王宮騎士団の暴発
「なりませんぞ! 陛下!」
「このようなこと、認められませんぞ!」
「おふざけは大概になさいませ!」
怒号が飛び交い、数々の批判が降り注ぐ。
「とにかく、このような話を認めるわけにはまいりません!」
最後にディルクメウス侯爵の怒声が締めくくる。
「それと、貴様はいつまで笑っておるのじゃ!!」
周囲が怒りに包まれる中、そのすべての人たちを嘲笑って爆笑していたシヴァに対し、ディルクメウス侯爵が先程以上の怒声を張り上げる。
シヴァに対し、剣に手をかける王宮騎士までいる。シヴァ自身は謁見の間に入る前に剣を預けているため丸腰だが、近衛兵を務める王宮騎士は職務上帯剣しているのだ。
「どうだったい。人生がひっくり返る瞬間は? あんたら全員姫さんを迫害し、ないがしろにしてきた。これまで築き上げてきたものが崩れ去る音でも聞こえたかい? まあ、どっちにしろ、あんたらは全員終わりだ」
とんでもない台詞を、半笑いで言い放つ。
「ふざけるな! 誰がそんな女を王などと認めるか!」
「……今言った奴、前に出ろ」
半笑いだったシヴァの表情が、一瞬で戦鬼もはだしで逃げ出すような修羅の顔に激変する。瞬時にまとった百戦の気は、可視化したかと思えるほどの密度で渦巻き、シヴァの近くにいた人々は、突き飛ばされたかのように尻もちをついた。
「出ろって言ったのが聞こえねえのか? それとも、女の背中に隠れながらでなきゃあ、言いたいことも言えねえってか!!!」
声の大きさ自体はさほどでもない。だが、吐き出される言葉の一つ一つが力をもって響き、聞く人々の鼓膜を震わせる。
気の弱い者は三半規管が狂わされ、めまいを起こして次々に座り込んでいく。
そうしていぶりだされるように、一人の王宮騎士が姿を見せる。その手にはすでに、剣が握られている。
「誰が抜剣を許可した!! 陛下の御前であるぞ!!」
ディルクメウス侯爵の怒声が響く。
その騎士は一瞬だけ怯んで見せたが、すぐに気を取り直し、大胆にもディルクメウス侯爵の言葉を鼻で笑い飛ばして見せた。
「きれいごとを抜かすな! この国はクロクス様のものだ! 建前がどうであろうと、クロクス様の側にいれば、この程度の痴れ者、斬ったところでどうということもない。あなたも、立場と言うものを自覚した方が身のためだ。いつまでもクロクス様にたてついていられるなどと考えていると、身内が不幸に見舞われることになるぞ。たとえば、孫娘とかがな……」
公然と、クロクスの権勢が言葉にされたのは、これが初めてであった。
内心で同様に考えていた人々も、さすがに息を呑む。これはれっきとした王家に対する反逆であった。
あまりの暴言に、ディルクメウス侯爵は怒りのあまり言葉が声にならなくなってしまっている。冗談抜きで憤死しかねない勢いだ。
「そこの者、剣を納めよ」
バールリウスが命令する。
しかし、その声は容易く無視される。
ここでようやく激昂を抑え込んだディルクメウス侯爵が、近衛兵に命令する。
「その反逆者を捕らえろ!」
この命令も無視される。
事ここに至り、裏側で王宮を支配してきたクロクスの権力が、一気に表面化したのだ。
これはある意味、クロクスの失態でもあった。クロクス不在時に、王位がリードリットに譲られ、その王権がリードリットの手に握られるようなことがあれば、事態の収束後、この場に集ったすべてのクロクス派の人間が、その無能さを理由に粛清される。その恐怖と、クロクスの絶対的な権勢を背後にした傲慢が、事態の暴発を生んだのだ。
リードリットは動かない。動けないのではなく、動かないのだ。
このまま万が一にも暴動につながった際、バールリウスを守らなくてはならないという理由もあるが、この程度の連中と数ならば、シヴァ一人に任せて十分だと判断したからだ。
アナベルも素早くリードリットとバールリウスの前に立ち、王宮騎士団との間に壁として立ちはだかっている。
暴発した騎士に向かって、シヴァが無造作に近づく。そして、侮蔑を込めて騎士の軍靴に唾を吐きかけた。
