声を上げた治安兵はすでに手にした槍を構え、臨戦態勢となっている。

 厳しい表情を崩さないが、異様な様子の集団に、内心恐怖を感じていることを、僅かに震える槍の穂先が証明していた。


 治安兵の言葉に、集団は素直に従い、代表者とおぼしき人物が進み出てくる。

 槍先を近づく人物の心臓に向け直した治安兵が誰何すると、その人物は外套のフードをおろし、その正体を明かす。

 治安兵の一人が手にしたランタンをその人物の顔に向けると、そこにはまったく予想外の人物が立っていた。


 彼らの最上位に位置するハウデン都督、エルモントその人であった。


 一瞬事態が呑み込めず、治安兵たちが混乱する。

「ご苦労。勤勉に職務を遂行しているようだな」

 治安兵たちの混乱をよそに、エルモントは常にない度量を示し、まず夜勤に励む治安兵たちを労った。

 普段のエルモントであれば、自分に対して武器を向けた治安兵に対し、激怒しただろう。自分が身分を伏せて行動していたことなど歯牙にもかけずに。

 だが、エクレムから事前に言い含められていたため、エルモントは治安兵たちに対し、度量の大きな都督の顔を演じていた。


(上手いもんじゃねえか)


 エルモントが演じる茶番を、エクレムは鼻で笑いながら眺める。

 事態をまったく把握出来ない治安兵たちを、エルモントはさりげなく集団から引き離した。

 そして、声を抑えて事情を説明する。


「あの者たちは、疫病に感染している可能性がある」

 告げられた言葉に、治安兵たちは凍りついた。

 ハウデンが一国からヴォオスの一地方都市へと成り下がる原因となったのが、恐ろしい致死率を誇った疫病の蔓延だった。

 悲劇はすでに過去のこととなってはいるが、それでもハウデンで生まれ育った者たちを、今でも恐怖で掴んで放さない。


「もっと離れよう」

 反射的に治安兵たちの視線が奴隷たちへと向いたので、エルモントはいかにも彼らを気遣うかのようにさらに距離を取り、その手に持つランタンの明かりが奴隷たちに届かない位置まで移動した。

 その行動が余計に治安兵たちを不安にさせる。

 治安兵たちの恐怖に引きつった顔を見て、エルモントは腹の中で嗤う。


「念のためこの者たちをハウデンから、沖の孤島へと移動させ、そこで治療することになった」

「こ、こんな時間にですか?」

 エルモントの言葉に疑問を持ったのではなく、混乱から反射的に治安兵の一人が疑問を口にする。

「明日の朝まで待って手遅れになったらどうする? 私には祖先たちを襲った死の嵐から、このハウデンの民を守る義務がある。一刻たりとも無駄には出来んのだ」

 エルモントの言葉に、治安兵たちはその目に畏敬に似た光をたたえ、見つめる。


「そのような危険なこと、我らにお任せ下さいっ!」

 ハウデンを治める自分たちの主の言葉に胸を震わせた治安兵が志願する。

「危険だ」

「危険を恐れていては兵士は務まりませんっ!」

 治安兵の言葉に、エルモントはいかにも理解を示すかのようにうなずいた。


「お主らが危険を恐れるような兵士でないことはよくわかっている。だが、疫病の様な姿形のないものとは戦いようがあるまい。その武勇は、ハウデンの治安のためにとっておいてくれ」

「ですが、それではエルモント様はどうなるのですかっ! あなた様こそ、このハウデンのために欠くことの出来ない御方ではありませんかっ!」

 エルモントの配慮に、治安兵たちは余計にその身を案じる。


「心配はない。私には疫病に対して免疫がある」

「あっ!」

 その一言に、治安兵たちは納得の声を上げた。

 そもそもエルモントは、祖先がハウデンに蔓延した疫病に対し、免疫を持つことが出来たからこそ生き残ることができ、今ここに存在しているのだ。

 そして現在のハウデン都督府の重職にある者たちは、全員がハウデンの旧貴族の生き残りであり、その血統には疫病に対する免疫力が秘められている。

 免疫を持つ家柄同士が婚姻を繰り返し、持たない可能性のある血筋の混入は徹底的に避けられてきた。

 疫病に対する免疫において、もっともその安全性が確実と言えるのが、エルモントたち旧貴族の生き残りなのだ。


「お主らにはこの港をさりげなく封鎖してもらいたい。この事が周囲に知れ渡れば、ハウデンに無用な混乱を巻き起こしかねない。非常に重要な任務だ。やってくれるな」

 エルモントの命令に、全員姿勢を正し、敬礼で答える。

 これに対し、エルモントは治安兵たちを頼もしげに見つめながらうなずいた。

 そして次の瞬間――。


「以後この集団に近づくことを禁ずる。近づいた場合は疫病蔓延を阻止するため、ハウデンから孤島へと連行する。肝に銘じておけ」

 表情をいかめしく歪め、斬りつけるように言い渡した。


(都督なんかやめて、役者やれよ)


