二人の勅使 (その3)
今回は変則的に、一話を三部に分けて掲載しています。
(その1)、(その2)、を未読の方は、お手数ですが(その1)にお戻りいただき、そちらからお読みいただけますようお願いいたします。
「レ、レオフリード将軍! このようなところに、どうして……」
大反乱軍の野営地を訪れたレオフリードに気がついた千騎長の一人が、わかりきった質問を口にする。そのことに気がついた千騎長は、レオフリードが答える前に配下の者を本営に走らせ、自身はレオフリードの案内を務める。
予想外の人物の登場に、反乱軍の野営地がざわつく。王都にいるライドバッハ派から、レオフリードが王都の守備のためにミデンブルク城塞から帰還したとの報告は受けていたが、まさか当人がこの場に現れるとは誰も予想していなかった。
いったい何が起こっているのかと、兵士たちの間で憶測が交わされる。
「騒がしくて申し訳ありません」
その様子に恥じ入ったように千騎長が詫びる。同時に好奇の視線を寄せて来る兵士たちをぐるりとにらみつける。実際に仕事があるのかどうかは定かではないが、にらみつけられた兵士たちが、わざとらしく仕事に戻って行く。
貴族連合軍の野営地が緊迫していたのに対し、反乱軍には余裕が感じられる。
「兵士たちの状態はいいようだな。軍に取り込んだ反乱者たちの様子はどうなっている? その後病死した者など出たのか?」
予想外の問いかけに、千騎長は一瞬答えるのをためらったが、勅使としてこの場に現れたというレオフリード将軍が、いまさらこちらの内情に探りを入れて来るとも思えず、素直に答えることにした。
「安定した食糧供給と、防寒装備一式を与え、まずは体力の回復と精神状態の安定に務めたおかげで良好です。また、彼らの故郷の救済も、各領地の領主たちに働きかけ、北部の民衆の生活は安定致しました。家族を救ってもらったと、恩義に感じる義理堅い者たちの中には、正式にヴォオス軍に入隊し恩返しがしたいと希望する者まで出ております」
「さすがは軍師殿といったところか。反乱を起こさざるを得ないところまで追い詰められた人々のことがどうにも気がかりだったのだ。おかげで一安心出来た。礼を言う」
レオフリードに感謝され、千騎長はひたすら恐縮する。ライドバッハの手厚過ぎる対応に若干の不満を感じていた千騎長としては、レオフリードの言葉はむしろ耳の痛いものだったのだ。
その後も問われもしないことまで千騎長は説明し、レオフリードは真摯に耳を傾けた。レオフリードのこういった下の者をけして軽く扱わない姿勢が、その出自や実力以上に兵士たちを惹きつけるのだった。
反乱軍の内情のおおよそを把握したころ、レオフリードは反乱軍の本営大天幕の前に到着していた。
国王の勅使としてレオフリード将軍が到着したと聞き、主だった軍幹部と北部貴族たちが集まっていた。
入り口に立つ兵士が、レオフリードに剣を預けるように促すと、レオフリードの大喝が、大天幕を吹き飛ばす勢いで轟く。
「勅使に剣を預けろとは何事か! 貴様も、ここにいるすべての者たちも、もはやヴォオス人ではないということか!」
何事においても冷静沈着で、これまで叱責することはあっても、怒鳴りつけるなどということのなかったレオフリードの怒りに触れ、その場にいる全員が凍りつく。寒風の吹きつける外に裸で立っていたとしても、ここまで腹の底が冷え込むことはないだろう。
ただ一人レオフリードの怒気に気圧されずにいたライドバッハが進み出る。
「先程の失言、その者に代わりまして、私がお詫び申し上げます。勅使に対する無礼は、陛下に対する無礼も同じ、いかような処罰もお受けいたしますので、どうかお怒りをお静めいただけますようお願い申し上げます」
ライドバッハはレオフリードの前にひざまずくと、深々と頭を下げた。
しばしの間、無言が大天幕を支配する。
己の失態に、全身を震わせる兵士の浅く速い呼吸だけが嫌に大きく響いた。
「謝罪を受け入れよう」
レオフリードはそう言うと、周囲の非難の視線に居場所のない兵士の肩に手を置いた。
