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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・序
29/152

二人の勅使 (その2)

 今回は一話を三部に分けて掲載しております。(その1)をお読みでない方は、お手数ですが一話お戻りいただき、そちらからお読みいただけますようお願いいたします。

 ヴォオス軍・貴族連合軍の本陣は、深刻な空気に包まれていた。

 つい先ほど、エルフェニウスの敗報を受けたのである。

 情報の出どころは反乱軍であるため、頭から信用するつもりはないが、エルフェニウスが遊撃部隊を組織し、貴族連合軍から離れ、別行動をとっているということを、反乱軍が情報としてつかんでいることは事実だ。

 

 エルフェニウスが遊撃部隊を組織し、軍から離れたのは、何ら戦果の上がらないまま後退せざるを得なくなった状況に、濃度を増して兵士たちの間に広がる敗戦の空気を吹き飛ばすため、反乱軍に一撃を加え、ヴォオス軍ここにありと、天下に知らしめるためだった。

 戦局の転換点になるような、比重の重い戦果ではなく、ヴォオス軍勝利という結果を求めてのものだ。戦果の大きさなどこの際どうでもよく、ただ一戦の勝利があればそれで十分なのだ。

 仮に反乱軍に作戦を見破られ、戦いそのものが発生しなければ、深追いなどせず、エルフェニウスはとうに兵を返して帰還しているだろうし、何らかの軍事的衝突があり、それに勝利を収めていれば、当人より先にその勝報がもたらされているはずだ。

 いまだに何の音沙汰もないという事実が、反乱軍からの情報のある程度の正しさを証明していた。


「どう責任を取るつもりだ?」

 クロクスが、いつもの人を切り捨てる時の口調でコンラット将軍を問い詰める。

「いかような処罰も受ける覚悟であります」

 コンラットはクロクスの冷たい視線に動じることなく答えた。

「エルフェニウス、ブレンダン、ジィズベルト。我が軍の要とも言える三人を失ったのだぞ! 貴様一人の命で償いきれるとでも思っておるのか!知った風な口を利くな!」


 卵形の見事なハゲ頭を真っ赤にしながら、クロクスが怒鳴りつける。コンラットがクロクス派の将軍であれば、いま少し配慮のある言葉を投げつけたかもしれないが、ロンドウェイク派であるコンラットに容赦するつもりはかけらもない。

 むしろロンドウェイクの力を削ぐという意味でも、腹心のコンラットを処分するいい機会とすら言えた。


「コンラットの判断は正しい。仮にその場に私がいれば、エルフェニウスの策に許可を出していただろう」

「現実は大将軍の許可もなく兵を動かし、無駄死にしただけ。軍規に背くのならば、功を持って罪をあがなうべきでしょう。敗れてなんの咎めも受けなくてよいというのなら、軍規などあってないようなものではござらんかな?」

 腹心を庇うロンドウェイクに、クロクスが正論で詰め寄る。

 軍規の要とも言える立場にある大将軍だけに、ロンドウェイクにはクロクスに対して返す言葉がなかった。忌々しいことに、クロクス派の将軍たちの目もある。


「コンラット。お主とエルフェニウスが何を意図して行動したのか、その真意は理解しているつもりだ。だが、軍が一つの組織である以上、規律は守られねばならん。お主の将軍の職を解き、王都にて謹慎するよう言い渡す。さがれ」

 苦虫を噛み潰したような表情で、ロンドウェイクがコンラットを処分する。

 予想以上に厳しい処分に、クロクス派の将軍たちすらざわつく。

 もはや将軍ではなくなったコンラットは、一言も発することなく、深々と頭を下げると本営から去っていった。


 本音を言えば首を切りたかったクロクスではあるが、やり過ぎて今この場でロンドウェイクと決裂するわけにもいかない。自暴自棄になったロンドウェイクが、万が一にもライドバッハと手を組むようなことにでもなれば、さすがのクロクスも状況を覆すことが出来なくなる。

 クロクスの正論をれた形になった以上、これ以上の責任追及は状況を悪化させることにしかならない。


 この場のやり取りではクロクスがロンドウェイクをやり込めた形になったが、コンラットに対して厳しい処分を下したのには、ロンドウェイクなりの目算があってのことだった。ここで大将軍の権限を行使し、戦時下ということでコンラットの失策を不問に付すことも可能であった。自軍を上回る敵勢を前に、有能な将軍を除くことは利敵行為とも言える。これまでのコンラットの実績を考慮に入れれば、クロクス派の将軍もそう強く反意を示すことはないだろう。今後の自分たちの保身を考えればなおさらだ。


