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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
54/152

対エストバ、開戦!

 東部国境の要、フローリンゲン城塞の城主を務めるレイナウド将軍は困惑していた。

 エストバ軍三万の軍勢が、忽然と姿を消したからだ。

 エストバの王都、ダル・マクタースタを発ったことは確実で、考えを変えて引き返したわけでもないことは、エストバに潜り込ませている間者からの報告で確認している。

 ダル・マクタ―スタを発って以降の足取りがつかめないのだ。


 エストバはルオ・リシタの侵攻後、イェ・ソンと足並みをそろえるかのように侵攻を開始した。

 そこに加えてのヴォス国内貴族の一斉蜂起である。

 これは偶然などではなく、明らかに何者かがヴォオスを攻め滅ぼさんと画策した結果であった。

 そして、このヴォオス包囲網とも呼べる計略において核となるのが、「同時攻撃」である。


 この包囲網は、ルオ・リシタ軍を囮のように使い、ヴォオス軍を国内に広く薄く展開させて打ち破ることに意味がある。

 ヴォオスに侵攻するということは、ただでさえ地の利のあるヴォオス軍に対し、得意とする騎兵戦で挑まなくてはならない。同じく騎兵戦を得意とするイェ・ソンであれば不利は生じないだろうが、騎兵の練度で明らかに劣るエストバ軍は、同数で争えば勝ち目などない。

 ヴォオス軍が手薄の内に撃破してしまわなければ、他の戦場での勝敗次第では自分たちがヴォオスの地で屍をさらすことになる。

 ルオ・リシタ軍やイェ・ソン軍の勝利を確信しているのかもしれないが、それにしては悠長が過ぎると言える。


「エストバめ。何のつもりか知らんが、この一日が大きく勝敗を左右すること、その身に思い知らせてやるからな」

 レイナウドは苛立ちと共に吐き捨てた。

 背後に控える副官のケルネルスは、余計な怒りを買うことを避けるため、沈黙を貫いている。


「とりあえず、ドルトスタット家とクライツベルヘン家に現状を伝えておけ。エストバの出方次第で、別方面への支援に向かってもらうことになるやもしれんからな」

 ケルネルスは短く答えると、仕事をこなすために踵を返した。


 一人城壁の上から東の山々を睨みつけるレイナウドの目には、紅に色づき始めた山の一部が、血の染みのようにしか見えなかった――。









 レイナウドがエストバ軍の行動に困惑しているとき、当のエストバ軍も自軍の行動に困惑を覚えていた。

 国王バーユイシャが親征し、自ら軍を率いていること自体困惑を呼ぶのだが、それ以上にその行動がこれまでのエストバ軍の常識を無視した行動であったからだ。


 バーユイシャはヴォオスに略奪に向かうと言っておきながら、直接ヴォオスへは赴かず、道なき山地を行軍していた。

 それ自体は山歩きに慣れ親しんでいるエストバ兵にはどうということはないが、目的が不明なままの行軍は、兵士たちに余計な疲労感を抱かせる。


 目的地等を告げないことにはそれなりの理由があるのだが、終わらない冬の最中に民衆からの評価を大きく下げてしまったバーユイシャは、ヴォオスの間者を警戒したこともあるが、それ以上に自国の兵士を信用出来なかったのだ。


 これまでの流れであれば、兵士たちの不満がとうの昔に噴出していてもおかしくないのだが、バーユイシャに取り入った商人からもたらせる食料が、文字通り彼らの口をふさいでいた。

 食糧不足はバーユイシャの胃袋だけでなく、支配者としての首をも締め上げたが、その食料の供給源をバーユイシャが押さえたことでその支配力は今まで以上に強固なものになっていた。


 進軍を続けるエストバ軍の前に、エストバと、その南に位置するラトゥ国の主要河川であるセンゲガー河の上流部が現れた。

 長い年月をかけて川床を削り続けたセンゲガー河の上流部は深い渓谷になっており、ヴォオスとエストバを分ける国境線の役割も担っている。

 このさらに上流部では、センゲガー河が一度地下に潜り込む部分があり、その上を東の大陸隊商路が通ることで、大陸東部とヴォオスとを繋げていた。


 通常であれば、エストバ軍はその隊商路を渡り、ヴォオスへと攻め込むのだが、バーユイシャがこの道を避けたため、エストバ軍は橋のないセンゲガー河によってその進軍を阻まれていた。

