戦乱の始まり
今回も中途半端なタイミングでの投稿となりましたが、そもそもここ最近定期的に投稿出来ていないので、こだわりは一旦棚上げして、まとまり次第投稿することにしました。
今回も1万文字ほどでうまくまとまってくれたので、サクッとお読みいただけるのではないかと思います。
それではヴォオス戦記の本編をどうぞ!
デニゾバ領主セキズデニンの奴隷解放令は、同じく奴隷解放を目的として活動しているファティマたちに強い衝撃を与えた。
本来であれが喜ぶべき事柄のはずなのだが、その発令の裏に善意しか存在しないなどと考えるほど、ファティマたちは貴族という人種を信用してはいなかった。
急ぎ情報を集めようと動き出した矢先に、カーシュナーの密偵から奴隷解放令発令までの詳細な情報と、それを上回る衝撃を備えた続報が届けられた。
まず奴隷解放令が発令されるに至った経緯として、ファティマたち奴隷解放組織の活動を契機とする奴隷解放運動が、デニゾバ南西部から北上しながら広がり、ついには領の境を超え、隣接するナルバンタラー領にまで広がったことが原因だった。
奴隷解放の動きは広がり始めたデニゾバ領よりも、飛び火したナルバンタラー領内の方が激しく、それは解放というよりも奴隷による反乱でしかなかった。
自由を取り戻した奴隷たちが始めに行ったのは略奪だった。
ファティマたち奴隷解放組織は、奴隷解放の理念を訴え、理解を広めることがそもそもの目的で、解放のための武力行使は、奴隷商人や野盗による奴隷狩りや、雇い主によるひどい虐待を阻止する以外には行われてこなかった。
カーシュナーの支援もあり、奴隷狩り阻止の中で助け出された奴隷たちは保護され、飢えることはなかった。
だが残念なことに、自力で自由を勝ち取った奴隷たちの多くは、生きるために略奪者となる道を選ぶしかなかった。
きっかけを作ったのはファティマたちの活動であったかもしれないが、デニゾバ南西部から急激に広がり出した奴隷解放の動きに、ファティマたちは一切関わっていない。
そもそもがゾンに限らず奴隷によって社会基盤を構築している国には、常に奴隷解放の火種が燻っている。
ゾン中央では豊富な水量を誇るアスイー河によって安置した秩序と治安が保たれているが、その年によって水量が変動するような地域では、水不足や食料不足に端を発した反乱が起きている。
南方奴隷の供給が断たれ、ゾン人によるゾン人に対する奴隷狩りが始まった時点で、ファティマたちの活動に関わりなく、各地で暴動や反乱が起こるのは当然であった。
結果としてデニゾバ以上にナルバンタラーにおける奴隷の反乱が勢いを増し、領の境を超えて略奪の手はデニゾバにまで広がった。
ナルバンタラーから侵入した奴隷たちが奪った物の中には、金品や食料だけでなく、デニゾバの領民と奴隷も含まれていた。
加えてデニゾバ領への襲撃には反乱を起こした奴隷だけでなく、ナルバンタラーの領民も加わっていた。
これはナルバンタラーの領主であるエバべキルの意思に関係なく、ナルバンタラーによる侵略行為に他ならず、デニゾバ領主であるセキズデニンは正式に使者を立てて抗議し、損害賠償と連れ去られた領民と、その奴隷の即時解放を訴えた。
たとえ命じたわけでなくとも自領の領民が他の領地に攻め込み、略奪を行ったとなれば、領主としては無視するわけにもいかない。
南部八貴族の中では最年長の領主であり、南部八貴族領の盟主を自任するエバべキルとしても、セキズデニンの訴えの正当性を認めないわけにもいかず、対応する意思はあったのだが、領内で起きている奴隷による反乱はデニゾバ領に絡んだものだけではなく、むしろデニゾバ以上の規模で奴隷解放運動が広がっているためナルバンタラー領内各地で反乱が起きており、その対応に追われているため配下のナルバンタラー軍はすでに全軍が領内の各地に派遣されてしまっている。
そのためデニゾバ領へ攻め入った反乱者に対応するための派兵が出来ない状態にあった。
エバべキルは事情を説明し、時間的な猶予を求めるべきであった。だが南部貴族と王家にまつわる過去の確執から王家及び中央貴族に対して隔意を抱くエバべキルは、自分とは対照的に王家や中央貴族との繋がりを重視するセキズデニンを快く思っていなかった。何より領主としては息子以上に歳の離れている若輩のセキズデニンに対して頭を下げることに強い抵抗があった。
そのためエバべキルはセキズデニンの訴えに対し、いずれ対応すると高圧的に答えるだけに留め、対応を先送りにしてしまった。
これを受け、セキズデニンは先の襲撃を領民の暴走による不幸な事故ではなく、暴走を装った明確な侵略と断じ、ナルバンタラーに対して宣戦布告した。
それと同時に発令されたのがデニゾバ領民に対する徴兵と、ファティマたちを驚かせた奴隷解放令だった。
徴兵は理解出来た。
領土内の反乱鎮圧とは戦いの規模が違う。
貴族同士の争いだ。治安維持のための固定兵力だけでは足りないのは、宣戦布告を行ったデニゾバだけでなく、受けたナルバンタラーでも同様だ。
だが徴兵は、本来領民に対して行われるのではなく、個人所有の奴隷に対して行われるものだ。
領民たちも自分が徴兵されてはたまらないので素直に従うし、実際奴隷を所有していない平民の下級層の男性は、十四歳以上であれば徴兵される。
