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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
146/152

混乱から混沌へ (その1)

 お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。

 ここまで書きたいと思っていた場面まで書いていたら、8万文字を軽くオーバーしてしまい、なかなか投稿出来ずにいました。

 ですが変に日和らず書き切ったおかげで、かなり楽しんで書くことが出来ました。

 皆さんにも楽しんでいただけたら幸いです。


 8万文字超をいきなり『ドン!』といっぺんに投稿するとめちゃくちゃ読みにくいので、5、6回に分けて投稿させていただきます。

 とりあえず誤字脱字の確認と、文章修正の済んだその1をお送り致します。

 それではヴォオス戦記の本編をどうぞ!

 淀む空気はいやに冷たく、鼠が走り回る気配だけが音となる空間は、その大半が闇の中へと沈み込み、まるで冥府へと続く回廊を想像させる。

 そこは王宮の地下に設けられた、細く長く作られた石室。

 王家に連なる者の遺体を安置するための霊安室だ。


 その奥の石の寝台の上に、アリラヒム王の遺体が、防腐処理だけは施された状態で放置されている。

 本来であれば国を挙げて盛大にその葬儀が執り行われるのだが、宰相ヤズベッシュを筆頭に権力争いが激化し、その死さえも伏せられている現状では、かつての絶大な権力を失った王の抜け殻を顧みる家臣は、ゾンの王宮内には存在しなかった。


 もはや過去の遺物として扱われているアリラヒム王の亡骸を見下ろす人物がいた。

 息子であるメティルイゼット王子だ。

 父の亡骸を見下ろすメティルイゼット王子の目には、これといった強い感情は現れてはいなかった。

 抑えているのではなく、父の遺体を目の前にしても、これといった感情が動いていないのだ。


「ご納得頂けましたか?」

 そんなメティルイゼット王子に、アリラヒム王の亡骸を前にしているとは思えない軽い調子でジェウデトが尋ねる。

 メティルイゼット王子は正門から堂々と王都に帰還したのではなく、ジェウデトからもたらされた情報の裏付けをするべく、ジェウデトの手引きで秘かに王宮深くに存在するこの霊安室へとわずかな部下を連れただけで足を運んでいた。


「暗殺犯はもう捕らえたのか?」 

「いえ。暗部もそれなりに捜査しているようですが、そもそもどんな手口で、どのように、どこで殺害されたのか、それすら明確にはなっていない状況ですのでね。わかっていることは、発見された時の状況が異様なものだったということだけです」

 自身も一度は暗殺犯の捜索を行っていたが、その過程でカーシュナーの罠に傭兵シルヴァと共にハマって以降は興味を失い捜索を放棄していた。なので、問われてもたいしたことは答えられなかった。


 ジェウデトの答えに不満も満足も示さず、メティルイゼット王子は父の亡骸の前を後にした。

 二人の間に親子の情など存在していなかった。それを言うならアリラヒム王と他の王子たちの間にも情など存在してはいなかったが、精神的に対等であった分メティルイゼット王子にとって父の死は、ただの面倒事以外のなにものでもなかった。


 勝手知ったる王宮内を、迷うことなく進んで行く。

 その後を、忍び込んだ手前、あまり堂々と行動されてもなぁ、といった表情でジェウデトが続き、同行したメティルイゼット王子の部下たちはいつでも戦う覚悟で表情を厳しくしている。


 誰に見とがめられることもなく、メティルイゼット王子は王都を見渡せる尖塔の一つへと足を運んだ。

 現在の王宮は、中央勢力が二派に分かれていることと、未だに国王アリラヒムの死を伏せていることもあり、政治権力の中心にはない。

 ヤズベッシュ、ネジメティン両者ともに、支配権を確立してからアリラヒム王の逝去を国内に伝え、地方勢力、特に東部貴族たちの野心を抑え込みたいと考えている。

 

 宰相であるヤズベッシュは、王宮で堂々とまつりごとを行える立場ではあるのだが、そうすればネジメティンがアリラヒム王の死を公表し、下手をすればヤズベッシュこそが国王暗殺の首謀者であると断じ、地方勢力と手を取りヤズベッシュに対抗する可能性がある。

