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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・序
22/152

口説き落とし

 フールメントの野を後にし、王都を目指している赤玲せきれい騎士団及びクライツベルヘン軍は、行軍速度を調整し、体力の回復を優先しつつ進軍していた。

 当初は最速を持って王都を目指す予定であったが、カーシュナーの進言により、予定を変更し、行軍速度を落としていた。


「殿下に是非ぜひ、口説き落としていただきたい人物がおります」

 カーシュナーが進言の最後に付け加えたのが、この台詞セリフであった。

「口説き落とせだと? カーシュがわざわざ推挙するほどの人物ということか?」

「はい。今は野に下り、羊を飼って暮らしておりますが、この人物を味方に引き入れる事が出来るかどうかで、殿下の王都における支配力が大きく変わります」

「そこまで言わせるほどの人物が、世に出ず、うずもれているというのか……。わかった。口説いてみよう。その者の名は何というのだ」


「ゴドフリートです」


 あまりにもさらっと言われたので、始めは誰もピンと来ていなかった。ただ一人、シヴァだけが誰のことを指しているのか気がつき、始めに目を見開き、次に大笑いする。

「お前、本当に無茶苦茶だな!」

 そう言いつつ、馬上で器用に腹を抱えて笑い転げる。背中で大騒ぎする主に対して、呆れたような鼻息を乗馬がもらす。


「……カーシュナー卿。まさか、あの・・ゴドフリート様のことを仰っているのですか?」

 カーシュナーが誰を指して言っているのか気がついたアナベルが、恐る恐る確認する。

あの・・ゴドフリート様です」

 してやったりの表情でカーシュナーが答える。

 いまだにピンと来ていないリードリットに、シヴァが面白そうに教えてやる。

「姫さん。鈍いっすね。ヴォオスでゴドフリートと言えば、先代大将軍だった、あの・・ゴドフリート以外にいないでしょ」


あの・・ゴドフリートなのか!!」

 カーシュナーが誰のことを指していたのかようやく理解し、リードリットは驚きの声を上げた。

「あの男は、王家と王宮、そのすべてに嫌気がさして出て行ったのであろう。今さら力を貸してくれるとは思えん」

「そうですね。責任をまるで自覚しない王家と、クロクスに毒され、腐敗しきっていた王宮に嫌気がさし、隠遁生活に入ろうとしたところ、クロクスとの確執を恐れた親族から拒まれ、王都を去った人物です。その気にさせるのは容易なことではないでしょう」

 リードリットの言葉を、より強調して返す。


「カーシュ、確かお前そのゴドフリートに師事していたんじゃなかったか? その関係で何とかなんねえのかよ? 師匠、手を貸してくださいみたいな感じで」

 シヴァが茶化すようにたずねる。

「そうだ! お主のコネで何とかならぬか? ゴドフリートが加わってくれれば、その武名の高さだけでなく、政治力という意味でも私の立場を大きく補うことになる!」


「無理ですね」

「無理でも何とかいたせ! 今までもそうして来たであろう!」

「今までは、すべて自分が成し得たいことのためにしてきたことです。これは、殿下が、ご自身の成し得たいことのために必要なことです。仮に私が理を説き、協力を求めたりすれば、師匠は殿下のことを、三賢王さんけんおう以降続いている傀儡王かいらいおうたちと同列に扱い、相手にもしてくれないでしょう」

「つまり、あのゴドフリート相手に、王者たるにふさわしい力量を示し、認めさせろということか……」

「それ以外に方法はありません」


「厳しすぎる条件かもしれませんが、やるしかないでしょ。誰かがならしてくれた道を歩く王に、人はついてなんかいかねえ。まず初めに、自分自身で道を切り開いて進むからこその王道でしょ。これまでのことは、もちろん姫さんの意志で成し遂げてきたことだ。でも、道を敷いたのは、あくまでカーシュだった。赤玲の姉さん方だけじゃねえ。俺やカーシュたちもついていけるだけのドでけぇ道を、今度こそ姫さんが切り開かなきゃあならんってことですよ」


 シヴァの言葉に、アナベルはリードリットを擁護しようとしていた言葉を慌てて呑み込んだ。

 そうなのだ。もはやわがままを押し通すだけの、無責任な王女ではいられないのだ。後先も、周りのことも顧みず、ただ、自分が正しいと思っていることをやり散らかすような生き方を、リードリットは改めたのだ。