「職務に忠実なのは立派なことだ。だが、主の前に立つ以上、自分の言動が主の管理下にあることを忘れてはならん。お主の対応いかんで、主が賞賛されもすれば、面目を失することにもなる。この失敗から学べ。下がってよい」
身の置き場のなかった兵士は、無駄口は一切叩かず、一言謝罪の言葉を口にすると下がっていった。
誰もがレオフリードの言葉が、兵士をこの場から去らせてやるために掛けられたものだということに気づく。
咄嗟に兵士を庇ったライドバッハの行動も見事であったが、不必要に責めず、反省を促し、それ以上自分で自分を責めないように配慮したレオフリードの言動もまた見事であった。
怒気を治めると、レオフリードは何事もなかったかのように大天幕の上座に移動する。先程までライドバッハが座していた簡素な造りの椅子の前だ。
勅使に対してライドバッハがどのような態度に出るのか。この場に集った人々の最大の関心はその一点にあった。勅使がどのような用向きでここまで来たかなど、二の次なのだ。
ライドバッハは宰相クロクスを、国を蝕む獅子身中の虫とし、これを除くという名目で大反乱の旗を掲げた。これまで一度も国家そのものや王家を糾弾したことはない。
だが、誰もが憶測を働かせていた。その気があれば、おそらくライドバッハは天下を取ることが出来る。それだけの実力があるということを、これまでの実績が証明している。大反乱に加担している貴族の多くが、その腹積もりで今後のヴォオスでの権力拡大を視野に入れて参加している。
ライドバッハが勅使に対してどのような態度に出るかで、すべてが決まるはずだったのだ。
それが、入り口の警護に立っていた兵士の勅使に対する非礼という想定外の事態が発生したおかげでうやむやになってしまった。
勅使の到着に、勝手に浮き足立っていた貴族たちとは違い、その相手があのレオフリードだと知った後でも顔色一つ変えなかったライドバッハに、貴族たちはその腹の中ではとうの昔にヴォオス王家を見限り、決別を表明する時期を測っていたのではないかと考え、身構えていたが、測り難い状況になってしまった。
上座の位置についたレオフリードが無言で待つ。何を待っているのかといぶかっていた貴族や軍幹部たちだったが、無言の意味に気がつくと、慌ててひざまずく。あやうく先程の兵士の二の舞になるところであったのだ。
「組織としていささか緊張感が足りないのではないかな、軍師殿?」
慌ててひざまずいた人々に皮肉な視線を投げながら、レオフリードが言葉をかける。総大将であるライドバッハが勅使に対して膝を折っているというのに、その周りでぼうっと突っ立ていたのだ。レオフリードでなければ皮肉程度ではすまない話だ。
「先程の兵士の件が何一つ響いてはいなかったようで、重ね重ねの非礼に言葉もございません」
ライドバッハの言葉に、ひざまずいた人々は顔を上げることが出来なかった。総大将であるライドバッハに再度の恥をかかせたのだ。恥を知る者ならば当然だ。
だが、このやり取りで、ライドバッハの本心がどこにあるかは別として、この時点で王家に対して明確な反意を示す意思がないことはわかった。
この場で宣戦布告かと身構えていた人々から気負いが消える。
「陛下からのお言葉を伝える」
レオフリードはそう言うと、懐にしまい込んでいた詔書を取り出し広げた。
「ヴォオス軍軍師主席ライドバッハは、許可なく挙兵に至った経緯に罪は認められないとし、ここに改めてクロクス及びロンドウェイクの討伐を命じる。また、リードリット陛下の戴冠式の際、暗殺を謀った者二名が、ライドバッハの配下であること、及び、暗殺を見破られた際、新たな王位にライドバッハこそがふさわしいと、暗殺者から直接の発言があったことを受け、ライドバッハは直ちに王都へ帰参し、身の潔白を証明するよう命じる」
まったくの想定外の内容に、うつむいていた人々が一斉に顔を上げる。告げられた内容を把握出来た者はほんの数名しかいない。
「非礼を承知でいくつか質問をしてもよろしいでしょうか?」
