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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
144/152

動き出す中央勢力

 ずいぶんと長い間更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。


 急遽会社で必要な激ムズな資格を取らなくてはならなくなり、準備時間が圧倒的に不足していたため、やむなく執筆を控えておりました。


 おかげで資格取得となればよかったのですが、激ムズだから取得を諦めていたものを、ろくな準備期間もなく強制的に受けさせられても、そう上手くは行きませんでした。

 自己採点ではものすごく微妙な点数で、全体成績次第で上手くすると合格するかもしれないという、本当に微妙な成績でした。


 愚痴が長くなってしまい申し訳ありません。

 それではヴォオス戦記の本編をどうぞ!

 そこは東部貴族であるクシュユスフが治めるシヴァス領の東端。

 ゾン国とルオ・リシタ国とを南北に隔てているス・トラプ山脈からの雪解け水が流れつく、熱砂の国ゾンでは貴重なオアシスが存在する場所。

 周囲は岩山に囲まれ平地部分が少なく、またその位置が主要な交易路から外れているため栄えることがなかった水場だ。

 そのためこの場所はシヴァス家の避暑地として別荘が構えられているだけで、それ以外の建物は使用人と警備兵たちのための施設しかない。

 静かに過ごすにも、密会に使う(、、、、、)にも、非常に使い勝手のいい場所になっている。


 邸の主であるクシュユスフは、すべての手配を済ませ、後は待つばかりの状態となってから、以降ずっと落ち着きなく苛立っていた。

 むしろ計画を立て、兵士を配置しするなど、忙しく働いていたときの方が落ち着いていただろう。

 この辺りは戦いに慣れた武辺者の多い東部貴族の中にあって謀略を得意とする中央貴族寄りの性質を持ったクシュユスフらしい落ち着きのなさだった。


 クシュユスフはザバッシュをおびき出すために、メティルイゼット王子との仲介を約束した。ただし、メティルイゼット王子を交える前に自分とザバッシュの二人でじっくりと話をし、入念な打ち合わせをしたい旨を伝えた。

 メティルイゼット王子の人柄は、クシュユスフもザバッシュもよく知っている。

 その行動、言動は、基本他人を侮辱しようとして発せられているものではない。

 ただ、能力の高いメティルイゼット王子が、自身の価値観に基づいて言葉を発しているため、能力の劣る者には必然的に否定、批判的な言葉となって届いてしまう。

 ザバッシュとの軋轢あつれきの始まりも、その戦術を批判、否定したことにある。


 顔を合わせて再び同じことの繰り返しになっては意味がない。

 そうなれば謝罪の席を設けるクシュユスフの面目も丸潰れとなる。

 そうならないために、まずはクシュユスフがザバッシュの意向を正しく理解する必要があるのだ。

 もっともその必要性はこの場合は皆無なのだが、ここまでの規模の戦いの根本となった関係性の修復ともなれば、一朝一夕には出来ない。

 クシュユスフが事前にこういった席を設けるのは必然であった。


 和解を申し出て来たザバッシュもそのことはよくわかっていたようで、クシュユスフの使者に対して了承の意を即答したという。

 ただ一つ出された条件は、東部貴族間の関係が乱れ始めているため、会合は人目を忍び、夜間に少人数にて行いたいというものであった。

 それはクシュユスフが提示しようとしていた条件であり、どうやってザバッシュに飲ませようかと思案していた案件であった。それをザバッシュの方から申し出てくれたので、クシュユスフは運が自分に味方していると感じていた。


 東部貴族が裏では分裂し始めていることを承知していたクシュユスフとしては、下手に大きく動いて東部貴族全体を刺激し、その頑固な性格から再度団結などされては厄介と考えていた。

 何より今回の会合はザバッシュを誘い出して暗殺することが目的だ。

 事実を知る人間も、動く人間も、最小限にとどめるに限るのだ。


 クシュユスフはザバッシュが土壇場で警戒して引き返してしまわないように、この避暑地周辺に配置する兵力は少なめにしている。

 代わりに、その更に外側に、合図があり次第即座に包囲出来るだけの兵力を、奴隷兵を用いず、クシュユスフ自慢の正規兵のみで待機させていた。

 地の利は自分にある。

 特にザバッシュとはこれまで角突き合わせてきた仲だ。

 シヴァス領の避暑地の地形などわかるはずもない。


 クシュユスフは落ち着きなく、獲物が罠にかかるのを待ち続けた――。









「報告。情報通り、ザバッシュが動きました」

 その報告は、東部貴族連合から離脱し、ネジメティン派の中央貴族勢力へと寝返ろうとしている貴族バルラスに対して、偵察部隊の隊長が自らもたらしたものであった。


 場所はザバッシュが治めるビルゴン領ではなく、中央軍と向き合う戦場の、ビルゴン軍が陣を布く東部軍の一角。

 ザバッシュは膠着状態にある前線の兵士を鼓舞すると称して、普段待機している東部軍の後方本陣ではなく、ビルゴン軍の陣にその身を置いていた。

 実はここで影武者と入れ替わり、一兵士に扮してクシュユスフとの会合に向かう計画になっている。


 だがその計画も、寝返りを狙う貴族バルラスが、クシュユスフとザバッシュが会合の席を設けるという情報を中央貴族から入手(、、、、、、、、)したことで、逆に少人数で行動する隙を狙われる危機的状況となっていた。