 王族としての責任を背負った以上、英雄王の血を引く者として、行動と結果で示し続けなくてはならないのだ。


「シヴァよ。お主良いことを言った。言ったのだが、なあ、カーシュ」

「はい」

「どうしてこやつがそれっぽいことを言うと、こんなに腹が立つのだろうな?」

「おいしいところだけを持って行こうとしているからでしょう」

「やはりか」

「ええ。私もイラッとしましたから」


「ひでえな、二人とも! 王女と五大家が、一介の騎士をいびろうとしていやがる。こんなのあんまりだぜ! なあ、アナベル」

「こんな時ばかり私に話を振らないでくれ! だいたい、先程の台詞も、内容は素晴らしかったが、目が笑っていただろうが。絶対に他人事だと思って面白がっていたであろう」

「あれ? ばれてた?」

「シヴァ殿は、こういう時こそ面白がる男だ。今日までの付き合いで、そのくらいは言われなくてもわかる」


「俺、すげえ感動しました!」

「感動!」

 そこへ割り込んできたのが、ミランとモランの二人だった。

 目をキラキラと輝かせている。

 以前二人がカーシュナーに弟子入りする際、やはりシヴァがそれっぽいことを言い、カーシュナーを説得したことがあった。そのときすり込まれてしまったのか、二人のかっこいいの基準がシヴァになってしまったのだ。

 二人にとってカーシュナーは師匠であり、尊敬と憧れの対象である。対してシヴァは、武芸全般を指導してくれる兄貴的存在であるため、精神的な距離はシヴァの方が近いのだ。


「お前たちだけだぜ! 俺の本当の気持ちを理解してくれるのは!」

「純真な二人を黒く染めようとするでない! ただでさえカーシュの影響を受けておるのだぞ!」

「そう言われると、俺も素直に反省するしかないっすね。二人ともすまん!」

「……おい。それはどういう意味だ」

 二人を毒する存在にされたカーシュナーが、じろりとにらむ。


 その後も肝心な話から逸れて大騒ぎするリードリット、カーシュナー、シヴァの三人を眺めながら、イヴァンが隣で馬を走らせているダーンに問いかけた。

「ヴォオスの王族と大貴族というのはこういうものなのか? 騎士階級のシヴァと普通に軽口を叩きあっている。ルオ・リシタでは考えられんことだ」

「あ~、あの三人は特殊な例だ。基本はヴォオスもルオ・リシタも変わりはない。あの三人を基準に物事を見ていると、頭が痛くなってくるから気にしないでくれ」


「でも、俺は好きですよ。あの三人の軽口」

「俺も!」

 ミランとモランが嬉しそうに会話に加わる。

「そうだな」

 呆れていたはずのイヴァンも、二人の意見にうなずく。無茶苦茶だが、底意なく楽しそうに言葉を交わす三人を見るのは楽しかった。


「ゴドフリートという人物は、どんな人間なのだ? かなりの影響力を持った人物のようだが?」

 ルオ・リシタ人であるため、詳しいことを知らないイヴァンがたずねる。南方民族出身のモランと、幼いころにゾンの奴隷狩りに遭い、祖国を離れていたミランも興味津々で瞳を輝かす。

「ゴドフリート様は先代のヴォオス軍の大将軍職を長く務めたお方で、武名名高いアペンドール伯爵と並んで、近年のヴォオスを代表する英雄だ。今、大反乱を指揮しているあのライドバッハも、ゴドフリート様には頭が上がらなかったと聞いている」


「ライドバッハが……。ゲラルジーは最低の人間だったが、その能力は本物だった。もし、フールメントでの戦いに勝利を収めていれば、数年後にはルオ・リシタ全土を、実力で統治していただろう。そのゲラルジーが唯一対等と認めていたのがライドバッハだった。そのライドバッハが頭が上がらなかったとは、とんでもない人物だな」 

 イヴァンが素直に驚く。

「そうは言っても、ライドバッハが駆け出しのころの話だがな」

 ダーンが苦笑しつつ言葉を付け足す。


「今はどうしているのだ?」

「親族に拒まれて以降、当主であるヴァウレル様が直々にクライツベルヘン領に招かれ、現在では羊の放牧などをされている」

「カーシュナー様の師匠ってどういうことですか?」

 ミランが堪え切れなくなってたずねる。

「ヴァウレル様は、ゴドフリート様を招かれた際、一つだけ頼みごとをされたのだが、それがカーシュナー様の教育だったのだ」


「カーシュナー様だけですか? ミデンブルク城塞にいらっしゃったセインデルト様とか、他のお二人の御兄弟は習わなかったんですか?」

「ああ、カーシュナー様だけだ。当時のゴドフリート様は精神的にとてもお疲れであったこともあるが、三人の兄上方はすでに十分な教育を受けておられた。ヴァウレル様は、カーシュナー様に、他の兄上方とは異なる価値観を持ってほしかったらしい」


