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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
137/152

密偵と傭兵

 ずいぶんと間が空いてしまい申し訳ありませんでした。


 いろいろと語ると愚痴が長くなるのが確実なので、お詫びだけとさせていただきます。


 それではヴォオス戦記の本編をどうぞ!

 アリラヒムが暗殺されたという情報は、当然カーシュナーも掴んでいた。

 だが、情報がもたらした衝撃は同じでも、そこからの立ち直りはカーシュナー陣営がもっとも早かった。

 依存、もしくは利用目的でアリラヒムの権力と結んでいた者たちにとってはその死は大きな影響をもたらすものであっただろうが、最終的には潰す目的で関わっていたカーシュナーにとっては、世の中の流れ方が変わったに過ぎない。

 その流れをいかに読み、操るかが重要であり、立ち止まって眺めているような余裕はないのだ。


 カーシュナーはエディルマティヤに存在するあらゆる勢力が暗殺犯の調査、捜索に目を向ける中、各勢力の動向を探ることに力を割いた。

 アリラヒムが暗殺されたことは、カーシュナーにとっても想定外の事態であり、その実態は掴めていなかった。

 ゾンの暗部が考えたように、暗殺の背景を知り、未知の技術や幻覚剤が存在するのであればどこよりも早く押さえておかなければ危険だとも考えていた。

 だが同時に、早期に真相を探り出すのは不可能だろうとも考えていた。


 カーシュナー配下の密偵組織が持つ力は確かに強大だが、カーシュナーの存在を隠すため、表立った権力とのつながりは弱い。

 徹底した箝口令が布かれている現状ではさすがのカーシュナー配下の密偵でも、現場の調査は不可能であり、出来ることといえば、暗部などが調べ上げた調査結果を手に入れることくらいになってしまう。

 ゾンの密偵機関の頂点である暗部の情報を入手出来ること自体とんでもないことなのだが、情報を入手してから動くのでは、どうしても他の勢力から一歩遅れることになる。


 重要なのは真相を知ることではなく、他の勢力に先んじて未知の情報や技術を押さえ、独占することにある。

 ただし、仮に独占出来たとしても、それは自分たちにとって未知の情報でしかなく、既に存在するものなので、いずれ他の勢力も未知の情報に辿り着くだろう。

 だが、たとえそれが一時の優位であったとしても、その価値は計り知れないものがある。

 誰よりも早く辿り着くことに意味があり、情報収集の時点で一歩遅れて抜き返せると思うほど、カーシュナーはゾンの各勢力を甘く見てはいなかった。


 無理なことにはこだわらない。

 カーシュナーが下した決断は、情報が未知であることを逆用しての情報戦だった。

 情報収集で後れを取ることは避けられないので、偽情報を流して調査を混乱させ、解析、判断という調査によって集められた情報の処理過程に負荷をかけることにより、情報収集における遅れを取り戻す。

 可能であればここで各勢力を出し抜いて未知の情報を独占し、その上で未知の情報に偽情報を混ぜて各勢力に流し、さらなる混乱を誘う。

 上手くいけば情報戦において大きな優位を取ることが出来るだろう。


 各勢力を調査する中で、カーシュナーはクロクス配下の密偵たちが奴隷解放組織に関する情報収集にも力を割いていることを知った。

 そして、南部へ赴き実際に情報収集に当たろうとしているのが、武力行使の実行部隊としてゾンに派遣されていた傭兵のシルヴァであることも同時に知った。


 シルヴァの傭兵団がゾンに派遣された当初、カーシュナーはシルヴァを奴隷不足により横行した野盗や貴族たちの奴隷狩りに上手く巻き込んで、ゾン中央の混乱調整に利用した。

 傭兵の世界では広くその名を馳せているシルヴァのことは、カーシュナーも当然知っていた。

 その戦闘力は侮りがたく、おそらく一対一ではカーシュナーも及ばないだろうと予測している。

 だが、傭兵としてはかなりまともな人材で、戦の中でみだりに略奪や虐殺などは行わないことでも知られており、カーシュナーからすれば比較的のその行動を予測しやすい人物でもあった。


 南部侵攻に参加するなど、忙しく動き回っていたシルヴァだったが、中央における違法な奴隷狩りが沈静化してからは、東部における戦況に備えて待機しているらしく、若干暇を持て余していることも承知していた。

 シルヴァを筆頭に優秀な傭兵団なので、戦況の膠着状態が長期化すれば、いずれ現在の任務を解かれ、必要とされる土地に派遣される可能性が高いと考えていた。

 だがどうやらそうはいなくなったようで、カーシュナーにとっては厄介な人物が自分の計画に踏み込んでくることになってしまった。


「ここで始末してしまうか」


 考えたのは一瞬。

 結論と計画が同時にカーシュナーの脳裏に閃く。

 

