表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・序
5/152

ミデンブルク城塞

 シヴァは隊列の最後尾からカーシュナーに従う三千の騎兵の後ろ姿を観察していた。

 部隊の先導はダーンが行い、カーシュナーはシヴァの隣にいる。


 王都を立って三日、部隊はミデンブルク城塞に今日中に到着できる距離に差し掛かっていた。

「少年兵が多い割には、全員十分乗りこなしているな」

 馬を駆る少年たちの後ろ姿を満足気に眺めながら、シヴァはカーシュナーに言った。

 強行軍というほどではないが、かなり厳しい工程でミデンブルク城塞を目指してきた。だが、ここまで一人の脱落者も出していない。

 馬を駆るということは、自分の足で走るよりははるかに楽だが、それでもそれなりの体力を要する。

 馬術の技量次第で、一日に走破できる距離には大きな差が生まれる。

 未熟な者に合わせると距離は稼げず、熟練者の速度に合わせると、ついていけない者たちは脱落せざるをえなくなる。

 脱落者もなく、それでいて一定の速度で移動し続けられるということは、その集団の技量の高さを証明するものであった。


 ヴォオス騎兵の強さは、経済の豊かさによる国民の馬所有率の高さに由来している。読み書きは満足に出来ないが、馬なら眠っていても走らせられると、平民出の騎士の中には豪語する者も多い。

 それでも近年の経済格差の影響で馬を手放す平民が増え、馬に乗ったことのない若者が増えつつある。

 これまで百騎長として、現場で直に馬術技量の低下を目の当たりにしてきたシヴァには、まだ子供にしか見えないような連中が、いっぱし以上に馬を乗りこなす姿は驚きであり、素直に感心もしていた。


「クライツベルヘンでは、身分や職業に関係なく、うちが支援する形で馬術を身につけさせているんだ。女性だからとかも関係なく、クライツベルヘンの領民なら大抵の人間が馬に乗れる」

「すげえな! でも金かかるだろ?」

 シヴァが素直な感想を漏らす。

「確かに経費はかかるけれど、基本農耕馬で練習してもらってるんだ。馬はそのまま各家庭に貸し与え、その賃料を租税に上乗せしているし、なにより馬がいれば生産能力が上がる。それは領民にとっても、領地を治めるうちにとってもいい話なのさ」


「生産能力が上がった分租税を上げないのか?」

「クライツベルヘンではしないね。頑張った分生活が豊かにならないと、誰も努力なんかしなくなってしまうだろ?」

「言うは簡単だがね。俺は今まで本気でそんなことをしている貴族にはお目に掛かったことがない」

「だろうね。世の中馬よりも、馬鹿の比率が高すぎるんだよ」

「出たねえ。相変わらずの毒舌!」

「本当のことを言ったまでさ。俺とシヴァが本気で言葉に毒を込めてしゃべったら、虫くらいは殺せるんじゃないか?」

「ひでえことを言うな~。俺は罪もない虫を殺したりはしないぜ」

「農作物につく害虫に浴びせてやればいいんだよ」

「どこまでも現実的だな!」

 シヴァの大袈裟なツッコミに、カーシュナーが吹き出す。

「もっとも、ここ二年は害虫すら拝めていないけどな」

「まったくだ。春と人肌のぬくもりが恋しいぜ」


 二人はその後も軽口を叩きあいながら、馬を走らせ続けた。

 舌を噛まないのもさすがだが、脱落者が出てもおかしくない速度で行軍しながら息一つ乱さない。尋常ならざる体力に支えれた無駄口であった。









 ミデンブルク城塞を視界に捉える前に、ダーンは騎馬の一団を視界に収めた。停止の合図に片手を上げると徐々に速度を落とし、騎馬の一団が到着する前に隊列の乱れを正す。

 その一糸乱れぬ統率力に、シヴァは思わず口笛を吹きならした。先ごろようやく千騎長に昇進したばかりのシヴァには、三千もの騎兵の指揮経験はない。それでもダーンの技量が並の将軍では足元にも及ばない水準にあることがよくわかる。


