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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
65/152

見抜かれた策略

 リードリットの勝利を、あたかも罠であるかのように王都に広めたのはリタであった。


 三国同時侵攻という恐るべき戦略は、権力の中心である王都ベルフィストから兵力をはぎ取ることが最大の目的であり、勝利条件は兵力を失ったリードリットを倒し、退位したバールリウスを復位させ、ヴォオス貴族に対する支配権を確立することにあった。


 目論見通りルオ・リシタとの避けられないいくさに対し、積極的に行動に出たヴォオスは、ヴォオス軍の主力を北に向けた。

 対ルオ・リシタ戦を利用し、手薄になったヴォオス北東部と東部に、それぞれイェ・ソン、エストバが襲い掛かったことで、ヴォオス軍は国内反抗勢力に対して温存していた兵力をこれに投入、五大家と足並みをそろえることで、何とか事態に対して対応可能な兵力を整え、各戦場へと派遣した。


 さらに、手薄になった王都ベルフィストから、駄目押しで兵力をはぎ取るために、今回の反乱の主力である真・貴族連合が行動を開始し、まんまとリードリットを誘い出すことに成功した。

 それはリードリットの性格からその行動を正確に予測した今回の戦略立案者の功績と言えた。


 リードリットが王都から離れたことにより、王都ベルフィストに権力の空洞が生じる。

 その隙を衝いて王都治安軍に潜伏していたクロクスの部下であるサミュエルが王宮を襲撃し、バールリウスの身柄を押さえ、リードリットの即位の不当性を訴えると共に、バールリウスの復位が宣言された。

 法的な根拠以上に、王都ベルフィストにある玉座に座した者からの言葉は、権力に対する従順を精神の根底に刷り込まれている人々に強い衝撃を与え、王都ベルフィストは政治的混乱状態に陥ることになった。


 リードリットは国内貴族からの支持が、致命的と言えるほどない。

 五大家が各地の戦場に釘づけにされている状態では、中立貴族たちに対する抑えが利かなくなる可能性が非常に高い。

 そういった政治的背景もあり、リードリットは国内中央にありながら、圧倒的な数的大差をつけられかねない状況にあった。


 事実、確率的にはかなり危機的状況にあったリードリットであったが、真・貴族連合軍に対し、新兵を含めても数的に劣る赤玲騎士団を率い、これを見事に撃破した。

 ヴォオスの危機自体が去ったわけではないが、今回の大規模な計画の勝利条件を粉砕したことで、ヴォオス中央におけるこれ以上の混乱は阻止され、リードリットの帰還により、王都ベルフィストの混乱にも終止符が打たれることになる。


 真・貴族連合軍の敗報は、謀反人たちに強い衝撃を与える。

 王都外部からの支援の可能性が途絶えるということは、謀反人たちにとって王宮を占拠しているという優位な状況を、王宮という名の袋小路に閉じ込められている状況へと変える。

 本来であれば情報は詳しく、正確に流し、精神的絶望に追い込んで降伏させるべきなのだ。


 だがリタは、その選択肢を選ばなかった――。


 サミュエルを中心とした上層部と、一般兵とを対立させたのは、リードリットが勝利を収めるその時のために仕掛けられた罠だったからだ。

 一般兵たちにはリードリットの勝利と、裏切った者たちが辿るであろう凄惨な末路を噂として流し、上層部には偽の情報で判断を誤らせ、サミュエルたちに自主的に降伏させようと画策して流された噂だとした。


 兵士たちは裏切ることで、クロクスの下で栄達出来ると約束されていたからサミュエルに従ったのだ。

 もともと新王であるリードリットや、これまで仕えてきたレオフリードには何の恨みもない。

 有利な状況で戦端を開いておいて、あっさりとリードリットに返り討ちに遭った情けない真・貴族連合に義理立てし、怒れる紅の女王の業火で、生きたままあぶられるような最後はまっぴらだった。


 兵士たちは追い込まれ、ついにサミュエルを裏切る決断を下した。

 人質となっているバールリウスを救い出して投降すれば、即位して以降のリードリットの寛容さであれば、許される可能性がある。


 反対に、最後まで抵抗を続けた場合、見せしめも兼ねた残酷な処分が下る可能性もある。

 地下競売場に関与した者は、貴族、大貴族、王族に関わらず、全員が斬首刑に処せられた。

 貴族たちの処刑が決まったときも、いざ処刑場に引きずり出されるまで、大貴族と王族は、自分は大丈夫だろうとたかをくくっていたため、その醜態はひどいものだった。

 だが、処刑人たちは一切の容赦もなく、暴れ逆らう罪人たちを切り刻み、もはや死人同然の罪人たちを、敢えて罪にふさわしい刑を執行するために首を刎ね、見せしめのために晒した。

