リードリットの帰還
ゴドフリートとの会談の後、休む間もなく駆け続けたリードリットは、王都の前にいた。
途方もない厚みを誇る城壁と、破城槌などものともしない鋼鉄張りの城門が、威圧的に待ち構えている。
五年ぶりにその姿を現した王女を一目見ようと、寒空の下、多くの王都住民が集まっていた。
住民として認められていない貧民街の住人たちが、治安兵たちに追い払われかけたが、静かではあるが有無を言わさぬリードリットの言葉によって退けられていた。
だが、それによって感謝されるわけではなく、遠巻きに見つめる貧民街の住人たちの目には、暗い影があるだけだった。
当然だとリードリットは思う。
彼らにとって、王族などをありがたがる理由はない。搾取するだけで、顧みることのない存在など、彼らにとっては害悪以外の何ものでもないのだ。
いま少し耐えてくれ。リードリットは心の中で詫びた。今は表に出すわけにはいかない。
集まった住民のほとんどが、下級層に属する人々であった。
その赤髪に黄金色の瞳という異相を嫌悪する偏見は、貴族を中心とした上級層の間では、いまだに根強いものがあった。
だが、それでも幾人かの貴族や、豪商などの姿も見られる。
南のトカッド城塞を陥落せしめ、ヴォオス西部地方を荒らしまわっていた、ゲラルジー王子率いるルオ・リシタ軍を壊滅させるという偉業は、近年稀に見る大戦果であった。
この二つの大戦果は、カーシュナーの配下の手によって、王都内の隅々にまで喧伝されており、そこへ、王都守備のためにミデンブルク城塞から帰還したレオフリード将軍と一万の兵により、噂がより誇張されて広められたため、お祭り騒ぎのような盛り上がりをみせていた。
好奇の視線が集まる中、激戦を潜り抜けてきた赤玲騎士団およびクライツベルヘン軍の兵士たちを引きつれたリードリットが姿を現すと、集まった人々は、我知らず片膝をつき、頭を垂れた。
今やその身を包む王者の覇気は、歴代の国王すら及ばない域へと達していた。
戦いを知らない人々にも、その圧倒的な力から生まれる存在感はひしひしと伝わっており、その威に打たれ、声もない。
そこへ、城門前でリードリットを迎えるために整列していた兵士たちの中から、レオフリードが進み出て、恭しく一礼する。集まっていた人々の一部から、黄色い歓声が上がる。
「ご無事の帰還、心よりお祝い申し上げます」
「お主も息災で何よりだ」
リードリットがミデンブルク城塞に押しかけていた時には、このように親しく言葉を交わすことはなかった。ここで浮かべたリードリットの笑顔が、人々を縛っていた緊張の糸を解く。
不意に二人の少女が人垣をすり抜け、駆け寄って来た。
慌てて兵士たちが止めようとするのを、レオフリードが身振りで制する。
駆け寄った少女たちは、安物の髪飾りを、宝物のように捧げ持ち、リードリットに差し出した。
集まった人々の間に、恐怖が走る。苛烈で粗暴な人間であるという噂を聞いている大人たちは、少女たちが怒鳴りつけられ、場合によっては殴られるのではないかと考えたのだ。
それは少しも間違ってはいなかった。リードリットは上流社会からどれほど疎まれようと、ヴォオス国の王女である。それに対し、仮に好意からであったとしても、安物の髪飾りを贈るなど、不敬罪に問われかねない。平均的な立場の貴族であっても、その行為に激怒するだろう。
リードリットはひらりと馬から降りると膝をつき、少女たちに視線を合わせる。
微笑む黄金色の瞳に見つめれた少女たちの頬が上気する。
「これを私に?」
問われた少女たちは興奮に声を上ずらせながら、「はい!」と元気良く答えた。
リードリットの手が二人の少女の頭をなでる。周囲から安堵のため息が漏れる。
(失礼な奴らめ! 私は闘技場から逃げ出した猛獣ではないぞ!)
