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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
71/152

<北の魔境>外縁部

 イェ・ソン軍を切り裂いたヴォオス増援軍は、ボルストヴァルト軍と合流すると、その身を<北の魔境>へと潜伏させた。

 かつては近づくことすら出来なかった魔境も、<守護者>の活躍により、その外縁部は通常の森林と何ら変わらない安全性を取り戻している。

 だが、その奥地は、<守護者>ですら立ち入りを禁止される危険地帯であることに変わりはない。

 <北の魔境>は今もヴォオス人にとって進入禁止区域であり、地形等の情報を知るヴォオス人は限られていた。

 まして異国人であるイェ・ソン人には、<北の魔境>は未知の領域以外の何ものでもない。

 <北の魔境>へと逃げ込んだヴォオス軍を、イェ・ソン軍は追わなかった。


「見事な判断だ」

 ようやく一息つくことが出来たアウグステインが、エルフェニウスを称える。

 だが、エルフェニウスは苦笑を浮かべると首を横に振った。

「オリオンがいなければ、我々は今も、イェ・ソン軍に背を向けて、並んで逃走中のはずです」

 エルフェニウスはそう答えると、オリオンが驚異の視力を発揮したことで事態の急変を察知し、それを逆手に取るまでの経緯を説明した。


「ヴァウレルの末息子が連れて来たという男か。あれも規格外の小僧であったが、そのオリオンとやらも相当なようだな」

 アウグステインはエルフェニウスの話を聞き、感心すると同時に呆れた。

 今の状況は、もちろんオリオン一人で成し遂げられたわけではない。

 だが、オリオン一人が欠けただけで、まったく異なる状況となっていたことは間違いない。

 その影響の大きさに、さすがのアウグステインも驚かされたのだ。


 これ以上の驚きなど想像もしていなかったアウグステインであったが、それもオリオンが突撃で上げた戦果が報告されるまでであった。

「トルイゾリグの右手を斬り落としたあぁっ!!」

「シイングドルジに重傷をおわせただとおぉっ!!」

 前者がエルフェニウスで、後者がアウグステインである。


「現在のイェ・ソンの中枢を担う二人ではないかっ! 片や国王、片やその右腕。ある意味イェ・ソンそのものを斬ったに等しいぞっ!」

 アウグステインが興奮して叫ぶ。

 毛のない頭部に血が上り、真っ赤になっている。


「まさか初陣でそこまでの仕事をしてくれるとはっ! これで戦局が変わるっ!」

 エルフェニウスも興奮する。

 だが、冷静な頭はすでにシイングドルジという強力な指導者を欠いたイェ・ソン軍がどう崩れるかを検討していた。

 上手くすればこのまま撤退もあり得る。


「それはない」

 まるで興奮するエルフェニウスの心を読んだかのように、二人のもとに合流したオリオンが否定する。

 考えの一番甘い部分を見透かされたエルフェニウスは、それまでの興奮を吹き飛ばされてしまう。

ないか(、、、)?」

ない(、、)

 主語を省いた二人だけの会話が成立する。


 もっとも、エルフェニウスは見透かされたことに驚いたのであって、イェ・ソン軍撤退の可能性がなくなったこと自体には別に驚いてはいなかった。

 今回のイェ・ソン軍侵攻は、これまでの略奪目的のものではなく、恒久的な領土侵攻を目的としたものだ。

 退いたところで、もはや再起を図る国力はイェ・ソンにはない。

 仮にシイングドルジが死んだとしても、イェ・ソン軍に撤退はあり得ない。

 にもかかわらず撤退の可能性を考えたのは、エルフェニウスの気の緩みと言えた。


「初陣を見事な戦果で飾ったな」

 気持ちを引き締め直したエルフェニウスが、改めてオリオンの活躍を労う。

 だが、オリオンは小さく肩をすくめただけだった。


「敵の国王は死んだわけではない。それに、どうやら死んでくれても一向に構わないと考えている輩もいるようだ。そういう奴はえてしてひねくれた思考の持ち主であったりする。下手をするとイェ・ソン軍の動きが変わるかもしれんぞ」

