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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
148/152

混乱から混沌へ (その3)

 今回は複数回に分けて投稿しております。


 その1を未読の方は、そちらからお読みください。


 それでは、その3の本編をどうぞ!

 セミルユザール王子を失ったネジメティン派は、完全に追い込まれていた。

 持ち前の政治力を駆使してヤズベッシュ派の敗残兵を収容し、勢力だけは過去最大にまで戦力を増強することが出来たが、誰一人自分たちの勝利を想像することが出来なかった。

 誰もが逃げ出す算段をし、増強した戦力を自分たちが逃亡するまでの時間稼ぎとしか考えていない。


 盟主であるネジメティンも同様で、いざという時のためにと国外に蓄えておいた資産を回収し、ヴォオスか東の大国ミクニに逃げ出す算段を立てていた。

 メティルイゼット王子に戦いを回避する意思がない以上、戦うしかない。

 その性格上、始めから逃げに徹すると、メティルイゼット王子自身は追ってこないが、指示として「皆殺し」が下されてしまうので、メティルイゼット王子を相手にする場合、逃げたければまず戦わなくてはならない。


 ここで満足させることが出来れば、メティルイゼット王子は降服を認めてくれる。それどころか力を示した者は、その力に見合った地位で迎え入れてくれる。

 戦のことしか考えていないが、人を殺すことに快楽を覚えているわけではなく、戦いにおいて人を正しく評価出来るだけの見識は持ち合わせているのがメティルイゼット王子なのだ。

 彼の下に成功を夢見る中小貴族たちが集まったのは、ひとえに戦いに関する評価の公平性からだった。


 ここで一人の小貴族が、戦場と布陣を提案する。

 それは逃げることを前提とした非常に情けないものであったが、堂々と戦い、メティルイゼット王子を納得させる自信など微塵も持たないネジメティンたちには最善と思われるものだった。

 

 その戦場は最大の逃走経路である海路へ向けての道が幾筋もあり、それぞれの人脈次第で大陸隊商路へも逃げ込める立地になっている。

 戦場の地形は細長く、軍を広く、大きく展開するには不向きな場所で、時間稼ぎ(、、、、)をするのにうってつけの地形だった。


 もはや逃げるが勝ちの精神状態のネジメティン等は急ぎこの地に布陣し、脱出の準備を進めながらメティルイゼット王子軍を待った。

 メティルイゼット王子はネジメティン派がセミルユザール王子の引き渡しを申し入れてこなかった時点でセミルユザール王子の逃亡を見抜いていた。

 期待していなかったイミカンケ―ファー王子が思わぬ力を発揮したことから、文武に秀出ていたセミルユザール王子に対しても期待していたのだが、その手足となるべきネジメティンたちが戦いを諦めてしまった時点で、メティルイゼット王子の期待は叶わぬものとなってしまった。


 元々逃げ腰の相手にやる気などなかったメティルイゼット王子は、戦場の選択と布陣からネジメティン派の意図を見抜いたことで更にやる気を失くしていた。

 指揮を幕僚たちに任せ、先の戦では最後に暴走したカーディル王子を、その鬱憤を発散させるために先陣に置き、自身は完全に一歩引き、見物の態勢に入る。

 やる気がなくても戦場に身を置くのは、それが大将としての務めと心得ているからだ。


 戦端が開かれると、展開は一方的なものとなった。

 カーディル王子に自由が許された時点で、メティルイゼット王子軍の攻勢は通常よりも激しくなる。

 とにかく桁外れのその戦闘力によってカーディル王子が敵の防衛線に穴を空け、そこを起点として崩していく。

 カーディル王子に指揮能力はなく、また兵士たちに対する求心力もないため、その力を生かすのはもっぱらメティルイゼット王子軍の優秀な士官たちの戦況把握能力と指揮能力だった。

 カーディル王子の活かし方を熟知している士官たちは、手綱を掛けるのではなく、カーディル王子が好き勝手に突き破る綻びを、臨機応変に広げていった。


 数では勝っていても、その前線を固めるのはヤズベッシュ派の敗残兵たちだ。

 一度敗れた相手に対して不屈の闘志で挑める程、ゾン人は豪胆な人種ではない。

 数を頼りに挑んだが、もはや怪物にしか見えないカーディル王子の猛攻にさらされ、その戦意は早々に挫かれてしまう。


 ネジメティン派の貴族たちは、瞬く間に崩されていく前線を見やり、軟弱だ、惰弱だと罵りつつ、慌てて脱出を図った。

 前線は崩れてしまったが、地形の効果と厚みのある陣形のおかげで、メティルイゼット王子軍の前進はそれ程(はかど)らず、ネジメティン派の貴族たちは全員配下の兵士たちを戦場に捨てて逃げ出した。