「ようこそ、ミデンブルクへ」

 到着した騎馬集団から、一人の男が進み出る。

 ヴォオス最激戦区、南方国境のミデンブルク城塞をあずかる将軍の一人、レオフリードその人であった。

 シヴァに劣らぬ均整の取れた体躯を持ち、ただそこにいるだけで、周囲に人の輪を作り出す存在感をまとっている。


 ヴォオスの将軍職にある騎士の中では最年少の二十六歳で、五大家に次ぐ名門の嫡男でもある。

 常に諸外国からの侵攻を意識しなくてはならないため、階級意識が強いヴォオス社会にあって、数少ない実力重視の組織がヴォオス軍である。その中でレオフリードは、大将軍ロンドウェイクに次ぐ、名実ともに兼ね備えた実力者と謳われており、過去に大将軍を輩出したこともある武門の家系でもあることから、次代の大将軍として期待されている。

 腰にいた名刀は、誰の目も引く逸品だが、その背に負った大弓の存在感があまりにも大きく、見る者の印象を全てさらってしまう。

 ヴォオスに弓の名手は数あれど、レオフリードに並ぶ者はなく、大陸随一との呼び声も高い弓術の天才であった。


 加えて、端正な顔立ちに形良く整えられた髭を持ち、王宮に出仕していたころはレオフリードの歩く場所から宮廷貴婦人たちの悲鳴に近い歓声が聞こえるため、探さなくてもどこにいるかすぐにわかるという逸話まで持つ完全無欠の騎士である。

 これで浮名の一つや二つ、いや、十や二十は流していれば、まだ人間として可愛げがあったが、性格はいたって真面目で、浮いた話の一つもない、まさに武人の鏡のような男であった。


 シヴァ曰く――。

「面白味のない男。何が楽しくて生きているのか、俺には理解できない」

 と、いうことになるらしい。


 生真面目さを表したかのような太く凛々しい眉毛を、意外なことにいたずらっぽく歪めて、レオフリードはカーシュナーを見つめてきた。


「お初にお目に掛かります。クライツベルヘン家が末子、カーシュナーと申します」

「これはご丁寧に。ミデンブルク城塞をあずかる将軍の一人、レオフリードと申します。お噂は兄上からいろいろとうかがっております」

「いやはや、それはたいへんなお耳汚しで、まことに恐縮です」

 家柄の格で言えば五大家出身のカーシュナーの方が上だが、カーシュナーは四人兄弟の末で、継承権こそあれど、将来クライツベルヘン家の当主の座に納まる可能性はほとんどなく、立身出世する以外世に出る道はない。それに対してレオフリードは家柄の格こそ五大家には及ばないものの、近い将来家名を受け継ぐ身であり、王国軍にあってはすでに将軍職にある。加えて将来は大将軍職を嘱望されており、貴族社会における優劣ではレオフリードがはるかに勝っている。

 

「堅苦しい気遣いはやめにしないか? 王宮の中でならいざ知らず、国が大きく乱れているこのような時に、身分が家柄がなど、馬鹿馬鹿しいだけだと思うのだが」

 互いの微妙な気遣いに、年長であるレオフリードが水を向ける形で改善を求めてくる。

「レオフリード卿がそうおっしゃられるのなら」

 この一言で、互いの間にあった見えない壁が取り払われる。もっとも、これが初対面なので、高く足を上げないと蹴躓けつまずきそうなくらいの高さの垣根は残っている。


「ゴドフリート様は息災かな?」

 レオフリードが笑顔でたずねてくる。

 男が見ても惚れ惚れするような笑顔だ。

「年を経るごとに力を増しているような感じです。最後にお会いした時も、髪が白くなっただけで、肌艶は良く、髪を染めればまだ四十代で通りそうなほどです」

 カーシュナーの答えに、レオフリードは笑みを深めた。

「幼少のころ、父に連れられて何度もゴドフリート様のお屋敷に足を運ばせていただいた。ご子息を早くに亡くされたからだろう。たいへん可愛がっていただいた。強さと意志、人徳を併せ持った私の理想の騎士がゴドフリート様なのだ。大将軍の職を辞して王宮を去られたときは本当に残念だったが、お元気そうで何よりだ」


