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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
74/152

覆す二人

「くそっ! しつこい奴らめっ!」

「絶対に逃がすなっ!」

 ヴォオス兵とイェ・ソン兵の怒号が交差する。

 ワイデルウォメルの野は、イェ・ソン軍がヴォオス軍を押し包むような形で絡み合い、殺し合いを続けていた。


 エルフェニウスがワイデルウォメルの野を大きく迂回させて背後を急襲させた部隊が、サルヒグレゲンによって阻まれたことにより、逆転の最後の機会を逃していた。

 イェ・ソン軍も乱戦など本来望んではいないが、エルフェニウスの策にハメられ、食料と多くの将兵を生き埋めにされてしまったことで、何としてもこの場でヴォオス軍を打ち破り、食料を奪わなければならない状況となっていた。


 最後の一手を破り、勢いに乗るイェ・ソン軍に対し、これに対抗つつ撤退しなければならないヴォオス軍は圧倒的に不利な状況にある。だが、戦況を度外視し、状況だけを見れば、危機的状況にあるのは食料を失ったイェ・ソン軍も同様だ。

 当然戦いは激しいものとなる。


 地形的にワイデルウォメルの野の中でもっとも狭まった場所での戦いは、ヴォオス軍を助けていた。

 おかげで攻撃に厚みは増すが、回り込まれて包囲される心配もない。

 イェ・ソン軍の軽装騎兵が上手く機能していないことが、エルフェニウスにとって唯一の救いであった。

 だが、このままでは消耗戦の末に擦り切れてなくなるのはヴォオス軍の方だ。

 撤退するにはどうしても大きな一手が必要だった。


「俺が行こう」

 全体の指揮をエルフェニウスに預け、前線の指揮を執っていたオリオンが本陣に戻り、告げる。

 打開策などない。

 一時、個の力によりイェ・ソン軍を揺るがし、その隙に乱戦を解き、撤退のきっかけを作る。

 それはもはや戦術などではなく、単なる命を捨てた特攻でしかない。

 だがこのまま手をこまねいていれば、ボルストヴァルト軍を含むこの場のヴォオス軍全体が死ぬことになる。

 それはヴォオスという国全体の致命傷となりかねない。

 少数の犠牲でもってこの場の危機を脱し、もって全体の危機を食い止める。

 オリオンは自ら少数の犠牲になろうと言っているのだ。


「お主をこのようなところで失うことは、これから先のヴォオスにとって大いなる損失となる。この場の危機などより、そちらの方がよほどヴォオスの国益を損なう。この場は無理をするべきではない」

 まったく、どこまでも全体が見えている男だ。

 内心でオリオンの洞察力に舌を巻く。

 前線にいながら戦場全体、果てはヴォオス全土の戦況を見ている。

 見ているからこそ、ここで撤退し、再度防衛線を張ることの重要性も見えているのだ。


 ここまで広く戦況を見渡せている将軍はおそらくオリオン一人だ。

 大将軍であるレオフリードでもこれほどまでには戦況を見ることは出来ないだろう。

 こんなところで死なせるわけにはいかない男だ。


これから先(、、、、、)があればの話だ。ここで態勢を立て直せなければ、先の話など無意味になる」

「…………」

 オリオンの一言に、エルフェニウスは返す言葉がなかった。


「……すまん」

 苦渋に満ちた言葉がエルフェニウスの口から絞り出される。

 オリオンに見えた戦況は、エルフェニウスにも見えている。

 そして、エルフェニウスにはオリオンの提案を退けられるだけの策はなかった。


「後を頼む」

 無駄な言葉も感傷も残さず、オリオンはエルフェニウスに背を向けた。

 さすがのオリオンも、これだけの数の差だ。呑み込まれれば命はない。

 オリオン自身、間違いなく死ぬだろうと考えている。

 だが、ただで死ぬつもりはない。

 優秀なイェ・ソン武将を一人でも多く道連れにするつもりだ。


 イェ・ソン兵の個々の実力は高い。

 だが、集団戦術における実力差は明白だ。

 その差を埋めているのが高い指揮能力を誇る各武将たちなのだ。

 彼らを討つことが出来れば、自分が欠けてもエルフェニウスは必ずイェ・ソン軍を食い止めてくれるだろう。

 

 オリオンの脳裏に、ふとカーシュナーのニヤリと笑った顔が浮かぶ。

 また酒を酌み交す約束をしたが、どうやら果たせそうもない。

 あの世に持ち越しだな。

 オリオンはその時のために、長い土産話が必要だなと思った。

 

 イェ・ソン軍幹部全員の首――。


 悪くない。

 そう思い、オリオンはカーシュナーのようにニヤリと笑う。

 だが、不機嫌なまま固まってしまったかのようなオリオンの顔は、まるで羅刹のごとき形相に歪んだだけだった――。









「止めろっ! その男を止めろっ!」

 突如乱れたイェ・ソン軍の中から、悲鳴に似た怒号が飛び交う。

 重装騎兵の壁の一部が一瞬で崩れ去り、まるで地割れが発生したかのように、イェ・ソン軍十万の壁に亀裂が生じる。

 ただ一騎、イェ・ソン軍に特攻したオリオンが、イェ・ソン軍を砕いたのだ。


「陛下とトルイゾリグ様を傷つけた男だっ! 何としてもこの場で殺せっ!」

 そう叫んだイェソン軍の部隊長が、大きく開けた口を喉の奥まで長槍に貫かれ、馬上からもんどりうって地面に落下する。

 次の瞬間オリオンの乗馬に頭部を踏み抜かれた部隊長は、もはや誰かもわからない肉の塊と化す。


 長槍を獲物にイェ・ソン軍に飛び込んだオリオンの周囲に、長槍の長さを半径とした円形の無人空間が出現し、その空間はオリオンの前進と共に移動した。

 イェ・ソン兵たちはオリオンに恐れることなく挑んでいくが、一太刀浴びせるどころか、オリオンが繰り出す長槍と刃を合わせることも出来ずに次々と突き倒されていく。


「下がれっ! 邪魔をすれば味方であろうと容赦せんぞっ!」

 そう叫びながらイェソン軍本陣から駆けつけたのは、オリオンによって右手を斬り落とされたトルイゾリグだった。


「右手の借り、返させてもらうぞっ!」

 吼えると同時にオリオンの周囲に出来た円の中へと飛び込んでいく。

 即座に襲い掛かって来たオリオンの長槍を、トルイゾリグは左手だけで操る長槍で迎撃してみせる。


 互いの槍が絡み合い、必殺の一撃をかわし合いながら、恐るべき速度で互いに連撃を放ち合う。

 隙を窺っていたイェ・ソン兵がオリオンの背後から不意打ちを仕掛けようとしたが、オリオンによって弾かれたトルイゾリグの槍を受け、顔面に大穴を空けて吹き飛ぶと、もはや誰も近づくことが出来なくなる。