内心の不満はおくびにも出さず、リードリットは普段頭に巻いている二枚の色違いの布を外した。
紅玉を溶かして作りだしたかのような真紅の髪が、はらりと流れて頬にかかる。その髪を何気にかき上げると、リードリットは頭を少女たちの方に向けた。
先程放たれていた威が霧散し、ふとした仕草でのぞかせた女性らしい美しさに、人々が息を呑む。
少女たちも目の前の完璧な造形美に見とれ、動けないでいた。
「どうしたのだ? その髪飾りをつけてはくれぬのか?」
再び笑顔で問いかけると、少女たちはようやく動き出し、手にした髪飾りを燃え立つ炎の髪にさした。
それは白い布で作られた花の髪飾りだった。造りが甘く、お世辞にも良い出来とは言えなかった。だが、少女たちの笑顔で、この髪飾りが彼女たちの手製のものだとわかる。リードリットは単純にそれが嬉しかった。
「私も何か返さなくてはいかんな」
リードリットはそう言うと、手にしていた二枚の布を少女たちの頭に巻いてやった。
王女が使うものである。その材質は最上級の絹で出来ていた。
「すごいすべすべする!」
「きらきらひかるよ!」
その手触りと光沢に、二人が大興奮する。
「気に入ってもらえたようだな。二人ともありがとう。この髪飾り、大切にしよう」
リードリットがそう言って立ち上がると、二人は意を決して叫んだ。
「わたしたち、もうすこしおおきくなったら、せきれいきしだんにはいります!」
「そうか。楽しみに待っているぞ」
フールメント会戦で仲間を失った後だけに、少女たちの言葉は胸に沁みた。
何も言われなくともここが潮時と捉えたのだろう。少女たちは大はしゃぎしながら人々の中に戻って行った。
本人にそのつもりはなかったのだが、少女を見送るリードリットの立ち姿は、寒風になびいた赤髪と相まって、戦女神を思わせる威厳と美しさを醸し出していた。
おどおどと見守っていた人々の間から、感嘆のため息が漏れる。
「良くお似合いです。殿下」
リードリットと同じく、人垣に戻る少女たちを微笑ましく見送っていたレオフリードが、真紅の髪に一輪咲いた花の髪飾りを見て褒める。
「器用なものだ。あの小さな手に、縫い針ではなく剣を持たせなくて済むようにしなくてはな」
レオフリードはただ嬉しそうに小さくうなづいて答えた。
「王都の状況はどうなっておる?」
再び馬にまたがったリードリットがたずねる。少女たちの行動をきっかけに、集まった人々から歓声が上がり出し、リードリットは笑顔で応えている。
「ライドバッハに内通し、指揮系統の混乱を引き起こしていた者たちは、その後は鳴りを潜めているようで、ヴォオス軍は現在正常に機能しております」
答えるレオフリードも、女性たちの声に応えて軽く手を振ったりしている。
はたから見ると<完全なる騎士>を従えた戦女神の凱旋という、現実離れした光景に見えるが、両人ともいたって現実的な会話を交わしていた。
「めぼしはついたのか?」
「それらしい者は幾人か確認しました。現在密かに見張らせていますが、動きがないため捕らえるには至っておりません」
「動いてくれなくては証拠を押さえられんか……。ところで宰相のクロクスはどうしている?」
「五千の兵を率いて王弟殿下の後を追われました」
「王都を出たというのか! あのたまご頭が!」
予想外の出来事ではあるが、リードリットとしてはかえって動きやすくなる。
カーシュナーからそれとなくこれ以上の会話を避けるようにという合図が来たので、リードリットは素直に口を閉じた。
世の中には、唇の動きで相手の会話を読んでしまう能力を有する者がいると、カーシュナーが言っていた。おそらくその辺りを気にしてのことだろう。
本人はまったく自覚出来てはいないが、集まった人々に強烈な印象を与えたリードリットは、赤玲騎士団宿舎へと向かった。道すがらも人々の声援がリードリットを出迎えた。トカッド城塞を陥落させ、ヴォオス西部を略奪してまわっていたルオ・リシタ軍の首領、ゲラルジー王子を討伐した功績が人々に浸透している証であった。
宿舎に到着すると、リードリットはわずかな兵を連れただけで王宮へと向かった。ここからは数は意味をなさない。例え王族であろうと、第一城壁内では護衛のために連れて歩ける人数には制限があるのだ。