 オリオンはシイングドルジに斬りかかった際に感じた、どこか面白がっている不敵な視線を思い出しながら忠告した。


「シイングドルジに取って代わろうという人物がいるということか?」

 エルフェニウスの頭脳が回転を始める。

「いても不思議ではあるまい。シイングドルジ自身が終わらない冬の危機的状況を利用し、打開策を見いだせない上位者たちを実力で排除して王位に就いたのだ。ならば俺もと考える輩が現れてもおかしな話ではない」

 オリオンが自分の考えを付け足す。


「シイングドルジの傷は深い。そしてイェ・ソン軍の総指揮官であるトルイゾリグも右手を失うという深手を負っている。残る三大将軍であるダグワドルジやパンツァグバータルが全体の指揮を代行する可能性もあるが、もしシイングドルジに粛清されずに生き残っている王族に野心的な人間がいれば、実権を取るために動く可能性はある」

 エルフェニウスの言葉にオリオンがうなずく。


「連中がこの<北の魔境>に入ってこないと決めつけない方がいい」

「……そうだな。森林戦が不得手なイェ・ソン軍が、夜戦を仕掛けてこないと決めつけるのは早計に過ぎるな。警戒を厳重にしよう」

 これで今日一日が終わったと考えるのは二流の軍師のすることだ。

 だが同時に、存在しない敵に怯えて休息を上手くとれないのは三流軍師のすることでもある。

 エルフェニウスは警備を厳重にしつつも、夜襲はないと判断し、休息をとることを選択した。


 その選択は正しくもあり、間違いでもあったことが深夜になって証明された――。









「火を放てばいい」

 イェ・ソン軍の本陣に幹部たちが集まり、今後の対策を検討している席上で、あまり歓迎されていそうにない青年がいきなり発言した。


 腹部をオリオンの投げた剣によって貫かれ、重傷を負ったシイングドルジ同様、イェ・ソン人離れした目鼻立ちの美貌の青年は、ダグワボルドを筆頭に、厳しい視線を向けてくるイェ・ソン軍幹部に対し、まるで怯む風もなく見返している。


 本来であれば、シイングドルジがこの場を支配しているため、美貌の青年に発言の余地はない。

 だが、シイングドルジは現在治療中のためこの場にはいない。

 まるでこれ幸いとでも言いたそうな表情で、さっそく口を挟んできた青年を、イェ・ソン軍幹部が歓迎出来ないのは当然のことであった。


 それ故にかかる重圧は半端なものではないのだが、青年はその圧力を、胆力でもって押し返しているというより、幹部たちに対する無関心によってぬるりとかわしている。

 青年はこの場いる誰よりもしたたかであった。


「それはどのような意味でしょうか、サルヒグレゲン様」

 イェ・ソン人の中で、特に遊牧を生業としている者たちは個人主義者が多い。

 それは家族単位で移動を続けながら暮らすため、集団行動に触れる機会が少ないことと、有事の際にも他人に頼ることが出来ない環境で育つため、個人としての完成度を高めないと生き残れないからである。

 己を優先する彼らは、真っ向から逆らうまではしないが、他の国々の人間のように、王族をまるで神のように崇め、媚びへつらうような真似もしない。

 そのため、誰もサルヒグレゲンの相手をしようとしないため、幹部の中で最年長の老人が、仕方なくといった感じで言葉を返した。


「おおっ、偉大なる秘術の守護者、ジャンチブウゲよ。言葉の通りだ。それ以上でも、それ以下でもない」

 人を食ったような返答に、ジャンチブウゲは何も答えなかった。

「相手にするな」

 幹部の中で誰よりもサルヒグレゲンに対して否定的なダグワボルドが、吐き捨てるようにジャンチブウゲに忠告する。

 

「イェ・ソン軍は森林戦を苦手としている。いや、苦手というより、そもそもやったことがない。ヴォオス軍に逃げ込まれた時点で、イェ・ソン軍の攻め手はなくなったと言える」