 だが、仮にそうした場合、コンラットはライドバッハと衝突する際、もっとも過酷な戦場の指揮に割り当てられる可能性が高い。ライドバッハを退けたところで、腹心の部下を失ってはその後のクロクス派との戦いのめどが立たなくなる。クロクスとの戦力比はいまだに覆し難いものがあるのだ。

 であるならば、処罰を装い、コンラットを今後のために温存することにしたのだ。

 この判断が、後々のヴォオス軍に与える影響の大きさを、ロンドウェイクは知りようもなかった。

 当然厳しい処罰を求めたクロクス本人もだ。

 所詮二人とも、己の利益のみを考えての行動であったからだ。 


「不幸中の幸いというには語弊がありますが、失われた兵数は約六千です。反乱軍の流言ですので、今後も事実確認を進めるとして、今後の対策はどのように致しましょうか?」

 ヴォオス軍代七席、コーネリスが、クロクスともロンドウェイクともつかない方向へ問いかける。

 エルフェニウスがいないとなった今、自分の出番だろうと言わんばかりに前へ出る。その身は当然軍属であり、ロンドウェイクの支配下にある身だが、とうの昔にクロクスの懐でジャラジャラと音を立てる金貨によって飼いならされている。露骨にクロクスに問いかけなかったのは、両者と己の微妙な立場を考慮してのものであるが、見え透いているため意味のない配慮になっている。


 ヴォオス軍には王立学院で兵学を治め、軍師として席を置く者が多数在籍している。その中でも、将軍職相当の権限を与えられるわずか十人の軍師がいる。コーネリスもその中の一人であり、見識が広く、瞬時の判断力も的確で、有能な人材と言えた。だが、その能力の高さ故に驕慢な態度をとることが多く、また、利己的な性格の持ち主でもあることから、その評判は決してよくなかった。

 三十代の半ばであり、自分よりもはるかに年下のエルフェニウスとミヒュールが上位に席を占めていることを、常に苦々しく思っていた。

 今も内心ではエルフェニウスの失態を喜ばしく思っている。皮肉の一言も言いたいところではあったが、父親であり、五大家に次ぐ大貴族でもあるアルスメール侯爵を敵に回すことを恐れて口をつぐんでいるに過ぎない。


 ヴォオス軍軍師の主席、もしくは第一席とされるのがライドバッハ、次席、もしくは第二席とされるのがエルフェニウスで、それに続く第三席がミヒュールであった。第四席から第六席までは、隣国との国境線に設けられている各城塞に詰めており、この場にはいない。そのため、誰も喜ばない人選が、ここぞとばかりにしゃしゃり出て来たのである。


「私に考えがございます。発言の機会を……」

 コーネリスが得意気に策を披露しようとしたとき、兵士の一人が血相を変えて本営に駆けこんで来た。

 邪魔をされたコーネリスが兵士をにらみつけるが、兵士は気づきもしない。

 

「どうした。ライドバッハに動きでもあったか?」

 コーネリスの態度が鼻についていたロンドウェイクは、コーネリスの不満をことさら無視して兵士に問いかけた。能力があることは認めているが、事ここに至った今、何も期待していないクロクスも、コーネリスの言葉を聞くつもりはなかったので、ロンドウェイク同様あっさり流す。

 傷つけられて引き下がるコーネリスを待っていたわけではないのだろうが、さがると同時に兵士は報告した。


「王都より、勅使がお見えになっております」

「勅使だと!?」

 兵士の報告に、クロクスとロンドウェイクの驚きの声が重なる。当然だ。国の行く末などまるで考えていないバールリウスが、今この時に何の用なのかと、腹立たしくすら思う。

 とは言え、仮にも国王の使者である。この国のために今日まで尽力してきたのが誰であれ、実質的な支配者が誰であれ、表面上粗略に扱うわけにはいかない。一言帰れと言ってやりたいところではあるが、やむなく軍議を一時中断して勅使を待つ。


