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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
131/152

動き出す女王

 ヴォオス戦記を書いている人、南波 四十一です。


 プロローグから時間が経ち過ぎてしまったので、いきなりプロローグ後に飛ぶのではなく、その前のリードリットのお話を挟むことにしました。


 それではヴォオス戦記の本編をどうぞ!

 季節が廻り、歳月が流れ、人の営みが変わっていく。


 大陸のほとんどの人々が、冬を特別な思いで迎え、春の訪れと共に安堵する。


 終わらない冬が終わり、二度目の冬が無事、過ぎ去ったころ、近隣諸国が内戦で苦しむ中、終わらない冬の打撃から、国民が一丸となって復興に励んだヴォオスは、過去最大の栄華を誇っていた終わらない冬以前のヴォオスを凌ぐ程の活気を見せていた。


 特に新しい風景となったのが、女性の社会進出だ。

 終わらない冬の最中に元宰相クロクスが下した政策により、ヴォオスは危うく数百万人もの餓死、凍死者を出すところだった。

 

 リードリットの思い切ったというにはいささか常識を大きく外れた行動により、からくも国民の救済措置は採られたが、それでも多くの命が失われてしまった。

 その穴埋めというわけではないが、女性の労働者が増え、経営者も現れるようになった。

 もちろんこれまで女性が家事以外に労働をしてこなかったわけではない。

 だが、その働きは雑用といった意味合いが強く、正規の労働として賃金が支払われるような仕事はごく限られてきた。


 さすがに過酷な肉体労働に従事する者は少ないが、これまで男の仕事とみなされていた場所で女性の姿を見るようになり、仕事の処理の仕方も急速に変わってきている。

 多くの女性が収入を得ることが当たり前になると、女性的な消費が誕生した。

 これまでも女性向けの商品はあったが、その商品を購入する代金は、男性の財布の中から出ていた。

 商売人にとって女性ものの商品を扱っていても、顧客はあくまでそれを購入する男性であり、女性の意見はあまり重要視されてこなかった。


 だが、女性による消費が拡大すると、工夫が乏しかったこれまでの女性製品の品質改善が一気に進むことになった。

 いったいいつからこの状況に備えていたのかと言いたくなるほどの速さで、クライツベルヘン商人と、カーシュナー配下の商人たちが、女性商品市場を開拓し、独占してしまった。


 ことにカーシュナーが力を入れた衣服に関しては、これまでの商品価格帯を徹底的に破壊し、安かろう悪かろうではなく、意匠は簡素ではあるが色使いに工夫が凝らされていて華やかで、なおかつ機能性も高いという、これまでにないまったく新しい商品が市場に出回り、クライツベルヘン商人すらも出し抜いて、圧倒的な支持を得た。


 平民のための服に、良家の令嬢たちが羨望の眼差しを向けるようになるまでに時間はいらなかった。

 変装すると家の召使いとカーシュナーが各所に構える店舗を訪れ、いわゆる可愛い衣服の数々にのめり込んでいった。


 貴族や裕福な商人を相手に服飾関連の商いを行っていた商人たちは、始めはこの新しい衣服をみっともないと言って否定してきた。

 だが、よりにもよって新王リードリットが稽古着として気に入り、そのままズルズルと普段使いにしてしまうと、当然リードリットに影のように従うアナベルも影響を受け、そこにカーシュナー配下の商人が、機能性に富んだ男性的な新商品を提供したことで二人揃って新しい衣服で王宮内はもとより城下にまで繰り出してしまうようになった。

 当然赤玲騎士団がこれに続き、その中性的な装いから生じる魅力に、王都中の女性が虜になってしまった。


 こうなると、これまで通りの服装をしている男性は、はっきりと、ダサい男扱いされるようになった。

 これは、特に女性の視線を気にする若者たちにとって大問題であり、必然的にこの新しい衣服を求めるようになった。

 そしていざ着てみると、その見た目の洗練以上に機能性が高いことを知り、もはや従来通りの衣服に戻ることが出来なくなってしまった。

 また、これまで衣服は仕立て屋で採寸し、注文生産が基本だった。そうでなければ布地を買い、自ら仕立てるしかなかったのだが、カーシュナーの商品はこれまでの固定概念を覆す既製品だった。


