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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・序
14/152

遭遇戦

「話が一気にでかくなりやがったな」

 王都を後にし、先行する部隊を追いかけながら、シヴァが面白そうにカーシュナーに話しかける。地下競売場を後にしてからは、普段通りのシヴァに戻っていた。

 だが、リードリットとアナベルはさすがにそうはいかず、気持ちの整理がつかないまま、無言で馬を走らせている。


「大丈夫かね。お二人さんは?」

「大丈夫だろう。いきなり気持ちの整理をつけろと言う方が無理な話なんだ。自分が何を成さなくてはいけないのか。その覚悟だけ出来ていれば十分さ。それより、シヴァの方こそ大丈夫なのか? 地下のことは全部初耳だっただろ?」

「まあな。あそこまで腐っているとはさすがに思いもしなかったからな。正直驚いたよ。それより、オリオンたちに任せっきりにして大丈夫だったのか? 俺は手伝ってもよかったんだぜ」

 カーシュナーは馬上で器用に肩をすくめてみせた。


「足手まといになるだけさ。オリオンなら、いつどこで何があったか、その痕跡すら残さずに始末してくれる」

「やっぱりか! あいつ、相当使えるだろう?」

「まともな剣術に限定しても、オリオンに勝てる人間はそうはいない。正直俺じゃあ勝てない。シヴァでも一歩間違えれば命はないと思うよ」

「強さを限定しなかったら?」

「戦う場所で大きく変わるだろうけど、地下では絶対に敵わない。闇は暗殺者アサシンにとって、絶対領域だからね」


「違いない。それにしても、あいつ元暗殺者ってわりに、意外と話が合ったんだよな」

「あれには俺も驚いたよ。オリオンは普段余計なことはあんまりしゃべらないんだけどな。よっぽどシヴァとは馬が合ったんだと思う。リタも驚いていたからね」

「カーシュは読んだことないかもしれんが、下級層では爆発的な人気の読み物があってな。オレの名前や、あいつの名前、オリオンなんかは、その中に出てくる異世界の名前なんだ。ちなみに俺はどっかの国の戦いの神様の名前で、あいつの名前は星座の名前だったはずだ」


「本の題名は?」

「異世界伝っていって、いろんな話が載っているんだ。そういえば、<アカツキ>って名前も、忍者集団の名前からとったって言ってたな」

「聞いたことないな? ところで、にんじゃってなに?」

「説明しづらいな。なんというか魔法を使える暗殺者みたいな感じだな」

「それ、無敵過ぎるだろ」

 カーシュナーが呆れて問い返す。

「そういうやつらがたくさん出てきて戦うんだ。俺もガキの頃は親父によく読んでもらった」

「それで馬が合うのか」

「たぶんな。カーシュもこれがかたずいたら、読んでみろよ」

「ああ、是非、そうするよ」

 答えるカーシュナーの声には、そう出来る日が早く来ることを願う響きがあった――。





 カーシュナーたち一行は、乗り換え用の馬を連れての移動であったため、上手く馬を交換させて走り、疲れを溜めさせないように走り続けたおかげでかなりの時間を短縮していた。

 魔窟のような状況にある王都のことは気になるが、現実問題として、謎の略奪集団に苦しめられている民衆を救うことも大切だった。食料を奪われれば、それだけでどれ程の人々が飢えに苦しみ、死んでいくかわかったものではない。


 体力のある四人は昼夜関係なく馬を飛ばしたが、当人たちより先に馬の方が音を上げたため、小休止を取ることにした。

 食事の準備をカーシュナーとシヴァが手分けして行う。意外なことに、アナベルが料理下手で、リードリットに至っては、姫特有の不器用さを最大限に発揮してくれたおかげで、「戦う前に飢え死にしたくない」という男二人の意見の結果、役割分担が分けられた。


 料理こそダメだが、その他のことはそつなくこなせる二人は、馬の世話をしている。

 戦場でも豪華な屋敷での生活をそのまま再現しようとする貴族がいる中、リードリットは馬や馬具の手入れ、武具の手入れなどといったおおよそ従者に丸投げされる雑用を熱心にこなした。戦場では何があるかわからない。戦いのための準備は最低限自分で出来なければ、いざというときに、「私の剣はどこだ?」「私の馬を知らんか?」などとうろたえていては、戦うことすらままならないからだ。

 従者たちから仕事を取らないで下さいと抗議されるので、ある程度は任せるようにしているが、それでもリードリットは手が仕事を忘れないように、必ず自分でもこなすようにしているのである。


 カーシュナーの馬の一頭の蹄鉄が外れていたので、あたらしい蹄鉄を打ち込んでいると、食事の支度が整ったと声をかけられた。

 リードリットはすぐに行くと答えたが、けして手を抜かず、ひずめにけががないことを確認してから丁寧に仕事を終えた。


 当然だが、誰も食事に手をつけることなくリードリットを待っている。シヴァあたりならおかまいなしに食事を始めそうなものだが、待ってやる程度には認めているようだ。


「カーシュ。ここ二日ほどは不甲斐ない姿を見せてしまったな。お前に出会ってから、私は己の無知を思い知らされてばかりだ。頭の良し悪し以前に、知る努力をまったくしてこなかったつけが、支払いきれんほど溜まっていた」

