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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・序
13/152

王都の地下で嗤う者たち

 黒ずくめの男の名はオリオン。少女の名はリタ。

 二人はかつての盗賊ギルドにおいて、ギルド内でも特異な立場にあった暗殺者アサシンの集団に属していた。


 盗賊ギルドは単なる犯罪者集団ではなく、社会の裏側の秩序を守らせる・・・・役割を担っていた。

 王権に対して真っ向から反抗することはしないが、権力に媚びず、へつらわずの精神で、王都の地下に地上とは異なる<おきて>を遵守する独特な社会を構築していた。


 この掟と、裏社会の構造を狂わせたのが、宰相クロクスと前盗賊ギルドのギルドマスターであった。

 かつて幾度となく表の社会の権力者が盗賊ギルドを抱き込もうとしたが、それらはすべて失敗に終わり、場合によっては自らの命でその浅はかな行動の償いをさせられることもあった。

 だが、クロクスは見事に当時のギルドマスターを懐柔し、地上の権力に加え、非合法の暴力をも手に入れた。


 王都の第二城壁より内側では、いかなる立場の貴族、豪商であろうとも、私兵の数は最大でも身辺警護のための兵士三十人までとされ、城門を潜ることが許されていない。

 突発的な反乱を警戒しての事であり、王家が貴族たちに対して絶対の信頼を置いてはいないことの証明でもあったが、第一、第二城壁内の治安は王家直轄の親衛隊により完璧に守られているため、貴族たちはこの決まりに対して異を唱えることが出来なかった。それはそのまま反意ありと言っているようなものだからだ。


 王都の外にどれ程の兵力を有していようとも、王都の上流階級社会に一歩でも足を踏み込んでしまえば、その兵力は他者を威圧することも、自分自身を守ることもない。

 そのような特殊構造を持つ王都ベルフィストにおいて、本来存在していないことになっている盗賊ギルドの裏の力は、宰相のクロクスに圧倒的優位をもたらした。

 決して行使することはなかったが、いつでも殺せるという事実は、クロクスにとって好ましくない人々を強烈に押さえつける巨人の手となったのだ。


 だが、これに対して強く反発したのが、暗殺者集団の中でも突出した実力を誇っていたオリオンだった。


 暗殺者とは道具である。道具である以上、感情は必要なく、当然自らの意志など持つことは許されない。

 その育成は物心つく前から始まり、完璧に洗脳されるまで続く。戦闘技術や数々の暗殺術の習得はその後から始まる。ここで時間のかかるような者はどれほど素質に恵まれていようと、暗殺者養成からは外され、スリや物乞い、錠前破りなど、それぞれの能力に見合った盗賊ギルド内の各分野に振り分けられる。


 オリオンの洗脳は完璧であったが、その天性の能力がすべて開花した時、生まれて初めて疑問を抱いた。

 それは、どうして他の者は自分と同じことが出来ないのかということだった。

 これがきっかけとなり、オリオンは考えるということを始めた。ギルドに存在する誰よりも優れた能力を有するオリオンの目に、矛盾や理不尽、不合理といったものが次々と目にとまるようになる。


 誰よりも優れているがゆえに、その他の人々の能力不足が見えてしまう。自分より劣る人間の命令に疑問を抱くようになっていたところに、己と真っ向から渡り合える対等な存在であるカーシュナーが現れ、その影響を受けることで、それまで液体のように明確な形を持っていなかったオリオンの人格は急速に形を得ていった。


 人格が形成される際に、カーシュナーのような灰汁あくの強すぎる人間がすぐ側にいたことは、オリオンにとって幸か不幸であったかは、今後の人生が決めるだろう。

 

