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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
132/152

戦女神の降臨!

 中途半端なタイミングですが、書きあがったので投稿します。


 今回でようやく乱のプロローグに追いつきます。

 長かった……。


 それではヴォオス戦記の本編をどうぞ!

 その日は突然やって来た――。


 国王リードリットが、その王位を従弟であり、王位継承権第一位のルートルーンに譲位するという発表が、ヴォオス全土に向け、布告されたのだ。


 この決定を始めに耳にしたのは、ゴドフリートを始めとしたリードリット政権の中枢を担う者たちだった。

 ある日の王宮。通常の手順を踏まず、アナベルが密かに声を掛けて集められた彼らは、一様に警戒を色濃く露にしていた。


「陛下。これはいったい何事でしょうか?」

 口火を切ったのはディルクメウスだった。

 本来であればこの場で最上位にあるゴドフリートが口を開くべきなのだろうが、公式の集まりではないので、ゴドフリートよりもはるかに付き合いの長いディルクメウスが場の空気を読んで口を開いたのだ。


「うむ。お主らも忙しいであろうから端的に言おう。私は王の位から退き、ルートルーンに譲ることにした。以上」

 そう言うとリードリットは立ち上がり、さっさと出て行こうとした。

 その足にディルクメウスが飛びつき、しがみつく。


「お戯れも大概になさいませっ!」

 見た目では、むしろわがままを通そうとする駄々っ子の様な有様のディルクメウスがリードリットを諫める。

 無茶苦茶なのは昔からだ。

 他のどの国王が同じ言葉を口にしてもディルクメウスは本気で受け止めたりはしない。だが、ことリードリットに関しては、無茶苦茶な言葉ほど本気で受け止めないと、後でひどい目に遭わされる。

 ここで逃がしたらどうすることも出来なくなると本能的に察したからこそ、女性の、しかも国王の足にしがみつくという不敬も辞さなかったのだ。


「戯れで忙しいお主らを集めたりするか。離せ、ディルクメウス」

 小柄とはいえ成人男性を、リードリットは片脚一本で振り回す。

「陛下。カーシュみたいに頑丈な人間はそうはいないんですぜ。そのまま振り飛ばしたら、侯爵様壁に激突して死んじまいますよ」

 リードリットの言葉に微塵も驚かなかったシヴァが、二人のやり取りをニヤニヤと眺めながら、一応仲裁めいたことを口にする。


「さあさあ、一度席に戻りましょうや。でないと侯爵様も離れてくれませんぜ」

 億劫おっくうそうに立ち上がると、シヴァはリードリットの肩を押して、先ほどまで座っていた席に戻した。

「ほらほら、侯爵様も離れて。陛下の脂肪が一切ない太ももなんかに抱きついていても楽しかないでしょ」

「楽しくてやっておるわけではないわ。止めるならもっと早く止めんかっ!」

 散々振り回されてフラフラになりながらも、ディルクメウスはしっかりと悪態をつく。

 そんなディルクメウスを、シヴァは幼子のようにヒョイと抱え上げると椅子に押し込んだ。

 目が回って足元がおぼつかなかったディルクメウスは、子供のように扱われて余計に腹を立てたが、ここでシヴァとやりあっているとリードリットが飽きて出て行きかねないのでグッとこらえた。


「陛下。理由をお聞かせくださいませ」

 一度深呼吸をして怒りを抑えつけたディルクメウスが、改めてリードリットに問いかける。

「国内情勢は国王陛下のおかげをもちまして、経済は回復し、戦もなく、民は平和を享受致しております。ひとえに陛下のご尽力の賜物。何がご不満なのですか?」

 理解出来ないとばかりにディルクメウスは首を振る。


「不満などない。そもそもお主、私が即位することを良く思ってなかったではないか。やめてやると言っているのだから、はい、わかりましたで済ませればよかろう。何故理由など知りたがる」

 理解出来ないのはこちらの方だと言わんばかりにリードリットが顔をしかめる。

「あのような形でご即位なされれば、誰でも反感を抱きます。上手いことゴドフリート卿を引き入れておられたからいいようなものの、そうでなければ貴族共を抑えることは出来なかったでしょう。ですが、今は当時のことなど関係ありません。陛下は見事にヴォオスを復興させました。善政を施し、改革を行い、結果を出し、その維持と発展に今も努めておられます。民はみな陛下に感謝おります。それは私も同じです」