数名の中の一人、ミヒュールが発言の許可を求める。レオフリートはうなずいて答えた。
「リードリット陛下とおっしゃられましたが、どういうことでしょうか? バールリウス陛下の御身に何事かあったのでしょうか?」
「バールリウス様はリードリット女王陛下にその至尊の座を譲位され、退位なされた。今現在はリードリット様が国王であり、私はリードリット女王陛下の名代としてここにいる」
「譲位には確か五大家と宰相、それに大将軍の承認が必要だった記憶しております。つい先ほど承認を与えるべき立場のクロクスと、王弟殿下の討伐を御命じになられた中で、どのような手段で譲位の承認を取り付けたのでしょうか?」
ミヒュールの声には隠しようのない不信感が込められている。王都での政変劇はあまりに非日常的過ぎていて、実際に体験した者ですら、それが本当に現実なのかと疑ってしまうほどだ。よく仕込まれた演劇であったと言われる方がよほど納得がいく。
「ミヒュール。お主が申した通り、五大家の各当主方及び、宰相と大将軍の承認は間違いなく得ている。ただし、それはクロクスとロンドウェイクからではない」
王弟であり大将軍であるはずのロンドウェイクの敬称がはぶかれていることに、居合わせた人々が息を呑む。あのレオフリードが失念するなどあり得ないことだ。それはつまり、クロクスのみならず、ロンドウェイクの失脚も意味した。
「クロクスの罪状は数々の不正を含めると数えきれないほどになるが、王都の地下に盗賊ギルドを使い、禁制品や非人道的な商取引、加えて人身売買を取り仕切る、地下競売場なる施設を建設、主導した罪により、ヴォオスでのあらゆる権利と私財を没収された。当然当人には死罪判決が下っている」
レオフリードの言葉に、一部の貴族が真っ青になって震えだす。
「ロンドウェイクはこの地下競売場にて拉致誘拐した無辜の民を競売にかけ、王家の名誉を著しく傷つけたとして、王族からの除名と、死罪判決が下された。この両名に代わり、宰相職には元大将軍の職にあられたゴドフリート様が就任され、大将軍の職には、いまだ非才未熟ではあるが、私が務めさせてもらっている」
さらに付け加えられた衝撃の事実に、さすがのミヒュールも咄嗟に言葉が出ない。
「この勅命を、クロクスの奸計と疑う気持ちはよくわかる。お主らは王都の地下でどのような狂態が繰り広げられていたか知らぬであろうが、知れば余計にあの男ならば勅命を騙るような卑劣な真似を平気でするだろうと思うはずだ。いや、この中の何人かは、よくわかっているかもしれんな」
そう言ってレオフリードは青ざめガタガタと震えている何人かの貴族に、冷たい視線を投げた。
「陛下を暗殺しようとした者についてお尋ねしたいのですが」
ここでようやくライドバッハが口を開く。その落ち着きは微塵も揺らいではいない。
「毒見役と給仕の一人だ」
「であれば、間違いなく私の協力者です」
「ライドバッハ様!!」
あまりにもあっさりと暗殺犯との関係を認めたライドバッハに、つき従ってきた千騎長の一人が悲鳴を上げる。これがクロクスの奸計ではなかったとしても、臣下の枠には納まりきらない程の突出した能力を持つライドバッハを、新王であるリードリットが疎んじ、暗殺の主犯として合法的に取り除こうとしている可能性もあるのだ。
さらに言葉を続けようとする千騎長を、ミヒュールが制する。
「行く以外に道はないのだ」
先程の千騎長の懸念は、宮廷での権力争いが起こる際には決まって用いられる手段だ。無実の罪を着せて処罰する。殺してしまえば、あとから無実だったと証明されようと問題はない。その時には強力な競争相手を沈め、権力をつかんでいるのだから、どうとでも黙らせることが出来る。
だが、千騎長の懸念はどこまでも憶測でしかない。そこには懸念を裏付けるだけの証拠もなければ突きつけられるだけの根拠もない。
拒むことはすなわち嫌疑の肯定であり、これまでのライドバッハの行動、言動のすべてを、自ら否定することになるのだ。