 それぞれの思惑に従い、固まらずに逃げ延びて行く。

 ネジメティンは抑えきれない恐怖に駆られて背後を振り返った。

 気づけば既に戦場の喧騒は背後に消え去っていた。

 思わず安堵のため息が漏れる。  


 ここまで来れば十分だった。

 起伏の激しい奇岩地帯だ。どれ程視力に優れた偵察兵でも、視線が通らないため高所から見渡しても、身を潜めながら移動する人間を見つけるのは難しい。

 アスイー河沿いに点在する漁村の一つに船を用意させてある。

 そこまで行けば後は楽なものだ。


 緊張が解けたのか、それまで強張り丸まっていた背中が伸びる。

 ネジメティンは上体が凝り固まっていたことを自覚し、ほぐしながら前を向いた。

 不意に飛び込んでくる冷たい視線。

 振り向いたその先には、メティルイゼット王子虎の子の特殊部隊兵が立っていた。


 無意識に上がりかける悲鳴を、兵士の手が押し潰し、もう一方の手に握られていた短剣が、ネジメティンの胸部を刺し貫く。

 正確に心臓を貫かれたネジメティンは、解放された口から悲鳴ではなく、大量の血の塊を吐き出した。

 膝が崩れ、まるで投げ捨てられたように倒れ込む。

 その頭部が大地を鈍い音で打ち据えた時には、ネジメティンの意識は既に失われていた。


 メティルイゼット王子にやる気はなかった。

 だが、やるべきことを放棄することはなかった。

 奴隷解放軍討伐の際に少なくない損害を被ってしまった特殊部隊であったが、ゾン国内の地形を熟知するメティルイゼット王子によって、逃走を図るであろう貴族たちを討つために、軍を動かす前に事前に派遣されていたのだ。


 ネジメティンらは自分たちにとって都合のいい戦場を選んだつもりでいたが、あまりに都合が良過ぎたため、そこから先の行動が予測されやすく、メティルイゼット王子相手では、むしろ自ら退路を断つ選択をしたも同然だった。

 ここまで逃げ延びれたのは、逃げに徹したからだったが、こういった特殊地形でこそ力を発揮するように訓練された特殊部隊から逃げおおせることは出来なかった。


 ほぼすべてのネジメティン派の主要貴族たちが討ち取られた。

 だがその中に、この戦場と布陣を提案した小貴族の姿はなかった。

 この貴族、実はパラセネムによって送り込まれていた人物で、ネジメティン派の主要貴族たちを確実に始末するために、ネジメティン等をこの地に導いたのであった。

 当人は一士官として戦場に潜り込み、メティルイゼット王子軍内に潜伏しているパラセネムの息のかかった将軍によって捕虜として回収され、次には将軍配下の士官に姿を変えて無事戦場を後にしていた。


 こうして戦いは時間だけを浪費し、メティルイゼット王子軍の圧勝で幕を閉じた。

 だが真の戦いの幕は、まだ上がってはいなかった――。









 セミルユザール王子を得たザバッシュ軍は、セミルユザール王子をここまで先導してきた者たちの手引きによって、メティルイゼット王子軍の側面に秘かに兵を配置することに成功していた。

 戦において敵の虚を衝ける位置を得られることは大きい。

 ましてやネジメティン軍という生贄いけにえを思う存分蹂躙した後の隙を衝けるという絶好の機にも恵まれている。

 最初の衝突でどれだけ崩せるかで、勝敗は一瞬で決する可能性が高かった。


 セミルユザール王子からの情報で、イミカンケ―ファー王子がカーディル王子の奇襲によって討たれたことを聞き、ザバッシュは改めて<人食い>が持つ戦闘力を警戒した。

 その知能の低さから、カーディル王子を侮る者たちは多いが、これまでメティルイゼット王子に付き従い、数多くの戦場を経験し、多くの危機に直面しながらも、今も戦場に立っている。

