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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
69/152

ハウデンベルク城塞陥落!

 鈍色にびいろがどこまでも広がるヴォオス北東部の平原は、見る者の心を挫くのに十分な威容を誇っていた。

 十万の騎馬が完全武装に身を包み、手にした槍を天へと突き上げる。

 それは突如出現した森が、怒りでもって荒れ狂っているかのような光景だった。

 その様を眺めるハウデンベルク城塞兵たちは、誰一人声もなく、その目に絶望を浮かべて呆然とするだけであった。


 自分を庇って深手を負ったアデルベルドの処置を済ませると、リストフェインはこの状況に対し、一人で責任を背負わなければならない重圧と向き合っていた。

 だが、すでに頭も心も絶望に占められてしまっている。

 『腐毒の呪印』を刻まれた五万の兵士の死体で堀は埋め尽くされ、そこに加わった屍食鬼グール人面鳥ハーピーの死体から湧き出す瘴気によって、もはや城壁上の守りを維持することすら難しくなっている。

 奪われることこそ阻止したが、ハウデンベルク城塞はすでに、防衛拠点としての能力を失いつつあった。


 五万人もの命を使い捨てにして、ハウデンベルク城塞を呪い陥としたイェ・ソン軍の策は、外道の術以外の何ものでもないが、結果としてハウデンベルク城塞はその機能を失い、イェ・ソン軍本隊は重装騎兵の力を最大限に発揮出来る状況を、ヴォオス北東部に作り上げてみせた。

 完成したまま一度も使われることのなかった攻城塔も、おそらくハウデンベルク城塞の焦りを誘うための揺さぶりであり、この先に存在するヴォオスの軍事拠点攻略のために建造されたものと思われる。

 その行いをどれ程否定し、蔑もうと、結果を出したのはイェ・ソン軍ということになる。

 

 到着したイェ・ソン軍本隊は、先に到着していた五万の軍勢の馬たちを、次々と処理し始めた。

 馬を愛する騎馬の民が、生活の糧である羊を食い尽くしても残した馬を、次々と殺し、解体していく。

 五万の老兵はハウデンベルク城塞へ死ぬために出立し、リストフェインが撒いたわずかな食料を、同士討ちを演じてまで奪い合うほど飢えていたにもかかわらず、後続十万の兵士たちの食料のために、馬を運んで来たのだ。

 編まれた戦略の大きさと、何よりそこに込められた壮絶さが、リストフェインの予測を上回ったのだ。


 そのままイェ・ソン軍本隊は、ハウデンベルク城塞を無視して進軍を続けるかと思われたが、予想に反して攻城塔をハウデンベルク城塞へと向けて来た。

 たとえ奪ったとしても、ここまで濃く瘴気が満ちてしまったハウデンベルク城塞は使いものにならない。

 魔物の群れにとっては恰好の棲みかとなるだろうが、外道の術を用いようともイェ・ソン人も人間だ。濃くなった瘴気が撒き散らす毒素には耐えられない。

 それでも敢えて攻略を試みるのは、ハウデンベルク城塞を攻め滅ぼしたという事実を、ヴォオスに突きつけるためであった。


 リストフェインの心に暗い影が忍び寄る。

 ハウデンベルク城塞には、もはや十万ものイェ・ソン軍に対抗する術はない。

 堀は屍で埋められ、城壁を容易に乗り越える攻城塔が群れを成して迫ってくる。

 圧倒的な数の前では奇策など用いようもなく、城塞を捨てたくても多くの負傷兵と避難民を抱えている現状ではそれも出来ない。


 リストフェインはヴォオス軍の将軍として、負傷兵と避難民を見捨て、一兵でも多くレオフリード元へと返し、雪辱に備えるべきであった。

 だが、リストフェインの高潔な人柄では、弱者を見捨てるという選択は、そもそも選択肢の中に存在しなかった。

 ヴォオス軍第十席の地位にありながら、武将の道へと歩みを変えたのも、リストフェインにそれだけの資質があったことはもちろんだが、それ以上に、現実に対して非常に徹しきれない自分の性格では、いつか小を助けて大を失うような結果を招くとわかっていたからだ。