 それ見たことかと言わんばかりの空気が流れる中、バーユイシャの指示によって適当な数の樹木が伐採され、それらは瞬く間に簡易投石器へと組み上げられていった。

 

 それらの工兵は商人から差し向けられた技術者たちであり、その技術力の高さと見事な手際はエストバ兵を驚かせた。

 そして組みあがった投石器は、ロープを括りつけられた石を対岸へと飛ばし、あっという間に両岸を繋ぐ無数のロープを張り巡らしたのであった。

 

 土台となるロープが張り巡らされると工兵たちはロープとロープをさらに別のロープを使ってつなぎ合わせ、少女があやとりで作る橋の原寸大を再現して見せた。

 仕上げに足場となる板が取り付けられ、即席のつり橋が完成すると、エストバ兵の間から歓声が上がった。


「次に許可なく口を利いた者は、川底に蹴り落とす」

 その歓声も、バーユイシャの苛立った視線と共に発せられた一言で一瞬にしてやむ。

 エストバ軍はヴォオス軍の虚をつくために時間をかけてまで山中を進軍してここまで来たのだ。対岸はすでにヴォオスの領土である。

 ここまでの隠密行動が無駄になりかねない兵士たちの不用意な行動に、バーユイシャが苛立ったのも無理のない話であった。


 反発を覚える者も中にはいたが、大半の兵士たちがその苛立ちから本格的な戦が近いことを感じ取り、自然と軍全体の空気が引き締まる。

 つり橋がさらに幾本も架けられ、エストバ軍はヴォオス軍にその存在をつかませないまま、ヴォオス内への侵入を果たしたのであった――。









 ヴォオス東部にゼルクロー家が代々治めてきた土地がある。

 領土こそ小さいが、東の大陸隊商路にほど近く、土地も豊かで、林業、農業、商業共に盛んな地であった。

 現当主はブラム男爵で、当人にはこれといった着目すべき点はないが、優れた家臣等に支えられ、可不可なくゼルクローの地を管理していた。


 エストバ侵攻の報を受け、戦の準備は抜かりなく済ませているが、出兵は命じられず、待機命令が出ているおかげで、領民たちの間には、過度の緊張は見られなかった。

 特に都市部から離れた山間部に暮らす木こりたちは通常通り朝起きて、よく手入れされた斧を担いでいつも通りに山へと入っていた。


 コーン、コーンという木を打つ音が木々の間をこだまし、変わらぬ日常を強調する。

 朝からよく働いた木こりは一休みすることにし、伐ったばかりの切り株に腰掛けると、いい香りのする水筒を取り出し、乾いた喉を潤した。


 木こりは不意に動物の気配がないことに気が付いた。

 熊や狼などの大型の動物は木こりがたてるやかましい音を警戒して近づくことはないが、それ以外の小動物たちは、木こりが自分たちに危害を加えないことを知っているため、意外と無警戒に近くまで来たりする。