その態度がまた、これ以上ないほど憎たらしく、顔に吐きかけられるよりもはるかに激しい怒りを騎士の腹の中にかき立てた。
「しゃねああぁぁぁっ!!!」
怒りのあまり発した「死ね」の一言は、軍鶏の雄たけびのように甲高く割れ、意味をなさなかった。
手にしていた剣が大上段に振りかぶられ、シヴァを真っ二つにしようと振り下ろされる。
歩みを止めていなかったシヴァは必殺の間合いにさらに一歩踏み込み、振り下ろされてくる剣に対し、右手は剣先の腹に掌打を叩き込み、左手で剣の鍔元近くを殴りつけ、剣を根元からへし折ってみせた。
折れた剣は魔法のようにシヴァの手に納まり、指先でつまんだだけの状態で騎士の側頭部を殴りつけると、あっさりと気絶させた。
わざわざ殺すまでもないほどの力の差を、その場にいたすべての人間に見せつけたのだ。
この場を任せたリードリットも、助勢に動こうとしていたレオフリードでさえも、シヴァの圧倒的過ぎる強さに呆気に取られてしまう。
この二人が動けないのだ。他の誰がこの状況下で行動出来るだろうか。
ただ一人驚愕の呪縛から自由なシヴァは、そのまま剣に手をかけている騎士たちの方に近づいていく。金縛り状態になってしまった騎士は、剣を抜くことも、放り出して逃げることも出来ず、ただ眼だけを恐怖で大きく見開きながら固まっていた。
無造作に殴りつける。
顎を殴られたにもかかわらず、どろりとした鼻血を流しながら、騎士は棒のように硬直して倒れた。
鎧が大理石の床を叩き、けたたましい音を立てる。
静まりかえっていた謁見の間の呪縛が解かれ、近衛兵として謁見の間に詰めていた王宮騎士たちが一斉に剣を抜く。だが、殴り倒した騎士の剣をいつの間にか奪っていたシヴァを目にすると、王宮騎士団員たちは露骨に動揺し、恥も外聞もなく撤退する。
兵力と言う意味において、護衛の兵士の数を制限される貴族よりも、造反した王宮騎士団の方がはるかに有利なのだ。少数のまま挑むより、事態を知らないままの仲間たちを集めることを優先させたのだ。
「何ということじゃ……」
事態の深刻さが骨の髄まで浸透したようで、ディルクメウス侯爵が肩を落としてつぶやく。先程までの怒鳴り声がうそのように小さな声だ。
「姫さんにつくつもりのねえ連中も出て行け! ここに残ると姫さん側の人間と思われて、連中に斬られるかもしれねえぞ!」
シヴァが野良犬でも追うように、手にした剣を振る。
途端にすべての人々が互いを押しのけ合いながら、開け放たれた大扉に向かった。謁見の間が瞬く間に空になる。
そんな中、ディルクメウス侯爵がへたり込み、リードリットの剣を持たされていた王宮騎士だけが残っている。
「何してんだお前?」
シヴァが面白そうに問いかける。
「け、剣を落としたら両手を斬られるから……」
リードリットの威に打たれ、シヴァの圧倒的な強さに呑まれてしまった騎士は、思考力が麻痺してしまったようで、阿呆な鼻たれ小僧のように突っ立っている。
「こいつどうします。姫さん?」
呆れたシヴァが、肩をすくめてリードリットにたずねる。
問われたリードリットも困ったようで、同じく肩をすくめると騎士に近づき、持たせていた剣を受け取ってやった。
「仲間のところへ行くがいい。ただし、次に会ったときは両手ではなくその首を斬り落とす」
やさしいとすらいえる口調で、血生臭い台詞を口にする。
騎士は腰でも抜かすようにその場に平伏すると、痺れて曲がらない腕のまま、リードリットの足元に額をこすりつけて懇願した。
「無礼の数々、万死に値すること承知の上でお願い申し上げます。この愚か者をどうか麾下の末席にお加えいただけますようお願い申し上げます」
「なんだ貴様。急に卑屈になるな」
あまりの豹変ぶりに、リードリットは思わず吹き出した。
「あんたさあ、せっかくクロクス子飼いの王宮騎士団員になったってのに、なんで今さらこっちにつくんだよ。どう考えてもクロクス派の方が有利だろう?」
シヴァが平伏したままの背中に問いかける。