「何故そんなことをする? 価値観が異なれば、意見の衝突を生むことになる。ましてやクライツベルヘン家は、ヴォオス最大の貴族だろう。下手なお家騒動は、国家規模の問題になる」

 イヴァンの感覚は正しい。クライツベルヘン家でなくとも貴族の家督争いは醜いものである。それぞれが異なる意見を持ち、それをぶつけ合えば、家を割っての争いに発展する。家格が上がれば上がるほど、周囲への影響も増すのだ。


「悪い面ばかりでもない。全員が一つの価値観に凝り固まってしまうと、間違った道を進んでいても誰も気がつくことが出来ない。違う角度、異なる視点で見ることで生まれる新しい価値こそが必要なのだと、ヴァウレル様はお考えになられたのだ」

「新しい価値?」

 ミランがなんとか理解しようとたずねる。

「国によって切り捨てられようとしている五百万の人々のことや、トカッド城塞に捕らわれていた奴隷。ルーシの民の奴隷だった者たちのことを、カーシュナー様以外の貴族で、いったい誰が本気で考えると思う? 従来の価値観にカーシュナー様が縛られていたら、少なくともお主ら三人と、俺はこうして知り合うことは出来なかっただろう」


「なるほど。確かに新しい価値観だ。だが、それが本当にクライツベルヘン家の得につながっているのか?」

「クライツベルヘン家は、もし、英雄王ウィレアム一世が生まれていなかったら、魔神ラタトスを倒し、この地の王家に納まっていたのはクライツベルヘン家であっただろうと言われるもう一人の勇者の家系なのだ。その魔力は突出して高く、時に天候すらも操ったらしい。だが、そのひねくれた性格が災いし、人類の反撃の中心にはウィレアム一世が立つことになった。そのころからクライツベルヘン家は、世の中の在り様に対し、常にひねくれた対応をしてきた。損とか得とかの次元の話ではないのだ」

「理解出来んが、おかげで俺は奴隷から解放された。そのひねくれた性格には感謝しておこう」


「クライツベルヘン家には、そんな歴史があったんですね!」

 ミランが目を輝かせる。カーシュナーに関することなら、どんなことでも知りたいのだ。口にこそ出さないが、モランも同様のようで、嬉しそうに微笑んでいる。

「ご本人方はひねくれた性格とおっしゃられるが、俺はどちらかというと型破りな性格だと思っているよ。たいがいが理不尽をぶち壊すことに発揮されるからな。今までよく謀反を起こさなかったと感心するくらいだ」

「珍しくダーン様、過激」

 謀反という言葉に反応し、モランが笑う。

「モランもイヴァンも知らないだろうが、カーシュナー様はリードリット殿下を口説き落とす際、剣を向けたんだぞ。王族に対して、どんな理由があろうと、まともな貴族ならそんなことはしない。今回は個人と個人の衝突で済んだが、下手をすればヴォオスとクライツベルヘンのいくさに発展してもおかしくはなかったんだ。本当によく三百年も衝突せずにいたものだよ」


「……王女に剣を向けたのか。それはもはや、ひねくれているとか、型破りとかいう話ではないだろう。ただ無茶苦茶なだけだ」

 さすがのイヴァンも呆れた声を上げる。

「まったくだ。カーシュナー様のせいで、俺の頭はハゲ上がりそうだよ」

 ダーンはそう言って、自分の頭をなで回した。


「ゴドフリート様も、無茶な方なんですか?」

「いや、そんなことはない。英雄王や三賢王を敬い、特権意識を嫌悪し続けられたお方だ。当然貴族社会では風当たりも強かったが、他を寄せつけぬ業績で大将軍になり、三愚王時代の権力の堕落の抑止力にもなられていた。正しいことを誰の顔色をうかがうことなく発言し、行動できる真の騎士だった」

「それほどの人物が世捨て人になるほど、当時の王宮の腐敗はひどかったということか」

「そこがまた厄介なところで、行政機能に支障をきたすようなことはなかったのだ。現在この国を牛耳っているクロクスは、能力のない者には容赦しない。ただ媚を売ってくるだけのような者にはなんの利権も与えなかった。そのため、必要な仕事をこなしたうえで私腹を肥やす者たちが勢力を伸ばし、結果として腐敗の根は、深く暗い、人の目の届かない場所にはりめぐらされることになった。ゴドフリート様が不正を正そうにも、王宮は正しく機能しているため、王族の耳に、ゴドフリート様の言葉は届かなかったのだ」