王権に対して反意あり、と――。
「お主はヴォオス軍兵士か? それとも軍師殿の私兵か?」
問われた千騎長が返答に窮する。
今彼の身を包む装備は、ヴォオス軍の千騎長のものだ。今現在もヴォオス軍にその籍はあり、家族もその恩恵にあずかっている。その忠義は誰に向けられるべきものであるか、言わずもがなだ。
「なぜライドバッハ様が責められなければならないのですか!」
向こう見ずな発言が飛び出す。年若い貴族の青年だ。
「ひかえよ! 勅使に対し無礼であろう!」
ライドバッハの叱責が飛ぶ。
納得がいかないまま、青年が黙り込む。
「暗殺を謀った者が私の手の者である以上、その責は私が負うものだ。釈明の機会もないまま処断されてもおかしくない状況で、身の潔白を証明する機会を与えるとのお言葉なのだ。考え違いをするものではない」
ライドバッハの言葉通り、この勅命はリードリットが度量を示したものだ。狭量な君主であれば、先程の千騎長の懸念通り、問答無用で罪に問うだろう。もっとも、ライドバッハの背後には十万を超える兵力が控えている。度量云々に関係なく、いきなり敵対表明は出来ないという事情もある。
もっとも、この場合リードリットに開戦の意志があるため、まずは公正な態度を示したことになる。
「何故ライドバッハ様お一人が王都へ向かわなくてはならないのですか。ライドバッハ様が行くのなら、我ら全員それに続くのみです」
先程の青年が懲りずに口を挟む。重いため息とともに再度叱責しようとしたライドバッハを制し、レオフリードは青年をにらみ据えた。
まとう百戦の気は、戦場でのそれであり、居合わせた人々は、圧倒的多数であるにもかかわらずしり込みする。それをまともに叩きつけられた青年は、呼吸が乱れ、異常な発汗に見舞われる。当人の感覚としては、姿の見えない死神が、首に手をかけ嘲笑っているかのような、絶対的な死を予感させた。
「お主にも問おう。お主はヴォオス国の貴族なのか、それとも単なる私兵なのか?」
レオフリードの問いは、答えを得られないまま中断された。これまで経験したこともないほどの死の重圧に、青年は過呼吸に陥り、倒れてしまったのだ。
慌てて助け起こす周囲の貴族も、レオフリードの怒りに触れることを恐れて何も言わず青年を引きずり外へと出て行く。
「軍師殿。もはやあなたの答えを聞くまでもないようだ。配下の者たちの態度が、お主の真意を明確に表している」
先程からの彼らの態度には、その忠誠が王にではなく、ライドバッハに向けられていることが雄弁に語られていた。大兵力を後ろ盾にした侮り以外の何ものでもない。それはそのままライドバッハの心の現れと受け取られても致し方のないことだ。
これに対して、ライドバッハは大声で笑った。それはレオフリードを見下し、嘲笑うためのものではなく、どちらかというと、カーシュナーが時折見せる人の悪い笑い方によく似ていた。
「ご無礼のほど、どうかご容赦いただけますようお願いいたします」
ひとしきり笑うと、ライドバッハはレオフリードに対して頭を下げた。そして、何を笑ったのか、一言も説明しないまま、
「勅命謹んでお受けいたします」
あっさりと拝命してみせた。
反乱軍の主戦力は、ライドバッハに率いられ、王都から共に出立した三万の兵士たちだ。彼らの大半が平民出身で、ライドバッハに見い出され、功績を上げることによって現在の地位を得ている。理屈では彼らは国王の臣下になるが、恩義も忠義も、当然ライドバッハにこそ向けられている。
レオフリードが再三問い詰めた私兵なのかという問いも、答えは是なのである。
これまで自分たちのために何一つしてくれなかった国王が、生得の権利を振りかざし、自分たちの恩人を害しようとしている。北部の反乱を簡単に吸収出来たのも、反乱者たちと兵士たちが共に持つ、国への不満と不信感という共通の反意があったからこそなのだ。
ライドバッハに賛同し、景気よく食糧庫を開き、領民の救済に当たった貴族たちも、民衆の強い反意を感じ取り、このままでは終わらないと見越して参戦している。己が利益にのみ固執する者が多い貴族がここまで思い切るほど、国に対する民衆の怒りは大きいのだ。