 鳥なども木こりが伐り倒した木々から逃げ出した虫たちを狙ってよく集まるため、山に一人でこもっている木こりは意外なことに孤独とは無縁だった。

 だが、今の自分は間違いなくたった一人だった。

 小動物はもちろん、小鳥はおろか虫の気配すらない。

 木こりは一度は置いた斧を、まったく別の目的のために引き寄せた。


 そのとき不意に山鳴りが、男の耳を襲った。

 切り株から立ち上がると木こりは用心深く周囲を見回す。

 山鳴りは収まるどころか足の裏にかすかな振動を伝えながら、さらに大きくなっていく。

 尋常ではない事態に、木こりは山を下ることにした。

 とりあえず商売道具の斧だけ担いで一歩踏み出そうとしたその時、山鳴りは不意に鬨の声にとって代わられた。


 驚きのあまり反射的に振り向いた木こりは、まるで山崩れのような勢いで駆け下ってくるエストバ兵を目にし、声もなく立ちすくんでしまった。

 次の瞬間一本の矢が飛来し、木こりの胸に深々と突き刺さった。

 木こりはもんどりうって倒れると斜面を少し滑り落ち、止まった時には息絶えていた。

 エストバ侵攻による最初の犠牲者が出た瞬間だった――。









「なにっ! エストバ軍がゼルクローに現れただとっ!」

 ケルネルスからの報告に、レイナウドが驚きの声を上げる。

 もっともその声に含まれる怒りはごく微量であり、主成分は単純な驚きであった。


 三万もの軍が姿を消した時点で何かあると疑っていたレイナウドではあったが、まさかもっともないと考えられていた下策をエストバ軍が採ったことに驚いたのだ。

 ゼルクローを攻めること自体は至極まっとうと言える。

 領地こそ小さいが豊かな地であり、略奪目的の侵攻で狙いをつけるには格好の的だ。

 だが、このフローリンゲン城塞を避け、山地から直接ゼルクローに攻め入るということは、退路も山地に取らなければならないことになる。

 山上から駆け下りる一撃は確かに強力ではあるが、略奪するには平地の都市部にまで攻め込まなくてはならず、せっかく略奪に成功したとしても、その後はその略奪品が、山地を登って退却しなくてはならないエストバ軍の足かせとなる。


 終わらない冬の影響で危機的な食糧不足にあるのであれば、確実に略奪品をエストバへ持ち返るためには、大量に物資の移送を行える大陸隊商路を押さえなくてはならない。

 そのためにはヴォオスの東の要衝であるフローリンゲン城塞の攻略は必須であり、それを怠ってゼルクローへと攻め入ったエストバ軍は、自ら出口のない罠に飛び込んだも同然なのだ。


「ブラム男爵からも救援要請が来ておりますが、いかがいたしますか?」

 ケルネルスが尋ねる。

「我らをフローリンゲン城塞からおびき出すための陽動の可能性がある。だからといって見殺しにも出来ん。騎兵のみ五千で救援に向かい、ドルトスタット軍と連動して挟撃する」

 レイナウドは命令と同時に自らも行動を開始した。

 その後に続きながら、ケルネルスが各千騎長に指示を出し、出撃する五千騎と城塞に残る守備部隊の編成を行っていく。

 フローリンゲン城塞に赴任して長いレイナウドは、副官のケルネルスの実力に、全幅の信頼を寄せていた。


「ケルネルスよ。エストバの動きをどう読む?」

 身支度はとうに済ませているレイナウドは、厩舎へと向かいながら尋ねた。

「これが単純にエストバ側の失策であるのなら、楽に勝つだけです。我が軍は敵の奇策に備え、守り重視で行動していればよろしいかと思います」

 レイナウドはケルネルスの答えにうなずいた。

「エストバ軍の全容がつかめない以上うかつな行動を取るわけにはいかん。隊商路方面の警戒だけは怠るなよ」

「わかりました」

 

 厩舎に向かうとレイナウドは自ら馬を引き出す。

 本来であれば従者の仕事であるが、レイナウドもヴォオス人の御多分に漏れず馬好きで、将軍になって以降も仕事の合間に自ら愛馬の手入れをするほどであった。

 愛馬を迎えに行くことを人任せには出来ないのだ。


「……ずいぶん若い騎士が多いようだな?」

 ゼルクローへの救援部隊の編成をすべてケルネルスに任せていたレイナウドは、自分に続いて中庭に現れた騎士たちの顔ぶれを見て、初めてその偏りに気がついた。

「レイナウド様自ら出陣されるということで、万が一の不測の事態に対して冷静に対処出来るように、戦歴の長い騎士たちを多めに城塞に残したのです」

「そういうことか。ゼルクロー襲撃が陽動であった場合、エストバの狙いはやはりフローリンゲン城塞だったということになる。どんな策を隠し持っているかわからんからな。留守の間にフローリンゲンを陥とされては、陛下に合わせる顔がない」

