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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・序
2/152

大会議

 大陸屈指の栄華を誇るヴォオス国の王都ベルフィスト。

 大陸の動脈とも呼べる四本の主要隊商路が唯一交差する大陸の心臓機能を担う都市である。

 富とともに多くの人種が集まり、その文化水準は大陸最高峰であった。これが他国の都市であれば諸民族の文化が溶け合い新たな文化を生み出したかもしれないが、王都ベルファストでは異文化交流が生み出す新たな可能性よりも、文化の違いによる軋轢や衝突を嫌い、生活圏を明確に分け、各国家及び宗教などによって隔てられていた。

 代わりに広大は規模を誇る商業区域が設けられ、一切の宗教、習慣の持ち込みが禁止され、ヴォオス文化に統一されている。この区域では使用される通貨までがヴォオス貨幣に統一されており、商業区域の各所に換金施設が設けられている。大量の貨幣が納められているため、どの換金施設も治安兵の詰所と併設されていた。


 王都における王城の位置は、当然中心に位置している。

 その周辺区域はヴォオス国の有力貴族の屋敷に囲まれ、この地に初めて王都が築かれた際に設けられた城壁が、今では第一城壁と呼ばれ、その内側は絶対不可侵の領域となっている。

 発展とともに拡大していった王都ベルフィストは、第一城壁の外側をヴォオス国の平均的な貴族の邸宅と、近隣諸国の大使館、豪商の屋敷などに囲まれている。貴族階級にない人々にとっては、この区域に住むことが人生の最高到達点と考えられていた。


 この区域が第二城壁によって囲まれ、その外側に第三城壁に囲まれた商業区域が広がり、そのさらに外側に、第四城壁によって囲まれた多種多様な人々を区分けした居住区域が広がっている。

 ここまでが王都ベルフィストの一般的な範囲となり、その外側には城壁に守られることのない貧困層の住民たちのあばら家が無秩序に広がっている。

 もしこの先第五城壁の建設と都市の再整備が計画された場合、これらの人々の生活は容赦なく踏みつぶされて更地にされることだろう。それは特別なことではなく、過去に何度も繰り返されてきた仕打ちの一つに過ぎない。

 大陸屈指の栄華を誇る王都ベルフィストの輝きは、今日も変わることなく城壁の内側でのみ輝いていた――。







「陛下は体調が優れぬということで、こちらにはお運びにはならぬそうだ」

 肩まで伸ばした癖のある黒髪を持つ壮年の偉丈夫が、その場に集まった人々に告げる。狭い額に高くとがった鼻を持ち、細く鋭い目は切れ上がっている。口髭と顎髭あごひげは品よく整えられ、ヴォオス人の特徴の見本のような顔立ちをしている。知性をたたえた黒曜石のような瞳と、武人として鍛え上げれた全身から、自身の能力に裏打ちされた覇気がにじみ出している。


 現ヴォオス国王バールリウスの実弟にして、ヴォオス軍の大将軍でもあるロンドウェイクその人であった。


 ロンドウェイクの言葉に、誰も言葉や態度に表しこそしなかったが、国王に対して呆れかえった気配を漂わせる。

「陛下をわずらわせるようなことでもあるまい。ここに集った我らだけで十分に対処できよう。陛下には事がすべて収束してからご報告申し上げればよい」

 場の空気を察して、卵形の禿頭をした小柄な男がとりなすように発言する。後頭部に残ったわずかな白髪がきれいに整えられているのは、頭髪に対する未練なのかもしれない。

 恰幅の良い体形を、大将軍であり、王弟でもあるロンドウェイクの隣の椅子に沈めている。


 ヴォオス国宰相クロクスである。


 言動こそロンドウェイクに配慮したものとなっているが、その眼光は自身こそがヴォオス最高の権力者であることを雄弁に語っている。

 それを快く思ってはいなくても、表に出すわけにはいかないロンドウェイクは、道化人形のようにクロクスの御膳立てに乗って踊るしかなかった。

 ヴォオス国軍の頂点である大将軍の地位についてこそいるが、クロクスの財力で軍組織は割られ、腐敗してしまっている。兄である国王バールリウスを抑えられている現状では、仮にクロクスと事を構えたとしても、ロンドウェイクが真に掌握可能な兵力は、クロクスが動員可能な兵力の五分の一がいいところである。たとえ王族であろうと、思うままにはふるまえないのだ。


「早々に王都に駆けつけていただいた諸侯の方々はお待たせして申し訳なかったが、ヴォオス五大家ごたいかが一家、クライツベルヘン家が、今回の反乱に対して出兵を決断してくださった。そして昨夜、クライツベルヘン家の御子息が到着された。ヴォオス貴族の主だった代表がそろったので、謀反人ライドバッハとその一党の対策会議を開きたいと思う」

 クロクスがよく通る声で告げる。その言葉に合わせてロンドウェイクの右隣、貴族席の最上位席に坐していた細身の青年が立ち上がって一礼する。クライツベルヘン家の子息だ。


 クライツベルヘン家の参戦を知らされていなかった貴族たちが驚きの声を上げる。

 五大家はヴォオス貴族にあって特殊な存在であった。その一つが勅命の拒否権である。他国では考えられないことなのだが、ヴォオスではそれがあるのだ。

 その代わりというわけではないが、国政への干渉を避け、五大家の力が突出せず、均衡を保つように政治的配慮がなされている。

 建国王ウィレアム一世の、


「王家に乱れある時、五大家がその力を持って正せ」


 という、厳格な考えから五大家に与えられた特権は、国内に五つの別国家が存在しているに等しい状況を作りあげている。

 現に勅命で王都に駆けつけた貴族の中に、クライツベルヘン家以外の五大家の姿はない。


 ざわつく場の空気を、クロクスが咳払い一つで静める。

 どうやら会議の進行はクロクスが行い、要所をロンドウェイクが締めるようだ。そうすればロンドウェイクの面目は大いに立つし、実質上の最高権力者であるクロクスの言葉に歯向かう者はいないので、会議が無駄に長引くこともない。ヴォオスの最高権力者は、国庫が小さく見えるほどの個人資産を後ろ盾としているだけではなく、細かいことにまで目端の利く実利の人なのだ。


「まずはこれまでの経緯と、今現在までに打った対応の説明をさせていただく。コンラット将軍報告を」

 クロクスの言葉に、壁際で控えていた将校の一人が進み出る。

 王宮の会議の間にある長大な長机に今回席を設けられたのは、勅命に応えて私兵を率いて集った各地の有力貴族のみであった。コンラット将軍も貴族階級に属するのだが、席を許されたのがそれぞれ領地を所有する大貴族のみであるため、下級貴族の出であるコンラット将軍は王国軍将校として会議に参加していた。


「現在謀反人であるライドバッハは、各地の反乱勢力およびライドバッハの呼びかけに呼応した北部地方の各貴族の兵を取り込みながらマウラガンの野より南下中であります。

 その兵力は当初反乱鎮圧の名目で王都を出立した兵三万を中核とし、吸収した暴徒、反乱に加担した貴族の兵と合わせ、総数十万を超える勢力となっております」


「じゅ、十万……!!」


 コンラット将軍の報告に、驚きの言葉が漏れる。

「北部地方において、現在ライドバッハに呼応しなかった貴族は中立の立場を保証される代わりに糧食および物資の提供を行っていることが確認されております」

「それはもはや反乱に加担していることと何も変わらんではないか!!」

 高齢な一人の貴族が声を荒げる。歳を重ねるということが、熟慮ではなく短慮に直結した悪い例だ。

「ライドバッハの名声が大きく影響しているようで、これまでライドバッハの率いる軍勢に対し、戦端を開いた貴族はおりません」


「臆病者どもが!」

 長机の中ほどに座していた巨漢の貴族が吠える。上質な絹服に身を包んだ者がほとんどの中、数少ない軍装で会議に出席している。戦意に満ちた眼光は、他の貴族との意識の高さの違いを如実に表していた。


