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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
77/152

三国同時侵攻決着! (その3)

 サルヒグレゲンと想定外の取引を行ったオリオンは、部下たちと合流し、星明りの下、イェ・ソン軍本陣を目指していた。

 正確に言うのであれば、そのさらに中心にいるであろうイェ・ソン国王シイングドルジを目指して――。


 抵抗はずいぶんと散発的になり、オリオンたちを妨げる敵騎兵部隊の姿も見られなくなってきた。

 この場所からでは遠過ぎて、さすがのオリオンも戦況を確かめることは出来ないが、イェ・ソン軍の戦線が少しずつ後退していることは、戦いの喧騒との距離で判断出来る。

 さらに後詰の部隊との遭遇が減ったことから、これまでオリオンたちの前に立ち塞がって来た予備兵力が前線に投入されたことがわかり、戦況がヴォオス軍の優位に傾いていると判断することが出来た。


 不意にオリオンの五感が、異様な気配を捉える。

 人とも魔物とも判断のつかない、これまで触れたことのない気配だ。

 その気配を辿ると、オリオンは小さな丘の上に、目的地を発見した。


 イェ・ソン軍本陣だ。


 あるいはすでに戦場から撤退してしまったかと危ぶんでいたが、敵もこの戦いに後がないことを理解していたようだ。

 本陣付きの近衛兵たちもオリオンの部隊に気がつく。

 オリオンはイェ・ソン兵を装って近づき、不意を衝ければと考えていたが、さすがに近衛兵に選ばれるだけあり優秀だった。

 オリオンの部隊は偽装を施す前に、一瞬でその正体を見破られてしまう。

 光源が僅かな星明りであろうと、イェ・ソン人の優れた視力はイェ・ソン軍馬とヴォオス軍馬の体格の違いを一目で見抜いたのだ。


 両部隊が丘の中腹で激突する。

 小さな丘ではあるが、上を取っている近衛部隊の方が勢いが強く、対して駆け上がらなくてはならないオリオン部隊はその勢いを減じられる。

 最初の激突で優位を得たのは近衛部隊であった。


 勢いに負けて押し返されるオリオン部隊の中に、部隊を率いる立場であるはずのオリオンの姿はなかった。

 両部隊が互いの存在に気づき、突撃を開始した際、するりと部隊後方に下がり、馬からも降りて単身丘の後方に回り込んだのだ。

 その動きを察知出来たイェ・ソン人は一人もいない。

 いかに鋭い視力を持つイェ・ソン人の近衛兵であろうと、約三百年の歴史を誇る盗賊ギルドにおいて、最強と称された元暗殺者の動きを、夜の闇の中で見破るのは不可能であった。


 両部隊の戦いの喧騒が闇を満たす。

 オリオンはそれでも油断することなく無音で丘を駆けあがっていく。

 そして、僅かに残った護衛の近衛兵たちに襲い掛かった。


 本陣中央には松明が焚かれ、造りは簡素だが、星明りでも豪奢な仕立てであることがわかる天幕が置かれている。

 その警備に立つ護衛の近衛兵たちは、松明の明かりに助けられ、かなりの範囲を見渡しながら警戒に怠りなく見張りを続けていたが、それでも闇に溶け込んだオリオンの動きを捉えることは出来なかった。

 むしろ松明という大きな光源が作り出すはっきりとした明暗により、色濃い闇が生まれ、オリオンの姿を闇の奥へと包み込んでしまうからだ。


 一人、また一人と、音もなく死んでいく。

 二人一組で警戒にあったているにもかかわらず、すぐそばにいる仲間に自分の死を伝えることも出来ずに死んでいく。

 天幕に対し四方に四組、入り口に一組の近衛兵が警護に立っていたが、オリオンは誰にも悟られることなく十人もの近衛兵を、夜の闇よりも深い死の闇へと沈めていった。 


 最後の一人を倒すと同時に、オリオンは異様な気配が消えていることに気がつく。

 不意に途切れたのであれば気づけただろうが、近衛兵を倒す間に少しずつ大気に溶け込むように消えていったため、気づけなかったのだ。

 だが、消えた異様な気配の正体を探す必要はなかった。

 それが(、、、)いきなり、オリオンの頭上から襲い掛かって来たからだ。 


 オリオンは咄嗟に倒したばかりの近衛兵の死体を盾にして襲撃をかわす。

 盾にされた近衛兵の死体は、まるで巨大な熊にでも襲われたかのように、二つの巨大な爪によって真っ二つに引き裂かれてしまった。

 近衛兵の死体が切り裂かれている間に距離を取ったオリオンの前に、返り血を浴びて赤く染まったシイングドルジの姿が、松明の光を浴びて浮かび上がる。


 その姿に、さすがのオリオンも驚きを隠せない。

 先の襲撃で見かけた時と比較して、明らかに体格が増していたからだ。

 特に上半身の大きさが目を引く。

 長身ではあったが、他のイェ・ソン人同様やせ細り、けして大きいという印象を見る者に与えるような体格ではなかったはずだが、イェ・ソン人の王族にのみ見られるその特徴的な容姿は、見間違いようもなくシイングドルジのものであった。

   

 シイングドルジの視線が、闇に溶け込んだはずのオリオンにピタリと据えられる。

 視線が合った瞬間、オリオンは異様な気配の正体に気がついた。

 

 狂気である。


 その目には、知性の欠片もなく、血に飢えた魔性の気配が漂っている。

 両腕の前腕に固定された三本の爪状の武器を構えると、シイングドルジはオリオン目掛けて飛びかかった。

 長身のオリオンの背丈をはるかに上回る跳躍からの攻撃を、オリオンはあっさりかわすと、その首目掛けて剣を振った。

 

 人の背丈を上回るほどの跳躍力は驚異的ではあるが、落下速度を加速することは出来ない。

 並の剣士であればシイングドルジの豹変と、その驚異的な身体能力に度肝を抜かれ、後れを取ったかもしれないが、オリオンは冷静にシイングドルジの動きを見極め、その攻撃を見切ってみせたのである。