「チェルソー、オメルを呼んでくれ。仕事がある」

 カーシュナーは即座に計画を実行に移した――。









「港に異変有り、ねえ」

 配下の報告に顔をしかめたのは、ジェウデトであった。

 ジェウデトは珍しく真面目に調査を行っていた。

 結果として多くの情報に触れている。 


 そもそもこの大陸における情報は、ゾン暗部に所属しているため、広く深く知り得ている。

 そこに加えて独自の情報網から暗部に上げないでいる情報が加わる。

 元々保留している情報量が多く、そこにさらに新たな調査報告が加わっている状況になる。


 膨大な情報量の中から必要な情報を拾い上げ、一見無関係に見える情報の裏側を見通し、繋ぎ合わせて真実を得る。

 言葉にするのは簡単だが、情報の真偽を見極めることは難しく、そのためにより多く、そして深く情報を集めなくてはならず、集めた情報が多ければ多いほど、真偽の見極めは難しくなる。


 カーシュナーのばら撒いた偽情報に、暗部を筆頭とした諸勢力は混乱させられ、国王アリラヒム暗殺の真相に至る糸口を、どの勢力も掴むことは出来ないでいた。

 それはジェウデトも同様で、暗殺の真相には近づけないでいたが、他よりもマシなのは、カーシュナーの存在を知っており、ある程度の行動を把握している点であった。


 いくつかの偽情報は裏を取ることで見破っていた。

 厄介なのはジェウデトですら掴んでいないような情報が、偽情報の中にちりばめられていることだった。

 ヴォオスの、特に五大家だけが有するような、ゾンでは既に歴史の底に埋もれてしまったような秘術に関する情報は、ジェウデトがどれ程優秀でも調べることは出来ない。

 ゾンではすでに情報そのものが失われてしまっており、クライツベルヘン家に限らず五大家のどの家にも、秘密を探り出すために潜入することはおろか、使用人に近づくことすら出来ないからだ。


 国王アリラヒム暗殺の真相に、古代の秘術が関わっているという確信はジェウデトにはない。

 むしろその可能性は低いと見ている。

 それでも、現状とは無関係だとしても、偽の情報に真実味を持たせるためにちりばめられた貴重な情報は魅力的だ。

 本来であれば入手不可能な情報に接することが出来る可能性に、ジェウデトの好奇心は抗うことが出来ないでいた。


 この情報が、自分を釣り出すためのものではないことはわかっている。

 自身の存在をカーシュナーに明確に掴ませていない自信がジェウデトにはある。

 わかっているのは、この極上の餌に食いつくことが、カーシュナーに時間的優位を与えてしまうことになるということだ。


「なんだ。そんな程度か」


 そこまで考えて、ジェウデトはあっさりと国王アリラヒム暗殺の真相究明を放り出し、カーシュナーが撒いた餌に飛びつくことにした。

 未知の技術が存在する場合、これを真っ先に押さえることで大きな利益を得ることが可能だが、独占することが難しいことに、カーシュナー同様ジェウデトも気づいていた。

 であるならば、調査は暗部あたりにやらせておいて、最後に情報を盗み出してやればいいと考えたのだ。


「アデちゃん。俺ちょっと出かけてくるから」

 そう言い残すと、ジェウデトは護衛のはずのアデルラールを置いて港へと向かった――。









 王都エディルマティヤへと富をもたらす水の道、大河アスイーには、今日も途切れることなく商船が行き来している。

 その源は大陸を東西にわたって横断するス・トラプ山脈にあり、エディルマティヤの北西から流れ下り、エディルマティヤを掠めてからほぼ真南へと向きを変え、大海へと注いでいる。

 

 治水のための護岸工事などは百年ほど前には既に終了しており、エディルマティヤ南部にある港は二年から拡張工事が進められていた。

 荷を運び込んで来た船。ゾンから他国へと旅立つ船。

 引きも切らずに大小様々な船が出入りし、港はエディルマティヤでもっとも騒がしく、活気に満ちた場所となっていた。


 港には百を超える倉庫群が立ち並び、そちらも荷の搬入、搬出で騒がしく、交通整理の役人が声を枯らしながら職務に励んでいる。

 多くの人々が行き交う人の流れの中に、ゾン人は意外と少ない。

 余程の豪商でない限り海外の商人はエディルマティヤの城壁内に邸を構えることが出来ないため、海外商人の事務所や住居は港周辺に集まっており、港は水夫や海外商人の使用人といった、大陸中から訪れた異国人であふれかえっている。


 倉庫群の一角。

 ゾン人に負けない程しっかりと日に焼けた肌を持っているが、南方民族ほど色濃くはなく、骨格がゾン人と微妙に異なる人々が、倉庫の一つを利用していた。

 ヴォオスの東に位置するエストバを間に挟んで南東に位置する国、ラトゥの人間だ。

 ラトゥもゾン同様大陸の南方に位置する国で、終わらない冬の影響が比較的軽く済んだ国の一つだ。

 ゾンとラトゥの間に国同士のつながりはないが、どちらも海洋貿易商人にとっては重要な拠点で、大陸西方の商品をエディルマティヤで仕入れるラトゥ商人も多く、エディルマティヤには定住ではないラトゥ人が多く存在している。

