対イェ・ソン、開戦!
ヴォオス北東部に位置するイェ・ソン国との国境防衛線の要としてハウデンベルク城塞は存在していた。
現在のヴォオスにとって、最大の敵国といえば南方の国ゾンであるが、長い歴史の観点から見れば、ヴォオスにとってもっとも因縁深い相手は、ハウデンベルク城塞より北に広がる大草原を支配するイェ・ソンであった。
ゾンとの戦いが奴隷制度を巡る政治寄りの戦いであるのに対し、イェ・ソンとの戦いは、原始的な命の取り合いだった。
イェ・ソン人は、ルオ・リシタの戦士たちのように、雲をつくような屈強な大男などではなく、中肉中背の体格に、目鼻立ちが扁平な、いたって平凡な外見をした人々であった。
だが、羊を追い、大草原を旅して暮らす彼らは、ヴォオス人に一歩も引けを取らない騎馬の民であった。
馬に対する愛情と、騎馬の民としての誇り――。
国民性に共通する点はあるのだが、決定的に食い違う点もあった。
イェ・ソンが常に侵略する側であり、ヴォオスは常にその侵略を受けなければならない側にあることだ。
青く揺れる草原の海ではあるが、農耕には適さず、それ故にイェ・ソンでは畜産業が主な産業の一つとなっていた。
土地は決して豊かとはいえず、気候の変化も急激で、この地に暮らす人々は常に自然の猛威にさらされながら暮らしてきた。
知恵をしぼり、努力を惜しまず、けしてやさしくない環境の中で日々の暮らしを営んでいる。
贅沢といえば、祝い事の席で食べる羊肉くらいのもので、いつ襲い掛かって来るとも知れない自然災害を前に、わずかばかりの蓄えも出来ない生活だった。
そして災害は当たり前のような顔をして幾度となくイェ・ソンを襲い、人々からなけなしの蓄えをあっさりと奪っていった。
結果としてイェ・ソンの人々は富める国から奪う以外に生き残る道がなくなり、周辺国を幾度となく襲撃し、略奪の限りを尽くした。
略奪の対象はヴォオスにも及び、こうして両国は幾度となく戦火を交えることになったのであった。
ちなみに、ヴォオスが侵略を受けるばかりでいるのにはわけがあった。
それは、国土の大半が草原でしかないイェ・ソンに、ヴォオスが軍を動かしてまで奪う価値のあるものがないからだ。
イェ・ソンにはもう一つの顔として、鉄鋼業が盛んではあるが、その鉱物資源は天然の要害の奥地に存在しているため、ヴォオスが全軍を繰り出したとしても攻略は不可能とみなされている。
あくまで略奪が目的であり、領土目的で侵攻してくるわけではないので、ヴォオスでは人間の形をした自然災害の一つのように考え、
「イナゴの大群よりはマシ」
と言って、撃退後には笑っていたりした。
だが、今回のイェ・ソンによるヴォオス侵攻は、これまでのヴォオスとイェ・ソンの戦いとはまったく異なる様相を呈する事態となっていた。
終わらない冬はヴォオスに多くの不幸をもたらしたが、イェ・ソンには壊滅的な打撃を与えていた。
一面を覆い尽くし、高く降り積もった雪は、彼らの財産とも言うべき羊を奪ったのだ。
これまでのように不足分を奪えれば、当面の危機をしのげたような状況とは異なる。
生き残るにはもはや土地を捨て、新たな地へと移らねば、イェ・ソン人そのものが滅びてしまうほどに追い込まれていた。
雪が解け、ようやく動けるようになったイェ・ソンは、クロクスの介入もあり、その矛先をヴォオスへと向けた。
最強と謳われる重装騎兵の装備を捨て、速度を重視してヴォオス国境を目指したイェ・ソン軍は、ハウデンベルク城塞がにらみを利かせる決戦の地へ、恐るべき速度で到着したのであった。
これまでの侵攻であれば、ハウデンベルク城塞を包囲封鎖している間に別部隊がヴォオス北部で略奪を働き、これを撃退にヴォオス中央軍が現れるのに合わせて兵を引くというのがイェ・ソンの常套手段だった。
だが今回は、ハウデンベルク城塞に狙いを定め、到着と同時に包囲すると、攻城兵器の準備に取り掛かった。
この辺りはエストバのフローリンゲン城塞攻略と同様で、これまでのイェ・ソンにはない戦術だった。
「ここからでは人の動きはわからんが、連中はあそこに塔でも建てるつもりだろうか?」
ハウデンベルク城塞の城壁の上から、イェ・ソン軍の後方を観察していたアデルベルドが、隣で同じようにイェ・ソン軍を観察してたリストフェインに問いかける。
