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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
133/152

対ゾン中央軍の始まり

 窮地のカーシュナーに合流したリードリットは、仕留め損ねこそしたが、メティルイゼット王子に手傷を負わせることに成功した。

 先にカーディル王子も目潰しによって戦闘力を大きく損なっていたことと、リードリットを援軍の先兵と判断したことで、ゾン軍特殊部隊は撤退を選んだ。

 奴隷商人を囮に奴隷解放組織をおびき出す作戦は失敗に終わったが、代わりにメティルイゼット王子はカーシュナーの存在を知ることになる。

 正体こそ不明だが、<人食い>と恐れられるカーディルと互角に戦い、わずか数人でメティルイゼット王子が信頼を置く精鋭部隊を切り裂き、自身へと肉薄した未知の敵の存在を知れたことは大きかった。


 対東部貴族という大事の前の小事として、奴隷解放組織を一戦で片づけてしまいたかったメティルイゼット王子は、東部貴族に対するものと変わらぬ警戒を奴隷解放組織に抱くことになった。


 メティルイゼット王子の作戦失敗は、形を歪めてゾン中央に広まった。

 不足していた奴隷の供給を見事果たしたことで、以前よりも中央貴族の支持率を上げたメティルイゼット王子だったが、その有能さを恐れる宰相ヤズベッシュを筆頭とした中央の有力貴族たちからは相変わらず敵視されていた。


 メティルイゼット王子は無類の戦好きであるため、油断しきって前線に出て、奴隷解放組織などというわけのわからない手合いに手傷を負わされ逃げ戻ったと勘違いされていた。

 対東部貴族戦に対してメティルイゼット王子ほど危機感を抱いていないヤズベッシュは、この事態をゾン軍におけるメティルイゼット王子の力を弱めるための好機と捉え、国王アリラヒムを口説き落とすと、撤退するメティルイゼット王子と入れ替わる様に、子飼いの将軍セリームと二万の軍勢をゾン南部へと送り込んだ。


 この行動を不快に思わないメティルイゼット王子ではなかったが、東の戦線から目を離したわずかな間に一部が切り崩されたとの報告が入り、負傷してしまったこともあり、メティルイゼット王子は屈辱を呑み込み対東部戦線の指揮へと戻った。

 今やゾン中央の広大な食料及び補給物資の生産拠点と化しているゾン南部は、メティルイゼット王子の敗退により、中央貴族の有力者たちが強い影響力を持つゾン中央軍と、奴隷解放組織による本格的な戦場と化すことになった――。









 南部八貴族領がメティルイゼット王子に呑み込まれて後、ファティマたちはカーシュナーが南方民族の地に築いていた第二の都市へと避難した。

 人々の意識を根気強く変えながら、ゾンの改革を考えていたファティマたち奴隷解放組織だったが、圧倒的な奴隷不足に対するゾン中央の非人道的な侵攻により、すべてを根底から覆されてしまった。


 勢いだけで成し遂げられることではないことを理解していたからこそ、ファティマは武力行使ではなく、奴隷解放の思想を人々に浸透させ、ゾンの平民たちを立ち上がらせようと計画していた。

 時間のかかるやり方であることは百も承知だったが、奴隷制度の上に築かれているゾンという国から奴隷をなくそうとすれば、結局は一番の近道になると確信していた。


 やり方は間違っていなかった。

 だが、長い年月蓄積されてきた恨みと、奴隷制度からもたらされる利益に浸りきった人々の欲が大きなうねりを生み出し、ゾン南部とファティマたちの努力の成果を呑み込んでしまった。


