プロローグ ~黄金と翠玉の再会~
まるで命を根絶やしにしようと、悪意すら感じられる太陽が照りつけ、抗う術を持たない岩と砂を焼いている。
明け方わずかに溜め込まれた水分はとうに干上がり、焼かれた砂が放つ熱気で、大気は奇妙なゆがみを見せている。
空を仰げは雲一つなく、雨の気配どころか、気休めの日影すら望めない。空を舞う鳥の姿など当然見られず、岩と砂ばかりの地上にも、命の気配は見られない。
死の大地――。
熱砂の国ゾンでは、長い夏季の間、そんな場所が国土の大半を占めた。
五年前、突如大陸全土を覆った終わらない冬は、他の多くの国々から命を奪ったが、熱砂の国はこの地を守護する神の炎に守られたのか、冬の寒風は春のそよ風となってゾンを覆い、建国以来初めてとなる潤いを国民に与えた。
それまではすべての水を奪う夏季には農耕など行いようがなかったのが、一年の大半を通して作付けが可能となり、隣国が疲弊していく中、ゾンのみがその国力を増していった。
そんな奇跡のような二年間で得た物を、ゾンの国民性がそうさせたのか、以降の三年間で派手に浪費しつくしていた。
人々は遊び呆けることに嫌々ながら終止符を打ち、再び金儲けに着手する。
ゾンの主な産業である奴隷売買に――。
ゾン人は非常に明るく、会話の中にも隙あらば常に冗談を放り込んでくる、笑い優先の気質を持っている。同時に商売熱心で、「ゾンでは空気を吸っても金を取られる」と揶揄されるほど、商魂たくましい国民性をあわせ持っている。
そんな一見とっつきやすく見えるゾン人ではあるが、倫理観が他国の人間から見ればかなり欠落していることになる。
人身売買及び、奴隷狩りに対し、欠片の罪の意識も持っていないのだ。
彼らにとって他者とは所有出来るものであり、正規の手続きさえ踏んでいれば、奴隷を所有することは何ら非難される筋合いのないことなのであった。
そして彼らの主張する正規の手続きとは、奴隷狩りで捕らえる、もしくは奴隷を売買してその所有権を得るという、なんとも自分本位なものであった。
大陸で唯一奴隷制度を廃止し、奴隷の所有を非難し続けるヴォオス人とゾン人が出合うと、奴隷の所有という非人間的行いを非難するヴォオス人に対して、ゾン人は必ずこう言い返す。
「お前らだって牛や羊を飼うだろう! 人を飼って何が悪い!」
ゾン人にとって、奴隷となった者たちは人間ではなく、家畜の一種とみなされるのだ。
ゾン以外の国々にも奴隷は存在するが、その根底には必ず『欲』が存在する。所有欲。支配欲。はては性欲まで、己の利益のために他者を踏みつけにしているという自覚がある。
だが、ゾン人はこの感覚が非常に薄いのだ。場合によっては欠如しているとすら感じられるほどに。
そんな感覚の持ち主たちは、当然体力的に下位に甘んじなければならない女性に対しても、当たり前に多くの制約を強いている。
それは同じ人間であるという意識が働く分、奴隷に対してそれほど強く作用しない支配欲がむしろ強く刺激されるからであった。
他国における隷属が、ゾンでは男女間で発生する。
完全な男尊女卑の国――。
それがゾンという国の、もう一つの側面だった。
支配階級の下に民衆があり、その民衆の中で男尊女卑による隷属関係が存在し、そのさらに下の存在として奴隷がいる。
つまり、このゾンという国では、女奴隷という立場が最も過酷な環境になる。
そんな底辺で生きることを余儀なくされた少女リザは、奴隷商人率いる奴隷狩り部隊に前後を固められ、ただとぼとぼ歩き続けていた。
リザはゾン国人ではあるが、溜まりに溜まった飲み屋のつけの支払いに困った父親によって売られ、その身を奴隷に落としていた。
そこに同国人であるという情けは微塵もなく、ゾン人の感覚からすれば、「まあ、仕方がないんじゃない」程度のことでしかなかった。
似たような境遇の少女たちが、リザの前を痛みをこらえながら、妙な内またで歩いている。今日買われたばかりのリザにはわからないが、彼女たちは奴隷商人やその部下の兵士たちによって凌辱され、それまで守ってきた純潔を奪われ、精神と肉体の両方の痛みに耐えて歩いているのだ。
そしてその運命は、今夜リザにも降りかかる。
喉が渇いた――。
リザは水のことしか考えられなくなていた。
逃げるような気力を与えたくない奴隷商人は、移動の間ギリギリの水しか与えない。仮にそれでも気力を振り絞って逃げたとしても、長くは走れないため結局捕まることになる。その後に待つのは見せしめを兼ねた拷問だ。
リザは無意識に空を見上げた。
両側を崖に囲まれたこの道は、正午以外は焼け付く陽射しから旅人を守ってくれる。そうでなければこの季節の昼間に移動など出来はしない。
崖によって切り取られた細長い空には、どれだけ眺めても恵みの雨をもたらす雲の気配は見つからなかった。
だがその代わりに、リザの視界には雨粒などとは比較にもならないほど大きな影が、崖上から身を躍らせて落下してくる姿が飛び込んだ。
「皆殺しだぁっ!! このくそ共がぁっ!!」
という、聞くに堪えない罵声と共に――。
大きな影は一つではなかった。
次々と崖の上から姿を現し、奴隷狩り部隊の兵士目掛けて斬りかかって行く。
リタの前後で怒号と悲鳴が入り混じり、喉の渇きを癒してはくれない血の雨が降り注ぐ。
剣戟の音に砂埃が混じり、断末魔の叫びが恐怖と共に吹き荒れる。
感情が乾ききってしまい、これまで無反応だった少女たちにもようやく事の次第は染みわたり、混乱が生まれる。
「お前たち! 邪魔だからあっち行ってな!」
真っ先に飛び込んできた襲撃者がリザを捕まえ、耳元で怒鳴る。
そこまで近づいてようやく相手が女性であることにリザは気がついた。
よく見ると周囲で戦っている者たちも全員女性である。
「ほら、早く行きな!」
そう言ってリザは押しやられたが、その手は驚くほどやさしかった。
反射的に見返すと、その顔は好戦的に笑ってはいても、その目には奴隷狩りの兵士たちのような冷たさはなかった。
頭が動き出したリザは、恐怖に身がすくみ、動けないでいる他の少女たちを無理やり引きずると、戦場となったこの細長い場所で唯一の避難場所とも言える大きく張り出した岩陰に飛び込んだ。
だが、そこにはいち早く逃げ出して避難していた奴隷商人がいた。
「な、何をしに来た! こ、ここはわしの場所だ! 出てけ! 出ていけぇっ!!」
でっぷりと太った商人はそう叫ぶと、リザを思い切り突き飛ばした。
痩せたリザは商人との体重差もあり、驚くほどの距離を飛ばされる。
地面に叩きつけられたリザはそのままさらに1メートル以上転がってようやく止まる。
残された少女たちは奴隷商人がギロリと睨むと、真っ青になって固まってしまった。夜ごとに暴力と辱めを受け、奴隷商人に対する恐怖が全身に染みついてしまっているのだ。
