表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・序
20/152

エルフェニウスの策

「つまらん気遣いは無用だ。俺の力が必要なら、いくらでも貸そう」

 巨漢のブレンダンが、太鼓腹をゆらして答える。


 全貴族が集まり、今後の方針を話し合う前に、エルフェニウスがブレンダンの元を訪れ、新たに舞い込んだ情報を伝えたうえで協力を求めたのだ。

 帰ってきた答えは単純明快だった。


「ブレンダン卿の領地には王国軍を派遣して守らせるゆえ、それで納得してもらいたい」

 エルフェニウスが重ねて説明する。

「そんな兵力があるのなら、こっちに回せ。俺の領地には親父がいる。それで十分だ」

 ブレンダンがエルフェニウスの申し出を豪快に笑い飛ばす。

 これに対し、エルフェニウスは首を振った。


「剛毅な性格のブレンダン卿であればそう答えるであろうが、ほとんどの貴族が疑心を持ちながら王国の今後の動静をうかがっている。東部地方でブレンダン卿の領地だけ手薄になれば、フローリンゲン城塞が動いた際、確実に狙われる。疑心に凝り固まった者からすれば、ブレンダン卿の領地を生贄いけにえにさし出したように映るだろう。そうなれば、やむなく反乱軍に与している貴族や、態度を保留している貴族たちが反乱軍側につく可能性が高くなる。ブレンダン卿のためというより、臆病者どもに対する配慮なのだ」


 エルフェニウスの手厳しい言葉に、ブレンダンはニヤリと笑って見せた。見た目通りの武の男ではあるが、けして愚か者ではない。むしろ、そのしたたかさは貴族の中でも群を抜くだろう。貴族社会の中を渡り歩くということは、単純でいることを許さないのだ。


「協力を頼んでおきながら心苦しいのだが、ブレンダン卿には一芝居付き合ってもらいたい」

「何をするつもりだ?」

「ブレンダン卿には今回のフローリンゲン城塞の離反により、領地が脅かされることになる他の東部貴族と共に、領地へと帰還する振りをしてほしいのだ」

「どういうことだ?」

「ブレンダン卿はいかんせん目立ちすぎる。我々は反乱軍の虚を衝き、確かな一撃を加えねばならない。ブレンダン卿が本隊とは別行動をとっていることが知れれば、反乱軍の警戒が厳しくなる。十万の軍勢に、動揺とまでは言わないが、それなりの痛撃を与えるには、敵方に無用な警戒心を抱かせるわけにはいかないのだ」


「普通に動くと情報が漏れると考えているのだな?」

 ブレンダンの言葉は、問いかけの形をとってこそいるが、声の響きは断定的だった。ブレンダン自身も、現在味方陣営にいる貴族たちの離反を疑っているのだ。

「貴族連合軍には、互いに顔を知らない兵士が多過ぎる。密偵を潜り込ませることは容易であり、その隙をあのライドバッハが見過ごすはずがない。各領主方も警戒してはいるだろうが、どこから情報が漏れるかわかったものではない。最低でも偽情報くらいは流しておく必要があるのだ」

 エルフェニウスが、やや遠回りな説明をする。さすがにはっきりと、貴族の誰かが裏切ると言うわけにはいかなかったのだ。


 その辺の事情を察したブレンダンはそれ以上問はなんだ。話題を変えて愛牛に視線をやる。

「あいつを連れて行くわけにはいかんのだろうな……」

 名残り惜しげに友とも呼べる筋骨隆々の雄牛を眺める。

「多少の細工はさせてもらいますが、お連れいただいてかまいません。むしろ、ブレンダン卿の乗馬代わりのあの雄牛は、戦闘の際に反乱軍に与える心理的圧迫という意味では必要不可欠でしょう」

「いいのか? 俺が領地へ帰還せん以上、影武者の偽装のためにもあいつは帰した方がよいのではないか?」


「実は、事あるに備え、ブレンダン卿と雄牛の影武者は、両方出立前から用意していたのだ」

「この事態を読んでいたのか!」

 ブレンダンが驚きの声を上げる。

「読んでいたわけではない。だが、万が一先行したヨアネス将軍が、短期間で撃破された場合を考慮して、打てる手立てを幾通りか用意していたのだ。フローリンゲン城塞の離反は正直想定外であったが、アペンドール伯爵が反乱軍側につき、遊撃勢力として動き出した時点で、こちらも遊撃部隊を用意しておく必要はあったのだ」

「それがおれと言うわけか」

「今一人、ジィズベルト卿もだ」


 ここでブレンダンが反意を示すかと覚悟していたエルフェニウスであったが、ブレンダンは予測していたようで、盛大な鼻息と共に不満を吐き出し、捨て去ってみせた。

「……よいのか?」

 あまりの物分かりの良さに、エルフェニウスが思わずたずねる。


「いまだに鎧すらまとわん連中ばかりだからな。他の連中ではいざというときに逃げ出しかねん。やむを得ん選択だ」

 素直に認めているとは言いたくないらしい。

 エルフェニウスにとっては、二人の意地の張り合いなどどうでもよく、こちらの作戦指揮に支障が出なければそれでかまわない。これ以上の言葉を差し挟んで反感を持たれるのも面倒なので、ただうなずくにとどめた。


「私はこれからジィズベルトのところへ向かう。ブレンダン卿は会議のために大天幕へ向かってくれ」

 ブレンダンの協力を取り付けたエルフェニウスは、会議のための招集を告げると、ブレンダンの元を辞した。

 とにかく時間的余裕がない。状況的不利はいかんともしがたいが、時を置けば置くほど、状況は不利な態勢で安定してしまう。そうなってからでは、いかな一撃を加えようと、事態は容易には動かなくなってしまう。