 ディルクメウスは、獅子の瞳を思わせるリードリットの金色の瞳を真っ直ぐ見詰めながら言い切った。

 その言葉と想いに嘘がないことを疑う者はこの場には一人もいない。


「そう言ってもらえるとありがたいが、改革を進めているのも、結果を維持して発展させているのもお主らだ。私が直接手を下していることなど一つもない」

「我らが働けているのは、陛下がいらっしゃるからです。カーシュナー卿も多くを人の手に委ねておられます。ですが、かの御仁なくして事業が成立するかと言えば、それは違います。決断する者がいて初めて力を発揮出来る者たちがおり、世の中はそう言った者の方が多いのです」

 ディルクメウスの説明に、リードリットは大きくうなずいた。


「お主の言うことはもっともだ。だが、私でなければ決断出来ないことなどあるまい。ルーの何が気に入らん?」

「気に入るとか気に入らないとかの問題ではありません。物事が問題なく進んでいるときは、むやみにその流れを変えるべきではありません。特に女性の社会進出が進み始めたこの時期に、陛下が退位などなされれば、その歩みに支障を来たすかもしれません」

 この言葉にもリードリットは大きくうなずいた。


「私の存在が大きいというのは理解出来る。だが、私とて無限に生きられるわけではない。私が王位になくば女性の社会進出が止まり、女性が社会的地位を失うというのであれば、それは社会構造に問題があるのだ。問題のある社会は、私の存在にかかわらず、いずれ崩壊する。むしろ、私の存在など関係なく、女性がその能力を正当に評価され、その能力にふさわしい地位、職業に就けるように世の中を改革、整理するべきだ。仮に私の退位で女性の社会進出が阻まれるのであれば、それは所詮今の流れが一時的なものに過ぎないという証拠だ。ヴォオスは有能な人材を失い、国力は低下し、いずれ国としての形を失うだろう」

 永遠に栄えた国はない。

 繁栄が政治的腐敗を生み、結果国力の低下につながり、それまで従属していた小国に滅ぼされるといった流れは、大陸の各地で起きている。

 西方諸国がその最たるもので、大国が興ては滅び、結局無数の小国群が小競り合いを続け、平和と豊かな暮らしを遠ざけている。

 一人の才能に寄りかかった社会も、脆さという点では同じだ。

 誰が欠けても全体は機能し続ける体制を作り上げなくては、真の繁栄には至らない。


「私ではなく、お主らの手で整えられて初めて、後に続く社会になると、私は思う」

 リードリットの言葉に、さすがのディルクメウスもすぐには返す言葉が見つからない。

「陛下のおっしゃることはごもっともです。ですが、社会制度が変わるほどの女性の社会進出は、これまでに前例のないことです。反感を抱く者もまだまだ多い。陛下のご威光でそういった意見を押し切り、社会基盤を築き上げてしまおうと考えるのは、別段間違った考えではありません。三賢王様方は、奴隷制度の廃止を三代掛けて成し遂げましたが、より良い社会を築くのに、時間を掛けずに改革出来るに越したことはありません。早ければ早いほど、多くの人々がその恩恵にあずかれるのですから」

 ディルクメウスが珍しく言葉でリードリットにやり込められると、それまで聞き手に徹していたゴドフリートが口を開いた。


「なるほどな」

 ゴドフリートの意見にリードリットがうなずく。

 そもそもディルクメウスを否定していたわけではないので、ゴドフリートの意見はすんなりとリードリットの中に納まる。


「ゴドフリートの意見はもっとも。だが私も一応女として、敢えて言わせてもらおう。与えられた物は誇りにはならん。勝ち得て初めてその価値を知り、得たものを誇らしく思うのだ。用意された地位、仕事では、いつ取り上げられるかわからん。地位も仕事も、その能力で勝ち取るべきなのだ。苦労しようが、時間がかかろうが、ただ単に社会進出しただけで終わらせず、時代の流れが変わっても、得たものを奪われぬように、確たるものとすべく、競い勝ち得るべきなのだ」

 ある意味自分の意見を覆された形になったゴドフリートであったが、納得を顔に浮かべ、リードリットに深々と頭を下げた。


「お主らは、場を整え、あたう限り公平にその能力が競われるようにすればよい。それは今までもしてきたことであり、何も女に限った話ではない。男でも、生まれも育ちも関係なく、その能力に見合った地位と仕事が得られるようにする。それこそが健全な世を作る礎となるのだ」