「正しいだけじゃ駄目なんですね……」

 ミランが肩を落とす。

「盟友であるアペンドール伯爵が軍を勇退されて以降、ゴドフリート様は孤立無援の状態で腐敗と戦い続けておられたが、いかにヴォオス軍を代表する英雄と言えども、人の欲望と堕落には敵わなかったそうだ。ついにはすべてに嫌気がさし、大将軍の職も辞して野に下られたのだ」


「味方になってくれるかな?」

 モランがぼそりとこぼす。

「そう思うからこそ、カーシュナー様は殿下に賭けたのだ。このまま終わっていい御仁ではない。それに、本当にゴドフリート様の力が必要なのは、リードリット殿下だ。五大家の子息であるカーシュナー様は、先々の殿下の助けにはなれない。五大家が権力の中枢にあることは、その力の強大化という観点から、これまで避けられた来たし、これからもそれは続くだろう。カーシュナー様は、自分がそばを離れた後のことを考えて、殿下とゴドフリート様自身のために、招かれるようにお薦めしたのだ」


「上手くいってほしいですね」

「今の殿下なら大丈夫だ。というより、殿下以外の誰にも、ゴドフリート様は動かせないだろう」

 ゴドフリートを直接知る者の一人として、ダーンの目には大きな期待があった。直接師事していたわけではないが、カーシュナーが学ぶその隣で、従者として共にあったダーンも、ゴドフリートの影響を強く受けている。理屈抜きでゴドフリートと言いう人間が好きなのだ。後悔と挫折感の中で人生を終わらせてほしくないと思っている。


「ダーン! 全体の指揮を任せる!」

 カーシュナーが大声で指示を飛ばしてくる。

「これからクライツベルヘンへ向かわれるのですか?」

 ダーンは思わず問い返していた。ここからクライツベルヘンまでは相当の距離がある。リードリットを欠いた状態で王都の城門を潜るわけにはいかない。余計な勘繰りを与えるだけだからだ。


「師匠は王都付近にいらしてるそうだ。会いに行く!」

「わかりました。護衛をお付けしますか?」

「いらない。俺とシヴァとアナベルがいれば、追いはぎや野盗程度なら、二、三千人いても問題ない」

 カーシュナーが無茶苦茶なことを言う。だが、もし本当に追いはぎなり野党がリードリットを含めた四人を襲撃などしようものなら、何人いようと皆殺しにされてしまうだろう。いや、リードリットとシヴァが百戦の気を放てば、気圧され剣も抜けないかもしれない。それほどに、この二人はフールメント会戦でその力を覚醒させていた。


「カーシュナー様! 連れて行ってください!」

 ミランが嘆願する。四人が王都へ一度潜入した際、同行を願い出たが却下されてしまったため、声に必死さがこもっている。

 迷うカーシュナーの隣で、リードリットが勝手に許可を出す。

「ちょっと、殿下!!」

「よいではないか。仮にゴドフリートに断られたとしても、会うだけでも十分価値があろう。お前の下で自分らしい生き方を探しているあの三人は特にな」

「姫さんの意見に賛成! カーシュは過保護が過ぎんだよ。本当なら、ミランもモランも、王都の地下へ連れて行きゃあ良かったんだ。今度はどす黒いもんを見に行くわけじゃねえんだから、別にいいだろ」

「かなりの強行軍になるんだぞ」

「若いから大丈夫だ。っていうか、もう姫さんが許可しちまったんだから、ごちゃごちゃ言うな」

 シヴァのとどめの一言に、カーシュナーが諦めのため息をつく。それを見て、リードリットとシヴァの二人が、してやったりの笑みを浮かべる。


「三人とも、時間がないからかなりきつい行程で飛ばすんだぞ?」

「じゃあ、今すぐ行きましょう!」

 ミランが元気に答える。

「そういうことだ。全員ダーンの指揮に従え! 皆が王都へ着く前に合流する。馬足をゆるめ、体力の回復を図っておいてくれ! 王都でも働いてもらうぞ!」

 リードリットの言葉に、赤玲騎士団とクライツベルヘン軍から気合の入った返事が返ってくる。

 リードリットは嬉しそうに笑うと、馬に拍車をかけて飛び出した。その後をアナベルとシヴァが続く。


「カーシュナー様。無理を言ってすみませんでした……」

 隣に馬を寄せてきたミランが小さくなって謝る。

「いや、もう少し時間に余裕があれば何の問題もなかったことだから、別にかまわないよ。確かに、殿下の仰る通り、三人は師匠に会っておいた方がいいからね。ただ、さっきも言った通り、寝る間もない強行軍になるから、覚悟していてくれよ」

