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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
55/152

エストバの秘策

 ケルネルスは討ち取ったレイナウド将軍の首を布に包み、山間部を歩いていた。

 そこにはエストバ軍の気配はなく、ヴォオス軍兵士でもない一団が待ち受けていた。

 レイナウド率いる救援部隊を襲撃した一団だ。


「成果はどうだい?」

 なまりの強い簡易ベルデ語で、一団の代表とおぼしき男が問いかけてくる。

 その馴れ馴れしさを不快に感じたケルネルスであったが、表情には微塵も現れなかった。

 だが、それでも男にはケルネルスの内心が伝わったようで、男は大きく肩をすくめて笑った。


 それだけで場の空気が変わる。

 配下の男たちは唾を飲んで男を見つめ、ケルネルスは額に噴き出した汗がこめかみを伝うのを、いやにはっきりと感じた。


「まあいいさ。俺らの目的は金だ。こっちの仕事はこなした。そっちの成果を見せてもらおうか?」

 男がわずかに見せただけの冷たい気配に気圧されてしまったケルネルスは、振るえる指先を一度強く握りしめることで無理やり抑え、男の前で布の包みを開いてレイナウドの首を見せた。

 

 男も懐から姿画を引っ張り出すとレイナウドの首と見比べ、大きく破顔した。

「作戦通りとはいえ、ヴォオス軍の将軍の首を取って来るとは大したもんだぜ。これであんたの地位も安泰だろう。これからどうする? なんなら、俺らと一緒に来るか?」

 レイナウドの首を律儀に布で包み直すケルネルスに、男は問いかけた。

 ケルネルスはレイナウドの首を男に渡しつつ、首を横に振った。


「もう一働きしてからそちらに向かう」

「そんな指示は出てねえぜ?」

「言われたことしか出来ないような人間に、あのお方の下での栄達はない」

「そりゃそうだ。能力でしか人を判断しねえからな、あの人は。おかげで俺らみたいな流れの傭兵にも、割の良い仕事が舞い込んでくる」

 男の言葉にケルネルスは何も答えず、踵を返した。


「分け前は後で五分でいいよな?」

 その背中に男が声を掛ける。

「いらん。この後の功績でその十倍は稼いで見せる」

「がははははっ! 豪気だなっ! そんなに野心の厚い男には見えなかったんだがなあ。だが、俺は嫌いじゃないぜ」

 男の笑い声に、手下の男たちからも歓声が上がる。

 実はこの仕事、金貨一万枚もの大仕事だったのだ。その分け前をいらないというのだから、報酬を総取り出来る傭兵たちが喜ばないわけがない。


「健闘を祈るぜ」

 立ち去るケルネルスの背中に男はもう一度声を掛けた。

 ケルネルスは軽く手を上げるだけで男の言葉に答えた。

「愛想のねえ野郎だ」

 男はそう言って笑った。


「どうします、お頭? 態度は生意気ですけど、仕事は出来るようですし、先々を見越して恩でも売っておきますか?」

 手下の一人が男に問いかける。

「いや、必要ねえだろう。あの手の男はすべてを自分の手で成し遂げないと気がすまん質だ。下手に手を出しゃあ、かえって恨みを買いかねねえ」

「面倒くさいっすねえ。貴族って奴は」

「だから世の中から戦がなくならねえのさ」

「そういう意味では少しは俺たち傭兵の役に立っているってことっすか」

「感謝はしねえけどな」

 男の言葉に手下たちは大口を開けて笑った。


「それに、どうせあいつは生き残れやしねえ」

「えっ? なんか言いましたか、お頭?」

 男の呟きは、誰の耳にも届かなかった。

「言わねえよ。それよりさっさとずらかるぞっ! フローリンゲン城塞の斥候辺りと鉢合わせでもしたら目も当てられねえっ!」

 男はそう言うと、耳の良い手下の頭を軽く張り倒した。

「さ~せんっ!」

 余計なことを言ったと理解した手下は、明るく謝った。

 男は張り倒した手下の頭を、今度はぐしゃぐしゃにかき回して笑う。


 男の名は、シルヴァ。

 大陸最強を謳われたアイメリックの全盛期に、<巨人>バルブロ、<紅棍>グスターヴァイス、<黒騎士>イーフレイム等と共に名前の挙がった、現大陸最強を謳われる、<海王>の二つ名を持つ傭兵であった――。