 ネジメティンが始めからそうしないのは、ヤズベッシュを打倒したとしても、その後にすんなりと自分が権力を握ることが難しいとわかっているからに過ぎない。

 ヤズベッシュを打倒するということは、中央勢力の半分の力を失うということであり、残る半分の力で地方勢力を抑えることは極めて難しい。むしろヤズベッシュの次にネジメティン派が討たれる可能性の方がはるかに高い。

 同様の理由でヤズベッシュもネジメティンに罪を着せるような真似はせず、互いが中央勢力のすべての力を糾合するために、ヤズベッシュは王宮には出仕せずに執務を行い、ネジメティンと静かな戦いを繰り広げている。


 内政の主要人物たちがことごとく出仕せず不在のため現在の王宮内には緊張感がなく、本来であればヤズベッシュやネジメティンの周囲を守っている王宮の衛兵たちも、それぞれの邸宅周辺の警備に駆り出され、王宮内はひどく閑散としてしていた。

 メティルイゼット王子がどれほど大胆に行動しても、そもそもその行動を見とがめる人間そのものが物理的に存在していなかったのだ。


 尖塔の窓からメティルイゼット王子が王都を見下ろしていると、不意に扉を叩く音が響いた。

 メティルイゼット王子配下の兵たちが殺気立つが、それをジェウデトが手を上げて制する。

「私の手の者でしょう。中央の最新の情報を届けるように申し付けておりましたので」

 そう言うとジェウデト自ら扉へと向かった。

 兵たちの中にはどうやって自分たちの現在位置を特定したのかといぶかる者もいたが、主であるメティルイゼット王子がまったく気に留めていない様子なので、そのことには誰も言及しなかった。

 たとえ尋ねたとしても、

「そのくらいの芸当は、暗部の密偵であれば誰にでも出来ますよ」

 と、軽くかわされて終わっていたはずだ。


「で、どうなっているのだ?」

 報告書に素早く目を通したジェウデトに、メティルイゼット王子が尋ねる。

 これに対し、ジェウデトは不満げに顔をしかめると、申し訳なさそうにメティルイゼット王子を見た。


「小競り合いが始まったようです」

「小競り合い?」

 ジェウデトの返答に、メティルイゼット王子も顔を顰める。


「対東部貴族戦線に派遣されておりました中央軍から東部軍に寝返った貴族が出たようです。この貴族がネジメティン派の貴族だったようで、その討伐にヤズベッシュが兵を出し、そのままなし崩し的に小競り合いに突入し、中央は現在混乱状態に陥っているというのが現状のようです。実につまらない展開です」

 最後にジェウデトが私見を付け加える。

 そして報告を聞き終えたメティルイゼット王子も、つまらなそうに手近の椅子に腰を下ろした。


「小物は所詮小物ということか。せめて一つにまとまれば、数で対抗出来たものを、つくづくつまらなくしてくれる」

 吐き捨てるように言葉を紡ぐメティルイゼット王子の目は、失望で冷え切っていた。

「対抗というのは、もちろん東部軍に対してのものではないのでしょうね?」

 ジェウデトが、その目にいたずらな色をたたえてメティルイゼット王子に尋ねる。


「東部軍など、どうでもいい。私に敵対したのだ。私の敵として相応しい力を付けるのが、私の敵の最低限の務めだ」

「二派どころか、欲が加わってバラバラに行動し始めたようですからね。どう転んでも、殿下には対抗出来んでしょうな」

 メティルイゼット王子の意図を正確に理解しているジェウデトが、自身も残念そうに首を振る。

 戦以外に興味のない男と、大きな混乱を好む男は、それぞれ別の理由から中央貴族たちの行動に幻滅していた。


「戦う価値すらない」

 幻滅が怒りに代わり始める。

「南部はどうなっている?」

 新たな敵を求めるように、メティルイゼット王子は尋ねた。

 南部には、劣勢の状況を覆して自身に手傷を負わせる程の戦士が存在する。


「動きはありません。足場固めに集中しているのでしょう。中央支配から南部を取り戻したのは見事と言えますが、所詮南部の物量は中央に遠く及びません。特に人的資源という意味では枯渇しておりますから。勢い任せで攻め込んでこないのは、正解と言えますな」