 エルモントが演じている筋書きを描いたエクレムにしてみれば、いいように言いくるめられている治安兵たちは道化にしか見えず、その舞台の中央に立つ主演俳優は、エクレムの操る糸で踊る道化師そのものであった。


 エクレムはさらった人々を移動させるために、かつてハウデンを襲った疫病を利用したのだ。

 すでに治療薬が完成し、疫病の恐怖は去ったのだが、繁栄の只中でハウデンを襲った疫病の爪痕は、ハウデンの民の心に、世代を経ても消えることのない傷痕として残り続けている。


 治安兵たちが指示に従い散っていくと、エルモントは得意気にエクレムを振り返った。

 これに対し、エクレムは侮蔑の表情を隠すために、深く頭を下げてみせる。

 日の出前にはすべて片付くな。

 クライツベルヘンの介入の手が、どこまで深く自分へと伸ばされたのかは定かではないが、エクレムはその手が自分にはけして届かないと確信する。


 さらってきた者たちの調教が済んでいないことは不満だが、それこそ調教などどこでも出来る。

 クライツベルヘン家の腕がどれ程長かろうと、国外へと連れ出してしまえば手は出せないはずだ。

 そして、手筈はすでに整っている。

 あとはこの商品たち(、、、、)を船に積み込んでさえしまばどうとでもなる。


 エクレムは確かにハウデンに潜むクライツベルヘン家の密偵たちの目をかわし、計画を遂行することに成功した。

 これはハウデンがクライツベルヘン領となるそれ以前の、ハウデン国時代にまでさかのぼっても確認することが出来ない悪の偉業と言えた。

 だがその偉業が、まさかわずか八歳の少年によって崩されることになることを、エクレムは知りようもなかった――。









「船を襲撃する」

 エクレムたちが倉庫街から移動を開始する少し前、チェルソーがブルーノとカルラに告げた一言だ。

「今すぐ助けるのが無理なら、ハウデンから出さなければいい。朝まで時間を稼げば、連中だってそうは自由に動けなくなるはずだから」

 そう言ってチュルソーは理由を説明した。 


 ブルーノはなるほどと手を打ち、カルラはそのことに気が回らなかった自分の焦りを恥じる。

「どうやって見分ける?」

 ブルーノはすでにチェルソーの案で行動すべく頭を回転させている。

「この時間に出港の準備をしている船がそうだよ」

 チェルソーの言葉に、ブルーノは再びなるほどと手を打った。

 夜間の出港は厳しく取り締まられている。下手なことをすればハウデン都督府の治安部隊ではなく、クライツベルヘンの海軍を相手にしなくてはならなくなるので勝手な真似をする船乗りはいない。

 チュルソーの指摘は的を射ていた。


「だとすれば、火だな」

「それが一番手っ取り早いと思う」

「そうと決まればやるだけだっ! 行くぜ、姐さんっ!」

 方針はカルラが口を挟む間もなく決まってしまった。

 そしてその方針に不満はない。

 カルラはたった二人の小さな味方の頼もしさに、思わず苦笑を漏らした。


 チュルソーとブルーノの二人は、カルラを待たせると、あっという間に三つの油壷を用意して戻って来た。

 もちろん盗品だ。

 騎士としては一抹のうしろめたさを感じずにはいられないが、そこはクライツベルヘン家の騎士、やむを得ないこととあっさり納得する。


 油壷の一つを受け取ったカルラは、二人の後に続いて港へと向かった。

 標的となる船を発見するのは簡単だった。

 エルモントの命令で治安部隊から許可を受けた一隻の船が、慌てて出航の準備を始めていたからだ。


「こいつはついてるぜっ!」

 ブルーノが器用に小声で歓声を上げる。

 疑問を顔に浮かべるカルラに対し、ブルーノは説明する。


「他の船と違ってどっか動きがおかしくてさ、裏があるんじゃねえかって目をつけて、ここんとこずっと探っていた船なんだよ」

 密輸などを行う商人は、盗難のなどの被害に遭っても届け出ることが出来ない。

 仮に盗まれた物が何の問題もない正規品であったとしても、クライツベルヘン家につけ入る隙を見せたくないハウデン都督府は、港管理が徹底されており、特に治安に関わることは徹底的に捜査されるため、後ろ暗いところのある者は、被害に遭っても表沙汰には出来ないのだ。


 ブルーノたちはそういった商人などにも狙いを定め、食料品などの、被害としては比較的小さなものを盗んだりしている。

 ちなみに高額な商品などを狙わないのは、大きな利益と共に報復を招いては意味がないからだ。

 対抗出来るだけの武力を持たない子供たちの集団は、相手の損得のはかりの傾きも計算に入れていた。

 そして、エクレムが商品たち(、、、、)を出荷するために入港させていた船が、偶然にもブルーノたちの標的となっていたのだ。


「動きが怪しいわけだぜ。ハウデンから奴隷にするために人をさらうつもりでいたんだからな」

 そう言ってブルーノは意地悪く笑う。

 彼の頭には、船員の数や、見張り等の配置、契約している倉庫の位置とその中身まで収められている。

 さすがに船内の構造などは入手出来ないが、人の動きなどで船倉の位置や船員たちの船室の位置はおおよその見当がついている。


 また、急な出港に慌てて対応している船員たちは、見張りとして残っていた者以外全員が酒場に繰り出していたため足元がおぼつかず、加えて気分よく飲んでいたところから無理矢理連れ戻されての重労働であるため、仕事に集中している者など一人もいない。

