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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
135/152

揺れる王都

 今回は少し長めです。

 分けるには構成がアンバランスだったのでそのまま投稿させていただきました。

 すいません。

 突如としてゾン南部に湧きだした奴隷解放組織を討伐するために、ゾン中央は討伐軍を派遣した。

 三軍合わせて五万の軍を編成し、順次南部へと進軍を開始した。

 その姿は勇壮で頼もしく、メティルイゼット王子のまさかの敗北を受けての進軍であったため、中央貴族たちの期待は大きかった。


 メティルイゼット王子を退けた賊軍を、自分たちの傘下のゾン軍が討伐する。

 日頃メティルイゼット王子に対して反感を抱いている中央貴族たちにとっては、それは胸のすく結果だ。

 東部貴族との戦いに勢いをつけるためにも、反乱を起こした賊軍を完膚なきまでに叩きのめす。

 そんな景気の良い勝報が訪れることを待ち望んでいた中央貴族たちであったが、待てど暮らせど、勝報どころか一切の情報が南部から送られてこなかった。

 中央貴族たちが業を煮やしていたその時、ようやく第三軍からの報告が届いた。


 それは、第一軍を率いたセリーム将軍の敗報に合わせて、既に先行した第二軍までが討たれ、おまけに南部の軍事拠点である旧アブサラー領の都市バルケシルまでが攻め落とされたというとんでもない凶報だった。

 現在第三軍は南部との境まで撤退し、今後の指示を待っている。


 報告をすぐには信じることが出来なかった中央貴族たちであったが、こんな報告を冗談で送ってこないことくらいはさすがにわかる。

 驚愕が過ぎ去ると次には激しい怒りが訪れ、友軍の仇を討とうともせず撤退してきた第三軍を罵り始めた。


 第一軍二万。第二軍二万。先行した合計四万もの軍勢がすでに討たれている状況で、兵数一万の第三軍だけで状況を打開しろと言う方が間違っている。

 散々喚き散らした貴族たちであったが、喉が枯れて文句も言えなくなると、ようやく冷静さを取り戻した。


 冷静になって初めて事態の緊急性に目を向けられるようになる。

 南部は現在ゾン中央のための物資生産地として機能していた。

 食料及び必要物資の生産は元々ゾン中央で行っていたので、南部の生産地を失ったからといって中央の食糧やその他の物資が不足するということはないが、南部で生産された食料及び物資は対東部貴族戦線の補給に回されていた。そのため、対東部貴族戦線への物資の補給線を新たに手配する必要が出てくる。それも早急にだ。


「意見を申し上げてもよろしいかしら?」

 宰相ヤズベッシュを中心とした中央貴族会議の席に、まるで鈴を鳴らしたかのような美声が響く。

「パ、パラセネム殿!」

 闖入者の正体に気がついたヤズベッシュが驚きの声を上げる。


 女性の立場が低いのは、貴族社会にあっても変わらない。

 平民と異なるのは、恋の駆け引きを遊戯と捉えているため、美しい貴婦人に対してはそれ相応の敬意が払われるという点だ。

 それでもこのような会議の場に女性の席が設けられることはない。

 パラセネムもその例外ではなく、この会議に出席を求められてはいなかった。


「おおっ! これは麗しの花、パラセネム殿ではありませんか。このようなむさ苦しい場所にお運びいただけるとは、淀んでいた空気が一瞬にして浄化されましたぞっ!」

 ヤズベッシュに続いて、ゾン貴婦人たちと数々の浮名を流してきた貴族の一人が、歌い上げるようにパラセネムを迎えた。


「おいっ! パラセネム殿の椅子をお持ちしろっ!」

 負けてたまるかとヤズベッシュがすぐさま奴隷に命じる。

 その椅子を自分の隣に降ろさせて、パラセネムを招く。


「貴重なご意見を頂けるとか。どのようなことでしょうか?」

 先の二人に負けじと、別の有力貴族が尋ねる。

 本来であれば男の場に招かれもせずに踏み入って来たパラセネムは即刻退場させられるはずなのだが、誰もがゾン国一の美女と認め、中央貴族社交界において強力な人脈を持つパラセネムを排斥しようなどと考える者はいなかった。

 特に誰かがパラセネムの歓心を買おうとしたした時点で見栄と自尊心の塊のようなゾン貴族たちは優位を取ろうと行動してしまうため、全員がパラセネムを持ち上げることになる。

 何よりパラセネムの不興を買うと、社交界の貴婦人方との駆け引きに大きく影響してしまう。

 下手をすると貴婦人全員から相手にされなくなってしまいかねない。

 見栄っ張りのゾン貴族にとって、社交の場で貴婦人たちに相手にされないことほど恥ずかしいことはなく、そのような者がいれば、寄ってたかって攻撃するのがゾン貴族の男共の習性だった。


「お許しを頂いて申し上げますが、此度のこと、情報の統制は出来ているのでしょうか? 東部の前線にいるメティルイゼット王子の耳に入れば、中央へと戻る口実に使われてしまいませんか?」

 自身の影響力を理解したうえで、パラセネムはあくまで低姿勢で発言する。

 影響力を最大限に発揮するためには、彼らの自尊心を傷つけるのではなく、刺激してやる必要があるのだ。


 パラセネムの指摘は、ようやく冷静に働き始めていた貴族たちの頭脳に一瞬で染み込んだ。

 敗北を理由にようやくメティルイゼット王子を東部戦線に追いやったのだ。逆に自分たちが敗れことを知られれば、再びメティルイゼット王子の中央介入を許すきっかけとなる。


「直ちに箝口令を布くべきです。今メティルイゼット王子が東部戦線で大勝を治めようものなら、南部攻略で心情的にメティルイゼット王子寄りになっている者たちが明確に王子の下に集うでしょう。そうなれば我らの力では抑えることが出来なくなる」

 貴族の一人がヤズベッシュに訴える。

 言われるまでもなく、その危険性に気がついていたヤズベッシュは早速ゾン軍関係各所に箝口令を布くための手配をする。

 ヤズベッシュのこのあたりの手腕は確かだ。


「私が耳にしたところでは、そもそもの原因であるメティルイゼット王子の敗北が、杜撰ずざんな情報収集による敵戦力の見極めの甘さだったとか。その杜撰な情報を基に行動せざるを得なかった皆様こそ被害者です」

