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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・序
21/152

<豚の尻尾>の結末

 戦いは一方的であり、凄惨を極めた。

 敗北を悟ったアペンドール軍の騎士たちが、主であるアペンドール伯爵だけでも逃がそうと捨て身の抵抗を繰り広げたからだ。

 その行動は、フールメントの野でゲラルジー王子を失って以降のルーシの民の戦士たちに似ていた。


 ここでアペンドール伯爵を逃がしては何の意味もない。仮にアペンドール軍の五千の兵を皆殺しにしたとしても、まったくの無駄に終わる。

 アペンドール伯爵の名前そのものが恐ろしいのだ。


 容赦のない攻撃が続き、アペンドール軍の騎士たちが次々と倒れていく。

 ブレンダンとジィズベルトに対抗意識を燃やしていた武将も、二人に届く前に討たれ、倒れた。


「降伏されよ。伯爵!」

 ジィズベルトが投降を呼びかける。敵味方に分かれようと、アペンドール伯爵はヴォオスを代表する英雄であり、幼いころの憧れでもあった。先程までのように、対等に渡り合っている状況であれば迷いなく斬れるが、すでに勝敗が決している状況下では積極的に討ちたいとは思えないのだ。


「迷うな、ジィズベルト! 下ったところで伯爵にはさらしものの運命しか待ってはいない! 宰相殿はけしてお許しにはならん! 情けを掛けたいのであれば斬れ!」

 ジィズベルトの心情を見抜いたエルフェニウスが、大声で忠告する。

 国王当てに、宰相であるクロクスを除くよう進言したアペンドール伯爵を、クロクスが許すはずがないのだ。今後再び反乱など起こさないようにするためにも、アペンドール伯爵とライドバッハの生首は、王都の城門に晒されることになる。


「若造! この策は貴様のものか! 名乗れ!」

 アペンドール伯爵が、エルフェニウスに問いかける。

 ブレンダンもジィズベルトも、武人としては優れているが、ここまで見事に自分を欺けるような策士ではない。二人の背後に優れた軍師がいると考えていたのだ。今、最も状況が見えているであろう見知らぬ若者こそが自分を手玉に取った張本人と見抜き、思わず問いかけたのだ。


「アルスメールが嫡男エルフェニウスと申します。アペンドール伯爵、お命頂戴いたします!」

 問われたエルフェニウスが堂々たる声で答える。

「おう! アルスメール候の子息であったか! 母に抱かれた赤子のころのお主を覚えておる。よもやあの赤子にしてやられようとはな。長く生きてみるものだ」

「長く生きたのならば、この場で死んで、名誉を守られよ!」

「国の腐敗を捨て置いて、何が名誉か! ブレンダン! ジィズベルト! そして、エルフェニウス! お主らだけは、この命にかけてこの場で除く!」


「よくぞ申された! ならばヴォオスの英雄としてではなく、反逆者として、容赦なく討たせてもらう!」

 ブレンダンが雄牛の上で大喝する。

 アペンドール伯爵の、燦然と輝く過去の名声よりも、泥にまみれようとも、今、己が持つ信念を通す意地を察したのだ。


 老人は過去にすがる。それは誰しもがそうであり、加齢による衰えが、全盛期の力を奪っていくのだから仕方のないことだ。だが、その姿は、全盛期にある者たちの目には醜く映る。

 英雄と呼ばれたほどの男が、過去の実績を蹴り飛ばし、反乱者として歴史に名を刻むことを覚悟の上で、史上最大規模の反乱をかき回している。

 ブレンダンもジィズベルトも素直に感嘆した。揺れる心も自覚出来る。


 何故クロクス派の将軍であったフローリンゲン城塞のレイナウドが心変わりしたのか、今ならばよくわかる。この男になら協力したいという気持ちが湧き上がってくる。

 ブレンダンもジィズベルトも、クロクスに対する個人的な恩はない。だが、恨みもない。一度仰ぐ旗の色を決めた以上、相応の理由もなくその色を変えては武人の名折れである。

 

