対ルオ・リシタ、開戦!
ヴォオスに襲い掛かって来た凶報が、今まさにルオ・リシタ軍へと襲撃をかけようとしていたレオフリードの下にもたらされた。
イェ・ソンとエストバの同時侵攻と、ヴォオス貴族の一斉蜂起――。
懸念は杞憂に終わらず、現実の災厄として目の前に現れたのだ。
「この事態を避けるために、対ルオ・リシタ戦の早期決着を望んでいたのだがな。上手くはいかぬものだ」
王都からの知らせを受けたレオフリードは、眉をしかめて肩をすくめただけだった。
そこには落胆も動揺もなく、まるで子供が癇癪を起こした親のような、呆れ返った空気しか存在しない。
ルオ・リシタの大軍を前にし、雄敵イェ・ソン、難敵エストバからの侵攻を受け、一丸となって事に当たるはずのヴォオス貴族までが反乱を起こした。
事態は呆れ返っていていいような状況ではないはずなのだが、出撃直前にもたらされた凶報に、レオフリードは微塵も揺らぐことはなかった。
「い、いかがいたしましょう」
千騎長の一人が顔を青くして尋ねる。
「どうもせん。目の前の戦いに集中しろ」
怒鳴りつけてもおかしくない状況で、レオフリードは千騎長の肩に手を置くと、ごく自然に笑った。
あからさまに動揺を見せてしまった千騎長は、顔を真っ赤にして己の不明を恥じると同時に、この状況で平静を保つレオフリードの胆力に改めて感嘆する。
ただの兵士ではない。千騎長なのだ。自分の動揺が配下の兵士たちに伝染すれば、それは瞬く間に全兵士に感染していく。事実自分の狼狽ぶりを見た兵士たちが、表情に不安を浮かべつつある。
出撃直前であったことを考え合わせると、それは致命的な失態と言えた。
そのことを自覚した千騎長が先程以上に青ざめる。
不意に肩が強く握られ、千騎長は呆然自失の状態から覚めた。
自分の目を、レオフリードがのぞき込んでいることに気がつく。
思わずつばを飲む千騎長の肩を一つ揺さぶると、レオフリードはその肩をポンポンと軽く叩いた。そして大きく息を吸い込むと、千騎長の肩に手を置いたまま全軍に向けて語り出す。
「皆も聞け! 事態は確かに深刻だ。だが、我らに出来ることは、目の前のルオ・リシタ軍を退けることのみだ。この事態の一番の根底にあるのは、ルオ・リシタ軍の侵攻だ。この危機的状況を覆せるかは、まず第一に、我らがルオ・リシタ軍を撃退出来るかどうかにかかっている」
レオフリードはそこまで言うと千騎長を馬へと促しつつ、自らもひらりと馬にまたがった。そして兵士たちをぐるりと見回す。
全員の視線を確かめると、レオフリードは剣を抜き、高く掲げた。
「味方を信じろ! 終わらない冬を終わらせた我らの戦女神、リードリット陛下の奇跡を信じろ! 何より、我ら自身の勝利を信じろ! 全軍突撃っ! ルオ・リシタ軍を蹴散らせっ!」
それまでの静かな口調から一転、戦いの熱がこもった言葉が兵士たちの心を打ち、広まりかけた動揺を見事に吹き飛ばす。
高く掲げていた剣をサッと振り下ろすと、レオフリードは自ら先陣を切り、矢のような勢いで飛び出して行った。
その勢いに遅れてなるものかと、先程の千騎長が真っ先に続く。
一言の責めもなく、自分の失態の尻拭いをしてくれたその背中に、千騎長は改めて忠誠を誓う。
レオフリードの配慮と、これに応えようとする千騎長の心意気は、ともに同じ主に仕える騎士たちの胸に響かないわけがなかった。
二人に遅れるヴォオス騎士など一人もいない。
都市ヘルヴェンのはるか北部で、ヴォオス軍とルオ・リシタ軍は、初めてその刃を合わせたのであった――。
◆
ヴォオス軍はその機動性と地の利を生かし、騎兵よる波状攻撃を、ルオ・リシタ軍の右側面へと仕掛けていった。
軍を一万騎ごとに分け、怒涛の勢いで仕掛け、勢いを維持したまま次の部隊と交代していく。
最初の襲撃でかなりの痛手を被ったルオ・リシタ軍ではあったが、五万もの戦士を要するルオ・リシタ軍にひるむ様子はなく、むしろこれまで引き延ばされてきた戦いがようやく始まったことに興奮し、津波のごとく押し寄せるヴォオス軍を包み込むように迎撃していく。