 本当に愚かなだけの存在であれば、とうの昔に死んでいる。

 集団戦闘の一つの駒に成れなくても、戦闘指揮が出来なくても、個として生き抜き、戦い抜くだけの能力を備えているのだ。

 メティルイゼット王子ばかりを見ていたセミルユザール王子も、腹違いのもう一人の兄弟の存在を改めて脅威に感じていた。


 対策としては、まともに戦わないことが第一となる。

 一対一の戦いでは、これまでもゾン最強と謳われてきた。

 だが戦場で一対一で戦えることなど稀だ。

 正面に立たず、数と策をもって狩ればいい。


 次に対策を取るべきなのは、カーディル王子の動きに、メティルイゼット王子軍の兵士を連動させないことだ。

 むしろ戦においてはこちらの方が重要となる。

 カーディル王子は確かに強力な駒かもしれないが、所詮一個の力でしかない。個として孤立させておけば、戦局に影響することはない。

 先の戦いで大きな戦果につながったのは、カーディル王子の暴走が運良くその正面にイミカンケ―ファー王子を捉えたからに過ぎない。


 ザバッシュは戦術を整えると、快勝に沸くメティルイゼット王子軍に襲い掛かった。


 奇襲は見事にメティルイゼット王子軍の油断を衝いた。

 従来の部隊配置であればメティルイゼット王子は軍中央に在り、この奇襲で討たれていた可能性があった。

 幸運なことに、ネジメティン派の醜態にやる気を無くしていたメティルイゼット王子は先の戦いでは軍後方に在り、この襲撃の際も、撤収する軍の前方にいた。

 同じような理由で、最後まで戦場で暴れまわっていたカーディル王子も軍後方に在ったため、襲撃に呑まれることはなかった。

 だが幸運はそれだけだった。


 横腹に食らいつかれた形のメティルイゼット王子軍は、軍中央をはらわたまで食い荒らされてしまっていた。

 これにより軍は前後に分断され指揮系統も完全に分断されてしまった。

 受けた人的損害も大きく、この襲撃だけで千以上の兵士たちが倒れた。この数字は正面から力押しするしかなかった先のネジメティン軍との戦いで生じた被害を上回るものだ。


 襲撃者の正体を知ると、メティルイゼット王子は猛々しく笑った。

 兵力は半減し、即座に撤退すべきところであるにもかかわらず、メティルイゼット王子は応戦することを選択した。

 これが東部軍としての襲撃であれば、さすがのメティルイゼット王子も迷わず撤退した。

 戦好きではあるが死にたがりではない。退くべき時にその判断を誤るような素人臭い間違いは絶対に犯さない。


 だがメティルイゼット王子の頭の中には、現在知りうる限りの東部軍との戦況が納められていた。

 ネジメティン等が逃げ一択に走ったため、腹違いの弟との戦いを愉しめなくなってしまったメティルイゼット王子の頭は、ネジメティン軍を前にしながら次の戦い(たのしみ)へと向いていた。

 そしてもっとも近い距離に存在した愉しみは、ザバッシュ軍だった。

 

 襲撃の中で王家の旗が確認されたという報告も受けている。

 ということは、ネジメティン等に生贄にされる前に脱出したセミルユザール王子が合流している可能性が高い。

 セミルユザール王子の失踪時期と、確認されていたザバッシュ軍位置から考えると、合流から即座に移動を開始していなければ、今この場にいることは出来ない。

 メティルイゼット王子は、離れ離れに存在する点と点を、確認出来ている情報から見事に繋げてみせ、ほぼ正確にザバッシュ軍の現状戦力が自軍を総数で下回るという事実を見抜いてみせたのだ。


 軍規模としてはメティルイゼット王子軍の方が遥かに優勢だ。

 下手に逃げてこの場に残される将兵を討たれるよりも、何とか敵の勢いを一度受け止め、態勢を整え直した方が軍全体の被害を少なくすることが出来る。

 もっともそれは理屈に過ぎず、そのためには劣勢な現状でこの場に踏み止まるという危険を冒さなくてはならない。

 つまりメティルイゼット王子は自分の命を賭けることになる。


 そこに微塵の迷いも見せないのがメティルイゼット王子であり、ギリギリの状況こそを愉しんでしまうからメティルイゼット王子なのだ。


 メティルイゼット王子は、分断されてしまった軍後方の部隊のことを切り捨てた。

 見殺しにするわけではない。

 現状における手駒として切り捨てたのだ。


 分断された状況ではあるが、全体の兵力では勝っている。

 並の指揮官であれば分断された状況を逆手に取り、前後で挟撃して逆転を図ろうと考えただろう。

 実際にそうして戦況を逆転させた例はいくつもある。

 だが相手は、ゾン正規軍において将軍として実績を残してきたザバッシュだ。


 メティルイゼット王子自身はその戦術論を古臭いと一刀両断してみせたが、ザバッシュ個人を無能と断じたことは、実はただの一度もない。

 ザバッシュの実力そのものはかなり正確に評価しており、自身が求める戦いの新機軸についてこれない過去の存在と考えているだけで、挟撃による逆転を狙う様な過去に使い古されたような戦術に対しては、バッシュは間違いなく対抗策を講じていると考えていた。