 やるとなったら容赦などしない。その苛烈さに陰りなど見られないことは、すでに実証済みなのだ。


 内容の異なる噂は、二分されていた謀反人勢力に、それぞれ異なる動機を与え、決定的な対立構造を作り出した。

 兵士たちは真・貴族連合軍の敗報を受け、命惜しさに裏切ることを決意した。

 だが、真・貴族連合軍の敗報をリードリット側による奸計と判断したサミュエルたち上層部は、変わらず抗戦の構えを取り続ける。

 異なる考え同士が向き合えば、後は戦うしかない。

 サミュエルが説得を試みる間もないまま、王都第一城壁内で、戦いの火蓋は切って落とされたのであった。


 何ら得るものがないとわかっている戦いであったが、裏切りを放置するわけにもいかないため、サミュエルは裏切り者たちに対して兵を送り出した。

 サミュエルは愚かなことと知りつつも、その勢力を縮小することにしかならない同士討ちを演じなければならなくなったのであった。


 第一城壁内で戦いが始まれば、第二城壁の守りなどなくなる。

 第三城壁内に取り残されていた王都治安軍兵士たちは、リタの指示により第二城壁を突破し、そのまま第一城壁内へとなだれ込んでいった。

 サミュエルが同士討ちに興じている隙に、一気に王宮の奪還を果たすためである。


 ルートルーンもこの一団に参加し、兵士たちの士気を大いに鼓舞した。

 王都ベルフィストの第一城壁内は、王都の中ではもっとも面積の小さな土地であるが、それでも小国の王都であれば楽に納まるほどの面積を持っている。

 機能性を重視して設計されている第二城壁内以降の都市部と異なり、第一城壁内には自然な景観が残されていた。

 三百年前の王都周辺の景色が、時の流れに呑み込まれることなく、今日まで残っているのだ。


 太古の森が点在し、その周辺の人の手で整備された森が、中央の小高い丘の上に築かれた王宮を囲んでいる。

 ルートルーンたちは小競り合いを始めたサミュエルたち謀反人の軍を避けると、森に身を潜めつつ王宮目指して進軍していた。

 第一城壁も第二城壁同様守るはずの兵士たちが裏切り、第一城壁内へと攻め入っていたおかげで問題なく突破することが出来た。


 リタの計画ではこのまま手薄となっている王宮の守りを突破し、一気にバールリウスを含めたすべてを奪還する手はずとなっていた。

 リードリットの帰還を待たず、策略を駆使して攻め込んだのは、サミュエルが占拠することに成功した王宮への執着を捨て、バールリウスの身柄を確保して逃走することを防ぐためだった。


 王宮は確かに王都ベルフィストの中心である。

 だが、外に味方もない状況で、固執してまで守るような拠点的価値はない。

 重要なのはあくまでバールリウスの政治的利用価値なのだ。

 王宮の占拠という事実があまりにも大き過ぎるため、なかなか『捨てる』という選択肢は選びにくいが、リタの見立てでは、サミュエルは小さな功に捉われず、最終的には大きな功績となるその選択に行き着くと考えていた。


 この大規模な侵攻計画を考え出した者が、バールリウスの国外脱出まで計画に組み入れているかは確かめようがないが、イェ・ソン、エストバという国外勢力を動かしたことからもわかるように、その黒幕であるクロクスであれば、国外までバールリウスを連れ出すことに成功すれば、ヴォオス軍諜報部はおろか、五大家が総力を挙げても奪還することは不可能だろう。

 

 バールリウスはヴォオス侵攻のための大義名分となる。

 これをかつてヴォオスの宰相として、五大家を除くすべての貴族をその影響下に置いていたクロクスが掲げて侵攻して来るとなれば、今回の三国同時侵攻など及びもつかないような事態になるだろう。

 バールリウスは確実に奪還しなくてはならないのだ。


 ルートルーンは第一城壁内へと侵入を果たすまで、事の重大さを理解していなかった。

 伯父であり、敬愛するリードリットの父親であるバールリウスを、肉親として心配し、取り戻さねばならないと考えていた。

 ルートルーンの気質からすれば、肉親への情が先に立つのも無理のない話である。


 だが、家族の一人を救い出すという使命感に燃えていたルートルーンは、それをはるかに上回る王族としての責任感に目覚めさせられることになる。それはリタから指示を受けていたヨナタンから、状況説明を受けたからであった。

 この段階に至るまでリタがルートルーンに対して説明をしなかったのは、背負い過ぎるルートルーンの精神的消耗を考慮してのことであった。

 最後まで伏せなかったのは、今は良くてもこれから先必要となる政治的思考力を鍛えるためである。


「本当に私はまだまだだな」

 ヨナタンの説明を受けたルートルーンが、自嘲の笑みを浮かべる。

 説明されればわかる。ルートルーンの政治的理解力は、すでに十分育っている。ロンドウェイクの息子として貴族社会にも対応して来たのだ。そのつもりがなくても政治的感性は鍛えられる。

 だが、貴族社会の毒に染まらず、潔癖ともいえるルートルーンの気質では、政治的価値を悪用する発想は出てこない。

 悪用しないこと自体は素晴らしいことなのだが、このままでは他人の悪意に鈍感になってしまう。

 国の平和を守ろうと考えるのであれば、それを脅かそうとする者たちの悪意には、敏感でなくてはならないのだ。


「殿下。あまり疑心を大きく育てると、その矛先はいずれ味方へと向かいます。すべてを完璧にこなせることが王者の条件ではごさいません。殿下はあまり周りのことに捉われず、真っ直ぐ進まれるべきかと思います」

 自分の説明を聞いたルートルーンが落ち込んでしまったため、ヨナタンは慌てて言葉を添えて慰める。

 自分もこの集団の中では飛び抜けて若いが、ルートルーンはそのヨナタンよりさらに一歳年下の十四歳だ。並の大人では背負いきれないほどのものを、まだ未発達なその背に追わされているルートルーンの姿に、黙っていることが出来なかったのだ。


「ありがとう。気を遣わせてしまったな。本来文官であるお主の方こそ、いきなり戦いに巻き込まれて恐ろしい思いをしているだろうに、負担をかけてしまってすまない」

 兄のヘインや千騎長のブロース、アンドレアスたちが、ルートルーンと共に戦えることを心底喜んだ理由が理解出来る。


 ルートルーンには他の王族、貴族にはない思いやりの心がある。

 それは、兵士を使い捨ての道具程度にしか考えていない貴族の士官連中とは真逆で、捨てることが出来ずに自分が窮地に陥りかねないやさしさだった。

 兵士であれば誰だろうと、一兵士に過ぎない自分の命を尊いと言ってくれる主の方がいいに決まっている。そんな主だからこそ、兵士たちも命を懸けて戦えるのだ。


「ヨナタン。今の話、結局どう作戦に影響するんだ? バールリウス様をお助けすればいいんだよな?」

 ヨナタンの護衛役を務める兄のヘインが質問する。

 弟の言葉にルートルーンが気落ちしてしまったことはわかった。ヘインもおおいに焦ったが、根本的な部分がわからないため、何と言っていいかわからず、頼りの弟に聞いてみたのだ。


「……そうだな。やらなければならないことは何も変わらない。伯父上をお救い申し上げるのは、私自身の目的であり、ヴォオスのためでもある。やるべきことをやるだけなのだ」