その反応に勢いを得たのか、奴隷商人は倒れながらも反抗的な目で自分をにらみつけてくるリザに制裁を加えようと近づいていく。
「殺れっ!!」
そのリザの背中を、先程の女戦士の叱咤が叩く。
抑圧され続けて来た人生の中に、『戦う』という選択肢は今までなかった。リザ自身、自分の中にそんなものがあるなどとは考えたことすらなかった。
だが、追い詰めれられた状況に、リザの身体は反射的に反応していた。手にはいつの間にか握り拳ほどもある石が握られている。
リザの胸ぐらを掴み引きずりあげた奴隷商人は、薄笑いを浮かべて振り上げた拳を振り下ろす前に、精神的にも肉体的にも無駄に高かった鼻っ柱をしたたかに殴りつけられ、悲鳴を上げて手を離した。
慌てて体を丸める奴隷商人の背中を、リザは何度も何度も殴りつけた。だが、少女の細腕では急所にでも入らない限り、成人男性に致命傷を追わせることは不可能であった。
鼻をへし折られた痛みと混乱から脱すると、奴隷商人は無我夢中で自分の背を殴り続けるリザの足首を掴み、一瞬で引きずり倒すと形勢を逆転させた。
怒りと憎しみが奴隷商人の顔を醜く歪める。そして、倒れたリザの前に仁王立ちになると、怒りに任せてわめき散らした。
「図に乗るな奴隷の分際でっ! 男に逆らうなっ! 女のくせにっ!」
大人の男に見下され、吼えられ、リザは腹の奥がギュッと収縮するのを感じた。それに伴い、リザの目にあった抗う力に陰が落ちる。
「うるさいっ! あんたなんて大嫌いだっ!」
それでも最後には奴隷商人の目を見返し、言い返してやった。言葉に毒も棘もないが、それがまだ少女でしかないリザの精一杯だった。
自分の背中をやさしく押してくれた女戦士の姿を求めて横を向くと、二人の兵士と戦いながらも必死で自分のもとに駆けつけようとしている視線とぶつかる。
リザは最後に小さく笑うと、醜くいやらしい商人の顔を見なくていいように、固く目を閉じた。
直後にドスンでもドカンでもない、無理やり表現するのなら、ドゥグチャッ!!という、何か大きなものが潰されるような、胸の悪くなる音がリザの耳を満たした。
覚悟していた痛みがいつまで経っても襲い掛かってこないので、リザはそっと薄目を開けてみた。そこには、さっきまでいた直立した豚のような奴隷商人ではなく、身の丈2メートルはあろうひょろ長い影が立っていた。
驚きに目を剥いたリザの視界に、ひょろ長い影の足元であり得ない角度に身体を折り曲げた奴隷商人の死体が飛び込んでくる。
両肩には大きな足跡があり、このひょろ長い影に踏み潰されたことがわかる。潰れた衝撃で飛び出したのだろう。むき出しになった奴隷商人の目が、左右逆の景色を眺めていた。
リザは自分の身体が不意に浮かび上がる感覚を覚えた。いつの間にかひょろ長い影の主に抱き上げられていたのだ。
そのまま岩陰にまで運ばれるとそっと降ろされる。
「君は負けなかった。よく頑張った」
ひょろ長い影はそう言うと、大きな手でやさしくリザの頭をなでた。
悲しくもないのに涙があふれてくる。
大きな手はもう一度やさしく頭をなでる離れて行った。
逆光で影になっていたその姿が露わになると、リザは思わず息を呑んだ。
やさしく自分を見下ろす瞳の色が、まるで翠玉をはめ込んだかのように美しい緑色をしていたからだ。
「おっせえんだよ、カーシュ!!」
ひょろ長い男の背中に、先程の女戦士の罵声が投げつけられる。言葉のわりに、声には安堵がこもっている。
「セレンが勝手に出撃したんだろ! 探すの大変だったんだぞ!」
「うっせぇ! あんたがもたもたしてるのが悪いんだよ!」
正論を悪態で跳ね除けられたカーシュナーは呆れるしかなかった。
「ダーン。セレンたちの援護を頼む。俺はこの子たちの枷を外す」
「わかりました」
カーシュナーの指示に、ダーンが鋭く答えると、セレンの背後を取ろうとしていた兵士に斬りかかって行った。
「簡単に説明する。あのお姉さんたちは、君たちを奴隷商人から助けるためにここに来た。ちなみに俺もその仲間ね。で、君たちは俺たちと一緒に逃げなきゃならないから、その手足の枷を外します。信じてくれって言っても難しいとは思うけど、ここにいても別の奴隷商人に捕まって、もっとひどいことになるだけだから、とりあえずここから逃げる間だけでも俺たちについて来てほしい」
そう言うとカーシュナーはいつの間に奪ったのか、少女たちの枷の鍵束をくるくると回した。
戸惑う少女たちをカーシュナーは辛抱強く待つ。
「お願いします」
やさしくなでられた大きな手の感触を思い出しながら、リザは両手を前に出した。
「ありがとう」
助けてくれる相手から逆に礼を言われ、リザは何と答えていいかわからずうつむいてしまう。
そして驚かされる。この時すでに両手の戒めは解かれ、足の枷が外れる瞬間を目の当たりにすることになったのだ。
リザを縛り続けていた二組の鎖はもはやなく、カーシュナーの肩にかかっていた。
驚きのまま視線をカーシュナーに戻すと、リザは再び美しい翠玉の瞳と出会ってしまい、息をするのも忘れて見入ってしまった。
「たらし込んでんじゃねえよ!!」
そのカーシュナーの背中に、なかなかに容赦のない蹴りが叩き込まれる。
ダーンの加勢で状況は一気にセレンたちに傾き、後を仲間に任せたセレンがカーシュナーを手伝いに来たのだ。
「お前らももたもたしてんじゃねえよ! ほら、はやくこの変な奴に枷取ってもらえ!」
そう言いながら腰に下げていた水袋をリザに渡す。
反射的に受け取ってしまったリザが視線で問いかけると、
「喉乾いただろ? 全部飲んでいいからな」
という答えが帰って来た。
その一言で自分がどれほど乾ききっていたかを思い出したリザは、水袋の栓をむしるように外すと中味を一気にあおり、激しくむせ返った。
「落ち着け! 誰も取らねえからよ!」
苦しげに咳き込むリザの背中を、セレンがやさしく叩いてやる。
「ご、ごめんなさい。あ、ありがとう」
助けてもらった上に水までもらっていながら、未だに礼の一言も言っていなかったことに気がつき、リザは咳き込みながら礼を言う。
その健気な姿に、まだ戦いの最中であるにもかかわらず、セレンは思わず笑みを浮かべてしまう。
返り血を浴び、殺気を纏っていたセレンがわずかにのぞかせたその笑顔が、少女たちの恐怖に縛られた警戒心を解く。
「お、お願いします」
リザに続いてもう一人の少女が勇気を振り絞ると、少女たちは一斉にカーシュナーに群がった。
「おい! そんなにいっぺんは無理……」
混乱は作業効率の低下を招く。どんなに焦れようと、一人一人順番に枷を外していく方が最終的には早い。そう思って少女たちを注意しようとしたセレンであったが、幾本もある鍵を恐ろしい速度で刺しては回し、次々と枷を外いていくカーシュナーに呆気に取られ、途中で言葉を呑み込んだ。