 だが、オリオンの剣がシイングドルジの首をねることはなかった。

 まるで野生の獣のような反応で身をかわしたシイングドルジは、オリオンの必殺の一撃を回避してみせたのだ。

 オリオンの剣はシイングドルジの右肩辺りの衣服を切り裂いただけで、その肉体を捉えることは出来なかった。


 オリオンの目が、僅かな星明りの下、シイングドルジの右肩に異様な印を発見する。

 

 呪印だ。


 その印はまだ刻まれたばかりらしく、赤黒く変色した右肩から、血と肉の焼ける臭いを漂わせていた。


 再びシイングドルジが攻撃を仕掛けてくる。

 とても脇腹に重傷を負っている者の動きではない。

 放たれる狂気は凄まじく、口角から泡を吹くその姿はもはや人間とは思えないほどの迫力だが、オリオンはこの攻撃も、紙一重でいとも容易く回避すると、再びその首に狙いを定めた。

 だがこの反撃は、シイングドルジが無理矢理振り回した両腕の爪によって阻まれてしまう。

 力は相当なものだと判断したオリオンは、足を止めての打ち合いを避け、間合いを取る。


 シイングドルジはオリオンの動きに対して即座に反応し、その後を追う。

 だが、その直線的過ぎる攻撃は、オリオンには一切通用しない。

 そして三度目以降のオリオンの反撃は、確実にシイングドルジの肉体を捉え、切り裂いていった。


 どの攻撃も深手と呼べるほどの傷ではないが、それでも全身を切り刻まれたシイングドルジの衣服はぼろぼろになり、その狂気とも相まって、獣じみた様相となっていた。

 その様子を、オリオンは冷静に観察している。

 切り裂かれた衣服の隙間から、右肩に発見した呪印とは異なる形の印が、両肩、両脚、背中、そして胸の中央の、合計六か所に刻まれていることがわかった。

 どうやらシイングドルジの急激な変化はこの呪印と関係しているらしい。

 サルヒグレゲンの最後の忠告でも、呪術師のことを語っていた。

 だが、その結果がこれなら、とんだ拍子抜けであった。


 どれ程力を増し、肉体を強化しようとも、簡単に読める動きでは自分を捉えることは出来ない。

 間合いを間違えさえしなければ、時間はかかるとしても、確実に仕留めることが出来る。

 そして、オリオンにとってのかかる時間とは、ほんの数分のことであった。


 シイングドルジの呼吸が乱れ始める。

 それはまるで手負いの獅子のように荒々しいものであったが、オリオンはその様子をただ冷静に眺めるだけであった。

 退くことを知らず、ただ狂気に後押しされ、再びシイングドルジが攻撃を仕掛けようとしたその瞬間、天幕の中から小柄な人影が飛び出して来た。


「陛下っ! 正気を取り戻してくださいっ!」

 それはシイングドルジの側近の一人であるジャンチブウゲであった。

 左腕をだらりを垂らし、手の先端から血をしたたらせている。

 腕に三本筋の傷口が見られることから、正気を失くしたシイングドルジに斬られたのだろう。

 生きているのが不思議なくらいにやせ細ったその身体でこれほどの手傷を受けては、もはやまともに動くことは出来ないだろうとオリオンは見て取る。


 ジャンチブウゲの必死の呼びかけに対し、シイングドルジはまったく反応を見せない。

 むしろ戦いの場に現れたジャンチブウゲを新たな敵と認識したのか、その注意がオリオンからジャンチブウゲへと移る。

「陛下っ!」

 ジャンチブウゲは痛む身体を無理やり動かし、シイングドルジへと一歩近づく。

 

 だが、その動きは今のシイングドルジにとっては敵対行動にしか映らなかった。

 口角に溜まった泡を飛ばしながら、ひと声吼えるとジャンチブウゲに襲い掛かっていく。

 シイングドルジのその動きに対し、ジャンチブウゲは身をかわすのではなく、逆にシイングドルジに向かって飛び掛かっていった。


 この二人のやり取りを、黙って見ているほどオリオンはお人好しではない。

 シイングドルジの注意が自分から逸れた直後から、シイングドルジの背後を取るべく動き出していた。

 ジャンチブウゲに襲い掛かるシイングドルジの背後から、その首を取るべくオリオンが襲い掛かって行く。


 一瞬のうちに二つの死が訪れるかと思われたが、そうはならなかった。

 反撃を予想していなかったのか、シイングドルジの攻撃が一拍遅れる。

 だが、そんなことは問題にはならない。

 重傷を負った老人の動きなどたかが知れている。

 伸ばしたジャンチブウゲの左手はシイングドルジの顔にかかったが、直後にシイングドルジの爪がジャンチブウゲの左肩に食い込み、その小さな体をぼろ布でも引き裂くように、袈裟切りに切裂いてしまう。