 ディルクメウスからミヒュールへと、視線が移る。

 平民出のミヒュールは、その実力が正当に評価されるまで時間がかかった。

 終わらない冬の最中に起きたライドバッハの大反乱と、リードリットによるクロクス追放がなければ、その実力が真の評価を得ることはなかったかだろう。


「アナベルよ。そなたは良いのか?」

 もはやリードリットの言葉に対して一言も返せないディルクメウスは、助けを求めるようにアナベルへと言葉を向けた。

 リードリットの即位と、その後の業績と評価を誰よりも喜んだのは苦楽を共にしたアナベルだ。

 退位後に何をするつもりか知らないが、国王であることの価値を説けるのは、アナベルしかいない。


「誠に申し訳ありませんが、陛下のご意志を覆られせることは叶いませんでした」

 だが返って来たのは、ため息のような諦めの言葉だった。

 既に説得を試み、失敗したということだ。

 よく考えればアナベルがリードリットのためにならないことを受け入れるわけがない。

 手は尽くした上での話だったのだ。


「殿下のご意志は?」

 沈黙が落ちかけたところで、如才なくシヴァが口を開く。

 普段は余計なことしか口にしないが、その気にさえなれば物事を円滑に進める能力は高いのだ。


「陛下の御心に従います」

「準備は万端だと?」

「まさか。非才なる身のすべてを賭して、陛下の成した偉業の跡を継ぐのみです」

 シヴァのからかいを、ルートルーンは軽く受け流して真面目に答えた。

 いきなりの発表であったが、リードリットが可愛がっているルートルーンに我儘から無理な仕事を押し付けるわけがない。

 事前に話し合いは済んでいて当然だった。


「陛下と殿下が納得しているなら、俺らが口を挟むことはないんじゃないですかい?」

 これで終わりとばかりにシヴァが一同に問いかける。

「しかしな……」

 納得出来ないのではなく、納得したくないという事実に気づいていないディルクメウスが反射的に口を開く。


「仕方ない。理由を説明してやろう」

 リードリットが言葉通り、やれやれとばかりに肩をすくめる。

 普通はどんなことでも始めに理由を説明するものですと言いたいディルクメウスであったが、余計なことを言ってへそを曲げられても厄介なので、グッとこらえる。

 こういう時、常識人は損をするとディルクメウスは心の中で嘆いた。


「根本は世継ぎ問題なのだ」

 微妙な問題に、誰も口を開こうとしない。

 約一名だけ、余計な口を開くなよとディルクメウスに睨みつけられ、肩をすくめて沈黙している。

 もちろんシヴァである。


「そこは私たちにお任せくださいませ。陛下に見合う立派な人物を見繕ってまいりますので」

 下手な沈黙は話題を重くする。

 リードリットの結婚問題はディルクメウスもずっと考えていたことなので、なだめるように口を開いた。


「お相手が難しいな」

 ここまで珍しく沈黙していた、シヴァに次ぐ危険人物であるアペンド―ル伯爵が口を開く。

 おそらく軽口をたたかないようにゴドフリートが睨みを利かせていたのだろう。


「近隣の王族は不可能ですね。大侵攻を受けたばかりですから」

 大貴族の子息でもあるエルフェニウスも、口を開く。

 自身もまだ未婚で、婚姻が政治的な面が強いことを理解しているので、真剣に考えている。


「これまでのように王女に夫を迎えるのとはわけが違う。国王陛下の夫だ。それなりの地位と名声の持ち主でなくては治まらん」

 ディルクメウスも改めて考え、先送りには出来ない問題だと肝に銘じる。


「おい。退位すると言ってるだろう。そんな心配はいらん」

「ですが陛下……」

 煩わし気にリードリットに声を掛けられたディルクメウスが、慌ててなだめる。

 リードリットは男勝りなどという言葉では収まらない人物だ。

 幼少期からの差別もあり、男には負けないという考えがあまりに強く、赤玲騎士団が誕生したのもその考えが高じてのものだ。

 男嫌いというわけではないが、敵視している部分はある。

 ディルクメウスはリードリットの男性問題を、非常に繊細な問題と捉えているのだ。


「結婚を云々する以前の問題だ。私には月のものがないのだ」

 あまりに何気なく口にされたため、すぐにはその意味は男たちの中で理解に変わらなかった。

 だがその言葉の意味を理解すると、誰も何も言えなくなってしまった。

 さすがのシヴァも、睨まれるまでもなく、軽口を叩こうとはしなかった。


「不順なのではない。まったくないのだ。いわゆる石女うまずめというやつだ」

