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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
56/152

フローリンゲン城塞の危機!

 空は青く、風はない。

 日ごとに深まりゆく秋の、心地良い一日になるはずのフローリンゲン領内には、空の青さを濁らせ、景色を霞ませる土煙が滞留していた。

 かすかに移動を続ける土煙の存在に始めに気がついたベルンハルトは、胸の内に土煙などよりはるかに濁った不安が広がるのを感じた。


 その土煙が行軍によって舞い上げられたものだからだ。


 エストバの思惑がどうであれ、最終的にはフローリンゲン城塞を攻略しない限り、エストバは対ヴォオスにおいて勝利を収めたことにはならない。

 ゼルクロー襲撃による成果などでは、エストバは今回の侵攻のために費やした軍事費を回収することは出来ないのだ。

 このままエストバへ引き上げれば、収支という意味では大敗を喫してしまったことになる。


 いずれはフローリンゲン城塞に狙いを定めるであろうと予想されていたので、それ自体に驚きはない。

 だが、土煙から予測されるエストバ軍の規模が、どう考えても二万程度では納まらないのだ。少なく見積もっても、その倍は下らない。

 兵士たちが枝を引くなどして土煙を上げ、軍の規模を偽装することはあるが、エストバ軍が今回動員出来た兵数はすでにヴォオスも把握している。

 そのような偽装に意味がないことは、エストバ軍もわかっているはずだ。


 ということは、あの土煙の先には、実際に四万以上の規模の軍が進軍を続けていることになる。

 いったい何が起きているのか。

 ベルンハルトの不安は、鼓動を数えるごとに膨れ上がっていった。


「速度をおとせ。出来るだけ前方の軍に気取られないようにギリギリまで近づく」

 急ぎ駆け寄り何が起きているのか確認したいという欲求を抑え、ベルンハルトは命じた。

 一刻も早くフローリンゲン城塞に辿り着きたいところだが、残念ながらどう頑張ってもはるか先を行く敵軍を追い越して辿り着くことは出来ない。

 せめて状況だけでも把握し、ドルトスタット軍へと持ち返るか、場合によってはこのまま自分だけクライツベルヘン軍に合流する事も考えなくてはならない。

 歳はまだ十九と若いが、ドルトスタット家の嫡男として、父に頼らぬ判断を下さなくてはならない。

 

 その辺りは従う兵士たちもよく心得ている。

 ベルンハルトは優秀だ。

 経験こそ劣るものの、その将器は大将軍であるレオフリードと比較しても、引けは取らないと思っている。

 だからこそ、いざという時は自分たちが支え、助けなくてはならない。

 自分たちはそのために、クリストフェルンからベルンハルトを任せられているのだから――。


 ここから先は誰にも予想出来なかった事態へと向かうことになる。

 そこへ指揮官として向かうベルンハルトが、気を引き締め直したのは当然のことであるが、従う兵士たち全員が、ベルンハルトの気迫に劣らない気構えでその背中を支えた。

 ドルトスタット軍の遊撃部隊は、抜身の刃のように神経を研ぎ澄ませつつ、驚くほど静かに進んだ――。









 やはり大幅に痩せたおかげかかなりの距離を自分の足で走ったバーユイシャは、追いついて来たかごに再び収まり、行軍の中ほど辺りにまで下がっていた。

 兵士たちに勢いをつけるために先頭を走ったが、ここはヴォオス領内である。いつまでも先頭などにいたら、身を潜めるヴォオス兵からの矢がどこから飛んでくるかわからない。

 久しぶりに高揚した気分に任せて走りはしたが、いつまでもそこに浸っているほどバーユイシャは愚かではなかった。 


「敵は予が兵を分けたことで、フローリンゲンを陥とすことは不可能になったとでも考えているであろう。確かに、いかに予がこの英知を駆使して策を用いようとも、わずか二万ではフローリンゲン城塞を陥落させることは難しい。増援がこちらに向かっているという事実と併せて考えればなおのことな」

