紅の女王
「現在王宮への出入りは禁止されております」
固く閉ざされた城門の上から、王宮騎士の一人が尊大な態度で告げてきた。
「何やら王宮内が騒がしいようだが?」
カーシュナーがいつものどこか頼りなく見える猫背で細目の変装で問いかける。
「貴殿には関係のないことだ。お引き取り願おう」
問われた騎士は顔を強張らせながらはねつける。
カーシュナーにはそれで十分だった。「明日出直すことにするよ」と朗らかに手を振ると引き返していく。
「ただ事ではありませんね」
「殿下が大嫌いな王宮に帰って、ただ事で済むなんて考えちゃあ駄目だよ。ダーン」
「シヴァ卿もご一緒ですからね」
ダーンが肩を落として答える。
「あの二人がそろったら、アナベルだけじゃあ止められない。それに、殿下を馬鹿にされると、本人より先にぶち切れちゃうからね。事と次第によっては、アナベルが騒動の原因になりかねない」
言いつつカーシュナーがクスクスと笑った。周囲の目に合わせて笑い方まで変えているのだ。
「笑っている場合ですか!」
ダーンが小声でしかりつける。
「いや~。中の連中どんな顔したかなあと思って。何が起きたかわからないけど、野良犬が肛門を棒でつつかれたような顔をしたんだろうな」
「なんですか、その下品な例えは!」
ツッコミつつもその場面を想像してしまったのだろう。顔面が笑いの発作に襲われている。
「とりあえず、さっさと潜入しちゃおう。普通に王宮で働いているだけの人たちに被害が出るとまずいからな」
「はい」
大陸最大の都市ベルフィストの最奥部、ヴォオス王宮は、その壮麗な造りもさることながら、警戒が厳重なことでも有名であった。その王宮へ、いともあっさり潜入すると言う。言われた方も二つ返事で返す。この会話を先程の王宮騎士が耳にしていたら、青筋立てて怒鳴り散らしていただろう。
カーシュナーとダーンは何気ない風を装いつつ、王宮から引き返した――。
「よし! ここだ」
カーシュナーはそう言うと、暗闇の中、一枚の板を外した。そして再び暗闇の中へと入っていく。そしてすぐに両開きの扉にぶつかった。懐から鍵を取り出し、足元だけを照らし出す特殊なランタンのわずかな明かりを頼りに、扉を開ける。薄暗くはあるが、そこは使われなくなって久しい王宮内の大貴族用の寝室だった。
カーシュナーは寝室内に作りつけられていた小さいながらも豪華な造りの衣装戸棚の中から出て来たのだ。
「立ち止まるんじゃないよ!」
言葉と同時に足蹴が飛んでくる。尻を蹴り飛ばされたカーシュナーが、くぐもった悲鳴を上げて悶絶する。
カーシュナーを蹴り飛ばしたのは、美しい貴婦人の装いに身を包んだリタであった。蹴り飛ばされたカーシュナーも、軍服ではなく王宮に出仕するに相応しいきらびやかな装いをしている。
元暗殺者である彼女が、かかとに鉄の棒を仕込んだヒールで蹴りつけたのだ。痛いに決まっている。
「リタ。衣装が破れるだろう」
こちらも正装に身を包んだダーンがやんわりとしかりつける。蹴り飛ばしたことについてではない。
「かかとをひっかけるようなヘマはしなよ」
なぜか得意げにリタが答える。
「お前ら、遊ぶな」
最後に入って来たオリオンが、カーシュナーとリタに注意する。
「なんであたしまで怒られるんだよ!」
リタが口を尖らせて抗議するが、オリオンは取り合わなかった。
リタと同じく元暗殺者であるオリオンだが、シヴァに匹敵する見事な体躯をきらびやかな服装に包んでいるため、たいていの貴族よりも貴族然として見える。目鼻立ちも整い秀麗な造りの顔をしているのだが、いかんせん最高に不機嫌な状態で固まってしまったとしか思えない仏頂面が、生まれついての秀麗さを台無しにしていた。
こちらも際立って愛らしいリタと二人並ぶと、王宮の広間を飾る名画の中から抜け出してきた一組の王侯貴族のような華やかさがある。
「相変わらず、こんな抜け道よく知ってるね」
隠し通路を抜けてきたため、先頭のカーシュナーは蜘蛛の巣にまみれていた。その蜘蛛の巣を取ってやりながら、感心しているというよりも、呆れかえっているような口調でリタが言った。
「五大家の特権ってやつさ」
カーシュナーも衣服に付いた埃を払いながら答える。
「これからどうする?」
「殿下がどう動いて、どういう結果になったのか確認しよう。状況次第で城門を奪う」
「簡単に言ってくれるよ」
リタが盛大なため息をつく。
「この抜け道から兵を入れるわけにはいかないのか?」
オリオンがたずねる。
「第一城壁内に引き入れることが可能な兵数には決まりがある。どんな理由があろうと、王の許可もなく規定数以上の兵を引き入れることは重罪になる。ましてや秘密の抜け道を使っての侵入となると、反逆行為とみなされかねない。配下についている俺たちが法に触れることを堂々とやったりすると、後々の殿下の立場に悪影響を及ぼすことになる」
「そんなの力で黙らせちゃえばいいじゃん?」
リタが無茶なことをさらっと言う。何事も力任せに生きてきたリードリットなら、それで丁度いいのではないかと考えたのだ。
「王族であれば法を犯しても許されるというような前例を作るわけにはいかない。仮に今は良くても、これから先のヴォオスに暴君を生み出しやすい土壌を作ることになる。力を振るうのは、こちらの正しさを主張してからじゃないとまずいんだ」
「面倒くさ!」
それなりにまともなことを言ったカーシュナーだったのだが、リタにパタパタと片手であしらわれてしまった。
「あれ? じゃあさ、あたしらはこんなことしていいのかい? もろに潜入しているじゃないか」
「ばれなきゃいいんだよ」
「ああ、そういうことね。そういう考え方なら了解だよ」
答えてリタがニヤリと笑う。
「通路に人の気配がなくなった。行くぞ」
二人のやり取りを聞き流していたオリオンが、部屋の中央にいながら指示を出す。どうやって感知しているのかわからないが、周囲の気配を探っていた様子は微塵もなかった。
