ライドバッハの真実
重い空はいまだに晴れる気配を見せず、飽きもせずに雪を大地に撒き続けている。
ケルクラ-デンの野と呼ばれる地には、リードリットによって率いられた赤玲騎士団及び、クライツベルヘン軍が集結している。これまでの少年兵と元退役兵の寄せ集めではなく、クライツベルヘン軍の本隊二万五千だ。総勢約三万の兵力ではあるが、皮肉なことに、この場にヴォオス軍の正規兵の姿はない。
王都は今現在もクロクス派の逮捕及び逃走者の追跡等で混乱状態にあり、レオフリードの配下である治安軍は現在も王都を離れられない状況にある。
大会議後、急ぎ出立したリードリットは、クライツベルヘン軍と合流し、ケルクラーデンの野に布陣していた。
ルートルーンと同行した勅使の一団はすでに無事帰還しており、あとはレオフリードからの報告を待つだけであった。
ルートルーンからの報告により、クロクスとロンドウェイクの両名が、反逆の意志を明確にしたことが明らかになった。始めからこうなるとわかりきっていたことではあったが、勅使に立ったルートルーンが無事帰還したことに、リードリットは胸をなでおろしていた。妬心に狂ったとは言え、さすがのロンドウェイクも実の息子に手はかけられなかったようだ。
後からわかったことだが、カーシュナーが密かにルートルーンに同行し、勅使としての任を遂行出来るように支えてくれたと聞いたときは、感謝と共に一言あっても良かろうと腹も立てた。
カーシュナーが一緒と知っていれば、ここまで心配することもなかったのだ。
長い付き合いから、正直過ぎるリードリットの内心が透けて見えてしまうアナベルが、主に見つからないように、そっと苦笑を漏らす。
ここ数日で、リードリットはこれまでのリードリットであれば百人は軽く入ってしまうのではないかと思わせるほど、王者としての器を広げていた。簡単に大人になったなどと言う安っぽい言葉では表現出来ないほど、今のリードリットには人としての器の大きさがある。
にもかかわらず、そこにカーシュナーやシヴァがからむと、途端に子供のように不満をさらけ出す。それでも以前のようにすぐに鉄拳制裁しようとしなくなっただけましかもしれない。
リードリットの急速な成長を目の当たりしてきて改めて思ったが、リードリットの魅力はその未完成な部分にある。おそらくリードリットがすべてにおいて完璧になった時点で、王という位も越えて、神格へと至ってしまい、誰も近づくことの出来ない孤独な王になってしまうだろう。
未熟で未完成で、子供っぽいところがあることで、リードリットは人間らしさを保ったまま、自分たちの中で王として居続けてくれるのだ。
これではまるで子離れ出来ない親のようだなと思いつつも、自分には出来ない、ある意味不敬罪に当たるのだが、カーシュナーとシヴァだけが持つ何者をも恐れないその精神でリードリットの中に踏み込んでいく無茶苦茶さに感謝していた。
「どこぞで馬鹿二人がはしゃいでおるようだな」
リードリットが不満げに眉をひそめる。
アナベルの耳にも、どこか離れたところでシヴァが馬鹿笑いしている声が届く。
「間違いなくクロクスの醜態を事細かに聞き出して笑っておるに違いない。そういうことは真っ先に私に報告すべきであろう。これでも私は国王なのだぞ。ないがしろにしおって!」
かつての宰相を徹底的にこき下ろすような話を、国王に話すことの方が、国王の権威をないがしろにしていることになると思いつつ、アナベルは懸命にもそのことを口にはしなかった。あの二人も、周囲の目がなければ馬鹿話に当たり前のようにリードリットや自分を巻き込んでいたはずだ。
「陛下、そこはお二人の配慮と受け取りましょう。一緒になって大笑いなどしていたら、五大家の当主方の雷が落ちます」
「なんとも不便なものだ。国王になると自由に笑うことも出来んとはな」
「そのようなことはございません。ですが、おそらくこの一戦でヴォオスの命運が決します。そのような大一番の前に陛下御自ら大笑いしているのは、さすがに全軍の士気に関わります。ここはご自重ください」
「逆だと思うのだがな。兵たちの緊張が解けて丁度良かろうに」
「解ける程度で済めばよいのですが、あのお二人も関わるとなると、緊張感そのものがなくなりそうですから、ここは陛下が御理解を示していただけねばなりません」
「あり得んと笑い飛ばせないところがあの二人の恐ろしいところだ」
アナベルのさりげない暴言に、リードリットがニヤリと笑う。