 ゾンの倉庫一つをまるまる所有していても別段おかしなことはなく、ラトゥの豪商が所有している倉庫も多い。


 その倉庫も、一見するとごくありふれたラトゥ人所有の倉庫に見えた。

 立地が荷上場から遠い一角にあるため使用料が割り引かれており、荷運びの人足からは不評だが、長期使用者からは人気がある。

 この倉庫を借り入れている商人にも、出入りする人足、商品にも不審な点はない。

 だが、この倉庫の周辺で、ここ最近行方不明者が出ている。


 不特定多数の人間が暮らす港だ。

 事件は王都エディルマティヤとは比べ物にならないくらい多い。

 行方不明どころか、殺人事件もそれなりに発生する。

 周辺で行方不明者が出ている倉庫もここだけではない。

 ただ、行方不明者の内容が他とは異なる。


 行方不明者の中に、各勢力の密偵が含まれていたのだ。


 この事実に気がついた人間は少ない。

 他勢力の密偵を把握していない限り気がつきようがないからだ。

 情報収集力が所属している暗部を上回るジェウデトは、この事実に気がつくことの出来た数少ない人間の一人だった。


 さらなる情報収集を、部下に任せてもよかった。

 だがジェウデトは自ら足を運んだ。

 行方不明とは、その所在がどこかわからないということであって、行方不明者が誘拐や殺害されとは必ずしも限らない。自らの意思で行方をくらませている可能性もある。

 一定の範囲に行方不明者が集中したからといって、それが暗殺の真相に直結している保証はないし、カーシュナーの組織が偽情報をばら撒いている現状では、行方不明情報そのものが嘘の可能性もある。

 それでも自らジェウデトが自ら出向いたのは、この情報に嘘の臭い(、、、、)を感じたからだ。


 根拠はない。

 だが、ここまで周到な嘘であれば、ほぼ間違いなくカーシュナーが関わっている。

 上手く立ち回れば、五大家だけが有する貴重な情報を得られる可能性が高い。

 大きな成果を期待して罠を掛けるとき、ジェウデトはそのための餌にはしっかりと金を掛ける。

 そういう意味ではカーシュナーはジェウデト以上だ。

 得られる成果が大きければ大きいほど、それは単なる偽情報の流布に終わらず、優秀な密偵を狩るための罠の可能性が大きくなる。

 

 機会はただ一度。

 部下に任せて罠にはまったら、何一つ残らない。

 部下が無能で死ぬのは仕方がないが、逃す情報の価値は密偵一人の命程度では済まない。

 

 何より面白そうだ!


 カーシュナーを相手にした尻尾の掴み合いは、ジェウデトの楽しみの一つだ。

 そしてここまで自身の尻尾を、カーシュナー相手にはっきりと見せたことはない。

 これは久しぶりにカーシュナーの尻尾に手が届くほど近づく可能性のある情報だった。

 カーシュナーの尻尾に近づくということは、自分の尻尾もカーシュナーの手の届く範囲に入るということでもある。

 そういった意味でも、ジェウデトを愉しませるものであった。


 さりげなく周囲を巡る。

 その間に変装も二度変えた。

 外見だけでなく、姿勢、歩幅、歩き方なども変えて歩く。

 倉庫に出入りする人間でジェウデトの存在に気づいた者は一人もいない。

 仮に熟練の密偵で周囲を固めていたとしても、密偵がどこを見るかを熟知しているジェウデトが相手では見抜けなかっただろう。


 日が傾き、人の出入りもぐっと減る。

 倉庫群の端に位置する一角であることもあり、人の気配はすぐになくなった。

 倉庫を探りながら周辺の潜伏可能な個所は把握済みだ。

 周囲に他の密偵が潜んでいないのは間違いない。

 それでもジェウデトは完全に日が落ちるまでまった。


 そろそろ中を探らせてもらおうかと一歩足を踏み出そうとした時、いきなり背後から羽交い絞めにされた。

 口は大きな手で塞がれ、身体は抱きすくめるように拘束された。そしてその手に握られた短刀が首筋に押し付けられる。

 下手に抵抗すれば喉を切り裂かれてあの世行きだ。


 一瞬の驚愕の後、ジェウデトは状況を把握すると即座に身体の力を抜いた。

 これで抵抗の意思がないことが相手に伝わる。

 実際拘束は緩まなかったが、短刀の刃がわずかに浮き、死を呼ぶその冷たさが遠のいた。


 背中に感じる相手の身体は大きく、厚みを感じさせるものだった。

 抱きしめられたことはないが、護衛のアデルラールに劣らない体躯であることは間違いないだろう。

 反撃の隙はあったが、どのような抵抗も通用しないと一瞬でわからせるだけの気配を発している。


 密偵ではない。


 一瞬カーシュナーの従者であるダーンかと考えたが、誰が網にかかるかわからない罠のために張り込んでいたとは考え難い。

 自分の背後を取るほどの人間。

 ジェウデトは命を握られている状況で、無自覚に笑みを浮かべていた――。









(こいつ、笑ってやがる)


