ザシャログラード"口”防戦
「……シヴァ将軍はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」
千騎長の一人が、ため息を吐くようにライドバッハに問いかける。
「あのうつけがおらんと不安か?」
問われた事には直接答えず、質問に対して質問で返す。
相変わらず厳めしい顔の、片方の眉だけきれいに跳ね上げ、口元だけで器用に笑う。
長年仕えてきた千騎長は、ライドバッハの変化に、改めて驚かずにはいられなかった。
無敗を誇る名将は、その名が大陸中に知れ渡るころには表情筋がすべて麻痺してしまったかのように、厳めしい表情を崩すことはなく、失笑すら漏らさない鉄仮面と化していた。
それは、クロクスの支配をこの世の真理であるかのように崇める人々を、嫌悪し、見下し、切り捨てていたからだ。
<三愚王>時代からの権力の腐敗が最終的にクロクスの手にヴォオスの実権を握らせ、結果として当時大将軍であったゴドフリートを筆頭に、多くの有為の人材を王宮から去らせた。
同様にヴォオス軍に見切りをつけるのではないかと考えられていたライドバッハは、去る代わりに言葉と感情を捨て、クロクスの手の中で従順に踊っているように見せかけながら、その実はクロクスの権力拡大を阻み続けていた。
王家の復権を待ち続けていたライドバッハであったが、心根は善良だが国政に無関心なバールリウス。その能力の高さ故に無能な兄を憎み、王族としての道を踏み外したロンドウェイク。その他の傍系の王族は語るに及ばずで、ついにライドバッハの忍耐は尽きた。
そして、終わらない冬により甚大な被害を受けているにもかかわらず、クロクスによって見捨てられようとしている人々を糾合し、真正面からクロクスを批判して反旗をひるがえした。
このヴォオス歴史上最大の反乱が成功していたら、ライドバッハは完全に感情を捨て去ったかもしれない。
ライドバッハの知能は、感情すら制御出来るほど高く、本能を理性が完全に管理していた。
もしライドバッハに、クロクスと同量の権力に対する野心があれば、ヴォオスはとうの昔にウィレアム一世の系譜から、第二王朝となるライドバッハの系譜へと移り変わっていただろう。
だが、支配すること、独占することがもたらす精神的高揚とは、所詮加虐的な喜悦にすぎず、その裏側に積み上げられる民衆の不幸を透かし見ることが出来るライドバッハにとっては、知的水準の低い獣の愉しみと何ら変わりのない代物でしかなかった。
人という種の精神的成長を望むライドバッハにとって権力の頂点とは、人を上からしか観察することが出来ない不便な立場でしかなく、観察者でありたいライドバッハとしては、権力とは一定の距離を置くべきものだった。
しかし、精神水準が坂道を転がり落ちるように急落する様を、黙って観察しているわけにはいかない。ライドバッハは人の世が向上していく様を観察したいのであって、結末に無関心な傍観者ではなかった。これ以上の水準低下は時代の逆行を招く。
本意ではないがライドバッハが最低水準を引き直し、権力を持って引き上げを行うしかなかった。
一人の英雄によって得られたものは、その英雄の死とともに失われる。
ライドバッハは自身の能力頼みで築かれる一時の平安が、その後訪れるより大きな混乱の土台にしかならないとわかっていても、一時の平安を無意味と切り捨てるわけにはいかなかった。
その一時を稼ぎ出すことが、次世代の台頭を促す可能性を秘めているからだ。
想いを語りあえる者はいない。
喜びを分かち合える者もいない。
それでも必要であると理解出来るライドバッハは、自身の想いも感情も捨て去って、成すべきことを成そうとしたのだ。
だがそこに、カーシュナーという男が、当に見切りをつけていたリードリットを、真の王族に導いて現れた。
一人の英雄ではない。数多の英雄が台頭し、ヴォオスの風景を瞬く間に変えてくれた。
おかげでライドバッハは自身の想いと感情を捨てずに済んだ。
それどころか、かつては人の姿をした腐肉あさりの蟲共であふれかえっていた王宮に、想いを語り合える者、喜びを分かち合える者たちが帰ってきた。
ライドバッハは長く閉ざしていた心の扉を開け放つことが出来るようになった。
鉄仮面を脱ぎ捨てたライドバッハに、多くの者が戸惑った。
だが、その変化は困惑と手を取り合いながらではあったが、人々に受け入れられた。
人間味を取り戻した今のライドバッハの方がはるかに魅力的であることは、疑いようもない事実であったからだ。
その変化をすぐそばで見て来た千騎長自身も、ライドバッハの変化に引きずられる形で意識改革が成されていた。
以前であればライドバッハに何か問われようものなら、ただひたすら恐縮し、何も答えられなかっただろう。
だが、今はライドバッハの揶揄するかのような問いかけにも、不敵に笑って答えることが出来た。
「シヴァ将軍がおられなくても何ら問題はありません。ただ、後で出番がなかったとすねられるのが面倒なだけです」
「……確かにそれは鬱陶しいな」
千騎長が避けた直接表現を、ライドバッハは容赦なく用いる。