「邪魔な連中は片付けたな?」

 散り散りになったはずの部隊を短時間で再び集結させたケルネルスが、仲間たちに確認する。

 五千騎だったはずの部隊は四千騎にまで数を減らしていたが、集まった騎士たちの目に不安はなく、その目はむしろ興奮にギラついていた。

 ケルネルスの問いに、全員がうなずく。

 その手には血塗られた剣が握られており、誰の血を吸い上げたのかは明白だった。

 

「我らはこのままドルトスタット軍の背後を衝く」

 予定にないケルネルスの言葉に、騎士たちの間に一瞬動揺が走ったが、ヴォオス軍を裏切った騎士たちは即座に腹を決める。

 レイナウド将軍の首などより、五大家の当主、クリストフェルンの首を取れば、彼らの価値は大きく跳ね上がることになる。


「エストバ軍が予定通りに行動していれば、ドルトスタット軍は山岳戦に引きずり込まれているはずだ。エストバごときに後れを取るようなドルトスタット軍ではないが、山岳戦でエストバを相手に無傷で終わることは出来まい。状況に応じて介入し、クリストフェルンの首を取るっ!」

 これまでレイナウドには一度も見せたことのない、覇気に満ちた表情でケルネルスは宣言した。

 これに興奮した騎士たちが、血の滴る剣を掲げて歓声を上げる。


「行くぞっ!」

 四千の騎兵の先頭に立って馬を飛ばすケルネルスの表情は、もはや無表情などではなかった――。









 父の元を離れたベルンハルトは、ひそかにエストバ軍の本陣に忍び寄り、そこで恐ろしい情報を聞くことになった。

 レイナウド将軍の死である。

「馬鹿な……」

 唇は固く引き結び、心の中で呟く。

 

 笑い飛ばして否定してやりたいところではあるが、エストバ軍はここまで二万の兵力を温存している。

 ゼルクロー襲撃が陽動であった以上、その二万の兵力すべてを、フローリンゲン城塞からの救援部隊にぶつけた可能性はある。

 だが、エストバ軍に馬はない。

 仮に二万のエストバ兵に待ち伏せを受けたとしても、おそらく速さを優先して騎兵のみでゼルクローへと向かっているはずのヴォオス軍を捉えきれるとは思えない。

 ましてや、守りの堅いあのレイナウド将軍が、劣勢の状況で敢えて無謀な戦いを挑むわけがない。

 伏兵があったのなら、即座にフローリンゲン城塞へと撤退したはずだ。


 逆に、これがヴォオス軍が広めた流言の類であったとしても、現段階でレイナウド将軍の死という流言にはあまり意味がない。

 レイナウド将軍は優れた将ではあるが、将軍が一人欠けたくらいで陥ちるフローリンゲン城塞ではない。

 討って出る時点で万が一の場合の備えはしているはずであり、それがわからないエストバ軍ではない。

 これを好機と捉えて山中から下り、フローリンゲン城塞に攻勢を掛けるてくれる様なら何の苦労もないのだ。


「本当に亡くなられたのか……?」


 考えていても仕方がない。ベルンハルトは他の情報を集めに向かった部下たちと合流することにした。


 千ものドルトスタット兵が同じ山中で自分たちのことを嗅ぎまわっていることに、エストバ軍の兵士たちは誰一人気づかなかった。


 エストバ軍が山岳戦を得意とするのは、エストバ自体がカ・イラサ山脈に点在する平地や肥沃な盆地を領地としているからで、生活そのものが、山での生き方を教えてくれるからだ。

 エストバ人にとって山とは自分の庭のようなものであり、五つにもなれば、平地で暮らす大人などよりはるかに深く山の知識を身に着けている。


 山を歩くということは、平地でしか暮らしたことのない人間には驚くほど過酷だ。

 勾配はきつくとも、山道ならば問題なく歩ける者も、未踏の山に踏み込んだ途端体力を激しく消耗し、たいした距離も進めず疲れ切ってしまう。

 疲れる程度で済めばいいが、険しい山でなくとも高低差の存在する山中では、転落事故により負傷したり、あっさりと死んでしまうこともある。

 山の中には、知識を持たない者には見えない山の道があり、それを踏み外すと山は途端に危険に満ちた場所となる。


 初めて踏み込む山中でも、その山のくせを見抜き、即座に対応出来るからこそエストバ軍は山岳戦に強いのだ。

 だが、その強さはあくまで生活に根差したものであり、生きるための知恵の活用でしかなかった。

 それに対してドルトスタット兵が身に着けているものは、生きるための知恵ではなく、戦い、勝つための山の知識だったのだ。


 <勇者>と呼ばれた建国の英雄王、ウィレアム一世を支えた五人の戦士には、それぞれ得意とする分野があり、クライツベルヘン家はその能力から<魔術師>と呼ばれ、シュタッツベーレン家は<回復師>などと呼ばれていた。