 手のひらに伝わる変化から、シルヴァは捕らえた男が笑ったことに気がついた。

 反抗の意思がないことを示すように、捕らえた男は一瞬の緊張の後、全身の力を抜いた。

 冷静な男だと思った次の瞬間の予想外の変化に、逆にシルヴァに緊張が走る。

 だがシルヴァは、その緊張を筋肉の繊維一本にも及ぼさなかった。


 捕らえてから、さてどうしたものかと考える。


 シルヴァが男の存在に気がついたのは偶然だった。

 港ではクロクス配下の密偵だけでなく、他勢力の密偵も調査活動を行っていた。

 細かい調べ物をするには自分が目立ち過ぎることを、シルヴァはよく理解している。

 だが正規の兵士ではなく、傭兵であるシルヴァは、時には潜入工作などの汚れ仕事も自身の傭兵団で請け負う関係で、堅気の人間とそうではない人間の見極めがつく。

 情報調査に関してはクロクス配下の密偵に完全に任せるが、港の動きというものの真偽は自身の目で見極めたいと思い、港に出て来ていた。


 シルヴァは視界の隅で港を観察していた。

 長年戦場を渡り歩いたことで、シルヴァの視界は並の人間よりもはるかに広い。

 その視野はクロクス配下の密偵をも上回る。

 シルヴァは正面方向ではなく、左右の視野の限界点近くに意識を集中させながら、観察を続けていた。


 不意に、広い視野の限界点にその動きはかかった。

 いや、動かなかった(、、、、、、)ことに違和感を覚えたと言った方が正しいだろう。

 人の流れを広く見ていたシルヴァの目には、人の動きが水の流れのように、一つの塊のように映っている。

 流れる水は水面に岩などが突き出していれば、流れのままにかわして行く。


 人の流れもそうなる。

 そこに悪意や不注意がない限り、往来を行き交う人同士がぶつかり合うことはない。

 その流れは両者が左右にかわして進む流れだった。

 だが流れはそうはならなかった。

 一人は躊躇なく真っ直ぐ進み、もう一人だけが大きくかわして流れを乱す。

 別段珍しくもない光景だ。

 悪意はなくとも根本的に気が利かない人間もいる。


 だが、何かが違った。


 真っ直ぐ進んだ人間に、あまりに変化がなかったのだ。


 まるで正面から歩いてくる人間が、始めから(、、、、)見えていなかった(、、、、、、、、)かのように無反応だった。

 

 そのことに気づくのに、一瞬の間を要した。

 だがそのたった一瞬で、それまで視界に捉えていたはずの、大きくかわして避けた方の男を見失いかけた。


 ここで慌てて視線を向けるようなヘマをするシルヴァではなかった。

 おそらく密偵だ。

 それも、クロクス配下の密偵をも上回るほどの凄腕だ。

 もし視線を向けていたら気づかれ、次の瞬間には人ごみの中に見失っていただろう。


 港の動きというものがどういものかまだはっきりとわかっていない。

 ゾン南部に関わるものなのか、それとも国王アリラヒム暗殺の真相に関わるものなのか、はたまたそれらとは全く異なる計画の一端なのかもしれない。

 だがこの男はただ者ではない。

 それだけは間違いない。

 シルヴァは、どのような結末に行き着くのかまるでわからなかったが、それでも慎重にその男を視界の隅に置き、追跡を続けた。


 どうやら倉庫街の一角を探っているようだった。

 その一角を一周するたびに変装を変え、人物像まで見事に変えていた。

 追い続けていたから何とかその変化についていけたが、シルヴァの目をもってしても、とても同一人物とは思えなかった。


 狙いの倉庫の見当がつく。

 そして、日が落ちるのを待っていることも理解出来た。


 日が落ち、周囲から人の気配が一瞬完全に消える。

 男が潜伏場所から動く。

 シルヴァはそれに合わせて背後を取り、その一瞬の隙を衝いて見事に密偵を捕らえたのであった。


 捕らえた男が笑った。

 自嘲の笑みでもなければ、シルヴァを嘲笑ったのでもない。

 それはシルヴァ自身もよく知る、好奇心からくる子供の様な笑みだった。


 シルヴァは大胆にも、男が侵入しようとしていた倉庫に連れ込んだ。

 男を見張っていたシルヴァは、男と同様この倉庫が今どういう状況にあるか把握出来ていた。

 ここに何があるかはわからないが、これだけの男が侵入する価値があると判断した場所だ。

 この倉庫を今この機会に探らないという手はなかった。


「あんたの目的が何かは知らんが、俺が知らなくていい情報でないのは確かだ。あんたが何をしゃべるか次第では、手を組むことも出来るんじゃあねえかな?」

 シルヴァは男の耳元で囁いた。

 男は素直にうなずく。


「忠告するまでもないと思うが、下手に騒ぎ立てたら殺す。仮に逃げる算段があるのだとしても、その騒ぎでこの倉庫で得られる情報はなくなる。命以上のものを手に入れたければ、賢く立ち回れ」