 答えるジェウデトの声には、一定の評価のようなものがあった。

「一介の密偵が、戦略家気取りか?」

「これはどうも。過ぎた口をきいてしまいました。ご容赦の程を」

 叱責とまではいかないメティルイゼット王子の皮肉に、ジェウデトは素直に頭を下げる。


「所詮は常識の範囲内ということか。確かに個の戦士として優れていても、数を生かせる指揮官には及ばん。だが、もう少しやる(、、)と見ていたのだがな」

 メティルイゼット王子はジェウデトとは違い、はっきりと失望を表す。

 負傷撤退からそのまま、南部攻略から締め出されてしまい、結局奴隷解放組織の真価を見極めきれないままになっていた。それでも予感めいたものがあったからメティルイゼット王子は中央貴族共の目論見に従い、一度南部から離れた。

 戦い甲斐のある敵が育つのは、メティルイゼット王子にとっては歓迎すべきことだからだ。

 だが結果は、メティルイゼット王子が望むようにはいかなかった。


「この機に動かぬのではたかが知れている。この国にはろくな奴がおらん」

「戦力的に不利であれば、動かないのも一つの手だと思いますが?」

 戦略家気取りと皮肉られたにもかかわらず、ジェウデトが疑問を投げかける。


「私が奴隷解放組織を率いていたら、この機にヤズベッシュかネジメティンのどちらかと手を結ぶ。先々を見据えるのであれば、ネジメティンだ」

「恩は売りやすいですな」

 ネジメティン派は勢力的にヤズベッシュ派に劣っている。正攻法でぶつかれば敗北は必至であり、状況を覆すには、何らかの外的要因が必要になる。手を結びやすいのは、劣勢であるネジメティン派であるのは間違いない。


「恩など、どうでもいい。ネジメティン派と結んでヤズベッシュ派を潰したら、返す刀でネジメティン派を討って中央を取るのだからな。貴様は南部を人手不足と評したが、南部の人間の多くが、ここ中央にいる。奴隷としてな。中央を取れば、奴隷解放を謳っている連中は、ゾンにおける最大勢力となることが出来たのだ」

 メティルイゼット王子の視点は、ヤズベッシュやネジメティンなど始めから見てはいなかった。

 より高い視点で、中央の情勢を読み、南部勢力を用いて得ることの出来る最大限の結果を語って見せた。


「なるほど。正規戦力のみで見ていたから、南部勢力がこの機に足場固めするのが正しく見えたのですな。ですが殿下のお話を伺えば、今が何よりの好機であったことがよくわかります」

「貴様。今から南部に潜ってそそのかしてこい」

「さすがに今からでは遅きに失しますな。殿下が今ここにいらっしゃいますからな。いかな策を講じたところで、結局は殿下の前で潰れて終わりでごさいます」

 メティルイゼット王子の戯れに、ジェウデトは肩をすくめて答えた。


「それより、殿下は中央をどうするおつもりですか?」

「こうなっては止むを得まい。中央を取る。誰に任せても、今後の戦がやりにくくなるからな」

 ジェウデトの問いに、メティルイゼット王子は心底嫌そうに答えた。


 この二日後、対東部貴族戦線から王都を中心に北へ大きく迂回して移動していたメティルイゼット王子直下の軍が王都北門を急襲。東部貴族と隣に存在する敵対中央貴族に意識を持っていかれていた王都守備隊はまともに抵抗することも出来ずに突破され、王宮はメティルイゼット王子の手に落ちた。

 そしてメティルイゼット王子は即日アリラヒム王の死去を布告。合わせてこの事実をヤズベッシュを筆頭にネジメティン及び中央の有力貴族たちが自身の権力拡大のために秘していたことも伝えられた。


 ヤズベッシュ、ネジメティン共に慌てて王都から逃げ出し、ギリギリのところでメティルイゼット王子の追及の手を逃れたが、王都エディルマティヤは完全にメティルイゼット王子の支配するところとなり、中央はメティルイゼット王子、ヤズベッシュ、ネジメティンの三勢力が、明確に対立することとなった――。