 エルフェニウスの頭脳は忙しく回転していた。熟考し、最善を選択しているような時間はない。行動しつつ、その中で最良と思われる選択肢をつないでいくしかないのだ。

 エルフェニウスの中で、向かうべき方角。北か、東か。この二択が今迫られていた――。









 貴族連合の各領主が集まっての会議は、荒れ模様から始まったが、それは状況が最悪の形で変化したがゆえの動揺からであった。

 エルフェニウスとコンラットは、騒がせるだけ騒がせた後、撤退と東部貴族の領地への帰還を告げた。本来なら、ここで一荒れあるはずだったのだが、ブレンダンがあっさりと領地への帰還を承諾し、西部地方が略奪に遭う中、一人帰還せずに残ったジィズベルトも積極的にエルフェニウスとコンラットの案を支持したおかげで、面子を気にして騒いでいた面々が、それ以上騒ぐ必要がなくなり、騒ぎはあっさりと収束した。


 ここでエルフェニウスは、貴族連合軍が各個撃破される可能性を説き、不安をあおり立てて撤退の速度を上げさせた。それは秩序立った行動をあえて乱す行為に他ならないのだが、しんがりと称して残したブレンダンとジィズベルトの軍を、貴族連合軍から早々に切り離すためであった。

 進軍時にはいかんともし難かった行軍速度が、飛ぶように上がる。

 エルフェニウスは皮肉な思いと共に、後方のロンドウェイクと合流するため、来た道を引き返し始めた貴族連合軍の後ろ姿を眺めた。


「なんと! 俊足もいいところではないか!」

 思いは同じなのだろう。同様に友軍の後ろ姿を眺めていたブレンダンが、その撤退速度をあげつらう。

「言ってやるな。俺たちとて、エルフェニウス卿の策がなければあの群れ・・の一員だったのだからな」

 皮肉るブレンダンを、ジィズベルトが一応いさめる。ブレンダンに対する反感からではなく、もはや条件反射的に互いに反論しあってしまうらしい。その証拠に、言葉が持つ棘は、ジィズベルトの方が鋭い。撤退する味方の軍を群れ呼ばわりである。大方、羊か山羊でも想像したのであろう。


 三人の元に周辺の偵察に出ていた部隊が戻り、周囲に密偵等がいないことが確認されると、ブレンダンとジィズベルトの両軍合わせて六千の軍勢は、全員騎乗した。

 エルフェニウスが静かな声で檄を飛ばす。

「我らはこれより東へと向かい、途中折れて北へと向かう。アペンドール伯爵を討つ!」

 一瞬の静寂の後、雄たけびがこれに答えた。齢六十を過ぎても、その名は兵士たちに息を呑ませる。その上で、相対することに興奮を覚えずにはいられない。アペンドール伯爵の名前には、いまだにそれだけの力があるのだ。

 

 目標を得たエルフェニウス率いる遊撃部隊は、馬首を東に向け出立した。

 その後ろ姿は、南に向かう貴族連合軍が羊の群れならば、間違いなく獲物を求めて走る肉食獣の群れであった――。









 その日のヴォオスは珍しく雪の舞わない穏やかな日だった。寒さは相変わらずだが、空気が澄み切り、どこまでも景色が見通せた。

 白一色の世界は、重大な食糧危機をもたらしてなお美しい。

 その美しさを、立ち上る無数の黒煙が、悪意を持ってけがしていく。

 黒煙を含めた情景を、眉間に深いしわを刻みながら、アペンドール伯爵は眺めやった。


「あの黒煙が上がっているのは、レーデの方角か?」

 そばに控えている腹心の部下に問いかける。問われた部下は頭の中の地図をさらったのだろう。一呼吸置いて答えた。

「レーデで間違いありません」

「いったい何事か……」

 アペンドール伯爵は、立ち上る黒煙をにらみつけながらつぶやいた。


 今年で六十一歳になるアペンドール伯爵は、上背こそないが、いまだにしゃんと伸びた背筋に、熊のように分厚い上半身と、女性の胴よりも太い下半身をした白髪の騎士だった。

 よく陽に焼けた顔はなめし皮のように黒光りする艶を持ち、傷痕のように深く刻まれたしわが、怒っているようにも、笑っているようにも見える陰影を顔に刻んでいる。


 フローリンゲン城塞を治めるレイナウド将軍を説き伏せたアペンドール伯爵は、その事実を積極的にヴォオス陣営に流すと、フローリンゲン城塞にはとどまらず、次なる目的のために動いていた。

 レイナウド将軍を訪れる際、アペンドール伯爵はわずかな手勢のみを連れ、フローリンゲン城塞を訪れていた。自身の手勢を引きつれてでは、いかに旧知の仲とは言え、レイナウド将軍と話し合いの席を設けることは叶わないからだ。

 今現在は一度別れた配下の軍と合流を果たし、その後のヴォオス軍の動きを探り、攪乱させるべく、ヴォオス東部を経由して南下する計画の途中であった。


 後にしてきたヴォオス北部に不穏な動きが見られる。それも、これ見よがしな感がある。

 人生のほとんどすべてを戦場で過ごしてきたアペンドール伯爵は、戦いの予感を覚えていた。

「兵を返す! 斥候を出せ!」

 突然の転進に、微塵の混乱も見せず、アペンドール伯爵軍は馬首を返すと、その中から斥候に赴くための小部隊が、放たれた猟犬のように前方に散っていった。兵士一人一人の熟練度と、軍組織としての練度の高さがうかがえる。


「食糧を求めた民衆の暴動の可能性はありませんか?」

 側近の一人がたずねる。

「レーデの領主であるマルダインは、早くに食料庫を解放し、兵士だけでなく、領内のほとんどの男を連れて反乱軍に参加しておる。残されたジジィとババァたちに攻め落とされるほど、レーデの留守部隊も弱くはあるまい」