 男はもう一度うなずいた。

 再び男が笑うのが手のひらから伝わった。


「初めまして。<海王>シルヴァ。私はゾン暗部の密偵、ジェウデトと申します。お会い出来て光栄です」

 男はシルヴァの拘束から解放されると、騒ぎ立てることなく礼儀正しく名乗った。

 さり気なくシルヴァの正体を見抜いているあたり抜け目がないが、シルヴァは傭兵としての実績からその名が知れている。その隠しようのない見事な体格から推測するのはそれほど難しいことではない。

 真偽のほどは確かめようがないが、クロクス配下の密偵から、ジェウデトがゾン暗部の実力者だと聞かされており、シルヴァはその名をしっかりと記憶に留めていた。

 本物だとしたら予想外の大物が網にかかったことになる。


「やっぱり逃げねえか」

 忠告はしたが、おそらく逃げることはないだろうと思っていたシルヴァが、ジェウデトを見下ろしながら不敵に笑う。

「そんなもったいないことはしませんよ。ここの情報は確認しておきたいですし、なによりあなたと情報交換など出来れば、お互いに大きな利益を生み出せそうですからね」

 ジェウデトはそう言うと心底楽しそうに笑った。


「ここには何がある?」

 情報交換という言葉には一切反応を見せずに、シルヴァはジェウデトに尋ねた。

 この場の主導権はあくまでシルヴァにある。

 ジェウデトの持つ情報に加えて、暗部の大物が自ら動いて得ようとした情報も手に入れる。

 欲をかき過ぎているのかもしれないが、この二つの情報を手に入れられる機会は今しかない。

 そして、ジェウデトの生殺与奪権を手にしている現状で、ジェウデトに対して何かを譲る気はない。


「はっきりとは掴めていません。ですが、あらゆる組織の密偵が蠢いているこの港で、情報の元がはっきりと掴めていないということ自体が大きいと考えています。暴いてみなければわかりませんが、たとえ国王アリラヒム暗殺の真相とは全く無関係であったとしても、いずれ何かの役に立つ情報が眠っている可能性が高いと考えています」

 ジェウデトはカーシュナーに関することはおくびにも出さず、それ以外のことは正直に答えた。


「ここの連中のことはまったくわからねえってことなのか? 見た感じラトゥ人なのは間違いないが、堂々と倉庫を使っている以上、雇い主に関しては表向きの身元はしっかりしているんだろう? それに、暗部の力があれば裏の身元だって簡単に洗えるはずだろ?」

 シルヴァの疑問は正鵠を射ていた。

 ジェウデトほどの大物だ。手足となる配下の密偵がいて、その報告に基づいて動いていると考えるのが普通だ。

 何より暗部の密偵が初歩的な調査もせずに上司に報告するわけがない。


「私は確かにゾン暗部に属していますが、それだけがすべてというわけでもないんですよ。ここに隠されているかもしれない情報は、私の勘になってしまいますが、国王アリラヒム暗殺の真相とは無関係なものではないかと考えています。その上で今後役立つ可能性が高いと考え、部下は使わずに自ら調べようとしたわけです」

 この答えに、シルヴァはジェウデトがゾン暗部の中でも特殊な立ち位置にいることを思い出した。


「この国そのものが国王暗殺の真相を必死で追いかけているときに、個人的興味を優先しているってわけか?」

「はい」

 シルヴァの問いに、ジェウデトは欠片も悪びれることなく即答した。


 話の辻褄つじつまは合う。

 暗部の組織力を使って調べれば、情報は暗部として掴むことになる。

 個人で独占したいと考えているのであれば、こうして単独で動いていることにも納得出来る。

 何より目の前の男から感じられる不真面目さが、状況を納得させた。


(どんな状況においても個人的な愉しみを優先させる、どっかがぶっ壊れている人間だな)


