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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
47/152

実力者たち

 カーシュナーの生家であるクライツベルヘン家は、王都からの早馬を待つまでもなく、すでに戦準備を終え、出陣を待つばかりとなっていた。

 情報収集力において、クライツベルヘン家は国内随一であり、その能力はヴォオス軍の諜報部をも上回る。


 エストバ侵攻の情報を得たのはヴォオス軍とほぼ同時であったが、情報伝達手段がはるかに優れているため、現クライツベルヘン家当主であるヴァウレルの手元に急報が届いたのは、リードリットが急報を手にする一日以上前であった。

 その情報を王都に回さなかったのは、ヴォオス軍諜報部の面子を潰さないためであったが、急を知らせたところで現ヴォオス軍に、ルオ・リシタ軍に加えてイェ・ソン、エストバの軍勢を相手取るだけの兵力はない。

 エストバが動けば、その撃退のためにクライツベルヘン家が兵を出すことはすでにリードリットとの間で取り決めが交わされている。

 であれば、いずれ流れる情報を、対応出来ないとわかっている王都に回しても意味がない。


 王家に対する形式よりも、現実的な実利を優先したクライツベルヘン家は、情報入手直後からエストバ軍討伐に集中していた。

 五大家といえども、ここまで現実的な対応を優先するのはクライツベルヘン家くらいのものだ。

 ヴォオス建国の勇者ウィレアム一世を支えた五人の戦士の中で、裏勇者と呼ばれたクライツベルヘン家の初代は、ウィレアム一世が清廉な人柄であったのに対し、容赦のない現実主義の持ち主だった。


 ウィレアム一世が理想を語り夢を追う裏で、クライツベルヘン家の初代は、裏切り者や邪魔者を密かに排除し、ウィレアム一世では出来ない裏の汚れ仕事をこなし、<神にして全世界の王>魔神ラタトスの討伐と、その後のヴォオス建国とを支えた。

 ウィレアム一世の考えを尊重しつつ、独自に行動してみせるクライツベルヘン家初代の気質は、少しも薄まることなく現代にまで受け継がれているのだ。


 出陣の準備が整ったクライツベルヘン軍を率いるのは、当主であるヴァウレルである。その斜め後ろには腹心であるダーンの父、テオドールが、苦虫を噛み潰したかのような顔で控えている。実戦の指揮はクライツベルヘン軍の総指揮官である次男のヴァールーフが執るが、当主自ら陣頭に立つのは、王家と五大家の関係性を改めて世に示すことが目的だった。テオドールが苦い顔をしているのは、ヴァウレルがやる気満々でいるからだ。


「父上。あまりテオを困らせるようなことは慎んでください」

 ヴァウレルに代わってクライツベルヘンの留守を預かることになった嫡男のアインノルトが、父親に釘を刺す。

「そう言うなアイン。わしはこの戦を最後と決めておる。少しははしゃがせろ」

 よわい六十を過ぎたヴァウレルであったが、同年代であるルオ・リシタの国王アレクザンドール同様、巌のようなその身体は、未だに衰えを感じさせない。

 頭髪に白髪が目立つようになった事と、厳めしい顔に幾本かの深いしわが刻まれている以外は、ヴァールーフとうり二つである。

 分厚い胸板も、太い手足も、ヴァウレルがいまだ戦いを捨てていないことを証明している。


「少しで済ませていただけるのでしたらかまわないのですが、父上は度が過ぎることが多いですから」

 アインノルトの言葉に、テオドールが何度もうなずく。

「まあ、ヴァルの手に余らんかぎりはのんびり見物させてもらうさ」

「ということだ。下手を打つなよ。ヴァル」

 父親と兄から圧力をかけられたヴァールーフだったが、そんなものは微塵も感じないようで、ニヤリと笑ってみせた。


「兄上こそ、またもや留守番で退屈だろう?」

 当初エストバ侵攻の報が入ったとき、クライツベルヘン軍はアインノルトが率いる予定だった。だが、シュタッツベーレン家の女当主、ヘルダロイダが対ルオ・リシタ戦に出陣したことを受け、ヴァウレルが出陣を決めたのだ。


 ヴォオスの結束を内外に示す絶好の機会であることは間違いなく、アインノルトもヴァウレルの出陣を受け入れたが、190センチを超える長身に、厚い胸板、丸太のように太い手足をした、戦士となるべく生まれついたような男に、ただ留守を守らせておくだけというのはいかにも酷な話だ。