「よ~し。行きますか」
オリオンの言葉をかけらも疑うことなくカーシュナーは行動を開始した――。
「想定していたよりも大事ですね」
謁見の間に居合わせたため、情報封鎖のために王宮内に閉じ込められてしまった貴族たちからおおよその事情を確認したダーンが、盛大にため息をつく。
「いや。これはむしろ好都合だ。王宮騎士団の驕りに、一杯おごってやりたいくらいだ」
「カーシュ。つまんない」
「クロクスはこれまで、けして表立ってその野心を振りかざしては来なかった。だからこそ、ヴォオスを牛耳れるほどにその勢力を伸ばすことが出来た。表面上はケチのつけようがないほど、完璧にヴォオス経済を仕切って来ただけだからね」
「カーシュ。つまんない」
「だが、王宮騎士団の連中は、殿下の譲位要求に対し、クロクスの名を使って暴発した。それは明らかな反逆行為であり、クロクス派の人間を抑え込む口実になる。ここで動けば、王都を離れているクロクスが手を打つ前に、王都を掌握することが出来る」
「カーシュ。つまんない」
「しつこいよリタ! さらっと流してよ! いつもは結構無視するのに、こういうときだけ食いつかないでよ!」
「いや~。思いついても言わないようなダジャレを、まさかカーシュが口にするとは思わなかったからねえ。これを見逃すほど、あたしは甘くないよ」
カーシュのツッコミに、猫なで声でリタが返す。まさしく捕らえたネズミを弄ぶ猫のようだ。
「仲がいいのは結構だが、時と場合を選べ」
オリオンが冷静に注意する。
ダーンの場合、カーシュナーとの長年の付き合いのおかげで、こういうとき、どうしてもツッコミ口調になってしまうため、まじめに注意しても効果がない。だが、オリオンが注意してくれると効果があるので非常に助かっていた。それ一つ取っても、ダーンにとってオリオンは貴重な人材であった。
「それで、どうするんだい? 相手は王宮騎士団三千ってことだけど?」
オリオンに怒られたので、仕方なくリタがまじめにたずねる。
「この状況下でも、兵を入れるのは難しいのか?」
オリオンも重ねて尋ねる。
「陛下と殿下の優位を確立させない限り、第一城壁を開かせるのは不可能だろう。大兵力を引き入れるには、さっきも言ったけど、正々堂々と、真正面からでなくてはならない。そうでないと、王都にいるクロクス派を、力ではなく、正論で黙らせることは出来ないからね」
「レオフリード様配下の治安軍に事態を告げて動いてもらうわけにはいきませんか?」
「外からでは第一城壁を突破するのに時間がかかり過ぎる。なにより、王都内に無用な混乱を招くことになる。クロクスが五千の兵を新たに編成してロンドウェイクを追ったということは、子飼いの私兵団をほぼすべて連れて行ったのだろうが、それでもまだどれだけの数の私兵が王都に潜伏しているかわからない。王宮騎士団が追いつめられてクロクスの私兵と連動して反撃に出てくる可能性がある以上、治安軍には事態を伝え、いつでも行動可能の状態で待機していてもらう」
「あの男を倒しておいて正解だったな」
オリオンが昨年激闘の末に打ち倒したクロクスの私兵団の団長を務めていた男のことを思い浮かべる。
「ああ、もし今ここにアイメリックがいたら、今頃はもう陛下の身柄を抑えられていたかもしれない」
おふざけが基本のカーシュナーが真顔で答える。クロクスの懐刀であったアイメリックと言う男は、カーシュナーの余裕を奪うほどの男だったのだ。
「アイメリックがいないからって、まさか、うちら四人でなんとかしようってのかい? それこそ時間がかかり過ぎるってもんだろう?」
リタが眉をしかめる。だが、出来ないとは言わない。
その不敵さを受けて、あくどいとすら言える表情でカーシュナーは笑って見せた。
「一貴族が第一城壁内に連れてこれる護衛の人数は三十人まで、王宮へ連れて入れるのは十人までになっている。百五十人ほどの超一流の騎士たちに当てがあってね。俺たちは彼らが堂々と王宮内へ入れるように、城門を抑えれば、後はその人たちがやってくれるさ」
「ならばさっさとかたずけよう」
情報封鎖の要となっている城門の警備は当然固い。それを承知でオリオンはこともなげに言ってのけた。
「当てにしてるよ」
それは、当時大陸最強の傭兵と謳われていたアイメリックを倒した男に対する、もっとも控えめな表現であった――。
◆
「遅い! 誰を待たせているのかわかっているのか、カーシュの奴は!」
王宮の城門前で入場を断られたヴァールーフが、鼻息荒く言い放つ。
「何を慌てることがある。そんなことを言いながら、信じておるのだろう? 弟のことを」
苛立ち興奮するヴァールーフを、一人の老人がなだめる。おそらく八十歳を超えているであろう。五十歳まで生きられない人々がほとんどのこの大陸では、驚くほどの長寿である。贅肉はおろか筋肉まで削げ落ちてしまったその身体は、生きているのが不思議なくらいにやせ細っているが、落ち窪んだ眼窩に納まる濁った瞳には、いまだに強い力が宿っている。
「私はかまわんのです。しかし、皆様方を長くこのような場所でお待たせするのは、どうにも心苦しくて……」
「父親によく似た厳ついなりをして、意外に心配りの出来る男だな。どうだ? うちの孫娘を嫁にもらわんか?」
別の老人がさりげなくヴァールーフに見合いを進める。こちらは六十代だろうか、髪の毛も髭も、眉毛すらもなく、ただ深く刻まれたしわがあるのみで、見た目から年齢を判断しにくい老人である。
「抜け駆けは困ります。クライツベルヘン家の子息は、どこの家でも狙っているのですから」
こちらは先の二人と比べるとはるかに若い。まだ四十代に差し掛かったばかりの男だ。髪もまだ黒々とつややかで、声にも張りがある。
カーシュナーが当てにしている約百五十人の強者が、閉ざされた城門の前で緊張感のない談笑を交わしていた。