 事実ザバッシュはここからの挟撃に対して対策を講じていた。

 分断されたメティルイゼット王子軍を、両方向に広がる様に攻略していくのではなく、片側に対しては守ることを念頭において追撃し、もう片側に対しては、襲撃の勢いのまま追撃を掛けた。


 中央で分断された場合、進行方向の前方にいた兵士たちからすれば背後を取られたことになる。逆に後方にいた兵士たちは進路を塞がれたことになる。

 態勢の立て直しやすさから言えば後方にいたい部隊の方が反撃に転じやすく、前方にいた部隊は背後から攻撃を加えられるため部隊を反転させることすら難しい。


 ザバッシュは攻めやすい部隊に全体の八割近い兵力を割き、いずれ反転攻勢を仕掛けてくるであろう側には、トゥガイ部隊を中心とした残る二割の部隊を当てていた。

 力を割いた方に、最大の標的であるメティルイゼット王子がいるあたり、ザバッシュの運はまだ続いている。


 攻め込むザバッシュに対し、見極めの難しい戦場を任されたトゥガイは、ザバッシュ以上に苛烈に攻め立てていた。

 トゥガイもザバッシュに劣らぬ東部貴族の古強者だ。

 メティルイゼット王子軍程の練度を誇る部隊であれば、これだけ大きく崩されていても総崩れまでには至らず、いずれ立て直してくると見ていた。

 であれば、崩せる内に数を落としておくことが重要になる。

 現状が、攻撃こそ最大の防御となることを、トゥガイは正しく理解していた。


 崩れる部隊を割る様に、カーディル王子が飛び出してきた。

 出てきたかとトゥガイの表情が厳しく引き締まる。

 カーディル王子は強い。


 トゥガイは自身の個としての実力に相当の自信を持っており、手を合わせてみたいという欲求がないでもなかったが、獣じみているとはいえ、相手は王族の一人だ。出来れば直接剣を向けたくはない。何より優勢な状況下で一騎打ちなどして、万が一にも後れを取るようなことになれば、間違いなくトゥガイがこの戦を負けさせることになる。

 トゥガイは個の武人としてではなく、一軍の将としての責任を全うするつもりだった。


 事前にカーディル王子に対する対策は練ってきている。

 その巨体が確認されるとすぐに弓箭部隊が前に出て、逃げ崩れる他の兵士を無視してカーディル王子一人に集中攻撃を加えた。

 トゥガイとしてはこれで手傷を負い、退いてくれればと考えていたが、構えた盾を怒れる針鼠の背のようにしながら、カーディル王子は矢の雨を凌いで見せた。


 トゥガイは素早く弓箭兵を下げると、大盾を構えた部隊を押し出した。

 突き進むカーディル王子の目には、その突進を阻もうとする盾の壁にしか見えなかったが、その背後には二重、三重の罠が用意されていた。

 いつものようにその突進力で強引に突破を図ったカーディル王子は、大盾の壁をその巨体と駱駝の重量とで弾き飛ばしてみせた。

 大盾を構えた兵士たちが左右に弾き飛ばされ、カーディル王子の正面が開ける。

 だがそこでカーディル王子は、鞍上から放り出されることになった。


 盾の壁の背後に縄が伏せられており、蹴散らし飛び込んだその足元を、伏せられていた縄で見事に払われてしまったのだ。

 勢いに乗った状態で前脚を払われてしまった駱駝はどうすることも出来ず、無様な悲鳴を上げつつ地面に飛び込むように倒れ込んだ。当然その背に乗っていたカーディル王子もただでは済まない。