「恥ずかしながら、幼いころからの夢が、ヴォオス建国譚や三賢王記に出てきたような、王と共に戦う偉大な騎士になることでした。それはこの歳になっても変わってはおりません。憧れの王宮騎士になり、夢叶ったとうぬぼれておりました。ですが、どれほどクロクス様の権勢が強大なものであったとしても、それはヴォオスと言う国で、王家の元にあってこそのものだと考えておりました。貴殿が一撃で昏倒させた同僚が口にしたようなこと、夢にも思ってはおりません。王家に仇なすなど、王宮騎士の名折れ、たとえかつての同僚に斬られようとも、殿下のお側で戦わせてください」
意外な答えに、シヴァがまじまじとリードリットを見つめる。その目が信用出来るのかとたずねている。
「お主先程は私の異相を嫌悪していたであろう。王の子であって、王族にあらずなどという言葉をよく耳にした。そんな私に仕えたいというのか?」
「すべては私の不明がもたらした愚かな偏見でございました。今ならばよくわかります。殿下こそ、英雄王ウィレアム一世陛下の血をもっとも色濃く受け継がれた真の王者に相違ありません。愚かな私はヴォオスがここまで混迷しているとは想像すら出来ておりませんでした。だからこそ思うのです。今この時に殿下がこの場所にいることこそ、ウィレアム一世陛下のお導きなのだと!」
「そなた、名は何と申したかな?」
これまで沈黙を保っていたバールリウスが問いかける。自身の傘下にあったはずの王宮騎士団の造反を受けても、少しも取り乱していない。だが、その姿は胆力に裏打ちされた不動の姿勢ではなく、現実を把握しきれていない常世の住人のように見えた。
突然王に問われ、騎士は平伏したまま器用にバールリウスの方へ向きを変える。
「メルロア家が次男、バヴェイブと申します。陛下!」
平伏したまま答えたので、声がこもり不明瞭になる。
「バビブべと申すのか。ずいぶんと珍しい名だな」
「陛下。バヴェイブ卿にございます」
アナベルがさりげなく訂正する。
「バヴェイブか。予から頼もう。娘の力になってやってくれ」
思いもかけない言葉に、バヴェイブが驚いて顔を上げる。すると視線のすぐ先に、微笑むバールリウスの美しい顔があった。男が見ても美しいと感じる国王にじっと見つめられ、バヴェイブは思わず赤面する。そして伸ばされた手が自分の手を取り、ゆっくりと引き上げるのを感じて、初めて国王自らが自分を立たせるために歩み寄ってくれたのだと悟った。
慌てて立ち上がり、恐縮の余り何度も頭を下げる。
「娘はこんなに美しいのに、なぜかこの髪の色と瞳の色を皆が毛嫌いしてね。味方が少ないのだ。そなたが味方になってくれれば、予は嬉しく思う」
「喜んで! 喜んでお仕えさせていただきます!」
言うが早いか、感激しきりのバヴェイブは再びバールリウスに対して平伏した。
「なんか、勝手に話まとめられてますぜ」
シヴァがリードリットに耳打ちする。
「根はそれほど悪い人間ではなさそうだ。かまわんだろう」
リードリットもやや呆れ気味に答える。
アナベルだけが、バールリウスの娘に対する愛情の深さに感動していた。
「陛下……。姉上……。これからどうなるのでしょうか?」
レオフリードの配下に守られていたルートルーンが、青ざめながら問いかけてくる。戦闘訓練はしっかりと受けているが、実戦経験はまだない。死者こそ出なかったものの、先程のシヴァと王宮騎士との戦いで感じた殺気に、今も呑まれている。
「私が女王になる。それだけだ」
答える方はあっさりとしたものだった。
「まだそのようなことを仰られているのですか……。王位につくということは遊びではないのですぞ。立場には、それにふさわしいだけの責任がついて回るのです。わがままも大概になさいませ。殿下の一言で、王宮騎士団は反意を示したのですぞ」
ディルクメウス侯爵が疲れた声で諌めてくる。この状況下でもリードリットの無茶を止めようとするのだから、たいした信念だ。