「はい!」

 嬉しそうに答えるミランの後ろで、モランとイヴァンがうなずく。モランは満面に笑みを浮かべ、イヴァンは無表情のままである。


 七人になった一行は、先頭をカーシュナーに代え、ゴドフリートの元へと馬を走らせた――。









 寒風が吹きすさぶ丘の上に、白髪混じりのごま塩頭と、豊かな口ひげをたくわえた男が、後にしてきた小さな村落を見下ろしていた。

 その目には疲れと悲しみがたたえられていた。

「ここも全滅か……」

 ため息とともに吐き出された言葉には、苦悩が満ちるのみで、怒りの感情は含まれていない。

「王都にこれほど近い直轄領で、この体たらくとは、カーシュが動く気持ちがよくわかりますよ」

 こちらの声には、怒りを通り越して、ありありと敵意がうかがえる。


 眼下で雪にうずもれかけている村は、すべての住民が病死なり餓死し、その事実を知られることなく滅び去った村であった。その証拠に、床の中で干からびたままになっている死体が、弔われることもなく多数見つかった。その中には老人や子供の姿はほとんどなく、代わりに新しい粗末な墓が、村のはずれにいくつも建てられていた。

 体力のない者たちから次々と死んでいったということだ。


「王家の怠慢もここまで来たか。英雄王が興したヴォオス王家も、ここまでのようだな」

「それはどうでしょう? カーシュはまだ諦めてはいないようですが」

「会えば厳しい態度をとるくせに、お主が一番カーシュに甘いのではないか? ヴァールーフ」

「単純に信じているだけです。それもこれも、カーシュを信用に足る男に育ててくれたゴドフリート様のおかげですよ」

 答えるヴァールーフは、照れ隠しに苦笑いするしかなかった。


 二人の名はゴドフリートとヴァールーフ。

 一人がカーシュナーの師で、もう一人が兄である。


 疲れ切ってはいても、いまだに衰えをみせない見事な体躯を誇るゴドフリートは、ヴァールーフの言葉に、軽く肩をすくめただけで、何も言わなかった。

 岩から削り出したかのような厳めしい顔も、表情を変えないため、作り物のように見える。

 これといった反応がないことに、気を悪くするでもなく、ヴァールーフはただゴドフリートのそばにいた。多くを語りたくない気持ちは、一緒に滅んでしまった村を調べていたヴァールーフにもよくわかったからだ。


 ヴァールーフはクライツベルヘン家の次男であり、今年三十三歳になるカーシュナーの腹違いの兄であった。その体躯はゴドフリートに劣らず見事なもので、百九十センチ近くあり、肩幅は広く、ぶ厚い胸板をしている。防寒服の上からでもはっきりとわかるほどの太い手足は筋肉の塊であり、ただそこに在るだけで、場の空気を支配するほどの偉丈夫であった。

 当主であるヴァウレルが現場を退き、嫡男であるアインノルトが執務を代行するためクライツベルヘン軍を離れたため、現在はヴァールーフが軍の指揮を執っている。


 この地には、国内を見て回りたいというゴドフリートの護衛として赴いていた。

 この地に至るまでに、多くの村を巡り、同じ数だけ絶望を積み重ねていた。


「ここまで来てみたものの、己の無力を痛感させられるだけであった……。付き合ってくれたお主にも悪いことをしたな」

「俺はそうは思いませんがね。正直、家も地位もすべて捨てて、カーシュの元に駆けつけてやりたい気分です」

「思っても実行するなよ。カーシュならまだしも、さすがにお主が動くとヴォオスとクライツベルヘンの対立構造が出来上がってしまうからな。そんなことになれば、ほとんどの人間が死に絶えてしまう」

「わかっております。ですが、座してこのまま人々を死なせるつもりもありません」

「…………」

 ヴァールーフの強いまなざしを、ゴドフリートは見ようとはしなかった。


「ゴドフリート様。いくら丈夫とはいえ、この寒さにさらされ続けてはお体に毒です。近くの林に天幕を用意させましたので、そちらに移動しましょう」

 ヴァールーフに促され、ゴドフリートは素直に従い丘を下った。

 天幕は贅沢を嫌うゴドフリートに合わせて、実用一点張りの造りのものであったが、広さと暖かさは十分であった。

 従者の一人が、紅茶に葡萄酒をたらした飲み物を運んでくる。芯まで冷え切った身体に沁み渡り、二人は思わずうめき声をもらした。


「カーシュはいつ来るのだ?」

 人心地ついて、ゴドフリートが不意にたずねる。

「ばれていましたか」

 問われてヴァールーフが苦笑いする。武人として有名であるが、その知性と優れた観察力こそゴドフリートの真価であり、隠れて何かをしようとしても、必ず看破されてしまうのである。