その状況下で現れたレオフリードの高圧的な態度は、勅使として当然のものではあったが、反感がまず先に立つ精神状態の兵士たちには、その意味を理解しろというのは難しい話であった。
レオフリードに気圧され、抑えつけられていた空気に亀裂が入る。ついには許可もないまま不遜にも立ち上がる者が現れ、それを見た者たちが後に続く。
誰の目も、ライドバッハを渡してなるものかと語っている。
事態がライドバッハの威光を無視して決裂する流れに乗りかけた時、以外にもレオフリード自身の言葉が状況を打開した。
「軍師殿が王都へ向かうのならば、ここには私が残ろう」
一瞬の空白の後、その言葉の意味が兵士たちの頭に浸透する。極端な言い方をすれば、万が一ライドバッハが王都に向かい、害されるようなことがあれば自分を殺せと言っているのだ。
それはレオフリードが自らの命を、ライドバッハの身の安全の保障に差し出しすということだ。
「正しい判断とは言えませんな」
レオフリードの言葉を、ライドバッハが否定する。
先程のレオフリードの話がすべて事実だとすれば、レオフリードはヴォオス全軍の指揮をつかさどる大将軍職にある。ロンドウェイクを廃した以上その身が負う責任は誰よりも重い。安易に人質になろうなどと口にするべきではないのだ。もっとも、それを言うのならば、勅使としてこの場に赴いたこと自体が問題とも言える。
「軍師殿は一つ考え違いをしておられるのではないかな?」
ここで初めてレオフリードが笑みを見せる。レオフリードを良く知る者が見たら驚いただろう。その笑みにはどこか人の悪い部分が顔をのぞかせていたからだ。
意外な顔を見せたレオフリードに驚きつつ、ライドバッハは問い返した。
「どういう意味ですかな?」
「彼らがヴォオス軍の籍を抜け、あなたの私兵になったのでない以上、全員大将軍である私の指揮下にあることになる。この兵力を貴殿が率いるか、私が率いるかの違いでしかない」
それはライドバッハの意表を突く答えであった。
以前のレオフリードであれば、決して口にしないような、軽口の部類に入るはったりだ。
「確かに。ですが、クロクスを討伐するに際し、本隊を大将軍であるあなたが率いずに、誰が率いるというのですかな?」
「もちろんリードリット女王陛下が自ら先陣に立ち、親征なさる」
「であればなおのこと、卿がお側に控えなくてどうする。今の王都に人などいまいに」
ここでレオフリードは、先程のライドバッハと同じように大声で笑う。
「そうお考えであれば、王都に帰還後、間違いなく面白いものが見られるでしょう。軍師殿こそ、陛下のお側でその一部始終をご覧になられよ。ヴォオスの景色が一変したことを知ることになるでしょう」
「卿がそこまで言うのなら、不謹慎なれど高みの見物でもさせていただくとしよう」
ライドバッハはそう言うと、豊かな白髭の下でニヤリと笑った。
レオフリードも同じ笑みを返す。
ライドバッハは立ち上がると振り返り、全員に宣言する。
「この反乱軍は、今この時より、反乱の旗を降ろし、ヴォオスの軍旗を掲げるものとする! 以後この軍は大将軍直属の管轄となる。皆誠心誠意お仕えせよ!」
この宣言に、即座に反応出来た者は一人もいなかった。場合によっては国盗り宣言になるかと意気込みこの場に居合わせた者の方が多くいたはずだ。それぞれの利己的な目論見があっさりと崩れ去り、先程までの勢いを失う。
その様子にライドバッハの両目がスッと細まる。
レオフリードが叩きつけた百戦の気とは異なる冷たい気配に、全員慌てて姿勢を正すと敬礼でもって応えた。
「勅使としての務めは終了されたのかな?」
ライドバッハが問いかける。
「ええ、今終わりました」
「であれば、少し良いかな?」
「もちろん」
そう言うと二人はライドバッハの天幕へと移動した。