「メティルイゼット王子を消してもらいたい」

 突然の王都襲撃から危機一髪のところで脱出することに成功したヤズベッシュは、目の前に立つ男に暗い目をして要求した。

「お気持ちはお察しいたしますが、我らは国の諜報機関。国内情勢への介入は、宰相閣下のご命令でもお受けいたしかねます」

 そしてその要求を拒否したのは、暗部の長であった。


「建前など、どうでもいいのだ。私は現実的な話をしているのだ。いくらでやる? そちらの言い値で構わん」

 暗部の長の拒否を、目の前を飛ぶ蠅を追い払うように手を振って退けると、ヤズベッシュは性急に話を進める。

「閣下。言い値でいいとは、ゾン人らしくありませんな」

「時と場合によるわっ! 王都を抑えられ、世論まで敵に回してしまったのだぞ。ネジメティンと手を組むことも出来ん現状では、メティルイゼット王子に攻められたらひとたまりもない。死んで棺に金貨を詰め込んでもらっても、何の価値もないわ」

 暗部の長の言葉に、ヤズベッシュは額に青筋を浮かべて言い返す。

「確かに。一週間もせずに盗掘にあって終わりでしょうな」

 それに対して暗部の長は、冗談めかして応える。


「あの戦馬鹿が国を富み栄えさせると思うか? 戦費につぎ込み、国を傾けるのが今から目に浮かぶわ。誰にでも見える結末だからこそ、我ら中央貴族はメティルイゼット王子を頂かず、アリラヒム王の死も伏せたのだ。それがわからんお主でもなかろうが」

 そう言うとヤズベッシュは、抑えることが出来ない腹立ちを、目の前の机に叩きつけた。

 あまりにも強く叩き過ぎて、手を抱えて呻き声をあげる。

 その様子を、暗部の長が残念そうに見守る。


「国のために働くのが、お主ら暗部であろう。国を亡ぼす者を、お主らが討たずしてどうする」

「仰りたいことは十分承知いたしております。ですが、メティルイゼット王子は正当な王位継承者のお一人でございます。仕える立場の我らがこれを処断するのは、今後の暗部の在り方を危ういものにしてしまいます」

「国が滅んだ後に、在り方も何もあったものかっ! 建前はいいと言っただろうがっ! あの戦馬鹿に国を任せては、国が亡ぶと言っているのだっ!」

 声を裏返しながらヤズベッシュが怒鳴りつける。


「ですが、アリラヒム王に続いてメティルイゼット王子まで暗殺されたとなれば、アリラヒム王の死まで疑われますぞ?」

「毒を食らわば皿までだ。その時は全ての王子を廃し、簒奪者の汚名を着てやるわっ!」

 唸るヤズベッシュの目に、狂気が宿る。

「そこまでのお覚悟であれば、暗部は閣下に従いましょう」

「やってくれるかっ!」

「この状況では、暗部も決断しないわけにはいきません。暗部は閣下に忠誠を誓います」

 暗部の長の言葉に、ヤズベッシュは安堵の息を吐くと、椅子の背もたれに沈み込んだ。


「ですが、メティルイゼット王子の暗殺は、その配下の軍の暴走を生み出しかねません。やるのであれば、メティルイゼット王子配下の有力な将軍たちも同時に排除せねば、閣下と王子が共倒れとなり、ネジメティン様が最後お一人残られるような事態になる可能性がございます」

 暗部の長の指摘に、ヤズベッシュが大きく顔を顰める。


「あちらを共倒れにすることは出来んか?」

「お勧めは致しません。互いを咬み合せようとしても、メティルイゼット王子の牙が至近に迫れば、ネジメティン様では降伏してしまいかねません。ネジメティン派がメティルイゼット王子に吸収されてしまえば、たとえ暗殺が成功しても、中小貴族たちが数の力で閣下を排除し、その後は長く混乱が続くか、東部貴族たちに呑み込まれるかの未来しか存在しないでしょう」

 漁夫の利を狙いたかったヤズベッシュであったが、暗部の長の指摘を容易に想像出来てしまい、大きなため息を吐く。


「メティルイゼット王子派の将軍や兵士たちは、中小貴族の出身者がほとんどで、成り上がるためにメティルイゼット王子に従っております。暗殺後、すべてではなく、残りの半数の将軍を買収し、厚く遇することを約し、その情報を切り捨てる将軍たちに流して楔を打ち込んでみてはいかがでしょうか」