 ブレンダンとジィズベルトがアペンドール伯爵に魅かれたのとは逆に、エルフェニウスはその求心力に恐怖を覚えた。その存在はヴォオスをむしばむ疫病以外の何ものでもなく、一度人心に広まれば、取り除くことは容易ではない意志を、人々の心に植え付ける。


 これこそがアペンドール伯爵の怖さであり大きさなのだ。


「どうした! 手を休めるな! 弓箭部隊はありったけの矢を射込め! 味方を援護するのだ!」

 のどらして叫ぶなど、生まれて初めてのエルフェニウスが、似合わない必死の形相で指示を飛ばす。

 冷静さが売りのエルフェニウスとは思えない姿に、ブレンダンとジィズベルトも内心の葛藤を振り払う。


 退路確保に動いていたアペンドール軍が、主の覚悟を汲み取り、逃がすのではなく、ブレンダンとジィズベルトの元へと導くために、道を切り開きにかかる。

 それは対するブレンダン・ジィズベルト軍も同様で、自軍の大将をアペンドール伯爵の元へ送り届けようと、さらに激しく剣を振るった。

 その結果、両軍の死力を尽くした戦いは、より一層の激しさを増した。


 それは偶然の仕業か、あるいはその戦いを天上の神々が望んだのか、アペンドール伯爵、ブレンダン、ジィズベルトの三人が、最前線で同時に顔を合わせた。

 そば近くで戦っていたブレンダン、ジィズベルト配下の騎士たちは、あまりの間の悪さに、軽いめまいを覚える。いまだ武勇衰えぬアペンドール伯爵の戦いを間近で目にしているだけに、互いに反発しあいながら戦おうものなら、二人とも各個撃破されかねない。


 アペンドール伯爵が、より近い位置にいたジィズベルトに迷わず仕掛ける。ジィズベルトも当然受けて立ち、迎撃に馬を走らせる。

 あとは、ブレンダンがどう動くかだ。


 アペンドール伯爵とジィズベルトの距離が詰まり、最初の一合が火花を散らす。

 両者は互いの背後を取ろうと巧みな馬さばきで小さな円を描き、位置を入れ替えて正面から向かい合った。右手に長剣。左手に槍を持ち、脚のみで馬を操っていることを考えると、アペンドール伯爵の方が馬術の技量では上を行くのかもしれない。

 しかし、二合目に繰り出された剣速は、ジィズベルトの方がわずかだが速い。


 まばたきする間にさらに五合も剣が打ち合わされ、周囲で死闘を繰り広げているはずの騎士たちの視線が思わず奪われるほど、二人の一瞬の戦いは次元の違うものだった。

 そこに割って入ったのがブレンダンだった。しかも、アペンドール伯爵の背後から、有無を言わせず剣を振り下ろす。

 一騎打ちを邪魔され、ジィズベルトの剣が乱れるかと思われたが、わずかな迷いもなく、ブレンダンの動きに連動して鋭い突きを放つ。


 これまでであれば、ブレンダンが実力を認めた武人を背後から斬りつけるなどということはあり得なかった。仮にそうしなければ自分が討たれるとしても、それは己の未熟さと受入れ、斬られる方を選んでいただろう。

 アペンドール伯爵の覚悟に、ブレンダンも己の武人としての矜持を泥の中に捨てて討ちに来たのだ。

 これに応えないジィズベルトではない。

 二人の武人の覚悟に応じ、自身も一騎打ちという考えを捨て、ただひたすらにアペンドール伯爵を討つことに集中している。


 二人の剣がアペンドール伯爵を切り裂く。誰もが勝負あったと思った刹那、アペンドール伯爵は身をわずかに切らせただけで、馬体のわずかな位置調整と上半身のひねりだけで、伸ばされた二本の死神の腕をかわして見せたのだ。