足止め目的の一撃離脱を繰り返すヴォオス軍の意図を見抜いたヴォルクは、ヴォオス軍に引きずられるように隊列を崩す戦士たちを強引に引きずりつつ、都市ヘルヴェンへと軍を進めた。
流血の興奮に酔いつつあった戦士たちではあったが、ヴォルクが繰り返した、
「食糧確保を最優先せよっ!」
の言葉に、何とか本来の目的に踏み止まっている。
集団行動が苦手なルオ・リシタ戦士には珍しいことだが、配られた食料はすでに食べ尽くしている。奪わなければ死ぬ。まさにその瀬戸際まで追いやられている。いかに人の言うことを聞かないルオ・リシタ戦士といえども従うのだ。
「たいしたものだ。ルオ・リシタの戦士たちは強者揃いではあるが、馬鹿ばかりだ。その大集団をここまで形を保って引き連れて来ただけでも敵将の器量が知れる」
小高い丘の上からミヒュールと共に戦況を見守っているヘルダロイダが、ヴォルクの手腕に感嘆する。
麾下の兵力をレオフリードに預けて以降、ヘルダロイダは部下たちの目につくところに立ち、ただ見守り続けていた。
馬上に在り、微塵の揺らぎも見せないその姿から、剣を取らせても相当に腕が立つことがうかがえる。
腰に佩いた剣も使い込まれた実用的なもので、ヘルダロイダの軍装に馴染んでいた。
戦場に立つ覚悟も、それに見合った実力も合わせ持っているヘルダロイダではあるが、その立場と存在があまりに大き過ぎるため、全体の指揮系統を乱しかねないので参戦は控えている。
もっとも、いざとなれば迷いなく戦いに飛び込んでいくだろうとミヒュールは見ている。
そうならないように采配を振るうのが彼の仕事だ。
「ルオ・リシタ軍には元々十分な糧食の用意がありませんでした。補給を受けた形跡もありません。受けたくとも届けるだけの糧食が底をついたのかもしれません。略奪対象であった地域が無人化し、何一つ奪えないままここまで来たことで、手持ちの食糧が底を尽きかけたか、あえてすべて消費し、都市ヘルヴェンを攻略する以外に道のない状況に追いやったのかもしれません。もしそうだとすれば、仰る通り敵将の決断力は侮りがたいといえます」
思うほどその陣容を崩すことが出来ず、足止めも上手くいかない理由を冷静に分析しながら、ミヒュールはヘルダロイダの意見に同意する。
「退路を断たれた兵は死に物狂いになる。そう簡単に前へと進もうとする力を止めることは出来まい。これからどうする?」
芳しくない戦況に焦りの色も見せず、ヘルダロイダが問いかける。一度命を預けると口にした以上、欠片の疑いも見せない。並大抵の男よりもはるかに男らしい。
どうも最近のヴォオスでは陛下を筆頭に男らしい女性が急増しているようだと内心で苦笑しつつ、男として見限られないためにもしっかりと結果を出さなくてはいかんなと気を引き締める。
「ルオ・リシタ戦士たちの現在の原動力は、食料に対する本能的な執着です。であれば、くれてやるまでのことです」
ここで人の悪い表情を見せず、真顔を維持出来るところがミヒュールのらしさであった。
カーシュナーの悪影響が蔓延しつつある昨今のヴォオス軍では、人相の悪い人間も急増しているのである。
「くれてやると言っても、もちろんただではあるまい?」
「代金は彼らの命で支払ってもらいます」
望み通りの答えに、ヘルダロイダは妖しく笑ったのであった――。
◆
ブレンダンは歩兵及び工兵隊を引き連れて、レオフリード率いるヴォオス軍本隊に先行し、都市ヘルヴェンへとやって来ていた。
都市ヘルヴェンはその周囲を途切れることなく防護壁に囲まれ、南北に大陸隊商路用の正門があり、東西には近隣の村落から訪れる人々のための通用門が設けられている。
防護壁に守られているとはいえ、あくまでも商業都市であり、拠点としての防衛能力はそれほど高くない。
ルオ・リシタ軍のヴォルク将軍が捨て身とも言える進軍の矛先を都市ヘルヴェンに向けたのも、その豊かさもさることながら、防衛力の低さも決め手の一つであった。
そもそもルオ・リシタ軍が都市ヘルヴェン近郊まで南下してくること自体、かつて一度もなかった。
大抵はヘルヴェン城塞で侵攻を阻止される。良くてもヘルヴェン城塞を抑えている隙に、国境周辺の村落を荒らし回るのが関の山であった。