 ヘインの単純な発想を受け、気持ちを切り替えたルートルーンが顔を上げる。

 ヨナタンはまだ理解出来ていない兄に感謝を込めて説明してやった。


「それでいいんだよ。何故そうしたか。何をどうやったのか。ときに動機や過程が重要なこともあるけれど、結果がすべてであるという事実はかわらない。動機や過程は、望んだ結果が得られなかった時に、その原因を究明するために重要なんであって、今この時に必要なのは、バールリウス様を謀反人共の手から救い出すという結果だけなんだ」


「殿下。必ず救い出しましょう。だから、元気出してくださいっ!」

 弟の説明で、とにかく頑張ればいいのだと判断したヘインは、飾り気のない言葉と武骨な笑顔でルートルーンを励ました。

「ああ、必ずだ。頼りにしている」

「任せてくださいっ!」

「兄さん。声が大きいよ」

 ルートルーンに頼りにされて胸を張るヘインを、ヨナタンがたしなめる。

「ふはん」

 慌てて口を押えて「すまん」と詫びたヘインに、ルートルーンもヨナタンも笑いを堪えることが出来なかった。


 笑う余裕――。


 それはカーシュナーから学んだものの一つであった。

 いまさらそのことを思い出し、ルートルーンは自分で自分を不必要なほど追いつめていたことに気づく。

 余裕のない頭で何かを考えたところで、上手い考えなど出てくるはずもなかったのだ。


 気がつくと驚くほど楽になる。

 ルートルーンは二人に感謝しつつ、真っ直ぐ王宮を目指した――。









 第一城壁内で不本意な同士討ちを演じているはずのサミュエルであったが、その姿は戦場にはなかった。

 いや、戦場そのものが存在していなかった。

 リタの策略を見抜いた男は、その策を利用し、上層部と兵士たちの対立構造を一気に加速させ、組織が崩壊してしまったかのように装ったのだ。


 ルートルーンたちが第二城壁と第一城壁を難なく突破出来たのは、取り逃がしたルートルーンをこの第一城壁内へと誘い込むことが目的だったからだ。

 その退路はすでに断たれ、ルートルーンの前方には、サミュエルが兵を率いて待ち伏せている。


 クロクスの残党は、新たにリタがギルドマスターの座に就いた、新盗賊ギルドの中にも潜伏していた。

 リタの策略を看破した男は、盗賊ギルドに潜り込ませている間者と接触を取り、ルートルーンの存在をすでに確認していたのであった。

 すぐに兵を出して捕らえようとしなかったのは、万が一にも取り逃がし、王都の外へと逃亡を図られてしまったら、捕らえる機会を失ってしまうからだ。

 この辺りはリタが、サミュエルたちがバールリウス一人を連れ、国外へと逃亡を図ることを危惧した状況とよく似ている。

 王都から出しさえしなければ、お互いいくらでも機会はあるということなのだ。


 また、今もルートルーンが逃げ出しもせず、王都に潜伏しているということは、リタの策略を信じ、バールリウスの奪還を本気で企てているという証拠でもある。

 ならば、相手が望む状況を作り出してやり、追うのではなく、自らこちらの懐に飛び込んでくるように仕向けてやれば、確実に捕らえることが出来る。


 真・貴族連合軍が破れたことは男にとって腹立たしい事実であったが、誤算とまではいかなかった。

 所詮は我欲の強い貴族の私兵の寄せ集めである。数は何とか確保してやったが、自分が軍中にあって策を授けてやれるわけではない状況では、負ける可能性も十分考慮していたのだ。


 リタからの真・貴族連合軍の敗北に関する偽情報が流されていたが、男は惑わされることはなかった。

 男だけが持っていた真・貴族連合軍との情報網が途絶え、連絡不可能な状況にあったからだ。

 連絡が取れない事と、途絶えるまでに入って来た情報から、男は真・貴族連合軍の敗北が事実であると見抜いたのだ。


 そこからの男の行動は速かった。

 もはや配慮すべき大貴族たちを失った以上、第二城壁から内側の秩序など、気に留める必要はない。

 サミュエルを説得すると宝物庫を略奪し、兵士たちに分配し、これまでリタが策略を駆使して広げてきた上層部と兵士たちの溝を、あっさりと埋めてしまった。

 その上でそれまで以上の軋轢を演出し、一気に破局を演じてみせたのだ。


 リタ側としては、予定よりも早くに訪れた好機に乗らないわけにはいかない。

 サミュエルが兵士たちの反乱を鎮めることに成功しても、その勢力は半減する。そうなればもはや王宮を占拠し続けることも難しい。

 頭の切れるサミュエルであれば、維持出来ない王宮の占拠にはこだわらず、即座に王宮を捨て、国外へと逃亡を図ることは確実だからだ。


 男は時間的にも状況的にも動かざるを得ない状況へとルートルーンを追い込み、バールリウスだけでなく、ルートルーンも捕らえて国外へと脱出する計画を立てたのであった。

 先王であるバールリウスだけでなく、王位継承権第一位にあるルートルーンまで奪われたとなれば、人材に乏しい王族の間では、次期王位継承権を巡り、暗闘が始まることは確実だ。

 リードリットに対する置き土産としては、最高の嫌がらせになるだろう。

 