 ダグワボルドを平然と無視して、サルヒグレゲンは歌うように続けた。


 苛立ち席を立とうとするダグワボルドを、パンツァグバータルが慌てて捕まえ、席に戻す。

 多少の不敬は許されても、さすがに王族の言葉を無視してこの場を去るような真似は、イェ・ソン軍三大将軍であっても許されない。


 ルオ・リシタの戦士たちほど個々の我は強くはないが、それでも個々の主張が激しいイェ・ソン人をまとめるには厳しい軍規が必要であり、それは高い地位にある者が遵守して初めて効果を発揮する。

 不機嫌を隠そうともせず、それでも席に戻るダグワドルジを視界の端に捉えながら、サルヒグレゲンは表情には全く表さずにわらった。

 途端にダグワボルドが殺気立つ。


 表に出さないにもかかわらず、その事実が周囲に伝わってしまうところが、サルヒグレゲンがイェ・ソン軍幹部から忌避される所以ゆえんであり、そのこと自体をサルヒグレゲンが愉しんでしまっていることが、両者の関係が改善されない原因であった。


「どう転んだところで、連中を殺すことに変わりはない。殺し方にこだわる必要もない。森に隠れたのなら、森を焼き払えばいい。剣で突き刺し切り刻むだけが戦いではないのだからな」

 この意見に、聞き流していた各武将たちが表情を変える。


「それはイェ・ソン人の戦い方ではありません」

 ダグワボルドが反論しようとするのを制止するように、パンツァグバータルが反論する。

 口を封じられた形になったダグワボルドが、じろりとパンツァグバータルを睨むが、そもそもサルヒグレゲンを相手にしたくないダグワボルドは、対応の全てを同僚に丸投げすることにし、そのまま石になったかのように黙り込んだ。

 他の武将たちも、いちいちサルヒグレゲンに突っかかるダグワボルドにうんざりしていたので、余計な口は一切挟まない。


「ハウデンベルク城塞を、我らの父祖の命を使って呪い陥とした時点で、我らにイェ・ソン人としての誇りなどない。そうであろう、ジャンチブウゲ?」

 サルヒグレゲンの言葉は、自分自身をも揶揄する響きを持っていた。それだけに、誰もサルヒグレゲンの言葉を非難することは出来なかった。


「……仰る通りでございます。我らは戦に呪印を持ち込みました。この老骨にはもはやどんなきれいごとを口にする資格もございません」

「それは違うっ! 我らの父祖は、自ら進んで呪印を受け入れた。もはや彼らに生きる術は残されていなかった。同じ死なら、せめて子のため孫のためと言ってその身に呪印を刻んだのだ。ヴォオス人がそれを卑怯というのなら言わせておけっ! だが、我らが祖父の、父の犠牲を卑下するようなことだけは、あってはならないっ!」

 パンツァグバータルらしからぬ激しい言葉は、それだけに彼の思いを真っ直ぐに表していた。

 ジャンチブウゲが救われたようにうなずく。

 シイングドルジの求めに応え、『腐毒の呪印』を作り出したのは、ジャンチブウゲだったのだ。


「呪印の使用が、イェ・ソン人の誇りあればこそというのなら、何故その子であり、孫であるお主らに同じだけの覚悟がない。呪印を背負えと言っているのではない。ただ、イェ・ソン人らしく騎兵戦にてヴォオス軍を粉砕することにこだわるなと言っているだけの話だ。父祖が背負ってくれたものになど、はるかに及ばないことを、つまらん面子にこだわって拒むお主らに、はたしてイェ・ソン人の誇りを語る資格があるのか?」

 パンツァグバータルの言葉を受けての正論に、誰も、ダグワボルドですらも返す言葉が見つからない。

 それでいて全員が反感を覚えるのは、サルヒグレゲンの言動に、常にすべてを揶揄するかのような雰囲気が纏わりついているからであった。

  

「代案は?」

 ないとわかっていて、敢えて聞く。

 その態度が見え透いているのも、サルヒグレゲンの悪癖の一つであった。


「わしはやるべきだと思う」

 ジャンチブウゲが沈黙を打ち破る。

 答えはすでに出ている。ただ誰も、自分の方から認めたくないだけなのだ。

 ある意味汚れ役ともいえる立場を、ジャンチブウゲは進んで受け入れ、イェ・ソン軍全体を動かすことを選択した。

 それは、自分の同年代の同朋を、呪いに変えて死に追いやったことに対するジャンチブウゲなりの贖罪であった。

 