 バルラスはクシュユスフの計画を利用し、ザバッシュの首を横取りすることでネジメティン派合流後の自分の地位を確保しようと画策したのだ。


 バルラスの動きに対して、ネジメティン派の中央貴族で、東部貴族と単独での(、、、、)同盟交渉をまかされていたベルカンが追従し、自身の私兵を繰り出して合流を図った。

 クシュユスフとザバッシュの会合の情報を入手したのはこのベルカンであった。

 ベルカンはこの情報を、交渉によって寝返らせることに成功した東部貴族のバルラスに流すことで、東部貴族による、東部軍の要であるザバッシュ討伐を狙ったのである。


 東部貴族の手によって盟主であるザバッシュが討たれたとなれば、東部貴族の結束は二度と元には戻らない。それは決定的な功績となり、ベルカンの将来における確かな地位を約束してくれる。

 それを確実なものとするために、ベルカンは自身も私兵を繰り出したが、そこにはただザバッシュの首を取ることだけでなく、クシュユスフの思惑次第ではクシュユスフの首まで取り、クシュユスフが属するメティルイゼット王子派の戦力を削ろうと見越して画策された行動であった。


 ベルカンの策略は鋭く、なかなかに野心的なものだった。

 それは他人を操り、誰よりも多くのものを手に入れる策であり、ベルカンの能力の高さと自信が窺える。

 ベルカンのはかりごとにより、東部と中央の二つの私兵部隊が動いた。

 この動きにより、更に別の動きが生まれることを、現時点のベルカンが知ることは不可能であった――。









「裏切りおったかっ!」

 声を殺して怒りを吐き出したのは、ザバッシュと共に死ぬ覚悟を決めている武辺者の東部貴族トゥガイであった。

 それはザバッシュ配下の密偵からの情報で、同じ東部貴族であるバルラスが中央貴族側へと寝返り、その手土産にとザバッシュの首を狙って兵を出したというものであった。

 そしてこの情報は極秘裏に、トゥガイにのみ伝えられた。


 今後の東部軍の劣勢を見越したザバッシュが、自らが起こした戦いに参じてくれた東部貴族のために、戦況を覆すために東部貴族でありながら中央軍に身を置くクシュユスフの説得に動いていたこともトゥガイは同時に知った。


「水臭い真似をしおってからにっ!」

 苦虫を噛み潰したように顔を顰めると、トゥガイは短く吐き捨てた。

 自分と同じくザバッシュも交渉事で戦況を動かすことを嫌う性格であることをよく知るトゥガイは、ザバッシュがどれ程の決意でクシュユスフ説得に動いたかを思い嘆息する。

 そしてザバッシュの気持ちがわかるだけに、バルラスの自分本位な裏切りに対して、より一層の怒りが湧いてくる。


 怒りに任せて大暴れしてやりたいところであったが、バルラスの裏切りが自分にだけ極秘裏に伝えられたその背景に、東部軍瓦解の可能性があることを伝えられてはそれも出来なかった。

 バルラスの行動が呼び水となり、及び腰になっている東部貴族たちがこぞって中央軍に寝返る可能性がある。


 情けない話だが、武辺者で知られる東部貴族も貴族であることに変わりはない。

 家を守るために政治的判断を下すのも当主の務めだ。

 武人として意地を通すか、当主として家を守るかの違いでしかなく、どちらが正しいとは言えないことだった。


 だからこそ、始めに同じ東部貴族としてザバッシュに対する義理と、中央貴族に対する意地で団結した。

 まず義理と意地から始まったから、東部軍の結束は固く、戦況も優位に進めることが出来た。

 そして戦況が停滞したことで勢いが削がれ、前だけを見ていた視界が広がり、義理と意地以外の損得が見えてきてしまったことで結束に緩みが生じてしまい、そこを中央貴族得意のはかりごとでつけ込まれた。

 ここでの対応を誤ると、本当に東部軍は瓦解しかねない。

 そうならないために、いざという時に備えてザバッシュはトゥガイに後の対応を託すように配下の者に伝えていたのだ。


 そうと知っては感情のままに動くことは出来ない。

 多くの戦場を経験してきたトゥガイだからこそ、対処出来ると信頼してくれた古い友の期待に応えるため、トゥガイは静かに、かつ迅速にバルラスの追撃に掛かった――。









 中央軍に私兵を率いて参戦している中央貴族であるロクマーンは、中央貴族にしては珍しい武辺者であった。

 東部軍に加わる東部貴族たちにも多くの知己が存在する。

 中でも東部軍の盟主であるザバッシュとは、同世代であったこともあり多くの戦場でくつわを並べて共に戦った仲だ。

 他人の足を引くことばかり考えている中央貴族よりも、義理と意地からザバッシュのもとに参じた東部貴族の方が好ましく思える。

 挙兵してしまったザバッシュには正直同情している。

 だが、同時にこうも思っている。


 耐えねばならなかったと――。


 メティルイゼット王子は主筋に当たる王族だ。

 言葉が過ぎることは認めるが、それでも仕えるべき王族であり、ゾン貴族である以上過ぎた言葉も呑み込み、腹の底に収めるのが筋だ。

 ましてやザバッシュはゾン国内でも屈指の大貴族だ。他の貴族たちに範を示さなければならない立場でもある。

 間違っても激情から剣を向けるなどあってはならない。

 ザバッシュはそのあってはならないことをしてしまった。

 心情的にはその気持ちも理解出来るが、それでも認めることは出来ない。

 ロクマーンは戦友の間違いを正すために、中央軍に自ら進んで参戦していた。


 膠着している戦況に少しんできていたロクマーンではあったが、配下の兵士や周囲の貴族たちの士気を下げさせないために、自軍の視察を頻繁に行っては兵士たちを鼓舞し、中央軍の他の貴族たちにも声を掛けて回っていた。

 立派な行いであったが、平均的なゾン人から見ればロクマーンは得にもならないことに労力を使う不器用な人間にしか見えなかった。

 率先して参戦したのもロクマーンだけで、他の中央貴族たちは極力参戦回避の方向に尽力し、やむなく参戦となって以降は自軍の損耗を回避するため、上手く立ち回ることに腐心していた。