「兄からは師匠のことはお聞きになってはおられないのですか?」

「セインデルト卿は、どうせならカーシュナー卿にたずねる方がいいだろうと言って、あまり教えてくださらなんだのだ。弟子はあいつだけだからと言ってな」

「確かに。父も、領内に招いたばかりの師匠は当時精神的にお疲れだったこともあり、あまり負担をかけまいと、教育を望んだのは私だけでしたから、兄たちと師匠はあまり関係が深くないのです。そのせいで事あるごとに皮肉を言われますがね。お前だけずるいと」

「それは私も言いたいですな。正直ずるいです」

 これにはカーシュナーも苦笑するしかなかった。

 騎士の地位にある者。騎士を目指す者。大抵の男たちが憧れる存在。それが先代大将軍ゴドフリートなのだ。それは完璧な騎士と称えられるレオフリードも例外ではない。


「ここでこれ以上話し込んでは、麾下きかの騎士の方々に恨まれる。王都から駆け続けでお疲れだろう。ミデンブルクへ案内しよう」

 レオフリードはそう言うと、馬首をミデンブルク城塞へと向けた。配下の騎兵も見事な足並みで馬の向きを変える。

 カーシュナーは身振りでダーンに後に続くよう指示を出すと、自身はレオフリードの隣へ馬を進める。


「ミデンブルクでは、将軍自ら周辺域の巡回に出られるのですか?」

 予想外の場所でレオフリードと出会ったので、カーシュナーはたずねてみた。それ自体に対して興味はないし、確認するほど重要なことでもないのだが、隣にいる完璧なる騎士はどうも世間一般の評価通りの人間ではないらしい。真面目であることは確かなようだが、権威に対して盲目的に従う従来の貴族ではないようだ。自身の権威の絶対性を信じて疑わないような輩は、決してゴドフリートを敬ったりはしない。


 レオフリードは、叶うのならば自分の計画に引き入れたい人物の一人であり、最悪でも中立的立場を約束させておきたいほど、カーシュナーの計画に対して影響力を持っている。

 万が一敵に回った場合は、自らの手で、より多くの耳目が集まる場においての正々堂々たる果し合いで討たなければならないだろう。

 仮にこの難敵をシヴァに託すなどして討った場合、カーシュナーの言葉がどれほど理に適っていようとも、人々に受け入れてもらうのは難しい。レオフリードは、これまでの行いから、その身のあるところに正義の旗をもたらすのだ。

 カーシュナーの計画の中で、賭け率の低さでは五本の指に入るほど、分の悪い勝負になる。

 事態を最悪の想定に運ばせないためにも、カーシュナーはより深くレオフリードを知る必要があるのだ。


「警戒すべき対象が、ミデンブルク城塞の本来の役目である対ゾン国のみであれば、周辺の巡回は部下に任せている。だが、ここまで国内が乱れては、警戒すべき方向すらわからん有り様だ。遠出をするわけにはいかないが、可能な限り周辺の変化には敏感でいたいと考えている」

「この機に乗じて攻め込んできたゾン国軍を正面に受けながら、背後を国内の裏切者に突かれたのではたまったものではないでしょうからね」


 可能性は低いが、ヴォオス内の貴族がゾン国と通じ、新たな版図を広げた新生ゾン国で、ゾン国の貴族として新たな利権を得ようと蠢動しゅんどうしてもなんら不思議ではない状況なのだ。

 国内の混乱は、いつ国が崩壊してもおかしくない状況にある。だが、これまで大陸中にその強兵ぶりを示してきたヴォオス人には、ヴォオスが滅びるという現実がどうしても想像出来ず、現状認識が甘くなっているのだ。