ライドバッハの本気で心配しているような顔に、千騎長は吹き出さずにはおれなかった。
「この場に居らんうつけが悪い。まあ、飯時になれば帰って来るだろう。ひねくれ者ではあるが、優秀であることは否定出来ん男だからな」
そう言うとライドバッハも笑った。
「何がおかしいっ!!」
その笑い声が風に乗り、ザシャログラードの城壁まで届いたのだろう。閉ざされた正門の城壁上から、アレクザンドール四世の大喝が響き渡った。
その左右には、王都中の戦士をかき集めたのだろう。ライドバッハ率いるヴォオス軍に対抗出来るだけの人数が、城壁をもう一段高く築いたかのように並んでいる。
巨漢揃いの戦士がずらりと並んだその光景は、見る者を威圧するのに十分過ぎるほどの迫力であったが、残念ながらライドバッハにはなんの感銘も与えなかった。
「どうやってこれほど我が国深く侵入した!」
歳のわりに肺が強いアレクザンドールの声は、恐ろしいほどよく響いた。
「わざわざ城門まで御足労頂き恐縮です。アレクザンドール陛下!」
こちらも知的な印象とは裏腹な大声で皮肉を返す。
「貴様かっ! ライドバッハっ!」
相手の正体に気がついたアレクザンドールの声に、わずかだが動揺が混じる。
「陛下っ! 騎士道に則りしばしの間攻撃は手控えますゆえ、城門前の民衆を収容なさいませっ!」
ライドバッハに他意はなかった。だが、この言葉を上からの物言いと受け取ったアレクザンドールはあっさり切れた。
「邪魔だっ! この愚民どもっ! 貴様らがそんなところでグズグズしておるから、敵から侮られたではないかっ! さっさと消え失せろっ!」
アレクザンドールは言うが早いか手にしていた王笏を、城門の前で助けを求める自国の民目掛けて投げつけた。
強さこそが王者の証であるルオ・リシタでは、王笏も実用性を重視した戦棍となっていた。
そんなものを城壁上から投げつけられて無事であるはずがない。一番先頭にいた商人が王笏で頭蓋を粉砕されて血の噴水を撒き散らすと、城門に詰め寄せていた人々は慌てて逃げ散って行った。
「蛮族とはよく言ったものだっ!」
それを見た千騎長の一人が、唾を吐くように呟いた。
その思いは皆一緒であった。
ライドバッハに付き従った騎士たちは、馬術の力量を重視して選ばれているが、選考段階で志願した騎士の大半が、ライドバッハが起こした大反乱に始めから加担していた者たちだった。
彼らの多くは平民あがりの騎士たちで、ライドバッハが引き立てなければその実力が正当に評価されることのなかった者たちばかりだ。
平民に生まれたがばかりに味合わなければならなかった苦労は、骨身に染みて理解している。
それ故に、目の前でアレクザンドールの権力によって踏みにじられた敵国人たちの気持ちが、彼らには痛いほどよくわかった。
追い散らされた民衆が、城壁に沿って左右に逃げ出したのに対し、状況の変化から取り残され、民衆から一人離れて立っていた少年は、どこへ逃げればいいのかわからずきょろきょろとあたりを見回している内に一人逃げ遅れてしまった。いや、正確には二人だ。幼いその両腕には、ボロに包まれた小さな女の子が抱かれている。
弱さを嫌悪するルオ・リシタ人の王であるアレクザンドールは、逃げ遅れた少年を目の前をうるさく飛びまわる蠅でも見るように表情を歪めた。
「構えっ!」
戦場に響き渡ったその声から不吉な響きを感じ取った少年は、その声から逃れたい一心で、敵であるヴォオス軍の方へと向かって駆け出した。
背後を振り向き必死で駆ける少年の目には、ヴォオス軍の人馬の群れは映ってはいなかったのだ。
「敵にすり寄るかっ! この痴れ者がっ!」
その行動を勘違いしたアレクザンドールが、怒気の塊を言葉に乗せて吐き捨てる。
この時、無言で馬を走らせた者が一人いた。
誰もが呆気に取られる中、ライドバッハが少年目掛けて矢のような勢いで飛び出したのだ。
この予想外過ぎる行動に、ヴォオス軍はもとより、アレクザンドールさえも呆気に取られ、咄嗟に行動することが出来なかった。
「この好機を逃すでない! 奴を射よ! 射殺せ!」
一瞬の停止から思考力を取り戻したアレクザンドールの命令が響き渡る。
もともと弓を構えさせられていた戦士たちは、その命令に即座に反応した。
「『盾持ち』は俺について来いっ!」
アレクザンドールの命令より一瞬早く思考力を取り戻していた千騎長が、単独で飛び出したライドバッハを追って飛び出していく。その後を、『盾持ち』という俗称で呼ばれる長大な盾を装備したライドバッハの護衛専門の騎士たちが続く。
「他は動くなっ!」
全体が動き出そうとする気配を察した他の千騎長たちの命令が響き渡る。今全軍で動くのは、矢の雨に自ら突っ込んでいくも同然だからだ。
態勢を低くして馬を全速で走らせるライドバッハは、城壁上から自分一人に対して狙いを定める数千の戦士たちの存在を完全に無視していた。
その視線も意識も、少年にだけ向けられている。
次々と矢が放たれるが、ライドバッハのあまりの速さに弓を離れた矢は、ライドバッハが通り過ぎた大地に、不恰好な苗木のように突き立って行くだけだった。