「ディルクメウス。私は面白そうだから王位に就こうとしているわけではない。この終わらない冬の影響で見殺しにされようとしている五百万人ものヴォオスの民を救いたいのだ。そのために王位が必要なのであって、なりたいから王になるわけではない」
「ご、五百万!! 見殺し!! な、何を仰られているのですか!!」
「なんと! お主何も知らんのか!」
ディルクメウスとリードリットが、互いの言葉に驚きの声を上げる。
「殿下。五百万人とは、どういうことでございますか?」
レオフリードも顔を強張らせて問いかけてくる。
「宰相殿辺りが箝口令でも布いたんじゃないですか。さすがにうわさが広まれば、北の反乱だけじゃ済まんでしょうからな」
シヴァが呆れて肩をすくめる。
「そうだろうな。話は簡単だ。この終わらない冬の影響で、餓死・病死者はおよそ五百万人以上出る計算だ」
「!!!!」
その場にいるすべての人が息を呑む。
「ば、馬鹿なことを仰いますな! 国の食糧事情はこの私が一番よく分かっております。ヴォオスは豊穣の国です。これまでの蓄えで、あと五年は確実にもちます。そのような途方もない数の死者が出るわけがない!」
ディルクメウス侯爵が唾を飛ばしながら否定する。だが、顔色は大陸中を埋め尽くす雪よりも白くなっていた。思い当たる節があるのだ。
「お主が管理している食料が、民の救済に用いられておればそうであろう」
リードリットの言葉に、ディルクメウス侯爵は反論しかけて言葉を呑み込み、うつむいてしまう。クロクスならば五百万人の民衆を平気で切り捨てかねないと思ったからだ。
「そんなことが許されていいわけがありません」
レオフリードが表情を険しく引き締めながら言う。
「その通りだ。だから私は王位に就くのだ。先程目の前で見せつけられたが、クロクスの権勢はもはや王家を完全にしのいでいる。これに対抗するのに、さしたる権限のないこの身では、とても太刀打ち出来ん。王として、人々を束ねる権限が必要なのだ」
「理由はよくわかりました。殿下が真剣にこの国の民の身を考えてくださっていることもです。ですが、玉座は王の私物ではございません。いかに陛下の承認があろうと、このようなことは認められません」
「何故だ?」
「国王存命中の譲位には、五大家と宰相及び大将軍の承認が必要なのです。つまり、王都にはおられないロンドウェイク殿下と宰相クロクスの承認がなくてはならず、それらの承認を得ることは不可能なのでございます」
「緊急事態だ。特例として処理すればよかろう」
「法は法です。範となるべき王族が守らなくて、どうして人々に正しい裁きが下せましょうか」
ディルクメウス侯爵の言葉に、リードリットは一言も返すことが出来なかった。
「その辺の細かいことはカーシュと合流してからにしましょうや。それより気になるのは、さっきの王宮騎士の捨て台詞でしょ。侯爵んとこの孫がどうとかぬかしていましたけど、心当たりはないんですかい?」
「そ。そうであった!! 奴らわしの家族に何をするつもりじゃ!」
「今どちらにいらっしゃるのですか?」
レオフリードがなだめるように問いかける。
「皆領地の屋敷に居る。だが、孫娘だけは、お主、アナベルだったか? お主が開いた私塾に通っておるのだ!」
「あの言い草だと、もう何かした後っぽいよなあ」
シヴァが無神経なことを口にする。
「王宮騎士団が、公の場で婦女子に手出しするだろうか? いくらクロクス卿の権勢が強大であろうと、そのような無法を許すとは思えん」
青ざめるディルクメウス侯爵を気遣って、レオフリードが疑問を口にする。
「ハゲの手下は王宮騎士団だけじゃあないですからね」
言ってシヴァは肩をすくめた。
「盗賊ギルドか!!」
シヴァが言外に伏せた言葉を悟り、リードリットが叫ぶ。
「ハリンゲン伯爵のところのルティアーナ嬢の例もありますからね」
「何の話だ?」
「話すと長くなるから結論だけ言うが、ハリンゲン伯令嬢は拉致誘拐されたのだ」
「なんですと!!」
ディルクメウス侯爵だけでなく、レオフリードも驚愕の声を上げる。
「そのような話は聞いておりませんぞ!」