 アペンドール伯爵の軽口に、側近たちが思わず吹き出す。

「いかにもそうですな。ですが、そうなるといよいよきな臭くなってきますな」

「うむ。一戦あるを覚悟しておけ」

 この言葉に、側近たちが今度は表情を引き締める。

「とりあえず、うちの優秀な斥候部隊が帰還するまで待つ。すべてはそれからだ」


 アペンドール伯爵麾下きか五千の騎兵は、反乱軍において唯一行動の自由を許された軍である。その知名度に置いても、ヴォオス軍に与える影響は計り知れない。

 アペンドール伯爵は、自分の名前が持つ力の大きさをよく理解していた。味方の軍にあれば心強く、敵方の軍にあれば、邪魔なことこの上ない存在になる。

 遊撃兵力として単独行動をとっている以上、いずれ排除しようとする動きが出てくることはわかりきっていた。それが今だというのならば、受けて立つまでである。

 前方に罠の匂いを嗅ぎつけつつも、あくまでも前進する。アペンドール伯爵とは、どこまでも狩る側の人間であった――。









「張り合いがないな」

 愛牛ではなく、珍しく馬にまたがっているブレンダンが不満を口にする。普段ならここでジィズベルトの反論が入るのだが、これまた珍しいことに口論は生まれなかった。思いはジィズベルトも同じだったからだ。


 エルフェニウスに率いられたブレンダン・ジィズベルトの両軍は、ヴォオスの北東部に位置するレーデ領の、マルダイン子爵の城館を襲撃し、焼き払った後であった。

 マルダイン子爵の城館は、守る兵も少なく、防御性能そのものが低かったため、城門ではなく、城壁自体をエルフェニウス考案の簡易式投石機により打ち崩され、一気に攻め込まれて陥落していた。


 略奪等は厳しく禁じられていたため、抵抗した兵士以外の死者はなく、城館の焼き討ちは、使用人たちを立ち退かせた後、主要な建物は避け、延焼を配慮したうえで、倉庫などの比較的重要性の低い施設に対してのみ行われた。

 敵対こそしているが、元来同じヴォオス貴族であり、反乱平定後の国内の安定を考え、大きな遺恨を残すようなやり方を避けたのだ。

 ミヒュールはこういった反乱後のヴォオス国の回復を見越した配慮がエルフェニウスには出来ないと考えていたが、貴族同士の軋轢あつれきに関しては、エルフェニウスも気が回るのである。


 何より、真の目的は反乱軍の遊撃戦力であるアペンドール伯爵のおびき出しである。男手の大半が出払っているからの城を攻め落とすなどという小さな功を求めるような小物は、貴族連合軍の精鋭部隊でもあるブレンダン・ジィズベルト軍の中には一人もいなかった。

 レーデ領の城館から黒煙が上がっているという事実さえあればそれでいいのだ。


 圧勝ではあったが、出番などまったくなかったブレンダンとジィズベルトが不満を抱えるのは無理のない話であった。


「この挑戦状とも言える狼煙は、アペンドール伯爵に届いているであろうか?」

「そう願いたいですな。あまり時間をかけ過ぎると、アペンドール伯爵ではなく、反乱軍本隊から部隊が派遣されてくるでしょうから」

 ジィズベルトの問いかけに、エルフェニウスが答える。

「来るなら来ればいい。そいつらも打ち破ってやるだけだ!」

 それに対し、ジィズベルトではなく、ブレンダンが鼻息荒く答える。

「それでもいいだろうが、反乱軍にそれなりの打撃を与えるためにも、アペンドール伯爵に応えていただきたいところだ。本隊から派遣されてくる千騎長を幾人討ち取ったところで、あのご老体一人には到底及ばない」

 エルフェニウスの言葉に、二人は大きくうなずいた。


「次はホーディンでいいのだな?」

 ジィズベルトが確認する。

「ええ、その後はテッセン、フェローと南巻きに移動し、例の場所・・・・へとアペンドール伯爵軍を誘い込む」

「今度はいま少し歯ごたえがあるといいんだがな」

 ブレンダンがニヤリとしながら言う。そこにはカーシュナーのような黒さはない。


「お気持ちはわかるが、アペンドール伯爵と向き合うまで、戦力は温存していただく。アペンドール伯爵の手勢はおそらく五千騎前後。兵力差がない中で、これ以上兵を失っては、狩るつもりの我らが、逆に喉笛を食いちぎられかねん」

「わかっておる。だが、あまり楽に勝て過ぎると、いざというときに兵士がだれるからな。緊張感を保つ意味でも、それなりの実力の敵は必要なのだ」

 ブレンダンの言い分に、エルフェニウスは素直にうなずいて答えた。


「つまらん仕事はさっさとかたずけてしまおう。アペンドール伯爵の気性を考えれば、必ず我らの後を追ってこよう。それからが本番だ」

 ジィズベルトの言葉をきっかけに、一同は馬に拍車を入れ、ホーディンへと向かった。

 ブレンダンがまたがる馬だけが、一拍遅れて重い足取りで後に続いていった――。









 フェローにある小さな村から立ち上る黒煙を、アペンドール伯爵は鼻で笑い飛ばして眺めていた。

 それは村全体を包んだ巨大な炎の蹂躙の跡であったが、この村が、終わらない冬の始めの一年を越えられずに滅んだことを知っていたアペンドール伯爵には、仕置きが必要な子供の火遊びでしかなかった。


 レーデに向かう途中、次々と火の手が上がったため、レーデには向かわず確認のための兵を出し、黒煙を追い続けてきた。フェローの城館も陥落し、火の手を上げていたが、襲撃者たちは立ち去った後であった。移動の痕跡ははっきりと残っているため追跡は可能であったが、アペンドール伯爵はここで一度、襲撃状況を自らの目で確かめることにした。