 女性にとっては重い問題であるはずのことを、リードリットはまったく気にした風もなく口にする。

 事実本人は重く受け止めていないようだが、周囲の者はそうもいかない。


「このまま王位に在れば、誰もが世継ぎを期待する。だがそれは、私には応えてやることが出来ない期待だ」

 この言葉に、誰よりも深くうなだれたのはアナベルだった。


「私に子が産めんと知れ渡れば、継承問題が起こるだろう。ルーを王位継承権第一位に据えたが、権力欲しさに動き出す馬鹿どもには事欠かんはずだ。ルーを亡き者にして権力を手に入れようとするだろう。そうなれば国が割れる」

 継承問題はどこの国でもあることだが、ヴォオスでは時に世襲制を無視して能力でもって時期国王を選んできた歴史がある。

 これを曲解し、力さえあれば王位につけると考え、権力闘争が繰り広げられた過去もある。


「先程も言ったが、私も無限に生きられるわけではない。馬鹿共の頭をいつまでも抑えておくことは出来ん。長く王位に在れば在る程、譲位に対して反発する声も増えよう。今なら始めからルートルーンを国王に据えるための、あくまで繋ぎとして王位についたと思わせることが出来る。五大家とも友好的なこの時期に、さっさとルーを王位に据えてしまえば、譲位に対する反発も、継承問題も未然に防げるのだ」

 日頃のリードリットの言動から、場合によってはただ単に飽きただけという理由も想像していたディルクメウスたちは、思った以上に重く、それでいて否定のしようがない確たる理由があったことに驚いた。


「ならば早いに越したことはない。いかがですかな?」

 それまで沈黙していたライドバッハが、宰相であるゴドフリートに尋ねる。

「そうだな。いつかは向き合わねばならない問題ならば、早いに越したことはない」

 暗愚の王が玉座にしがみつき、国政を危うくするという現実の方が多いなか、ここまでの改革を成し遂げたリードリットが、誰の目から見ても時期国王にふさわしいだけの才覚を持つルートルーンに対して自ら王位を譲ると言っている。

 政権争いで国内が揺れている国からしたら、夢想の世界の出来事に思えるだろう。


「何故お主が肩を落とす」

 誰もがリードリットの判断を妥当として受け入れる中、真っ先に現実的判断を下しそうなディルクメウスが無言で小さくなっている。


「理屈じゃないんすよ。陛下。侯爵様はまだ陛下がこの国の王様でいる姿を見ていたかっただけなんすよ」

 シヴァの言葉にディルクメウスがさっと顔を上げ、戸惑いながら真っ赤になって睨みつける。 

 自分でも気づいていなかった事実をよりにもよってシヴァに言い当てられ、恥ずかしさと腹立たしさでいっぱいになってしまったのだ。


「なんだ。そういう訳か。意外と可愛いところがあるのだな」

 そこに天然でリードリットがとどめを刺す。

「その気持ちは我らも同じです」

 ディルクメウスが怒声を上げかけたその時、レオフリードが口を開いた。

「そうですね」

 これはミヒュールだった。


「意外だな。私は自分でも悪目立ちし過ぎているという自覚があるのだがな」

「それはどうすかね? 昔みたいに無茶苦茶していたら悪目立ちでしょうけど、見てたらしっかり働いてるんだから、しんどい時には周りの支えになってたんじゃないすか?」

「なんだ貴様まで。気持ちの悪い」

 シヴァにまで持ち上げるようなことを言われ、リードリットが心底嫌そうな顔をする。


「陛下が努めておられたから、我らもそれに続くことが出来たのです。ルートルーン殿下も、陛下の背中を見ていたから、後を受けるお覚悟をなさったのでしょう。陛下は繋ぎなどではございません。間違いなくヴォオス中興の祖として語り継がれるお方です」

 最後にゴドフリートにまで断言され、リードリットのむず痒さは限界に達した。


「行かれるのですね」

 不意にオリオンが口を開く。

「行く」

 その答えに、いつも不機嫌そうに見えるオリオンの口元がわずかにほころぶ。


「では行ってらっしゃいませ。ヴォオスはこの場に集った者たちでしっかりとお守りいたします。時が来たら、奴も交えて酒を飲みましょう」

「わかった。大量の土産話を期待してくれ」

 以外にも、最後はオリオンとリードリットの二人が言葉を交わして幕となった――。









 大きな驚きと、終わらない冬以降の功績から、惜しむ声が多く聞かれたが、それでもリードリットの退位とルートルーンの戴冠は、すんなりと納まった。

 元々貴族たちは先代国王バールリウスよりも、弟であるロンドウェイクを高く評価し、いずれは王位もロンドウェイクを経由してルートルーンへと受け継がれるものと考えていた。