 そのため、リタの策が順調に進行していると信じて王宮を目指していたルートルーンは、予想外の伏兵に遭い、王宮のはるか手前で戦闘に突入することになった。

「何故ここに兵がいるっ!」

 アンドレアスの怒りの叫びが第一城壁内の森にこだまする。

 何故と尋ねたところで答えなど返ろうはずもなく、アンドレアスの怒りは戦いの喧騒に呑み込まれてしまった。


 伏兵自体は短時間で撃退することが出来たが、第二波、第三波と敵の気配が迫ってくる。

 このまま強引に王宮へと攻め込むのはもはや無謀でしかない。

 ルートルーンは決断を迫られることになった。

「撤退し、態勢を立て直すっ! これが最後の機会ではない。一兵でも多く逃げ延びるのだっ!」

 悔しさのにじんだその声に、兵士たちも同様に悔しさを噛み締めながら従う。


「こちらですっ!」

 ヨナタンの必死の叫びが響く。

 その声に導かれ、ルートルーンを守るべく、王都治安軍は撤退を開始した。

 だが、即座に背後からも兵士の気配が迫ってくる。

 王都治安軍は謀反人共によって、挟撃されつつあったのだ。


 王都の第一城壁内の地形に詳しい兵士などいない。

 大貴族の邸宅が、広大な敷地に囲まれて点在するため、立ち入り禁止区域が複雑に入り組んでおり、全体の地形を把握することは、大貴族や王族であっても不可能だった。

 逃げ回った王都治安軍は、兵士たちはおろか、ルートルーンですらすでに自分の現在位置を見失いつつあった。


「大人しく降伏なさいっ!」

 追いついた王都治安軍に、サミュエルが降伏勧告を行う。

 サミュエルは確かに裏切り者ではあるが、侵略者ではない。

 クロクス側につき、今後のヴォオスでの栄達を望んでいるに過ぎない。

 ルオ・リシタやイェ・ソン、エストバのように、ヴォオスを滅ぼそうと考えているわけではない。

 欲しいのはルートルーンの身柄一つであり、切り捨てた王都治安軍を討伐することではないからだ。

 

「恥を知れ、サミュエルっ! レオフリード様の信頼を裏切った貴様の言葉など信用出来るかっ!」

 しんがりを務めていたアンドレアスが、怒りを込めて怒鳴り返す。

「冷静になれ、アンドレアス。このままではルートルーン殿下を死なせることになるということがわからないのか」

「誰が死なせるものかっ! この身を楯とし、必ずお守りしてみせるわっ!」

「言葉の通じん愚か者がっ!」

 頑として聞き入れないアンドレアスに対し、サミュエルも苛立ちを爆発させる。


「殿下はおそらく前方におられるっ! 弓の使用を許可するっ! 頭の固すぎる邪魔者を排除せよっ!」

 無駄に殺したくはなかったサミュエルであったが、こうなってはやむを得ない。決断して以降は非情になりきってみせる。


 矢の雨が降り注ぎ、アンドレアスの周囲で次々と兵士たちが射倒されていく。

 挟撃から完全に包囲しようとしているサミュエルの追撃部隊は分散されているためそれほど数は多くないが、その分精鋭を揃えている。背を見せて走っている王都治安軍は格好の的だった。


 このまま距離を取られながら、じわじわと削られていってはしんがりが崩壊してしまう。

 アンドレアスの決断は速かった。

「二部隊反転っ! ここで裏切り者の首級を上げるっ!」

 何も出来ないままいたずらに討たれるくらいなら、ここで一度サミュエルの足を止めさせ、前を行くルートルーンに少しでも余裕を持たせようと考えたのだ。


 代償は自身の命と二部隊分の兵士の命――。


 迷いなく先頭きって馬首を返したアンドレアスに、兵士たちも迷うことなく馬を返した。


 弓をつがえる兵士たちを、サミュエルがさえぎる。

「かつての同門だ。せめてもの情け、剣で逝かせてやれ」

 そう言うとアンドレアス同様サミュエルも先頭を切って飛び出し、向かってくるアンドレアス目掛けて拍車を入れた。

 欲に転んだとはいえ、この時サミュエルの周囲を固めていたのは全員元レオフリード麾下の兵士たちだ。臆病者は一人もいない。

 全員が迷うことなくサミュエルの後に続いた。


 戦闘は激烈を極めた。

 レオフリードの麾下に弱兵はなく、必然的に戦いは激しいものになる。

 剣戟は騒音となり、先を行くルートルーンの耳にも届いた。

 振り返るルートルーンの視界にヨナタンが割り込む。

「彼らの意思を無駄にしないでください」


 ヨナタンの顔にはルートルーンの心情をそのまま映したような表情が浮かんでいた。

 味方を、仲間を切り捨てることに対する苦悩が、ヨナタンの表情を歪ませている。

 ヨナタンは兵士でもなければ軍師でもない。暴走しがちな王都治安軍の手綱を取るべく、リタによって強引に王都治安軍に組み込まれた王都治安軍本部の事務職員に過ぎない。

 そのヨナタンが初めて経験する戦いの重圧の中、何とか任された務めを果たそうと、懸命に冷静さを保とうとしている。

 それは、人として甘いルートルーンが、情に流されて判断を誤らないようにするためだ。


「ヨナタン。我らはどこへ向かっているのだ?」

 視線を前に戻したルートルーンは、戦いの喧騒を意識から締め出し、振りかえることをやめた。

 一歩進むごとに遠ざかる喧騒が、急速に小さくなりだしていることの意味も考えない。

 ここで立ち止まってしまっては、彼らの犠牲が無駄になってしまう。


「クライツベルヘン家の所有地です」

 ヨナタンも頭の中からしんがりとして後方に下がったアンドレアスのことを締め出す。

「殿下を頼む」

 代わりに、アンドレアスが去り際に伝言として残した言葉だけを、何度も頭の中で繰り返しながら――。


「それでは袋小路になるのではないか?」

 第一城壁内の地形は、王族であっても完璧に把握することは出来ないが、それでも五大家の所有地くらいはルートルーンの頭の中にも入っている。この窮地から脱するには、第一城壁外へと逃れるしかないのだが、クライツベルヘン家の所有地は特に地形が複雑な場所にあり、入り込んでしまったら嫌でも速度を落とさなくてはならない。そうなれば完全に包囲されるのは時間の問題となってしまう。