「吠えるな、ブレンダン」

 太鼓腹が大きく突き出た巨漢のブレンダンとは対照的な、均整の取れた身体つきの貴族がたしなめる。こちらもブレンダン同様軍装である。


「でかい声は生まれつきだ! つまらんことで口をはさむなジィズベルト!」

 先ほどを上回る大声で言い返されたジィズベルトが、やれやれと言わんばかりに肩をすくめる。

「場をわきまえろと言っているのだ。王弟殿下の御前であることを忘れるな。俺とて戦いもせずにライドバッハに跪くような連中など感心せんわ!」

 ジィズベルトが自分と同等の怒りを感じていることに気がついたブレンダンはいら立ちを静め、ロンドウェイクに非礼を詫びた。


「東西の若き勇者のお二人にかかっては、大概の者は臆病者の範疇に収められてしまうでしょう」

 場を和ますように、ロンドウェイク、クロクスに次ぐ高位の席に座している若者が発言する。先ほど軽く紹介されたクライツベルヘン家の若者だ。

 この会議に出席している者の中では最年少だろう。目じりの下がった細目は空いているのか閉じているのかわからないくらいに細く、一見すると細身の身体は貧弱にも見えるが、ブレンダン、ジィズベルト同様軍装に身を包んでいるところを見ると、ただの惰弱な御曹司ではないようだ。


「ヴォオス北部地方には、お二人に並ぶほどの武名を持つ騎士は、残念ながらおりません。ライドバッハ先生の前では道を開くしかすべはないでしょう」

「先生?」

 若者の言葉をロンドウェイクが聞きとがめる。

「これは失言でした。王立学院在籍時に師事していましたので、昔の習いでつい口がすべりました」

「ほう。ライドバッハがわずかな期間ではあるが王立学院で教鞭をとっていたことは聞いていたが、その時に学院に在籍していたのか。……今さらだが、お主名は何と申したかな? 当主のヴァウレルが床にふせっていることは聞き知っておるが、お主はどう見ても嫡男のアインノルトではあるまい。ヴァールーフなのか? とても三十を過ぎておるようには見えぬが……」

 クライツベルヘン家の現当主ヴァウレルには、四人の子があり、全員男子である。第一子がアインノルト、その弟がヴァールーフであることまでは記憶していたが、さすがのロンドウェイクも国中の貴族の子弟の名前をすべて把握することはできない。たとえ五大家の者とはいえ、記憶から漏れる者も出てくるのだ。


「ご挨拶が遅くなり申し訳ありませんでした。昨夜は明け方近くに王都へ到着したものですので、殿下へのご挨拶は遠慮させていただきましたので、名乗れぬままになっておりました。

 私はクライツベルヘン家当主ヴァウレルが末子、カーシュナーと申します。後妻である母との間に生まれましたので兄たちとは大きく歳が離れておりまして、今年二十二になりました。若輩者ではありますが、どうかお見知りおきいただければ幸いです」


 言葉の最後はロンドウェイクだけでなく、その場にいるすべての者に対しての挨拶になった。

 カーシュナーの言葉にロンドウェイクは鷹揚にうなずいたが、表情からは不審の色がうかがえた。

 疑問を正そうとロンドウェイクが口を開きかけると、クロクスがそれを視線で制する。


「少し話題が逸れてしまいましたな。コンラット将軍。報告を続けてくれたまえ」

 自分よりも上位に位置する人々の会話に口を挟まぬように報告を控えていたコンラットが、クロクスの言葉にうなずくと報告を再開する。

「現在レダム砦に向け、ヨアネス将軍麾下歩兵二万五千、騎兵一万、総勢三万五千の兵が進軍中です。後発の増援部隊は現在編成中であり、準備が整い次第私がこれを率いる予定となっております」


「ずいぶんと後手に回っておるように感じるのだが……」

 コンラットの報告を受け、貴族の一人が発言する。ライドバッハが反旗をひるがえしてから二週間以上の時間が経過している。にもかかわらず、いまだにまともな防衛線が築けていない。貴族の発言は、現状を鑑みればやさしいとすら言える表現だった。


「申し開きのしようもございません。情けない話ではありますが、武官、文官にかかわらず、王宮内にはいまだに多くのライドバッハの支持者が潜んでおり、伝達系統が攪乱され、指示が末端までまともに行き渡らないような状況になっているのです」

「あぶり出すことは出来んのか?」

「摘発の努力はしておりますが、始めに大きな混乱があり、以降はその混乱が元の不始末なのか、故意に指示伝達が改竄かいざんされたのか、あるいは伝達そのものが握りつぶされたのか、区別がつかないような有り様になっております」

 コンラットが額に大汗をかきながら説明をする。自身が混乱への調査対応をしているわけではないので、歯切れのいい回答ができないのだ。


「エルフェニウス。お前はこの混乱をどう考える?」

 序列が明確な貴族席において、五大家に次ぐ席に座した貴族が、壁際に控えていた若者に問いかける。

 問われた若者はまずコンラットに視線で確認を求め、小さなうなずきを合図に前へと進み出た。暗がりに立っていたのでわからなかったが、その面立ちは問いかけた貴族によく似ている。

「ん? この者は確か、ご子息でしたかな、アルスメール卿?」

 クロクスが確認する。

「ええ、愚息がお世話になっております」

 アルスメール卿が軽く頭を下げる。言葉こそ謙遜しているが、表情は息子を自慢したくて仕方がないと主張していた。


 その主張に乗るように、カーシュナーが言葉をはさむ。

「愚息などとお人が悪い。エルフェニウス卿は王立学院の歴史上類を見ない成績で卒業された正真正銘の天才ではありませんか。エルフェニウス卿は私を含めた同期の誇りです」

「いや、これは、なんとも。カーシュナー殿は息子と同期でしたか。そのように仰っていただき、息子に代わってお礼申し上げる」

「礼を言われるようなことではありません。私はただ事実を申し上げただけです。せんせ、……失礼。ライドバッハがヴォオス史上最高の天才ならば、それを超えられるのはエルフェニウス卿以外にはいないと、当時からうわさされていましたからね」

「カーシュナー卿」

 エルフェニウスが言外に釘を刺してくる。カーシュナーの言葉に父親であるアルスメールは上機嫌だが、それ以外の出席者たちが呆れているのは火を見るよりも明らかだ。ブレンダンやジィズベルトに至っては、カーシュナーに対してあからさまな嫌悪の表情を浮かべている。おべっか使いと思い見下しているのだろう。