そのため都市ヘルヴェンは、防衛力の強化を図る必要がなかったのだ。
そもそも強化を図るのであれば都市ヘルヴェンではなく、防衛拠点であるヘルヴェン城塞そのものを強化し、他国の侵攻を国境線で阻止すべきなのだ。
だが、今回は圧倒的な数的優位からルオ・リシタ軍はヘルヴェン城塞を無視して進軍し、ヴォオス深くへと軍を進めた。
もっともそこから先はカーシュナーの計略により国境周辺の村落は無人と化しており、略奪という目的を果たすことが出来ないまま、いたずらに軍を進めるしかなかった。
そこにどのような意図が含まれているかを知らない都市ヘルヴェンの有力者たちは、ルオ・リシタ軍の接近に慌てふためき、大半が都市を捨てて逃げ出した。
そんな中、己の財産にしがみつき、都市を離れることの出来ないごく少数の者たちが、都市防衛のためにやって来たブレンダンに面会を求め、都市ヘルヴェン近郊までルオ・リシタ軍の侵攻を許したヴォオス軍の不甲斐なさに対し猛然と抗議した。
都市ヘルヴェンの北門と南門を潜ってすぐの場所には、広大な無料の物資集積地がある。
申請を済ませ、受理されれば一か月間ただで使用することが出来き、理由が認められれば期間の延長も可能である。だが、貸し倉庫ほどの安全性はなく、物資の見張りを置かなくてはならない。
また、無断での使用や使用期間の超過に対しては、没収という容赦ない制裁措置が取られる。だが、それでも多くの駆け出し商人たちが、この広く平坦な集積地を利用していた。
ブレンダンは到着早々北門側にある物資集積地を防衛拠点に定め、歩兵や工兵に指示を出している最中に、都市ヘルヴェンに居残った有力者たちの訪問を受けたのであった。
一通り有力者たちの意見陳情という名の難くせを聞き終えたブレンダンは、何も言わずにそのうちの二人をむんずと両脇に抱えると都市の外に連れ出し、ルオ・リシタ軍が侵攻して来るであろう地点に磔にしてしまった。
ルオ・リシタ軍が到着すれば、惨たらしく殺されるのは間違いない。
「これ以上ごちゃごちゃと口うるさくヴォオス軍の作戦行動を邪魔する者は、利敵行為とみなし処罰する。不平不満を並べ立てることで都市を守れると思っている輩は、さっきの二人と同じ場所に縛りつけてやるから、その舌先でルオ・リシタ軍を追い返してみせろ」
かつてのブレンダンであれば烈火のごとく怒り狂って怒鳴り散らしただろうが、同じ台詞をいたずらでも企むかのように言い放ち、ニヤリと笑って見せる。
激昂している相手ならばなだめすかすことも出来るが、敵の侵攻を前にして、余裕すら感じさせる態度で言い放たれると、余裕の奥に控えている厳しさが透けて見える分言葉の本気度が伝わり、怒鳴り散らされる以上に残りの有力者たちを震え上がらせた。
有力者たちが沈黙すると、それまで一言も口にせずに事の成り行きを見守っていた商人が進み出て尋ねた。
「北門以外が未だに閉ざされもせずに開放されていますが、よろしいので?」
商人の言葉通り、都市ヘルヴェンの城門は、ブレンダンのいる北門以外は未だに閉鎖もされず、人影は少ないがそれでも人の往来は続いていた。
戦火を恐れて荷物をまとめて出ていく者がほとんどだが、稀に不敵な面構えをした商人がやって来たりもする。
「ルオ・リシタ軍が到着するまでは開放しておく。今から閉めきられては、お主のような商人はそれこそ仕事になるまい。冬が近い。物資の移動を停滞させるつもりはヴォオス軍にはない」
尋ねた商人は予想していたのだろうが、他の有力者たちには予想外の言葉であった。ブレンダンのような見るからに勇猛な武人が、まさかそこまで細かい事を気に留めているとは思わなかったのだ。
「長期戦になるとお考えではないようですね」
商人がニヤリと笑って尋ねる。
ブレンダンはそのニヤリ笑いを見て直感的に悟った。この商人がカーシュナーの配下の者であることを。
「ここは長期戦には不向きだ。そもそも長期戦が避けられないような事態であれば、とっくに避難勧告を出している。一戦でもってルオ・リシタ軍に壊滅的打撃を与えられる自信があるからこそ、ヴォオス軍は都市ヘルヴェンでの迎撃を決めたのだ」