 バーユイシャは自分の右手側を歩く傭兵団の団長に自慢げに語った。

 左手側にはエストバ軍のサダーカ将軍が歩いている。

 バーユイシャのつまらない話を聞かされなくてすむのはありがたいが、傭兵などの下風に立たされるのは不愉快であった。 


 顔に出したつもりはなかったが、傭兵団の団長に一方的に話し続けていたバーユイシャが、いつの間にか自分を見つめていることに気がつき、サダーカ将軍は心臓が縮み上がるほど驚いた。

 自分を無言で見つめる国王の視線が、あまりに冷たかったからである。


「兵数はこの通り、十分ある。それを踏まえたうえで、どうフローリンゲン城塞を攻略するつもりだ?」

 不意の問いかけであった。

 これまで意見を求めるどころか、具体的な戦略すら聞かされないままここまで従わされて来た。

 答えたところでどうせ聞き入れるつもりなどないくせにと思いつつも、サダーカは真面目に答えた。

 他の将軍が終わらない冬の最中に示したバーユイシャに対する反意によって失脚したのに対し、こうしてエストバ軍の第一人者として国王の隣にいられるのも、腹の中の思惑とは別に、結局はバーユイシャに従ってしまうその真面目な性格のおかげだった。


「懸念されていたヴォオス軍の騎兵ですが、ここまでの兵力差があれば、出てくることはないと思われます。フローリンゲン城塞到着後は、時を置かずに攻略してしまうのが得策かと愚考いたします」