 調べてみると被害は軽微と言える程度のものであり、襲撃の目的が、略奪ではないことがはっきりとした。

 調べている間に、レーデ、ホーディン、テッセン、に赴かせていた兵士たちが戻り、同様の内容が報告される。


「攪乱が目的のようですな」

 側近の一人が考えを口にする。

「うむ。やっていることは、わしがフローリンゲン城塞を説き伏せたことで東部地方の貴族たちに与えた動揺を、反乱軍に参加した北部地方の貴族に対して直截的にやったというわけだ。おまけに、勝った後で北部貴族たちから根深い恨みを買わんように、加減までしておる」

「勝てると考えて動いているということですか? 戦況の見えない愚か者が、勢いで暴れまわっているのでしょうか?」

 アペンドール伯爵の読みを聞いた別の側近が、顔をしかめてたずねる。しつけの甘いどこぞの貴族の子息が、劣勢の腹いせに好き放題暴れまわっている姿を想像したようだ。ダーンあたりと話の合いそうな兵士である。


「そうであれば、お主が厳しくしつけてやればいいだけの話だ。だが、このあとどこを襲撃するか、それ次第で対応を決めねばなるまい。反乱軍に参加している北部貴族を帰還させるわけにはいかん。何より、わしがこの地域にいて、好き勝手に暴れまわらせていてはアペンドールの名折れだ」

 

 フェローの城館跡でそう口にしたアペンドール伯爵であったが、焼け落ちた廃村の跡を眺めながら、これを自分個人への挑戦と受け止めていた。

 火の手の上がる間隔は、当初感じたとおり、こちらを挑発、誘導目的のものであった。でなければ、この廃村に火を放つ意味がない。

 誰の差し金なのかまではわからないが、この誘いに自分が乗るように動いている意図を感じる。

 仮にアペンドール伯爵がこのヴォオス北東部への襲撃に気がつかなかったとしても、反乱軍本隊へは襲撃を受けた各領地の者が、反乱軍に参加している主の元へ報告を行い、襲撃の事実が反乱軍に届いたはずだ。

 いかに捨て身の覚悟で臨んでいる反乱軍であったとしても、後方をかき回されては落ち着いて進軍は出来ない。ましてや反乱に加担した貴族たちに対しても、見殺しにするような真似は出来ない。

 兵力に余裕がある以上必ず事態に対処するための兵を派遣したであろうし、その兵が、北東部で襲撃を繰り返している部隊に敗れるようなことがあれば、反乱軍の快進撃に影を落とすことになる。


 アペンドール伯爵を釣り出すか、反乱軍から別働隊を引きずり出すか、どちらに転んでも、勝てば・・・王国軍にとっての悪い流れを変えることが出来る。

 アペンドール伯爵は考えた。この図々しいまでの作戦行動を実施している者が何者なのかと。

 大将軍である王弟ロンドウェイクでないのは確かだ。

 兵力を各地からかき集め、集結させるべく動いていた。反乱軍本隊を迂回して、その後方に兵力を送り込み、攪乱させるという作戦は、時期的にいかにも中途半端であった。

 ロンドウェイクがやるのであれば、ヨアネス将軍を進発させる以前に兵を動かしていただろう。そうなれば、被害はもっと早い段階で出ていたはずだ。

 今さらながらにこのような攪乱戦を仕掛けて来たのは、フローリンゲン城塞が反乱軍側につき、東の守りが崩れたからだ。であれば、貴族連合軍の中の誰かが、ロンドウェイクの意向を仰がず独断で動いている可能性が高い。


「これを仕掛けた張本人が大うつけでない限り、目的の本命はこのわしだろう」

 側近たちがうなずく。

「地図を出せ!」

 アペンドール伯爵の言葉に、控えていた従卒が素早くヴォオス北東部の周辺地図を広げる。自身が治める領地の地図すら持っていない領主が大勢いる中、アペンドール伯爵は他の領地の詳細な地図を複数所有していた。ここヴォオス北東部も例外ではない。


 アペンドール伯爵が、地図の一点を指さした。

「そこは……?」

「通称<豚の尻尾ブタのしっぽ>と呼ばれる特殊な地形が存在する場所だ。おそらく襲撃者たちの痕跡はそこへと続いておるはずだ」

「<豚の尻尾>とは、これまた奇妙な地名ですな」

「うむ。正しい地名は忘れたが、豚の尾のようにクルリと渦を巻く奇妙な地形でな。広くなだらかな入り口から真っ直ぐな道が続くかと思えば、急激にすり鉢状に落ち込む広場へと続いておる。そこからの出口が極端に細く、万が一塞がれれば、渦を巻く地形の底に閉じ込められることになる」

「それは……、ゾッとしませんな」

 アペンドール伯爵の説明に、側近の一人が思わず息を呑む。


「我々はどのように動きますか?」

 別の側近が質問する。

「わし等をおびき寄せるつもりの連中は、渦の底の出口を塞ぎ、渦の淵に兵を置いて待ち伏せておるだろう。日暮れ時を狙い、五百騎の兵に偽兵ぎへいを率いさせ、誘いに乗ったと見せかけ<豚の尻尾>に入る。残りの兵は迂回して、敵が兵を伏せている背後を襲撃する」

「夜まで待たなくてもよろしいのですか?」

「こちらが敵の策を見破っていると気づかせたくない。また逃げ回られると厄介だからな。ここで確実に討つ!」

 アペンドール伯爵の言葉に、側近全員が大きくうなずく。

 細かい指示が飛び、アペンドール軍は通称<豚の尻尾>へと動き出した――。









「よもやこのような地形の土地があったとはな」

 <豚の尻尾>へとエルフェニウスによって導かれたジィズベルトが、呆れ半分に感嘆する。

「上手く手を加えたもんだ。知らずにこの地へ足を踏み入れたら、罠を回避することは不可能だ」

 ブレンダンも自身の目で観察した<豚の尻尾>に対しうめきに近い声を上げる。

 二人とも、自身がこの地で罠にかけられた状況を想像したのだ。自分だったらどのように対処し、窮地を脱出するか。逆転の目が見いだせなかった二人は、悔しさのにじんだ感想を口にしたのだ。