 一瞬で十合が交わされ、二十合、三十合と槍先を絡め合う。

 だが、片手を失い大量に出血し、傷口は焼いて無理矢理塞いだだけで、重度の火傷を負っているトルイゾリグは、その後の細菌への感染による高熱により、著しく体力を消耗していた。

 表面上はそんな状態をまるで感じさせずに全体の指揮を執っていたが、オリオンを相手に長く自分の身体をごまかし続けることは出来なかった。


 次第にさばききれない一撃が生じ始め、トルイゾリグは手傷を負い始める。

 不利を悟った兵士たちが何とか介入しようとするが、当のトルイゾリグ本人がそれを望まないため介入する隙を見出すことが出来ず、兵士たちの焦りは高まるばかりであった。


「どけいっ!」

 そこに割り込んで来たのが、別方面で指揮を執っていたダグワボルドだった。

「何をしに来た。自分の持ち場に戻れ」

 援軍に来た以外理由などあるはずがないにもかかわらず、トルイゾリグはダグワボルドを追い払う。


「総指揮官として職務を放棄して、こんなところで一人遊んでいるお主に、命令される筋合いはない。俺はお主と同格の大将軍だ。筋違いの命令をするなっ!」

 そう言うとダグワボルドはトルイゾリグなどお構いなしにオリオンに突きかかって行った。

 先ほどの兵士と同様オリオンの捌いた流れ矢ならぬ流れ槍が襲いかかったが、ハエでも払うように素手で槍の穂先を叩き落とすと、オリオンの間合いの内に踏み込んだ。

 斜め後方から、オリオンの背中目掛けて長槍を繰り出す。


 これに対し、オリオンは振り向きもせず、トルイゾリグに対して放った長槍を引き戻す勢いを利用し、ダグワボルドへと長槍の石突を放った。

 予想外の反撃に虚を突かれたダグワボルドは、危うく顔面を潰される寸前でオリオンの長槍の石突をかわした。


「……足手、まとい、だぞ。ダグワ、ボルド」

 慌てて体勢を立て直すダグワボルドに、トルイゾリグが皮肉を放つ。

「息を切らしながら何をほざいておるっ! お主の方こそ足手まといだっ! さっさと本陣に戻れっ!」

 皮肉を受けたダグワボルドは、怒るのではなく呆れたような声で怒鳴り返した。


「つまらん言い争いをするなっ!」

 そこに新たな声が加わる。

 イェ・ソン兵たちの間から歓声が沸き起こる。

 現れたのはパンツァグバータルであり、この場にイェ・ソン三大将軍が揃ったのだ。


「これで終わりだっ!」

「観念しろ、ヴォオス人っ!」

「好き勝手に暴れてくれた報いを受けさせてやるぞっ!」


 勝利を確信したイェ・ソン兵たちが、オリオンに罵声を浴びせていく。

 三大将軍に包囲され、青ざめているであろうオリオンを嘲笑ってやろうとその顔を見た兵士たちは、不覚にも恐怖のあまり言葉を失ってしまった。


 狙ってのことではないが、自分の首を取るために、イェ・ソン軍幹部の中枢である三大将軍が目の前に揃ったことに、オリオンは笑ったのだ。

 だが、不機嫌な状態で固まってしまったオリオンの顔は、猛々しく笑うと羅刹も逃げ出しそうな凶相となる。

 そのことを知らないイェ・ソン兵たちは、オリオンが纏う死の気配もあり、口から出かかった言葉を飲み込んでしまったのだ。


「この男は強いっ! つまらん意地など捨て、三人で力を合わせて討ち取るぞっ!」

 そう言うとパンツァグバータルは二人の答えを待たずにオリオンに襲いかかっていった。

 雄敵に三方から囲まれては、いかにオリオンといえども分が悪過ぎる。

 オリオンは体力が限界を過ぎたトルイゾリグに一気に詰め寄ると、三大将軍の包囲から脱出を試みた。

 だが、いくら体力が尽きかけているとはいえ、三大将軍の筆頭とも言える立場にあるトルイゾリグだ。

 止めることは出来ないまでも、オリオンが繰り出した攻撃に何とか耐え、一瞬だが足止めをする。


 そしてダグワボルドとパンツァグバータルには、その一瞬で十分だった。

 足を止めたオリオンに一気に詰め寄り、再度包囲する。

 だが、包囲したと思ったのもつかの間、オリオンは手負いのトルイゾリグにこだわらず、勢いに乗って詰め寄って来たパンツァグバータルに向かって、馬ごと体当たりを仕掛けていった。