 そのためロクマーンはその行いの正しさに反して他の貴族たちから煙たがられ、距離を置かれて中央軍内で軽い孤立状態に陥っていた。


 そんなロクマーンのもとに、同じ中央貴族であるベルカンが寝返り、東部軍に合流したという情報が飛び込んで来た。

 派閥に頓着しないロクマーンであったが、本人の意思とは無関係に親族の血縁の関係で現在ネジメティン派の貴族と目されていた。

 そしてベルカンも同じくネジメティン派の貴族になる。


 以前声を掛けた貴族から耳にした話に、ベルカンが東部貴族と秘かに接触しているという話があった。

 ベルカンはなかなかに優秀な若者で、文武共に秀でており、ロクマーンは高く評価していた。

 噂もベルカンの優秀さを妬んだ者が流したものだろうと一笑に付した。

 だがベルカンは実力を妬まれると同時に、高齢の父親が健在でなかなか当主の座に就けずにいる現実を嘲笑われてもいた。

 そのせいかベルカンは功に焦るきらいがあり、ロクマーンはそんなベルカンに少し危ういものを感じていたことを思い出した。

 

 くだらない噂話であったと確認するために、ロクマーンはベルカンの陣に確認のための兵を送った。

 そして戻って来た兵が報告するに、ベルカンの陣に人気はなく、隣接していた他の部隊の陣に確認したところ、何の連絡も受けていないことがわかった。


「早まったことを……」

 ロクマーンの声に落胆が混じる。

 だが戦場でゆっくりと落ち込んでいるような暇はない。状況に対して軍人として即座に動かなくてはならない。

 ロクマーンは中央軍の本陣へと使いを出すと、自身は直ちにベルカンの追跡に向かった。

 優秀なだけに敵に回せば戦況に影響が出る。

 東部軍に合流される前に追いつかなくてはならない。

 追いつければ考え直すように説得することも可能だ。


 ロクマーンは迅速に行動に移った。

 だが迅速であるが故に、その行動もその意図も、他の中央貴族たちには伝わらなかった。

 そして中央軍本陣にも、ロクマーンの使いは辿り着かなかった(、、、、、、、、)

 後にロクマーンの行動は、その意図とは真逆の解釈をされれしまうことになる――。









 ゾン国王都エディルマティヤに潜伏するカーシュナーのもとに、サルヒグレゲンの計画が届いた。

 カーシュナーは即座に呼応し、エディルマティヤにおいて行動を開始した。

 細かな策のすり合わせなど不要だった。

 そもそもの始まりが、カーシュナーがクシュユスフを軸に仕込んだ状況を、サルヒグレゲンが狙い以上に利用したものであり、その意図と利点がカーシュナーにははっきり見て取れた。

 ならばその効果を最大限に活用出来るように動けば良いだけだ。

 カーシュナーが対応すれば、サルヒグレゲンがその対応を更に利用して動いてくれるだろう。

 カーシュナーはサルヒグレゲンという男を生かして自分のもとへと導いてくれた友人たちに、心から感謝した。


 カーシュナーが始めにしたのは、ヤズベッシュに対してネジメティン派の貴族(、、、、、、、、、、)であるロクマーンの動きを、ザバッシュへの寝返りと伝えることであった。

 ロクマーンとザバッシュは若い時から共に戦場を駆けた古い戦友だ。

 その性格からロクマーンがザバッシュに対して同情的であったことは、中央貴族の誰もが見抜いていた。

 それでも敢えて率先して中央軍に参戦するその姿に、相変わらず不器用な男だと多くの者が嘲りを向けた。

 ヤズベッシュもその一人で、冗談で「そのまま東部貴族に加わればよい。奴には向こうの方がよく似合う」と揶揄して嗤っていた。

 皆がその真面目過ぎる性格を馬鹿にはしていたが、それでもその真面目さ故にロクマーンが裏切るとは露程も考えてはいなかった。

 それだけに、ロクマーン寝返りの報にヤズベッシュは驚いた。


「あの真面目一辺倒の男がか? 誤報であろう?」

 始めは報告を真に受けていなかったヤズベッシュであったが、新参の参謀の意見を受けて真面目に耳を傾ける気になった。

 参謀曰く、


「ロクマーン卿が事実寝返ったかはこの際どちらでも構わないのです。重要なのは、ネジメティン派の貴族(、、、、、、、、、、)であるロクマーン卿が寝返ったという情報なのです」


 ヤズベッシュにとって、ネジメティンはメティルイゼット王子と並ぶ大きな障害の一つだ。

 だが東部貴族との戦いが決着するまでは、互いに手出し出来ない状況にある。

 ヤズベッシュ自身、本意ではないがゾン中央の状況が自分とネジメティンの二極化で安定したことでようやく対東部貴族戦線に集中出来ると考えていた。

 東部貴族以外にも、メティルイゼット王子の動向や、鎮圧に失敗した南部の反乱軍の動向など、対応しなけれなならないことは数多くある。

 それらを処理すためにも、まずは東部貴族との戦いに決着をつける必要があった。


 だがそんな当たり前の対応だけをしていて本当にゾンの覇権を握れるのか?

