ヴォオス包囲網
「……最後に、赤玲騎士団の新人実地訓練で、偶然遭遇した野盗の一団を壊滅させたことをご報告いたします。新人に死傷者はなく、捕らえた野盗の一味から根拠地を聞き出し、根絶やしにすることに成功、その際に得た情報により、同盟を組んでいた他の野盗団の居所も判明したため、現在討伐のための部隊を編成中で、一両日中には出撃、これを殲滅する予定です」
国王の執務室でリードリットを前に、赤玲騎士団団長であるアナベルが報告を終える。
団長としての顔よりも、リードリットの補佐としての顔が優先されるため、騎士団の運営は四人の幹部が中心となって行っている。だが、こういった報告などは今でも律儀にアナベルが団長として報告を行っていた。
「新人の実地訓練は、大陸隊商路と、それに連なる国内主要路の巡回だったはずだが?」
思いがけない報告に、リードリットは頬をゆるめたが、気になった点をそのまま流しはしなかった。
赤玲騎士団の新人たちは、あくまで見習いの身分であり、まだ正式なヴォオス軍人ではない。戦闘そのものが禁止されているわけではないが、通常であれば大陸隊商路の守備のために配置されている正規部隊へ報告し、指示を受けたうえで必要と認められた場合のみ戦闘に参加する。
新人に死傷者が出なかったからいいようなものの、立派な軍紀違反である。万が一新人たちの受けた被害が大きければ、訓練の責任者は厳罰に処されていたはずだ。
そして、結果が出たからといって軍紀違反を見逃すわけにはいかない。赤玲騎士団はリードリットが創設した騎士団だ。今や解体されたかつての王宮騎士団に代わって王宮に入り、国王であるリードリットの近衛部隊も務めている。
ただでさえ女ばかりの赤玲騎士団は色眼鏡で見られがちだ。ここに国王の権威を盾に軍規も守らないなどという噂が広まったりすれば、立場を危うくしかねない。ヴォオス軍全体の軍紀の引き締めのためにもリードリットは赤玲騎士団に甘い態度はとれないのだ。
「その点はご心配にはおよびません。新人といっても将来の幹部候補たちを選抜した新人の精鋭部隊でしたので、コンラット将軍には事前に正規部隊と同等の権限を頂いておりました。万が一のつもりだったのですが、まさか本当に遭遇するとは思っていなかったもので、報告を受けた時は私も慌てましたが、何の問題もありません」
「そうか。ならばよいが、それにしても根拠地まで割り出して根絶やしにするとは、たいしたものだな」
「はい。実はそれには事情がありまして、新人の中にテレシアという者がいるのですが、この者は終わらない冬の末ごろに、夫とともに商隊を率いていたところ、野盗の襲撃を受け、夫と商品を失い、そのために発生した損害賠償で何もかも失っておりました。本人は復讐のための強さを手に入れるために赤玲騎士団への入団を希望したそうなのですが、驚くべきことに、新人たちが実地訓練で遭遇した野盗こそ、テレシアからすべてを奪った野盗団だったのです」
「なんとっ!!」
リードリットもテレシアのことはなかなか見どころのある者だと気に留めていたので顔と名前は見知っていたが、そこまでの事情があるとは知らなかった。まして偶然遭遇した相手が夫の仇であったとは、作り話のように出来過ぎている。
「出会ってしまった以上テレシアは退くことは出来なかったそうです。一人飛び出したテレシアを何とかスザンナが止めたのですが、その時テレシアの口から事の次第を聞いたそうで、他の新人たちもテレシア以上に闘志をむき出しにし、突っ込んでいったそうなのです。止められないと判断したスザンナは、自身が先陣を切ることで新人たちを制御し、隊が無秩序化するのを防ぎ、見事討伐したそうです」
「で、討伐だけでは治まらなかった連中は、捕らえた野盗どもの口を割り、拠点をも壊滅させたというわけか。私もその場にいたかったな」
「陛下がいらしては訓練になりません。いざ戦いとなれば、御一人でかたずけてしまわれるでしょうから」
「昔ほど無茶はしない。ちゃんと二、三人は残す」
「ですから、それでは訓練にならないと申し上げているのです」
「違いない」
そう言うとリードリットは笑った。アナベルもその笑いに続く。
リードリットが軽口を叩き、それに対してアナベルがツッコみを入れる。カーシュナーと出会う前には考えられなかったことだ。
それ以前であれば、常に張りつめていたリードリットが冗談を口にすることなどなく、アナベルが笑うこともなかった。
「しかし、そのテレシアだが、復讐を果たした今、もはや強さを求める理由もなくなった。団を去るのではないか?」
「私もそう思い、本人と今後のことも含めて話をしたのですが、自分のために我がことのように怒り、戦ってくれた仲間たちのために強くなりたいと新たに目標を定め、憑き物が落ちたようなさっぱりとした顔で申しておりました」
「仲間に恵まれたということか。ときに、あの娘はどうしている?」
「ファティマなら、次の出撃に備えておりますが、なにか?」
「いや、その、他の団員たちと上手くやっていけているのかと思ってな」
カーシュナーから託された少女に対し、リードリットは少々強く責任を感じ過ぎている。
そのことをアナベルから指摘されて以降出過ぎた口を挟まないように気をつけていたが、まったく気にしないというのは不可能だった。
カーシュナーからリードリットに当てて託された伝言はただ一言、
「この子を強くしてやってください」