ようやく機嫌が直ったようで、アナベルはほっと胸をなでおろした。
「陛下。珍客が到着いたしました」
伝令の兵を使わず、クライツベルヘン軍の総指揮官であるヴァールーフが自ら伝える。この豪胆な男の目に緊張の色がうかがえる。
リードリットとアナベルの二人にも緊張が伝播する。
そこに一際大きくカーシュナーとシヴァの笑い声が響いて来た。
先程のアナベルの言葉が実感される。リードリットはヴァールーフから伝わってきた緊張が、粉々になって霧散するのをはっきりと感じていた。
「……あ~、何と言いますか、弟が申し訳ありません」
なんとも言えない表情でヴァールーフが頭を下げる。
「馬鹿と刃物は使いようだ。気にするな。馬鹿が役に立つ時もある。それで、珍客とは?」
「ライドバッハです」
「なあっ!」
アナベルが思わず声を上げてしまい、慌てて口をつぐむ。
「ほう。それは確かに珍客だ。大天幕の方に通しておいてくれ。五大家の当主たちにも知らせておけ。私もすぐに向かう」
不敵な笑みを浮かべる国王に対し、ヴァールーフは再度頭を下げると伝令を走らせに向かう。頭を下げる際、リードリットにつられてつい口角を上げてしまうあたり、クライツベルヘン家の者らしい。
「陛下、どちらへ?」
「大笑いすることが馬鹿どもの仕事ではないからな。役に立ってもらうとしよう」
早くも鉄拳制裁するつもりのようで、恐ろしい速度と破壊力の素振りを繰り返す。
嬉しそうなリードリットを見て、アナベルは額を押さえて天を仰いだ。カーシュナーから受けた悪影響は、きっと消えることはないだろうと思いながら――。
「痛いじゃないですか!」
後頭部にたんこぶを作りながら、カーシュナーが抗議する。だが、リードリットの鉄拳を、シヴァがむきになってかわしまくるので、こちらもかなり本気になって拳を振るっているリードリットの耳には届かなかった。もっとも、届いたところで無視されただろう。
「カーシュナー卿。ライドバッハが来た」
とりあえず国王と将軍の馬鹿馬鹿しくも危険なじゃれ合いは放置して、アナベルが状況を説明する。これを放置出来るのだから、アナベルもずいぶんと神経が太くなったものだとカーシュナーは思った。そうでなくては務まらないだろうなとも思う。
「来ましたか。相変わらず読めないお人だ」
「どう見る」
聞いていないようでしっかりと耳を傾けていたリードリットが、渾身の右の一発を繰り出しながらたずねる。
「実はとっくの昔にクロクスとグルになっていて、俺たちを攪乱しに来たとか?」
右の一発をきれいにさばきながら、シヴァが考えを口にする。
「ないな。仮に両者が手を組んでいたとしても、ライドバッハが負担する危険が大き過ぎる。状況的に問答無用で斬られる危険性が高いのだから、クロクスだけが利するような策は採らないさ」
「では何故来た?」
「呼びつけられたからではないですか?」
「そんな理由でか? なんのかんの言っても、奴が一番玉座に近いところにいるのだぞ。私の王位など、仮もいいところだ」
「であればなおのこと、来る理由はただ一つ。来いと言われたからでしょう。今もヴォオス国の廷臣であるという自覚があるのならば、自身の名で決行された暗殺劇に対して、申し開きに来るのは当然です」
「裏はないということか?」
「あっても私にはわかりません。ライドバッハを正確に読み解ける者など、この世にはいませんよ」
「結局それか。頼りにならん奴だ」
カーシュナーは肩すくめると付け加える。
「ですが、レオフリード卿が一緒にお戻りになられなかったとしたら、ライドバッハに反意はないと考えてよろしいと思います」
「なに! レオフリードが戻らんとはどういうことだ! そんな話は聞いておらんぞ!」
「ライドバッハ個人の思惑がどうであれ、反乱軍はライドバッハ個人を慕って参加している者が大半です。ライドバッハ個人が勅命に従うと言っても、周りがそうはさせないでしょう。暴走し、勅使であるレオフリード卿が害されるようなことになれば、ライドバッハの意志に関係なく、我らと反乱軍との間が決裂することは確実です。ライドバッハを勅命に従わせるために、レオフリード卿が人質として残ることは、可能性としては高い話なのです」
「ぬかったわ! ライドバッハはてっきり勅命を蹴るものとばかり考えておった。まさかライドバッハの代わりにレオフリードを敵中に残すことになるとは思いもしなかった。こんなことなら行かせるのではなかった」
後悔に捕らわれたリードリットの手が止まる。追い回されていたシヴァがようやく一息つけると安堵する。