「幼少のころから隔離された生活をされていたのですから無理もないでしょう。何より、ロンドウェイクの件がこたえないほど殿下は冷酷に徹しきれるお方ではありませんから」

 その正体を伝えたことで、カーシュナーは王弟殿下から敬称を省いている。この四人以外の人間がこの場にいれば決してそんなことはしないが、真実を知った者には常に現実を突きつけていく。それが大切な仲間であってもだ。このあたりがリードリットには徹しきれない冷酷さであろう。


「そうそう。だいたい人の上に立つ人間は大雑把なくらいがいいんですって! 上が細かいことばっかり言ってたら、俺みたいなのは窮屈過ぎて反発したくなりますからね」

 シヴァが軽口をたたく。

「シヴァ殿の場合は反発し過ぎだ! 貴殿の上に立てるとすれば、細かいことに思いが至らない考えなしの鈍感でなければ務まらんではないか!」

 アナベルがシヴァの軽口に乗る。


 王都の地下に潜ったことで、もっとも強い衝撃を受けたのはアナベルであった。リードリット同様己の無知と、国が抱える闇の薄汚さに打ちのめされ、自分の弱さを思い知らされてしまった。そこに女だからという言い訳を持ってくることは出来ない。それは自ら捨てた弱さだからだ。いまさら頼るようなまねは出来ない。

 だからこそ、すべてを変えようと、途方もない大きさで世界を動かそうとしているカーシュナーを心底尊敬した。始めは軽蔑しかなかったシヴァの、どんな状況であろうと、誰が相手であろうと、そのすべてを笑い飛ばそうとする心の強さに、今では憧れすら抱いている。

 素直に彼らに習おうと思った。その最初の一歩が、彼らの悪ふざけに乗ることだった。


「アナベル。それこそまさに、我らが殿下のことだぜ!」

「失敬だな! 否定はせぬが・・・・・・!」

 予想をはるかに上回る返しが、アナベルの口から飛び出す。

 これにはさすがのシヴァとカーシュナーも、一瞬呆気に取られる。リードリットだけは何が起こっているのかよくわからず、一人きょとんとしている。

「あっ……」

 すべったと思い言い訳が口を突こうとした瞬間、カーシュナーとシヴァの爆笑が野営地に響き渡った。そのあまりの大声に、馬たちがびくりと体を震わせる。


「あっ、その、む、無理に笑わなくてもいいのだが……」

 アナベルの反応が余計に二人を刺激し、ついには座っていた石の上から転げ落ち、雪の中で腹を抱えて笑い続ける。

「アナベル。今のはどのあたりが面白かったのだ?」

 今一つピンとこないリードリットが、真顔でアナベルにたずねる。

 説明しようとすれば、リードリットがシヴァに馬鹿で鈍感だと言われたことを認めたことをまず説明しなくてはならず、当然そんなことは出来ないアナベルは、どう切り抜けようかとしどろもどろになるしかなった。


 これがとどめとなって、カーシュナーとシヴァの二人は、腹筋がつって笑えなくなるまで笑い転げることになった――。





「お二人がいい方向へ回復していることがわかって、私も一安心しました。厳しい現実を見てもらうことになりましたが、その甲斐があったというものです」

 痛む腹筋をさすりながら、カーシュナーがいつものいたずらな笑顔を見せる。リードリットもアナベルも、その笑顔を久しぶりに見た気がした。


「それにしても、どうしてもあの三人が気にかかって仕方がない」

 リードリットが濃い目に味付けされたシチューと、日持ちするようにと硬く焼き上げたパンを頬張りながら言う。リードリットが言うあの三人とは、競売にかけられたハリンゲン伯令嬢ルティアーナと渡来人の幼い兄弟のことだ。


「それは俺も気になりますけどね。オリオンに任せておくしかないでしょ。俺たち王都から出てきちまったわけですし」

「なんとかその後の状況を知る手立てがあればよいのだがな……」

 リードリットが眉間にしわを寄せて考え込んだとき、空に視線をやっていたカーシュナーがおもむろに立ち上がり、胸元から小さな笛を取り出し口にした。

 大きく息を吸い、目一杯吹き鳴らす。不思議なことにその音は全く響き渡らなかった。


「カーシュ。それはな……」

 リードリットが問いかけようとした瞬間、空から人の頭ほどもある塊が降下して来た。塊はカーシュナーの手前で大きな翼を広げると、降下の勢いを見事に打ち消し、差し出されたカーシュナーの腕にふわりととまった。