これ以上は言えんと目顔で伝えると、商人は察し良くうなずいた。人の出入りを制限しないということは、どこに間者の耳があるかわからないということでもある。
仮に人の制限が出来ても、この場に押し掛けて来た有力者たちが、命惜しさにルオ・リシタ軍に情報を流さないとも限らない。安易に軍事機密を漏らすわけにはいかないのだ。
「我らにご協力出来ることはありますでしょうか?」
さりげなく文句を言いに来ただけの有力者を巻き込み、商人が協力を願い出る。
二人の会話に聞き耳を立てていた有力者たちが顔をしかめたが、ブレンダンに一瞥されると途端に愛想笑いを浮かべる。
「ルオ・リシタ軍との戦に火は付き物だ。風の流れ次第でどうなるかわからん。消火の準備をしておいてくれ。特に北門周辺を重点的にな。それ以外に手を借りるようなことはない」
ブレンダンの言葉に、有力者たちはホッと胸をなでおろす。たいした出費にはならなさそうだからだ。
「これ以上俺の邪魔をせんと約束出来るなら、さっき磔にした馬鹿二人、連れて行っていいぞ」
ブレンダンの寛大な言葉を最後に、有力者たちはブレンダンのもとを辞した。不満が解消されたわけではないが、つめかけて来たときに抱えていた不安は失せている。どうやらそれなりに勝算あってのことのようだと知れて安心したのだ。
全員が都市部へと引き返していく後ろ姿を見て、商人は肩を落とし、やれやれと首を振ると、落とした肩をすくめた。
誰一人磔にされた二人の有力者を助けに行くつもりはないようだ。
その姿を見たブレンダンが思わず吹き出す。
嫌々ながら二人を開放しに向かう商人は、苦笑いを浮かべてブレンダンに頭を下げると、その横を通り過ぎる。すれ違いざま、ブレンダンが呟く。
「食糧を集めておいた方がいいぞ」
それだけで商人は大筋を察する。
戦の後、ヴォオス軍は食料の買取りを行うつもりなのだ。
リードリットが政権を取って以降、食料の徴発は一度も行われていない。
終わらない冬の間に行われた食料の徴発で大勢の人々が死に追いやられ、その記憶は未だに色濃く人々の中に根を張っているからだ。
「お心遣い感謝いたします」
商人は表情どころか口すら動かさずに礼を述べる。
「お主の主人に、ブレンダンが感謝しておったと伝えておいてくれ」
そう言うとブレンダンは大きな手を商人の肩に置いた。
「必ずお伝えいたします」
そう言うと商人は振り向かずに去って行った。
戦において地元民の協力は不可欠だ。
ブレンダンとしても、徹底的に地元の有力者に嫌われるわけにはいかない。かといって下手に出ようものなら際限のない不平不満に付き合わされることになる。
いかに上手く味方に付けるかが重要なのだ。
国難に際し派兵された軍である。いざとなればすべて強要することも出来るが、できればある程度自発的に協力してくれる方が作業効率がいい。また、戦が終わって以降の関係も円滑に回る。
商人はある程度有力者たちに不満を吐き出させ、それに対してブレンダンに実力行使をさせた上での落としどころを狙っていたのだ。
丸く収めることなど始めから出来るわけがないとわかっていた。だからと言っていきなり頭を押さえ付けられて気分の良い人間などいるわけがない。
ましてや有力者たちはルオ・リシタ軍に対する恐怖から、不安に縁どられた不満を吐き出すことしか頭になかった。ブレンダンが初めに言葉による説得を試みたとしても、聞く耳を持たない人々には響かなかっただろう。
ブレンダンにとって、商人はこの上ない味方であったのだ。
その礼として、ブレンダンは商人に儲けにつながる情報を流した。
そして、この場に商人がいたことが決して偶然ではなかったことに気がついていたブレンダンは、商人をこの場に手配してくれた人物に対しても礼を言ったのだ。
北門を抜け、磔にされた二人を連れて戻った商人は、出る時には確かにあったはずの城門が、帰ってきた時には門の外枠だけを残してなくなっていることに驚き、思わず目を見張った。