「我々はここに・・・兵を伏せる」

 エルフェニウスが二人に指示を出す。

 先程まで仕掛けていた数々の罠を思い浮かべて、ブレンダンがニヤリとする。その手は、先程まで荷車につながれ、老いた雌牛に偽装されていた愛牛の肩に触れている。近づいてみると馬鹿馬鹿しいような偽装なのだが、一際優れた巨体を誇るブレンダンの愛牛は、その自慢の角や体の一部を白く塗られ、並の牛程度の大きさに見えるように偽装されていたのだ。


「こいつには忍耐を強いて来たからな。ここで大暴れさせてやる」

「ブレンダン卿にもこれまでの襲撃では一介の騎士に変装していただいた。名を明かし、愛牛にまたがって大いに暴れてくれ」

 エルフェニウスが珍しくブレンダンをあおる。


 ジィズベルトもそうだが、ブレンダンも国内にその名を轟かす豪勇の武人だ。その勇名を避けて、万が一にもアペンドール軍が誘いを回避しないように、これまでの襲撃では二人には極力前線に出ないでいてもらっていた。当然両家の旗も立てずにいた。それもこれも、すべてはこの<豚の尻尾>でアペンドール伯爵を討つためであった。

 二人の性格を考えれば、ここまでよく我慢し、エルフェニウスの指示に素直に従ってくれたと思う。

 だからこそ、この先の戦いは快くすべてをさらけ出して戦ってもらう。持てる力を普段以上に引き出してもらわなければならないからだ。

 戦術的優位を確保したとしても、それでもアペンドール伯爵の軍は強い。兵数もほぼ同数であると予想される。この先のライドバッハとの戦いを勝利するためには、この二人をここで失うわけにはいかない。小細工と言われようと、より確実に勝つためならば、どんな些細なことでもやらなければならないのだ。


 ここでエルフェニウスは密かに苦笑した。

 己のこれまでの境遇が、常に優位な立場にあり続けていたことを思い知らされたからだ。逆境という言葉はもちろん知っている。その意味もだ。だが、こうして自らが寡兵かへいを持って状況を打開しなくてはならない立場に立って、その重圧が理解出来る。正直現状の三倍以上の兵力が欲しいところなのだ。


 自身が不利な立場に追い込まれて、初めてミヒュールという男の人生の足枷の重さに思いが至る。

 平民出と蔑まれ、何をするにも生まれが評価の足を引く。反論は、それがどれほど道理の通った正論でも、反感を招くことになる。己の力にどれほど自信があっても、前に進もうとする意志を挫く障害が、数珠繋ぎになって人生に横たわっている。

 それでものし上がった。

 あのヨアネス将軍に完勝を治め、今なお反乱軍の指揮を任されている。


 素直にすごい男だと思った。そして、面白いと思った。

 

 ライドバッハ以外、すべての人間がとるに足らない存在に思えていた。共に戦うジィズベルトやブレンダンの実力を評価しないというわけではない。むしろ、武人としての実力を正当に評価しているからこそ、大将軍の許可も得ず、頭を下げてまでこの策に乗ってもらったのだ。だが、視野の、視点の高さが合わないのだ。見据える先も、求める結果もまるで違う。

 今、目の前にいる敵と戦うことが彼らのすべてなら、エルフェニウスの戦いは、遠く離れた場所にいる相手と、はるか先の未来をかけて戦うことなのだ。


 己のすべてを出せる相手はこの世にライドバッハただ一人と思っていたが、そのライドバッハの前に立ちふさがるのがミヒュールならば、相手にとって不足はない。むしろ、全力で対する価値を持つ男がもう一人いたことに感謝したいくらいだ。

 クライツベルヘン家の同期を気にかけたこともあったが、今となってはただの錯覚だった言える。自分らしくもなく、五大家ごたいかの格に惑わされていたようだ。


 アペンドール伯爵を討ち、今、勝ち誇っているであろうミヒュールに、エルフェニウスという存在を突きつけてやる。

 兵の配置が終わり、息を殺してひたすら待つ。

 騒がしい物音をたてながら、待ち望んでいたアペンドール軍が姿を現す。

 エルフェニウスは、目の前を通り・・・・・・過ぎて行く・・・・・アペンドール軍の本隊・・を見送ると、勝利を確信する。そして、アペンドール軍にとどめを刺すことになる持ち場へと向かった――。









 アペンドール伯爵は、昼の終わりと夜の始まりの狭間で、仕掛け時を待っていた。

 敵兵の姿はわずかだが確認出来る。時折士官と思われるものが動きを見せるが、身を潜める兵士たちは微動だにしない。よく訓練されている。


 案山子かかしで作られた偽兵を連れた五百の配下の兵が、<豚の尻尾>へとなだれ込んでいく音が届く。敵の士官に緊張が走る。アペンドール伯爵が送り出した偽兵を本隊と勘違いした敵軍が、その側面に奇襲を掛けようと時を計る。

 アペンドール伯爵は、そのほんの微かの、敵軍の全神経が前方に集中する絶妙の間で突撃を指示した。


 突如背後から沸き上がった怒号に、幾人かの兵士が慌てて逃げ出す。

 アペンドール軍の兵士たちは、一兵も逃さない勢いで、驚きの余り身動き出来ないでいる残りの敵兵に襲い掛かっていった。

 いまだに背中を見せたままの敵兵に、兵士たちの振り上げた剣が迫る。

 その瞬間、アペンドール軍から驚愕の絶叫があがり、次の瞬間には苦痛から来る悲鳴が上がる。

「何事か!」

 アペンドール伯爵の怒声が、深い森の中に響く。


 アペンドール軍は、待ち伏せている敵軍の裏をかき、偽兵で注意を惹きつけておいて、その背後から奇襲を仕掛けたのだ。この策のために、囮役おとりやくの五百騎以外は徒歩で<豚の尻尾>を迂回し、配置についていた。

