表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
61/152

リードリットの決断

 その知らせは勝利を目前に控えていた赤玲騎士団を凍りつかせるに十分な内容であった。


 王都から、先王バールリウスの親書を携えて使者がオス峠の砦を訪れたのは、リードリットがまさに出陣しようと馬にまたがった直後であった。

「間の悪い馬鹿に言っておけっ! 今はそれどころではないとなっ!」

 そう言って拍車をかけようとしたリードリットの馬の手綱を、アナベルが握って何とかその場に留める。


「陛下っ! バールリウス様が、停戦を呼び掛けていらっしゃるそうですっ! 反乱軍にも使者を送るそうで、砦を通過させろとのことですっ!」

「父上は何を考えておられるのだっ! 反乱はすでに起こっているのだっ! 同じ反乱でもライドバッハの時とは意味が違うのだぞっ!」

 手綱を押さえるアナベルに、リードリットが苛立たしげに怒鳴りつける。


「そうだとしても、討ってしまってからでは取り返しのつかない内容かもしれませんっ! まずは親書の確認をっ!」

 いくらリードリットが相手でも、こればかりはアナベルも引くわけにはいかない。

「ええいっ! その使者とやらを通せっ! 会ってやるっ!」

 気は急いていたが、リードリットもこれはただ事ではないという予感を覚えていたため、やむなく馬から降りる。


 リードリットが馬から降りると、そこに尊大な顔つきの使者が、馬に乗ったまま現れた。

「貴様っ! 陛下の御前で……」

「勅命であるっ!」

 アナベルが血相を変えて使者に怒鳴りつけると、使者はそれを上回る大声で遮り、親書を掲げてみせた。

 親書には王の印璽いんじで封蝋が施されている。


「改めよっ!」

 使者はそう言うと、馬から降りて親書を直接リードリットに差し出した。

「貴様っ!」

 そう叫んで剣を鞘走らせるアナベルの手を、リードリットが何気ない動作で押し止める。

「確認しろと言ったのはお前だろ。いきなり斬ってどうする」

 リードリットがそう言ってアナベルをたしなめるのを、使者は思わずのけぞりながら見守った。先程まで被っていた尊大という名の仮面には、大きな亀裂が入っている。


 アナベルは剣を鞘に戻すと、使者の手から親書をひったくるように受け取った。

 使者の護衛の騎士たちが殺気立つが、周囲を赤玲騎士団に囲まれているため、ジッと様子をうかがっている。

 それらすべてをつまらない小芝居でも見るかのように流していたリードリットは、アナベルから親書を受け取ると、封蝋を改めた。

 そこに印されているのは間違いなく、自分以外に扱うことを許されていない王の印璽であった。

 リードリットはそれだけ確認すると、開封されていないかの確認は行わず、使者に親書を返した。

 内容などもはやどうでもいい。王宮で異常事態が持ち上がったことは、もはや間違いないからだ。


 リードリットが大人しいのをいいことに、使者は再び新しい尊大の仮面を被り直し、封蝋を割ると親書を取り出した。

「聞けいっ! これは、バールリウス陛下からの勅命であるっ!」

 アナベルの形相が一変し、今度こそその剣が引き抜かれる。アナベルの抜剣に遅れることなくその場の赤玲騎士団員全員も、剣を抜き放つ。

 護衛の騎士も剣を抜き、使者を囲んで対抗する。

 衝突寸前の両者を、リードリットが片手を上げて制する。


「聞いてやる。読め」

 何の感情もたたえない黄金色の瞳を使者に据え付けたリードリットが促す。

「こ、心して聞くがよい……」

 これから勅命を伝えようという使者は、リードリットが纏う王者の威に気圧されながら虚勢を張った。

 気圧されている時点で使者の行動はひどく矛盾しているのだが、その皮肉な矛盾に気がついているのは、隠れて様子をうかがいながら、意地の悪い冷笑を浮かべるセインデルトのみであった。