 だが、このままでは今ハウデンベルク城塞に身を寄せているすべての人々と共に、イェ・ソン軍によってなぶり殺しにされる運命しか待っていない。

 リストフェインの暗い衝動は、呪いによってもたらせれた敗北を、呪いによって叩き返してやろうという考えへと傾きつつあった。


 逃げることも見捨てることも出来ない以上、ハウデンベルク城塞での死は避けようがない。

 避けようがない死であるのならば、この身に『腐毒の呪印』を刻み、最後にこの地に倒れるとき、すべての呪いをイェ・ソン軍十万の本隊にぶつけてやろうと考えたのだ。


 この地はすでに五万を超える死者の念が溜まり、魔境と化しつつある。

 イェ・ソン軍の本隊がどれ程強力であろうと、これほどの瘴気に呑まれればただでは済まない。

 下手をすればハウデンベルク城塞に攻め込んだ敵兵力を、すべて瘴気の毒素で道連れに出来るかもしれない。

 もちろんそんな死に方をすれば、リストフェインの魂は魔性に落ち、未来永劫救われることはないだろう。

 武人としても、ヴォオス貴族としても恥ずべき最後ではあるが、十万のイェ・ソン軍に対し、ヴォオス勝利の礎となることが出来るのであれば、リストフェインは本望だった。


 リストフェインの心が真っ黒に染まる直前、ハウデンベルク城塞へと動き出したイェ・ソン軍の空気が変わった。

 ハウデンベルク城塞へと向けられていた殺気が、その向きを変えたのだ。

 暗く濁り始めたリストフェインの瞳が、イェ・ソン軍の視線の先を辿る。

 その先に見い出したものが何であるかを理解した瞬間、リストフェインを支配しつつあった暗い情念は吹き飛び、代わりにどうしようもない焦りが全身を支配した。


 最悪の状況下に、ボルストヴァルト家二万五千が飛び込んで来てしまったのだ――。









「……何ということだ」

 ボルストヴァルト家が当主、アウグステインが、髭も眉も髪の毛もない異相を歪めて呟いた。

 その嫡男であるバウデヴェインは、まるで山賊のような風貌の中で唯一可愛げのあるつぶらな瞳を目一杯見開き、愕然としている。


 イェ・ソン侵攻の報を受け、急ぎ駆けつけたボルストヴァルト軍は、夜を徹して駆け抜け、奇しくもイェ・ソン軍本隊の到着とほぼ同時にハウデンベルク城塞へと辿り着いていた。

 アデルベルドとリストフェインの実力を信じ、ハウデンベルク城塞の無事を願ってここまで来たが、期待を裏切るどころか、想像を絶する現実を突きつけられ、五大家の一角を担うアウグステインも、さすがにすぐには状況を把握しきれなかった。