のみだった。何やらカーシュナーが独自に編み出した女性の身体能力を生かした剣術の手ほどきを受けてきたようで、新人の中では群を抜く強さを示したが、カーシュナーがリードリットに求めているのは、もっと別の種類の強さであるとリードリットは受け取っていた。
シヴァも同様なようで、戦闘訓練でもファティマが身に着けている剣技を習熟させることに終始し、必要以上に構い立てたりはせず、ファティマの動きから酌み取ったカーシュナーの剣術の要点を、新人だけでなく、正規の赤玲騎士団員に普及させることに終始している。
カーシュナーが本当に伝えたいのは、男の自分では伝えられない類の強さだと理解しているからだ。
それだけにリードリットは責任重大と考えてしまったのだ。
「懸念されておりました言葉の問題も、本人の努力と、指導を求めてくる新人たちに、自分の訓練を脇に置いてまで熱心に、何より丁寧に指導していく過程で克服いたしました。そのたゆまぬ努力と他者への献身的な接し方で、今ではすっかり新人たちの中心的な存在となっております」
「そうか。ならいい」
リードリットはわざとそっけなく答えた。他の者たちがファティマとの距離を上手くとれているのに対し、リードリットは未だにどう接するべきか決めあぐねている。不器用な性格もあり、素直に心配することも出来ないのだ。
「教え導く必要などないのではないでしょうか?」
不意にアナベルが踏み込んだ言葉を口にする。
アナベルは元々は教育者である。リードリットと出会い、リードリットに臣従を誓ったことで、騎士の道へと進んだが、その根底にあるものが変わったわけではない。
王者の道を知らないアナベルは、これまでリードリットの判断に口を挟むことをしなかった。
真紅の髪と黄金の瞳という異相を持って生まれて来たばかりに、差別と偏見に苦しめられてきた。味方をする者は少なく、リードリットを真に理解出来るものなど皆無と言ってもいい状況の中、強くあろうと抗い続けて来た。
そんなリードリットに対し、何が正しいかなどと語ることは出来なかった。
リードリットを囲む状況の全てが、間違い歪みきっていたのだから――。
その過ちに呑み込まれまいと考えたら、けして流されない強固な意志が必要だった。
それが頑なで他者の意見を受け入れないリードリットを作り上げることになったのだが、そんな表面だけの強さを壊したのがカーシュナーだった。
「カーシュナー卿は陛下に何かをなさるように諭したり、指導したことはなかったはずです」
「言ったら殴っていただろうしな」
「確かに」
リードリットのボケに、アナベルは真顔でうなずいた。
さすがのリードリットも顔をしかめる。自分はそんなに危ない人間だっただろうかと、当時の自分を振り返る。出てきた答えは、
「うなずかざるを得ない」だった。
アナベルの真面目な話を天然ボケで邪魔しつつ、それでも耳だけはしっかりとアナベルの言葉に傾けられていた。
「カーシュナー卿はその行いの正しさで、我々に正しさとは何か、正しさを成すためにはどれほどの積み重ねが必要かを示してくださいました。私はあの方の無言の背中から多くのことを学びました。カーシュナー卿が陛下に御望みなのは、そういうことなのではないでしょうか」
「そうだな。私も言葉ではなく、現実に見せつけられたから受け入れざるを得なかったのだ。そうでなければ変わることは出来なかったかもしれない。だが、それならなおさら自分の手元に置き、私にしたように、行動で教え導けばいいのではないか?」
「当時の陛下はすでに確固たる強さをお持ちでした。男に負けない強さをです。ですが、ファティマの強さはまだまだその域には達しておりません。その精神の強さに至ってはなおのことです。カーシュナー卿の強さは、弱い者にとっては心を折る強さです。手の届かない高みに存在する別次元の強さなのです」
「それはいくらなんでも褒め過ぎだろう?」
リードリットがいいところで天然ボケを発揮し、間の悪い言葉を挟んでくる。
「褒めているわけではありません。カーシュナー卿でなければ諦めているだろうと思えるようなことを、あのお方は明確な先が見えていない状況で準備し続けて来られました。終わらない冬の被害から、ヴォオスがこうも早く立ち直れたのは、カーシュナー卿が復興のための下準備を整えていてくださったからです。たった一人で一国を救う。それは心の弱い者にはその背を追う気力すら持たせないほどの強さなのです」
「つまり、カーシュと一緒にいても、ファティマは精神的に強くはなれないということか?」
「強くはなれるでしょう。ですが、ファティマが大練兵場で口にした言葉を思い出してください。祖国から奴隷制度を撤廃するために来たと言いました。それは、カーシュナー卿がヴォオスで成し遂げた偉業をはるかに上回る難事でございます。まともな人間であれば、実現不可能なことと嗤い、始めから考えようともしないでしょう。その困難に本気で取り組もうと思ったら、多少の強さでは途中で心が折れてしまいます」
アナベルの言葉に、リードリットは唸った。あの時のファティマの本気を疑っていないからだ。
「カーシュナー卿のそばにいては、ファティマの中に甘えが生まれたでしょう。その大望も、カーシュナー卿のように強くなければ実現出来ない夢物語と納得し、カーシュナー卿に託してしまったかもしれません。何と言っても、あのお方は超一流のたらしでございますから」
話が硬くなり過ぎたと感じたアナベルが、最後に軽口を混ぜる。