 体格的に寸法が合わない者もいたが、そういったは者はごく限られており、東部貴族のブレンダンのように規格外の体格でなければ三段階で用意された寸法のどれかは大概身につけられた。

 何より価格帯が驚くことにこれまでのものの三割ほどで、贅沢品だった衣服を、娯楽の一つとして楽しむことが出来るようになったことが、若者を虜にした要因の一つだった。


 新しい形。新しい意匠。これまでになかった色合い。

 組み合わせは無数にあり、ここに金銀細工ではない低価格な装身具が追加され、ヴォオスの、ことに女性たちを南国の花のように鮮やかに彩った。


 世の中の風景が急速に変わると、それまで新しい衣服を下に見ていた服飾関係や宝飾関係の商人たちも、座して眺めているわけにはいかなくなった。

 主要な顧客である富裕層までがこの流行に乗ってしまったため、対応しなければ業界から淘汰されるところまで、一瞬で追い詰められてしまったからだ。


 始めは破れやすい、生地が薄いなどと悪評を流したり、店舗に対する妨害工作や、店員に対する脅迫行為などを行って、流行そのものを潰そうとしたが、そういった手合いはその日のうちに、雇い主の前から全員姿を消し、以降その姿は二度と見られることはなかった。

 この事実が何を示すか気がつかない程鈍感では、大陸の心臓とまで謳われるヴォオス国王都ベルフィストで商売など出来ない。

 これは間違いなく報復を受けたのであり、これ程までに素早い報復が、自分たちが噛みついてしまった相手の大きさを思い知らせ、商人たちを震え上がらせた。そして、この新商品にクライツベルヘンが絡んでいると知ると、恐怖は絶望に変わった。


 始めに手を出し、強烈なしっぺ返しを受けてしまった商人たちは、今更懐柔に出ることも出来なくなり、やむなく正攻法で対抗せざるを得なくなった。

 このおかげで市場にはさらに新商品が出回ることになり、流行はあっという間に日常に定着していった。


 ここで終わらないのがカーシュナーの怖いところだ。

 高級服を専門にしていた商人たちが一般服も扱うようになると、カーシュナーはここでこれまでの貴族や富裕層が着用していた意匠の衣服とは大きく異なる、まったく新しい高級服を、貴族、富裕層へと向けて投入したのだ。


 その初お披露目は、リードリットが慰労を兼ねてひらいた大晩餐会だった。

 宰相ゴドフリート、大将軍レオフリードという現在のヴォオスにおける二大支柱を巻き込んで、普段はお偉いさんんの集まりを面倒臭がるシヴァ、ため息をつきつつも付き合うオリオン、誰よりもノリノリのアペンド―ル伯爵、その伯爵に無理矢理巻き込まれた西部貴族のジィズベルトと東部貴族のブレンダン、王位継承権第一位のルートルーン、ヴォオス軍の軍師筆頭から三席までの、ライドバッハ、ミヒュール、エルフェニウスという錚々(そうそう)たる顔ぶれが、カーシュナーが投入した新しい高級服に身を包み、いきなり現れたのだ。


 そしてとどめは、新装備に身を包んだ赤玲騎士団に守られながら、男装したアナベルに手を取られ、左右にディルクメウス侯爵の孫娘、ベアトリーゼと、ハリンゲン伯令嬢ルティアーナを従えたリードリットであった。


 男性陣は、これまで財力を見せつけることが目的の装飾華美な服装が常識だったが、新しい高級服は、極力華美な装飾を取り払い、黒を基調とした斬新な意匠で、身体の線を強調する、直線を意識した作りのものだった。

 これを極限まで肉体を鍛え上げた男たちと、彼らほどには鍛え上げられてはいないが、無駄な肉のない痩身の軍師たちが纏い、一堂に会すると、基調とした黒が周囲の空気を引き締めるのか、透明感のある迫力が見る者たちを圧倒した。


 これと対を成す女性陣の新たな装いは、こちらも華美な装飾を極力排除し、全体的にほっそりとした作りで、首元と腕を大胆に露出するという、これまでにない斬新な意匠は、女性のしなやかで美しい首筋と、細くしなやかな腕までも意匠として利用するもので、纏う者と衣装が互いの美しさを引き立てあう、ある意味中身のごまかしが効かない驚くほど攻めたものであった。


