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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・序
4/152

望まれぬ王女

 会議の間に生じたうめき声は、実際にみぞおちを殴られたかのように、痛みの響きを伴って、広い会議の間を満たした。

 ヴォオス貴族にとって、国王バールリウスの娘の名は、それほどの威力を持っているのだ――。

 






 ヴォオス国王女、リードリット。

 

 国王バールリウスの息女で、今年二十歳になる。大陸人とは思えない燃えるような赤髪に、黄金色の瞳を持つ麗しの美姫のはずなのだが、男勝りの性格に、幼少のころより武芸に興じていたため、今では姫将軍の愛称で通る婚期を逃しつつあるヴォオス唯一の王女だ。





 国王バールリウスは非常に早熟で、十三歳を迎える前に、両手の指ではとても数えきれない人数の侍女をはらませる性豪ぶりを示した。

 数十年先には確実に王位継承問題が起こることが確実な悪評を、王子時代に築き上げたバールリウスは、ある時何の前兆もなく高熱に侵された。一週間高熱に苦しんだものの病状は安定し、不意の病などまるでなかったかのように回復した。

 その後バールリウスがどれほどの性豪ぶりを発揮しても、宮廷につかえる者たちが王位継承問題を気に留めることはなった。

 子種を潰す妙薬を盛られたのだといううわさ話がささやかれたが、バールリウスの素行を知る人々はその真偽を確かめようとせず、ただ胸をなでおろして職務に励んだだけであった。


 そんなバールリウスが周囲の思惑に反して子宝に恵まれ、生まれたのがリードリットであった。

 女性に対して節操はなくても、愛情は深いバールリウスは、正室が身籠ったことをおおいに喜び、出産にまで立ち会った。

 そして、生まれて来た我が子が炎の化身のような姿であることも全く気に留めず、女の子だと大いに喜んだ。

 リードリットの姿を見た廷臣の一人が、赤い髪に黄金の瞳を見て、悪魔の生まれ変わりに違いない。国の将来のために、適切な処置をするよう進言した。

 何事にも臣下の言いなりだったバールリウスを侮ったうえでの発言は、飾りのはずだった腰の剣による一撃という答えを得ることになった。

 その怒りの深さに、さすがのクロクスも驚き、生まれたのが男子でなかったこともあり、バールリウスとの間に不要な軋轢あつれきを生むことを避け、リードリットの処置は見合わされた。

 リードリットは、バールリウスという父親のもとに生まれなければ、地上に産み落とされたその日の内に人生を終わらせていただろう。





 リードリットは、良く言えば神がかり、悪く言えば悪魔つきの少女だった。

 そもそも見た目が常軌を逸している。骨格や肌色の違いこそあれ、黒髪黒目の大陸人の中に、赤髪に黄金色の瞳をした少女がいれば、奇異の目を避けることは出来ない。

 大陸人は、別大陸から渡って来る、通称<渡来人とらいじん>と呼ばれる人々に対して、差別的な部分がある。

 今でこそ差別意識は薄くなってきたが、かつては悪魔の手先と考えられ、迫害されてきた。その歴史は古く、ヴォオス建国以前から、渡来人に対する差別と迫害は続いていた。

 これを覆したのが、建国王ウィレアム一世であった。

 英雄の言葉に民衆は素直に従い、差別意識は徐々に薄れていったが、王族や貴族の中では根強く差別意識が残り続けた。

 

 生みの親であるはずの王妃は、リードリットを一目見た瞬間から無関心を決め込み、母として向き合うことはなっかた。

 乳母となった一人目の侍女は、虐待の現場をバールリウスに見つかり、その場で手討ちとなった。

 リードリットの処分を進言し、一命こそ取りとめたが、傷の深さから二度と王宮に出仕出来なくなった文官の事件があって以降バールリウスが帯剣するすべての剣は刃を潰された物にひそかに変えられていた。