「うむ。確かに愚考だな」

 バーユイシャから厳しい皮肉が返ってくる。

 当たり前のことしか言っていないのだから無理もないが、だからこそサダーカの言葉通り、この場合は正攻法が正解なのだ。

 バーユイシャとしては、サダーカが少しでも自分を優秀に見せようとして何か奇をてらった策を出して来たら叩き潰してやろうと考えていたので、肩透かしもいいところだった。


「兵力だけでなく、ミクニの最新攻城兵器まである。サダーカよ。先鋒を任せるゆえ、見事フローリンゲン城塞を陥としてみせよ」

 顔中でつまらん奴だといいながら、バーユイシャはサダーカに命を下した。

 バーユイシャの向こう側で、傭兵が一瞬だけ嘲笑うのを、サダーカは見逃さなかった。


「陛下。先鋒の名誉は身に余る光栄ですが、ここは新戦力である傭兵の力を頼ってみてはいかがでしょうか?」

 サダーカとしては、なんで使い捨ての兵力があるのに、正規兵である自分たち真っ先に血を流さなくてはならないのかと言いたかった。

 エストバに三万もの傭兵を雇う財力はない。

 傭兵たちを味方につけた金も、食料同様どうせあの商人の懐から出ているのだから、惜しまず使えばいいのだ。


「サダーカよ。ヴォオス兵に対して臆したのか?」

 バーユイシャが蔑みの目でサダーカを見つめる。

「陛下のお言葉といえども、聞き捨てなりませんっ!」

 サダーカは顔を真っ赤にして言い返した。


「ではやれ」

 サダーカの怒りなど、小うるさい蝉の鳴き声程度に聞き流してバーユイシャは再度命じた。

「…………」

「わかりやすく、はっきりと、言ってやろう」

 応えないサダーカに対して、バーユイシャは言葉通り、いやにはっきりと言葉を区切りながら続けた。


「血を流せ。予の信頼を裏切ったエストバ軍に対する、これは贖罪の機会なのだ。もし拒むのであれば、貴様の代わりに別の誰かに命じるだけだ」

 それはまぎれもない処刑宣告であった。

 これ以上異を唱えれば、バーユイシャは別の誰かに新たに命令する前に、サダーカの首を刎ねるだろう。


「……仰せのままに」

 サダーカはそう言うと、フローリンゲン城塞に対する攻城戦を指揮するために、バーユイシャのそばを離れた。

「サダーカよ」

 その背中にバーユイシャが声を掛ける。

 一瞬聞こえなかった振りをしようかという欲求に駆られたサダーカであったが、迷った末に振り向いた。


「耳はまだ良いようだな」

 その迷いの真意を見抜いたバーユイシャが、皮肉をぶつける。

 何と答えたものかと迷うサダーカを無視して、バーユイシャは言葉を続ける。

「血を流せと言ったが、お前自身が流してくる必要はない(、、、、、、、、、、)ぞ。その意味、わかるな?」

 そう言うとバーユイシャは冷たく笑った。

 視線を合わせたくなくて地面を見つめていたサダーカは、思わずハッと顔を上げる。そして正面からバーユイシャの瞳を覗き込んでしまった。


 バーユイシャはこの戦いにかこつけて、自分に対して今も反意を抱き続ける者たちを葬ろうというのだ。

 エストバ軍の勝利のために、ヴォオス軍の力を使って――。

 その手配を抜かりなく行うように、バーユイシャはサダーカに求めているのだ。

「万事このサダーカにお任せを」

 サダーカは青ざめながらもそう答えた。

 少なくとも国王は自分を処分するつもりはないということだ。

 ならば国王の期待に応えるしかない。先程のバーユイシャの言葉通り、出来なければ別の誰かが自分に代わって仕事を(、、、)こなすだけのことだ。そして、その時流される血の中に、自分の血が混じることになる。


 腹を括ったサダーカは、ついでに自分の地位を脅かしかねない者たちも一緒に処分することにした。

 おそらくバーユイシャはそこまで見越して自分を試している。

 バーユイシャの代わりに手を汚す嫌な役目ではあるが、今バーユイシャが求めているのは、バーユイシャのために汚れる覚悟を持った者だけなのだ。


 サダーカは今度こそバーユイシャの前から辞すると、エストバ軍の編成を行いに向かった。

 無意識に漏れたため息は、その背中が縮んだのではないかと思させるほど、深く大きなものだった――。









 フローリンゲン城塞を視界に納めた時、ベルンハルトは一番見たくないものを目にするはめになった。

 およそ五万の大軍に包囲されるフローリンゲン城塞の姿だ。


 エストバはいったいどうやってヴォオス側の密偵の目を盗み、これだけの兵力を用意したのか?


 ゼルクローの山中にいるエストバ軍も合わせれば、総勢六万の軍ということになる。

 当初の情報では三万と伝わっていたが、実際はその倍だ。

 三万と六万では対策の立て方そのものが違ってくる。

 ドルトスタット、クライツベルヘンの両家からの援軍が約束されていたたため、フローリンゲン城塞は歩兵一万を対ルオ・リシタ戦線へと送ってしまっていた。

 守りの要であるレイナウドまで失った今のフローリンゲン城塞では、クライツベルヘン軍の到着までもたないかもしれない。


「あっ!!」

 ベルンハルトが思考を巡らしていたわずかな間に状況が変わる。

 思わず声を上げてしまった若い兵士が周りから睨まれる中、視線を向けたベルンハルトは叫び出したい衝動に駆られた。

 フローリンゲン城塞が城門を開け放ち、打って出たのだ。


 若い兵士を諌めた歴戦のドルトスタット兵たちも、呻かずにはいられなかった。

「やけを起こすには早過ぎるだろうが……」

 苦り切った表情で思わず呟く。

 同じ気持ちで戦況を見つめ、どうすべきか思案していたベルンハルトの目が、あるもの(、、)を捉えた。


「そう言うことか……」

 奥歯を軋ませながらベルンハルトが吐き捨てる。

 ベルンハルトの視線の先を追った視力に優れる兵士たちの表情も憤怒に歪む。

「ベルンハルト様、あれは……」

「レイナウド将軍の首だ」

 絞り出すように発せられた兵士の問いかけに、ベルンハルトははっきりと答えた。

 自分の中の答えもはっきりと出たからだ。


「フローリンゲン兵はやけを起こしたのではなかったのだ。ただ、辱めを受けるレイナウド将軍の首を、黙って見ておれなかったのだろう」

 もし自分が彼らの立場であったら、同じ選択をしたであろうと考えた兵士が、フローリンゲン兵を庇うように言葉を口にする。

 ベルンハルトも同じ思いだったが、彼らが兵士であるのに対して、自分はあくまでも指揮官として考え、判断を下さなくてはならない。

 エストバ軍の挑発に乗り、打って出たフローリンゲン兵の行動は致命的な失策であり、このままではフローリンゲン城塞はあっという間に陥落してしまうだろう。


 もしそうなれば、エストバ軍は五万の軍勢でフローリンゲン城塞を得ることになる。

 現在のヴォオス軍の情勢では、奪還は不可能だ。

 それは一つの城塞を失うというだけのことではなく、ヴォオス東部の支配権をも失うに等しかった。

 