 アリラヒム亡き後の覇権を誰もがよだれを垂らして狙っているこの状況で、それは迂遠に過ぎると言える。

 小さな好機を大きく広げ、覇権へと大きく一歩踏み出すための道を作らなくては、気づかぬうちに出し抜かれていたなどということになりかねない。

 そうなれば待っているのは身の破滅だけだ。


「どう動くべきか?」

 ヤズベッシュは新参の参謀に問いかける。

 これを好機として状況を優位に動かせるのであれば、動くべきだと腹を決めたのだ。


「まずはロクマーン卿を裏切り者として処断してしまいます。そうして裏切りの責をネジメティンに問います。現在も水面下で互いの勢力の切り崩しは行われております。ロクマーン卿を討つことで武力的な見せしめとし、責を問うことでネジメティンの政治力に揺さぶりをかけます」

 殺してしまえば裏切りの真偽は闇に葬られ、同時にネジメティン派の戦力を削ることが出来る。そして何より肝心なのは、ネジメティン派の貴族たちに、裏切り者を出してしまったネジメティンの統率力に疑問を持たせ、結束にくさびを打ち込むことだった。


 現状ヤズベッシュ派とネジメティン派の勢力は、わずかにヤズベッシュ派が勝っている程度だ。

 これまで宰相であるヤズベッシュの影響下で権力を得てきた者たちは当然ヤズベッシュ側についているが、その傘下に加われなかった者、のし上がる機会をうかがう者たちは一発逆転を夢見てネジメティン派に加わっている。

 ネジメティンが権力争いに勝てば、これまでヤズベッシュと共に栄えていた者たちは一掃され、これまで日陰に追いやられていた者たちが一気に日の目を見ることが出来る。

 そしてヤズベッシュ派ではあるが、それほど地位の高くない者たちを切り崩して取り込むことが出来れば、ネジメティン派が勢力を逆転させ、中央の覇権を握る可能性は十分にある。

 ヤズベッシュの権力下では出世の可能性のない者たちにとってみれば、ネジメティンはけして分の悪くない賭けの対象だった。


 だが求心力の根本は損得勘定からはじき出された欲望だ。

 ネジメティン自身の価値が下がれば、その勘定の仕方も変わってくる。

 力はげるときに削いでおかなければ、力を付けられてからでは容易にはけずることは出来なくなる。

 東部貴族との決戦を前にしたこの時期に攻撃を受けるとは考えていないネジメティン側には大きな隙がある。

 難しい決断だが、成功すれば中央の勢力図を一気に塗り替えることが出来る。東部貴族との決戦を後に回してでも仕掛ける価値はある。


「ロクマーン討伐からネジメティンの責任追及まで、間を置かずに事を進めれば、ネジメティン派の中央貴族たちを一気に切り崩せます」

 新参者にすべての手柄を持っていかれてはたまらないと、別の参謀が口を開く。


「ネジメティン派の中央貴族を三割引き込むことが出来れば、大勢は決します。引き込む者たちは、けして有力者である必要はありません。むしろネジメティン派に組するしか道がなかったような者たちにこちらから手を差し伸べれば、必ずなびきます」