 攻め落とされたのならばまだわかる。

 だが、ハウデンベルク城塞は攻め落とされるどころか、魔境に堕ちかねない状況にある。

 そして前方に展開されるイェ・ソン軍は、軽装騎兵が五万騎どころか、完全武装の重装騎兵が十万騎もいる。

 もはや状況は、ボルストヴァルト軍が出立前に得ていた情報とは完全に異なる状況となっていた。


「父上っ! あれをっ!」

 言葉もなく、ただハウデンベルク城塞の無残な姿を眺めていたバウデヴェインが、太い指でハウデンベルク城塞を指さし、父に注意を促す。


狼煙のろしかっ!」

 遠目からでも大気を歪ませるほどの瘴気に包まれているハウデンベルク城塞からは、幾筋もの煙が立ち上っている。

 夜を徹しての戦いで、各所に設けられていた松明が倒れ、消えることも出来ずにくすぶり続けているからだ。

 だが、バウデヴェインが発見した煙からは、明確な意思が感じられた。

 ハウデンベルク城塞はまだ死んではいなかったのだ。

 生き残りが存在し、ボルストヴァルト軍に気づき、救援を求めている。


「なにっ!」

 そう思いながら狼煙を読んでいたアウグステインが、怒声に近い驚きの声を上げる。

 同じく狼煙を読み、その意味を理解したバウデヴェインの表情は、父とは違い、怒りではなく、悲しみで暗く歪んだ。


「リストフェインは無事のようですね。そしてわれわれに撤退しろと言っている。自分たちは十万のイェ・ソン軍に囲まれているというのに」

 到着したボルストヴァルト軍は二万五千。イェ・ソン軍の四分一の兵力だ。

 ここで戦いを挑んでも、包囲殲滅されてしまうのは確実だ。

 

 暗い考えに捉われかけていたリストフェインだったが、貴重な五大家の戦力が、各個撃破の対象になりかねない状況にあると見て取ると、自分の窮状も忘れ、撤退を促す狼煙を上げたのである。

 イェ・ソン軍十万は強力だ。

 先に侵攻してきたルオ・リシタ軍五万の軍勢が霞むほどに――。


 だが、兵力をまとめて対抗すれば、ヴォオス軍は必ずイェ・ソン軍を撃退出来ると、リストフェインは確信している。

 そのためにも、ここでボルストヴァルト軍をイェ・ソン軍に討たせるわけにはいかなかった。


 リストフェインの心情を正確に読み取ったアウグステインとバウデヴェインは、一瞬も迷わなかった。

「さて、リストフェインはああ言っていますが、どうしますか?」

 バウデヴェインが父に問う。


「リストフェインがハウデンベルク城塞を捨てないのは、収容した避難民と負傷兵を見捨てることが出来んからだろう。この地でイェ・ソン軍を防ぐのはもはや不可能。ハウデンベルク城塞も、残念だがもはや放棄するほかない。であれば、もはやこんなところに用はない。撤退してヴォオス軍と合流し、新たに防衛線を築くまでだ」