 にもかかわらず、血筋がもたらすものなのか、刃のない剣の一撃を首に受けた侍女は、首を半ばまで切断され、脛骨を折られて事切れてしまった。あるいは、それは幸運に恵まれた最後だったかもしれない。女性には身分を問わず紳士的に接するバールリウスが、迷いなく斬ったほどその怒りは深かったのだ。もし生き延びていたら、死ぬまで責め苦に晒され続けた可能性がある。


 この事件の後、すべてをクロクスに任せきっていたバールリウスが、にわかに宮廷内に強い関心を示すことになったため、煩わしさを感じたクロクスが、宮廷内を強烈に締め付け、リードリットに対する態度を改めさせた。

 これにより、バールリウスを安心させるとともに、その心をより強く支配することに成功したクロクスは、バールリウスと娘のリードリットを狭くて居心地の良い箱庭の世界に閉じ込めると、国王の絶対の信頼と豊富な資金力を手に、その権力基盤の拡大に乗り出すことになる。





 狭いが何不自由ない世界で育ったリードリットが、その特異な力を初めて発揮したのは、五歳の時だった。

 娘を溺愛する父は、他者には奇異に映るリードリットの外見を、その燃えるような髪、黄金色をした瞳を太陽のようだと褒め、美しいと感じていた。

 美しい娘に最高の教育を施してやろうと、バールリウスはクロクスに最高の教育係を用意させた。


 この時もっとも不運だったのが誰なのか、それは事件が起こった後でも定かではないが、一つ言えることは、この時クロクスが厄介な政敵との権力争いの最中であり、教育係を慎重に選ぶ時間的余裕がなかったことが、不幸の連鎖の始まりであった。


 アナベル夫人は、とある侯爵家の八女として生まれた。世継ぎである男子を望んだ侯爵は失望し、生まれたばかりの娘を政略結婚の道具と割り切った。

 出来るだけ家名の高い他家へ嫁がせるため、侯爵家ではすべての娘に厳しい教育を施した。

 長女から始まり、七女までは皆教養豊かで美しく成長し、望まれて嫁いでいった。

 だが、八女のアナベルは美しい姉たちと違い、母親ではなく、父親の面影を色濃く受け継いだため、女性としてはかなり大柄で、顎の線が特徴的な厳めしい顔立ちに成長した。

 侯爵は早くにアナベルに見切りをつけ、母親は不憫に思いつつもどうしてやることも出来ずにいた。

 父からは疎まれ、アナベルの価値を察した使用人たちからは軽んじられ、アナベルの少女時代はみじめなものだった。


 そんなある日、アナベルの礼儀作法を指導していた教育係が、アナベルにこう言った。

「背筋を伸ばしなさい! そのような卑屈な姿勢は、礼儀以前の問題です。あなたの作法は、どの姉上方よりも美しい所作を持っています。そのように背筋を曲げていてはすべてが台無しです。もっと自信を持ちなさい。あなたは私がこれまで指導したどの少女よりも優れているのですから」

 笑顔とともにもたらされた言葉は、アナベルに一つの道を示した。

 自分を初めて評価してくれた教育係と同じ、貴族令嬢を指導する職業婦人としての道である。


 アナベルは成人すると、恩師の紹介を受けていくつもの貴族の屋敷に出向き、熱心に教育に励んだ。教育者として成長すると、アナベルは恩師の死をきっかけに、王都で私塾を開くことにした。

 そして、嫁いでいった姉たちの強力な支援を受け、王立学院に習い、貴族令嬢に高い教育と礼儀作法を身につけさせるための、女性のみの完全入寮制の私塾を王都に開いた。

 父親が家のため、自分のためにと広げた人の輪が、アナベルを支え、ヴォオス初の女性の高等教育機関は開校当初から高い評価を受けた。

 わがまま放題で育った娘が、見違えるような淑女に生まれ変わって帰ってくる。アナベルの指導はヴォオス随一であると言われるまでになった。

 厳格ではあるが、公明正大で、家格に左右されないその教育は、開校当初こそ大貴族からの抗議や圧力があったが、その行為自体が狭量で低俗であるとの認識が貴族社会に広がると、体面を重んじる貴族たちは、アナベルの上下の別ない厳しい教育指導に口を挟まなくなった。