 リードリットの即位宣言に対して王宮騎士団が暴発した際も、アインノルトはクライツベルヘンで留守番をさせられていた。

 ヴァールーフはその辺りの不満を気遣ったのだ。


「戦を楽しむような気質は、五大家の嫡男には必要ない。このまま一生私の出番がない方が、ヴォオスにとっても、クライツベルヘンにとってもいいのだ。そんなことで気を遣うな」

 弟の気遣いに感謝し、アインノルトは笑った。

 何より、ヴァウレル出陣の背景には、次期当主であるアインノルトの身を慮った部分もあることに、アインノルト自身が気づいている。


 アインノルトは今年で三十五になったが、未だに独身であり、当然跡継ぎも存在しない。非公式にもだ(、、、、、、)

 三十三歳のヴァールーフも独身で、王都拡張計画に協力するためにベルフィストに出向いているセインデルトも独り身だ。

 カーシュナーも含めた四兄弟以降の直系の血筋が不在の今、万が一を考慮しないわけにはいかない。

 五大家の筆頭としての義務を途切れさせるわけにはいかないのだ。


「どうやらこのヴォオス包囲網は、ヴォオスとルオ・リシタの避けようのない衝突を利用した何者かによる策略のようだ。レイブランド殿との連絡は密にせよ。ゾンが動かんという保証はどこにもないのだからな」

「わかっております。必要とあらば残存兵力一万、いつでも動かせるよう待機させておきます」

「うむ。判断はお主に任せる。補給の件も頼んだぞ」

「お任せください」

 ヴァウレルは満足気にうなずくとクライツベルヘン軍二万に向き直る。


「皆の者。これよりエストバの山羊泥棒どもに、灸をすえにいく。ヴォオスではなく、クライツベルヘンの名を忘れられんように思い知らせてやれ。一同出陣!」

 ヴァウレルの号令の下、クライツベルヘン軍は一路、フローリンゲン城塞を目指したのであった――。









 ヴォオス東部地方には、五大家として広大な領地を有するドルトスタット家がある。

 他の四家が肥沃で広大の領地を生かした農牧を主な収入源としているのに対し、ドルトスタットは、林業と鉄鋼業を主とし、そこに加えて、他の四家と比較すると規模は劣るが、農牧による収益が加わる。

 林業と鉄鋼業は、そこからさらに製造業に繫がり、ドルトスタットは王都ベルフィストを一回り小規模にしたような、多種多様な商品が集う商業都市となっている。


 この地を治めるのは、五大家当主の中では最も若い、クリストフェルンであった。

 四十をわずかにすぎたばかりであるが、その外見は若々しく、漂う貫禄がなければ二十代でも通る。

 五大家の当主として重ねてきた経験が、存在感に重さを付加しているため、さすがに誰もクリストフェルンを二十代の若造と侮りはしないが、実年齢を知らない者からすれば、少なくとも十は若く見える。


 まるで絹の様な光沢を放つ黒髪を風になびかせながら、クリストフェルンは戦準備の最終確認を行っていた。

 クライツベルヘン家よりもはるかにヴォオス東部国境に近いドルトスタットは、当然いち早く東の隣国エストバの侵攻情報を得ていた。

 ヴォオス軍や他の五大家の反応を待つまでもなく、クリストフェルンは戦準備に入っていた。

 その早さは、クライツベルヘン家に情報が届いた時にはすでに出兵のために兵士動員が済んでいるほどである。

 そのほかにも、フローリンゲン城塞へ向かうためには他の東部貴族の領地を抜けなくてはならないため、各領地を治める貴族に対し、エストバ侵攻の急報と、迎撃のための出兵も通告済みとなっている。


「父上! 糧食の準備及び最終確認終了しました!」

 クリストフェルンによく似た面立ちをした少年が、いささかの緊張と共に、形式ばった報告をする。

今回の戦が初陣となる、次男のレフィスレクスだ。

 クリストフェルンが若々し過ぎるため、二人並ぶと兄弟にしか見えない。ここに嫡男のベルトハルトが加わると、三兄弟の完成となる。実際には父と息子二人なのだが、黙って立っていると双子のように似てい過ぎるため、長年仕える家臣たちにもクリストフェルンとベルトハルトの区別がつかなくなる。


