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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
59/152

よく似た笑顔

 ルオ・リシタ軍の侵攻に合わせ、一斉蜂起した国内貴族を討伐するべく、国王リードリットは自ら赤玲せきれい騎士団を率い、王都ベルフィストを発った。

 北東から雄敵イェ・ソン。

 東から難敵エストバ。

 ルオ・リシタに加えてさらに二国からの侵攻を受けることになったヴォオスには、反乱を起こした貴族たちに対して十分な兵力を用意することが出来ず、リードリットはやむなく訓練中であった赤玲騎士団の新人も今回の討伐に同行させた。


 その新人の中に、たった一人のゾン人であるファティマはいた。


 生まれ故郷で危うく悪霊憑きとして処刑されるところだったファティマは、偶然通りかかったカーシュナーの機転によって救われ、母と共にカーシュナーの手配によりヴォオスへと逃れて来た。

 もっとも、ゾンという国の在り方を根底から覆す覚悟を決めたファティマに逃げる意思などなかったが、そのために自分と同じく故郷を追われることになってしまった母のために、安心して暮らせる環境を手に入れる必要があった。

 そして、それと同じくらい心を動かされた理由に、女の身で大国ヴォオスの国王となったリードリットに会ってみたいという目的もあった。


 ゾンでは女性が指導的立場に就くということはない。

 それがたとえ僻村の女衆を取りまとめるような役であっても、表で立った立場としてそれが認められることはない。

 そもそも奴隷制度下にあるゾンでは、ヴォオスの田舎町などで女衆が担うような役割は、すべて奴隷が行う。

 そしてその奴隷を管理するのは男の仕事だ。

 女性はあくまで男性の所有財産の一つであり、そこに女性個人の意思や主張は存在しない。

 所有財産という意味で言えば、ゾン人の女性の立場は奴隷と大差なかった。

 そのため、カーシュナーから学んだ多くのことの中で最も信じられなかったことが、リードリットの存在であった。


 リードリットの逸話には、大概男性に対する暴力が含まれている。

 父親の借金の形に遊廓へと売り飛ばされそうになった娘がいれば、遊廓を取り仕切る組織ごと壊滅させたり、上級貴族が、下級貴族の娘を無理やり妾にしようとすれば、さかりのついたその腰を振れなくしてやるために腰骨を砕き、後の生涯を寝たきりの人生に変えたり、無実の罪で捕らえられ、加虐かぎゃく嗜好しこうの役人に拷問されたうえで犯されかけていた娘を助け、役人を身体の末端部分から殴り潰して撲殺したりといった具合にだ。


 やることの過激さもさることながら、その尋常ならざる強さそのもので男たちを屈伏させるリードリットの在り様は、ゾンに限らずどこの国でも異常であり、それでいて男が振りかざす暴力と権力によって虐げられる環境にある女性の胸をすく痛快さがあった。

 それは、過激な行動の裏に、常に一本筋の通った正義感があったからだ。


 それらの全てがどうしても大袈裟な作り話にしか聞こえず、ファティマは信じることが出来なかった。

 そのころにはカーシュナーがファティマをからかうために様々ないたずらを仕掛けたり、だましたりしていたのでなおさらだった。


 だが、大練兵場でリードリットがシヴァ相手に見せた模範試合(最終的にガチの喧嘩になったため、無効試合となる)の内容は、カーシュナーが語ってくれたことすべてを合わせたよりも、強く、激しくファティマを揺さぶった。

 そして何よりファティマの心を捕らえて離さなかったのが、イェ・ソン、エストバの同時侵攻という、国家存亡の危機とさえ言える急報を受けた後のリードリットの立ち居振る舞いであった。

 

 たった一人の女が、何万という数の騎士を、兵士を叱咤し、折れかけ、萎えかけている心を鼓舞して奮い立たせるその様は、まさに戦女神の降臨を見ているようであった。

 だが、ここで決して間違えてはいけない事実がある。

 それは、リードリットが国王という立場にあったから、ヴォオス軍を奮い立たせることが出来たのではない。

 あの危機的状況下では、国王などという称号は意味を成さなかった。

 ヴォオス軍の将兵の心を揺らしたのは、ひとえにリードリットの燃え盛る熱い魂に触れたからに他ならない。

 