 そして、ウィレアム一世を支えたドルトスタット家は、その能力から<狩人>と呼ばれていた。

 ただし、獣を罠に掛けたり、射止めたりする類の狩人ではなく、<神にして全世界の王>魔神ラタトスの眷属である魔物を狩る<狩人>だ。


 ドルトスタット家の初代は、山に限らず森や谷、沼や荒野、果ては洞窟などの地下空間といった、あらゆる自然環境で、魔物に対して優位に立って戦う術を身に着けた恐るべき<狩人>であった。

 ヴォオス建国後、まだヴォオスの辺境などに多く残った魔物たちから人々を守るために、ウィレアム一世から頼まれ、ドルトスタット家の初代当主が<守護者>なる組織を立ち上げ、ヴォオス国民を人知れず守ってきた。


 組織の存在を公にしなかったのは、千年もの長きに亘って続いた魔神ラタトスの支配が終わり、ようやく恐怖と絶望の日々から解放された人々に、余計な恐れを与えたくなかったからである。

 この辺りは頼まれもしないのに勝手に王都の地下に盗賊ギルドを組織したクライツベルヘン家の初代当主とは大違いであった。


 組織としての性格も、クライツベルヘン家とドルトスタット家の性格がそのまま表れたと言っていい。

 権力に対して常に冷たく距離を取って来た盗賊ギルドに対して、<守護者>は王家を守り支えるためにその影に身を置き続けた。

 それはウィレアム一世に対するクライツベルヘン家の初代と、ドルトスタット家の初代の関係そのものであった。


 真逆に思えるクライツベルヘン家とドルトスタット家の性格だが、それはあくまでウィレアム一世に対するもので、両家は盗賊ギルドの結成と、<守護者>結成において協力し合い、二つの組織を確立したのであった。


 エストバ軍は山岳戦に絶対的な自信を持っており、それはヴォオス軍を相手にする場合であれば間違いではない。

 だが、その相手をドルトスタット家に限定した場合においては、自信は過信となる。

 ベルンハルトがエストバ軍が陣取る山中を渡り、本陣まで踏み込めているのも、山中にあって自分たちに察知出来ない斥候などいないという驕りからくる油断をベルンハルトが衝いているからである。


 何の問題もなくベルンハルトがエストバの陣から抜け出すと、そこにはすでに各方面に偵察に向かった兵たちが戻っていた。

 まだ姿の見えない者も幾人かいるが、エストバ軍の間に騒ぎが起きていないことから、さらに深いところにまで潜り込んでいるに違いない。


「報告してくれ」

 ベルンハルトはひとまずレイナウド将軍のことは伏せ、まず情報を確認し、そこから状況を精査することにした。

 今この段階で自分が入手した情報を伝えると、部下たちが得た情報の意味が彼らの中で変わってしまいかねない。無意識の憶測含みの情報では、正しい情報分析が出来なくなってしまうからだ。


「驚いたことに、豊富とは言えませんが、エストバ軍は十分な糧食を確保しております」

「エストバ軍本陣後方に、多数の吊り橋を確認しました」

「この山中におけるエストバ兵の数を確認。およそ一万。ゼルクローを襲撃したエストバ軍のみがこの山中にいるものと思われます」

 それ以外にも細かい情報が報告されるが、それはすべて先の三つの情報を補強するものでしかなかった。


「……数からいっても、この部隊はヴォオス側の勢力を分断して引きつけることが目的なのだろう。だが、エストバ軍の主力でもないこの部隊に、食料が十分あることがおかしい。食料生産量ではるかに上回るヴォオスですら多くの死者を出したのだ。山国であるエストバに余力などあるはずがない。にもかかわらず、エストバ軍はこの山中に展開している別働隊にまで十分な食料を行き渡らせている。これでは陽動ではなく、この山中を砦に見立てた持久戦だ。エストバ軍全体の食糧が持つはずがない」