 突撃を開始し、敵兵を斬りつけると同時に、敵兵もろとも足場が崩れ、アペンドール軍の兵士たちは二メートルほどの高さを落下した。それだけであれば驚愕の叫びだけで済んだであろうが、穴の底には上下を逆さにして埋め込まれた無数のつららがあり、装備の薄い身体の各所を刺し貫かれたのだ。


「落とし穴だと! 馬鹿を言うな! この凍りついた地面を掘り起こせるわけがなかろう!」

 報告を受けた側近の一人が怒声を上げる。

 その隣では、苦虫を噛み潰したような表情のアペンドール伯爵がいる。

「掘ったのではない。連中は雪を盛り上げたのだ……」

 状況を悟ったアペンドール伯爵が、無念のにじんだ声でつぶやいた。


 エルフェニウスは、早くにこの地へと工兵部隊を送り込み、地形に手を加えていた。

 この地はアペンドール伯爵の読み通り、通常であれば円を描くようにして落ち込み、袋小路に近い状態になってしまう地形に誘い込み、身動きが出来なくなった敵に対して攻撃を加えるのがもっとも効果的な戦術だ。

 上方から矢を射かけたり、岩や丸太を転げ落とすなど、混乱と大打撃をもたらす攻撃を仕掛け、その後に崖を一気に駆け下って突撃し、敵を一撃のもとに殲滅することが出来る恐るべき場所であった。

 

 エルフェニウスはアペンドール伯爵がここ<豚の尻尾>の地形的特性を知り、その効果的な活用法を承知している前提で、この地に罠を張っていたのだ。

 アペンドール伯爵の偽兵に対してエルフェニウスも案山子の偽兵を用い、落とし穴の上に設置した。落とし穴は、凍りついた地面を掘り起こすことが不可能であるため、周囲に邪魔くさいほど積もっている雪を盛り上げることで穴を出現させていた。

 底に敷き詰めた無数のつららもそうだが、エルフェニウスはこの大反乱のきっかけとなった終わらない冬を利用したのだ。


 高く積もった雪に慣れてしまった目には、工兵部隊によって徐々に勾配をつけて盛り上げられた雪景色の変化は映らなかったのだ。また、気がついてみれば当たり前のことなのだが、この付近一帯には、ヴォオスの各所で見られる樹木から垂れ下がっている無数のつららが極端に少ないことがわかる。

 罠としては何も特別なものではないが、硬い地面を掘ることは絶対に出来ないと思い込んでいるため、罠にかかったときの動揺は計り知れなかった。


「撤退する! 全軍崖下へ下れ! 退路を確保する!」

 アペンドール伯爵が決断する。不意打ちを受けたにもかかわらず、その判断に迷いはない。

 その判断の正確さを証明するかのように、ジィズベルト軍が、アペンドール軍の斜め後方から、側面に喰らいつくように突撃して来たのだ。


 ここで陣頭に掲げられたジィズベルトの軍旗が威力を発揮する。

 武名高いジィズベルトの存在に、動揺と混乱から抜け切れていなかった兵士たちが浮足立つ。落とし穴に落ちた兵士たちは取り残され、罠を逃れた兵士たちが、雪崩を打って崖下へと下って行く。

 混乱を聞きつけた囮役の兵士たちが、馬を引きつれて引き返してくると、崖を下った兵士たちが、馬の奪い合いを始める。

 そこに現れたのが、アペンドール軍の後方から慎重に行軍して来たブレンダン軍であった。当然その先頭には、巨大な雄牛にまたがったブレンダンの姿がある。


 怒号と共に突撃を開始したブレンダン軍に呑まれ、始めに崖下へとたどり着いた兵士たちが、馬蹄に踏みしだかれ、ただの肉の塊へと姿を変えた。

 一人の兵士がブレンダンの愛牛の角にかけられ、ボロ布のようにぶら下がる。

 その光景に恐れをなした兵士たちが、味方が駆け下ってきているにもかかわらず、崖を再び駆け上がろうとして大混乱を引き起こした。


「何たることか。地形の強力な特性に気を引かれ、敵の罠に気づかぬとは……」

 崖下の混乱を目にし、アペンドール伯爵が言葉を呑む。だが、呆けていたのは一瞬で、崖下のブレンダン軍をにらみつけると、いまだに頑健そのものの肉体を躍らせ、崖下へと駆け下って行った。

 混乱し駆け上がってくる兵士を踏み台にすると、アペンドール伯爵は驚くほど高く舞い上がり、ブレンダン軍の騎兵の一人に躍りかかった。

 虚を衝かれた兵士は手にしていた剣を振るうことすら出来ないまま一刀で斬り捨てられ、馬上から蹴り落とされる。そして、鞍を空にした馬の背に、そのままアペンドール伯爵が飛び乗る。


「太鼓腹の分際で、ずいぶんと小賢しい真似をしてくれたな!」

 奪った馬の馬首をブレンダンに向けると、アペンドール伯爵は大喝した。

 そのまま馬に拍車を入れると一気にブレンダンに迫る。

 ブレンダン配下の騎士がアペンドール伯爵を阻もうと、その進路に馬を入れる。

「さがれ! ご老体直々の御指名だ!」

 言うが早いか、ブレンダンも牛首を返し、突撃を開始する。

 進路に馬を入れた騎士が慌てて退く。


「でかくなったなブレンダン! そのような腹で腰にさした剣に手が届くのか?」

「ご老体こそ、この寒気の中に出てくるなど、ボケの始まりとしか考えられませんぞ!」

 それぞれが悪態の応酬をする。殺し合いの最中、どちらも興奮し、雄敵と渡り合うことに喜びを弾けさせていた。


 距離が詰まり、すれ違う。  

 