 パラセネムの言葉は、敗因をメティルイゼット王子に転嫁するものだった。 

 事実メティルイゼット王子の情報収集は甘く、奴隷解放組織の全容をまるで把握出来てはいなかったが、その乏しい情報のまま討伐軍を派遣したため大敗を喫することになったのは中央貴族たちの失態だ。

 その失敗を認めたくない貴族たちはパラセネムの言葉に飛びつき、反省という作業をあっさりと忘却の彼方へと放り投げた。


「メティルイゼット王子が残した情報が当てにならないことははっきりとしました。ここからが皆様の本当の実力の見せ所ではないでしょうか?」

 パラセネムはそう言うとしなを作って視線を貴族たちに向けた。


「パラセネム殿のお言葉こそ至言っ! たとえ誰一人立ち上がらずとも、私が手勢を率いて愚かな反乱者共を討ち取り、中央貴族の実力を示してみせましょうっ!」

 一人が立ち上がり、芝居がかった仕草でパラセネムに宣言する。

 これに対して他の貴族たちも立ち上がり、口々に参戦を宣言する。


 ここに中央貴族の私兵とゾン軍を合わせた十万もの軍勢が誕生した。


「何と勇ましいっ! 皆様の勇姿にこのパラセネム、感極まって言葉もありません」

 もはや演劇と化しつつある場に合わせて、パラセネムも大袈裟に感激してみせる。

「これでメティルイゼット王子の大失態を埋め合わせることが出来ますわね」

 そして貴族たちが喜ぶ皮肉で締めくくる。


「まったくその通りっ!」

「世話が焼けますが、そうは言っても我が国の王子。尻拭いは臣たる者の務めですからなっ!」

「いやはや、苦労させられますなっ!」

 自分たちの失態までもメティルイゼット王子に押し付けて、貴族たちはパラセネムの皮肉に大いに乗り、わらった。


「皆様の勇姿を、ご婦人方をお誘いしてお見送りさせていただきますわ」

 パラセネムのこの言葉により、貴族たちは戦いのこと以上に、如何にして他の貴族たちよりも目立つ戦装束を作るかに意識が移ったのであった――。









「お疲れさまでごさいました」

 会議場を後にしたパラセネムを、待機していた護衛のクラリサが出迎える。

「彼らの相手をするのは精神的に疲れるわ。まあ、よく踊ってくれるから退屈はしないのだけど」

 勇み立つ貴族たちを羨望の眼差しで見つめていたパラセネムはもういない。

 そこには愚者を冷たく眺める普段通りのパラセネムがいた。


「オクタヴィアンはどうしたのかしら?」

 護衛として宮廷内まで連れて来たのはクラリサだけではなかった。楽師として雇い入れたが剣士としても優れた技量を持つオクタヴィアンも宮廷内に連れて来ていた。

 もっともオクタヴィアンに関しては、連れ歩いてその美貌を他の宮廷婦人たちに見せびらかして羨ましがらせるのが主な目的だったので、別にいなくても問題はない。


「お早いお戻りで」

 パラセネムの言葉を聞きつけたわけではないのだろうが、丁度そこにオクタヴィアンが戻ってくる。

 出てきた通路に振り向いて手を振ると、黄色い歓声が宮殿に響き渡った。

「女漁りか? 何しに来ているんだっ!」

 その様子にクラリサが苛立ちも露に吐き捨てる。

「いやだなあ。人脈作りだよ。女性の魅力では引き出せない情報もあるだろう? パラセネム様のお役に立とうと私なりに努力しているのさ」

 眉間にしわを寄せて睨みつけてくるクラリサに、オクタヴィアンは平然とうそぶいてみせる。


「後宮に入り込んで陛下の寵姫たちをたぶらかさないでね」

 お気に入りの護衛二人のやり取りを面白そうに眺めていたパラセネムが口を挟む。

「私にそのつもりはないのですが、相手が勝手にたぶらかされてしまうんです」

「うろうろしなければいいのだっ!」

 冗談のようでいて、その実冗談にならないオクタヴィアンの言葉に、クラリサが間髪入れずに噛みつく。

 クラリサ本人はいたって真面目に注意しているだけなのだが、食い気味だったその間に、パラセネムは堪え切れずに笑い声をあげた。


「パラセネム様っ!」

 オクタヴィアンの行動に甘いパラセネムに、クラリサが抗議の声を上げる。

「何か面白い話は聞けたのかしら?」

 そんなクラリサを放置して、パラセネムはオクタヴィアンに視線を向ける。


「そうですね。ゾン王宮がなかなかに腐敗しているということがわかりました。今後いろいろと便宜を図ってもらうのに都合がよろしいかと存じます」

 爵位までが買えるゾンにおいて、権力を金に換えるのはもはや義務に近いものがある。不正を行わない役人はおらず、不正を簡単に暴かれるような者はゾン王宮に長く留まることは出来ない。

 パラセネムはこれまで買収することで情報を得たり、便宜を図らせていたが、オクタヴィアンはそこに脅迫という新しい手段を手に入れてきたのだ。


「裏を取らせますので、邸に戻ったらクラリサに細大漏らさず伝えてください」

 笑みの質を変えたパラセネムが、策士の顔に戻る。

 オクタヴィアンの独断に腹を立てていたクラリサであったが、主の変化に即座に反応し、補佐官の顔になる。


 これ以上王宮に留まると、パラセネムとオクタヴィアンの美貌から人が集まり、無駄な時間を取られることになるので、パラセネムは優雅さを保ちつつ速足で歩くという器用な特技を披露して王宮を去った。