 周囲が驚愕に呑まれる中、一瞬も動きを止めず、アペンドール伯爵はブレンダンを追い、その広い背中に槍を突き入れる。


 必殺の気合で振り下ろされた一撃が、わずかな手ごたえだけで空を切ったブレンダンは、牛上で大きく体勢を崩していた。ここでもし、ブレンダンの体勢が十分であったら、逆に命を落としていただろう。

 かわすことなど到底不可能な状況に、ブレンダンは迷わず身を投げ出した。一歩間違えば、いや、かなりの高確率で、自分の愛牛かアペンドール伯爵の乗馬の蹄にかかりかねない危険な賭けだ。


 大きな体をきれいに丸めて受け身をとる。ここで首や背骨を折って死んでしまえば無様もいいところだが、見事な運動能力で傷一つ負わない。耳の奥に重低音を響かせながら通り過ぎて行った愛牛の蹄は、幸いかすめもしなかった。だが、並の大きさの人間だったら、背後から迫って来ていたアペンドール伯爵の乗馬に踏みつぶされていただろう。しかし、優に大人三人分はありそうなブレンダンの巨体を、足首を折る危険な障害物と判断した馬が、咄嗟に飛び越えたため、無事に切り抜けることが出来た。

 だが、それで危機が去ったわけではない。愛牛から飛び降りる際に、誤って自分自身を突き刺さないために剣を手放してしまったので、丸腰の状態で反転して来るアペンドール伯爵を迎え撃たなくてはならない。


 とりあえず指笛で愛牛を呼び戻したブレンダンが、次の行動を思案している真横を、ジィズベルトがかすめるように通り抜けて行く。

 そして再び強烈な斬撃をアペンドール伯爵と打ち合わせた。

 混戦の中、興奮し過ぎたブレンダンの愛牛が敵味方関係なく暴れまわり始める。すぐには合流出来ないとふんだブレンダンは、ジィズベルトが作ってくれた時間を無駄にしないために、主を失って混乱している一頭の乗馬を捕まえ、素早く馬上に身を移した。暴れる馬に蹴り飛ばされかねない状況にもかかわらず、いともたやすくこなしてみせる。普段は牛を駆ることの多いブレンダンだが、そこはヴォオス人らしい見事な馬の扱いだった。


 激しく剣を交える二人の元に、ブレンダンは地面に刺さっていた槍を引き抜き駆けつける。

 ここから卓越した技量を誇る三人の武人の、壮絶な命の取り合いが始まった。

 突く。ぐ。受ける。弾く。かわす。

 戦いの序曲を奏でるかのように、剣戟の音が響き渡り、三者の攻防は死という薄氷の上で、対極に位置するはずの美しい演劇のように、激しく、狂おしく、それでいて正確に、互いの命を求めて舞い続けられた。


 特筆すべきは、やはりアペンドール伯爵の技量であろう。

 完全に二対一の状況で、互角に渡り合い続ける。

 ブレンダンもジィズベルトも、さすがに認めざるを得なかった。一対一で戦っていたら、とうに敗れ去っていたことを――。


「勝てええぇっ!! ブレンダン!! ジィズベルト!!」

 戦いの喧騒を縫って、一つの声援が三人の元へと届く。誰も声の出どころになど意識は向けない。だが、アペンドール伯爵の中には意外に感じる驚きが生まれ、声を送られた二人には、悔しさに近い感情が生まれた。