カーシュナーも全体の指揮をダーンにまかせ、兵士は連れずにシヴァと連れ立ってリードリットに同行する。途中レオフリードに何事か耳打ちし、聞いたレオフリードがらしくもなく驚きの声を上げる。興味を持ったリードリットが問いかけたが、不確定要素が多すぎて話せることではないと煙に巻かれてしまった。
ここに来るまでの道中、カーシュナーからは具体的な指示をもらっていない。あったのはただ一つ。思うままに行動してほしいという要望だけであった。腹芸は自分には向いていない。政治的な駆け引きを期待されても応えられないだろう。そういう意味では、自分に正直にいればいいというカーシュナーの要望はありがたかった。だが、自分で言うのもなんだが、今の自分が真っ正直に行動を起こしたりすれば、大混乱を引き起こすだけである。
まあ良い。この男のことだから、何か考えがあるのだろう。ときおり本当は何も考えていないのではないかと思わされることが多々あるが、その視野の広さ、思考力の深さには驚かされてきた。腹芸は任せることにする。
なにより、王女である自分に剣を向けてまで王都に引きずり出してきたのはカーシュナーである。この男が無策なわけがない。
リードリット一行はレオフリードに先導される形で王宮を目指していた。リードリットに向けられる人々の視線の熱量が急速に冷え切って行く。
第一城壁の向こう側は、城門近くの歓迎ぶりがうそのように、拒絶の空気が充満していた。
肺を重くし、血の流れを遅くするような嫌な空気に触れ、逆にリードリットは帰ってきたのだと強く感じた。
よくもこのような場所で生きられるものだと、リードリットは大いに呆れた。かつては恐れすら抱いていた第一城壁内の空気も、今のリードリットには馬鹿馬鹿しい虚栄心の淀みに過ぎなかった。
「殿下。私はここで失礼いたします。後ほど王宮で」
カーシュナーがそう言って離れて行った。いつもの細目顔に変装し、まるで毒気のないような顔をしているが、悪いことを考えているのがよくわかる。
「来た時には大荒れになっているかもしれんぞ」
「私が王宮へ上がったら、大荒れ程度ではすみませんよ」
スッと開いた目からのぞいた翠玉の瞳が、強い光を放つ。わずかに上がった口角が、悪魔のような笑みを作りだした。
やはり悪いことを考えていたか。
リードリットもニヤリと笑みを返すと、王宮へと向かった。意外なことに、シヴァもリードリットに従い王宮へと向かう。
「なんだ。お主も来るのか?」
「ええ。こっちの方が面白そうなんで」
問われたシヴァが不謹慎な答えを返す。
「まったく、もめ事好きな奴だ」
「否定はしませんよ」
「する資格があると思っておるのか!」
カーシュナーという緩衝材がいないと、この二人はすぐに言い合いになる。
二人の後ろからつき従うアナベルは、笑いを堪えるのに苦労する。
この二人は本質的な部分で非常によく似ているのだ。そんなことを言えば二人とも心底嫌そうな顔をして否定するだろう。どこか楽しげに言い争う二人のその姿を、アナベルは満足気に眺めていた。
表だって口にすることは出来ないが、カーシュナーとシヴァの二人は、リードリットにとって、決して得ることが出来なかったはずの友となっていた。
それは不遜であり、不敬でもあるのだが、王女という立場と、赤髪に黄金の瞳という異相を持って生まれたリードリットには、同年代の親しい存在など持ちようがなかったのだ。
国王である父の愛情と、アナベルが捧げる忠誠。従弟のルートルーンだけが示した敬愛は、孤独なリードリットの心を十分癒したが、対等に感情をぶつけあえる友情だけは皆無であった。
カーシュナーもシヴァも、表面的には臣従してみせているが、今のように、それほど周囲の目を気にしなくてもいい場面では平気でからかったりする。
この二人の場合、本当に認めたからこそのくだけた態度なのだ。
今も思うが、カーシュナーもシヴァも、どういう心臓をしているのかと思う。将来的には大将軍職に就くだろうと言われているレオフリード将軍ですら、王家に対する分をわきまえた態度で接している。
リードリットを一人の人間として見て、その上で認め、心を開いているのは、カーシュナーとシヴァのみなのである。
リードリットの劇的な変化に感謝はするが、長年そばに仕えていながら、その成長の助けになっていなかった自分が不甲斐なくも思える。
自分は、リードリットの現実をより良いものに変えて行こうと考えていただろうか?
今よりも悪くならないように立ち回っていただけではないだろうか?