 直後にオリオンの剣がシイングドルジの首筋に迫る。

 だが、ここでオリオンにとって予想外のことが起こった。

 シイングドルジに切裂かれ、首と右腕だけとなったジャンチブウゲの死体の一部が、飛び掛かった勢いのままシイングドルジの肩口を超え、オリオンに襲い掛かって来たのだ。


 上半身を斜めに斬り飛ばされたのだ。

 当然即死である。

 だが、首と右腕だけになってしまったジャンチブウゲの両の眼は、まだ死んではいなかった。

 よく見ると頭部の側面に、焼き付けられたばかりの呪印が確認出来る。

 その呪印がどのような効果を持つものなのかオリオンにはわからなかったが、無視出来るようなものではない事だけは本能的に理解出来た。


 シイングドルジの首筋に向かっていた剣の軌道を咄嗟に変える。

 それと同時にジャンチブウゲの右腕が伸び、まばらにしか生えていない黄ばんだ歯をむき出しにして、オリオンに襲い掛かって来た。

 右手がオリオンの衣服を恐ろしい力で掴み、首筋に噛みつこうとジャンチブウゲの頭部を引き寄せる。

 だが、ジャンチブウゲの黄ばんだ歯が、オリオンの首筋に届くことはなかった。

 軌道を変えたオリオンの剣が、ジャンチブウゲの頭部を測ったかのような正確さで真っ二つに切り裂いたからだ。


 オリオンの嗅覚が、飛び散る血から発せられる危険な臭いを嗅ぎ取る。

 身体を反転させると遠心力でジャンチブウゲの残りの身体を後方に流し、その右手を衣服ごと引き剥がして投げ捨てる。

 飛び散った血が地面に接すると、鼻の奥を刺すような異臭を発しながら地面を溶かした。

 そして血は地面だけでなく、ジャンチブウゲのバラバラになった亡骸をも溶かしていく。

 あっという間に骨だけになってしまったジャンチブウゲの頭蓋骨にしがみつくように残った数本の歯の一本に、毒針が仕込まれていたことを、オリオンの鋭い目は捉えていた。


 敵ながらその執念の深さに恐れ入るとともに、その深さが忠義に根ざしていたことを読み取ったオリオンは、改めてシイングドルジに対する警戒を引き上げた。

 この老人にとって、シイングドルジとはそこまでして仕えるに値する人物であったということだ。

 まるで獣のような状態に変容してしまっているが、油断は出来ない。


 ジャンチブウゲとの一瞬の交差の隙に、シイングドルジはオリオンの間合いから外れていた。

 うずくまるような体勢のシイングドルジに対し、オリオンは反射的に追撃に出かかったが、踏み出しかけた脚を咄嗟に止める。

 シイングドルジの気配が再び変化していたからだ。


「……ジャンチブウゲよ。感謝するぞ」

 まるで見えなかった目が、再び見えるようになったかのように、シイングドルジは両の手を目の前にかざし、小刻みに震えていた。

 隙だらけに見えるが、オリオンはシイングドルジがしっかりと自分の存在を把握し、一切の警戒を怠っていないことに気づいていた。


「しばし待つがいい、ヴォオス人」

 強張った身体をほぐすように、シイングドルジは身体を伸ばしていく。

 シイングドルジの言葉を真に受けたわけではないが、オリオンは不用意には攻めず、冷静にシイングドルジの変化を観察する。

 うずくまる獣のように丸めていた身体がゆっくりと伸ばされ、真っ直ぐに背筋を伸ばしたシイングドルジの視線は、長身のオリオンを見下ろす位置にまで達した。

 その威容は獅子が直立したかのような印象をオリオンに与える。


 先程まで存在したなかった新たな呪印が、シイングドルジの額に刻まれている。

 間違いなく先程ジャンチブウゲが接触した際に、まさしく命懸けで刻み付けたものだろう。

 前後のシイングドルジの変化から、この呪印がシイングドルジを正気に戻したに違いない。

 もっとも、ここまで肉体が変貌するような呪印をその身に刻む時点で、正気とは言えないのかもしれない。


 緩むことも途切れることもない緊張の中で、オリオンはシイングドルジの左肩に刻まれた呪印だけが、古いものであることに気がついた。

 その視線に目ざとく気づいたシイングドルジが、獅子が牙をむくような笑みを浮かべる。 


「私はこの左肩の呪印だけでイェ・ソンの王位に上り詰めた」

 そして、問われもしていないのに語り出す。

 興奮がシイングドルジを饒舌にしているようだ。


「効果はそれぞれ異なるが、左肩の呪印と同等の力を有した新たな呪印が、私の身体にはさらに五つ刻まれた。私は地上最強の男となったのだっ!」

 シイングドルジは吼えるように天に向かって叫ぶと、まるで天上の全てを掴み取ろうとするかのように、両手を天に向かって突き上げた。


「それなりの代償があるのではないか?」

 先程までの理性を失くした姿から、都合のいい面ばかりではないことは確かだ。

 そもそも呪印とは呪術に端を発している。

 呪う術が根源である以上、見返りよりも支払うべき代償の方がはるかに大きいはずだ。


「なに、寿命が削れるだけの話だ。明日を生きれるかどうかの状況で、老いて後の事などに意味はない」

「今日勝てればいいということか」

「私はイェ・ソンの王だ。それは常に勝者を意味する。イェ・ソンの玉座に敗者が座ることはない。そして私に、命を惜しんで敗者に甘んじるような惰弱な精神はない。ここで貴様に勝ち、この戦全体にも勝利してみせる」

 そう言うとシイングドルジは刻まれたばかりの額の呪印に触れた。

 その仕草が、呪印の力によって理性を奪われてしまった自分を、命を懸けて解放してくれたジャンチブウゲに対する勝利の誓いのように、オリオンの目には映った。


「さて、脇腹の傷の借りを返させてもらうぞっ!」

 言葉と同時にシイングドルジは踏み込んだ。

 今口にした脇腹の傷口は、筋肉の隆起に呑み込まれるように消え失せている。


 先程同様人間離れした鋭く素早い踏み込みであったが、今度は直線的にではなく、軸をずらしてオリオンの左側面を狙ってくる。

 右腕の爪を大きく振りかぶり、オリオンの左脇腹に狙いを定める。

 

 これを待ち受けるオリオンではない。

 ずらされた攻撃軸を自分も右へと回り、回避する。

 だが、そこに意識の死角となったシイングドルジの左腕の爪が、まるで水面を切るかのように易々と地面を切り裂き、大小の石のつぶてを放た。


 オリオンは咄嗟に右腕を上げて頭部を庇うと、飛来する礫の中に突っ込む。

 礫をかわすために回避する軌道を後方へ変えると読んでいたシイングドルジは、オリオンの予想外の行動に、右腕の爪を振るうことは出来なかった。


 体を入れ替えて両者が再び対峙する。

 いつの間にか全身に刻まれた傷口からの出血が止まっているシイングドルジに対し、石の礫を受けたオリオンは身体の右側面に、いくつもの傷を受けていた。

 

 シイングドルジは獰猛な笑みを浮かべてオリオンを睨みつけたが、オリオンは不機嫌なまま固まってしまったかのような表情を微動だにさせないまま、シイングドルジの鋭い眼光を跳ね退ける。