対照的に、城門一枚隔てた王宮側では騎士たちが、張りつめた互いの顔を眺め合いながら、小声で罵り合いを続けていた。
三千対百五十である。圧力の差など考えるまでもない。にもかかわらず、王宮騎士たちは城門前の集団に対して震えあがっていた。
「しかし、私たちを門前払いしようとは、王宮騎士団も偉くなったものですわねえ」
年齢不詳の貴婦人が、美しい微笑を浮かべつつ、周囲の寒風が春風に感じられるほどの冷たい声で言う。
自身に対して言われたわけではないのだが、ヴァールーフが慌てて謝罪する。
貴婦人の声が聞こえたわけではないのだろうが、間の悪いことに一人の王宮騎士が、城門の上から顔を出す。そして、
「皆さま。どうかお引き取りください。王命により王宮への出入りは禁止されております。これ以上勧告に従わない場合は反逆行為とみなし、実力でこれを排除させていただきます」
と、間の悪過ぎる台詞を口にした。
これを耳にしたヴァールーフによく似た男が眉をはね上げる。深くなったしわと、頭髪に混じった白髪がなければ、双子かと思うほど似ている。
「相手を見て口をきけ!」
短いが苛烈な一言に、言われた騎士は震え上がる。
「やれるものならやるがいい。事態がどのように納まろうと、貴様の処分は私自身が下してやる」
「わ、私は職務を遂行しているだけでありまして……」
「ではやれ」
「そ、それは……」
あっさりと返されて、騎士は言葉を継ぐことが出来なくなる。
「己の力量に余ることなら、小賢しくも王の権威などを振りかざさず引っ込んでおれ!!」
最後はそれで城門が倒れて開くのではないかと思うほどの大喝であった。
言われた騎士は恥も外聞もなく素直に引っ込む。
「カーシュよ。さすがの俺も生きた心地がせん。早くしてくれ……」
ヴァールーフの小声の祈りが届いたのか、直後に城門の向こう側がにわかにざわめき、次いで悲鳴が次々と上がり始めた――。
◆
「お、怒ってますよ! カーシュナー様!」
大喝された騎士並に震え上がりながら、あのダーンがカーシュナーを見つめてくる。
「あの馬鹿騎士が! 余計なことを……」
さすがのカーシュナーも額を押さえて座り込む。
「すごい大声だね。誰だったの?」
事の重大さを理解していないリタが、無邪気にたずねる。あるいはすべてを理解したうえで、カーシュナーをいじっている可能性も高い。
リタの問いかけには答えず、カーシュナーは立ち上がると、さも怯えた風を装って騎士たちに近づいて行った。
「今の騒ぎは何事かね! いったいどうなっているんだ!」
そして、恐怖から来る苛立ちをぶつけるようにわめく。
「うるさい! 奥に引っ込んでいろ!」
先程大喝された騎士が怒声を上げる。そして怒りのままカーシュナーの胸を突き飛ばす。
派手に後ろに倒れ込むカーシュナーに、騎士は加虐的な笑みを向けて見下ろす。
そこに悲鳴を上げてリタが駆け寄る。
「大丈夫ですか、あなた?」
そして献身的な妻を演じ、カーシュナーを助け起こす。
リタの美貌と、それを手に入れている目の前の情けない男に対して、騎士は異常なまでの破壊衝動と、性的興奮を覚える。それは周囲の仲間たちも同様な様子で、二人を囲むように移動する。
さらにカーシュナーをいたぶろうと騎士が一歩近づいた瞬間、リタの手首がひるがえった。
騎士の喉に短剣の柄が突き立つ。
囲み始めていた残りの騎士たちが事態を悟る前に、瞬時に立ち上がったカーシュナーが剣を抜き、ぐるりと一回転して剣を振るう。
常人離れした間合いを持つカーシュナーによって、騎士たちは一瞬のうちに首を断ち切られ、勢いよく鮮血の噴水を上げて倒れ込んだ。
この突然の襲撃に、城門の守備に就いていた百人の騎士たちが慌てて反撃に出ようとしたが、カーシュナーとリタの小芝居に注意が逸れていた隙に背後に回り込んだダーンとオリオンに次々と斬り伏せられ、大混乱に陥る。
基本前に出て自己主張することのないダーンであるが、その剣の腕前はカーシュナーをもしのぎ、こと地上戦においては無類の強さを発揮する。
以前クライツベルヘン軍の練兵場で手合せしたシヴァをして、こんな達人がどうやって今まで世間から隠れていられたんだと言わしめたほどの実力者だ。
迷いなく振られる剣が、一振りごとに死を生産していく。細かく相手の虚を衝き、一太刀も受けさせない。その地位に驕り高ぶっていたとはいえ、仮にも王宮騎士団員である。選び抜かれた実力者たちがなす術なく斬り倒されていく。
そのダーン以上に多くの死を生産しているのがオリオンだった。
片手に長剣、もう片方の手に短剣を逆手で握る変則の二刀流は、ダーンが一人を葬る間に二人を鮮血の海に沈めていた。
剣を振るうには一定の間合いが必要である。距離が近すぎると剣先に十分力が乗らず、攻撃力が半減してしまう。だが、オリオンは近づけば突き、離れれば斬るを繰り返し、相手の間合いそのものを切り崩していく。騎士たちも恐ろしい速度で接近戦を仕掛けてくるオリオンに、隙の小さな突きを入れようと大振りを避けて立ち回るが、繰り出す突きはことごとくかわされ、逆に伸びた腕を斬り飛ばされてしまう。
同時に四本の腕が血の尾を引いて宙を舞った瞬間、王宮騎士たちは恐怖に支配され、無意識の内に退いた。
「カーシュ! 城門を開けろ!」
その一瞬の隙を見逃さず、オリオンが城門前を塞いでいた騎士たちの壁に隙間を作りだした。
一瞬の隙を逃さずカーシュナーは身体をすべり込ませ、城門を塞いでいるかんぬきに取りつく。
「どれほどの重量があると思っておるのだ! たった一人で外せるか、この愚か者が!」
カーシュナーの行動に一人の騎士が罵声を浴びせる。だが、次の瞬間、あっさりと開かれた城門を目にし、罵声を浴びせた騎士は絶句した。
かんぬきは左右の城門に取りつけられた鉤状の金具に、上から差し込むことで城門に錠をかけるもので、大の男が五人がかりで朝晩これを開け閉めしている。通常であれば頑丈な板を金属で補強したものを使うのだが、見栄えをを良くするためという理由で、かんぬきの元となる板を、鉄板ですべて覆い、顔が映るくらい磨き上げられていた。