 何より貴族たちにとって、リードリットは言葉の通じない野生の獣のようなものだ。

 話が通じ、御しやすいと考えられるルートルーンが王位に就く方が都合がいい。

 リードリットの退位を惜しんだのは民衆であり、彼女がわずか三年程で成し遂げたことの多くが、民衆のためのものであったことを証明していた。


 リードリットによって創設された赤玲騎士団は、ルートルーン即位後、選抜された千名が王宮近衛騎士を務め、残る戦力の半数は、元々の王都治安軍と役割を分けつつ王都の守護に回り、もう残る半数で、遊撃戦力として国内を巡回することになった。

 彼女たちの役目は、リードリットの剣から、ヴォオスにおける女性の地位と権利の守護へと移り変わった。


 この後リードリットは王宮の奥に籠り、実はこれまでの戦いで受けた傷が重く、その療養にあたっているという噂が流れ、真実はその噂の影で赤玲騎士団に一騎士としてまぎれ、国内の治安維持に尽力しているのだという噂が流れた。

 いかにもリードリットがやりそうなことであり、大衆受けする話であったため、噂は国中に広まり、リードリットの姿を見ないことに疑問を持つ者は現れなかった。

 このすべてが盗賊ギルドのギルドマスターであるリタの仕事であり、かつての一国の王が、たった一人の腹心の部下を連れただけで国を抜け出してしまったという事実を知る者はほんの一握りだった。

 

「本当のことを言ったって誰も信じやしないよ。事実が一番嘘っぽいからね」

 後にそう言ってニヤリと笑ったのはリタだった。


 リードリットは長かった髪を切り、黒く染め、リタの特訓の成果もあって流れの傭兵にしか見えない姿に変じていた。

 獅子を思わせる金色の瞳には、リタが用意してくれた黒い魚鱗を極限まで薄く加工したものを装着することでその問題を解決した。

 始めリードリットは、カーシュナーのように表情筋を変化させることで目を細めて対処することにこだわったが、これが思いのほか難しく、瞬間的には可能なのだが、長時間の維持がどうしても出来ず、やむなく諦めていた。


 変装に関しては、元々黒髪黒目のアナベルに苦労は少なく、不遇な少女時代を過ごす原因となったその大きな身体も、女性であることを隠すのには好都合だった。

 アナベルが唯一苦戦したのが、下品(、、)を身に着けることだった。

 基本二人は流れの傭兵として過ごすことになる。

 騎士として一流のアナベルは、言葉使いから所作に至るまで、あまりに整い過ぎており、姿だけを変えても傭兵にはまったく見えなかった。

 戦場を求めて渡り歩く人間は皆したたかだ。

 正直な人間など一人もいないと言っていい。

 それは正直では生き残れないからだ。

 海千山千の傭兵になりきるために、アナベルは厳しくリタに仕込まれた。


 退位して翌日。

 リードリットはリタの執務室にいた。

 ここから王都の外へ(、、、、、)と向かうためだ。

 いくら変装が完璧でも、そもそも王宮に流れの傭兵がいること自体が異常なのだ。

 事実を知らない者たちに疑問を持たせないために、この部屋から地下に潜り、流れの傭兵がいてもおかしくない場所まで移動するのだ。


 見送りはシヴァとオリオンの二人だけ。 

 別れの挨拶は既に済ませている。

 そもそもリードリットはそれを今生の別れなどと考えていない。

 いつになるかはわからないが、ヴォオスに戻るつもりだし、戻ったとしても、必要が生じればまた出て行くつもりでいる。


 ゴドフリートやレオフリード、ルートルーンにディルクメウスたちも見送りに来たい気持ちは強かったが、リードリットの行動は最高機密だ。

 誰にも気づかせないためにも、立場のある彼らは不用意には動けなかった。

 そういう意味では将軍職にある二人が仕事を抜け出してこんなところにいることも大問題なのだが、日頃からふらりと姿を消してしまう二人は、いなくなっても誰も問題にはしない。たまにいない間に抜き打ちの視察なども行っているので、兵士たちにとってはいる時よりもむしろいない時の方が気が引き締まる。