 奴隷狩りから逃れる人々を守りながらミランに導かれて辿り着いた城塞都市を目にしたとき、ファティマは自分とカーシュナーの思考の次元の違いを思い知った。

 反乱がどれ程大規模になろうとも、最後には現在の支配体制に打ち負かされ、すべてが失われるであろうことを、カーシュナーははるか以前から見越していたのだ。

 だからこそカーシュナーは時間を掛け、しっかりと力を蓄えるための場所を人知れず秘かに築いた。

 そしてファティマたちはその先見の明によって救われることになった。


 都市へと入った人々は息を呑んだ。

 南方民族と言えば、未だに地面に穴を掘り、その中で獣のように暮らしていると思っていたからだ。

 だが都市の建物の多くが煉瓦作りとはまた異なる見たこともない石造りで、石積みのような継ぎ目もなく、まるで大きな岩から削り出したかのように見えるものだった。

 そして見た目以上に人々を驚かせたのは、見た目こそ簡素な造りだが、その機能性はゾンの主要都市に建てられている貴族や豪商の邸にも劣らないものだったことだ。

 都市を囲む城壁も同様で、まるで石を積み上げた後に漆喰で化粧を施したかのように一体化している。


 都市には上下水道が配備され、集合住宅が整然と並び、いたる所に公共の井戸と炊事場が存在している。

 上下水道に関しては王都エディルマティヤでもごく一部の区画でしか整備が行われておらず、都市全体に及んでいるなどあり得ないことだった。

 また、雑然と増築が繰り返されるゾンの都市と異なり、都市内を風が吹き抜けるように建物が計画的に建設されており、標高がゾン南部よりも高いこともあって、都市は驚くほど快適に過ごせるように造られていた。


 そして一番避難民たちが驚いたのは、先に都市に居住していた南方民族たちが、自分たちを当たり前のように受け入れてくれたことだった。


 彼らゾン人は、何の罪もない彼ら南方民族の民を、数百年にわたって捕らえ、奴隷として酷使してきた。

 たとえ直接に彼らに危害を加えたことがなかったとしても、奴隷社会の恩恵を一度でも受けていれば、何の罪もないとは言えない。

 奴隷の子として生まれ、この日この地に辿り着くまで奴隷として生き抜いてきた者だけが罪を免れる。

 なので、南方民族の地へ向かうと知り、途中で集団から逃げ出した者たちもそれなりの数にのぼった。

 導いてくれるファティマたちに不安の色がまるで見られなかったからついてこられたが、そうでなければ彼らは引き返してメティルイゼット王子の支配に甘んじていたかもしれない。


 辿り着いた人々を待っていたのは、これまでのゾンにはなかった新しい秩序だった。

 これに順応するのに苦労したのは、ファティマたち奴隷解放組織の思想に納得してついてきたわけではなく、他に生き残る術がなくて仕方なくついてきた男たちだった。

 特に元奴隷所有者で肉体労働とは無縁だった者たちは、割り当てられた仕事に対して不満を露にした。

 彼らが不平を口にするのに対し、ファティマたちは無言で都市から彼らを追い出し、南方民族の地で生きるということの過酷さを思い知らせた。


 都市の支配者はカーシュナーである。

 たとえこの場にいなくとも、その管理運営を任された者たちが、都市の決まりに従わない者たちに容赦するはずがない。

 むしろカーシュナーが都市にいなかったことを彼らは感謝しなくてはならなかった。

 追放されて一度は都市から離れた者たちは、三日も保たずに城門の前に戻ってひれ伏した。

 そして許しを請い、許され、都市の一員に戻った。

だが、もしカーシュナーが都市にいたら、彼らが許されることはなかっただろう。


 ゾン南部の状況は、誰もが実体験として知っている。

 その上で現状を理解出来ないような愚か者は死んで当然と、カーシュナーならば見せしめの意味も込めて彼らを処断したはずだからだ。

 野生において状況判断の遅れ、誤りは即座に死に直結する。

 予断の許されない状況において、判断を誤る者を庇っていては、全体を危うくする。

 一度奴隷として隷属せずに生きる機会を与えた以上、それを拒む者に与える慈悲を、カーシュナーは持ち合わせてはいない。


 だがこの時都市を管理していたのはジュアたち元南方奴隷とファティマたちであったことから、彼らは二度目の機会を許され、死を免れることができ、生き延びることが出来た。


 秩序が浸透すると有志が募られ、練兵が始められた。

 これに進んで手を挙げたのはほぼ女性であった。

 逆に強要されると思い込んでいた男たちは、自由意思の尊重に戸惑い、困惑した。

 そして、女性たちが日々の過酷な訓練を経て力を蓄えると、これまでゾンにおいて築かれてきた男女の関係がはっきりと覆ったことを理解させられた。


 これまで暴力によって支配していた女性たちが対等以上の力を得たことにより、いつかは前の様な暮らしに戻れるのではないかと考えていた男たちの甘い幻想はあっさりと踏み潰された。

 関係の逆転はそのまま立場の逆転となり、これまでの仕打ちもあって、性根の曲った者、能力の低い者たちは肩身の狭い思いをするようになった。


 ファティマたちに不満を訴える者もいたが、カーシュナーの厳命により、不平不満を唱える者たちには都市を去る自由が言い渡された。

 都市への移住はあくまで難民の受け入れという善意であり、こちらから頭を下げて招いたわけではない。受け入れたからといってそれは自由意志を束縛するものではなく、去ることを止めはしないと。