 虚を突かれたパンツァグバータルであったが、巧みに乗馬を操り、すんでのところでかわしてみせる。

 見事な馬術の技量であったが、虚をつくという意味において、オリオンはパンツァグバータルのはるか上を行っていた。

 オリオンは乗馬をパンツァグバータルに向けた直後に、馬上から一瞬で宙に躍り上がり、パンツァグバータルの頭上を取ったのだ。


「上だっ!」

 ダグワボルドが慌てて叫ぶ。

 パンツァグバータルはダグワドルジの言葉にいちいち上を見上げて確認したりしなかった。

 咄嗟に頭上で両腕を交差させ、頭部を守る。

 直後に大岩でも投げつけられたのではないかと思える重い一撃が襲いかかり、パンツァグバータルは馬上から蹴落とされてしまった。


 オリオンはパンツァグバータルを蹴りつけた勢いを利用し、そのまま乗馬の背中へと戻る。

 そして馬首を転じると、蹴り落とされはしたが、オリオン同様その勢いを利用して空中で一回転して地面に着地したパンツァグバータルに襲い掛かった。


 長槍を構え、後は貫くだけの状態となったオリオンに、恐ろしいほどの遠間から、トルイゾリグの突きが襲いかかってくる。

 カーシュナーを超える長身に、異常に長い手足、強靭な握力と腕力を有するトルイゾリグにしか出来ない攻撃だ。


 パンツァグバータルに狙いを定めこそしたが、残る二人から目を離すような真似をするオリオンではない。

 当然トルイゾリグの攻撃は察知しており、即座に標的を切り替えトルイゾリグの攻撃を跳ね退ける。

 そこに今度は一拍遅れてダグワボルドの攻撃が襲い掛かり、こちらもオリオンは見事に捌いてみせた。

 だが、二撃を防いだその僅かな時間の間にパンツァグバータルは馬上に戻り、三撃目の槍をオリオンに繰り出していた。


 ここからは囲むことに失敗した三大将軍とオリオンの真っ向勝負となった。

 三対一で真っ向勝負というのもおかしな表現だが、オリオンがイェ・ソン軍で最強の組み合わせと考えられているトルイゾリグ、ダグワボルド、パンツァグバータルの三人を向こうに回し、一歩も引けを取らずに戦いっているため、多勢に無勢という空気にならないのだ。


 介入の余地がない激しい戦いを見守るイェ・ソン兵たちは、始めはオリオンの実力を低く見なし、否定しようとしていた。

 先の襲撃でトルイゾリグが右手を失い、シイングドルジが深手を負った事実も、ヴォオス軍が卑怯にも不意打ちを仕掛けて来たがための不幸な偶然と考えようとしていた。


 だが、目の前でこれほどまでに人間離れした強さを見せつけられては、頑迷なイェ・ソン兵といえども認めないわけにはいかない。

 そして一度認めてしまうと、イェ・ソン兵たちはオリオンに対する恐怖を否定することが出来なくなる。

 頑迷な性格な分、一度受け入れた恐怖を振り払うことは難しかった。

 四人の戦いを囲む兵士たちの輪が、無意識の内に広がる。

 植え付けられた恐怖が、オリオンから距離を取りたがったのだ。 


 不意に、広がった兵士たちの輪が割れる。

 軽装騎兵を指揮していたエルスバアトルが、突然自軍の戦線が乱れたことに異常を察知し、駆けつけたのだ。

 エルスバアトルは一目で状況を把握すると、一瞬の迷いも見せず、オリオンの側頭部目掛けて矢を射放った。


 オリオンは周囲のイェ・ソン兵の乱れから、新たなイェ・ソン軍幹部が現れたことを悟っていた。

 そして、不意を衝いて放たれたはずのエルスバアトルの矢を、かわすのではなく槍先の腹で受け流し、ダグワボルドの方へと向けた。

 勢い衰えぬまま飛来したエルスバアトルの矢を、ダグワボルドが慌てて回避する。


「考えなしに矢を放つなっ!」

 ダグワボルドの怒声がエルスバアトルの鼓膜を揺らす。

 だが、その怒声はエルスバアトルの耳には届いたが、意識にまでは届かなかった。

 エルスバアトルが、オリオンが見せた神技に呆気に取られていたからだ。


 その人とは思えないわざに、兵士たちが戦慄を覚えたのに対して、エルスバアトルは興奮を覚えていた。

 普段はあまり感情を表に出すことのないエルスバアトルだったが、この時だけは湧き上がる興奮に笑っていた。

 もっとも、右目が刀傷で潰された鋭い相貌のエルスバアトルの笑いは、周囲の兵士を怯えさせただけであった。


 弓を鞍に戻すとエルスバアトルは近くにいた兵士から長槍を奪い取り、戦いの輪に飛び込んでいく。

 本来の得意武器は双剣であるが、さすがに長槍相手では間合い的に不利である。

 もっとも、これが一対一の戦いであれば、エルスバアトルは迷わず双剣を抜き放っていた。

 だが、三大将軍も長槍を手に戦いっている。

 下手に双剣の間合いまで踏み込むと、ダグワボルドあたりの長槍に貫かれかねない。


 もともと余裕などあり得ようはずのない三対一の戦いが、四対一へと変化し、イェ・ソン兵たちの間にようやく余裕が戻ってくる。

 だが、それが早計に過ぎたことを兵士たちは直後に思い知らされることになった。

 戦いが四対一に変わったにもかかわらず、勝敗の天秤がイェ・ソン側に傾かなかったからだ。


 繰り出される四本の長槍は、まるで空間を埋め尽くすかのように、鋭い穂先を連続してくり出す。

 それはまるで百本の槍が同時に繰り出されたかのように見えた。

 鋭い穂先で出来た壁がオリオンに迫る。

 だが、オリオンはこの攻撃を長槍の一振りで弾き飛ばしてみせた。


 イェ・ソン兵の間から、うめき声が漏れる。

 だが、この一撃でオリオンの長槍はひしゃげて使いものにならなくなってしまった。

 一瞬の遅滞もなく長槍を捨てたオリオンは双剣を抜き放ち、間合いを詰める。

 これを見たエルスバアトルも、長槍を投げ捨てると得意の双剣を抜き放った。


 間合いに優れる武器を失ったオリオンが、状況的に不利になるかと思われたが、展開はむしろその逆で、簡単に長槍の間合いの内側に入ってくるオリオンに対し、三大将軍たちは後手に回る展開となってしまう。

 双剣に持ち替えたエルスバアトルも、三大将軍たちが繰り出す槍に邪魔され、オリオンと一合も合わせることが出来ずにいる。

 もっともそれは、オリオンが常にエルスバアトルとの間に三大将軍たちが入るように立ち回っているからであった。


 苛立ちの募ったダグワボルドが長槍を捨て、長剣に持ち替えてオリオンに挑む。

 これを見たパンツァグバータルも、長剣に持ち替え、間合いを詰めていく。

 トルイゾリグは右手の恨みを一度脇に置き、三人の援護に回る。

 戦いの速度が一気に加速し、五人の戦いは、戦場のすべての物音を圧し、響き渡った――。









 オリオンの活躍により、イェ・ソン軍の中核を担う三大将軍に加え、軽装騎兵の指揮を執っていたエルスバアトルまで指揮から離れたことにより、イェ・ソン軍の連携が徐々に鈍り出し、ヴォオス軍は絡みつくイェ・ソン軍を振り解きつつあった。