「何の用があるのだ? 今さらわしの知恵など、カーシュには必要あるまい。とっくの昔にわしを越えているのだからな」

「さあ、とにかく時間を作ってくれとだけ頼まれたものでして、細かいことまでは……」

「そうだな。どうせ来るのなら直接聞けばすむ話だ。ここで詮索しても始まるまい」


 その後はこれと言って言葉を交わすことはなく、時が流れた。

 不意に周囲で人馬の気配が生まれ、騒がしくなる。

「来たか」

 ヴァールーフはつぶやくと立ち上がり、天幕の外に出る。ゴドフリートは腰を上げようとはしなかった。

 外に出たヴァールーフの気配が揺らぐ。何かあったのだろうかと考えていると、天幕の入り口が開き、雪まみれの人物が一人入って来た。


「まともに顔を合わせるのは初めてだったな。ゴドフリート」

 呼び捨てにされるなど、久しくなかったゴドフリートが、驚いて顔を上げる。

 黄金色の瞳に出会った瞬間、ゴドフリートは姿勢を正すと片膝をつき、頭を下げた。


 入って来たのはリードリットだったのだ。


「殿下におかれましては、ご壮健で何よりでございます」

 堅苦しく言葉を返す。そこには見えない壁が存在した。

 リードリットは軽く肩をすくめる。拒絶には慣れていた。

 肩をすくめた拍子に落ちた雪に気がつき、リードリットは一度外に出ると雪を払い、再び戻ってきた。

 今度はカーシュナー以外の全員が入ってくる。


「殿下、これはいったい何事でしょうか?」

 自分をキラキラした目で見つめてくるミランに、多少面喰いながら、ゴドフリートは問いかけた。

「なに、たいしたことではない。お主に用があるのは私だけだ。シヴァとアナベルは護衛兼見届け人で、後ろの三人は、お主の孫弟子だ」

「孫弟子?」

「そうだ。生き方を学ぶために、カーシュについてきた者たちだ」

「……大丈夫なのですか?」

 ゴドフリートが心底不安気にたずねる。これに対し、リードリットは豪快に笑って見せた。

「やはり、師匠のお主でもそう思うか! 正直私も大丈夫かと不安に思うときがある」


「ひどいですよ、リードリット様!」

 ミランが抗議する。

「許せミラン。だがな、カーシュは特殊過ぎる。あれを見習ってまともな人間になるとはとても思えん」

「大丈夫です。すごいところだけ見習いますから」

 この答えに、ゴドフリートが初めて笑って見せた。

「あれをあんな風に育ててしまったのはこのわしだ。少しは責任を感じなくてはいかんな」

「まったくですよ。でも、俺はおかげで退屈しないでいられるんでありがたいですがね」

 ゴドフリートを目の前にして、普段と全く変わらない軽口をシヴァがたたく。


 両者とも、笑みの中で視線だけを鋭く交差させる。その結果、二人の笑みはさらに深くなった。


(さすがカーシュの師匠だけのことはある。枯れているようで、とんでもない強さだ。まあ、俺の方が上だけどな)


 とんでもないことを内心でつぶやく。その声は、ゴドフリートの胸に届いていた。


「不敵な男ですな」

「今の腐ったこの国にはちょうど良い男だ。金や権力に尻尾を振らんからな。当たり前のように、王女であるこの私にも敬意を払わん」

「やだなあ。払いますよ。出世払いですがね」

「そうか。では近い将来たっぷりと請求させてもらうぞ」

「……余計なこと言ったかな」

「言った以上は引っ込められませんよ」

 アナベルが面白そうに追い込む。リードリットにやり込められるシヴァはとても珍しいのだ。


 ゴドフリートは面白いと感じていた。自分を前にして、こうまで自然体でいられる人間は、アペンドール以外では初めてだった。

 シヴァが感じた以上に、ゴドフリートもシヴァの強さを感じていた。全身に鳥肌が立ち、いまだに治まらない。全盛期の自分やアペンドール以上かもしれない。

 アナベルにしても、王都に私塾を開いた当初は常に男性に対して張りつめていたような部分があったが、それもなくなり、今では文句のつけようもない立派な騎士となっている。

 何より面白いのは、後ろに控える孫弟子・・・たちだ。

 少年はヴォオス人のようだが、残りの二人は明らかに素性が違う。一人は南方民族だし、もう一人は骨格と体格からルオ・リシタ人のようだ。どのような経緯を経れば、王女と一緒にこの二人が現れるのだろうか? 興味の尽きない顔ぶれだ。