 そこに鋼が持つ冷たい意志を感じた人々は、それ以上の不満を呑み込まざるを得なかった。


 本来意趣返しを許しては、新しい秩序の浸透の妨げとなるのだが、カーシュナーは博愛精神から都市を築き、ゾンの難民を受け入れたわけではない。

 むしろ旧体制において支配する側にあった者たちは、余程時代の流れを正確に読めるような優れた資質の持ち主以外は足手まといにしかならないと始めから考えていた。

 カーシュナーは人を厳選するためにこの都市を築いたのであり、女性たちの意趣返しはカーシュナーが考える新しい秩序の下に築かれるゾン社会への適合者をより分けるふるいの一つでもあったのだ。


 人の流入は南部八貴族領からの難民に留まらなかった。

 南方民族の地に住まう各部族の攻略はその後も続き、古い秩序に生きる南方民族たちにとっては、カーシュナーはゾンの奴隷狩りと何ら変わることのない破壊者であり、同時にこれまで虐げられてきた者たちにとっては解放者として南方民族の地に新たな勢力を拡大していった。

 それと同時に西方諸国の各地から秘かに逃がされた奴隷たちが海路を使い南方民族の地に入り、都市へと加わっていた。

 人の流れが落ち着き、カーシュナーが始めに築いた都市と、ファティマたちが身を寄せた第二都市の住民が十万を超えたころ、カーシュナーが都市に合流した。


 カーシュナーの目的は指揮官の育成だった。

 兵士としての基礎はファティマやジュアたちでも十分指導が出来る。

 だが指揮官としての経験が浅い彼らでは、小隊の士官は育てられても千から先の部隊指揮を執れる者を育てるのは難しい。

 経験が浅いまま、数千から万単位の兵を指揮出来たファティマやジュアが特別なのであり、二人には既に手に余るほどの仕事が課せられている。

 人の見極め、配置、指導に関しては、カーシュナーが自ら行う必要があった。


 都市に到着したカーシュナーは早速ファティマとジュア、ボラなどから報告を受けた。

 見るべき人物と場所を把握すると、カーシュナーは変装して人々に紛れ、都市内の細かな情報を補足していった。

 

 カーシュナーの指示があり、練兵は新たな段階に入った。

 基本カーシュナーは表に立たず、これまで練兵の指揮を執っていたファティマやジュアに加え、ミランたちが指揮に加わり、模擬戦を主体に訓練が行われた。

 模擬戦自体はこれまでも行っていたが、ミランたちが加わったことで訓練はより実践に近い内容になった。

 千単位を指揮出来る指揮官が多数存在することで模擬戦の流れそのものが格段に速くなり、そこから百人、十人といった単位までの指揮の伝達と理解、反応次第であっという間に決着がつくこともあった。

 個人技を磨き、それなりに自信がつき始めていた兵士たちは、ここで初めて集団戦闘の本当の意味を理解することになった。


 十人、百人、千人を率いる者をあらゆる条件で試し、戦術理解を深めるための訓練が一通り済むと、カーシュナーは人材の配置を済ませ、後の練兵を再びファティマとジュアに任せて都市を離れた。

 カーシュナーが集団戦闘の訓練に従事している間、従者であるダーンは、特に個人戦闘において見込みのある者たちを指導していた。


 その体躯からただ者ではないことは誰の目にも明らかだったが、先に戦闘訓練を受けていたミランたち以外は度肝を抜かれることになった。

 元々体格と運動神経に優れ、短期間でその能力を伸ばした者ほど驚きは大きかった。

 ヴォオス軍に在籍していれば騎士叙勲も間違いないと思えるような者たちが、手も足も出せずにひざまずくことになったからだ。


 ことに大きな衝撃を受けたのがセレンとエミーネの二人で、最終的にはダーン相手に二対一で挑み、連携のわずかな隙を利用されて不和を生じさせられて大喧嘩となり、負けるのではなく勝負そのものを自分たちの未熟さで壊されてしまうという圧倒的な差を見せつけられることになった。