 どうせ追いつかれるのであれば、兵士でもないクライツベルヘン家の者たちを巻き込みたくはない。

 目的地の変更を要請しようとしたとき、王都治安軍を挟撃するべく回り込んでいた部隊がついに追いつき、側面から襲い掛かって来た。


「迎え撃てっ!」

 微塵も焦りを見せず、ブロースが指示を下す。

 兵士たちも左右から襲い掛かって来た敵部隊に対し、一瞬も遅滞することなく対応してみせる。

 それでも数では謀反人共の方が上だ。

 一隊が王都治安軍の壁を抜け、ルートルーンへと迫った。


 ルートルーンは即座に剣を抜くと、迎撃の体勢を取った。

 今のルートルーンは、守ってもらはなければならないだけの、ただの少年ではない。

 だが、その背後から、不意に別部隊が飛び出して来たら話は別だ。

 突っ込んで来た一隊は陽動で、別の隊がすでに背後に迫っていたのだ。


「殿下っ! 危ないっ!」

 奇襲に気がついたヨナタンが、ルートルーンを狙って剣を振り下ろす騎士の馬に、自分の乗馬をぶつけて阻止する。

 すでに二人同時に相手取っていたルートルーンには、三人目の攻撃をかわすゆとりはなかったのだ。

 激突の衝撃でヨナタンは馬から放り出され、地面に叩きつけられる。


「邪魔をするな、小僧っ!」

 あと一歩のところでルートルーンを捕らえることが出来た騎士が、怒りに任せてヨナタンの頭上に剣を振り下ろす。

「ヨナタンっ!!」

 兄であるヘインの叫びが虚しく響く。

 自身もルートルーンの隣で二騎相手に戦っている最中で、弟を救いに行くことが出来ない。


 死に直面したヨナタンは、自分を鬼の形相で見下し、高く振り上げられた剣を怒りの言葉と共に振り下ろしてくる敵騎士を、まるで時の流れが変わってしまったかのように、ゆっくりと、そして驚くほど鮮明に観察していた。

 

 教えられなくてもわかる。

 自分は死ぬのだ。

 最後の瞬間を、まるで水の中にでも閉じ込められたかのように、ゆっくりと過ごしている。

 もうすぐ死ぬのに、自分でもずいぶんと冷静だとおかしくなる。

 だが同時に、ヨナタンは自分が上げている恐怖の叫びも聞いていた。

 恐怖により意識の一部が切り離されたのだ。


 迫る刃に恐怖する自分の中にありながら、ヨナタンは冷静に剣先の刃こぼれを目で追っていた。

 目は閉じない。

 切り離された意識がそうさせなかったのだ。

 その結果、ヨナタンは自分が命を救われる瞬間を、誰よりも克明に知ることになった。


 騎士の胸に一本の剣が飛び込み、騎士を刺し貫いて馬上から落とした。

 不意に時の流れが通常の流れを取り戻す。

「どうしてっ!!」

 ヨナタンは助かったにもかかわらず、絶望的な悲鳴を上げていた。

 剣を投げてくれたのが、ルートルーンだったからである。


 戦いの最中に武器を失ったルートルーンに二人の騎士が迫る。

 もちろん殺すつもりはない。剣の腹で打ち、意識を奪うことが目的であるが、ルートルーンの予想外の強さの前に攻めあぐねていたのだ。


「殿下っ!!」

 今度はヘインが絶望的な叫びを上げる。

 だからといって何かが変わるわけではない。

 無情に、ルートルーンを捕らえるべく剣が振り下ろされる。

 敵の顔に醜い笑みが浮かぶ。

 だが、その笑みは直後に苦悶の表情で固定されることになった。

 いつの間にか手にしていた鉄製の鞘が、騎士の喉元に突き込まれたのだ。


 もう一人の騎士が慌ててルートルーンに打ちかかるが、巧みに鞘を操るルートルーンによって、捕らえるどころか手にしていた剣を叩き折られ、ついでのようにその鼻もへし折られて、馬上から血の尾を引きながら落馬していった。

 ルートルーンは一瞬の遅滞もなく鞘を片手にヘインの援護に向かい、形勢を一挙に逆転させてしまう。


「殿下、お見事ですっ!!」

 守るはずのルートルーンに助けられたヘインが歓声を上げる。

 目上のヘインに尊敬のまなざしを向けられたルートルーンは、一瞬だけ照れ臭そうに頬をゆるめると、すぐに表情を引き締めた。まだ何も終わってはいないのだ。


 リードリットとカーシュナーの一騎打ちを聞いたルートルーンは、鞘を用いた戦闘術をカーシュナーに頼み込み、習っていた。

 とはいえ実戦で試すのは初めてだ。

 ルートルーンは上手くいって良かったと、表には出さずに嘆息した。


「で、殿下。何故私のような者を助けたのですか。ご自身の御身が危険にさらされるというのに……」

 結果として敵の奇襲を制圧出来たから良いようなものの、一歩間違えばすべてが終わっていた可能性もあったのだ。

 それもかなりの高確率で――。

 ヨナタンの命一つのために賭けるには、それは大き過ぎる賭け金だった。


「お主が兵士であれば、私も危険を冒したりはしなかったかもしれない。だが、お主は本来守られべき立場の者だ。守れる可能性があるのなら、私は守るべき立場にある王族として、その義務を果たす。それに、先に助けてくれたのはお主の方ではないか」

 そう言ってルートルーンは笑った。


 戦いの最中で一瞬だけのぞいた、まるで太陽の様な笑顔を、ヨナタンは深く胸に刻んだ。

 この御方も、より良いヴォオスの未来の可能性なのだ。

 自分に何が出来るかわからないが、自分はこのお方のために生きようと、ヨナタンは心に誓った。

 この瞬間、ルートルーンはまだ気がついてはいないが、生涯の友を得たのであった。

  

「ヘインっ! 殿下とヨナタンを連れて先に行けっ!」

 直後に駆けつけたブロースが指示を出す。

「……はいっ!」

 一瞬だけ言葉に詰まったヘインであったが、即座に気持ちを切り替える。

 誰かがこの場で足止めをしなくてはならない。

 全員でこの場に足を止めて戦えば、挟撃部隊を退けることは出来るかもしれない。だが、それと引き換えに王都治安軍は敵部隊に追いつかれ、完全に包囲されてしまうだろう。

 アンドレアスがそうしたように、誰かが犠牲にならなければ、すべてが終わってしまう。


「ブロースっ!!」

 振り返らずにルートルーンが声を上げる。

「はいっ!」

 それに対し、ブロースが短く応える。

 不敬ではあるが、ブロースも敢えて振り返らずにいる。


「死ぬなよ」

「殿下っ! どうかご無事でっ!」

 ルートルーンの言葉に対し、ブロースは答えなかった。

 その意味が分からない者は一人もいない。

 ルートルーンは強く歯を食いしばり、先へと進んだ。 

    