自分が与えたであろう影響と、カーシュナーとシヴァが与えた影響の違いは、世の中に対する気構えの差が大きいかもしれない。
自分は世の中の大きな悪に呑まれていたのだ。
リードリットはこれから、その大きな悪に挑みに行く。
誰と戦い、誰に勝利すれば成し得るのか、見当もつかない大きな戦いだ。
アナベルは改めて気合を入れ直す。そして、真紅の髪をなびかせ歩く後ろ姿に、遅れずについていった――。
◆
「何もクロクス様が不在の時に帰ってくることもなかろうに……」
リードリットの王都への帰還に、侍従長が不満を漏らす。
「何事もなくすめばよいが、下手に刺激するようなことがないように、配下の者たちにはよく言い聞かせておいてくれ」
王宮騎士団長も苦い顔で同意しつつ、注意を促す。
五年前まで王宮でリードリットに手を焼いていた二人は、今回のリードリットの凱旋にがっくりと肩を落としていた。
リードリットのことになると人が変わる国王の扱いも面倒になる。
生まれた直後にリードリットの処分を進言した文官が、国王バールリウスに斬られるのを、二人は目の前で見ていた。
幼いリードリットを虐待したかどで侍女が斬られると、クロクスは王宮内の引き締めのために、当時の侍従長を解任放逐している。
その後は成長し、日に日に粗暴さが増していったリードリットによって、剣の稽古と称して、王宮騎士団員たちは日々叩きのめされていた。
国王一人ならば無害なのだが、国王と王女がそろっていると、ろくなことがないのだ。
二人はとにかく自分たちに類が及ばないように、そつなく過ごさなくてはならない。共に責任のある立場に立った。無能者を許すクロクスではない。不在時に生じた不始末の責任は、二人が負うことになるのだ。
「殿下が御帰還あそばされました」
部下からの報告に、二人はため息をついて出迎えに向かった――。
出迎えに出た侍従長と、王宮騎士団長は、共に声もなく立ち尽くしてしまった。
かつては燃え盛る悪鬼のごとき形相で自分たちをにらみつけてきた小娘が、ロンドウェイクをもしのぐ覇気を身につけ、堂々たる王者の風格を持ってそこに存在している。
あれほど醜いと思っていた赤髪と黄金色の瞳は、いまや降臨した戦女神を思わせる美しさをリードリットに与えていた。
「お主ら、ずいぶん太ったな」
二人の顎の下のたるみを見ながら、リードリットが眉をしかめる。
自分が王宮からミデンブルク城塞に移る前は、二人とも頬のこけた顔をしていた。それが心労から来るやつれであることに当時のリードリットは気がついていなかったが、今ではそれがわかる。
自分がいなくなり、さぞや解放された気分だったことだろう。人々が飢えて死んでいっているという状況下で、ぶくぶくと肥え太り、楽しく過ごしたことだろう。
「安心しろ。すぐに五年前の体形に戻してやる」
リードリットの美しさに見とれていた二人は、リードリットが言外に込めた意味に気がつき、一気に現実に引き戻される。
かつての悪魔が、魔神に位を上げて帰還したのだ。
二人は思わず、「ひいぃ」などと、情けない悲鳴をもらした。
「父上の元に案内いたせ」
今はまず、父に会うことが先決だ。そして伝えなければならないことがある。
「殿下、このたびは歴史的偉業を果たされ、さぞやお疲れのことと存じます。ここは一度休まれ、服装を改められてからでもよろしいのではないでしょうか」
侍従長が、戦汚れの目立つ軍装を見ながら進言する。
「殿下、侍従長の申す通りでございます。南でゾンのトカッド城塞を陥落せしめ、西では貴族連合軍を助けて略奪集団を討伐されました。連戦でさぞやお疲れの……」
「シヴァ」
王宮騎士団長の言葉を遮ると、リードリットはシヴァに手を差し出した。
それだけでリードリットが何をするつもりか理解したシヴァが、手にしていた包みをニヤニヤしながら手渡した。
受け取ったリードリットは無造作に包みを解くと中身を取り出し、騎士団長に放り投げた。
反射的に受け止めた騎士団長が、悲鳴を上げて腰を抜かす。
リードリットが放り投げたのは、ルオ・リシタ国王子、ゲラルジーの生首であった。
「団長。ルオ・リシタの大使の身柄は抑えているであろうな」
足元で無様にひっくり返っている王宮騎士団長に、醜態などなかったかのように問いかける。
「知らせは届いていたはずだ。万が一取り逃がしたというのなら……」
リードリットはそう言うと、腰に佩いた厚みが通常の三倍以上もある長剣を少しだけ抜き、パッと手を離した。鍔が鞘に当たり、不吉極まりない音色を奏でる。