 そう言うとアウグステインは、つるつるの頭に撤退には必要のない兜を被った。

 それだけでアウグステインの意思は軍全体に伝わる。


 バウデヴェインも父に倣い、兜など必要なさそうな針金のような剛毛を、兜の中へと押し込む。

 口回りにもまるで針鼠がしがみついているのではないかと思わせるほどの硬い髭を生やしたバウデヴェインは、兜を被ったことでいよいよ人間離れした風貌と化した。


「バウ、お前が檄を飛ばせ」

 アウグステインがニヤリと笑って息子に指揮を譲る。

 これに対してバウデヴェインもニヤリと笑い返したが、口元の針鼠が腰を振ったようにしか見えなかった。


「これより撤退する。その前に、忘れ物(、、、)を取りに行くぞっ!」

 言葉にすれば何とも締まりのない表現に聞こえるが、その声に込められた灼熱するかのような戦いの意志が、ボルストヴァルト軍兵士の魂に火をつける。


「全軍、突撃っ!!」

 野太い咆哮と共に、ボルストヴァルト軍は忘れ物の回収(ハウデンベルク城塞)へと突進を開始した――。





◆ 





「おい、死にたがりの馬鹿が突っ込んでくるぞ」

 イェ・ソン軍の将軍であるダグワボルドが、同僚のパンツァグバータルに顎をしゃくってみせる。

 扁平な顔は頬が落ちくぼみ、人ならざる凄みを漂わせている。

 うなずいたパンツァグバータルも、生きるために必要な肉以外はすべて削ぎ落されている。

 それは二人の将軍のみならず、イェ・ソン十万すべての人間がギリギリの状態でこの場にいる。

 イェ・ソン軍を包む空気は、屍食鬼グール以上に死者の群れを連想させた。


「陛下、いかがいたしましょう?」

 ボルストヴァルト軍を視界の隅に置きながら、パンツァグバータルが国王シイングドルジに問いかける。

「蹴散らせ」

 問われたシイングドルジは、ボルストヴァルト軍の方を見ようともせず、短く答えた。

 その横顔は他のイェ・ソン人と違い、凹凸のはっきりとした秀麗な造りをしている。

 名のらずともその顔形だけで、イェ・ソンの王族だとわかる。

 その顔は、古代帝国ベルデの皇族の血筋を今でも色濃く残していた。

 兵士たち同様極限まで無駄な肉がはぶかれた秀麗な顔の中で、その目だけが兵士たち以上に暗い光を宿している。


「シンコル、ドクシン。三万ほど連れて蹴散らしてこい」

 シイングドルジの命を受け、ダグワボルドが若い武将二人に指示を出す。

 指示を受けたシンコルとドクシンは、即座に行動に移った。

 イェ・ソン軍から三万の軍が離れ、ボルストヴァルト軍へと向かう。


「連中、どうやらハウデンベルク城塞に向かっているようだな。何やら狼煙を使ってやり取りしていたようだが、城塞に入られると厄介だぞ」

 迎撃に向かったシンコルとドクシンを見送りながら、自分たちにではなく、ハウデンベルク城塞へと向かうボルストヴァルト軍に対し、パンツァグバータルは眉をしかめた。


「なに、ぶ厚い城門を開けてくれるなら願ったりだろう。混戦に持ち込んでハウデンベルク城塞からの矢を防ぎつつ、そのままなだれ込んでしまえばいい。攻城塔は面倒だからな」

 視力に優れるイェ・ソン人である二人の目は、ハウデンベルク城塞とボルストヴァルト軍のやり取りをしっかりと捉えていた。

 その上でダグワボルドは悠然と構えている。

 自軍の実力に圧倒的な自信を持っているからだ。


 イェ・ソン軍が兵を分けると、数で劣るはずのボルストヴァルト軍も兵を分ける。

 そして、残りの主力がハウデンベルク城塞へと向かう。

「五千ほどか? あれでシンコルとドクシンを防げると思っているのか?」

 ダグワボルドがボルストヴァルト軍の動きを鼻で笑う。


「おい、見ろっ! ハウデンベルク城塞の連中、城門を開けて打って出て来たぞっ!」

 パンツァグバータルが城門を指さす。

「手間が省けるな」

 そう言ってダグワボルドが部下たちから視線を外した瞬間、シンコルとドクシンが率いた軍は、ボルストヴァルト軍の別働隊と激突した――。









「何を考えておられるのだっ!」

 リストフェインが悲鳴に近い叫びをあげる。

 それは自分が送った狼煙に対し、ボルストヴァルト軍から返された狼煙が、リストフェインの提案のまったく逆の答えを返してきたからであった。

 しかも、ボルストヴァルト軍は狼煙を送りつつ、すでに動き出している。

 リストフェルンにはもはやボルストヴァルト軍を押し止める術がなかった。


「馬を用意しろっ! それと、負傷兵と避難民を誘導するんだっ! ボルストヴァルト軍が我々を迎えに来るぞっ!」

 ハウデンベルク城塞兵にとって、それはまさに青天の霹靂であった。

 十万の敵の前では、三万にも満たないボルストヴァルト軍による援軍は、焼け石に水でしかなく、一刻も早く撤退しなければ、ハウデンベルク城塞よりも先に壊滅させられかねない。

 もはや心折れ、死を受け入れていたハウデンベルク城塞兵としては、無駄に死なれるくらいなら、さっさと撤退してくれという心情だったのだ。 


「無謀だっ!」

「共倒れになるぞっ!」

 リストフェイン同様気力を失っていた兵士たちであったが、ボルストヴァルト軍の無謀以外の何ものでもない行動に、慌てふためくことになる。


「もはやボルストヴァルト軍の無謀は(、、、)止められん。彼らを救うには、我々がどれだけ迅速に行動出来るかにかかっている。急いでくれっ!」

 リストフェインらしからぬ慌てぶりと、五大家の一角であるボルストヴァルト軍の行動を無謀(、、)呼ばわりしてしまうその混乱ぶりのおかげで、逆に周囲の兵士たちが冷静さを取り戻すことになった。