「先の退位は王女リードリットとその一党による脅迫により宣言させられたもである。よって宣言そのもが無効であり、当然その後のリードリットの戴冠も無効となる。リードリットとその一党は直ちに武装を解除し、ヴォオスの法の定めるところに従うべし。以上がバールリウス陛下からの勅命である」


 あまりのことに、怒りを通り越して言葉も出ないアナベルと赤玲騎士団は、抜刀した状態で固まってしまった。

 だが、リードリットだけは使者の言葉を聞いても顔色一つ変えることはなかった。

 代わりに鼻で笑って使者の言葉を笑ってあしらう。


「伯父上も、何ともつまらん策を考えたものだ。ドラルハッテン公爵マクシミリアンともあろう男が、こんな幼稚な下策でたばかれると考えたとはな」

 リードリットは目の前の使者を、真・貴族連合軍の放った偽の使者と決めつけたのだ。

 アナベルたちもリードリットの言葉にハッとなり、新たな怒りで一歩詰め寄った。


「ば、馬鹿を申すなっ! 私は間違いなく王都から派遣されたバールリウス陛下の使者だっ! 陛下以外に誰が王の印璽に触れらようか。自分で先程真偽のほど確認したであろうがっ!」

 偽物と決めつけられた使者が必死で己の正当性を主張する。

 確かに一理あると考えたリードリットは、使者に対して他に勅書と主張するおバカ文章が本当に父の手によってしたためられたものなのかを証明するよう求めた。


 それに対し使者はいやらしい笑みを浮かべると護衛の騎士から剣を受け取ると、もったいぶった仕草でリードリットに渡した。

 剣にはどうやら指輪が括りつけられているようだが、リードリットの目は剣でも指輪でもなく、剣に指輪を括りつけている黒く艶やかな長い紐自体に釘づけになった。


 リードリットは素早く紐を解き、無造作に指輪をアナベルに渡した。受け取ったアナベルは指輪の正体に気がつくと、それまでの怒りも吹き飛び青ざめる。

 剣にからんでいた紐を解くと今度は剣を無造作に差し出す。

 受け取るべきアナベルが呆然としてしまっているので、代わりにそばにいた赤玲騎士団員が受け取る。剣には赤玲騎士団の紋章が刻まれていた。


「お気づきの様で、説明の手間が省けて助かりますな」

 使者はそう言いつつも自分が証拠として持参した物が何であるのかを得意げに語り出した。

「指輪はそう。バールリウス陛下が常に身に着けておられる王家の指輪だ。その方が私の言葉を信じない場合を想定して持たせてくださったものだ。」


 バールリウスが持たせてくれたかは定かではないが、その指輪が本物であることは、少女時代のリードリットに仕え、父であるバールリウスとも接する機会の多かったアナベルには一目でわかった。

 手の平に沈み込むその重さからも、純金製であることがわかる。そう簡単に偽物が用意出来る代物ではない。

 事情はまったく分からないが、先王バールリウスが国宝である王家の指輪を手放さなくてはならない状況にあることは間違いない。


「バールリウス様はご無事なのであろうなっ!」

 アナベルが血の気の失せた顔で睨みつける。

「気安く陛下のお名前を口にするなっ! 陛下の御身が御無事であるかだと? そんなことは貴様の知ったことではない。だが、まあよい。教えてやろう。陛下は我らの手で(、、、、、)、本来在るべき玉座にお戻りいただいておる」

 そう言って使者が浮かべた醜悪な笑みを、アナベルはただ睨みつけることしか出来なかった。

 何が起きたのかはわからない。だが、反乱勢力の手に、バールリウスが落ちたことだけは確かなようだ。


「アナベル。父上の御身は心配いらん。もし父上の御身に万が一のことがあれば、こやつらは自分たちの行いを正当化する手段を失うことになる。そうなれば、仮にこやつらが一時的に天下を取ろうとも、こやつら以外のヴォオス貴族に弑逆しいぎゃく者討伐という天下取りの大義名分を与えることになるだけだ。こやつらも三日天下など望んではおるまい」