「そう悲観したものでもないでしょう。反乱軍に対して、こちらはライドバッハを人質に取っているようなものです。それに、ライドバッハが来たということは、現時点で反意はないということを、反乱軍内で明確に意思表示したはずです。であれば反乱軍は今現在も正式なヴォオス軍であり、大将軍であるレオフリード卿の指揮下にあることになります。場合によっては反乱軍十万強が、クロクスの背後を衝くことになるかもしれません」
「そんなに上手くいくものか?」
「私は行くと思いますよ。陛下こそ、大将軍に任命したほどの男の実力を、甘く見ておられるのではありませんか?」
「……カーシュ。貴様私に隠れて何事か謀っていたのではないか?」
「おっ! 鋭くなりましたね。謀っていたというほどのことではありませんが、皆様方が対ライドバッハに備えた対策を講じられていましたので、ライドバッハが言葉通り、クロクスの排除のみを目的としていた場合を想定し、ライドバッハ当人とは離れたところで生じてしまっているそれぞれの陣営の反感と言うか、感情的な溝を埋める方法を考えていたのです」
「……で、それをレオフリードに授けたというわけか。相変わらず、呆れるべきなのか感心すべきなのかわからなくなるほど、先を見ておるのだな」
結局は呆れながらリードリットが言う。
そのあまりにも突出した能力から、ライドバッハは王位を狙ってくるものと思い込んでいた。それはリードリットばかりではなく、おそらくリードリットの陣営ではカーシュナー以外の全員が思い込んでいたはずだ。
先程のリードリットの言葉は自虐でもなければ皮肉でもなく、真実その実力と所有兵力から、もっともこの国の覇権に近い位置にライドバッハはいるのだ。
その状況下で、誰も考えようとしなかった可能性に対して対策を講じる。いくら対ライドバッハについて他に考えてくれる人間がいるとは言え、もっとも可能性の高い戦いへの対策を放置し、わずかな可能性しか持たないものに対し、思考を巡らせる。神経が太いのか精神的にどこかおかしいのかわからなくなる。
「策を授けるというよりも、可能性の一つとして考慮に入れておいていただけるように、レオフリード卿に話しただけのことです。結果的にライドバッハが反乱軍を単騎離れ、この場所に現れたということは、レオフリード卿が状況を上手く判断され、必要な処置をお取りになったのでしょう」
「私はどうすべきだと思う?」
「私にゴドフリート様を口説き落とすことは不可能でした。ですが陛下はありのままの今の自分をさらし、腹の底を見せることで口説き落として見せました。今度も腹を割って話をなさるべきかと存じます。腹芸に秀でていたあのクロクスさえも、反乱が起こるその瞬間まで、ライドバッハの腹の底を見抜けなかったのですから、誰にもライドバッハを腹芸で上回ることなど出来ない以上正直が一番でしょう」
「そうか。それが一番私的にも楽だ。ではいつまでもこんなところで油を売っているわけにもいかんな。大天幕に向かうとしよう、二人も来い」
「えええっ!」
カーシュナーとシヴァが不満の声を上げる。
「文句ばかり言うな! ついて来ればよいのだ!」
言うや否や二人の耳をつまみ上げる。
怪力を通り越した金剛力によって耳をねじりあげられ、カーシュナーもシヴァも悲鳴を上げる。
「お二人とも、逃げようなどと考えない方が身のためですよ」
かつて幼いころのリードリットにより耳を引きちぎられたことのあるアナベルが、不吉な警告をする。
「あの人はこっちの思考を見透かしてくるから顔を合わせたくないんですよ!」
「俺は単純につまんねえから勘弁!」
「却下だ! 特にシヴァ! せめて言い訳くらい面倒くさがらずに考えんか! なんだそのふざけた理由は!」
リードリット陣営でもっとも賢い男と、もっとも強い男は、悲鳴と泣き言と不満を交互に繰り返しながら大天幕へと引きずられて行ったのであった――。
◆
リードリットに続いてカーシュナーとシヴァが大天幕の入り口を潜ると、まったく予想外の光景が広がっていた。巨大な火鉢を囲み、五大家の各当主たちとライドバッハが談笑していたのだ。
一際大きな声で笑っているのがライドバッハであった。
まったく予期していなかったものを目にし、アナベルを加えた四人が呆気に取られて固まる。カーシュナーまでが完全に意表を突かれるのは実に珍しいことだった。
「……笑うんだ」
あのシヴァも、あまりにも信じられないものを見たために、皮肉や嫌味の一切こもらない、素の声を上げる。こちらもかなり珍しい。