 メティルイゼット王子配下の軍を、全軍引き入れることが出来れば、勢力的に情勢を決することが出来る。

 たとえ東部軍とネジメティン派を同時に相手取ることになっても、勝てる見込みが高い。

 それ程にメティルイゼット王子配下の軍は優れている。

 だからこそ、全軍を引き入れるのは諸刃の剣にもなりかねない。

 最後に反旗を翻されては意味がないのだ。


 だが半数であれば、引き入れて以降もその頭を確実に抑えることが出来る。

 対ネジメティン派を考えた場合は、半数でも引き入れることが出来れば情勢が決する。

 上手く交渉すれば、戦端を開くことなくネジメティン派を吸収することができ、東部軍との戦いの目途も立つ。


 ヤズベッシュが勝ち残るには、この道筋しかなかった。


「買収工作の方は任せておけ。ことが成った暁には、暗部の長ではなく、表の地位と要職を用意する。メティルイゼット王子の方は任せるぞ」

「はっ」

 暗部の長は短く応えると、音もなくヤズベッシュの前から退出した。


 暗部を取り込むことに成功したヤズベッシュであったが、その表情は暗い。

 ヤズベッシュにとってメティルイゼット王子とは、常識的な欲ではけして測れない、理解不能な思考を持つ優秀過ぎる存在であり、どれ程手を尽くしても楽観することが出来ない相手なのだ。

 だが、ここを凌げば自身が玉座に座ることが出来る。


 野心は膨らみ、欲望が肥大化する。

 ヤズベッシュは早くも即位後の政策を夢想し始めた。

 反発、妬心。あらゆる角度からヤズベッシュを引きずり下ろそうとする手が伸びてくるだろう。

 今なら異常としか思えなかったアリラヒム王の猜疑心が理解出来る。

 ヤズベッシュはメティルイゼット王子の暗殺もまだ成っていないにもかかわらず、粛清者を指折り数え始めたのであった――。









 ゾン中央西部の小都市チャルル。

 この地にはゾン国で暮らすヴォオス人が多く集まる区画があり、その一角に、ヨゼフと名乗る商人の商会があった。

 商会の主であるヨゼフとは、カーシュナーがゾン国で活動するために使用している架空の人物であり、現実には存在していない。

 そんな商会の奥の事務室に、しっかりとヨゼフに扮したカーシュナーが、ヨゼフとしての仕事を真面目にこなしていた。


「ヨゼフ様。少しご休憩してください」

 そう言って水出しの香草茶を運んできたのは、小間使いに扮したミランだった。

 カーシュナーと呼ばず、ヨゼフと呼び掛ける徹底振りは、さすがカーシュナーの弟子と言えた。

 香草茶の香りに誘われ、カーシュナーが仕事の手を止める。

 放っておくと恐ろしい速度で仕事を処理し続け、まったく休もうとしないので、こうして誰かが常に休憩を促さなくてはならない。


「美味い」

 爽やかな香りを、鼻と喉の奥で楽しみながら、カーシュナーは一息入れた。

「ファティマたちを留めたことかい?」

 茶を出した後もその場に残ったミランに、何かあると感じたカーシュナーが話を向ける。


「そんなにあからさまに顔に出ていましたか?」

 見事に言い当てられてしまったミランが苦笑する。

「いや。メティルイゼット王子の王都急襲は想定外だったけど、疑問が残るような行動ではなかった。むしろわかりやすいくらいの行動だった」

「そうですね。おそらく情報封鎖されていたアリラヒム王の死を知り、今後も好きなように戦を愉しむためには、現状の有力者たちに政権を任せてはおけないと判断しての襲撃だったであろうことは明白ですからね」

「であれば、他にミランが疑問に思いそうなことと言えば、中央を混乱させたことを契機として、一気に中央取りに動かなかったことくらいだろう?」

「なるほど」

 相変わらずのカーシュナーの読みに、ミランは納得し、ただただ唸ることしか出来なかった。


「確かにサルヒグレゲン殿下の策から始まった中央の混乱は、攻め込む隙としては大きかった。ネジメティン派あたりと手を組んでヤズベッシュを討ち、ここでヤズベッシュ派が所有していた奴隷たちを解放することでネジメティン派をも討つことが出来た。そして更にネジメティン派の奴隷も開放すれば、ゾン国内で最大の勢力となり、王都エディルマティヤを支配することも可能だったかもしれない」