「まったくだ! あんな奴のそばに置いておいたら、ファティマが奴の毒牙の犠牲になるところだった! 被害に遭う前にヴォオスに避難して来てくれて本当によかった!」
アナベルの言葉にリードリットが過剰に反応する。
リードリットの中では、いったいカーシュナーはどんな人物像で描かれているかと思ってしまう。
もっとも、その人物像はリードリットの悪友的存在である盗賊ギルドの現ギルドマスター、リタによって大きく歪められている可能性もある。
頭の痛い話ではあるが、カーシュナーが去り、シヴァも将軍という立場に就いたことから、以前のように頻繁に、身分の垣根を越えて本音で言葉をやり取り出来る機会が減ってしまった。この王宮でリードリットに対し、国王という身分を無視し、ただのリードリットとして言葉を交わしてくれる相手はリタしかいない。
これまでずっと、王女、国王という立場と、その異相ゆえの偏見が、リードリットに孤独を強いて来た。アナベルも十五年間リードリットのそばにいるが、その立場はあくまで臣下であり、カーシュナーやシヴァが示したような、人として対等に向き合う姿勢を示すことは出来なかった。アナベルにリードリットの孤独を癒すことは出来ない。どれほど頭が痛かろうと、リードリットには日常の政務から頭を切り離し、国王からただのリードリットになるために、リタの存在が必要なのだ。
「話が逸れてしまいましたが、カーシュナー卿はご自身の思惑とは別に、ファティマがその想いを遂げることが出来るだけの強さを身に着けられるようにと、陛下に託されたのだと思います。陛下はただ、これまで通り、強く真っ直ぐに進み続けられればよろしいのではないでしょうか。ファティマと同じ女性の身で、ファティマのはるか先を歩まれれば、ファティマの歩みが止まらない限り、あの子はきっとどこまでも強くなれるはずです」
アナベルは、女にはここまでが限界という常識を、リードリットに破壊してほしいのだ。
それはかつてアナベルが、幼いリードリットの中に見た可能性そのものであり、アナベルはその可能性に魅せられて、ここまでリードリットに従って来たようなものなのだ。
その可能性をファティマにも見せてやることが出来れば、ファティマの中にある、これまでの人生経験が勝手に線を引いた女の限界を、越えさせてやることが出来るのではないかと思っている。
「それが一番難しい注文なのではないか?」
天然なようでこういう時に限って鋭いリードリットが問い返す。
「カーシュナー卿はいつでも陛下には妥協なさいませんでした。ということは今回も……」
「まったくあの男は無茶な注文ばかりしてくる。頼れと言ったのは私の方だが、少しは加減をしろというのだ!」
アナベルの言葉を遮り憤慨してみせたリードリットであったが、口元が笑うのを隠しきることは出来なかった。
カーシュナーからの信頼が隠し切れないほど嬉しいのだ。
その時リードリットの執務室の扉が叩かれた。
「入れ」
反射的に返したリードリットの言葉に、衛兵として立っていた赤玲騎士団員が扉を開ける。
「失礼します」
一礼とともに入室して来たのは、ヴォオス軍軍師第三席、エルフェニウスであった。
「よろしいでしょうか?」
何やら話し込んでいた様子のリードリットとアナベルに交互に視線を向け、エルフェニウスが尋ねる。
「かまわん。世間話などをするために来たわけではあるまい? 話も丁度終わったところだ。申せ」
リードリットがニヤリと笑って促す。
これまでリードリットとヴォオス軍の間に接点はまったくなかった。
それは、かつてヴォオス軍が実力主義で構成されていたものが、クロクスの介入により貴族主義に回帰してしまったため、その異相が原因で貴族たちから偏見と差別を受けていたリードリットが、ロンドウェイクを始めとするヴォオス軍幹部から、存在そのものを忌避されていたからだ。
当然その配下である赤玲騎士団に対する態度も同様で、ヴォオス軍は赤玲騎士団をヴォオス軍の正規の騎士団とは認めず、赤玲騎士団は完全に組織の枠組みを異にする組織としてこれまで存在し続けてきた。
そもそもそんな組織が成立した背景には、当時の権力者クロクスが、先代国王であるバールリウスに配慮し、ごっこ遊びのための人形を与える感覚でリードリットの赤玲騎士団設立を支援したからである。
いくらリードリットが王女であっても、クロクスの後ろ盾がなければ赤玲騎士団の設立は不可能であっただろう。
騎士という存在に、生産性はない。そんな何も生み出すことのない騎士が寄り集まって形成されるのが騎士団である。平時において騎士団とは、存在するだけで物資を大量に消費し続けていくだけの金食い虫でしかない。ヴォオス軍は当然税金により賄われ、各貴族が抱える私兵は、貴族個人の財力によって賄われる。
大国ヴォオスの王女であっても、リードリットに国家予算の配分を左右する力はない。
クロクスの財力があって始めて赤玲騎士団は存続することが出来ていたのだ。
そういった経緯もあり、ヴォオス軍はリードリットを含めた赤玲騎士団を、クロクスの酔狂と侮り、関わりを持とうとしてこなかったのだ。
終わらない冬の終わりに、それまでクロクスの巨万の富という袖口に隠されてきた悪意が白日の下にさらされた。
その結果、奴隷売買を行っていた地下競売場に関わった者たちは、王弟にして大将軍であったロンドウェイクを筆頭に、血の粛清に呑み込まれ、地上から姿を消した。