「あれはおそらく攻城塔でしょう。車輪付きの移動式やぐらで、梯子を守りながら簡単に城壁を超えられる攻城兵器です」
問われたリストフェインが、観察からの推測を口にする。
答えを得たこと以上に、五倍のイェ・ソン軍に包囲されているにもかかわらず、落ち着き払った同僚の様子に、アデルベルドは満足して唇の端を上げた。
「……早くないか?」
アデルベルドは組み上がっていく攻城塔が、遠目からでも見る間に出来上がっていくことに気がついた。
「……早いですね」
答えるリストフェインの眉間にもしわが寄る。
「そもそも、イェ・ソンに攻城塔など造る技術があったか?」
アデルベルドが根本的な質問をする。
「あります。ですが、樹木が育ちにくい土地柄であるため、木材資源に乏しく、これまでイェ・ソンが侵略に際し攻城兵器を使用した例はありません」
「騎兵が強力でもあるしな」
「はい。ですが、過去に古代帝国ベルデの皇子が、魔神ラタトスの魔の手から逃れるためにイェ・ソンへと辿り着いた際に、帝国の技術もイェ・ソンに持ち込まれました。帝国技術者の知識と、その高い技術力のおかげで、それまで不毛の地でしかなった土地から鉱石が採掘されるようになり、イェ・ソン騎兵を重装騎兵へと生まれ変わらせました。帝国の高い技術は今も受け継がれており、その技術は攻城兵器の建造にも十分生かせます」
一を問われて十を答える。
元軍師十席にあったリストフェインの知識は広くて深い。
「ここで生かしてくれなくてもいいのだがな」
「まったくです。ですが、技術力以上に問題なのが、木材資源に乏しいイェ・ソンが、どうしてあれほどの資材を有しているのかということです」
リストフェインの疑問に、アデルベルドも低く唸る。
「他の国から奪ったと考えるのは不自然だな。木材を奪うくらいなら、まず食糧を奪い、イェ・ソン軍の実力が最大限に発揮出来る重装騎兵団を仕立てて攻め入るはずだ」
「今回のイェ・ソンの動きに、何者かが物理的に介入していると見た方がいいかもしれません」
アデルベルドの言葉にリストフェインはうなずくと、思考を視力の届かないイェ・ソン軍の後方へと伸ばした。
イェ・ソンは東西に長く伸びた広大な領地を持つ国で、西の端をヴォオスに、東の端をミクニという、大陸でも屈指の二大大国と境を接している。
そして、大陸最大の版図を誇るミクニでは、傘下の小国同士が、互いの力を削り合わされているとも知らずに飽くことなく小競り合いを続けている。
ヴォオスやイェ・ソンほどには騎馬に優れないミクニでは、騎馬に代わる戦力の一つとして、兵器の開発が盛んに行われてきた。
攻城兵器もその一つで、その技術力はヴォオスをも上回ると言われている。
リストフェインは、想定外の事態の裏側に、大国ミクニの影を見ていた。
「あからさまに組み立てているのは、誘っているということなのだろうな」
表情こそ変わらないが、その声が肉食獣のように猛々しく笑っていることに、リストフェインは気が付いた。
「間違いなく、そうでしょう。さりげなく布陣しているようでいて、その実我らが攻城兵器を完成させまいと打って出るのに合わせて一気にハウデンベルク城塞を陥落させようと待ち構えています。食料のないイェ・ソン兵からすれば、攻城兵器の完成を待つまでもなく、一刻でも早くハウデンベルクの食糧庫に押し入りたいところでしょうから。その焦りが透けて見えるあたり、軍として青いと言えます」
アデルベルドが猛々しく笑ったのに対し、リストフェインは自軍の兵士を御しえないイェ・ソン軍の統率者に対し、侮蔑の笑みを浮かべる。
「誘いに乗りますか?」
「まさかっ! 美女の誘惑ならまだしも、イェ・ソンの羊泥棒ごときの誘いになど、何の魅力もない。だが、せっかく待ち構えている連中がいるのだ。挨拶くらいはして来てもいいだろう」
「さて、イェ・ソン軍はアデルベルド卿の挨拶を喜ぶでしょうか?」
リストフェインが面白そうに尋ねる。
「突然の来客に、こちらは迷惑しているのだ。別に喜んでもらう必要はなかろう?」
まったく表情を変えないまま放たれたアデルベルドの軽口に、リストフェインはこらえきれずに吹き出した――。
◆