「ですが、実際にはまったく動かなかった」

「そう」

「何故ですか? 勝算は極めて高かったと思いますが?」

 ここでカーシュナーはヨゼフの顔をやめ、ニヤリと笑った。


「メティルイゼット王子のやる気を削ぐためさ」


 この一言だけでミランはすべてを察した。


「ですが、ヤズベッシュ派、ネジメティン派の奴隷を吸収した後であれば、勢力的にメティルイゼット王子の勢力を大きく凌駕出来たはずです。いくらメティルイゼット王子が本気になったとしても、今のファティマたちであれば十分対抗出来たのではありませんか?」

 ミラン自身おそらくそんなに簡単には運ばなかったと思いつつも、尋ねずにはいられなかった。


「まず先程挙げた戦略だが、南部勢力が中央を取るために取りうるものとしては、もっとも可能性が高く、効率のいい戦略だった。それだけに、動きがメティルイゼット王子に伝わった時点で、戦略は筒抜けになってしまったはずだ」

 そう言ってカーシュナーは肩をすくめた。


「動きの読めてる軍程絡め取りやすいものはない。南部勢力が目的を果たすまで指をくわえて見ていてくれるわけもない以上、中央取りはどこかの時点で阻止されただろうし、私ならネジメティンに二重の裏切りを提案し、ヤズベッシュ派を討つのに南部勢力を利用したうえで、その後ネジメティン派と共に南部勢力を挟撃し、殲滅しただろうね」

 その状況が目に浮かんだミランは、思わず唾を飲み下した。


「ネジメティン派はそもそも中央勢力の主流からこぼれてしまった貴族たちの集まりだ。メティルイゼット王子が自身に従ってきた中小貴族たちを要職につけるにしても、大国ゾンの内政をこれまで通りにこなすことは難しい。戦に集中したいメティルイゼット王子が、ネジメティン派の貴族たちの中から内政処理能力の高い者たちを受け入れるのは確実だし、ネジメティン個人の内政処理能力は十分高い。勢力的に差がない状況で、ネジメティンが東部貴族たちのように意地を見せてメティルイゼット王子に徹底抗戦する可能性は極めて低い。特にネジメティン自身が高く評価される可能性が高い状況では、意地の「い」の字も見せないだろね」

「であれば、先程の推測通りの結果になるのは確実ですね」

 これまで反メティルイゼット王子派として散々メティルイゼット王子を批判していたネジメティンのその口が、手のひらを返して称賛を口にする姿が容易に想像でき、ミランは知らず冷笑を浮かべていた。


「仮に中央制覇まで放置してくれたとしても、ことはそんなに簡単には収まらない」

「勢力的に、メティルイゼット王子を含む他の地方勢力を圧倒出来たとしてもですか?」

「厳しいだろうね」

 ミランの問いに、カーシュナーはあっさりとうなずいた。


「むしろ南部勢力が王都を取ることは、メティルイゼット王子に大きな優位をもたらすことにしかならない。何故かわかるか?」

「ファティマたちが掲げる奴隷解放の理念のせいですね」

「その通り」

 カーシュナーの問いに、ミランが正しく答えを出す。


「ゾンの奴隷社会の歴史は長い。奴隷解放という理念は、奴隷社会においてその恩恵に与っている者たちにとって共通の敵となる。これまでバラバラだった中央以外の地方勢力を一つにまとめかねない程のね」

「そして、共通の敵を前に一つとなった地方勢力が旗印として担ぎ上げるのが、メティルイゼット王子ということですね」

「そう言こと。さすがのザバッシュも、元奴隷たちの下風に立つとなれば、メティルイゼット王子に対する憎悪も一旦置いて、南部勢力討伐。王都奪還へと動き出すだろうね。そうなれば、せっかくひびを入れたはずのゾンの奴隷社会を、逆にメティルイゼット王子の元、一個の強固な地盤に固め直すことになりかねない。あの王子に本当に持たせてはいけないものは、王位や権力などではなく、すべての民衆が支持するような大義名分なのさ」