 それは力強く美しい姿をした一羽の鷹であった。


「どうやらその後の状況が届いたようです。殿下」

 カーシュナーが鷹の足に止められた小さな筒の中から一枚の紙片を取り出しながら告げた。

「まことか! 貸せ!」

 カーシュナーの返事も待たずに紙片をひったくる。

 そこには何も書かれてはおらず、小さな点が無数に開いているだけであった。


「普通に書いてあるわけないでしょ。暗号化してあるから殿下には読めませんよ」

 そう言われても素直に渡さず、紙片を縦にしたり横にしたり、裏返したり陽に透かしてみたりする。

「ダメだ。上下の区別もつかん」

 ついには降参して紙片をカーシュナーに返す。

 カーシュナーは返してもらった紙片を細かく折りたたむと、再び筒の中に戻してしまう。そして、おもむろに鷹に話しかけた。


「先生。出来の悪い教え子に、ご教授のほどよろしくお願いいたします」

 そう言うと、馬鹿丁寧に三度頭を下げる。

「ニンムカンリョウ。ゼンインブジホゴ。ニンムカン……」

 なんとカーシュナーの問いかけに、鷹が聞き取りにくいながらも人の言葉で答えたのだ。


「なんとおおぉぉ!!」

 驚いたリードリットが頓狂な声を上げる。シヴァとアナベルの二人も、驚きのあまり腰を浮かせていた。

 カーシュナーは食料の中から肉片を取り出すと鷹に与え、大きく腕を振るって鷹を空へ帰した。再び空の住人となった鷹は、まるで挨拶でもするかのように一同の上で大きく旋回すると、王都の方向へと飛び去って行った。


「な、なんだ! あれは! 鷹がしゃべりおったぞ!」

「……カーシュ。まさか、お前さんの腹話術じゃないだろうな?」

「なに! そうなのか!」

 すっかり興奮しているリードリットに、カーシュナーは、

「ふくわじゅつじゃないよ」

 と、口をまったく動かさずに答えた。

「腹話術ではないか!!」

 天然ボケのリードリットではあるが、これにはさすがにツッコミをいれる。


「今のは確かに腹話術ですが、先程の伝言は腹話術ではありません。あの鷹が覚え込ませた言葉を繰り返したんです」

「まぎらわしい真似をするでない!」

 リードリットを手玉に取り、ご満悦のカーシュナーにリードリットの鉄拳がみぞおちに飛ぶ。

 本気のこぶしに、カーシュナーは慌てて急所を外して受ける。


「腹はやめてください! 食べたものが出るでしょうが!」

 カーシュナーの当然の抗議は、全員に聞き流された。


「多少苛立いらだたされたが、これで心配の種が一つ解消された」

 再びシチューを口に運びながら、リードリットが満面の笑みを浮かべて言う。

 アナベルも心底ほっとした表情でうなずいた。


「ところでカーシュ。あの鷹は何なんだよ? しゃべる鷹なんて聞いたことねえぞ」

 シヴァの問いかけに、リードリットとアナベルも身を乗り出してくる。

 これに対しカーシュナーは、笑い過ぎとリードリットの鉄拳で二重に痛めた腹筋をさすりながら、元気のない声で答える。

「オウムや九官鳥をご存知ですか?」

「それなら知っている。どちらもヴィオスには生息しておらんが、物好きな貴族の屋敷には、たいがいどちらか飼われているからな」

「馬鹿な使用人が主人の悪口を覚えられてくびになるっていうあれか」

 リードリットとシヴァがそれぞれに答える。知識は偏っているが、一応は知っているらしい。


「鳥類の中で人の言葉を覚えて話せる種類がいることは確かですが、鷹はそうではありません。たいへん賢い鳥ですが、のどの構造上話せないはずです」

 アナベルだけが的確な答えを返す。

「ええ、その通りです。普通に飼い馴らされただけでは、鷹が言葉を話せるようになることはありません。ひなのころからある特殊なエサを与え続けることで、肉体機能が一世代の間で劇的に変化するのです」

「特殊なエサ?」


「魔境や辺境といったなかなか人が足を踏み入れない地に生息する魔物の一種に、<幻聴蛙げんちょうかえる>というカエル型の魔物が存在します。これを特別な下処理を行って毒素を抜き、その肉を与え続けることで、魔物化が進行するのです」

「そんなことをして大丈夫なのか?」

「その加減を見極めた者たちが、代々秘術として継承し、貴重な伝言能力を有する鷹を育て上げるのです」


「あの複雑な暗号は一体何なのだ? いらぬであろう?」

「目くらましです。万が一にも鷹が捕らえられた際に、注意をそらすための」

「では、あの内容はでたらめであったか。どうりで読めないわけだ」

 一人勝手に納得しているリードリットに、

「でたらめではありません。解読の方法がわかっていればちゃんと読めます。もっとも、そこには読んだ者をくらませる偽情報が記されているんですけどね」

 と、現実を突きつけた。

「……どこまでも抜かりのないやつめ」

「そうあれるように務めております」


「話戻すけど、あの三人は助かった後はどうなるんだ?」

「渡来人の兄妹は、体力的に旅が出来る状態であれば、もうクライツベルヘンに向かっているはずだ。領地の中に、唯一海に面している土地があってね。そこには海流の影響なのか、渡来人の船がよく流れついてくるんだ。そこでなら安心して暮らせるはずだ」