 シルヴァはジェウデトという人間に興味を持った。

 自分自身も利益よりも面白さを優先する時がある。

 命のやり取りをしている戦場でだ。

 自分でもどこかが壊れていると思っている。

 そして、どこも壊れていないような奴ほど信用出来ないとも考えている。


「一つ約束してやる。ここで手に入れられる情報が面白ければ、そのまま解放してやる」

 言外にたいした情報ではなかった場合は、それ相応の情報を寄越せと圧力を掛ける。

 ジェウデトほどの大物になると、簡単に拷問して情報を吐かせるというわけにはいかない。

 国王が暗殺され、その犯人をあらゆる組織の密偵が血眼になって捜索しているこの時に、暗部の大物が行方不明になったりすれば、ゾン中央の緊張はさらに高まる。

 シルヴァの関与が知られれば、最悪クロクスの組織とシルヴァ自身が、国王暗殺の罪を着せられかねない。

 状況次第では迷わず殺すが、情報と引き換えに解放するのが、落としどころとしては一番無難だった。


「面白くなかったときは、求められる情報にはすべてお答えします。答えられない場合は、私の情報収集力のすべてを注ぎ込んで調べ上げましょう」

 言葉だけを聞くと命を惜しんで必死に媚びを売っているように聞こえるが、その自信に満ちた声が、密偵としての矜持をかけた言葉であることを、その言葉以上に雄弁に物語る。

 シルヴァはその矜持に対して不敵な笑みで応えた。


 倉庫内は複雑な造りではない。

 荷物を出し入れするのに迷路のような構造をしていたら使い物にならないのだから当然だ。

 倉庫への侵入も、事務所部分に侵入している。

 隠し部屋などがあるとしたら倉庫部分ではなく、事務所側が多い。

 地下がある場合は倉庫部分に入り口があることがあるが、この倉庫群の地下は空間を作るには適していない。

 やれば出来ないことはないが、工事が大掛かりになってしまい、隠し通すのはほぼ不可能だ。

 ジェウデトとシルヴァの勘も、地下はないと告げていた。


 人の出入りとは別に、厳重な警備が敷かれているかと思われたが、二人の基準に照らせば、悪くないという評価が最大限の警備体制しか敷かれてはいないかった。

 一瞬外れかと考えかけた時、

「ようやくこの仕事も終わるな」

 という警備員の声が二人の耳に入った。


「無駄口を叩くな。主任にどやされるぞ」

 二人一組で警備巡回を行っているのだろう、別の警備員が同僚を注意する。

「この時間は大丈夫だって。主任は俺らと違って外に飯食いに行ってるからな。なんで俺らは閉じ込められなきゃなんねえんだよ。まあ、それも今日で終わりだ。明日は港の娼館はしごしてやるぜ」

 注意されたにもかかわらず、警備員は反省どころが下卑た笑い声をあげただけだった。

 同僚も内心は同じだったようで、それ以上注意しようとはしない。


「好都合ではありますが、あまり感心しませんね」

 人間である以上ずっと緊張状態を維持し続けることは出来ない。ことに終わりが見えてくると気が緩みやすくなるのが人間だ。

「都合が良過ぎねえか?」

 シルヴァが眉をひそめる。

 探りを入れたその日が丁度警備の最終日で、警備員たちの警戒が緩んでいるというのは、運が良いと喜ぶにはあまりに出来過ぎていた。


「やめておきますか? 私はこのまま奥まで潜入しますので、ここでお待ちいただいてもかまいませんよ。ただ、警備の者たちに見つかられると私の潜入も気づかれてしまいますのでそのあたりはご注意いただかないといけませんが」