 レイナウドはそう言うと、笑ってケルネルスの判断を受け入れた。

 上官の度量の広さに、ケルネルスはいささか真面目過ぎるほど深く頭を下げて謝意を伝える。

 笑うレイナウドに対して、ケルネルスがまったくの無表情であったことに、レイナウドは気がつかなかった。


 出立の準備が整い、レイナウドの号令一下五千の騎兵が進発する。

 若い騎士を中心に編成されたせいか、実直な性格のレイナウドには不似合いなほど、部隊はぎらついた気配を漂わせている。

 レイナウドは思わず苦笑を漏らしたが、現在のヴォオスの状況を鑑みて、これくらいの気持ちの強さはむしろ必要だろうと考え直した。

 フローリンゲン城塞を発ったレイナウド率いる部隊は、ゼルクロー目指して加速したのであった――。









「エストバ軍はゼルクローに現れたか」

 ゼルクローからの急報により、エストバ軍の予想外の動きを知ったドルトスタット家の現当主、クリストフェルンは、わずかに眉をしかめて呟いた。

 レイナウド同様、エストバ軍の行動が単なる失策なのか、それとも裏に何かあるのか判断がつきかねたからだ。


「いかがいたしますか、父上?」

 クリストフェルンにうり二つのベルンハルトが問いかける。

「仮にエストバの動きが陽動であれ、ゼルクローが襲撃を受けていることに変わりはない。レイナウド将軍もおそらく陽動を警戒しつつ、救援の兵を送っているはずだ。フローリンゲン城塞の守りもあるから、避ける兵力は三千から五千といったところだろう。であれば、我らが主力となってエストバ軍を蹴散らさねばならんだろうな」

 そう言うとクリストフェルンはニヤリと笑った。

 クライツベルヘン家のニヤリ笑いと違い、邪気のないいたずら心に富んだ実に清々しい笑いだ。

「そうなるでしょうね」

 応えるベルンハルトの笑いは、年齢が若い分よりさわやかさにあふれている。 


「戦ですかっ!」

 そこにやって来たレフィスレクスが勢い込んで尋ねてくる。

「ああ、予定よりいささか早いが、エストバ軍が少々おかしな動きを見せているので、これからすぐにその横っ面を張り倒しに行く」

「おおっ!」

 父の言葉に、レフィスレクスは目を輝かせて歓声を上げた。


「ベルンハルト。兵千を率いて山に入れ」

 クリストフェルンは一瞬だけ思考を巡らすと、息子に指示を与えた。

「た、たった千で大丈夫なのですか? エストバ軍は少なくとも三万はいると聞き及んでおりますが……」

 父親の指示にベルンハルトがうなずいたのに対し、兄を心配するレフィスレクスの方が疑問を口にする。


「心配するな。山中に潜むエストバ軍がどれ程の範囲まで広がっているのかを調べることが目的だ。戦闘が目的ではない」

 父の言葉にレフィスレクスがものすごくわかりやすくホッとする。

 実際に言葉で「ホッ」と言ったのだ。


「ですが、千もの兵を率いる以上、状況次第では遊撃兵力として仕掛けてもよろしいのですよね?」

 兄の言葉にレフィスレクスが再び心配そうな顔になる。

 偵察が目的であれば、千という数は逆に多過ぎて発見される危険性が高い。にもかかわらず千の兵士をつけるのは、ベルンハルトの言葉通り、遊撃兵としての役割も含まれているからだ。

「あ、兄上っ! 私もお連れくださいっ!」

 心配する弟の額を、ベルンハルトは中指で弾いた。

 結構痛そうな音がする。


「お前に心配されるいわれわない。お前の方こそ初陣だ。ドルトスタット家の男児として、家名に泥を塗るような戦いは許さんぞ。真正面からエストバ軍を退けて来い」

 額を押さえながら不満げな視線を向けたレフィスレクスであったが、そこで兄の厳しい視線と出会い、表情を引き締める。

 ベルンハルトが別動隊として行動するということは、その抜けた穴をクリストフェルンが負担するということだ。

 初陣の自分にその負担が割り振られることはないと知っているレフィスレクスは、未熟な自分に対する歯がゆさに、強くこぶしを握り締めた。


「エストバ軍にドルトスタット家の実力を思い知らせてやれ。二度とヴォオスの土を踏みたくないと思えるくらいにな」

 ベルンハルトそう言うと、父の命に従い軍を離れていった。


「なるほど。そんな腹積もりでいたか」

 息子を見送りながら、クリストフェルンが小さく笑う。

 若いが冷静なベルンハルトが、内心ではエストバの侵攻に強い怒りを抱いていたことに少し驚いたのだ。

「兄上があんなことを言うとは、私も驚きました」

 兄の背中を見つめながら、レフィスレクスも大きくうなずく。


「託されてしまったな、レフィ」

「はい」

「どうする?」

「全力で戦うのみです」

 父の問いに、レフィスレクスは迷わず答えた。

「お前なら出来る。ベルもそう信じているから、わざわざあんなことを言ったのだろう。お前は目の前の敵に集中しなさい」

「はいっ!」


 レフィスレクスの気合のこもった返事を合図に、ドルトスタット軍は進軍を再開した――。









 ゼルクローへと到着したドルトスタット軍を嘲笑うかのように、エストバ軍はその直前にゼルクローから撤退していた。

 援軍の気配を察したエストバ軍は、包囲していたゼルクローの城をあっさりと放棄し、山間部へと撤退していったのだ。

 