 だが、その代償として、一人イェ・ソン軍へと飛び込んだオリオンは完全に包囲されてしまい、もはや救出のための部隊を派遣することは不可能な状況になっている。


 後からオリオンの特攻を知らされたジィズベルトが救出部隊の派遣を願い出て来たが、エルフェニウスは首を縦に振らなかった。

 仮に部隊を編成し、派遣しても、現状の戦力ではイェ・ソン軍の包囲を突破出来るだけの力量の持ち主がいない。無駄に兵を失うことにしかならず、それは特攻をかけたオリオンの望むところではない。

 

 ならばとジィズベルトが救出部隊の指揮を志願したが、オリオンが不在の今、ヴォオス増援軍を指揮し、撤退させられるのはジィズベルトしかいない。

 確かにジィズベルトの力量なら、イェ・ソン軍の包囲を突破することが出来るかもしれないが、その代わり、今度はヴォオス軍の撤退が困難になる。

 ジィズベルトが指揮している側の軽装騎兵は、グユククルク率いるイェ・ソン軍軽装騎兵部隊の攻撃を受けているからだ。


 それではオリオンが特攻をかけた意味がなくなってしまう。

 ここは何としても撤退し、態勢を整えて次の戦いに備えなくてはならないのだ。

 ジィズベルトは歯噛みする思いで撤退の指揮へと戻った。


 この後イェ・ソン軍の動きがさらに鈍り、ヴォオス軍はこの場での戦いからようやく脱することに成功する。

 最後までしつこく食らいついて来たのは、グユククルク率いる部隊であったが、最後には軍全体の動きに合わせ、兵を退いた。

 ワイデルウォメルの野での初戦のように、攻勢に驕り、突出し過ぎることを避けたのだ。


 そして戦場には、オリオンを相手取った戦いのみが残された――。






 



 オリオンは戦場の気配から、ヴォオス軍が撤退に成功したことを悟った。

 これにより、戦場の敵意の全てがオリオン一人に向けられることになる。


 イェ・ソン軍の四将は強かった。

 それぞれ我の強い性格をしていることは、手を合わせてすぐに理解した。

 多少柔軟性があるのがパンツァグバータルぐらいで、他の三人は、それぞれが自分の手でオリオンを倒すことしか考えていないように感じられた。

 

 だが、実際に戦ってみると、そこには確かな連携が存在した。

 攻めるうえでの連携ではなく、守りの連携だ。

 それも、直接オリオンの攻撃を防ぐのではなく、生じたい隙をオリオンが衝こうとするのを攻撃によって防ぐのだ。

 見様によっては互いを囮とし、オリオンに攻撃する隙をうかがっているだけにも見えるが、激しいがそれでも守りに重点を置いているとわかる四人の立ち回りから、それぞれが互いの隙を補いつつ戦っているのがわかる。


 計算外の連携に、オリオンは攻め方を変えざるを得なくなる。

 オリオンとしては、少なくとも目の前の四名と、国王であるシイングドルジの首は確実に取りたかった。 

 そのためにも、現段階で深手を負うような捨て身の戦法を取るわけにはいかない。

 だが、こうまでしっかりと守りを意識して戦われると、さすがのオリオンも決定機を見出すことが出来ない。

 このままでは決定機が訪れる前に、オリオンの体力の方が先に尽きてしまう。

 状況を変化させるために、オリオンは逃げる(、、、)ことにした。   


「今さら逃げられると思うかっ!」

 守り重視に立ち回っていたため、オリオンが手を引くと、あっさりと間合いが広がる。

 何をする気かと身構えていたため、不意にオリオンが馬首を返したことに対し、四人とも対応が取れない。

 一瞬の隙を衝いて間合いから遠ざかってしまったオリオンの背中に、ダグワドルジが怒りをにじませ怒鳴りつける。


 その怒声を無視してオリオンは戦いを見守ていた兵士の壁に突っ込む。

 双剣を一閃させ、二つの死体を生み出すと、オリオンはイェ・ソン軍の中に割って入った。

「その男を逃がすなっ!」

 トルイゾリグの命令が轟く。

 オリオンの強さに対する恐怖が身体に染みこんでしまったため、咄嗟の対応が出来ないでいたイェ・ソン兵たちが目を覚まし、オリオンに襲い掛かる。


 オリオンに本気で逃げるつもりはない。

 だが、さすがに四対一の状況は、そう簡単に打開出来るものではなかった。

 一度混戦に持ち込むことで、オリオンは四人の武将をバラバラにし、各個撃破出来るよう画策したのだ。

 

 もっとも、これは不確定要素が多くなる賭けだった。

 混戦は意図しない結果を生むことがある。

 恐怖に支配されたまま戦うイェ・ソン兵たちが、味方に当たることなどおかまいなしに、弓を乱射し始めたのもその一つだ。


 イェ・ソン軍はいくつもの部族の集合体だ。

 オリオンが逃げ込んだ部隊に対し、その隊を編成する部族とは異なる部族から矢が射かけられたことで混乱が生じ、仲間割れに発展する。

 それ自体はオリオンにとても好都合なのだが、オリオンを狙って繰り出されたわけではない流れ矢が、偶然オリオンの乗馬を射抜き、オリオンは混戦の只中に放り出されることになってしまった。


 自分を狙って放たれた矢であれば、オリオンの優れた五感は捕らえることが出来る。

 だが、殺意も敵意もなく放たれた矢を混戦の中で捕らえるのは、さすがのオリオンでも難しかった。

 倒れる乗馬の下敷きになることは避けたが、敵の只中で機動力を失ったのは大きな痛手だった。

 即座にイェ・ソン兵の馬を奪おうと試みたが、騎馬の民であり、部族抗争も起こるイェ・ソン人は馬の奪い合いになれている。

 オリオンの乗馬が倒れると、周囲の兵士たちはとどめを刺しに行くのではなく、むしろ馬を奪われることを回避するために、オリオンのそばから逃げ出した。


 混乱状態にあるイェ・ソン兵の間を抜けてエルスバアトルが飛び出してくる。

 即座にオリオンの状況を見て取ったエルスバアトルは、双剣を鞘に納めると弓を取り、一瞬の遅滞もなく矢を射かけていく。

 