警備こそ厳重ではあるが、本来の機能を軽視した表面がつるつるのかんぬきに、カーシュナーは懐から取り出した油壷から、かんぬきを支えている金属部分も含めた全体に油を注いだのだ。そして、かんぬきを真横から思い切り蹴り飛ばした結果、超重量を誇るかんぬきがいともあっさり反対側へ飛び出したのである。
完全に抜き去る事は難しくとも、半分抜けてしまえば十分なのだ。カーシュナーはかんぬきの抜けた側の門扉に体重をかけ、一気に押し開いたのであった。長身で手足が長く、ひょろひょろとして貧弱な印象を与えがちなカーシュナーだが、長剣を平気で片手で振り回せるだけの怪力の持ち主なのだ。
「遅いぞ、カーシュ!」
さっそく開いた城門から、兄のヴァールーフが飛び込んでくる。
「なんと!!」
飛び込んできた他の騎士が驚愕の声を上げる。
城門の内側から悲鳴が上がってから、たいした時間は経っていない。にもかかわらず、城門の内側には五十体以上もの王宮騎士の屍が横たわっていたからだ。
その中に立つのは、カーシュナーを除けばたったの三人。しかも内一人は可憐な少女である。驚かない方が無理というものだ。
「兄上! 王宮騎士団が謀反を起こし、陛下の身柄を抑えようとしております! 守るはレオフリード将軍とわずか数名! お急ぎを!」
カーシュナーが手短に状況を説明する。
それだけでヴァールーフ以下この場になだれ込んできたすべての騎士が理解する。そして、オリオンとダーンの強さに気圧され浮足立ってしまっていた残りの王宮騎士団に襲い掛かっていった。
「カーシュ! 指示を出せ!」
ヴァールーフが向かってきた騎士を一刀のもとに斬り伏せながら大声を張り上げる。
「クロクスの私兵が乗り込んでくる可能性があります! 二十人は城門の守備に残ってください! 残りの半数は兄上と共に真っ直ぐ王宮の奥へと向かってください! 残りの半数は俺に続いてください!」
言うが早いか、カーシュナーは王宮の裏側に当たる使用人らの居住区へと向かった。
事前の打ち合わせがあったわけでもないのに、それぞれがその場で状況を判断し、散っていく。
城門の守備に就くことに決めた者たちは素早く門扉を閉ざすと再びかんぬきを掛け、邪魔な王宮騎士たちの死体をかたずけ始める。
ヴァールーフに続いた騎士たちは、城門での騒ぎを聞きつけた王宮騎士たちと、正面から激突する。
実力差は圧倒的ではあるが、いかんせん数の差があり過ぎる。王宮の奥へと駆けつけたいヴァールーフたちは足を止められる形となった。
しかし、いかに広い王宮の通路とはいえ、三千もの兵力を展開するには狭すぎる。そのため数の有利を生かせない王宮騎士団は、じりじりとではあるが、確実にその数を減らされていく。
ヴァールーフたちは全員が一度に戦えないため、二、三人斬っては後退し、戦力を次々と入れ替えていく。強敵が退き、攻め込めるかと思った王宮騎士団をあざ笑うかのように、新たに前に出てきた騎士が次々と王宮騎士を斬り伏せていく。
ヴァールーフと共に戦う騎士一人一人が、強兵を誇るヴォオス軍で将軍職を務められるほど強い。
圧倒的優位を確信して蜂起した王宮騎士団員たちは、強烈な後悔に心を支配され始めた――。
◆
恐怖に凍りつき、リードリットの元へと駆けつけようとするカーシュナーたちの前で棒立ちになってしまった洗濯婦が、悲鳴すら上げられず震えている。
カーシュナーは洗濯婦を邪険に押し退けたりせず、サッと抱き上げると速度を落とさず駆け続けた。
「騒がせてしまってすまないね。事態が収まるまで通路には出ないようにしてくれないかな?」
つい先ほどまで城門前で幾人もの王宮騎士を斬っていたとは思えない穏やかさで話しかける。
「は、はい!」
丸々と太った中年の洗濯婦は少女のように頬を染めて返事をした。
「洗濯籠をしっかり抱えて、口は閉じているように」
そう言ってカーシュナーはにっこりとほほ笑むと、斜め後ろからついてきていた騎士に向かって軽々と洗濯婦を放り投げた。投げられた騎士も心得たもので、やさしく受け止めると同様に斜め後ろの騎士に放り投げる。最終的に洗濯婦はけが一つ負うことなく全力で駆ける騎士の集団から抜け出した。
駆け抜けるカーシュナーたちを、洗濯婦は籠を抱きしめながら見送った。その身体は、殺気をまとい駆け抜けて行く騎士たちに対する恐怖で震えていたが、同時に、王宮の下働きに過ぎない自分に対し、身分に関係なく、騎士らしく振る舞ってくれたカーシュナーたちに、別の意味で心を震わせていた。
「威張り散らすだけの王宮騎士共とは大違いだわ」
恐ろしくもあったが、たくましく、それでいた紳士的な騎士たちに次々とお姫様抱っこをされるという夢のような経験を自慢するために、洗濯婦は同僚たちの元へと駆けて行った。
「まったく! 所構わず人をたらし込むんじゃないよ!」
リタが呆れながらカーシュナーの背中を殴りつける。
「さっきのはしょうがないだろう! あのままぶつかっていたら、大けがじゃすまなかったんだから!」
「そうだね。でも、たらし込まなくてもいいんだよ」
「たらし込んでないって!」
「無自覚か。たちが悪いな」
オリオンが口を挟む。不機嫌極まりないという顔をしているが、これでもカーシュナーをからかっているのだ。
「ダーン! 何とか言ってくれ!」
「お二人とも、そこは長所と受け取ってあげてください」
半笑いでダーンが助け舟を出す。二人の言葉を否定していないため、実は助けになっていない。
「失礼ですが、その余裕はどこから来るのですか? 国王陛下とリードリット王女殿下がレオフリード将軍に守られているとはいえ、わずかな手勢で王宮騎士団に捕らわれようとしているのですよ?」