 それがわからない者はこの場に一人もいない。

 そもそもサルヒグレゲンの言葉はすべて正しい。

 自分たちはただ、自分の矜持を守りたかったに過ぎないのだ。


「何をどうすればいい?」

 まるで睨みつけるようにサルヒグレゲンに視線を合わせて問いかけたのは、ダグワボルドであった。 

 珍しく皮肉のこもらない笑みがサルヒグレゲンの口角を上げる。


「やるのならば徹底的にだ。十万の炎でもって、ヴォオス軍を容赦なく焼きつくせ。近隣諸国がイェ・ソン軍を恐れるのは、騎兵戦の強さからではない。徹底的に叩き潰すその冷酷さを恐れているのだ。ヴォオス全土に思い知らせてやれ。イェ・ソンの覚悟を。イェ・ソンの恐ろしさを。それもまたイェ・ソン人らしさと知れ」

 

 反感から始まった話し合いであったが、最後はイェ・ソン軍幹部全員が、気合に満ちた表情で立ち上がっていた。

 徹底的に叩き潰す冷酷さ――。

 それこそがイェ・ソン人の戦いの本質だ。

 騎兵戦は単に、最も得意とし、イェ・ソン人が好む戦法に過ぎない。


「幸い松明の用意を気にする必要はない。目の前に材料はいくらでもあるのだからな」

 イェ・ソン軍は確かに森林戦が不得手だ。

 それを見越して森林へと逃げ込んだヴォオス軍の判断は正しいと言える。

 だがサルヒグレゲンは、その正しさ(、、、)に対し、皮肉な笑みを浮かべたのであった――。









 ヴォオス軍で警備に当たっていた兵士は、始めその光景を目にした瞬間、

「星空が地上にあふれたみたいだ」

 と、詩的な感想を抱いた。

 だが次の瞬間、それが火明りであることを理解すると、

「敵襲っ! 敵襲っ!」

 と、詩的世界とは全く無縁の無粋な言葉を喚き散らした。


 その声に慌てて飛び起きた兵士たちだったが、警備兵よりも森へ深く入った地点で野営を行っているため、警備兵たちが見たものと同じものを見ることは出来なかった。

 さすがのオリオンも、重なる木々によって物理的に視界を塞がれてしまっては、自慢の視力も役立てようがなかったが、その優れた嗅覚は、無秩序に広がる煙の臭いをすでに捉えていた。


「イェ・ソン軍は森に火を放った」

 近づいて来たエルフェニウスに報告する。

「いかにも野蛮人らしい蛮行だっ!」

 それに対し、エルフェニウスは苛立ちを吐き捨てる。


「乾燥している冬ではない。そう簡単に生木は燃えん。だが、煙でいぶされる可能性はある。どちらかというと炎よりも煙の方が恐ろしいしな。軍をさらに西に動かそう」

 エルフェニウスの指示により、素早く天幕がたたまれ、ヴォオス軍は西へと移動を開始した。


 イェ・ソン軍の行動は、エルフェニウスの言葉通り、蛮行であった。

 森に火を放たれることは、その中に身を潜める者にとって恐ろしいことではあるが、イェ・ソン軍とヴォオス軍との間に炎の壁を作り出すことでもある。

 炎の壁は等しく両軍を隔てる。

 時間を稼ぎたいのはヴォオス軍であり、短時間で各個撃破し、ヴォオス北東部を支配下に置きたいのはイェ・ソン軍の方なのだ。

 この短絡的行動は、見た目こそ派手だが、イェ・ソン軍にとって得るものはないに等しい。


 手詰まりとなったイェ・ソン軍がやけを起こしたとエルフェニウスが考えるのも無理のない話であったが、そのすべてが、サルヒグレゲンの思惑の内だった。

 <北の魔境>に関する情報は、エルフェニウスですら、ヴォオスがリードリット政権となり、それに合わせて五大家がごく一部の者にのみ情報を開示したことで初めて知り得たものだ。