「お前たち、俺に命をくれっ!」

 ベルンハルトの強い視線が、千の部下たちに向けられる。

 兵士たちは次代のドルトスタット家の当主がどのような英断を下したのかを悟り、胸の内を誇らしさで満たした。

「はいっ!」

 全員の答えが一致する。

 その表情に怯えや不安、後悔の影といった、弱い感情をちらつかせる者はただの一人も存在しなかった。


「レイナウド将軍の首を取り戻す」

 ベルンハルトは命令を発すると、部隊をエストバ軍の背後に移動させ、はやる気持ちを無理矢理抑え込み、ごく自然に近づいて行った。

 怒りも殺意も呑み込んで、ただ静かに近づいていくベルンハルトの部隊を見咎めるエストバ兵はいなかった。

 この辺りはエストバ兵の怠慢ではなく、つい先ごろ何の説明もなく味方として組み込まれた傭兵部隊の存在が影響していた。

 エストバ兵には傭兵とベルンハルト率いるドルトスタット兵の区別がつかなかったのだ。


 ギリギリまで近づき、そこから突撃をかける算段だったベルンハルトであったが、優れた視力と観察力により、エストバ軍の多くが装備も不揃いで、人種すらはっきりとしない者たちが大半を占めていることを見抜いた。生粋のエストバ人はおそらく半数もいないだろう。


「そういうことか」

 ベルンハルトは口に出さずに呟く。

 エストバ軍の予想外の大兵力は、傭兵を取り込んだからなのだ。

 しかも、おそらくこの傭兵たちは元々ヴォオスに存在していた可能性が高い。

 商隊を護衛するために大陸各所で雇われる傭兵はとんでもない人数になる。

 四本の大陸隊商路が交差するヴォオスには、当然大陸の各所から商人と共に傭兵も集まる。

 終わらない冬が終わったことで滞っていた経済の流れが一気に動き出し、ヴォオスは今、例年以上の賑わいを見せていた。

 もっとも、それもルオ・リシタの侵攻により、蜘蛛の子散らすようにヴォオスから離れて行ったが、戦争の臭いを嗅ぎ取った傭兵たちは居残った可能性が高い。


 その傭兵たちをどうやってまとめ上げたのかはわからないが、もしそれが事実だとすれば、エストバに放っていたヴォオスの密偵や間者が、この予想外の大兵力の動きを掴めなかったのも当然だ。

 そもそもルオ・リシタの侵攻に合わせてヴォオス貴族の一斉蜂起を促し、イェ・ソンとエストバまで同時に動かしてみせたのだ。

 今目の前にいる敵とは別の、ヴォオスをここまでの窮地へと追い込んだ本当の敵が持つ力は、ベルンハルトの想像をはるかに超えて巨大だった。


 今はそこまで考えても対処の使用がない。

 ベルンハルトは新たに判明した事実を一旦思考の奥へとしまい込み、目の前の状況に集中した。

 エストバ軍の背中は、馬の足であればすでに一瞬で届くところまで来ている。

 突撃をかけるのであれば、これ以上近づき過ぎるのは得策ではない。馬の脚が最高速度に達する前に相手にぶつかることになるからだ。


 兵士たちの緊張が一気に高まったが、ベルンハルトはさらに一歩踏み込んだ。

 一瞬手綱を引きかけた兵士たちだったが、当たり前のようにエストバ軍に近づいていくベルンハルトを信じ、後に続いた。

 いかにも勝ち戦に驕った兵士のようにふるまうドルトスタットの兵士たちだったが、手綱を握る手は冷や汗でびしょびしょになっていた。


 ベルンハルトはエストバ兵の背後に到着すると、当たり前のように兵士たちの間に割って入って行った。

 他人事のように打って出て来たフローリンゲン城塞兵との戦いを眺めていた兵士たちは、いきなり馬で割り込まれ、驚くとともに咄嗟に身構える。


「ここからヴォオス軍に奇襲を掛ける。踏み潰されたくなければどけ」

 ベルンハルトが眼光鋭く言い放つと同時にさらに強引に馬を進めたため、兵士たちは慌てて道を開けた。馬に足など踏まれれば、簡単に潰されてしまう。

 ベルンハルトの後に従う兵士たちは、さも当たり前というように進んで行ったが、実際にエストバ兵の誰にも誰何されずに通り抜けられた時、兵士たちはそれを幸運と感じる以上に、軍としての異常を感じた。