「王都警備に際して、余計なことはお主の耳に入れなかったのだろう。お主の性格だ。知っておれば草の根分けても探し出そうとしたであろうからな」
「当然です。それよりも、盗賊ギルドなどというものが本当に実在するのですか? おとぎ話のようなものだと考えておりましたが……」
「実在する。私もシヴァもアナベルも、ほんの数日前にその本拠地に乗り込み、実態を確かめて来たばかりだ」
「なあっ!!」
レオフリードとディルクメウス侯爵があんぐりと口を開けて固まる。
「な、何をなさっているのですか、殿下!!」
さすがのレオフリードも、リードリットの無茶に抗議する。
「過ぎたことだ。今はそのようなことは捨て置け。それより、いつまでもここにいるわけにはいかん。ディルクメウスの孫のことも気になる。とにかくカーシュとの合流を急ごう」
「先程から名前の出ているカーシュとは、クライツベルヘン家の子息のことですかな? いくら五大家の子息とはいえ、あのような頼りなさげな若者など当てにしてよろしいのですか?」
ディルクメウス侯爵が不安気にたずねてくる。
この言葉に、リードリット、シヴァ、アナベル、レオフリードが、不敵に笑ってみせる。
「大丈夫だ!」
答えたリードリットの声は、どこか自慢げであった――。
◆
「身柄を抑えろ! 国王と王女さえ捕らえてしまえば、後はどうとでもなる!」
王宮騎士の一人が仲間を励ます。だが、答える声には先程までの勢いはなかった。
王宮内には王族だけが知る秘密の通路や部屋がいくつもあった。その中の一つに避難し、狭い通路をシヴァとレオフリードが守っている。せっかく集めた兵力も、その数の優位を生かすことが出来ず、二人の恐るべき剣士により、屍の防壁が通路に積み上げられていく。
「レオフリード卿。そんなに容赦なくあの阿呆どもを斬っていいんですかい? 仮にも同朋でしょうが」
息一つ乱していないシヴァが軽口を叩く。
「こやつらはどう転んでも死罪は免れん。捕らえられ、責め苦を受けたうえで死ぬのなら、ここでひとおもいに斬ってやるのは、情けというものだ」
どこまでも真面目に答えてくる。だが、その目には戦いを楽しむ光が確かにある。
その光を確かめたシヴァはニヤリと笑うと、二人の強さに及び腰になっている王宮騎士たちに、斬り込んでいった。守るための戦いがどうにも向かない男なのである。
王宮騎士団員は総勢三千。五大家の領主であったとしても、王宮に連れてこれる護衛の人数は、せいぜい十人といったところで、王宮内にあって、騎士団を要する国王の優位は本来であれば絶対的なものであった。だが、その王宮騎士団が造反した瞬間、三千対わずか数人という図式に塗り替わってしまった。
戦う前から王宮騎士団員たちが勝利を確信するのは当然のことであったが、現状はそのわずか数人、と言うより、たった二人に対してどうすることも出来ない状況に追い込まれている。
シヴァが前に出れば、レオフリードも出ざるを得ない。それでいて、より多くの王宮騎士を斬っているのはレオフリードの方であった。
弓の名手として名高いレオフリードであるが、剣を取っての実力も、シヴァに比して何ら遜色のない強さであった。
「……負けたりせんだろうな」
一人の騎士がぼそりとつぶやく。
「ば、馬鹿を言うな! 臆病風に吹かれるのも大概にしろ!」
近くにいた騎士が怒鳴りつける。だが、言葉の語尾が甲高く震えてしまったため、余計に周囲の不安を煽っただけであった。
シヴァが一歩前進する。それに伴い、王宮騎士が二歩後退する。
たった二人の男によって、通路を埋める千人以上の騎士が押し返される。全員が優秀な騎士ではあったが、こと実戦と言う意味おいては経験が違う。城壁にすら敵兵を寄せつけない王都ベルフィストの最深部である王宮の警護を務める騎士たちでは、多くの死線を潜り抜けてきたシヴァとレオフリードには対抗出来なかったのだ。
にもかかわらず、無駄に高い矜持に縛られ、飛び道具を使用しようとはしない。
シヴァに、