 心の中にこのまま斬られるのもやむなし。といった気持ちが芽生え始めていた二人が、攻めを捨て、守りに徹する持久戦に切り替えたのだ。

 喉が潰れたガラガラ声で、他人に声援を送るなど、下手をするとヴォオスで最も似合わない男が、自分たちの勝利を願って叫んでいる。

 そして、目の前の老人は、命も名誉も捨てる覚悟で剣を振るっている。

 心のどこかにまだ残っていたきれい事が、諦めを呼び込み始めていたことに気がついた二人は、ここに至って初めて恥も外聞もなく戦い始めたのだ。


 結末の天秤が、徐々にではあるが、ブレンダンとジィズベルトへと傾き始める。

 受ける剣が、弾く剣が、ほんのわずかではあるが、一合ごとにその重さを失っていく。

 ブレンダンとジィズベルトにあって、アペンドール伯爵にない唯一のも、若さ・・が体力の差となって表れ始めたのだ。


 死を悟ったアペンドール伯爵が、勝負に出る。

 より深い間合いに身体を入れる。

 襲い掛かってきたブレンダンの一振りを、渾身の力で弾き返す。

 その隙を逃さず、ジィズベルトの剣が振り下ろされ、剣を握ったままのアペンドール伯爵の右腕が宙に舞う。

 痛みも、失われた右腕も、腕を斬りおとしたジィズベルトの存在すらも意識の外に追いやり、アペンドール伯爵は必殺の間合いに入ったブレンダン目掛けて左手の槍を突き出した。


 思い切り剣を弾かれ、体勢を崩していたブレンダンの喉元のどもとに、アペンドール伯爵の槍が吸い込まれていく。

 どちらか一人でも討ち取ろうと、捨て身の特攻をかけ、見事成功させてみせたアペンドール伯爵の口元に笑みが浮かぶ。

 ブレンダンは自分が死ぬのだと思った。ジィズベルトは、アペンドール伯爵に致命的な一撃を加えたことよりも、ブレンダンが失われることに意識を支配された。

 どこか遠くで、「あっ!!」と叫ぶ、エルフェニウスの声が聞こえた気がした。


 時が止まったかと錯覚するような刹那の時間を破壊したのは、まったく予想外の一撃だった。

 

 アペンドール伯爵の槍先が、ブレンダンの喉に触れた瞬間、アペンドール伯爵の馬がなぎ倒され、伯爵自身も叩きつけられるように、馬上からその身をさらわれた。

 暴れまわっていたブレンダンの愛牛が、主の危機を察したのか、アペンドール伯爵と乗馬の横腹に猛突進を掛けたのだ。

 二本の見事な角は、片方で馬の腹に大穴を空けて内臓を引きずり出し、残った方の角でアペンドール伯爵の左太ももを刺し貫き、人形を弄ぶかのように振り回していた。


 あまりにも予想外な形で唐突に訪れた決着に、戦場が一瞬で静寂に包まれる。

 ブレンダンの愛牛がその太い首を最後に高々と振り上げると、アペンドール伯爵は驚くほど高く放り上げられ、腕と脚から流れ出た血の尾を引きながら、ゆっくりと雪の上に落ちて行った。


「勝ったぞぉっ!!」

 誰もが静寂に呑まれる中、エルフェニウスが勝利を叫ぶ。

 その瞬間、兵士たちを縛りつけていた、見えない糸が断ち切られ、戦場に音と動きが返ってくる。


「伯爵っ!!」

 側近の一人が駆け寄り、ピクリとも動かないアペンドール伯爵の止血を始める。無駄と知りつつも、何もせずにはいられないのだ。

 アペンドール軍から戦いの気が失われていく。

 裏の裏をかかれ、大将であるアペンドール伯爵も討たれ、完敗であった。


 各所で浮かれ騒ぐ声が上がり始める。それも当然だ。ヴォオスを代表するアペンドール伯爵率いる軍に勝利したのだから。

 牛にいいところをすべて持っていかれたブレンダンとジィズベルトは、何とも言えない表情を浮かべていた。もっとも、ブレンダンの方はいつまでも呆けているわけにもいかず、いまだ興奮冷めやらぬ愛牛をなだめなければならなかった。