 ベルンハルトたちには知りようがなかったが、現エストバ正規軍は国王バーユイシャの不興を買い、正規軍でありながら、傭兵よりも弱い立場にあった。

 そのためベルンハルトたちを別働隊の傭兵と勘違いし、下手にもめ事を起こしてこれ以上バーユイシャの不興を買うことを恐れたのだ。


 ベルンハルトたちはついにエストバ軍の包囲を抜け、当初の勢いを失い、徐々に追い込まれつつあるフローリンゲン城塞兵たちが戦う戦場へと姿を現した。

 レイナウドの首を餌にエストバ軍の陣中深くへと誘い込まれてしまったフローリンゲン城塞兵たちは、元々数で圧倒的劣っていたこともあり、あっという間に劣勢に追い込まれていた。

 もはやレイナウドの首を追うどころではないはずなのだが、その戦いからは未だに諦めは感じられなかった。


 もはやこれ以上慎重に行動する必要はない。

 ベルンハルトがそう判断し、突撃の号令を掛けようとしたとき、まるで狙いすましたかのように一人の傭兵が声を掛けて来た。


「馬持ちがいるとは初耳だな」

 <海王>シルヴァである。

 巨体でありながらその動きからはしなやかさが伝わってくる。

 ただぶらぶら歩いているようでいながら、一分の隙もない。

 兵士たちの間に緊張が走る。

 エストバ軍の中を抜けて来た時以上の重圧だ。


「話した覚えはない」

 ベルンハルトもシルヴァから恐ろしい重圧を感じていたが、緊張も気負いも見せずにシルヴァの問いを軽くいなしてみせる。

「なるほど。それじゃあ聞いていなくて当然か」

 ベルンハルトの返しに対して、シルヴァもとぼけた態度でうなずく。


「何をするつもりだ? ここはエストバ軍に任せることになっているはずだぜ?」

 とぼけてはいても、エストバ兵のように簡単に開放するつもりはないらしい。

「連中は国王へーかに試されてるんだ。横やりを入れるのは無粋ってもんだ」

 エストバ国王に対する敬意は微塵も感じられない声で、シルヴァは正論を口にした。


「あんなわずかな兵を倒すことが、試練か何かなのか? 何を試されているのか知らんが、あんなものをつついて無粋呼ばわりされたくはない」

 ベルンハルトの言葉に、シルヴァはげらげら笑った。

「違いねえ。あんなもんが試練だとしたら、連中は不合格だろうよ。俺と仲間たちなら、とっくに終わって(、、、、)いる」

 エストバ兵の戦いを眺めながら、シルヴァは冷たく笑った。


「それでも止めるのか? あんた案外真面目なんだな」

 揶揄するような言葉とは裏腹に、ベルンハルトが放った百戦の気は、抜身の刃のように鋭かった。

 これ以上足止めを食らうと、飛び出してきたフローリンゲン城塞兵たちが全滅しかねない。

 予想外の強敵である。

 出来れば事を構えたくはない。だが、必要とあればベルンハルトにためらうつもりはなかった。


「おいおい。そんな目で見るなよ。俺もその気になっちまうだろう?」

 ベルンハルトの百戦の気を、過ごしやすい秋のそよ風のように軽く受け流したシルヴァが、ニヤリと笑って呟く。

 口元は笑っているが、ベルンハルトを見つめ返すその目だけは少しも笑ってはいない。

 ベルンハルトとシルヴァの間で渦を巻き始めた両者の百戦の気のあまりの凄まじさに、ドルトスタット兵たちは、二人の間に割って入れないでいた。


 二人の間で空気がさく裂するかに思えた瞬間、シルヴァはまたもや狙いすましたかのような間で一歩退いた。 

「よせやいっ! 誰があんな連中真面目に庇ったりするかよ。不真面目こそが傭兵の生き残り術だぜ。にいちゃんよう」

 それまでの気配が嘘のように、シルヴァはわざとらしく肩をすくめた。

 それだけで張りつめていた空気が一気に弛緩する。