「さっさと弓を取りに行って、俺の手が届かない物陰からちまちまピュンピュン射かけて来いよ!」
と、挑発され、意地になっているのだ。
「ルオ・リシタの大使について調べに行ったきり帰ってこない団長を探してこいや! もし団長が俺に勝てたら、ここを通してやらあ! レオフリードの旦那も黙って通してくれるぜ!」
シヴァがさらに挑発する。
「あれはたんなる飾りだ! クロクス様の意を受けているわけではない! 事がかたずいたら、武器庫の掃除夫にでもしてくれるわ!」
いら立った騎士の一人が、ひどいことを言う。
「なるほど。どうりで頼りなかったわけだ。だがな、そこで馬鹿面を下げているだけのお前らも、団長と大差はないぜ。その手にしている剣はなんで抜いているんだ。曇りでも拭き取るためか? だったお前ら全員掃除夫騎士団とでも改名するんだな!」
そう言ってげらげらと笑い声を上げた。
「お主、ひどいことを言うな」
さすがのレオフリードも、王宮騎士団員たちが哀れに思えてくる。
「てめえの立場を絶対とか勘違いしてふんぞり返っている奴が、俺は大嫌いなんですよ」
言うやいなや、足元に転がっていた騎士の死体を、その仲間たち目掛けて蹴り飛ばした。これではどちらが悪者かわかったものではない。
さすがにこれ以上意地を張り通すわけにもいかなくなった騎士たちが弓を手に後方から現れた。
この瞬間、シヴァが恐ろしい速度で切り込み、弓を手にしていた騎士たちを斬り伏せていく。
それまでの、どこかゆるゆるとしていた間合いにならされていた騎士たちは逃げることも出来ず、抵抗らしいことは何も出来ないまま斬られてしまった。
斬り伏せつつ、身を捌く足運びを利用して、弓と矢筒をレオフリードの元へと蹴り飛ばす。
それを瞬時に拾い上げたレオフリードが、弓のしなりや弦の張り具合を確かめもせず、矢をつがえ、引き絞るというたった一つの動作ですべてを把握し、騎士団の中でも隊長格にあたる有力者たちを次々と射倒していった。
針の穴を通すなどと言う表現があるが、人の壁の向こう側にいる人間の、瞬間的にのぞく矢の直径分の隙間に現れた急所を的確に射抜いていく。はたから見ているとまるで狙いを定めている様子がない。ただ次々と無造作に矢を射放っているようにしか見えないのだが、次々と騎士団幹部の死体が量産されていく。
常識など及びもつかない速射に、狙いが全く読めないため、斬って落とすことも出来ない。
恐慌状態に陥った騎士の一人が無茶苦茶に剣を振り回し、周囲にいた味方を斬りつける。狭い通路の中で逃げ場もなく一方的な殺戮が始まったことにより、一気に全体が恐慌状態に陥った。
そして、一人の幹部が咄嗟に部下を盾にして矢をかわした瞬間、恐慌は暴動に変換された。部下を盾にした幹部が、身代わりで射殺された騎士の友人に斬り捨てられ、その騎士が別の幹部に裏切り者として斬られる。大混乱の中、無様で醜い同士討ちが始まったのであった。
ここで素早くシヴァもレオフリードも攻撃を控える。
ここに自分たちが加われば、せっかくの混乱に、自分たちと言う共通の敵を与えることになるからだ。
互いを罵り、斬りつけ合いながら、王宮騎士団はズルズルと後退を始めた。
もともとクロクスの権勢を背景に驕り高ぶっていたような連中である。信念の元に起こした反乱でもないため、一度乱れてしまうと再びまとまることは困難であった。
同士討ちをしながらの撤退が完全な逃走に変わった瞬間から、シヴァとレオフリードの追撃が再開される。
手を控えている間にシヴァが拾い集めた矢は三百本を超えていた。受け取ったレオフリードは、わずかな時間にすべてを射放ち、三百以上の死体を生産した。
頭部や首筋から矢羽を一本生やした不気味な花畑が、王宮の通路の一角に出現する。
神技と謳われたレオフリードのとてつもない技量と、欠片の迷いも見せずに死を量産してみせたレオフリードの冷徹さに、さすがのシヴァも呆気に取られた。
謁見の間で圧倒的な強さを見せつけたシヴァであったが、今度は逆に強さを見せつけられることになった。