 アペンドール軍に抵抗の意志はないようで、馬上で、あるいは踏み荒らされた雪の上でうなだれていた。

 彼らが大義のためではなく、アペンドール伯爵個人のために戦っていたことがよくわかる。

 アペンドール伯爵が持てるすべてを投げうち、勝負に出て敗れた。これ以上の抵抗は、伯爵の覚悟に泥を塗るに等しいからだ。


 誰もが一息つき、緊張をゆるめる。エルフェニウスですら肩の力を抜いたその時――。

 戦場を万を超える矢羽の唸りが埋め尽くした。

 驚愕に目をむき、エルフェニウスが振り向く。

 星空が落ちて来たかのような光景に呑まれ、身動き出来ないでいるその身体に、矢が突き刺さる。

 両肩と左足の計三か所に深手を負ったエルフェニウスを、周囲の兵士たちが身を盾にして守る。その兵士たちも、無傷の者は一人もいなかった。


 勝利に気のゆるんだ瞬間を衝いた奇襲は、ブレンダン・ジィズベルト軍に大混乱をもたらした。

 それに拍車をかけるように、矢の雨に続き、馬蹄の轟きが、闇の中に響き、徐々に近づいて来る。

 <豚の尻尾>はいつの間に囲まれたのか、周囲を反乱軍に完全に包囲されていたのだ。


 激痛に歪むエルフェニウスの視界が、一瞬だけだが、わずかな星明りに照らされて浮かび上がった男の顔を捉えた。本来ならば遠目で確認することは出来ない。だが、エルフェニウスはそれがミヒュールであることを直感的に悟った。


「馬鹿な……」

 エルフェニウスに最も不似合いな言葉が口を衝く。

 何故やつがここにいるのだ……。

 今頃は反乱軍十万を指揮し、王都へ向けて進軍しているはず……。

 激痛に歪む意識の下で、手のひらからこぼれ落ちてしまった勝利を拾い上げようとするかのように、エルフェニウスは意味もなく手を伸ばした――。





「撤退だ! ブレンダン! エルフェニウスを連れて脱出しろ! まだ、死んではいないはずだ!」

 近づく馬蹄の響きに神経をとがらせながら、ジィズベルトが叫んだ。その重い響きが、敵の数が数千ではなく、数万の規模であることを告げていた。

「貴様が連れて行け! 俺では目立ちすぎる! この場を切り抜けられたとしても、その後の追撃をかわしきれん!」

 愛牛の背に戻ったブレンダンが言い返した。本人の言う通り、その威容は、攻めるに際しては圧倒的な存在感を発揮するが、退くには向かなかった。


「……おい。私のことはもうかまうな。あの二人を何としてでもこの戦場から逃がせ。ここで討たせてはならん」

 エルフェニウスは、自分を必死に弓矢の射程から引きずり出そうとしている兵士に命じた。

 一瞬迷いを見せた兵士だったが、窮地に陥って後、互いを守ろうとする三人を見た結果、兵士はエルフェニウスの言葉を無視して走り続けた。

「……おい」

 苦痛に意識が朦朧もうろうとなりつつも、エルフェニウスがさらに言いつのろうとした言葉を、兵士は強張った笑顔で遮った。


「ブレンダン様やジィズベルト様だけではありません。エルフェニウス様もこんなところで死んではいけないお方です。俺たちが時間を稼ぎます。逃げてください」

 一度は混乱し、<豚の尻尾>の細い出口に殺到していた兵士たちだったが、恐怖を押し殺して統率を取り戻し、死守する構えで主たちを待っている。

 霞む視界を何とか凝らし、兵士たちの顔を眺める。名前などもちろんわからない。ブレンダン軍の兵士なのか、ジィズベルト軍の兵士なのかすらもわからない。エルフェニウスにとって、兵士とは戦術を編む際の数字でしかなかったからだ。