「お主にいったい何があった? こう言っては申し訳ないのだが、私はお主のことを盲目的に王権に従うだけの、愚か者の一人としか評価していなかった。以前のお主なら、まずこの場にすらいなかったはずだ。大将軍の責任に縛られて、王都から出ることなど出来なかっただろう。真面目であることは美徳の一つではあるかもしれんが、必要な時に必要なことが出来ない頑迷さなど馬鹿の一つ覚えと何も変わらん。その柔軟性はどこから来た? ここに残るという先程の話も、この場での即断であろう?」
「悪い影響というやつです」
レオフリードは、ここ数年来の付き合いとなる、クライツベルヘン家の三男、セインデルトと、その弟の顔を思い浮かべながら答えた。
「なるほど、ある意味悪い影響と言えるな。ヴォオス貴族の中でも屈指の武門の嫡男であるお主がここまでの無茶をするのだから良いわけがない。だが、正直ゴドフリート卿が王宮を去られて以降感じたことのない高揚感を、私は今感じておる。どうやらヴォオスの歴史が面白い流れになってきているようだな」
「それは間違いなく。でなくて、どうしてゴドフリート様が王宮へと戻られましょうか?」
「まったくだ。正直この目でゴドフリート卿の顔を見るまでは、いかにお主の言葉といえども信じられん。王宮を去られた当時のゴドフリート卿を知る身としてはな。それほどに深い溝が、王家とゴドフリート卿との間には出来てしまっていたのだ」
「どれほど王家に、国に失望したとしても、力無き国民を見限ることは出来なかったのでしょう。クライツベルヘン家の手を借りて、各地を調べておられたようです」
「そうだな。ゴドフリート卿が私欲で動いたことなど見たことがない。むしろ私心を捨て、常に正しきことのために、力無き民衆のためにと心を砕いておられた。民が亡びかねないこの窮状を、黙って見ているはずがない。意外なのは現王家に力を貸すという選択をされたことだ。このままいけば、私がお迎えに伺うことになっていたであろうからな。王族も貴族も、すべてを滅ぼしたうえで」
ここでライドバッハが悪い顔をして笑った。瞳にみなぎる力が、戯言や軽口ではないことを雄弁に物語る。
「やはりそのおつもりでしたか」
さらりと語られたライドバッハの本音に、レオフリードが呆れて肩をすくめる。先の大会議で五大家が現王統を廃する方向で動いていたという衝撃的な事実を知らなければ、これほどあっさりとは受け流せなかっただろう。
「当然だ。あの段階で、私に担ぎ出すべき神輿があったとでも思うのか? ロンドウェイクが妬心に狂った時点で、ルートルーン殿下という選択肢もなくなったのだ。即位されたようだが、リードリット王女に至っては、五年前に王宮を飛び出したきりなのだぞ。見切りをつけるより他にあるまい」
「よく存じております。非常に厄介なお方でしたから。ドルク将軍に至っては、毎日薬師が処方した頭痛薬を服用していたほどです」
レオフリードの返答に、ライドバッハが心底面白そうに笑う。正直ライドバッハの笑うところなど見たことのなかったレオフリードは意外に思った。
レオフリードの内心を読んだのだろう。ライドバッハが説明する。
「愚か者どもを相手に会話が楽しめると思うか?」
手厳しい言葉である。その中には、以前の自分も含まれているのだ。
「ゴドフリート卿が去って以降の王宮は心底つまらん場所だった。気まぐれに王立学院で教鞭をとっていた時期が、唯一まともな時間だったのだから、救いようがあるまい?」
このような皮肉も意外だ。とにかく寡黙で、必要のないことは口にしないというのが、レオフリードの中のライドバッハの印象なのだ。内心を見事に隠しきるところなど、カーシュナーによく似ている。両者の接点は王立学院でのわずか一年足らずのはずであり、深い交流もなかったはずだ。にもかかわらず、今のライドバッハとカーシュナーはどこかひどく似通ったところがある。
「軍師殿にとって、そこまで価値のない場所に、何故戻ろうとお考えになったのですか? このまま振る旗の色を変えて、一気に国盗りに走ってもよかったのではありませんか?」
「勅使として訪れたお主がそれを言うのか」