ルオ・リシタ国の大使の件は、自分の職務の範囲外だと心の中で叫んでいるのだが、笑みを浮かべて放たれる巨大な威に押され、王宮騎士団長は言葉を返せないでいた。
「侍従長。ゲラルジーの首を、もう少しましなもので包んで保管しておけ。仮にも一国の王子の首だ。あまり粗末に扱うと、ヴォオスの品位が疑われる」
そう言いながら、生首から目が離せないでいる侍従長に、ゲラルジーの生首を足蹴にして渡した。
勢いよく転がって来た生首が自分の足にぶつかると、侍従長は気を失って倒れてしまった。
「だらしのない奴だな。仕方ない。団長。お主が父上の元に案内いたせ。レオフリード将軍。すまんがルオ・リシタの大使の件、卿にまかせる」
「おおおおっ、お待ちください。その件は、わ、私が責任をもって対処いたします! あ、案内は他の者に御命じください!」
騎士団長はそう言うと、逃げるようにその場を後にした。
これ以上関わると、不祥事が起こった際、事態の中心にいさせられることに気がついたのだ。
「殿下~。生首で遊ばないで下さいよ」
文句を言いながら、シヴァが転がったゲラルジーの生首を、拾い上げる。それを見たレオフリードが、防腐処理を施された土気色した顔を覗き込む。
「これがあのゲラルジー王子か。顔でかいな」
「二メートルは軽くありましたからね。態度同様頭も無駄にでかいんですよ」
常人の二倍近くありそうなゲラルジーの頭を弄びながら、シヴァが答える。
「シヴァ。壊すなよ。一応ルオ・リシタに責任追及する際の証拠の一つなんだからな」
「だったら蹴飛ばさんでください。……鼻、こんなに潰れていましたっけ?」
「気にするな」
「やりましたね」
「気にするな」
リードリットはシヴァの目を見ないで同じ答えを繰り返した。
肩をすくめるとそれ以上の追及をやめたシヴァは、再びゲラルジーの生首を包み直すと、無造作に肩に担いでぶら下げた。
「おい! 侍従長をどこかで休ませてやれ!」
リードリットはそう言うと、今度は侍従長を足でひっかけ、近くにいた従者たちに足蹴にして渡した。
肥満体の人一人、軽々と片脚で蹴り飛ばしてしまう。受け取ったというか、ぶつけられた従者たちが支えきれずに下敷きになる。
「殿下! これは一体何の騒ぎでございますか!」
リードリットのあまりの破天荒ぶりに、周囲の従者や王宮騎士団員が固まっていると、一人の老貴族が眉間に深いしわを刻みながらやって来る。
「おっ! ディルクメウス侯爵ではないか。なんだお主、まだ生きておったか」
「もちろん生きておりますとも! 私の目の黒いうちは、誰であろうとこの王宮内での無礼は許しませんぞ!」
耳が遠いわけでもないだろうに、やたらと大きな声でしゃべる。リードリットが放つ王者の威も、意に介していないようだ。どこからどう見ても文官あがりの小柄な老人ではあるが、胆は据わっているようだ。
「目が黒いうちって、だいぶ白く濁ってきているじゃないですか」
シヴァが横から茶々を入れる。
「口を慎め若造が! 誰に口をきいているつもりじゃ!」
「宰相がいないんで、妙に羽を伸ばしているじいさんにだよ」
周囲の従者や騎士が青ざめる中、平気で言い返す。
「宰相殿がなんじゃと! 誰がいようがいまいが、私が態度を変えることはないわ!」
通路の端から端まで響き渡るほどの怒声が、小柄な身体からほとばしる。
「その辺にしておけ、シヴァ。ディルクメウスが憤死してしまうぞ」
リードリットが半笑いで諌める。その態度が余計にディルクメウス侯爵を怒らせる。
「五年前に勝手に王宮を離れたと思ったら、また、ふらりと帰って来る。殿下には王族としての自覚と責任感はないのですか!」
よほど頭にきたのか、無礼にもリードリットの顔に指を突きつけて非難する。
その指を無視して、リードリットがグイッと顔をディルクメウス侯爵に近づける。
リードリットの目を突きそうになり、慌ててディルクメウス侯爵が手をひっこめる。
「自覚したから帰ってきたのだ」
それまでの悪ふざけのノリから一転、真顔で答える。
「ディルクメウス。お主は今、国政に対してどのような役割を果たしている?」
「い、いきなりなんですか。私はこの終わらない冬を乗り切るために、緊急で食料・医薬品関連の運用と管理を行っております」
この答えに、リードリットが満面に笑みを浮かべる。
ディルクメウス侯爵は、あれほど嫌悪していたはずのリードリットの異相に、思わず見惚れている自分に気がつき、大いに戸惑った。
真紅の髪も、自分を真っ直ぐに見つめる黄金色の瞳にも、いまだに強い違和感を感じているにもかかわらず、その整った顔立ちを美しいと感じてしまうのだ。