 知名度とともにアナベルの私塾は規模を増し、王都内に分校をいくつも持つようになった。

 規模が増すにつれ、アナベルの責任は、教育者から経営者へとその質を変えていった。


 ――金貨の魔力


 アナベルは、あるいは成功しなければ、自身が思い描いた通りの人間として、人生を全う出来たかもしれない。

 名ばかりの貧乏貴族などからは想像もつかな程の富と名声を得たアナベルの周囲には、秀麗で上品な仮面をかぶった金の亡者たちが集まり始めた。

 彼らがアナベルに捧げる美辞麗句は、わびしい少女時代を過ごした彼女の心を、甘美な味わいの美酒で満たし、酔わせた。

 その快感に溺れる程、アナベルは愚かではなかったが、真っ白だったはずの心は、したたったワインが濃く、赤黒く染み込んでいくように、心の色を染め変えた。


 それは厳格の衣をまとった傲慢であり、気品を装った差別意識としてアナベルの中に根を張った。

 生徒たちを相手にしていれば、アナベルはその変化に気がつき、自身を戒めることが出来たかもしれない。だが、歯だけは白いどす黒い笑顔を持った亡者たちを相手にしていては、気がつきようもなかった。


 そんな折、懇意にしている宰相クロクスの腹心から、王女リードリットの教育係の話が舞い込んできた。

 一国の王女の教育を、他のだれに出来ようか? 傲慢に心を支配されていたアナベルは、一方的な使命感から、半ば強引にこの話をまとめ、即日王宮へと上がった。





 クロクスが国王親子に用意した箱庭でアナベルが目にしたものは、権力に飼いならされた感情を持たない大人たちの中で、わがまま放題に生きる真っ赤な悪魔だった。

 

 甲高い声を上げ、中庭をはだしで駆け回るその姿は、王女という身分を含め、アナベルには許容しがたい醜態であった。

 人とは思えない真っ赤な髪と黄色い瞳。細くて小さな体。アナベルにとってそれは、まさに小鬼ゴブリン以外の何物でもなかった。


 アナベルが呆気に取られていると、周囲の人々が次々とひざまずいていった。何事かと周囲を見回すと、そこには甘やかな微笑をたたえた国王バールリウスが立っていた。

 己の失態に歯噛みする思いで慌ててひざまずく。礼儀作法を教えに来た人間が、礼を失するなど、アナベルにとってそれは、耐え難い失態だった。

 先にひざまずいていた侍女たちに、ひそかに笑われているのではないかと思うと、アナベルは顔を上げることが出来なかった。

 

 消えてしまいたいと考え、周りの声も音も聞こえないほど自分の内側に閉じこもっていたアナベルの手を、不意に温かさが包み込んだ。

 驚いて顔を上げると、国王みずから膝をつき、自分を立たせようとしてくれていたのだ。

 狭まっていた視界が一気に開く。そこには先程ひざまずいていた侍女たちが全員立ち上がり、自分を待っている光景が映った。

 国王の大きく暖かい手に引かれながら、アナベルは慌てて立ち上がった。


 女性としてはかなり大柄なアナベルが見上げるほど国王の身長は高く、見下ろしてくる瞳には、アナベルを一人の女性として気遣うやさしさが込められていた。

 眉目秀麗。絵に描いたような美男子とは、まさに目の前にある笑顔を表現するために用意された言葉なのではないかと本気で思うほど、バールリウスには温かみを持つ美しさがあった。


 富を得て後、多くの男たちが自分の歓心を買おうと、甘い言葉と笑顔を押しつけてきた。銅貨一枚必要としない贈り物の山は、薄氷の下に汚泥の溜まった底が見える沼のようで、受け取られることなく見透かされ、アナベルに不快感だけを残して沈んでいった。