「話が逸れてしまったな。本題に入ろうか」

 そう言うとリードリットはおもむろに姿勢を正し、ゴドフリートに対し、両手をついて深々と頭を下げたのであった。

「!!!!」

 アナベルが声にならない悲鳴を上げる。


「……どういうおつもりですか。殿下?」

 ゴドフリートが表情を厳しく引き締めて問いかける。

「謝罪だ。お主の過去の努力のすべてに対し、何一つ応えようとしなかった王族を代表して、ここに頭を下げる」

「おやめください。今さらそんなことに、何の意味もありません」

「意味はある。私はここから改革を始めるつもりだからだ」

 頭を上げたリードリットが、ゴドフリートの瞳を真っ直ぐ見据える。その瞳の力に、王者の威を感じたゴドフリートは、思わず視線を逸らしてしまった。


「改革ですか。女の身でそれが成し得ますか?」

 ゴドフリートの言葉に、アナベルが血相を変える。

「男の身で成そうとしないお方が何を仰られるか!」

「やめろ、アナベル。ゴドフリートは我々よりもはるか以前に、たった一人で改革を成そうとしていたのだ」

「ええ。そしてその望みは叶わず、私は諦めました」

 言葉と共に、ゴドフリートの中の強さが抜け出し、一回り小さくなってしまったような錯覚を起こさせる。


「そうか。私はこれからそこに立ち向かうので、やる気満々だ」

 対照的に、リードリットは大きく胸を反らせる。

「それと、女の身であろうとなかろうと、成すだけだ。男ならば成せるというのなら、その時はその者に喜んで道を譲ろう。私には、民を救うという結果だけがあればそれでいいのだ」

「民を救う、ですか……。今さらですな。すでに多くの者が飢えと病で死んでいます。この先の丘を越えたところにある村も、住民すべてが死に絶え、野ざらしにされていました。すでに多くの命が失われているのです」

「知っている。急がねばさらに多くの命が失われることもな」

「仮にこの後多くの命を救えたとしても、すでに失われた命を取り戻すことは出来ません。何もかもが遅過ぎるのです」


「失われた命まで背負い込むなど、私の金剛力でも不可能だ。重過ぎる。間に合わなかった命に対して、詫びる言葉もない。詫びる資格すら、今の王族にはないのだ」

 リードリットはここで、あえて笑って見せた。思いつめた表情で進む者に、人はついては来ない。カーシュナーという男を見て学んだことだ。

「ゴドフリート。私は所詮一人の人間だ。出来ることには限りがある。それでも、可能な限り人々を救いたいのだ」

「それは単なる自己満足に過ぎません」

 ゴドフリートが厳しい言葉を返す。

 こめかみに青筋を浮かべたアナベルが言い返そうとするのを、リードリットが尻をつねって黙らせる。これがものすごく痛くて、アナベルは涙目になって黙り込む。


「ああ、まぎれもなく自己満足だ。カーシュの計算では、この終わらない冬の影響で出る死者数は、五百万人を下らないそうだ。クロクスはこの五百万という数字を切り捨てた。私はこの五百万を救う。そこまで出来て、ようやく少し満足するだろう。なかなかに大きい自己満足ではないか?」

「いかにも。自己満足としては、過去最大かもしれませんな」

 ゴドフリートがニヤリと笑う。縮んでいた身体が、再び大きさを取り戻す。

「言うは容易い。はっきり言うが、私一人では出来る気がせん。多くの助けが必要だ。だが、悲しいかな、私はこの容姿とこれまでの行いで、多くの敵を作ってきてしまった。やろうとしていることを考えれば、敵は増える一方だろう。特に貴族を中心にな」

 そう言って見せたリードリットの笑みは、カーシュナーによく似た悪い顔だった。


 ゴドフリートは思わず後ろ頭をがりがりとかいた。

 カーシュナーが成長する過程でみせるようになった顔にそっくりだった。以前それを見たアペンドールが、「若いころのお前にそっくりな笑い方をするな」と、言ったことを思い出す。それは理不尽を引っくり返してやろうと計画しているときの顔であり、カーシュナーを通じ、その精神がリードリットに伝わっていることの何よりの証だった。