先程の洗濯婦に対する対応といい、今の軽口のやり取りといい、微塵の焦りも見せないカーシュナーに対し、同行した騎士が問いかけた。そこに責めるような響きはない。心底不思議に思ったようだ。
「カーシュナー様」
むしろダーンの方が非難の視線を向けてくる。真面目にやってくださいと目が言っている。
やってるよ。と視線で返しつつ、カーシュナーは騎士に答えた。
「王宮には王族しか知りえない通路や部屋がいくつもあります。いつでも捕らえられるなどと思い上がり、謁見の間で身柄を抑えられなかった時点で、王宮騎士団が振る賽に勝ちの目はなかったのです。数を頼みに戦えない場所で、殿下とシヴァに加えて、レオフリード将軍までいたのでは、死体を生産しに行くようなものです」
「……それほどまでにお強いのですか? 今のリードリット殿下は?」
「強いです。なによりシヴァがいます。二人とも、ルオ・リシタの戦士数千の特攻を跳ね除けるほどに、その強さに磨きがかかっておりますから」
「シヴァとは、それほどの騎士なのですか?」
「まぎれもなくヴォオス最強です」
カーシュナーの言葉に、騎士はニヤリと笑って見せた。
「事がかたずいたあかつきには、是非とも手合せ願いたいですな」
「では、さっさとかたずけてしまいましょう。お楽しみを先送りにしては申し訳ありませんからね」
こともなげに帰って来た言葉に、騎士は苦笑しつつも、主の言葉を思い出していた。
「クライツベルヘン家の小倅は、初代を超えるやもしれんぞ」
英雄王ウィレアム一世と、共に戦った五大家の初代たちは、神話時代の最後の戦いとなったヴォオス建国譚に登場する英雄だ。その一人を超えるとまで言わしめるとはどれほどの豪傑かと想像していたが、背の高いひょろひょろとした好青年であった。
だが、その背中が、潜ってきた修羅場の数を物語る。
面白い。その真価がどれほどのものか見極めてくれよう。
騎士は別の意味で再びニヤリと笑った。
「ここから上がります」
カーシュナーが華やかな王宮とは一線を画する使用人居住区の一角を指さす。そこには樹齢数百年を経た大樹が、葉の抜け落ちた太い枝を、終わらない冬を嘆くかのように空へと投げ出していた。
その枝の一つが、王宮の一室近くに伸びている。歴代の王子たちが王宮を抜け出し、城下に繰り出すために利用した抜け道の一つだ。
「王宮騎士団も馬鹿ばかりではありません。こちらの動きに気がつくでしょう。正面から乗り込んだ兄たちが相手の気を引いている間に王宮の裏側へ入りましょう」
王宮内へと侵入する手立てはいくらでもある。通り過ぎてきた使用人居住区にある王宮内へと通じている通路もその一つだが、こちらはいざというときに完全に封鎖出来るようになっている。それ以外の侵入可能な経路も、隙があると言うより、そこへ誘い込むように出来ており、安易に踏み込むと大きな被害を被ることになる。
カーシュナーは王宮騎士団が知りえない侵入路へと一団を導いたのだ。
「リタ。頼む」
「あいよ!」
答えたリタは大きく広がるスカートの中に手を入れると、半円型の楔を取り出した。それらを構えると、大樹の幹へ、枝へと投げつけていく。そして、その楔に取りつくと、スカート姿のままでするすると昇って行ってしまった。そして枝の先端にたどり着くと一瞬も躊躇することなく室内へと飛び込んだ。ガラスの砕ける派手な音が響く。
「すごい娘だな!!」
余りの早業に思わず見惚れていた騎士の一人がつぶやく。
「……よく考えたら、あんなかかとの高い靴のまま、我らと一緒にここまで駆けてきたことじたい尋常ではないぞ」
他の騎士も感心しきりの様子だった。
騎士たちが感心している間に、カーシュナーたち三人が、リタの後を追ってするすると登って行く。置いていかれた格好になった騎士たちに向かって、
「さっさと上がってきな! グズは嫌いだよ!」
と、冷たい言葉を最高の笑顔と共に投げつける。そして、言うだけ言うとさっさと先に進んでしまう。
「……なんか、良い」
誰かがぼそりとつぶやく。
途端に遅れてなるものかと騎士たちが大樹に取りついた。
たった一言と最高の笑顔だけで、リタは歴戦の勇者たちの心を鷲掴みにしたのであった。
カーシュナーたちが王宮騎士団に遭遇したのは、王宮の奥へとかなり距離を稼いだ後だった。
予想外の方向から攻め立てられ、浮足立ったままの状態で迎撃に当たった王宮騎士団は、強者の集団に抗しきれなかった。
絶対的優位を過信して場当たり的に起こしてしまった反乱であるため、事態の急激な変化に対応出来ないでいるのだ。
「殿下! 殿下!」
声こそ大きいが、緊張感のないカーシュナーの声が王宮に響く。戦いの方はすでに援軍の騎士たちに任せている。
「カーシュか! 待っておれ! すぐに向かう!」
思いのほか近い位置からリードリットの声が答える。
しばらくすると、高い通路の天井に、人一人分ほどの口が開き、真紅の髪をなびかせながらリードリットが飛び降りてきた。
「やけに早かったな、カーシュ」
いまだに周囲で王宮騎士団が抵抗を続けているにもかかわらず、すでに終わったような気楽な口ぶりだ。
「やけに早かったのは殿下の方ですよ。大事になるかもとは仰っていましたが、王宮騎士団の反乱など、前代未聞です。どうすればたった一日でこんなことになるんですか」
「それは私の方が聞きたいくらいだ。いきなり反乱をを起こすとはな。王宮内がこれほど腐りきっておるとは思いもよらなんだぞ」
「良くも悪くもクロクス一人でもっていたということでしょう」
「そうだな。王都を空けた途端この様だ。散々金をばら撒いて飼いならした連中に、これまで積み上げたものを引っくり返されたのだ。このことを知れば、ゆで卵のようになるであろうな」
クロクスの卵形のハゲ頭が激怒するあまり真っ赤に茹で上がる姿を想像し、ゲラゲラと笑う。
「大した余裕だな、姫さん」
続いて降りてきたシヴァが皮肉る。こちらも言葉とは裏腹に、周囲で剣を振るう強者たちの手並みを惚れ惚れと眺めている。王宮騎士団の反乱はすでに潰えたものとして処理済みなのだ。