 そこに別の参謀からさらに賛同する意見が出る。


「よかろう。ロクマーンを討てっ! 同時にネジメティンから力を引きはがしてやれっ!」

 腹を決めたヤズベッシュが指示を出す。

 ロクマーン討伐軍を編成する者と、ネジメティン派の切り崩し工作に取り掛かる者たちが即座に行動に移る。


「お主もよくぞ申した。確か名は……」

 始めに意見した新参の参謀に、ヤズベッシュが労いの言葉を掛けようとしたが、名前が出てこなかった。

「ネジメティン派の切り崩しが成功しなければ何の意味もございません。お褒めいただけるのでしたら、上手く事が運んだ後でお願い致します」

 新参の参謀は名前すら覚えてくれていないヤズベッシュに対し、これを機会に名前を覚えてもらおうとするのではなく、逆にその機会を辞退した。

 ゾン人らしからぬその謙虚さに、他の参謀たちは逆に警戒心を煽られた。

 結果を出す自信があっての発言と受け取ったのだ。


 新参の参謀がヤズベッシュの前から辞すると、それを追い越して他の参謀たちが駆けていく。

 その背中を新参の参謀は無表情に見送る。

 名乗られることのなかったその名は、ハムザ。

 南部八貴族領の一つであるデニゾバ領の当主であったセキズデニンを巧みに誘導して操り、カーシュナーの意思を見事に具現化してみせた間者だ。


 ハムザの手段は常に変わらない。

 正論で欲望を刺激する。

 そこに嘘や間違いがなく、自らが望むことを肯定して後押ししてくれる。

 だからその意見を受け入れる。

 自らが判断を下したと思い込みながら。


 その判断が局所的には間違いがなくても、大局的には大きな間違いであることに、セキズデニンは気がつかなかった。

 そしてヤズベッシュもその決断の間違いに気がついてはいない。

 巧みに操って見せたハムザ自身も、カーシュナーの視点からの指示があって初めて可能な意識誘導なのだ。


 急ぎ去る同僚たちを見送るハムザの歩みは変わらない。

 ただその足の向く先は、他の誰とも違った。

 この時を境に、ヤズベッシュ陣営の誰一人ハムザの姿を見た者はいなかった――。









「そんな馬鹿なっ!」

 ヤズベッシュが決断したその時、その矛先であるネジメティンは悲鳴に近い驚きの声を上げていた。

 それはネジメティンのもとに耳を疑う情報がもたらされたからだ。


「あのヤズベッシュが、ここに来てメティルイゼット王子と手を組んだだと……」

 ネジメティンと共に報告を受けた貴族の一人が、呆然としながら今聞いたばかりの情報を繰り返した。

「しかも東部貴族と雌雄を決しようとするこの時に、我らに兵を向けるというのか……」

 別の貴族も、ただ茫然と言葉をこぼすことしか出来ない。


「まさか、ヤズベッシュは既にザバッシュと秘かに和解していたのか!?」

「だからメティルイゼット王子とも和解したのかっ!!」

「だがヤズベッシュの陣営には、イミカンケ―ファー王子がいるぞっ!」

「ヤズベッシュなら、メティルイゼット王子と東部貴族勢力を取り込むためならイミカンケ―ファー王子くらい平気で切り捨てる」

 そして様々な憶測が飛び交いだす。

 元々がゾン中央勢力において主流からこぼれてしまった程度の実力の持ち主たちだ。

 一度乱れるとその結束は簡単に緩んでしまう。


「その情報は、どの程の確度のものなのだろうか?」

 そんな中、一人冷静な声を上げる人物がいた。

 ネジメティン派の大多数が飾り程度にしか見ていないゾン国王子の一人、セミルユザール王子だ。


「何か仰いましたか?」

 衝撃から自分の考えに閉じこもってしまっていたネジメティンは、セミルユザール王子の言葉をちゃんと聞いておらず、聞き返す。

 かなり礼を失した態度であるが、セミルユザール王子はそれをとがめなかった。

 セミルユザール王子は、戦にのみ傾倒しているメティルイゼット王子と異なり、逆にその関心は内政に向き、常に落ち着いた物腰で声を荒げるなどということはない人物だった。


「ヤズベッシュがメティルイゼット王子と手を組んだとの報告でしたが、裏付けは取れているのですか?」

 誰もが口にしなかった当たり前の疑問を、セミルユザール王子は改めて口にした。

 態度はいたって落ち着いているが、その目には目の前で醜態をさらす貴族たちに対する苛立ちと失望が現れている。

 そしてこの場にいる誰一人、ネジメティンすらもそのことに気づけていない。


「ヤズベッシュとザバッシュが手を組んだというのであればまだわかりますが、あのメティルイゼット王子が、どんな理由があればヤズベッシュと手を組むというのでしょう。父の死すら知らされていないというのに」

 セミルユザール王子の言葉に、浮足立っていた貴族たちがばつが悪そうに互いの顔に目をやる。


 メティルイゼット王子はあまりにも特殊な存在だ。

 その能力が高いことは誰もが認めている。

 だがその能力の使い方が、あまりにもゾン人らしくない。

 だからネジメティンたちはメティルイゼット王子を理解出来ない。

 理解出来ないから自分たちの常識で測ってしまう。

 情報を鵜呑みにしてしまったのも、自分たちの常識でメティルイゼット王子の行動を測ってしまったからだ。


 だが落ち着いて冷静に考えてみると、どのような条件を提示すればあのメティルイゼット王子がヤズベッシュと手を組むだろうか?

 今は亡き国王アリラヒムの制御下にあった時でさえ、ヤズベッシュはメティルイゼット王子を持て余し、明確に距離を取ってきた。

 そもそもイミカンケ―ファー王子を抱き込んだ時点で、メティルイゼット王子に対して敵対してみせたも同然なのだ。


 そういった意味で言えばセミルユザール王子を抱き込んでいる自分たちも同様であるが、だからこそ、メティルイゼット王子と和解して手を組むという状況が想像出来ない。

 自分たちに不可能なことが、果たしてヤズベッシュに出来るのだろうか?

 そこまでの実力差があれば、自分たちもそうだが、盟主であるネジメティンも、ヤズベッシュに対抗しようなどとは考えなかったはずだ。


「真偽の程は急ぎ確認するとして、今しなくてはならないのは、ヤズベッシュ派への対抗処置です。このような情報が出てくる時点で、ヤズベッシュ派にはもはや足並みを揃えて東部貴族に当たるつもりがない可能性があります。この情報がこの場にいる我々だけでなく、会議に参加していない貴族たちにまで広まっていたら、間違いなく浮足立ち、気の早い者なら我々の陣営から離脱しかねません。こちらの方針を早急に決めて対応する必要があると思います」

 混乱から脱した貴族たちの間に、ようやくセミルユザール王子の言葉が染み渡る。

 理解出来れば思考も働きだす。

 真っ先に立ち直ったのは、盟主であるネジメティンであった。


「まずは戦闘準備だ。東部貴族に向けていた矛をいつこちらに向けてくるかわからん。逆にこちらから攻め込むくらいの気概で準備してくれ。次に、各々(おのおの)が取り込んでいる貴族たちを再度確実に繋ぎ止めてくれ。ヤズベッシュのことだ、いきなり大兵力で攻め込んで来るよりも、こちらの動揺の隙を衝いて勢力の切り崩しを仕掛けてくる可能性の方が高い。下級貴族とはいえ、まとまった数を引き抜かれては情勢が決しかねん。各々、気を引き締めて取り掛かってくれ」

 頭が働けばその判断力は鋭い。

 ネジメティンの指示を受けた有力貴族たちは直ちに行動を開始した。


「本当にメティルイゼット王子と和解したと思いますか?」

 有力貴族たちが去り、ネジメティンとその側近だけになると、セミルユザール王子は問いかけた。

「していれば、我々は破滅ですな」

「確かに。思い煩うだけ時間の無駄ですね」

 遠回しなネジメティンの答えに、セミルユザール王子は苦笑した。

 ネジメティンの言葉通り、ヤズベッシュ派にメティルイゼット王子勢力が合流すればネジメティン派としては対抗のしようがない。


「おそらくメティルイゼット王子との和解はこちらを動揺させるための偽の情報でしょうが、武力の象徴のようなメティルイゼット王子の名前を出したということは、ヤズベッシュに武力行使の意思有りと見るべきでしょう」