 多くの敬意は受けてきたが、やさしさに触れることのない人生を歩んできたアナベルは、底意のないバールリウスのやさしさに、一瞬で心のすべてを飲み込まれてしまった。

 はしたないと思いつつも、年下の国王を見つめる視線を外すことがどうしても出来ない。悪い噂ばかり耳にしてきたが、現実は大違いだ! 妬心ばかりで本質を見ようとしない廷臣たちの愚かさに、アナベルは本気で腹を立て始めるほど、その想いはバールリウスに傾注していった。


 なにか言わなければと思いつつも、言葉が出てこない。まるで教育を受ける前のただの小娘に戻ってしまったような気分で立ち尽くしていると、

「よく来てくれた。その方がクロクスが手配してくれた教育係だな?」

 バールリウスの方から気さくに声をかけてくれた。

「は、はい!」

 答える声が裏返る。これでは小娘そのものである。

「来たばかりでなにかと勝手のわからぬことも多いであろう。遠慮なくこの者たちにたずねるがよい」

 バールリウスはそう言うと、周囲の侍女たちに、協力するように申し渡した。

「そういえば、まだ名を聞いていなかったな。その方名は何と申す?」

「ア、アナベルと申します」

「アアナベルか。珍しい名だな」

「アナベルです! 申し訳ありません! 緊張して……」

 バールリウスのあり得ない聞き間違いを、アナベルは慌てて訂正した。

「緊張することはない。そなたの働きに期待する」

 バールリウスはそう言うと、手の中に包んでいたアナベルの手の甲に口づけた。

 計算でもなければ打算でもない。女好きが極まった結果、ごく自然に行えるようになった無意識の動作だ。

 

 頭の中が真っ白、ある意味熟れ過ぎた桃のような色になりながらも、アナベルは骨の髄まで染み込んだ礼儀作法で、ぎくしゃくとではあるが礼を返した。

 心はすでにバールリウスの下にある。


「リー! 来なさい」

 季節は冬。国中が雪と寒さに閉ざされている中、バールリウスたちが過ごしている中庭は、床下に流れる温水と、各所に置かれた火鉢のおかげで花々が咲き乱れる春の様相を呈していた。

 この中庭の外では一匹も存在しない黄色い翅を持つ蝶を、嬉しそうに追いかけていたリードリットが、奇声を発して駆けてくる。


 その光景は、貴族特有の差別意識と、無意識の内に周囲の環境に黒く染められてしまった傲慢な心を通して見ているアナベルには、お優しい国王陛下にまとわりつく、真っ赤な小鬼にしか見えなかった。


 真っ赤な小鬼を抱き上げて満足そうにほほ笑む国王バールリウスを見て、アナベルは国王のために、この邪悪な小鬼をはらわなければいけないと、忠誠心から心に誓った。

 その誓いが、自分には決して向けられることがないとわかっている愛情に満ちた笑顔を、一人独占しているリードリットに対するどす黒い嫉妬から生まれたことに、アナベルは気づいていながら向き合おうとはしなかった。





 そして事件はその日の内に起こる。

 

 嫉妬に歪められた使命感から、アナベルは厳しい教育指導に着手した。

 まず手始めに、リードリットの「なぜ?」と「どうして?」を封じるために、徹底的に質問を跳ね除けた。

 五歳の少女が好奇心を持つのはごく普通のことだ。自然と質問が多くなる。

 アナベルはリードリットのありふれた人間性を否定したのだ。以前の彼女であれば根気強く質問に答え、好奇心を向上心へと導いていっただろう。

 しかし、命令することに慣れ、命じられた相手が無条件で従うことが日常化していくにつれ、アナベルの根気は失われていった。

  

 元々アナベルの目にはリードリットが醜い小鬼にしか見えていない。自分の指導に逐一逆らうわがままな生き物でしかなかったのだ。

 それがリードリットにとっては単なる疑問であっても、疑問を持つことをそもそも否定しているアナベルには不快以外の何ものでもなかった。


 最後の質問が跳ね除けられると、リードリットはアナベルに対して心を閉ざした。

 質問はリードリットにとって、自分に対してあからさまな悪感情を持っているアナベルに対する最大限の譲歩でもあったのだ。

 奇異の目にさらされ続けたリードリットは、人の悪意に対して敏感だ。それでも笑顔を失わないのは、偏見、差別といった自分に向けられてくる視線が、決して正しいものではないと本能的に察し、その悪意に飲み込まれない強い心を持っていたからだ。