遠巻きに罠を張るイェ・ソン軍が、ハウデンベルク城塞の城門は、やはり強引に打ち砕く以外に開かれることはないだろうと考え始めたころ、突如として全開され、アデルベルドを先頭に、五千の騎兵を吐き出した。
その手にはすでに火を灯した松明が握られ、攻城塔が完成する前に焼き払ってしまおうという意図が明確に読み取れた。
ハウデンベルク城塞兵からすれば、現状の戦力でイェ・ソン軍とまともに戦う必要はない。
援軍の到着までこの場で持ちこたえ、この地にイェ・ソン軍を釘付けにしておきさえすればいい。
そのためにも攻城兵器の完成を妨害することは、立派な戦術の一つであった。
攻城兵器の作業場所目掛けて一直線に疾走するアデルベルド部隊に対して、イェ・ソン軍は虚衝かれた体を装いつつ、さり気なく陣中深くへ誘い込もうと兵を動かしていた。
だが、その意図を見透かしているアデルベルドにとって、その動きはむしろ格好の的を目の前に提供してくれているようなものであった。
イェ・ソン陣営内に踏み込み過ぎる一歩手前で、アデルベルドは不意にその進路を反転させ、対応が鈍く、アデルベルド部隊の突撃を防ぐことが出来ずにかわされてしまったように装いながら、その背後を塞ごうとしていたイェ・ソン軍の一部隊に襲い掛かった。
アデルベルドの部隊は、巧みにその隊列を変化させながら、イェ・ソン軍の部隊を半包囲の形に捕らえていた。
背後を突くつもりが、逆に包み込まれるように挟撃されることになったイェ・ソン軍の部隊は驚愕し、狼狽した。
だが、この攻撃で驚かされたのは、アデルベルドも同様であった。
それは、イェ・ソン軍の兵士たちが老人ばかりで構成されていたからである。
驚きはしたが、それでアデルベルドの戦意が衰えたわけではない。
老人たちの目には、食人鬼を思わせる飢えと渇きからくる狂暴な光が宿っている。それは他人の命を食らってでも生き延びようとする執念の表れであり、並みの兵士と対する以上の恐怖をアデルベルドに覚えさせた。
多勢の敵に対してアデルベルドが敢えて打って出たのは、イェ・ソン軍にハウデンベルク城塞の意思を見せつけるためであり、五倍もの敵兵力と相対さなければならない自軍の兵士を鼓舞するためでもあった。
アデルベルド流に言葉にすると、
「なめるなっ!」
ということになる。
戦果の大小はこの際関係ない。
大群で攻め寄せ、優位にあることは間違いないイェ・ソン軍の出鼻を挫くことが出来れば十分なのだ。
アデルベルドの狙いを悟ったイェ・ソン軍は、陣中深くへ引きずり込んで殲滅させる策を捨てると、アデルベルド部隊の背後に襲い掛かった。
殲滅は出来なくとも、多少なりともアデルベルド部隊の兵力を削ってやらなければ、ただやられに来たような形になってしまう。
それではアデルベルドの目論見通り、いきなり兵の士気を下げられてしまうことになり、今後の展開にも影響を及ぼしかねない事態になる。
だが、イェ・ソン軍がアデルベルド軍の背後に襲い掛かる寸前、リストフェインが残る五千の全兵力を率いてハウデンベルク城塞から出撃し、アデルベルド軍の背後に迫った敵部隊に強烈な横撃を加えたことで、かえって被害を大きくする結果となってしまった。
この一撃以降アデルベルドとリストフェインは欲をかかずに即座に撤退した。
いきなりハウデンベルク城塞を空にして総攻撃をかけるという奇策を用いたからこそ取れた先手であり、数ではるかに優るイェ・ソン軍の返す一手を受けきれるような状況ではないからだ。
リストフェインはイェ・ソン軍との距離が一定間隔まで開くと馬上で振り返った。
容赦なく攻め立てはしたが、イェ・ソン軍の構成が老人ばかりという異様な陣容に、得体の知れない不安が胸の奥で広がるのを感じる。
その不安は、直後に地獄のふたが開いたかのような光景を目の当たりにさせられるという最悪の形で的中するのであった――。
◆
ハウデンベルク城塞軍の打った先手は、そのままイェ・ソン軍との開戦へとつながった。
二人の将軍の予想では、まんまとハウデンベルク城塞軍の策に乗せられ、手痛い一撃を被ったイェ・ソン軍は、軍の再編を行い、攻城兵器の完成を待ってから動くものと考えていた。
だが、実際は先に組み上がった攻城梯子を担ぎ出し、砂糖に群がる蟻のような勢いで攻め寄せて来たのである。