 自分でももはや人外の魔物と化したと思っているシイングドルジは、そんな自分の力を前にしても眉ひとつ動かさず、焦りの色も見せないオリオンに対し、不快気に鼻を鳴らした。


 再び踏み込むシイングドルジ。

 当時の国王と、強力な競争相手たちすべてに勝利し、イェ・ソン国王となったシイングドルジに、待ちの姿勢はなかった。

 一軍の将としては受けの戦いも出来るが、イェ・ソン国王に待ちも受けもない。

 攻めて倒す。それだけだ。


 今度は直線的に距離を詰める。

 これまでと違うのは、シイングドルジにオリオンの動きを見極めようという意思があることだ。

 力と速さが尋常ではないシイングドルジを、オリオンは軽くいなしつつ、細かく反撃を積み重ねてきた。

 それが出来たのは、シイングドルジにオリオンの次の動きを見極めることが出来なかったからだ。

 だが、理性を取り戻したシイングドルジは、人の形をした獅子のように危険な存在と化していた。


 縦に下がれば間合いは詰まる。

 下がるオリオンに対し、踏み込んでいるシイングドルジの方が早く、何より攻撃の間合いが広いからだ。

 振りかぶられるシイングドルジの右の一撃に合わせ、オリオンは左後方へ回避する。

 下がりしな、高速で振り抜かれていくシイングドルジの攻撃に合わせ、その右腕に斬りつける。

 だが、シイングドルジは無理矢理手首を捻るとオリオンの攻撃対して爪を合わせ、武器をからめ取りに行く。


 爪の間に絡まったオリオンの剣が、その手からもぎ取られる。

 シイングドルジが口角を上げて勝ち誇るが、その手応えの軽さに気づいていない。

 オリオンは剣を奪われたのではなく、からめ取られた直後に自ら手放していたのだ。

 オリオンは双刀の剣士だ。

 一本剣を奪われたからといって、戦いの手段がなくなるわけではない。


 オリオンはシイングドルジの爪ではなく、奪われた剣にもう一方の剣を振るい、爪の間からあっさりと弾き出す。

 しかも、弾かれて回転する剣の動きを見極め、剣の鍔を打ち、そのままシイングドルジへの攻撃に変えてしまう。

 予想外の反撃に、咄嗟に身を捻って回避したシイングドルジであったが、オリオンが打ち出した矢のような剣先は深くその秀麗は頬を切り裂いていた。


 シイングドルジに当たって弾けた剣が、再びオリオンの剣に打たれ、その手に返る。

 踏み込みながら身体を捻ったシイングドルジは、地面で一回転すると、四肢を踏ん張って何とか体勢を整える。

 身を伏せた獅子が敵を睨むようにシイングドルジが睨みつけるのに対して、オリオンはどこまでも冷静なままであった。

 そして一言、シイングドルジが絶対に甘受出来ない一言を言い放った。


「貴様より、サルヒグレゲンと共にいた、ツァガーンローという男の方が上だぞ」

 一瞬何を言われたのか、シイングドルジは理解出来なかった。

 自分はすべての政敵をねじ伏せて王位に就いた男だ。

 その自分に対し、王位争いに見向きもしなかったサルヒグレゲンの、顔も思い出せないような配下の男が、自分を上回っているという。

 オリオンの言葉は、シイングドルジにとって、最大級の侮辱でしかなかった。


「つまらん戯言で私を愚弄するかっ! ヴォオス人ごときがっ!」

 一気に怒気を膨らませ、オリオンをねじ伏せようと襲い掛かる。

「戯言かどうかはその身で知れ」

 両腕の爪を振り上げ、覆い被さるかのように襲い来るシイングドルジに対して、オリオンはこれまでのように引いてかわそうとはせず、真正面から踏み込んだ。


「愚か者がっ!」

 オリオンの踏み込みを、無謀と嘲笑い、シイングドルジが吼える。

 そしてオリオンの身体を細かな肉片に切り刻もうと、大気に悲鳴のような音を響かせながら、爪を振り下ろした。


 踏み込んだオリオンも、シイングドルジと同じ軌道で双剣を振り下ろす。

 両者の刃が目の前で激突し、夜の闇の一瞬の光を生み出す。

 その光の中で、驚愕に表情を歪めたのはシイングドルジの方であり、最後まで表情を変えなかったのはオリオンの方であった。


 斬鉄によってシイングドルジの六本の爪が切り裂かれて宙に舞い、それを追うかのように、左右の肩口から呪印を割るようにシイングドルジの身体が切り裂かれ、鮮血が舞う。

 そして、さらに踏み込んだオリオンが、振り下ろした剣を跳ねあげると、シイングドルジの身体は四つの肉片に分かれ、ワイデルウォメルの野に転がったのであった。


 まるで胸像のような有様になったシイングドルジが、憎悪を込めてオリオンを睨み上げる。

「貴様には心がないのか……」

 人外の存在と化した自分を前に、ついに一度も乱れることなく勝利を収めてみせた男に対し、シイングドルジが恨みがましく呟いた。

 まともな神経をした人間であれば、今のシイングドルジを前にして冷静でいられるわけがない。

 もしオリオンに動揺が生まれていれば、結果は変わっていたかもしれない。

 シイングドルジが最後に恨み言を口にしたのは無理もないことであった。


「化け物の相手なら、王都の地下で済ませている」

 呪印によって力を得たシイングドルジの実力は、確かに人間離れしていた。

 だが、結局オリオン一人の力では倒すことが出来なかったある男には及ばなかった。

 むしろあの戦いを乗り越えたオリオンにとって、己のものではない呪いの力に頼ったシイングドルジは、その力に関係なく、始めから対等に戦うような敵ではなかったのだ。


 オリオンは剣を振り上げ、ジャンチブウゲ同様バラバラになってもまだ死なないシイングドルジの首を斬り落とした。

 血を吹き出しながら転がるシイングドルジの目から、ようやく命の火が消える。

 その血が地面を溶かさないことを確認してから、オリオンは無造作にシイングドルジの首を拾い上げた。


 <ワイデルウォメル会戦>の終わりである――。









 シイングドルジを失ったことで、イェ・ソン軍はその結束を失った。

 部族単位にバラバラになったイェ・ソン軍は、数のうえではまだ優勢であったが、もはやヴォオス軍の敵ではなかった。

 通常の戦であればここで戦いは終わり、イェ・ソン軍が撤退して終わっただろう。

 だが、撤退したところで死しか待っていないイェ・ソン軍の残党たちは、このままヴォオスに潜伏し、野盗化することが間違いなかったため、エルフェニウスは手を緩めず追撃戦を仕掛けた。