長時間磔にされて痺れの残る手足をさすっていた二人の有力者たちも、あんぐりと口を開け、大きな穴だけになってしまった城門を眺めた。
恐る恐る枠だけの城門を潜ると、そこは大規模な建設現場と化していた。
どうやらすべて倉庫と見られる建物の様で、基礎工事なしで建物の骨格となる柱が地面に直に据えられ、その柱にすでに作成された薄っぺらな壁が素早く取りつけられ、屋根が被せられていく。
「こんな掘っ建て小屋すぐに潰れちまうぞ」
呆気に取られていた有力者の一人が、忙しく立ち働く兵士たちを眺めながらつぶやく。
有力者の言葉通り、兵士たちが造っているのは、倉庫に見えるだけの張りぼてであった。嵐が来れば吹き飛ばされ、ある程度の雪が積もれば簡単に倒壊してしまう。
「いつまでうろうろしている! 貴様ら、やはりルオ・リシタの間者かっ!」
いきなりブレンダンに怒鳴りつけられた有力者たちは、磔にされた恐怖を思い出し、一目散に逃げ出した。
二人の慌てぶりに商人は苦笑を漏らすと、目の前の光景には一言も触れず、丁寧に頭を下げると自身も北門前物資集積地を後にした。
情報が命の商人でありながら、一言も尋ねようとしなかった。
尋ねられても答えはしなかったが、尋ねなかったという事実が、商人の理解力の高さを証明していた。
やはり出来る男の下には、出来る人間が集まるのだなとブレンダンは感心する。
強い敵も厄介だが、一番厄介なのは愚かな味方だ。
頼りになりそうな男が背後に控えてくれていることを知ることが出来ただけでも、怒鳴りこんで来た連中は仕事をしたことになる。
今度は自分が仕事をする番だと気を引き締め直したブレンダンは、今作戦の核となる作業の監督に集中した――。
◆
ルオ・リシタ軍はレオフリードの側面攻撃を受けながらも、移動速度を緩めず都市ヘルヴェンを目指して進軍を続けていた。
そもそもまともな軍であれば、国境周辺の空白化という異常事態に遭遇した時点で異変を察知し、さらに敵地深くへ進軍するのではなく、進軍を中止してヘルヴェン城塞を攻略し、ヴォオス領内における攻略拠点を築き、補給を整え、軍を再編し、改めて侵攻計画を練っただろう。
ヴォルクとしてもそうしたいのはやまやまだったが、ルオ・リシタには圧倒的に時間が足りない。理を持って説き伏せようとも、己が部族のために略奪目的で今回の侵略に参加している各部族の族長たちを説得するのは不可能であった。
それは同行している六人の王子たちも同様で、彼らはルオ・リシタの王子であると同時に、ルオ・リシタの七大貴族の代表でもある。各部族の長達が自分の部族に対する義務しか背負っていないことを考えれば、王家に対する義務も同時に負っている王子たちの方が、確保すべき食料の割り当ては多いと言える。
<フールメント会戦>でゲラルジーが敗北したことにより、七大貴族の一角であったルーシの民が欠け、王家の庇護下に入ったことで、その負担はさらに増している。
仮にヘルヴェン城塞を陥落せしめたとしても、戦果としては十分でも、食料確保という本来の目的からすると、ヘルヴェン城塞一つでは不足なのだ。
季節はすでに秋も半ば。冬の一歩手前だ。
ヴォオスよりも冬の訪れの早いルオ・リシタでは、あと一、二週間もすれば最初の積雪を迎える地域もある。
腰を据えて攻略をするような時間的ゆとりはルオ・リシタ軍にはないのだ。
ヴォルク将軍の脳裏には、この侵攻自体がヴォオスによって仕組まれたものであり、自分たちの選択の全てが、実はヴォオス軍の手のひらの上にあるのではないかと疑っていた。
副官のファーツィも同様の疑念を抱いているが、ルオ・リシタにはヴォオスの思惑に関係なく、選べる選択肢そのものが、『略奪』の一択しかない。
ゲラルジーのヴォオス侵攻がなければ外交による食料輸入という手段もあったが、ヴォオスに対して下げる頭を持たないアレクザンドールには、ヴォオスからの賠償請求に応じ、国交の正常化を図ることは出来なかった。
侵略は必然であり、その変えようのない事実を起点に、ルオ・リシタはヴォオスに機先を制されているのだ。
ヴォルクはなまじ敵の意図が読めてしまう自分に苛立っていた。