「実にいいところに来た。お主はこのままついてまいれ。父上のところに行く」
これを聞いたディルクメウス侯爵が、何とも言えない表情で黙り込む。
不審に思ったリードリットが、周囲の従者たちに視線を向けると、全員一様に視線を逸らした。
「……どうした? 父上に何かあったのか?」
その沈黙を悪い方向に捉えたリードリットが、厳しく問いただす。
何かを察したシヴァがレオフリードの顔色をうかがい、確信して笑い出す。
「笑ってないで説明しろ!」
リードリットが凄む。
「殿下。国王陛下ただいま腰振りの真っ最中みたいですぜ」
そう言ってさらにゲラゲラと笑い転げる。
「言葉を選べ、馬鹿者が!」
ディルクメウス侯爵がシヴァの頭を殴りつけようと拳を振るったが、シヴァが避けずに頭突きの際に使う額の硬い部分であえて受けたため、殴ったディルクメウス侯爵の方が右手を抱えて呻くことになった。
ここまであからさまな表現をされてもピンとこないリードリットであったが、アナベルの慌てぶりからようやく事情を察し、深いため息をついた。
「助平の最中ということか。父上は本当に女が好きだな。まあ、よい。つまり寝所に居るということだな」
言うが早いか、リードリットが足早に国王の寝所へと向かう。
「おおお、お待ちください! 殿下! 今は駄目です!」
アナベルが慌てて止める。
「その通りです! 何を考えておられるのですか!」
ディルクメウス侯爵も一緒になって慌てて止めに入る。
「なにをそんなに慌てておるのだ。私の話の方がはるかに緊急なのだぞ。助平など後回しにしていただく」
「そんな簡単なものではないのです! 男の事情というのは!」
明らかに本当の意味での <助平> を理解出来ていないリードリットに、ディルクメウス侯爵が悲鳴を上げる。そして、露骨な表現にならないように選んだ言葉が、男の事情であった。
これを聞いたシヴァが身体をくの字に折って笑い転げる。
もう一度シヴァを殴りつけたい衝動に駆られたディルクメウス侯爵であったが、いまだに痛む右拳を思って自重する。そして、シヴァの笑いにつられまいと必死で笑いを堪えているレオフリードに鋭い視線を飛ばす。
「黙って見ていないで貴殿も手を貸さんか! 殿下をお止めするのじゃ!」
これに対してレオフリードは、両手を上にあげると困った顔で首を横に振った。
「一度言い出したら、誰にも殿下は止められません。先に人を遣り、陛下にご準備いただく方が懸命と思いますが……」
ミデンブルク城塞での経験から、レオフリードはディルクメウス侯爵に提案する。
「そのようなこと、出来るわけがあるまい!」
「あっ! 殿下が……」
レオフリードの言葉に振り向くと、リードリットがアナベルを引きずって寝所へ向かっているところだった。
「お前たち、なにを眺めておるか! 力づくでかまわん。殿下をお止めしろ!」
たまらずディルクメウス侯爵が、周囲でおろおろしているばかりの従者たちと王宮騎士団員たちに命令する。
戸惑いつつもリードリットの行く手を阻んだ騎士たちに、リードリットが不敵な笑みを浮かべた。
「私の前に立ちということが、何を意味するか、わかっているのだろうな」
言葉を区切り、溜めを作り、言葉の意味を強調する。その後ろでは包みからゲラルジーの生首を取り出したシヴァが、警告するように振っていた。死んだゲラルジーも、まさか死後、ヴォオス人の手でここまでこき使われるとは思わなかっただろう。首だけになってからの方が忙しいかもしれない。
うつろな死者の目ににらまれた騎士たちは、リードリットの圧倒的な威圧感もあり、思わず一歩退き道を空けてしまった。
「それでいい」
通りしなに肩を叩かれた騎士の一人は、思わずそのままひざまずいてしまった。
王宮騎士団員になるには、家柄はもちろんのこと、知性も武勇も人並み以上に備えてなくてはならない。選ばれた騎士である王宮騎士団員が、存在の格の違いに打たれ、立っていられなかったのだ。
さすがのシヴァも驚きを隠せなかった。
(どんどん格を上げていきやがるな、姫さん。俺もうかうかしていると追い抜かれるかもしれねえな)
強さにおいては間違いなくヴォオス最強の男が、本気で焦りを覚えるほど、今のリードリットがまとう王者の威は重さがあった。
その後は必死で翻意を促すアナベルとディルクメウス侯爵をうるさそうに従えながら、止める者のいない通路を寝所へと向かった。
アナベルとディルクメウス侯爵が諦めかけた時、二人にとっては救世主となる人物が、皆が恐れて避けるリードリット目掛けて走って来た。