「世界は広いな。これほどの腕を持つ者たちが、まだこれほど居るのだからな」
シヴァの視線を追い、リードリットも感嘆の声をもらす。
「ヴォオスの騎士を強い順に上から集めた百五十人です」
「であろうな。逆に、精鋭を集めたはずの王宮騎士団の何と不甲斐ないことか」
「まあ、仕方ないでしょう。選考の第一基準が家柄ですから。その時点でたかが知れています」
カーシュナーは厳しく切り捨てたが、実際は最低でもヴォオス軍で百騎長が務まるだけの実力者揃いの集団だ。隊長ともなれば、将軍に匹敵するだけの技量の持ち主もいたのだ。ただ、カーシュナーが当てにしていた援軍が、あまりにも強過ぎたのである。
「謁見の間へ向かう。廷臣をすべて集めてくれ」
王宮騎士団など、もはや用はないとばかりに、リードリットが指示を飛ばす。
「殿下。王宮はこのような有様でございます。譲位の件は明日にした方がよろしいのではありませんか?」
レオフリードの部下に天井から降ろしてもらったディルクメウス侯爵が進言する。
「そうであった! カーシュ、ディルクメウスの孫娘がかどわかされた可能性がある!」
小柄な老人の顔を見た途端重要なことを思い出したリードリットが、先程までの余裕などなかったかのように慌てる。
「その動きならば捉えている」
カーシュナーではなく、オリオンが答える。
見知らぬ不機嫌そうな青年に、ディルクメウスが素早く向き直るが、不安が大き過ぎてたずねるべき言葉が出てこない。
「ロンドウェイクの貴婦人狩りに遭ったはずだ」
「貴様! 今なんと申した!」
動揺もあらわにオリオンに食いついたのは、ディルクメウスではなく、父の名で不穏当な発言をされたルートルーンであった。いつもは穏やかな笑みを浮かべているやさしげな顔が、怒りと不安、なによりも大きな恐怖を浮かべてにらみつけている。怒りを一気に膨らませて叩きつけられないだけの何かが、ルートルーンの中にあるのだ。
「あなたの……」
答えようとしたオリオンをリードリットが手を上げて制する。
「細かい話など後だ! 動きを捉えていると言ったな。奪い返せるか?」
「そのつもりで隙を窺っていた。競売にかけられる前は警戒が厳重で手出し出来んからな」
「お、お待ちください! 貴婦人狩りやら競売やら、いったい何の話をなさっておるのですか!」
とんでもない言葉の連続に、ディルクメウス侯爵が思わず口を挟む。
興奮する小柄な老人の頭を、幼子にでもするように抑えつけると、リードリットは無視して話を続ける。
「今すぐ取り戻してもらいたい。人質としてディルクメウスに圧力でもかけられたら、老い先短いこのじじいはぽっくり逝ってしまうからな」
「殿下!!」
あまりの態度と物言いにディルクメウス侯爵が声を上げるが、その裏に込められた自分に対する気遣いに気がつくと、頭を押さえた手を払いのけ、怒ったようにそっぽを向く。
「無茶を言うな。地下勢力はいまだに侮れん規模だ。強引なことをして、肝心の救出対象を害されては意味がない」
オリオンが冷静に言葉を返す。
眉間にしわを寄せたリードリットがカーシュナーに視線を向ける。
その意味を取り違えるカーシュナーではない。邪悪とすら言える表情でニヤリと笑うと、リードリットが最も喜ぶ策を献上した。
「根こそぎぶっ潰しましょう」
「良い答えだ」
こちらも魔族が震え上がりそうなほどの形相で答える。地下競売場で呑み込まねばならなかったすべての憤りが吹き出したのだ。
「そちらの方はカーシュに任せる。私自らの手ですり潰して粉みじんにしてやりたいところだが、もはや好き勝手に前線に出られるような立場ではないからな。全権をお主に託す。外道どもを皆殺しにして来い!」
「喜んで!」
苛烈極まる命令を、笑顔で引き受ける。その場に噴き上がる歓喜を含んだ殺気に、事情を知らないディルクメウスとルートルーンが、密度を増した空気に息を喘がせる。
「レオフリード将軍。麾下の治安軍の指揮権をお貸し願えますでしょうか?」
カーシュナーが真顔で問いかける。トカッド城塞の陥落すらどこか余裕を持って成し遂げてみせたほどの男が、遊びのない顔をする。王都の地下にあるものがそれほどに油断ならないものなのだと、レオフリードは理解した。
「貸すどころか、そのまま王都の治安軍の指揮官に就任してもらってもかまわんよ。王都に関しては、カーシュナー卿の方がよほど適任だ」
レオフリードの本気八割の軽口を丁重に断りつつ、カーシュナーは治安軍を一時的に指揮下に入れた。
「腕がなるぜ!」
シヴァが飢えた狼のように吼える。
「シヴァは来なくていい」
「なあっ!」
予想外のカーシュナーの言葉に、さすがのシヴァも驚きの声を上げる。
「殿下のお側にいてくれ」
「何言ってんだ! 姫さんの護衛なんて必要ねえだろ!」
「お前の存在は、すでにただの千騎長というだけではないんだ。今後の殿下の施政を支える国柱の一人としての自覚を持て」
「…………」
「シヴァ。お主にはまだクロクスとライドバッハと言う強大な相手との戦いがまっている。その意義こそ深いが、所詮は王都の大掃除でしかない。ここは俺に任せろ」
オリオンがシヴァをなだめる。
「お前もここに残れ、オリオン」
「!!!!」
オリオンが驚きのあまり言葉を失うという、二度と目にすることが出来ないであろうその顔を見て、リタが腹を抱えて笑う。
「お前も光の下に出る時だ」
「ば、馬鹿を言うな! 俺はただの暗殺者だぞ!」
「人の尊厳を売り買いするようなカスどもが貴族を名乗っている事を考えれば、どうということはないさ」
「そうだよ。あんたはあたしらの希望なんだ。心を持たないように育てられてきたあたしらに、あんたは心を取り戻してくれた。あんたは世の中の裏側じゃなくて、表舞台で生きておくれよ」
いつになく真剣な表情でリタがカーシュナーに続く。