 ベールで顔を隠したパラセネムと、続くクラリサの顔には油断のない引き締まった表情が浮かんでいた。

 その二人に続くオクタヴィアンは、立ち止まることなく一度だけ王宮を振り向いた。

 先を歩く二人の表情が引き締まっているのに対して、オクタヴィアンの表情は、訪れた時と微塵も変わらず、緊張も気負いもまるでなかった――。









「第一軍、第二軍共に連破されたか」

 箝口令が布かれたはずの情報に思わず唸ったのは、元ヴォオス国宰相クロクスに雇われている傭兵のシルヴァだった。


 ヴォオスを脅かす存在であるゾンは、クロクスにとって重要な駒であった。

 大陸中央から西方諸国にかけての経済拠点として、クロクスが抱える商業網とも深く絡み合っており、商売の面からみてもゾン中央の情勢は重要であった。


 そのゾンの経済の流れが荒れだし、掌握しきれなくなり始めた時、クロクスは実働部隊としてシルヴァの傭兵団にイジドールという傑出した剣士を付けて、ゾン国王都エディルマティヤへと送り込んだ。

 情報収集や工作活動は既にエディルマティヤに常駐しているクロクスの密偵たちで十分だったが、奴隷供給が止まるという予想外の事態に伴い、ゾンの国内情勢が急速に悪化することを予測したクロクスは、自身の経済網を守るために力のある実働部隊が必要になると判断したのだ。


 クロクスの読み通り、奴隷狩りの横行でシルヴァは忙しく働くことになった。

 そして何事も他力本願のゾン貴族、ケーナンに気に入られてしまったこともあり、ゾン南部侵攻にまで従軍させられる羽目になった。

 南部侵攻の際にセキズデニンの首級を上げるという大功を立て、メティルイゼット王子から功績に見合う報酬を得たので従軍も悪いことばかりではなかった。

 そして南部侵攻が成り、奴隷不足が解消されるとこれまでシルヴァの手を煩わせてきた野盗の奴隷狩りも目に見えて少なくなった。

 

 ゾン中央経済網が東部貴族によって断たれ、大陸東部との交易が難しい状況ではあるが、大陸西部との交易はほぼ正常化した。

 実働部隊としてのシルヴァの仕事はほぼ終了したと言える。

 次の任務は何かと考えていたシルヴァであったが、クロクスは中央の対東部貴族戦線の戦況次第では中央政権に大きく食い込める可能性があると考え、シルヴァにゾン待機を命じた。

 忙し過ぎるのは嫌いだが、戦う相手がいないというのも問題だ。

 待機を命じられたシルヴァは、次第に暇を持て余すようになった。


 奴隷解放組織の噂は耳にしていた。

 だがゾンでは奴隷解放という言葉は、どこにでも奴隷がいるように、不満の裏側に常に張り付いているもので、耳に入っても反対側の耳からすぐに抜けてしまう類のもだった。

 事実南部侵攻時に奴隷解放運動もついえ去り、セキズデニンの野心だけが人々の記憶に残った。

 だが今回は、さすがに聞き流すことは出来なかった。


「たかが奴隷の反乱。そう考えつつも早期にその芽を摘みに行った王子様が逆に手傷を負って逃げ帰り、それを嘲笑って出陣した軍が完敗して南部を取られた」

 退屈なシルヴァの唯一の気晴らしが情報収集だった。

 もっとも情報はクロクスの密偵たちが集めてくるのでシルヴァ自身が情報収集をするというわけではない。

 これまでは東部貴族の情報を中心に集め、独自に対東部貴族戦線の戦術を練って暇を潰していたが、ここにきて新たな暇潰しが加わったことになる。


「奴隷解放組織の情報はあるのか?」

 ゾン中央軍の敗北と、軍事拠点バルケシル陥落という情報を仕入れて来た密偵にシルヴァが尋ねる。

「噂程度のものしかありませんが、組織の首領が女で、戦力の半数以上も女だそうです。もっとも、これは南部侵攻以前の情報ですので、現在南部を騒がせている奴隷解放組織が同様の組織なのかどうかもわかりません」

「そもそも南部侵攻から逃げ切ったのは良いとして、どうやって生き延びたかだよな。辺境に隠れることは出来ても、何万て数の人間が生き残れるわけねえからな」

 シルヴァの言葉に、密偵もうなずく。


 南部侵攻に際し、辺境に逃れた人間は多かった。

 だが逃れた先に十分な食料や水があるわけではない。

 ゾン軍から逃れはしたが、結局飢えからは逃れることが出来ず、奴隷になるしかないとわかっていてもゾン軍に投降した者たちが大勢いた。

 もちろん投降しなかった者たちもいただろうが、飢えと渇きから逃れられる者はいない。

 そういった者たちは最終的には辺境にて餓死したものと考えられていた。


「南部のゾン軍が奴隷解放組織の名を騙って反乱を起こしたってわけでもねえんだろ?」

「その可能性は極めて低いと思われます」

 シルヴァの問いに、密偵は首を横に振る。

「始めにメティルイゼット王子が関わったこともあり、南部のゾン兵は一定期間ごとに配置換えされ、中央に戻されてもおりました。反乱まで起こすほど不平不満が溜まることはなかったはずですし、それほどの秘密を共有出来るだけの横のつながりを築く時間もなかったはずです」

「だよな~」

 密偵の答えに、シルヴァも納得する。


「東は介入する隙がねえからな。ケーナンあたりから何か言ってきてねえか?」

 ゾン中央貴族のケーナンは先頃結成されたゾン軍と貴族軍の連合軍に参戦を表明している。

 以前の南部侵攻に際してシルヴァ参戦を要請してきたが、今回も旨い汁を吸おうと泣きついてくるのではないかとシルヴァは考えていた。


「結論から言いますと、南部侵攻の際のシルヴァ様の功績が大き過ぎたため、他の貴族方から盛大に抗議が寄せられたそうです」

 密偵が苦笑いを浮かべながら答える。

 今回もシルヴァの武勇を利用しようと考えたらしいが、他の貴族の嫉妬によって諦めざるを得なかったらしい。


「あの時は王子様が気前良く褒美を出してくれたからな。何もしてねえケーナンにもそれなりの恩賞があったらしいし、文句が出るのも無理ねえな」

「特に今回はメティルイゼット王子抜きの貴族軍ですから、面子を重んじます。形としてはケーナン様の配下という扱いになりますが、傭兵に敵大将の首を何度も取られるわけにはいかないというところでしょう」