「そう気負うな、レフィスレクス。今からそんなに肩に力を入れていると、戦前に疲れ切ってしまうぞ」

 クリストフェルンはそう言うと、息子の肩に手を置いた。

「はいっ!」

 それに対し、元気良く答えるレフィスレクスの素直さは、クライツベルヘン家の血筋には決してない透明な輝きに満ちていた。


「今回の戦、カーシュナー様は参戦されるのでしょうか?」

 レフィスレクスが十五歳の瞳をキラキラと輝かせながら父に問う。

 そのあまりの真っ直ぐさに、父親であるクリストフェルンは思わず苦笑を漏らす。

「レフィー。残念だが今回の戦に彼が参戦することはない」

 父の言葉に、レフィスレクスは叱られた子犬のようにしょげ返った。

「考えてもみなさい。もし彼が今回のヴォオスの窮地に帰還したとしたら、それは我らにとってはエストバに敗北する以上の恥辱なのだ」

 父の言葉にレフィスレクスは目を剥いて驚く。感情がもろに表に出てしまうあたり、正直である以前に貴族社会での経験不足がうかがえる。


 リードリットによる改革以前の貴族社会を内心では誰よりも嫌悪していたクリストフェルンとしては、息子が真っ直ぐに成長していることに満足しつつも、さすがにそろそろ軌道修正の必要を感じないわけにはいかなかった。もっとも、それも今回の戦を経験すれば必要なくなるかもしれない。

 戦とは常に、少年を戦士へと変えるものだからだ。


 そんな思いに一瞬とらわれたクリストフェルンを、レフィスレクスが怪訝な面持ちで見上げる。

 クリストフェルンは思考を息子の未来予想図から、今目の前にいる発展途上中の息子へと戻した。

「もしこの戦にカーシュナーが戻らねばならないとしたら、私やベルトハルトは、頼むに足るだけの実力はないと見限られたことになる。彼が彼自身の戦いに集中出来るように、事ある事にヴォオスを振り向かなくてもいいように、我らは我らの責任を全うしなくてはならんのだ」

 父の言葉にレフィスレクスは表情を引き締めた。

 

 クリストフェルンは自分が息子を過小評価していたことに気がついた。

 今のレフィスレクスの顔には、覚悟を持った戦士の厳しさがあるからだ。

「父上。私も微力ながらカーシュナー様の理想のお役に立てるよう、精一杯努めます」

「うむ。彼が前だけを見て、己の道を進めるように、我らの手で彼の背中を守ってやろう」

 父の言葉に、レフィスレクスは輝くような笑顔で応えた。


「それに、カーシュナーは参戦しないが、今回の戦にはクライツベルヘン家の当主、ヴァウレル卿自ら参戦されるそうだ。カーシュナーが他の三人の兄たちとは異なる道を選んだのも、ヴァウレル卿がそうなるようにゴドフリート卿にカーシュナーの教育を託されたからだ。カーシュナーの人格の根は、間違いなくヴァウレル卿から発している。お主もカーシュナーに憧れるのであれば、その大元となられたヴァウレル卿に触れておけ。ご本人も公言されているが、これが最後の戦になるそうだ。学べるのはこれが最初で最後になる。機会を逃すような男は、結局何者にもなれん。お前なりに、何かを掴んでみせろ」

「はいっ!」

 レフィスレクスの気合に満ちた声が、クリストフェルンを超え、出陣を前にした兵士たちの間にまで響く。

 その真っ直ぐさは聞く者の心に届き、自然と笑顔を引き出す。

 クリストフェルンは思った。この子はきっと良き将となるであろうと――。


「父上。出陣の支度が整いました」

 そこへ全体の最終確認を行っていた嫡男のベルトハルトが報告に現れる。

 クリストフェルンは父親の顔から、ヴォオス五大家の一家、ドルトスタット家当主の顔へと戻り、ベルトハルトに一つうなずいた。

 そして轟くような美声で号令を発する。

「ドルトスタット軍、出陣っ!」

 

 たくましい父の背中を見つめながら、レフィスレクスは初陣の第一歩を踏み出したのであった――。









 ヴォオス東部、ノウン・アカーシャ山脈の一部であるカ・イラサ山脈に、エストバはあった。

 カ・イラサ山脈は神々の大戦の際、人の手ではけして成し得ない複雑な地形に削り取られていた。それはまるで山脈全体を要塞化したようで、事実神々の大戦時には、カ・イラサ山脈を統べる神の眷属の重要拠点として、その機能を十全に発揮していた。


 神々の大戦後、カ・イラサ山脈南部に広がるラトゥの地で生き残った人々が移り住み、現在のエストバの原型を形作った。

 その後<神にして全世界の王>魔神ラタトスによって滅ぼされた古代帝国ベルデの皇子が北のイェ・ソンに流れ着き、新たな支配体制を築き上げると、その支配を良しとしない人々がカ・イラサ山脈に落ち延び、これを受け入れた先住民とイェ・ソン人が交わったことで、現在のエストバ人が誕生した。