 自我に目覚めたオリオンは、宰相クロクスと手を組んだギルドマスターに対し、真っ向から反旗をひるがえした。

 その強烈な存在感に、暗殺者集団の多くの者が共鳴し、空っぽだった胸の中に、まるでオリオンを写し取るように人格を形成していった。

 元来の盗賊ギルドの在り方に誇りを持っていた多くの者たちがオリオンに賛同し、盗賊ギルドは二つに割れることになる。


 ここにカーシュナーが加わったことで、王都は地下だけの混乱に収まらず、王都全体を巻き込んでの権力闘争に突入した。

 オリオンは自らの集団を<アカツキ>と名付け、クロクスを後ろ盾に持つ盗賊ギルドに対し、圧倒的な数的劣勢の中抵抗をつづけた。


 ギルドマスターを討ち、当時のクロクスの懐刀的存在であった大陸最強の傭兵アイメリックをも討ちはたしたが、王国軍が全面的に表に出て来た時点で勝敗は決した。


 表向きは王国軍に敗れ、王都から敗走した形になったが、その実はカーシュナーによるクライツベルヘンへの戦略的撤退だった。


 その後、盗賊ギルドは次のギルドマスターを選出したが、それはクロクスの傀儡でしかなく、掟を失った地下社会は地上の荒廃と足並みをそろえるかのように、急速に無秩序化していった。その結果これまでは明確に縄張りの区分けがされていた盗賊たちが好き勝手に盗みを働くようになり、入念な下調べもされなくなったため、家主と鉢合わせることが増え、結果として強盗殺人へと発展することになった。


 オリオンを筆頭とする元暗殺者集団を中心とした<アカツキ>との抗争で、盗賊ギルドは根本的な戦闘力を失っていた。クロクスが期待していたのも、盗賊ギルドが保有する暗殺者集団であったため、結局クロクスが手に入れられたものといえば、地下社会の情報網だけであった。