 意外にも冷静に聞こえる(、、、、)リードリットの言葉に、アナベルは何とか平静を取り戻した。


「そんなことより、こちらの説明をしろ」

 リードリットが手にした剣と紐を示しながら尋ねる。その目にはすでに答えがあり、その上で尋ねていることを、使者は正確に読み取っていた。

 使者はにんまりと笑みを浮かべると間を置き、無駄にもったいつける。

 だが、リードリットが特にじれるそぶりも見せないことから、使者はつまらなそうに話し始めた。


「見た通り、陛下救出の邪魔立てをした愚か者の剣と、分不相応に伸ばしていた髪の毛だ」

 使者の言葉に、アナベルだけでなく、その場の赤玲騎士団員全員が息を呑む。

 リードリットがそっと握り締めるひも状の黒髪の長さと艶から、持ち主が誰なのか全員が察したのだ。


 王宮騎士団が解体され、代わって王宮の警備に入ったのは赤玲騎士団だった。

 それは赤玲騎士団がリードリットのための騎士団であったこともあるが、一応(?)女性であるリードリットが即位したことで、寝所などの私的空間に、護衛のためであろうと男性を配置するわけにはいかなかったからだ。


 魅了の魔法でも身に着けているのではないかと疑わせるほど、女性に対する影響力の高い父バールリウスの周辺だけは新たに組織した王族男性の警護を主とする部隊に警護させているが、王宮そのものの警護は赤玲騎士団が行っている。

 今回の親征に際し、リードリットは王都全体の警護を行っている治安部隊には手をつけず、王宮警護に回していた団員を大幅に削り、貴族たちによる反乱鎮圧に赴いた。

 護衛対象であるリードリット自身が王宮から戦場に向かうのだ。いくら王宮が広大とはいえ、今回の混乱に乗じて騒ぎを起こすような不逞な輩ごときを取り締まるためであれば、五百も残せば十分なのだ。

 何より、王宮を含めた王都ベルフィストを守護すべき治安軍が盤石であるからこそ、リードリットは王宮も含めた王都ベルフィストを任せ、自ら赤玲騎士団を率いて打って出たのだ。


「どうやら指輪よりもそちらの方が説得力があったようだな。察しが悪そうなので邪魔ではあったが持って来たが、正解だったか」

「……どうやった?」

 リードリットが静かに問いかける。

 だが、その静かさとは裏腹に、長い黒髪を握るリードリットの拳には、青筋が浮き上がっている。

 よく見ると握りしめられた指の隙間から、じわじわと血がにじみ出し、一つにまとまり地面に落ちる。


「どうやったかだ? これ以上の説明は不要。貴様らはさっさと従えばいいのだっ!」

 使者は己の優位を確信し、自分を囲む赤玲騎士団全員に怒鳴りつけた。

 構えられていた剣が徐々に下がって行く。

 その様子に使者はにんまりと笑うと、護衛の騎士の一人に指示を出し、真・貴族連合軍へと向かわせた。 騎士が砦の門から出て行くと、使者は得意気にリードリットに向き直った。


「五大家が担ぎ上げてくれたことでずいぶんと増長したようだが、まともなヴォオス貴族であれば、だれが貴様のような異形の化け物を国王になど迎え入れるか。貴様が王都を出て行って早々に、王宮は治安軍の責任者であるサミュエル卿によって制圧されたわっ!」

 自分の言葉がリードリットにどれだけの衝撃を与えたかを、リードリットの表情を観察することで確認した使者は、得意の絶頂であった。


「貴様はサミュエル卿を信頼していたようだが、サミュエル卿には一欠けらの忠誠心もなかったわっ! 残されたわずかばかりの貴様の手下共も、王宮の内外で呼応されては手が回りきらなかったようで、王宮の陥落などあっという間であったぞ。もう少し使える(、、、)人材を残しておけば陛下を逃がすくらいのことは出来ただろうが、所詮は女。窮地にあってはただ泣き叫ぶだけであったわ」