 大気を割いて飛来したエルスバアトルの矢を、オリオンが弾く。

 だが直後には二の矢がオリオンに襲い掛かっていた。

 それも弾いたオリオンは、矢を射かけられながら、射かける相手へと突き進んだ。

 目にも止まらぬ速射を、一歩一歩距離を縮めながら捌いていく。

 その人間離れした業に改めてイェ・ソン兵たちが恐れを抱く中、放つ矢をことごとく捌かれているエルスバアトルは、表情一つ変えずに射続けてく。


 そしてオリオンの距離になる前に、矢を構えたまま足だけで乗馬を操り、巧みにオリオンの間合いを外していく。

 エルスバアトルはそのままオリオンとの間に一定の距離を保ちながら矢を射かけ続けた。

 混乱に巻き込まれずに済んだ兵士たちがこれに続き、オリオンは矢の雨による包囲網に捕らえられてしまった。


 この場に駆けつけなかった三大将軍により、一時的な混乱もすぐに終息し、オリオンはまだ一人の敵将も討てないまま、窮地へと追い込まれることになったのであった――。









「なんだ?」

 グユククルクの後方支援として軽装騎兵の後続を指揮していたバトゥスレンが、背後から(、、、、)迫る馬蹄の音を捉え、耳を澄ます。

 戦いの喧騒の方が近いが、バトゥスレンは惑わされることなく意識を集中し、目的の音を拾い上げる。


「ヴォオス軍め、懲りずにまた奇襲を仕掛けて来たか」

 バトゥスレンは馬蹄の響きのかすかな重さから、音の主がイェ・ソン軍馬ではなくヴォオス軍馬であることを悟る。


「三千ほど続けっ! 馬鹿の一つ覚えを叩き潰しに行くっ!」

 バトゥスレンは他の将たちの意識が前がかりになっている中、危うくシイングドルジを討たれかけたことを受け、再度の襲撃の可能性に対して意識を割いていた。

 だからこそこれほど早く反応出来たのだ。


 血気にはやりがちな者が多いイェ・ソン軍の幹部の中で最も冷静で、抑え役に回ることの多いバトゥスレンは損な役回りが多い。

 それを率先して受け持つバトゥスレンに対する将兵の信頼は厚い。

 バトゥスレンの一声に、三千ではなく、五千もついて来てしまう。

 追い返そうと考えたバトゥスレンであったが、冷静に状況が見えている分、この場の戦いがもうすぐ終息し、一度兵を退くことになると見切っていた。

 であれば、このまま五千率い、ヴォオス軍の襲撃部隊を殲滅した方が、明日以降の戦いがより有利になる。

 そう考えたバトゥスレンは、苦笑を漏らしただけで、そのまま五千の兵士と共にヴォオス軍の襲撃部隊の迎撃に向かった。

 結果としてこの判断は、まったく逆の意味でバトゥスレンを裏切る。

 五千でも足りなかったのだ。


 北から気配を隠す素振りも見せずにヴォオス軍が突進して来る。

 その数約五千。

 バトゥスレンはこの時五千をそのまま連れて来て正解だったと思った。

 そして待ち受けるのではなく、自ら先陣を切り、迎撃に向かう。

 従う兵士たちの士気は、前線で戦う兵士たちを上回っていた。

 これはバトゥスレンの人徳のなせる業だった。


 互いを認識した両軍が速度を上げ、その距離が一気に縮まる。

 バトゥスレンはヴォオス軍の先頭を駆ける黒衣の偉丈夫に狙いを定めた。

「先頭の男がおそらく指揮官だっ! 奴は俺が仕留めるっ! お前たちは一兵たりとも生かして返すなっ!」

「おおっ!」

 バトゥスレンの檄に、兵士たちは気合の乗った雄たけびで答えた。


 そして、バトゥスレンに目をつけられた敵将を憐れみつつ嗤う。

 バトゥスレンは三大将軍ほど体格には恵まれていないが、長槍を石突きの辺りで持ちながら、まるで小枝でも振っているかのように振り回せる怪力の持ち主だ。

 もちろんその技量は力にだけ頼ったものではなく、トルイゾリグに勝るとも劣らない技量の持ち主でもある。


 明確な格付けはされていないが、イェ・ソン軍におけるバトゥスレンの実力は、三大将軍に次ぐ四番手と目されていた。

 兵士たちが敵将を嘲笑いつつ憐れむのも、バトゥスレンの実力に全幅の信頼を寄せているからこそであった。


 敵将もバトゥスレンに気づき、愚かにも狙い定めて突き進んでくる。

 左右を走るバトゥスレンの側近は、敵がバトゥスレンに一突きで馬上から引き剥がされ、しばらくの間まるで槍飾りのように自分たちと並走するいつもの光景を脳裏に再生していた。

 黒衣の敵将が目前に迫る。

 負傷でもしたのか、片目を布で覆い、何も知らずにニヤついている。


 側近たちはその馬鹿面が驚愕で歪む瞬間を見逃すまいと、遅れずバトゥスレンについていく。

 ついに長槍の間合いに入り、バトゥスレンが敵将の喉元目掛けて長槍を突き出した。

 その一撃を捌いてバトゥスレンに突きを入れるつもりなのだろう。

 敵将は一拍遅れて長槍を突き出した。


 これまでの多くの戦の中で、バトゥスレンの突きを捌けた者はいない。

 それはトルイゾリグにも不可能なことだ。

 真っ直ぐに進むバトゥスレンの長槍は、その怪力に支えられ、どんな捌きも跳ね除け敵を捉えるのだ。


 バトゥスレンの長槍と、敵将の長槍が交差し、火花を散らす。

 次の瞬間、側近たちは敵将がバトゥスレンの長槍に貫かれ、驚愕に顔面を硬直させながら、馬上から引き剥がされる姿を幻視していた。


 だが現実は違った。

 敵将はこれまで誰も成し得なかったバトゥスレンの長槍の一突きを、捌くのではなく、いともあっさりと跳ね除け、そのまま一突きで馬上からさらい、側近二人の間を皮肉気な笑みを浮かべながら通り過ぎて行ったのだ。