「追いますかい?」
死体の衣服で剣についた血糊を拭き取りながらシヴァがたずねる。
「一度戻ろう。我らも陛下方も知らない隠し通路でもあって、裏に回り込まれでもしたら厄介だ」
打ち捨てられていた矢筒から、矢を回収しながらレオフリードが答える。
「ですね。さすがに姫さんたちだけじゃあ乱戦になったら戦えない連中を守りきれんでしょうから」
血糊を拭き取ったものの、刃こぼれのひどい剣を捨てたシヴァが、転がっている剣を適当に選びながら答えた。
「とりあえず、カーシュナー卿が何らかの手を打ってくれることを信じて耐え続けよう」
「面倒臭いから俺たちで全滅させちまいましょうや」
冗談とも本気ともつかない口調でシヴァが提案する。
「逃げに徹されるとそれこそ面倒だ。時期が整うまでまとう」
「確かに、あんな阿呆な男共と鬼ごっこなんざ願い下げにしたいですからね」
そう言うとシヴァは、最後に平打ちで殺さずにいた騎士の襟首をつかんで立ち上がった。意識のない身体が、死んだ魚のようにぐんなりとしている。そして、大の大人一人を片手で容易く引きずりながら歩き出す。
この戦いだけで、恐ろしいことに五百人以上の死者を作りだした死神二人は、軽い運動の後のような爽快さで、長い通路を奥へと引き返していったのであった――。
「他の場所がどういう状況になっているのか気になるな」
シヴァとレオフリードが生み出す死と混乱の大合唱には見向きのしないでリードリットがつぶやく。
あの二人を王宮騎士団ごときにどうにか出来るなどとはかけらも思っていない。ただ、この状況を外部に漏らしたくはないはずだ。王宮騎士団員が言った通り、実質的なこの国の支配者はクロクスだ。だが、それだけですべてが上手く回るわけではない。王宮騎士団の持つ数の優位は、この王宮が、不可侵領域であるが故の優位でしかなく、事態が第一城壁の外に出れば、赤玲騎士団やクライツベルヘン軍が王宮へと兵を入れる口実を与えることになる。そうなってしまうと、数的優位などあっという間にひっくり返ってしまうのだ。
最低でも国王の身柄を抑えないと、数こそ少ないが確実に存在する反クロクス派の抑えが利かなくなってしまう。
おそらく謁見の間にいたすべての人間が王宮騎士団に捕らえられ、監禁されているはずだ。
「罪のある者が大半であろうが、それでも少しは何の罪もない人間もいたであろう。その者たちが酷い目に遭っていなければよいのだがな」
リードリットの心配はそこにあった。自分の身の安全など歯牙にもかけていない。
「幸いと言うには語弊が大き過ぎますが、あの時謁見の間に詰めていた人々は、皆宰相殿と強いつながりを持つ者ばかりでございました。おそらく監禁などされてはおりますまい。だた、外部との接触は禁止されているでしょうから、外に出られないだけでしょう」
リードリットの言葉にディルクメウス侯爵が答える。
「ディルクメウスよ。先程お主は申したが、私が王位を受け継ぐには、五大家だけなく、大将軍と宰相の承認も必要なのだな?」
「はい。ロンドウェイク様とクロクス殿の承認が必要です。殿下の目的は王族の務めに則した大変立派なものでございます。この老骨めも、出来得る限りのことをいたしたく思っておりますが、先程も申し上げましたように、法は法でございます。これを破るわけにはまいりません」
ディルクメウス侯爵が申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや、かまわん。王族が定められし法に従わなくて、どうして世の秩序を正しく保てようか。法を順守したうえで、王位に就くまでだ」
「そのような方法があるのですか!」
ディルクメウス侯爵が驚いて問い返す。
「ある。どちらかというと問題なのは、五大家の承認の方だ。さすがのあいつでも、そうそう簡単に動かせる連中ではないからな」
「戻りましたぜ。姫さん」
深刻さのかけらもない声でシヴァが報告する。
「ご苦労」