「さっき、何をするつもりかと尋ねたな?」

「そういえば訊いたかもな。それで?」

「あそこに混じってくる」

 ちょっと馬で遠乗りに出かけてくるとでも言いたげな物言いに、シルヴァは笑った。

 今度は目も笑っている。 


「邪魔して悪かったな。にいちゃん名前は?」

「ベルンハルト」

 シルヴァの問いに、ベルンハルトは正直に名乗った。

「覚えておくぜ。今後はにいちゃんの名前が敵方にあったら、その戦には乗らねえことにするよ」

 シルヴァはそう言うとさらに一歩後退し、ドルトスタット兵の進路から完全に退いた。


「あんたは?」

「シルヴァだ」

 ベルンハルトは男の名を聞いて、なるほど思った。

 この男が不敗の傭兵の一人<海王>シルヴァであるのなら、この重圧も納得だ。


「有名人だな」

「だからって、良いことはあんまりねえぞ」

 頭をかきつつ、シルヴァはぼやいた。

 名にこだわりがない分、<大陸最強>だの、<海王>だのとはやし立てられても、その名声を狙われるばかりで、いちいち対処しなくてはならないシルヴァとしては面倒でしかないのだ。


「俺も出来れば、戦場であんたと敵対したくはないもんだ」

「まあ、無理だろうな」

「ああ、無理だ」

 それだけ言うとベルンハルトはいきなり拍車を入れた。

 ドルトスタット兵も即座に後に続く。


「……やっぱ殺っといた方がよかったか?」

 走り去るベルンハルトの背中を見送りながら、シルヴァは呟いた。

「まあ、その気になったからって、殺れたかどうかはわかんねえな。やっぱヴォオスはおっかねえぜ。あんな化け物がふらっと顔を見せやがる。五年後、いや、三年後でもあぶねえかもな」

 そう言いつつも、シルヴァの言葉の裏には確かな余裕があった。


「バーユイシャに勝たせ過ぎるなって言われているし、調度いいだろ。あの兄ちゃん殺るには、今の十倍もらったって釣り合うかわからねえからな」

 シルヴァはベルンハルトがエストバ軍に背後から襲い掛かるのを確認すると、いたずらに成功した子供のように笑い、自分の持ち場へと帰って行った――。









 シルヴァは明らかに自分たちがヴォオス側の人間であることを見抜いていた。

 シルヴァにはシルヴァなりの思惑があったのだろうが、エストバ軍に正体が知られること以上に、シルヴァ個人と戦わずに済んだことは、幸運以外の何ものでもなかった。

 正直やり合っていたら、十回の内、二回勝てればいい方だろう。

 それも一対一という条件下での話だ。

 五万のエストバ軍の只中で、わずか千騎で挑んでいたら、自分は間違いなく死んでいたはずだ。


 真っ向から互いの百戦の気をぶつけ合った時の冷たい重圧を思い出すと、今頃になって冷汗が吹き出してくる。

 シルヴァの思惑が何なのか、皆目見当もつかないが、状況はまだ好転したわけではない。

 ベルンハルトは無理やりシルヴァのことを思考の奥へと押し込むと、目の前の戦いに集中した。


 突然背後に馬蹄の轟きを聞いたエストバ兵が、慌てふためき振り返る。だが、振り返ったはいいが敵味方の区別がつかないのだろう。攻撃はおろか、防御すら固められず、棒立ちになってしまう。

 ベルンハルトはそんなエストバ兵目掛け、容赦なく馬をぶつけていった。

 悲鳴と共に肉を打ち、骨が踏みしだかれる音が響き、フローリンゲン城塞兵を包囲していたエストバ軍の一角に、地獄絵図が出現する。


 絶対的優位にあったエストバ軍は、突然の背後からの襲撃に、おおいに慌てた。

 混乱の中を一気に切裂かれたため、エストバ軍はベルンハルトの部隊の規模を把握することが出来ず、わずか千騎の突入を、まるで一万の軍勢にでも襲われたかのように錯覚し、混乱を拡大させていった。