 そう言うとカーシュナーは、黒い笑いを浮かべた。


「疑問は解けたかい?」

「はい。一つ残らず」

 ミランはすっきりとした表情でうなずいた。


「ですが、このままではメティルイゼット王子に中央を取られてしまいます。そうなっては攻略は難しくなるのではありませんか?」

「取ることは取るだろうね。勢力的に三つに割れたとはいえ、そもそも質が違う。だが取ったからといって、簡単にまとまることもない。民衆の人気は高いかもしれないけど、国政を担う官僚たちからの人気はまったくないからね。身から出た錆で中央全体がボロボロになるのを待てばいい」

「なるほど。大義名分を持たせてはいけないというお言葉は、ここにも通じているのですね」

「そういうこと」

 カーシュナーは黒い笑いをニヤリと歪めた。


「ここからはしばらく静観ですね。ファティマたちも少しはゆっくりと休める」

「いや、それ程長くは休めないだろう」

「何故です?」

「メティルイゼット王子の支配を望まない者は、まだいるということさ」

 それだけ言うとカーシュナーは香草茶の残りを飲み干し、仕事に戻った――。









「つまんないことすんなよ~」

 王都エディルマティヤの地表で暮らす民衆の、誰一人知ることのない地下の空間。

 ゾン暗部の本拠地。

 王都の城壁以上に難攻不落なはずの暗部の本拠地は、闇に広がる血の池と化していた。

 国王アリラヒム暗殺の真相を究明すべく幹部たちが集まった会議の間も、それぞれの幹部たちの椅子の上に、席の持ち主たちの首だけが座らされている。


「やはり貴様を生かしておいたのは間違いだった……」

 声に呪詛を込めて呟いたのは、暗部の長その人だった。

「その意見には賛成だね」

 長の椅子に座らされている暗部の長を、その隣に立って見下ろしながら、呪詛を向けられた当人であるジェウデトが同意する。


「まさか、これ程の組織を持っていたとは……」

 暗部とは、ゾンが国として組織している密偵集団だ。

 その構成員全員ではないが、中枢を担う幹部たちが全員討たれたということは、暗部そのものが討たれたも同然だ。

 こんな真似は、隣国ヴォオスの密偵組織の総力をもってしても不可能だ。

 それを現実のものにして、自分の目の前に、ジェウデトは突きつけて来た。

 暗部とはいったい何だったのだろうか?