 密偵が貴族たちの心理を的確に言い当てる。


「潜り込むのは無理か」

 以前の南部侵攻の際も、他の貴族たちの嫉妬を警戒し、最小限の働きに留めていた。

 戦に関しては実力を正当に評価出来るメティルイゼット王子がいない今回は、最小限の働きも難しいはずだ。

 そもそもクロクスからは東部戦線の動きに備えるように指示されているので、仮に戦功をあげてもクロクスに利するところのない戦いに、さすがのシルヴァでも暇潰しで参加するわけにはいかなかった。


「やっぱ気になるな」

「何がでしょうか?」

 独り言のようなシルヴァの言葉に、密偵が問いかける。

「その奴隷解放組織って連中が今までどこに潜んでいて、どうやって生き延びていたかだ」

 これに対して密偵は答えることが出来ない。


「何かありましたか?」

 そこに傭兵というよりも、王侯貴族の美少年にしか見えない人物が現れ会話に加わる。

 シルヴァは仕入れたばかりの情報と、密偵と交わした推測を伝える。

 情報を受け取った美貌の傭兵イジドールは、なるほどとうなずいた。


「どこかに潜伏していたのではなく、南部の各生産都市に奴隷として潜伏していた可能性はありませんか?」

 その可能性は全く頭になかったシルヴァと密偵が顔を見合わせる。

「可能性はあります。辺境で何とか生き延びたと考えるより、余程現実的です」

 密偵がイジドールの考えに感心しながら唸る。


「だがよ。さっきのお前さんの話じゃあ、奴隷解放組織の半数以上が女戦士だったんだろ? 身体がいくら女とは思えねえくらいごっつくたって、奴隷登録のために体の隅々まで調べられるんだ。男か女かの区別くらいつくだろう。そこでごっつい女奴隷が何千、下手すりゃ何万もいりゃあ、噂にならねえか? 俺はそんな話聞いてねえぜ」

 イジドールの考えを真剣に考えたシルヴァが、疑問を口にする。


「そうですね。それに南部に派遣されているゾン軍と奴隷運用はしっかりと考えられ、食料供給を起点とした反乱対策がされていました。一都市で成功しても、それが他の都市へと広がらない対策です。今結果としてゾン南部が奴隷解放組織の手に落ちたということは、その反乱対策を超えたということで、超えるためにはやはり食糧問題が大きな壁となります。そもそもゾン南部の運用方針が定かではない時期にこれを予測し、対応を用意したうえで都市へ潜伏するというのは無理があり過ぎます。ゾン軍がしっかりと管理していた土地で、食糧問題を解決した何らかの手段があったと見た方がいいでしょうね」

 自分で言っておきながら、イジドールはシルヴァの疑問を受けるとあっさりと自分の考えを自分で否定した。


「やっぱり食料をどうやって確保したかだな」

「自力でというのは無理でしょうね。南部侵攻以前の反乱でいくらか食料を奪うことは出来たでしょうが、潜伏期間を食つなぐには絶対的に足りません。かといって辺境を開墾して農産物を生産していたということもない。そんなことが出来る土地であれば、そもそもはるか以前に入植して開拓されていますからね。何らかの手段で外部から食料を得ていたと考えるべきでしょう」

 何をするにも軍を養うだけの食糧が問題であり、この問題を解決したからこその奴隷解放組織の快進撃なのだ。


「南部に大量に食料が流れているとかってあるのか?」

 シルヴァが密偵に尋ねる。

「今現在はゾン軍の南部派兵があったのでそういった食料の流れはありますが、それ以前となりますと市場にそのような痕跡は見られませんでした」

 シルヴァとイジドールの考えを聞き、自身も記憶を辿っていた密偵が即座に答えた。


「市場を通さなかった可能性は?」

「ありますが、何万もの人間を長期間養うだけの食料となりますと、仮に市場を通さなくても、逆に市場を通らないという痕跡が残るはずです」

 イジドールの問いに、密偵が答える。 

 この辺りはクロクス配下の密偵の領域だ。


「通らなかった痕跡と言うと?」

「生産地には一定の規模があります。凶作の年には収穫量が減りますし、豊作の年には収穫量が増えますが、収穫量の増減が生産地の規模を大きく超えるということはありません。おおよその収穫量は計算出来ますし、その生産地からどれくらいの量の出荷があるかは、生産者でなくてもおおよその数字が予測出来ます。市場を通さずに南部に直接流したのであれば、その数量分だけ市場に本来出荷されたであろう総出荷数が減少します。ゾンの市場は大陸でも一番の激戦区です。他の商人の動向には常に目を配り、隙あらば顧客を奪う。どこかの出荷数が減るということは、その商品を求める顧客が余るということで、これを見逃すゾン商人はおりません。大口の取引があれば目立つし、逆になくなっても目立つことになる。痕跡を残さないということは不可能なのです」

 密偵の説明に、イジドールだけでなく、シルヴァも感心してうなずく。


「いろんな商人から小口で買うってわけにはいかねえのか?」

「実はそうしてくれた方がこちらとしては探りやすくなります。たとえ中小規模の商人たちから個別に少量ずつ仕入れたしても、結局市場全体で扱う同一商品の動きという形で見えてしまうのです。秘かに売れ筋の商品があると知れれば、そこに一枚かもうとしない商人はおりません。多くの商人と取引をしなくてはならない以上口止めなどをして情報を押さえることも出来ませんので簡単に探り出すことが出来るのです」

「なるほどな~」

 感心しつつもシルヴァの頭は次の可能性を模索する。


「過去にそういった動きもなかったと?」

「ございません。そういった動きを誰よりも早く察知するために我々はクロクス様よりゾン経済を任されておりますので」

 世界一の金持ちと言われた男、元ヴォオス国宰相クロクスが、大陸経済の重要拠点の一つであるゾン中央経済に派遣するほどの密偵たちだ。

 その優秀さを疑う理由はない。


「そうなると結局食料の出どころはわかんねえままだな」

 お手上げとばかりにシルヴァがため息をつく。

「そうとは限りません。ゾン南部は中央以外とはどの地域、国とも接していない孤立した土地です。西方諸国から食料を買い入れようとしても、結局はゾンの国境を越えねばならず、その痕跡は必ずゾン中央に残ります。中央に一切の痕跡がなく、ゾン南部での自給が不可能となれば、考えられる経路はただ一つ。海です」