「失礼。いささかしゃべり過ぎたようですね」

 場の空気を察したカーシュナーが素直に頭を下げる。悪意があってのことではないので、エルフェニウスも軽く頭を下げて返した。


「改めまして、ヴォオス軍軍師第二席、エルフェニウスと申します。発言の機会をいただきましたので、私見を述べさせていただこうと思います」


 ヴォオスは広い国土を四つの国と一つの魔境に接している。四本の大陸隊商路の唯一の交点でもあり、豊かな国土と交易がもたらす富を目当てに幾度となく他国の侵略を受けてきた。だが、強力な軍と、有事の際には異様な結束力を見せるヴォオスの国民性もあり、数々の侵略を阻んできた。軍事力の増強は必要不可欠であり、王立学院は主に軍将校を育成する目的で運営されている。

 その王立学院を異例の成績で卒業したエルフェニウスは、家名も手伝ったであろうが、その非凡な才能で、軍内部の階級を一気に駆け上がり、ヴォオス史上最高の天才と称されるライドバッハに次ぐ軍師第二席の地位にあった。ライドバッハが反旗をひるがえして王国軍から去った今、エルフェニウスはヴォオス軍の頭脳ともいえる存在となっていた。


「今回の情報伝達の混乱は、ライドバッハの支持者により個別に引き起こされたものではなく、おそらくは何年も前から計画され、練られてきた組織的な情報工作と考えています」

「そんなことがあり得るのか? 今回の反乱のおおもとは、この二年におよぶ異常寒波による凶作が原因だ。天候など誰にも予測出来まい。それに備えていたというのか?」

 ロンドウェイクが懐疑的な表情でたずねる。


「備えは何も異常気象に限定する必要はありません。他国による大侵攻でも、伝染病の発生でも何でもよかったのです。ライドバッハが求めていたのは大きな混乱だったのですから」

「その隙に反乱を起こすつもりで準備していたというのか? そんな様子は確認出来なんだがな」

 ロンドウェイク同様クロクスも今一つ納得できないと言いたげに首をひねる。


「その場の思いつきで反乱を企てるなど、ライドバッハに関してはあり得ないと断言します。明確な勝算あってのことでしょう」

 エルフェニウスの言葉に、ロンドウェイクはうなずくと、カーシュナーに意見を求めた。

「そなたもかつてライドバッハに師事した者としてどう思う?」

「あの方の考えは、すべてが終わった後に説明されても理解しきれないことがあるほど奥深いものです。むしろ無計画に行動したと証明するほうがはるかに困難でしょう」

「確かに」

 カーシュナーの言葉に、エルフェニウスがうなずく。


「では、すべては入念に準備されていたということなのか?」

 クロクスの問いかけに、カーシュナーとエルフェニウスは同時にうなずいた。

「百の可能性があったならば、百通りの準備をするのがライドバッハという男です。九十九が無駄になることなど一顧だにしません」

「それどころか百すべてが無駄になったとしても、気にも留めないでしょう」

 示し合わせたかのように、その場に出席していた人々の間から、一斉にうめき声が漏れる。

 思考よりも行動の人であるブレンダンとジィズベルトの二人だけが、うめき声の大合唱には加わらず、退屈そうに聞き流していた。


「ならばこの混乱を鎮める手立てはないと言うのか?」

 ロンドウェイクが渋面でたずねる。

「いえ、混乱の原因は伝達の際の情報操作ですから、間に入る人間を制限すべきなのです。確実に信頼のおける者を直接現場に赴かせ、混乱が生じた際の責任を誰がとるのかを明確にします。その上で現場に混乱が生じた際は作業にあたった者すべてを厳罰に処すとすれば、それだけで現場に疑心が生まれます。疑いの目は混乱を引き起こそうと潜伏しているライドバッハの手の者の動きをけん制することになり、結果混乱の抑止力となります」


「厳罰を盾にしては不満に思う者が出てくるのではないか? 潜在的な敵を増やすことになっては意味がないぞ」

 ロンドウェイクの指摘に、エルフェニウスは大きくうなずいた。

「殿下のおっしゃる通り、処罰するだけでは逆効果になるでしょう。鞭を持つのならば、もう片方の手には飴を持てばいいのです」

「際立った働きを示した者には褒美を与えるということか?」

 飴と鞭の使い分けの達人であるクロクスが、エルフェニウスの考えを察して問いかける。

「その通りでございます。ただし、個人にではなく、部署に対して褒美を与えていただきたいのです。それも部署の責任者に分配を任せるのではなく、決して横領など考えない者から、働いた者一人一人に手渡すのです」


 エルフェニウスの考えに、カーシュナーが大きくうなずく。

「お主もエルフェニウスの考えに賛成なのか?」

「優れた案だと思います。ライドバッハの支持者は、労働者の多い下級層が圧倒的多数を占めます。今回ライドバッハの反乱に参加し、その中核を担っているのも平民出の騎士がほとんどでしょう。

 ライドバッハに従い、戦場で功績を上げ、本来であれば手の届かないものであったはずの騎士の称号を彼らにもたらしたライドバッハは、下級層の者たちにとってはまぎれもない英雄なのです。

 下級層の民衆を、ただ罰するのはライドバッハに対する利敵行為でしかありません。労働に対して正しく報い、民衆に真の利益をもたらすのが王家であることをわからせれば、民衆をこちら側に取り込めるでしょう。そうなれば、ライドバッハの戦力基盤を削ぐことにもなります」

「だが、あまり下級層の者どもを甘やかすとつけあがるのではないか?」

 ロンドウェイクが眉間にしわを寄せる。


 この問いにエルフェニウスが答える。

「我々はすでにライドバッハにより先手を打たれております。後手に回らざるを得ない以上、強引にでもライドバッハが仕掛けていった混乱の仕組みを打ち壊さなければ現状の打破は難しいでしょう。

 ここは王都ベルフィストです。王家が足元の民衆すら束ねられなくて、どうしてヴォオスを治められましょう」

 エルフェニウスの大胆な発言に、父親であるアルスメールが冷や汗を流す。

 しかし、エルフェニウスの発言には、緻密な計算と配慮が含まれていた。ロンドウェイクの王家の血筋に対する強いこだわりと、英雄王の血を受け継ぐ者という誇りだ。


 父が冷や汗を流した言葉が、今一つ乗り気ではなかったロンドウェイクを決断させる。

「うむ。そうだな。どうせやるのならば、褒賞は惜しまず思い切った額を出そう。褒賞に関しては宰相殿に一任する」

「おまかせを。見事民意を釣り上げて御覧に入れましょう」

 クロクスが自信の笑みを浮かべる。

 これに対してロンドウェイクはただうなずくだけで答えると、コンラット将軍に向き直る。

「直接現場を取りまとめる役目につく者の人選はお主に任せる。それと、増援部隊の編成を、補給物資も含めて明日中には終わらせろ」

「御意」

 コンラットは短く答えると即座に行動に移した。





 指示を与えるために座をはずしたコンラットと入れ替わるように、緊張さた面持ちの兵士が入室してくる。上官に報告を入れようとする兵士をロンドウェイクが呼び止める。

「些末な決まりはこの際よい。直接報告いたせ」

 兵士は逡巡するも上官のひとにらみで姿勢を正すと報告した。

「ライドバッハの軍より脱出に成功した者が、ただいま到着いたしました」


 座がどよめく。

 ライドバッハの反乱軍の中核を成すヴォオス軍の元正規兵たちは、その大部分の兵士たちが暴動鎮圧の目的で出征し、現地に到着するまではごく一部の者しか反乱については知らされていなかった。常識で考えればライドバッハの私兵ではなく王国の正規兵である彼らが従う道理はない。仮にライドバッハの名声に惹かれて賛同する者が出たとしても、三万もの兵士のすべてが従うはずがないのだ。反意を示し離脱する者が出るのが普通である。にもかかわらず、これまでそういった動きは見られなかった。