 ジェウデトが真顔で問いかける。

 本気で言ってはいないが、実際に潜入中にシルヴァが発見されるようなことがあれば、ジェウデトは窮地に追い込まれることになる。


「ふざけるな。目を離せば情報を手に入れてそのままとんずらかますだろうが」

 ジェウデトの提案を、シルヴァは不敵に笑って退ける。

 その巨体は確かに潜入には適さないが、傭兵として多彩な任務をこなしてきたシルヴァは、気配消すことに限定すれば、クロクス配下の密偵にも劣らないだけの技量がある。

 人ごみに紛れることは難しくても、人の知覚の外に身を潜めることはけして難しくはない。


「こんな口車には乗っていただけませんか」

 ジェウデトはわざとらしくため息をついた。

 ふざけた男だと思ったが、シルヴァはジェウデトという男を好きになり始めていた。


「行くぞ」

 主導権はあくまで自分にある。

 シルヴァはそれを行動で示すために、先に一歩を踏み出した――。









 潜入は思ったほど簡単ではなかった。

 気が緩んでいてもそれなりに優秀な警備員たちは職務に忠実で、けしてさぼるような真似はしなかった。

 それでも規則的な警備にはわずかではあるが隙があり、結局ジェウデトが先導する形でその隙を衝き、警備を突破して倉庫の奥へと潜入することに成功していた。


 隠し部屋があるかとみていたが、意外なことに地下室があった。

 地下への扉は当然施錠されていたが、ジェウデトがいともたやすく解錠し、二人は地下へと滑り込んだ。

 岩盤を削りだしただけの階段は狭く、もちろん明りなどなかったが、狭い分ジェウデトが用意していた小型の特殊ランタンの小さな明りだけで十分行動出来た。


 元々地下に広がり難い場所である。

 階段は一回分下るとすぐに一つの扉の前に辿り着いた。

 ここももちろん施錠され、罠まで設置されていたが、ジェウデトはここも難なく突破してみせた。

 シルヴァ一人であったら、ここまでが限界だっただろう。

 その手並みに素直に感心しつつ、室内に踏み込む。


 部屋は意外と大きかった。

 これほどの空間を、よくも誰にも悟られずに造り上げたものだと驚く。

 おそらく出荷に見立てて削り出した岩盤は船で運び出され、掘削の騒音を隠すために、この周囲一帯の倉庫を借り切るなりしたのだろう。

 運び出した岩盤は人目のない場所で川にでも捨てればいいだろうが、船はそういうわけにはいかない。

 エディルマティヤに住む人間も、出入りする商人も全員が目聡い。

 荷を満載して出港したはずの船がすぐに戻ってくれば不審がられるし、一度目を付けられた船は、しばらくはゾンの密偵のみならず、港の多くの人間に監視されることになる。

 そこでさらに疑惑を招くような真似をすれば、こんな地下空間はすぐに探り出されてエディルマティヤ中に知れ渡ることになる。


 おそらく瓦礫を運び出した船はそのままどこかの港まで行き、はたから見て不審に思われないように仕事をして戻るということを繰り返したはずだ。

 これだけの空間の瓦礫を運び出すのに船が一隻では何年かかるかわからない。

 削られた壁面の状態から見て、短期間に一気に仕上げられたことは間違いないことから、運び出しのために用意された船の数は相当な数だったはずだ。

 この地下空間を見ただけでも、その組織力の大きさが知れる。


「こういう時、大事なものは大抵奥にあると相場が決まっています。手前に積んである荷物も価値のあるものでしょうが、金さえあればそれほど苦労しなくても手に入るものでしょう。無視しましょう」

 言うが早いかジェウデトは興奮を抑えられない子供のように奥へと向かう。

 一瞬口を開きかけたシルヴァであったが、不注意なようでいてまったく隙のないその後ろ姿を見て無言でその背に続いた。

 シルヴァの好奇心も空間の奥へと強く惹かれていたからだ。


 そこには丈夫さと精度にこだわった作りの鉄製の箱がきれいに積み上げられていた。

 周囲には意匠を凝らした如何にも高価なものが納められているであろう箱類が積み上げられていたが、二人の意識は目の前の実用一点張りの鉄製の箱の山に釘付けになっている。


 ジェウデトが箱の一つに手を伸ばす。

 鍵付きであるため罠を丁寧に調べたが、罠はなかった。

 港ではなかなか見ないほどの頑丈そのものの錠前を、少し苦労しつつも見事に解錠してみせる。

 ジェウデトはわざわざ箱をシルヴァとの間に移動させ、二人一緒に中を確認出来るようにしてから蓋に手を掛けた。

 蓋は軋み一つ立てずに開いた。

 その中身に、ジェウデト以上にシルヴァが大きく目を見開く。


 そこには、手首から先の手が一つ納められていた。


 気分の良いものではないが、傭兵のシルヴァが驚くようなものではない。

 切断された手足などこれまでに飽きるほど目にしてきた。

 だがこの手(、、、)はまったくの別物だった。


 シルヴァは<海王>の二つ名で知られる傭兵だ。

 陸戦でも無類の強さを発揮するが、その名が知れ渡ったのは海賊を相手に数多くの武勇伝を築き上げたからだ。

 沈めた海賊船の数は百を超えると謳われ、最終的には商船の積荷ではなく、護衛として乗船しているシルヴァの武名を求めて海賊がつけ狙うようになってしまったため、本末転倒ということで海上商人たちから声が掛からなくなってしまい、陸の傭兵に鞍替えせざるを得なかったほどだ。

 

 海こそがシルヴァの真価が発揮される場所だと考える人間は今でも多く、シルヴァ自身も海に関する造詣では人後に落ちないという自負がある。

 故にシルヴァはその手が何であるのか即座に理解した。


 半魚人マーマンの手――。


 一見異形の魚に見えなくもないその手は、鱗に覆われた半魚人という魔物の手で間違いなかった。


 一拍遅れてジェウデトもそれが半魚人の手であることに気がつき目を見張る。

 そしてその視線は、残る鉄製の箱へと向かう。


「……まさか、これすべて?」

 同型の箱はまだ十個以上残っている。

 近年では人々が魔物を見ることはない。

 人が踏み込まない辺境に今でも少数生息しているが、そこは屈強な男が死を覚悟してようやく辿り着けるような土地であり、立ち入りが厳しく制限されていることがほとんどだ。

 危険を冒して生息地に踏み込んだとしても遭遇出来る保証はどこにもなく、遭遇出来たとして、捕獲出来る保証などそれこそない。下手をしなくても返り討ちに遭い、魔物の晩飯になるの落ちなのだ。

 生け捕りはおろか死体の一部だけでも入手することが難しく、希少価値があり、おまけに禁制品に指定されているため、仕入れることが出来たとしても捌くのが難しいので手を出す商人も少ない。

 だからこそ、仕入れることが出来て、尚且つ捌くことが出来れば莫大な富を生む。

 もし残りの箱にも魔物の肉体の一部が入っているのであれば、とんでもない金額になる。


 そして何より、半魚人という魔物は、希少性から高値が付く魔物とは違い、ある伝説から更に途方もないも値が付く別格的な存在だった。


 神の先兵として創造された半魚人は、老いることがないという意味での不死性を有していたと伝えられている。

 神々の大戦後、その個体数を激減させた半魚人は、その不死性を失う代わりに繁殖能力を獲得したと伝えられているが、ごく一部の個体は種族の存続という本能的欲求を退け、個として今も存在していると信じられている。

 