 これまでにない露出をしているが、煽情的になり過ぎないように首筋にはこれまで装身具としては用いられることなかったチョーカーが巻かれ、手にはドレスが華美な装飾を避けたのに対して見事な意匠のレースがあしらわれた手袋をはめ、腕には銀細工の見事な腕輪がはめられている。


 髪型もこれまでの常識を文字通り上から下に覆した。

 社交の場に女性が参加する際には、その髪は頭頂部へと結い上げられ、まとめられてきた。

 露出が少ないため、わずかにのぞくうなじや顎の線などに男性の目は吸い寄せられる。

 だが、新しい高級服に合わせられた髪型は、これまでとは真逆で、その長い髪は降ろされ、美しくかされると見事な細工の造花が編み込まれ、香りの薄い香水の効果も相まって、まるで花束を纏っているかのような後ろ姿になる。


 纏うドレスはわずかに異なる同系色の生地で構成され、それでいてこれまでドレスに用いられる事のなかった色の濃い寒色が、要所で全体を引き締めるように配置されている。

 今までは腰から花を伏せるように大きく広がっていたスカートが、膝のあたりまで身体の線に沿って流れるように落ちると、そこから左右と後ろへ向けてわずかに広がっている。

 しかも膝から下の生地が非常に薄く、足首からふくらはぎに至るまでの脚の線が、影となって視線を引き付ける。

 ここも足首の線の美しさがドレスの一部となり、相乗効果となって全体の線の美しさを強調する。


 そして男性陣よりも女性陣の目を特に引き付けたのは、薄布からわずかにのぞく、足の形を美しく見せるかかとの高い靴だった。

 これまでのように革製の足全体を覆うものではなく、足の甲が広く露になり、ほっそりとしたこれまでにない構造になっている。

 女性たちは本能的に、この靴が足首を細く美しく見せるために一役買っていることを見抜いた。


 ベアトリーゼが黄色、ルティアーナが緑を基調にしており、二人ともわずかに赤を配している。

 これに対してリードリットは、以外にも白を基調としたドレスで、瞳の色に合わせて金の装飾品で単調になることを避け、それでいて足元にはその髪に劣らない見事な赤い靴を置いている。


 そしてベアトリーゼとルティアーナが髪に花を編み込んだのに対し、リードリットはその赤い髪が引き立つように、鮮やかな緑色の葉と蔓を編み込み、髪そのものが薔薇の花束のように仕上げていた。


 まさしく花のような女性陣を、黒で固めた男たちが包む様に左右に展開する。

 これが一人一人現れたのであればまだ驚きも小さかったのだろうが、リードリットとシヴァが参加する他の貴族たちに最大限の打撃を与えてやろうと画策したことにより、まるで波状攻撃のように広間に入場し、虚栄心を形にしたかのようなこれまでの服装で、最大限のお洒落しゃれをしてきたつもりでいた貴族たちは度肝を抜かれることになったのだ。


「こ、これは……」

 他の貴族たちと同様度肝を抜かれている宮廷の重鎮ディルクメウスが、可愛い孫娘を見てポカンと口を開け、言葉を失っている。

「おう。そこにいたか。ベアトリーゼを借りているぞ」

 その様子に、珍しくめかし込んでいるリードリットがニヤリと笑いながら声を掛けた。

 普段二メートル近い大男たちと、女性でありながら180センチを超えるアナベルが側に控えているためリードリットを大きいと感じる機会は少ない。だが、そこから一歩踏み出すと、リードリットはその本来の大きさを取り戻す。

 並の男性よりも頭半分ほど高い身長が、今日に限っては踵の高い靴を履いていることもあり、完全に頭一つ抜きんでている。

 加えて新衣装が醸し出す神々しさもあり、まさしく神が降臨したかのような迫力で、ディルクメウスのみならず、その場に集った人々を完全に圧倒してしまった。


「皆様」

 アナベルが軽く咳払いしつつ非難の目を向ける。

 女王の入場に対して誰一人頭を垂れていないのだ。

 そもそも仰々しいことを嫌うリードリットにとっては、頭など下げられても煩わしいだけなのだが、それでも己の立場をしっかりとわきまえている彼らにとって、礼儀とはけして疎かには出来ないものなのだ。