 王都であるダル・マクタ―スタは、山頂の広大な平地に築かれており、その周囲をカ・イラサ山脈に連なる山々の峰によってぐるりと囲まれ、大陸でもっとも守りの堅い難攻不落の都市として知られている。

 エストバという国自体がカ・イラサ山脈に点在する平地を利用して形成されているため、そのもっとも奥まった位置にあるダル・マクタ―スタは、国の象徴であると同時に、人の往来という意味ではエストバでもっとも困難な位置にあった。

 そのため、商業機能とそれを支える東の隊商路は、ダル・マクタ―スタよりかなり下層に位置する都市に集約されていた。

 それはもちろん利便性を考慮してのことではあるが、ダル・マクタ―スタからエストバ人以外を締め出すことが真の目的と噂されている。


 山々に囲まれた環境がそうさせるのか、エストバ人は閉鎖的な人柄の者が多く、隊商路筋以外の都市部に異国人が現れると、あからさまな警戒を見せたりもする。

 主要都市部以外で女性が外出することは少なく、その内向的な人柄もあり、ほとんどの女性が家にこもって織物作りに精を出している。

 エストバは牧畜が主な産業であり、毛織物もその品質の高さから高額で取引され、国の重要な収入源となっている。


 また、カ・イラサ山脈に根ざしているにもかかわらず、農地は意外に多い。だが、標高が高いため夏が短く、日照時間も周囲の山々の影響により短いため、生産力はそれほど高くない。

 何事もなければ国内消費分を十分に確保出来るのだが、ちょっとした天候不順などが続くと、途端に需要に対する供給が追い付かなくなる。

 東の隊商路には常に不足するであろう物資が流れている。エストバとしても小規模の不足であれば輸入によって補うが、食料不足の規模がある一定値を超えると、不足分を略奪によって補おうとする。

 その結果、エストバは過去幾度も西の隣国ヴォオスや、南の隣国ラトゥと戦端を開くことになった。


 二年にも及ぶ終わらない冬は、エストバを滅亡の縁にまで追い込んだ。


 高地に築かれたそれぞれの都市は、豪雪により寸断され、物資の移動が不可能になったことでヴォオス貴族たちが行ったような食料の独占すら出来ず、王族内でも餓死、病死者を出した。

 ヴォオスの雪解けから遅れること約二か月。ようやく豪雪による檻から脱出することに成功したダル・マクタ―スタは、運び込まれた食料に群がり飛びついた。

 確保した食糧は十分だったのだが、険路を超えて運び込まなければならないため、一度に輸送出来る食料の量は限られ、人々は身分の差に関係なく、殺し、奪い、奪われ、死んでいった。


 極限状態の人々を権力で抑えることは難しく、エストバ国王であるバーユイシャも、すぐには食料を口にすることが出来なかった。

 受け取りに行ったはずの兵士たちが、食料を持ち逃げしてしまったからだ。

 怒り狂ったバーユイシャであったが、自分に対して反乱が起こらないのは、ただ単に民衆が反乱を起こすだけの体力すらないだけであり、終わらない冬という大災害に際して何の救済措置も取らなかったバーユイシャに対し、民衆が今も激しい憎悪を燃やしていることを理解していた。

 そのため、バーユイシャは国王でありながら身の安全を確保するため自ら納める国土を自由に歩くことすらままならず、怒りのはけ口すら見つけられないまま、ひたすら王宮に閉じこもるしかなかった。


 食料が手に入る。

 そう思わされてからの数日は、それまで以上の飢餓感をバーユイシャにもたらした。

 気が狂いそうな日々を送っている中、バーユイシャの下に一人の男が現れた。

 男はどのようにして持ち込んだのか、大量の食糧を献上品とした持参していたため、即座にバーユイシャへの謁見が許された。

 もっとも、バーユイシャが自身の飢えを満たすことを最優先したため、男が実際にバーユイシャに謁見できたのは翌日の午後であった。


 民心の離反を肌で感じていたバーユイシャは、国王としての自身の権力に対し、以前ほどの自信を持てなくなっていた。

 終わらない冬などという未曽有の大災害に対し、神ならぬ人の身で何が出来ようか。それをまるでバーユイシャの責任であるかのように憎悪を向けてくる民衆や貴族に対し、バーユイシャは怒り以上に大きな不安を抱えていた。