シヴァの言葉に、残りの三人も人形のようにコクコクと首を縦に振った。
リードリットに気がついたライドバッハが席を立ち、リードリットの前に平伏する。配下の者が理由はどうあれ、自分のためにとリードリット暗殺を実行したのだ。関係ないでは済まされない。
「陛下の勅命と、寛大な処分のおかげをもちまして、ライドバッハ、ここに帰参いたしました」
「……う、うむ。よく戻ってくれた」
これまでの人物像とは全くかけ離れたライドバッハの様子に面食らったまま、リードリットはなんとかそれだけ絞り出す。
「あんた本当にあの白髭のおっさんか? 身代わりの影武者とかじゃないだろうな」
早くも衝撃から立ち直ったシヴァが、胡散臭げに値踏みする。確かに影武者と言われた方が納得出来る変わりぶりだ。
しかし、問われたライドバッハは答えようとはしない。カーシュナーがリードリットを軽くつつく。
「私からも問おう。そなた本当にあのライドバッハか? 私の記憶にある様子とあまりにも違い過ぎるのだが……」
「残念ながら証明する手立てがございません。よく似ている他人と言い張られてしまったらそれまででございます。共有の秘密や過去を持つ者が一人もおりませぬゆえ」
リードリットに問われてようやく答える。無視された形となったシヴァがムッとするが、元来シヴァにライドバッハを尋問する権利はないのだ。
「こちらが何かわかりますか?」
カーシュナーが懐から古代地図を取り出す。かつてライドバッハからルオ・リシタ国の王子であるゲラルジーへと送られた品だ。ゲラルジーはこの地図を頼りにヴォオス西部地方へと攻め込んで来たのだ。
「懐かしいな。古代王国ベルデ時代の地図だ。国宝級の品故、丁寧に扱うのだぞ」
「はい」
カーシュナーは余計なことは一言も口にせず、忠告通り古代地図を再び丁寧に懐にしまい込んだ。
「本物か?」
「この地図を知っているのはライドバッハ卿だけでございます。というよりも、どう見てもご本人でしょう。むっつりと不機嫌そうに黙り込んでいる姿しか記憶にないので驚きましたが、そもそも姿かたちが似ているだけの者に、陛下の前でこれほど堂々とうそなどつけは致しません」
「それもそうだな。すまかった、ライドバッハ。その、何というか、あまりにも違い過ぎたものでな」
「かまいません。私も、陛下のお変わりように、五大家がどこぞから赤髪の絶世の美女を見つけ出し、陛下と偽り祭り上げたのではないかと疑っているところでございます」
「お主が言うと説得力があるな」
照れくささを冗談で紛らわせる。
その背後で、カーシュナーとシヴァが無言で、「ないない」と、首と手を振る。
どうやって察知したのか、瞬時に振り向くとすかさず殴りつける。
リードリットの攻撃を察知するのに遅れたカーシュナーが、鉄拳の餌食になる。
「おおっ! どうやら陛下で間違いないようでございますな」
その様子にライドバッハが大いに納得する。
「これで納得されるのは少し釈然とせんな」
憮然とこぼすリードリットに対し、手の届かない距離まで非難したシヴァが、「納得、納得」と言って何故か小さく拍手をする。
これ以上相手をしていると、話が全く進まないので、リードリットはやむなくライドバッハに向き直った。
「勅使から話は聞き及んでいると思う。暗殺はお主の指示ではないのだな?」
「ございません」
「であればよい。暗殺を謀った二人も、あくまでも自分たちの独断によるものだと最後まで言っていたということだし、この件はこれまでとする」
「寛大な御処分、感謝の言葉もございません」
「かしこまって話をするのもなんだ。火に当たりながら話そう」
リードリットはそう言うと、ライドバッハの背後で事の成り行きを見守っていた五大家の当主たちも誘い、火鉢を囲む。こっそり出て行こうとしたカーシュナーとシヴァだったが、見つかってしまい、やむなくリードリットの背後に立つ。いつからいたのか、オリオンも大天幕の隅に立ち、気配を消している。
リードリットとライドバッハと五大家の各当主が火鉢を囲むと、すかさずアナベルが酒と料理の手配をする。ほどなく料理と酒が並べられ、酒杯が一息に飲み干される。
シヴァが物欲しそうにアナベルを眺めるが、喰らったのはするどい肘鉄だけであった。
「先程は何を話していたのだ? だいぶ盛り上がっていたようだが?」
リードリットたちが思わず呆気に取られるほど楽しげに談笑していたことを思い出し、たずねてみる。