「これは失礼致しました。ご無礼のほどお許しを」

 一瞬で正気に戻ったディルクメウスが優雅にお辞儀をし、周囲の者たちも慌てて後に続く。

「よい。気にするな。堅苦しいことは好かん。楽しくやろう」

 言葉は驚くほど気さくなのだが、まるで神のような威圧感を放ちながらの言葉のため、人々は額面通りに受け取っていいものなのかと大いに戸惑う。


「それで、陛下。そのお召し物は?」

 皆が知りたいことを、ディルクメウスが代表して尋ねる。

「斬新だろ? これなら私も着てみようと思ってな。ベアトリーゼとルティアーナも巻き込んで着せてみた。美しさが少なくとも倍は増しただろ? アナベルにも着せようとしたのだが、乳がでか過ぎてな。エロくなり過ぎるので今回は男っぽい衣装にした」

 砕け過ぎているリードリットの言葉に、ディルクメウスはがっくりと肩を落とす。


「陛下。せっかくそのようにお美しく着飾られたのですから、場に即した言葉使いをしていただきませんと」

「それより、こうして見るとお主のその恰好、ダサいな」

 小言を言いだしたディルクメウスに対し、リードリットが素直な感想を口にする。


「な、なにをおっしゃいます。これは昔から公式の場などで着られてきた正装でございますぞ」

「何が正装なものか。虚栄心を満たすための、装飾華美な成金趣味ではないか」

 ディルクメウスの反論を、リードリットは鼻で笑って退ける。

 事実華美な装飾は、財力を見せつけるためのものであり、それは貴族同士の序列を測りやすくするための目安として用いられている。

 そのおかげで、ある時を境に装飾はわかりやすく派手なものが好まれるようになり、洗練という言葉からは大きく離れていった。


「まあ、それが必要なこともわかっている。この衣装は、着る者を選ぶからな。中身が大したことがなければ、あそこまでの見栄えにはならん」

 そう言って、早くも貴婦人たちに囲まれているレオフリードを顎でしゃくった。

「反則です」

 その様子を目にしたディルクメウスが一言で返す。


 顔だけではない。均整の取れたその肉体が持つ魅力がいかんなく発揮されている。

 元々宮廷婦人たちの人気を一身に集めていたレオフリードの魅力を余すことなく表現しているという意味でも、この新しい衣服は貴婦人たちにとっては途方もない価値があった。


「本当はお主も巻き込むつもりだったのだがな。いきなり周りに見せつけて驚かせたかったから、頭の固いお主は今回諦めた」

「諦めていただいて助かりました」

 彼らが持つ魅力を今まで以上に引き出しているこの新しい衣服を、正直ディルクメウスも格好良いと思っている。

 だが、あまりにも斬新過ぎる。

 リードリットの推察通り、誘われていたら反対し、その騒ぎでこの新しい衣服はお披露目前に人々の注目を集めてしまっていただろう。

 何より、元大将軍であるゴドフリートと同じ衣装を着て比較されるのは、さすがに勘弁してもらいたい。


「お主は向こうだ」

 年配の貴婦人たちに囲まれているゴドフリートの凛々しい姿をうらやまし気に見ているディルクメウスの視線を、リードリットが別の一角に向ける。

 そこにはライドバッハを始めとした文官が並んでいる。

 黒を基調としてることに変わりはないが、意匠はかなり異なり、こちらは彼らの知的で落ち着いた雰囲気を活かす作りとなっていた。


「あれは背筋がまっすぐ伸びていると似合うのだ。お主に似合ったと思うのだがな。まあ今回はかます(、、、)ことを優先したので諦めたが、次はお主にも着てもらう」

 普段は憎まれ口ばかりのリードリットに、お主にも似合ったという誉め言葉をもらい、ディルクメウスは年甲斐もなく照れてしまう。


「いやはや。この歳で新しいことに挑戦するのは気恥ずかしいですな」

「あれは姿勢が悪いとすぐに無様なしわが出来る。お主にはあれを着て美しい姿勢と所作の手本になってもらいたいのだ。私に言われたくはないだろうが、ここに集まった大抵の者が少し姿勢がだらしない。だからその装飾華美な服装が野暮ったく見えるのだ」