 そんな答えのない問いが、長の頭の中で無意味にめぐった。


「おい。この茶番をいつまで続けるつもりだ」

 暗部の長の右隣に立つジェウデトの対面。つまり暗部の長の左隣に立つ男が、心底うんざりとした顔でジェウデトに文句を言う。

 そんな表情をしていても、男が持つ端正な美はまったく損なわれることはなく、こんな状況であるにもかかわらず、暗部の長は一瞬ではあるが男に見惚れてしまった。


「もうちょっと待ってよ、アデちゃん。ただぶっ殺して終わりじゃ、何の情緒もないでしょ?」

 ジェウデトが状況に飽きてしまったアデルラールを必死になだめる。

「殺しに情緒などあってたまるか」

 だがアデルラールに取り付く島はない。


「茶番ではあるまい。笑劇だろうが」

 暗部の長が吐き捨てる。

「いいや、こいつは茶番さ。笑劇になるような展開だったら、俺は傍観させてもらっていた。クソつまらない展開に舵を切ったから、潰したのさ」

 いつも通り掴みどころのないニヤケ顔のまま、その瞳の温度だけを急激に下げてジェウデトは暗部の長の言葉を否定した。


「つまらない展開とはなんだ? メティルイゼット王子の暗殺のことを言っているのか?」

「その通り」

「その答えで合点がいった。メティルイゼット王子を手引きしたのは貴様だなっ!」

 もはや命はないと開き直った暗部の長が、怒りを真っ直ぐジェウデトにぶつける。

 その怒りに対し、ジェウデトは冷たく見降ろしたまま、表情筋のみでニタニタと笑って見せる。


「一人だけお父さんの死を知らないなんてかわいそうだろう? 教えてあげるのは王家に仕える臣民として当然の義務だからね」

「ふざけるなっ! あの王子に国政が務まるわけがなかろう。貴様は国を潰す気か」

「クソつまらないまま存続するくらいなら、面白おかしく潰れてくれた方が遥かにマシでしょ」

「……貴様は、メティルイゼット王子以上に狂っている」

「知ってるよ」

 そう答えるジェウデトの声は、嫌味なくらい冷静そのもだった。


「我らを止めても、いずれ他の誰かがあの王子を殺す。アリラヒム王も狂ってはいたが、国を富ませる才覚は群を抜いていた。だから誰もが従った。だがメティルイゼット王子は国を食い尽くす底なしの怪物だ。アリラヒム王亡き後、あの王子に居場所などない」

「だとしても、ヤズベッシュ支配のゾンがどれ程儲けられるっつの? ヤズベッシュのことだから、王位に就いた途端、あんたを消しかねないぜ?」

「…………」

 ジェウデトの当てこすりに、暗部の長は言葉を返すことが出来なかった。

 簒奪者が恐れるのは、第二の簒奪者だ。

 暗部の長にその気がなくとも、能力があるというだけで、排除の対象にされてもおかしくない。暗部の長自身、ジェウデトの指摘に納得してしまったのだ。


「やられる前にやるかい? そしてあんた自身が国王にでもなる? それはちょっと面白そうだが、如何せんどちらに転んでも小さな笑いにしかならん。やはり大きな笑いには、それなりの演者でなくちゃあ務まらないのさ」

 もはやどんな言葉を投げつけてもジェウデトは何の痛痒も覚えないと悟った暗部の長は、ただ力なくこれまで愛用してきた椅子に身を預けた。


「それに、あんたら以外がメティルイゼット王子を暗殺することが出来たら、それはそれでかなり面白い展開になる。俺は別にメティルイゼット王子の天下を望んでいるわけじゃあない。ただあんたらの支配じゃあ何の笑いも生まれないから潰しただけの話だ。あんたは選択を間違えたに過ぎない。暗部が無難に走ってどうするよ。そんなの、面白いわけないだろ?」

「もう一度だけ言う。貴様は狂っている」

「じゃあ、俺ももう一度だけ答えるよ。それ、知っている!」

 暗い目で睨み上げてくる暗部の長に顔をグッと近づけると、ジェウデトはにんまりと嗤いながら答えた。


 暗部の長が何かを口にしようとしたその時、アデルラールが無言で剣を一閃した。

 驚いたジェウデトが必死の形相で首を引っ込めるその横を、少々掠めながらアデルラールの剣が通過する。

 そしてその斬閃を追うように、暗部の長の首が自身の股の間に落ちた。

 暗部の長の首は、何かを言いたそうな形相で固まり、もはやないも映さない目でジェウデトを見上げていた。


「あぶ、危ないでしょ! アデちゃん!」

 危うく暗部の長共々首を落とされかけたジェウデトが抗議する。

「避けるな」

「避けるよ!」

 それに対し、アデルラールはただ舌打ちしただけで剣を納めた。


「すべてが無意味だ」

 暗殺を阻止すること自体は意味がある。

 だがその結果を暗部の長に突きつける行為には、何の意味もない。

 それはジェウデトの遊びに過ぎない。


「無意味なことの中にこそ面白さが隠れているもんなんだよ」

「くだらん」

「そう言うけど、暗部の実働部隊の中にはそれなりの手練れがいたでしょ?」

「いた。だがあの傭兵には及ばん」

 ジェウデトが機嫌を取る様にすり寄るが、アデルラールは不機嫌に答えただけだった。


「<海王>シルヴァみたいな相手、そうそういるわけないでしょ。あの人は特別」

 ジェウデトの言葉にアデルラールは鼻を鳴らすと、これ以上相手をするのもうんざりだとばかりに背を向けた。

「ちょっとアデちゃん。置いてかないでよ~」

 その背にジェウデトが慌ててついて行く。


 ヤズベッシュの野望は、当人の知らぬところで潰えたのであった――。 

その2以降は確認、修正が済み次第順次投降させて頂きますますので、少々お待ちください。

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