「聞いてくださいよ、姫さん。レオフリードの旦那がみんな射殺しちまったんですよ。俺の出番なんかろくになかったんですぜ」
「射殺すための弓と矢をせっせと集めてくれたのはお主であろう。それに、口撃でずいぶんと王宮騎士団をいたぶり楽しんでいたではないか」
「おかげさんで、少しはスッとしましたよ」
「お主に当たられてはたまったものではなかっただろうな」
「俺をいら立たせておいて、懲りずに前に立ったんだから死んで当然でしょう。それより、こいつに話を聞きましょうや」
シヴァはそう言うと、引きずってきた騎士に活を入れ、目を覚まさせた。
意識を取り戻した騎士は、頭の中にかかる靄を追い払おうと必死で頭を振っていたが、自分が誰に囲まれているか理解した瞬間、ピタリとその動きを止めた。
しばらくは誰も何も言わない。その沈黙が、余計に捕らえられた騎士の心理を圧迫していく。
「答えよ。王宮騎士団はクロクスと画策し、陛下を除く算段であったのか?」
「ちょっとまった!」
レオフリードの尋問を、シヴァがさえぎる。
「すんませんね。どういう計画だったかなんて、この際どうでもいいんですよ。どうせ王宮騎士団員は全員死罪だし、クロクスにも死罪が言い渡されるんですから。今知りたいのは、この侯爵様の孫娘のことですよ」
シヴァの言葉に全員がハッとする。国家の大事と考え、その思いを胸中に秘めていたディルクメウス侯爵が、思わずシヴァの顔を見つめる。
「おい、お前。侯爵様んとこの孫ってのは、可愛いのか?」
問われた騎士が、ポカンとする。
「こ、このような時に何を聞いておるのだ! お主は本当の馬鹿なのか!」
ディルクメウス侯爵が、実にらしい怒鳴り声を上げる。
「ものすごく重要でしょうが!」
何故か同じ勢いで言い返す。
その後頭部にリードリットの拳が飛んできた。
すんでのところでシヴァがかわす。そして振り下ろされた拳は、捕らわれた騎士の顔面を代わりに叩いた。
「カーシュみたいにはいきませんぜ」
ニヤリと笑って見せる。
一瞬その挑発に乗りかけたリードリットであったが、グッとこらえると、結果的に殴り飛ばしてしまった騎士に向き直った。
「ディルクメウスの孫娘を、お主らはどうするつもりなのだ?」
特に恫喝するような問い方ではないが、強烈に殴り飛ばされた後なので、表情が怯える。
「く、詳しいことは知りません。ただ、今度はディルクメウス侯爵のところらしいとか、下に卸す前にこっちに回してくれないかという隊長たちの話を小耳に挟んだくらいです」
もはや諦めているのか、スラスラと答える。
「微妙だな」
「ですね」
リードリットとシヴァが顔をしかめる。
「ど、どういうことなのですか!!」
「詳しい説明をしている時ではない。どうやら立てこもってばかりいるわけにはいかなくなったようだ。数少ない味方の孫娘を放置するわけにはいかん」
言ってリードリットは励ますようにディルクメウス侯爵に微笑んだ。
「……お気持ちはありがたく頂戴いたしますが、万が一、孫のために危険を冒そうとお考えでしたらおやめください。第一に考えなくてはならないことは、陛下と殿下のご無事でございます」
ディルクメウス侯爵が青ざめながらも背筋を伸ばして言葉を返す。孫を想う祖父ではなく、どこまでも臣下であり続けようとする姿勢は見事であった。
そのとき、王宮の一角で喧騒が起こる。
自分たちに向けられていた王宮騎士団の気配が、流れを変えたのがはっきりと伝わってくる。
「思った以上に早かったですね」
シヴァがニヤリと笑う。
「探しに行く手間がはぶけたな」
リードリットもニヤリと笑って答える。
五年ぶりのリードリットの帰還により、この三百年で一度もなかった王宮内での武力衝突が始まった。すでに多くの人血を吸った王宮は、さらに増えるであろう流血によりむせ返るだろう。
リードリットの改革は、本人の予想通り、有史以来最大の大事となって、王宮を荒れ狂った――。
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