その中には多くのヴォオス軍関係者も含まれており、旧体制が一新された今でも、かつてのヴォオス軍上層部の失態に対する羞恥と、リードリット及び赤玲騎士団に対するこれまでの態度から、ヴォオス軍の主だった者たちは、リードリットを極力避けるようにしていた。
合わせる顔がないのだ。
大将軍であるレオフリードと、二代前の大将軍であり、現宰相であるゴドフリート、ヴォオス軍特別顧問を務めるアペンドール伯爵の働きかけのおかげで表面化することは避けられているが、リードリットとヴォオス軍との間には、主にヴォオス軍関係者側に偏るのだが、非常に大きなしこりが存在していた。
執務室に現れたエルフェニウスは、そんなヴォオス軍にあって、数少ないリードリットに対して精神的な壁を持たない人間の一人であった。
「一度は鎮めた国内の反抗勢力ですが、ここに来て活発な動きを見せ始めました。どうやらバラバラだった反抗勢力をまとめようと画策している者がいるようです」
「お主の読み通りだな」
エルフェニウスの報告に、リードリットは再びニヤリと笑った。
「あまりに読み通り過ぎて、むしろ拍子抜けもいいところです」
それ対するエルフェニウスの答えには、かなりの量の毒が含まれている。
ルオ・リシタ軍の大侵攻は、その動きか確定する前から既成事実として処理されてきた。頭の血の巡りの悪い者たちは、ルオ・リシタ軍侵攻の報に慌てふためいていたが、ヴォオスの主だった者たちは、ルオ・リシタの大侵攻を踏まえた一歩も二歩も先の準備を行っている。
その中には、ヴォオス軍が中央からルオ・リシタ軍迎撃のためにヴォオス北部へと出兵したことを好機と捉え、蠢動し出す輩が出ることも予測されていた。
空き巣泥棒の心理である。
「しかし、よく人や物資の流れを隠せたな。今や連中に対する領民の目は、下手な密偵よりも厳しいだろう?」
「裏にいる人物はかなりの資金力を持っているようで、必要物資はすべてこの人物から提供されました。我々は貴族どもの資金の流れからその動きを把握しようと努めていたため、裏をかかれる結果となってしまい、事態の発覚が遅れてしまったのです」
「クロクスか?」
資金力と聞き、リードリットが視線を尖らせ尋ねる。
ケルクラーデンの野から逃げおおせたクロクスのその後の足取りは、ようとして知れず、おそらく国外へ逃亡したものと考えられている。
ヴォオス国内のクロクスの拠点はことごとく潰したが、クロクスが築き上げた巨大な経済圏はヴォオス一国に収まるようなものではなく、近隣四国のどこに潜伏していても何の不思議もない。
その腕は、クロクス本人の腕の短さとは裏腹に、大陸の端から端まで伸びているのだ。
「現時点では判明しておりません。ですが、仮に資金の流れの源泉がクロクスであったとしても、現在ヴォオス国内をうろついている輩は、クロクス本人ではありません」
エルフェニウスは言い切った。
「何故そう思う?」
リードリットが尖っていた視線を和らげて尋ねる。
「この、裏で貴族どもを操ろうと画策している者の行動が、軍人の思考から出たものだからです」
「他国の者か?」
「いえ、いくら貴族どもが吠えることしか出来ないような駄犬でも、自分の首にかかった首輪の存在まで忘れるほど愚かではありません。この時期に他国の者と頻繁に接触など取っていたら、嫌でも目立ちます。実行者はヴォオス人で間違いないでしょう。ただ、資金力という意味では、終わらない冬の影響で唯一国力を伸ばしたゾンが、ヴォオスの国力を削ぐ目的でヴォオス貴族に出資している可能性も否定出来ません」
「ゾンか。だが、向うも国内情勢が不安定なはずだ。そんな余裕があるとは思えんが?」
リードリットが正論を口にする。
「ゾンは終わらない冬の最中、ヴォオス南部貴族に対し、反乱を持ちかけた経緯があります。陛下のトカッド城塞攻略と、その後のザバッシュ将軍の反乱により、その動きも途絶えましたが、ゾンは常にヴォオスの国力を削ぐことに腐心してきました。自国の情勢が安定していないからこそ、ヴォオスの国力回復をゾンは脅威に感じるでしょう。溺れる者は藁をも掴むと言いますが、ゾンの場合、周囲の者にしがみつき、助かるはずの者まで引きずり込んで溺れるような質の悪さがあります。ゾンの国内情勢が安定しないのであれば、ヴォオスの国内情勢も乱してやろうと画策しても何の不思議もありません」
「自分が儲からないのは仕方がないが、他人が儲けるのは気にくわないというゾン人らしい考え方がそのまま反映されているわけか」
「その通りでございます」
ゾンには五年前に侵攻を受け、多くのヴォオスの民を連れ去られたばかりである。今はカーシュナーの弟子の一人であるミランも犠牲者の一人だ。反乱を企てる国内貴族やゾンを語る二人の言葉に、致死量以上の毒が含まれるのも致し方のないことであった。
「現時点で背後関係を決めつけてかかると、思わぬところで足元をすくわれかねません。それに、資金源となっている者がどのような腹積もりであるかなど、この際問題ではありません。敵が奏でる笛の音で、滑稽な踊りを踊らされているのは、ヴォオスの馬鹿貴族どもです。連中がどう動くかを見極めることこそが肝要なのです」
「そうだな。背後関係は捕らえた後に、その身体にじっくりと聞いてやればいいだけのことだ」
悪い顔をして笑うリードリットに、エルフェニウスも黒い笑みを浮かべて応えた。
こんな人ではなかったはずなのだが……。
リードリット同様カーシュナーが持ち込んだ悪癖に染まってしまったエルフェニウスを見て、アナベルは必死に苦笑を堪えた。カーシュナーの従者であるダーンが気をつけるようにとよく口にしていたが、カーシュナーという男の悪影響は恐ろしい威力だった。