 リードリットの指摘に思うところのあったディルクメウスは、早速一着仕立てなくてはと心に決めた。


 たった一夜で、ヴォオス社交界の衣装に革命が起こった。

 大陸の心臓で起こった劇的な変化に気づかない商人はいない。

 これ以後大陸の衣服、装飾品に対し、カーシュナーは大きな影響力を持つことになる――。









 様変わりしたのは服装だけではなかった。

 女性の社会進出により、有能な人材を適所に確保出来るようになったことにより、ヴォオスの復興はさらに加速した。

 女性が発言力を持つことに否定的な男性は今でも多くを占めるが、もはや盤石とも言える社会基盤を築き直した女王を戴くこの国で、かつてのように否定的な発言が出来る者は一人もいなかった。


 表向きはゴドフリートの政治的手腕によるところが大きいが、その裏ではリードリットがもたらした改革により没落することになった貴族や豪商たちによる不穏な動きを、今ではヴォオスのもう一つの暗部とも言える盗賊ギルドが監視、処分していることが、ヴォオスの復興に一役買っていた。


 その盗賊ギルドの本部が、ヴォオス王宮内にある。

 暇を見つけてはギルドマスターであるリタの執務室に、リードリットは入り浸っていた。

 王としての自覚から、前ほど過激な言動が少なくなったリードリットであるが、その本質がけして丸くなどなっていないことに気づいている貴族や廷臣たちは、敬う気持ちがある一方で、今でもリードリットを恐れている。

 なかなか一つ所に落ち着いてじっとしているということが苦手なリードリットは、王宮内の各所を見て回りながら執務を行う。じっとしていると苛立ってくるし、苛立っているリードリットは馴染みの者以外にとっては野生の肉食獣を前にしたかのような恐怖を与えるので、運動も兼ねた巡回に反対する者はいない。

 そして宮廷に勤める者たちにとって一番ありがたいのが、執務から離れて休憩してくれることだった。


 王宮の謎の人物について、その実態を知る者は少ない。

 だがその正体などどうでもよかった。

 リードリットの相手をしてくれるだけで、廷臣たちは一息つきながら職務に励める。

 先代国王が政務に無関心だっただけに、勤勉なことは褒められたことであり、そのこと自体は廷臣たちの尊敬を勝ち取っているのだが、いかんせんこれまでの行いと、抑えきれない武の気配が、本能的に廷臣たちを怯えさせてしまうのだ。


 新たな人材の登用と配置換え、必要部署の統廃合による一時的な混乱が治まり、政務が軌道に乗ると、リードリットは暇を持て余すようになった。

 政務はゴドフリートとディルクメウス、クロクス支配時に不遇にあった有能な人材たちだけで十分過ぎるほどで、国家規模の決裁のみがリードリットに回ってくる。

 改革当初は王都の拡大整備などの大事業が多く、リードリットも目の回る日々を過ごしていたが、すべてが順調に進むとやることがなくなった。


 その方が良いのですとディルクメウスはいつも言うが、やることがなくて退屈なのは自分だ。

 基本空き時間は個人訓練や赤玲騎士団の指導に当てているが、そこに引きこもることが許されないことは、クロクスの専横を許した苦い経験からしっかりと学んだリードリットは、国内情勢や大陸情勢についてもしっかりと耳を立てるようになった。