 ベルンハルトは、まるで自滅でもしようかというエストバの真意が掴み切れず、思わず唸った。


 ここで一人遅れて戻って来た兵士から、さらに驚きの報告がもたらされる。

「吊り橋を渡り、さらに食料が補充されました。ここにいるエストバ軍なら、一週間は余裕で持つ量です」

 全員が声には出さずに呻きを上げる。

 もはや当初ヴォオス軍が描いていたエストバ軍とは似ても似つかない敵を相手にしていることになる。


 食糧不足から、死に物狂いで略奪に来たと考えられていたエストバ軍は、実はまったく異なる目的でヴォオスを侵略している事になる。

 こうなってくるとレイナウド将軍の死も信憑性が高くなる。 

 ベルンハルトは決断した。


「多少の細工をしたうえで、フローリンゲン城塞へと向かう。確かめなくてはならないことがある。エストバ軍の本隊二万の行方も突き止めなくてはならないしな」

 ベルンハルトは即座に行動した。

 父への状況報告に伝令を出すと、ベルンハルトたち一千は、大胆にもエストバ軍の中を横断したのであった――。









 ベルンハルトがエストバ軍を横断し、フローリンゲン城塞を目指した丁度そのころ、ケルネルス率いる元フローリンゲン兵四千が到着した。

 クリストフェルンのもとへと通されたケルネルスは、洪水による地形変化の影響で迂回路を山中に取った際、エストバ軍の奇襲を受け、将軍レイナウドが討ち取られたことを伝えた。


「うわさは本当だったか……」

 ケルネルスの報告を受け、クリストフェルンが嘆息する。

「うわさ……、ですか?」

 いつも通り表情を殺していたケルネルスであったが、クリストフェルンの予想外の一言に、思わず顔を強張らせた。


「うむ。エストバ軍の意図が読めなかった故、兵を出して探らせていたのだが、そこでレイナウド将軍に関する情報を聞きつけたのだ」

 クリストフェルンの答えに、ケルネルスの額に脂汗が浮かぶ。

 レイナウドの死が、どこまで詳しくエストバ軍に伝わっているのか、ケルネルスには知りようがない。

 自分たちの裏切りまで噂として伝わっていたら、自分は断頭台に自ら首を突っ込んだことになる。

 まるで気負いのないクリストフェルンの表情も、まるで自分の反応を見て愉しんでいるようにように見えてくる。


「ゼルクローの襲撃が一万とわかった時点で、残りの二万によるフローリンゲン襲撃にを懸念していたのだが、よもや的中しようとはな。お主らだけでも無事で何よりだ」

「もったいないお言葉っ! 主も守れずおめおめ生き残ってしまった自分に、ただ恥じ入るばかりです」

 ケルネルスは表情を隠すために深々と頭を下げた。

 腹の中は口の軽過ぎるエストバ軍に対する怒りで煮えくり返っていた。


「それにしても、何故こちらに来た? フローリンゲン城塞に戻るべきだったのではないか?」

 責めるというより、その辺りにも事情があるのだろうという配慮がクリストフェルンの声から伝わる。

 ケルネルスに事実を言い訳のように語らせるのではなく、やむを得ない事情があってのことという空気を作ってから語らせようというクリストフェルンの気配りに、ケルネルスは救われる思いだった。同時に、その貴族らしからぬ甘さに嫌悪を覚える。

 ケルネルスにはクリストフェルンという人物は理解出来ない存在だった。


「毒煙による奇襲を受け、視界も塞がれてしまったため、ゼルクローへと向かっていた部隊は個々に脱出を図るよりない状況に追い込まれました。その後何とか仲間を集めたのですが、その間にフローリンゲン方面への道をエストバ軍に塞がれてしまい、帰還出来なくなってしまったのです」

 クリストフェルンが作ってくれた時間的余裕のおかげで、ケルネルスはスラスラと嘘をつくことが出来た。


「そうであったか。そこでレイナウド将軍の仇を討とうと血気に逸らず、よく冷静に判断を下してくれた。あくまでフローリンゲン城塞へと戻ることに固執していたら、エストバ軍に包囲殲滅されていた可能性が高い」

 クリストフェルンの言葉に、ドルトスタット軍の主だった騎士たちもケルネルスを擁護するように大きくうなずいてみせる。

 レイナウド将軍がどれだけケルネルスに期待していたかを知るだけに、ケルネルスも父親を失ったかのように胸を痛めているだろうと思い、ケルネルスの自責の念を少しでも軽くすべく配慮したのだ。


 ケルネルスはその同情に満ちた空気に吐き気がしたが、何とか傷心の副官の役を演じてみせた。


(こやつら、私がどのようにしてレイナウドを殺したか聞けば、いったいどんな顔をするだろうか。騙されたと怒り、猿のように顔を真っ赤にするかもしれんな)