 リードリットは国王だから強いのではない。

 暗くなってしまった人々の心に、灯をともすことが出来るほどの強く大きな炎を待っていたからこそ、国王にまで登りつめることが出来たのだ。


 約束された安全で平坦な未来などこの世のどこにも存在しない。

 生きるということは、何も見えない今より先へと進むことなのだ。

 それはある意味暗闇の中を進むのに似ている。

 闇の中を迷わず歩くことは難しい。

 心弱い者は諦め、進むことを止めてしまうかもしれない。

 そして人の心とは、えてして弱く出来ている。


 弱さを知るからこそ、やさしくなれる。

 それは人間が持つ最大の長所だ。

 だが、やさしさだけでは支えきれないものがある。

 手を引くだけでは連れてはいけない場所がある。


 人をそこへと導くには、たゆまず進み続ける、導きの光を持った背中が必要なのだ。

 問うても背中は答えない。

 泣いて座り込んでもその背には負うてはくれない。

 ただ間違いなく、人にはそこまで辿り着くことが出来るということを、その歩みで、その場に立つ無言の背中で示すだけだ。


 そして歩みを止めない背中は遠ざかり、歩まぬ者を再び闇の中へと閉じ込める。

 だが、再び暗闇に閉じ込められたとしても、先を行く者の背中については行けなかったとしても、進むことが出来るという事実だけは残されている。


 早くは歩めないのなら、自分なりの速さで歩めばいい。


 歩み続けることが苦しいのなら、ゆっくりと休めばいい。


 ただ、心の中にある自分の意思だけは、止まらず休まず進み続けていれば、その歩みもいつかは光照らす場所まで辿り着く。

 

 リードリットは人々を導くのではなく、辿り着けるのだということを証明する、歩み続ける背中なのだ。

 

 カーシュナーはファティマを送り出す際に、リードリットから学べと言った。

 方法はおそろしく簡単だ。

 ただその背を追い続ければいいのだ。


 はるか彼方を照らして歩くその背中を、ファティマは今追いかけている。

 今回の戦で、リードリットはさらに先へと行ってしまうかもしれない。

 だがそれは、今いる場所よりさらに先があるということの証に他ならない。

 

 ファティマは自分が思い描く未来へと辿り着くための確かな足跡を、行軍の歩みと共に追いかけていた――。









 ヴォオスの貴族社会は、すべて格の違いによって明確に色分けがされている。

 爵位はもとより、約三百年の歴史の中でどれだけの功績を残し、どれだけの権力と財力を有しているかなどだ。

 そして今現在、格を定めるうえでもっとも多くの割合を占めるのが、財力である。


 三賢王時代以前は、格の違いは爵位の違いにあった。

 商売に対してかけられる税が、同じ商売をしたとしても、貴族と商人とでは全く異なった。

 爵位が高ければ高いほど、掛かる負担は軽くなった。

 商人にまで下がると、その税率はよくて五割。扱う商品によっては九割にも及ぶこともある。


 当時の貴族は、商人が何か新しい商売に成功したら、後からそれを真似、競争によって潰すことが出来た。

 同じものを一つ売っても、上がる利益が大きく異なる。

 同じ利益でいいのであれば、その分商品価格を引き下げることが出来る。

 商品が同じであれば、買い手にとっては誰が元祖であるかなど関係ない。手に取るのはより安い商品になる。

 商品が売れなければ商売は成り立たない。

 結局商人は自分が開発した商品の販売を諦め、新たな商売に移らなくてはならなくなる。

 そして競争相手がいなくなった貴族は商品の値段を釣り上げ、大きな利益を得るのだ。


 もっとも、こんなことをするのは領地をもたない下級貴族だけである。

 領地を有する上級貴族たちは、そもそも下級貴族が競い合っていた商人に対して税を課すことが出来る。 根本的な立ち位置が違うのだ。

 富は権力に比例し、努力が特権を上回ることはけしてなかった。


 だが、奴隷制度が廃止された三賢王時代以降、貴族の特権の多くが失われ、貴族たちは商才あふれる平民たちを相手に対等の条件で商売に臨まなくてはならなくなり、特権の上にあぐらをかいて努力を怠ってきた貴族の多くが没落していった。