枷の数に対して鍵の数の方が圧倒的に少ない。大量生産であるため簡単な構造の物が数種類しかないのだ。とは言え、そこは確率の世界である。運が悪ければすべて試して最後の一本が正解ということもあるはずだ。だが、カーシュナーは二回目には確実に解錠してのけていた。そして、それもすべての鍵が一巡すると、以降はすべての枷を一発で解錠していった。瞬く間に少女たちは解放され、自由を取り戻していく。
「単純な錠だからね。鍵の手応えで内部構造がだいたいわかるんだよ。構造がわかれば鍵の先端の形状から合う鍵を推測出来る。錠の中も全く見えないわけじゃないからね。見るべき場所を心得ていれば、この程度の錠はちらっと中を見るだけで、どの種類の鍵と一致したか判断するのはわけないことなんだよ」
お前なんなんだよ。と言わんばかりの表情で呆気に取られているセレンに、カーシュナーは問われる前に説明した。
「……お前、なんなんだよ」
説明されても出て来た言葉に変わりはなかった。
「そんなことより、この奴隷商人の情報自体がメティルイゼット王子の罠だったんだ。向こうに砂塵が巻き上がっているだろう。セレンはこの子たちを先導して撤退してくれ」
「なっ! マジかっ!」
「マジだ。って言うか、皆の働きが<神速>の王子様をマジにさせたってわけ」
「……わりい。先走って足引っ張っちまった」
「いいよ。俺の考えはファティマに思いっきり怒られたし、怒られたことに、俺自身すごく納得している」
カーシュナーの答えにセレンが目を剥く。
「ファティマがあんたに怒ったのかい! なにやらかしたのさ! ついに押し倒しでもしたのかい!?」
「ついにってなんだよ! そんなことじゃなくて、今回のメティルイゼット王子の罠を逆手にとって、おびき出してこちらが奇襲を掛けようって策を提案したんだよ!」
「おおっ! いいじゃねえか。それでなんで怒られるんだよ?」
セレンが不思議そうに小首を傾げる。敵の罠を見破った場合、その罠を逆手に取ることは戦の常道だ。不意を突かれた相手に大きな被害を与えることが出来る。悪いどころかむしろ積極的に生かすべき好機だ。
「そのための準備に最低でも3日は必要になる。その間奴隷として肉体的にも精神的にも、少女たちは苦痛を味合わなければならない。勝つためのやむを得ない小さな犠牲。より大きな幸福のための犠牲。その考えの全てが正しくないとしても、そこには一つの真理がある。でも、それはやはり男にとっての真理でしかない。女性として、女性とすべての弱者のために立ち上がったファティマがしていい選択じゃない。今救える者たちを救う。それがどんなに小さくても、一つずつでも、それらを積み上げることで目的を目指す。効率を重視してそれをやめた瞬間、ファティマは王族や貴族たちと何も変わらない存在に落ちてしまう」
「…………」
「力に抗えず、無理やり犯される女の気持ちは、あなたにはわからない。そう言われたよ。まったくだ。そこに怒りを覚えること、代わりに仇を討つことは出来ても、それは痛みを理解することにはならない。間に合うのに助けない。俺が言っていたことは、そういうことだ。怒られて当然。俺もまだまだだ」
「男は嫌いだ。それでも女だけじゃあ生きてはいけない。結局物分かりのいい女が馬鹿な男を許して、子供を残していくしかないのさ。だったら、男にはもっとマシになってもらはなくちゃね。その点あんたはだいぶマシな方さ。それに、あんたの判断も絶対に必要な時は来る。それを男のせいにするほどあたしは卑怯じゃない。その時は一緒に泥被ってやる。あんたはあんたらしくいればいい。そうやって今もあたしらを助けてくれているんだしね」
そう言うとセレンはカーシュナーの肩を軽く殴りつけた。
「行くよ、あんたら! 他の子たちも水を貰いな! 気合入れて歩くよ!」
頭を切り替えたセレンが少女たちをまとめ、号令をかける。
その時、両側の切り立った崖の上から、精悍さの増した狼のように鋭い顔をのぞかせたイヴァンが、カーシュナーに急を知らせる。
「メティルイゼット王子の特殊部隊が、すでに目と鼻の先まで来ている! あの砂塵を巻き起こしている部隊は囮だ!」
「特殊部隊の指揮は誰が執ってる?」
「メティルイゼット王子本人だ!」
「チィッ! まったく、足の速い王子様だ!」
イヴァンの報告に、カーシュナーが派手に舌打ちをする。
「セレン急げ! 相手はただの歩兵じゃない。起伏の激しい地形での訓練を積んでいるメティルイゼット王子虎の子の特殊部隊だ。このままじゃ頭を抑えられて狙い撃ちにされるぞ!」
ゾンは国土の多くを砂漠に占められている。砂漠と聞くと砂の海を連想しがちだが、ゾンはどちらかというと乾ききった岩石がむき出しとなった岩石砂漠が主であり、長年の風化の影響で、人間には想像もつかないような複雑な地形をした場所も多い。そもそも砂漠が戦場になることは稀で、特に込み入った地形の岩石砂漠が選ばれることはない。だが、戦況が不利な陣営が苦し紛れに逃げ込むことは頻繁にあり、ときには遊撃戦を主体とした勢力が根拠地とすることもある。
カーシュナーが警戒しているのは、そういった複雑な地形で力を発揮するように特殊な訓練を施された部隊で、その危険性は暗闇で出会う暗殺者に匹敵した。
現在地はそれほど複雑な地形ではないが、太古の河川跡を人の往来がさらに削り出した谷底のような地形で、セレンたちがしたように、崖の両側を取れば、一方的に攻撃することが出来る。
疲弊しきった少女たちを崖上にあげることは困難であり、このまま移動しやすい道を行く方が距離が稼げる。だが、相手が特殊部隊では、こんな簡単な地形では隠れてやり過ごすことなど到底不可能だ。
先走ったセレンたちを追い、これが罠であることを伝えるためにカーシュナーたちが先行したが、敵の動きはカーシュナーの予測をはるかに上回っていた。このまま一緒に行動しても、後発のファティマ率いる本隊に合流する前に追いつかれてしまうだろう。
「ダーン。これはいよいよ腹をくくる時が来たかもしれないぞ」
「しんがりは私が務めます。カーシュナー様もセレンたちと共に行ってください」
「お前が残って時間を稼いでも、メティルイゼットの足は止まらないよ。ここまでしたんだ。奴は間違いなくカーディルを連れて来ている」
「<人食い>ですか……」
カーシュナーの言葉に、ダーンの表情が一層厳しくなる。
「ああ、戦を愉しむ傾向にあるメティルイゼットではあるが、ファルダハンが落ちた以上、今回は遊びなしでファティマの首を取りに来ているはずだ」
「確かに、今回の動きの速さと情報統制は、今までの比ではありませんからね」
「犬死をするつもりも、させるつもりもない。とにかくファティマが到着するまで時間を稼ぐ。それに、間に合えばメティルイゼットを討つ好機に変わる」
そういうとカーシュナーはニヤリと笑った。