 自分の存在に絶対的な自信を持てなくなった王ほど惨めなものはない。王宮に残った数少ない家臣たちも、内心では自分を侮っているのではないかと疑念を抱いてすらいた。

 そのような心理状態に陥っていたバーユイシャは、貴重な食料をもたらしてくれた恩人とも言える人物を長く待たせてしまったことに対し、かなりのうしろめたさを感じていた。


 だが、男は待たされたことに対する不満など微塵も見せず、むしろバーユイシャに対する民衆や貴族たちの不誠実さを嘆き、バーユイシャの終わらない冬に対する対応を擁護した。

 自分はこのまま誰からも顧みられることもなく、玉座を追われるのではないかという被害妄想に取りつかれ始めていたバーユイシャは、自分を王として立て、敬いの姿勢を示す男を大いに気に入り、その言葉に耳を傾けるようになる。


 その後、男とバーユイシャの間で密談が交わされた。

 そして、男との密談終了後、バーユイシャの顔からは国王らしからぬ不安の色は跡形もなく消え去り、代わって権力者らしい野心と、それを叶えんとする覇気が居座っていた。

 バーユイシャはその日の内に軍を招集し、ヴォオス侵攻を命じた。

 弱腰になっていた国王が一転、強気に出たことで、それまでバーユイシャを侮っていた者たちは戸惑いを覚えた。だが、国王の食糧を盗んだ罪人が、煮えたぎる油に投げ込まれて処刑される姿を見せられた直後に、その罪人を眺めていたものと同じ冷たさをした視線を向けられたことで直ちに態度を改めた。


 侵攻自体に兵士たちも不満はない。国の食糧事情は自分たちの胃袋が一番よく知っている。奪わなければ自分たちが飢えて死ぬ。ただ、その矛を向ける先がヴォオスであることに、エストバ兵たちはどうにも納得がいかなかった。

 近年エストバとヴォオスの関係は、良好とは言えないまでも、両国の軍が互いの国境を超えるようなことはなかった。

 過去のエストバ王の中にはヴォオス方面への領土拡大に意欲を燃やした者もいたが、現国王バーユイシャの野心の矛先は、南のラトゥへと向けられており、それはバーユイシャ一人の野心ではなく、文官武官ともに共通したものであった。

 それが一転、矛先がヴォオスに向けられたことに疑念を抱いたのだ。


 ヴォオス軍は強い。

 エストバ領に引き込んでの山岳戦であれば、万に一つも負けることなどないという自負もあるが、ヴォオスへ侵攻するとなると、ヴォオス軍得意の騎兵戦で戦わなければならない。

 エストバ軍にも当然騎兵は存在するが、そもそもエストバにおいて開けた土地とは、都市部か農地、もしくは放牧地として活用されており、騎兵戦術を十分鍛錬出来るような余地はない。

 平地での騎兵戦でヴォオス軍と真っ向から渡り合えるのは、北のイェ・ソンくらいのものなのだ。

 ヴォオス侵攻はある意味無謀であり、糧食の乏しさを考慮すれば、確実性の高いラトゥへと侵攻するべきなのだ。


 兵士たちの考えは正しく、バーユイシャも男との取引がなければラトゥへ向けて略奪のための軍を派遣していた。だが、男が提示した条件と、その戦略構想を知った今では、ラトゥは後日じっくりと軍備を整えてから攻略すれば十分であった。

 そもそもヴォオスとラトゥは同盟関係にあり、仮に今バーユイシャがラトゥへと軍を進めた場合、手薄になったエストバをヴォオス軍に攻略されかねない。

 その逆もまたあるのだが、ラトゥ軍の山岳戦能力は、ヴォオス軍に比して数段落ちる。

 ヴォオスに向けて侵攻し、その背後からラトゥ軍に噛みつかれたとしても、バーユイシャにはさして痛くもかゆくもない。

 ラトゥを本気で攻略しようと考えるのであれば、まず厄介なヴォオスこそ先に叩くべきなのだ。


 今回の侵攻には、エストバに有利な条件がそろっている。

 ヴォオスはすでにルオ・リシタと交戦中であり、その隙を衝き、エストバだけでなく、北のイェ・ソンも同時に攻め込むことになっている。それが事実であることは、イェ・ソンに放ってある密偵の報告により確認済みだ。まだ裏の取れていない情報では、ヴォオス貴族の一斉蜂起も加わるという。