「はい! オリオンも留守番決定! でもよう。戦力足りんのか?」
シヴァがオリオンの首をガシッと捕まえながら心配してくる。
「手に負えないような強敵はいない。でも、厄介な曲者揃いだ。必要なのは強力な武将ではなく兵数だ。そのためにレオフリード将軍から治安軍をお借りした。赤玲騎士団とクライツベルヘン軍だけじゃあ兵力が足りないからな。将軍の治安軍に主力を担ってもらわないと返り討ちに遭いかねない」
「私は……」
アナベルがたずねてくる。ディルクメウス侯爵の孫娘は、かつてアナベルが設立した私塾に通う生徒なのだ。以前の地下競売場潜入では、目の前で恐怖に押し潰されて震えているハリンゲン伯令嬢ルティアーナが売り捌かれようとしているときに、何もしてやれないまま見過ごさなければならなかった悔しさもあり、カーシュナーたちとともに救出に向かいたい気持ちが強いのだ。
「言うまでもなく、アナベルは殿下と共に残り、支えになってやってくれ」
「その孫娘のことはあたしが面倒見てやるよ! 安心して任せておきな!」
リタが励ますように明るい声を出す。
「殿下、ミランたち三人をお願いできますか?」
「なんだ。連れて行かんのか? またごねるぞ」
「彼らの今までの境遇を考えると、地下に連れて行くのは得策ではないでしょう。感情を抑えきれないと、思わぬところで命を落としかねません」
ミランとモランとイヴァンの三人は、元奴隷として苦汁をなめさせられて生きてきた。奴隷売買の現場で、冷静さを保つのは不可能だろうとカーシュナーは考えたのだ。
「……そうだな。わかった。私の身辺警護と言うことであずかろう」
「ありがとうございます。代わりと言っては何ですが、連れて行きたい人物がおります」
「誰だ?」
思い当たる人物がおらず、リードリットは小首を傾げる。
カーシュナーは身体の向きを変えるとその人物と真正面から向き合った。
「ルートルーン殿下。御足労願います」
リードリットは小さく息を呑み込んだ――。
◆
謁見の間には、すべての業務が停止され、廷臣および、王都に滞在していた貴族たちが集められていた。
すでに王宮内で起きた前代未聞の大事件は王都の隅々にまで知れ渡り、重苦しい不安が寒風に乗って王都を満たしている。
集まった人々は不安を押し隠すためなのだろう。誰彼かまわず話しかけ、相手の話など聞かずに互いの言葉を垂れ流し続けていた。
「あ~、みんなよく来てくれたね。ご婦人方には椅子も進めず申し訳ないが、しばらく我慢して聞いてくれ」
威厳のかけらもない言葉を、バールリウスが集まった人々に投げかけた。収まらない無駄口に阻まれて、その言葉を耳にした者はほとんどいなかった。
「黙れ」
リードリットがただ一言注意を促す。
その左右をシヴァとオリオンが固め、背後にアナベルが控える。さらにその後ろには、ミランとモランとイヴァンの三人が、緊張の面持ちで控えていた。ちなみにレオフリードは、バールリウスを守るために斜め後方に控えている。
集められた人々は、リードリットだけでなく、その周囲を固める集団から放たれる圧倒的な存在感に気圧されて、喉が詰まったかのように黙り込む。中には過呼吸に陥り、倒れる者も出てくる。
静まり返ったことを確認して、バールリウスは再び口を開いた。
「長々話し込むことでもないから簡潔に言おう。予は今日この日をもって退位し、その位を娘であるリードリットに譲るものとする」
ざわめきは生まれるが、そこに驚きはない。王宮騎士団の反乱のそもそもの原因が、リードリットがバールリウスに対して譲位を求めたことに端を発していたことも知れ渡っていたからだ。
「失礼ですが、譲位は陛下のご一存だけでは適わなかったと記憶しております」
文官の一人が賢しげに口を挟む。王宮は確かにリードリットの支配下に入った。だが、その権勢はいまだにクロクスが大勢を圧倒している。血を流したわけではない者たちには、いまだにクロクスこそがこの国の支配者なのだ。
そのとき、反意に包まれかけた場の空気を、老人の一言が粉々に粉砕した。
「ザーセン家が当主、レイブランドは、バールリウス陛下から、リードリット王女殿下への譲位を承認する!」
カーシュナーが枯れ木なら、波打ち際に打ち上げられた流木のようにやせ細った老人が、外見からは想像もつかないよく通る声で宣言する。
今度こそ謁見の間に居合わせた人々の間に、驚愕が広がる。
どのようにして伏せていたのかは定かではないが、この場に五大家の当主がいることはもとより、王都に入城していたことすら隠されていたのだ。
一瞬現実を疑い、ついでその正体が本物であることを悟った人々が、一斉に悲鳴を上げた。
そして。これから起こるであろう事態を予想し、泡を吹いて倒れる者が続出する。
「ボルストヴァルト家が当主、アウグステインも、バールリウス陛下から、リードリット王女殿下への譲位を承認する!」
レイブランドに続いて、頭髪も眉毛もなく、髭すらないつるつる頭の老人が、混乱と言うよりも、恐慌状態に陥った人々を無視して宣言する。
「シュタッツベーレン家が当主、ヘルダロイダも、バールリウス陛下から、リードリット王女殿下への譲位を承認いたします」
先の二人とはことなり、艶めいた女性の声が謁見の間を満たす。妖艶そのものと言った微笑みを浮かべ、熟れた果実を思わせる肉厚の唇が、宣言の余韻を残してわずかに震える。
そして、その豊満な肢体からは、見つめる男を骨抜きにしてしまう色香が漂っている。
ただ一か所、色を感じさせないのは、狼狽する人々を見下す瞳だった。漂う冷たさが、尋常ではない。
「ドルトスタット家が当主、クリストフェルンも、バールリウス陛下から、リードリット王女殿下への譲位を承認する!」
まだ三十代に差し掛かったばかりに見える若々しい男の宣言が後に続く。実際は四十代に差し掛かり、五大家の当主として脂の乗りきった最も充実している時期である。