 敗れた指揮官を、決死の覚悟で守ろうとしている。

 ミヒュールという男を読み誤り、逆に自分は行動を読まれ、味方を死地へと招き入れてしまった。

 責められるべき愚行だ。

 にもかかわらず、彼らは自分を生かすために、死に挑もうとしている。

 今さらながらに痛感した。自分も一人の人間でしかないということを――。

 支えてくれた人々がいたからこそ、自分はここまで来れたのだと――。 


「負けっぱなしで終わるのは、確かに悔しいな……」

「そうですよ! 軍師様なら、必ずやり返せますよ……」

 兵士は言葉の終わりと共に倒れた。支えられていたエルフェニウスも当然倒れる。その目に、兵士のふくらはぎに深々と突き刺さった矢が飛び込む。

「誰か……」

 兵士が周囲に声を掛けようとしたとき、別の兵士が駆け寄り、エルフェニウスを抱え上げる、


「すまん……」

 駆け寄った兵士が、足を射ぬかれた兵士に詫びる。エルフェニウスを背負うということは、目の前の兵士を見捨てるということだからだ。

「頼んだぞ」

 兵士はそれだけ言うと、剣を杖代わりに立ち上がり、その場で構えた。ここで敵の追手を防ごうというのだ。


 エルフェニウスを肩に担いだ兵士は、自分の身体を盾にしながら走り出す。

 首だけを振り向かせたエルフェニウスが、残る兵士に名を問いかける。

 振り向き、笑みを浮かべた兵士の喉と胸に矢が突き立ち、兵士は答える前に息絶えた。

 口惜しさがのどに詰まり、エルフェニウスは何も言えなくなってしまう。ただ、最後の笑みだけは決して忘れまいと誓う。


かたきをお願いします」

 死んだ兵士に代わって自分を運ぶ兵士が、ぼそりとつぶやく。

 それが気落ちした自分を鼓舞しようとして発せられた不器用な言葉なのだと、今のエルフェニウスには汲み取ることが出来た。

「誓ってそうしよう。お主には手伝ってもらうぞ。だから死ぬな」

「……はい」

 兵士が荒い呼吸の中、少しだけ嬉しそうに答えた。


「ご苦労であった。後は引き受ける」

 駆けつけたブレンダンが、兵士の手からエルフェニウスを受け取る。

 肩を射ぬかれ、力の入らない手で、それでもエルフェニウスは兵士の衣服をつかみ、顔を寄せた。

「我らが脱出後は、抗戦をやめ、投降しろ。死なぬための最大限の努力をしろ。これは軍師としての命令だ」

 エルフェニウスの言葉に、兵士は大きくうなずいた。

 握力のない手が離れると、兵士は踵を返し、最終防衛戦を張る仲間の元へと戻って行く。


「……ブレンダン。今は詫びるまい。後に雪辱を果たしてから詫びさせてくれ。今は何としてでも落ち延びねば、あやつらが犬死で終わってしまう」

 ブレンダンの愛牛の背に乗せられ、うつぶせのままエルフェニウスが言う。

「エルフェニウス、お主、少し変わったな。……おっと、今はそんなことを話している場合ではなかったか。お主の言う通り、部下たちを犬死させるわけにはいかん。何としてでも落ち延びて、お主と共に後日雪辱を果たしてくれるわ」


 愛牛を走らせるブレンダンの隣に、ジィズベルトが馬を寄せて来る。

「……命を惜しむつもりはないが、ここで死なせる兵が、俺は惜しい」

「愚痴か? 珍しいな。互いに過ぎた部下を大勢持った。俺たちに出来ることは、奴らの気持ちに応えることだけだ」

「ああ、そうだな。つまらんことを口にした。許せ」

「気持ちは同じだ。ただ、お主が先に口にしたというだけのことだ」

 二人はそれ以上の言葉は交わさず、<豚の尻尾>の出口である細長い通路を目指して走った。


 通称<豚の尻尾>と呼ばれるこの地は、平坦に見える道を下った先で、道がクルリと円を描き、極端に細い自然洞窟を加工した隧道ずいどうにつながっている。

 一応馬に乗ったまま通り抜けることは可能ではあるが、無理に走らせようとすれば人馬ともに身体中を側壁にぶつけ、大けがを負うことになる。

 どちらも極めつけに大きいブレンダンと愛牛では、乗ったまま移動することは不可能であった。


 やむなく牛から降りたブレンダンに、ジィズベルトが先を急ぐように促したが、力なく挙げられたエルフェニウスの手がさえぎる。

「出口にはおそらく兵が伏せられているはずだ。最悪出口そのものがふさがれているだろう。これらを排除し、突破する必要がある。ジィズベルト、お主が先行し、敵部隊を排除してくれ」