「私だけでなく、五大家の皆様方も、王統を廃するおつもりでいたことを知り、ひとしきり王家批判をして楽しんでおりました」
とんでもない答えが返ってくる。
「……と言うことはお主、玉座を狙っていたということではないか! 何をしれっと告白しておるか!」
「クロクスを打倒するのはいいのですが、正直三愚王以降のヴォオス王家にヴォオスの行く末をお任せできるような人材はおりませんでしたので、国を滅ぼさないためにはやむを得ぬことと考えておりました」
「その気持ち、よくわかるぞ。三百年を誇るヴォオスの歴史の中で、王家の衰退がもっとも著しかった五十年じゃったからのう。誰もが歴史と血統を、ヴォオスの安寧と、国民の平穏とを、秤に掛けねばならん状況じゃった」
レイブランドがしみじみと語る。
「思いっきり興味本位で聞くんですが、もしそうなっていたら、誰が王位に就いたんすかね?」
シヴァが思い切り話の腰を折る。
「五大家、クロクス、反乱軍の三つ巴になったわけだし、勢力的にもかなり拮抗したんじゃないすか?」
注意しようとしたリードリットであったが、そう言われると興味がわいてくる。目顔だけでライドバッハに問いかける。
「そうなっていれば、クロクスはそれまでの裏側から根を這わすように権勢を広げるという戦略をかなぐり捨て、一気に行動に出たはずです。まずは陛下の身柄を抑え、宮廷の廷臣たちからも隔離し、勅命を騙って各地の貴族及びヴォオス軍に五大家と反乱軍の討伐命令を下したでしょう。そうなっていれば、さすがのアペンドール伯爵も反乱軍に組することもなく、ヴォオス軍全軍と、ほぼすべての貴族が動員され、ヴォオスは長い戦乱に突入したはずです」
「状況は現在よりも混迷したということか?」
「現在の状況は、クロクスの権勢が突出した中で出来上がったものです。ヴォオス軍をほぼ掌握し、貴族は五大家を除いてすべてがクロクスの築いた経済圏で利益を得ております。奴はその気になればいつでも、剣ではなく金で貴族の息の根を止めることが出来ました。絶対的優位が奴の油断を招き、奴自身の墓穴を掘ったのです。油断をはぎ取るほどの危機的状況になっていれば、もともと能力の高い男です。油断などしなかったでしょう。そうなっていれば戦局はクロクス主導で推移し、たかが一、二戦の勝利では、容易に事態は動かない膠着状況になったはずです」
「つまりはクロクスが勝っていたと?」
「いえ、そうなれば早い話、五大家と反乱軍が手を組み、現王統と貴族をことごとく滅ぼし、新たなヴォオス社会を構築したでしょう。クロクスは間違いなく天才ではありますが、所詮は商人あがりの政治経済の天才です。どれほど数をそろえたところで、金を扱うようには、本人が思うほど上手く軍を運用することはかないません。最終的な勝利は我らが得たでしょう」
「でしょうね。ですが、そうなっていれば、長い戦乱の下、陛下が救い上げようとなさっている力無き人々は、誰からも救いの手を差し伸べてもらうこともなく、死んでいったでしょう」
ヘルダロイダが珍しく硬い表情で言う。再生とは破壊の後にしか生まれない。ヘルダロイダだけでなく、五大家の各当主たちはその覚悟でいたということだろう。
「カーシュよ。お主はそこまで理解したうえで、そうさせないために私を選んだのだな?」
言葉こそ問いかけになっているが、その響きは断定口調になっている。
「はい」
「何故言わなかった?」
「あまりにも荒唐無稽な話です。申し上げたところで本気になどなさらなかったでしょう」
「始めのうちはな。だが、王都の地下ですべてを知った後であれば、私も本気で受け止めたはずだ。それがわからんお主でもあるまい?」
「知ったところで重荷になるだけでございます。事が成ったあかつきには、ただの杞憂に過ぎなかった過去になるだけでございますから」
「軽く言っておるが、すべての重荷をお主が一人で抱えていたということではないか! 少しは私を頼れ! 私の背中は、それほどに頼りないのか!」
「頼りになるようになった時には、申し上げる必要がなくなってしまったのです。先程も申し上げましたが、陛下のおかげで、それらは私にとって、ただの杞憂に終わったのです」
「今一つ釈然とせんが、ならばよい。これからは一人で背負い込まず、頼れ。シヴァもアナベルもいる。オリオンやリタもだ。友はお主に支えられるためにいるのではない。忘れるな」
リードリットの言葉にシヴァがニヤリと笑う。アナベルが生真面目な顔でうなずき、オリオンはこの場に居ないリタの想いも込めて、カーシュナーに真っ直ぐ視線を向けた。