 割れた人垣を抜けて姿を現した人物を見て、皆一様に驚きの声を上げる。

「ルートルーン! 何故このようなところにいる!」

 予期せぬ息子の訪問に、ロンドウェイクらしくもない大声を上げる。

 その言葉を無視して、ルートルーンは足を止めるとその場に居並ぶ各貴族やヴォオス軍幹部たちを眺めまわし、最後にクロクスの卵形のハゲ頭を経由して、父親の面上で視線を止めた。


「これより陛下のお言葉を伝える」

 同行した元王宮騎士団員のバヴェイブが差し出した詔書しょうしょを受け取ると、ルートルーンは待った。

 一瞬ルートルーンが何を待っているのかわからなかったため、奇妙な無音の時間が過ぎる。はたと思い至った将軍の一人が、慌ててルートルーンが捧げ持つ詔書に対してひざまずいた。

 周囲の者たちもその意味に気づき、慌てて膝を折る。


 ロンドウェイクもクロクスも、内心どれだけ不満に思おうとも、王の言葉を椅子の上に反り返って受けるわけにはいかない。渋々ながら前へ出てひざまずく。

 この茶番は何なのだと視線で問うたロンドウェイクに返ってきたのは、鋼の硬度を持ったルートルーンの感情のない視線だった。

 これまで見たこともない息子の視線に、嫌な予感が一気に膨れ上がる。


「これより、リードリット女王陛下のお言葉を授ける。皆心して耳を傾けよ」

 驚愕が爆発し、時が止まる。誰の頭の中にも浸透していかない言葉がそれぞれの思考を麻痺させ、あのクロクスやロンドウェイクですら固まってしまう。

「貴族連合軍及びヴォオス軍は、今すぐその軍容を解き……」

「待てっ! 待て待て待て待てっっっ!! ルートルーン! お主何を言っておるのだ!」

 ようやく言葉の意味が理解出来たロンドウェイクが大声を上げて立ち上がり、勅使の言葉を遮って詰め寄る。


「ふざけるのも大概にいたせ! いくらお前でも、容赦はせん……」

 額に幾本も青筋を浮かべて詰め寄るロンドウェイクの首筋に、ルートルーンの抜き放った長剣が突きつけられる。歳は若くとも一角ひとかどの剣士となるであろう片鱗をうかがわせる見事な一振りだった。

 剣先から放たれる殺気はまぎれもなく本物で、自分を見据える目には、深い悲しみと傷つけられた者だけが持つ硬い光があった。


「王の言葉を何と心得る! ひかえよ!」

 この場にいる全員が、ルートルーンの気質をよく知っていた。柔和な笑顔とやさしさを持つ、誰からも好かれる少年だった。

 その面影が微塵もない。その決然とした表情は、若干青ざめてこそいるものの、王の使者として十分なだけの厳しさを兼ね備えていた。


「ひかえよ!」

 ルートルーンが再度警告する。

 異常なまでの緊張が場を包み、誰も言葉を発することが出来ない。さすがのクロクスも、まったく予想していなかった事態に、ただ成り行きを見守ることしか出来ない。

 息子の形をしたまったく異なる生物を前にし、ロンドウェイク自身大いに戸惑っていた。無意識に体重が前にかかった瞬間、自分の首筋の皮膚に冷たい感覚が走り、うっすらと血の筋が口を開くのを感じる。


 本気であるということが、凍てついた鋼を通して伝わってくる。


 ロンドウェイクは静かに後退し、クロクスの隣に戻ると再びひざまずいた。

 ルートルーンは剣を鞘に戻すと、抜刀の直前にバヴェイブに渡していた詔書を再度受け取り、読み上げ直す。  


「貴族連合軍及びヴォオス軍は、今すぐその軍容を解き、新王リードリットの元へ帰参すること。また、いかなる理由もこの勅命を拒むことは許されず、従わない場合はその者のヴォオスにおけるすべての権利を剥奪し、国賊として処罰するものとする」

 ルートルーンはここで一拍置き、その言葉が周囲に届いていることを確認した。

 何か途方もないことが王都で起こったことだけは理解出来た。ざわめくこともなく、誰もがルートルーンの次の言葉を待つ。


「また、王都の地下に盗賊ギルドと共謀し、禁制品及び非人道的商取引を行う、通称地下競売場なるものの建設を主導したクロクスと、その地下競売場で拉致誘拐した無辜むこの民を奴隷として競売にかけたロンドウェイクは、ヴォオスにおけるあらゆる権利を剥奪、私財等そのすべてを没収とし、死罪とする」