 

 この機を逃すまいと、ベルンハルトは先頭に立ってエストバ兵を斬り捨て、血路を開いていく。

 これに続くドルトスタット兵がまた強く、エストバ軍は成すすべなく頭上から振り下ろされる鋭い一撃に、一つしかない頭を西瓜スイカのように叩き割られていった。


 ベルンハルトの鋭い目が、目的のもの(、、)をついに捉える。

 フローリンゲン城塞兵を釣り出すための餌に使われている、レイナウド将軍の首だ。

 槍先に括りつけられたレイナウドの首は、フローリンゲン城塞兵を挑発するために傷つけられたのだろう。もはや原形を留めないほど崩れている。


「武人の死を汚した報い、受けてもらう」

 それはエストバ兵に対して発せられた言葉ではなく、自分自身に対する宣言のようなものであった。

 これによってベルンハルトの百戦の気が一気に膨れ上がり、後に続くドルトスタット兵ですらたじろぐほどの猛々しい気配を身に纏う。


 その突進を遮るどころか、もはや誰もベルンハルトの前に立つことすら出来なかった。

 恐怖が足をその場の地面に縫い付けてしまい、一歩も前へと踏み出せないのだ。

 自身も馬も、エストバ兵の鮮血で真っ赤に染まり、紅の戦鬼と化したベルンハルトは、怒りと共に剣を振り下ろし、レイナウドの首を掲げていた一際体格の良いエストバ兵を、脳天から文字通り真っ二つに切裂いてレイナウドの首を取り返すことに成功した。


「聞けっ!! レイナウド将軍の首は、ドルトスタット家が嫡男、ベルンハルトが取り戻したっ!! 次は貴様らの首を奪う番だっ!!」

 凄まじい怒声は戦場の隅々にまで轟き、その声はバーユイシャの耳と、フローリンゲン城塞に留まっていた兵士たちにまで届いた。


「なるほど。五大家の人間だったか。どうりで化け物なわけだぜ」

 バーユイシャが怒りで顔を赤く染め、フローリンゲン城塞兵たちが驚愕する中、シルヴァただ一人が愉快そうに笑った。


 どんな暴れっぷりを見せるかと思い、持ち場を無視してベルンハルトの動きを追っていたシルヴァは、改めて無駄なやる気を出さなくて良かったと思った。

 怒りは視野と思考の領域を狭めるが、同時に普段以上の剛力を引き出しもする。

 もろ刃の剣であり、大概は最後に自分自身を切り裂くことになるが、稀に視野と思考が狭まった分、それが集中力へと昇華し、そこへ普段以上の剛力が加わって、同じ人間とは思えないほどの実力を発揮する者がいる。


「今あの兄ちゃんとやったら、間違いなく相打ちだな。十回やろうが百回やろうが、何が何でも俺を道連れにする。ああいう奴が一番やばい」

 その戦いぶりを見ていたシルヴァが心底嫌そうにこぼす。

 万が一そうなっていた場合、より大きな被害を受けるのは、有能な指揮官を失うヴォオスになる。だからと言って、そのために自分の命を差し出すようなシルヴァではない。


「それでこの戦の勝ちが決まったとして、俺に何の得がある? そこまで命を張るのはエストバ人の仕事であって、俺の仕事じゃねえよ」

 それは誰かに対する言い訳ではなく、国王も含めた全エストバ人に対する皮肉であった。


 ベルンハルトがしんがりとなり、レイナウド将軍の首を取り戻したフローリンゲン城塞兵たちが撤退していく。

 だが、混乱が収まり、奇襲を仕掛けてきたヴォオス軍がたったの千騎でしかないことに気がついたエストバ兵が逆襲に出る。

 そして、エストバ軍の誘いに乗り、突出し過ぎてしまっていたフローリンゲン城塞兵たちの脱出路を素早く塞ぎ、完全に包囲してしまう。


 フローリンゲン城塞に残されていた騎兵は五千。この無茶な突撃により、すでに二千人を超える死者を出し、無傷の者は一人もいない。

 騎兵と歩兵では、騎兵の方が圧倒的に有利である。

 だが、迎撃の準備を整えた四倍の歩兵が相手では、さすがにそう上手くはいかない。まして突撃して来たフローリンゲン城塞兵たちには、機動力を駆使して歩兵を攪乱し、分断して各個撃破を狙うといった意図はなく、だたひたすらレイナウドの首を取り戻すためだけに、馬を走らせていた。