「例えば、メティルイゼット王子は無理だとしても、ゾン正規軍内のメティルイゼット王子派の将軍たちを一部取り込むことに成功したといったことでしょうか?」

 ネジメティンの推測に、セミルユザール王子がより深く推し量った推測で問いかける。

「ヤズベッシュを強気にさせるには十分な条件ですな」

 セミルユザール王子の推測を吟味したネジメティンが、唸りつつも大きくうなずく。


「こちら側の勢力の切り崩しは必ず行ってくるでしょう。それに関しては私に出来ることはありません。ですが、ヤズベッシュの武力行使に備えて兵士たちを鼓舞することくらいは出来るでしょう。そちらはお任せします。私は、私に出来ることをさせてもらいます」

 セミルユザール王子はそう言うと立ち上がり、会議室から出て行った。

 ネジメティンはその背中を、一応の敬意をもって見送る。

 立ち上がらなかったところに、ネジメティンがセミルユザール王子をどの程度に評価しているかがうかがえる。


「よく働くことだ」

 ネジメティンは見えなくなった背中に皮肉を飛ばした。


 今は亡き国王アリラヒムは、貴族が派閥を作り、力を持つことをひどく嫌った。

 貴族たちの行動として、次期国王候補である王子のもとに集まり、その力で王子を国王にすることで権勢を得ようとする流れがもっとも多い。

 アリラヒムはそれをさせないために、傀儡になるような無能な王子は容赦なく排除した。

 貴族たちの懐柔をしっかりとかわし、アリラヒムに従順で、何より有能と認められた者たちだけが生き残った。

 

 セミルユザール王子は頭脳明晰で、武芸にも秀で、若いのに感情を抑える術を身に着けている。

 何より、ゾン人らしくない勤勉な人物だ。

 もっとも、そうでなければ生き残れない環境が作った、哀れな才人とも言える。


 王家ではなく、あるいは我が子にでも生まれていれば、余程多くの権力を手に入れられたに違いない。

 ネジメティンは、そんな風にセミルユザール王子の能力を認めつつ、憐れんだ。

 そして憐れみつつも、利用出来る限り利用し尽くすという意思は変わらない。


 兵士の士気は勤勉な王子に委ねることにして、ネジメティン自身は他の貴族たち同様自身の勢力下にある下級貴族たちの切り崩しを阻止するために立ち上がった。

 万が一にも切り崩されようものなら、ヤズベッシュに対抗するどころか盟主の座すら危うくなる。

 この時点のネジメティンは、まだ状況を政治力の戦いだと見ていた――。


 ネジメティンに見送られたセミルユザール王子の足取りは颯爽とし、年齢に似合わない落ち着きを完璧に纏っていた。

 父であるアリラヒムからは、試す意味ではあるが文官たちに交じって重要度の高い政策をいくつか任され、メティルイゼット王子とは違い内政で評価を得ていた。

 そのせいか周囲の人々は、セミルユザール王子のことを、争いを好まない人物と考えていた。


 だが真実は異なる。

 完璧なせいに覆い隠されたその内側では、解き放たれるのを待つ野心が猛り狂っていた。

 セミルユザール王子は見切っていた。

 もはや政治交渉で対処出来る時期は過ぎたのだと。

 ネジメティンたちの政治力では、均衡を保つのが限界だった。

 ここからは力で勝ち取るしかない。

 それがわからないからいつまでも二番手以下の地位に甘んじているネジメティンらを、セミルユザール王子は心の中で冷笑した。


 自分も含めたネジメティン派は、もとからすべての要素において劣っていたのだ。

 これまで均衡を保つことが出来たのも、東部貴族という正面の敵と、相容れない存在であるメティルイゼット王子を内に抱えていたからに過ぎない。

 一呑みには出来ないだけの勢力を維持していたから、これまでヤズベッシュ派は大きな衝突を避け、ネジメティン派を相手に政治的駆け引きで優位を取ろうとしてきた。

 メティルイゼット王子と手を組んだという情報を受けはしたが、セミルユザール王子はこの情報をまったく信じてはいなかった。ただそれを証明する術がなかったから断言しなかったに過ぎない。

 だが同時に、これが単なる誤報ではなく、状況を大きく変える意図を持って流された情報だと考えている。


 新たな状況の変化から、セミルユザール王子は先の展開を予測しようとした。

 腹違いの兄であるうメティルイゼット王子を、セミルユザール王子はネジメティンらよりはよく知っていた。

 生き残った王子たちの中では間違いなく最も優れている。

 だがある意味、最も狂っている人物でもある。

 弱者を虐げるなどの陰湿な要素とは無縁であるためゾン社会から大きく逸脱することはないが、けして相容れるということもない。

 

 父であるアリラヒム亡き後、ゾンの現代社会の代表のようなヤズベッシュが手を組めるような相手ではないのだ。

 今あるものすべてを捨て、メティルイゼット王子が再構築するであろう社会に全面的に歩み寄るでもない限り、ヤズベッシュにメティルイゼット王子と共存する道はない。

 そしてヤズベッシュに、今あるものを捨てることは出来ない。

 故に、メティルイゼット王子との戦いは、当面は生じないと見て間違いない。


 この事実に気づいている者が、自分以外に果たして存在するだろうかとセミルユザール王子は思う。

 当のヤズベッシュが理解出来ていないのだ。その取り巻きや、何とか対抗している程度のネジメティンらでは理解しようがないだろう。

 あるいはヤズベッシュ側に取り込まれているイミカンケ―ファー王子は理解しているかもしれない。

 だが、イミカンケ―ファー王子は同じ年に生まれたメティルイゼット王子と常に比較され、その下風に置かれ続けたこれまでの人生から、メティルイゼット王子に対してだけは冷静ではいられない部分がある。

 