「兵の準備は?」
リードリットが短く尋ねる。
「いつでも出立出来ます」
返したエルフェニウスの答えは、リードリットを満足させた。
「吠え癖までは我慢してやったが、飼い主に噛みつくような駄犬には、しっかりとした躾けがひつようであろう。エルフェニウス、お主に任せる。オリオンと共に叩き潰してこい!」
「かしこまりました。馬鹿過ぎるので『お手』は無理でしょうが、せめて『待て』くらいは覚えさせてまいります」
エルフェニウスの答えに、リードリットは豪快に笑った――。
◆
ヴォオス軍による国内の諜報活動は、リードリット即位以前と比較し、その能力を大幅に伸ばしていた。元々優秀だったヴォオス軍の密偵たちは、これまでライドバッハによって巧みに操作され、その力を十全に発揮出来ない状態にあった。
それは、情報管理の天才であるクロクスがより多くの情報を得て、さらに勢力を拡大することを阻止するための妨害工作であった。
だが、クロクスが失脚してヴォオスから逃亡し、国内での影響力を失くして以降ヴォオス軍諜報部隊はその真価を発揮していた。
加えて、これまで王家に対して適度な距離を取って来た<五大家>が諜報活動に協力的になったことで、リードリットは王都にいながらにして、ヴォオスの辺境の小さな村の情報さえも容易に入手すること出来るほどの巨大な情報網を持つことになった。
その情報網を潜り抜け、リードリットに対する不満を抱え込んでいた貴族たちをまとめ上げた男は、最後の仕上げを待っていた。
エルフェニウスの読み通り、男はかつてヴォオス軍に籍を置いていた。
本人は不満であったが、周りから見れば十分な栄達を果たしていた男は、リードリットがこれまでのヴォオスの基盤を根底から覆したことにより、すべてを失っていた。
今いる場所も、男のかつての身分を考えれば想像も出来ないような安宿である。
もっとも、それはヴォオス軍の目をすり抜けるためであり、経済的な理由からではなかったが、かつての男であれば任務とわかっていても拒否していただろう。
だが、男は今こうして安宿の、板の上に布を敷いただけとしか思えないような硬いベッドに横たわっていた。
男を変えたのは身分を失ったことでなめさせられた辛酸の味であり、失ったものを取り戻したいという渇望だった。
雨漏りの跡に出来た不可思議な模様のシミを見上げながら、男は自分がヴォオスに対して張り巡らした包囲網を再検討していた。
網に破れ目は見つからない。
いかにレオフリードが優れていようが、ゴドフリートやアペンドールのようなかつての英雄が手を貸そうが、圧倒的に物量には対抗出来ない。
平民上がりの騎士共を軍内の要職に多く登用したようだが、人間には生まれ持った格というものがあるのだ。
自分のような者を排除して出来上がったこじんまりとしたヴォオス軍など敵ではなかった。
「貴族共をまとめ上げたことがすべてと思っているようだが、そんな小さな網を私が用意したなどと思わんことだ」
男は呟くと声を出さずに笑った。
「事の全貌を知ったときに奴らが見せるであろう間抜け面を拝めんのは残念だが、敗れた後で見せる命乞いを楽しみにするさ」
誰に語るでもなく、男は一人呟く。その言葉は、自分自身にすら向けられてはいない。男の優れた頭脳から剥離した本能が呟いているのだ。
まだすべてが準備段階に過ぎない。すべては条件が整った時に成し遂げられる。
だが、大きな戦とは、往々にして始まる前に勝敗が決していることがある。
大き過ぎる戦の戦局は、個人の武勇では覆らないからだ。
そういう意味で言えば、男の勝利は目前であった。
男はこれからの激務に備え眠った。
だが、男の意識が眠りに落ちた後も、男の口は繰り言を呟き続けたのであった――。
◆
ルオ・リシタ軍の侵攻に合わせて反乱を企てていた国内貴族の尻尾を捕まえたヴォオス軍は、予備兵力を編成し、反乱を蜂起前に潰すべく出立の準備を整え終えたところだった。
エルフェニウスはルオ・リシタ軍の攻勢次第では返す刀で増援に駆けつける腹積もりでいたので、兵力の分散を避け、予備兵力の全てを投入し、一戦でもって反乱軍を討つべく軍備を整えていた。
全体の指揮はオリオンが執り、遊撃兵力をジィズベルトが指揮することになっている。
短期決戦の予定ではあるが、その後ヴォオス北部への増援も視野に入れたエルフェニウスの下準備に手抜かりはなく、ヴォオス軍は出発を待つばかりとなっていた。
「陛下はお越しにならないのですか?」
近衛兵である赤玲騎士団と、戦準備などの基礎を学ぶために同行していた新人を引きつれ、出立の見送りに出て来ていたリードリットに、ジィズベルトが尋ねる。その気性からてっきりリードリットも出陣するものと思っていたからだ。
「それほどの相手ではないからな。どうせ出るのであれば、赤玲騎士団全員を引き連れて、レオフリードと共にとっくに出陣していた」
「確かに」
リードリットの答えに、ジィズベルトはニヤリと笑った。
ジィズベルトはレオフリードとは違った意味で生真面目過ぎる性格であったが、先の内乱を経験し、ずいぶんとその人柄にも変化が現れている。
「正直お主らほどの武勇の持ち主を当てるのは気が引けるような相手ではあるが、背後から斬りつけられるとイライラする。二度と逆らう気など起きなくなるくらい徹底的にすり潰して来てくれ」
「必ずや陛下のご期待に添うよう努めてまいります」