 クロクスにとっては何の価値もないものであり、その権力基盤の増強にはまるで役立たなかった。


 それでも、クロクスは持ち前の商才を生かし、地下社会を非合法の商業空間へと改造してみせた。

 そこは、ヴォオス国の法律で輸出入を禁止されている禁制品を主に取り扱う場となり、仮面をつけた貴族たちの裏の社交場となった。


 そして、様々な商品が取り扱われる中、もっとも人気を博したのが、人身競売であった――。









「信じられん!」

 リードリットが悲鳴に近い声を上げる。

 言葉にこそしないが、シヴァもアナベルも、まさかといった表情をしている。

 奴隷制度が廃止されて約五十年。人身売買はヴォオス人にとって、もっとも忌むべき行為として精神の根底に刷り込まれていた。

 そのヴォオスの中心である王都ベルフィストの地下で、人間の競売を行っていると言われても、にわかには受け入れ難かったのだ。


「カーシュ。見た方が早い」

 説明しようとしたカーシュナーを、オリオンが止める。

「そうだな。そのために連れて来たわけだし、論より証拠だろう」

「カーシュも覚悟しといた方がいいよ。あんたが最後に来た時と比べても、十倍はひどくなっているからね」

 リタが心底嫌そうに顔を歪める。


「リタがそこまで言うとなると、殿下やアナベルには刺激が強すぎるかな……」

「無用な気遣いは必要ないと申し上げたはずです」

 アナベルが硬い表情で言う。

「場所によっては足の踏み場もないような状態で、何十人、場合によっては百人以上が入り乱れて乱交騒ぎ繰り広げていたりするけど、あんた大丈夫なの?」

 リタが小首を傾げてたずねてくる。その仕草も表情もとても愛くるしく、彼女の正体を聞いた後でも、とても暗殺者だったとは思えない。


 アナベルは何も言えずにしばらく口をパクパクとさせていたが、

「いけません!! そのような場所に行くなど、とんでもない!!」

 真っ赤になって抗議する。

「アナベル。らんこう・・・・とはなんだ?」

「し、知らなくいていいのです! 殿下! 二度とそのような言葉を口にされてはなりません!」

「なるほど。アナベルがここまで慌てるということは、助平な話なのだな?」

「興味を持たれてはなりません!!」

「あ~、わかった。わかった。そう興奮するな」

「こ、興奮などしておりません」

 リードリットの天然発言に、アナベルが大慌てで否定する。「興奮する」を別の意味で捉えたようだ。


 声に出して笑うと面倒なことになるので、全身をプルプルと震わせて笑っていたシヴァが、何とか笑いの衝動を押さえつけると、提案した。

「俺とカーシュで先に行って、追い散らしておけば大丈夫だろう。乗馬用の鞭で尻の一つでも張り倒してやれば、どっかよそに行って腰振り直すだろ」

「シヴァ殿! 下品な表現はおやめください!」

 アナベルに怒られて、シヴァが肩をすくめる。


「場合によっちゃあ、喜ばれるだけだよ」

 リタが難しい顔で口を挟む。これにオリオンも同意してうなずく。

「そこまでぶっ飛んじまっているのか!!」

 シヴァが驚き半分、呆れ半分の声を上げる。

 アナベルに至っては、リードリットの耳を塞いで会話が聞こえないようにしている。


「皮膚がずる剥けるくらいの勢いで殴れば大丈夫だ」

 カーシュナーが涼しい顔でとんでもないことを口にする。

「さすがカーシュ。容赦ないね」

 それを聞いたリタが、なぜかとても嬉しそうに言う。

「そういう連中こそ、死んでもいい人間なんだよ」

 これまた涼しい顔でさらりと答える。こういうときのカーシュナーの翠玉色の瞳は、本当に宝石と化したかのように、冷たく硬い光を放つ。


「よし! その辺はカーシュに任せる! さすがにそこまでは俺も無理! 正直引くわ!」

「豚の方が百倍清潔に感じるようなクソじじぃもいっぱいいるよ」

 ドン引きするシヴァをそそのかすように、リタが言う。その目は期待でいっぱいである。

「やっぱ俺も行くわ。クソじじぃどもを血祭りにあげてやるぜ!」

 そう言ってリタに見せたシヴァのニヤリ笑いは、心臓が弱い者なら止まりそうになるほど悪い笑顔だった。

「あたしも腕がなるよ」

 いつの間に取り出したのか、リタの手にはいかにも使い込まれた感じの鞭が握られていた。黒光りするその表面が、何によって磨かれたのか、想像すると怖いものがある。


「では、カーシュたちに先行してもらい、淫乱豚野郎どもを畜舎に追い散らしてもらってから、俺が二人を案内して行こう」

 オリオンの提案に、アナベルがコクコクとうなずいて同意する。この間もリードリットは大人しく耳を塞がれている。


「カーシュ、どっちが大勢やれるか競争しようよ」

「乗った!」

 そう言ってニヤリと笑い合うリタとカーシュナーから、一同は一歩離れたのであった――。









 地下であるにもかかわらず、そこには無数の香がかれ、換気の悪い地下の空気を濁らせていた。

 中には酸欠で倒れる者もいるが、香の効果か倒れる者に限って悦楽の表情を浮かべていた。


 香の匂いを押しのけるように、血の臭いとうめき声が、松明の明かりの届かない暗闇から響いてくる。

 闇に多くのものが隠されているが、それでも倒錯した性行為の痕跡がそこかしこにうかがわれる。オリオンに先導されて歩くリードリットとアナベルは、リードリットがアナベルに後ろから目隠しをされた状態で歩いている。目を覆うことが出来ないアナベルは、暗闇に溶け込みそうなオリオンの背中を一身に見つめ、余計なものが目に入らないように神経をとがらせながら歩いていた。


 少し先の方で乾いた音と男の悲鳴が響き、慌てて逃げ出す気配が伝わってくる。その後で、

「うふふふっ……」

 という可愛らしい忍び笑いが伝わって来たが、その意味するところを悟ったアナベルは、鳥肌が立つのを押さえることが出来なかった。


 三人が先行していたカーシュナーたちに合流した時には、周囲の雰囲気がまた変わっていた。

 それは空気の中に溶け込んでいたものが、淫靡いんびから狂気に変わり、より深い人のごうの渦の底に向かっていることを意味した。


 ようやくアナベルの目隠しから解放されたリードリットが周囲を見回す。

 カーシュナーは血と肉片が先端にこびりついた鞭をぶら下げながらいつものいたずらな表情を浮かべ、リタに至っては空腹の肉食獣のように目を光らせ、愚かな獲物が残っていないか見回していた。

 さすがのシヴァも、この二人には敵わないらしく、若干疲れた表情を見せているが、手にしている鞭は二人以上に血にまみれている。


「ご苦労さん」

 オリオンが三人に声をかける。こちらは眉ひとつ動かさない。

 地下世界で、ましてや暗殺者として生きるということは、そういうこと・・・・・・なのだろうとアナベルは思った。この短期間でアナベルの人生観、世界観は、二、三回転程引っくり返されてしまっていた。


「ここから先は何があろうと、自制してください。そしてこの国の根底を認識してください。これがこの国の今であり、現実であるということを肝に銘じてすべてを受け止めてください」

 落ちていた何だかよくわからないような布で鞭を拭いながら、カーシュナーがリードリットとアナベルに念を押す。

 リードリットがコクリとうなずき、アナベルは生唾なまつばを飲み込んだ。


「これを着けろ」

 オリオンが持っていた荷物の中から、派手な意匠を凝らした仮面を取り出し、各自に配っていく。

 不思議そうに仮面を見つめるリードリットに、オリオンが説明する。

「ここから先は匿名とくめいですべてがやり取りされる世界になる。当然顔は隠すし、名も偽名を使う。暴力沙汰もご法度だ。クロクスと裏切り者どもが面子をかけて治安を守っているから、すぐに大事になる」