 不意に地形が歪みだす。

 そこはかつて神々が争った際に出来た戦いの痕跡であり、非自然的地形となっていた。

「入りました」

 ヨナタンがわずかに興奮をのぞかせる声で告げる。

 クライツベルヘン家の所有地に入ったのだ。


「これからどうする?」

 ルートルーンが尋ねる。

 サミュエルたち謀反人共を分裂させ、同士討ちの隙を衝いてバールリウスを奪還することが今回の目的であり、第一城壁内で謀反人の全兵力を相手取ることなど想定していなかった。

 ヨナタンが先導してくれなければ、ルートルーンと王都治安軍は行動に迷い、最悪の場合バラバラに逃げ散り、各個撃破されていた可能性もあった。


「こちらです」

 ヨナタンは周囲を見回すと何かを見つけたようで、迷いなく踏み込んでいった。

 全員素直に従うが、道とは呼べないような悪路を進むことはひどく精神を消耗させる。

 こんなところで襲撃に遭えば、反撃すらままならずに全滅するだろう。

 

 進行速度の遅れが謀反人共を呼び寄せる。

 隠そうともしない気配が徐々に迫り、ルートルーンたちの焦りを煽った。

 隘路を抜けると、不意に空間が開ける。

 だが、安心している余裕はない。追手の気配はすでに背後に迫っている。


 再び周囲を見回し始めたヨナタンは、自分のすぐ隣に、周囲の景色に溶け込むように、初老の男がいることに気がついた。

 口を出掛けた悲鳴を、文字通り手で抑えて未然に防ぐ。


「私、クライツベルヘン家の王都邸宅で執事長を務めます、バルトアルトと申します。ルートルーン殿下、ご無事で何よりでございます」

 周囲に溶け込むような色に染められた装束を身に纏った男は、どう見ても執事には見えないが、その落ち着いた物腰からは高い教養を感じさせた。


「巻き込んでしまってすまない」

 ルートルーンはまず詫びた。

 本来戦いとは無縁であるべき人々を、こうして巻き込んでしまっているのは、自分を含めた王族に、貴族の反発を抑止するだけの力がなかったからだ。

 

 クライツベルヘン家の執事長であるバルトアルトは、ルートルーンの言葉に眉ひとつ動かさなかったが、内心ではその青い潔癖さを好ましく思っていた。

 カーシュナーと関わったため、精神の核が悪影響を受けているのではないかと密かに心配していたのだ。


「会話はこれくらいで。時間がございません。急ぎましょう」

 そう言うとバルトアルトは近くに繋いでいた馬を取りに向かった。

 そのまったく音を立てない動きに、ルートルーンは思わず目を見張った。

 ひらりと馬に跨り、馬上に落ち着いたその姿だけで、この初老の執事長が只者ではないわかる。

 クライツベルヘン家には、まだこんな男が隠れていたのかと驚きつつ呆れる。


 バルトアルトに先導され、移動を始めた直後に、後方から混乱の叫び声が上がる。

 思わず馬を止めたルートルーンに、バルトアルトが種明かしをする。

「盗賊ギルドの方々が仕掛けた罠にはまったのでしょう。ここは地形が複雑です。一度迷い込むと、抜けることはおろか戻ることも難しい場所です。そこに仕掛けられた無数の罠を、彼らが見つけ出して解除するのは不可能。いったいどれだけの人数が抜けて来るか、今から楽しみです。おっと、言い忘れておりました。ここから先、皆様は私が通った後を正確について来てください。脇に逸れたり、不用意に周辺にあるものに手をお触れにならないようご注意願います。一人ではなく、複数の方の命が危険にさらされますので」

 そう言って馬上で丁寧にお辞儀をする。


 場の空気に呑まれているため気がつかないが、この場にカーシュナーがいれば、バルトハルトが若干ふざけていることを見抜いただろう。

 クライツベルヘン家の悪癖は、その血に連なる者たちばかりでなく、従う者たちにも感染してしまうのだ。


「遅れずについて来てください」

 バルトアルトはそう言うと、馬に拍車を入れた。

 先程の脅しが利いている一同は、置いて行かれてはたまらないと、慌てて後を追った。

 今この場に辿り着いた兵士全員が、地下競売場の襲撃に関わっていた。

 そのため、盗賊が仕掛ける罠の恐ろしさを、全員が知っていたのだ。


 苦痛と恐怖、怒りと苛立ち、様々な絶叫をを上げながらも、追跡の手は確実に近づきつつある。

 ヨナタンは平静を保つために、バルトアルトの言いつけを守りつつ、周囲を細かく観察して気を落ち着けようとした。

 それにしても異常な地形である。まるで巨大な足で泥でも踏みつけたような歪み方だ。

 その発想に至ったとき、ヨナタンは全身が鳥肌立つのを感じた。

 おそらくそう(、、)なのだ。

 ここは今も大地に残る神々の足跡の一つなのだ。


「バルトアルト様。一つ伺ってもよろしいでしょうか?」

「なんでしょうか?」

「何故この周辺には植物が見られないのでしょうか? それに、植物だけだなく、生き物の気配もありません」

 そこはまるで干上がった川床のように滑らかな細長い窪地で、まるで掃除でもされてるかのように何もないところであった。

 周囲を太古の木々が囲んでいることもあり、余計にその姿は目立っていた。


「よく見ているな」

 ヨナタンの言葉に、ルートルーンは素直に感心した。

 異様な様子にはルートルーンも気がついていたが、その理由にまで考えは及ばなかった。

「確かに。素晴らしい観察力です」

 バルトアルトも感心する。


「説明するより、直接ご覧になられるのが一番でしょう。丁度目的の場所でもあることですし」

 そう言うとバルトアルトは脇に寄り、後続に先に行くよう指示を出す。

 バルトアルトに倣って脇に寄ったルートルーンとヨナタンは、振り向いた先の岩陰に、隠された人工物を発見した。

 人工物と言ってもそれほど大袈裟なものではなく、水路などで水をせき止めるための構造を、むき出しにしたようなものだった。杭が通路の両側に二本ずつ、隙間をわずかに開けて打ち込まれており、その隙間に挟み込むためのものであろう平板が用意されている。