 最後の言葉はリードリットの背後で青ざめるアナベルに対する当てこすりであった。


「生意気にも最後まで抵抗してサミュエル卿の手を煩わせておったが、最後には力の差に屈しおったわ。女ごときが男のやることに逆らいおって。始めから従っておれば、使い道(、、、)もあっただろうに、あれでは豚の餌がせいぜいだ。まあ、何人かは残して愉しんでいたようだがな」

 そう言って使者は下卑た嗤いを声を上げ、周囲を見回した。


「ふむ。何人かは使いものになるかもしれんな」

 その粘り気のある視線で全身をなめるようにひと撫でされた団員たちは、全身に鳥肌が立つのを感じた。

 その言葉の意味するところは一つしかない。


「いつまで剣など構えておるつもりかっ! さっさと武装解除せんかっ! バールリウス陛下の御下命であるぞっ!」

 緩急をつけて心理的に追い込む。

 それは勅命とは名ばかりの、人質を楯にした脅迫では実に有効なやり口であった。

 その証拠に、王宮に残した団員たちの身に降りかかったであろう悲劇を思い、冷たい怒りに駆られながらも自制しているリードリットがいい例だった。

 もしこの場にこの男がいなければ、使者はその役目を見事に果たすことが出来たかもしれない。


 だが、ここにはクライツベルヘン(、、、、、、、、)がいた――。


 クライツベルヘン家の名を背負う、セインデルトが――。


「さて、どのような判断を下されるのでしょうか、陛下(、、)?」

 使者が作り上げた場の空気を、セインデルトはことさら無視し、敢えてリードリットを陛下と強調して問いかける。

 その表情も、危機的状況にあるにもかかわらず、いつも通りのいたずらの機会をうかがっている子供のような笑みを浮かべている。


 大胆にして不敵――。


 これこそまさにクライツベルヘンそのものであった。

 それでいてその瞳にだけは、鋼のように冷たい光を宿している。


 リードリットは今、再びクライツベルヘンによって秤に掛けられているのだ。


 目鼻立ちなどは対して似ていないくせに、見極めようとするその視線の冷たさは、リードリットにカーシュナーと初めて出会った時のことを思い出させた。

 自分の殻に閉じこもり、自分の価値観で強引に前へと進んでいたあの頃の自分が、カーシュナーをどれだけ失望させたか、今なら考えるだけで油汗が浮くほどよくわかる。

 カーシュナーは失望を抱えたうえで、命懸けで自分と向き合ってくれた。

 あの時あの場でカーシュナーと仕合っていなければ、リードリットが閉じこもっていた殻は砕けることはなく、ヴォオス王家の命運も尽きていたかもしれない。


「セ、セインデルトッ! 何故貴様がここにいる!」

 セインデルトが偶然この砦に築城技術の指導に来ていたことを知らなかった使者が、まるで死神にでも出会ったかのように狼狽する。


 これまでの貴族社会の悪癖が骨の髄まで染み込んでいた使者にとって、リードリットは差別の対象でしかなく、赤玲騎士団員は女の分際で分をわきまえるということを知らない単なる愚か者でしかなかった。

 リードリットに関しては、その父親であるバールリウスに配慮し、これまで内心を表に出すことはしなかったが、そのバールリウスを押さえ、圧倒的優位に立ったと驕っていたことでいくらでも強気に出ることが出来たが、逆にその悪癖がヴォオス貴族の最高峰に位置するクライツベルヘン家の三男であるセインデルトを前にした瞬間、使者を委縮させたのだ。