 本気の殺し合いに発展しかけた時、ダーンは二人を笑った。そして、


「お主らにファティマは任せられんな」


 と、容赦のない言葉を浴びせた。


 セレンとエミーネの二人は深く恥じ入り、その日以降集団戦訓練の合間を縫ってはダーンに挑み、二人はボロボロになっても強さを求め続けた。


 これ以後カーシュナーは定期的に都市を訪れるだけになるが、セレンとエミーネにとっては自分たちの成長を測る丁度いい機会となった。


 日々が積み重なり、糧食、装備類が整い、十分な戦闘訓練が終了すると、カーシュナーは自軍を奴隷解放組織の名目で元南部八貴族領へと向けた。

 この時の南部八貴族領は完全にゾン中央のための物資生産地と化しており、生産を管理するための役人と兵士以外はすべて奴隷だった。

 

 元南部八貴族領の領民を奴隷としたことで、ゾン全体の平民の数が減少した。

 東部貴族との戦を避けて中央から土地の空いた南部へと移りたがった者たちもいたが、これを許すと貴族たちが私兵を連れて南部へと移動してしまうため、中央の戦力が中央集中から南部にかけて薄く広がることになってしまう。

 東部貴族との戦いはゾン正規軍だけの戦いではない。

 中央貴族も含めた戦いだ。


 この認識はメティルイゼット王子はもちろん王都から離れるわけにはいかない宰相ヤズベッシュも共通して認識しており、この件に関してのみ、メティルイゼット王子と宰相ヤズベッシュは協力して中央貴族の抑え込みを行った。


 これにより南部八貴族領内にあった生産性の低い産業はすべて放棄され、人員は食糧生産に適した地を中心に、産出量が多い鉱山と、そこから採掘された鉱石を加工するための設備の整った都市に集中した。

 メティルイゼット王子は戦に必要な農業と装備類を生産する工業のみに奴隷とその監視要員を集中させるつもりでいたが、奴隷に次ぐ主な輸出品である貴金属の生産加工にヤズベッシュが強くこだわり、南部八貴族領内攻略後メティルイゼット王子に好意的になっていた中央貴族も口説き落として人材の投入を強引に決定してしまった。


 ヤズベッシュの行動の裏に、商人としてのカーシュナーの働きかけがあったことを知る者は、一人もいない。

 行動の中心にいたヤズベッシュですら、自分の意思が他人に影響を受けていたとは思っていない。

 カーシュナーは利益に対するゾン貴族の心理を完全に把握していた。

 俗物であればあるほど、カーシュナーにとっては躍らせやすく、策略にも優れるメティルイゼット王子も、ヤズベッシュらの日頃の俗物ぶりに慣れてしまっているため、その行動の裏の作為を読み取ることは出来ないと見抜いていた。


 南部八貴族領内は広く全体に人間が分散しているのではなく、点で存在していた。

 各都市、生産拠点は効率を重視し、各区間の陸路が整備されており、点と点がしっかりと線でつながっている。

 中央の物資生産地として見事に整備されており、その点においてはカーシュナーも商人としては高く評価している。

 だが、南部を攻略する戦術家として見た時、どこを寸断すればいいかがわかりやすいこの無駄のなさは、南部以南からの攻撃を想定していない証拠であり、まったく評価していない。

 もっともそうなる様に仕掛けたのはカーシュナーだ。

 メティルイゼット王子も宰相ヤズベッシュも、カーシュナーにだけは言われたくないだろう。


 南部侵攻の総指揮はファティマに託し、カーシュナー自身は軍を離れた。

 カーシュナーからすればわかりやすい勝ち筋を用意した戦場だ。

 副官として南方民族軍の指揮を任されているジュアもいる。

 加えてリュテ、ティオ、ラニの三姉妹を将と軍師として残して来たので、初陣の者が多い軍ではあるが、浮足立っても抑えられるはずだ。

 勝ち筋を誤ることはないと判断しての別行動だった。


 ここからファティマは基本戦術として、各都市への食糧供給源となっている食料集積地への襲撃を行った。

 各都市への食糧供給は、都市に食糧を大量に備蓄することはせず、定期的に必要最低限の量を輸送する形をとっていた。

 南部は大きな奴隷の反乱が起こったばかりの土地だ。

 再び反乱が起こる可能性が高いと考えた宰相ヤズベッシュは、万が一奴隷の反乱が起こったとしても、かつてのようにその反乱が広がらないよう、万が一都市が制圧されてもそこから別の都市へと移動出来ないように、都市に備蓄される食料の量を最低限になるよう制限したのだ。


 仮に反乱が起こり、都市が制圧されても、奴隷たちには二、三日分の食料しか手に入らない。

 別の都市に襲撃を掛けたくても辿り着く前に食糧が尽きてしまう。

 それは逃亡するのも同様で、都市から食料を奪って逃げたとしてもどこにも辿り着かないうちに食糧が尽きてしまう。

 全員に均等に食料を行き渡らせようとすれば何も成し遂げることが出来ない。

 そうなったとき何が起こるか?