 この場にいる者でさえ、詳しい内容を知る者はボルストヴァルト家のアウグステインとバウデヴェイン、エルフェニウスとオリオンのたった四人しか存在しない。

 イェ・ソン軍に<北の魔境>に関する情報を持つ者が存在するなどと、考える方がおかしいのだ。


 だが、サルヒグレゲンは<北の魔境>にというより、<全世界の王にして神>魔神ラタトスとその眷属に関して、驚くほど深く正確な知識を有していた。

 それは魔神ラタトスと戦い、これを退けた英雄王ウィレアム一世の子孫であるヴォオス王家と、ウィレアム一世と共に戦った五人の戦士の末裔である五大家が持つ知識量をも上回っていた。


 イェ・ソンの王家は魔神ラタトスに滅ぼされた古代帝国ベルデの末裔だ。

 その起源は神々の時代にまでさかのぼり、魔神ラタトスの侵攻に対し、長く激しく抵抗した。

 イェ・ソン軍がハウデンベルク城塞に仕掛けた『腐毒の呪印』も、元は魔神ラタトスによって古代帝国ベルデに仕掛けられた攻撃だった。

 

 ウィレアム一世と五人の戦士は、神々から力を借り受け、魔神ラタトスに挑んだが、古代帝国ベルデはその魔神ラタトスに挑まれ、正面から受け止め、抗い続けたその果てに滅びた。