「ガキ二人でやっていけるのか?」

「やっていけるように、しっかりと教育するさ。生きることと、生かされることはまったく別の話だ。ただ生き続けるってだけのことが、今はひどく難しい時代になってしまっている。あとは二人の努力次第だ」

 カーシュナーの言葉は厳しい。だが、その言葉には誰もがうなずかざるを得なかった。


「ハリンゲン伯のとこのお嬢さんはどうなるんだ? アナベルが設立した私塾の寮にでも帰すのか?」

「それは無理だな。また、さらわれるのが落ちだろう。北部の混乱を考えるとハリンゲン伯の元に帰すのも難しいから、地下にこもってもらうことになる」

「あの子に耐えられるだろうか?」

 アナベルが心配そうにたずねてくる。


「お嬢様気質を発揮して、わがままを言うのなら、それで結構。もう一度競売にでもかけて売り飛ばすだけのことです」

「カーシュナー卿!!」

「助ける相手の貴賤は選びません。貴族令嬢だから特別扱いしろ、物乞いだから見捨てろなどという理屈は、私の元では通しません」

「……あの子次第というわけか」

 やさしさと厳しさが同居するカーシュナーならば、見切りをつけた者に容赦などしないだろう。これまでのカーシュナーの行動を見てきたアナベルは確信していた。それだけに、カーシュナーの言ったお嬢様気質が心配になる。


「自分が作った塾の生徒を信じろよ。どうせ馬鹿なままじゃあ生きてはいかれない世の中なんだ。死にたくなきゃあ空気読むだろ」

「創設者がこの私の私塾の生徒がか?」

「うっ! ……確かに融通が利かなさそうに聞こえるな」

 シヴァが思わず本音を漏らす。

「まあ、リタがいるので心配はないでしょう。最悪、リタにしつけられて気性がかなり荒っぽくなるくらいですよ」

「そ、それも困る!」

 アナベルは慌てつつも、カーシュナーの軽口に、心のおもりが外れる思いだった。





 一同は食事を切り上げ、馬の体力の回復を待ってから出発した。それぞれが交代で一時間ばかりの仮眠を取っただけだが、どの顔にも疲労の色は見られない。王都からもたらされた小さな朗報のおかげだろう。

 一面に広がる雪景色の中を、一行は馬首を西へ向けて疾走する。冷たい風を頬に受けながら、リードリットは馬首をカーシュナーと並べた。翠玉の瞳が、すべてを見透かしたうえで問いかけてくる。

 リードリットは胸の内の一番底で澱んでいた二つの疑問を、意を決してカーシュナーにぶつけた。


「問いたいことは二つ。まず、ルートルーンは叔父上のこと承知しておるのか?」

 ルートルーンとは、ロンドウェイクの息子で、リードリットにとっては従弟にあたる少年だ。まだ十四歳になったばかりで、母親似で線が細いが、心根の優しい正直な性格をしており、城中の者から好かれている。また、どういうわけか、リードリットに対する偏見を持たず、幼いころからその後ろをついて歩いていた。そのおかげで、リードリットもルートルーンのことを弟のようにかわいがっていた。


「何もご存じありません。ルートルーン殿下にとって、父であるロンドウェイクは誇りであり、息子の想いはロンドウェイクにとっても大切なものです。ロンドウェイクは地下競売場を見下し、嫌悪すらしていますが、同時にその魔性の魅力から離れられないでいる。すべてが毒であり、害悪以外の何ものでもないということは理解しているので、けしてルートルーン殿下を巻き込むことがないよう細心の注意を払っています」

 カーシュナーの説明を受け、リードリットは安堵の吐息をもらす。万が一ルートルーンまで関わっていた場合は、どれほど情があろうと、その罪を許すわけにはいかなかったからだ。


 一つの懸念が払拭ふっしょくされ、リードリットはもっとも危惧している疑問を口にした。

「……地下の競売には、父上も関わっているのか?」

 この言葉に、アナベルが馬上でびくりと身体を揺らす。

「いいえ。まったく。ぜんぜん。これっぽっちも関わってはおりません」

 真剣な問いかけに、カーシュナーは明らかにふざけた態度で答えた。それは、嘘偽りなく、本当にどうでもいい話と捉えていることを、カーシュナーなりの思いやりで表現した答えだった。

 これまでの付き合いで、カーシュナーの屈折した思いやりを読み取れるようになっていたリードリットとアナベルは、全身の筋肉を縛りつけていた緊張が解かれていくのを感じた。


「陛下はそもそも、去年の盗賊ギルドの分裂騒動すら知らないはずです。それにより、王都でどれほどの混乱があったかもです」

「……すまん」

 カーシュナーの言葉には、断罪の響きがあった。その中身を知るにつけ、カーシュナーが真に敵視しているのが、国王としての義務を一切果たそうとしていない父であると、リードリットは確信していた。今となっては、リードリットもカーシュナーの考えを否定できなくなっている。