「その点では、クライツベルヘン家の迅速な対応には感謝の言葉もない。ただでさえミデンブルク城塞の修復に協力していただいているのに、今回の反乱を機にゾンが再度侵攻を仕掛けてくる可能性を考え、多くの兵をミデンブルク防衛のために派遣していただいた。これは何も単純な戦力の増強だけにとどまる話ではない。五大家が動いたという事実が、国内の他の貴族たちの利己的な行動を牽制けんせいしてくれたのだ」

「特権にあぐらをかき、動くべき時に座したままでは五大家など不要です。国の大事を支えてこその五大家です」


 カーシュナーの意外な答えに、レオフリードは先程とは違い、苦笑を漏らした。レオフリードほどの身分の者でも、王家や五大家に対する批判は口にし難い事なのだ。

「明確に動いて見せたのはクライツベルヘンだけかもしれませんが、他の四家も独自の判断で、国益のために行動しているでしょう」

「そうであってほしいものだ。私ごときがどれほどヴォオスの未来を憂いたところで、このようにヴォオスの南端に縛り付けられていてはたいした働きは出来ないからな」


「とんでもない! 私はミデンブルクこそが、今回の事態を好転させるためのかなめだと思います」

「ミデンブルクが?」

 レオフリードは、今回のライドバッハによる反乱と、ミデンブルク防衛は大きく交わることはないと考えていた。万が一交わるとすれば、それは天才軍師の前に王国軍が敗れ去ったときであり、そのときはレオフリードもミデンブルクとヴォオス南部を捨て、これに立ち向かう覚悟でいる。それは逆転の目のない戦いであり、死をもって、謀反人には従わないという己の意志と矜持を貫くためだけの行為であった。

「ミデンブルクが、です!」

 どうやら物事が予想もしない角度から覆されようとしている予感を覚えたレオフリードは、凄味のある笑みを唇の端にのせた。


 この瞬間、カーシュナーはレオフリードという男の根幹を知った。

 決して平時に乱を求めるような人間ではないが、乱ありし時に、その渦中に身を置けないことを良しとはしない、芯からの武人なのだ。

 ならば大義名分を手に入れればよい。

 国家基盤を成す王家の権威と、実質的支配権を確立している宰相の権力。そして、不当なまつりごとに対して掲げられた反旗。

 それらすべてに対して我を押し通せるような大義名分が、カーシュナーの頭の中にだけ存在した――。









 ミデンブルク城塞は、五年前の大侵攻の際にゾン国王子メティルイゼットによって陥落させられた。

 ゾン国によるミデンブルク城塞の支配は、王都攻防戦の敗北により短期間で終わったが、撤退の際にミデンブルク城塞は火を放たれ、徹底的に破壊された。

 なんとか城塞を奪還したヴォオス軍ではあったが、南方国境の要であるミデンブルク城塞はその機能を失い、国境線の防御網はズタズタに引き裂かれてしまった。


 ゾン国の撃退に成功したとはいえ、再度の侵攻を押さえるためにはミデンブルク城塞の復旧は急務であった。しかし、撃退こそしたもののゾン国軍から受けた被害は大きく、それでいて得るもののない防衛戦であったため、ミデンブルク城塞の再建の目途はなかなか立たなかった。

 そんなおり、ミデンブルク城塞の再建に名乗りを上げたのがクライツベルヘン家だった。


 ゾン国の大侵攻で、クライツベルヘン家はミデンブルク城塞の陥落により、領内の南部を侵略された。クライツベルヘン領の南部は、王家直轄領であるミデンブルク地方と接しているため、王家に対する配慮から、城や砦などの軍事施設は設けられてはいなかった。それはゾンの侵攻を受けた後でも変わることはなく、軍事施設の建設は出来ないため、クライツベルヘン家は領地の南部防衛のためにミデンブルク城塞修復のための工兵隊と建築資材の支援提供を行った。


 再建に際してその設計施工監督として、クライツベルヘン家の三男であるセインデルトが派遣され、王国軍は対ゾン国の再侵攻に専念し、再建修復工事は全面的にクライツベルヘン家が受け持つことになった。