 出迎えたゼルクロー家の当主ブラム男爵からの情報によると、襲撃をかけてきたエストバ軍は約一万で、僅か三千のゼルクロー軍ではどうすることもできず、都市部を放棄して領民ともども城へこもり、何とか被害を最小限に食い止めていたという。


 早々に籠城を決め込んだゼルクロー軍を挑発するかのように、エストバ軍は都市部に火を放ち、家々を破壊した。

 一度城壁にも襲い掛かったエストバ軍であったが、その守りが固いとわかると包囲するにとどめ、あとはひたすら略奪に精を出していたらしい。


「都市部にあった食糧庫はどうなりました?」

 城へと向かう道すがら、都市部の状況を細かく観察していたクリストフェルンがブラム男爵に問いかける。

「それが、何故か家々と共に火をかけられまして……」

 問われたブラム男爵も、エストバ軍の行動が理解出来ないらしく、怒りと同量の不審な思いを込めて、食糧庫の方向へ目をやった。そこでは未だに倉庫群が黒煙を上げており、城から出てきた領民たちが必死で消火活動にあたっていた。


「これはどういうことでしょうか父上? エストバ軍の目的は食料のはず。焼いてしまっては元も子もありません」

 レフィスレクスもエストバ軍の行動が理解出来ず、小首をひねっている。

「ああ、これではまるで破壊そのものが目的だったように見える」

 ブラム男爵答えに、クリストフェルンも眉をしかめていた。


「それに、襲撃が一万だったということは、残り二万の兵はどこか別のところで動いていることになる。あっさりと退いたことを考えると、ゼルクローへの襲撃が陽動であったことは間違いないだろう。どうやら我々はエストバ軍が得意とする山岳戦で挑まねばならなくなりそうだぞ」

「望むところです。山岳戦を得意としているのがエストバ軍だけではないことを、思い知らせるまでです」


 答えるレフィスレクスの声には怒りがにじんでいた。その視線の先では、一人ぼっち泣き続ける少女の後ろ姿があった。

 母を呼び、父を呼び、弟の名を呼び続けるその声に、応える声はなかった。

 すべての領民が城へと避難出来たわけではないのだ。

「直ちにエストバ軍を追う」

 息子と同様の怒りを秘めた声がゼルクローの都市に響き、ドルトスタット軍は追撃を開始した。


 エストバ軍の痕跡はあからさまに山間部へと続いていた。

 ヴォオスとエストバを隔てる山は険しい。

 平地から森林へと入ると、途端に勾配が厳しくなる。

 馬で乗り入れられないわけではないが、木々も多く、騎兵の利は生かせない。

 ドルトスタット軍は全員馬を降りて山間部へと入った。


 しばらく進むと突然矢の雨が襲いかかってくる。

「木陰に入れっ!」

 矢羽が空気を切り裂く音を聞きつけたクリストフェルンが鋭く叫ぶ。

 多くの兵士が咄嗟に反応したが、逃げ切れなかった兵士たちが不意の矢を受け倒れていく。

「やはり我らを誘い込むのが目的だったか」

 食糧を狙わなかった時点で、ゼルクロー襲撃がヴォオス軍を山間部へと引きずり込むためのものではないかと疑っていたクリストフェルンは、それが確信に変わっても少しも嬉しくはなかった。


 矢が飛来した方向目掛けてドルトスタット軍が射返したが、折悪しく風は山頂からの吹きおろしで、エストバ軍の矢は遠く運ばれ、ドルトスタット軍の矢は風の壁に厚く阻まれてしまう。

 さらに山地の上部に陣取るエストバ軍からはドルトスタット軍の動きは確認しやすいが、下から登るドルトスタット軍には、エストバ軍の動くは察知しづらかった。

 圧倒的に不利な状況である 


 並みの将であれば焦りと苛立ちで判断を誤ったかもしれないが、クリストフェルンは湖面に小石を投じるほどの揺らぎも見せず、エストバ軍に対して実直に対応して見せた。

 前面に盾を構え、一歩ずつ確実に前進する。

 これに対してエストバ軍も弓による攻撃から打撃力の高い投石や丸太を投げ落とすなどの作戦に切り替えてきたが、騎馬の足を封じたのと同様、生い茂る木々によって阻まれ、狙い通りの効果を上げることは出来なかった。