 その後の行動は迅速を極めた。

 誰もが死を受け入れ、状況的に見捨てられることもやむなしと諦めきっていただけに、ボルストヴァルト軍の行動は、見る側に焦りを覚えさせるほど無謀ではあるが、無理を通してでも助けようと行動してくれたその心意気は、ハウデンベルク城塞にいるすべての人間の胸を打ったのである。


 多くの戦死者を出したことで、脱出する人数以上に馬の方が多かった。

 リストフェインは即席で一計を案じ、少しでもボルストヴァルト軍の無謀な行動を支えようと手を尽くした。

 そして最後にハウデンベルク城塞に火を放った。

 魔境と化しつつあろうと、城塞としての機能をイェ・ソン軍に渡すわけにはいかない。

 何より、イェ・ソン軍が喉から手が出るほど欲しがっている食料を渡すつもりはなかった。


 背水の陣ならぬ、背炎の陣を敷き、リストフェインはハウデンベルク城塞から打って出た。

 自ら空馬からうまを率い、イェ・ソン軍との間に馬の壁を築く。

 避難民たちも、一般人とはいえヴォオス人だ。

 特に過去幾度もイェ・ソンの侵攻を受けて来た過去から、老人から幼子まで乗馬の技術を身につけている。

 ただ逃げるのではなく、負傷兵の搬送まで受け持ってくれていた。


 リストフェルンは生き残ったハウデンベルク城塞兵を避難民と負傷兵の護衛につけると、自身は一人無謀な行動の中でも特に無謀を極める突撃を行ったボルストヴァルト軍の別働部隊のもとへと向かった――。









 ハウデンベルク城塞に対するイェ・ソン軍とボルストヴァルト軍の距離は、ほぼ等距離であった。

 到着はイェ・ソン軍の方が早かったが、即座にハウデンベルク城塞へと兵を向けなかったため、即座に決断を下したボルストヴァルト軍は始めに存在した差を詰めることに成功していた。

 今では攻城塔を引くイェ・ソン軍に対し、僅かではあるが先行している状況にある。


 だが、数で勝るイェ・ソン軍は、ボルストヴァルト軍と競争する必要はなかった。

 むしろ先行させておいて背後を封じ、ハウデンベルク城塞兵共々包囲殲滅すれば済む話であった。 

 イェ・ソン軍のダグワボルド将軍が三万の兵をボルストヴァルト軍へ向けたのも、側面を衝くことで背後に回る動きを隠す目的があったからだ。


 そのあたりはアウグステインも理解してる。

 無謀ではあってもまったくの無策で行動しているわけではない。

 アウグステインはヴォオス五大家の情報網を駆使してイェ・ソン軍を知り尽くしているが、イェ・ソン軍はボルストヴァルト軍に対してはまったく無知と言っていい。

 ヴォオス北東部にその領地を構え、イェ・ソンに対して備え続けて来たボルストヴァルト軍は、数こそ劣るものの、その質は大陸屈指の強さを誇るイェ・ソン重装騎兵をも上回っていたのだ。

 イェ・ソン軍が動かした三万の軍に対して、僅か五千の兵を向けたのも、短時間であればその足を止められるという確信があってのことなのだ。  


 無謀の極みと、イェ・ソン軍とハウデンベルク城塞軍から評された五千騎を率いるのは、アウグステインの息子、バウデヴェインであった。

 ハウデンベルク城塞の城主の一人であるアデルベルドが、均整の取れた戦士となるべく生まれついた屈強な肉体をしていたのに対し、バウデヴェインはその規格を大きく逸脱した、本当に人間なのかと疑いたくなるような、恐ろしいほど横に広く、前後にぶ厚い肉体の持ち主だった。