「わかった」

 リードリットは短く答えると、派手な仮面を被り、目立つ真紅の髪を隠すため、より深くフードを被りなおした。王都に入る前に髪を黒く染めたのだが、色を抜いて染めたわけではなく、墨を塗りつけるように簡易的に染めただけだったため、リードリットのサラサラの髪からはすぐに黒い染料が剥がれ落ちてしまったのだ。


「ここだと髪の毛さらしても大丈夫だと思うよ。衣装でいろんな色のかつら被った連中がいっぱいいるからね」

 リードリットの様子を見たリタが助言する。

「そうですね。でも念のためしっかりと隠しておいてください。ここまで鮮やかな赤をしたかつらはないので、見た人間の印象に残るといけません」

 カーシュナーが同意しつつも注意を促してくる。自身も黒髪のかつらを被ったうえでフードを目深に被っている。


「では、行くとするか。そろそろヤツ・・が顔を出す時間だ」

 オリオンの言葉にカーシュナーがうなずく。

 ここからはカーシュナーが一同を先導し、最後尾にオリオンがつく。

 複雑な通路を抜けると、いかにも荒事慣れした男たちが見張りに立つ扉の前に出る。扉周りは最近一新されたと見えて、まだ真新しい扉と、その枠組みを成す石組みが、古い周囲の石壁と明確な境界を作りだしている。


 横柄な態度で前に出てきた見張りに、カーシュナーがとんでもない威力の前蹴りを入れる。扉にしたたかに背中を打ちつけた男は、それ以上の痛みを生み出す腹を抱えてくの字に折れる。

 殺気立つ残りの男たちに、カーシュナーが無造作に手のひら大の金貨のようなものを差し出して見せる。男たちは途端に姿勢を正すと、扉の前でうずくまる男を蹴り飛ばして道を開けた。


 カーシュナーはニヤリと笑うと男たちに金子きんすを手渡し扉を潜る。その金子の重さに受け取った男の頬が思わずゆるみ、より丁重な態度で一同を通した。





 いったいどのような技術で作られたのか、そこかしこに、緑や黄色、紫といった通常ではあり得ない色をした炎が揺らめく燭台が並べられ、王宮の広間にでも迷い込んだかと錯覚するほどの豪華絢爛な空間が、かつては盗賊の巣窟となっていた地下空間に広がっている。

 仮面を被った貴族たちと、それに従う従者たちが、豪華というよりは仮装の領域で着飾り、その華やかさを競い合っていた。

 美しい鳥の尾羽を何百本も縫い付け、風になびいているかのような独特の衣装を着た者もいれば、獅子の全身毛皮を活用し、獅子の頭部を仮面に加工したなりきり衣装をまとい、雄たけびを上げる者もいる。

 

 闇の商取引空間だけあってヴォオス人貴族だけでなく、おそらく各国の大使であろう人物や、大陸をまたにかけて商売を行っているような大物商人たちも、仮面を被り参加している。顔は見えなくとも、骨格の違いや、大陸共通語である簡易ベルデ語にも独特の響きが聞き取れ、それぞれの国の特徴が表れている。


 さすがに今度は鞭を振るうというわけにはいかないため、カーシュナーたちは人垣をって進んだ。

 漏れ聞こえる会話の中に、<龍幻草りゅうげんそう>や<九尾茸きゅうびたけ>といった強力な幻覚作用を引き起こす禁制品の名前が頻繁に聞こえてくる。

 頭上に広がる正規の商業区域では、けして耳にすることのない言葉ばかりが飛び交っていた。


 直接品物が並べられ、取引が行われている場所に差し掛かると、カーシュナーは一瞬足を止めて迷った。だが、肩をすくめるとそのまま進み始めた。

 後に続くリードリットたちがいぶかしげに後に続くと、とある店の前でアナベルが思わず悲鳴を上げて飛び退いた。

 アナベルを驚かせたのは、カーシュナー同様美しい金色の長い髪をした青い瞳を持つ美しい女だった。不意に視線が合ったらしい。

 その姿を見て、周囲の客たちが笑い声を上げる。


「こういうのは初めてかい? どうだい。なかなかのべっぴんだろ? おひとついかがかな」

 フクロウの仮面を被った店主が、気さくに声をかけてくる。そのごつい手で持った美しい女性の手・・・・・・・で、アナベルを驚かせた金髪美女の形の良い顎を撫で上げている。   