ハウデンベルク城塞は、対イェ・ソンのために築かれた城塞で、その周囲は深い堀で囲まれており、容易には攻略出来ない堅固な造りになっている。
事実、この地にハウデンベルク城塞が築かれて以降、イェ・ソンはその機能を封じ込めるのが精一杯で、ハウデンベルク城塞を陥落せしめたことはただの一度もなかった。
兵士というより暴徒に近い動きを見せるイェ・ソン兵たちも、攻め寄せたはいいが堀に阻まれ攻城梯子を掛けることが出来ずにいる。
必然的に唯一ハウデンベルク城塞へと近づくことが出来る城門へと、兵士たちは殺到することになった。
跳ね上げ式の橋にせず、固定橋が掛けられているのは、戦時における騎馬の軍勢の激しい出入りに、跳ね橋では耐えることが出来なかったためである。
ハウデンベルク城塞は、堅牢ではあるが、あくまで攻めの城塞なのだ。
攻めに重点を置いたハウデンベルク城塞ではあるが、守りがおろそかにされているわけではない。
出撃しやすいということは、敵にとっても攻め込みやすいということになる。
ハウデンベルク城塞は、時には不利に働きかねないその造りを逆用し、内部に家が二軒は建てられそうなぶ厚い造りの城門周辺の城壁に、無数の矢狭間を設け、城門を突破しようと押し寄せ、密集した敵を、一網打尽にするよう設計されていた。
イェ・ソン兵が城門へと殺到すると、矢の雨ならぬ矢の滝が流れ落ち、数百人のイェ・ソン兵が一瞬にして屍と化した。
数で劣るハウデンベルク城塞軍にとって、攻城塔が完成し、複数個所から同時に攻撃を受けることがもっとも恐ろしい攻撃手段であった。
そしてその攻撃は、この先必ずハウデンベルク城塞に襲い掛かってくる。
その前に、効率よく敵兵力を減らすことが出来る敵の無謀な攻撃は、ハウデンベルク城塞にとってはむしろありがたいことであった。
一度目の一斉掃射で城門前の敵をすべて排除してのけたハウデンベルク城塞兵の士気は大いに上がった。
リストフェインも敵のさらなる失策に、敵指揮官の能力に疑問を抱き始めたほどだった。
だが、二度目の攻撃を撃退し、三度目の攻撃を撃退したところで、リストフェインはイェ・ソン軍の攻撃の意図を完全に見失うことになってしまった。
それは、まったく同じ攻撃の、四度目が訪れたからだ。
失敗をしないことが優れた指揮官の条件であるとするならば、一度の失敗から学ぶ指揮官は並の指揮官ということになる。
二度失敗しなければ学べない指揮官は、指揮官失格であり、三度失敗する指揮官に命はない。
何の対策も講じずに突破することが不可能なことは、並の指揮官でなくても一度で理解出来る。
ハウデンベルク城塞の城門は、通常の砦や城塞のように、守るべき対象ではなく、敵を誘い込むための罠なのだ。
すでに二千人近くのイェ・ソン兵が、ハウデンベルクの矢で倒れ、その屍は橋の上からあふれ出し、堀の中で小さな山を作り出している。
まるで自ら命を投げ出しにでも来るかのようなイェ・ソン軍の異様な攻撃に、高かったハウデンベルク城塞兵たちの士気にも微妙な揺らぎが見え始めていた。
四度目の攻撃に対し、リストフェインは同じ指示を繰り返し、同じ結果をもう一つ積み上げた。
「兵の命を何だと思っているのだっ!」
普段聞くことのないリストフェインの怒声に、近くにいた兵士たちがびくりと肩を震わせる。
兵士たちも、まったく無意味としか思えない死に方をさせられた二千以上の死体を眺めながら、その死体の山を築き上げた張本人であるにもかかわらず、敵指揮官に対する怒りを覚え始めていた。
そして五度目の攻撃のための部隊が進み出てくる姿を目にしたリストフェインは、こらえきれずに城壁から身を乗り出し、イェ・ソン兵に対して叫んだ。
「もうやめろっ! 無駄に死ぬなっ!」
真っ向から戦い、同じ数だけの犠牲者を出すのであれば、リストフェインの精神は揺らぐことはなかっただろう。
だが、まるで虐殺のための処刑に無理矢理従わされているかのようなこれまでの戦いは、リストフェインに生理的嫌悪感を抱かせていた。
「そんな指揮官に……」
さらに言葉を続けようとしたとき、リストフェインは不意に後ろ襟を掴まれ、強引に後ろに引き倒された。
直後にそれまでリストフェインの頭があった場所を、矢が通過していく。
「うかつだぞ」