 そして借金の形に爵位を得た新たな貴族たちが宮廷や社交場に顔を出すようになり、その景色は一気に様変わりした。


 これまで貴族の子弟に食い扶持を与えるべく用意されていた役職も廃止され、実務能力に富んだ平民たちが採用されるようになり、宮廷の行政機能は飛躍的に成長した。

 伏せられてきた不正の数々も日の下にさらされ、ヴォオスの宮廷は浄化された。

 才能も能力も、そもそも働く気そのものがない下級貴族たちは路頭に迷い、上級貴族までもが領地の運営に失敗して土地を差し押さえられる事態にまでなった。


 この時台頭したのがクロクスの祖父であるケースである。

 ヴォオス屈指の商人であったケースは、借金の形に爵位を得ると、宮廷内でもその才覚を発揮し、瞬く間に確固たる地位を築き上げた。

 成り上がりを嫌われたケースは貴族社会での人脈開拓に対して早々に見切りをつけ、もっぱら宮廷内での発言力強化に努めた。

 

 また、ケースはウィレアム三世の意思を継ぎ、奴隷解放に反対する貴族と、ヴォオスの内乱に乗じて攻め入って来た他国との戦に明け暮れた二クラウス王を行政面で補佐し、二クラウスの後を継いで後に国王となるラウルリッツと共に、現在まで続く新たな社会基盤を整備した。

 それらはあくまで自身の栄達欲を満たすための努力であったが、ケースがヴォオスに残した功績は大きかった。

 

 その父ケースが残した功績を足掛かりに、息子であるカスバールは明確な野心を胸に権力の拡大を図っていった。

 父をはじき出した貴族社会に対し、カスバールはいまさら溶け込むことに何の意味も、意義も見出さなかった。

 貴族社会はあくまで新参者たちに対し、頭を下げて歩み寄れという姿勢を崩さなかった。もはやかつてほどの力など持ち合わせていないにもかかわらずだ。

 特権に馴らされた思考は、その無駄に高い矜持と共に、現実認識力に欠けていたのだ。


 カスバールは父が自身の能力で地位を高めていったのに対し、周囲の人間の足元を蹴り崩すことで宮廷内での権力闘争を勝ちあがって行った。

 このあたりはケースとカスバールの人間性の違いと語る者が多いが、事実はケースが地盤固めに終始し、いざ打って出ようとしたところで寿命という時間制限に引っかかってしまったに過ぎず、後三年ケースに寿命があれば、ケースも宮廷内でのさらなる権力拡大のために、他人の足を引っ張るという行為に出ていただろう。


 カスバールは競争相手を蹴落とすために、貴族たちの力を削ぎにかかった。

 多くの特権を失った上級貴族たちは、領民に対して重税を課すという最も安直な方法で領地経営の立て直しを図り、領民から憎悪を向けられていた。

 奴隷解放を受け入れたはいいが、奴隷なき社会に順応出来ていない貴族たちは、失った奴隷の代わりを領民に求めたのだ。


 カスバールは目障りな有力貴族の領民に武器を流して反乱を促すとともに、領主が反乱鎮圧のために領民に対して兵を挙げれば、領主による無差別殺戮の噂を流して特殊な技能を持つ領民を他領へと流出させ、領地の経営基盤をズタズタにした。


 また、そうやって流出しさせた領民たちを、ケースとカスバールの親子二代で築き上げた王家直轄領の各地方都市へと吸収し、カスバールが支配する経済網の拡張と強化につなげ、カスバールは貴族たちとの経済格差を決定的なものへと変えた。