 だがカーディル王子は投げ出されたその巨体を器用に丸めると見事に受け身を取り、最小限の被害で立ち上がる。

 その瞬間に生じた隙はわずかなものでしかなかった。

 だが事前に備えていたトゥガイは一瞬の隙を逃すことなく網を放つと、カーディル王子を絡め捕って見せた。


 まさしく捕らわれた大型の肉食獣のような怒りの咆哮を上げると、カーディル王子は網の拘束から抜け出すべく暴れ始めた。

 獣じみていても人間だ。カーディル王子はただ暴れるのではなく、手にしていた大剣を捨てると短剣に持ち替え、網目を切り裂き始めた。

 そこにすかさず目潰しが投げ込まれ、さすがのカーディル王子も悲鳴を上げた。

 並の人間よりも五感に優れるカーディル王子にとって、目や鼻の粘膜を刺激する目潰しは効果が大きく、かつてミランも同様の手口でカーディル王子の無効化を図ったことがあった。


 目潰しではなく矢の雨でも浴びせてやればカーディル王子を仕留めることが出来ただろうが、トゥガイは王族であるカーディル王子を、本物の獣を狩る様に殺すことが出来なかった。

 そのまま何とか捕らえようとしたが、カーディル王子は目と鼻の激痛に耐えながら、死に物狂いで網を噛み破ると、まったく見当違いの方向へと逃げ出した。

 反射的にトゥガイの兵士たちがカーディル王子捕らえようと追ったが、目や鼻は殺せても耳が健在なカーディル王子は、手負いの獣そのままに大暴れし、追手の兵士たちを素手で皆殺しにしてしまう。


「下手に追うなっ! 今は無力化出来ただけで十分だ。見失わないよう小隊でも付けておけ。この戦闘が終わるまでは水で洗ったところで目も鼻も回復などせん」

 追い込まれて見せた獣のごとき強さに、トゥガイは無駄な被害を出すことを避け、戦況が落ち着くまで放置することにした。

 カーディル王子に集中していたせいでわずかに緩んだ追撃の隙を衝いて、メティルイゼット王子軍が早くも態勢を立て直し始めたからだ。


 この時点でトゥガイは勝利を確信していた。

 本来であれば、カーディル王子の特攻にはメティルイゼット王子軍が連動する。

 だが今回に限っては、カーディル王子の特攻が、反撃体制が整う前に行われてしまったため、カーディル王子の単独行動に終わってしまったのだ。


 戦いの流れを変え得る可能性のあった個としての戦闘力を持つカーディル王子を封じることに成功した今、大きく軍容を崩してしまったこの状況を覆すことは出来ない。

 仮にそれを成し得るだけの力をメティルイゼット王子が持っているのだとしたら、ザバッシュの戦いには始めから勝ち筋など存在していなかったということだ。


 ここで決着をつける。

 この地での敗北は、そのまま自分とザバッシュの人生の敗北であると、トゥガイは覚悟を決めていた。


 この地での敗北は人生の敗北であるとトゥガイに断じられた当のザバッシュは、大攻勢の先頭に立ち、猛っていた。

 大抵のゾン貴族が戦場から退き、享楽にふける年代になっても第一線に拘り続けたザバッシュは、四十を過ぎた今も全盛期に劣らぬ体力を維持していた。

 主が猛ればそれに続く騎士たちは、より一層猛る。

 遅れてなるものかと奮闘するザバッシュ配下のビルゴン騎士たちは、その実力を遺憾なく発揮していた。


 背を追われる展開の中でそれでも態勢を整えようとするメティルイゼット王子軍の士官たちは極めて優秀だった。

 だがその優秀さを、ザバッシュは一歩先んじてみせる。

 一人一人が優秀な兵士であるメティルイゼット王子軍であるが、それでもバラバラの状態であれば、質的にはるかに劣る兵士たちと大差はない。優れた個であっても、二人同時に相手取ることが出来ても、三人同時に相手取ることは出来ない。難しい対処は必要ないのだ。


 個が集まり集団となって初めて個の力が意味を持つのが戦だ。

 ザバッシュはメティルイゼット王子軍の士官が退きながらも部隊再編を行う要所を的確に見抜き、それをさせないように率いる部隊を運用している。

 個を個のままにして討つ。

 ザバッシュは戦の基本を忠実に守っていた。

 