「ヘルマン男爵か。貴様ごときに呼び捨てにされるとはな。私の知らない内に随分と出世したようだな」

 セインデルトの皮肉に、ヘルマンは返す言葉が出てこなかった。

 それは、ヘルマンがどれ程出世しようと、五大家筆頭であるクライツベルヘン家の子息を呼び捨てにして許されることなどないからだ。


「陛下。あまり考え込んでいる時間はありません。今は戦の最中です。一時の遅滞が勝機を逃し、敗北に呑み込まれかねません。御決断を」

 セインデルトにとってヘルマン男爵も、彼が持ち込んで来た情報も、どちらもどうでもいいことだった。故にセインデルトはヘルマンを軽く無視してリードリットに決断を促す。


 セインデルトがリードリット達ほど事態の急変に動揺していないのには訳がある。

 治安軍のサミュエルの裏切りは予想外であったが、押さえられたのはあくまで王宮であり、その住人である先王(、、)の身柄にすぎない。

 治安軍が完全にサミュエルの指揮下にあるとしても、無秩序に王都を荒らすとは思えない。

 今後のことを考えれば、大陸の心臓とも言われる王都ベルフィストの治安とその信頼性を欠くような真似は出来ないからだ。


 サミュエルは王都治安軍の指揮官という重職にあるが、それはレオフリードと、そのレオフリードを信頼するリードリットのひき立てがあったからこその立場だ。

 元来子爵にすぎないサミュエルの手が届くような役職ではない。

 リードリットを裏切ったということは、サミュエルは旧来の貴族社会の枠組みに戻ったことを意味し、その社会的重要性も、サミュエルという一個人の能力によってはかられるのではなく、あくまで子爵という立場によって決せられることになる。

 万が一にも王都や王宮において略奪や殺戮などの無法な行為あった場合、サミュエルはマクシミリアンなどの大貴族たちによってその責任を負わされることになる。


 サミュエルにはある意味、敵である真・貴族連合軍によって行動を制限する鎖がかけられているようなものなのだ。


 その事実をこの場でただ一人見抜いているセインデルトは、敢えてその事実を口にせず、リードリットがどう判断するのかを見ているのであった。


 リードリットにとって家族と呼べる存在は、バールリウスただひとりであった。

 実の母とは生まれ落ちたその瞬間以外、生前はついにただの一度も顔を合わせることはなかった。

 リードリットの記憶にあるのは、精神を病み、その苦しみから逃れるために服用した無数の怪しげな秘薬、霊薬の類によって、三十歳という年齢以上にひどく歪み崩れた死顔だけであった。

 弟のような存在であるルートルーンに対しては、自分へ向けられる差別と偏見に巻き込まないために、心に一枚だけ壁を作って来た。

 叔父であるロンドウェイクはもとより、それ以外の王族は皆、リードリットを異形の化け物と蔑み、一欠けらの愛情も示してはくれなかった。


 無条件でリードリットを愛し、その愛を受け入れることが出来たのは、父であるバールリウスだけだったのだ。


 問題の多い父ではあるが、それでもリードリットは父を愛していた。父への愛が、リードリットの人間性を保っていたと言っても良いくらいだ。

 父の存在がなければ、リードリットはとうの昔に差別と偏見に対する憎悪に呑まれ、破滅の道を突き進んでいただろう。


 その父が人質に取られている。

 

 リードリットは今、国王としての立場と、一人の娘としての立場の間で揺れ動いていた。

 理性はここで屈してはいけないとリードリットを叱咤している。

 だが、娘としての情が理性にすがりつき、リードリットの決断を妨げていた。


 セインデルトが弓を引き絞る姿が、まるではるか遠くの出来事のように視界の隅に入る。

 それに対して猛然と抗議しているヘルマンの声は、まるで耳に入っては来ない。

 おそらくセインデルトは真・貴族連合軍へと伝令に向かったヘルマンの部下を討つつもりなのだ。


 王宮の陥落と、バールリウスの身柄確保の情報が伝われば、真・貴族連合軍は息を吹き返してしまう。

 さらに、マクシミリアンが正常な判断を下せる状況にあれば、一度撤退し、バールリウスから勅命を出させ、待機命令が出ている五大家以外の貴族を動かし、軍勢を整えてから改めて再攻勢をかけることも出来る。