 先にしびれを切らしたのはエストバ軍の方であった。

 ドルトスタット軍に対し、高所に位置取りをしているという地の利もあったことから、エストバ軍の兵士は山崩れのような勢いで駆け下り、ドルトスタット軍へと襲い掛かっていった。


 これを待っていたドルトスタット軍は、驚いたことに装備していた盾を捨て、あたふたと後退していく。

 その姿は山肌を駆け降りるエストバ軍兵士には、ゼルクローでの圧勝もあり、自分たちのあまりの迫力に恐れをなし、慌てて逃げだしていく姿にしか見えなった。


 鬨の声を上げて駆け下っていたエストバ軍兵士であったが、不意にその口から悲鳴が漏れる。

 逃げるのに邪魔で捨てられたとばかり思っていた盾の表面に油がたっぷりと塗られており、それを踏んだエストバ軍兵士たちが足を滑らせ、走ってきた勢いのまま、斜面を転がりだしたからだ。

 後続の兵士たちは何とか足を止めようとするが、駆け下る勢いは容易に止めることが出来ず、かえって足をもつれさせ、そのまま仲間の後を追って転がり落ちていった。


 そこへすかさず取って返したドルトスタット軍が襲いかかる。

 エストバ軍の後続は木に掴まることで何とか足を止めることに成功したが、その隙をドルトスタット軍の弓箭兵に狙い打たれ、次々と倒れていった。

 ドルトスタット軍は突撃してきたエストバ軍に対し、一兵も損ねることなく壊滅させたのであった。

 

 この後エストバ軍は手詰まりとなり、矢を射かけ、投石などを繰り返しつつ、徐々に後退していった。

 ドルトスタット軍とエストバ軍の戦いは、膠着状態に入ったのであった――。









 フローリンゲン城塞を発ったレイナウド率いる五千騎は、地理に明るいケルネルスによって先導され、ゼルクローへと最短の道を取っていた。

 途中終わらない冬の影響で変わってしまった地形に阻まれたが、雪解け後の偵察任務を積極的にこなしていたケルネルスの働きにより、部隊は遅滞なくゼルクローを目指していた。