 先程以上に頭の中に染み込みにくい内容に、半数以上の者が呆然とし、残りの三割程が、寒風が吹きつける中、全身にじわりと汗を噴き出させた。


「両名は直ちに王都へと出向き、正式に裁きを受けよ。以上」


 詔書を丁寧に畳んだルートルーンは、脇で控えていたバヴェイブが差し出した両手の上に置くと、厳しく周囲を見回した。そこには二種類の混乱が見られた。地下競売場の存在を知らなかった者たちと、存在を知り、参加していた者たちだ。

 にわかには信じがたい話に疑心に捕らわれた者たちも、表沙汰になるなどとはつゆほども考えず、ヴォオスの法を犯してきた者たちの青ざめていく様子を間近に見せられ、その途方もない話が現実なのだと呑み込み始める。そして誰もが思った。


 これからどうなるのかと――。


「くだらん!」

 そう言って立ち上がったのはクロクスであった。承知の上ですべてを執り行ってきた分、明るみに出たことに対する立ち直りは早い。クロクスにしてみれば、すべての穴を埋め尽くし、盤石の態勢で手に入れるはずだったヴォオスの至尊の座に手を伸ばす日が早まっただけの話だ。こうなれば後は血塗られた道しか残されてはいない。居直るだけである。


「それがお主の答えか?」

 クロクスをにらみ据えるルートルーンが、短く詰問する。答えなどわかりきっていたことだ。王として、臣下であるクロクスを処罰するという形式を整えたに過ぎない。それでも言わせる必要がある。

 王都での王宮騎士団の暴発は、あくまで騎士団員が独断でクロクスの名前を出したものであり、クロクス個人が国に対して反意を示したことにはならない。宰相としての地位を利用して行ってきたこれまでの不正と、地下競売場の件だけで十分死罪に値するのだが、クロクス派の中でもその権勢に抗しえず、やむなくその傘下に加わっているような者たちに揺さぶりをかけるために、クロクス本人に公然と反逆の意志を宣言させる必要があるのだ。


「娘に甘すぎるバールリウスのことだ。どうせ娘のわがままに、何も考えずに王位を与えたのであろう。そんな戯言に誰が付き合うか! 何が勅使か! 王にあらざる者の使いなど、文字通りガキの使いに過ぎんわ! 帰ってバカ娘に伝えておけ、過ぎた悪ふざけは寿命を縮めるとな!」


「バールリウス様からリードリット女王陛下への譲位は、五大家の承認と、宰相ゴドフリート、大将軍レオフリードの承認の元、法に則って行われたものだ。貴様がどう解釈しようとかまわん。だが、他の者は心して聞け! 私の言葉は王の言葉であり、従わぬ者には厳しい処分が待っている。ヴォオス貴族として、ヴォオス軍人として、どの道をたどることが正道へと至るか、よく考えることだ!」


 動揺が波のように広がっていく。これで十分だ。所詮この場にいる三割以上の者が、その罪により死を賜ることになるのだ。潔く刑に服する機会は与えた。死に際を正すのも、汚すのも当人たち次第だ。後は、そこまで深くクロクスと関わってはいない者たちが己の忠誠をどこに置くか定めればいい。忠義の心など持たず、ただ己の利益のみを求めているような連中は、クロクスの下に残ればよい。丁度いいゴミ掃除になる。 

 クロクスが居直る中、息子にだけは知られまいとひた隠しにしてきたロンドウェイクはそうはいかなかった。先程突きつけられた剣先から伝わった殺気の意味も、これで理解出来る。理解出来るだけに顔を上げることが出来ない。

 顔を伏せたまま、ロンドウェイクは息子に問いかけた。


「ルートルーン。お主は父を見限るというのか?」

 絞り出すようにして発せられた言葉には、深い後悔がにじんでいた。自分でもわかっていたのだ。己の所業が人として、何より英雄王ウィレアム一世の血を受け継ぐ者として、恥ずべき行いであったということを。それでも野心に焦がされたロンドウェイクの魂は、癒えぬ心の火傷を一時的にでも忘れるために、他者の生贄いけにえを欲したのだ。