「えっ……」

 意識が現実に追いつかず、自分たちの間を通り抜けて行く敵将を、側近二入は呆けたように見送る。

 そして彼らはそのまま現実を認識することなく敵将に続いたヴォオス騎士に討たれ、馬上から地面へと急降下していった。


 敵将はバトゥスレンの身体を片腕一本で高々と掲げると、長槍を一振りしてごみのように捨てた。

「蹴散らせっ!」

 そしてひと声吼えると、誰よりも先に呆然とするイェ・ソン軍へと飛び込んで行った。


 ヴォオス軍を率いていた敵将の正体は、ヘルヴェンからハウデンベルクを目指していたシヴァであった――。









 ライドバッハの命により、ヘルヴェン地方での戦いには参加せず、ハウデンベルク城塞への援軍に向かっていたシヴァは、嫌がる兵士たちを無理矢理引き連れ、平地ではなく<北の魔境>外縁部を一直線に突っ切り、ハウデンベルク城塞を目指していた。

 <北の魔境>外縁部の中央は、南に大きく張り出し、シュタッツベーレン領に接している。

 そのため、これを迂回しようとするとかなりの遠回りとなるため、シヴァは<北の魔境>外縁部を突っ切ることにしたのだ。


 もっとも、<北の魔境>の状況に関しては、シヴァも五大家による情報開示を受けた者の一人であったことから、奥地へと踏み込まない限り危険はかなり低いと承知していた。

 だが、兵士たちの胆力の良い鍛錬になると考え、その事実は伏せたまま<北の魔境>を突き進んで来た。

 従わなければならない兵士たちはたまったものではない。

 そして、そろそろ<北の魔境>から出てハウデンベルク城塞を目指そうかと考え始めた矢先に大火事に遭遇し、否が応もなく<北の魔境>から抜け出ることになったのである。  

 

 途中サルヒグレゲンの策により<北の魔境>奥地から出現した魔物の残党に遭遇するなどし、回避のためにやむなく南に向かったところ、ヴォオス軍とイェ・ソン軍の戦闘の跡を発見、これを追跡し、ワイデルウォメルの野へと入ったのであった。


 ここまでひたすら強行軍で来たシヴァ率いる部隊は、疲労を隠せない状態であったが、仲間の苦境が察せられる状況に、気持ちは疲労よりも焦りを覚えていた。

 そしてようやく戦場の最後尾を捉えるところまで来ると、その規模の大きさに度肝を抜かれることになる。


 イェ・ソン軍の戦力は、およそ五万と聞かされていた。

 だが、どう考えても戦場の規模は十万を軽く超えるものになっている。

 ヴォオス軍の援軍が別方面からも駆けつけて来た可能性はない。

 国内勢力くらいはシヴァも頭に入れている。

 対貴族連合用の戦力とボルストヴァルト軍以外に、ハウデンベルク城塞へ向けて援軍を出せる余裕など今のヴォオスにはない。


 そもそもこんな場所が戦場になっていること自体が異常だ。

 まったく想定外の事態が起こり、ハウデンベルク城塞は最早陥落したと考えるべきだった。

 シヴァは即断し、状況を確かめることよりも、戦場を荒らすことを優先し、全力で突撃することにした。


 まったく気配を消す努力をしなかったのだ。敵に気づかれるのは当然だ。

 こちらとほぼ同数の戦力が現れ、突撃して来る。

「敵さんが来なすったっ! 軽くひねってやれっ!」

 シヴァはそう言うと一気に加速した。

 これに遅れる者は一人もいない。


 敵将と思しき騎士が、自分目掛けて突進してくる。

 いい度胸だ。

 そう思い、シヴァはニヤリと笑う。


 相手の顔の細部まで見分けられる距離まで来て、シヴァは期待する。

 敵将が、なかなか腕が立ちをそうな面構えをしていたからだ。

 先手を取って敵将が突きを入れてくる。

 良い突きだ。

 シヴァは素直にそう思った。

 そして自分も突きを繰り出す。


 敵将の槍と自分の槍が交差し、なかなかの(、、、、、)手応えが返ってくる。

 だが、シヴァはからんだ敵将の槍を、手首を返すだけで弾き飛ばしてみせた。

 そしてそのまま敵将の喉元に突きを入れる。

 すれ違いざま敵将の側近らしき騎士たちが、戦いの最中だと言いうのに馬鹿面を下げて自分を眺めていたようだが、気には留めなかった。

 あの程度の騎士、いちいち相手にする価値はない。


 直後に背後で二人が斬り捨てられた気配が伝わってくる。

 この瞬間、二人の側近に関する記憶は、シヴァの中から消え失せた。

 そして、槍に引っかかってしまった邪魔の敵将の死体を捨てる前に、一度高く掲げて敵部隊の心を挫いてやる。

 掲げた死体の正体知ったイェ・ソン兵たちに、動揺が走るのがはっきりとわかる。


 そしてシヴァは無造作に槍を振ると、敵将の死体を捨てた。

 今はたかが武将一人の首などにこだわっている場合ではない。

 そして次の瞬間には、シヴァの槍は新たなイェ・ソン人の血を吸っていた。


 イェソン軍幹部の一人、バトゥスレンは、シヴァの記憶に残らないままワイデルウォメルの野に散ったのであった。


 有力な武将の一人を倒したことに気づきもせず、シヴァはイェソン軍を後方から一気に食い破っていった。

 イザーク千騎長の奇襲を退けたことで、背後に対する警戒が薄くなっていたイェソン軍は、唯一背後の守りを意識していたバトゥスレンが倒れたことで、守りに対する指揮が上手く機能せず、シヴァの部隊に容易く退けられてしまう。


 そこに、イザークを死に追いやったツァガーンロー率いる狼部隊が襲いかかった。

 群れの中でも実力上位の狼が、シヴァの乗馬に襲い掛かっていく。

 だが、側面から背後に回り込もうとしたところを、シヴァが逆手に構えた長槍を一突きすることであっさりと阻止してしまう。

 