 どれほど父を愛していようと、現実を知ってしまった後では擁護することは出来なかった。


「ですので、殿下には陛下の分も働いていただきますから。腹心であるアナベルもです」

 カーシュナーの言葉は、二人の内心を読み切った上でのものであった。言葉をかけられた方はずいぶんと心が楽になる。

「わかっておる! だから早く働かせろ! 西方を荒らすならず者どもを、一人残らず討ち取ってくれるわ!」

「私も、その心づもりです!」

「目一杯こき使いますから、お覚悟ください」

 とんでもない台詞セリフを、嬉しそうに口にする。


「なあ、カーシュ。一つ引っかかっていたんだけどよう。どうして大将軍様ともあろうもんが、人身売買なんかに手を染めちまったんだ? クソうるせえおっさんだったけど、それなりの度量と覇気は持っていたと思うんだがな」

「そうだな。その有能さと覇気が、ロンドウェイクの中で大き過ぎる野心を育て、その能力故に、陛下に対して膝を折ることに不満を溜めこむ結果につながったんだろう。大将軍という地位も王弟という立場も、ロンドウェイクにとっては支配される側のものでしかなく、覇気と野心で乾ききっていた心に、人の運命すらも支配するあの異常空間の空気が、隅々まで染み込んだに違いない。

 狂気以外の何ものでもないが、競売を取り仕切っていたあの瞬間を、ロンドウェイクが心底楽しんでいたことは間違いない事実だ」


「叔父上はそれほどまでに父を恨んでいたのか……」

「懸かっているのは、この国に一つしか存在しない至尊の御坐みざです。人を狂わすだけの魔力を持っていて当然です」


「この件にクロクスは関わっているのか?」

 シヴァがたずねる。

「関わるも何も、あの地下空間にロンドウェイクを引きずり込んだのは、クロクス本人だ」

「なに!!」

 これを聞いたリードリットの表情が、一気に険しくなる。

「あの地下空間は、クロクスにとって様々な意味を持っていることは確かですが、最大の目的は、五大家を除いたうえでの最大の政敵であるロンドウェイクを堕落させ、手懐けることなのです」


「マジか!」

「手懐けるという策は、本来次善の策で、盗賊ギルドが抱えていた暗殺者集団を用いて強制的に排除するつもりだったようです。ですが、オリオンの反逆のおかげで肝心の暗殺者集団を失い計画は頓挫しました。ただし、盗賊ギルドの抱き込みには成功したので、この地下空間を作りだし、舞台を用意しました。そして、ロンドウェイクの支配欲を巧みに刺激し、膨れ上がったところを制御して、人身売買という背徳の毒沼に引きずり込んだのです」


「始めは消す・・つもりでいたってわけか」

「これは王家に対するまぎれもない反逆ではないですか!」

 アナベルが憤慨して声を上げる。

「陰謀のめぐらし合いでは、クロクスの方が一枚上手だったということです」

「何を悠長な!」

「悠長? 王家には事態を正す時間はいくらでもあったはずです。三賢王さんけんおう時代に築き上げられたものを、五十年かけて食い尽くした結果が、クロクスに盤石の権力基盤を整えさせたのでしょうが!」

 カーシュナーの厳しい言葉に、アナベルは黙るしかなかった。アナベルが思い考えることなど、カーシュナーはとうの昔に通り過ぎ、その先を考え対応しているのだ。


「これでは、誰にもライドバッハの反乱を責められんな」

 リードリットが重いため息とともに言う。

「今はそこまで考える必要はありません。ライドバッハの言葉が本当ならば、我々が戦う理由はありませんからね」

 答えるカーシュナーの声には一切の気負いがなかった。ライドバッハの軍勢が十万以上であることを考えれば、それは肝が据わっているというより、アナベルが先ほど言ったように、悠長が過ぎるというものだ。


「お主、ライドバッハのことで、我々の知らないような情報を握っているのか?」

「まさか! あの人の腹の内を読むことなんて、誰にも出来はしません。情報をどれほど集めようと、そこから答えなんて導き出せませんよ。考えるだけ無駄ってことです」

「それでは絶対に勝てんではないか! ライドバッハが玉座を望んだが最後、ヴォオス王家は滅びてしまう」

「いや、私としては、そこまで欲をかいてほしいと思っているんですがね」

「どういうことだ!」


「ライドバッハの真の目的がヴォオスの支配であるならば、そのときこそ、五大家すべてが動く時・・・・・・・・・・だからです」


 ニヤリと笑って見せるカーシュナーの顔は、極めつきに極悪な表情をしていた――。









 前方に雪煙が舞い上がっていた。湿り気を持たない雪のため、積もった後も星のかけらのようにきらめき、風に流され漂っている。風が吹いただけではこうはならない。何かが降り積もった雪を撹拌かくはんし、巻き上げているのだ。