 

 そこは剥製はくせいを取り扱う店舗だった。


 人間専門の――。


 鹿や狼の頭部を壁掛けとして飾ることは、狩猟の腕を自慢したい貴族や、腕の良い猟師の家ではごく当たり前に見られる光景だが、アナベルと視線を合わせたのは、渡来人とらいじんの女性の頭部の剥製だったのだ。瞳には本物の蒼玉そうぎょくが使われており、美しくも虚無を感じさせるその瞳と目を合わせてしまったアナベルが、らしくもなく悲鳴を上げてしまうのは無理もない話であった。


 他にもいくつかの美しい男女の頭部が飾られているが、主に取り扱っているのは店主が手にしているような、美しい手や足、またはそれらで組み上げられた椅子や机であった。

 通常の防腐処理では不可能なその瑞々みずみずしい存在感は、何らかの魔法的な処理が施されていることを如実に語っていた。

 それはトカッド城塞に潜り込む際にカーシュナーが用意した赤の精製薬の製法と同様、もはやそのわざを受け継ぐ者がほとんどいない秘術であった。


「いい腕だな」

 カーシュナーがごく自然に応対する。

 店主が口元だけでもそれと分かる愛想笑いを浮かべる。

「<人狼ワーウルフ>なんかは扱っていないのか? 私はそちらが専門なんだがな」

「おやおや。旦那様は希少種の蒐集家でしたか。あいにくと手前の方では取り扱っておりません。申し訳ありません」

「かまわんよ。渡来人もなかなか希少価値がある。しかし、一体でも希少種を手に入れてしまうとな……」

「いや、わかりますとも! 私もこのような商売をしておりますれば、いつかは一体だけでもと考えますので」

「ところがだね。手に入れてしまうとむしろ余計に欲しくなってしまうのだよ。これが」


 カーシュナーがいかにも困ったものだと言わんばかりに首を振る。その声色も仕草も、どう見ても二十二歳の青年とは思えない貫禄がある。店主の男もカーシュナーを自分よりも目上の人間と思って扱っている。店主の衣装からはみ出している口元や手などから推し量るに、四十台前半か、それより少し若いくらいであることを考えると、その即興で演じられた人物像の厚みには驚かされる。


 店主に丁寧に見送られながら、カーシュナーたちはことさらゆっくりとその場を後にした。そして、周囲の人の流れに乗り、あっという間にその存在感を消してしまう。


「も、申し訳なかった。カーシュナー卿……」

 小娘のように悲鳴を上げてしまったアナベルが、何度も頭を下げる。

 先程の剥製屋の近くに、目玉や心臓、脳みその聖水漬けなどを扱っている店があったため、謝る顔はいまだに青ざめている。戦場にあって興奮状態で見るのと、人の尊厳を踏みにじるような扱いを受けた、”モノ“として見るのとでは、受ける衝撃が違うのだ。


「気をつけてください。注意を引きたくはないですから。わかっていますよね?」

 カーシュナーの言葉は、アナベルにというより、激情に呑まれまいと必死で自分を抑えているリードリットに向けられていた。

「この国はこんなに腐ってしまっていたのか……」

 食いしばった歯の隙間から、歯ぎしりのような声を絞り出す。

「よくご覧ください。国が腐っているのではありません。特権階級にある者ばかりではないですか。腐っているのは、何の努力も払わず、生まれながらの権利を、それに伴う義務は果たさず、ただ当たり前のように振りかざしている貴族どもなんです」