 積荷を落としてけがをする者や、それが原因で喧嘩が発生するなど、現場は混沌としており、船への潜入は容易であった。


「なるべく船の底の方に仕掛けよう」

 チェルソーが提案する。

 隙だらけではあるが、寝静まっているところに火を放つわけではない。

 発見が早ければ早々に消火されてしまい、足止め出来ない可能性がある。

 チェルソーはそこまで考えていた。


 頼りっぱなしの状況に、カルラはもう何度めか数える気にもならない苦笑を浮かべる。

 そして、彼らの足を引っ張らないように、黙って指示に従う。

 思考の傾向は今でもかなり騎士寄りであるが、カーシュナーと出会って以降相当鍛えられたおかげで、隠密行動はブルーノやチェルソーにも引けは取らない。

 カルラは大型船の中を音もなく忍び歩き、船の底へ向かった。


 急な階段をいくつか下り、三人は手分けして持ち込んだ油を各所に撒いていった。

 火種はこっそり拝借したランタンだ。

 いざその火を放とうしたところに、チェルソーが血相を変えてやってきた。

「どうした?」

 カーシュナーには及ばないが、それでも並の大人以上の冷静さと胆力を備えるチェルソーの慌てぶりに、カルラは即座に非常事態を悟る。


「カ、カルラさんっ! 人が、この下に(、、、、)人がいますっ!」

 それはまったく予想外の報告であった。

「なにっ!」

 今まさに火を放とうとしてるこの足元に、チェルソーは人がいるというのである。

 これにはカルラも慌てた。

 そこに、チェルソーと同じように、慌てた表情でブルーノが合流して来る。

 ブルーノを慌てさせたのも同じ理由であった。


「まずいぜっ! どうするっ!」

 ブルーノがカルラに問いかける。

「ここが船の底のはずなのに、なんで……」

 さすがのチェルソーもすぐには対策が浮かばない。


「おそらく奴隷だろう」

 だが、カルラには、足元に存在する人々の素性がすぐにわかった。

 エクレムがここハウデンで仕入れようとしている特別な奴隷ではなく、おそらく一般的な労働力としての奴隷だろう。

 カルラもつい先ほどまでここが船の底だと思っていたが、奴隷を積み込むつもりだったエクレムが堂々と港に停泊していた船だ。ただの船なわけがなかったのだ。


 これはブルーノやチェルソーに答えが出せる問題ではない。

 カルラが決断しなくではならない問題だ。

 そしてカルラは一瞬も迷わず答えを出す。


「この下に囚われている人々を助ける。同時に火も放つ。二人は火を、私は救出を行う」

「騒ぎがでかくなりすぎるぜっ!」

 火が燃え広がるには時間がかかる。船外で物資の積み込み作業に追われている船員たちが気が付いた時には手遅れの状態であることがチェルソーの案の必須条件だ。

 カルラたち三人だけであれば気取られることもないだろうが、大勢の人間が動けば即座に気づかれてしまう。

 カルラの判断はかなり危険と言えた。


「いや、逆に騒ぎを大きくする」

「なんでだよっ!」

 カルラの言葉にブルーノが声を抑えて叫ぶ。

「……そうかっ! ハウデンの住民を巻き込むんだねっ!」

 そこで、カルラの意図を察したチェルソーが声を上げる。

「どいうことだよっ!」

 一人理解が追いつかないブルーノがチェルソーに詰め寄る。


「お、落ち着いてブルーノ。ハウデンは昔のハウデン貴族たちに支配されているけど、それでもヴォオスなんだよ。奴隷のいない国、ヴォオスなんだ」

「そう。ここはヴォオスであり、何よりクライツベルヘン(、、、、、、、、)なのだ。国内に運び込まれた奴隷はいかなる理由であろうとその所持は許されず、奴隷は保護され、その所有者は奴隷禁止法違反で捕縛される。そして、その統治、管理をハウデン都督府に一任しているクライツベルヘン家が唯一その対応処理を許していないのが、奴隷案件なのだ」

 ここまで説明され、ブルーノも合点がいく。


「つまり、騒ぎがでかくなれば、クライツベルヘン家が直接動いてくれるってわけかっ!」

 ブルーノの言葉に、カルラとチェルソーはうなずいた。

「二人は火から逃げる振りをしながら騒ぎを大きくしてくれ。私はこの船の船員を全員斬ってでも、この下に押し込められた人々を逃がしてみせる」

「わかったっ!」


 方針が決まれば二人の行動は早かった。

 火を放つと燃え広がる炎の勢い以上の勢いで騒ぎを広げ、逃げ惑う振りをしつつ港中に響くように騒ぎ立てる。

 元々混乱気味だった船員たちは、カルラが逃がした奴隷たちを捕らえようとする者たちと、火を消そうと躍起になる者たちでバラバラに行動してしまい、そこをかいを手にしたカルラに襲撃され、叩きのめされてしまう。