 バトゥスレン同様槍に引っかかってしまった狼の死体を引き抜くと、シヴァは空中で真っ二つに裂き、狼の血と内臓を仲間の狼たちに浴びせていった。

 そして無言で一睨みする。

 ただそれだけのことで、イザーク率いる部隊を壊滅させた狼たちの群れが、シヴァを追うことをやめる。

 覆しようのない圧倒的力の差を本能で悟ったのだ。


 舌打ちしたそうな顔で、ツァガーンローがシヴァに襲い掛かる。

 この男がいる限り、狼たちはこの男が率いる部隊には手出し出来ないとわかっているからだ。

 先ほどのバトゥスレン同様軽くひねってやろうとしたシヴァであったが、その一撃は、ツァガーンローの剣によって弾かれた。


 もっとも、弾いたツァガーンローの方は、驚愕と腕の痺れのために追撃出来ないでいた。

「戻れっ!」

 いつになく真剣なサルヒグレゲンの声がツァガーンローの耳に届く。

 シヴァとツァガーンローは一瞬だけ睨み合ったが、ツァガーンローはもう一度主の声が響く前に踵を返した。

 その後に狼たちも続いていく。


「あれは、無理だ」

 戻ったツァガーンローに対し、サルヒグレゲンはいつもの皮肉をどこかに置き忘れてしまったかのように呟いた。

 主の言葉に対し、ツァガーンローは何も答えなかったが、その腕の痺れはまだ回復してはいなかった。

 目の前を走り去るシヴァの部隊を見送りながら、サルヒグレゲンは戦いの流れが大きく変わりつつあることを悟った。


 邪魔者がいなくなったことで、シヴァの快進撃が再開される。

 基本背後からの攻撃だ。戦いがシヴァの部隊に優位に傾くのは当然だ。

 この時シヴァには知りようがなかったが、トルイゾリグ、ダグワボルド、パンツァグバータルというイェ・ソン軍の中核をなす指揮官が全員オリオン一人にかかりきりになっていたことで、シヴァに対応するべく指揮を執る者がいなかったのだ。

 

 戦況は全くわからないが、シヴァは勘だけで戦場を切り裂いていった。

 進むべき方向の基準は、一番盛り上がっているところを目指すという、松明に群がる昆虫の様に単純な基準で突き進んでいたが、ここで正しい道を選んでしまえるところが、持っている人間とそうではない人間の違いだった。


 一際盛り上がっている一角へと兵を向ける。

 そこは包囲陣の中心目掛けて矢を射かけ続けている奇妙な一角だった。

 戦いの喧騒は響いてこない。

 だが、矢の雨は一向に降りやむ気配がない。

 いったい何に向かって矢を射続けているのか、シヴァは興味を惹かれた。


 包囲陣を突き破り、無理矢理割り込んでいく。

 イェ・ソン軍は突然現れたヴォオス軍に驚くが、イェ・ソン軍以上に驚いたのは、シヴァの方であった。

 包囲陣の中央に、数万本の矢に囲まれながら、それでもなお立ち続ける一人の男の姿がある。

 男は降りやまぬ矢の雨の中、今も降りかかる矢を切り払い、周囲に矢の山を形成し続けている。


 それは、オリオンであった――。


 シヴァは片目を塞いでいた布を押し上げた。

 その下から、無傷の目が現れる。

 シヴァは事ここに至ってまだ、修行のために片目を封じたままでいたのだ。

 バトゥスレンもツァガーンローでさえも、シヴァの本気を引き出すには至らなかったということだ。


 だが、シヴァはここで自身に課した制限を解く。

 そしてシヴァはニヤリと笑った。

 もっとも、その目は異様に輝き、そこには一片の笑いの気配もない。

 それはまさに、笑うことを覚えた肉食獣の笑みであった。


 シヴァは矢を射かけ続けている部隊に突進した。

 これまで片手で振り回していた長槍を、両手で握り構えている。

 敵兵が目の前に迫る。

 シヴァは槍を一閃させた。

 十人の兵士たちが同時に馬上から吹き飛んでいく。

 今度は槍先に掛かることもない。


 周囲のイェ・ソン兵が倒れると、シヴァは一歩前に進み、再び槍を一閃させる。

 再び倒れる十人のイェ・ソン兵。

 シヴァはその後も同じことを繰り返し、十回呼吸する間に、百人のイェ・ソン兵を突き殺していた。


 イェ・ソン兵がその異常事態に気が付いたのは、百人が死んだ後だった。

 オリオンに対する恐怖がようやく薄れ始めたころ、新たな恐怖がイェ・ソン軍の前に現れたのだ。

 荒ぶるシヴァの魂は率いる部隊にも火をつけ、シヴァと五千の騎士はイェ・ソン軍の中心で刃の竜巻となって荒れ狂った。


「どこから現れたっ!」

 ダグワボルドが驚愕の叫びをあげる。

 シヴァから最も離れた位置にいるため、余計にその強さを客観的に見せつけられることになり、不覚にもその場から動けなくなってしまう。


 荒れるシヴァの前に立ちはだかったのは、最も近くにいたトルイゾリグだった。

 槍を持たせたらイェ・ソン軍最強と恐れられる男に対し、シヴァは周囲の兵士たちに向ける以上の関心を示さなかった。


「好き勝手に暴れてくれたな。だがそれもここまでだ」

 トルイゾリグは味方の兵士たちが震え上がるような冷たい殺気を込めてシヴァを睨みつけた。

 そしてカーシュナーをも上回る巨体と長い腕を生かし、シヴァ目掛けて超高速の突きを繰り出した。


 シヴァはそれでもトルイゾリグに見向きもしない。

 他の兵士たち同様、一人に焦点を合わせず、広く視界全体に納める片隅に置いている。

 そして、迫るトルイゾリグの突きを無視して、全体へと突きを放った。

 これまで同様十人のイェ・ソン兵がシヴァに貫かれ、宙を舞う。

 その十人の中に、トルイゾリグの巨体はあった。


 ありえない光景を目の当たりにしたイェ・ソン兵たちが、狂ったように悲鳴を上げる。

 本来自身の死に直面しようと悲鳴など上げることのない屈強な男たちばかりなのだが、最強の男が無造作に倒される光景に、正気を失ってしまったのだ。


「片手で俺の相手が務まるかよ。自惚れんな」

 シヴァは胸を貫かれて絶命しているトルイゾリグの死体に、目もくれずに吐き捨てた。


 トルイゾリグの死を理解したイェ・ソン兵の手が止まる。

 ダグワボルドもパンツァグバータルも、あまりのことに兵士たちをとがめるどころか、自分たちも思考停止状態に陥ってしまう。

 だが、そんなイェ・ソン人たちには構わず動いた男がいた。


 オリオンである――。


 矢の雨が途切れると同時にエルスバアトルとの間合いを詰めていく。

 エルスバアトルもまさかの出来事に一瞬オリオンから意識をそらせたが、ダグワボルドやパンツァグバータルほどトルイゾリグとの付き合いが深くなかったこともあり、思考停止にまでは陥らなかった。