 そして、ヴォオス軍の執拗な追撃を何とかかわすことに成功した部族には、追跡部隊を差し向け、徹底的にイェ・ソン軍を叩いた。


 この日を境にイェ・ソン国は急速にその力を失い、ついには滅びる。

 辺境に少数の部族を残して――。


 陽が昇るころには追撃戦も一段落し、休憩を挟んで後、残党狩りのための部隊だけを残し、ヴォオス軍とボルストヴァルト軍の連合軍はこの地で解散となった。

 エルフェニウスは王都へは帰還せず、ハウデンベルクに残り、残党狩りの指揮を執ることになった。

 これをボルストヴァルト家が支援し、残党狩りの主力は今回の大侵攻に対して兵力を温存した五大家以外の貴族が担うことになる。

 大軍勢が相手では、五大家の様には戦えないが、自分たちが治める領内を荒らし回ろうという連中が相手であれば、いちいち指図を受けなくても率先して兵を出すだろう。


 エルフェニウスはワイデルウォメルの野から逃亡したイェ・ソン軍の残党たちを見失わないように追跡し、各地の領主たちに討伐を引き継ぐのが主な役目だ。

 実際はエルフェニウスでなくとも務まる役目なのだが、性格上最後までやりきらねば気が済まないのだろう。


 オリオンは王都へと帰還する増援軍の指揮をジィズベルトに託すと、軍から離れた。

 託されたジィズベルトは、オリオンから事情を聞いていたので、快く引き受け、オリオンを送り出した。

 休憩を挟んだとはいえ、性急とも言える王都への帰還は、負傷兵の治療のためであった。

 軍医もおり、医療品も十分用意してはいるが、ワイデルウォメルの野は負傷兵が療養するには全く持って不向きな土地であった。

 加えて、ハウデンベルク城塞兵たちの大半が、瘴気によって発生した毒を受けており、より専門的な治療を必要としている。

 最後に無理をしたリストフェインは、再び高熱を発し寝込んでいる状況だ。

 指揮を任されたジィズベルトの責任は重かった。 


 軍を離れたオリオンに、当然のようにシヴァがついていく。

 ここまで率いて来た部隊は、ちゃっかりジィズベルトに丸投げしている。

 これに対してジィズベルトは、苦笑を浮かべただけで何も言わなかった。

 日頃の生真面目な性格のジィズベルトであれば、小言の一つや二つはあっただろうが、オリオン同様カーシュナーとの関係が深いシヴァが、オリオンが取引したという相手を直接見て確かめたいと思うのは当然と思ったからだ。

 ジィズベルト自身、他に任せられる者がいれば同行していただろう。

 そうしなかったのは他人に任せるには責任が重過ぎたからだ。


 戦が終わったばかりのワイデルウォメルの野を、たった二騎で引き返すのは、常識的に見てかなり危険であった。

 よほど開けた土地でない限り、敗残兵が身を潜めている可能性がある。

 無事戦場から脱出するために息を潜めているだろうが、相手が少数と判断すれば、襲い掛かってくる可能性もあるのだ。

 もっとも、万が一そんなやからが存在したとして、オリオンとシヴァに狙いを定めたとすれば、そこには後悔以外の何ものも存在しないだろう。


 ヴォオス最強の二人の行く手を阻むような愚か者は存在しなかったため、オリオンはあっさりと目的の場所まで戻ることが出来た。

 星明りしか頼れる光がなかった戦場で、正確にその位置を把握し、迷うことなく戻ってくるオリオンの方向感覚は尋常ではなかった。

  

 サルヒグレゲンと取り引きをしたその場所に、当然サルヒグレゲンたちはいない。

 この場所はその後敗走するイェ・ソン軍を追ってヴォオス軍も通過したため、いれば命はなかったはずだ。

 散乱するイェ・ソン兵たちの遺体の中に二人の姿が見られないことからも、忠告通りどこかに身を潜めているに違いない。


「なあ、オリオン。今更でしかねえんだけどよ。追撃部隊にその二人の特徴伝えて、他のイェ・ソン人と間違えて殺しちまわねえように手ぇ回しておいた方がよかったんじゃねえか?」

 おびただしい屍の量に、シヴァが何とも言えない表情で尋ねる。

「確かに今更だな」

 だがオリオンは、シヴァ程気にした風もなく、周囲を観察して回っていた。


「部族単位で逃走していれば発見される危険性もあるだろうが、たった二人で、しかも自分たちを狙って追跡して来ているわけでもない部隊を回避出来ないようなら、どのみちカーシュの役には立たん」