ルオ・リシタの戦士らしく、何も考えずに戦えたらどれだけ楽かと思う。
だが、もし生まれる前に戻り、自分の性格を一般的なルオ・リシタ人男性と同様の性格に選び直せるとしても、ヴォルクは選びたいとは思わなかった。
そんなことをすれば、自分はイオアーナの本当の素晴らしさを知ることは出来ず、イオアーナと共に過ごす時間が幸せに満ちたものであることに気がつくことすら出来ないだろう。
戦いの最中にありながら、つまらないことに思考を割かれている自分に、ヴォルクは気がつく。
もはやより良い選択など存在しないのだ。敵を打ち破り、食料を奪うことだけに集中しなくてはならない。
「見えたぞっ!」
思考の迷路で迷いつつあったヴォルクは、前方から上がった声に、ハッと我に返る。
「どうやら都市ヘルヴェンに到着したようです」
副官のファーツィが、小さく頭を振りながら話しかけてくる。
その様子に、ファーツィも考え過ぎて思考の迷宮に捕らわれかけていたことに気がついたヴォルクは、お互いなまじ物事を理性的に考えられる頭を持って苦労すると、小さく苦笑いをこぼした。
「どうかされましたか?」
その様子に、ファーツィが心配そうに尋ねてくる。
「いや、何でもない」
ヴォルクは余計な思考を振り払うように頭を一振りすると答えた。
「ヴォオス騎兵の動きはどうだ?」
どこか散漫さを感じさせる表情だったヴォルクの顔が一気に引き締まる。
尋ねられたファーツィは、無意識に高過ぎる鼻を引っ張りながら答えた。
「これまでの規則的な襲撃が一転、必死で食らいついてきております」
「都市ヘルヴェンには何らかの罠があるはずだ。ヴォオス騎兵の襲撃は、その罠を張るための時間稼ぎだったはずだが、我が軍は進軍速度を落とすことなく都市ヘルヴェンまでたどり着いた。ここに来てヴォオス騎兵が慌てだしたということは、ヴォオス軍の思惑を打ち破ることが出来たのだろう。このまま一気に攻め落とす」
「その通り」
ヴォルクとファーツィの会話に、ルオ・リシタの六人の王子の中で最年長になる、エヴスターヒーが口を挟んでくる。
「見ろ。あのいかにも急ごしらえの敵陣を! あの程度の防護柵で、ルオ・リシタ戦士五万を阻めるものか! 我らはヴォオス軍を出し抜いてやったのだ!」
エヴスターヒーが指差して嘲る通り、ヴォオス軍は都市ヘルヴェンの前に、急造の陣を三重に布いていた。
格子に組まれた木材で防護壁を築き、その前には戦端を尖らせた杭が、敵を威嚇するように設置されている。その背後には兵士が配置されており、防護壁の隙間からルオ・リシタの戦士たちを突き刺そうと槍を構えている。
エヴスターヒーが嘲るほど悪い陣容ではないが、地上戦を得意とするルオ・リシタの戦士を相手にするには薄すぎる。
ずらりと並んだ先端の鋭い杭も、斧を手にした戦士たちによって瞬く間に取り除かれ、防護柵は火を放たれるか、鉤付きのロープでもって引き倒されてしまうに違いない。
背後に控える歩兵など、ルオ・リシタの戦士たちにとってはいないも同然だった。
馬から降りたヴォオス人など、恐れるに足らない。
「殿下には後方の守りをお願いしていたはずですが」
エヴスターヒーの言葉には取り合わず、持ち場を離れている事実を指摘する。
ヴォルクの冷たい視線に射すくめられたエヴスターヒーは鼻白んだが、すぐに開き直ってみせる。
「私の部族は元々守りが苦手なのだ。攻撃こそイヴァーノの民の本領! ここまでヴォオス騎兵の攻撃を防いできたのだ。もう十分だろう。交代だ」
「それを決めるのはヴォルク様であって、殿下ではありません」
勝手なことを言い出したエヴスターヒーの言葉を、ファーツィが冷たく退ける。
「貴様になど話しておらぬわっ! 差し出口を挟むなっ!」
ファーツィの態度に侮りを感じたエヴスターヒーが、真っ赤になって怒鳴りつける。二回りほど小振りではあるが、癇癪を起す姿は父親にうり二つだ。
鼓膜が破れそうなほどの大声にさらされたファーツィであったが、微塵も揺るがず、顔に飛んだ唾を拭っただけであった。
(欲の皮の突っ張ったクズが! 都市ヘルヴェンを陥としたという手柄がほしいだけではないかっ!)