 対するメティルイゼット王子は、ザバッシュの手腕を素直に認め、冷たい汗を流しながら、その口元に無意識の笑みを張り付けていた。

 退きながらの部隊再編のための点が、ことごとくザバッシュに見破られ、潰されていく。

 兵には勢いがあり、それでいて走り過ぎることがなく、ザバッシュの意思を見事に具現化している。

 こんな場面でなければ配下の兵士たちに手本とするよう呼び掛けていただろう。


 油断がなければ隙は生まれない。

 隙が無ければ部隊を返す時間が作れない。

 踏み止まってはみたものの、ザバッシュの堅実な用兵を前に、メティルイゼット王子は逆転の目を見出せずにいた。


 普通ならここで挽回を諦め逃げに徹する。

 戦は生き物だ。

 流れがあり、運もある。

 いかに優れた策士であっても、流れの大筋が決定してしまった盤面を覆すことは出来ない。


 それはメティルイゼット王子であっても同様であり、その戦術論を過去のものと断じた相手であっても、堅固な指揮を執られては揺さぶることは出来ない。

 指揮官としての技量だけでザバッシュの攻勢を覆すことは不可能と、メティルイゼット王子は認めた。

 そして直後に、これまでとは正反対の戦術に切り替える。

 個としての力量による突破だ。


 メティルイゼット王子は即座に体格に優れた突破力の高い騎士たちを選ぶと、自ら先頭に立ってザバッシュ軍の前面に飛び込んで行った。

 もちろん闇雲に飛び込んだわけではない。

 部隊再編の点としての位置に絞り、ザバッシュがその点を崩そうと繰り出す部隊を力ずくで返り討ちにするという、おおよそメティルイゼット王子らしくないものだ。

 <神速>の二つ名も、優れた戦術眼によって他者よりも一手早く決断、行動することが出来るからこその二つ名で、物理的な移動速度が速いからなどという単純なものではない。


 戦略、戦術に優れた才を見せるメティルイゼット王子の戦いは、戦闘規模が大きくなる程その才を他者に思い知らせる。その名が広く知らるようになったのも、大戦をその見事な指揮で勝って見せたからだ。

 故に戦況把握の難しい前線に、自分自身を一個の駒として置くことは極めて稀なことであり、大袈裟な言い方をすれば、才能の無駄遣いの極みのようなものであった。


 優れた策士が陥りがちな罠に、優れるが故に自分の策にこだわってしまうというものがある。

 策士策に溺れるという言葉があるが、メティルイゼット王子にとっての策とは、どれ程その才に恵まれていたとしても、戦における一つの選択肢でしかなく、そこに拘り、そして溺れるようなものではなかった。


 この思い切りの良過ぎる決断が功を奏する。

 一つの点を守り切ったことで部隊再編が叶い、その部隊が新たな部隊再編を可能にする。

 かなり後手に回らされたが、それでも何とか反撃のための足場を、メティルイゼット王子は手に入れることに成功した。


 だがそんな無茶をすれば、当然相応の報いを受ける。

 その正体がメティルイゼット王子だと知られていなくとも、この場に存在するザバッシュ軍の全兵士に狙われることになる。

 メティルイゼット王子はその周囲を、殺気を帯びた剣の林に囲まれることになった。


 右に左にと、手にした剣を振り下ろす。

 繰り出される槍の穂先が纏った鎧の表面を削り、徐々に命の中心に迫る。 

 そんなギリギリの状況に拍車をかけるように、ザバッシュ軍の総大将であるザバッシュ当人が飛び込んで来た。


「ここであったが百年目っ! そのこざかしい口を二度と利けなくしてくれるわっ!」

 積年の恨みからか、怒鳴るザバッシュの目は血走っていた。

「ここで私などに拘って、のこのこ前線に出てくるから過去の人間なのだ」

 それに対して、メティルイゼット王子は冷静にザバッシュの行動を批評し、改めて否定する。

 メティルイゼット王子の言葉の通り、ザバッシュはメティルイゼット王子の首を自ら取ることなどに拘らず、全体指揮に徹してメティルイゼット王子軍の戦力を削ることに徹することが、この場におけるもっとも正しい選択だった。

 

「己は死なないとでも思っているのか? ここで貴様の首を取ればすべてが終わる。配下の兵がどれ程まとまろうと、仰ぐ旗を失えば、その力に大義はない。今ここで貴様を討つ。それがこの場でもっとも正しい判断だっ!」

 否定された言葉を、ザバッシュは己の価値観で否定し返す。


「この首は、貴様ごときに取れるものではない」

 そう言うとメティルイゼット王子は、冷たく笑った。

「その、根拠のない自信を打ち砕いてくれるわっ!」

 ザバッシュは吼えると同時に斬り掛かった。


 その剣をメティルイゼット王子は横薙ぎに払ったが、わずかに押し込まれてしまう。

 力では肉体の厚みで勝るザバッシュに軍配が上がった。

 唇の端から冷笑を落とすと、メティルイゼット王子は払った剣を返し、ザバッシュの胴に狙いを定めて打込む。その軌道は鋭く速く、ザバッシュは鎧の表面をなでられながら、何とか回避する。