 状況とこれまでの情報収集から、密偵は断言した。

 食べなくては生きられない。

 特にゾン南部の環境は過酷だ。

 生き延びたということは食料を得られたということだし、食料を得るにはもはや海路しか残されていない。


「そうなると、背後にはかなり大きな力を持った奴がついていることになるな」

 顔はにやけているが、シルヴァの目が鋭い光を帯びる。

「単に運に恵まれたのではないということですね?」

 シルヴァの言葉に、イジドールが問いかける。


「都市一個落とすくらいは運でいけんだろうが、田舎とはいえ一地方を丸ごとってなりゃあ、奴隷の知恵じゃあ無理だ。最低一人は国を切り回せるくらいの切れ者がついているはずだ」

「知者がいたとしても、何もないところに食糧を生み出すことは出来ませんよ」

「つまりそいつは食うことを真剣に考えられる切れ者ってことだ」

「手強いですね」

「手強いだろうな。切れ者はそれなりにいる。この国の王子さんあたりはかなりのもんだ。我欲が強い奴や理想に燃えている奴は、どんなに頭が切れてもどっかでボロを出す。だがこいつはやばい。目的がどこにあんのかわかんねえが、奴隷を本気で食わせやがった。普通奴隷は食い物にするもんだ。それをしっかりと食わせて、しかも解放しようだなんて、正気の沙汰じゃねえ」


「度を過ぎた理想主義者かもしれませんよ?」

「だったら南部は落ちてねえよ。仮に理想主義者だったとしたら、度を超すどころか一周回って誰よりも先を見てるだろうさ」

「いますかね? 本当にそんなニンゲン(、、、、)が?」

「わからん。正直そんなイカレ野郎とは関わり合いになりたくねえな」

「じゃあ、南部は放置ということですか?」

 イジドールがシルヴァに尋ねる。


「放置でいいか?」

 しかし問われたシルヴァは答える代わりに密偵にその問いを丸投げする。

「権限を越える問題ですが、放置というわけにはいきません。新たに編成されたゾン軍と貴族軍の連合軍が勝てば何の問題もありませんが、苦戦、もしくは敗北などしようものなら、ゾンの中央経済の流れが変わります。その影響は西方諸国まで届くでしょうし、見極めをしくじると各事業において大きな損失を出すことになります。奴隷解放組織の背後に何者が潜んでいるのか、探りを入れますのでしばしお待ちください」

 表向きクロクスの商売を取り仕切る商人としてゾン中央でそれなりに知られている密偵は、けして表では見せることのない鋭い表情となる。


「調査次第では?」

「東部戦線は一時置いて、動いてもらうことになるかと」

 密偵の答えに、シルヴァは不敵に笑った――。









 ゾン国王都エディルマティヤ。

 その一角に西方諸国方面で活動しているはずのゾン暗部密偵ジェウデトはいた。

 以前は西方諸国の三国をそそのかし、母国の北西部を騒がせたが、ここ最近は大きく動くことはせず、真面目に暗部の密偵としての務めを果たしていた。

 だが今王都にいるのは任務のためではなく、個人的趣味(、、、、、)のためだった。


 彼の側には私設傭兵団の団長であるアデルラールが、眠たげに控えている。

 やる気の欠片も見られないだらしない姿のはずなのだが、そんな姿すら絵になるほどの美貌の持ち主だ。


「まさか東部貴族と事を構えながら、十万もの軍勢が出来上がるとはねえ。パラセネムの力を侮っていたかな」

 王都で情報収集をさせていた手下からの報告に目を通しながら、ジェウデトは頭を掻いた。

「おかげで中央は空になる。いったい何を企んでいることやら」

 そう言うとジェウデトはククッと笑った。


「あんたがお気に入りの坊ちゃんは、今ここにいるのか?」

 さすがに本当に眠ってはいなかったアデルラールが、雇い主に尋ねる。

「おそらくいると思うよ。確証はないけどね」

「そんないい加減な情報でエディルマティヤまで来たのかよ」

「埃っぽい田舎都市にいるよりはマシでしょ?」

「それもそうか。こっちの方が臭くないし飯も美味い」 

 曖昧な情報で西方諸国からエディルマティヤまで旅をさせられたことに腹を立て掛けたアデルラールであったが、エディルマティヤの方が断然過ごしやすいことを思い出し、機嫌を直す。


「お坊ちゃんがいるかどうかも曖昧なのに、何しに来たんだ?」

「いや~、ゾン南部で大きな動きがあったからね。以前の反乱は南部貴族のセキズデニンの野心に呑み込まれて不発に終わったけど、今回は本腰入れてるみたいだからね。お祭り騒ぎに混じろうと思ったわけ」

「また西の国境あたりを騒がすのか?」

「まさか。同じネタに興味なんかないよ。それに前回でメティルイゼット王子にビビっちゃったからね。東部戦線で王子が死にでもすれば別だけど、もう一回を口八丁でっていうのは無理だね」

 アデルラールの問いに、ジェウデトは肩をすくめた。


「南部が奴隷解放組織に落とされて、この反乱がこれまでに何度も起きた反乱とは一味違うことに気がついた人もいるでしょ。気がついたうえでどう動くか。その見極めに来たのよ」

「動き次第でお坊ちゃんの反応も見ることが出来る。そうすれば居所もつかめるというわけか」

「鋭いね、アデちゃん。舞台はいつまでも東部や南部じゃないのよ。あの坊ちゃんの狙いはゾンそのものだからね。中央を崩さずに勝ちを決めることが出来ない以上、必ず中央を軸にして動く時が来る。俺としてはそろそろ動くんじゃないかなあと思っているわけ」

 言葉では勘を頼りに動いているように語っているが、自身の存在を掴ませないギリギリの距離からカーシュナーの活動を観察したうえでの読みだ。


「それで、どこの誰を見極めるつもりなんだ?」

「まあ、ベタなところで宰相のヤズベッシュ。これを上手く操っているパラセネム。ゾン経済にも深く食い込んでいるクロクスの密偵たち。後はメティルイゼット王子がどこまで政治に関わるつもりがあるか次第かな」