 ライドバッハの決起の場に居合わせ、その上で王都に帰還した初めての兵士なのだ。


「連れてまいれ」

「罠ではありませんかな?」

 命じるロンドウェイクに貴族の一人が意見する。先程のライドバッハの話に疑り深くなったようだ。

「その可能性はおおいにあるが、それはこちらがライドバッハの仕掛けた罠を見抜けるか否かの問題だ。罠ならば逆に利用するまでのこと」

 答えるロンドウェイクには微塵の動揺もない。そこには王者の風格があった。

 意見した貴族もその姿に安心したのか、それ以上口を挟もうとはしなかった。


「何をしておる。早くその兵士を連れてまいれ」

 命令を受けたはずの兵士がいまだにその場にいたので、ロンドウェイクが苛立たしげに再度命じる。

「……いや、その、実は……」

 命じられた兵士はロンドウェイクの怒りを恐れてか、視線をさまよわせて言いよどむ。

「何事かあるのならば、さっさと申せ!」

「シ、シヴァ百騎長なのです!」

 兵士の答えに、ロンドウェイクの苛立ちがあからさまな不機嫌に変わる。

「……彼奴か。だからといって話を聞かんというわけにはいくまい。連れてまいれ」

 これ以上ロンドウェイクの怒りの矢面に立ち続けることを恐れた兵士が急ぎ足で退出しようとしたとき、呼ばれもせずに当人が現れた。


 この非礼な態度に貴族たちが怒声を上げる。しかし、怒鳴られている当人は完全に聞き流しており、平然と立っていた。

 ジィズベルト同様均整の取れた長身は無駄なく引き締り、戦士となるべく生まれついたことが一目でわかる。旅の汚れと無数の返り血で汚れたその姿は、ただそこにいるだけで、他を圧する気配を漂わせていた。貴族たちが騒ぐのは、その無礼な態度にもよるのだが、その気配に過敏に反応してのことであった。


 負傷したのか右目を布で覆っており、手にはおそらく外套と思われる布の包みを下げている。

 報告を聞いたのだろう。コンラット将軍が慌てて入ってくる。

「シヴァ! 勝手な振舞いをするな!」

 顔を真っ赤に染めて詰め寄る。

「そんなに怒鳴らなくても聞こえていますよ。別にいいじゃないですか。ちょうど今呼びに来ようとしていたところだったんだし、時間を節約しただけですよ。なあ、そうだろ?」

 悪びれた様子も見せず、シヴァは兵士に問いかけた。

「あ、はい! いや、その……」

 問われた兵士がしどろもどろに答える。

「兵士ならもごもごしゃべるな。これだから王宮付きの連中は嫌なんだよ」

 軽蔑の視線を投げつつ、吐き捨てる。


「もうよい! シヴァ! さっさと状況を報告いたせ!」

 ロンドウェイクの怒声に、それまで騒ぎ立てていた貴族たちが一斉に口を閉ざす。空気そのものが震えたかと思うくらいの大音声であった。それはそのままロンドウェイクの苛立ちの深さを表していた。

「じゃあ、前置きなしで単刀直入に言いますが、民衆の暴動そのものが、白髭のおっさんの扇動によって引き起こされたものでした」

「なんだと!」

 ロンドウェイクのように苛立ちを見せていなかったクロクスも、これにはさすがに声を荒げる。

「しょ、証拠でもあるのか!」

 貴族の一人が声を上げる。

「あの場にいれば、証拠なんてなくてもわかりますよ。暴徒の群れのはずなのに変にまとまりがあったり、暴動を主導しているらしい連中の中には、昔軍で見かけた顔もありましたからね。暴動そのものは民衆の中から沸き起こったものかもしれませんが、暴動をたきつけて方向性を持たせたのは、間違いなく白髭のおっさんの息のかかった連中です」

「おいそれとそんな話が信用できるか! 貴様がライドバッハの命を受け、嘘を言っておるかもしれんではないか! だいたいたった一人で無事に脱出してきたことそのものが怪しいわ!」


 シヴァは軽く肩をすくめると、手にしていた外套の包みを疑いをかけてきた貴族めがけて放り投げた。

 外套は長机の上を転がり、貴族の前でほどけると、包まれていた中身をさらした。

 中身の正体に気がついた貴族は悲鳴を上げると反射的に払いのける。

 ブレンダンとジィズベルトが隠しもせずに自分よりも上位に席を持つ貴族を冷笑する中、中身はロンドウェイクとカーシュナーの前まで転がり止まった。


 生首である。


 さすがに悲鳴こそ上げないが、戦場に立った経験のない貴族の間からはうめき声が漏れ聞こえる。

 この中では一番繊弱そうな面立ちをしたカーシュナーが、無造作に生首を持ち上げるとくるりと回し、コンラットに向ける。

「これがどなたの御首級みしるしかおわかりになりますか?」

「……ヤープ千騎長に相違ございません」

 ロンドウェイクも目顔で問いかけていたので、カーシュナーにではなくロンドウェイクに答える。

 コンラットの態度に気を悪くするでもなく、カーシュナーは手の中のヤープの首をくるくると回して観察していた。

 はたから見ると異常な行動に、ほとんどの者が顔をしかめる。

「見事な切り口です。一刀ですね」

「そんな奴に二の太刀はいらんさ」

 シヴァは誇るでもなく、どうでもよさ気に答える。

 ざわめきの中、軍関係者の中から「あのヤープ千騎長が……」という驚きの声がいくつもきかれる。それだけでヤープという男の実力が知れた。


「なぜヤープを斬った?」

 クロクスがたずねる。上手く隠しているが、声の裏側に不満が潜んでいる。ヤープ千騎長は軍内のクロクス派であり、かなりの額をつかませていた将来を嘱望された騎士だったのだ。

「白髭のおっさんの反乱にあからさまに反抗したら殺されそうになったからですよ。ヤープの奴嬉々として大声で叫んでいましたよ。奸臣クロクスを討て! ってね」

 無造作に放たれた一言が、場の空気を凍りつかせる。

 言われたクロクスは、ただわずかに目を細めただけで、何の反応も示さない。

「口を慎め! シヴァ!」

 コンラットの叱責が飛ぶ。

 これに対してシヴァは肩をすくめて応えた。


「嘘の代償としては、ヤープの首は高すぎるだろう。お主の言葉を信じよう。他に気づいたことはあるか?」

 ロンドウェイクがたずねる。

「どうやったものか、暴徒の集団と合流してすぐに、武器と食糧の支給をしていましたね。あれはどう考えても、俺たち鎮圧部隊が運んで行ったもんでしょう。そう考えると、相当でかいライドバッハの支援組織が王都の中にあるんじゃないかと思いますよ」

「その件はすでに手を打った。だが、お主の情報で支援組織の存在は確定したと見てよかろう。出兵もだが、王都内部の掃除も急がねばならんようだ」

 ロンドウェイクは眉間にしわを寄せると腕を組んで考え込んだ。


「殿下。この者にいくつか質問をしてもよろしいでしょうか?」

 エルフェニウスが確認を求める。

「かまわん」

 許可を受けてエルフェニウスがシヴァに質問する。

「なぜライドバッハにつかなかった? 危険を冒してまで逆らうような忠義の士とは思えんが」

 あまりにも直接的過ぎるエルフェニウスの言葉に、シヴァはニヤリと笑って答える。

「白髭のおっさんとはそりが合わないのさ。先の先まで読んで人を操ろうとするし、冗談が通じないところがなにより面白くない。一緒になって事を起こすには、あの人は退屈なんだよ。それに、白髭のおっさんの下についちまったら、伝説の天才軍師とやり合えないだろ?」