正面からの蹄の音に初めてライドバッハの存在に気がついた少年が驚きに目を見開く。それに続いて周囲に次々と矢の雨が突き立つと、少年の幼い心は恐怖に凍りつき、足を止めて棒立ちになってしまった。その小さな背中を、降り注ぐ矢の一本がいつ貫いてもおかしくない。
ヴォオス軍が恐怖で、ルオ・リシタ軍が憎悪をもって見守る中、恐怖にすくんでしまった少年を、身体を地面すれすれにまで落としたライドバッハの腕がすくい上げる。
ライドバッハの馬術の技量もさることながら、主を信じ、その期待に応えきった乗馬も見事であった。
一瞬後には乗馬の背に戻ったライドバッハは、少年を鞍の前に置くと、馬を返さずにあえてさらに突っ込み、そこから急旋回して自軍へと馬を返した。
完全にライドバッハに翻弄された戦士たちは、背中を見せたライドバッハ目掛けてむきになって射かけ続けた。
だが、その時にはライドバッハに合流した千騎長及び『盾持ち』が、長大な盾を重ね合わせて完璧な防御態勢を形成しており、放たれた矢はむなしく盾の表面を打ち鳴らしただけであった。
「お見事ですっ!」
これまでライドバッハが最前線に立つことは一度もなかった。
先頭に立つことが仕事の将軍ではなく、後方に控えて策を練るのが仕事の軍師なのだから当然だ。
これまでの進軍で、馬術の技量に優れた騎士たちに遅れずついて来たのだから、ライドバッハの技量も並の腕ではないことは理解していたが、まさか矢の雨が降り注ぐ中、あれほどの技量を示せるほどの名手だとは思いもよらなかった。
ただ速く馬を走らせることと、実戦の中で最善最速で乗馬を操ることはまったく別の話だ。下手をすれば今回厳選した馬術の技量に特化した精鋭揃いのヴォオス軍の中でも一番かもしれない。
「すまん。手間を掛けさせた」
千騎長や他の騎士たちの賞賛を無視して、ライドバッハは素直に詫びた。
その行動は英雄的ではあったが、一軍をあずかる将としてはあまりにも軽率過ぎる行動だったからだ。
「味方からも鉄仮面と恐れられたライドバッハ様は、もうどこにもおりませんな。いい土産話が出来ました」
以前のライドバッハであれば、自身の命を懸けるような行動はとらなかったと千騎長は断言出来た。
これほど奥深くまで敵地に侵攻した状況で、たとえ命を失わなくとも、進軍速度に影響が出るような負傷を負うことは、軍全体を窮地に陥らせることになる。
軍師とはどこまでも冷静で、尚且つ冷徹でなければならない。
ライドバッハはこれまで、人である前に軍師であることに徹底してきた。
千騎長はこれまで、その揺らぐことのない鋼のごとき後ろ姿をずっと見てきたのだ。
「頼むからやめてくれ」
ライドバッハの困り顔という、世にも珍しいものを目にした騎士たちは、一瞬自分の目を疑い、次の瞬間矢の雨の中、盛大に吹き出した。
これに対して一言も返せず憮然とするライドバッハの横顔を見て、千騎長は改めて思った。
今日までこのお方にお仕えして良かったと――。
自軍まで駆け戻ったライドバッハを迎えた騎士たちは、ザシャログラード全体に轟くほどの大歓声で迎えた。
その様子を城壁上から眺めるしかないアレクザンドールは、ただの一矢も命中させることの出来なかった戦士たちを激しく罵った。
その叱責は当然であると同時に、その言葉を避難した場所で聞かされた民衆の反意を煽った。
自国の民を殺そうとし、それを敵国の将に助けられたのだ。
齢六十を過ぎ、今なおその覇気は健在なれど、アレクザンドールはこの時この場でルオ・リシタを統べる力を自らの失態で手放したのであった。
「お前たち、笑え」
ヴォオス軍に合流したライドバッハは、ただそれだけ命じた。
その意図を即座に察した騎士たちが、城壁上に並ぶルオ・リシタの戦士たちにではなく、国王アレクザンドールただ一人に向けて嘲笑を放つ。
逃げる幼い子供をあえて殺そうとしたアレクザンドールと戦士たちの蛮行に、ヴォオス軍騎士たちも侮蔑と、何より激しい憤りを覚えていたからだ。
「前へ」
嘲笑を続けながら全軍を前へ進める。
先程の一幕でルオ・リシタ軍の射程は完全に見切られた。
ヴォオス軍はギリギリ届く距離まで馬を進めて止まる。
「歯向かう力もない子供を後ろから射ることは出来ても、剣を手にした騎士が相手では、弓は引けんようだな」
そのよく通る声は、騎士たちの嘲笑を伴奏に、痛烈な皮肉を奏でた。
この言葉に対して報復の斉射が行われたが、失速に入った矢を叩き落とすなど、ヴォオス軍騎士たちにとっては造作もないことであった。
これ見よがしの挑発に、アレクザンドールのみならず、戦士たちも忍耐も限界に達していた。
そんなルオ・リシタ軍にとって、最悪の男がヴォオス軍に合流する。
「俺がいない間にずいぶんと盛り上がってるじゃないっすか」
場違いなほど陽気な声を響かせながら、シヴァが馬を飛ばしてくる。
「貴様の方こそしばらく見ない間に家庭持ちにでもなったのか?」
昔ながらの厳めしい表情に戻ったライドバッハが、シヴァの前に座る二人の女性に目にとめながら皮肉を返す。
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。いつから子持ちになったんすか?」