リストフェインの命をすんでのところで救ったアデルベルドが、短く諫める。
「も、申し訳ありません」
矢の射程内であったにもかかわらず、感情に負けて身を乗り出した自分を、リストフェインは恥じた。
何より、これまでの四回の攻撃の中で、一度もイェ・ソン軍から弓による反撃がなかったことで、自分が弓によって狙われる危険性を失念していたことが恥ずかしかった。
これでも元はヴォオス軍軍師第十席だ。
敵の意識の隙を衝き、戦術を操らねばならない立場にある。それが逆に意識の隙を衝かれていたのでは、敵指揮官のことなど笑えはしない。
イェ・ソン軍の中から一人の老将が、弓を片手に進み出て来た。
もう少しでリストフェインを射殺すことが出来た人物に間違いあるまい。
「貴様ら、死を恐れるなっ! 我が子のためっ! 我が孫のためっ! 玄孫の代まで命をつなぐために、その命を捨てろっ!」
老将の言葉に、リストフェインは抑えた怒りが再び噴き上がるのを感じた。
「勝手なことをっ! 兵士に命を捨てろと言うのなら、まず自分が先陣を切ってみせろっ!」
さすがに今度は顔を出しはしなかったが、それでもリストフェインは言わずにはおれなかった。
「貴様らっ! わしに続けっ!」
老将はそう言うと、針鼠のような状態と化した死体の一つを担ぎ上げると、まるでリストフェインの言葉に応えるかのように、一人突進を開始した。
その後に、同様に死体を担いだイェ・ソン兵たちが続く。
死んだ味方を盾に使っているのだ。
何故そこまでしなくてはならないのか――。
その疑問が脳裏をよぎり、リストフェインの状況判断が遅れる。
「弓兵、構えろ。先ほどまでのようにはいかんぞ。しっかりと引き付けて、狙いを絞れっ!」
リストフェインが空けてしまった指揮の空白を、アデルベルドが埋める。
イェ・ソン兵の異様な空気に気圧されかけてた兵士たちの表情が一瞬で引き締まり、一人も乱れることなく迎撃の態勢を整える。
「放てっ!」
アデルベルドの号令と共に、五度目の矢の滝が城壁に沿って流れ落ち、イェ・ソン兵に襲い掛かる。
だが、アデルベルドの予想通り、先ほどまでのようにはいかず、死体を盾にしたイェソン兵が、城壁の真下まで到達してしまった。
そして死んだ仲間たちの身体を使い、今度は城門前に攻略拠点を築き始める。
城壁同様恐ろしいほどの防御力を誇るハウデンベルク城塞の城門突破を捨て、ここに強引に攻城梯子を掛けようというのである。
城壁の下に来るまでは、人道的には完全に道を踏み外しているが、そこら中に転がる死体を担げば、かなりの確率で辿り着くことが出来る。
だが、そこから梯子を登るとなると話は別だ。
死体を担いで矢の雨の中、梯子を登ることなど出来るわけがない。守るもののないむき出しの身体は、ハウデンベルク城塞の弓兵の的だった。
だが、それでもイェ・ソン兵は攻城梯子をいくつも架け、押し返されて倒れても、執念深く再び攻城梯子を城壁に掛け、登った。
梯子の下にはさらに高く死体の山が築かれていく。
それでも続く兵士の列は、遠目から見ると、自分よりもはるかに大きな獣を襲う殺人蟻のように見えた。
増え続ける死体の山は、城門周辺の堀を完全に埋め尽くした。
するとイェ・ソン兵たちはその仲間の死体を足場にして、さらに多くの攻城梯子を城壁に掛け、攻撃の手数を増やしていく。
数で勝るイェ・ソン兵は、攻城塔の完成を待つ前に、ついに最初の一人をハウデンベルク城塞の城壁の上へと辿り着かせることに成功した。
その場所は奇しくもリストフェインの目の前であり、どんな運命のいたずらか、そこに現れたのは先ほどの老将であった。
「若造がっ! わしらの覚悟を侮るでないわっ! この命で必ずイェソンの子らの未来を繋いで見せるからなっ!」
その気迫はリストフェルンのみならず、周囲を固めていた兵士たちをも圧倒した。
それは戦いを極めた者が纏う百戦の気とは全く異なる、死兵の周囲にまとわりつく、死臭すら漂いそうな濃厚な死の気配だった。
リストフェインは言葉を返すどころか、剣を抜くことすら出来ないでいた。
目の前で老将がもう一段梯子を登り、城壁に降り立とうとした刹那、何の気負いもなく振り抜かれたアデルベルドの剣の一閃が、老将の首を刎ね、身体だけを残して地上へと送り返した。