「ではお言葉に甘えて、さっそく頼らせていただくと言うか、お願いしたいことがございます」
「おおっ! なんだ、申せ! 珍しいな!」
リードリットが嬉しそうに答える。これまで頼り切りだったので、逆に頼られ嬉しいのだ。
「この先の一戦、どのような状況に陥ろうと、必ずどこかで一度ロンドウェイクが一騎打ちを申し込んでくるはずです。こちらがどれほど優勢であったとしても、お受けいただきたいのです」
「わかった。受けよう」
先程までの喜色をスッと抑え、真剣にうなずく。カーシュナーが一見たいした意味などないようなことを口にする時ほど、自分には計り知れないような理由があるのだ。
「そのうえで、殺さずに勝利をお納めいただきたいのです」
「捕らえろと言うのか?」
「いえ、捕らえる必要はありません。元王族として、その最後を汚さず、潔く自らの手で幕を引く機会をお与えいただきたいのです。ルートルーン殿下のためにも」
「わかった。誓ってそうしよう」
ルートルーンのためになるのならば、頼まれなくてもやるつもりだ。
「今のロンドウェイクは強いですよ」
「お主から見てもか?」
「はい。怒気が突き抜けた結果なのでしょうが、悪い意味で王家の血の力が目覚めました。その力は妬心から来る復讐心と呼応して力を発揮しておりました。おそらくバールリウス様を前にした時こそもっとも強くその力を発揮するのでしょうが、当然陛下に対してもむき出しの憎悪を叩きつけてくるはずです」
「であろうな。地下競売場で赤髪の渡来人の娘に対してみせた憎しみが、私に対する憎悪の深さを嫌と言うほど表しておったからな」
「血の力がなくても、ロンドウェイクは練達の剣士です。その熟練度は陛下をはるかに上回ります。フールメントの野で討ち果たしたゲラルジーをもはるかにしのぐ強敵です。ですが、それでもお願い申し上げます。これは陛下にしか成し得ないことなのです。シヴァやオリオンでは駄目なのです」
「わかった。肝に銘じておこう」
「で、さっきの続きですけど、王位には誰がついたんですかね」
シヴァが話を蒸し返す。五大家、クロクス、反乱軍が三つ巴になった場合の結末が、どうしても気になるらしい。
「貴様も珍しくしつこいな! まあよい。話途中で逸らしてしまったのは私だ。聞いてやろう。どうなのだ、ライドバッハ?」
「あとは大したことではありません。適任者が他にいらっしゃるのですから、私は願い下げです。五大家のどなたかがお就きになられたのではありませんか?」
ライドバッハが視線をレイブランドに投げる。
「わしはお断りじゃ」
乾いた流木のような手を左右に振ってレイブランドが答える。
「私もご遠慮申し上げますわ。私の容姿と気性で女王などになれば、別の意味で笑い話のネタにされてしまいますもの」
ヘルダロイダがそう言って笑う。確かに本人の言う通り、ヘルダロイダが女王になれば、女王と言うより女王様になってしまう。
「わしも願い下げだ。この頭では王冠が滑ってかなわん」
アウグステインが見事なハゲ頭をなで回しながら笑う。
「私もご遠慮させていただきます。頭の上がらない方々が多過ぎますので」
五大家の当主の中では一番年若いクリストフェルンが苦笑する。王位に就いたところで、この場に居る大物たちの視線が常について回るのかと思うと、玉座など座り心地の悪い派手な椅子に過ぎない。
「つまりはヴァウレル卿が王位に就いたであろうということです」
ヴァウレルが口を開く前にライドバッハが話をまとめる。
「冗談を申すな! もしそうなっていたら、アインノルトにでも押しつけたわ!」
五大家筆頭がひどいことを言う。
「……私はまんまと騙されて、誰も欲しがらん地位に就けさせられたような気がしてきたのだが」
ヴォオスの至尊の座が目の前でたらい回しにされる状況に、リードリットがげんなりと口を挟む。
「と言うような次第もありまして、我らは陛下に多大な感謝を寄せている次第であります」
ライドバッハが面白そうに話をまとめる。今までの人物像を完全に破壊してのける変わりっぷりであったが、誰もが今のライドバッハの方が好ましかった。
「いや、まことじゃ。王位の奪い合いならまだ格好もつくが、よもや王位の押し付け合いで戦を始めたとあっては、人生の最後にヴォオス史に大きな汚点を残すところじゃったわい」
そう言ってレイブランドが笑い、つられて全員が笑う。
場が落ち着いたとき、ライドバッハがカーシュナーの目を正面から見据えて切り出した。