「陛下。じゃなかった。今は何になるんですかね?」

 シヴァがアナベルに尋ねる。

 本当はどうでもいいのだが、リードリットを茶化す目的でシヴァは尋ねていた。


「王位から退かられても、リードリット様が先々代国王バールリウス陛下の御子であらせられることに変わりはありません。以前のように殿下とお呼びしてください。間違っても呼び捨てになどしないように」

 国王からただの人になったわけではない。

 シヴァあたりはそのことを踏まえたうえで、タメ口の上に、呼び捨てにしかねないので、アナベルが先手を取って睨みを利かせる。


「そうは言いますけどね。これから市井に溶け込もうってお方が、そんな堅苦しくてやっていけるんですかい? ゾンのど真ん中で正体がバレる様なことになれば、とっ捕まって国際問題になりますぜ。今この瞬間からなりきってないと駄目なんじゃないですかい?」

 睨みつけて来たアナベルの瞳を、シヴァがニヤリと見つめ返す。

 これに対してアナベルは言葉に詰まり一言も返せない。


「リーで構わん。リタはとうの昔からリー呼ばわりだ」

「そこで引き合いに出すんじゃないよ。あたしが無神経な奴みたいに聞こえるだろ」

「お主は無神経というより神経が太いのだ」

「よく言おうとしてくれているんだろうけどさ、それじゃあ大差ないよ」

「そうか?」

「そうだよ」

 なんとも緩いやり取りに、珍しくシヴァは納得顔で大きくうなずき、アナベルは頭を抱えた。


「リーを頼みますよ。あんたが足を引っ張ったら一緒に行く意味ないんですからね」

 失礼なことに、シヴァからリードリットよりも自分の方が心配だという顔をされ、アナベルが憤慨する。

「なんなら俺が変わってもいい」

 いきなりオリオンがとんでもないことを言い出す。

「あんたが行くくらいならあたしが行くよ」

 そこにリタが口を挟む。

「いいえっ! リードリット様に同行するのは私ですっ!」

 最後にアナベルが断固たる口調で宣言する。


「なあ。そもそもゾンに女の傭兵なんていないんだから男のふりして活動するんだろ? リーを何て呼ぶかより、偽名に慣れておいた方が良いんじゃねえか?」

 シヴァがもっともな疑問を口にする。

「その辺は抜かりない。私がルーで、アナベルがバールだ」

 リードリットが得気に偽名を口にする。


「ルーはわかりますけど、バールは?」

「父上のお名前からいただいたに決まっておるだろう」

 シヴァの問いに、リードリットはそれが当然であるように答えた。

「こういうのは身近なところから引っ張ってきた方が馴染みやすいんだよ」

 そこにリタが補足を入れる。


「ほう。身近ねえ」

 そう言うとシヴァが意味あり気にアナベルを見た。

「ち、違うっ! 断じてそういうことではないっ!」

「そういうこととは?」

 すかさずシヴァに追い込まれ、アナベルはしどろもどろになった。


「アナベルは父上を好いておったが、叶わぬ想いだった。だからせめて名前だけでも貰えと私が勧めたのだ」

「リードリット様っ!」

 悪意なき暴露により、アナベルは長年秘めて来た恋心をさらされる羽目に陥った。


「片や王位を捨ててカーシュを追い、片や今は亡き想い人から名をもらう。あんたら、重過ぎるよ」

 シヴァが憐れむような目で見る傍ら、オリオンは無言で一歩退いた。

「引いてやるなよ二人とも。その辺は不器用なんだから」

 ドン引きするシヴァとオリオンに、リタがとりなす。


「そういや料理も駄目だったな」

 不器用と聞いて、シヴァが終わらない冬の最中にカーシュナーを含めた四人でヴォオス西部を目指した旅を思い出し、心配そうにリードリットとアナベルを見る。

「焼く、煮る限定で、味付けは食べる前に塩を振る程度であれば何とか食えるものを作れるようにしておいたよ」

 どうやら料理を仕込むのに相当苦戦したらしく、リタが無表情で付け加える。


「贅沢は言わん。腹が膨れればそれで十分だ」

 リードリットが何故か偉そうに胸を張る。

「国王まで務めた人が、贅沢癖がまったくないっては、ある意味最大の美点かもな」

 シヴァが呆れつつも素直に認める。


「食い物の話で思い出した」

 そう言うとオリオンは持参した革袋をリードリットに差し出した。