 悔恨の響きをもって発せられた言葉が、ルートルーンの心を揺らす。父の心に己の行いを悔いる気持ちがあったことに、安堵する。

「ともに行きましょう、父上。許されることはありませんが、罪人として他者から裁かれるのではなく、自ら陛下の元へ出向き、自分自身で己を裁くのです」

 ルートルーンは無意識の内に父へと手を差し伸べていた。


「……裁く? 裁くだと……。何故私が裁かれねばならん!! 何故私が罪を負わねばならん!! 何もしようとはせず、ただ安穏と暮らしているだけの人間は良くて、どうして国のため勤勉に勤め続けてきたこの私が裁かれねばならん!!」

 初めて顔を上げたロンドウェイクの瞳は、怒りのあまり充血し、赤い光を放っているようにすら見える。

 見たこともない表情だった。醜く歪み、それこそ悪鬼のように見える。

 これがあの敬愛して来た父なのかと、ルートルーンは凍りつき、縮み上がる心の中で思った。

 

「罪を問うというのであれば、あの男・・・の方であろう!! 国王でありながら何もせず、ただ快楽にふけっていただけの、発情した豚こそ罰を受けるべきなのだ!! いや、豚は豚らしく、とうの昔に屠殺とさつしてやるべきだったわ!! 何の能力もないくせに、ただ私よりも早く生まれたというだけで、どうしてあんな男が国王なのだ!! どうしてあんな奴に、この私がひざまずかねばならんのだ!!」

 吐き出される激情に、もはや悔恨の響きはない。長く、長く抑えつけてきた感情が一気に噴き出し、ロンドウェイクを怒りの塊へと変えていく。

 

 血のなせる業であろうか。ロンドウェイクのまとう気配が暗く冷たい圧力となって周囲を圧倒する。

 ロンドウェイクを侮っているクロクスですら恐怖を覚え、言葉がのどに詰まって出てこない。

 その圧力をまともに受け止める形になったルートルーンが、差し伸べていた手を引き、無意識の内に一歩後退する。


 ルートルーンは心の内で絶叫していた。ここで退いてはいけないと――。


 負の圧力に屈してしまったら、二度と父の前に立つことは出来ないと、本能が告げる。だが、身体が言うことを聞かない。一歩退いてしまった足が、勝手に二歩、三歩と続こうとする。

 人の醜さというものは、王都の地下で嫌というほど味あわされた。だが、これほどまでの怨嗟えんさの念と向かい合うのは初めての経験だった。人はこれほどまでに誰かを憎むことが出来るのかと思い知らされる。

 恵まれた環境で育ち、世の不条理や理不尽にさらされることなく過ごしてきた自分が、さかしらに正道などを口にして対抗出来るなどと考えたのは、単なる思い上がりに過ぎなかったのだ。


 折れかかった心が再度足を引こうとしたとき、ルートルーンの背中を一つの手が支えてくれた。逃げ出そうとした足がその場に踏みとどまる。

 大きな手だった。文字通りルートルーンを支えてくれている。一瞬バヴェイブが支えてくれているのかと思ったが、自分同様ロンドウェイクの放つ気に気圧され動けないでいる。


「殿下。あんなものは所詮個人の身勝手の垂れ流しでございます。こちらが真摯に受け止めてやるようなものではございません。鼻で笑い飛ばしておやりなさい」

 この状況下で、これほどの軽口を叩く男を、ルートルーンは一人しか知らなかった。

「カーシュナー卿か! どうしてここに!」

「ハゲと馬鹿、おっと失礼。二人の面食らう顔が見たかっただけです」

 ルートルーンは後ろを振り向こうとはしなかったが、カーシュナーが悪い顔をして嘲笑っていると確信した。父をわざわざ馬鹿呼ばわりしてから詫びるなど、皮肉極まりない。どこからこの余裕が生まれるのか、本当に計り知れない男である。


「他の誰が何をしようと、己の犯した罪が正当化されるなどと思うな! 恥を知れ!」

 ルートルーンの若い声が大喝する。一度吹き飛ばしてしまえば、ロンドウェイクから叩きつけられてくる怒りの感情など、ただ無様なひとりよがりに過ぎなかった。声に怒りと侮蔑がこもる。