 先の一撃で押し込めていなければ、メティルイゼット王子の剣は間違いなくザバッシュの胴を切り裂き、腸をこの場にぶちまけていただろう。


 互いに冷や汗を流しつつ、不用意に飛び込むような真似は避け、間を開ける。

 その間を埋めるように、メティルイゼット王子配下の騎士が飛び込み、ザバッシュに斬りかかる。

 メティルイゼット王子が作り出した力押しの場に、同じく力でその首を取るべくザバッシュが飛び込んだことで、場は激しい乱戦状態になっている。


 ザバッシュは自軍が優位にある状況でメティルイゼット王子が無謀な力押しに出て来たことで自分を狩る側の人間と思い込んでいた。だがザバッシュ自身が同じ場に立ってしまうと敵の刃も届くことになる。

 己は死なないと思っていたのはザバッシュの方であり、危険の度合いで言えば、両者に差はなかった。


 敵味方が入り混じる混戦の中、それでもメティルイゼット王子とザバッシュは数十合打ち合った。

 幾度もその剣先が互いの肉体を抉り、血を流させたが、致命傷には遠かった。

 個人の戦いの結果は五分ごぶ

 だがこの戦いに要した時間は、メティルイゼット王子に軍配を上げた。


 戦況を優位に進めていた全体指揮を放棄してまでメティルイゼット王子の首を取ろうとし、それが出来なかったザバッシュは、メティルイゼット王子配下の指揮官たちに、部隊再編のための貴重な時間を与えてしまった。

 局地的なものではあるが、この場における兵数の割合は、今やメティルイゼット王子軍が上回っていた。


「ここは私に任せて、ザバッシュ卿は一度下がられよっ!」

 大将が討たれれば軍全体が敗北するのはザバッシュ軍も同様だ。

 危険な状況になりつつあることを察したセミルユザール王子が、護衛兼監視の兵を引きつれて、強引に場に割って入った。


 ザバッシュ軍に合流したセミルユザール王子は、丁重な扱いこそ受けていたが、この戦いにおいては蚊帳の外に置かれていた。

 もっともそれはネジメティン派に身を置いていた時も同様であったが、地道な努力の結果兵士たちから信頼を得ることに成功し、戦場ではそれなりの指揮権を与えられていた。


 だがザバッシュ軍では将兵から絶対的な支持を得ているザバッシュがおり、士官も充実していたためセミルユザール王子に部隊指揮権が与えられることはなかった。

 むしろ流れ矢にでも当たり、万が一のことがあってはと固く守られていた。

 セミルユザール王子はザバッシュにとって、けして失ってはならない大義名分なのだ。


 攻勢が続いている間はセミルユザール王子も大人しくザバッシュの方針に従っていた。

 メティルイゼット王子と違って軍の力を持たないセミルユザール王子は、他人の戦力を当てにするしかない。先に倒れたイミカンケ―ファー王子と同じく、他人にとっての自分の価値が、王子であることにしかないことをセミルユザール王子は理解していた。


 だが、拠るべきザバッシュに倒れられては自身の未来もない。

 先を見据えればザバッシュの存在は邪魔になる。

 ザバッシュはセミルユザール王子を傀儡としてゾン国の実権を握ることを望んでおり、セミルユザール王子はただ操られる王で終わるつもりはない。潜在的な敵同士であり、互いの利害と、明確な敵であるメティルイゼット王子の存在が両者を同じ陣営に立たせているに過ぎない。


 だがそれらすべてはメティルイゼット王子に勝って後の話だ。

 メティルイゼット王子軍に勝つにはザバッシュの存在は必要不可欠であり、今この場で死なせるわけにはいかない。

 戦場の流れが変わりつつあることを見て取ったセミルユザール王子は、護衛兼監視役の部隊長を説得し、間に合う内にザバッシュを再び全体指揮に引き戻すため、前線へと飛び込んだのだ。


「セミルユザール王子っ! 何故ここにっ!」

 割って入られたザバッシュが驚きの声を上げる。

「各所でメティルイゼット王子軍が部隊再編を完成させつつある。今分断した残りの部隊が態勢を立て直せば、優位を覆されかねない。こちら側の部隊に決定的な損害を与え、勝利を確定させるべきだ」