 そして<三賢王>最後の王、ラウルリッツが急逝すると、後の世に<三愚王>として語られることになる三人の王が玉座につき、宮廷の腐敗が急速に進むとともに、カスバールは宮廷における権力をさらに伸ばし、貴族社会全体に、媚を売らせるまでに成長した。


 この間クロクスはカスバールから遠ざけられ、宮廷には入らず、祖父と父から受け継いだ経済網をヴォオス全土はるかに超え、大陸規模にまで拡張して大陸屈指の大商人と化していた。

 年齢による衰えからカスバールの掌握力が低下すると、クロクスは父によって弱体化された貴族の中から特に貴族社会においてもともと地位の低かった家を狙い、自身の息のかかった者たちを送り込んでいった。


 クロクスはこれらの者たちの活躍に見せかけてその家を復興させ、かつて自分たちを見下していた者たち以上の地位にまで引き上げることで自尊心を満たしてやるとともに、自分の支援抜きではまた見下される地位へと逆戻りしなければならないという恐怖心をも植え付け、貴族社会で一定の地位にある者たちを精神的奴隷としていった。


 そしてカスバールがその事実に気づいた時には、わずかな側近を残してほぼすべての人間がクロクス側についており、カスバールは失意のうちに表舞台から退いて行った。


 カスバールに代わってクロクスが表舞台に立った時、貴族社会はすでにその約半数がクロクスの勢力下に置かれ、三賢王時代から続いた貴族のふるい分けも終わっていた。

 能力のない貴族は自らの無能さから滅び、能力はあっても貴族社会特有の「格」の違いによって無能な上位者にへつらわねばならなかった貴族たちは、クロクスという後ろ盾を得て、貴族社会の新たな上位者となった。


 クロクスによって発展を続けるヴォオス経済は、奴隷なき社会でかつて以上の繁栄を、解放された民衆のみならず、奴隷を失った貴族たちにももたらした。

 クロクスの経済圏でクロクスの経営法に従っている限り、奴隷を所持していた当時をはるかに上回る収入を得ることが出来る。

 中にはその恩恵を領民にも分け与え、課税率を軽減した結果、領地の経済が発展し、結果としてさらなる富を得る貴族も出た。


 奴隷解放以降のヴォオスの発展は、間違いなく<解放王>ウィレアム三世、<馬上王>もしくは<鋼鉄王>二クラウス、<再建王>ラウルリッツの三人の偉業によるものであるが、ケース、カスバール、クロクスの親子三世代の貢献も、計り知れないほど大きかった。


 現在の貴族社会はクロクスによって形成され、多くの貴族がその恩恵のあずかっていた。

 ルオ・リシタの侵攻に合わせて一斉蜂起した貴族もすべてがクロクスの支配下にあった貴族であるが、蜂起理由は失脚したクロクスの敵討ちではなかった。


 クロクスによってひき立てられた貴族たちは、あくまでクロクスの権力によて支配されていたに過ぎない。

 貴族たちからしてみれば、どれほどの権勢を振るおうとも、祖父の代までは平民の商人に過ぎず、クロクス自身も父であるカスバールによって遠ざけられた結果とはいえ、人生の大半を経済圏の拡大のため、大陸各地を渡り歩いていた商人である。

 

 ヴォオス三百年の歴史の中で、貴族として国家を支え続けて来たという特権意識は、ひき立ててもらったことに対し、感謝の念など生まなかった。

 根底には常に成り上がりの新参に対する憎悪があり、それ以上にクロクスが握る権力への恐怖があった。


 では何故クロクスに対し恩義を感じていたわけでもない貴族たちが蜂起したのか?