 それを敏感に察したロンドウェイクがゆらりと立ち上がる。


「……誰にものを言っているつもりだ?」

 叩きつけられていた感情が殺気に変わる。これはさすがに笑い飛ばせる類のものではない。

 ルートルーンは反射的に一度は納めた剣の柄に手をかける。

「詫びるなら今のうちだぞ、ルートルーン。どのような経緯であの化け物が王位に就いたのかは知らんが、目を覚まして父の元に戻れ。私はお前に玉座を用意してやりたかったのだ」

「……玉座ですか。クロクスはそうは思っていないようですが」

 ロンドウェイクの言葉に対し、ルートルーンは角度を変えてやり返す。カーシュナーのおかげで取り戻せた冷静さが、場の主導権を取ろうとする。


「聞くなロンドウェイク。貴様もわしも、もはや力ですべてを手に入れるしかないのだ。ここで我らが割れて得をするのは、ライドバッハとリードリットだけだ。両者を打ち倒したところで、改めてわしらで雌雄を決すればよいのだ」

 貴族連合軍とヴォオス軍に散らばるクロクス派とロンドウェイク派を割ろうと画策したルートルーンの意図を見抜いたクロクスが、ロンドウェイクを諭す。

「今さらだな、クロクス。私にとって本当に目障りな存在は貴様自身なのだぞ。どうして今さら貴様と手を組まねばならんのだ」


「リードリットの頭でこのような話が作れるわけがなかろう! どうやら本当に五大家が動いたのだ! 家一つが小国に値する勢力だぞ! 五家集まれば近隣のどの国よりもはるかに恐るべき勢力だ! 貴様が一人で足掻いたところで、兄の足元にその首を晒すだけだぞ! よく考えろ! わしらは手を組むより他にないのだ!」

 兄の足元に、という言葉がロンドウェイクの中で大きく響く。死んであの男に屈するくらいなら、どんな手段を用いようとかまわないと思える。 


「そのような話に用はない! 両名ともに勅命に従わないということだな!」

 二人の怒鳴り合いにルートルーンが割って入る。もともと勅命に従い、王都に戻り素直に刑に服するなどとは考えてはいない。勅命を拒んだという事実を持ち帰ることが目的であり、両者と、それに従う者たちがどのような選択をするかなど、始めから問題ではないのだ。


「誰がそのような戯言ざれごとに従うか! 本来であればその首はねて王都に送り返してやるところだ!」

 クロクスが吠えるように答える。よほど興奮しているようで頭の上に落ちた雪が瞬時に溶けてなくなり、頭から湯気が上がっている。

 背中に添えられたカーシュナーの手が微妙に震える。おそらくクロクスの様子を見て笑っているのだろう。その余裕が伝播し、ルートルーンも落ち着いて眺めることが出来る。


「この場は去るがいい。玉座の前にバールリウスとリードリットの首を並べてお前の目を覚まさせてやる。五大家が何を考えているか知らんが、まとめて蹴散らしてくれるわ!」

 ようやく居直ることが出来たロンドウェイクも、暗くはあるが持ち前の覇気を全身にみなぎらせて答える。もはや建前を取り繕う気もない。


 ルートルーンは両者の言葉に対して何も言わず、ただ踵を返して本営を後にした。

 これほどの大声でやり取りをすれば、いちいち話を広げずとも自然と兵士たちの間に広まっていく。ざわめきが拡散し、野営地の空気が揺れる。


「カーシュナー卿。礼を言う」

「礼には及びません。物見遊山のようなものでしたから」

 実際は自分を心配して使者の一団に紛れ込んでくれたのだということは、支えてくれた大きな手が物語っていた。性格がひねくれているからか、素直に認めるつもりはないようだ。リードリット同様照れくさいのは苦手な性分なのかもしれない。