 シヴァの答えにエルフェニウスは苦笑する。理解は出来ないが納得はしたようだ。


「なるほどな。では改めて問おう。これだけ事前に準備が出来ていたのであれば、現状のライドバッハの動きはむしろ鈍いと言える。今頃はレダム砦を抜き、王都を目前にしていても不思議はない。この動きの鈍さの理由になりそうなことに、何か気づいたことはないか?」

「白髭のおっさんは今どこにいるんです? 今まで追跡部隊から逃げ回っていたんで何も知らんのですよ」

「レダム砦の北方一日半の距離にいる」

「……確かに、仮に暴徒を最低限の組織立った行動をとれるように訓練をしているとしても遅いですな。王都の内部に何らかの組織を設けていたのなら、さっさと王都を包囲して外と内から攻め落とせばいい。時間をかければ王都内の反抗勢力を抑えられるだけで、そうなったら内と外からの二面攻撃が出来なくなる」

「その通り。腕だけでなく、それなりの戦術眼もお持ちのようだ」

「そいつはどうも。一応もらっている給料分はまじめに兵隊をやっているんでね」

 シヴァは大げさに肩をすくめると話をつづけた。肩をすくめるのはどうやらくせのようだ。


「その辺を踏まえて考えると、もっと大きな手を待っているんじゃないかってことになりますね。暴徒たちは確かに素人で、組織としてまとめるのは一苦労だが、マウラガンの野に集まるまでにそれなりの数の戦闘を経験していたはずだ。しかもその暴徒の中には息のかかった者がいたことを考えれば、組織化は早かったと考えるべきでしょう。早く動けるのに動かなかったということは……」

「援軍を待っているということです」

 シヴァの言葉を引き継いで、エルフェニウスが断言する。


 会議の席が再びざわつく。

「え、援軍などどこにおるというのだ!」

「案外この中にいたりして」

 取り乱して叫んだ誰かの言葉に、シヴァが嫌味を込めて答える。

「ぶ、無礼者!」

「こういうとき、真っ先に取り乱す人間が一番怪しいんだよね」

「シヴァ殿。そのあたりで結構」

 有力貴族をからかうシヴァに、エルフェニウスが釘を刺す。


 それまで腕組みをして考え込んでいたロンドウェイクが姿勢を正し、一同に言い渡した。

「後発予定であった増援部隊は王都に留め、王都内のライドバッハに内通する組織の壊滅および有事に際しての温存戦力とする。代わりにヨアネス将軍率いる先遣隊の増援には集まてもらった貴族連合軍に向かってもらう。レダム砦にて合流後はヨアネス将軍を総指揮とし、エルフェニウスを軍師とする!」

 ロンドウェイクの言葉にシヴァを除いた全員が姿勢を正す。

「エルフェニウス! ライドバッハを超えてみせよ!」

「御意!」

 胸を張って答えるエルフェニウスを、父親であるアルスメールが誇らしげに眺めていた。





「あの~。非常に申し上げにくいのですが、私からいくつか報告があります」

 せっかく締まった空気が再び解ける。

「今必要なことなのか?」

 言い方こそ厳しくはないが、かなりの苛立ちを込めてロンドウェイクがたずねる。

「本来ならば始めに話すべきでしたが、その機会もなく今頃になってしまい申し訳ありません。今この場に父や兄ではなく私が出席していることと関係しているのですが、ゾンに出兵の動きが見られます」


 この発言に、一同息を呑む。

 ゾンとは、ヴォオスの南部国境と境を接する隣国で、かつて幾度となく戦火を交えた間柄であった。約五十年前にヴォオスが奴隷制度を廃止して以来、奴隷売買が主な産業であるゾンとの仲は険悪化の一途をたどっている。


 五年前、<神速>の異名を持つゾンの王子メティルイゼットの前に、南部国境の要衝ミデンブルク城塞が陥落。その勢いのままメティルイゼット率いるゾン軍は王都ベルフィストの城壁まで攻め寄せ、王都を包囲した。

 王都が包囲されたこと自体がメティルイゼットの神速の用兵を逆手に取ったライドバッハの策略であり、伸びきった補給線を断って自滅に近い形で退却に追いやったのだが、


『建国以来一度として他国の軍を城壁から弓矢の射程に近づけたことがない』


 ということが自慢話の一つであったヴォオス人には、心の底に不安の影を落とす出来事となっていた。


「まさか! ライドバッハが待っているという援軍は……」

「それはないでしょう」

 うわずった声を上げた貴族の不安を、エルフェニウスが冷静に断ち切る。

「なぜそんなことが言い切れる!」

 当然の問いが投げかけられる中、エルフェニウスは一瞬だけカーシュナーに視線を投げた。その視線はかつての同期を測るものであった。しかし、軍装が不似合いな、目じりの下がった細い目を持つ大人し気な顔からは、自身の発言をどう受け止めたのかは読み取れなかった。


「ゾンの蠢動は今に始まったことではありません。我が国がゾンに密偵を送り込んでいるように、ゾンも我が国に密偵を送り込んでいます。このゾンの動きは、ライドバッハの動きに呼応したのではなく、二年続いた異常気象による我が国の国力低下を好機と捉えたものでしょう。そうでなければ動きが早過ぎます」

「水面下で交渉を進めていたのかもしれんではないか」

「五年前、破竹の勢いで我が国を侵略してのけたゾン軍を、最終的に手玉に取り、苦労して陥落させたミデンブルク城塞を放棄せざるを得ない状況に陥れたのはライドバッハ本人です。どのような好条件を手土産に交渉を求めようと、自尊心の塊のようなメティルイゼットが、ライドバッハの言葉に耳を傾けるとは思えません」

 エルフェニウスの説明にいくらか納得した一同が、ようやく落ち着きを取り戻す。


「それで、ゾンはどのような動きを見せたのだ?」

 ロンドウェイクが途切れた報告の続きを促す。

「ゾンとの国境線となるヘルデ河を挟み、ミデンブルク城塞とにらみ合う形でゾン側に城塞が建設されていますが、そこに相当量の糧食が運び込まれたことが確認されています」


「メティルイゼットの置き土産か!」

 ロンドウェイクが忌々しげにつぶやく。

 五年前まではヘルデ河沿岸のゾン側に城塞は存在していなかった。だが、大侵攻が最終的に失敗に終わったあと、メティルイゼットの命により、急遽ゾン側に築かれたのがトカッド城塞である。

 これが忌々しいことに、大侵攻の際にヴォオスから奴隷として連れ去られた多くの人々が、トカッド城塞建設の費用になったと言われているため、トカッド城塞の名はヴォオス人にとって不快極まりない響きを持っているのだ。


「運び込まれた糧食の量は、一万の兵ならば三年は余裕で養えるほどの量とのことで、近く再侵攻があると考えてしかるべきかと思います」

「ゾンの流言の可能性はありませんか? もしくはライドバッハがこちらの戦力を南の国境線に釘付けにするために流した偽の情報である可能性は?」

 エルフェニウスが冷静にたずねる。

「トカッド城塞に放ってある密偵により、搬入された物資が実際に確認されていますので確かな情報です。この情報を受け、クライツベルヘン家はミデンブルク城塞に二万の兵を増援として送り出しました」