 相手にする価値はないと見限ったリードリットは、無視してアナベルの下から離れようとした。

 その瞬間、アナベルの手が伸び、リードリットの小さな耳を強くねじりあげた。

 今よりもずっと幼いころに乳母役の侍女から虐待を受けたリードリットが、身を守ろうと反射的にアナベルの手を打つ。

 これが思いのほか力が強く、アナベルは手を放しこそしなかったが、思わずカッとなり、さらに力を込めてねじりあげた。

 痛がるリードリットを引き寄せ、真っ赤になった耳に冷たくささやいた。


「わがままが通ったのは昨日までです。私の言うことに、二度と逆らうんじゃありま……」

 言えたのはそこまでだった。

 恐怖を与えてリードリットを従わせようと顔を寄せたのが、アナベルの間違いだった。

 

 怒りに目をむいたリードリットが、手の届く距離に近づいてきたアナベルの耳をつかみ、一気に引きちぎってしまったのだ。


 衝撃が混乱を呼び、自分が鮮血のあふれる耳を抑えて絶叫を上げていることに気がついたのは、駆けつけた衛兵に助け起こされ、

「殺して! あの化け物を殺してちょうだい!」

 と、叫んだ直後だった。


 怒りの形相でバールリウスが近づいてくる。その手にはすでに抜身の剣が握られている。

 王の逆鱗に触れてしまったことを悟ったアナベルは、心の中で事のすべてを否定する。

 あなた様のためにしたことです。あなた様を思えばこそです。と……。


 支えてくれていたはずの衛兵の手が、今は自分を罪人のように取り押さえている。

 何故こんなことになった? どうしてこんなことになった?

 リードリットに対して徹底的に拒んだ質問が、頭の中で繰り返される。自分が答えようとしなかったように、アナベルの疑問に答えてくれる存在はどこにもいなかった。


 人生で初めて恋い焦がれた男が、やさしかった瞳に怒りをたたえて剣を振り上げる。

 気持ちの整理などつきようもなく、アナベルはただ狂ったように叫んだ。


 振り上げた剣が振り下ろされようとしたとき、リードリットが割って入った。

「お父様! 邪魔しないで!」


 血の滴る耳を握ったまま、リードリットが父をにらむ。そして父の言葉も待たずにアナベルに向き直った。


「髪が赤くても、目が金色でも、私は何も悪くない! 最初から私を良くない目で見ていたあなたに、教えてもらうことなんて何もないわ! 化け物は私じゃなくて、嫌な心をしたあなたの方よ!」


 この言葉がアナベルの心の芯を捉えた。


 男に生まれなかったこと。美しく生まれなかったこと。どちらも自分が悪いわけではない。なのにどうして、まるで自分が悪いかのように扱われなければいけないのか。

 自分が幼いころ、ずっと苦しめられてきた理不尽だ。

 自分はいつ、自分を見失ったのだろう? いつから自分を苦しめてきた人々と同じ場所に立つようになったのだろう?

 女性の地位向上を考えて開いたはずの私塾で、いつの間にか権力を振りかざす醜くて愚かな男たちと同じ人間になってしまっていた。


 目に前に、炎の化身のような少女がいる。

 国王であり、何より男である父に、真っ向から意見する、強い心を持つ女が――。


「これは返します。もう帰って」

 そう言ってリードリットは握りしめていた耳を差し出した。


それは他の者からは異様な光景にしか見えなかっただろう。

 アナベルは差し出された自身の耳を受け取ると、鼓動と共に新たな鮮血を噴き出す耳の傷も構わず、リードリットの前にひれ伏した。

 

 改めて気づかされた。自分は男に勝ちたかったのだ。地位や富ではなく、存在の価値で――。

 なまじ地位や富を得たことで、自分の在り方を見失っていたのだ。

 

 勝てる存在がいる。


 目の前に!