 日が陰り、夜に呑み込まれつつある中、星が生まれたかのように鮮やかな火花が散り、刃と刃が打ち合わされた音が響く。

 両者ともに痺れる手をきつく握りしめ、剣を落とさないよう必死に努める。

 馬首を返すアペンドール伯爵に対し、ブレンダンは半瞬遅れる。力では圧倒的に優るブレンダンの愛牛であるが、機動力ではさすがに馬の方が勝る。

 体勢が整いきらない内に強烈な斬撃をもらい、ブレンダンが牛上で大きく体勢を崩す。

 そこに、アペンドール伯爵同様馬を奪った側近が近づき、背後からとどめの一撃を見舞う。だが、振り下ろしかけた剣は軌道の変更を強いられ、自身を斬りつけようとした強烈な一太刀を受けることになった。


 ブレンダンの窮地を救ったのは、アペンドール軍を崖上から追い落としたジィズベルトであった。こちらはさすがにブレンダンの部下から馬を奪うわけにもいかず、味方同士で馬の取り合いをしていたアペンドール兵から奪い取った馬にまたがっている。


「交代だ!」

 言うが早いか、ブレンダンの返事など待たずに、ジィズベルトがアペンドール伯爵に突進する。

「ジィズベルトか! 青二才どもが吠えるな! 二人まとめてかかってこい!」

 こちらも馬を返したアペンドール伯爵が、馬上に身を沈めて突進する。

 交差する瞬間、アペンドール伯爵は剣を槍のように突き出し、剣を振り上げたジィズベルトの脇を狙って繰り出した。

 強烈な突きが決まるかに見えたが、ジィズベルトは柔らかい身体を器用にくねらせ、必殺の一撃をかわして見せた。そして、すかさずアペンドール伯爵の頭上に剣を振り下ろす。だが、突きをかわすために一瞬腕の動きが止まったことで剣速が落ち、わずかに間に合わず、すり抜けられてしまう。


 口では若造と侮っているが、剣を交えた両雄の実力に、アペンドール伯爵は背中に冷たい汗を感じていた。それでいて、久しくなかった雄敵との出会いに、ひどく興奮する。

 アペンドール伯爵は、馬を寄せてきた側近にわずかな言葉と身振りで指示を出すと、並び立つ二人の雄敵に向かい合った。

 その手には、いつの間に拾い上げたのか、剣の他に槍も握られている。言葉通り、本気で二人を相手取るつもりらしい。


 指示を受けた側近たちは混乱している兵士たちの中に散り、急速に兵をまとめ上げていく。そして渦巻く地形の底へ向かって移動を始めた。

 袋小路に飛び込むことになるが、混乱状態のまま退路確保のためにこの場に留まり続けると、各個撃破され、戦いそのものが終わってしまう。ここは一度兵力を集結し、数の力で形勢の逆転に挑まなければならないのだ。


 結果的に、この戦場で最年長者であるアペンドール伯爵が、自軍のしんがりを務める形となった。しかも、これを追撃するのがジィズベルトとブレンダンという、国内屈指の実力者が同時に二人である。

 混乱し、バラバラに動いている兵士たちをまとめようとしている側近たちが、ときおり気遣わしげな視線を投げているが、加勢に加わろうとはしない。

 心配よりも信頼が勝っている証拠だ。


「どうした。二人掛かりでかまわんと言っておろう。さっさとかかってこい。わしの首を取る絶好の機会だぞ」

 両足のみで巧みに馬を操りつつ、アペンドール伯爵が二人を挑発する。

 挑発された二人は、ここに来てついに、それまでの大人な態度が崩れ去り、王宮で角突き合わせていた状態へと逆戻りする。

「ブレンダン。お主はアペンドール軍の追撃に向かえ。ここは俺が引き受ける」

「何を言うか! 始めに剣を合わせたのはこの俺だ! 後から来て差し出がましい口を利くな!」

「貴様こそ何を言うか! 騎兵を率いて敵兵を殲滅するのが貴様の役目であろう! 俺は敵軍を森から追い落とすという自分の役目は果たした! 貴様は自分の役割を果たしてこい!」

「そのために俺がアペンドール伯爵を討つと言っているのだ! 貴様こそ役目を果たしたというのなら、さがって茶でも飲んでおれ!」


 二人が言い合いを続けている間も、アペンドール軍は統制を取り戻し始め、徐々に組織立った反撃を開始し始めた。

「まだまだ青いな」

 自分という獲物を前にして争う二人の青年貴族を眺めながら、アペンドール伯爵は独り言ちた。思わず笑みがこぼれる。

 それは決して、若い二人の愚考を笑ったわけではなく、若き日の自分と、前大将軍であるゴドフリートの姿を思い浮かべたからであった。


 アペンドール伯爵は馬を返すと、統制を取り戻した自軍の兵に続いた。

 後方でそのことに気がついた二人が、

「逃げるとは卑怯だぞ!」

「戻って戦われよ!」

 などと言って騒いでいる声が聞こえる。


「うぬらの相手ならいつでもしてやる! 二対一が嫌なら、どちらが先にわしに斬られるかさっさと決めて来い!」

 アペンドール伯爵が、風に乗せて二人への挑発の言葉を送る。

 まとまりを取り戻したアペンドール軍は、ブレンダン軍を蹴散らして、一気に<豚の尻尾>の底へと駆け下って行った。

 後ろでは、ジィズベルトとブレンダンが、また新たな罵り合いを始めている。


「武人としては名高いが、まだ兵を率いる器ではないようだな」

 アペンドール伯爵はつぶやきつつ、自分も、ゴドフリートも、王宮を離れるのが早過ぎたと後悔していた。自分が残っていれば、ゴドフリートも嫌気がさして大将軍職を放り出し、王宮を離れることはなかっただろう。