「このすべてを、お主が導いたのだな」
カーシュナーはライドバッハの問いかけに、軽く肩をすくめただけだった。
「レオフリード卿も、お主の影響を受けて変わったと申しておられた」
「レオフリード卿が柔軟になられたのは、私などではなく、兄のセインデルトの影響です」
「お主の兄は、反乱軍のど真ん中にただ一人で残ろうなどというたわけた考えを植え付けるような人物だったかな? お主のことは、よく休学しては各地を放浪して歩く皮肉屋ぐらいにしか知らんが、お主よりは多少はセインデルトのことは知っておる。あれの中には最低限の常識の線引きがあった。間違ってもレオフリードの身を危険な状況に投じさせるような影響を与えるような者ではない。本人の言葉通り、無茶はお主の影響だ」
「ライドバッハ。お主の言う通りだ。こやつには無茶苦茶なところがあるからな!」
「類は友を呼ぶというやつですな」
「まったくだ!」
ライドバッハの言葉に、リードリットは勢い込んでうなずくと、視線をシヴァに向ける。
向けられたシヴァは、ニヤニヤしながら視線を返す。「陛下もですぜ」と、視線が語っている。
「私は含まれてはおらぬよな! ライドバッハ!」
ライドバッハは笑うだけで応えなかった。
「何故私を信じた?」
答えを期待しているというより、どう応えるかでカーシュナーを測ろうとする意図が、ライドバッハの問いかけにはあった。
「信じたわけではありません。可能性の一つとして考慮したまででございます」
「それはどうかな? 私のこれまでの言動から、私心なく、ただ国を憂えての行動だと考慮出来るような根拠はなかったはずだ。私自身が周囲の人々の認識を操って来たのだからな」
「確かに。私も、以前戯れにゴドフリート様に問いかけたことの答えがなければ、考慮しようとはしなかったでしょう」
「何を問うた?」
「ライドバッハ卿の知略をもってすれば、この国を支配することが出来るのかと問うたのです」
「答えは?」
「今すぐにでも出来るだろうな。と、お答えになりました」
「…………」
「出来るだけの力があるにもかかわらず、そうしない。かといって、王権に盲目的に従っているわけでもない。王権に盲従するような人間に、国を盗ることなど叶いませんからね。ゴドフリート様がそんな人物を見誤るとは思えません」
「…………」
「そこで私は一つの仮説を立て、あなたの過去の偉業のすべてを調べ直したのです」
「どういうことだ?」
黙って聞いているライドバッハに代わり、リードリットが疑問を口にする。カーシュナーとライドバッハの間でだけ会話が成立しているので、他の者はついていけないのだ。
「ライドバッハ卿にそのつもりがあれば、この国はとうの昔に長い歴史に幕を下ろしていたのです。場合によっては陛下も私も、十年ほど前に寿命を終えていたかもしれません」
「まがりになりにもヴォオスは大国だぞ! そんなことが簡単に断言出来るのか!」
「出来ます」
「ライドバッハの偉業は私も知っておる。その智謀の深遠なること、ヴォオスの三百年の歴史の中でただ一人と人々に言わしむるのも納得の功績ばかりだ。だがそれも、用いるべき兵があってのもの。ライドバッハ一人に出来ることには限りがある」
「おっしゃる通りです。ですが、数々の偉業のすべてが、実は作為的に戦果を抑えられたものであったとしたらどうでしょうか?」
「…………」
「どういう意味だ?」
これまで黙って話に耳を傾けていたヴァウレルが息子に問いかける。話の中身が、五大家筆頭にすら及ばない領域に入ったことを意味する。残りの四家の当主たちも目の色が変わる。
「本来ならば圧倒的な戦果を、例えるならば、侵略者たちを見事撃退するだけではなく、逆に攻め込み、相手国の王都を陥落させ、一国を併合してしまうようなことを、あえて撃退するだけに留め、それを当時の状況下では最大の戦果に見えるように戦局を操るといったことです」
「何を馬鹿な! そんなことが人の身で出来ようはずがなかろう! 何より、そんなことをする意味がない!」
アウグステインが驚きの声を上げる。
「意味はあるのです。ヴォオスを守るという意味では、これまでのどのような行動よりももっとも重要な意味が」
「…………」
「どのような意味があるのですか?」
クリストフェルンが先を促す。落ち着こうとしているが、ヴォオスの近年の歴史がひっくり返るようなことが、これから語られようとしているのだ。目は興奮に見開かれている。