 小鬼にしか見えていなかったその姿は、今では自分を導く戦乙女の幼子に見える。


「リードリット殿下。私は死罪に値する罪を犯しました。今この場で死を賜りましてもお恨みいたしません。その上で、伏してお願い申し上げます。私に、今一度お仕えする機会をお与えください!」


「私の目を見て!」

 ひれ伏すアナベルにリードリットが命じる。

 アナベルが顔をを上げると、リードリットが無事な方の耳に手を掛けた。

 周囲の侍女たちの間から小さな悲鳴が上がる。新たな鮮血を想像したからだろう。


 体験したばかりの痛みと恐怖が再び襲いかねない状況で、アナベルは目を逸らすことなく一心にリードリットの金色の瞳を見つめた。視線に想いのすべてを込めて――。


「いいよ」

 リードリットはいともあっさりアナベルを受け入れた。

「いいのかい。リー?」

 振り上げていた剣を下ろしたバールリウスがたずねる。

 父の問いに、リードリットは五歳児らしい愛らしい仕草でうなずいた。

「私を見る目が変わったからいいの」

「そうか。お前がそう言うのなら、この者を許そう」


「陛下。並びに殿下。寛大なご処分感謝いたします。今この時より、この命尽きるその時まで、身命を賭してお仕え致します」

「そうか。では今一度、新たな意味を込めて言おう。そなたの働きに期待すると」





 治療を受けたアナベルは、その日のうちに私塾の経営権を信頼の置ける者に譲渡し、個人資産のすべてをリードリット個人に寄進して王宮に入った。

 引きちぎられた片耳は、自らに対する戒めと、忠誠の証として防腐処理を施して首から下げている。


 世間ではこの出来事を、リードリットの魔性の目覚めと呼び、恐れた。

 はたから見ればわずか五歳の少女が異常なまでの怪力を発揮し、大人の耳を引きちぎり、引きちぎられた方は、命乞いのために私財のすべてを投げうった上で絶対の服従を誓わされたように見えたのだ。

 その出来事も、事態の決着も、悪魔掛かって見えるのは無理もない話であった。


 常人離れした怪力に目覚めたリードリットは、この後武術や剣術にのめり込むようになり、腹心となったアナベルと共に戦士としての技量を上げていく。

 加えて、一度は拒んだアナベルの教育を素直に聞き入れ、一流の教育と礼儀作法も身につけた。


 元々才能もあったのだろう。リードリットに従う形で始めた武術や剣術の訓練は、アナベルを劇的に変えた。女性としては大柄な体格。女性らしくない顎の形。アナベルを劣等感で長年苦しめてきた外見的特徴は、鍛え上げられ、軍装に身を包んだ途端、王都中の女性の視線を惹きつけて離さない魅力を放ち始めた。

 アナベル目当てで集まった女性たちも、いつしかリードリットの強さに感化され、剣を手にするようになった。

 その過程で親衛隊とも言うべき女性のみで構成された<赤玲騎士団>せきれいきしだんが結成され、今現在、リードリットと共にミデンブルク城塞に駐屯している。









「あれは混乱しか生まん」

 大きなため息とともに、ロンドウェイクが言う。

「そうですかな? 五年前のゾン侵攻の際、まだ十五になったばかりの殿下に率いられた赤玲騎士団が、撤退を開始したゾン軍を徹底的に痛めつけ、殿下に至っては敵軍の将軍の首級をお上げになったほどの活躍を見せたと記憶しておりますが」

 誰もが否定的な反応を示す中、クロクスだけがカーシュナーの意見に乗り気を示す。

 リードリットの暴走とも思える多くのわがままを通してきたのは、他ならぬクロクスであった。赤玲騎士団の結成から、その運用資金の用立てまで、すべて手配したのもクロクスである。