 案の定バルトアルトが平板を杭の隙間に挟み始めたので、ルートルーンとヨナタンも手伝った。

 完成すると、通路は二メートルほどの高さの板壁で仕切られることになった。

「失礼ですが、これでは敵の追撃は数分も足止め出来ないと思いますが……」

 ヨナタンが遠慮がちに疑問を口にする。

 平板は厚みこそあるが所詮ただの木の板に過ぎない。馬の一蹴りで容易に粉砕されてしまうだろう。

 

「説明は後ほどということで。急いでこの場を離れましょう」

 それまで、どこか余裕すら漂わせていたバルトアルトが、表情を引き締める。

 もちろん近づく敵兵の気配を恐れたわけではない。

 もっと別の何かを恐れている。

 これほどの人物から余裕を奪うものの正体など想像もつかないが、ルートルーンとヨナタンは疑問を一時棚上げにし、バルトアルトに従った。


 不意に地面が鳴動する。

 それは微妙な振動で、馬上にあるルートルーンとヨナタンには察知出来なかったが、乗馬はその異変と、その異変がもたらす結果を本能的に悟り、ひどく怯え、恐慌状態に陥りかけた。

 二人は何とかなだめつつバルトアルトを追ったが、自分自身も得体の知れない恐怖を振り払うのに必死だった。


 不意に前方の視界が開けた。

 そこはすり鉢状に広がった窪地の底で、先行した兵士たちも馬を捨てない限りこれ以上は進めないため、この地で馬を返し、ルートルーンが戻るのを待っていた。

 地面の振動もここまでくるとかなり軽減されるが、それでも不安がる馬たちの様子に、兵士たちも戸惑いを隠せない。


 バルトアルトは窪地に入ると即座に馬を降り、窪地の斜面を登りだした。

 ルートルーンは兵士たちに待機命令を出すと、ヨナタンと共にバルトアルトに続き、窪地の上に出た。

 先を進むバルトアルトに追いつくと、その場所からは先程通った狭い通路が見渡せた。

 ルートルーンを追って疾走する追跡部隊の姿も確認出来る。

 窪地で戦いになるのは確実だった。


 慌てて引き返そうとするルートルーンを、バルトアルトが引き止める。

「もうすぐです」

 何がもうすぐなのかわからなかったが、その迫力に気圧され、ルートルーンはその場に留まった。

 そしてバルトアルトの言葉通り、直後に大地の震動が一気に高まり、狭い通路に瘴気が吹き出した。

 驚愕の叫びが上がったのは一瞬で、馬たちがバタバタと倒れ、投げ出された兵士たちの悲鳴も、地面につくころには途絶えていた。


 数千の人馬の命が、一瞬で奪われていく。

 あまりにも呆気なく、そして恐ろしい数の命が消えて行く光景を、ヨナタンは震えながら見つめていた。

 先程までの戦いの恐怖とは全く別物の恐怖だ。

 

 一方的な殺戮――。 


 どれ程恐ろしい猛獣でも、これほどの数を一瞬で殺すことはない。ましてや同族だ。

 効率という意味だけで考えれば、これほど見事な結果は稀だ。

 だからこそ、ヨナタンは恐ろしかった。


 人間を効率よく殺す方法――。


 それを考え出せる人間が狂気に満ちた殺人鬼であれば、まだ納得も出来る。

 だが今回の策は、冷静に考えられ、冷徹に実行に移された。そこに狂いは微塵もない。

 自分自身も承知の上で(、、、、、)今回の策に加わっていたのだから、そこに残虐性など紛れ込んでいなかったことは確かだ。


 それだけに、現実に目の前で起きている無慈悲な死の光景が、余計にヨナタンの恐怖心を煽った。

 その恐怖の光景は、収まるどころかなお広がり続けている。

 サミュエルを筆頭とした謀反人たちは、おそらくそのほとんどがこの地で死に絶えることになるだろう。


 万単位の人間の死――。


 それを受け入れ、数字として処理しようとしている自分自身が、ヨナタンは何より恐ろしかった。


「お主はこの時間に瘴気が吹き出すことを知っていたのだな……」

 ルートルーンも目の前の光景に目を釘付けにし、地獄を覗き見ているかのように声を震わせる。

「はい。この地では、特定の場所で濃度の濃い瘴気が吹き出します。その時刻は正確で、寸分の狂いもありません。我々はこの地の特性を利用すべく、サミュエルの王宮占拠後すぐに、この地に罠を張り巡らしたのです」

「あの平板は、防壁として通路を塞いだのではなく、瘴気を通路に閉じ込めるためのものだったのか……」

 疑問が解けたルートルーンが、次々と倒れていく敵兵を眺めながら呟く。


「……今、王宮が占拠されてすぐに、この地に罠を張ったと言ったな?」

 あることに気がついたルートルーンが、驚愕に目を見張りつつ、バルトアルトに尋ねる。

「はい」

 バルトアルトは素直に認めた。


「始めからこうなることを予測していたというのかっ!」

 自然現象を利用した罠は、事前の下準備が重要になる。

 いくら通路を板で塞いだとはいえ、あんなものでは足止めの足しにもならない。突破されてしまえばそれまでだ。

 正確にこの時間にこの場所へと敵を誘導出来なければ、何の効果も発揮出来ない。


「こうなることを予測したというよりは、こうなるように(、、、)誘導したのです」

 結果に満足しつつ、バルトアルトが説明する。

「一日のこの時間に、わずかな間だけ吹き出す瘴気を確実に利用するためには、敵の動きをこの時間に合わせて誘導する必要がありました。この地に無数に罠を張り巡らしたのも、敵の移動速度を制限するためです。敵の移動が遅ければ罠は作動させず、早ければ足止めのために作動させる。盗賊ギルドの皆さまは、完璧な仕事をしてくださいました」


「誘導したと言ったが、いったいいつからその誘導を行っていたのだ? サミュエルの裏切りは誰にとっても予想外だったはずだ。そもそもクライツベルヘン家が察知していたのなら、事前に警告してくれれば済む話だ。警告がなかったということは、クライツベルヘン家もサミュエルの謀反に関しては事前に何も掴めていたかったことになる。にもかかわらず、どうやってこれほどの罠を用意したのだ?」