「思ったより早めに追いついたようだな」

 舞い上がる雪煙を、先行させた赤玲せきれい騎士団のものと判断したリードリットが笑顔を見せる。

「姫さん。それはちょいとばっかし気が早いかもだぜ」

 早くも戦闘態勢に入っているシヴァが、待ったをかける。

「殿下! これは争っている音です!」

 片方しかない耳に手を当てていたアナベルが、声に緊張をみなぎらせる。


「カーシュ! この先の地理はどうなっている!」

「僻地の村がありますが、まだ視認出来るような距離までは来ていないはずです!」

「わかった! 各自いつでも離脱出来る態勢でいろ! 状況を確認する!」

 リードリットの指示が飛び、一同は全力で馬を駆けさせる。地を蹴る蹄の轟きも、積もった雪に吸い取られ、くぐもった低い振動だけを伝えてくる。


 距離はあっという間に縮まり、状況が把握出来るようになる。

 おそらく商人の一団だろう。護衛の兵に守られているが、襲撃者側との実力差があり過ぎるため、次々と切り伏せられていく。

 襲撃者側の人数は、おおよそ五十人といったところだ。


 先頭を駆けていたリードリットを、シヴァの馬が追い越して行く。驚いたことに、全速で疾走している最中に替え馬に乗り換えたようで、とんでもない勢いで突進して行く。

「先行し過ぎだ! シヴァ!」

 リードリットの制止の声が飛ぶ。

「はっ! 悪いが姫さん、全部俺がもらうぜ! 王都で溜まった鬱憤うっぷんの丁度いい憂さ晴らしだ! ようこそ愚かなクソ野郎ども!」

 シヴァはリードリットの制止を鼻で笑い飛ばすと、言葉だけを残してさらに速度を速めていく。その背中をカーシュナーの声が追いかける。

「シヴァ! 連中、野盗にしては動きにまとまりがあり過ぎる! 例の略奪集団の部隊かもしれん! 油断するな!」

「あいよっ!!」

 手にした槍をグルグルと回転させて答える。


「カーシュ! あおってどうする! 止めろ!」

 焦ったリードリットが振り返って怒鳴ると、カーシュナーもシヴァ同様、替え馬に乗り換えているところだった。

 何気なく行われた達人技に、リードリットは思わず見惚れる。

「王都では本当によくこらえてくれました。あいつにはこれくらいの御褒美があってもかまわんでしょう。突っ込み過ぎないようにだけ注意しておきます。それではお先に!」

 言うが早いか、リードリットとアナベルを置いて疾走して行く。


 ちらりと替え馬に視線を投げたリードリットに、アナベルの制止が飛ぶ。

「殿下! ダメです!」

「いや、ちょっと私もやって……」

「ダメです!!」

 有無を言わせぬ視線で黙らせる。

「ええい、腹立たしい! もっと馬術の修練を積んでおくのであった!」

「それは私も同じ気持ちです!」


 自分を置いて先行していく背中に、リードリットはいら立ちのこもった声を投げつける。

「おい、カーシュ! 私の分も残しておけよ!」

 これに対してカーシュナーは、振り返ると片手を鼻に当て、手をひらひらと振ってみせた。そのまま尻でも叩きそうな勢いであったが、さすがにそこまで悪ふざけはしない。


「よしっ、決めたぞアナベル!」

「……何をですか?」

 リードリットのこめかみに浮かんだ血管を見つめながら、アナベルが問い返す。

「まず始めにあいつを殺す!」

「あ~っ、ご随意にどうぞ……」

 カーシュナーたちの悪ふざけに乗ることを決めたアナベルは、以前のように真剣に受け止めることなく、あっさりと受け流した――。





 商人の一団を襲撃していた者たちは、その側面を人の形をした稲妻に打ち抜かれ、一瞬にして混乱に陥った。

 力の差のある相手をいたぶり、油断していたところへ強烈な一撃を受けたため、隊列は大きく乱れた。そこに、追撃がかかり、混乱に拍車がかかる。

 シヴァの突進と、その後を追ってきたカーシュナーの攻撃である。


 シヴァは突進の勢いのまま隊列を駆け抜け、突き抜けると即座に馬を返し、再度突進する。シヴァが駆け抜ける都度、その通り道にいた襲撃者たちが血の尾を引きながら、馬上から崩れ落ちていった。

 カーシュナーはシヴァが開けた風穴を、さらに押し広げるように戦っている。


 シヴァが繰り出す槍の一撃は、雷光さながらに鋭く、誰一人として受けることもかわすことも出来ないでいた。その戦いには余裕すら漂い、たった二人で五十騎を相手にしているとは思えないほど大胆なものであった。

 襲撃者たちはカーシュナーの見立て通り、ただの野盗ではなかった。全員が揃いの防寒装備に身を包み、その下には鎖帷子と皮鎧を身に着けている。十分な装備に、それに見合うだけの訓練を積んできた男たちが、シヴァの繰り出す槍の前に全員一撃で倒されていく。