 二代前までは、どれほどの資産を有していようとも、あくまで平民でしかなかったクロクスには、王族や貴族特有の偏見はさほどない。あるのは無能な者に対する侮蔑の念だ。

 クロクスはリードリットを評価したわけではない。それこそ毛色の違う小娘としか考えず、父であるバールリウスを手なずけるために、溺愛する娘を利用したに過ぎないのだ。


 これが思いのほか有能なようで、女が騎士の真似事などと言われ、その実力が評価されることはないが、現実に実戦で成果を上げている。

 それなりの費用は投資しているのだ。使えるのならば十二分に使う。使えないのならば切り捨てればいいだけだ。例えそれが王女であっても。


「殿下。途中で乱入されるよりは……」

 カーシュナーが言葉を濁して進言する。

 その意味するところをたちどころに悟ったロンドウェイクが、先程以上に大きなため息をつく。

「シヴァだけではなく、リードリットと赤玲騎士団まで引き受けるというのか? ありがたい話だが、何もそこまで苦労を買って出なくてもよかろう」


 リードリットが気まぐれに戦場をかき回すようなことをすれば、勝てるいくさも勝てなくなる。これまで意識の外に故意に置いておいた存在が、にわかに頭痛の種になってくる。


 決して認めるつもりはないが、リードリットは父とは違い、王家の血の力を色濃く宿している。

 でなければ、わずか五歳で大人の耳を引きちぎるようなまねが出来るわけがない。長じてみれば、その異常なまでの怪力と、わがままで色付けされた鋼の意志は、もし男に生まれていれば、歴代の王の中でも抜きん出た存在になったに違いない。

 そうなっていれば、今頃怠惰な父はこれ幸いと早々に退位して玉座を譲っていただろうし、自分も大将軍の地位に満足し、野心に身を焦がすこともなかったかもしれない。


 ロンドウェイクは小さく頭を振ると余計な思いを振り捨て、現実に帰った。

「リードリットを動かせるか?」

「動かすことは簡単です。放っておいても王女殿下は独自に行動を起こすでしょうから。肝心なのは、王女殿下をいかに主戦場に近づけさせないかです。それを考えれば、西方での予想外の侵略は、領主方には申し訳ない話ですが、むしろ好都合と言えるでしょう。西方で暴れて満足してくれれば言うことはありませんし、損害の大部分を赤玲騎士団が引き受けてくださるでしょうから、各領主方の兵力の消耗を抑え、その上で王女殿下の兵力は減じるわけですから、仮に主戦場に乱入されたとしても、戦局に影響を与える可能性はかなり低くなるはずです」

 カーシュナーの意見にロンドウェイクがうなずく。


「エルフェニウスはどう考える?」

「宰相閣下がおっしゃられたように、王女殿下と赤玲騎士団は、確かに五年前のゾン侵攻の際に功績を立て、騎士団としての実力を示しました。その後戦場を求める殿下は赤玲騎士団ともにミデンブルク城塞にその活動拠点を移し、ゾンとの小競り合いを続けていたようですが、猛将型の殿下は正面決戦を好まれ、あまり策を弄することを好まないと聞いております。

 カーシュナー殿は殿下を、というより赤玲騎士団を西方の侵略集団討伐の主軸に据えたい意向のようですが、王女殿下の性格を考慮いたしますと、赤玲騎士団はあくまで不足している兵力の底上げと考え、西方の各領主方に奮起していただき、西方の平定を進めるべきかと考えます」


「確かに、私も意見をひるがえすわけではありませんが、エルフェニウス殿の意見が最もかと思います。王女殿下の行動を御することは、正直私には不可能でしょう。西方への援軍派遣を取りつけるだけで精一杯かと思います」

 エルフェニウスの提案に、カーシュナーが首肯する。

 その態度は、カーシュナーがエルフェニウスの才能に全面的な信頼を寄せているようにも、その才能に媚びているようにも映った。


 この会議場の中で、唯一その態度に不審の念を抱いているのは、カーシュナーに持ち上げられているエルフェニウス本人だけだった。

 だが、どれほどカーシュナーの態度と才能に疑いを持ったとしても、それを暴き立てる手立てはエルフェニウスにはなかった。

 幼少のころより上昇志向に溢れ、ライドバッハを超えることを人生の目標にしてきたエルフェニウスには、自身の実力を世に知らしめたいという強い欲求がある。故に、その実力どころか、人としての本質そのものを隠したがっているカーシュナーの心情と行動は、エルフェニウスには読み取ることの出来ない類のものであった。