 リードリットが自力で集められるような情報は、せいぜいが王宮内ので醜聞が関の山だ。

 実のある情報を得るにために、リードリットはヴォオスの密偵ではなく、ギルドマスターのリタに頼っていた。

 リードリットは今日も、午前中の指導訓練終わりに、リタの執務室に足を運んでいた。


「相変わらず息一つ乱れてないね」

 軽く汗を流しただけで直行してきたリードリットは、それまで激しい訓練に興じていたとはとても思えないほど涼しい顔をしてた。

「今日は新人訓練を指導していたからな。汗をかくというより喉の方が乾いた……と言うか、美味いなこれっ!」

 答えつつ口にした飲み物に、リードリットが驚きの声を上げる。


「カーシュが送って寄越した新作だ。薄めて飲む果実酒で、生地はかなり濃くて、さすがのあたしでも飲む気にならない」

「おぬしでも飲めん程強いのか?」

 今口にしているものが、微かに酒気が香る程度なので、リードリットは不思議そうに首をかしげる。

「強くはない。ただ単に味が濃過ぎて不味いんだよ」

 試して痛い目に遭った時のことを思い出したのだろう。リタはその絶世の美貌をしかめる。


「それが水で薄めただけでこの味わいになるのですか。どうして今まで出回らなかったのでしょうか?」

 リードリットと同じものを口にしていたアナベルが、疑問を口にする。

「ただの水で割っているわけじゃあないのさ」

「特別な水が必要なのか?」

 ここ最近送り込まれてくるカーシュナーの新商品には驚かされてばかりのリードリットが、好奇心いっぱいに尋ねる。


「水は普通のものでかまわない。冷えていれば尚いい。そこに」

 と言ってリタは防水性の革袋を取り出すと、中から粉末を取り出した。

 リードリットが躊躇なく指につけて舐める。


「微妙に酸っぱいだけだぞ?」

「だろ?」

 そう言うとリタは果実酒の原液と水を用意し、リードリット自身に配合させた。

 リタから不味いと言われていたにもかかわらず、原液も舐めてみたリードリットは、慌てて水を飲むことになった。

 味見をして納得すると、リタの指示に従い果実酒を作る。

 すると先程口にしたものと同じ味わいの果実酒が出来上がった。


「なんで不味いもの同士を混ぜ合わせて、こんな美味い飲み物が出来るんだ?」

 美味しいのだが理屈がわからず眉間にしわを寄せるリードリットを見て、リタは楽し気に笑った。

「わかるわけないだろ。でもあいつはこれを見つけ出して商品化した。あいつは優れた軍略家である以上に、クロクスにも劣らない大商人だ。あたしらとは頭の中身が違うのさ。美味けりゃそれで結構。って言うか、これも流行るな」

 そう言ってリタはニヤリと笑った。


「お高いのですか?」

 アナベルが尋ねる。

「あいつは常に民衆目線だよ。そもそもあいつがやろうとしていることが全部叶えば、貴族の特権は吹き飛び、民衆との格差も相当縮まる。一部の金持ちだけを当てにして商売するのと、今よりもう少し生活に余裕が出来た民衆相手に商売するのとで、どっちがより大きな利益を得られると思う? あいつは抜け目なくそこまで考えて新しいことをやってんだよ」

 リタの説明に、アナベルは言葉もなかった。 


「これを皆が楽しめるのか。奴の金勘定などどうでも良いが、一部の特権階級者だけのものではないというのは良いことだ」

 リードリットのこの言葉で、アナベルはカーシュナーのもう一つの意図に気がついた。

 一部の人間だけが得をする。一部の人間だけが楽をする。一部の人間だけが楽しむ。

 これでは人の心は豊かにはならない。

 奴隷制度とは、突き詰めれば一握りの人間が利益を独占するための仕組みだ。

 これを打ち壊すには、人の意識改革はもちろん、心の豊かさも不可欠だ。

 商売を忘れるような甘い男ではないことは確かだが、それでもカーシュナーの真意は、人々の心が豊かになる様にとの願いに基づいてのものなのだ。


 リタがアナベルに目配せする。

 気づいても口にしないのが良い女ってもんだぜ。

 と、その目が雄弁に語っていた。

 アナベルは苦笑しつつ小さく笑ってうなずいた。

 途方もないことを成し遂げてしまうくせに、カーシュナーという男は非常に照れ屋だ。

 それでいて他人の功績が日陰に置かれることをひどく嫌う。

 彼に従う誰もが懸命なのは、功を誇らず、それでいて周囲の努力に対する称賛を惜しまないその人柄によるところが大きいのだろう。


「話は変わるが、ヴォオスの国内情勢をどう見る?」

 リードリットがリタに尋ねる。

「貴族や豪商共の動きが微妙に怪しいが、まったく火種のない国なんてこの大陸にはありゃしない。正直三賢王時代に生きていないから当時の勢いがどれ程のものだったか知らないけど、建国以来最も平和的発展を遂げてるんじゃないかな?」

 リタは表沙汰にはなっていない事件を含めて客観的に評価した。

「お主がそう見るのであれば間違いあるまい」

 そしてリードリットはリタの意見にまったく疑いを持たない。


「ルーをどう見る?」

 次に従弟のルートルーンについて尋ねる。

「将としての器に関してはあんたの方がよくわかっているだろう。しょっちゅう手を合わせているんだから。つまり政務に関してってことだね?」

「そうだ」

 リードリットは大きくうなずく。


「もう坊やとは呼べないね」

「お主の目から見てもそうか!」

 リタの評価に、リードリットは我がことのように喜ぶ。


「女遊びに関しては坊やどころかまだ毛も生え揃わないほどひどいもんだけど、まあ、そのうち目覚めるだろ。あんたの親父みたいに始終腰振ってる盛りのついた雄犬みたいでも困るからね」