「ほう。二万も。ちなみにこちらへはどれほどの兵力を率いてくださったのかな?」

 クロクスが感心しながらたずねる。

「騎兵のみ三千です」

「三千! ミデンブルクに兵を割いたにしても少なくないか?」

 ロンドウェイクが不満を口にする。その十倍は期待していたのだ。


「言い訳にしかなりませんが、クライツベルヘンの現状を説明させていただけますでしょうか。父が病で床にせってのち、長兄のアインノルトが政務全般を代行しております。次兄のヴァールーフがこれまでアインノルトが務めていたクライツベルヘン軍の指揮官に就き、三兄のセインデルトは三年前からミデンブルク城塞の修復工事の援助および監督に出向いております。

 領内の事情ですが、昨年まで王都を騒がせていた盗賊ギルドの分派がクライツベルヘンに流れ込み、これが中心となって極地的な内乱が起こっております。そのため国内各所に兵を配置する必要が生じ、その上でのゾンの動きが重なり、勅命に応えられるだけの十分な兵力が揃えられなかったのです」


 各貴族の間から、うめき声が漏れる。もっとも、その同情を装ったうめきの中には、大貴族の窮状をに対する暗い愉悦と、王都から追放された盗賊ギルドの分派が自身の治める領内に入り込まなかったことに対する安堵とがあった。


「……うわさでは討伐出来たはずの盗賊どもを、あえてクライツベルヘン領に逃がしたとか……」

「……ヴァウレル卿の病にも、実は一枚噛んでいるといううわさも聞きましたぞ……」

 うめき声の中に混じり、声を殺した会話がかわされる。言葉の後で誰もが宰相のクロクスを盗み見る。クロクスは元々五大家の持つ大きすぎる権力と財力に危機感を抱いていた。中でも筆頭貴族であるクライツベルヘン家に対する懸念は強く、これまで幾度となくその勢力を削ごうと務めていたことは周知の事実であった。


 ある意味クロクスの試みは成功したと言えるが、当主であるヴァウレルの病や、討伐できなかった盗賊ギルドの残党がクライツベルヘンを荒らしていることには一切関与していない。クロクスは本来徐々に五大家の勢力を削ぎ、弱体化させてから五大家を取り込むつもりであった。それが可能なだけの力が今のクロクスにはある。だが、やり過ぎは五大家の結束を招きかねない。五大家すべてと表立って対立することは、さすがのクロクスでも荷が重い。機が熟すのを待てばよく、その時期は近いのだ。

 現段階での五大家との無用な軋轢あつれきを避けたいクロクスとしては、不適切なうわさを放置してはいられなかった。


「カーシュナー殿、世間では口さがないうわさが流れており、貴殿の耳にもくだらん話が届いているかもしれんが……」

 クロクスの言葉を、本来であれば非礼にあたるのだが、カーシュナーはあえて遮った。

「確かに、幼子でもなければまともに相手などしないようなうわさがいくつか耳に入っております。もっとも、このようなくだらないうわさが流れるということは、各地で反乱が起こっておりますが、王都には存外余裕があるのだなと感じました」

 それはクロクスにつまらないうわさ話を口にさせないための配慮であり、カーシュナーの意図は十分クロクスに通じた。

 取るに足らない若造ではあるが、五大家筆頭のクライツベルヘン家の者からの配慮は、クロクスに好印象を与えた。

「そうだな。少々たるんでおるのやもしれん。空気を引き締めておこう」

 この一言で、貴族たちの間で交わされていたささやきがぴたりと止まる。


「クライツベルヘンの事情はよく分かった。ライドバッハも問題だが、ゾンの動きも無視は出来ん。ゾンに対する備えはミデンブルクの兵とクライツベルヘンに託すより他あるまい。その上で兵を割いてくれたことに礼を言おう」

 ロンドウェイクがクライツベルヘン家の労をねぎらう。


「ゾンの動きにふたをしていただければ十分でしょう。クライツベルヘンの若君には、我らの戦果を病床のお父上に土産話としてお持ち帰りいただけばよい。戦場でのいくさ働きは、このジィズベルトにお任せいただこう」

「ぜひ拝見させていただきます。<黒豹>ジィズベルトの実力を」

 カーシュナーは愛想よく答えた。


「それはあまり期待出来んかもしれませんぞ。反乱討伐の先鋒はこのブレンダンがもらい受けますからな。ジィズベルトの出番は残らんでしょう!」

 そう言うとブレンダンは太鼓腹をゆらして笑った。

「それは頼もしいですね」

 こちらにもカーシュナーは愛想よく答える。


「勝手なことをぬかすな! 先鋒は俺以外あるまい! だいたい貴様を乗せられるような馬などおらんだろうが! 歩兵と一緒にのんびりとついてくればよいのだ!」

 それまでの冷静な態度をかなぐり捨てて、ジィズベルトが苛立ちを叩きつける。

「ジィズベルト卿。ブレンダン卿は巨大な雄牛を駆るのですよ。ゆえに<猛牛>ブレンダンと謳われているのです」

「おおっ! よくご存じですな!」

 カーシュナーの言葉に気を良くしたブレンダンが嬉しそうに吠える。


「豚の間違いではないのか?」

 ジィズベルトが鼻を鳴らして嫌味を言う。

「なんだと貴様!」

 怒気もあらわにブレンダンが立ち上がる。となりに座っていた貴族たちが余波を受けてひっくり返る。周りから非難の視線を向けられるが気づいてもいない。

 対するジィズベルトも声こそ荒げないが即座に応戦の構えを見せる。

 帯剣が許されていたら、流血沙汰に発展していただろう。


「俺もう帰っていいですかね?」

 勝手に入室してきたシヴァが、殺気立つ二人のにらみ合いなど起こっていないかのような態度で発言する。

「こっちは白髭のおっさんの追手をかわして不眠不休で今に至っているんでね。どうでもいいような話をいつまでも続けるんなら、さっさと帰って飲んで寝たいんですよ」

 最後は大あくびを隠そうともしなかった。


「なんだ貴様、その態度は! 殿下の手前黙認してきたが、もう我慢ならん!」

 ブレンダンに向いていた怒りの矛先がシヴァに向かう。そうして視線がブレンダンからシヴァに外れた瞬間、ブレンダンが嘲笑った。

「なんだ。俺に恐れをなして勝てそうな相手に逃げるのか? まあよい。俺も背を向けて逃げる奴などどうでもよいわ。なるほど、<黒犬>とはよく言ったものだ。吠えるだけ吠えて、さっさと尻尾を巻きおったわ!」


「……もう一度言ってみろ。豚野郎」

 矛先がブレンダンに返る。怒気を通り越した殺気が目に宿る。

「すまん。俺は犬の言葉に詳しくないのだ」

 嘲笑するブレンダンの目にも殺気が宿る。

 二人の周囲に座っていた者たちが危険を察し、慌てて退く。


「いい加減にせんか!!」

 ロンドウェイクが大喝とともに振り下ろしたこぶしが、頑丈な長机の上に振り下ろされる。窓ガラスが震えるほどの振動に、殺気立つ二人以外の貴族がびくりと肩を震わせた。

 そんな中、カーシュナーとシヴァの視線が合う。事態の推移に真の意味で動じていないのはこの二人のみであった。ロンドウェイクの逆鱗には、さすがのクロクスとエルフェニウスも冷や汗をかいている。