「大した奴だ」

 ケルネルスに代わって従う騎士に、レイナウドは語った。

 ケルネルス同様目をかけている若い騎士が、自分が褒められたかのように笑う。

「この戦が無事終わったなら、陛下に将軍へ推薦してみるか」

 これは自分の口の中でつぶやく。

 ケルネルスと従う騎士が親しい間柄ということは承知しているが、友に先を越されるのは複雑なものである。戦を前に無用な隔意を持たれるのは好ましくない。


 部隊は終わらない冬の間に降り積もった雪が解け、その影響で洪水を起こして流れの変わってしまった川を迂回するために、山間部へと入った。

「これほど地形が変化していたのか。ついケルネルスに任せきりにしていたが、私自身も外を走らねばいけなかったな」

 部下の優秀さに、職務に対し油断があったことに気づかされたレイナウドは素直に反省した。


 そのとき不意に、焦げ臭いにおいと共に何かが風を切る音をレイナウドの耳が捉えた。

 反射的に振り向いたレイナウドの視界に、煙の尾を引いた干し草の塊が投じられてきたのだ。

 直撃こそなかったが、その後も次々と干し草の塊が投げ込まれ、レイナウドの周囲にも落下すると、生み出され続ける煙により、瞬く間にヴォオス軍の視界を遮ってしまった。

 しかも、ただ干し草に火をつけて投じたものではなく、その中には毒草の類も混ぜ込まれていたため、煙に呑まれた騎士たちは人馬共に目と喉をやられてひどく苦しめられる。


「散れっ! とにかく煙の外に出るのだっ!」

 痛む喉を押さえながら、レイナウドが必死に声を上げる。

「レイナウド様、こちらです」

 混乱の中、従っていた騎士がレイナウドの馬の手綱を取って先導する。

 地形が変わってしまったこの地では、下手に走るよりも確実だと考えたレイナウドは手綱を任せ、ひたすら煙を吸い込まないことに集中した。


 かなりの距離を走ってようやく煙が薄れる。

 レイナウドは激しくせき込むと涙の止まらない目で周囲を確認した。

 敵の襲撃があると思っていたが、その気配は一向に見られなかった。

 部隊が散り散りになってしまったことを考えると、それは幸運と言えた。

 いかにヴォオス騎士が優れていようと、多勢に無勢では各個撃破されて終わりである。


 ようやく視界が正常に戻った時、レイナウドの周囲にはたった四騎しか従っていたなかった。

「お主たち、無事だったか」

 その四人はケルネルスと共に、特に目をかけてきた優秀な騎士たちだった。

「この辺りに敵が潜んでいたとなるとゼルクローへの襲撃はやはり我らを誘い出すための陽動だろう。ここは一旦フローリンゲン城塞へと戻り、体勢を立てなお……」

 指示を出していた言葉をレイナウドは飲み込んだ。

 自分が違う意味で囲まれていることを、本能的に悟ったのだ。


 悟ると同時に背後から騎士たちが切りかかってくる。

 抜刀が間に合わないと判断すると、レイナウドは鞍から身を投じる様にして斬撃をかわす。だが、完全にはかわし切れず、鞍の上に残った足を深々と切り裂かれてしまった。

「ちぃっ!」

 思わず舌打ちをこぼすと、レイナウドは体勢を立て直しつつ剣を引き抜いた。

 この辺りの身のこなしは、さすがにヴォオス軍の将軍であった。

 

 レイナウドの実力を知る騎士たちは、それ以上の余裕を与えまいと、次々と斬りつけていった。

 防戦一方になりながら、レイナウドは自分の人を見る目の偏りに、苦笑いを浮かべた。

「何を笑うかっ!」

 その笑みを嘲りと勘違いした騎士が怒声を上げる。

「貴様らの実力は測れても、その腹の底までは測れなかった己の目の節穴ぶりを笑ったのだ」

 正直に答える義理などなかったが、レイナウドとしても、自虐と共に皮肉の一つでも言ってやらねば気が済まなかったのだ。


「何故裏切る」

 レイナウドは守りつつ問いかける。

「先に裏切ったのは貴様の方ではないかっ!」

「ふざけるなっ! 私は貴様らの様に薄汚い裏切りなど働いたことなどないわっ!」

 騎士の言葉に、レイナウドは怒鳴り返したが、煙にやられた喉は、薄くかすれた風のような音しか出さなかった。おかげで助けを呼ぶことも出来ない。


 騎士たちも同じく煙の中を抜けて来たため喉を潰しており、両者は間に渦巻く憎悪の激しさに反して、ただ剣劇の音だけが響く静かな戦いを展開した。

 レイナウドは足に負った傷が深く、出血の量も多いことから長くは戦えないと判断すると、反撃に転じた。

 守り切るには四人の騎士は強く、時を稼いだからと言って助けが来る保証はなかったからだ。


 レイナウドの実力は、剣術においては守りに固く、兵の運用も守りに秀でていることから攻めの印象が薄いが、ヴォオスの英雄の一人、アペンドール伯爵が認めるほどのものだ。

 騎士たちに油断はなかったが、本気のレイナウドの攻めを一度も見たことがなかったことが災いした。

 