 奴隷たちはカルラに言われるまでもなく、火に追い立てられ、手枷、足枷をかけられた不自由な状態で必死に船から脱出していった。

 港にはブルーノたちの騒ぎを聞きつけ、治安兵たちが集まって来たが、それ以上に燃え上がる船に隣接して停泊している船の船長と船員たちが押し寄せ、さらにその騒ぎを聞きつけたハウデン市民が詰めかけたことで、大混乱に陥った。


 始めは治安兵に対して被害者面をしていた船員たちであったが、船から奴隷たちが吐き出されてくると大きく風向きが変わる。

 船員たちは奴隷たちのことを、自分たちの船を襲った海賊を捕らえたのだと言い訳したが、誰の目から見ても全員がやせ細り、ボロボロの身なりに手枷と足枷をはめられ、虐待の跡が見られる状況では、それはどうにも苦しい言い訳でしかなかった。

 船員たちを火の手から逃がそうとしていた治安兵たちであったが、今度は逃がさないように包囲の輪を作り始める。


 カルラの策は、想定以上の効果を発揮したかに思えたが、そこに事態を聞き、駆けつけた者がいた。

 エルモントである。

 燃え上がる大型船。

 港にあふれる奴隷。

 それはどちらもクライツベルヘン軍の介入を招く、エルモントにとっては最悪の狼煙だった。


 思考は一時停止し、広がる混乱をどう治めるべきか、何一つ浮かばない。

「……ふ、封鎖だっ! 港を封鎖しろっ!」

 せめて野次馬共の目から奴隷たちを隠そうと、エルモントは先程被った度量の大きな都督の仮面を脱ぎ捨て、地の苛立ちを露わにして怒鳴り散らした。


 先程の治安兵たちと違い、混乱しているところにいきなり現れたエルモントに、治安兵たちはすぐにはその正体に気づけず、誰も従おうとしなかった。

 火災の現場に、まだ鎮火もしていない危険な状況で、この都市の最高権力者が現れるなど誰も想像するはずがないのだ。

 それどころか、いきなり偉そうに怒鳴り散らす闖入者に、治安兵だけでなく、野次馬たちも殺気立つ。


 命令することに慣れきっているエルモントには、彼らの態度は許しがたい叛逆に等しかった。

 フードを跳ねあげると家紋を示す右腕の刺青を誇示し、怒り狂う。

「この私が誰かもわからんのかっ! この間抜けどもがっ!」

 ようやく自分が誰かを認識した治安兵たちを、エルモントは唾を飛ばしながら罵る。

「貴様らもさっさとこの場から失せろっ! これ以上この場に留まれば、全員牢獄送りにするぞっ!」

 次には集まった野次馬たち目掛けて怒声を上げる。

 相手が誰であるかを理解した治安兵と野次馬たちは、あからさまな敵意こそ抑えたが、代わりにエルモントのその態度に、抑えた敵意を膨らせていく。


 混乱に乗じて脱出を図ろうとしていたカルラであったが、突然のハウデン都督エルモントの出現に、思わず足を止めてしまった。

 この一瞬の遅滞が、カルラの前に不運を海からせり上がらせる。

 奴隷たちを逃がす際、櫂で船べりから海へと叩き落とした船員が、偶然にも足音を忍ばせて移動していたカルラの前に這い上がって来たのだ。

 一瞬目が合う両者。

 カルラが行動を起こす直前、港の縁にしがみついた船員は、恨みを込めて叫びをあげた。


「犯人がいるぞっ! そいつだっ! 逃がすなっ!」

 叫んだ直後、船員は再び海へと沈んでいった。

 一歩違いで放たれたカルラの蹴りが顔面にめり込んだからだ。


 港だけに、渡りに船としゃれ込んだわけではないが、エルモントはカルラの存在に飛びついた。

「そ奴を捕らえよっ! そ奴がすべての元凶だっ!」

 とにかく事態を自分ではない他の誰かになすりつけたかったエルモントは、偶然ではあるが事実を言い当てた。

 だが、奴隷がこの場にいること自体はカルラが元凶でも、その存在がカルラに起因していないことはだけは、誰の目にも明らかだった。

 船に火を放っておきながら、隠さなくてはいけない奴隷は救出する。

 全ての責任をなすりつけるには、その行動はあまりにも矛盾していた。

 エルモントはそののあからさまな言動が、自身に疑惑の目を向けさせてしまったことに気づかない。

 ハウデンの民であるならば、ハウデン都督である自分の言葉は絶対であると、信じて疑っていないからだ。


 カルラはここで身の潔白を証明しようなどとは考えなかった。

 腐ってもエルモントは現ハウデン都督である。

 その権力で、この場だけでも強引に自分にとって都合のいい筋書きで抑えつけることが出来る。

 クライツベルヘン家の騎士であるカルラと言えども、犯した罪からは逃れられない。

 奴隷の救出は罪にはならなくとも、船への放火は大罪だ。