「ジィズベルト、ブレンダンの両名はただちに自室に戻り謹慎いたせ! いや、城内の両端に新たに部屋を用意するゆえ、そこで少し頭を冷やすがよい!」

 どれほど頭に血が上ろうと、二人とも貴族のはしくれである。王弟であり大将軍の地位にあるロンドウェイクに食って掛かるようなまねはしなかった。

 二人が兵士に付き添われて不承不承退室すると、ロンドウェイクはシヴァをにらみ据える。


「コンラットの推挙を受けて百騎長に任じ、功績も上げた。だがそれ以上にもめ事を多く起こしてきた。厳罰を望む声もあったが、降格処分に留めてこれまで貴様を使い続けてきた。それもこれもすべては貴様の武勇を惜しめばこそだ!」

「そいつはどうも」

 この場に及んでも、シヴァは態度を変えない。

「貴様の存在は王国軍に無用な混乱を招く。本来ならば厳重な処分を申しつけるところだが、ライドバッハ軍の情報を持ち帰った功績に免じて、軍籍を除すに留める。騎士の身分は残してやるゆえどこへなりとゆくがよい」

「ありがとうございます。これで明日の二日酔いを気にせず飲めます」

 追放処分を受けたにもかかわらず、この物言いである。ロンドウェイクは言い渡した直後に厳罰を与えなかったことを後悔した。


「殿下、ここはどうかお怒りを抑え、処分をお待ちください」

 エルフェニウスがロンドウェイクをいさめる。

 これに対し、ロンドウェイクは言葉ではなく、鋭い眼光で返した。

 一瞬怯んだものの、エルフェニウスは姿勢を正すと言葉を続ける。

「ここでこの者を処罰いたしますと、ライドバッハについた貴族をこちらに帰順させることが難しくなります。十万の兵を前にやむなく膝を屈した者も多いはずです。ライドバッハの決起に対して真っ向から反意を示して帰還を果たした者を罰したりなどすれば、帰順は叶わぬと判断してライドバッハの反乱成功に本腰を入れかねない事態となるでしょう」

 ロンドウェイクは渋面を崩さないまま沈黙した。


 ロンドウェイクが下した処分はシヴァの兵士としてのありように対するものであり、エルフェニウスが進言するような意味合いのものでは断じてない。だが、この処分を断行すればロンドウェイクの厳しさばかりが浮き彫りとなる。

 これを利用しないライドバッハではない。帰順しても処罰が待っているだけだと思わせれば、ライドバッハ側の貴族に帰順を諦めさせることが出来る。そのうえでライドバッハの下で栄達を考えるように仕向けるだろう。

 現実に反乱が成功すれば、国内の勢力図は大きく変わる。野心を持つ者ならば、あえて反乱に乗る可能性は大いにあるのだ。


「殿下。シヴァ殿を私にお貸し願えませんでしょうか?」

 沈黙するロンドウェイクにカーシュナーが願い出る。

「どういうことだ?」

「私が引き連れてきた三千の兵は、退役兵と少年兵ばかりで、正直まともないくさ働きは望めません。そこで、私を補佐するために、武勇に長け、戦術にも明るいシヴァ殿を派遣していただきたいのです」

「あの性格だぞ?」

「戦場ではさしてお役に立てないのですから、せめてこれくらいは……」

 厄介者を引き取ろうというカーシュナーの心遣いに、ロンドウェイクの中にあった少数の兵しか率いてこなかったことに対する不満が消える。

「願ってもない申し出かと」

 エルフェニウスもカーシュナーの案を後押しする。

「出来れば昇進させたうえで派遣していただければ、なおありがたいのですが」

 カーシュナーの意図を察したエルフェニウスがうなずく。


「表向きは今回の働きを高く評価し、その上でクライツベルヘン家とのつながりの強さを強調することが出来ます。王家と五大家は元来一定の距離を持つものとされておりますが、非常時に固い結束を見せれば、態度を保留にした貴族たちも、判断を変えるきっかけにもなりましょう」

 ロンドウェイクは渋面を不満でさらに歪めつつもうなずく。

「シヴァは千騎長に昇進とし、恩賞として金貨千枚を与える。そして、今戦時下の間はクライツベルヘン軍の臨時顧問として出向するよう命じる」

 あまりの気前の良さに、言われたシヴァ本人が驚きに目を見張った。


 この恩賞は対外的な意味で与えられるものであり、態度を保留している者に対する撒き餌でもあった。必要な時に金品を惜しまないところは、ロンドウェイクの度量の優れた点である。

 気前の良すぎる恩賞の意図を理解出来ない者の中には不満を持つ者もいたが、理解した者はロンドウェイクの気前の良さに、早くも反乱鎮圧後の褒賞を期待する。

 戦端すら開かれていないというのに気の早いことだと、貴族たちの内心を見透かしたクロクスが鼻で笑う。


「貴族連合軍の編成は後日申し渡すゆえ、本日の会議はここまでとする。各々いつでも出立できるよう準備を整えておいてくれ!」

 この一言で、長かった会議が終了した。









「持っていけ」

 千枚の金貨が詰まった袋を、コンラット将軍が不満げにシヴァに渡す。

「ど~も」

 それをかしこまりもせずにシヴァが受け取る。

「若様! 数えるまで待っててもらえますか?」

 言いながら長机の上に金貨を広げる。金貨特有の甘美な響きに、まだ室内に残っていた貴族たちが物欲しそうな視線を向けた。金貨とは、持てば持つほど欲望を刺激する魔力を持っているのだ。


「はい! きっちり千枚確認しました! なんなら大目に間違えてもらっても良かったんですけどねえ」

 コンラットが大きくため息をつく。

「減らず口ばかり叩くな。毎回こんな幸運が続くなどと考えるなよ。これを機に心を入れ替えて、カーシュナー卿によくお仕えしろ。本来なら恩賞などなく叩き出されるところであったのだからな」

 これに対し、シヴァは肩をすくめただけだった。

 コンラットは頭痛がしたのか、こめかみを押さえて首を左右に振る。目には諦めが浮かんでいた。


「カーシュナー卿。これこの通りの男ですが、その才気は一国に冠絶かんぜつするものと私は考えております。どうかシヴァをよろしくお願いいたします」

 姿勢を正してコンラットは年少の大貴族に頭を下げた。

 これにはシヴァも苦笑を浮かべるしかなかった。出来の悪い息子を持った父親のようなその姿は、敵だらけのシヴァには照れくさいものだったのだ。

「はい。お預かりします」

 コンラットの心情をくんだカーシュナーは真摯に答えた。

「若様。早く行きましょうや」

 シヴァに促され、カーシュナーはコンラットに一礼すると会議室を後にした。


「若様。あんた相当な猫かぶりだな」

 廊下に出て、あたりに誰もいなくなった頃合を見計らうと、とても大貴族に対するものとは思えない態度でシヴァが言う。

「カーシュナーでいいよ。必要とあらば、猫だろうが豚だろうが、なんでもかぶるさ」

 そう言うとカーシュナーは閉じているようにしか見えない目を片方開いた。翠玉すいぎょくをはめ込んだように美しい瞳があらわになる。

「……なんとなく不自然な細目だとは思っていたが、本当に閉じていたのか」

「黒髪黒目のこの大陸じゃあ目立ち過ぎるからね。特に王族貴族の偏見はいまだに根強い。無用ないざこざを避けるには閉じているほうがいいのさ」

「馬鹿どもと視線を合わせなくてすむしな」

「実は、それが一番の利点なんだ」

 シヴァの強烈な皮肉を、当たり前のように受ける。唇の端にのった皮肉な笑みは、シヴァよりもはるかに深かった。


「あんた本当にヴォオス最大の貴族、クライツベルヘンの人間か?」

 身分の違いを全く意識していないカーシュナーの態度に、シヴァは思わず問いかけた。

「よく言われるよ」

 答えてカーシュナーは苦笑した。

「でもさ、身分を振りかざして何が手に入る? 今あるものを消費するだけだろ? 俺はヴォオス三賢王が一人、<解放王>ウィレアム三世の信奉者なんでね。威張り散らすのは嫌いだし、威張り散らしている奴は大嫌いなのだ」