 カーシュナーはその長すぎる両腕を振り回し、とんでもない間合いから重い一撃を見舞っている。普通であればただの大振りでしかないのだが、長いだけでなくしなやかな関節と、細身の身体からは想像もつかない腕力で繰り出される攻撃は、受けた相手の剣と鎧を破壊し、相手の身体を斬るのではなく、砕いて馬上から叩き落としていた。


 悪鬼のごとき強さを誇る二人の騎士の姿を、追いかけてきたリードリットは呆れる思いで見つめていた。

「早くせんと、本当に一人も残さずに討ち取ってしまいかねんな」

 呆れつつも、リードリットはカーシュナーの隣に陣取り、馬をぶつけるように襲撃者に襲い掛かっていった。通常の剣の三倍は厚みのある長剣が振り上げられ、その重量を利用した速度で振り下ろされる。

 剣を掲げて受けた止めようとした男は、その途方もない剣圧に抗しきれず、頭部を真っ二つにされたところでようやく受け止めた。思い切り手遅れであったが。


 脳天を叩き割ってやったまではよかったのだが、相手の身体に剣が引っかかってしまったリードリットは、普通ならそれで剣を失うところを、両手で剣を握りしめると、男の身体を釣り上げるように馬上から引き抜き、襲撃者たちの頭上高くに放り投げてみせた。落下する死体に巻き込まれるというあり得ない一撃を受けた襲撃者の一人が馬上からなだれ落ちる。


 カーシュナーと違い、かつらなどでその赤髪を隠さないリードリットは、その素性が一瞬で知れ渡る。

「姫将軍だ! ヴォオス軍が近くにいるぞ! 全軍撤退! 撤退だ!」

 リードリットの正体を悟った隊長らしき男が、声を震わせて撤退を命じる。

「ふざけるな! 全員生きて返すと思ったか!」

 まるで悪役のような台詞を吐きつつ、暴風のような勢いで剣を振り回し、さらに二人の男を斬り落とす。


 アナベルも十分以上の強さを誇る騎士ではあるが、化け物のような三人に、ほぼ八つ当たりの勢いで攻め立てられてはたまったものではない。

 二十人以上を一瞬の間に失った部隊は、もはや統率のかけらもなく、死に物狂いで逃げ出した。

 まだまだ暴れたりない三人ではあったが、商人の一団でもかなりの死傷者が出ていたため、追撃を加えることは諦めた。

 

 シヴァが、リードリットが放り投げた死体に巻き込まれて落馬した男を引きずり起こす。偶然生け捕りに成功した捕虜だ。

 シヴァの行動は、ほんの少しだけ早かった。引きずり起こした男の首筋に、風を切り裂き飛来した矢が突き立つ。致命傷であることを瞬時に悟ったシヴァは、死んだばかりの男の陰に身を隠す。人間の盾だ。

 二の矢を待ったが飛来しては来ない。

 死体の陰からのぞくと、馬上で弓を構えた男がこちらを見ていた。撤退する部隊のしんがりを務めている。その距離は、シヴァでは決して正確には射抜けないほどの場所から放たれた一矢であった。


「てめえ! 射るならまず俺の方だろうが! なに味方狙ってんだ! コラァ!!」

 狙えと言わんばかりに両手を広げてシヴァが挑発する。その狙われた味方を盾にしたことは棚上げされている。

 しんがりを務める男は、シヴァの挑発に乗り、再度矢をつがえて放った。一瞬鋭い音を発し、矢は狙い過たず、シヴァの顔面に襲いかかった。

「シヴァ殿!!」

 アナベルの絶叫が響き渡る。それは一瞬の後、驚愕の声に変わった。


 シヴァは飛来した矢に対し、大口を開けて待ち受けると、喉の奥から首の後ろまで貫通しそうな勢いの矢を噛み取ってしまったのだ。

 これには矢を射った方も驚いたようで、遠目にもその気配が伝わってくる。

 それを見たシヴァは、噛み取った矢を楊枝代わりに歯の隙間を掃除し、侮辱的な手つきでへし折り放り投げた。

 しんがりの男は、今度は挑発には乗らず、部隊の後を追って背を向けた。その背中は何の感情も見せてはいなかった。


「姫さんが目立つから逃げちまったじゃねえっすか!」

 それまでの空気をあっさり捨てて、シヴァがリードリットを非難する。

「何を言うか! 今回に関しては、どちらかと言えばお主が暴れすぎたからだ! あっという間に十騎以上も倒しおって! 連中尻尾を巻いて逃げて行ったではないか!」

「最後に意外な根性見せてったけどな」

「そうだな。しんがりを務めるだけあってなかなかの腕であった。味方を射たことはいただけんがな」

 仲がいいのか悪いのか、言い合いをしていたかと思えば、二人して敵の実力に納得している。


「カーシュ! 何かわかったか?」

 死体を調べていたカーシュナーに、シヴァが声をかける。

「ルオ・リシタ人でしょう。部族まではわかりませんが」

 一緒に調べていたアナベルが答える。カーシュナーは遺体の一人を裸にしようとしているしている最中であった。

 着衣の下に手をかけたカーシュナーは、軽快な音楽を口ずさみながら、着衣を微妙な位置で上げ下げしだした。見ていたアナベルが頬を赤らめ顔を背ける。


「ちゃっ、ちゃ、ちゃちゃっちゃ、ちゃっ、ちゃ、ちゃっちゃっちゃっちゃ、ちゃっ、ちゃ、ちゃちゃっちゃ、ちゃっ、ちゃ、ちゃっちゃっちゃっちゃ、ちゃっちゃ、ちゃっちゃちゃ。あ~~~~ ……ウベラッ!!」 