「そこまで手を回しているだろうか?」

「私ならばそうする。仮に兵が伏せられていなければ、ただ脱出すればいいだけのことだ……」

 ここまで言ってエルフェニウスは意識を失った。

 受けた矢傷はどれも深手だ。むしろ、武人でもないエルフェニウスがよくここまで耐えたと言える。


「脱出路の確保を頼んだぞ」

「お主もしんがり任せたぞ」

 二人はそう言うと、どちらからともなく拳を上げ、突き合せて別れた――。









「退いたか。意外だな」

 兵士からの報告を受けたミヒュールがつぶやく。

 戦場はすでに闇に閉ざされていた。わずかにあった星明りも、分厚い雲に遮られている。

 南下を続ける反乱軍からミヒュールが部隊を切り離し、ここヴォオス北東部へと兵を返したのは、貴族連合軍が兵を返したという報告が入った直後であった。


 王国軍が撤退を選んだことで、後続の増援軍と合流し、その上で互いに大兵力を率いての決戦になると考えていたミヒュールに、ライドバッハが問いかけたのだ。

「お前がエルフェニウスの立場であったなら、素直に退くか?」

 この一言で、ミヒュールはエルフェニウスが取るであろう行動を、ほぼ正確に予測した。それはエルフェニウスの思考を読み切ったというよりも、現状で取れるであろう対応で、最善の成果をあげられる行動を考えた場合、出来ることは一つしかなかったからだ。


 予測した瞬間、全身に鳥肌が立った。

 アペンドール伯爵に、遊撃兵力として独立行動を許したのはライドバッハであった。

 いまだになんら軍事的成果を上げていない王国軍が、戦いもせずに後退するに際し、今後まとわりつくであろう負の印象を払しょくするために、アペンドール伯爵を狙って兵を出すのは、兵力の分散による各個撃破の危険性を考えると、かなり大胆ではあるが、成功した時の見返りを考えると十分にあり得ることであった。


 英雄アペンドール伯爵が反乱軍についたという心理的効果を狙って招き入れたと考えていたが、それだけではなかったのだ。

 その影響力から、フローリンゲン城塞のレイナウド将軍が王国軍を裏切り、反乱軍に寝返った。これだけでも十分すぎる働きであり、これにより、事態はより反乱軍側に有利に回り、加速を始めた。

 それは反乱軍にとっては一つの吉報であったが、王国軍にとっては軍の規律にひび割れが生じかねない大事であった。

 反乱軍とはまた別の意志を持って動き回るアペンドール伯爵は、王国軍にとってはその兵力以上の脅威なのだ。


 そのまま放置するわけにはいかない王国軍が、アペンドール伯爵に対し、何らかの対応を取ることは容易に想像出来る。だが、それは現段階で見える状況から推測出来るものであり、アペンドール伯爵を招じ入れる際に予測出来るようなことではない。

 なにより、クロクス派であったレイナウド将軍が、アペンドール伯爵の説得に応じるか否かで、王国軍に対するアペンドール伯爵の驚異の大きさが変わる。

 だが、仮にレイナウド将軍の説得に失敗し、現状王国軍にかかっている東からの圧力がなかったとしても、国内の態度を明確に表してはいない貴族たちを牽制する意味で、アペンドール伯爵は王国軍の標的になった可能性がある。