 こと魔神ラタトスに対しては、情報量の蓄積そのものが違ったのだ。

 サルヒグレゲンは現在の<北の魔境>について、詳しいことは何も知らなかった。だが、豊富な知識がかなり正確に状況を推測することを可能にした。


 <北の魔境>にヴォオス軍が迷いなく踏み込んだということは、その外縁部はすでに浄化済みということだ。

 だが、『腐毒の呪印』の効果に引き寄せられて魔物がハウデンベルク城塞を襲撃したということは、浄化領域はかなり浅い(、、)と判断することが出来る。

 炎によってヴォオス軍の東側と南側を封じた。

 これを迂回するには、真の<北の魔境>に踏み込むしかない。

 ヴォオス軍がそうしてくれるのであれば、自らの手でヴォオス軍を切り刻みたいと叫ぶ血の気の多い連中とは精神構造が全く異なるサルヒグレゲンは一向にかまわなかった。

 ヴォオス軍が魔物とやりあってくれれば、手間が省けるというものだ。


 だがそうしないことを、いや、そう出来ないことを(、、、、、、)、サルヒグレゲンは知っていた。

 ヴォオス軍は必ず南に飛び出してくる。

 そうなるように、サルヒグレゲンは密かに<北の魔境>の奥深くへと兵を向け、炎を放ったのだ。

 イェ・ソン軍はこのまま<北の魔境>の外縁部に炎を放ちながら西に進み、その時を待てばいいだけだった。

 そしてその時が近いことを、サルヒグレゲンはかすかな大地の震動と、大気の鳴動から読み取っていた――。









「敵襲っ! 敵襲っ!」

 少し前に聞いた台詞セリフが、再び繰り返される。

北の方角から(、、、、、、)、大軍が迫ってきますっ!」

 だが、その後に続いた台詞は、エルフェニウスやアウグステインの予想を大きく覆した。


「馬鹿なっ!」

 アウグステインは思わず叫んだが、大地の震動と大気の鳴動から、謎の集団の存在を察知する。

「父上。これはイェ・ソン軍ではありませんぞ」

「わかっておるっ! <北の魔境>の深部に巣食う魔物が下って来たのだっ!」


「どういうことですかっ!」

 予想外の事態に対応を急ぎたいエルフェニウスが、礼儀を一旦忘れ、怒鳴るように問いかける。

迂闊うかつだった。この炎は囮だったのだっ!」

 そう言うとアウグステインは南に広がる炎の壁ではなく、闇に沈む北の方角へと目を向けた。

 ごく一部でしかないが、<北の魔境>の深部に微かな炎の兆候を見て取る。


「イェ・ソン軍は<北の魔境>の深部に攻撃を仕掛けたのだ。魔物共は当然怒り狂い、報復に出てくる」

「我々とイェ・ソン軍の区別なく、ですね」

「そうだ。魔物にヴォオス人もイェ・ソン人もないからなっ!」

 エルフェニウスの言葉に、アウグステインが苛立ちを吐き出す。


「どうしますか、父上?」

 バウデヴェインが父親に問いかけたが、答えは別の場所から返って来た。

「我々も南へ下るしかない」

 答えたのはオリオンだった。


「今ここで、魔物と戦うことに意味はない」

「わかっておるっ! だがな、そんなことはここまでの仕掛けを施したイェ・ソン軍の連中もわかっておるのだっ! このまま南に下っても、イェ・ソン軍の前に無防備に横腹をさらすことにしかならん」

 打開策のない状況に、毛のないアウグステインの顔に、深いしわが刻まれる。


「イェ・ソン軍は魔物を利用して戦いを仕掛けてきた。こちらも魔物を利用出来ないか?」

「簡単に言うな」

 オリオンの提案に、アウグステインはぼやくように答えた。事実その言葉はぼやきだった。


「……いや、オリオンの言う通りです」

 エルフェニウスはアウグステインに語り掛けつつも、その視線は今この場ではない、少し未来の状況を見つめていた。

 その集中を妨げまいと、アウグステインも黙って言葉の続きを待つ。


「魔物はもう動き出しています。これを止める手立てに心当たりはありますか?」

「ない」

 エルフェニウスの問いに、アウグステインはもっとも短い言葉で答えた。

「ならば魔物を連れて行きましょう」

「何を言っておるっ! 気でも触れたかっ!」

 アウグステインはニヤリと笑うエルフェニウスの正気を疑った。


「可能な限り横陣を広げつつ下る必要がある。夜の闇の中でそんな仕事を任せられるのは、ジィズベルトしかいない」

 だが、オリオンはあっさりエルフェニウスの意図を酌み取り、その戦術の補強を始める。

「そうなると、横陣のもっとも東端を担う部隊が重要になるな」

 エルフェニウスとオリオンが頭の中に描き出した図面を、正確に自分の頭の中に描きながら、バウデヴェインがさらに補う。

 アウグステインも遅ればせながら三人と同じ図面を頭に描き始めたが、その図面の詳細がはっきりするほどに、自身の思考力の衰えを自覚せざえるを得なかった。

 老いるということは寂しくもあり、それ以上に新たな世代の台頭を目撃出来るといことでもあった。


「東端は私が受け持とう」

「東端は俺が受け持とう」

 バウデヴェインとオリオンの台詞が被る。

「二人で担当してくれ」

 そこにエルフェニウスが即座に台詞を被せる。


「バウデヴェイン卿はもっとも守備力の高い部隊を編成して東の端へ、オリオンは夕刻の戦いでイェ・ソン軍の敵愾心を一身に集めている。囮となってイェ・ソン軍の意識を東端に集めるんだ」