内心の思いが表情に出たのだろう。ファーツィを睨みつけていたエヴスターヒーが戦斧を構える。
ファーツィも反射的に剣に手をかける。さすがに相手が王子であるため、いきなり抜きはしない。
それを見たエヴスターヒーの配下の戦士たちも一斉に武器を手に取る。
自身の優位を信じるエヴスターヒーがいやらしい笑みを浮かべるが、ファーツィは配下の戦士たちすべてをひっくるめて、鼻で笑い飛ばした。
やるのならば抜くぞという意思表示である。
再びエヴスターヒーの顔面に血が上り出した瞬間、血の温度を一気に下げる金属音が響いた。
ヴォルクが剣を抜いたのだ。
ただそれだけでエヴスターヒーだけでなく、取り巻きの戦士たちまで顔色を変える。
抜いた剣をファーツィとエヴスターヒーの間に振り下ろすと、ヴォルクはその場にいるすべての人間に言った。
「間違えるな。敵は向こうだ」
そう言って目にも止まらぬ速さで振り向いた剣先が、都市ヘルヴェンを指し示す。
剣の軌道が自分の首を横切ったことに気がついたエヴスターヒーは、冷や汗を流して凍りつく。
「殿下のご要望、聞き入れましょう」
「ヴォルク様っ!!」
ヴォルクの言葉にファーツィが抗議の声を上げる。
「ひかえよ、ファーツィ」
ひと睨みでファーツィが黙らされると、気を良くしたエヴスターヒーがあてつけに嗤って見せる。
「ヴォルクよ。ようやく王族に対する態度を改める気になったようだな。どれだけ陛下に気に入られていようと、所詮貴様など弱小部族の成り上がりに過ぎんのだ。私に指図しようなどと考え……」
「他の王子方に伝令を出せ。先陣は王子方の部族に担っていただく」
エヴスターヒーの言葉など聞こえていなかったかのように、無視して指示を出す。
「なあっ!!」
手柄を独り占めしようと目論んでいたエヴスターヒーは、すべてを台無しにするヴォルクの命令に言葉を失う。
「き、貴様っ! ふざけるなっ!」
「ファーツィ。ヴォオス騎兵の攻撃は、我ら王国の戦士が引き受けねばならん。迅速に戦士たちを移動させろ」
剣を鞘に納めつつ、ヴォルクはエヴスターヒーを無視して指示を出し続ける。
エヴスターヒーの高慢な鼻をへし折るヴォルクのやりように、ファーツィは内心大笑いしてやりたかったが、ここでこれ以上エヴスターヒーごとき小物のために時間を浪費しては、ヴォルクの副官失格である。
ファーツィはエヴスターヒーと取り巻きの戦士たちを完全に無視すると、戦士たちの配置の指示に向かった。
「おいっ! ヴォルク! 貴様……」
「殿下。いつまでもこのようなところにいてよろしいのですか? 他の王子方に攻め込みやすい場所を取られてしまいますぞ」
「……むうっ! このこと、けして忘れんからなっ! 覚えておれっ!」
言いたいことは山ほどあるが、ヴォルクの指摘は正しかった。他の王子たちに伝令が届く前に、真っ先に都市ヘルヴェンを攻略出来る位置取りをしておかなくてはならない。
もっとも、そういう状況にエヴスターヒーを追い込んだのはヴォルク自身だ。
この場で脳天を叩き割ってやりたかったが、自分と取り巻きの戦士程度では返り討ちに遭うのがオチだ。 エヴスターヒーはもっと多くの戦士を連れて来なかったことを後悔したが、どうしようもなかった。
王族であることを振りかざしながら、何の責任も背負おうとしない小さな背中を見送ると、ヴォルクはファーツィのもとへ向かった。
「痛快ではありましたが、結局都市ヘルヴェン攻略の手柄は、王子方のどなたかに奪われることになってしまいましたな」
一通りの指示を出し終えていたファーツィが、なんとも複雑な表情で主を迎えた。
エヴスターヒーの鼻を明かしてやったまではいいが、ここまでの苦労をすべて背負ってきたヴォルクではなく、ただ文句ばかり言っていた王子たちが、最終的に良い思いをすることになってしまったからだ。
「手柄など、どうでもいい。食料を確実に奪い、ルオ・リシタに送り届けることこそが肝要なのだ。手柄など欲しい奴にくれてやればいい。その方が奴らも奮起するだろうしな」
ファーツィの言葉に、ヴォルクは皮肉な笑みを浮かべて答えた。