 リードリットの名声は、民衆には広まりこそしたが、貴族社会にあっては未だにその実力、実績は浸透していない。

 バールリウスの名をもってリードリットの即位を無効とし、バールリウスの復位を宣言すれば、法的な根拠がなくても、多くのヴォオス貴族が従ってしまうだろう。

 そうなればレオフリードの意思とは無関係に、ヴォオス軍も真・貴族連合軍の動きに連動する。

 実力主義のヴォオス軍ではあるが、未だに軍幹部には多くのヴォオス貴族が名を連ねているからだ。


 今この場の判断が、事の成り行きを見守っている中立的立場の貴族たちの意思を決定してしまう。

 一度流れが出来てしまえば、人々の意思は雪崩のようにそれ以外の人々を巻き込み、リードリット勢力を呑み込んで、この数か月で成し遂げられたいくつもの改革の成果は、雪崩が収まった後の山肌の様に、すべてが押し流され、何一つ残ることはないだろう。


 カーシュナーが自分を迎えに来てくれたあの日から、今日この瞬間までに流された多くの血が、多くの死が、無駄だったことになる。

 終わらない冬の犠牲となり、未だに安定した生活を取り戻せていない人々の救済も、続けられなくなってしまう。


 たった一人の命のために――。


 かつてカーシュナーは、地下病棟の中で語ったことがあった。

 救うべき命と見捨てるべき命の線引きは、自分がしていると――。

 カーシュナーはトカッド城塞に囚われていた多くの奴隷を助け出した。

 各地の領主や、クロクスの政策の結果、滅びるしかなかった多くの村々を救って歩いていた。

 王都の地下に病棟を築き、一人でも多くの民衆を助けようとしていた。

 より多くの人々を救うため、クロクスの支配体制を覆し、リードリット政権を築き上げまでした。


 すべては弱き人々を救うため、困難に見舞われている人々を救済したいがための行動だった――。


 誰よりも人助けのために尽力したカーシュナーは、その反面切り捨てる覚悟も持っていた。

 切り捨てた人々に対するあまりにも苦すぎる想いを、すべて胸の内に抱えながら――。

 すべては救えない。

 その中で最善の答えを探し、選択する。

 その選択に、どれ程深く自分が傷つこうともだ――。


 理想を掲げ、理想を追う。

 先を歩むその美しい背中には、実は茨に覆われた責任が背負われていることを、リードリットはカーシュナーから学んでいた。

 学んだのであれば、実践しなくては意味がない。


 リードリットは大きく一呼吸息を吸い込むと、あらゆる想いと迷いを体外に吐き出すように、セインデルトに命令した。

「放てっ!」

 その鋭い一言に、セインデルトは即座に応じた。

 何も知らない油断しきった騎士の背中に、セインデルトが射放った矢が、見事な放物線を描き突き刺さる。

 騎士はなぜ自分が死ぬのかわからないまま、ゆっくりと馬から落ちて死んだ。

 事情がわからない新・貴族連合軍に動揺が走る。


「ヘルマン。これが私の答えだ」

 そう言うとリードリットはすらりと厚みのある剣を抜き放った。

 赤玲騎士団員たちもリードリットの決意と共に、その士気をよみがえらせる。

 それまでの傲慢さが嘘のように、ヘルマンと護衛の騎士たちは震え上がった。


「お待ちを、陛下」

 そんなリードリットたちをセインデルトが制止する。

「止めるな、セインデルト」

 答えるリードリットの声の冷たさに、ヘルマンはさらに青ざめ、セインデルトに救いを求める視線を送った。

 なんと言っても同じヴォオス貴族なのだ。その血の尊さはよくわかっているはずだ。


「生かせと申し上げているのではありません。勢いに任せて簡単に殺さないよう忠告しているのです」

 ヘルマンの期待は一瞬で消え去った。

「クライツベルヘンでは、外道を始末する場合、二度と人間に生まれ変われなくするために、魂に痛みを刻み込みます」

「魂に痛みを刻む?」

 セインデルトの予想外過ぎる言葉に、リードリットは首を傾げた。


「人としての生が、転生を拒むほどの苦痛に満ちた記憶となれば、魂は二度と人間には転生しなくなります。犯した罪の深さを、痛みとして身体と魂に刻み込む。簡単に言えば、拷問して殺すってことです」