 エルモント側の罪を立証しない限り、カルラは捕らえられることになる。

 カーシュナーが敵方の手にある今の状況で、拘束されるわけにはいかない。


 カルラは迷わず行動した。

 逆に、治安兵たちは状況とエルモントの言葉の間にある矛盾に迷い、反応が遅れる。

 カルラは治安部隊と野次馬の間を上手く突き、誰一人傷つけることなくその場を切り抜けた。


「何をもたもたしておるかっ! この馬鹿共がっ!」

 エルモントが苛立ちを爆発させる。

「ええい、もういいっ! 貴様らでは話にならんっ! そこの貴様っ! 私の屋敷に伝令に走れっ! 私の兵を連れて来いっ!」

 治安兵たちに見切りをつけたエルモントが、兵士の一人を伝令に走らせる。

「その他の連中は、そ奴らを見張っていろっ! そ奴らは疫病に感染した疑いが強いため、隔離していたのだ。けして近づくな。もしそ奴らが近づいてきたら問答無用で斬り捨てろ。この命令を守らなかった者は厳罰に処す。いいなっ!」


 エルモントの最後の言葉に、治安兵たちはぎょっと目を見張り、慌てて距離を取る。

 さすがの野次馬たちも、好奇心以上に恐怖心がまさり、慌てて港から引き返し始めた。

 最後の一言はエクレムの策の流用だが、この一言のおかげで、この場での事態の露見は避けられ、状況は未だにエクレムの手にその主導権をゆだねることになった。

 代わりに、カルラたちの状況はさらに逼迫することになったのであった――。









「すまない。足を引っ張った」

 ブルーノとチェルソーの二人に合流したカルラは、まず二人に詫びを入れた。

 二人は見事に仕事を果たしてくれた。

 自分は最後の最後で敵に発見され、エクレムの組織だけでなく、ハウデン治安部隊まで敵に回すことになってしまった。単なる不運ではあるが、状況がより厳しくなってしまったことに変わりはない。

      

「姐さん。治安兵の奴らのことはそんなに気にしなくても問題ねえって。連中はこの危険区域に詳しくねえから、撒くのなんてわけねえからさ」

 ブルーノが頭を下げるカルラをなぐさめる。

 だが、その言葉に嘘はない。

 危険区域の汚れ具合は他の区域とは比較にならない。

 治安兵たちは巡回の義務があるので一応危険区域にも顔を出すのだが、あまりの臭いに比較的臭いがマシな主要な通りを申し訳程度に見回るだけですぐに引き返してしまうのだ。

 通りを二つ、三つ曲がれば、治安兵たちには現在位置も把握出来なくなってしまうはずだ。


「それに、あの人たちが助かってほんとによかった。もし船と一緒に焼け死んじゃっていたら……」

 安心しつつも、チェルソーが自分の想像に青ざめる。

 一歩間違っていれば大量殺人を犯すことになったのだ。

 裏の社会に生きているとはいえ、その罪悪感はチェルソーの小さな背中に背負いきれるような代物ではない。


「それより、これで奴らが船で逃げるのは防げた。新しい船を用意するまでの間に何とかしないと」

 気持ちを切り変えたチェルソーが、これからどうするのかとカルラに目で問いかける。

「まずは奴らの現在位置を確認しよう。もし倉庫に引き返すつもりなら、先回りして倉庫にも火を放つ。別の隠れ家に向かうのなら、その位置を把握する。その上で対策を立てよう」

「それならいっそのこと、エリアン所有の倉庫全部に火をかけちまえば早くないか?」

 ブルーノが提案する。

 

「あの辺の倉庫は全部古い木造だからまずいよ。火の粉が貧民街スラムの方へ流れたら、きっと全部燃えちゃうよ」

「全部燃やしちまえばいいんだっ!」

 チェルソーの言葉に、ブルーノが唾を吐き捨てるように言い返す。


「気持ちはわかるが、無関係の人々に犠牲を出すわけにはいかない。それに、証拠まで燃えてしまうのはまずい。それは最後の手段にしよう」

 カルラが、ブルーノを諌めているようでいて、実はいざとなれば危険区域を火の海にするつもりであると口にする。

 ブルーノは証拠という言葉で納得したが、チェルソーはカルラの言葉の本質が見えてしまっているので、ひそかに震え上がった。


「それに、どうやら都督のエルモントがこの件にからんでいるのは間違いない。クライツベルヘン海軍の目と鼻の先で、これほど大胆なことをしでかしたのだ。エルモントも腹は決まっているだろう。であれば、協力などという生易しいものではなく、クライツベルヘンの手が伸びる前に、奴は何としても船に乗っていた奴隷やさらった人々をこのハウデンから追い出そうとするはずだ。それまでに何としても捕らえられている人々を助け出さなくてはならない」