リードリットの要請は、ジィズベルトとしても望むところであった。
クロクスの造り上げた地下競売場に対して最も激しい嫌悪感を示したのはジィズベルトであった。そして、その嫌悪の矛先は、地下競売場の目的を知ってなお地獄の饗宴に参加した貴族に対しても向けられた。
地下競売場に関わった者すべてを死罪としたリードリットの判断を熱烈に支持したのもジィズベルトであった。
だからこそ、このリードリットの判断に対し、行き過ぎた処分だと異を唱え続ける貴族たちに対するジィズベルトの敵意は、ヴォオス軍でも一番であった。
「陛下、一言お言葉を」
エルフェニウスに促され、リードリットは整列して出立を待つ兵士たちの前へと進み出た。
本当にただ一言、「叩き潰してこい!」と言うために大きく息を吸い込んだリードリットであったが、その息は言葉を形作る前に呑み込まれることになった。
見るからに限界まで酷使された人馬が二騎、ヴォオス軍目掛けて駆け込んで来たからだ。
騒めく兵士たちを、おかしな間で息を呑み込んでしまい、激しく咳き込むリードリットに代わって、オリオンが黙らせる。
実際に怒っているわけではないのだが、その不機嫌な形で固まってしまった顔でひとにらみされると、強兵で知られるヴォオス騎兵でも、思わず一歩引いてしまうのだ。
死に物狂いで馬を走らせているのがヴォオス騎士であることがわかると、リードリット襲撃を目的とした特攻を懸念していた兵士たちの間に安堵が広がる。それと同時に、新たな緊張がヴォオス軍に走る。
その様子が、ただ事ではない事態が生じたことを如実に物語っているからだ。
リードリットの前までたどり着いた二騎であったが、自力では馬を降りられない程疲弊しきっていたため、兵士たちが慌てて駆けより、降ろしてやる。
主たちを送り届けた馬たちも、倒れる前に大人数で支えてやりながら、ゆっくりと横倒しにしてやる。
馬に強い愛情を持つヴォオス兵たちは、命じられなくともやるべきことを心得ているのだ。
「必要なことだけ申せ」
リードリットは国王だ。状況がどうであろうと、守られねばならない礼節というものがある。だが、ここまで乗馬はもとより自分自身まで酷使して注進に来たのだ。ただ事ではない。礼儀にこだわわりこれ以上二人の騎士を酷使することをリードリットは嫌ったのだ。
大きな声など出せないとわかっているので、リードリットだけでなく、オリオン、エルフェニウス、ジィズベルトも二人のすぐそばに膝をつき、耳を寄せる。
もはや目も霞み、意識も混濁しかかっているが、それでも務めを果たすべく、騎士は必死で声を絞り出す。
「……フローリンゲン城塞より報告。エストバ軍の侵攻を確認。その数およそ三万。至急増援を願います」
それだけ言いきると、騎士は意識を失った。
「そんな……」
すぐ隣でその報告を耳にしたもう一人の騎士が、絶望を吐き出すように呟く。
これからさらなる凶報をもたらさなければならないと知り、心に重圧がかかったのだ。
そんな騎士の肩に、リードリットがそっと手を置く。
騎士は何とか視線を上げ、そこでリードリットの金色の瞳に出会い、釘づけになる。
「お主の報告がどれ程重かろうと、私が受け止めてやる。その重さはお主が気に病むことではない。申してみよ」
力強く、それでいて思いやりの感じられる言葉に、騎士はまるで太陽を思わせるその瞳を見つめながら、思わず涙をこぼした。
そんなやり取りを、新人の一人として同行していたファティマは瞬きもせずに見つめていた。
女の言葉が男の騎士に安堵を与える。
それはファティマが今まで見たことも、想像したこともない光景だった。
国王と言う立場が、リードリットの言葉に力を与えているのは事実だ。だが、男と言う生き物は、上っ面の立場には強い反発を抱く生き物だ。ましてその立場にあるのが女であればなおさらだ。
表面上その言葉を受け入れはしても、その言葉が心に届くことなどない。
だが、あの騎士はリードリットの言葉に救われた。心がリードリットの言葉を受け入れたのだ。その証拠に先程までの張りつめた表情から角が取れ、穏やかな表情になっている。演技でないことは、張りつめていた緊張の糸がゆるんだことで現れた、濃い疲労の色でわかる。酷使され過ぎた奴隷が死の間際に見せる顔によく似ているからだ。
「……ハウデンベルク城塞より報告。現在イェ・ソン軍からの侵攻を受け抗戦中。敵その数およそ五万。援軍を願います」
申し訳なさそうに報告を終えると、こちらも意識を失った。
その報告に、ヴォオス軍は声もなく凍りつく。
「……これは敵の実力を見誤った私の責任です。申し訳ありません」
このイェ・ソン、エストバの同時侵攻が、決して偶然などではないと見抜いたエルフェニウスが、感情が抜け落ちたかのような声で謝罪する。仮にイェ・ソンとエストバの侵攻が偶然であったとしても、それに合わせた貴族の一斉蜂起は偶然ではない。イェ・ソン、エストバ、そしてヴォオス貴族。この三勢力を操った者がいるのだ。
エルフェニウスの頭脳は、三勢力の背景を見抜いた直後から、計画全体の見直しと、対応策の検討に傾けられていた。謝罪の言葉がどこか上の空だったのも、反省していないからではなく、一瞬で反省点の検討が終わり、思考が次の段階へと移行していたからだ。
いい傾向だとリードリットは思う。
後悔を無駄とは思はないが、そこに囚われてしまったら、前へは進めない。事態は一時も立ち止まることを許してはくれないほど逼迫している。