 リードリットが目顔で中身を尋ねる。


「カーシュナーが送って寄越した香辛料を使って作った、ヴィクトリアおばあちゃんの特性乾燥肉です」

「なんとっ!」

「めちゃくちゃ美味いんで、一度に全部食べないでくださいよ」

 喜ぶリードリットに、シヴァが釘を刺す。

「そこまでかっ!」

「そこまでです」

 驚くリードリットに、シヴァは力強くうなずいた。


「一番いいのは、作った料理と一緒に少しづつ食べることです。焦げ付かせない限り、味付けは乾燥肉のものになりますから」

 珍しくオリオンも助言を口にする。

 リタから二人の料理の腕前に関して事前に聞いていたからだ。


「土産ももらったし、行くとする。達者でな」

「それはこっちの台詞セリフですよ。ゾンはヴォオスと違って過酷な環境なんですから、水には特に気をつけてくださいよ」

「リタにも耳にタコが出来るくらい念押しされた。気をつけよう」

 リードリットが珍しくシヴァの言葉に素直にうなずく。 


「じゃあ、出口まで送ってくるよ。暇なら適当にその辺あさってやっててくれ」

 そう言うとリタは書棚を横に動かし、地下へとつながる入り口を開けた。

 まずリタが入り、その後にリードリットが続く。


 別れは至極あっさりしたものとなった。

 それはこの場にいた五人の誰一人、再会を疑っていなかったからだ。

 次に顔を合わせる時は、六人になっているだろうと、誰もが思っていた――。









 酷暑にはすぐに順応出来た。

 ありがたいことに、水にも二人は強かった。

 問題だったのは、カーシュナーを見つけることだった。


 ゾンの暗部がその存在すらもまだ掴めていない男の消息である。

 いくら盗賊ギルドのギルドマスターであるリタの手ほどきを受けたとはいえ、本職が掴めない足取りを、リードリットたちが掴むのは不可能に近かった。


 ヴォオスの盗賊ギルドとつながりのある地下組織に渡りをつけてもらっていたが、既にゾン中央貴族と東部貴族が戦端を開いていることもあり、リタたちほどの組織力を持たないゾンの盗賊ギルドからは、地元と周辺地域の情報をもらうのがやっとで、直接カーシュナーにつながるような情報を得ることは出来なかった。

 ゾンを東から西へと横断したが手がかりすら掴めず、一度は通過した王都エディルマティヤへと戻っていた。


 そこでリードリットは奴隷解放組織に関する情報を手に入れた。

 これを率いるのはまだうら若き美しい乙女で、南部一帯では聖女と謳われているという。

 額を叩いて天を仰いだリードリットは、自分の考えの足りなさに呆れた。


「ファティマは奴の弟子だ。こそこそと動き回っている彼奴あやつを直接探すのではなく、堂々と表舞台に立っている人間を探すべきだったのだ」

 リードリットの言葉に、アナベルも自分の愚かさに呆れ返った。

 そこにさらに情報が入り、ゾン南部から中央にかけての各地でゾン軍を襲撃していた奴隷解放組織がついにゾン最南部の都市ファルダハンを攻略し、さらに周辺都市へと侵攻を開始したと知った。


 南部を平定し、元の南部領民を奴隷として中央の安定を図ったメティルイゼット王子は、残された領地を王家直轄領とし、人を送り込んでこれまでの産業を継続させていた。

 これによってゾン軍は戦に必要な物資を大量に確保し、対東部貴族戦においても優勢を保っていた。

 その補給線を断ち切る様に出没する奴隷解放組織は、東部貴族と比べればうるさい蠅のような存在に過ぎないが、南部において恐ろしい速さで奴隷解放の思想が広まっていることと、何より補給の重要性を理解しているメティルイゼット王子としては、部下に任せるのではなく、自らの手で後顧の憂い取り除くべく動き出した。


 いくら王都エディルマティヤが情報集積地であるとはいえ、メティルイゼット王子に関わる軍事機密まで一般人の耳に届くことはない。

 だが、リードリットもアナベルも、万を超える軍勢を指揮した人間だ。

 人や物資の動きから、南部へ向けて大規模な軍事行動があることを嗅ぎつけた。


 だが、気づいたときには既に軍は動き出した後だった。

 そのあまりの手際の良さに、リードリットとアナベルは素直に感心し、同時に恐怖も覚えた。

 この事態をファティマたちは気づいているのか?