声にも覇気が満ち、この場に集った人々の驕りを打ち砕いていく。
「クライツベルヘン家が当主、ヴァウレルも、バールリウス陛下から、リードリット王女殿下への譲位を承認する!」
王家に次ぐ権勢を誇る、五大家筆頭にして、ヴォオス最大の貴族であるクライツベルヘン家の当主、ヴァウレルが、最後に朗々と宣言した。
「ここに至尊の座は受け継がれ、新たな王が誕生した! 王の名を讃えよ! リードリット女王陛下に、英雄王の御加護があらんことを!!」
「リードリット女王陛下に、英雄王の御加護があらんことを!!」
ヴァウレルに続いて、他の五大家の当主と、それに従って王宮に参上し、王宮騎士団を壊滅せしめた騎士たちが一斉に唱和する。
そして、玉座の前に立つリードリットに対して片膝をつき、臣従の意を示した。
「こ、これは違法だ! 五大家の承認だけでは、じょ、譲位は認められないはずだ! クロクス様と、ロンドウェイク殿下の承認も必要なはずだ!」
クロクス派の重臣の一人が、顔面を蒼白にしながら叫ぶ。ここで黙って引き下がろうものなら、クロクスが復権した後で地位を失うことになるから必死だ。
「間違えるな。クロクス及びロンドウェイクの承認が必要なのではない。宰相と大将軍の承認が必要なのだ」
リードリットが冷たく言い放つ。
「お、同じことだ!」
別の重臣が食い下がる。混乱と、これまでのリードリットに対する侮蔑的感情のため、言葉が荒れる。
「誰に向かって口をきいているつもりか!!」
シヴァの大喝が、謁見の間の空気を震わせた。
シヴァだけでなく、王宮騎士団員を葬り去った五大家配下の騎士百五十人が、一斉に剣に手をかけ立ち上がる。中でもアナベルが放つ殺気は、シヴァすら思わず身を引くほどの鋭さがあった。
愚かな重臣は、口の中で何やら謝罪の言葉をもぐもぐとつぶやき黙り込む。
殺気立った空気を、リードリットがサッと手を一振りして払いのける。
「王都の地下にて、禁制品の密売および人身売買をとり行う地下競売場施設の建設を主導し、ヴォオスの尊厳と法を犯したクロクスは、現時点でヴォオスにおけるすべてに権利と私有財産を剥奪する。また、同施設において王族の身でありながら無辜の民を拉致誘拐し、競売場にて人身売買を行ったロンドウェイクも、王家から除名、財産及びあらゆる権利を剥奪する」
リードリットの鋼のように固い声で告げられた内容に、地下競売場の存在を知らなかった人々が絶句する。
「ゴドフリート! 前へ!」
リードリットに呼び込まれ、五大家の背後にいたゴドフリートが人々の前に姿を現す。
かつて、この王宮で多くの尊敬を集めていた男の登場に、重臣たちのさらなるうめき声が重なった。
「お主を新たな宰相に任命する」
あまりにも予想外の展開に、集った人々は誰もついていくことが出来ない。
「新たな大将軍には、レオフリード、お主を任命する!」
バールリウスの背後に控えていたレオフリードに視線を投げながら、リードリットが新たな大将軍の名を告げる。
名を呼ばれたレオフリードが前に出る。
「両名は、バールリウス陛下から、リードリット王女殿下への譲位を承認するか?」
「承認いたします」
ヴァウレルの問いかけに、ゴドフリートとレオフリードが、声をそろえて宣言する。
「ここに五大家および宰相、大将軍の承認がそろった。異議ある者は今この場で申し出よ!」
ヴァウレルの言葉に応える者は一人もいなかった。
一呼吸置くとリードリットは一歩前に出る。そして、新たな王として最初の裁きを下した。
「クロクス、ロンドウェイク、両名の罪は、奴隷制度を廃し、ヴォオスの文明化にその生涯を捧げた三賢王に対する侮辱に他ならず、その罪、情状酌量の余地なしとして、死罪とする!」
言葉にはならない感情の爆発が、広いはずの謁見の間を埋め尽くす。
クロクスのみならず、叔父であるロンドウェイクまで死罪としたリードリットに、人々は心底震え上がった。だが、思い起こせばヴォオス王家では、幾度となく道を誤った聖血を受け継ぐ者たちを粛清して来た過去がある。
三賢王の一人にして、奴隷制度廃止を宣言した解放王ウィレアム三世は、徳の道を知らない二人の息子を自らの手で斬り、二クラウスを次なる玉座に据えている。苛烈にして果断の人物だった。
リードリットが女だからと言って、血を嫌うようなことがないことは、これまでの行動が証明している。それを裏付けるように、リードリットの追及の手はとどまらない。
「ここに、クロクスのこれまでの不正と、それに関わった者たち、加えて地下競売場の利用者たちの詳細な報告書がある」
アナベルが取りだした羊皮紙の束を受け取ったリードリットが、手のひらに打ちつけながら、頭の奥に染み込むように、ゆっくりと、一言一言をはっきりと強調しながら告げる。
「私が即位を宣言するためだけに貴様らを集めたと思ったのか?」
それまで王者らしく引き締められていた凛々しい表情が、一気に変わる。これまで見せた中で最高に悪い顔だ。
「ここから無事に出られるなどと思うなよ」
どこからどう見ても、悪役の親玉にしか聞こえない台詞とともに、謁見の間の大扉が閉ざされた。やけに重々しく響いたその音に、集まった大半の人々が背中をびくりと震わせた。
王宮騎士団の反乱終息で流れきったかと思われた濁った血は、リードリットが用意した器を満たす程ではなかったのだ。
リードリットの改革と粛清は、さらなる血を要求する。
後世のヴォオスの歴史書では、この日のことを、このような言葉で締めくくっている。
人々から紅の女王として親しまれるリードリット女王であるが、その名の由来は紅玉を溶かして作りだしたかと見紛うほどの見事な赤髪だけが由来なのではなく、この日刑場から流れ下った死刑囚たちが流した血が、流れ込んだ運河を真紅に染め上げたことから名付けられたのだと――。
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