 レイナウドは左右同時に繰り出された剣に対し、かわすのではなく自ら飛び込むと、二剣を同時に弾き返し、無事な方の足で相手の馬を蹴りつけた。

 痛みに怯んだ馬が取り乱した隙に、レイナウドはもう一人の騎士との間に一対一の瞬間を作り出す。

 だが、相手の騎士は微塵も恐れず、真っ向から斬りかかっていく。

 一瞬早く振り下ろされた騎士の剣であったが、その剣先はレイナウドの身体を捉えることはなく、寸前にレイナウドの剣に打ち落とされ、首筋を切り裂かれて絶命する。


 何とか一人を斬って取ったレイナウドであったが、直後に別の騎士に斬りかかられ、左の肩を負傷してしまった。

 もはや手綱を持つこともかなわなくなってしまったレイナウドは、それでも諦めずに口で手綱をくわえると、愛馬を御して新たな敵と向かい合う。


 騎士たちに囲まれまいと常に動き続けなくてはならないレイナウドに、愛馬は実によく応え、主を救った。

 そして決定的に仕事をしたのはその直後であった。

 愛馬は正面の馬の顔面に噛みつき、主を援護したのだ。

 人の指くらいなら簡単に噛み切ってしまう一撃を鼻面に受けた馬が悲鳴を上げて身をもがく。

 制御を失った馬に引っ張られ、騎士が体勢を崩すと、レイナウドは相手の手綱に斬りつけた。

 完全に馬の制御を失い馬から落ちた騎士の首を愛馬が踏みつける。

 骨の砕けるくぐもった音が響くと同時に、騎士は死んだ。


 残り二人となった時、一人の騎士が捨て身で馬ごとレイナウドに体当たりと敢行し、見事レイナウドを馬から引きずり落とすことに成功する。

 だが、レイナウドは咄嗟に身体を捻ると騎士との位置を入れ替え、さらに自分と騎士との間に無理矢理剣を滑り込ませて落下した。

 斬ることは出来ないが、自分の重さと落下の衝撃で騎士を斬ることに賭けたのだ。

 一か八かの賭けであったが、レイナウドは見事の賭けに勝ち、下敷きになった騎士はレイナウドの剣に首を押し切られて絶命した。

 だが、この時レイナウドも同時に右の肩口を深く切ってしまい、もはや剣を振り上げることも出来なくなってしまっていた。


 そのレイナウドに最後の一人となってしまった騎士が斬りかかる。

 さすがのレイナウドも、もはやここまでと諦めたとき、レイナウドの愛馬が騎士と主の間に割って入り、身を挺して守ったのであった。

 首筋を切り裂かれた愛馬は血の泡を吹きながらも、騎士の方へと倒れこみ、死の最後の瞬間まで、主を守るために抗って見せた。


「見事な忠義だ。こんな男の乗馬にはもったいないほどの名馬であった」

 邪魔をされた騎士も、主を想う馬の忠誠心に、素直に感嘆の言葉を漏らした。

「愛馬と共に逝けっ!」

 体勢を立て直した騎士が、言葉と共に拍車を入れる。

 愛馬の死に際に、一度は死を受け入れたレイナウドも、利かない両腕から最後の力を振り絞り、騎士を迎え撃つべく身構えた。


 騎士が迫り、レイナウドと交差しようとした瞬間、両者の間に一つの騎影が割り込み、騎士の剣を跳ね除けた。

 割り込んで来た騎士の正体は、ケルネルスであった。

 無表情なままケルネルスは馬首を返すと、一刀のもとに騎士を切り伏せる。


 ケルネルスは相手が馬上からずり落ちていくのも見ずに馬から降り、レイナウドの状態を一目見てとると、剣を投げ捨て慌ててレイナウドの元へと駆け寄った。

 素早く装備袋を下すと中から酒と布を取り出し、素早くレイナウドの手当てを行う。

 特に出血の激しいももの傷を酒で消毒すると、傷口を縛って止血する。

 一言も無駄口を挟まず応急処置をこなしていく副官に、レイナウドはため息と共に話しかけた。


「こ奴らは、私を裏切り者と言って襲いかかって来た。これからのヴォオス軍を担う者たちと期待していたのだがな……」

 言葉と共に緊張も解けたのだろう。無理矢理構えていた剣を握る手からようやく力が抜け、手から剣がこぼれていく。

 ケルネルスが咄嗟に手を出し、レイナウドの剣を受け止める。


「裏切り者。……ですか」

 騎士たちの血で汚れた剣を見つめながら、ケルネルスはつぶやいた。

「確かに、その通りですね」

 呟くような言葉と共に、ケルネルスは手の中のレイナウドの剣を返して柄を握ると、深々と持ち主の身体に突き立てた。


「貴様も、……そう言うの……か」

 心臓を貫かれたレイナウドは大量の血を吐きながら、それだけ言い残して死んだ。

 ケルネルスはレイナウドの亡骸を蹴り飛ばして剣を引き抜くと、空になった自分の鞘に、レイナウドの剣を収めたのであった――。 

 前回はルオ・リシタ戦のまとめだったため、少し長くなりましたが、今回は通常サイズに納めることが出来ました。

 これでもまだ長いのかな? ヴォオス戦記はあまり短く区切ると、逆に全体が長くなるので、ここまでと決めたところまで書いてしまった方が収まりが良いんですよね。


 次回は3月24日投稿予定です。

 

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