 カーシュナーはどう絡んでいるのか?

 わからないことばかりだが、メティルイゼット王子の軍勢に遅れて良い結果が生まれないことだけはわかっている。

 すべてが取り越し苦労で終われば笑えばいい。

 リードリットとアナベルは、全速力でメティルイゼット王子の軍勢を追った――。









「兵を分けたな」

「動きから見て二千程の軍勢は精鋭部隊ですね」

 砂色の外套を纏う二人は、メティルイゼット王子の軍勢に追いつくと、その動きをじっくりと観察した。

 その動きにははかりごとの臭いがある。


「ファティマたちは拠点が不明な反乱軍だ。ただ追い回すだけではいたちごっこにしかならん。メティルイゼットとしては誘い出す必要がある」

「軍を二手に分けるのではなく、極端な差をつけたということは、大軍に目を引き付け、その隙を少数の精鋭部隊で衝くといったところでしょうか?」

 二人はメティルイゼット王子の意図を読もうと観察を続ける。


「地方の反乱組織相手に、東に大軍を相手取りながら、一万もの兵力を割いて自ら出向く。たいした用兵家だ。これだけの兵力であれば、間違いなく人の目は八千の軍へと向く。相手の虚を衝くには十分だし、効果は極めて高い。私もアナベルの意見に賛成だ」

「では二千を追いますか?」

 リードリットは一つうなずくと、ゾンの酷暑をものともせずに追跡を開始した。

  

 そしてリードリットとアナベルは、ついにその目的を果たすことになる。


「ダーン、ミラン、モラン、イヴァン、すまん! ここで死ぬっ! だから、一人でも多く殺せっ!!」

 ゾン軍特殊部隊に囲まれているたった五人の輪の中から、懐かしい声が響き渡った。

 急激に動きが変わった特殊部隊に意を決して近づいたリードリットとアナベルは、ゾンの精鋭を切り裂くように突き進み、ついにメティルイゼット王子の元まで迫って見せたカーシュナーたち五人の姿を捉えていた。

 だが特攻は失敗し、ようやく見つけたと思った瞬間窮地に陥ってしまう。

 

「誰が貴様をこんなところで死なせるかっ!!」

 我知らず、リードリットは吼えていた。

 まるで雌の獅子の咆哮のように、その言葉は戦場の喧騒を突き破って轟いた。

 次の瞬間には愛剣を鞘走らせ、抜剣して駆けていた。


 兵士が一人宙に舞う。

 混乱と恐怖が血の尾を引きながら、リードリットの周囲から弾け飛んでいく。

 振るう刃が人体を宙に斬り飛ばす。

 殴り倒された身体が地に臥ふせるのではなく、地を打ち再び宙にはずむ。

 蹴り飛ばされた身体は、まるで糸で引かれる役者のように宙を飛び、破裂した内臓からあふれた鮮血を撒き散らして死んでいく。


 リードリットは死を撒き散らす自然災害のような強さで突き進んだ。

 その自然災害の背後を、アナベルが影のようにピタリと付き従ってついて行く。

 前を走る死の嵐の前で霞んでいるが、アナベルも既に十人以上のゾンの精兵を斬っている。

 二千の特殊部隊兵を真っ二つに割って、リードリットはついにカーシュナーの前までたどり着く。

 そして金色の瞳を、嬉しさを隠しきれない少年のような輝かせてニヤリと笑った。


「なあっ!!」

 カーシュナーだけでなく、他の四人も驚きのあまり、ひと声発するなり、絶句した。

「なんでここに……」

 カーシュナーがようやく絞り出すようにそれだけ言う。

「なんでだと? 言ったではないか。必ず貴様を見つけ出して見せるとな」

 そう言って敵地のど真ん中で、リードリットは大笑いした。

 その背後を守るアナベルまでが、呆気に取られるカーシュナーという世にも珍しいものを見て、思わず笑みをこぼす。


 灼熱の大地に、ヴォオスの戦女神が降臨した。

 その存在が変革をもたらすのか、破滅をもたらすのか、誰にもわからない。

 ただはっきりと言えることは、ゾンがこの瞬間、混沌の坩堝るつぼに蹴り落とされたということだった――。  

 これでようやく乱の本編に入ることが出来ます。


 ここからが本番です。

 自分で書いててマジかっ!と思います。


 いったいいつになったら最終話に辿り着くのか……。


 とにかく頑張りますので、今後もお付き合いいただければ幸いです。

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