「だからこそ噛み合うと見ていたのだが、まさか先にこちらに牙をむくとはな」

 腹違いのもう一人の兄のことを考えつつ、セミルユザール王子は苦笑と共に思わず愚痴をこぼしてしまった。

 メティルイゼット王子とイミカンケ―ファー王子を争わせる目的もあって、セミルユザール王子はゾンの最有力者であるヤズベッシュ派に組せず、ネジメティン派に加わったのだ。

 ネジメティンあたりは間違いなく、行き場のない哀れな王子に自分が手を差し伸べてやったと思い込んでいるだろうが、セミルユザール王子にもそれなりの計算があってネジメティンを選んでいたのだ。


 漁夫の利を狙うしかない立場ではあるが、アリラヒム王の治世下にあってはそんな小さな足場すらなかったことを考えれば、自分の意思で動く余地がある現状を、セミルユザール王子は諦めるつもりはなかった。

 メティルイゼット王子とイミカンケ―ファー王子を排除出来れば、自分が王位に就ける。

 勢力的に劣るセミルユザール王子にとっては、状況が予定通りに進んでしまうことは、劣る状況が確定してしまうことを意味する。

 軍事力でメティルイゼット王子に劣り、政治勢力でイミカンケ―ファー王子に劣る現状で状況が安定してしまうと、結局は時間を掛けて呑み込まれてしまう。それはセミルユザール王子とっては逆転の目がなくなるだけでしかなく、むしろ混沌とし始めたこれからの状況の中にしか逆転の目は存在しない。


 欲によって集った集団の中で、セミルユザール王子の野心は誰よりも純粋で、強い輝きを持っていた――。









「怪我のお加減は如何ですかな、メティルイゼット殿下?」

 その問いかけを、メティルイゼット王子はわずかに鼻を鳴らして無視する。

 不機嫌な王子の前に、一人の男が立っていた。

 男は暗部の密偵を名乗り、王都から情報を持ってきたと告げ、メティルイゼット王子の前にいる。


「つまらん挨拶はいい。暗部が俺に何の用だ?」

 暗部はこれまでアリラヒム王の直轄であり、宰相のヤズベッシュでさえ、アリラヒム王の意に沿う形でなければ命令を下すことは出来ない存在だった。

 アリラヒム王がメティルイゼット王子を重用しつつも監視は怠らずにいたので、ヤズベッシュもメティルイゼット王子の動向を探るのに利用してきた。


 その結果、そもそもメティルイゼット王子の側に暗部を利用しようという考えがなかったこともあるが、国王と宰相によって監視を命じられてきた暗部は、メティルイゼット王子に直接接触しないよう注意を払ってきたため、公式な接点はもとより、非公式の接点もほぼなかった。


「南部侵攻の前に殺した見張りの件で文句でも言いに来たか?」

 メティルイゼット王子は南部八貴族領侵攻の前は、西方諸国やルオ・リシタ国に対する牽制のため、ゾン北西部に派遣されていた。

 正式な命令ではあったが、その実態はメティルイゼット王子をゾン中央から遠ざけようという中央貴族たちの意向によって発せられたものであった。


 メティルイゼット王子はこの命令に従いつつ機をうかがい、中央貴族たちを出し抜いて、南部八貴族領の平定を成し遂げた。ただ、出し抜く際に自分を監視していた暗部の密偵を排除していた。

 その言葉の裏には、監視を見破られた上に殺されてしまう様な質の低い密偵を自分に付けた暗部の無能さを皮肉る響きがあった。


「文句などと、滅相もございません」

 だがメティルイゼット王子の皮肉は、訪れた暗部の密偵の面上を滑り、何の痛痒も与えることなく流された。

 男の表情を観察していたメティルイゼット王子は、微塵も変わらなかったその表情から、肝が据わっているというより、以前にメティルイゼット王子が監視の密偵を排除したという事実に何の関心も持っていないことを見抜いた。


「貴様、本当に暗部の密偵か?」

 自分が知る暗部の人間とは異質なものを感じさせる目の前の男に、メティルイゼット王子は興味を覚える。


「暗部にも色々とおります。自分で言うのもなんですが、もっともらしくない(、、、、、)密偵と自負しております」

「そんなものを自負するな」

「ごもっともで」

 男はメティルイゼット王子のツッコミに、態度だけは殊勝に頭を下げてみせた。


「要件を言え」

 これ以上の無駄話は不要と判断したメティルイゼット王子が、男に促す。

「では、ご報告させていただきます。お父上がお亡くなりになられました」

 男は簡潔に伝えた。


 反応はない。


 その場には護衛のための兵士はもちろん、配下の主だった武将たちもいた。だが、誰一人男の言葉を即座に呑み込むことが出来ず、無言が場を支配する。

 明敏な頭脳の持ち主であるメティルイゼット王子も例外ではなく、反応出来ずにいる。


「貴様っ!! 戯言では済まんぞっ!! わかっておるのだろうなっ!!」

 ようやく言葉の意味が呑み込めた副官が、男を怒鳴りつける。

 かなりきわどい冗談も、面白ければ許されてしまうゾンの風潮にあっても、国王の死を騙ることは冗談では済まされない。副官が怒鳴りつけたのは無理もない話であった。


何故伝えに来た(、、、、、、、)?」

 それまで男を観察ながらその言葉を吟味していたメティルイゼット王子が、男に尋ねる。

 父の死が事実なら、中央貴族たちは自分の耳には入れたくないはずだ。

 今、玉座が空位となれば、最も近い位置にいるのは自分ということになる。

 玉座など望んだことはないが、自分に都合のいい人物が座っていなければ、思うように戦が出来ない。

 邪魔な人間が玉座に座るくらいなら、自分で座る。

 それがメティルイゼット王子の結論になる。

 そして、それがわからない中央貴族ではないし、ヤズベッシュを筆頭とした現在の中央貴族勢力は、自分の戴冠をけして望みはしない。

 自分が玉座に座れば、現勢力は排除されるからだ。


 だからおかしいのである。

 目の前の男の存在が――。


「暗部は父の直轄機関だ。父が死んだとしても、中央貴族たちの言いなりにはならんだろう。だが、ある程度の便宜は図るはずだ。たとえば私を王位継承争いから(、、、、、、、、)遠ざける(、、、、)ために、情報封鎖に協力するくらいはな」