「……これは、成り行きだ」
痛いところを突かれたライドバッハは、下手な言い訳で言葉を濁す。
「まあ、そっちの事情はわかんねっすけど、俺はこの嬢ちゃんとご婦人が、クソ戦士共に追われていたところに偶然通りかかりましてね。胸くそ悪かったんで、ぶっ殺しついでに助けたってわけです。すんませんが最後まで面倒見るって約束しちまったんで、身の振り方が決まるまで、保護させてもらいますぜ」
「好きにしろ。こっちも、まあ、似たようなものだ」
シヴァの説明を受け、侍女とその腕に抱かれた貴婦人に興味を持ったライドバッハであったが、今は詮索している場合ではない。
ライドバッハは思考を素早く切り替えると、シヴァの鞍の前で強張った表情で、それでも毅然と顎を上げ、主を守ろうとしっかりと抱えるキーラに声を掛けた。
「ここはお主にとっては敵国人であるヴォオス軍の中だ。現にこうしてルオ・リシタ国国王アレクザンドールと事を構えている。我らの庇護を受けるということは、ルオ・リシタに生きる場所失くすということだ。それでも我らの庇護を受けるか?」
「安全は俺が保証するぜ。俺が連れ込んだ女に手を出すような馬鹿は、ヴォオス軍にはいねえからな」
「なんでも貴様の価値観で測るな。我らは騎士だ。騎士道に則り、二人の婦人の安全を保証するのだ。妙な言い回しをするでない」
シヴァの軽口にライドバッハのカミナリが落ちる。
「……奥様はどうなるのでしょうか?」
キーラが激しい葛藤と戦いないがら、自分にとって最も重要なことだけを尋ねる。
「ルオ・リシタの今後の国内情勢にもよるが、ヴォオスで身分を隠して暮らすことを勧める。そのための援助は、その男の言葉では当てにならんだろうから、私が保証しよう」
ライドバッハの言葉にキーラは大きくうなずいた。
「……おい」
その意図するところを察したシヴァが、顎でキーラのつむじを攻撃する。
「やり返せ」
ライドバッハの言葉に、キーラは即座に反応した。
顎に頭突きをくらったシヴァが派手にのけ反る。
「お二人とも、話が大きく逸れ始めておりますが……」
千騎長が恐る恐る口を挟む。
「むっ。いかんな。このうつけと話をしていると、どうにも調子を狂わされる」
そう言ってライドバッハは千騎長が震え上がるような形相でシヴァを睨みつけた。
だが、睨まれた方はニヤニヤするだけでまるで堪えない。
「問いはしたが、そなたたち二人が身の安全を図るには、他に道はないだろう。お主らがどういった経緯で王国の戦士に追われていたかは問わん。だが、お主とそのご婦人が、悪事に手を染め追われていたとは到底思えん。身の潔白をアレクザンドールに対して立てるのであれば、今を置いて他にはない。もし王都へ戻ると言うのなら、その間待とう。どうする?」
ライドバッハは説得しようとはしなかった。ルオ・リシタ人にはルオ・リシタ人なりの筋の通し方というものがある。死をもって身の潔白を証明出来るのであれば、命など惜しまないという人間もいる。
そんな人間にこそ生きてほしいと思うが、そんな人間だからこそ、恥を負っては生きられないのだ。
キーラは答えを求めて腕の中のイオアーナに視線を落とした。
折れそうなほど華奢な身体に、生を望む気力などない。むしろここで死ねた方が、イオアーナは苦しまずに済むのかもしれない。
だが、そんなイオアーナの死を、ヴォルクはきっと悲しむだろう。
守るどころか、そばにもいてやれなかったと、生涯悔やむに違いない。
何より、ここでイオアーナを死なせてしまったら、殺されたニーナたちの死が、まったくの無駄になってしまう。
ニーナの死に様を思い出したキーラは、怒りで心が沸騰していくのを感じた。
「どのような嫌疑で奥様が追われたのかはわかりません。ですが、あのような無法を許す国王陛下を信用することは出来ません。ただ、これだけは先に言わせてください。これは私の一存であり、奥様の御意志ではありません。私のような身分の者でも、庇護をお与えいただけますでしょうか?」
挑むようなキーラの視線を真っ直ぐに受け止めて、ライドバッハははきっりとうなずいた。
「相手の身分次第で自在に出し入れ出来る騎士道精神なんざ、守銭奴の下心と一緒だ。まあ、ちょっと前までのヴォオス軍だったらそんな連中ばっかりだったかもしんねえけど、ここにそんな雑魚は一匹もいねえ。つまんねえ心配すんな」
無茶な言いようではあるが、それがこの男なりの気遣いなのだとわかるようになってきたキーラは、少しだけ肩の力を抜いた。
「言い方に問題はあるが、そのうつけの言葉通りだ。今この場で、ヴォオス軍はお主の要請に応え、お主とその同行者を庇護することを約束しよう」
ライドバッハの指示を受け、予備の馬が連れて来られる。
「護衛の騎士はつけるが、一つ頼まれてほしいことがある」
ライドバッハがどこかばつの悪そうな顔で頼みごとをする。
「私に出来ることでしたらなんなりと」
庇護を受ける以上イオアーナの名誉を汚すことでない限り、キーラは受けるつもりでいる。何と言っても自分とイオアーナは敵国人から庇護を受けるのだ。無償というわけにはいかない。
「この子らの面倒を見てはもらえまいか」