かなりの危機的状況にあっても笑える主に、ダーンは改めて呆れ返った。
「イヴァン!」
「なんだ?」
カーシュナーの呼びかけに、ぶっきらぼうな答えが返ってくる。
いつの間にそこに移動したのか、つい先ほどまで崖上にいたイヴァンが、前方の岩陰からスッと姿を現す。
大陸北部出身で、色素の薄い抜けるような白い肌しているイヴァンだが、肌を保護するために驚くほどきめの細かい泥を乾燥させたものと、臭いのない油を混ぜ合わせた日よけを全身に塗っているため、驚くほどよく周囲の岩に溶け込んでいる。
「しんがりを頼む。お前の目が頼りだ」
今までの人生で表情筋を使うことが全くなかったイヴァンは、カーシュナーと行動を共にするようになって、ようやく表情の変化というごく当たり前のことが出来るようになった。
その表情筋を最大限に活用し、イヴァンはニヤリと笑った。
その笑い方があまりにカーシュナーによく似ていたので、ダーンは思わずため息をついた。
「ダーン。心配ない。悪ふざけの悪癖は、俺には無縁だ」
「そう願うよ」
ニヤリ笑いを納めたイヴァンが、ため息をつくダーンに保証する。
カーシュナーの悪ふざけには恐ろしいほどの感染力がある。気がつくと腹の底まで真っ黒に染まっていたりする。カーシュナーの無謀とも言える行動を抑えたいダーンとしては、カーシュナーのノリに巻き込まれない人材が必要なのだ。
それでも、普段の無表情に戻ったかに見えるイヴァンの口角が、普段よりもわずかに上がっているのをダーンは見逃さなかった。
もっともそれは悪ふざけの兆候ではなく、カーシュナーがしんがりという最も危険で重要な役目を自分に任せてくれたことに対する喜びであることに、ダーンは気づいていた。むしろイヴァン本人の方が自分が喜んでいることに気がついていない。
「ミランは?」
カーシュナーが弟子の一人の行方を尋ねる。
「奴ならカーシュがブヨブヨを踏み潰すのを確認すると、モランと一緒に先に戻った。今頃はいくつか罠を仕掛けているはずだ」
イヴァンが何気に毒を吐く。毒舌の感染は防げなかったらしい。
「お前たち三人は本当に当てになるよ」
イヴァンの答えにカーシュナーは満足気に笑った。
「そうだ。だから無茶をする前に俺たちを当てにしろ。必ず応えてみせる」
この若干説教気味の返答に、今度はダーンが満足気に微笑む。
「はぁ~。俺の回りにはお目付け役が多過ぎるんだよ」
「陛下の言いつけだ。いい加減諦めろ」
ため息をつくカーシュナーに、イヴァンがとどめを刺す。
リードリットの話を持ち出されたカーシュナーが露骨に嫌な顔をする。
「じゃあ行く」
カーシュナーの不満顔を満足そうに見やると、カーシュナーに匹敵する巨体を誇るイヴァンはするすると崖を登って行った。
「カーシュナー様」
イヴァンと入れ替わるようにモランが現れる。
南方民族出身であるモランは、トカッド城塞で出会ったころも十分濃い肌色をしていたが、ゾンに来てからはさらにその濃さが増し、今では真っ黒になっている。重労働で引き締められていた肉体は、カーシュナーの下で過ごすことにより、今では前後左右にぶ厚く膨らみ、その見た目に違わぬ怪力の持ち主となっている。
それでも、生来の優しい気質はまったく変わらず、視線を合わせるだけでその人柄が伝わる。
「どうした?」
モランの呼びかけに、カーシュナーが応える。
「ミランが敵部隊を進行方向に対して右側に誘導したいと言って囮役に向かいました。「罠の作動をお願いします」とのことです」
「あいつめ、最近当たり前のように俺を顎で使うようになったな」
口を尖らせつつも、目が嬉しそうに笑っている。
「カーシュナー様を危険な場所から遠ざける一番いい方法は、先にそこに飛び込んで手助けを押しつけることですからね」
モランがさらっととんでもないことを言う。
これにはさすがのダーンも吹き出した。
「まったく……。だからお前たちを連れて来たくなかったんだよ」
カーシュナーが愚痴をこぼす。
「俺たちがついてこなければ、絶対陛下がついて来ていましたよ。それよりはマシでしょう?」
さりげなく失礼なことを口にする。
「モラン。脅し文句が怖すぎるよ」
大きな目鼻をくしゃくしゃにして笑うモランに、カーシュナーは派手に震えあがってみせた。
「よし。おふざけはここまで。罠の方は任されたから、モランはしんがりに立ったイヴァンと囮になってるミランの中間位置に行ってくれ。状況の判断はモランに任せる。俺は二人をこんなところで死なせるためにヴォオスから連れて来たわけじゃない。頼りにはするが無用な危険にさらすつもりもない。二人を助けてやってくれ」
「わかりました」
モランは気合の入った声で応えると、イヴァンと同じように、巨体を器用に操り崖上に姿を消した。
カーシュナーに罠の発動を押しつけることに成功したミランは、早くも遅くもない絶妙な速度で、かなりうまく姿を隠して移動していた。
遅過ぎると敵に罠だと見抜かれ、速過ぎると本当に振り切ってしまう。
ミランの目的は極力多くの特殊部隊兵士をこちら側に誘導することだ。精鋭揃いの特殊部隊を罠にはめるには、かなりの演技力が必要だった。
カーシュナーと出会い、師事して三年。当時十三歳だったミランも、今では十六歳になっている。
当時は栄養不足もあり、とても十三歳には見えなかったミランも、モラン同様大きく成長していた。
若木が枝を伸ばすように成長した手足はすらりと長く、175センチにまで達した身体は、ネコ科動物のようにしなやかに躍動する。
歳月に削られ凹凸の激しい岩場を、危なげなく移動し、呼吸一つ乱さない。この地にわずかに生息する生物が、命を守るために活動をやめる昼の時間帯に、疲労の色も見せずに活動する。その実力はすでにゾン軍特殊部隊の精鋭にも劣らなかった。
そんなミランの背中が一瞬だけ岩陰から姿をのぞかせたのを、特殊軍部隊兵は見逃さなかった。
兵士の報告を受けたメティルイゼットは、まるで解放した奴隷たちを囮にするかのように移動するミランを、特殊部隊の存在を本隊に報告に走る伝令と判断した。
メティルイゼットが用意した奴隷商人とその奴隷は、メティルイゼットにとって本当に捨て駒だった。捨てるだけの価値があるだけ上出来だとすら思っている。
それ故に見抜けなかったのだ。
ミランが命がけで捨て駒を助けようとしていることに――。
ミランはメティルイゼットとの駆け引きに勝ったのだ。
不意に腹の底を揺さぶるような嫌な音が響く。次いでいくつもの瓦礫が崩れ落ちてくる轟音が競うようにゾン軍特殊部隊に殺到した。
「よくこれだけの仕掛けをわずかな間に準備したものだ」
自分が転げ落とした大岩の群れが、さらに多くの岩石を道連れに特殊部隊の隊列に飛び込んでいくのを、カーシュナーは冷たく眺めていた。その間にも、自然の造形が作り出した奇跡のバランスで崩れずに立つ岩の、要となる石を蹴り飛ばしている。