 自分が内心ではそんな風に思いながらクリストフェルンたちの言葉を受け止めていることも知らずに励ましの言葉を掛けてくれる騎士たちを内心で嘲笑いながら、ケルネルスは意を決したかのような表情を作り、クリストフェルンに願い出た。

「どうか我らに戦いの場をお与えくださいっ!」

 その声にも表情にも、襲撃に敗れ、数の不利から逃げ出すしかなかった無念がにじみ出していた。


「お主の申し出、ありがたく受けさせてもらう」

 ケルネルスの言葉に、クリストフェルンはケルネルスの手を取り、大きくうなずいた。

「我が軍は数の上では二倍の兵力を要しているのだが、地形上の不利から互角の状況に追い込まれていた。だが、ここに四千もの兵力が加われば、敵の攻撃を受け止めたうえで、切り崩すことが出来る。この後エストバ軍に総攻撃をかける故、お主らにはドルトスタット軍がエストバ軍を受け止めたら、その後方から斬り込んでもらいたい」


 クリストフェルンの策は、ケルネルスたちに主の仇を討たせてやろうという配慮から出たものだった。血を流す仕事は自分たちが受け持ち、最後のとどめを刺して無念を晴らせというのだから、これがレイナウドに長年仕えてきた騎士たちであれば、涙を流してクリストフェルンに感謝したであろう。

 だが、ケルネルスは自分の中で膨れ上がる別の意味での歓喜を表に出すまいと、感情を抑えるのに必死で、感謝どころではなかった。

 クリストフェルンは自らケルネルスたちの前にその無防備な背中をさらしてくれるというのだ。

 策を弄するまでもない。


(どこまでお人好しなのだ、この馬鹿はっ! これでよく五大家の当主が務まるものだっ!)


 心の中でクリストフェルンに唾を吐きつつ、ケルネルスは再び深々と頭を下げた。


 この時、クリストフェルンの目がケルネルスの鞘に収まるレイナウドの剣を見つめていたことに、表情を隠していたケルネルスは気がつくことが出来なかった――。









 驚異的な速さで山岳部を抜けたベルンハルトたちは、山中にエストバ兵とは明らかに異なる足運びでつけられた足跡を発見し、その痕跡をたどった結果、レイナウドがケルネルスたちの裏切りにあった場所へと辿り着いていた。


 わずかに大地に染み残った毒煙の臭いと、無数に見つかった焼け焦げの跡から、この場で何が起きたのか、ベルンハルトはほぼ正確に見抜いた。

 広範囲にわたってヴォオス兵の死体が点在している。およそ千体はあるだろうか。どの死体も不意を衝かれたようで、背後や側面から受けたであろう致命傷によって息絶えている。


「ここでエストバ軍の伏兵にあったようですね」

 兵士の一人が声に悔しさをにじませて呟く。

 ベルンハルトはその言葉にすぐには答えず、さらに戦いの後を調べて回った。

 そして辿り着いた自分自身の答えに表情を険しくする。

「ど、どうされました、ベルンハルト様っ!」

 驚いた兵士が思わず尋ねる。


「足元をよく見ろ」

 そう言ってベルンハルトも自分の足元に視線を転じる。そこには戦いで踏み荒らされた地面があるだけだった。

 始めは気がつかなかった兵士たちも、すぐにその荒れ方の異様さ(、、、)に気がつき、顔を強張らせてベルンハルトの答えを待つ。


「これは騎馬の争った後だ」

「……はい」

 そこから先の答えを知りたくないという思いが、兵士たちの口を重くする。

「今回のエストバ軍は急峻な山地を抜けるために歩兵が主力だ。乱れる前の地面に残された痕跡から、フローリンゲン城塞から発った騎兵はおそらく五千騎。エストバ軍に五千もの騎兵を打ち破れるほどの騎兵戦力はない。だが、ここで殺されたフローリンゲン兵は、皆騎兵戦による不意打ちで命を落としている……」

 ベルンハルトは怒りで一瞬言葉に詰まる。

「こんなことが出来るのは、同じフローリンゲンの兵士だけだ。彼らは裏切られたのだ」

 吐き捨てられたベルンハルトの言葉に、兵士たちの間に激しい憎悪が生まれる。


「ベルンハルト様……」

 そこへ兵士の一人が蒼い顔で近づいてくる。

「御足労いただいてよろしいでしょうか」

 兵士はそう言うと、申し訳なさそうに踵を返した。

 ベルンハルトは何の言わずにただ従った――。




 