 このすべてが事実であれば、ヴォオスは内乱を抱えながら、三国を同時に敵に回すことになる。

 戦力の分散はまぬがれようもなく、ヴォオス東国境の要、フローリンゲン城塞を陥とすことも夢ではない。


 この条件を知る者はバーユイシャと、終わらない冬の最中にあっても誠実に尽くし続けてくれたごく一部の側近のみだ。

 兵士たちが知る必要はない。

 知れば命を惜しむに決まっているからだ。

 弱腰の兵士など、強国ヴォオスの騎兵の前では矢よけの役にも立たない。死に物狂いで戦わせる必要がある。


 そこには若干どころか多分に侮りを受けたことへの意趣返しも含まれていたが、平地でヴォオス軍と事を構えなくてはならないことにかわりはない。兵力の分散がヴォオス軍の士気低下につながればいいが、下手をすれば手負いの獣のような勢いでぶつかって来かねない。

 獅子の尻尾を踏みつけて、エストバが予定外の被害を受けてはラトゥ攻略に影響が出る。無理をしてまで勝つ必要はない。勝てれば良し、勝てないまでも、最低限のヴォオス軍戦力を削ることが出来れば、安心してラトゥ攻略に着手出来る。

 なかなかに甘い見通しではあるが、この状況で欲をかき過ぎないのは、バーユイシャの王としての嗅覚の確かさを証明していた。


 着々と進軍の準備を進めるエストバ軍を眺めながら、バーユイシャをいとも容易く操ってみせた男は、復讐の炎を瞳の奥で燃え上がらせながら、冷たく笑ったのであった――。









 ボルストヴァルト家二万五千の軍勢は、ヴォオス軍の援軍であるオリオンを待たずにハウデンベルク城塞へと進発していた。

 それは、侵略者であるイェ・ソン軍の進軍速度が予想よりも早かったためである。


「父上。本当に待たなくてよろしかったのですか?」

 ボルストヴァルト家の当主であるアウグステインの嫡男、バウデヴェインが無意識に後方を振り向きながら父親に尋ねた。その視線の先には広大なヴォオスの大地が広がるのみで、騎影一つ見られない。

「待ちたいところではあったが、さすがはイェ・ソンと言うより他あるまい。まさか自慢の重装備を捨て、進行速度を取るとは思わなんだ。ハウデンベルクが陥ちてから駆けつけても意味はない。国境線で食い止めねば、イェ・ソンの羊泥棒どもにヴォオスをどこまで荒らされるか知れたものではないからな。ハウデンベルクを守る連中の心を支えてやるためにも、一刻も早く援軍の姿を見せてやらねばならん」

 頭髪も髭もなければ、眉毛すらない異相の持ち主であるアウグステインは、普段口元に浮かべている皮肉気な笑み消し、息子の問いかけに真顔で答えた。


「ハウデンベルク城塞はヴォオスでも屈指の城塞です。こちらが態勢を整えるまでの間くらい持ちこたえられるのではありませんか?」

 父親とは正反対に、針金のような頭髪に、まるで怒った針鼠がしがみついているのではないかと思わせる髭をたくわえたバウデヴェインが問い返す。親子ともに厚みのある屈強な肉体をしているが、バウデヴェインの厚みは常軌を逸していた。大きいはずの頭が小さく見えるほど、その上半身はぶ厚く発達している。その上半身を支える下半身は言うまでもない。


「ハウデンベルク城塞にはアデルベルドとリストフェインがおる。どちらもヴォオス軍にはなくてはならん名将だ。兵も良く統べ、一丸となってハウデンベルク城塞を死守するだろう。だが、今回のイェ・ソンの勢いはこの二人をもってしても安堵出来んものを感じる」

 父の予想外の厳しい見通しに、バウデヴェインはつぶらな瞳を見開いた。

「そこまでイェ・ソンが今回の侵攻に懸けていると?」


「五万という数が覚悟のほどを証明しておる。糧食の準備が間に合うはずがない。ルオ・リシタが終わらない冬の影響で干上がったように、イェ・ソンも重大な食料危機に瀕しておる。エストバの動員兵力三万でさえ、すでに動員限界を超えておるはずだ。イェ・ソンの連中に至っては、冗談抜きで手ぶらで攻め込んできてるに違いない。重騎兵が自慢のイェ・ソンが速度重視で攻め込んで来たのも、こちらの虚を衝くためというより、そうせざるを得ないほど、糧食が逼迫しておるのかもしれん。敗れても退くだけの食糧がないとなれば、大将から一兵に至るまで、命惜しまず戦うはずだ」

 息子の問いかけに、アウグステインは渋い表情で答えた。


「イェ・ソンの覚悟がどうあれ、我らに負けてやる義理はありません。ただ侵略者を退けるのみ。ハウデンベルク城塞が持ちこたえてくれることを願いつつ、ヴォオス軍の援軍が到着するまで持ちこたえるのが我らの役目です」