そして、老将は血の噴水を撒き散らしながら、身体だけをハウデンベルク城塞の城壁へと辿り着かせたのであった。
「リストフェイン。戦いを美化するな。戦いに美学を求めるな。人間の醜悪さに呑み込まれるぞ」
アデルベルドの忠告は、的確にリストフェインを貫いた。
ヴォオス軍で最年少の将軍であるリストフェインは、まだ二十一歳であった。
大貴族であるディーフェンター家に生まれ、才覚と努力、名家の生まれに対する配慮を背景に、ヴォオス軍の階級を駆け上がって行った。
クロクスの支配の全盛期でもあったこともあり、諸外国との摩擦の多くは軍事力ではなく、外交努力によって治められてきた。
リストフェインはそれなりの戦闘数は経験してきたが、大戦を一度も経験することなく将軍へと辿り着いていた。
父であるフェルディナントは真・貴族連合軍に加担し、兄の一人は地下競売場の常連で、リードリットによって処刑された。
そんなディーフェンター家で生まれ育ちながら、リストフェインの人となりは、尊敬する大将軍レオフリードに似て、清廉そのものであった。
それ故に、リストフェインは無意識のうちに人の心の醜さを避け、美徳に目を向けるようになった。
戦いの厳しさは、広く深い知識と、それを生かし切る知性によって理解していたが、それでも心のどこかに、戦いに対する子供じみた憧れがあった。
それは一言で言い表すのであれば、単なる『甘さ』に過ぎず、その甘さが初めての大戦でリストフェインを翻弄することになった。
それに対し、現在ミデンブルク城塞を守るドルク将軍によって見出されたアデルベルドは、現場のたたき上げであり、多くの大戦を経験した真の強者であった。
戦の経験値だけで言えば、大将軍であるレオフリードをも上回る。
イェソン軍の異常とも取れる攻撃も、老将の魂の叫びも、鍛えあげられたアデルベルドの精神を揺るがすことはなかった。
「切り替えろ、リストフェイン。この敵は戦術の常識を超えて行動している。予測を捨てて目の前の敵に対応しろ」
「は、はいっ!」
自分の甘さに直面し、呆然としていたリストフェインは、アデルベルドの言葉に我に返る。
同じ城塞にアデルベルドがいてくれて、本当に良かったと思う。
自分一人でハウデンベルク城塞の責任者として指揮を執っていたら、一日ともたずに陥落していただろう。
ここで小さくまとまってしまうのが並の将官の限界であるが、リストフェインは見事に思考を切り替えると、自分の中の甘さを瞬時に修正し、アデルベルドと並んで再びリストフェイン部隊の指揮に戻ろうとした。
その時、兵士たちが邪魔な老将の死体を片づけようとして持ち上げ瞬間、未だに血を流し続ける首元から、何かがのぞいたのが目にとまった。
「待て。少し遺体をあらためさせてくれ」
リストフェインは何がここまで自分の気を引いたのかわからないまま、老将の上着をはぎ取り始めた。
その衣服で遺体の血を拭うと、禍々しさを感じさせる印が現れた。
リストフェインは自身の膨大な知識の中を素早く検索していった。
そして一つの明確な答えに辿り着く。
「呪印かっ!」
呪印とは、文字通り呪いを印として肉体に刻むもので、身分の高い者に仕える奴隷などに、所有者の証として刻まれると同時に、絶対服従を強いるためのものとして刻まれることが多い。
その形態は刺青や焼印、装備品など、様々な形で存在しており、奴隷制度を廃止したヴォオスでは、存在そのものを知る者が少ない。
リストフェインも呪印に関する知識は多少持ち合わせているが、その多くが秘術として伏せられているため意味の分かる呪印は少ない。だが、その少ない知識の中に、目の前の焼印によって刻まれ、未だにその傷も癒えずに赤黒くただれている呪印は該当していた。
腐毒の呪印――。
それは死後急速に肉体を腐敗させ、瘴気を生み出し魔をおびき寄せる、<神にして全世界の王>魔神ラタトスが作り出した呪いの印であった。
「何故こんなものが……」
リストフェインは呟きつつも高速で思考を回転させていた。
これを単なる偶然で片づけてしまう危険性を、リストフェインの本能が全開で警告していた。
「アデルベルド卿っ! 全ての敵兵を落とさず、幾人か上げてくださいっ!」
「わかった」
何のために? と、アデルベルドは問わない。