 その姿は戦士ではなく、まさに『力』の象徴そのものであり、都市ヘルヴェンを襲撃した屈強なルオ・リシタ人戦士ですら、その威容には及ばなかった。


 そのバウデヴェインが率いる騎士たちも、皆見事な体躯に恵まれた屈強な肉体の持ち主ばかりで、まるでルオ・リシタの戦士たちが、騎兵戦術を身に着けたかのようであった。

 そんな巨体を誇る騎士の集団も、遠目からでは普通の騎士にしか見えなかった。

 それは優れた視力を誇るイェ・ソン軍兵士の目をもってしても変わらない。

 見事な体格を誇る騎士同様、その乗馬もヴォオス軍が誇る軍馬をはるかに超えて大きかったからだ。


 対イェ・ソンに備え、ボルストヴァルト家は長年馬の品種改良を行ってきた。

 馬に対する愛情が深いヴォオス人は、ボルストヴァルト家に限らず、馬の畜産にたずさわる者であれば誰もがより良い馬を求め、最高の一頭を生み出すために品種改良を行っていた。

 その成果として、ヴォオス軍の軍馬は対ルオ・リシタの戦場で、巨体を誇るルオ・リシタの軍馬を上回ってみせた。


 だが、ボルストヴァルト家は現行のヴォオス軍採用の優秀な軍馬にも満足することなく改良を続けてきた。

 その結果生み出されたのが、ルオ・リシタ産の軍馬に劣らぬ体格を誇り、なおかつヴォオス産の軍馬の特徴ともいえる敏捷性と賢さを合わせ持った驚異の軍馬が完成したのであった。

 そして、その見事な軍馬とまたがる騎士を覆うのは、イェ・ソン軍重装騎兵に劣らぬ重厚な鎧であった。


 五千対三万が正面からぶつかる。

 勝敗など始めからわかりきっている勝負であったが、ぶつかる直前、イェ・ソン軍は明らかな動揺と怯みを見せたのであった。

 結果、蹴散らされたのはイェ・ソン別働軍三万の方であった。


 イェ・ソン人は元々食糧事情の関係もあり、けして体格に恵まれいたわけではなかった。

 イェ・ソン産の馬も、その走力は大陸でも屈指の名馬ではあるが、体格面だけで見れば、けして優れてはいない。

 そしてその両方が、終わらない冬による極限の食糧難により、限界ギリギリまでやせ細っていた。

 激突した両軍は、こと質量という面において、倍以上もの開きがあったのでる。


 蹴散らしたというより、イェ・ソン軍を弾き飛ばしたバウデヴェインは、そのまま勢いを落とすことなく突進を続けた。

 一応手綱は口にくわえているが、ほとんど制御はしない。賢い愛馬に全幅の信頼を寄せ、走るに任せている。バウデヴェインは正直自分が判断するよりもはるかに的確に馬の方が判断してくれていると思っていた。


 そして空いている両手には二本の巨大な戦斧が握られており、一振りごとにイェ・ソン軍の重装備を卵の殻でも割るかのように叩き割り、中身の肉体を引き裂いていった。

 これまでのヴォオス軍とイェ・ソン軍の戦いは、軽装騎兵で速度重視の戦術を駆使するヴォオス軍に対し、重装騎兵を主軸に据え、これに軽装騎兵を絡めて力押しの戦術を駆使するのがイェ・ソン軍であった。