 カーシュナーのゾンでの行動は、その性質上隠密行動になることが大半だ。

 ヴォオス人ほど警戒されてはいないが、そもそもゾンではイェ・ソン人そのものが珍しい。

 奴隷として見かけることもほとんどなく、イェ・ソン商人も滅多にゾンに足を延ばすことはない。

 大陸の北部に位置するイェ・ソンで生まれ育ったイェ・ソン商人にとって、熱砂の国ゾンの大気は過酷過ぎるのだ。


「それもそうだな」

 オリオンの言い草はかなりむごいものであったのだが、シヴァはまったく気にしなかった。

「それより、この死体は近いうちにどうにかしねえとまずいな」

 そして一瞬後にはサルヒグレゲンとツァガーンローの身を、一応気遣っていたことなどあっさりと忘れ、見渡す限り広がる数万の屍に対して眉をしかめた。


「その辺り、エルフェニウスに抜かりない。今回の戦いに参戦しなかった貴族たちに対し、戦後処理のための兵士を派遣するようにすでに通達が下されている」

 オリオンの説明を聞き、シヴァがニヤリと笑う。

「のん気に日和見決め込んでいたんだ。そのくらいしてもらわねえとな」


「残党狩りの主力も任せるそうだから、何気に厳しい要求だ」

「内乱起こした貴族共と違って、どっちつかずの態度でのらりくらりとかわそうとしたんだ。忠誠心試されたって文句は言えねえだろ」

「なるほど。そういう意味合いもあったか」

 シヴァの見立てに、今度はオリオンがニヤリと笑う。


「エルフェニウスの親父さんはいの一番にリーへの忠誠を宣言したからな。言葉や態度には出してねえが、もしかすると中立を決め込んだ貴族共に対して一番腹を立てているのは、案外エルフェニウスかもしれねえぜ」

 シヴァはオリオンとリタといるときだけリードリットを愛称で呼ぶ。

 それはオリオンもリタも同様で、リードリットを含めた四人だけの秘密となっている。

 シヴァ、オリオン、リタの神経が図太過ぎるということもあるが、大反乱勃発から終結までの間に結ばれた四人の絆は、それ程深いものだったのだ。


「あったぞ」

 地獄のような光景の中にありながら、まるで居酒屋で一杯引っ掛けながら会話を楽しんでいるかのような空気を出していた二人であったが、オリオンが目印を発見すると、ほんの少しだけ空気を引き締めた。

 このままだと空気がだらけてしまい、無駄に時間がかかりそうだったからだ。


 オリオンが見つけた印は、小石を三つ組み合わせただけのものであった。

 一見すると偶然そうなっただけの様にしか見えないが、オリオンの目は、その石が人為的に組まれた痕跡を捉えていた。

「よくわかるな」

 ただの石ころが三つ転がっているようにしか見えないシヴァが、素直に感心する。

「見方がわかればお主にも見えるようになる」

「そういうのは面倒くせえから勘弁してくれ」

 そう言いつつも、シヴァの目が小石とその周囲を徹底的に観察していることに、オリオンは気づいていた。


「向こうだ」

 印からおおよその方向を判断したオリオンがシヴァを誘導する。

「それにしても、事前の打ち合わせもねえのに、よく目印がわかったな?」

「簡素なものほど伝えられる情報は限られてくる。自然その形も限られ似通うものだ」

「言葉は通じなくても、腹が減ったら腹を押さえて、喉が渇けば喉を押さえりゃ何となく通じるみたいなもんか?」

「その通りだ。そこに状況や条件が加われば、より明確になる。痩せ衰えた者がひざまずいて腹を押さえて懇願すれば、よほどの馬鹿でも腹を空かせていると理解するし、乾ききった者が喉を押さえて水を飲む仕草をすれば、誰でも水を欲しがっているとわかる。そうやって少ない情報を捕捉し、必要な答えを見つけていくのだ」 


「それで、次の情報は見つかりそうかい?」

 シヴァの問いに、オリオンは少し先まで観察し、うなずく。

 そしてさらにその先の地形まで細かく観察すると、オリオンは目印を探すことをやめ、迷いなく進み始めた。


「居場所がわかったみたいだな」

「ああ、ここからだとわかりにくいが、この先にかなり以前に干上がった川床の跡がある。あの二人はそこにいる」

「なら急ぐとするか。ジィズベルトなら何の問題もねえだろうが、正規の将軍二人がいつまでも軍を空けているわけにもいかねえ。負担もでけえだろうし、何よりリーにばれる前に戻らねえとうるせえからな」

 シヴァの言葉にオリオンもうなずく。

 リードリットの小言はこの際どうでもいいが、ジィズベルトにばかり負担をかけるのは申し訳なかった。


 川床の跡に着くと、オリオンは指笛を吹いた。

 だが、その音はシヴァの耳には聞こえなかった。

 オリオンの聴覚でも聞き取るのはかなり難しい周波数の音だ。

 だが、狼たちを独自の笛で操っていたツァガーンローは、その音を聞き取った。


 不意に川床からツァガーンローが顔を出す。

 オリオンたちの位置からだと、ツァガーンローが地面からいきなり顔を出したようにしか見えなかった。

 早速ツァガーンローのもとへ向かうと、そこは水の流れに削られた川床の、僅かに張り出した岩の下の隙間に出来た空洞だった。

 入口こそ狭いが、奥は水の流れによってえぐられた空間が広がっている。


「よく見つけたな」

 オリオンの言葉に、ツァガーンローはただうなずいただけだった。

 そのどこか覇気のない姿に、オリオンはサルヒグレゲンの身に何かあったのかといぶかる。

 だが、ツァガーンローに連れられて進んだ空洞の奥に、サルヒグレゲンの姿はあった。


 戻ったツァガーンローに気づいたサルヒグレゲンが立ち上がる。

 その足元には巨大な狼が横たわっていた。

 オリオンもシヴァも、その狼がすでに息をしていないことに気づく。


「すまん」

 オリオンが詫びる。

「詫びなどいらん。しっかり言い聞かせ、故郷に残してこなかった俺の責任だ」

 ツァガーンローはオリオンの謝罪を受け取らなかった。

 それはオリオンに対する反発ではなく、言葉通り自分の責任だと感じていたからだ。


「それに、これは避けられない運命だったのだ」

 ツァガーンローはオリオンにというより、自分自身に言い聞かせるように語り始めた。


「この狼はもう高齢だった。もう数年前から身籠ることもなくなっていた。それが今年に限って身籠った。俺はこの狼の死期が近いことを悟った。俺に自分の代わりを残そうとしてくれたのだ」