「それを放置している王族も同罪だ」

「はい。そうです」

 カーシュナーの言葉に容赦はない。


「お主が見せたかったものは十分理解した。さっさとヴォオス西部を平定して、この馬鹿騒ぎを粉々に粉砕して、すり潰してくれるわ」

 声を押し殺している分、こもる殺気の濃度が増していく。

 不審に思った通りすがりの者が、怪訝そうに振り返る。

「見せたいものはこんなものではありません。これからが本番です」

「!!!!」


 カーシュナーのこの言葉に、リードリットとアナベルが目をむく。

「急げカーシュ。もうヤツは来ているはずだ」

 影のように存在を消していたオリオンがカーシュナーを促す。

「すまん。足を引っ張っているようだな。ついていくゆえ、お主は私たちのことは気にせず進んでくれ。ここからは何があろうと自分を抑えてみせる」

 リードリットの言葉に、アナベルもうなずく。

「わかりました。では行きましょう」

 カーシュナーはうなずくと、さらに奥へと進んでいった。









 そこは、地下とは思えないほど広々とした空間だった。

 掘り下げられた床は階段状になっており、一番底の円形になっている広場を中心に、客席がぐるりと周りを取り囲んでいた。

 その広場では何かの競売が終わったようで、通路の奥へと姿を消していく後ろ姿がかすかに見えた。


 そこは異様な興奮に満たされていたが、不思議とそこには大きな温度差が生じていた。興奮しきりの者もいれば、平然と楽しんでいる者もいる。その差は明確で、興奮しているのがヴォオス人で、平然としているのが近隣諸国の要人たちだった。


 カーシュナーが先程の大きな金貨のような通行証を見せたうえで、かなりの額を支払って入場する。冷やかしはお断りの、本当の金持ちだけの空間なのだ。

 中ほどよりも少し前側の目立たない場所に席を構えた一行は、会場でもなければ商品でもなく、円形広場の中心に立つ王冠を被った仮面の男に注目した。

「間に合った」

 オリオンの一言で、この男が今回カーシュナーが最大の目的としていたこの国の最大の闇であることを、リードリットは悟った。

 だが、その姿はどうしても、狂ったように淫行を繰り広げることや、人間を剥製にして売りさばくこと、バラバラにされた肉体を瓶詰にして売りさばくことよりも深い闇を持つとはとても思えない。


 黙って見ていると、次の競売品が運び込まれてきた。

 どうやら競売を取り仕切る専門の人間は存在するようだが、実際に競売を取り仕切るのは、競売品を持ち込んだ当人が行うようだ。売り手はどちらかというと、いくらで売れるかということよりも、この仕切りそのものを楽しんでいるようだ。


「待たせたな! 皆の者! 次なる品をご覧入れよう!」


 朗々たる声が競売会場に響き渡る。

 遠目にも見事な体躯をした壮年の男性であることはわかっていたが、響き渡るその声には覇気がみなぎり、聞く者の耳に心地よく響いた。人々の注目を集めるために生まれてきたような男である。


 周囲の買い手たちが歓声を上げる中、リードリットは心臓を氷の手で鷲掴みにでもされたかのように、真っ青になって硬直していた。

「どうされましたか? 御加減でも悪いのですか?」

 アナベルがその様子に気づき、心配してのぞき込む。

 リードリットが答えられないでいる内に、男が呼び込んだ品から、おおいが外され、その中身がさらされる。

 その品が目に入った瞬間、アナベルは慌てて口を覆い、声が漏れるのを必死で防いだ。


「ハリンゲン伯が令嬢、ルティアーナ嬢を御紹介申し上げる!」


 顔面蒼白ながらも、その白く透き通った肌はきめ細かくて美しく、怯えて震える姿は小鳥のように愛らしかった。

 恐怖のあまり声も出ない様子で、目の前の男を見上げている。


「知り合いか?」

 今ではリードリット以上に青ざめているアナベルに、シヴァが声をかける。

「私が以前経営していた私塾の生徒です。教職にあったころはあの子の姉を指導したことがありました。歳の離れた妹をとても可愛がっておりました。あの子はその姉にそっくりです」

「なるほど。かたりじゃないってわけか。王都にあって貴族の令嬢をさらってくるなんて、相当な離れ業だぜ」

 

 ハリンゲン伯とはヴォオス北部に領地を構える貴族の一人で、ライドバッハの反乱に巻き込まれ、現在連絡が取れない状態にある。一応は中立の立場を取っているが、食料の供給を行っているため、積極的にライドバッハに加担している貴族たちとさして変わらない扱いになっている。