「間違いない……」

 ベルンハルトは部下が見つけたレイナウド将軍の首のない亡骸を前に、ただ一言つぶやいた。

 親交が深かったわけではないが、レイナウドはヴォオス東部国境の要であるフローリンゲン城塞に長年務めていた。

 ヴォオス東部に領地を構えるドルトスタット家の嫡男として、フローリンゲン城塞を治めるレイナウドとは、幾度も顔を合わせる機会があったのだ。


 初めて顔を合わせたのは十四歳の時だった。

 身体の成長と共に、剣術の腕前も大きく伸び、自信に満ちていたころだった。

 ベルンハルトは初めて対面するヴォオス軍の将軍の実力がどれほどのものか知りたくて、生意気にもレイナウドに試合を挑んだことがあった。

 今でこそ冷静沈着な人物と見られているが、少年期のベルンハルトは弟のレフィスレクスなどよりもはるかに手のかかるやんちゃな少年だったのだ。


 息子の不遜な態度を叱るクリストフェルンをなだめ、試合までしてくれたのがレイナウドであった。

 レイナウドには息子がおらず、そのため才能にあふれた若者たちを息子のように思い、その成長の助けとなれることを喜ぶ一面があったのだ。


 ヴォオス軍の将軍と戦える。

 ベルンハルトははたから見てもわかるほど浮かれ、クリストフェルンに頭抱えさせた。

 ヴォオス軍の将軍に勝ってしまったらどうしようか? 

 自分は明日からヴォオス最強などと呼ばれるようになってしまうのかな?

 などと、戦う前から浮ついたことを考えていたのだから、見透かされるのも無理のない話だった。


 レイナウドはそんなベルンハルトをたしなめたりせず、たった一太刀でベルンハルトの思い上がりを打ち砕いた。

 馬鹿正直に真っ向から斬りこんで来たベルンハルトの剣を、真っ向から打ち据え、砕いたのだ。

 そして、ベルンハルトは斬り伏せられることこそなかったものの、レイナウドは寸止めした剣を返して腹の部分を肩口に押しつけると、まるで袈裟切りに斬り捨てるかのように、恐ろしいほどの力でベルンハルトを地面に叩きつけた。

 日ごろの訓練のおかげで受け身を取り、後頭部こそ打ちつけなかったベルンハルトであったが、叩きつけられた背中が再び宙に浮くほどの衝撃に、身体をくの字に折ってもがき苦しんだ。


 高くなっていた鼻は、へし折られるどころか根こそぎもぎ取られ、ベルンハルトの矜持はひどく傷ついた。

 恨みを込めて見上げたベルンハルトの視線を、レイナウドは凄むでもなく、ただ真っ直ぐ見つめ返した。

 ベルンハルトは負けたくない心とは別に、視線がレイナウドから逃げて行くことをどうすることも出来なかった。

 そして、小狡く父親や、お付きの騎士たちの方へ視線を向けてしまう。

 そこには叱られることはあっても常に自分の味方でいてくれる頼もしい大人たちがいる。

 無意識に助けを求めたベルンハルトの視線は、レイナウドと同様の視線に出会い、弾き返される。


 ベルンハルトはこの時初めて「戦い」と、「戦いごっこ」の違いを思い知ったのであった。

 本物の戦いの空気の中に、何の覚悟もなく踏み込んでしまったことを知り、ベルンハルトは恐怖に呑まれかける。

 そんな恐怖から解き放ってくれたのは、差し出されたレイナウドの手だった。

 その手に何も考えずに手を伸ばしたベルンハルトは、レイナウドに引き上げられながら、でかい手だと思った。


「君は強さを求める道の入り口に立ったばかりだ。修練を続けなさい。すぐに私など越えられる」

 そう言って見せてくれたレイナウドの笑みを、ベルンハルトは今でもはっきりと覚えていることに驚いた。


 熱くなった目頭を拭うと、ベルンハルトはレイナウドの剣を探した。

 自分の剣をまるで棒切れのようにへし折ってしまったドルトスタット産の名剣だ。

 だが、その姿はどこにも見当たらなかった。

 ケルネルスが投げ捨てた自身の剣の代わりに無意識に鞘に納めてしまったのだから見つかるはずがない。

 やむなくベルンハルトはレイナウドの腰に残された鞘を手に取ると、胸に残った足形の泥を払い、うち捨てられたままになっていたレイナウドの遺体を、鞘を剣を代わりに抱かせて整えた。