 エルフェニウスの指示に、バウデヴェインとオリオンはうなずいた。

「アウグステイン様には全体の指揮をお願いします。イェ・ソン軍と魔物の集団との距離を絶妙に調整する必要がありますのでご注意ください」


「地味なわりに一番重要な役どころではないかっ!」

 アウグステインが抗議する。

「父上、この危機を乗り切れるかどうかは、すべて父上の腕にかかっておりますぞ」

 バウデヴェインが父親に重圧をかける。

「増援軍の命運も託します」

 さらにその上に、オリオンが重圧を重ねる。

「私はジィズベルトとリストフェインに指示を出しに行きますので、後のことはよろしくお願いします」

 そう言ってエルフェニウスが小さく頭を下げる。

 そして直後に三人が同時にその場を後にした。


「な、おいっ! 貴様ら、全部わしに丸投げかっ!」

 アウグステインの怒声が響いたが、さっさとその場を去っていく三人は、立ち止まるどころか振り返りもしなかった。

「ええいっ! やればいいのだろうっ! やればっ!」

 アウグステインは寂しいなどとは言ってはいられない状況に追い込まれたのであった――。









 <北の魔境>は不気味に揺れ動き、振動と鳴動を拡大させていた。

 ヴォオス軍を待ち構えるイェ・ソン軍にも、次第に不安が広がり始める。

 相変わらず何を考えているのかわからない表情を浮かべているサルヒグレゲンも、内心で焦りを覚え始めていた。

 自分の知らない脱出路が<北の魔境>に存在し、ヴォオス軍はすでにそこからイェ・ソン軍の包囲を脱したのではないかという考えが、頭の隅にちらつき出す。


 サルヒグレゲンの計算では、とうの昔にヴォオス軍は飛び出していることになっている。

 だが、現実には魔物の気配ばかりが近づき、ヴォオス軍の気配を未だに掴めていない。

 このままではヴォオス軍ではなく、自分がおびき出した魔物と戦うことになる。

 撤退を指示しようと考えた時、不意にヴォオス軍が現れた。


 背後に魔物を引き連れて――。


 アウグステインの指揮能力は完璧だった。

 イェ・ソン軍が放った炎により、真夜中ではあってもかなりの明かりがあったとはいえ、横陣を可能な限り薄く広げたヴォオス軍は、並の将軍では制御不能なほど広がっていた。

 しかも、まだイェ・ソン軍に炎を放たれていない西側は完全な闇だ。

 それでもヴォオス軍は音もなく秩序立って行動し、背後にひしひしと伝わる魔物の気配を感じながらも、その大き過ぎる気配を利用し、自分たちの気配を魔物の気配に溶け込ませながら、限界まで魔物を引きつけて飛び出したのだ。