 そこにはもちろん貴族たちの間を取り持ち、準備を進め、蜂起を促した人物の存在もあったが、その根底にはヴォオスの実権を握るという尽きることのない欲望が存在したからだ。


 ヴォオスの実権はこれまで、宰相であったクロクスがその大半を握り、わずかではあるが、ヴォオス軍の大将軍であったロンドウェイクが残りの権力を手中に収めていた。

 だが、現在のヴォオスにはクロクスも、ロンドウェイクも存在しない。

 代わりに現在のヴォオスで実権を握るのは、赤髪に黄金色の瞳を持つ異形の王女(、、)、リードリットであった。


 貴族たちはそもそもリードリットを王女とすら認めていない。

 バールリウスの気まぐれになどかまわず、この世に生まれ落ちた時点で処分すべきだった穢れの子なのだ。

 当然リードリットの即位など認めるつもりはなく、その支配に対する反発は、クロクスに対するものよりはるかに強い。

 穢れた血の証のような存在であるリードリットを王として据えるということは、自分たちの高貴な血統が、それ(、、)以下であることを認めることであり、それは特権意識の塊である貴族たちには耐えようのない恥辱であった。


 リードリットを受け入れる平民や他の貴族たちは、<英雄王>ウィレアム一世が築き上げた真に尊き血筋を持つ者たちで構成されたヴォオスの骨格を歪め、清浄に輝けるヴォオス貴族の尊厳を汚さんとする愚昧の徒に過ぎず、現在の歪められてしまったヴォオスに真の正義をもたらし、正しきヴォオスをよみがえらせるのは自分たちだと信じている。

 

 その本心がヴォオスの実権取りであることは誰の目にも明らかなのだが、蜂起した貴族たちは彼らをそそのかした人物の言葉に自らすすんで騙され、ヴォオスに真の平和を取り戻す正義の使徒を気取っているのであった。


 貴族の一斉蜂起はまずヴォオス中央部にて起こり、五大家が三国同時侵攻に対して兵を動かした直後に、ヴォオスの各地でさらなる挙兵が起きた。

 中央で蜂起した貴族は迅速にドラルハッテン領へと集結し、兵力を固めてから王都へと向かった。

 ドラルハッテン家は五大家に次ぐ地位を占めるヴォオスの大貴族の一つで、現当主マクシミリアンは国王リードリットの伯父に当たる人物でもある。


 ドラルハッテン公爵がリードリットに対する反乱に加わったことで、我の強い貴族たちにもまとまるための核ができ、反乱勢力は主導権争いで手間取ることなく組織化された。

 家格が同格の者同士では、よほどの理由がないかぎり、その下につくことは貴族としての矜持が許さない。だが、逆に一人突出して爵位が高い者がいれば、その人物に対する個人的な評価とは別に、爵位そのものに対して、無駄に高すぎる矜持を傷つけることなく頭を下げることが出来るのだ。


 総勢二万の中央反乱軍が王都ベルフィストを目指す一方、各地で蜂起した貴族たちは、出兵のため手薄となっている五大家の各領地を襲撃した。

 五大家がヴォオス軍支援の兵を出しつつも守備兵力を残すことを読んでいた反乱軍が、五大家が残存兵力を王都ベルフィストの救援に向かわるのを阻止するために、押さえを目的として襲撃したのだ。

 ただし、唯一全兵力を温存している西の五大家ザーセン家に対しては襲撃を行わず、地形的優位を取れる地に要塞を築き、徹底して足止めを図る対策が取られている。

 この辺りは全体の戦略を練った人物の力量をうかがい知ることが出来る対応だ。


 大将軍となったレオフリードと、ヴォオス軍の軍師第一席の地位にあるライドバッハはすでにヘルヴェンの地にてルオ・リシタ軍と交戦中にあり、王都からの知らせを受けても容易には撤退出来ない状態にある。

 アルスメール家のエルフェニウスもイェ・ソンが攻めてくるとあっては出向かざるを得ないはずで、こちらには向かって来ていないはずだ。

 