 しれっとこぼれ出た恐ろしい言葉がヘルマンの頭に染み込むのに数舜かかったが、理解して以降のヘルマンの行動はそれほどのんびりとはしていなかった。


 護衛の騎士まで突き飛ばしてその場から逃げ出そうとする。

 騎士たちも何とか逃げようと無駄な抵抗を試みたが、全員セインデルトの部下に囚われてしまった。

 もちろん逃げ出そうとしたヘルマンも、セインデルトが無造作に射放った矢を尻に受け、痛みでねじれるように倒れて囚われた。


「この者たちの処遇は私にお任せを。陛下が望む以上の後悔を味合わせてみせますので」

 そう言って薄く笑うセインデルトに、さすがのリードリットも思わずたじろいだ。

 その冷たさは、本気で怒ったときのカーシュナーによく似ている。

 だが、リードリットがたじろぐその脇では、幾人かの団員がうっとりとした目でセインデルトを見つめていた。

 リードリットはそちらにも思わずたじろいでしまった。


「陛下。サミュエルにバールリウス様を害することは出来ません。陛下を裏切った奴は、これまでのヴォオス軍幹部としての立場を失い、子爵位しか持たない下級貴族になり下がりました。反乱貴族共の切り札とも言えるバールリウス様を、奴の独断で傷つけることなど出来はしません。万が一傷つけようものなら、自分がその責任を取らされるのですから、むしろ必死で守るでしょう」

 セインデルトの言葉は、気休め以上の効果をリードリットとアナベルにもたらした。


「ですが、それ以外の者たちに対してサミュエルがどのように振舞うかはわかりません。一刻も早くあの馬鹿共とのケリをつけ、王宮の奪還に戻りましょう」

「そうだな。これ以上連中に時間をやると、逃げ出しかねん。こんなつまらん内乱を長期化させている余裕などない。一気に殲滅するぞっ!」

 セインデルトの言葉に応えて、周囲に檄を飛ばす。

 これに赤玲騎士団員たちは雄々しく応えた。


 一度止まってしまった勢いはそう簡単には取り戻せない。

 マクシミリアンにも時間を与えてしまった。

 リードリットは言葉ほどこの戦いを軽く見てはいなかったが、そんな内心は微塵も表には出さなかった。

 そして、正しい判断であったとはいえ、父を切り捨てたことに対する苦い思いも、胸の奥へとしまい込む。

 ファティマはその一部始終を心に刻み込んでいた。


 顔を上げたリードリットが、ファティマの視線に気づき、ただ一つ、小さくうなずく。

 たったそれだけのことで、ファティマはリードリットが抱え、背負ったものの大きさを理解した。

 その重みに思わず眩暈を覚える。

 一国を背負うという意味を、ファティマは知ったのであった。


「外道のおかげで突撃の好機を逃したっ! 皆の者、先ほどまでの優位を忘れろっ! 一から仕切り直しだっ!」

 馬上に戻ったリードリットが、隊列が整うのを待ってから再び檄を飛ばす。

 それに応える赤玲騎士団員の声には、激しい苛立ちと侮蔑の念がこもっていた。

 本当であればそのすべてをヘルマン男爵本人に直接ぶつけてやりたいところではあったが、後でセインデルトが赤玲騎士団員には想像もつかないような手段で徹底的に思い知らせてくれるそうなので、代わりに真・貴族連合軍などと名乗る反逆者共にぶつけることにする。