「リタ」

 アナベルがリタの不敬が過ぎる発言に、睨みを利かせる。

 それに対してリタは軽く肩をすくめて口を閉ざした。


「確かにあれは困る。あそこまでいくともはや病気と変わらん。母上のことを変わらず愛し続けているにもかかわらず、エロいことはまったく別と励んでおられたからな。若いころに毒を盛られたなどという噂を耳にするが、薬の間違いではないか?」

「何ということをおっしゃるのですかっ!」

 あっけらかんと口にされたリードリットのあまりの発言に、珍しくアナベルが声を荒げる。


「ん? 何かおかしなことを言ったか?」

 しかしその言葉は、リードリットにはまったく届いていなかった。

「エロい話はあまり大っぴらにするなって言いたいんだよ」

「ああ、そういうことか。アナベルは昔からエロい話になるとすぐ興奮するからな」

「そういうことではありませんっ!」

 これにはさすがに怒ったアナベルに、リタは大笑いした。


「そんなに興奮するな」

 状況をまるで理解出来ていないリードリットがなだめる。

 しかし言葉の選択を間違っていることに、本人は気がついていない。

「興奮などしておりませんっ!」

 なだめているのに怒られて、リードリットはどうしようもないと肩をすくめた。

「エロい話になるといつもこうなる」

 ため息をつくリードリットを見て、リタはさらに大笑いした。


「話がそれちまったけど、ルーの成長を、あんた自身はどう見てるんだい?」

 笑い納めたリタが、リードリットに尋ねる。

「よく修練を積んだ。責任感から自分を追い込み過ぎるところがあったが、そのあたりはヨナタンがよく見ていてくれている。これ以上今の立場で経験を積んでも同じことの繰り返しで、成長にはつながらないだろう。年齢的にも経験的にもまだ早いかもしれないが、周りが支えてくれる。十分だろう」

 これまで見て来たルートルーンの努力と、その努力を自分と同じように見つめ続けてくれた人々を思い返しながら、リードリットはリタにではなく、自分に対して答えた。


「周りを説得出来そうかい?」

 言葉が足りないリードリットの答えに、リタはそう問いかけた。

 問われたリードリットの方が逆に驚く。


「気づいていたのか?」

「気づくも何もない。あんたはずっと時期を計っていた。時は来たってやつさ」

「お主の目は誤魔化せんな」

 そう言ってリードリットは苦笑を浮かべた。

 二人の間で進む会話に不穏なものを感じ取ったアナベルが、両者の間で視線をさ迷わせる。


「あんたはわかりやすいからね。それに、ここでやることも、もうあんまりないだろう?」

「止めんのだな」

「あいつの足を引っ張るようなら止めるけどね。あんたはルー以上にここ二年で成長した。目立ち過ぎるから潜む修行をあと半年くらいはした方が良いだろうけど、それで十分だとあたしは思っている」

「潜む修行?」

「簡単に言えば密偵の技術さ。あんたは強いかもしれないけれど、所詮は一人の力でしかない。たとえ千人を相手に戦えたとしても、一万人を相手には戦えない。そんなことはオリオンにだって不可能だ。だからあんたはこの大陸のどこであろうと生き抜けるだけの最低限の知識と技術を身につけなきゃならない」

「ぐぬう……」

 リタの言葉にリードリットがうめき声をあげる。


「出来るようにならなきゃあ、あいつの足を引っ張ることになる。あいつは忙しい。足手まといの面倒なんか見させられない」

 リタの目がいよいよ鋭くなる。

「あたしが直に、徹底的に仕込んでやる。それで何とか半年だ。まともにやるなら後三年は無理だね」

「三年は長いな。よろしく頼むとしよう」

 リタの迫力に一瞬気圧されるも、三年と聞いてリードリットに迷いはなかった。


「……お二人は、何のお話をされておられるのですか?」

 アナベルが恐る恐る尋ねる。


「半年後に私は国王をやめる。そして奴を追う」

 ごく当たり前のような口調で答えたリードリットは、まだ先の話と考えていたアナベルを愕然とさせたのであった――。

 なるべく早く次の話をお届け出来るように頑張ります!

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