 警戒すべき敵はすでに出払い、後にはリードリットにまとわりつくダニのような連中くらいしか残されてはいない。

 進軍の途にあるはずの真・貴族連合軍(反乱軍たちはケルクラーデンの野においてリードリットに敗れた貴族連合軍の無念を晴らすべく、敢えて真・貴族連合軍と名乗っている)は、戦いが始まる前からすでに勝った気でいた。


 そこへさらに王都から自分たちを討伐するためにリードリット自らが赤玲騎士団約一万を率いて出撃したとの情報が入ると、「勝った気」は「確信」へと変わり、真・貴族連合軍の間に驕った空気が流れ始めた。

 赤玲騎士団は真・貴族連合軍に対してわずか半数であり、さらにその半数が募集したばかりの新兵で構成されている。何より全員女性であるという点で、真・貴族連合軍の構成貴族たちは赤玲騎士団の実力を侮っていたのだ。


 気が弛むと口も軽くなり、いざ決戦となった途端病に倒れたというディーフェンター家の次期当主、レオポルトの不甲斐なさが笑い話の種にされた。

 父親であるフェルディナントの耳には入れられないが、もともとレオポルトは貴族社会では実に都合のいい笑い話の種だったのだ。


 兄のフランシスクスは貴族社会でも名の知れた秀才であり、弟に至っては、十代の若さでハウデンベルク城塞の城主となったリストフェイン将軍である。

 その二人に挟まれたレオポルトは、まるでフランシスクスとリストフェインに才能をすべて吸い取られてしまったかのような凡庸な男で、兄のフランシスクスが地下競売場に関わったかどでリードリットによって処刑されなければ、間違っても次期当主になどなれるような器ではなかった。


 幼いころから二人と比較され、レオポルトは嗤われてきた。

 そして今も、レオポルトは貴族たちの間に新たな嗤いを提供している。

 父親であるフェルディナントも、いっそ他人であればすべて笑い飛ばせたのであったが、これが実の子とあってはそうもいかない。

 レオポルトの才能に関しては、とうに諦めている。むしろ親として、あまりにも他の二人の兄弟との間に大きな才能の開きをもって生まれてしまったことを哀れに思っている。

 だからこそ、フェルディナントはレオポルトに何も期待しなかった。ただ、


「私に恥をかかせないよう、目立たずに生きろ」


 とだけ言い、生活の全ての面倒を見て来てやった。


 貴族社会にも顔を出さなくなるとレオポルトの存在も次第に薄れ、人々記憶の中からその哀れな姿を消すことが出来たが、フランシスクスの死と共に人々は記憶の底からレオポルトの名を掘り起し、再び笑い話の種にし始めたのであった。


「フランシスクス卿ではなく、レオポルト殿が処刑されれば、フェルディナント卿もいい厄介払いが出来たのですがねえ」


 という悪質な冗談が遺族たちの間で流行り、それを耳にしたフェルディナントも、


「ああ、その通りだっ!!」


 と激怒した。


 今また新たな恥をかかせてくれた息子に対してフェルディナントは怒りを覚えると同時に、ようやく人々の記憶の彼方へ葬り去ったディーフェンター家の恥を、自慢の息子を処刑するだけでは飽き足らず、再び貴族社会へと掘り起こして晒しものにしてくれたリードリットに対する憎悪で戦いが待ち遠しかった。


 一人だけ驕ることなく怒りに燃えている真・貴族連合軍は、驕りが弛緩へとつながることはなく、若干能天気ではあるが勢いにつなげ、戦いを前にかなり良い精神状態で進軍を続けた。

 そして、リードリット率いる赤玲騎士団との遭遇予測地点へとさしかかり、そこに赤玲騎士団の影も形もないことが確認されると、貴族たちは赤玲騎士団が真・貴族連合軍に恐れをなし、進軍の足が鈍って未だに王都近郊でもうろついているのだろうと嘲笑った。


 相手が女ばかりの赤玲騎士団と決まったことで、連合の盟主的立場に就くことになったマクシミリアンも、この反乱に対して楽観的な視点を持つようになっていた。

 表情こそ全体の規律が緩まないよう厳しく引き締めているが、そもそも真・貴族連合軍に対して数で劣り、その質も、練度、実力共に低い新兵が大半を占めている時点で比べる価値すらない。