「それだけか?」

「他にも何かしらを企んでいる連中はごまんといるけど、所詮は個人の利益の範囲内だ。要職の椅子の主が多少変わるくらいで、全体の流れに影響を及ぼせるほどの大人物はいないよ」

「あんたが所属している暗部は気にしなくていいのか?」

「ここは俺にとって情報源の一つだからね。状況に関係なく常にその動向は掴んでいるよ」

「そういうところはさすがだな」

 珍しくアデルラールに褒められ、ジェウデトはくねくねと気持ち悪く照れた。


「じゃあ、待ちか」

「まさかっ! おじさんそんな時間の無駄はしないよ。探る間にいろいろと仕込みをするさ」

 アデルラールに片眼を閉じてみせると、ジェウデトはにんまりと笑った――。









「ファティマたちは順調なようだね」

 王都エディルマティヤに戻ったカーシュナーを迎えたのは、商業網においては片腕的存在であるチェルソーだった。


 西方諸国出身のチェルソーは、幼少期の食糧不足が原因で小柄な身体つきをしている。

 その優し気な顔立ちは常に柔和な笑みを浮かべているため、誰にも無用な警戒心を起こさせない。

 中身も外見に違わず基本は優しい性格をしている。だがカーシュナーと行動を共にする過程で厳しさを身に着け、必要な時には非情な判断を下すことに躊躇しないだけの覚悟を持っている優れた人材だ。

 

「第一軍を破ったところまでは情報が入っているんだけど、その後の情報はまだなんだ。どうなってる?」

 チェルソーの出迎えに笑みを返すと、カーシュナーは早速不足している情報の収集を行う。

「ファティマたちはセリーム将軍率いる第一軍を一戦で打ち破った後、南部の軍事拠点バルケシルには向かわず、バルケシルを目指していた第二軍を直接襲撃しました」

 報告ということで、チェルソーの口調が事務的になる。

 こういうところにチェルソーの真面目さが現れる。


「第一戦はいきなりセリーム将軍の首を取れたのが大きかったね。まあ、偶然の要素がかなり大きかったけど、そもそも偶然を引き寄せるだけの優位をしっかりと築けたからこその結果だからね。もっとも、アナベルとリーが崩れかけた戦術を繋いでくれなかったら、独断で動いた二部隊は討たれていたわけだから、終わり良ければすべて良しとはいかないけどね」

 第一軍との戦いに関するカーシュナーの評価は厳しかった。

 それは指揮官選出を行った自分自身への厳しい評価でもある。


「戦況は常に変わり、動き続けるものです。その変化を見極め、対応する能力は重要です。セリーム将軍を討てたのは、追撃を掛けたからで、もしセリーム将軍が後方に逃れて態勢を立て直していれば、ファティマたちはその後なお一万のゾン軍を相手にすることになりました。そうなっていれば、現状の成果は望めなかったと思います」

 カーシュナーが選出した指揮官候補の訓練に参加していたミランが、カーシュナーの厳しい評価に対してファティマたちを擁護する。


「結果ですべてを許していては、軍組織として遠からず崩壊する。勝ち続けているときは問題にならないだろうが、一度でも負ければ立て直しが利かない。軍規を守るということは、負けてもそこで終わらない軍を作るということだ。負けるつもりで戦に臨む者はいないが、負けを考慮して戦略を立てられない者が最終的な勝者となることはない」

 ミランの言葉を否定したのはダーンだった。

 ミランの擁護がファティマたちだけでなく、指揮官候補を選出したカーシュナーも擁護するためのものだったことを承知の上で、ダーンは敢えて厳しい言葉を口にした。


「そのあたりはしっかり理解出来たようですよ。結果としてセリーム将軍を討ち取ることに寄与した二人の千人長ですが、功を誇るどころが命令違反を犯したことを理由に千人長の地位を返上し、そのうえで厳罰を自ら求めたらしいですから」

 その後の情報を得ているチェルソーがミランに助け舟を出す。


「軍組織としてまだ若い奴隷解放組織で、勝って厳罰を科したりすれば、戦場で萎縮しないか?」

 チェルソーの情報に疑問を口にしたのは、ルオ・リシタ人のイヴァンだった。

 ルオ・リシタ国のゲラルジー王子の専属奴隷として多くの戦を経験してきたイヴァンは、処罰を恐れて消極的になる奴隷兵士を多く見て来た。

 ゲラルジー王子が率いた軍と奴隷解放組織は軍としての質が違うが、他人が処罰される姿を見て萎縮するのは共通だ。処罰が軍としての規律を守るためのものだと理解出来るまでに兵士として経験を積んでいれば問題ないが、奴隷解放組織の多くの兵士が元奴隷だ。罰に対する恐怖が身に沁みついてしまっている。


「そのあたりもファティマは上手く処理したようです。地位の返上を一度受け入れ、罰として一兵士としての雑用を完璧にこなしたうえで、アナベルから戦術に関する知識と、指揮官としての心得を徹底的に学ぶように言い渡したそうです」

「さすがファティマだ」

 これに感心してみせたのは、元南方奴隷のモランだった。

 優しい性格のモランは、自分には厳しく出来るのだが、他人に対して厳しく接するのが苦手だ。

 敵であれば容赦などしないが、味方にはどうしても甘くなる。

 失敗に対しても罰を与えるのではなく、何故失敗したのかを教え、どうすれば同じ失敗をしないようになるかを共に考え、その対策を共にする。

 軍規を守るための処罰は十分理解しているし、受け入れてもいるが、そこに何らかの救いがあることを望んでしまう性格なのだ。


「ボラからの報告では、罰のはずの学習を、他の千人長や百人長たちも自主的に受けたそうです」

「それが第二軍との戦いに活きたのでしょうか?」

 ミランが嬉しそうに尋ねる。


「千人長に復帰したセダートとレジスを含めた全部隊の統率された動きに、アナベル様も太鼓判を押されたそうですよ」

「アナベル様に認められるとはたいしたものですね」

 ミランが嬉しそうにカーシュナーを見る。

「元々軍歴の短い彼らは意識一つで大きく変わる。拠点攻略が順調過ぎて成長出来なかった部分を、血を流すことで学ぶことが出来たのだろう」

 駄目な部分を曖昧にしないカーシュナーだが、良い部分を分けて評価出来るのもカーシュナーだ。


「第二軍との戦いはどのように展開したんだ?」

 ダーンがチェルソーに尋ねる。

「第二軍が予想よりも遅れていたことから、ファティマは第二軍がバルケシルに到着する前に機動部隊のみで奇襲することを決断しました。幸い遊撃戦力として南部と中央の境に待機していた元メヴィケント軍が第二軍に近い位置にいたので、背後からの急襲を指示し、それに合わせて奴隷解放組織の機動部隊による挟撃作戦を敢行しました」