 そして、ミデンブルク城塞は五年の歳月が費やされて再建された。破壊される前のミデンブルク城塞が建築に十年の歳月がかかったことを考えると、驚異的な速さでの再建であった。


 もっとも、この間にゾン国側でもトカッド城塞が建設されてしまったため、両国間の緊張はさらに増すことになった。





 レオフリードに先導され、カーシュナー麾下三千騎はミデンブルク城塞に到着した。

 雪化粧を施された真新しいミデンブルク城塞は、機能重視の軍事拠点であるにもかかわらず美しかった。

 レオフリードは城塞到着後、城塞をあずかるもう一人の将軍に緊急で呼び出された。

「申し訳ないが、城塞内の案内は兄上にしていただいてもらえるだろうか。巡回中にこちらで何かあったようなのだ。後ほど改めて互いの情報を交換しよう」

「わかりました。道中ご同行出来光栄でした。後ほどお会いしましょう」

 カーシュナーは丁寧に礼を述べると、城塞内へと急ぐレオフリードを見送った。その背中に、芝居がかった声が掛けられる。


「おおっ! 愛すべき我が弟よ!」

 振り返ると、カーシュナーとは似ても似つかない男が、満面にニヤニヤ笑いを浮かべて両手を広げていた。

「何を企んでいるんですか? セイン兄さん」

 兄の抱擁をあっさり無視して、カーシュナーはたずねる。

「企んでいるのは俺じゃない。お前だろ?」

 セインデルトは、ものすごく悪い顔でニヤリと笑った。





 カーシュナーの六つ上の兄であるセインデルトは、土木建築分野に広い知識と経験を持つ男であった。だからと言って学者然とした風貌かというと、シヴァやレオフリードと並んでも何ら見劣りすることのない体躯を持った戦士であり、その外見に見合った実力も兼ね備えていた。

 次代のクライツベルヘン家は、他家が涎を垂らして羨むほど、人材に恵まれている。それは血筋の良さだけでは説明できないほどの幸運であり、「クライツベルヘンの男子はすべて良し」とまで言われるほど、その評価は高かった。これまでカーシュナーが目立った功績もなく過ごしてきたが、ここ数日の間にその好感度を急上昇させたことで、貴族の間ではクライツベルヘン家の次代を担う四兄弟への評価が再認識されていた。


 その中でも特に、跡取りに優秀な婿を探している貴族から注目を集めていたのがセインデルトであった。

 五大家は基本、五大家間での婚姻以外、他家の貴族と姻戚関係を結ぶことはない。それはただでさえ大きい権力が、他家と結びつくことでさらに拡大することを危惧する人々への配慮からであった。

 当然王家との姻戚関係は皆無であり、国の重職につくこともない。国政に対する影響力が大きすぎるからだ。他国ではこのようなことはあり得ないのだが、歴代の五大家当主が厳しく自身と一族の者を律し、王家と五大家の特別な関係を保ってきたおかげで、ヴォオスは他国のような陰惨な権力闘争を避けることが出来たのだ。


 だが、特例というものはどこにでも存在するもので、五大家の継承順位が低い者が、五大家以外の家に入ることもある。ただし、その場合は家を完全に捨てることが条件となる。

 仮にセインデルトが他家に婿入りして男子を儲けても、その子がクライツベルヘン家の継承順位を持つことはない。例え正当な継承順位の持ち主が次々と死に絶え、直系の血統が絶えることになろうとも、五大家に戻るということはないのである。

 それでも、貴族社会において、元五大家の婿様を得ることは大きい。基本的に家の恥になるので、どれほど請われ、本人がどれほど望もうと、能力の低い者が他家との結婚を許されることはない。

 元五大家からの婿という時点で、五大家基準で優秀な人材であることが保障されているのだ。


 この婚姻が成立し得るまでの過程は特殊で、他家の当主が五大家に婚姻を申し入れるようなことは当然できない。すれば貴族社会からつまはじきにされ、家格を落とすことになる。