 しかも女だ――。


 敢えてリードリットと同数の兵力で戦ったとしても、負ける要素はない。

 マクシミリアンは早くも王都で実権を握って以降の人事を思案し始めていた。


 もしここでマクシミリアンが赤玲騎士団の動向を探るべく、一度足を止めて斥候からの報告を待っていれば、ヴォオスの歴史は大きく変わっていたかもしれない。 

 だが、異形の姪であるリードリットを常に下に見たいマクシミリアンは、現実よりも自分の好みに合う無様なリードリット像を思い描き、そこから予測される行動を基準に行動してしまった。

 それは同時にマクシミリアンだけの侮りではなく、真・貴族連合軍に加わった全員が共有する侮りであった。そのため、慎重論を口にする者が一人もおらず、数的優位を最大限に生かせるこの地から、さらに先へと進んでしまったのであった。


 そして真・貴族連合軍はついに赤玲騎士団と遭遇する。

 そこは今では迂回路が整備され、利用する者がいなくなった古い街道が走るオス峠であった――。









「馬鹿共が、ずいぶんと無警戒のまま近づいて来てくれたものだ」

 峠の一角から真・貴族連合軍を観察していたリードリットが鼻で笑う。

「こちらが女ばかりと侮っているのでしょう」

 それに対し、冷気を吐き出すように答えたのはアナベルであった。

 

 女性の地位向上を目指して王都に女子専門の私塾を開いたアナベルは、「女だから」という理由にもなっていないようなことで女性を軽視する男を軽蔑している。

 カーシュナーに出会って以降性別に関係なく、能力と人柄に対して敬意を払う人物と知り合う機会が増えたおかげで、アナベルは久しぶりに冷たい怒りで全身を満たしながら、愚者の群れを見下ろしていた。

 二人に従って同行した赤玲騎士団幹部のロッテとユリアも、アナベルに劣らぬ怒気を纏っている。


 同じくリードリットの偵察に同行を許されたファティマは、アナベルが口にする女性蔑視という言葉がなまぬるく感じるほどの偏見と差別でがんじがらめにされて生きてきたため、真・貴族連合軍の侮り程度のことには何も感じなかった。

 むしろファティマの関心は初めて経験する軍対軍の本格戦闘にあった。


 訓練の最中に偶然野盗団と遭遇し、これを殲滅させるなどの実戦はすでに経験済みではあるが、野盗と正規の訓練を受けた兵士では同じ実戦でも全く意味が違う。戦いの規模が大きくなればなるほど、その違いはより明確に浮き彫りとなる。

 所詮個の寄せ集めにすぎない野盗と、集団戦闘の意味を理解し、数という武器を最大限に生かすことの出来る軍とでは、破壊力がけた違いなのだ。


 一人の剣士としての意味はカーシュナーやダーンから叩き込まれたが、集団の中の一人としての意味はまったく教わらなかった。

 カーシュナーが下手な知識は初期訓練での技術習得の妨げになりかねないと判断したからだ。

 戸惑いながら考え、失敗と成功を繰り返しながら身につける方が、実戦で生きる。

 成功しか知らない者は、初めての失敗の時、その命を失う瞬間まで失敗に気がつけないからだ。


 一対一であれば絶対に負けない相手にも、集団での動きを間違えるとあっという間に囲まれ、集団から切り離され、各個撃破されてしまう。

 ファティマは何度か袋叩きに遭いながら、集団の流れの読み方を身につけ、その集団をさらに大きなくくりで見る目の必要性を学んだ。


 休憩時間には先輩団員たちから、カーシュナーが終わらない冬の最中に成した偉業を聞き、その視点が一つの戦場をはるかに飛び越え、ヴォオス一国のみならず、ゾンまで視界に収めてしまえるほどの高みから見下ろし、自分の理想を実現させるために現実の流れを読み、その流れを変えるべく策略を巡らし、一つの結果をいくつもの物事に連動させて己が意のままに操る姿が目に浮かび、改めてカーシュナーの偉大さを思い知らされた。