さらに二つの大岩を蹴落とすことに成功したカーシュナーであったが、三つ目に狙いを定めたところで特殊部隊の別部隊の襲撃を受け、断念した。
「チィッ! メティルイゼットもカーディルも無事か。悪運の強い兄弟だ」
カーシュナーは忌々しげに舌打ちしたが、それでも百人以上の兵士が重軽傷を負い、三十人以上が死亡した。即席の罠としては上出来の成果だ。
追撃をかわしつつ、さらに三人の兵士を斬り、カーシュナーとダーンは粘り強く特殊部隊の足止めを続けた。
モランの姿が見えないが、谷底を挟んで反対側の岩場から時折罵声と悲鳴が聞こえるので、イヴァンと合流したことがわかる。
あちら側の兵力は全体の四分の一程度と予測出来る。それでも約五百の特殊部隊兵が相手だ。いかに腕を上げたイヴァンとモランでも、支えきることは不可能だ。
それに、兵士の分散に偏りが見られるのは、メティルイゼット王子が解放軍本隊の位置がこちら側であると予測しているからに他ならず、その予測は的中していた。
カーシュナーとしては助け出した少女たちを何としても守りたいという気持ちも強いが、特殊部隊の存在に気がついていないファティマたちが無防備な状況で遭遇戦に突入する事態を何としても避けたかった。
遊撃戦を続けるカーシュナーたちに苛立ちつつも、先程の罠の影響で慎重に移動を続ける特殊部隊から、不意に巨大な影が岩山を駆ける猿のように、四足歩行で飛び出してきた。
カーシュナーたちと合流出来ないまま一人遊撃を続けていたミランが驚愕の叫びを上げる。
業を煮やしたカーディルが罠の危険性を無視して飛び出したのだ。
ミランもかなり腕を上げたとはいえ、さすがにまだカーディルには及ばない。歳は若くとも、それがわからないほどミランは青くない。敏捷さを生かしてカーディルの襲撃を何とか切り抜けてみせた。
その後のカーディルの罵声でミランが逃げ切ってくれたことを悟ったカーシュナーではあったが、このカーディルの特攻により、これ以上の罠がないことを見抜いたメティルイゼットがそれまでの慎重さをかなぐり捨て、速度を上げたため窮地に立たされることになってしまった。
遊撃を捨てたカーシュナーは一人先行するカーディルを追う。今のカーディルは血に飢えた野獣も同然だ。セレンたちに追いついたら何をしでかすかわからない。何としても足止めしなくてはならない。
背後を走っていたダーンが、剣戟の音と共に苛立ちの呻きを上げる。
別の兵士に発見されたのだ。そこにさらに新しい剣戟の音が加わる。おそらく一対四の状況になったのだ。
カーシュナーはダーンを振り返ることをしなかった。それどころか一歩たりとも足をゆるめず敵中に置き去りにする。
負けるとは欠片も思っていないからだ。
姿を隠そうともしないカーディルに、カーシュナーは斜め後方から奇襲を掛けた。
「カーディル! 後ろだ!」
指示としては的確さに欠ける。カーシュナーは背後を取ったわけではない。岩陰を上手く渡り、カーディルの左後方から斬りかかったのだ。
だが、カーディルはその指示だけでカーシュナーの恐ろしく間合いの長い一撃をかわしてみせた。即座に岩を蹴り、カーシュナーに反撃する。
カーディルは頭がかなり悪い。下手にここで「左後ろだ!」などと指示を出していたら、「左ってどっちだったっけ?」となり、この時点で死んでいただろう。
カーディルの愚かさを熟知しているメティルイゼットは、愚かさの代償として発達した野生動物を思わせる反射神経を信じて最低限の指示に留めたのだ。
「貴様、ゾン人ではないな! ヴォオス人か!」
弟の加勢に駆けつけたメティルイゼットが、一目でカーシュナーの素性を見抜く。
ゾン国内を、地方都市チャルルのヴォオス人奴隷商人のヨゼフとして活動しているカーシュナーは、片目をスッと開け、翠玉のような瞳を見せつけた。
「なっ! 貴様渡来人かっ!」
渡来人とは、ゾンやヴォオスが存在するこの大陸外から長い航海を続けてやって来る人々で、黒髪黒目の人種である大陸人と違い、髪の色や瞳の色が異なる異相の持ち主たちであった。
普段は目立ち過ぎて足を引っ張るカーシュナーの容姿だが、今回ばかりはメティルイゼットを欺くための格好の材料になってくれた。
ゾンとヴォオスは長く緊張状態にある。だが、両国とも大陸隊商路のもたらす利益が国益の大半を占めるため、国交を完全に閉ざすことが出来ない。ことにゾンは大陸を四方に走る大陸隊商路の一本しか走っていないのに対し、ヴォオスは四本すべてが国内を走り、王都ベルフィストで交差している。
ゾンが国内のヴォオス商人を締め出せば、報復としてヴォオスもゾン商人を締め出す。
だが、同じことをしても受ける被害は圧倒的に違う。ゾンとしてはどれほど腹が立とうと、経済の生命線である大陸隊商路を通じて生み出される経済の流れを途切れさせるわけにはいかない。
だが、メティルイゼットならばやりかねない。
ゾンからヴォオス人が締め出されるような事態になれば、カーシュナーの行動が大きく制限されることになる。いかにカーシュナーが変装の名人でも、ゾン人すべてを騙すことは出来ない。
カーシュナーは解放軍の補給の要である。正体を悟られるわけにはいかないのだ。
偶然と思い込みが味方をしてくれたおかげで正体こそバレなかったが、カーディルとメティルイゼットに囲まれてしまった事実に変わりはない。カーシュナーは今も窮地の中だ。
メティルイゼットが無謀とも思える踏み込みで一気に間合いを詰めてくる。
その用兵の速さで定評のある、メティルイゼットであるが、その剣技も神速を極めた。
足場の悪い岩場での戦闘を想定し、愛用の大剣ではなく、通常の長剣を装備して来たカーシュナーは、難なくメティルイゼットの速さに対応してみせる。
必殺のつもりで繰り出した一撃をかわされたメティルイゼットに大きな隙が生まれる。
その隙を逃さず剣を振るったカーシュナーであったが、その剣はメティルイゼットの身体ではなく、兄が狙われた一瞬の隙を衝いて放たれたカーディルがの一撃を迎撃するために軌道変更を余儀なくされたしまった。
受けた直後に前蹴りを叩きこむ。
そのまま力で強引に押し切ろうとしていたカーディルは、思いもよらない力で弾き飛ばされ、鈍い目つきながら驚きの表情を浮かべた。
日よけの外套に包まれわかりにくいが、それでもカーシュナーがカーディルのように筋骨隆々とした剛力の戦士でないことはわかる。その相手に自分の巨体が蹴り一発で弾き飛ばされてしまった。それはカーディルにとって生まれて初めての経験だった。
蹴り飛ばした側であるカーシュナーも表情にこそ出さないが、怪訝な思いに駆られていた。先程のカーディルの一撃が思考の隅に引っかかる。だが、状況はカーシュナーにその思考を手繰り寄せる猶予を与えてはくれなった。