 待ち構えていたイェ・ソン軍が、不意を衝かれ、一拍遅れて動き出す。

 だが、動き出せば速い。イェ・ソン軍は飢えた狼のごとき勢いでヴォオス軍に襲い掛かっていった。

 これをバウデヴェイン率いる部隊がしっかりと受け止め、踏み止まってみせる。

 ここを崩されると、薄く広がり過ぎているヴォオス軍は壊滅的打撃を被りかねない。

 勝負の転換点がここにあると、バウデヴェインは理解していた。


 バウデヴェインに守られながら飛び出した残りのヴォオス軍は、バウデヴェインの部隊を軸に円を描くように回り込む。

 これに対してイェ・ソン軍も即座に反応を見せる。

 だがその動きを、たった一人の男が制してみせる。


「シイングドルジやトルイゾリグよりもマシな男はいるかっ! いるのなら出て来いっ! 今度は手首や脇腹などではなく、その首を斬り落としてやるぞっ!」

 オリオン自身は安い挑発と思って発した声に、イェ・ソン兵たちが喰いついたのだ。


「なめるなっ!」

 イェ・ソン兵が怒りのままに挑みかかる。

 今度も長槍を手にしているオリオンは、囲むように突進してきたイェ・ソン兵三騎を、同時に馬上から突き落とした。

 挑んで来たのが軽装騎兵であったため、鎧によるけたたましい音がない分、地面に叩きつけられた三人の身体から、骨の砕ける音が生々しく響く。


「この程度の実力で、よくも「なめるなっ!」などと吠えられるのもだ。言っていて自分の言葉に赤面せぬことだけは褒めてやろう。見事にぶ厚い面の皮だとなっ!」

 カーシュナー譲りの毒舌に、シヴァの毒まで混ざったオリオンの挑発は、イェ・ソン兵をさらに怒り狂わせた。


 オリオン一人を目指してイェ・ソン軽装騎兵が殺到する。

 だが、その刃がオリオンに届くことはなかった。

 国王と総指揮官を倒されたイェ・ソン人たちは、必要以上にオリオンを意識し過ぎていた。

 そのため、ヴォオス軍をはるかに上回る視力を持ちながら、視野の広さでヴォオス軍を下回ってしまったのだ。


 無秩序にオリオンに殺到するイェ・ソン軍の横っ面を、ボルストヴァルト軍が強烈に張り倒す。

 イェ・ソン軍の動きに徹底さが欠けるのは、トルイゾリグ不在の影響であり、加えて作戦指揮を執っているのがサルヒグレゲンであることも一因となっていた。


 イェ・ソン軍がもたつく間、ヴォオス軍はイェ・ソン軍に対し、その位置を入れ替えることに成功していた。

 その意味するところをイェ・ソン軍が知るのは、この直後であった。

 森の中から炎の壁をなぎ倒し、魔物の群れが出現したのだ。

 そこにはハウデンベルク城塞を襲った<屍食鬼グール>や<人面鳥ハーピー>などはおらず、より好戦的な<人食い鬼(オーガ)>などを中心とした魔物があふれ返っている。


 慌てるイェ・ソン軍に対して、ここまでを計算して動いていたオリオンとバウデヴェインは、しつこく迫るイェ・ソン兵を誘導し、魔物の突進の正面にその背をさらさせる。

 もはやオリオンを追うどころではなくなってしまったイェ・ソン軍をよそに、オリオンとバウデヴェインは、さっさと本隊との合流を図った。


 ヴォオス軍、イェ・ソン軍、魔物の群れ、三勢力がもつれることになった<北の魔境>外縁部であったが、イェ・ソン軍を回り込むことに成功したヴォオス軍は、イェ・ソン軍と対するだけで良かった。

 だが、ヴォオス軍と魔物の群れの間に挟み込まれてしまったイェ・ソン軍はそうはいかない。

 良く訓練されたイェ・ソンの軍馬も、魔物に怯え、恐慌状態に陥り、イェ・ソン軍後方は軍としての機能を失いつつあった。


 前方のヴォオス軍を蹴散らすしかないとイェ・ソン軍が心を決めかけた時、サルヒグレゲンの撤退命令が全体に行き渡った。

「何故退くっ!」

 ダグワボルドが食ってかかったが、サルヒグレゲンはまったく取り合わない。


「魔物なんかとやり合ってどうする。最低限の目的は果たした。もうこんなところに用はない」

 そう言うとサルヒグレゲンは、鬱陶しいダグワボルドを追い払うように手を振った。

「これのどこが目的を果たせたというのだっ! 貴様のやったことなど何も上手くいっておらんわっ!」

 普段抑え役となるパンツァグバータルがいないため、ダグワドルジの言葉が荒くなる。相手がシイングドルジであればとうに命はない。


「果たしたさ」

 だが、サルヒグレゲンは王族に対するダグワボルドの不敬など気にも留めずに言い返す。

「ヴォオス軍を森の中から引きずり出した」

 サルヒグレゲンの言葉に、盛大に文句を言おうとしていたダグワボルドの口が言葉を失う。

 そもそも<北の魔境>に逃げ込んだヴォオス軍をどうやって倒すかを検討しているところにサルヒグレゲンが口を挟み、そのまま策が定められたのだ。

 森林戦でなければいくらでもやりようがある。


「騎兵戦が出来る条件を整えてやったつもりだったが、自信がないのか?」

「ふざけるなっ! ヴォオス人がエストバ人のようにこそこそと木陰に隠れなければ、我らの敵ではないわっ!」

「ならばここは退き、態勢を整え、一戦のもとヴォオス軍を殲滅してみせろ」

「貴様に言われるまでもないっ!」

 ダグワボルドは八つ当たり気味に喚くと、撤退のために走り去った。


 ヴォオス軍は南へ、イェ・ソン軍は西へ、それぞれ退いた。

 イェ・ソン軍が西へ退いたのは、ヴォオス軍が再度<北の魔境>へ逃げ込むことを防ぐためである。

 この辺りは飄々(ひょうひょう)としているようで、サルヒグレゲンも抜け目がなかった。


 両軍が馬の脚を生かして魔物の群れを振り切ると、<北の魔境>の外縁部には、怒りのはけ口を求める魔物の咆哮が響き渡った。

 その怒りは陽の光が魔物を棲み家へと追い返すまで響き続けたのであった――。

次回は7月21日投稿予定です。

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