「先程も話に上がりましたが、ヴォオスは三賢王亡き後、約五十年間、暗愚の王たちによって治められ、その歴史の中でクロクスのような奸臣を育ててしまいました。それでもヴォオスという国が今日まで保たれてきたのは、ライドバッハ卿によって、国力の増大が抑えられてきたからです」
「どういうことじゃ? 暗愚の王の出現により国力は衰退し始めておったはずじゃ。それをあえて抑えてどうやって国力を保つというのじゃ?」
レイブランドがしわの深い顔をさらにしわくちゃにしてたずねる。
「国力はクロクスの働きによって、過去最高の水準にまで上がりました。これは再建王と謳われたラウルリッツ陛下にすら成し得なかった偉業です。ヴォオス経済はこれまでも大陸を東西南北四方に走る隊商路のおかげで、多くの富がもたらされました。クロクスの経済改革はそれに拍車をかけ、さらに目まぐるしい発展を遂げ、途方もない富をもたらしました」
「確かに。クロクスが築き上げた経済圏は、私たちも無視しえない程の大きさでした。五大家と言えども、クロクスの経済圏に関わらずに領地を運営することはかなわなくなってきておりました」
ヘルダロイダがカーシュナーの説明に同意する。他の当主たちも大きくうなずく。
「もしここに、より多くの領土があり、クロクスにその経済圏をさらに広げるだけの余地があったとしたらどうなっていたでしょうか?」
カーシュナーの問いに、全員がごくりと唾を飲み込む。
「現状でも最大規模を誇るクロクスの権勢は、もはや五大家が束になってかかったところで、牛をいら立たせる虻ほどもにも痛痒を与えることは出来ない規模になっていたでしょう。一撃で打ちのめされて終わりです」
カーシュナーが何を言いたいのかがわかり始め、驚嘆の目がライドバッハに向かう。
「もし、ライドバッハ卿がその軍事的才幹をいかんなく発揮していたら、今頃周辺国は少なくとも、ヴォオスの従属国に成り下がり、ヴォオスはかつて魔神ラタトスがその掌中に収めた以上の勢力を、この大陸に広げていたはずです。そしてそのすべてにクロクスの経済の網が張られ、富という名の圧倒的な力が引き上げられていたでしょう」
「そうなることを、ライドバッハは阻止していたと言うのか……」
リードリットがため息のように言葉を漏らす。
「これまでのライドバッハ卿の偉業を再度検討した結果、私がたどり着いた答えは、もっと勝てたであろうということです。そして、何故勝とうとしなかったのかという疑問に対する、これが私なりの推測です」
「カーシュ。お主がどうしてライドバッハの野心を疑わなかったのか、ようやく得心がいった。そのような途方もないことをやってのけるだけの才幹があれば、ヴォオスを手中に収めることなど容易かろう。一国を落とすことに、野心を持つ必要などない。そうしたければいつでも出来るのだからな」
「はい。ですが、すべては憶測。そこにすべてを賭けるわけにはまいりません。故に今日まで語ることを控えて来たのです」
「まったく! おしゃべりなやつめ! 王立学院でお主に及第点などやらねばよかったわ! そういうことは、気がついても墓の中まで持って行くものだ。知られてしまったら格好悪いではないか!」
ライドバッハがぷりぷり怒り出す。それが悪ふざけだとわかってはいるが、これまで脳裏に刷り込まれた印象のせいで、異様な光景に見える。白髪に豊かな白髭をたくわえた厳めしい男がぷりぷり怒っているのだから無理もない。
「お主の存在を見抜けなんだとはな……。存外私もただの人ということだな」
どこか困ったように見下ろしてくるカーシュナーを見上げながら、ライドバッハはしみじみと漏らす。
「いや、絶対ただの人じゃないでしょ!」
この状況で当たり前のようにライドバッハにツッコミを入れるシヴァに、リードリットは呆れるとともに大笑いした。
真実は、誰の想像もはるかに超えた大きさで、歴史に横たわっていたのだ。
「ライドバッハよ。力を貸してくれるか?」
「喜んでお仕えさせていただきます。ですが、今回は高みの見物です」
「どういうことだ?」
「それがレオフリード卿との約束でございますから」
そう言うとライドバッハはニヤリと笑った。
「好きにせい! まったく、どうして私の周りに集まる者は、こう扱いにくい連中ばかりなのだ!」
「類は友を呼ぶ。というやつではないでしょうか?」
遠慮がちにかけられたアナベルの言葉に、大天幕が笑い声で満たされる。
「アナベル! お前もか!」
リードリットの全力のツッコミが、さらなる笑いを誘った――。
10/31 誤字脱字等修正