「助かったぞ、カーディル! この渡来人かなりの使い手だ。ここで討ち取るぞ!」
メティルイゼットの言葉に、異常に興奮し始めていたカーディルが獣のように吼える。
カーシュナーの強さを本能と身体の芯で理解したカーディルは、渇きにも似た戦いに対する飢えで、理性が飛びかけているのだ。
カーシュナーを極上の獲物と定め、興奮していたメティルイゼットも、カーディルの暴走にその熱を冷まされる。舌打ちを一つすると、連携を諦めたメティルイゼットはやむなく一歩後退した。下手に近くにいると考えなしに振るわれるカーディルの一撃で、カーシュナーではなく自分の首が飛ばされかねないからだ。
これまで右手で剣を握っていたカーディルは、腰にも一本差されていた剣を左手で抜き放ち、二刀でカーシュナーに襲い掛かった。
それは防御を無視した刃の嵐であり、大剣を手にしていないため得意の剣技で対抗出来ないカーシュナーは防戦一方に追い込まれてしまう。
そこに岩場を迂回して来た特殊部隊兵が背後からカーシュナーに斬りかかる。
不意打ちではあったが状況から背後に気を配っていたカーシュナーは、瞬時に反転して斬りつけてきた兵士の腕を捕らえ、回転の勢いを利用して兵士をカーディルに投げつけた。
「カ、カーディル様……」
不意に荒れ狂う双刀の嵐の前に投げ出された兵士が悲鳴を上げるが、カーディルは何のためらいもなく兵士を斬り捨てた。
この隙に乗じて身をひるがえしたカーシュナーをカーディルが追う。
興奮に我を忘れたカーディルの刃がカーシュナーの背後に迫ったとき、カーディルは悲鳴を上げて両目を押さえると、バランスを崩して激しく転倒した。
身を潜めていたミランが、カーシュナーが通り過ぎた直後に唐辛子や粉山椒などの刺激物を混ぜた粉を投げつけたのだ。
痛みに強いというより、特異な体質により痛みを極端に感じにくいカーディルであったが、さすがに目と鼻は別で、鈍い知能の代わりに発達している分余計に効果があったようだ。
「助かる、ミラン!」
「こちらです! カーシュナー様!」
カーディル以外に追って来ていた兵士にも目潰しをくらわせると、ミランは顔から目一杯両手を離して叩き落としつつカーシュナーを誘導した。
「深追いするな! 我らの目的はあくまで反乱軍本隊を叩くことだ! 奴らの時間稼ぎにつき合うな!」
目と鼻をやられて暴れ苦しむという迷惑至極な弟に水をぶちまけながらメティルイゼットが命令する。
好戦的で挑発に乗りやすくはあるが、必要な時に冷静さを発揮出来るからこそ、メティルイゼットは<神速>なのだ。
メティルイゼットの指示を背後に聞きつつ、カーシュナーは舌打ちを堪え切れなかった。
危険ではあるが、あのまま追って来てくれればカーシュナーの目的は果たせたのだ。
だが、あくまでもファティマ率いる解放軍本隊に狙いを定めるメティルイゼットは揺らがなかった。
複雑に入り組んだ地形である。事前に合流地点を何か所か定めてあった。その一か所でカーシュナーとミランは残りの三人と合流することに成功した。
「イヴァン。セレンたちはどこまで非難した?」
「頑張ってはくれているが、特殊部隊との差は徐々に縮まている。このままではファティマたちと合流する前に追いつかれる」
「そうか……」
イヴァンの答えにカーシュナーの表情が曇る。
「……メティルイゼット狙いで特攻をかけるしかないな」
「危険すぎます!」
ダーンが即座に反対する。
「女子供を見捨てて自分だけ逃げることは出来ん。それにミランがカーディルを無力化してくれた。奴さえいなければ、倒せないまでもメティルイゼットに手傷を負わせることが出来るかもしれない。ザバッシュやその他の国内勢力と事を構えている以上、奴とてここで命まで懸けはしないはずだ。おそらく撤退させられるだろう」
「無力化とはどういうことです?」
ダーンが尋ねる。
「ミランがお手製の目潰しを奴に喰らわせてやったのさ」
カーシュナーが我がことのように説明する。
「よく奴に当てられたな!」
これにはダーンも驚く。カーディルは野生の獣のようなものだ。遠距離攻撃に対する反応が異常なまでに鋭く、これまでの数々の戦でも矢傷を負ったことは一度もなかった。
「理由はよくわからないんですけど、ものすごい興奮状態で、周囲への警戒がおろそかになっていたんです」
「……何したんですか?」
ダーンがジト目で尋ねる。
「何も。蹴り飛ばしてやったらそれが意外だったらしくて、やたらと興奮して二刀を振りかざして追いかけて来たんだ」
カーシュナーがどこか意地の悪い笑みを浮かべながら答える。
「なるほど。よく考えたら、カーディルは挑発を理解して激怒出来るような知恵は持ち合わせていませんでしたね。まったく。本当に敵を怒らせるのがお得意ですね」
「今回のは俺も不本意だよ。でもまあ、おかげで奴はあと一時間は目も鼻も利かないはずだ。勝負をかけるなら今しかない」
「わかりました。ですが、先陣は私が切ります。イヴァンとモランは私が切り崩した隙間を左右に広げてくれ。ミランはカーシュナー様の背中を守れ」
カーシュナーに有無を言わせず決定していく。負けると決まっているわけではない。だからこそカーシュナーは自分たちの命を賭けようとしている。辛い部分、苦しい部分を一人で背負い込んでしまう以前のカーシュナーでは考えられないことだ。自分だけでなく、ミランたちの力まで必要としてくれている。下手に止めるより、最善を尽くして成功率を少しでも上げる方がはるかに建設的だ。どうせカーシュナーは止まらないのだから。
「ちょっと待った! 突破力なら俺の方が上だろ!」
ダーンの一方的な布陣にカーシュナーが文句をつける。
「大剣がなければいつもの突破力出せないでしょ! もうバレているんですから素直に従ってください!」
「そうです、カーシュナー様! ごねているとカーディルが復活するかもしれないじゃないですか! 成功率下げるくらいなら、腹括って撤退してください!」
「後ろに女子供がいる以上撤退なんて出来ないんだ。あんたはメティルイゼットの首を取ることだけ考えてろ。それとも見捨てることが出来るとでもいうのか?」
「俺たちを信じてください。必ず突破して、カーシュナー様をメティルイゼットの元へ届けてみせます。成功させれば、俺たちが生き残れる可能性が出てきます」
ダーンだけでなく、ミランとイヴァンにまで厳しくツッコまれる。唯一やさしいのはモランだけだ。
「わ、わかったよ! それでいいよ! だけど、絶対に死ぬなよ!」
四人の圧力に負けたカーシュナーが、何とかそれだけ言い返す。
「生き残ったところで、トリのカーシュナー様がコケたらそれこそお終いなんですから、自分の仕事に集中してください」
ダーンの容赦ない言葉がとどめを刺した。