 ツァガーンローの声は、隠し切れない悲しみで揺れていた。


「腹の子はどうなった?」

 オリオンの問いに、ツァガーンローは首を横に振った。

「もはや産むだけの力は残っていなかった。俺は狼が息を引き取ると、せめて仔の命だけでもと腹を裂き、取り出したが、どの仔も息をしてはくれなかった」


「私なりに手を尽くしたのだが、駄目だった……」

 さすがのサルヒグレゲンも、気を落としていた。

 そのひねくれた性格からは考えられないくらい、素直にその感情を露わにしてる。

「そうか……」

 オリオンもそれ以上の言葉は出てこなかった。

 ツァガーンローは否定したが、自分が手をかけたようなものだ。

 

「空気読んでねえみたいで悪いんだが、その取り出した仔ってのは、腹の中で死んでいたのか?」

「……いや、心臓は確かに動いていた。つい先ほどまでな」

 質問の意図はわからないが、それでもサルヒグレゲンは素直に答えた。

「……じゃあ、可能性はあるな」

 シヴァは独り言をつぶやくと、背負っていた荷物を降ろし、中を探り出した。


「何をしているのだ?」

 サルヒグレゲン同様シヴァの意図がわからないオリオンが尋ねる。

「オリオンもカーシュに貰っただろ。あいつが自分の血を使って作ったっていう回復薬。持ってねえか?」

「ない。万が一のことを考えて、ジィズベルトに預けてある」

「そういやハウデンベルク城塞の連中は瘴気にやられていたな。確かにジィズベルトに預けたのは正解だ。いざって時にあいつが正しく使ってくれるだろ。……おっ、あった!」

 そう言うとシヴァは分厚い造りのガラス瓶を取り出した。


「その仔を見せてくれねえか?」

「何をするつもりだ」

 シヴァの頼みに、ツァガーンローが表情を険しくして問いかける。

 この世に生を受けることが出来なかったとはいえ、その死を汚させるつもりはない。


「ちょいと利きの良い回復薬があってな。ダメもとで試してえんだ」

 ツァガーンローの厳しい空気には付き合わず、シヴァが軽く手を出す。

 怒鳴りかけたツァガーンローであったが、シヴァの隣でオリオンが深々と頭を下げてきたので、何とか怒声を飲み気を落ち着ける。


「早くしろ。時間との勝負でもあるんだ」

 いきなりシヴァがキレ、迷うツァガーンローを無視して狼の仔を探す。

 母親の亡骸に寄り添うように横たえられた三匹の狼の仔を見つけると、もはやツァガーンローの許可など求めずいきなりそのうちの一匹を拾い上げた。


「貴様っ」

 ついに怒声を発したツァガーンローをオリオンが遮る。

 両者が再び一触即発の空気を発する中、奇跡は起こった。

 小さく咳き込む音が初めにあり、それに続いてか細いながらも確かな鳴き声が空洞内に響いたのである。


「オリオンっ! 俺の荷物から毛布を出せっ! すぐに温めるんだっ! 次はねえぞっ!」

 <六聖血>の血にはまだ僅かではあるが神々から授かった力が残っている。

 カーシュナーはその力を精製し、薬に変える技術を身に着けていた。

 回復術に特化したシュタッツベーレン家の血ほどその効力は強くはないが、薬草などから作り出されたものよりはるかにその効果は高かった。


 だが、いくら効果が高いとはいえ、死者をよみがえらせるような魔法の薬ではない。

 何より、効果を受ける仔狼の体力があまりに低過ぎる。下手をすればその効果の強さで逆に死に至らしめかねない。

 息を吹き返して以降の処置は、通常の手段で行う方が安全なのだ。


 オリオンが取り出した毛布をツァガーンローがひったくるようにして奪うと、今度は息を吹き返した仔狼をシヴァから奪うように抱き取った。

 その行動にオリオンもシヴァも腹を立てたりなどしない。

 むしろシヴァは、さっさとそうしてりゃあいいんだよと言わんばかりにニヤリと笑った。

 そして残りの二匹にもカーシュナー特製の回復薬が与えられ、二匹とも見事に息を吹き返したのであった。


「感謝の言葉もない」

 ツァガーンローは絆を結んだ狼が残した仔狼をやさしく胸に抱きしめながら、シヴァの足元にひざまずき、土下座するように深々と頭を下げた。

「気にすんな。そもそも俺の力じゃねえ。ダチが持たせてくれた薬がたまたま手元にあっただけの話だ」

 そう言うとシヴァは照れくさいのでそっぽを向く。


「もしや、その友とやらが、お主の話していた男のことなのか?」

 サルヒグレゲンも感謝を両目にたたえてオリオンに尋ねる。

「そうだ」

「どうやら顔を合わせる前から借りが出来てしまったようだな。最低限、この仔らの恩の分だけは返さねばならんな」


「あ~、そういうのいいから。あいつ見返りなんてこれっぽっちも求めていない変わり者だから。恩に着るだけ馬鹿馬鹿しくなるから」

 サルヒグレゲンの言葉を、シヴァはあっさりと退けた。

 その隣で苦笑いを浮かべるオリオンを見て、その言葉が冗談ではないと知り、サルヒグレゲンは驚かされた。


「それよりその仔狼どうするつもりだ? 息は吹き返したが、乳をやらんことにはすぐにまた死んじまうぜ?」

 どこかふざけたような口調ではあるが、その目が本気で心配していることはツァガーンローにもわかった。

 何よりシヴァの言葉は紛れもない事実だ。


「俺にあずからせてはもらえまいか?」

 オリオンがツァガーンローに提案する。

「…………頼む」

 長い逡巡の後、ツァガーンローはオリオンの提案を受け入れた。


「いいのか?」

 サルヒグレゲンがツァガーンローに尋ねる。

 三匹の仔狼たちは、ツァガーンローが絆を結んだ狼が、この世を去る自分の代わりにと残してくれた分身のような存在だ。手放したいわけがない。


「この仔らをゾンへは連れて行けません。北の地で生きるように生まれついた狼に、ゾンの酷暑は耐えられません。情に負けて連れて行けば、いたずらに死なせることになります。この男はこれまでずっと信義を示し続けてくれました。この男になら託しても、この仔らの母親も納得してくれるでしょう」