 奴隷同士による食料の奪い合いが起こることになる。


 各都市には食料供給とは別に巡回の部隊が定期的に訪れるので都市の陥落は長く隠すことは出来ず、討伐の兵が辿り着くころには反乱を起こした奴隷たちは内部崩壊を起こしており、都市奪還は容易なものとなる。

 ヤズベッシュの計算はけして間違ってはいない。

 だがそれはあくまで南部で起こる戦闘は奴隷の反乱のみと限定したうえでの計算であり、南部を滅ぼし、東部貴族と真っ向から向き合っている状況で、第三勢力からの攻撃を想定していない計算のもとに成り立つ対策だった。

 そしてファティマはヤズベッシュの対策を利用し、食糧備蓄量が少ないことを利用して兵糧攻めに出ることにしたのであった。


 まず始めにファティマは巡回部隊を襲撃し、次に巡回部隊になりすました。

 外からの敵を想定していない南部に配置されたゾン軍の警戒心は緩かった。

 加えて南部のゾン軍にはカーシュナーの放った密偵が様々な階級に潜り込んでおり、機密に類する情報はすべてファティマたちに筒抜けとなっていた。

 

 巡回からの報告を操作し、都市を孤立させ、食料供給断ち、都市全体を飢えさせる。

 その上で都市を包囲し、都市内に捕らわれている奴隷たちに蜂起を促す。

 食料は奴隷のための分のみが少ないわけではない。

 都市を管理しているゾン軍の兵士たちの食料も余裕などないのだ。

 自分たちが飢えないために当然奴隷への食糧供給は止められるが、それは自らの手で奴隷の反乱を後押ししているようなものだ。

 反乱を起こした奴隷たちによって城門は開け放たれ、ファティマたちの都市攻略は問題なく進んだ。


 南部攻略はそれだけではなかった。

 元デニゾバ領主セキズデニンの策略と、元アブサラー領主フスレウスの侵攻によって滅ぶ以外の道がなかった元メヴィケント領主ヒュセインに率いられたメヴィケント残党が、南部からゾン中央へと送られる物資の襲撃を行ったのだ。

 

 大規模な野盗団と認識されたメヴィケント残党部隊は、中央の目を南部との境に釘付けにした。

 メヴィケント崩壊の折、ヒュセインはファティマの恩上を素直に受け、カーシュナーから支援を得ることが出来た。

 メヴィケント領の西部に広がる辺境地帯に身を潜めたヒュセインは、カーシュナーから食糧支援で潜伏期間を生き延び、その間に自分についてきた者たちの考えを時間を掛けて変えていった。


 奴隷制度の廃止という考えを受け入れるだけでも困難だった彼らにとって、女性を同列に扱い受け入れるという考えはさらに難しいものだった。

 支配するということに慣れきってしまっていた彼らにとって、支配される立場の者たちの痛みは想像できない。

 むしろ劣った存在である者たちを支配し、管理するのは優れた者の義務であるとすら考えていた。

 批判も否定もされる筋合いはない。


 本気でそう考えている人間の思考は固い。


 自分たちが置かれている現状も、他人の言葉もなかなか浸透しない。

 カーシュナーが切り捨てた類の人々に対し、ヒュセインは諦めることなく対話を続けた。

 率いている人物がヒュセインでなかったら、カーシュナーはメヴィケント領の残党たちを支援しなかっただろう。

 それどころか彼らの位置情報をゾン軍に流し、後腐れのないように処分すらしたはずだ。

 ファティマたちの提案を受け入れず、それでいて行くところもなかった彼らが生き延びられたのが、文字通りヒュセインのおかげということを彼らが知るのしばらく経ってからになる。


「この方に支援しているんであって、あんたらを支援しているわけじゃない。この方に万が一のことがあれば、次にここを訪れるのは俺たちじゃなく、ゾン軍の奴隷狩り部隊だと思え」