「姉上!」
「おおっ! ルートルーンか!」
王弟ロンドウェイクの息子であり、リードリットにとっては従弟に当たる少年であった。
まだ十四歳になったばかりで、そばかすの浮いた顔は年齢よりも幼く見える。国王よりもはるかに王者らしい外見を誇る父には少しも似ず、美姫として名高い母親に似たやさしい笑顔が特徴の美少年だった。それでも大きい手足から、将来は父親に匹敵する武勇の士になるだろうと言われており、文武共に傑出したものを持っていた。
「戻られていたのですね! 誰も知らせてくれなくて、思わず王宮内を駆けて来てしまいました!」
王宮内で王族が駆けることはない。それはひどく無作法なこととされているからだ。喜びのあまり、つい無作法をしてしまいましたと報告しながら浮かべるその笑みには、王宮にはびこるどす黒いものの陰はなかった。
「大きくなったな」
そう言うとリードリットはルートルーンの両脇に手を入れ、幼子にするように高く持ち上げてみせた。「だが軽いな。もっと食べなくてはいかんぞ」
「はい!」
恥ずかしさに頬を染めつつも、ルートルーンは姉のように慕っているリードリットの言葉に元気よく答えた。
ようやく床に降ろしてもらったルートルーンは、まともに見つめた従姉の顔に、思わず釘づけになってしまう。そして先程以上に顔を赤く染め、視線を逸らせた。
「あ、姉上は、お美しくなられましたね」
「ははははっ! そう言ってくれるのはルー。お主だけだ」
いまだに自身の容姿の評価が激変していることに気がついていないリードリットは、従弟の言葉を優しい気遣いと思い、笑ってかわしてしまう。
そのあまりの鈍感さに、シヴァが思わず吹き出す。
「今、笑ったか」
素早く反応し、首だけをぐるりと振り向かせる。
「思い出し笑いです」
シヴァの言葉を信じるつもりがないリードリットは、しばらくにらみつけていたが、「フンッ!」と荒く鼻息を吐き出すと、従弟に向き直った。
表には出さないが、こんな風に言葉を交わせるのはこれが最後だろうという思いが胸をよぎる。
ルートルーンに対する情を優先させ、ロンドウェイクの罪を許すことは出来ない。それをしてしまったら、ヴォオス王家は最後の威厳を失うことになる。
不意に黙り込んでしまった従姉に、ルートルーンは無邪気に問いかけた。
「どちらへ行かれるところだったのですか?」
これを耳にしたアナベルとディルクメウス侯爵が、リードリットの後ろで手を合わせて拝み倒す。
何のことだろうと思って小首をかしげていると、
「父上のところだ。なんでも助平の最中だそうだ」
というとんでもない答えが返ってきた。
一瞬ポカンとし、次いで首まで真っ赤になったルートルーンが慌ててリードリットを止める。アナベルとディルクメウス侯爵がどうして拝み倒してきたのかようやく合点がいった。
「国の大事にかかわることなのだ。どれほどお好きでも、時間を割いてもらわねばならん」
そう言ってルートルーンを押しのけようとする。
「姉上! 国家の大事にかかわることならば、なおのこと臣下の一人として、国王陛下に対し礼を尽くすべきです!」
食い下がるルートルーンを邪険に扱うのがしのびなくて、リードリットはやむなく寝所へと乗り込むことを諦めた。代わりに大声で父親に謁見を求めた。
「父上! リードリットです! 大事なお話がありますので、至急謁見の間へお越しください!」
窓が破れるのではないかと思うほどの声が、通路の壁を幾度も蹴りつけながら、バールリウスの寝所へとたどり着いた。
国王の腹の下で悶えていた女性がびくりと身体を震わす。
「リー……。帰ったか」
嬉しそうにバールリウスがつぶやく。
「せっかくの君との楽しい時間だが、五年ぶりに娘が帰って来たとあらばやむを得ないね。急ぐとしよう」
そう言ってにっこりとほほ笑むと、バールリウスは腰の回転運動を加速させた――。
◆
謁見の間には可能な限りの人々が集められていた。有力貴族の多くは貴族連合軍に参加しており不在であるが、老齢であったり、文官肌で戦場が合わない者たちは、代理の指揮官を立てているのでこの場に集まっていた。
人々の視線は、良くも悪くも謁見の間の中央に陣取るリードリットに集まっていた。
ディルクメウス侯爵に再三戦装束から着替えるように促されたが、右から左に聞き流していた。
さすがに、いくら父親の前とはいえ、国王との謁見に際し帯剣して望むわけにはいかないので、特注の長剣は王宮騎士に預けてある。
「この剣を地につけたら両腕を斬り落とす」