 父の懸念を吹き飛ばすように、バウデヴェインは努めて明るく言い放った。

 息子の気遣いに、アウグステインもいつもの皮肉気な笑みを取り戻す。


「そうだな。我らはただ我らの役割を果たすとしよう。ボルストヴァルト家の底力、イェ・ソンの羊泥棒どもに見せつけてくれるわ!」

 そう言うとアウグステインは大声で笑った。

 前を走る父の背中を見つめながら、バウデヴェインは愛用の戦斧の柄に手を伸ばし、そっと触れた。

 

 死に物狂いのイェ・ソン兵が相手であれば不足なし。

 背水の陣で対ヴォオスに臨むイェ・ソンに対し、バウデヴェインは一人不敵な笑みを浮かべたのであった――。









 ヴォオス北東部に位置するハウデンベルク城塞は、緊張に包まれていた。

 収容可能な近隣の住民たちは、イェ・ソン軍到着前に何とか収容することが出来た。それ以外の村々には、ヴォオス中央へと避難するよう勧告を出してある。

 イェ・ソンによる侵略は過去数えきれないほど繰り返され、ハウデンベルクに暮らすヴォオス人たちは、迅速に対応する術を、代々受け継いできていた。

 中には避難するのではなく、ハウデンベルク城塞に義勇兵として駆けつけてくる者もいる。


 正規のイェ・ソン軍ではなく、北の隊商路を行き来する商隊を狙った野盗も多く出没するため、ハウデンベルク城塞には戦慣れした兵士が多いが、そんな強者揃いのハウデンベルク城塞でも、今回のイェ・ソン侵攻には極度の緊張を強いられている。

 規模もそうだが、その行動が常のイェ・ソンの常軌を逸しているからだ。

 完全武装の重騎兵が自慢のイェ・ソン軍は、陽光を受けて煌めく甲冑で、草原に光の津波を出現させ、戦う前に敵の戦意を挫きにかかる。

 矢を射かけても弾き返して突進して来るその姿は、恐怖以外の何ものでもない。

 そのイェ・ソン軍が、自慢の甲冑と馬鎧を置いて、恐るべき速度で進軍して来るのだ。

 そこに覚悟を見ない者は一人もいなかった。


 ハウデンベルク城塞の将軍の一人であるリストフェインは、アウグステインと同様の考えから、今回の戦は死戦になると覚悟していた。

 ハウデンベルク城塞の守備兵力は一万。対するイェ・ソン軍は五万だ。

 クロクスがその権力でヴォオス軍を掌握していた時代は、半分の五千であったことを考えれば、だいぶましな数ではあるが、ハウデンベルク城塞がいかに堅牢であっても、イェ・ソン軍を撃退することは不可能だ。固く城門を閉じ、守りに徹するより他にない。


「来たな」

 背後から声を掛けられたリストフェインは、振り向くことなくうなずいた。

 地平線の彼方に、人馬が生み出す土埃のかすかな影を、リストフェインの目も捉える。

「準備は整っております。アデルベルド卿」

 自分と肩を並べて立った人物に、リストフェインは報告した。

 自身でも確認を済ませていたアデルベルドは、うなずいて答える。


 両者共に均整の取れた長身で、一目で戦うことを生業としていることが見て取れる。

 完璧と言っていいほど整った体格をしているアデルベルドに対し、若干細身に見えるリストフェインであるが、その肉体が無駄なく研ぎ澄まされていることは、小さな所作を見るだけでわかる。

 厳しく引き締まった厳しい武人の顔をしているアデルベルドに対し、リストフェインは顎が細く、スッと通った鼻筋と、大きくて切れ長の目をした美丈夫だった。

 共通点など一つもなさそうな二人であったが、年少であるリストフェインがアデルベルドの実力と人柄に深い感銘を受け、師事していることから、二人は同格の将軍ではあるが、師弟に近い関係にあった。

 あまりへりくだり過ぎると、アデルベルド配下の兵と、リストフェイン配下の兵との間に見えない格差が出来てしまうため、互いに対する接し方は、同格の将軍同士のものになっている。


「今回のイェ・ソンの動き、お主はどう見る?」

 アデルベルドが土煙を睨みながら尋ねる。

「食糧事情が逼迫していることは間違いないと思われますが、行動が極端過ぎるように思えます。エストバも同時に動いたこと考えると、この両者を繋げている者が存在していると見るべきでしょう」