 

「この子らを連れて故郷に帰るという選択もあるのだぞ」

「私はこの男に敗れ、二度命を失いかけました。今命があるのは、サルヒグレゲン様にお助けいただいたこともありますが、その前にまずこの仔らの母親が身を挺して救ってくれたからです。自分の命も、その身に宿した我が子の命も投げ出して俺に仕えてくれたというのに、主である私がサルヒグレゲン様をお守りするという務めを放棄して、どうしてこの仔らに顔向け出来ましょう。俺はこの仔らの母親に恥じぬよう、サルヒグレゲン様にお仕えするのみです」

 ツァガーンローが自分の提案を受け入れないとわかっていたサルヒグレゲンだったが、改めてその頑固さに触れ、大きくため息をついた。


「では、改めて我ら二人、世話になる」

 そう言うとサルヒグレゲンはオリオンに頭を下げた。

 サルヒグレゲンの中に、もう自分がイェ・ソンの王族であったという事実は存在していない。過去のすべてを潔く捨て去っていた。

 むしろその事実を捨てきれないでいるのは仕える立場のツァガーンローの方であったが、ここでそれを表に出して、サルヒグレゲンの顔に泥を塗るような真似はしなかった。

 主に倣ってツァガーンローも頭を下げる。


「こちらこそ、我が友をよろしく頼む」

 そう言ってオリオンが頭を下げるのに合わせて、シヴァも深々と頭を下げた。

 サルヒグレゲンはシヴァの行動を以外に思ったが、すぐに得心がいった。

 この二人の傑出した男たちの友には、それだけの価値があるということなのだ。


 サルヒグレゲンはカーシュナーという男に会うことを、心から楽しみにしていることを、素直に認めたのであった――。









 国内貴族の反乱を平定し、ヘルヴェンの地でルオ・リシタを下し、フローリンゲンの地でエストバを退け、ハウデンベルクの地でイェ・ソンを滅ぼした。

 三国同時侵攻と国内貴族の反乱を退けることに成功した新王リードリットの名は、大陸中に轟いた。

 そして、このヴォオス中を戦場とした激しい戦いは、リードリットの名と共に、この後長く語り継がれることになる。


 そのリードリットの功績を支えた武将と軍師たちの名も、大陸中に知れ渡ることになる。

 その中で特に人々の注意を引いたのは、これまで全くの無名であった二人の将軍の武功であった。


 イェソン軍が誇る三大将軍をたった一人で屠ってみせたシヴァ――。


 たった一人でイェ・ソン軍十万を足止めし、最後に国王シイングドルジの首級を上げ、ヴォオス軍を勝利へと導いたオリオン――。


 共に黒衣を纏う二人の将軍は、新王リードリットを支える二振りの剣にたとえられ、<黒の双刃>を呼ばれるようになる。

 このいかにもアレな(、、、)二つ名を、シヴァがひどく嫌ったことは、ヴォオス王宮に勤める者たちだけが知る事実であった――。

 

 まず始めに一言、


 すいませんでしたっ!


 今日中に、などとほざいておいて、ものの見事に間に合いませんでした。

 理由は単純です。

 仕事から帰宅し、晩御飯食べ、一息ついた直後に落ちたからです。

 座椅子に変な体勢で眠りこけてしまったため、首、背中、腰、膝と、そこら中がめちゃくちゃ痛いです。

 先週末から休日出勤の強要に始まり、強要した当人はへらへらしながら水曜日から二日間検査入院とほざいて休み、結局今週は出てきませんでした。

 その人間が処理するはずだった仕事は当然のごとく南波のもとに転がり込みます。

 ちなみに南波が休んだ場合に発生する仕事の遅れは、南波自身が残業して埋め合わせしなくてななりません。

 正直くたくたです。

 過労死の記事などを目にすると、次は俺かと不安になります。

 まあ、そこまで追い込んでくるなら、あの手この手諸々使って逆に反撃するまでの話ですがね(ニヤリ)


 すみません。

 変なテンションで愚痴が止まらなくなりました(笑)


 え~、何とか無事(?)三国同時侵攻編もまとめることが出来ましたので、ここで一度書き溜めを行おうと思います。

 書き溜めが尽きて以降、何とか週に一話上げてきましたが、仕事の流れに思い切り左右されてしまい、ラスト数話は実に無様な結果となってしまいました。

 この反省を踏まえて、書き溜めたら投稿を再開し、追いつかれたらまた書き溜めを行うという、ハン〇ー×ハ〇ター方式で行こうと思います。


(なんかこの文章怒られそうだな)


 書き溜められればすぐにでも再開いたしますが、遅くとも大晦日か元旦には書き溜めが足りなくても戻ってくるつもりです。

 ようやく本当の意味での本編に入れるので、一度プロットの見直しもしようと思います。

 こんなにがっつりと三国同時侵攻編を書くつもりはなかったもので、少々キャラの動きが変わってしまったため、軌道修正が必要になってしまいした(苦笑)


 おそらく今日か明日くらいに、おまけの語録を投稿しようと思います。

 例によってほぼ人名録のようなものになりますので、興味のない方は間違ってお読みにならないようご注意ください。

 ですが、これまでと違い、こちらのメモ書きの方をメインにしたため、これまでの語録より情報量は多めとなっております。

 三国同時侵攻編以降に出てくるキャラや地名等が含まれているのでその辺りを調整してからの投稿となるので実際のボリュームがどれくらいになるかまだわかりませんが、文字数だけで見れば下手をすると最長になるかもしれません。

 設定マニアの方だけご覧ください。

 いや、マジでっ!


 長々と駄文を垂れ流してしまい申し訳ありませんでした。

 これでしばしのお別れとなります。

 ヴォオス戦記にまで辿り着くような活字中毒者=勇者の皆様の活字ライフが、今後も素敵な出会いであふれることを願っております。

 それでは皆様、また近いうちにお会いしましょう。


 ヴォオス戦記を読んで下さり、ありがとうございましたっ!

 

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