 ライドバッハはここまでを見越してアペンドール伯爵の考えを受け入れ、行動の自由を与えたのだ。

 

 ミヒュールは二の腕に立った鳥肌を、無意識の内にこすっていた――。


 エルフェニウスはこの敗北を、ミヒュールに対するものと受け止めるかもしれない。だが、軍を動かし、攻め落とされていく各地の城館の位置から最終目的地を<豚の尻尾>と読み、その上でアペンドール軍を囮として、<豚の尻尾>の本来の地形特性を利用した攻撃を仕掛けて勝利したミヒュールは、この勝利を自身のものとは考えられないでいた。

 これはどう考えても、ライドバッハの大きな手のひらの上で巡らされていた計略の内の一つに乗せてもらったに過ぎないからだ。


「アペンドール軍の負傷者の手当てを最優先にしろ。それと、投降した者たちは一か所には集めず、ブレンダン、ジィズベルト両軍の兵士を分けず、あえて混ぜてから少人数に分けて監視しろ。骨のある兵士たちだ。突発的な反抗で、連動して行動させないように注意しろ」

 脱出路を守り、抵抗を続けていた兵士たちが投降したとの報告を受け、ミヒュールは指示を出した。一方的な大勝利に周囲が沸き立つ中、ミヒュールはいつもと変わらない平静さで戦後処理に入っていた。

 周囲の兵士たちが、指揮官の表に出さない不機嫌さを敏感に察し、喜びを抑える姿に気がついたミヒュールは、思わず苦笑いを浮かべた。


 こんなに簡単に部下たちに心情を読まれているようでは、ライドバッハの領域にたどり着くころには、足腰の立たない老人になってしまっているだろう。

 己の未熟さを恥じたミヒュールは、勝利に個人的な感情で水を差した詫びの意味も込めて、寒さを理由に兵士たちに飲酒の許可を出した。

 ミヒュールの予想外の心遣いに、兵士たちから歓声が上がる。


「それにしてもエルフェニウスのやつ、よもやブレンダンとジィズベルトを担ぎ出してくるとはな。顔を合わせれば仲たがいばかりの二人を、よく動かせたものだ。おまけに二人が手を組んで行動するとは思いもよらなんだ……。捕らえられんかもしれんな」

 <豚の尻尾>出口に配した兵数を思い、ミヒュールは独り言ちた。


 アペンドール伯爵を相手取ることを考えれば、両者のどちらかを率いてくることは簡単に予測出来た。この二人でなければ、アペンドール伯爵に対抗することが出来ないからだ。

 だが、まさか二人ともに同じ戦場にいるとは考えていなかった。この二人の軍では全体の統制が取れないとミヒュールは考えていたのだ。

 

 一人でも厄介な男が、二人もそろって脱出路の突破に向かっては、並の兵士が幾人集まろうが、捕らえることは難しいだろう。正直どちらかが戦場に残り、最後まで戦うだろうと考えていた。両者の性格から考えてもその確率は極めて高かったはずだ。

 まさかその二人が、配下の兵士たちを残して、そろって共に撤退するとは予想外だった。どうやら、武人としては名高く、戦場では個人の力を振るっていたが、これまでになかった武将として数の力を振るう苦労が、両者の人格の角を落とし丸くしたようだ。


「エルフェニウスは重傷を負ったようでもあるし、それでよしとするか。王国軍の猛将二人から配下の軍を奪ったことで、その力を大きく削ぐことも出来た。アペンドール伯爵を失ったことは痛手ではあるが、もとよりその力を当てにしていたわけではない」

 配給された酒を口にしたのであろう。歓喜のうめき声が各所で上がる中、ミヒュールは南の空を眺めていた。


「残るは大将軍と宰相閣下のみか……。今一つ張り合いがないな」

 大胆不敵な不満をこぼしたミヒュールは、珍しく酔いたい気分で部下から渡された酒に口をつけたのであった――。

 

  

 

 

  


 


   

 

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