エルフェニウスにはその頭脳を最大限に生かしてもらうべく、その肩に手を置くと、無言で謝罪を受け入れ、自分は自分にしか出来ない事をしようと決意する。
「最悪の事態だっ!」
リードリットが全員の心の声を代弁する。
全員の視線がリードリットに集まる。
「とでも思ったか?」
自分に集まった視線に対し、リードリットは不敵な笑みを浮かべ、ぐるりと兵士たちを見回した。それが虚勢を張っているわけではないことは、まるで内側から光を放つかのような、獅子を思わせる黄金の瞳の輝きが、何よりも雄弁に物語っている。
「最悪の事態とは、ここにさらにゾンからの大侵攻が加わった場合だ」
リードリットの言葉から想像を膨らませてしまった兵士たちが青ざめる。
「我らは最悪の事態に供えて準備をしてきた。最悪の一歩手前ごときに臆して何とする。気合を入れ直せっ!」
青ざめうつむいていた兵士たちが、リードリットの言葉で頬を打たれたかのように顔を上げる。
事実ヴォオスの現首脳部は、近隣四国が侵攻をかけて来た場合を想定して対応策を講じていた。ルオ・リシタの侵攻に対し、シュタッツベーレン家が早々に兵を出したのは、もちろんルオ・リシタの大軍勢に対抗するためであるが、そのルオ・リシタを早期に退け、ヴォオスの国力を他国に見せつけるという目的もあった。
それはヴォオスへの侵攻を企てかねないイェ・ソンやエストバへの牽制となる。
ヴォオスの戦力は、五大家の動き次第で大きく変わる。五大家が動くとあれば、イェ・ソンやエストバは、侵攻計画の断念ないし、練り直しを図らなくてはならなくなる。
だがその思惑も、イェ・ソンとエストバがルオ・リシタとほぼ時を同じくして侵攻して来てしまったため無駄に終わってしまった。
ここからは次の手を打つ必要がある。
「五大家に早馬を出せっ! 出番が来たと伝えてやれっ!」
リードリットの命令を、いち早くエルフェニウスが行動に移す。
「オリオン、お主らはこのままハウデンベルク城塞へと向かえっ! イェ・ソンは馬鹿どもとは違い本物の強敵だ。お主らでなければ対抗出来まい。騎兵戦の覇者がヴォオス軍であることを、羊泥棒どもに思い知らせて来いっ!」
「はっ!」
オリオンとジィズベルトは己の胸を叩き、気合のこもった声で答えた。
その時、真紅の頭髪が陽の光を受けて燃え上がるように輝き、リードリットの大きな動きと風とに煽られ、大気を踊るように舞い上がった。微塵の迷いも見せずに指示を下すリードリットの姿は、実際の身長よりもはるかに大きく感じられ、リードリットを見つめる兵士たちの目には、戦女神が本当にこの場に降臨したかのように見えた。
文化の異なるゾンから来たファティマも、危機的状況に際し、揺るがぬ姿勢を見せるリードリットに対し、畏怖の念が湧き上がるのを感じる。
揺るぎない存在として、ファティマはカーシュナーを知っていたが、リードリットがファティマに与えた衝撃は、それ以上だった。
女一人で全軍の士気を鼓舞してみせる。それも、国王の権威や女性としての美貌を使ってではなく、その魂の強さだけでだ。
ファティマはそこに、男女の垣根を超えた真の強さの存在を見たのであった。
「フローリンゲンはドルトスタットとクライツベルヘンに任せる。オリオンたちはボルストヴァルトと合流し、事に当たれっ!」
「貴族どもはいかがいたしますか?」
ジィズベルトが気遣わしげに尋ねる。いくら五大家の加勢が期待出来るとはいえ、三国を同時に敵に回し、それに合わせて反乱を起こされては、兵士も将もとてもではないが足りないからだ。
「赤玲騎士団を率い、私が出るっ!」
「お待ちください。陛下っ!」
リードリット同様オリオンたちの出立を見送りに来ていたディルクメウス侯爵が慌てて諌める。
「ディルクメウス、イェ・ソンとエストバの侵攻は奴らの意思だ。我らにはどうすることも出来ん。だが、国内の馬鹿どもが引き起こす馬鹿騒ぎは、それとはまったく別の話だ。事態がここまで複雑になった責任は、ヴォオスを掌握しきれていない私にある」
「何を仰います! 悪いのはすべて、我欲で動く侵略者と反乱者でございますぞっ!」
ディルクメウス侯爵がむきになって言い返す。
普段はリードリットに対して厳しいディルクメウス侯爵だが、この時ばかりはリードリットを擁護する。
リードリットはディルクメウス侯爵の心遣いに頬をゆるめ掛けたが、内心を表に出すことはしなかった。角突き合わせてこそのリードリットとディルクメウスだからだ。
「良し悪しの問題ではない。この事態そのものに対する責任が、国王である私にはある。投げ出したり押しつけたりするつもりは毛頭ない」
だからといって国王自身がその身を危険にさらしていい理由にはならない。だが、リードリットの根幹は戦いにある。そして、王には戦うべき時というものもある。
ルオ・リシタの大侵攻だけでも十分危機的状況であるにもかかわらず、恐れていたイェ・ソンとエストバが同時に侵攻して来た。ヴォオス三百年の歴史を振り返ってみても、ここまでヴォオスが追いつめられたことはないはずだ。
国王の親征により、ヴォオス全体を鼓舞することは絶対に必要なことでもある。
ならば、強敵であるイェ・ソンやエストバに当たるより、まだ反乱軍の方がましと判断したディルクメウス侯爵は、それ以上の反論をやめ、リードリットの意見にうなずくことにした。
沈黙は一瞬だったが、ディルクメウス侯爵の腹の内を透かし見たリードリットが、意地の悪い笑みを浮かべて侯爵の顔を見つめた。