 問われたリストフェインの答えに淀みはない。

 それもそのはずで、リストフェインはかつて、ヴォオス軍の軍師第十席だったのだ。

 その知恵もさることながら、卓越した剣の腕と、実戦指揮能力の高さから、十席の座を返上し、現在将軍職にある。

 まだ二十一歳と若く、家柄もヴォオスの上級貴族であるディーフェンダー家の出であることから、将来はレオフリードと共にヴォオス軍を担う人材と期待されている。


「お主はどう動くつもりだ?」

 アデルベルドが再び短く尋ねる。

「動きません」

 対するリストフェインも、たった一言で答える。

 その答えに満足したアデルベルドが、わずかだが唇の端を釣り上げたのを、リストフェインの猫を思わせる大きな切れ長の目は捉えていた。


「連中の目的は、いつもの略奪ではないだろう。終わらない冬によって向かえた食糧危機が、今さらながらにヴォオスの肥沃な大地の魅力を連中に思い知らせたはずだ。最低でもここハウデンベルクを手中に納めるつもりだろう」

 アデルベルドの深い読みに、リストフェインは思わずまじまじとその厳しい横顔を見つめた。

 武人としての印象が強いアデルベルドであるが、その戦略眼の鋭さは、並の武人の域をはるかに超えている。


「牧畜と鉄鋼業で栄えている国だ。食糧の国内消費のほとんどを輸入に頼っていたつけが一気に来たはずだ。そこから先の連中が考えそうなことくらい、俺でもわかる」

 リストフェインが向ける尊敬のまなざしが照れ臭かったのだろう。アデルベルドが謙遜を口にする。

 いささかぶしつけなくらい真っ直ぐに見つめてしまったリストフェインは、視線を戻すと一つ咳払いし、自身の考えを言葉にする。


「イェ・ソンは当面の食料の奪取だけではなく、今後を踏まえた食料の安定供給を図るために、死に物狂いでこの地を奪いに来ます。これまでのようにハウデンベルク城塞を包囲し、無力化を図ってから周辺地域の略奪などを行うのではなく、まずこのハウデンベルク城塞の攻略に全力を注ぐはずです。進軍を急いだのも、ヴォオス軍の援軍到着前に、この城塞を陥落させるためでしょう。騎兵戦が主軸のイェ・ソンが始めから攻城戦に絞って仕掛けてくる以上、それなりの算段はあるはず。まず我らがすべきことは、イェ・ソンの最初の一撃に耐えきってみせることです」

 アデルベルドが、リストフェインの見立てにわずかだが目を見開く。


「そこまで強烈な一撃が来るのか?」

「来るでしょう。短期決戦がイェ・ソンの生命線です。もし私がイェ・ソン軍の軍師であったならば、そもそもこのような強硬手段を許しはしません。ここまで無謀とも言える手段に打って出るには、逼迫した食糧事情もあるでしょうが、何らかの勝算があってのことでしょう。であれば出し惜しむ意味も、またそんな余裕もないイェ・ソン軍は開戦直後に投入するはずです。この一撃をしのげるかどうかが、ヴォオスの生命線になるでしょう」

 厳しい見通しを口にするリストフェインの顔には、緊張はあっても不安の影は見当たらなかった。


「あちらの生命線が断たれるのが先か、こちらの生命線が断たれるのが先か……」

 リストフェインに告げるためというより、この危機的状況をどこか楽しんでいるかのように、アデルベルドは呟いた。 

「三日。これより三日間の攻防が、今後のヴォオスの行方を決めます」

 こちらもアデルベルドにというより、自分自身に言い聞かせるために、思いを言葉にして放った。


 ハウデンベルク城塞をあずかる二人の見つめる視線の先で、人馬が巻き上げる土煙が、その濃度をさらに増していった――。

  

 

 

 


 


 


 


  

 

 

 

 

 

 

 

 よっしゃあっ! 更新忘れなかった!

 などとほざきましたが、忘れないためにアラームをセットし、そのアラーム音にビクッとするほどモンハンワールドにハマっておりました(笑)


 次回は2月3日投稿予定となります。

 ここに来て一気に登場人物が増えました。

 今後もさらに増えていきます。というか、ヴォオスの主要人物すらまだ出揃っていません!

 いったいいつになればカーシュナーの活躍に辿り着けるか、正直皆目見当もつきません。

 やっぱりこの辺の話は年表みたいな扱いにして、すっ飛ばせばよかったかなと、ひそかに後悔しております。

 でも、書いてて楽しい! そういう意味では書くことにして大正解でした(笑)

 物語は遅々として進みませんが、キャラ一人一人を丁寧に描いていこうと思いますので、どうか気長にお付き合いいただけますようお願いいたします。

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