 メティルイゼット王子の言葉に、周囲を固めていた幕僚たちが目を見張る。

 この場にいる者たちは、全員が現中央貴族勢力から弾かれた者たちだ。

 反メティルイゼット王子派の貴族たちが考えるそうなことはよくわかる。

 怒りを覚えていたはずの幕僚たちは、それまでとは違う視線で男を突き刺した。


「仰る通りでございます。現在中央は、殿下に対して情報封鎖を行っております。私の情報で初めてお耳にされたのだとすれば、中央の方々にしては珍しく情報統制を徹底したようですね」

 実に珍しいと男はさらに続け、喉の奥で短く笑う。

 そのあからさまな皮肉は、感情を見せない暗部の人間としては異質なものであり、同時に情報を伝えつつ中央貴族たちの情報統制がどれ程効果を上げているかを、メティルイゼット王子を筆頭に幕僚たち観察することで測っていたその密偵としての手腕は侮りがたいものを感じさせた。


「独断か」

 メティルイゼット王子が、表情は変えないまま、眼光だけを鋭くして質す。

「はい」

 男は短く一言で応えた。


「ならば、貴様は密偵失格だ」

「そうかもしれません」

 メティルイゼット王子の声には、言葉では失格を言い渡しつつも、明らかに情報以上にこの重要な情報をもたらした男自身を面白がっている響きがあった。

 そして返す男の声には、苦笑いの要素が含まれていた。失格という言葉に自覚があるということだ。


「何故伝えた?」

 これはメティルイゼット王子に限らず、この場にいるすべての者が疑問に思ったことだ。

「中央の方々のお考えは理解出来なくもありませんが、ありきたり過ぎて、結局は小競り合いで混乱が長引き、国力が衰退する未来しか見えません。大国としてのゾンあっての暗部でございます。私の独断は、もちろん暗部の総意ではございませんが、私の意思は暗部の一部でもあります。残るために手立てを講じるのも、務めの内でございます」

 男を丁寧に腰を折りながら答えた。

 

「父にしたように、私に取り入ろうというわけか?」

 男を胡散臭そうに見つめながら、メティルイゼット王子が尋ねる。

「滅相もございません。そのようなことになれば、一人抜け駆けしたも同然でございます。殿下の天下となったその日の内に、粛清されてしまいます。暗部の一部だけでも残れば十分でございます」

 男の答えの裏には、今回のメティルイゼット王子に対する情報封鎖で役割を果たした暗部の主要人物たちを処断するのは構わないが、暗部そのものの解体は勘弁してほしいという、随分と都合のいい要求が込められていた。


「どちらにもいい顔をする狐がっ! 虫唾が走るわっ!」

 武将の一人が声を荒げる。

 王位継承争いからメティルイゼット王子を締め出すために情報封鎖をしておきながら、他方ではその情報を売り渡すことでメティルイゼット王子の怒りをかわそうとする。その行動はどう見ても虫が良過ぎるものであり、反感を買うのは当然のことだった。

 だが男は、怒声を浴びても小動こゆるぎもしなかった。


「私など信用していただく必要はございません。真偽の程が不確かな情報が入ったのですから、ご確認ください。その上で殿下がどのようにご判断されましても、一介の暗部の密偵ごときが意見することではございません」

 そう言って男は再び頭を下げた。

 殊勝な態度と言っていいはずなのだが、幾多の戦場をメティルイゼット王子と共に戦い抜いてきた男たちの怒気に晒されながら、怯えの影すら見せないその態度には余裕すら感じられ、メティルイゼット王子は男の言葉も態度も信用しなかった。


「偵察に割ける兵士は全て動かせ」

「この男の言葉を信じるのですか?」

 幕僚の一人が不快感を隠しもせずに尋ねる。


「頭ら信じてどうする。そもそもこの男は、自分で暗部の密偵だと自称しているに過ぎん。その身元を信じる根拠すらないのだ。それこそこの男が言ったように、不確かな情報だが、無視するわけにはいかない情報が入ったのだから確認せねばなるまい。信用出来んから確認するのだ」

 感情から言葉を発した幕僚の一人を、メティルイゼット王子は冷たく見詰めた。

 メティルイゼット王子の言葉は、ごく当たり前のことだった。感情的になり、そんな当たり前の判断を鈍らせてしまったことに、幕僚の一人は大いに恥じ入り、その恥を雪ぐために即座に偵察部隊の手配に向かった。

 そんな幕僚の様子を、男は少し感心したように観察していた。


「天幕の一つを与える。確認が取れるまでの間、そこに留まれ」

「かしこまりました」

 そう応えると、男はメティルイゼット王子の前から辞した。

 

 嘘であれば殺す。

 わかりました。


 これが二人が言葉にしなかった会話の内容である。

 そして言葉にせぬまま成立させた男の背中を、メティルイゼット王子は改めて興味深げに見つめたのであった――。


 ある意味囚われの身となったはずの男は、自分の家の庭を歩くように、案内の兵士の後に続いた。

 この不敵な男の名はジェウデト。

 退屈を嫌い、混乱を悦ぶ男は、中央の混乱に、メティルイゼットという名の劇薬を更に加えたのであった――。

 一応テスト勉強は終わったので、執筆に時間をさけるようになりましたので、頑張って続きを書きます。

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