そう言うと自分の鞍の前に座る少年の小さな肩に、そっと大きな手を掛けた。その動作一つで、キーラにはライドバッハという男の心根が知れた。
少年は憔悴しきっていた。頬はこけ、大きな眼は落ち窪み、顔中垢だらけだ。ボロを纏った細い身体は小刻みに震え続けているが、その両腕は、今もしっかりと小さなボロをしっかりと抱えている。
その姿は、息子を亡くした現実を受け入れられず、ずっと人形を抱いていたイオアーナの姿と重なり、キーラの胸が痛みを覚えるほど強く締めつけられた。
「責任を持ってお預かりいたします」
騎士の一人がライドバッハから兄弟を受け取ると、シヴァが顎でキーラの頭を小突いてたずねる。反射的に返ってきたキーラの頭突きはもう受けない。こういった小憎らしさがカーシュナーとシヴァの大きな違いの一つだ。
「お前馬は乗れるな?」
「……ああ」
振り向いて睨みつけたキーラは、それでも素直に答えた。言い争っているような場面ではないからだ。
「じゃあ、こいつ貸してやる」
そう言うとシヴァは手綱をキーラに預けるとさっさと馬から降り、代えの馬にまたがった。
「血統書付とはいかねえが、頭の良い馬だ。足も速いしいざってときはそいつが判断してくれる。お前さんは落っこちねえようにだけしてな」
この男はどうして口を開けば憎まれ口しか叩けないのだろうかと憤りながらも、キーラはとりあえずシヴァの好意(?)を行け入れ、騎士に導かれて戦場から退避していった。
「お主にうってつけの仕事がある」
実に意地の悪い表情を浮かべながら、ライドバッハがシヴァの隣に馬を進める。
その瞳の奥に暗い炎の欠片を見て取ったシヴァは、ライドバッハが珍しく怒っていることを見て取った。どういう経緯であの子供を助けたのかはまだ聞けていないが、その辺りと関係があるに違いない。
「どんな仕事で?」
ライドバッハが意地の悪い顔なら、シヴァははっきりと悪い顔でニヤリと笑う。
黒い時のカーシュナーに劣らぬ悪い顔だ。
「小馬鹿にして来い」
シヴァは、たったそれだけでライドバッハの意図を正確に読み取る。
「どの程度で?」
「徹底的にだ」
二人はニヤリと笑い、それを囲む騎士たちは、この二人が敵ではなくて本当に良かったと思った。
槍を片手に一人馬を進めて来るシヴァに、アレクザンドールは眉をしかめた。その意図を測りかねたからだ。
「何の用だ若造! 命乞いにでも来たか!」
とりあえず怒鳴りつける。
「いや、戦士の国、ルオ・リシタの国王陛下の御尊顔を拝みに来たんすよ」
手にしていた槍を両肩に掛け、暇を持て余した兵士のようなだらしない姿勢で言い返す。
「ふざけるなっ!」
当然怒鳴りつけるアレクザンドール。
だが、怒鳴りつけられたシヴァは、城壁の上をきょろきょろと眺めるばかりで、アレクザンドールの相手をしようとしない。
「どこを見ておるか、この間抜けがっ!」
「えっ! もしかしてあんたが国王! いや~、てっきり放し飼いの人食い鬼が発情して騒いでいるのかと思ってたっすよ!」
この侮辱には戦士たちもざわめき、各自が勝手に矢を射かけていく。
だが、右に左に巧みに馬を操り、恐ろしい速さで槍を振るって矢を叩き落とすシヴァを捉えることは出来ない。屈強な肉体と強靭な筋肉を誇るルオ・リシタの戦士は、接近戦は得意だが、弓の腕はさほどではないのだ。
「イヴァンと比べたら雑魚ばっかだな」
そのあまりの下手くそさに、シヴァも呆れて呟く。
今この場にイヴァンが敵として城壁上にいたなら、さすがのシヴァも減らず口など叩いている余裕はなかっただろう。だが、幸いなことに、ルオ・リシタ人一の射手は、祖国から遠く離れたゾンの地で、カーシュナーのために働いている。
「お前ら何がしたい訳?」
自分を殺そうと躍起になっている相手に対しこの物言いである。ライドバッハを討ち漏らした直後でもあり、アレクザンドールは視界が濁るほど怒り狂った。
それを見たシヴァが指をさしてゲラゲラ笑う。
「何お前、泣いてんの?」
激し過ぎる憤りに、雄牛のように鼻息を荒くするアレクザンドールに、シヴァは一番言ってはいけないことを口にする。
ルオ・リシタの戦士はけして涙を流さない。
涙は弱さの証明でしかなく、強さがすべてのルオ・リシタでは、泣くことはもっとも恥ずべき行為と考えられている。
「つくつくぼーし。つくつくぼーし。あっ! そりゃ蝉か」
つまらないとわかっていることを敢えて口にし、それに一人大笑いする。これほど馬鹿にされていることがわかりやすい侮辱もないだろう。国王の憤りを、泣き声と引っ掛けて蝉の鳴き声と揶揄するのだから、まともな騎士の発想ではない。相手を怒らせるという一点において、ライドバッハがシヴァを選んだのは、これ以上ない人選だったと言える。
アレクザンドールのみならず、城壁上に居並ぶ戦士たちも、怒りのあまり返す言葉すら出てこない。
「突っ立ているだけならさっさと失せろ。それともそこで城壁を飾る石像鬼にでもなるつもりか? 臭くないだけてめえ等よりも石像鬼の方がはるかに上等だけどな!」
まるで怒りの彫像のように固まっている戦士たちに対し、シヴァが追い打ちをかける。