「お主の力が必要だ。私を助けてほしい」

 リードリットは言葉を飾らず、素直に頼んだ。

「私が殿下の助けになるでしょうか? より多くの敵を抱え込むことになるだけかもしれませんぞ」

「かまわん。おそらく、お主を嫌いな人間は、私のことも嫌いなはずだ。であれば、敵の数は変わらん計算になる」

「軍に対する権限も、今は何一つありません。貴族に対して影響力があるわけでもない。私は結局、何も成し得なかっただけの男です」


「お主は成したさ。カーシュナーという男を育て上げた。カーシュナーを通じて、私は王家の在り方、役目とようやく向き合うことが出来た。後ろの三人も、ミランとモランはトカッド城塞から救出した元奴隷であり、イヴァンはルオ・リシタの王子ゲラルジーの専属奴隷であった。三人とも、カーシュがおらねばここにはいなかっただろう。私が新たに得たすべてが、カーシュを通してお主から与えられたものなのだ。お主はここにいる我らすべての人生を、良い方向へと変える手助けをしてくれたのだ」

「あいつが、そこまで言っていただける男になりましたか……」

「ときどき阿呆なことを言うがな」

 ここでリードリットはニヤリと笑って見せた。

 ゴドフリートも思わず苦笑をもらす。


「あの悪ふざけだけは、直せませんでした」

「阿呆さがないカーシュなど、カーシュではない。あれはあれで良いのだ」

 この一言に、その場にいる全員が吹き出した。


「何やら盛り上がっているようだな」

 外で待つヴァールーフが、弟に問いかける。

「全員笑っているということは、おそらく俺の悪口です」

 カーシュナーが憮然として答える。

 それを見たヴァールーフが太い笑い声を上げた。


「今すぐ答えてくれなくていい。時間をかけて考えてくれ。仮にお主の手が借りられなくとも、私は成し得てみせる。そうでなくては意味がないからな。だが、お主が手を貸してくれれば、より早く、より多くの人々を救うことが出来る。それだけは覚えておいてくれ」


 伝えたいことをすべて話し終わると、リードリットはそれ以上長居はせず、すぐに天幕を後にした。

 外には替えの馬が用意してある。

「これは?」

「お使いください。ここまで乗ってこられた馬たちは消耗しきっていましたので、われわれの馬と入れ替えました」

「お主がヴァールーフか。細やかな気遣い感謝する。合わせて、ゴドフリートとの会談の場を設けてくれたことにも感謝する」 

「なんのこれしき。弟がお世話になっているせめてもの礼にございます」

 まだ二十歳そこらの娘とは思えない風格に、思わず目を見張りながら、ヴァールーフは答えた。


「お主ともゆっくり話をしたかったが、いかんせん時間がない。ゴドフリートのこと、よろしく頼む。さらばだ!」

 言葉と共にリードリットは馬上に身を移した。他の者も遅れず続く。

 来た時と同様、あっという間に七人は去っていった。


「噂とは大違いでしたな。リードリット殿下は」

 天幕から出てきたゴドフリートに、ヴァールーフが声をかける。

「これも、英雄王ヴァウレル一世と、五大家との約束のおかげかもしれん。王家の血が腐る前に、殿下を遣わしてくださった」

 答えるゴドフリートの目には、失われて久しかった覇気が戻りつつある。


「殿下は一度も御命じにはならなかった。あくまでも、わし自らが協力してくれることを求められた。王権を一度も振りかざさず、それでいて王族としての責任を果たそうとなされていらっしゃる」

「仕えるに値する人物なのではありませんか?」

「……どちらかというと、そばにいて監視しておらねば、とんでもない力技に出そうで心配だ」

 これを受けて、ヴァールーフが悪い顔でニヤリと笑う。

「わしがクライツベルヘン家と縁を持てたのは、必然だったかもしれんな」

 その顔を見て、ゴドフリートは大いに呆れた。自分でも、こんな風に笑う自覚がある。


「三賢王時代は開明の時代であると同時に、奴隷解放を拒む貴族たちとの血塗られた内乱の時代でした。時代の膿を取り除くには、肉を斬らねばなりません。殿下にはそれが出来ると、俺は思います」

「そうだな。どうやらこのじじいも、ただでは死ねんようだ」

 そう言うとゴドフリートは大声で笑った。その声には、曇天の冬空を吹き飛ばすかのような晴れやかさがあった――。

   

 


   


 

 

   

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