 即座に間合いを詰めてくるオリオンに対し、矢を射放っていく。


 これまで何万という数の矢を叩き落としてきたオリオンを、今更一対一で射倒せるわけがなかったが、エルスバアトルは微塵も揺らがず射続けていく。至近距離で放った最後の矢を、オリオンは叩き落としたが、かなり際どい位置での捌きとなった。

 そのためオリオンに僅かではあるが隙が生まれる。


 エルスバアトルはその隙を逃すことなく双剣を抜き放つと、一気に間合いを詰め、オリオンの頭上に双剣の一方を振り下ろした。

 その一撃を、オリオンが冷静に見つめていることに気が付いたエルスバアトルは、自分が放った一矢がオリオンに隙を生じさせたのではなく、そう見せかけられて誘い込まれれたのだと気が付いた。


 だが、振り下ろす剣に動揺は生まれない。

 たとえ誘い込まれようと、結果一瞬でも早く刃を敵に叩き込めば問題ないのだ。

 打ち下ろす剣と、下から迎え撃つ剣。

 どちらが有利か。

 自身の腕力のみならず、体重と馬の勢いを乗せることが出来るエルスバアトルが優位にあることは考えるまでもないことだった。


 さすがに斬り伏せる前にオリオンの剣がエルスバアトルの剣を受け止める。

 だが、このままの勢いで斬り捨ててしまえばいい。

 エルスバアトルの剣先に掛かっている力は、それほど巨大な力なのだ。

 

 さらに力を込めて剣を押し込む。

 エルスバアトルの剣先が、オリオンに迫る。

 だが、それと同時にオリオンの剣先もエルスバアトルの首筋目掛けて迫って来ていた。


「!!!!」


 声にならない叫びが、エルスバアトルの脳内で響く。


 何故奴の剣がここにある(、、、、、)っ!

 オリオンの剣は今、エルスバアトルの一撃を必死に押し返すために、エルスバアトルの剣と切り結んでいるはずだ。

 こんなところに(、、、、、、、)あるはずがないっ!


 だが、そう考えた瞬間、剣を振り下ろす自分の手に、まるで手ごたえがないことに気が付いた。

 それでも身体は本能のまま流れ、剣を振り下ろす。

 エルスバアトルの剣がオリオンに触れた直後、剣は鍔元近くで二つに分かれ、刀身の大部分はオリオンの首の一振りで後方へと回転しながら流されていった。


 ――斬鉄。


 オリオンはエルスバアトルの剣を受けたのではなく、斬ったのである。


 エルスバアトルは唖然とし、その表情は今後二度と変わることなく固定される。

 直後にエルスバアトルの首に滑り込んだオリオンの剣により、唖然とした表情のまま斬り落とされたからだ。

 落ちた首を追いかけるように身体が馬上から滑り落ち、代わりにオリオンの身体が馬上に収まる。

 トルイゾリグに続いてエルスバアトルまで討たれたイェ・ソン軍は、混乱に陥った。

 

 その隙を逃すシヴァとオリオンではなかった。

 この場でこれ以上戦い続けても意味はない。

 包囲を脱し、撤退したヴォオス軍と合流するべく走る。


「……お、追えっ! 奴らを逃がすなっ!」

 落ち着きを取り戻し切れていないダグワドルジの怒声が戦場に響いたが、イェ・ソン軍の動きはひどく鈍かった。


「こんなところに一人でどうした? 迷子にでもなったのか?」

 シヴァが久しぶりに顔を合わせた友人に軽口をたたく。

「お主の方こそこんなところで何をしている? ここはヘルヴェンではないぞ?」

 シヴァの軽口に、オリオンが乗る。

 

「向こうがすこぶる順調過ぎて、仕事にあぶれちまったのさ。近頃のヴォオス軍は真面目だからな。働かないと給料が出ねえから、こうやって職探しに来たのさ」

「ではいいところに来たな。求人広告を<北の魔境>の木にでも張り出そうと思っていたところだ」

「それじゃあ魔物しか来ねえぞ」

「魔物の手も借りたい状況だ。来てくれるのなら<人食い鬼(オーガ)>でもかまわん」

「<人食い鬼>じゃうちの兵士が喰われちまうぞ」

「それは困るな。求人の応募先をイェ・ソン軍にしておこう」

 二人はまだイェ・ソン軍の只中にあるというのに、声を上げて笑った。


「それにしてもうじゃうじゃいやがるな。十万はいるんじゃねえか?」

「もうそんなにはいない。少しは減らしたからな」

 オリオンの言葉に、シヴァは周囲を見渡すと肩をすくめた。

「こりゃ当分かかりそうだな」

 シヴァの言葉に、オリオンは首を横に振った。


「明日で終わる」


 イェ・ソン軍との戦いは、ついに最終局面へと辿り着いたのであった――。

  

 まず始めに、遅くなってしまって申し訳ありません。 

 土曜日中に投稿出来ませんでした。

 今週はオール残業!

 今日というか昨日に至っては、休日出勤プラス残業の極悪コンボを食らいました。


 軽く死ねます。


 次回で何とか三国同時侵攻編をまとめたいと考えているのですが、まだまだ絶賛仕事山積み中により、まったく先の状況が読めません。

 生活していくためには働かなくてはならないところが大人の辛いところです。

 まあ、自分だけがしんどいわけではないので、仕事自体は問題ないんですけどね。


 ヴォオス戦記を毎週お読みくださる数少ない方々に申し訳なくて、そっちの方が辛いです。

 何とかコツコツ書いて来週投稿出来るように頑張りますので、いつもの時間で投稿出来るかはお約束出来ませんが、お待ちいただければ幸いです。

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