 その娘が誘拐され、この地下空間で奴隷として売り捌かれようとしていることは無関係ではないだろう。 

「見目麗しきこの可憐な令嬢が、今宵の主役であると、ここに宣言しよう!」


 大きな身振りで大見得を切る。声の素晴らしさもあり、周囲の盛り上がりがさらに高まる。

「王冠なんか被りやがって、王様気取りか、あの野郎。気に入らねえ」

 怯えるルティアーナを目にしたときから、シヴァの機嫌はあからさまに悪くなっていた。先程から隣に座っているリタが、肘でつついて注意している。


「ヤツには必要なのさ。あの、道化の王冠がな」

 皮肉な口調でオリオンが答える。その正体を知っているのは明らかだ。


「おや? ルティアーナ嬢が何か言いたいようだ。ここは紳士らしくたずねてみよう」

 王冠の男はそう言うと、わざとらしい仕草で耳に手を当て、怯えるルティアーナに近づいた。

「……た、助けて」

 蚊の鳴くようなか細い声で、ようやくそれだけを押し出す。

「んん~。残念! そなたの運命は、私の手の中にあるのだよ~。どれほど叫ぼうと、誰に懇願しようと、私の支配は、絶・対!! この運命が覆ることはない!」

 そう言って王冠男は高笑いを上げた。すべてを支配しているという快感に、その笑い声は酔っている。そして、何が面白いのか、その声に合わせて周囲の人々も笑い転げる。


 咄嗟にシヴァの手が伸び、アナベルを押さえつける。

 騒ぎを起こすわけにはいかないと理性ではわかっていても、本能が抑えきれなくなったのだ。女性の人権、権利の拡大を願って私塾を開いたアナベルにとって、経営から離れたとはいえ、私塾の生徒を見殺しになど出来ようはずがなかったのだ。ましてや奴隷として売り捌くなど、言語道断であった。


「これを見過ごせと言うのか!」

 涼しい顔をして眺めているカーシュナーに、アナベルが怒りをぶつける。

「いつものことです。別に珍しくもない」

 答えるカーシュナーの声は乾ききっていた。

 あまりにも冷たい答えに、アナベルは咄嗟に返す言葉が出てこない。

「だからって、放ってはおかないんだろ?」

 シヴァが凄味を込めてたずねる。返答次第では黙っていないと、その声が伝えてくる。


「少し黙っていてくれ。誰が落札するか見逃したくない」

 一瞬だけ翠玉すいぎょくの瞳をのぞかせて、カーシュナーが答える。その目の冷たさは、先程の言葉などはるかに及ばないほど冷え切っていた。


 思わず全身に鳥肌が走る。カーシュナーの感情は、表に出さない時ほど深いのだ。

「よし、アナベル。黙っておこう。こういうときのカーシュを刺激するのはよくない」

 その冷たさの意味を理解したシヴァが、らしくない怒りをすかさず引っ込めて、軽口を叩く。

「そ、そうだな。ここで行動を起こしたところで、どうすることも出来ん。機を見るべきだった」

 それこそ冷水を頭からかぶせられた思いでアナベルはうなずいた。理性が一気に戻ってくる。


 ルティアーナ嬢はまもなく落札され、円形広場から去っていった。落札者には札が渡され、すべての競売が終了後に引き換えられる。


「次なる品は、先程のルティアーナ嬢よりはるかに品格で劣るが、その希少性では引けを取らない逸品だ!」


 王冠男の呼び出しで、赤髪の幼い少女が連れ出される。

「なかなかに珍しい、髪の赤い渡来人の少女だ! どうしつけるかはお任せするが、飽きたら剥製にしてもよし、バラバラにして保存してもよし、けして損はしないこと保証付きだ!」


 青ざめて固まったままのリードリットが、こぶしが真っ白になるほど、強く手を握りしめる。抵抗するだけの力もない少女が、奴隷ですらなく、化け物のように扱われている姿に、かつての自分の姿が重なったのだろう。自分には父がいたが、広場でさらされている少女には誰もいない。


「妹を返せ!!」

 甲高い叫びと同時に、黄金色をした髪の少年が広場に飛び出してくる。

「待て、貴様!」

 それを追いかけて競売場の裏方とおぼしき男が飛び出してくる。

「お兄ちゃん!」

 兄の元へと駆け出そうとする少女の腕を、王冠男が素早く取る。

「放せぇ!!」

 少年が必死の形相で王冠男に飛び掛かる。

 これを余興と受け取った買い手たちが、やんやの喝采を上げて盛り上げる。 


 王冠男は空いている方の腕を振り上げると、無造作に少年に振り下ろした。それほど力を込めたようには見えなかったにもかかわらず、少年はまるで糸で引かれでもしているかのように派手に飛ばされ、床に叩きつけられた。

 少年に裏方の男たちが群がり引きずり立たせて連れ戻そうとする。


「出てきてしまったものは仕方がない。連れてまいれ。せめてもの情けだ。二匹一緒に競売に懸けてくれよう」

 男はそう言うと、連れてこられた少年の金髪をつかむと、顔を引き上げた。王冠男の一撃で、少年の左まぶたが無残に腫れ上がっている。口の中も切ったのだろう。あふれた血が顎を伝い落ちている。