「黙っておればいい気になりおってっ! 口ばかり達者なヴォオス人と違って、我らルオ・リシタの戦士は言葉ではなく行動で語るのだ!」
怒りの呪縛を振り解き、一人の戦士がようやくシヴァに言い返す。
「おお、よく知ってるぞ! 女子供は必至こいて追い回せるが、ヴォオス軍が相手となると途端に城壁の上に逃げあがってガクブル震え上がるってことだろ? さすがルオ・リシタの戦士。弱い相手に対しては無敵の強さを誇るよな」
それに対してシヴァが返した侮辱は、あまりにも痛烈であった。
やったことと言えば逃げる子供を後ろから射殺そうしただけで、それも敵軍の将によって阻まれてしまった。言葉ではなく行動で語ると言った手前、シヴァの侮辱に対し、返せる言葉がルオ・リシタの戦士たちにはなかった。
「じゃ、帰るわ。お前らと違って弱い者いじめが趣味じゃねえからな。国王によろしく言っといてくれ。威厳がなさ過ぎてどれが国王か見分けがつかなくなっちまったからよ」
そう言うとシヴァは馬首を返してさっさと自軍へと引き返していく。
だが、数歩進んだところで首だけ振り向かせてさらに小馬鹿にした台詞を口にした。
「王都防衛おめでとう! あまりにも惨めで無様でかわいそうだから、心優しいヴォオス軍は、チンケなルオ・リシタ軍を見逃してやるよ。まあ、そもそもザシャログラードみたいな田舎町に、陥とすような価値なんてねえしな」
半笑いで言い捨てると、シヴァは手首をひらひらと振って去っていった。
「城門を開けっ!!」
興奮し過ぎて言葉を返すことすら出来ないでいたアレクザンドールが、炎でも吐き出しそうな勢いで命令を発した。
本来であれば止める立場の者たちも、シヴァのあまりの傍若無人振りに冷静さを欠き、我先にと城壁から駆け下って行く。
地上戦こそがルオ・リシタ戦士の本領を発揮出来る場所だ。
そもそも城壁に拠っての防戦など、ルオ・リシタ戦士が最も嫌う戦いである。
都市防衛の基本に則った行動であったが、そのためにああまで侮辱されたのでは黙ってなどいられない。
王命とはいえ、むしろよく我慢したといえる。
その国王が怒りを爆発させて出撃を命じたのだ。
解き放たれたルオ・リシタの戦士たちは、まるで人食い鬼の群れのごとく、喚き散らしながら城門から飛び出していった。
戦士たちが一定の距離まで近づくのを待ってから、シヴァは鐙に立つとズボンを下ろし、むき出しになった引き締まった尻を突き出すと、ペンペンと叩いてみせた。
この思いついても誰もやらないような幼稚な挑発に、ルオ・リシタ軍の怒りはさらに煽られた。
長い脚を全力で回転させて迫りくる戦士たちを前に、シヴァはのんびりとズボンを上げて衣服を直す。そしてギリギリまで引きつけておいて、サッと馬を走らせ引き離した。
そのあまりの豪胆さに、見ているヴォオス軍側は冷や汗を流し、追うルオ・リシタ軍側はさらなる苛立ちを溜めこむことになる。
「まさかアレクザンドールを引きずり出すとはな。全軍奴の動きに連動し、ルオ・リシタ軍と一定の距離を取れ! 連中を走らせるのだ!」
ライドバッハは呆れつつも状況の変化に的確に対応してみせる。
王都ザシャログラード襲撃には、王都の陥落などではなく、別の目的があった。仮にそのつもりがあったとしても、騎兵のみ一万では、いかにライドバッハといえども堅牢なザシャログラードを陥とすことは出来ない。
だが、王都から出撃して来れば話は別だ。
ここでアレクザンドールに相応の打撃を与えることが出来れば、ライドバッハの目論見はこの場で確定する。今後の処理次第では、向う十年はルオ・リシタからの脅威を取り除くことが出来る可能性すらある。
「まったく、あの御仁には驚かされます。城壁に拠ってただ守ってさえいれば、我が軍は撤退するより他ないものを、優位を捨てさせ、互角の条件でやり合える地上戦に引きずり出すとは、恐れ入るばかりです!」
「そんな良いものではない。あのうつけが天性の嫌われ者というだけだ。ただ、それを生かすしたたかさだけは認めんわけにもいかんがな」
興奮する千騎長の言葉を、ライドバッハがひどい言葉で否定する。
それでもニヤニヤ笑いを抑えきれないでいるのは、アレクザンドールの激怒ぶりがおかしくて仕方ないからだ。
ライドバッハにここで戦う意思はなかった。というより、常識で考えれば戦いにはならない状況だった。
互角の状況で戦端を開きたがるような者に、一軍の将など務まらない。
まず自軍の優位を確立してから動くのが常道だ。
アレクザンドールがいくら短気であっても、伊達に六十を過ぎてなお国の実権を握っているわけではない。必要な状況判断を的確に下すだけの頭も経験も持っている。
その証拠に民衆を城外に締め出す結果になろうがおかまいなしに城門を閉ざし、城外に取り残された民衆を容赦なく切り捨てて守りを固めた。そして戦士たちを城壁に上げ、高所を確保し、固い守りをヴォオス軍に対し見せつけた。
その裏ではゾンとの国境付近に配置している戦士たちに急使を立て、ヴォオス軍に対する挟撃を画策していた。
ヴォオス軍に力押しで攻め切れるだけの攻撃力がない以上、アレクザンドールはただ時を待つだけでよかったのだ。
ライドバッハはここまでの展開を予測していた。