 今回もイェ・ソン軍は力でボルストヴァルト軍を蹴散らしにかかったが、それをはるかに上回る力によって出鼻を挫かれてしまったのだ。

 至近に迫ったボルストヴァルト軍の異様なまでの大きさは、勇猛で知られるイェ・ソン兵をもってしても、動揺を避けられない程の大きさだったのだ。


 動揺から乱れるイェ・ソン軍にあって、怯えるどころかむしろ逆上したのがシンコルとドクシンの二将であった。

 ボルストヴァルト軍の先陣を切る化け物の様な男に対し、二人は一瞬も迷うことなく襲い掛かっていった。


 三万の軍勢の中央からバウデヴェインの暴れっぷりを見せつけられていた二将は、自軍の騎兵を押し退けながら突き進む。

 途中乱れた兵を叱咤激励すらしない。

 バウデヴェインを敵軍の主要人物と見定め、これを討ち取ることで自軍の混乱を鎮めようと考えたのだ。


 乱れたイェ・ソン軍が予想外の動きを見せ、不意に二将の前に空間が開ける。

 そこに単騎飛びこんで来たのがバウデヴェインであった。

 その異様なまでの大きさに、シンコルもドクシンも、それまでの勢いを忘れて唖然とする。

 返り血に染まったバウデヴェインは、もはや悪鬼と何も変わらない恐怖を周囲に撒き散らしていた。


 イェ・ソン軍において将来を嘱望されていた二人の武将は、この一瞬の硬直が命取りとなってしまった。

 一瞬の躊躇もためらいも見せずに詰め寄ったバウデヴェインの二本の戦斧によって、二人同時に頭蓋を叩き割られ、地面に叩きつけられる。


 イェ・ソン三万の別働軍は、態勢を立て直す前に率いた二人の将が討ち取られてしまったため、さらなる混乱に見舞われた。

 バウデヴェインは予定外に敵将を葬り去ることが出来た幸運を最大限に利用し、イェ・ソン軍の別働軍を、イェ・ソン軍の本隊から切り離すように押し込んでいった。

 これによってボルストヴァルト軍の後方に回り込もうとしていた別の軍が、味方によってその行動を阻まれることになり、ボルストヴァルト軍の後方に、大きな空間を作り出すことになった。


 その様子を見つめていたリストフェインは、予想外の結果に唖然とするも、即座に判断を下してボルストヴァルト軍の別働隊へ駆けつけることをやめ、出来た空間に空馬を突入させ、退路の確保に動いた。

 リストフェインが下した判断により、イェ・ソン軍は後方に回る動きを完全に遮断されることになる。


 まさかの展開に、イェ・ソン軍本隊の判断も微妙に遅れる。

 その遅れを致命的なものとしたのが、アウグステイン率いるボルストヴァルト軍本隊の、突然の方向転換だった。

 アウグステインは当初、脱出するハウデンベルク城塞兵たちを包み込むように自軍内に取り込み、しんがりとなってイェ・ソン軍を防ぎ、この地から脱するつもりだった。

 だが、息子とリストフェインの好判断を受け、急きょ予定を変更し、ハウデンベルク城塞兵の脱出を妨害しようと突進して来ていたイェ・ソン軍本隊に、真正面からぶつかって行ったのだ。


 別働軍の失態に苛立っていたイェ・ソン軍本隊は、ボルストヴァルト軍の予想外の攻撃に対し、餓狼の牙をむき出しにして応戦した。

 だが、ボルストヴァルト軍の戦力を把握出来ていなかったイェ・ソン軍本隊は、別働軍とまったく同様の運命を辿ることになる。

 その威力に絶対の自信を持っていた重装騎兵の突進が、真正面から粉砕され、戦術の基礎をも粉砕されてしまったイェ・ソン軍は、ボルストヴァルト軍に対し、即座に対応策を打ち出すことが出来なかった。


 欲張るつもりのないアウグステインは、イェ・ソン軍が態勢を整える前に素早く兵を引き、ハウデンベルク城塞兵たちを撤退させた。

 目の前でまんまと脱出に成功されてしまったイェ・ソン軍であったが、結果としてヴォオスはハウデンベルク城塞を失うことになり、ハウデンベルクの地はイェ・ソンの制圧下に置かれることになった。


 有史以来ただの一度もその領地を他国の支配にゆだねたことのなかったヴォオスであったが、建国三百年を目前にして、初めて他国の武威の前に撤退を余儀なくされたのであった。

 だがそれは、ヴォオス史上最大の激戦となる大戦おおいくさの前触れに過ぎなかった――。     

次回は7月7日投稿予定です。

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