「思い切ったな~」

 ミランが兄妹弟子のファティマの決断に感心する。


「その間に歩兵部隊はどうしてたんでしょう?」

 モランが尋ねる。

「万が一に備えて、第二軍とバルケシルの間に布陣していたそうです」

「指揮は?」

 次に尋ねたのはイヴァンだ。

 二人とも戦士として急成長してみせたが、カーシュナーに師事して戦略、戦術もしっかりと学んでいる。抑えるべき要所に関する疑問をそのままにしてはおけなかったようだ。


「歩兵部隊の指揮はファティマが執りました。第二軍に当たったのは、セレンです」

 チェルソーの答えに、一瞬の沈黙が降りる。

「けっこう思い切ったな~」

 これを面白がれたのはカーシュナーだけだった。


「補佐にリュテがつき、念のためアナベル様とリー様も同行されたそうです」

「先陣を切ったのはエミーネかな?」

 モランが尋ねる。

「はい。最終的に第二軍の大将を討ったのもエミーネです」

「エミーネの実力ならうなずけます。それより、セレンは全体を指揮出来たのですか?」

 ミランが一番気になっていることを尋ねる。


「性格的に自分も前に出たかったでしょうが、旧メヴィケント軍の動きをよく見て連携し、最後までしっかり指揮に徹したそうです」

「彼女も短期間で成長したね」

 カーシュナーが素直に感心する。


「リー様とアナベル様が戦いに加わってくださったことが刺激になったのでしょう。特にアナベル様は目指していた理想の戦士像そのものだったようで、セレンやエミーネたちだけでなく、リュテやティオまでつきまとって学ぼうとしているそうです」

「リー様の指揮能力も強さも抜きん出ておりますが、リー様だからこその強さですからね。そこから学ぶのは難しい。その点アナベル様は女性として最も完成された将軍です。理想として学ぶには最適の方です」

 ダーンが納得してうなずく。


「第二軍を討ち破ると、セレンたち機動部隊は敗残兵の掃討を旧キャヴディル軍に任せ、本隊に合流しました。そして戦力を整えたファティマは、これまでの戦いで奪ったゾン軍の装備を纏って第二軍を演じ、まんまとバルケシルへの侵入を果たすと城門を奪い取り、一気に陥落させました」

「臨機応変。縦横無尽。情報を活かした見事な攻めだ」

 カーシュナーは南部攻略を託した弟子の働きを、素直に称賛した。

「多少のつまずきはありましたが、それを見事に修正して次に活かした。勝ち過ぎて驕りを持つよりは、修正が利く内につまずけたのは、ある意味幸いだったのかもしれません」

 ダーンの言葉に、カーシュナーもうなずく。


「第一軍、第二軍の敗北。これに加えて軍事拠点のバルケシル陥落を受けて、ゾン中央は十万の軍を編成しました」

「ずいぶんと騒がしかったが、十万も揃えたか」

「東部貴族との戦いが膠着しているこの時に、敢えて南へこれだけの軍勢を向けるとは、思い切ったことをしますね」

 カーシュナーがニヤリと笑い、ミランが顔をしかめる。


「ゾン中央にとってもっとも脅威となっているのは東部貴族だ。十万もの軍を用意出来るのであれば、膠着する前に東部戦線に投入するべきだった。だいぶ遅れたけれど、今から投入しても十分東部戦線の戦局を優位に傾けることが出来る。順番としては東部貴族を倒してから南部の反乱軍を討伐する方が、戦略的には絶対に正しい。にもかかわらず、南部へ兵を向けた。悪い手ではないと思ったんだ?」

 顔をしかめるミランに、すべてを見透かしたカーシュナーが尋ねる。


「その通りです。出来れば兵力を東部と南部のどちらに振り分けるかで迷い、時間を潰すか、戦力を二分して両方の戦線に投入するかしてくれれば良かったのですが、これだけ早く、しかも南部に派兵を決定されたのは想定外でした」

 ゾン軍が時間を潰してくれれば、それだけファティマたちは南部の状況を整え、迎え撃つ準備が出来る。それ以上に、兵力を二分してくれれば、戦力的に奴隷解放組織だけで十分対抗出来るので、戦術の幅が大きく広がったのだ。


「今回十万もの兵力が用意出来たのも、それを南部に向けることになったのも、戦局を見極めての決定ではない。すべては中央貴族のメティルイゼット王子に対する対抗心がさせたことなんだ」

「カーシュナー様は南部での反乱がなければ、この十万の兵力はずっと遊んでいたと見ているのですね?」

 カーシュナーの解説に、ダーンが自分の理解が正しいか確認する。


「中央貴族たちは、とにかく中央から王子を遠ざけたい。戦好きの王子は、遠ざけられなくても自分から東部へと出向く。そもそもヴォオスと対立し、ルオ・リシタとも緊張状態にあるゾンの主要な経済圏は、王都エディルマティヤから大陸西部へと広がっている。奴隷の補充が出来たことで大陸西部へと広がる経済網は機能を取り戻し、中央貴族たちにとっての経済的な損失はほぼなくなった」

 カーシュナーがいったん言葉を切る。


「東部貴族を討伐しても、たいした経済効果は期待出来ないとわかっているから、中央貴族からすれば、面子を気にしないのであれば無理をしてまで倒す必要はない。むしろ東部戦線での戦闘が長引くことは、そのままメティルイゼット王子を東部に追いやっておけることになる。中央貴族にとってはむしろ好都合だ。そんな状況で王子に十万もの援軍を送るわけがない」