 ではどうするのか? 至極単純な話、婿探しをしている令嬢本人が、五大家の子息を口説き落とすだけなのである。


 貴族社会では非常に珍しい、恋愛結婚なのだ。


 この婚姻の間に、家格の差は存在しない。

 貴族とは名ばかりの生活をしているような下級貴族の令嬢でも、見事口説き落とせば手に入れられるのである。

 まれに勘違いしている令嬢がおり、口説き落とせば五大家に嫁げると思っているが、五大家以外の貴族令嬢が五大家に嫁ぐことは出来ないのである。例外的に諸外国の王族、もしくは上級貴族の中でも大貴族と称されるような家格の者でなければ嫁ぐことは出来ないのだ。

 それでいて、領内の者であれば、人格品位にさえ優れていれば、五大家に嫁ぐことが許される。

 この矛盾に歯噛みしない貴族令嬢はいなかった。

 

 セインデルトはクライツベルヘン家の三男である。上二人の兄は才覚に優れ、戦士としても鍛え上げられているので、セインデルトがクライツベルヘン家の当主の座を受け継ぐ可能性は極めて低い。口説き落とすことに成功し、セインデルト本人が望みさえすれば、引き抜ける可能性が高い、超優良物件なのだ。

 過去に五大家から貧乏貴族に婿入りし、瞬く間に功績を上げ、家名を高めた者が幾人もいた。

 大恋愛の末、薔薇色の人生を手に入れた元貧乏貴族出身の令嬢は、貴族の間だけではなく、庶民の間でも語り継がれる伝説なのだ。

 それ故、セインデルトはレオフリードとは別の意味で国中の貴族令嬢から狙われる存在なのであった。





「ご無沙汰しております。セインデルト様」

 久しぶりに会う弟にからむセインデルトに、ダーンが挨拶する。

「おおっ! ダーンも久しぶりだな! 相変わらず苦労してくれているのか?」

「苦労し過ぎてハゲそうです」

「そいつは困る! テオより先にハゲられたら、俺も親父も頭が上がらなくなる!」

「……父がハゲかけているんですか?」

 ダーンが深刻な表情で問いかける。それはまるで、病の床に臥せていると告げられたかのような深刻さだった。

「まだ大丈夫だ。……まだな」

「セイン兄さん。あまりダーンをからかわないでください。真面目なんですから」


 ダーンの祖父は頭髪の薄い人だった。その祖父も、そのまた祖父も頭髪とは縁の薄い人たちだったらしい。ダーンの父、テオドールが今のところ何とか耐えているが、額の辺りは崖っぷりに片手でぶら下がっているような状態である。

 いつ来ても・・・おかしくない状態なのだ。

 このことを物心つくころからカーシュナーの兄三人に散々からかわれてきたダーンは、本気で心配している。

 カーシュナーは渡来人の血を引いているダーンは大丈夫だと思っているが、幼いころに刷り込まれた、お前も将来ハゲる。という恐怖はもはや拭うことは出来ないのかもしれない。


「そんなことより、兄さんも来てください。王都からの情報を報告するんですから」

「もうだいたい聞いているよ」

 本来は五年前のゾン侵攻の際に破壊されたミデンブルク城塞の修復工事の監督がセインデルトの仕事なのだが、国内事情の混乱が続く現状では、いつ危険にさらさせるかわからない。いざというときに状況に対して後手に回ることがないようにと、クライツベルヘンの密偵から、定期的に国内およびゾン国の状況報告を受けている。


 ミデンブルクに駐屯している王国軍と情報を共有すれば話は単純なのだが、クライツベルヘン家の情報収集能力を伏せなくてはいけないため、セインデルトはレオフリード以上に知ってはいない・・・・・・・ことになっているのだ。