それほどにアデルベルドはリストフェインのことを信頼しているのだ。
アデルベルドの気持ちはリストフェインを奮い立たせた。
尊敬に値する人物からの信頼ほど嬉しいものはない。
リストフェインは自ら攻城梯子を登りきったイェ・ソン兵に襲い掛かると、討ち取ると同時に衣服を剥ぎ、老将のように身体に呪印が刻まれていないかを調べた。
同様の作業を兵士たちに命じると、リストフェインは十体の遺体をあらため、そのすべてに老将と同様の『腐毒の呪印』が刻まれていることを確認した。
確かめられた情報と、リストフェインの知識が融合し、恐るべき答えを導き出す。
「……まさか、いやっ! そんな馬鹿なこと、あるはずがない……」
自分が導き出した答えに、リストフェインは激しく動揺した。
リストフェインの新たな指示が出ないため、また一人攻城梯子を登りきったイェ・ソン兵が城壁上に姿を現す。
素早くアデルベルドに斬り伏せられたイェ・ソン兵の遺体の首元に、やはり『腐毒の呪印』が刻まれていることを見て取ったリストフェインは、敵であるイェ・ソン兵のためにも否定したかった答えを、確信しないわけにはいかなかった。
「殺してはなりません、アデルベルド卿っ! これはイェ・ソンの人道にもとる悪辣極まりない罠ですっ!」
「ではどうするっ!」
言葉の足りない説明を、アデルベルドは即座に受け入れ、対応法を確認する。
「まず弓の使用を制限してください。殺すのではなく、負傷させて戦闘能力を奪うのですっ!」
「皆も聞いたなっ! 弓は使うなっ! 投石に切り替えろっ! 拳より大きな石はなるべく使うなっ!」
アデルベルドは指示を下すと、城壁の縁から顔を出した敵兵を思い切り殴りつけた。
斬らずに殴ったのは、攻城梯子を上がって来た者たちも、堀に落ちれば命を失わない可能性があるからだ。
「殺すなと言ったが、こちらが殺されては意味がないっ! 可能な範囲で対応してくれっ!」
リストフェインはそう指示を出すと、幾人かの部下を引き連れ、城壁から駆け下りていった。
数で劣るハウデンベルク城塞軍に、手加減をしたうえで敵の攻勢を退けるような余裕はない。それは指示を出したリストフェイン自身が誰よりよくわかっているはずだ。
その上で動いたということは、何かしらの策を思いついたのだろうと、アデルベルドは無言でリストフェインの背中を見送った。
そしてアデルベルド自身は、この場の指揮に全力を注いだのであった――。
◆
リストフェインが向かったのは、ハウデンベルク城塞の武器庫ではなく、なんと食糧庫であった。
「米や麦はいい。すぐに口に出来るような保存食を運び出してくれ」
いったい何をするつもりなのかわからない兵士たちであったが、指示に従い次々と食料を城壁の上へと運び始める。
リストフェイン自身も一箱抱えて城壁の上まで戻ると、敵の布陣を確認し、おもむろに箱の中身を城壁の上からぶちまけた。
「リストフェイン様っ! 何をなさるのですかっ!」
「見ていればわかる。私のしていることは、人として最低の行為だ」
落下していく食糧を、リストフェインは苦渋の表情を浮かべながら見送る。
投石の合間に突然食糧が降り注いで来たことに、イェ・ソン兵たちは始め気がつかなかった。
だが、飢えのために極限まで研ぎ澄まされた嗅覚はその存在を即座に捕らえ、抑えようのない強烈な飢餓感で兵士を支配した。
この時すでに投石が止んでいることすら気づいてはいない。
意識はすでに、泥に汚れた食料に釘づけにされていた。
一人が足元の食糧を拾い上げ、泥などおかまいなしにかぶりついた瞬間、一欠けらの食糧を巡って壮絶な奪い合いが始まったのであった。
「私が指示を出す場所に食料を落としてくれ。もはや投石の必要もなかろう」
眼下で繰り広げられる地獄のような光景を、作り出した張本人であるリストフェインは、青ざめながら見つめた。
見たくはないが目を背けるわけにはいかない。
全てを承知のうえで実行したのだ。
その結末を見届ける義務が、リストフェインにはあった。
指示によって食料が投下され、飢えた獣と化したイェ・ソン兵たちが、理性を失くして奪い合いを繰り広げる。
攻城梯子もすべて倒れ、ハウデンベルク城塞の城門前は、イェ・ソン兵の同士討ちの場と化していた。