ライドバッハが再び吹き出す。
「そう悪くはない話でしょう。傘下に加わった貴族たちの多くが、期待していたはずです」
「わかっておる。だからこそ思わせぶりな態度をとってきたのだ。それを真に受け、信じ込んでいた先程の奴らの顔ときたら、傑作であったわ!」
「意地の悪いことをなさいますな」
レオフリードが言葉とは裏腹に、ニヤニヤしながら言う。
「馬鹿をからかうのは楽しいぞ。この国の貴族は馬鹿ばかりだ」
ライドバッハの暴言には、絶対的知恵者としての立場から、他者を見下して発言しているという響きが微塵もない。この辺りもカーシュナーがよく吐く毒とよく似ている。それは、その視点が力無き人々の位置にあるからだろう。その行動原理はカーシュナー同様理不尽に対する強烈な反発にあるようだ。
「と言うことは、危うく馬鹿どもの王になるところでしたか」
「まったくだ。リードリット様には感謝せねばな。もっとも、事態が好転せず、私が王位に就くようなことになっていたら、王都は愚かな貴族どもの血であふれかえっていたであろうな」
レオフリードの軽口に、ライドバッハが黒い冗談で応える。だが、レオフリードは眉をひそめもしなければ、冗談を笑いもしなかった。
「現在王都は、誇張ではなく、現実に刑場から流れ出した大量の死刑囚たちの血によって、運河が赤く染められております。軍師殿が戻られても、まだ運河は血で染められているかもしれません」
「…………」
どぎつい冗談を言ったつもりが、それを上回る事実が返ってくる。さすがのライドバッハも言葉を失う。レオフリードの口から語られたのでなければ先程の黒い冗談に乗ったのかと思い、笑い飛ばしていただろう。
「……ずいぶんと思い切ったな」
「地下での狂態を知っていれば、そうは思わないでしょう。しかし、あまりにも一度に大量の処刑を行ったため、刃こぼれがひどく、処刑人が振るう斬首刀が不足する事態に至ったときは、これほどまでにたちの悪い笑い話がこの世にはあるのだと、呆れてしまいました」
レオフリードが呆れた冗談よりもひどい現実に、ライドバッハは腹を抱えて大笑いした。この反応もカーシュナーと一緒だった。レオフリードはふと思った。頭が良すぎると、笑いと非常識の境界線が人とは違ってくるのかもしれない。
「王位に未練はないのですか?」
「ない。というより、欲しければお主が小僧っ子のころにでも手に入れていた」
念押しのようにたずねられた言葉に、ライドバッハがどうでもよさげに応える。
ヴォオスの玉座につくということは、大陸でも屈指の権力を手にするということだ。この世に男と生まれ、その地位を夢見なかった者など、王位が約束されていたバールリウスぐらいのものだろう。それほどのことが、ライドバッハには簡単なことであり、同時にどうでもよいことなのだ。
途方もないことをこともなげに言ってのけるライドバッハに、レオフリードが呆気に取られる。その様子がよほど可笑しかったのだろう。ライドバッハがまたもや腹を抱えて大笑いする。その直後、
「お主を変え、新王の威光を天下に知らしめるために、その命すら賭けさせるほどの価値が、今のリードリット様にはあるのだな?」
ライドバッハが不意に真顔になって問い詰めてくる。
レオフリードは首肯して答える。
その答えに、ライドバッハは簡単には納得しない。先程までの砕けた雰囲気から一変、怖いほど真剣な表情になる。
「解せんな。リードリット様は持って生まれた異相に人生そのものを歪められてしまったお方だ。そもそも、あのお方の即位を支持し、支援するような貴族がいたことに驚く。トカッド城塞の陥落。西部地方に出現したゲラルジー率いるルーシの民の殲滅。どちらもリードリット様の手には余る偉業だ。誰かが背後にいることはわかるが、まったく見当がつかなかった。私にとってリードリット様は、多少は戦場を荒らす可能性を持った不確定要素に過ぎなかったのだ。何故こうまで変わられた?」
「軍師殿が見当もつかないと仰った者が、陛下を今日まで支え導いたのです。先程私が悪い影響を受けたと言いましたが、その人物から受けた要素がもっとも色濃いでしょう」