一度高所に移動し、複雑な地形を散開しつつ進軍するゾン軍特殊部隊の上を取る。
速度重視で移動しているメティルイゼットの居場所は一目瞭然だ。油断しているわけではない。カーシュナーたちが足止め目的の少数であることを見抜いているからだ。
数の差は圧倒的だ。ここまで持ちこたえられたのは、ゾン軍の精鋭に対して局地戦を仕掛け、個人の実力差で圧倒出来たからだ。それはそれでとんでもないことなのだが、数の力の意味を理解しているメティルイゼットからは余裕をはぎ取ることは出来なかった。
それに、メティルイゼットが敢えて身をさらしているのも、数の差を見せつけることでカーシュナーたちの心を折ろうという目論見ではあるのだが、自身を囮にカーシュナーたちが再度仕掛けてくるのならば、今度こそ包囲し、返り討ちにしてやろうという腹積もりもあるからだ。
そしてその挑発に、カーシュナーは敢えて乗った。この状況で出来ることと言えば、敵大将の首を取ると以外になかったからだ。
ギリギリまで引きつけると、カーシュナーたち五人はゾン軍全兵士にその身をさらして突っ込んでいった。
密集隊形を取っていたわけではないゾン軍に、この五人の突破力を押さえることは不可能だった。
正面の敵に対し、一合も打ち合わせずにダーンが斬り捨てていく。全力で駆けながら無人の野を行くかのように道を切り開いていく。それは案山子相手でも非常に困難なことだ。
そうして出来た隙間をイヴァンとモランがさらに押し広げていく。
そして、背後を封じ、五人を袋の口を閉じるように追い込もうとする敵に、ミランが容赦なく目潰しを投げつけていく。
数は未だにメティルイゼット側が圧倒的に有利ではあったが、五人の周辺という限られた範囲においては、カーシュナーの側が圧倒的に優勢であった。
これまでどれほど強い武将でも、数の力の前に抗いきれずに倒れていく姿を目にして来たメティルイゼットは、恐ろしい速さで自分に肉薄して来る五人を、悪夢でも見るような目で眺めた。
「何故倒れん。どうしてここまで来れる」
無意識に心の中の声が漏れる。
メティルイゼットは知らなかった。
かつてカーシュナーたちが、終わらない冬に支配された一面白銀のフールメントの野を、ルオ・リシタの戦士たちの血で真っ赤に染め上げたことを――。
「メティルイゼット様! ここは一旦お引きを……」
メティルイゼットと同じようにたかを括っていた部下が、呆気に取られているメティルイゼットの背を押して逃がそうとする。
だが、その背を踏み台にした男が、メティルイゼットの上に大きな影を落として躍り上がった。
それは必殺の間合いであった。
ひょろりとしてはいるが巨大な影が、自分を呑み込むように落ちてくる様を、当のメティルイゼット本人が諦めの表情で眺めている。周囲にいたゾン軍特殊部隊の兵士たちも、成すすべなく眺めることしか出来ない。
ダーンたちの顔に歓喜が浮かびかけた瞬間、無力化したはずのカーディルがカーシュナーに襲い掛かった。
空中で激突した両者の巨体が、塊となって地面に落ちる。
転がりつつ巴投げで放り投げられたカーディルは、空中でクルリと態勢を整えると、味方の兵士に激突しつつ着地した。
その口にはカーシュナーの革製の小手が咥えられている。
目と鼻は確かにまだ回復してはいないが、カーディルには獣じみた聴覚が残っていたのだ。
同時に立ち上がったカーシュナーの右腕からは鮮血がしたたり落ち、乾ききった岩に当たって瞬時に蒸発していく。大気中に漂う血の臭いだけが、カーシュナーの腕から止まらず血が流れ続けていることを証明していた。
「囲めえぇっ!!」
一瞬死を覚悟したメティルイゼットが、逆襲の声を上げる。
少数でも突破することは出来た。だが、足を止めたが最後、数の力に抗うことは不可能であった。
「くっ……。せめてあと一人いれば……」
無念の思いがカーシュナーの口からこぼれる。その脳裏には、かつて共に戦場を駆けたかけがえのない友たちの姿が浮かぶ。もしこの場にシヴァかオリオンがいれば、カーディルがカーシュナーを阻止することは不可能だっただろう。いや、そもそもカーディルの聴覚と闘争心がなければ、最後の一手はカーシュナーの手で打たれていた。だが、結果としてあと一人、たった一人の差を埋めたのは、カーシュナー側ではなく、メティルイゼット側だったのだ。運はメティルイゼットに味方したことになる。
「なんとしてもここで討ち取れ! こやつらの首には反乱軍の首領と同等の価値がある! ここで撤退になってもかまわん。絶対に殺すのだっ!」
メティルイゼットの判断、決断の速さはやはり並ではなかった。本来の目的であるファティマ率いる解放軍討伐を捨て、自分を死の淵にまで追い込んだ恐るべき五人の戦士を討ちに来たのだ。
自身もダーンを相手取り、命懸けでダーンを仕留めようと剣を振るっている。
ここでメティルイゼットがあくまで本来の目的にこだわってくれていたら、カーシュナーだけでも脱出できたかもしれない。
ダーンたちの間には、暗黙の了解として特攻に失敗した場合、カーシュナーだけでも逃がす算段が出来ていたのだ。
だが、メティルイゼットの決断のおかげで、カーシュナーを逃がす隙を見出すことが出来なくなってしまう。
傲慢で非道な一面もあるが、それでもメティルイゼットの戦術眼は一流だったということだ。
五人背中合わせになり、最後の最後まで戦い続ける覚悟を見せる。
その突破力に押されていた特殊部隊も、状況が一変すると一気呵成に攻め込んで来た。
特殊部隊が槍などの長柄の武器屋や弓などの飛び道具を持っていなかったことで、かなりの時間カーシュナーたちは特殊部隊の包囲攻撃を耐えた。
傷を負っていないものなど一人もいない。
不幸中の幸いだったのが、兄の命を救ったカーディルが、激化した戦いの喧騒で聴力が機能しなくなり、戦いにそれ以上参加出来なくなってしまったことだ。
無限に体力が湧くかに思えた五人であったが、ついにミランが力尽き、危ういところをカーシュナーに引きずられ、四人の輪の中に非難する。
戦力の五分の一を削ることに成功した特殊部隊は、巧みに兵士が入れ替わり、さらに間断なく攻め立てた。
圧倒的人数差ではあるが、足場の悪い複雑な地形が災いし、特殊部隊は数の有利を生かしきれてはいないが、メティルイゼットに焦りも苛立ちもなかった。
確実な勝利を確信しており、その結果へ向け、着実にカーシュナーたちを追い詰めている。
その頭の中にはすでに解放軍のことはない。
ここで特殊部隊の全兵士を使い切ってもかまわない覚悟でいる。
激しく蠢く兵士たちの人垣の隙間を通して、カーシュナーとメティルイゼットの視線が絡み合う。
この瞬間カーシュナーは自身の死を受け入れた。
後は一兵でも多く道連れにし、この地から奴隷制度を根絶しようと立ち上がった仲間たちの負担を減らすだけだ。