 カルラの言葉に、ブルーノとチェルソーは大きくうなずいた。

 そして三人は走り出す。


 カルラは気づいていなかった。

 その背中をずっと観察していた人物が、ため息とともに大きく肩をすくめ、冷たく笑ったことに――。









 エルモントを送り出し、足を止めていたエクレムが、激しい苛立ちを込めて足元に転がるゴミクズを蹴り飛ばす。

 従う部下たちは、遠目からもはっきりとわかるほど夜の港を照らし出す、巨大な松明と化した自分たちの船を、腹の底からこみ上げてくる不安と共に呆然と眺めている。


 港の異変に気づいたのはデボラだった。

「もしかして、私たちがこれから乗る船が燃えているんじゃないかしら?」

 まるで他人事のような不吉な一言に、ラズが顔色を変え、足の速い手下を五人ほど送り出す。

 五人のうち四人が等間隔で残っていき、最後の一人が火災の現場まで行き、全力で仲間のもとまで引き返す。

 状況を伝言し、全速で往復した情報に、蒼くなったのはエルモントであった。


「現場は私が抑えておくっ! 貴様は別の船を用意しろっ!」

 そう言うとエルモントは外套の裾を乱しながら駆けて行った。

 高い美意識から肉体維持に努めていたおかげか、年齢のわりになかなかの俊足だ。


「以外によく働くわね」

 そんなエルモントの後ろ姿を、デボラは愉快そうに唇を歪めて眺めた。

 それがつい先刻の出来事であった。


 ラズがエクレムの顔色をうかがう。

 燃え盛る自身の奴隷船を眺めているといつまでも苛立ちに頭を支配されてしまうので、今は港の炎に背を向けている。


「デボラ。ここを任せる」

 エクレムは古くからの部下であるラズではなく、今回の計画のために招き入れたばかりの女奴隷調教師に現場の指揮をゆだねた。

「船を狙われたのは俺の油断だ。相手を少し見くびり過ぎた。エルモントでは現場を抑えつけるので精一杯だろう。どうやら向こうはこちらの意図をある程度読めているようだ。だからと言ってハウデンにもたもた居座っているわけにはいかん。俺は代わりのあしを用意してくる。それまでこいつらを隠しておけ」

 エクレムはそう言うと、不満そうに顔を歪めているラズに鋭い一瞥をくれ、走り出した。

 頭の回転も速いが、行動も迅速だ。


「これだけの人数を乗せられる船に当てがあるのかしら?」

 エクレムが夜の闇に姿を消すと、デボラはラズに尋ねた。

「あの人の人脈は半端じゃねえ。大型船の一隻ぐらいわけはねえ」

 エクレムの判断に明らかな不満を持っているラズは、そんなことも知らないのかと言いたげな口調で、それでもデボラの疑問には律儀に答えた。

 答えが返って来るとは思っていなかったデボラは、

「あら、そう」

 と、どうでもよさそうに気のない返事を返す。


「で、どうする?」

 不満はあってもエクレムの指示には絶対に従うラズが、デボラに尋ねる。

「……ここから一番近い倉庫に移動しましょう。それと、この子たち(、、、、、)梱包(、、)した方がいいわね。日の出前に船が調達出来るかわからない以上、地元の人間に身元が知られないようにしておいた方がいいわ」

 そう言ってデボラは幽鬼のように無気力な目をした調教済みの奴隷たちを愛おしげに眺めた。


 気にくわないがデボラの意見にはラズも賛成だったので、ラズは部下を幾人か割き、別倉庫から大型の木箱を取りに向かわせた。

 デボラは鞭を一振りすると、その目に何の感情も浮かべていなかった人々の目に恐怖を呼び起こす。

「さあ、ついて来なさい。私の可愛い子供たち」

 そう言ってラズを上回る巨体をしなやかに揺らしながら、もと来た道を引き返し始める。

 調教を受けた人々が素直にその後に従う姿に、荒事慣れしているラズも、薄気味悪さを感じずにはおれなかった。


 デボラに奴隷たちが従って移動するのに合わせ、ラズたち見張り役もその後に従う。

 誰もがその場に背を向ける中、デボラだけが一人振りむいた。

 その顔には、この状況下にありながら、落ち着いた余裕の笑みが浮かんでいる。だが、その瞳だけは、調教を受けた人々とはまた種類の違う、何の感情も浮かばない黒一色に塗りつぶされている。