 後進に道を譲ろうなどと柄にもないことを考えたばかりに、国の腐敗を速めてしまった。

 自分が軍にいれば、後方で罵り合いを続けている血の気の多すぎる二人も、一人前の武将に育てていただろう。どちらも我の強すぎるところさえ抑えることが出来れば、良い将になる。

 もっとも、ここで自分に斬られればそれまでだ。


「下りきったら即座に円を描いて隊列を返せ! ブレンダンとジィズベルトの軍を迎え撃つ!」

 軍後方から大声で指示を送る。即座に各部隊の大声自慢たちが、前方へと指示を伝言していく。

 虚を衝かれ、統率を乱しはしたが、それでもまとまりを取り戻してからは全体が一つの生き物のように連動している。


 アペンドール軍は<豚の尻尾>の底へたどり着くと、よどみなく反転、密集隊形を組み、万全の態勢でブレンダンとジィズベルトの部隊を持った。強風があったようで周囲を囲む崖の、アペンドール軍の背後に当たる個所は雪だまりとなり、雪の急勾配の壁が出来上がっている。

 アペンドール軍は先程の罠にかかり、全軍五千騎の内、千騎以上を失った。全体の二割以上を失う大打撃であったが、敵方もそれほどの兵力ではない。士気の高さを考えれば、形勢を逆転させることは十分可能であった。


「敵は兵を二分し、我らを挟撃してきました。背後と側面から挟撃され、あのまま留まっていたら全滅の可能性もありましたが、こうなれば我らのもの。敵の総兵力は約四千から五千。こちらとほぼ同数です。いかに勇名名高いブレンダンとジィズベルトに率いられようと、我らの統率力の前では新兵の集まり同然。蹴散らしてくれましょう!」

 アペンドール軍の武将の一人が威勢よく吼える。ブレンダンやジィズベルトとは同世代なのだろう。対抗意識を燃やしていることがよくわかる。アペンドール軍の中では一番の剛勇の士で、アペンドール伯爵も目をかけてきた。


(十回戦えば、三回は勝てるといったところか?)


 口には出さないが、それがアペンドール伯爵の、配下の武将に対する評価だった。

 その三回が、始めの一回に来ればいいが、おそらく討たれるだろう。あの若造二人は、やはり自分が相手取らなければならない。


 若い武将の言葉に、周囲が同意の声を上げていると、わずかに周囲を照らし出している昼の最後の光を受けながら、異様に大きく見える雄牛にまたがったブレンダンと、その隣で馬を進めるジィズベルトが姿を現した。

 森の中を背後から襲撃して来たジィズベルト軍も全員馬上にある。軍容を整えてから追撃してきたようだ。もしブレンダンがあのまま勢いに任せて追撃をかけていたら、瞬く間に統制を取り戻し、数的優位にあったアペンドール軍によって包囲殲滅されていただろう。


 両軍合わせて一万弱がぶつかるにはいささか手狭な<豚の尻尾>の底で、両軍は正面から向き合った。若干下り勾配にあるブレンダンとジィズベルトの両軍の方が有利ではあるが、どうやらいまだに言い争っているらしい二人の貴族の声に、アペンドール軍の中に余裕が生まれる。

 意思統一の欠けた軍など、個々の技量がどれほど優れていようと、恐れるには足らない。この瞬間、兵士たちは勝利を確信し、アペンドール伯爵自身は、自分の人を見る目も曇ったものだと嘆いた。


 失望と苛立ちを乗せた腕が、それを放り投げるかのように荒々しく振り上げられる。

 アペンドール軍のすべての意識が突撃へと集中し、伯爵の腕が振り下ろされるのを待つ。

「馬鹿どもに、真のいくさというものを教えてやれ! 全軍、と……」


 バサアァァァッ!!


 その時、アペンドール軍の背後で、無数の戦旗がひるがえるかのような音が響いた。

 風はない。

 不吉な思いに糸で引かれるかのように、アペンドール伯爵は振り向いた。

 雪だまりの壁とばかり思っていた場所に無数の穴が空き、弓を手にした兵士が二千人現れていた。

「なあっ!!」

 言葉にならない叫びをあげたまま、アペンドール伯爵の顎が凍りつく。


 エルフェニウスは巨大な雪だまりの壁を加工し、弓兵を伏せる足場を作り上げたのだ。兵の一人一人が穴に隠れ、その口を白布で覆う。あとは勝手に舞い落ちてくる雪がその表面を覆い隠し、何の違和感もない雪壁が出来上がったのだ。


 アペンドール伯爵が振り上げたまま固まってしまった腕の代わりに、エルフェニウスの腕が上がり、振り下ろされる。そして、<豚の尻尾>にエルフェニウスの鋭い声が響き渡った。


「放てっ!!」


 号令と共に、引き絞られていた弓から、無数の矢が雨となってアペンドール軍の上に降り注ぐ。

 無防備に向けられていた背中に次々と矢が突き立ち、死が量産されていく。


「全軍、突撃!!」


 いつの間にか終わっていた言い争いに代わり、声を合わせたブレンダンとジィズベルトの号令が轟く。先程までの不協和音など微塵もない。アペンドール軍の注意が、エルフェニウスたちが伏せていた背後の雪だまりに向かないようにするための演技だったのだ。半分は――。

 背後から矢の雨を受けているアペンドール軍に、ブレンダン、ジィズベルト両軍合わせて四千の騎兵が襲い掛かる。


 アペンドール軍対ブレンダン・ジィズベルト軍の戦いが、終幕へ向けて急速に動き出した――。 




 


 

  

9/3 誤字脱字等修正

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