 エストバ軍は正面から当たる愚を犯さず、素早く左右に展開すると、フローリンゲン城塞兵たちに矢の雨を降らせた。

 守るものもない両側面からの一斉射撃で、フローリンゲン城塞兵たちはあっという間に約半数の仲間を失ってしまったのであった。


 予想外の援軍によってレイナウド将軍の首を取り返すことが出来たフローリンゲン城塞兵たちであったが、皆矢傷を負っており、完全に閉ざされてしまった包囲の輪は、容易には突破出来そうになかった。

「ベン! エト! 前方を切り開けっ!」

 最後尾にて獅子奮迅の働きを見せていたベルンハルトが指示を飛ばす。

 ベルンハルト同様、恐るべき強さでエストバ兵の間に死を振りまいていた二人の騎士が即座に応じる。

 足が重くなりつつあるフローリンゲン城塞兵たちを次々と追い越すと、二人はあっという間に部隊の先頭へと飛び出した。


 二人は王宮でリードリットに対して謀反を起こした王宮騎士団の討伐に加わったドルトスタット家の精鋭三十人に選出されていたほどの騎士であり、五大家総勢百五十人の騎士で、三千人の王宮騎士を壊滅させたほどの実力者であった。

 歳は二人ともまだ若く、カーシュナーと同年の二十二歳で、次期当主となるベルンハルトを将来補佐することを期待される双子の騎士である。


 双子ではあるが二人はあまり似ておらず、鋭く切れ長の目をした兄ベンに対し、弟のエトは目じりの垂れ下がったやさしげな顔をしている。

 見た目からすると兄のベンは厳しい性格で、弟のエトはやさしい性格のように映るが、以外にも温厚な兄に対し、喧嘩っ早いのが弟の方という実にややこしい二人だった。


 先頭に立った二人であるが、主として敵に当たるのは弟のエトの方で、兄であるベンは弟の背中を守りつつ、弟が切り開いた血路をさらに押し広げて進んでいた。

 エストバ兵も盾と槍の壁を作り、なんとか二人を押し戻そうとするが、すかさず武器を弓に持ち代えた兄のベンに、わずかな盾の隙間に矢を通され、その背後の兵士たちを次々に射倒されてしまった。そして、ベンが崩した盾と槍の壁を弟のエトに一気にぶち抜かれ、エストバ軍の厚かったはずの包囲の輪は、ついに突破されてしまったのであった。


 フローリンゲン城塞に残っていた歩兵たちも的確に状況を判断し、包囲の輪が破れると同時に城門から打って出て、包囲の輪をさらに突き崩していった。

 フローリンゲン城塞から突撃した最初の騎士が城門を潜るの見届けたベンとエトは、すかさず馬首を返すと、本来自分たちが守るべき主のもとへと向かった。


 合流したベルンハルトとベンとエトの三人は、手のつけようがないほどの恐ろしい強さを発揮し、しつこく群がるエストバ兵を散々に蹴散らすと、全滅を免れた最後のフローリンゲン城塞兵たちと共に城門を潜った。

 城門が閉ざされる重々しい音の直後に、フローリンゲン城塞から大歓声が湧き上がる。

 その様子にエストバ兵たちは、ひたすら苦り切った表情で、フローリンゲン城塞の高い城壁を睨むだけであった。


「他にもやべえのがいやがったか」

 周囲の冷たい視線などおかまいなしに、シルヴァが手を叩いてゲラゲラと笑う。

「だからって、状況が変わったわけじゃねえけどな」

 直後に笑いの中に冷たさをすべり込ませ、シルヴァは呟いた。


 シルヴァの言葉通り、フローリンゲン城塞は未だに五万ものエストバ軍によって包囲されており、最初の小競り合いで大きく兵力を減じたのは、少数のフローリンゲン城塞の方であった。

 エストバ軍によるフローリンゲン城塞包囲戦が本格的に始まるのは、これからであった――。


次回は4月7日投稿予定です。

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