ここであと一人。たった一人が足りなかった敗因を、今度はメティルイゼットにもたらしてやるのだ。
「ダーン、ミラン、モラン、イヴァン、すまん! ここで死ぬっ! だから、一人でも多く殺せっ!!」
もはや変装の必要もない。
普段は糸のように細めている両目を見開くと、カーシュナーは鬼の形相でメティルイゼットを睨みつけた。
その百戦の気を黒く塗りつぶしたかのような気配に、特殊部隊の兵士たちは灼熱の太陽に焼かれながら、冷汗を流した。
そんなことはあり得ないとわかっていても、翠玉のごとき瞳が真っ黒な光を放つのを、メティルイゼットは焼かれた大気が揺らぐその向う側に見た気がした。
「誰が貴様をこんなところで死なせるかっ!!」
その時、まるで雌の獅子が吠えたかのような声が、喧騒を文字通り突き破って轟いた。
声のした方向とおぼしき方角で、兵士が一人宙に舞う影が、カーシュナーの視界をかすめる。
混乱と恐怖が血の尾を引きながら、戦いの中心目掛けて一直線に突き進んでくる。
双刀を振り回したカーディルが刃の嵐だったしたら、突然この戦いに割り込んできた闖入者は嵐そのものだった。
振るう刃が人体を宙に斬り飛ばす。
殴り倒された身体が地に臥せるのではなく、地を打ち再び宙にはずむ。
蹴り飛ばされた身体は、まるで糸で引かれる役者のように宙を飛び、破裂した内臓からあふれた鮮血を撒き散らして死んでいく。
死を撒き散らす自然災害――。
それはもう、そう形容する以外なかった。
その自然災害の背後を、一人の剣士が影のようにピタリと付き従ってついてくる。
前方を走る死の嵐の前では霞んでしまうが、こちらも一角の剣士だ。
二千の特殊部隊兵を真っ二つに割ってそれは、ついにカーシュナーの前までたどり着く。
カーシュナーの視界を塞いでいた兵士が熊にでもなぎ倒されたかのように姿を消し、代わりに睨むような、それでいて嬉しさを隠しきれない少年のような黄金色の瞳が現れた。
「なあっ!!」
カーシュナーだけでなく、他の五人も驚きのあまり、ひと声発するなり、絶句してしまった。
よく陽に焼かれ、まるで奴隷女のように短い黒髪をしているが、その黄金の瞳を見間違えるような者は、この五人の中には一人もいなかった。
「貴様がメティルイゼットか。丁度いい。手土産代わりにその首もらってやろう」
そう言うと、カーシュナー直伝ならぬ感染の、悪い笑みを浮かべたのであった。
カーシュナーの放った黒い百戦の気に呑まれかけていたメティルイゼットは、それをはるかに凌駕する王者の威に直面し、全身が痺れたかのように感覚を失っていくのを、他人事のように感じていた。
「なんでここに……」
カーシュナーがようやく絞り出すようにそれだけ言う。
「なんでだと? 言ったではないか。必ず貴様を見つけ出して見せるとな」
そう言って敵地のど真ん中で大笑いしたのはヴォオス国女王リードリットその人であった。そしてその背後には、影を切り離すことが出来ないように、けして離れることのない女騎士アナベルの姿もあった。
この場所にけして現れるはずのないリードリットが登場したことで、ゾン国内における奴隷解放運動は急速に加速することになる。
ただし、それが前であるのか左右であるのか、はたまた後ろであるのかはカーシュナーにもわからない。
とにかく、灼熱の大地にヴォオスの戦女神が、事態を混沌の坩堝に蹴り落とすために降臨したことだけは確かだった――。
どうも、ヴォオス戦記を書いている人、南波 四十一です。
あまりにも読まれなくて心折れ、きりの良いところで連載を終了してはや一年。
連載を再開することになりました!
一年も空いてしまったことに理由はありません。外伝であるヴォオス戦記・暁終了後は、別シリーズのプロットを練ったりゲームをしたり、ショートストーリー物のプロットを練ったりゲームをしたり、それ以外のネタを整理したりゲームをしたり、欲求に負けて細かい設定が終了していないシリーズを、キャラ名()の状態で書き進めるという暴挙に出たりゲームをしたりしておりました。
はいっ! ゲームが原因です(ウソ)
暴挙に及んだ新シリーズを、15万文字以上書き、一区切りついたところで各固有名詞の練り直しにようやく戻ったところで、
やべぇ! このままだと絶対にヴォオス戦記の続き書かなくなる!
と悟り、書き手としてのレベルが全く上がらないまま帰って来た次第であります。
当初はヴォオス戦記・乱という形で新規連載する予定でしたが、そうすると新規にお読みくださる方(そんな人がいればの話ですが)のために、これまでのヴォオス戦記の流れをところどころに織り込まなくてはならず、そうすると第一章をお読みくださった方々にとってはテンポの悪い内容となりかねないため、完結を連載に戻し、新章という形でお届けするのがベストと考え、連載を再開させていただきました。
今回のプロローグは第一章から三年後の設定で話が進みましたが、新章第一話は約三か月後の設定でストーリーが始まります。箇条書き的な感じで三年間の主な出来事を展開し、さっさとプロローグで描かれている時間まで戻ってくるつもりでおりましたが、書き始めたら止まりませんでした(笑)
何より書き溜めが全然足りていないのですが、その足りない書き溜めの中にすら納まらず、カーシュナーがまともに本編に返ってくるのがいつになるのか、書いている本人が一番心配しております。
ヴォオス戦記は南波が英雄を描きたくて書いている物語です。
一応の主人公であるカーシュナーが長く本編を留守にすることになりますが、彼に並ぶ英雄たちがその場ごとの主人公となってヴォオス戦記を織り上げていきますので、今後もお付き合いいただければ幸いです。
今回は丁度連載終了の一年後(第一章の連載終了が2016.11.19)だったので、日曜投稿となりましたが、次話以降は土曜日17時ごろを目安に週一で投稿いたしますので、よろしくお願いいたします。
最後に一言お礼を――。
これまで貴重なお時間を割き、ヴォオス戦記をお読みくださった皆様、どうもありがとうございました。
連載時は全く読まれなかったヴォオス戦記が、終了後もお読みいただけたのは、埋もれていたヴォオス戦記を掘り起こしてくださった幾人かの方々のご厚意によるものと感謝しております。
今も全然底辺に住み着く南波ではございますが、つい最近になって瞬間的にではありますが、ブクマが100に到達したときは、全否定じゃなかったんだと心底ホッといたしました。
読んでくれてありがとうございます。
お薦めしていただきありがとうございます。
そのすべてが書き続けるための活力となっております。
これからも頑張って書き続けたいと思っておりますので、お手すきの際でかまいかせんので、今後もヴォオス戦記をお楽しみいただけましたら幸いです。
以上! 南波 四十一でした!