 あ~~~~、の後、気合を入れて口を「うっ!」の形にしたところで、リードリットの拳骨がカーシュナーの後頭部に振り下ろされる。

「死体で遊ぶな!」

 至極当然のお説教である。


 たんこぶの出来た後頭部を押さえながら、カーシュナーは遺体の左肩の後ろを指さした。そこには複雑な意匠を持つ刺青が彫り込まれていた。

「これは、ルーシの民の戦士の聖印です。ルオ・リシタでは、地域ごとにその地を治める神がいると考えられていて、一族から認められた者は、その内容に応じた聖印を身体に刻み込むのです」

「つまり、この刺青を持っているということは、この男はルオ・リシタのルーシの民だということがわかるのだな?」

「その通りです」

「だったら下を脱がそうとするでない!」

 もう一発拳骨が飛ぶ。これも当然のお説教だ。


「か、下腹部は滅多に人前にさらさないので、部族の中でも特別の役割を持つ者は、そこに特別な刺青を入れるんです」

「そうなのか? どれどれ?」

 リードリットはそう言うと、おもむろに遺体の着衣の下を引きずりおろした。

 アナベルが慌ててリードリットの目隠しをする。

「こら! やめんかアナベル!」

「いいえ、やめません! カーシュナー卿。さっさと確認してください!」

「……ないですね。まあ、下っ端のようですし、当然でしょうね」

 カーシュナーがのん気に感想をもらす。

「さっさと着衣を直しなさい!」

 アナベルの金切り声が響き渡った。


「あの、股の間の芋虫みたいなものは何だったのだ?」

「お気にとめないでください。忘れてください。二度と口にしないでください」

 リードリットの問いに、アナベルは感情のこもらない声で答えた。

「ああ、助平なことと関係あるのだな」

「殿下!」

「わかった。わかった。そう大きな声を出すな。もう言わん」

 リードリットが呆れて肩をすくめる。


 アナベルは振り向くと、何か言いたそうにニヤニヤしているカーシュナーとシヴァに鋭い視線を投げた。

「お二人も、余計なことを言うと……」

「言うと?」

「確実に片方、場合によっては両方とも握り潰します」  

 恐ろしく冷たい声で宣言する。

 カーシュナーとシヴァは、思わず一歩退いた。かなり腰が引けている。


「カーシュよ。こやつらが略奪集団の正体と考えてよいのだな?」

 アナベルと男二人の攻防の意味がわからないリードリットが、真面目に確認してくる。

 アナベルの恐ろしげに開かれた両手からさっさと逃れたいカーシュナーがこの質問に飛びつく。

「間違いないでしょう。襲われた商人たちには申し訳ない話ですが、ここで遭遇出来たのは予定外の幸運でした。敵の正体がわかっているのといないのとでは、戦術の組み立て方が大きく変わってきますから」


「こいつらは本隊からはぐれたのか? 確か一万騎以上はいるって話だったよな?」

 シヴァが死体の一つを蹴り飛ばしながら聞いてくる。

「おそらくそうだろう。連勝に気を良くして、規律にほころびが出てきたのかもしれない。だとすると、俺たちが追いつめる前に、自分から本国へ帰って行くかもしれん」

 カーシュナーが難しそうな口調で答える。

「どういうことだ?」

 リードリットが問いかける。


「始めに規律を保てたということは、おそらく、ルーシの民の中でもかなりの有力者に率いられているのでしょう。であれば、自身が率いている軍の限界も見えているはずです。欲をかいて敵国内でもたもたしたりなどせず、引き際を見極めるでしょう」

「そんなことはさせん! ヴォオスをさんざん略奪しておいて、誰が無事に帰すか!」

 この場にいない敵に対し、リードリットは凄んでみせた。カーシュナーの悪影響か、実に悪い顔をしている。


 辺境回りをしていた商人たちは、急ぎ西部地方から離れるということなのでこの場で別れ、撤退した略奪集団を追うようにカーシュナーたちはヴォオス西部を奥へと向かった。

 短いが激しかった戦いは、カーシュナーたちに疲労ではなく、さらなる戦いの渇望をもたらした。前方を見据えるそれぞれの顔は、王都を発った時に引きずっていた鬱屈とした空気を完全に払拭していた――。



 

 

   

7/16 誤字脱字等修正

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