 そのため半魚人の肉体は、不老長寿の霊薬の材料とされており、他の魔物とは一線を画す価値を有していた。


 シルヴァが驚いたのは、半魚人の肉体の価値を知っていたこともあるが、そもそも水棲生物である半魚人は目撃例自体が非常に少なく、<海王>と呼ばれるシルヴァでさえ、過去に一度だけそれらしい影を目撃しただけで、実物を目にするのは始めてだったからだ。

 半魚人の存在そのものを信じていない人間は多い。

 陸上でも活動出来ると言われているが、実際に陸上生活をしている姿の目撃例はなく、そもそも伝承だけで信じろという方が無理があるのだ。

 だがシルヴァは信じていた。

 シルヴァの祖父が、半魚人の肉を口にしたことがある人間だったからだ。


 祖父はシルヴァが幼いころに生活していた集落が海賊の襲撃を受けた際に、シルヴァを庇い命を落とした。

 不死ではなかったが、祖父が異容に若い外見をしていたことだけははっきりと記憶している。

 その外見は息子であるシルヴァの父と全く変わることがなく、幼いシルヴァには見分けがつかないことが多かった。

 祖父といってもまだ四十代だったことを差し引いても、その肌艶は二十代のそれであり、身体能力にも衰えは見られなかった。


 生きていれば半魚人の肉の効果を確認することが出来ただろうが、祖父は既に亡く、祖父の死と共に、単に人よりも若く見えただけだと思われるようになっていった。

 だがシルヴァはそうは思わなかった。

 幼いシルヴァを抱く祖父の肉体は若い生気に満ちており、それ故父との区別がつかなかったのだ。

 あれは外見だけの問題ではない。

 確かに不老を信じさせるだけの何かが祖父の肉体には存在していたのだ。


 その力はシルヴァには受け継がれていない。

 そもそもシルヴァの父が生まれたのが、祖父が半魚人の肉を食ったと言われる以前だったのだから当然だ。


 シルヴァはそのことを感謝していた。

 祖父はあのまま生きていたら、不幸な未来しか待っていなかっただろう。

 漁師の息子から傭兵となり、広い世界に踏み出したシルヴァは、世の醜さを知った。

 祖父の噂は田舎のちょっとした話のネタから、権力者が本気で耳を傾ける域に達しかけていた。

 あと三年も生きていたら、不老長寿を求める権力者たちによって文字通り食い殺されていたに違いない。

 権力者の狂気は平民には到底及びもつかない領域にある。 

 不老長寿を得られるのであれば、人肉を食らうことくらいわけもないはずだ。


 半魚人に関する伝説を信じ、その力を欲しているわけではないが、海を愛する者の一人として、純粋に深海の神秘である半魚人には強い関心がある。

 深く考えたことはないが、漁師の息子に生まれたにもかかわらず、生まれ育った集落を飛び出し、傭兵となったのも、まだ見ぬ海を見たかったからだろう。

 そこには確かな満足があり、その満足がさらなる好奇心を育てた。

 海から離れた生活を送るようになったが、深海の神秘に対する好奇心はまったく衰えていなかったことを、シルヴァは改めて知った。


「全部開けてみま……」

 そこまで言ってジェウデトが固まる。

 自国の暗部すら手玉に取る男が、あるものを目にして驚愕と興奮とで停止したのだ。


 シルヴァは問いかけなかった。

 予感のようなものに突き動かされて、ジェウデトの視線の先を追っていた。

 そこには、まるで鉄製の棺のような大きさの箱が横たわっていたのだ。

 シルヴァは吸い寄せられるようにその箱へと近づいた。

 つられてジェウデトも箱に近づく。


「開けます」

 自分の手が興奮に震えていることに驚きつつも、ジェウデトは気持ちと作業を見事に切り離し、錠を開けてみせる。

 二人は長方形の上蓋をゆっくりと持ち上げた。

 そこには予想通り、一部の欠損もない半魚人の肉体が横たわっていた。


 二人はしばし言葉を失くして半魚人の肉体に見入る。

 骨格は人間のものに酷似している。

 水中での行動を考えれば理想的とは言い難い。

 だがだからこそ、神が創り出したという伝承に納得がいく。

 

 人のようでいて明らかに人とは異なるその造形は、見る者によってはおぞましく映っただろう。

 だがシルヴァは美しいと思った。

 その命を失ったはずの深紅の肉体は、ジェウデトが手に持つわずかな明りだけでもその発色の鮮やかさがよくわかり、その鱗一枚に、同じ大きさの紅玉ルビーと同等の価値があると感じられる。


「持って帰りたいところですが、難しいですね」

 シルヴァと同じように半魚人の肉体に魅入られていたジェウデトであったが、海に対する思い入れがシルヴァほどではなかったこともあり、思考が現実に戻る。


「せめてあの手だけでも……」

 ジェウデトの言葉はそこで途切れた。

 言葉と共に先程解錠した箱の方へと首を向けた時、わずかに揺れた手持ちの明かりが、闇の中シルヴァ目掛けて振り下ろされる白刃を捕らえたからであった――。

 思い切り話の途中で切れたので、皆様のご記憶から話の続きが消えてしまう前に続きを投稿できるように頑張ります!

 

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