内心の打算を見透かされたディルクメウス侯爵は一瞬だけたじろいだが、すぐに開き直るとリードリットの金色の瞳を真っ直ぐ見つめ返した。
「全軍の物資の補給を任せる。お主の手腕がヴォオス全軍の生命線だ。頼んだぞ」
不意に真顔に戻ると、リードリットは重要な役目をディルクメウス侯爵に託した。
ディルクメウス侯爵も厳しく表情を引き締め、拝命する。
「赤玲騎士団っ! 戦準備に入れっ! 遅れる者は置いていくっ!!」
言うが早いか、リードリットは自身も準備をするために、さっさと王宮へと引き返していった。
その後をアナベルが追い、団長であるアナベルと一瞬だけ視線を絡めたスザンナを筆頭とする四人の赤玲騎士団幹部たちが即座に団員の中に散って行く。
「出陣!」
ただ一言、オリオンが号令をかけると、それまでの動揺が消し飛び、オリオン率いるヴォオス軍は、当初の予定とは異なる方向へと進軍を開始した。
「おぉおあああああぁぁぁっっ!!」
ジィズベルトが体内であふれ返った闘気を空へと放つかのように雄たけびを上げた。猛獣の咆哮を思わせるジィズベルトの声は長く響き渡り、ヴォオス軍ばかりか、王都にまで響き渡った。
視線を前へと戻した時、ジィズベルトの表情は完全に戦場でのみ見せる猛々しいものへと変貌していた。それを見た騎士たちが心を奮わされ、ジィズベルトに続いて雄たけびを上げる。
その声は次々と連鎖し、ヴォオス軍は一つの巨大な獣と化して王都を後にした。
王都中に響き渡る雄たけびに、興味深げに耳を傾ける者もいれば、不安を表情に表す者もいる。その周りでは、雄たけびを真似て走り回る子供がおり、それを叱りつける親がいる。王都の住民たちがそれぞれの反応を見せるが、逃げ出そうとする者は一人もいなかった。
ファティマは危機的状況下にあっても、心底には怯えを持たない人々の間をすり抜け、戦準備のために宿舎へと走った。
もしゾンが今のヴォオスと同じ状況下に置かれたら、ベルフィストの住民たちのような反応は出来なかっただろう。
男たちは不安からくる苛立ちを、奴隷や女たちに向け、男たちの暴力を恐れる奴隷や女たちは、侵略者の前にまず自国の男たちから身を守らなければならなくなっていたはずだ。
この違いは間違いなく男たちが握る絶対的な権力からくる差別が原因だ。
己の立場を絶対と考える者に、弱者を顧みる心は生まれない。
リードリットはヴォオスにおける絶対者だ。だが、自身を絶対的な人間とは考えていない。
だからこそ、部下に権限を託し、頼り、任せる。
そして自身はその判断に対して責任を負う。
言葉にしてみるとそれは当たり前のことのように思えるが、人は権力に固執し、容易に譲ろうとはしない。それでいて責任を負うことを嫌い、押しつけ合う。
自分が生まれ育ったゾンの僻村ですらそうだったのだ。より大きな権力が動く王族や貴族であればなおさらだ。
改めてファティマはリードリットの器の大きさを知った。
その赤髪と黄金の瞳という異相を目にしたときは驚いた。カーシュナーから話には聞いていたが、あれほど鮮やかな色彩をしているとは思わなかった。
そして、その鮮やかさが、リードリットに差別と偏見をもたらし、長く苦しめてきたという。
そんな過去を持ちながら、リードリットは手にした絶対的権力を、復讐の道具にしようとはしなかった。むしろ、絶対的権力に付随する大きな責任を果たすことに心を砕いている。
それはおそらく、権力などに頼らずとも、己自身の力で降りかかる火の粉を払い、必要とあれば容赦ない報復を与えられるだけの強さを持っているからこそ、権力が持つ魔力に呑み込まれずにいられるのだ。
だが、力に頼り過ぎてもいけない。それではゾンの男たちと同じ傲慢に囚われてしまう。
ファティマは今ようやくカーシュナーの真意を理解した。
力ばかりでは人の心は理解出来ず、心だけでは力による服従に抗うことは出来ない。
ファティマの理想を実現するためには、力と心。二つともに強くなければならないのだ。
そして、その両方を合わせ持ち、大きな責任を背負い戦うリードリットは、ファティマが望む理想の体現者であった。
ファティマは学ぼうと思った。
同じ女性でありながら、はるか先を行く、鋼のごとき強さを持つリードリットを追いかけながら――。
ファティマを通して見るリードリットの背中は、カーシュナーにとって頼むに足るだけの背中になったのであった――。
またまた評価していただき、ありがとうございます。
第一部を執筆していた時は滅多に評価などいただけなかったのでありがたいかぎりです。そもそもぜんぜん読まれなかったですしね(苦笑)
評価することが流行っているのでしょうか? とにかく読まれていることが実感出来て、とても励みになります。
評価していただけた分は、執筆でお返ししていこうと思います。
まったく関係ない話ですが、モンハンワールドのベータテスト版をやったところ、操作がこれまでとかなり変わってしまい、慣れないカメラ操作で画面をグルグル回してしまった結果、画面酔いしました。
……ああ、老化が進行している(苦笑)
次回は1月27日の17時ごろ投稿予定です。
モンハンワールドを遊び倒して投稿し忘れそうなので、最悪18時には予約投稿出来るようにしておきますので、もし18時に投稿されましたら、「南波の野郎、遊んでやがるなっ! さっさと次の話書かんかいっ! 書き溜めやばい状況だろがっ!」と、罵ってやってください。
以上、南波 四十一でした。