だが、事態はアレクザンドールの短気と狭量が招いた一つの失態から、予想もしない方向に流れ出した。
ライドバッハとしては、姿を見せることでアレクザンドールの疑心を刺激し、その狭量さから国内の有力者たちとの間に溝を作ることが出来れば十分だった。
ゲラルジー王子が自身の野心のためにス・トラプ山脈の大地下道の存在をアレクザンドールに伝えないことはわかっていた。そして、大地下道の存在を知らないアレクザンドールが、真っ先に自国の有力者の裏切りを疑うことも、ライドバッハにはわかっていた。
ライドバッハとしては在りもしない裏切りの存在を、より強くアレクザンドールの意識に刻み付けることが今回の王都襲撃の目的であり、真の目的は軍事的に空洞化したルオ・リシタを横断し、現在ヴォオスへ侵攻中のルオ・リシタ軍本隊への補給の遮断と、レオフリード率いるヴォオス軍本隊と連動し、背後からルオ・リシタ軍を挟撃することなのだ。
シヴァに挑発を任せたのは、アレクザンドールの行動に対する単なる嫌がらせでしかなく、結果アレクザンドールが怒りで血圧を上げ過ぎて、心筋梗塞になるか、脳梗塞を起こしてくれればいい気味だくらいの考えでしかなった。
だが、あの天性の嫌われ上手はまさかの引きずり出しに成功してみせた。
ライドバッハはニヤニヤ笑いだけでは抑えきることが出来ず、ついには大声を上げて笑い出した。
ライドバッハの声は良く通る。そこに侮蔑がこもっているとなおさらだ。
嘲笑の響きを聞き取ったルオ・リシタの戦士たちは、秩序などという言葉とは完全に無縁の突進を、しゃにむに繰り返した。
追うルオ・リシタ軍に対し、ヴォオス軍は逃げ惑うように拡散していく。
兵数がほぼ互角のこの状況で、徒歩のルオ・リシタ軍が全軍騎馬のヴォオス軍に機動力で太刀打ち出来るわけもなく、逃げるヴォオス軍に引きずられ、戦場自体が無秩序に拡散していった。
逃げているように見せかけて、左右に分かれてジワジワとルオ・リシタ軍の背後に移動を続けていた二つの部隊が、合図とともに一気に城門へと突撃をかける。
国王自ら出陣している状況では、門を閉じて守るわけにはいかない。そのため、突然の襲撃に対して戦士たちは必死で抵抗した。だが、十分に配置されていたはずの守備部隊は、拡散する味方の戦士たちに引きずられ、いつの間にか分散してその密度を失っており、短くも激しい戦いはヴォオス軍に軍配が上がった。
いくら頭に血がのぼっているとはいえ、さすがに城門を押さえられては慌てざるを得ない。無防備な王都が敵前にさらされ、なおかつ退路も断たれてしまったのだ。
アレクザンドールは慌てて軍を返そうとしたが、秩序を失ったルオ・リシタ軍の動きは鈍く、各所で孤立する戦士たちが現れ、どこまでも冷静なヴォオス軍によって各個撃破されていく。
その体格に見合った恐ろしいほどの体力を誇るルオ・リシタの戦士たちであったが、散々に走り回らされてはさすがに息が切れる。
それまでひたすらからかい逃げ回ってゲラゲラ笑っていたシヴァが、動きの鈍り出した戦士たちに襲い掛かる。
<フールメント会戦>の際でもそうであったが、速度で劣り、それでいて的の大きいルオ・リシタの戦士たちは、シヴァにとって相性の良い相手であった。ルオ・リシタの戦士たちからすれば最悪の相手になるのだが、そんなことはシヴァには何の関係もない。
神速を誇るその槍捌きは、的の大きな戦士たちを瞬く間に穴の開いた肉の塊へと変えていく。
その巨体からくる間合いの広さが売りの一つでもあるルオ・リシタ戦士たちであったが、その広い間合いのさらに外側から、ルオ・リシタの戦士たちでは目で追うことすら困難な速度で槍が繰り出されるため、シヴァの前ではすべての戦士たちが案山子のように何も出来ずに倒れていった。
それまでは孤立した戦士にのみ的絞って安全に立ち回っていたヴォオス軍も、シヴァがその恐るべき強さで楔を打ち込んだ一角に兵力を集中し、一気にルオ・リシタ軍を分断する。
敵軍を突き抜けたヴォオス軍は、ルオ・リシタ軍を釣り出すために拡散していた部隊と連携すると、分断されたルオ・リシタ軍を一気に包囲する。
対するルオ・リシタ軍は、先程発せられたアレクザンドールの後退命令が今頃になって行き渡ったため、包囲された自軍を置いて城門へと後退していく。
分断こそされたが、それは裏を返せば二分されたルオ・リシタ軍でヴォオス軍の一部を挟み込んでいる状況でもあった。接近戦に優れるルオ・リシタ軍には、踏み止まればまだ挽回の余地はあった。
だが、一度乱れた指揮系統は容易には回復しない。
戦況からの先読みに優れるライドバッハが指揮を執っていることもあり、ヴォオス軍の判断はきわめて正確であり、何より早い。ルオ・リシタ軍の一手どころか二手も三手も先を読んで兵を動かすため、なまじ反撃を試みたルオ・リシタ戦士の集団は、後退する本隊からからめ取られ、次々と各個撃破されていく。
ここでライドバッハは欲をかくことをせず、味方を置いて後退する敵部隊を、追わずにあっさりと逃がした。勝敗はすでに決している。なまじ追い込んで死に物狂いの反撃を受け、戦力を損なうことを避けるためだ。