「いいから来てください。来ないと不自然でしょ!」

「わかったよ~。カーシュは本当に口うるさいんだから」


 そう言いつつ、楽しそうに城塞内に足を運ぶ兄の背中に、カーシュナーは深いため息を送った。

 カーシュナーという人間の基礎を築いたのは、父と三人の兄たちだ。カーシュナーはどうにもこの四人にはかなう気がしない。

 カーシュナーが企む途方もない計画も、下手をすれば彼らの掌の上に載っているような気にさえさせられる。だがそれは、裏を返せばカーシュナーの行動が認められているとも言えるだろう。

 とりあえずはそういうことにして、カーシュナーは兄の後を追った――。





「殿下はいらっしゃらないのですか?」

 居合わせる人々の中に、今回の作戦の要ともいうべき人物が欠けていることに気づいたカーシュナーが問いかける。

「すまん。どこにいるかわからんのだ」

 レオフリードと共にミデンブルク城塞をあずかるもう一人の将軍ドルクが、終わることのない頭痛に悩まされているかのように顔をしかめながら答える。事実頭が痛いのかのしれない。いろいろな意味で。

 ドルクの隣では、レオフリードが苦い表情でカーシュナーたちに視線を向けてくる。

 どうやらレオフリードが緊急で呼び出されたのはこの件だったらしい。


「それでは事態が急を要するので、ここにお集まりの皆様に一度報告させていただきます。殿下がお戻りになられましたら、再度報告いたします」

 カーシュナーはそう前置きすると、ヴォオス西部に現れた謎の略奪集団と、それに対する王国軍の対応について説明した。


「リードリット殿下が承服なさるだろうか?」

 レオフリードが心配そうに口にする。

「ゾン側のトカッド城塞の動きもきな臭くなってきておる。そのような状況で、今まで待ち続けた殿下が素直にミデンブルクを離れるとは思えんが」

 ドルクも腕組みをして唸る。

「それほど南部国境は緊迫しているのですか?」

 そのような情報は受けていないカーシュナーが問いかける。


「実はゾンの情報封鎖がここ最近急に厳しくなってね。動きがつかみにくくなっているんだ。トカッドに搬入されたとみられる糧食はすでに十分であることを鑑みれば、いつ本腰を入れて動き出すかわからない。情報封鎖はその先ぶれと考えるのが妥当だろうね」

 セインデルトが弟の疑問に答える。

「まさか殿下がいらっしゃらないのは、その辺りが原因ですか?」

「ああ、自ら、わずかばかりの手勢を引き連れて偵察に出てしまわれた。見張りをつけたのだが、逆に見つかり、木に縛りつけられているのを発見したのが昼過ぎのことだ。不覚にも完全に見失ってしまった」

 歴戦の武将であるドルクが肩を落とす。どうやらヴォオス最重要拠点の防衛よりも、子守りの方が荷が重いようである。


「では、お探し致しましょう」

 集まった人々が苦り切っている中、カーシュナーは何でもないことのように言い切る。

 リードリットを相手にする苦労をよく知るドルクは、カーシュナーをあえて止めようとはしなかった。実際に苦労をしなければわからないことはいくらでもあるからだ。

「わかった。では、こちらで見つけたら連絡を入れる故、捜索予定範囲を教えてくれ」

 すでに捜索部隊を出していたドルクは、カーシュナーとリードリットが入れ違いにならないための配慮を怠らなかった。

 




 西部地方に出現した謎の略奪集団討伐の要であるリードリット本人が不在なので、この場は報告と捜索の打ち合わせのみとし、解散となった。

 セインデルトは弟を捕まえ、問いかける。

「心当たりがあるみたいだな?」

「心当たりというか、殿下が本気でゾンの動きに対して行動しており、それでいていまだに探し出せないとすれば、おのずと行動範囲は絞られてきますからね」


「なるほど。それで、見つけたらどうするつもりだ? どうせ無茶なことを考えているんだろ?」

「もちろん」

 答えるカーシュナーの顔には、ニヤリ笑いが浮かんでいた。何とも言えない悪い顔である。

 これを受けて浮かんだセインデルトのニヤリ笑いは、目鼻立ちは全く似ていないのに、血のつながりを色濃く感じさせる悪い笑みだった――。  

5/22 誤字脱字等修正

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