「フローリンゲン城塞に運ぶ」

 ベルンハルトの言葉に、兵士たちも気持ちは同じだったが、現実問題として徒歩で向かうにはフローリンゲン城塞は遠すぎる。

 それに、裏切り者の存在を、主であるクリストフェルンに警告しなくてはならない。

 裏切り者は間違いなくゼルクローへと向かっている。一方的な殺戮の場となったこの場所から、四千ほどの足跡が向かっている。

 その目的がドルトスタット軍であることは疑いの余地もない。


「ドルトスタット軍のことなら心配はいらない。裏切り者が誰であろうと、連中は大きな間違いを犯した。裏切りの成果を拡大したかったのなら、ドルトスタット軍にではなく、フローリンゲン城塞に向かうべきだったのだ。父上の<狩人>としての目をたばかることは出来ない。嘘は必ず見抜かれる」

「いきなり背後から襲い掛かるかもしれませんっ!」

 兵士が不安そうな顔で尋ねる。


「そちらの方が手っ取り早い。忘れたのか? ドルトスタット軍は現在山中にある。背後から奇襲を掛けたくとも、馬ではかえって足を取られる。城塞兵がドルトスタット軍に山岳戦を挑んでも、虫が焚火に飛び込むようなものだ」

 ベルンハルトの説明に、兵士たちがニヤリと笑う。

 ドルトスタット軍の背後を無理に衝こうとすれば、高所に位置するドルトスタット軍と戦わなくてはならない。馬を降りたヴォオス騎士が四千であれば、ドルトスタット軍は五百も出せば殲滅出来るだろう。エストバとの戦局には何の影響もない。


「そうと決まれば急ぎましょうっ! いくら我らが健脚を誇ろうと、ここからフローリンゲン城塞まではかなりの距離ですっ!」

 気持ちを切り替えた兵士の一人が、さっそくレイナウドを運ぶための担架を作り出す。

「しばし待て。考えがある」

 ベルンハルトはそう言うと、両手の指を軽くくわえ、指笛を吹き鳴らした。

 死者が横たわる大地に、ベルンハルトの指笛の高く澄んだ音色が響く。ベルンハルトは何度も吹き鳴らし続け、しばらく待った。

 すると、遠くに土埃が現れ、次第に地響きが近づいてくる。

 驚く兵士たちをぐるりと取り囲み、千頭もの馬が集まったのであった。


 それは間違っても野生の馬ではない。すべての馬が鞍を乗せられ、手綱がかけられている。

「こ、これは……」

 若い兵士の一人が呆気に取られて呟く。

「<狩人>のわざだ。お前はまだ知らんようだな。ベルンハルト様くらい修練を積めば、お前にも出来るようになるぞ。我らドルトスタット兵は、人に馴らされた動物なら、他にも多く操れる。馬を呼ぶくらい朝飯前だ。ですが、どうして馬がいるとお分かりになったのですか?」

 驚く若手に説明していた古参の兵士が、最後は感心しきりの体でベルンハルトに尋ねる。


「ここに馬の死体はなかった。裏切り者たちが捕らえて連れて行ったのでなければ、まだこの付近にいるのではないかと思ったのだ。ヴォオス騎士と馬の繋がりは強い。主が死んだからといって、そんなに簡単に気持ちが離れることはないからな」

 ベルンハルトの言葉に、兵士たちは改めてこの地で命を落とした兵士たちの冥福を祈るとともに、感謝した。


 新たな乗り手を得た馬たちは、慣れ親しんだフローリンゲン城塞へと向かったのであった――。









 フローリンゲン領にある山中に、エストバ国王バーユイシャの姿はあった。

 それまでは腹の脂肪がかなりたるんだ外見通りの、頭を使い身体は動かさない類の王であった。

 だが、終わらない冬の影響はエストバ王宮の食糧庫をも直撃し、バーユイシャの身体からかなりの脂肪を取り除くことに成功していた。

 

 痩せて身体が軽くなった影響というわけではないだろうが、今回のヴォオス侵攻の指揮を、バーユイシャは自ら参戦し執っていた。

 もっとも、よほど厳しい地形でない限り、奴隷に担がせたかごで移動しているので、本人の負担はそれほどでもない。

 ただし、担ぐ奴隷の負担が軽減されたのは大きな改善で、おかげで今回の進軍では、奴隷を乗り潰さずに遅れずについていくことが出来ている。


 バーユイシャが自ら指揮を執るに至った背景には、終わらない冬への対応のまずさから、国民からだけでなく、エストバ軍の主だった有力者からも反意を抱かれ、その権力を大きく揺らがせてしまい、兵権を預けられる人物がいなかったこともあるが、自分の権力を取り戻してくれた商人が献じた策があまりに魅力的であったことから、この侵略を失墜してしまった自らの権威を立て直すために利用しようと親征したのであった。