 形を成そうとしない疑念を振り払うと、エルフェニウスは各領主に謎の侵略集団を討伐するための策を授けていった。

 先程まで不安と焦燥で歪んでいた領主たちの顔に、自信が蘇る。

「ジィズベルト。本当にお主は残るのか?」

 ぐらぐらに揺れていた西方貴族たちの性根に活を入れるため、兵を領地に返さないと宣言したジィズベルトに、ロンドウェイクが確認する。

 状況的には、ジィズベルトが兵を返しても問題はない。王国軍と貴族連合軍の攻め手が欠けるという難点はあるが、混乱が拡散し過ぎた現状では、ライドバッハとその十万の軍勢を一戦で打ち破り、混乱の元凶を取り除くことはもはや不可能な状況になってしまっている。


 仮に強引に決戦を挑んだとしても、ライドバッハが正面決戦を受けてくれればいいが、兵を引かれ、守りに入られれば、側面や背後をアペンドール伯爵や謎の侵略集団に突かれる可能性が極めて高い。

 ライドバッハに集中するためにも、まずは予想外の敵戦力を各個撃破していくしかないのだ。

 それを考えれば、ヴォオス西方に領地を持ち、地理に詳しいジィズベルトは王都に残るよりも、謎の侵略集団の討伐に加わる方がより効果的と言える。


「西方の各領主方は、今さら私の戦力が必要などと考えてはおりますまい。ヴォオスに弱兵なし! それは西方貴族も同じこと。必ずや西方の地を荒らしたならず者どもを討ち取り、兵を返して殿下のもとへ馳せ参じてくれることでしょう」

 ジィズベルトの言葉には、多分に皮肉の要素が込められていたが、この言葉を否定することは、自身の臆病さを証明するに他ならず、うなずく以外の選択肢はなかった。

「言われるまでもない。お主は西方貴族を代表して、殿下のお側に控えていてくれ。お主の領地も父上も、まとめて我らが守り、愚かな盗賊崩れどもの首を手土産に、ライドバッハとの一大決戦の景気づけにしてくれるわ!」


 ジィズベルトを罵って、危うくブレンダンに絞殺されそうになった貴族の肩を叩きながら、骨の太そうな貴族がジィズベルトの言葉に答える。

 その意図するところは、先程のいざこざを双方水に流せというところだろう。

「西方を頼みます」

 我を張らず、年少の例に習い、ジィズベルトが先に頭を下げる。

 頭を下げられた貴族は、ブレンダンの刺すような冷たい視線を極力無視しながら、精一杯の虚勢を張って答えた。

「私も言葉が過ぎた。臨月を迎えた妻を領地に残してきたので気が立っていたようだ。許してほしい」


「うむ。これで話はまとまった。西方に立つ領主とカーシュナーはただちに出立の準備を進めよ。糧食はこちらで用意いたすゆえ、兵と装備を急ぎまとめてくれ!」

 ロンドウェイクが最後に懐の広いところを見せてその場を締めくくった。





 西方貴族と共に退出して行きながら、カーシュナーは内心でほくそ笑んだ。

 厄介者として引き取ることになったリードリット王女の存在は、カーシュナーにとっては複雑な状況下で行動の自由を得るための免罪符であり、カーシュナーがヴォオスの現状の上に描き出そうとたくらむ未来図を描くための絵筆でもあった。

 もっとも、それはカーシュナーがリードリット王女を自身の影響下に置けるか否かに掛かっている。


 カーシュナーは思う。自分はどこまで行っても一流の策士にはなれないと――。

 それは計画のどこかに、いつも必ず勝率の低い賭けが混じっているからだ。

5/9 誤字脱字等修正

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