 その黒い瞳が、夜の闇の向こう側を見つめる。


 視線の先には、けして見られていないとわかっていながら、こめかみから一滴汗を流す男が一人いた――。









 無用な厄介事を避けるため、ブルーノが人気のない道を瞬時に判断して先導していく。

 この危険区域は人がいないようでいて、無数の人々が寄生している。

 襲い掛かってくるようなことはないが、治安部隊に追われる身としては、見られることでその痕跡を残していきたくはなかった。


 ブルーノの判断が確かなこともあるが、それにしては人に合わない。

 エクレムの手下たちは奇襲を避けるため、小隊単位で散りながら周囲を警戒しているため、カルラはずっと神経を研ぎ澄ませていた。


 ここまでエクレムの手下を十人近く斬り、ガイオとの死闘を経て大型船の放火と目まぐるしく行動して来た。

 血の臭いに、油の焼ける煙の臭い。

 強い臭気にさらされ続けたカルラの鼻孔は、本人の気づかない内にわずかに鈍っていた。 

 もしそうでなければ、カルラはここまで走破して来た裏道のところどころに漂っていた血の臭いに気づくことが出来ただろう。

 だが、感知することが出来なかった道の先に、今では物言わぬただのむくろと化したエクレムの部下たちの死体が引きずり込まれている。


 第三者たちの意志によって導かれていることに、カルラは気づいていなかった。


「いいのか、こんなことをして?」

 闇の中で一人の男が別の男に問いかける。

 声には疑問以上に不満の色が濃く表れている。


「やむを得ん。奴はよくやった。クライツベルヘンの密偵たちの目をかすめ取り、よくこれだけのことをした。だが、我らの目までかすめ取ろうとしたのは、いささかやり過ぎだ。きれない刃は怪我の元だが、切れ過ぎる刃は収まるべき鞘まで断ちかねん」


「ならば我らの手で始末をつければよいではないか。何故このように手の込んだことをする」

「今下手に手を下せば、奴がしでかしたことに我らが初めから関与していたと疑われかねん。クライツベルヘンで起きた問題は、クライツベルヘンの人間の手で解決させればいい。それで得意気に満足してくれるのなら安いものだ。何より俺が楽を出来る」

「貴様はただ状況を愉しんでいるだけだろうが」

 男の言葉に、もう一人の男は諦めきったため息をついた。


「本国へは何と伝える?」

 気を取り直した男が尋ねる。

「何も」

 だが、問われた男はどうでもよさそうに肩をすくめただけだった。


「隠すのかっ!」

「伝えたければ好きにしろ。だが、奴に我々が出し抜かれたのは事実だ。本国の上の連中はいい顔はしないだろうな」

「…………」

 男の言葉に、もう一人の男が打算を働かせる。おそらく国民性がそうさるのだろう。


「……俺は責任を負わんぞ」

 男は妥協を口にした。

「責任? そんなものは始めから存在していない。俺たちは奴の不始末を後片付けしてやったまでのことださ」

「奴の命でか?」

 男が皮肉を返す。

「いや、それは奴次第さ」

 そう言って男は冷たく笑った。


「そんなことより自分の心配をし始めた方がいいぞ。クライツベルヘンの密偵に喰らいつかれる前に、俺たちもハウデンからおさらばしないとまずいことになるからな」

 その言葉をきっかけに、男たちは闇へと溶け込んでいった――。









 カルラたちは予想以上の速さでエクレムの部下たちに囲まれた人々を発見することが出来た。

 それが仕組まれたことだと知らないカルラたちは、素直に一行の様子を観察していた。

 まるで歩く死人のように従順に従う人々もいれば、まるで連行される罪人のように一本のロープに数珠繋ぎにされている人々もいる。

 おそらく後者はまだ調教が済んでいない人々だろうとカルラは考えた。

 その最後尾に、唯一の子供の姿を発見した瞬間、カルラは自分の血が沸騰する音を聞いた。


 見事なまでに薄汚れ、他の大人たち以上に厳重に拘束されている。

 手は後ろ手に縛られ、まるで犬のように首輪を掛けられている。

 その首輪に取り付けられたロープの先端を、目をむくほどの大女が握っている。


 こんなことはけして許されていいことではない。

 あの優しく気高い魂に、縄を掛けるなど、神にも許されない罪業だ。

 殺意がまるで眠っていた大蛇が目覚めたかのように形をなし、ゆらりと立ち上る。

 その視線がカーシュナーを捕らえている女へと注がれた瞬間、女はそれに答えるように振り向いた。

 夜の闇の中、互いの顔かたちも見分けることが出来ないほどの距離を隔てながら、カルラは悟った。

 こちらの存在に気づかれたことに――。


 それは考えての行動ではなかった。

 戦いの本能が反射的に身体を動かした結果だった。

 カルラは物理的には合わないはずの視線が敵の大女と重なった瞬間、その身を隠していた夜のとばりから飛び出していた。


 その行動に、エクレムの部下たちから驚きの声が上がったが、同時にブルーノとチェルソーの口からも驚きの声が漏れる。

 唯一驚愕に支配されていないのは、飛び出したカルラとデボラ、そしてカーシュナーの三人だけだった。

 カルラの後を追って、ブルーノが舌打ちと共に飛び出していく。

   