 今回動員出来た兵力は、わずか三万だった。

 かりにも南方の国ラトゥを狙うエストバである。軍事力には自信があった。

 終わらない冬が訪れる前であれば、国の守りにある程度の兵力を残したとしても、十万は用意出来た。無理をすれば十五万までは動員出来たかもしれない。

 だが、今のエストバの国力では、三万が限界だった。


 ヴォオスは終わらない冬の影響下から完全に脱したが、ヴォオスに比べて雪解けの時期そのものが遅く、標高が高いため積もった雪の量がヴォオスをはるかに上回ったエストバは、今まさに雪解けによる水害のただなかにあるのだ。

 カ・イラサ山脈の各所に点在するエストバの重要拠点は、その多くが水によって王都ダル・マクタ―スタとの道を遮断され、エストバでも特に高地にある地域は、未だに雪によって閉ざされている状況にある。

 ヴォオス攻略のための徴兵は、食糧面からだけでなく、そもそも物理的に不可能だったのだ。


 十分な兵力が整わないままでの出兵に、エストバの主だった者たちは、ヴォオスが見立てたものと同じ侵略計画を見ていた。

 三国同時侵攻により、手薄になったヴォオス軍を打ち破り、奪えるだけ奪って即座にエストバへと引き換えし、次の冬まで徹底的に守りを固めるという作戦だ。

 重要なのは早さであり、ヴォオス軍の反撃を受ける前にすべてを決しなくてはならないものだと思われていた。


 だが、バーユイシャはヴォオス、エストバ、両軍事関係者の予測を裏切り、ヴォオスへの関門であるフローリンゲン城塞への速攻を捨て、ただでさえ十分とは言えない兵力を割き、奇襲に出た。

 これを疑問視する将兵を無視してことを進めていたバーユイシャは、商人から献じられた策の胆とも言うべき段階にさしかかり、笑みを抑えることが出来なくなっていた。


 そして、ついにその瞬間がエストバ軍の眼前に現れる。

 それを目にした瞬間のエストバ兵の反応に、バーユイシャは嘲笑わずにはおれなかった。

 思わず剣に手を掛ける者。

 逃げ出そうとする者。

 呆気に取られて硬直する者。

 反応こそそれぞれであるが、どの反応の根底にも共通して存在するのは、「恐怖」であった。


 そこには商人曰く――。

「陛下への贈り物」

 が、自分を待っていた。


 総勢三万の、傭兵という名の贈り物たちが――。


 バーユイシャ自身の中にも恐怖はあった。

 もしここでこの傭兵たちに襲われれば、数で劣るエストバ軍は敗れ、自分も命を落とすだろう。

 瞬間バーユイシャの中に迷いが生じる。

 自分は信じ過ぎたのではないかと――。


 だが、その迷いは次の瞬間吹き飛ばされた。

 傭兵たちがその場で足を踏み鳴らし、バーユイシャの名を連呼したのだ。

 バーユイシャ自身が信用していないエストバ兵の中に、バーユイシャに対する信頼などあるはずがない。

 互いが互いを信じることが出来ず、王という立場と、兵士という立場から来る惰性でここまで来たエストバ軍の士気は低かった。

 だから余計に傭兵たちの放つ熱は、バーユイシャを高揚させた。


「皆の者、聞けっ!」

 バーユイシャは傭兵たちの歓呼の中叫んだ。

「フローリンゲン城塞の主、レイナウドは死んだっ!」

 この一言に、傭兵たちが狂ったように大騒ぎする。

「ここに総勢五万の兵力がある。ヴォオスが我が国エストバを牽制するために築いたフローリンゲン城塞を、これから陥としに行くっ! 皆の者、我に続けぇぃ!!」

 そう言うとバーユイシャはかごから降り、自らの足で走り出した。

 これに即座に応じたのは傭兵たちであった。

 エストバ兵もこのままでは立場がないと、慌てて国王の後を追う。


 十万本の足がヴォオスの大地を打ち、不吉な轟きを響かせたのであった――。   

  

次回は3月31日投稿予定です。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >ベルンハルトは何の言わずにただ従った――。 何も言わず  >鞘を剣を代わりに抱かせて 剣の代わりに だと思います。
[気になる点] >によるフローリンゲン襲撃にを懸念していたのだが 襲撃を懸念 だと思います
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