「全軍とつ……」

 リードリットが号令を発しようとしたそのとき、不意の羽音と影が頭上をよぎり、見事な鷹がセインデルトの腕へと舞い降りた。

 それがただの鷹ではないことくらい誰にでもわかる。

 そして、つい先ほども凶報によって突撃が妨げられた苦い記憶がよみがえる。


 セインデルトは鷹の足に括られていた筒から書簡を取り出すと、懐から小さな布を取り出し、同様に取り出した木炭で何事か書き付けると筒へと戻し、報酬の肉と共に鷹を再び空へと放った。

 そして小さな書簡を広げて目を通す。


 短い文面を読み終えたとき、それまでセインデルトを包む空気の中に混じっていた冷たさが消えた。

 書簡からあげた顔には、いかにもクライツベルヘン家の者らしいいたずらな笑みが浮かんでいる。

 その子憎たらしい笑みに苛立ちつつ、リードリットが問い質す。

「どこから、なんと言ってきた?」

 クライツベルヘン家の情報網はヴォオス軍の諜報部以上の規模を誇る。暗号も凝らされており、クライツベルヘン軍でも諜報に携わる人間以外には解読出来ない。

 セインデルトに教えてもらわないことにはさっぱりその内容がわからないのだ。


「王都からの伝言です」

 セインデルトはそこであえて言葉を切った。

 確かにどこから来たかを問いはしたが、本当に知りたいのはその内容なのだ。

 リードリットがじれかけたそのとき、セインデルトは短い伝言をリードリットに伝えた。


「『王都は任せろ。お前は自分の仕事に専念しろ』だそうです」

 乱暴な文面であるが、その乱暴さが、リードリットに差出人の正体を悟らせた。

「陛下。さすがに『お前』呼ばわりは訂正させた方がよろしいかのではありませんか?」

 リードリットの表情に広がる歓喜の波を面白そうに眺めながら、セインデルトは敢えて余計な口を挟んだ。


「そんなことはお主にも出来はせん。リタはどこまでもリタだからなっ!」

 リードリットはそう言うと大笑いした。

 それまでの張り詰めていた空気も一緒に笑い飛ばしてしまう。

「やはり私は粗忽者だ。現盗賊ギルドのギルド本部がどこにあったかすっかり忘れておったわっ!」

 そう言うとリードリットはアナベルの背中をバシバシ叩いた。


「い、痛いです。陛下っ!」

 そう言いつつもアナベルの表情にも明るさが戻る。

 リードリットの言葉に出て来たリタなる人物を知らない者たちは、全員呆気に取られ、喜ぶ国王と騎士団長を眺めた。


「行くぞ皆の者っ! こんなつまらん戦で手こずったとあっては、王都に還った時になんと言われるかわかったものではないからなっ!」

「はいっ!」


 凶報の次にもたらされた吉報は、リードリットと赤玲騎士団にこの上ない勢いをもたらした。

 体勢を立て直した真・貴族連合軍も必死に抵抗を試みたが、先ほど以上に鋭い用兵と、何より率いるリードリット当人の圧倒的な勢いの前になす術はなく、ついに盟主であるマクシミリアンがリードリットに討たれると総崩れとなった。

 その後も赤玲騎士団は手を緩めることなくこれを追い、真・貴族連合軍を再起不可能なまでに叩きのめしたのであった。


 こうしてリードリットは後ろを振り返ることなく内乱を治め、その実力を今度こそヴォオス貴族の脳裏に刻み込んだのであった。


 そして、王都の混乱はリードリットの唯一の女友達、現盗賊ギルドのギルドマスターにして元超一流の暗殺者でもあるリタの手にゆだねられたのであった――。


  



 原稿が上がらず、遅くなってしまいました(冷や汗)

 それでも一応誤字脱字のチャックはしたつもりなので、そんなに読みにくくはないと思います。

 連休も残すところ今日数時間と、あと一日。

 そんな貴重な休日をヴォオス戦記を読むことに充ててくださった皆さんに、感謝です。


 次回は5月12日投稿予定です。

 今度は遅れないように頑張ります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