 セミルユザール王子が正論を一気に捲し立てる。


ろくに戦場も知らん王子の方が、余程戦況が見えているようだぞ、ザバッシュ」

 そこにメティルイゼット王子が侮蔑の言葉を投げ込む。

 そんなことは承知で全体指揮を放棄してメティルイゼット王子の首を取りに来たザバッシュからすれば、二人の王子の言葉は、ただ小煩いだけのものでしかなかった。


 ここでザバッシュが激昂し、メティルイゼット王子の首を直接取ることに拘っていたら、勝負は決していただろう。

 だがザバッシュは、ここで私憤を呑み込めるだけの器を有していた。

 額に青筋を浮かべてはいたが、それでもザバッシュはこの場から退き、全体の指揮に戻る。


 合わせてメティルイゼット王子も退きたかったが、セミルユザール王子がその存在でそれをさせない。

 大陸中に<神速>の二つ名を轟かす程の武人が、これまで内政でしか成果を上げてこなかったセミルユザール王子を目の前にして退くわけにはいかない。

 ザバッシュ側としてはセミルユザール王子を戦闘に参加させるつもりなどまったくないのだが、セミルユザール王子本人に退く気がないため、下げることが出来ずにいた。


 このまま何もせずにメティルイゼット王子が倒れ、その手に王冠が転がり込んで来たとしたら、セミルユザール王子は完全な飾り物の王となる。

 それで良しと出来る程度の男であればよかったのだろうが、その程度の器の男では、アリラヒム王によってとうの昔に切り捨てられて、そもそもこの場にはいなかっただろう。

 セミルユザール王子もアリラヒム王によって王たるの器有りと認められるだけの才覚を持って生まれてきたの男だ。

 この場にもう一人の王たる器を持つ人物がいる以上、対峙するのは必然だったのかもしれない。


「セミルユザール。貴様くらい頭の回る者なら、この場は他人に任せて退くのが正しい選択だと気づきそうなものだがな」

 ネジメティン派と戦う前は戦場で向き合うことを楽しみにしていた異母弟に対して、メティルイゼット王子は冷たく言い放った。


「他人に王冠や玉座を用意してもらうつもりはないのでね。父は狂っていたかもしれないが、弱い者、無能な者を容赦なく切り捨てたこと自体は正しかったと、今は思う。何故なら私自身が、貴方から王位を勝ち取らねば王ではないと思えるからだ」

 言葉と共に覚悟を秘めた目で睨み据える。


「その意気やよし。本来であれば好きに戦が出来さえすれば王位などくれてやってもいいのだがな。王たる資格を持つ者が、王者であろうと望むのであれば、応えてやらねばなるまい」

 セミルユザール王子の覚悟を受け取ったメティルイゼット王子が、それまで冷たく見下していた表情を引き締める。

 そんな主に応えるように、メティルイゼット王子軍の騎士たちも厳しい表情で睨みつける。

 これに対して、セミルユザール王子に付いていたザバッシュ軍の騎士たちも、それを上回る覚悟でもってセミルユザール王子の周囲に展開する。

 セミルユザール王子の意気に感じ、もはや下がらせようとはしない。むしろこの場を死に場所と定めたかのような覚悟がある。


「いざっ!」

 二つの声が見事に重なり、二人の王子は激突した――。









 トゥガイの目潰しによって戦線から離脱せざるを得なかったカーディル王子は、霞む視界の中を彷徨い歩いていた。

 目も鼻も利かない状況ではあるが、無事な聴覚のおかげでその足取りには普段と変わらない力強さがある。

 手持ちの水で目と鼻を洗ったが、その程度の量では気休めにしかならず、カーディル王子は熱砂の国で水を求めて彷徨っていた。


 その優れた聴覚が、後方での戦闘音を拾う。

 愛用の大剣を手放してしまったので武器となるものは短剣一本のみだが、カーディル王子は恐れることもなく構えると、耳を澄ませた。

 剣と剣が打ち合う音の中に悲鳴が混じり、激しい喧騒は不意に止んだ。

 複数の気配が近づいてくる。

 冷たい殺意に満たされながら待つカーディル王子の耳に、この場にそぐわない足音が届く。

 複数の戦士たちの足音に交じって、明らかに戦う術を知らない者の足音が混じっていた。

 音の軽さから女のものとわかる。


「殿下。お迎えに参りました」

 突然カーディル王子の前に現れたのは、ゾン国一の美女と名高いパラセネムであった――。

 引き続き、確認、修正が済み次第投稿させて頂きます。


 少々お待ちください。

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