「なるほどな。まあ、その方が俺もやりやすくて助かるぜ。無能なくせに威張り散らすことだけは十人前の馬鹿には、もううんざりでね」

「だからヤープ千騎長の首を斬り飛ばしたのか?」

「ああ、これ幸いとな」

 二人は視線を合わせるとにやりと笑った。悪い顔である。


「その片目はヤープに?」

 右目を覆う布に目をやり、カーシュナーはたずねた。

「まさか! あんな筋肉馬鹿にやられたりはしねえさ」

 そう言うとシヴァは、布をめくって右目をさらす。そこには傷一つない顔があった。

 カーシュナーが目顔で問いかける。

「片目をふさいで神経を研ぎ澄ませる訓練の一つさ。本当に効果があるのかは知らんが、死んだ親父がよくやっていてね。むちゃくちゃ強かったから俺もやっている」

 シヴァは布を外すと今度は左目をふさいだ。ふざけているのかまじめなのかよくわからない男だ。


「この反乱、どう読んでいる? 会議で見せた気配り上手のおべっか使いがあんたの本性じゃないんだろ?」

「先生を読み切るのは不可能だよ。でも、貴族連合を割るための手を打ってくるのは間違いないね。おそらくもう動き出しているだろう。予想外の方向から攻めてくるはずだ」

「予想外、ね。じゃあ考えるだけ無駄か」

「そう。後手に回っている限り、先生を出し抜くのは難しい」

「先手なんて取れるのか?」

「さあ」

 お手上げというように両腕を投げあげながらカーシュナーは答えた。驚くほど腕が長い。


「あんた細いが相当でかいな」

 ヴィオス人の平均的な体格よりも二回り以上大きく、頭一つ分は確実に背の高いシヴァが、目を見張って見上げる。

 今の今まで気がつかなかったのは、カーシュナーが貴族らしからぬ極端な猫背で歩いていたからだ。

「枯れ木みたいだってよく言われるよ」

 答えるカーシュナーの顔に苦さはない。<枯れ木>はどう考えても悪意のある言い回しなのに、まったく気にしていないらしい。


(言われているっていうより、言わせている(・・・・・・)んだろうな。思った以上にこの若様は食わせ者だな)


「食わせ者を気取っているんだよ」

 こちらの心理を見透かしたかのような発言に、シヴァは肩をすくめた。実際シヴァの思考を読んだのであろう。先程の会議に出席していた誰よりも、実は事態が見えていたに違いない。それを悟らせないために、あえて他者を持ち上げ自分を卑下し、周囲の目をくらませていたのだろう。


「何を考えている?」

「この国を良くする方法さ」

 軽くいなすような答えなのに、どこか本気を感じさせる。


(こいつはただの大馬鹿か、それこそ白髭のおっさんを超える天才かもしれねえな)


「なのに王族貴族全員から嫌われている俺を引き取ったのか? 無用な敵を増やすだけで、世直しの助けにはならないんじゃないのか?」

 思ったこととは別のことをたずねる。

「かまわない。王族や貴族なんかが何の役に立つ? 今この国が混迷している原因は、すべて奴らの責任だ。人の上に立つ以上その責任は取ってもらう。最終的に一番嫌われるのは俺の方さ」


(もしかすると、こいつは俺以上にいかれてるかもしれん)


「あんた俺以上にいかれてるんじゃないか?」

 今度は思ったことをそのまま口にする。相手の身分を考えれば恐ろしくてとても口に出来ない言葉なのだが、おかまいなしだ。言葉通り頭の神経が何本か焼き切れているのかもしれない。

「いかれているのは俺たちの方じゃない。世の中の方だ」

「そのいかれた世の中のど真ん中である王宮で、俺たちはずいぶん思い切った発言をしていないか?」

「怖いのか?」

 カーシュナーが茶目っ気たっぷりにたずねる。


「怖いというより、珍しく心配なのさ。こんなにあっさり俺を信用するあんたの不用心さがな。俺が今すぐ取って返して王弟殿下や宰相閣下にご注進申し上げたらどうするつもりなんだ?」

「その丁寧な言い方が、そもそもあの二人を馬鹿にしているだろ? そんな人間の注進を誰が信用する?」

「とりあえず俺は信用しないね」

「そういうこと」

 二人は声を上げて笑った。


「しかし、こんな話誰かに聞かれたら二人とも終わりなんじゃないのか?」

「ここに間者はいない。ひそめる場所がないんだ。だから話した」

 シヴァが片方の眉を器用にあげて問いかける。

「王宮の詳細な図面が全部頭の中に入っているのさ。王族も知らないくらい詳細なものがね」

 自らの頭をコツコツ叩きながらカーシュナーは答えた。

「なるほど。全部計算ずくってわけか」

「まあね。でもこれから先は言葉に気をつけた方がいいね」

「いるのか?」

「ああ、この先にある壁に取り付けられた燭台の下に、間者が身をひそめられる場所がある」

「なるほど。王宮ここは本当に嫌なところだな。さっさと場所を変えないか? ふところがだいぶ暖かいんでね。あんたさえ良ければ商業区にいい店があるんだ。汚くてうるさいが、その分安くて美味い。内緒話にも最適な店なんだ」


「ディックの店?」

「知ってんのか!!」

「常連だよ」

「大貴族の若様が!!」

「臓物のごった煮が大好物なんだ」

 シヴァは大声で笑った。この先に間者が潜んでいたら驚いたことだろう。


「俺も大好物だ! あんた本当に気に入ったよ! 今夜は俺のおごりだ!」

「いいねえ! そうしたら二件目のアダの店は千騎長への昇進祝いってことで俺がおごるよ!」

「アダの店まで知ってんのか!」

「ベルフィストのいい店はたいてい知ってるよ。ディックの店の後はアダの店しかないだろ?」

「間違いねえ。でも大丈夫か? 明日二日酔いで仕事にならねえぞ!」

「意外と心配性だな。明日は特に呼び出しはないはずだ。貴族連合の編成が一日で終わるわけがない」

「言い切るねえ」

「王弟殿下は貴族連中を頭ごなしに抑えつけるわけにはいかない。基本仲の悪い連中の集まりなんでね。それぞれの配置には細心の注意が必要なのさ」

「貴族ってのは本当にどうしようもねえな」

「おかげで朝まで飲める」

 今度は二人そろって大声で笑った。それは狭い隙間で聞き耳を立てていた間者が、自分の境遇を本気で嘆くほど楽しげな笑い声であった――。

 

 

 

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