 辺境に身を潜める生活は苦しい。

 カーシュナーが手配した物資補給部隊の隊長に、感謝するのではなく不平を漏らし、結果叩きのめされた数名に、ゴミでも見るような目で隊長が吐き捨てた言葉だった。


 ここまで言われて初めて彼らは自分たちの命が他人に握られているという現実が身に染みた。

 支援は自分たちに価値があるから行われているのだと思い上がっていた彼らは途端に震え上がった。

 自分たちが飢えずに生きていられるのは、ひとえにヒュセインの人徳によるものなのだと理解すると、その言葉も思考に染みわたる様になった。


 聞く耳を持つようになった彼らは、同じゾン人で物資補給部隊の隊長を務める男に話を聞くようになった。

 外の情報から遮断されている彼らは情報に飢えていた。それはヒュセインも同様で、隊長からもたらされる情報はすべてが貴重なものだった。


 情報はゾンに関するものに留まらなかった。

 ゾンはヴォオスと対立していた関係上、その経済活動は大陸西部に主に広がっている。

 かつてメヴィケント領でそれなりの富と地位を築いていた彼らの大陸西部に関する知識は豊富だ。

 ゾンからの南方奴隷供給が途絶えて以降どう変化したか、その変化に即して中央経済の回り方がどのように変化したかを知ることは、身を潜めるしかない彼らにとっては娯楽に等しい興奮をもたらす。


 情報を伝えつつ、隊長はゾン人である自分がどう心変わりして今に至り、今後大陸の変化に対してどう対応し、どこを目指そうとしているかも語った。

 商人気質が国民性とも言えるゾン人であり、人より目端が効いたからそれなりの富と地位を築くことが出来た彼らには、隊長の見ているものが自分たちの見識のはるか先を行っていることがわかった。


 そして大陸全体の価値観が変わりかねない状況にあること。

 変わらなければ自分たちに再興する機会は訪れないこと。

 何より、その変化に乗り遅れたら、大陸の価値観が変わったとき、機会は他人の手の中に納まった後になることを理解した。


 凝り固まっていたメヴィケント残党の思考が劇的に変化する。


 これまで反発ありきで耳を傾けて来た奴隷解放組織の思想にも、理想論だけではない現実的な利益が存在することが見えてくる。

 損しかしないと思い込んでいた奴隷解放や女性の地位向上には、とてつもない可能性が秘められている。

 そして損をするのが、時流の読めない愚か者と、能力のない無能者であることを、彼らは始めから理解していた。


「あんたらにも覚えがあるんじゃないか? 中央での商売や、中央の商人との取引で常に不利な立場にあったことに。それはあんたらが商人として劣っていたからじゃない。中央貴族に取り入って優位を確保していただけの中央商人が市場を牛耳っていたからに過ぎない。まあ、それも実力の内と言われればそれまでだが、貴族によって狭められ、歪められた市場じゃあ、本当の実力なんて発揮しようがないのさ」

 隊長のこの言葉は、彼らに過去の苦い記憶を呼び起こさせた。


「だが既存の権力が打倒され、市場が自由化されれば、優れたすべての者に等しくその能力に見合った機会が与えられる。理不尽な支配がなくなるということは、真の競争をもたらす」

 同じように隊長の言葉に思うところのあったヒュセインが、自分についてきた者たちに考えを伝える。


「奴隷はある意味楽なのかもな。考える必要がないし、責任もないからな。あるのは辛さと惨めさだけだ。でも俺は考えることをやめるつもりはないし、それに伴う責任から逃げるつもりもない。俺もゾン人だ。てめえの実力でのし上がる機会を逃すつもりはないね」

 ヒュセインの言葉を受けての隊長の言葉は、同じゾン人である彼らに火をつけた。

 

 その言葉以降、彼らはヒュセイン以上の積極さで奴隷解放組織に加わることを望んだ。

 そして時が来るとカーシュナーの要請を全員が受け入れ、奴隷解放組織と連動して行動を開始したのであった。


 その脅威を理解し、メティルイゼット王子が動き出すまでに、奴隷解放組織はゾン南部の三分の一までを解放してみせた。

 そしてメティルイゼット王子がついに動いた。

 その動きは<神速>の名に恥じないものがあり、カーシュナーが情報を入手した時には奴隷解放組織に十分な情報を与えるだけの時間がなく、対応が後手に回り、急遽カーシュナーが前線に出ることになった。


 危機的状況に陥ることになったが、結果としてカーシュナーは強力無比な仲間を得ることになった。

 そして奴隷解放組織の、特に女戦士たちは、ダーンに出会った時以上の衝撃を受けることになる。

 そこに撤退したメティルイゼット王子の直属軍に代わって宰相ヤズベッシュの息のかかった中央軍が侵攻してきたとの情報が入る。


 奇襲に近い戦いを続けてきた奴隷解放組織は、初めて万を超える軍勢と正面から向き合うことになった――。

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