 ルートルーンが疑問に思うのは無理もない話だ。万単位の軍の動きを、ここまで完璧に制御するなど至難の業だ。まして相手はサミュエルだ。裏切りはしたが、それで能力が落ちるわけではない。雑な仕掛けであれば見抜いていたはずだ。

 そのサミュエルの目を欺くほどの精度の罠だ。そう簡単に準備出来るものではないはずだ。


「それほど驚くことではありません。この地の特性を生かした罠の基本的な部分は、カーシュナー様が以前からご用意されていたものなのです」

 その説明に、逆にルートルーンは驚かされた。

 今日この日に、この事あると予測していたのだろうか? おおいにあり得る。半年前に現在のヴォオスの状況を予測し得た者は一人もいない。それほどのことを成し遂げた男だ。サミュエルの裏切りを予知していたとしても、ルートルーンは驚かない。


「リードリット陛下は残念ながら敵が多い御方です。カーシュナー様はそんなリードリット様を心配され、事前にいくつかの状況を予測し、その対策を用意されていたのです。今回使用した罠はその一つに過ぎません」

 バルトアルトはさも当たり前のように口にしているが、三百年起こらなかった第一城壁内での戦闘を、いったい誰が予測するだろうか。発想自体があり得ないと一笑にされて終わりだ。

 そんな可能性の低い状況に対してまで、これほどの規模の罠を用意する。

 骨惜しみしないその行動力こそ、カーシュナーという男の真価なのかもしれない。


「誘導は、罠の存在を聞き知っていたリタ殿が、この地へ謀反人共をおびき寄せるために、ルートルーン殿下救出後、かなり早い段階から着手されました」

「……リタ殿は始めから、ここまでを計画して行動していたということか」

 自分が全く異なる状況を見ていたことを知ったルートルーンは、ため息をつくように呟いた。

「たいした御方です」


 バルトアルトの言葉に、ルートルーンも同じ思いだった。

 ルートルーンはこの瞬間まで、リタの策はサミュエルが率いる軍内に亀裂を生じさせ、互いに争う隙を衝いて王宮を奪還するものだと考えていた。

 だが、リタの策は見抜かれ、逆に利用され、おびき出されたルートルーンは挟撃されて窮地に立たされることになった。

 作戦の失敗を悟ったルートルーンは、再起のため撤退を決意し、ここまで逃げ延びて来た。

 ――はずだった。


「ヨナタン。お主はどこまで知っていたのだ?」

 ここまで先導してくれたヨナタンに、ルートルーンが尋ねる。

 まだ青ざめ、震えたままのヨナタンではあったが、それでもルートルーンに対して説明の義務を感じ、震えながら説明した。それはこの策のために死んでいった者たちに対する礼儀でもあると思えたのだ。


「サミュエルの軍に阻まれた際は、クライツベルヘン家の所有地を目指すようにと指示を受けておりました」

「サミュエルが策を見破っていることは知っていたのか?」

「はい。ですが、サミュエルはリタ様の策を見抜いたのではないのです」

「どういうことだ? 見破りもせずに我々を誘い出すことは出来まい」

「リタ様は、今回の謀反の首謀者が、リタ様の策を見抜き、逆用してルートルーン殿下を捕らえようとするところまで読んでおられたのです」

「!!!!」

 ルートルーンはリタのあまりの読みの深さに声も出なかった。だが、ある一つの事実には気がついた。


「そうか。サミュエルが私をおびき出したのではなく、私がサミュエルをおびき出すための囮だったということか……」

 守られるばかりだったルートルーンは、まさか自分が最も危険な役目を負わされるとは思ってもみなかったのだ。


「申し訳ありませんっ!!」

 ヨナタンは深々と頭を下げた。

 リタの考えを直接聞いたわけではない。だが、状況の変化と自身に与えられた役割から、ヨナタンは策の全体像を、おぼろげながらにではあるが、悟っていた。


 王位継承権第一位にあるルートルーンを危険にさらしていいのかと、正直疑問に思ったが、その効果の確実性も理解出来てしまうヨナタンは、自身も同じ場所に身を置くことで何とかルートルーンに対する罪悪感を抑えていたのだ。


「お主が詫びることではない」

 ヨナタンの人柄を考えれば、味方を騙すような今回の役割は、精神的に辛かったはずだ。それに、自分と一緒にいるということは、ヨナタン自身も囮としてその身を危険にさらしていたことに違いはない。

 自分だけが被害者のように考えるのは筋違いなのだ。


「きっとリタ殿のことだ。私のことを格好の囮だと言って笑っていたに違いない」

 ひたすら頭を下げ続けるヨナタンの負担を少しでも軽くしてやろうと、ルートルーンは軽口を叩いて笑った。

「それは否定しませんが、やはりバールリウス様の身柄を押さえられてしまったことが致命的でした。リタ殿は陛下のためである以上に、政治的理由から、バールリウス様の奪還を最優先しなければならなかったのです」

 何気にひどいことを口走りながら、バルトアルトがリタの立場を擁護する。

 立場の擁護は出来たが、リタの人間性はまったく擁護されなかったことについて、ヨナタンは何も言わないことにした。


「そうだな。伯父上をお救い申し上げることこそが肝要なのだ。それに、私はこれまでまったくの役立たずだった。正直囮としてサミュエルたちを誘い出す役に立てて嬉しい」

「お喜びになられるのは少々早いかもしれません」

 バルトアルトの言葉と共に、木が砕けるような音が遠くに響く。

「さすがに全滅とまではいきません。生き残りを殲滅いたしましょう」

 言うが早いか、バルトアルトはこれから戦場となる窪地へと向かった。

 形勢は一気に逆転した。それほどの策を成功させておきながら、バルトアルトの背中には微塵のゆるみも見られない。

 気持ちを引き締め直したルートルーンとヨナタンも、遅れずにその背中に続く。


 王宮の占拠という、ヴォオス史に残る謀反が、これから終ろうとしていた――。

  

 ありがた過ぎることに、評価をいただけた上に感想までいただけました!

 褒められるのはもちろん嬉しいですが、読まれているという感覚が、何よりありがたいです。

 書くためのモチベーションが満タンまで補充されました。

 ありがとうございます。


 次回は6月9日投稿予定です。

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