「それに、殿下のお言葉通り、今、後方を任せているイヴァーノの民ではヴォオス軍に突破されかねん。我らがここまで速度を落とさず進軍出来たことがヴォオス軍にとって予定外の出来事であったとすれば、ヴォオス軍は決死の覚悟で我らを背後から切り崩そうとするはずだ。あのレオフリードに背後を食い破られては、ルオ・リシタ戦士五万といえども危うい。殿下のお言葉がなくとも後方に下がるつもりではあったのだ」
「その通りですな」
ヴォルクの言葉に、ファーツィも不承不承頷く。列国にその名を轟かすレオフリードの相手を、あのエヴスターヒー王子に務まるわけがないのだ。
「それに、一人の戦士として、レオフリードとは相対したいと思っていた」
そう言って笑うヴォルクの表情は、まるで飢えた雪豹の様に猛々しかった。
「おっと。それだけはヴォルク様が相手でも譲れませんぞ。私も奴の首、狙っておりましたからな」
ヴォルクの横顔に注いでいた視線が熱を持つ。
ヴォルクは普段の笑みを取り戻すと言った。
「今回は譲れ。お主は生きて帰ることだけを考えていればいい。お主に万が一のことがあっては、ニーナに合わせる顔がないからな」
言われた途端、ファーツィは顔を真っ赤にして目をそらした。
「た、戦いを前にして、生きて帰ることを優先するような臆病者は、ルオ・リシタ戦士には一人もおりません。そ、それは私も例外ではありません。命惜しまず戦うのみです」
珍しく慌てながら反論するが、動揺のあまり、決まりきった言葉しか出てこない。
「本当であれば、とうの昔に祝言を挙げていたのだ。邪魔をしていた終わらない冬がようやく去ったのだから、戦士の矜持よりもニーナの幸せを優先してやれ。私もイオアーナも、お主らの祝言を楽しみにしておるのだぞ」
イオアーナの笑顔を誰よりも望んでいるヴォルクの心をよく知るファーツィは、反論することが出来なかった。自分とイオアーナの侍女であるニーナの婚礼でイオアーナが笑顔を取り戻してくれるのならば、それはファーツィにとって、自分たちの結婚以上に喜ばしいことだった。
「わかりました。ですが、それならばヴォルク様も必ず生きてお戻りいただかなければ困ります」
不意にファーツィがいたずらを思いついたかのように目を輝かせて反撃に出た。
ヴォルクは面白そうに眼顔で先を促す。
「ニーナの手を取り、私の元までともに歩まれるのは、ヴォルク様の仕事でございますから」
ヴォルクは額を叩いて「一本取られたな」と笑った。
ニーナには身寄りがない。
ファーツィとの婚約も、ヴォルクが後見人になることで成立したのだ。
であれば当然、父親役を務めるのはヴォルクということになる。
「もとより負けるつもりも、ましてや死ぬつもりもないが、死ねぬ理由としてはこれ以上ない理由だな」
「はい」
ヴォルクの言葉に、ファーツィは厳つい笑みを浮かべて答えた。
「婚礼祝いがレオフリードの生首ではいかにも色気がなさすぎる。もっといいものを考えなくてはいかんな」
そう言うとヴォルクが本気で考え込んでしまったので、ファーツィは思わず吹き出してしまった。
「それは勝って後に考えることにいたしましょう。まず勝つことが肝要でございます」
「そうだな。あまり先のことを考えていると、思わぬことで足元をすくわれかねんからな」
二人はそう言って笑うと、エヴスターヒーのせいで苛立っていたことなど忘れて、軍全体の再編成に戻ったのであった――。
またまた評価していただき、誠にありがとうございます。
冬休みも終わり、アクセス数が平常運転に戻ったので(つまりアクセス数100以下)新規にお読みくださる読者様は、GWまで、下手をするとお盆休みまで現れないだろうと思っていたので、予想外の喜びです。
ついでにもう一つだけご報告。
ユニークが10000に到達いたしました。(これぞ牛歩!)
<序>を書き上げた当時には、とてもここまで来れるとは思っておりませんでした。
これもひとえにヴォオス戦記を掘り起こしてくださったり、ツイートしてくださった方々と、読み続けてくださる皆様のおかげです。
ありがとうございました。
励みになります。
次回は2月10日投稿予定です。がっつり戦闘を描けたので、書いた当人もすごく楽しかった回になっておりますので、お読みいただければ幸いです。