「ぶっ殺せっ!」

 いち早く驚きから脱したラズが、指示とも呼べない雑な怒鳴り声を夜の港に響かせる。

 その声に、命令を理解したというより、脊髄反射を起こしたように部下たちがカルラに殺到する。


 群がり来るエクレムの手下たちを、カルラはまともに相手取らず、敵の大女目指して突き進んだ。

 本能が警鐘を鳴らしていた。

 あの女は危険だと――。


 カルラは本能に従い駆ける。

 途中二人のならず者を一合のもと斬り伏せ、返り血すら置き去りにいして距離を詰める。

 だが、むざむざ突破させるほどエクレムの部下たちも弱くはなかった。

 突き進むカルラの前にラズの巨体が立ちふさがる。

 さすがのカルラも一合で斬り捨てるというわけにはいかない。

 疾走は急停止させられ、大女の手前で足を止めさせられてしまう。


「なめてんじゃねえぞっ!」

 ラズが怒声と共に手にした大剣を振り下ろす。

 ガイオほど洗練されてはいないが、その膂力に任せた攻撃は、侮っていいものではない。

 剣の腹を打って弾きつつ、カルラは背後からも繰り出されてくる剣先も斬り払っていく。


 ラズによる足止めにより、カルラの特攻は失敗に終わり、エクレムの手勢によって包囲されてしまう。

 焦りと苛立ちにカルラの顔が歪み、ラズに余裕が生まれる。

 気を抜いたわけではない。

 ただ、一人の武勇で無理をしてまで戦わなくてはいけない状況から、数の利を生かして確実に仕留める状況に変わっただけだ。


 だが、それはラズの足止めによって生じた変化ではなかった。

 ラズを強敵と見て取ったカルラが、咄嗟に呼び込んだ状況だったのだ。

 そうとは知らないラズとその手下たちの包囲の輪に出来た一瞬のゆるみを、カルラは的確に衝く。

 

 包囲の輪を一瞬ですり抜けて肉薄したカルラに、ラズが慌てて大剣を振るったが、身体はカルラの予想外の急襲で反射的に逃げに掛かっている。腰の入っていない一撃はどれ程の腕力で振るわれようと、カルラにとっては何の脅威にもならなかった。

 女性とは思えない強烈な一撃で払われた大剣がラズの手から飛び、直後にがら空きになったラズの身体に、カルラの前蹴りが叩き込まれる。

 

 剣を斬り返す一瞬の遅れを嫌って放たれたカルラの蹴りは、繰り出したカルラにとっては運良く、叩き込まれたラズにとっては最悪なことに、その股間に叩き込まれることになった。

 腹を狙ったつもりだったのだが、カルラとラズの対格差が生み出した偶然により、ラズはその巨体をくの字に折ることになったのだ。


 叩き込んだ足を踏み込み、そのまま沈み込ませ、地面を蹴りつけるように跳躍する。

 ラズを飛び越しつつ、逆の膝をその顔面に叩き込み、カルラはラズの背後に着地する。

 その実力、判断力を冷静に観察していたいデボラは、カルラがクライツベルヘンの騎士ではないかという周りの推測をようやく信じることが出来た。


(女のくせに、なんて考えるのは失礼ね。これならガイオが討たれるのも納得だわ)


 デボラは表情には一切出さずに感心して見せる。

 そして、ただの一度も視線を向けることなく、その攻撃(、、)を防いで見せた。


 カルラの特攻を咄嗟に囮に使い、エクレムの部下たちを迂回して接近していたブルーノによる一撃だ。

 その攻撃はデボラ本人に対して放たれたものではなかった。

 ブルーノも、カルラのような戦闘経験からくる直観ではないものの、これまでの人生でくぐってきた修羅場で磨かれた勘により、デボラにはけして近づいてはいけないと判断していた。

 なので、ブルーノはデボラではなく、デボラがその手にしているロープを狙ってナイフを繰り出したのだ。

 大勢の囚われている人々ももちろん助けてやりたいが、ブルーノにとって最重要なのは、仲間のために身体を張ってくれたカーシュナーの救出だったからだ。


 そこまで警戒しての奇襲であったが、カルラの視線にすら気づいてみせたデボラの感知能力を欺くことは出来なかった。

 ブルーノは肩口に強烈な鞭の一撃を受け、吹き飛ばされていた。

 衣服は裂け、皮膚まではぎ取られ、ブルーノは激痛のあまりもがき苦しむ。

 その姿を視界の端に捉えながら、デボラは嫣然と笑った。

 瞳だけはけして笑わないその笑顔は、容姿が美しいだけに余計に作り物めいた不気味さを醸し出す。

 

 ブルーノの行動。

 自分を一直線に目指してくるカルラの行動。

 何よりカーシュナーと直接対峙し、その幼い身体には不釣り合いな実力と胆力に直接触れた経験が、デボラに一つの答えを導き出させる。

 次の瞬間、デボラは手にしたロープ乱暴に引き寄せ嗤った。


「そこまでにしてもらいましょうか。このクライツベルヘン家の(、、、、、、、、、、)御曹司(、、、)の命が惜しければ」


 この一言に、特攻をかけていたカルラだけでなく、味方であるはずのエクレムの部下たちまでもが動きを止める。


 デボラの視線は真っ直ぐカルラに注がれていた。

 自分を凄まじい形相で睨みながら、それでもカルラが手にしたその剣を下げた瞬間、デボラの不気味な微笑みは、まるで悪魔の仮面でも身に着けたように、大きく、醜く歪んだのであった――。

書き溜めがなくなてしまったので、今後は不定期投稿となります。

なるべく定期的に上げられるよう努力しますので、今後ともお付き合いいただければ幸いです。

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