城門を奪取することに成功した騎士たちも、城門の駆動部を破壊すると、さっさと城門を放棄して離脱していた。結果として、後退する戦士たちを両手を広げて迎え入れるかのようにザシャログラードの正門は大きく開け放たれたまま放置されることになった。
一度退路を断たれたという圧迫感に意識を支配されてしまったルオ・リシタの戦士たちは、邪魔をする者のいなくなった城門を目にした瞬間から、態勢を立て直して反撃に出るという考えを失う。
そして、開け放たれた城門に吸い込まれるように、その大きな身体を戦場から消した。
これにより分断された残りの戦士たちは完全に孤立し、ヴォオス軍によって容赦なく殲滅される。
「食糧不足なんだ。いらねえ人間を間引いてやれ」
とんでもないことを口走りながら振るわれたシヴァの槍は、誰よりも多くのルオ・リシタの戦士たちの血を吸い、戦士たちの口に入るはずだった貴重な食料が、立場の弱い女子供の口に入る可能性を高めていく。
ただアレクザンドールに嫌がらせをするという目的で行われた挑発によって引き起こされたこの突発的な衝突はヴォオス軍の完勝に終わり、ルオ・リシタ軍はこの戦いで全体の約四割もの戦士を失った。
「もう一回煽ってやりましょうか?」
負傷のためではなく、激しい疲労から両脇を支えられて王都へと撤退するアレクザンドールの後ろ姿を眺めながら、シヴァがニヤリと笑う。
「ちなみにどんな言葉で煽るつもりなのだ?」
状況は決した。本来の目的以上の成果も上げた。これ以上の混乱はもはや無用であり、これ以上の遅滞はヴォオス本国を含めた作戦全体に影響を及ぼしかねない。
やらせるつもりなど始めからないが、単純に興味がわいたライドバッハは尋ねた。
「よたよた歩いてるんで、あんよは上手~とか言って小馬鹿にするつもりなんすけど」
「お主は悪魔か」
高齢のアレクザンドールを赤ん坊扱いして嗤おうというのである。精神の均衡を欠いている今の状態のアレクザンドールでは、あの状態でも引き返して来かねない。
ちょっと試してみたいという欲求を覚えたが、ライドバッハは冷静にシヴァの提案を却下した。
アレクザンドールは、人としては死んでもかまわない程度の男である。だが、為政者としてはそれなりの実力者だ。
ゾンがカーシュナーの仕掛けにより内乱状態にあるが、国力に余裕のあるゾンが内乱を懐に抱えながらも勢力拡大に動く可能性がある以上、ルオ・リシタの極端な国力低下は避けなくてはならない。
ここでアレクザンドールを討つと、ルオ・リシタは各王子とそれ以外の有力貴族単位に分裂してしまう。それはルオ・リシタをゾンにとって吸収しやすい大きさにわざわざ切り分け、丁寧に皿に盛り付けて供するに等しい。
ヴォオスにとっての最大の敵国であるゾンの勢力拡大を抑止するために、アレクザンドールの存在は必要なのだ。
今のところは――。
「だが、二つには割れてもらう」
ライドバッハは呟くと、ルオ・リシタ軍の残存兵力が撤退したことを確認し、再び城門へと馬を進めた。
城門付近では、扉の駆動部が破壊されたため閉めることが適わず四苦八苦する戦士たちの姿があったが、ライドバッハは無視してかなりの距離まで近づいていく。従うのは専属の護衛騎士とシヴァのみだ。
「少々挨拶が手荒になり過ぎたようですな」
余裕たっぷりなライドバッハの声が、城壁を超えてザシャログラードに響く。
「アレクザンドール。あなたの首などいつでも取りに来れるのです。こうやって邪魔する者もなく、ヴォオス軍はいつでも好きな時に王都まで来ることが出来るのですから」
ルオ・リシタ側から言葉が返ってくることなど期待していないライドバッハは、間を置かずさらに言葉を続けた。
「次にこの地を訪れるときは、ルオ・リシタの半数の部族とともに訪問させていただきます。どうかそれまでご壮健で」
勝者の皮肉程敗者にとって堪えるものはない。
アレクザンドールは手負いの猛獣のような唸りを発したが、城門に取って返してライドバッハに襲い掛かるような真似はしなかった。
ライドバッハの言葉が実態を持たない毒となってアレクザンドールの心を侵し、灰色に染まっていた疑心を真っ黒に染め上げたからだ。
「……裏切り者どもめ」
呪詛を吐くかのように呟いたその一言で、アレクザンドールは今回の敗戦の責任を、実際には存在しない裏切り者になすりつけた。
その言葉を耳にした戦士たちも、自分たちの愚かさを棚上げにし、負けを裏切りのせいにして納得する。
自分たちは負けたのではない。裏切られたのだと――。
言葉の毒は撒かれた。
ライドバッハはルオ・リシタの戦士たちに見せつけるように、ことさらゆっくりと兵を引き、<ザシャログラード攻防戦>に幕を下ろしたのであった――。
新年あけましておめでとうございます。
お正月休みを利用してお読みくださった皆様、ありがとうございました。1日、2日共にアクセスが11件に落ち込み(苦笑)諦めていたのですが、3日以降普段よりも多くの方に読んでいただけてホッとしました(笑)
次回は1月13日投稿予定です。
お正月休みは終わってしまいますが、引き続きごひいきいただけると幸いです。