 貴族連合軍の野営地から十分な距離をとったとき、カーシュナーは大声を上げて笑い出した。ルートルーンを含め、バヴェイブや他の従者たちが呆気に取られる。

「あ~面白かった」

 不謹慎極まりない感想を最後に口にする。

 その斜め後ろで馬を走らせていたダーンが、額を押さえて天を仰ぐ。


「お主にはかなわん」

 さすがのルートルーンも呆れかえってこぼした。

「馬鹿は笑ってやるのがせめてもの情けです。殿下」

 そう言ってニヤリと笑うカーシュナーの顔は、あまりにも不敵だった。

「その余裕、いったいどこから来るのだ?」

「対クロクス・ロンドウェイクはすでに終わっているのです。後は我らの勝利という絵を描くだけの、もはやいくさとすら呼べない作業をこなすだけなのですよ」

「ど、どういうことなのだ!」

 これからいくさと気を引き締めようとしていたルートルーンが驚いてたずねる。


「人心の離反は、あの二人が思っている以上に深刻なのです。ことにクロクスは、その権勢に絶対的な自信を持っていますが、奴の権勢を支えていたのは、その財力です。クロクス派の大多数の貴族が、何らかの形でクロクスに借財があり、また、クロクスに依存することによって領地経営で利益を得ております。その反面、わずか三代で成り上がったクロクスに対する反感は根深いものがあります」

 カーシュナーの説明に、ルートルーンがうなずく。


「クロクスが築き上げたヴォオスの経済社会は賞賛に値します。現世界情勢からみてもこれ以上のものは誰にも構築できないほど完璧なものです。だからこそ、もはやクロクスの存在がなくても経済の輪は回り続けるのです。よほどの愚か者でない限り、この経済の輪に乗っていれば、領地経営に失敗することはないでしょう。となれば、クロクスがいなくなれば、借財を取り立てにくる者がいなくなる。それどころか、クロクスが独占していた商業分野に手が出せるようになる。利益に聡い人間にとっては、クロクスという頭を抑えつけてくる邪魔な手がなくなり、より多くの利益を手にすることが出来るようになるということです」

 ここでカーシュナーが最高に悪い顔で笑う。


「と言う流言が、今現在貴族連合軍の中で流れ回っているのです」

 それは人の欲望を操る悪辣と言っていい手口だった。

 いまだに世の中の黒さに馴染んでいないルートルーンは、カーシュナーのやりように呆気に取られるばかりであった。だが、それでもカーシュナーが施した策が有効であることはわかる。


「いかに戦い勝つか。これは殿下や陛下の考え方です。ですが、私の考え方は違います。いかに戦わずして勝つかでございます。ヴォオス人同士で血を流し合うことほど愚かな行為はございません」

「では、戦わなくてすむのか?」

「戦いにはなります。貴族連合軍に参加している貴族や、クロクス派のヴォオス軍将校の中には地下競売場の参加者がおります。潔く罪に服しても待っているのが死罪であれば、クロクスやロンドウェイクに賭けるでしょう。私がしたことは、利益によってクロクスの配下にある者たちに、潮時というものを教えてやったにすぎません。それでも欲望にとりりつかれて残るのならば、ともに滅ぼしてしまえばいい。出来ればこの機会に、腐った性根の貴族など皆殺しにしてしまいたいので、ぜひとも残ってもらいたいものです」


 カーシュナーの無茶苦茶な言いように、いつもの軽口かとルートルーンは思ったが、その目が本気であることに気がつくと、腕に鳥肌が立つのがわかった。自分を気遣いひそかに勅使の一団に忍び込むような優しさをみせたかと思えば、本気で皆殺しにしようなどという厳しさをみせる。


 自分に圧倒的に足りないものは、この切り捨てる厳しさなのだ。処罰する者の家族や友人が、どれほど悲しむだろうかと、つい考えてしまう。一人の兵士ならばそれでもよかったのだろうが、王族という立場にある自分はそうはいかない。情や義理を挟んで物事を判断することは許されないのだ。


 この男から学ばねばならないことが山ほどある。あとどれくらいの時間、自分やリードリットのそばにいてくれるのかわからないが、別れるその日まで、全力で追い続けようとルートルーンは思う。とりあえず、軽口を叩くところから始めたら、カーシュナーの真面目な従者であるダーンはどんな顔をするであろうかと考えた時、思わずニヤリと笑っていた。どうやらダーンの忠告は手遅れだったようだ。

 悪い影響を受けるというのも、それほど悪いことではないらしいと、ルートルーンは場違いなことを考えている自分に驚く。同時に、自分の中にもこんな柔軟性があったということに、ほんの少しだけだが手ごたえを感じていた――。


(その3)に続きます。

 10/24 誤字脱字等修正。

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