実戦経験がないのか、単に頭が悪いのか、リードリットがまとう王者の威に気がつかず、これまでの噂話からリードリットを侮った態度を見せた騎士は、すべてを焼き尽くすような金色の瞳に睨み据えられて、初めて己の失態に気がついた。
震えだす膝と、止まらない汗にまみれ、騎士は通常の三倍以上もの重量があるリードリットの剣を、捧げ持って待つはめに陥った。
騎士のすぐ近くで、カーシュナー直伝の凍えつくような瞳でアナベルがにらみつけている。少しでも捧げ持つ腕が下がろうものなら容赦なく怒鳴りつけている。
そのアナベルの姿を、一部の貴婦人たちがうっとりと眺めていた。
赤髪に黄金色の瞳。これまでずっとリードリットを孤独の檻の中に閉じ込めていた異相は、今も周囲の排他的感情を引き出している。だが、それを表に出させないだけの威が、今のリードリットにはあった。
かつては悪鬼を見るような目つきで向けられていたすべての視線が、今では力なく伏せられている。
リードリットは表にこそ出さないが、意地の悪い喜びに浸っていた。
ここにカーシュがいたら、人々の不快感をさらにあおり立てるような真似をしただろうとリードリットは思った。度量が広いくせに、底意地の悪い人間をいびり倒すのが好きな男は今この場にはいない。おそらく、味方であるはずの自分も含めて、呆気に取られるようなことを考えているに違いない。
この場にいないカーシュナーの分まで楽しむつもりなのか、周囲の人々の居心地の悪そうな空気を、シヴァは目一杯楽しんでいた。
剣を預けている騎士に対して脅しをかけたのも、実はシヴァからの合図があったからだ。自分の容姿に基づいて侮られるのはいつものことなので気にも留めていなかったが、シヴァは許さなかったのだ。
もしリードリットが騎士の態度を放置していたら、シヴァはこの騎士を斬っていただろう。こういったことに即座に反応するアナベルが貴婦人たちに囲まれ、リードリットのそばを離れていたので余計に危なかった。
その気持ちは素直に嬉しく思うが、今は父と話をすることがもっとも重要だ。刃傷沙汰など起こされて謁見が中止になってはたまったものではない。
まったくもって危なっかしい男である。
謁見の間の中央で微動だにせず待ち続けていると、華やかに着飾ったバールリウスが、従者も連れずにふらりと謁見の間に入って来た。
おそらくバールリウスが必要ないとさがらせたのであろうが、それを簡単に受け入れる従者たちの怠慢な態度に、ディルクメウス侯爵が苛立たしげな視線を、意識を取り戻したばかりの侍従長に投げつけた。鋭い視線に気がついたのだろう。侍従長はけしてディルクメウス侯爵の方を見ようとはしない。
謁見の間に集められたすべての人々がひざまずく。その王位が飾り物であることが公然の事実であったとしても、人々は玉座に対して膝を折るのだ。
最後にひざまずいたのは、当然シヴァであった。危険人物と判断し、そばで監視しているディルクメウス侯爵に服を引っ張られなければ、そのまま立っていた可能性すらある。空気が読めるくせに、あえて逆を打とうとする。ディルクメウス侯爵の見立ては至極正しかった。
「よく帰って来てくれたね。リー。もっと近くで顔を見せておくれ」
国王とは思えないやさしげな言葉で娘を招く。この辺りもバールリウスが周囲から侮られる原因の一つであった。
リードリットが父に向かって歩を進めると、バールリウスも待ちきれないとばかりに玉座を立ち、娘に歩み寄る。
バールリウスの手が真紅の髪にのび、絹糸を思わせるつややかなその髪を指に絡める。光を受けて煌めく髪を、指の間から流すと、愛情を込めて娘を抱きしめた。
リードリットは素直に父親の愛情に身をゆだねる。
「きれいになったね。想像していた姿なんて足元にも及ばない」
「そう言ってくださるのは父上だけです」
「おや、私の自慢の娘は謙遜することを覚えたようだね」
バールリウスはそう言うと、くすくすと笑った。
いまだに二十代でも通りそうな若々しい美貌と相まって、謁見も間に集まった貴婦人たちがうっとりと見惚れる。
「父上、今日は人生最後のわがままを言いに来ました」
「リーのわがままなら、いつまでも、いくらでも聞いてあげるよ」
バールリウスが返す言葉には、常にあふれんばかりの愛情が込められていた。リードリットはそれを嬉しく思いながらも、表情を引き締め、言葉を続けた。
「父上。私に王位を御譲りください」
「いいよ」
前代未聞のわがままは、躊躇ない笑顔で受け入れられた。
ここに、ヴォオス史上初となる、女王が誕生した。
数瞬の静寂の後、謁見の間は悲鳴とも絶叫ともつかない声で爆発した――。