 そこでカーシュナーは意地悪く笑った。


「王子が中央不在の間に中央での権力基盤を確固なものとし、ゾン全体の支配権を手に入れるのが中央貴族たちの目的なんだ」

「では十万もの軍を編成したのは、第一軍以降の敗戦を理由にメティルイゼット王子の中央への介入を阻むのが目的だということですか?」

 カーシュナーの説明に、ミランが呆れ返る。


「介入される前に南部の反乱を片付けてしまえば、敗戦に関して何を言われようが、そもそもの原因は王子の敗戦にあると言って、逆に王子を非難出来るからね。戦っている東部貴族に対する面子以上に、味方であるはずのメティルイゼット王子に対する面子の方がはるかに大事なのさ」

「権力者という奴は、常に傲慢だな」

 イヴァンが吐き捨てるように言う。

 ゲラルジー王子の専属奴隷だったイヴァンは、ルオ・リシタ国の王族の傲慢ぶりを嫌と言うほど見て来たのだ。


「おかげで行動が読みやすいし、誘導もしやすい。もっとも、今回は行動が早過ぎた。誰か知恵の回る人間が介入したのかい?」

 カーシュナーがチェルソーに尋ねる。

「シセクダーギ家の未亡人、パラセネムが貴族会議に乗り込み、瞬く間に方針を決定させてしまったそうです」

 チェルソーの報告に、ミランが顔をしかめる。


「以前から秘密裏に権力の拡大を図っていた侯爵夫人ですね。南部貴族のセキズデニンを動かしたのもこのパラセネムという女性だったはずです」

 ミランの顔が警戒心で引き締まる。

「今回は見事に中央貴族たちを躍らせたね。彼女にとっての最悪は、メティルイゼット王子が絶対的権力を持つことだ。その点に関しては中央貴族たちと利害は一致している。中央貴族たちがもたもたしている間にメティルイゼット王子が介入し、それで結果でも出されようものなら、現在中央を支配してる有力貴族たちから外れた位置にいる中央貴族たちがこぞってメティルイゼット王子に寝返ってしまう。そうなれば、どれだけ宰相のヤズベッシュが頑張ろうが、メティルイゼット王子への権力の集中は止められない。慌てて尻を叩きに行ったんだろうね」

 警戒するミランに対して、カーシュナーはそこまでの脅威をパラセネムに感じてはいない。


「今後もいろいろと画策してくるだろうけど、そこまで心配する必要はないよ」

「そうでしょうか?」

 カーシュナーの言葉を聞いても、ミランから警戒心が薄れることはなかった。

 それは情報をまとめているチェルソーや、他の弟子たちも同じようだった。

 ただ一人ダーンだけが、カーシュナーの言葉を受け入れているが、それはカーシュナーの言葉を完璧に理解しているからではなく、幼いころからの付き合いで、カーシュナーが気休めなど口にしないと知っていたからだ。


「彼女の行動には制限が多い。行動どころか発言にも多くの制限がかかっている。その素材だけであれば要注意が必要な相手かもしれないが、ゾンにおいては、ゾンという国の歴史そのものが彼女の行動を阻む鎖になる。彼女の存在が私たちの脅威になるとしたら、それはゾンの現体制を彼女が打倒した後になる。代わりにやってくれるというのであれば、任せておけばいい」

 カーシュナーの言葉は現実を正しく言い表しただけであると同時に、痛烈な皮肉にもなっていた。


「今回みたいに裏目に出ることもありますよ?」

 ダーンが、パラセネムの働きかけにより、十万もの軍が南部に向かうことになった事実を改めて指摘する。

「構いやしない。そもそも南部なんてどうでもいいんだ。バルケシルを取ったけど、そこにこだわる必要もない。むしろ拠点防衛は奴隷解放組織には不向きだ。物資の補給路をしっかりと確保しつつ引きながら戦い、南部深くに誘い込むのが基本戦略になる。土地の確保はゾン中央に余力がある限り難しい。むしろ貴族の私兵という余力を早い段階で絞り出せたのは大きいと言える」

「中央に攻め込んでから中央貴族たちの私兵と戦うより、地の利がある南部で戦える方が有利ということですね?」

 十万という数字と、これに対抗しなければならないファティマたちを思うあまり、ミランらの思考は目の前の展開に留まってしまっていた。

 その点思考を感情から完全に切り離せるカーシュナーの視点はしっかりと先の展開を捉えていた。

 長く従者を務めるダーンの理解も早い。


「この十万の軍をメティルイゼット王子が率いるというなら大きな脅威となるけど、今のゾン中央に、これだけ指揮系統がバラバラな軍を統率しきれる指揮官はいない。それに、バルケシルを落とされたことに慌てはしただろうけど、中央に攻め込まれたわけじゃない。パラセネムに乗せられたとはいえ十万の兵力を揃えたことで、おそらく大半の貴族たちはもう勝った気になっているはずだ。南部に攻め込んだところで、統制の取れた行動は取れないだろう。中央の土地で、追い込まれた中央貴族たちと戦うより、油断しきった中央貴族たちと南部の地で戦う方がはるかに戦い易いはずさ」

 カーシュナーの言葉に、ミランたちもようやく表情を緩めることが出来た。


「むしろファティマたちが中央を空洞化してくれたこの隙に、東部戦線の切り崩しを行うことが私たちの務めだ。二方面に大戦力を展開するのは、ゾンの国力をもってしても容易じゃない。後方支援が滞れば、前線の圧力が低下する。それはファティマたちへの援護にもなる」

 共に戦うことばかりが仲間の務めではない。

 特にカーシュナーの仕事は戦う前に勝利条件を整えておくことだ。

 一つの仕事が百の兵を討つよりも大きな成果に結びつく。

 ミランたちは意識を切り替えて、自分たちが果たすべき役割に意識を集中した。


 だがこの数日後。

 カーシュナーの予測をも上回る事態がゾンを襲った。


 それは、現ゾン国国王アリラヒムの急死であった――。

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