 自分は一人の優れた剣士になるべくヴォオスに来たのではない。

 ゾンにはびこる理不尽と不条理を覆すための力を身につけるために来たのだ。

 意識を常に高く保ち、物事を俯瞰で見れるように心掛ける。

 他者の感情に対して敏感に神経を張り巡らし、それでいて自身はけして感情に溺れない。

 流れを読むということは、物理的な制限や限界を把握し、その上で人の感情の動きを正確に捉えて未来を掌握するということだ。


 足元だけを見て歩いていると、人は必ず道に迷う。

 だが、遠くまで見渡し、そこに目標を見つけて歩けば迷うことはない。

 どれだけ遠くまで見渡すことが出来るかで、より正しい道を見分けることが出来るようになる。

 ファティマは無意識の内に、人の上に立つために必要な要素を必死で身に着けようとしていた。


「さてと。猪突猛進のこのリードリットが、どんな戦術を練ったか、馬鹿共の身体に教えてやるとするか」

 リードリットはそう言うとニヤリと笑った。

 その笑い方があまりにカーシュナーによく似ていたため、ファティマは一瞬そこにカーシュナーがいたのではないかと錯覚した。


 いや、カーシュナーはいる(、、)のだ。

 リードリットがカーシュナーと共に経験した中で学んだものが血となり肉となり、すべての細胞に浸透して今のリードリットを形作っている。

 カーシュナーの意志は、間違いなくリードリットの中にも存在しているのだ。


 ファティマは敢えてリードリットの隣に並んでみた。

 それは不敬罪に値しかねない行動であったが、その場にいる誰一人、ファティマを咎めようとはしなかった。

 その行動がファティマにとって重要な意味があることを、全員が感じ取っていたからだ。

 偉大な女王の中に恩人の気配まで感じられるこの場所は、ファティマに深い安息を与えてくれた。

 このまま寄りかかってしまいたいという欲求が芽生える。


 もしリードリットという存在に寄りかかることが出来れば、それはきっとものすごく心地良く、迷いも不安も打ち消され、ひたすら真っ直ぐその背を追って生きていけることだろう。

 だが、ファティマが歩むことを望む道は、リードリットが歩む道とは異なる。

 今はこうして隣に寄り添うことが出来ても、いつかは必ず己の道へと踏み出し、離れなくてはならない。


 ファティマは少しだけ足を開くと胸を張り、寄りかかることなく己の足だけで立った。

 本人はまったく気がついていないが、その立ち姿は隣に立つリードリットによく似ていた。

 それはファティマの中にリードリットが浸透し、すでにファティマの精神構造を構成する確かな柱となっていたカーシュナーと混ざり合い、新たな柱となった瞬間であった。


「陛下っ!」

「なんだ?」

「ぶっ潰してやりましょうっ!」

 そう言って笑うファティマの顔も、カーシュナーのニヤリ笑いによく似ている。


「甘いな、ファティマ」

「あ、甘いですか!」

「ああ、甘い。大甘だ。あんな馬鹿共、ぶっ潰すのではなく、徹底的にすり潰してこの世から消し去ってくれるわっ!」

 そう言ってリードリットはファティマに応えると、同じようにニヤリと笑った。

 そんな二人の様子を見つめる者たちの目には、まるで姉妹のように二人の笑顔はよく似ていた――。


 カーシュナーにそっくりの、黒いニヤリ笑いであったが――。

 

 


 

    

 久しぶりに評価をいただきました!

 ありがたい話です。しかも高評価!

 これを励みにさらに精進したいと思います。


 次回は4月28日投稿予定です。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >、多くの貴族がその恩恵のあずかっていた。 >クロクスの権力によて支
[気になる点] >表で立った立場 表立った立場  だと思います。
感想一覧
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