「これほどまでに飢えていたのだな」
さすがのアデルベルドも表情を曇らせている。
イェ・ソン兵の中には勢い余って仲間の腕の肉を食いちぎる者までいる有様だ。
多くの戦場を経験し、無数の死と、転がる死体を目にして来たアデルベルドではあるが、もはや同士討ちなどではなく、共喰いとしか言いようのない光景は、精神的にきつかった。
「彼らは、老将の言葉通り、ハウデンベルク城塞へ死ぬために派兵させられたのです」
「先程言っていた呪印とやらも、そこに関係があるのか?」
リストフェインは吐き気を堪えながらうなずいた。
「あれは『腐毒の呪印』と言って、<神にして全世界の王>魔神ラタトスが、人間の領地を攻め滅ぼすのに使用した忌まわしい印なのです」
「魔神ラタトスが……」
「はい。『腐度の呪印』の効果は、死後急速に肉体を腐敗させ、瘴気を生み出し、魔を呼び込む力を有しています」
「だから殺すなと言ったのだな」
理由を問わなかった指示の意味を、今初めて理解したアデルベルドが一つうなずく。
「倒さないわけにはいかない。ですが、倒せばハウデンベルク城塞は、この悪辣極まりない奸計を考え出したイェ・ソンの外道の策にハマることになります。なんとか被害を負傷に留め、殺さずに無力化したかったのですが、私の採った策も、イェ・ソンの策士のことなど非難出来ない外道の策です」
眼下の地獄の光景は、リストフェインにとって、どうしても戦果として受け入れ難いものであった。
「老将の言葉はすべて真実でしょう。今のイェ・ソンは、老人に生きる余地がないほど困窮しているに違いありません。いや、おそらくそれ以上でしょう。彼らは自ら捨て石になることで、家族の負担を減らそうとしたのですから」
「あの状態でよくここまで来られたものだ」
リストフェインの憐憫にはつき合わず、アデルベルドは疑問を口にした。
「それは『腐毒の呪印』の効果の影響でしょう」
「生きている内にも何らかの効果があるのか?」
「はい。『腐毒の呪印』を刻まれた者は、五感が鈍化し、思考も精神もひどく単純化されるのです」
リストフェインの答えに、アデルベルドが唸る。
「痛みに強く、恐れを知らない兵士が作り出せるということか」
「ですが、呪印の力は徐々にですが内側から肉体を蝕み、命を奪います。この呪印を刻まれた者は、死刑宣告を受けたようなものなのです」
その事実が余計にリストフェインの嫌悪感を刺激する。
「なるほどな。確かに死ぬために派兵された兵士だ」
その言葉が届いたのか、下でわずかな食料の奪い合いを演じていたイェ・ソン兵たちが、新たな動きを見せ始めた。
そしてそれは、リストフェインが最も望まない結末へとイェ・ソン兵たちを導いていく。
すでに陽は落ち、周囲には闇の気配が忍び寄り始めている。
イェ・ソン兵たちは、長く伸びた影に引きずり込まれるように傷ついた身体を引きずると、次々とハウデンベルク城塞の堀へと身を投げ始めた。
「やめろっ!! やめてくれっ!!」
リストフェインは叫ばずにはおれなかった。
だが、その言葉はイェ・ソン兵たちの耳には届かず、兵士たちは橋の上から無造作に堀へと落ちて行き、沈んでいった。
始めにハウデンベルク城塞からの矢の滝を浴びて死んでいった者たちの身体から、早くも瘴気が湧き始めている。
瘴気は闇の気配と混ざり合い、ゆっくりと、だが確実に、ハウデンベルク城塞の周囲を覆い始めたのであった――。
まず始めにお詫びを。
前回の王宮解放を、投稿日にお読みくださった皆さん。誠に申し訳ないことに、投降後に書き足しを行いました。
書き足し部分は読まなくても全体の流れには影響しませんが、その書き足しがあるのとないのとでは読後の印象が若干変わります。
執筆がギリギリになってしまい、確認と修正作業が出来ないまま投降したため、このような事態に至ってしまいました。
誠に申し訳ありませんでした。
書き足しは文章の最後近くあり、何故あの場所にリタがいたのかということを説明する内容となっております。
読まなくても大丈夫ですが、気になる方はお手数ですが前話の後半をご確認ください。
今週も評価をいただき誠にありがとうございました。
暁の方にまで評価が入り正直驚きです。
次回は6月23日投稿予定となっております。