この答えに、ライドバッハがようやく表情を崩す。
「そうか。ではここでその人物のことを聞くのはやめておこう。王都での楽しみとさせてもらう。その三流賭博師がどのような人物か、会うのが楽しみだ」
「三流賭博師、ですか?」
「良く言って三流だ。どこの誰があのリードリット様に国の命運を賭けたりするものか。これで勝てる奴は賭けを知らない三流以下だけだ」
ミデンブルク城塞でのかつてのリードリットの振る舞いを思い出したレオフリードは、リードリットに対する忠誠心を刺激されたが、それでもライドバッハの言葉に反論することが出来なかった。
確かにライドバッハの言う通りだ。あれほど頭が回り、用意周到なカーシュナーが切り札として選んだのが、当時のリードリットなのだ。本来賭けが成立しない手札だ。最上の結果をもたらしこそしたが、何を理由にカーシュナーがリードリットを選んだのか、レオフリードには見当もつかない。すべてが終わったときにたずねてみたい気もするが、何やら恐ろしい答えが返ってきそうな気もする。
「さて、そろそろ出立の準備が整ったころだろう。新王陛下にご挨拶に伺うとするか」
レオフリードの言葉の裏付けは何一つないというのに、ライドバッハに迷いはなかった。
「貴族連合軍の野営地はおそらく移動しているはずです。そちらにも勅使が向かい、伝えられた勅命をクロクスとロンドウェイクが蹴ったことは確実でしょうから、王都方面に対して無防備に背中を晒している現在位置にはいられないでしょう。それでもこちら側に対して警戒を解くはずはありませんので、道中お気を付けください」
「そうだな。私がクロクスあたりに捕らえられて首をはねられでもしたら、お主も同じ運命をたどることになるからな」
「そんな死に方だけは御免こうむりたいものです」
天幕から響く二人の笑い声を、気をもみながら周囲に控えている兵士たちが、何とも言えない顔で聞いていた――。
「では大将軍殿、後のことはお任せする。ミヒュールも大将軍殿をお助けし、全体の手綱をしっかりと取れ。皆の者、王都で会おう」
たったそれだけの言葉を残して、鼻歌でも歌い出しかねないほどの上機嫌でライドバッハが元反乱軍の本営を後にする。
後に残される者たちとの精神的温度差があまりにも違い過ぎる状況に、レオフリードはこみ上げてくる可笑しさを必死に噛み殺した。
見送る背中が兵士たちの囲みの向こう側に消えると、レオフリードは一変鬼の形相になって振り返った。 周囲の空気が吹きつける寒風以上に兵士たちを凍りつかせる。
「何名かの貴族には、己の行いを後悔してもらおうか」
すでにこのことを予期していた貴族たちは、野営地から逃走していた。
王都の地下で何が行われていたかがレオフリードの口から語られ、狩りが始まる。
同じ貴族と言うことで、兵士たちから疑惑の目が向けられることになった無実のはずの貴族たちが、率先して逃亡した貴族たちを狩り出そうと躍起になる。
それ以上に、逃亡した元主に虐げられてきた兵士や、その領地から反乱軍に参加した民衆たちが、これまでの不満を爆発させて追いかける。
共通の敵を追うという目的のおかげで、元反乱軍とレオフリードとの間にあった溝が埋まる。
ライドバッハに勅命を伝える際に、同時にその身柄を拘束するはずだった貴族たちに、あえて逃げるだけの時間的余裕を与えたのは、出立前にカーシュナーから授けられた策の一つだった。
じつはこの策があったから、レオフリードはライドバッハを王都に向かわせるための人質として残るという判断を下したのだ。
三つの勢力の中でもっとも小さかったリードリットの勢力は、今や完全に立場を逆転させていた。
マウラガンの野にて動きだしたヴォオスの歴史は、誰も予想だにしなかったうねりを見せて終末へと向かう。
あと一戦――。
ヴォオスの未来が決まる。
次回からは通常通り土曜17時頃に一話掲載となります。……たぶん。
10/24 誤字脱字等修正。