「おやおや。生意気に赤い血など流しおって。貴様ら渡来人ごときが、赤い血など流すでないわ!」

 王冠男が投げ捨てるように少年の頭を放すと、捕らえていた男の一人が少年に猿轡さるぐつわを噛ませる。それは黙らせるためではなく、血が流れてこないようにするためであった。当然治療などではなく、流れる血が見苦しいという理由からだ。


 どうすることも出来ない状況で、少年は怯える妹を励ますため、一心に見つめた。蒼玉のような瞳が涙を流すまいと懸命にこらえている。

 アナベルは傷を負っていない方の顔を見つめているうちに、不意に悟った。金色の髪に、蒼玉のごとき瞳。そして何より、その幼いながらに秀麗な顔立ち。見たことがある。


 剥製屋でアナベルに悲鳴を挙げさせた女性の首にそっくりだった。


 それが母であったのか、姉であったのかまでは定かではないが、家族を無残な姿に変えられ、今は売られようとしている怯える妹に、何も出来ずに取り押さえられている。

 アナベルは少年の心を想い、あふれる涙を止めることが出来ないでいた。


 その隣では、青ざめていたリードリットの顔が、憤怒のあまり、無くしていた血の気の数倍の量が頭に上り、真っ赤に染まっている。

 今のリードリットならば、見た人々が悪魔と思っても仕方ないと思えるほど、形相と相まって恐ろしい空気をまとっていた。

 その所業だけでも十分激怒するに値するが、幼い二人の兄弟の姿が、その死を看取った兄妹と重なり、余計に怒りをかき立てるのだ。


 二人の落札価格は余興の効果もあり、次々とつり上がって競売場を興奮の渦に呑み込んでいった。

 本日の最高値さいたかねを更新した男に、買い手たちが惜しみない拍手を送る。各所から「陛下~!」とはやしたてる声も上がっている。

 男は間違いなくこの地下競売場の花形であった。

 持ち込んだ競売品がすべて競りにかけられた王冠男は、買い手たちの拍手と歓声に送られて、派手な身振りで手を振り返し、広場から去っていった。


「カーシュ。お前たちはもう戻れ。後のことは俺たちで処理する」

 オリオンに促され、カーシュナーは素直に従った。これ以上ここに残り、誰かが暴発して騒ぎにでもなれば、先程の三人の強奪が困難になるからだ。


「カーシュ。何故お主がここに来ることにこだわったか、よくわかった……」

 競売場を後にし、人混みから離れると、リードリットが硬い声でつぶやいた。

「まさか、ここまでこの国の貴族たちが腐っていようとは、夢にも思わなかった」

 涙の跡の残る顔で、アナベルも小さくうなずく。

「なあ、カーシュ! あのクソ野郎はどこのどいつなんだよ! ふざけた王冠なんぞ被って、陛下とか言われて悦に入りやがって!」

 シヴァにしては珍しく、腹立ちをそのまま素直に表に出している。

「アナベルとシヴァもよく知る人物だ」

 カーシュナーが答えないでいると、リードリットがぼそりとつぶやいた。声の硬さがさらに増す。

「!!!!」

「マジか! でも、まったく心当たりねえぞ!」

 アナベルが驚きに声も出せないでいる隣で、シヴァが本気でいぶかっている。


「国王バールリウスの実弟にして、ヴォオス軍最高司令官でもある大将軍ロンドウェイクその人だ……」


「!!!!!!!!」

 今度こそ、二人揃って声を失う。

「まさか! そのようなこと……」

 ことの重大さに、アナベルはそれ以上言葉を続けることが出来なくなってしまう。

 シヴァは納得がいったようで、むっつりと黙り込んでしまった。

 そこへカーシュナーが、とどめをさすように厳しい言葉を投げつける。


「奴隷制度を廃止し、人身売買を禁忌としたヴォオスにおいて、その法を犯す、我々のです」


 三人を見つめるカーシュナーの翠玉の瞳は、見る者の魂を凍えさせるほどの冷たさを放っている。それは、単純な怒りから放たれる冷気ではなく、覚悟の深さがもたらす熱を持たない光であり、同時にカーシュナーがリードリットに求めた覚悟そのものであった。


 リードリットは何一つ言葉にはせず、そのすべてを黄金色の瞳に込めて見つめ返した。カーシュナーとは異なる、灼熱の覚悟を込めて――。

 





 

 

7/12 誤字脱字等修正

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