また、多くの奴隷を所有している富豪であれば、徴兵されるのではなく、戦時特例として所有する奴隷を統率する士官として従軍し、その働きによって報奨を得ることもある。
だが今回の徴兵は、奴隷のみを限定したものではなく、十四歳以上のデニゾバ領民の男全員に対して発令されていた。
自分たちが徴兵されるということに強い衝撃を受け、思考停止状態に陥る者がほとんどであったが、富裕層の頭の回る者たちは、今回のナルバンタラーに対する挙兵が、並大抵の覚悟ではないと見抜き、その背景にある領主セキズデニンの野心も見て取った。
そして、奴隷解放がその野心が故のものであることも理解する。
奴隷兵の士気は総じて低い。
命を使い捨てにされるのだ。高いわけがない。
従うのは恐怖故だ。
縛る鎖が恐怖だけの奴隷兵は脱走も多く、勇んで出陣したが、戦場に到着する前に脱走者を大量に出してしまい、戦わずに撤退したなどという笑い話が、現実にごまんと存在する。
奴隷からの解放は、数字的には主力を担う歩兵の士気を上げ、戦闘意欲を高めるために行うのだ。
そしてセキズデニンは奴隷解放令を発令はしたが、戦意を維持するために、奴隷印の消去という実質的な奴隷解放は、戦の後と定めている。
セキズデニンが発した奴隷解放令とは、その言葉の響きとは異なる歩兵戦力強化が目的のものであった。
発令後平民の中の上級層に属する者たちがもっとも混乱する中、富裕層に属する者たちは我先にとセキズデニンの元に馳せ参じる。
そして奴隷解放にも率先して応じ、セキズデニンは率いた奴隷の数に応じて臨時の階級を与え、デニゾバ軍を強化することになる。
奴隷解放令の意図を理解したファティマたちであったが、真の驚愕はこの奴隷解放令に付け加えられる形で出された自分たちに対する勧告だった。
曰く――。
奴隷解放を訴える組織に対し、告げる。
奴隷は解放された。
これまでのデニゾバ軍に対する武力行使は、大規模野盗団討伐を功とし、すべて不問とする。
速やかに我が麾下に加わり、従軍せよ。
これに従わぬ場合は、奴隷解放とは異なる意図を持っての武装化とみなし、賊として討つ。
要するに、デニゾバにはもう奴隷は存在しないので、奴隷解放という言葉が嘘でないのなら、デニゾバ領民として領土と民を守るために戦え。
これを拒む場合は、奴隷解放そのものが嘘であり、略奪、奴隷狩りを目的とした犯罪集団として討伐するという、ファティマたちからすれば無茶苦茶な言いがかりであった。
「はあっ!!」
これを受けてブチ切れたのがセレンである。
情報を持ってきてくれた密偵の胸ぐらを掴んで締め上げる。
「ちょっとっ! なにしてるのっ!」
そこにギュナが慌てて止めに入る。
「本当にごめんなさい!」
セレンから解放された密偵に、ギュナが詫びるが、密偵は何事もなかったかのように軽く肩をすくめてギュナの謝罪に応えた。
セレンがキレたくらいで動じるような者は、カーシュナーの配下には存在しない。
「上手くないですね」
眉間にしわを寄せながら、ボラがファティマに声を掛ける。
ボラに指摘されるまでもなく、ファティマも事態が思いもよらない方向へと向かい始めたことに危惧を覚える。
どう転がるにしても、悪い結果にしか辿り着かないことは目に見えている。
「奴隷解放の意味をすり替えられてしまったのが一番まずいですね」
「こうなると解放された奴隷たちは特に我々の言葉に耳を貸さんでしょうな」
ボラの言葉にファティマが大きくうなずく。
「おそらく領主であるセキズデニンはここまでの状況を見越して、ダマド野盗団を放置していた可能性すら出てきます」
「ダマド野盗団の討伐を隠さず、功績として広め、我々の立場をまず上げてきているのが実にいやらしいところですな」
ボラが唸りながら頭を掻く。
「ファルダハンの商人たちとダマド野盗団の繋がりはさすがに伏せられていますが、その規模が二千人にも上り、南下していた事実は隠されていません。デニゾバ南部の、特にその中心地であるファルダハンの民衆は、我々のことを英雄視するでしょう」
「その上での従軍要請です。一度大きく持ち上げられているだけに、これを拒む我々が、民衆の目にどう映るか容易に想像がつきますな」
ファティマとボラの二人はそこで言葉を失った。
「なあ。うちら今、追い込まれているのか?」
奴隷解放組織の頭脳である二人が深刻な表情を浮かべる中、状況を理解出来ていないエミーネがセレンに尋ねる。
「えっ! ……お、おお、まあな。かなりまずい状況だ」
「どうまずいの?」
「……ギュナッ!」
従軍要請にブチ切れたセレンであったが、それがどう自分たちの立場に影響するのかが正直あまりピンと来ていなかった。
それでも新入りのエミーネに問われてわからないと素直に言えず、何とかごまかそうとしたのだが、さらに追及されるとあっさりとギュナに縋りついた。
「私たちは今、デニゾバ領主から情報戦を仕掛けられているの」
慌てるセレンに苦笑しつつ、ギュナは二人だけでなく、幹部の中でも情報処理が苦手な者たちに向けて説明を始めた。
「奴隷解放と奴隷の略奪は全くの別物だけれど、奴隷社会においてその所有者にとっては奴隷を失うという意味では同じなの」
「そんなのおかしいよっ!」
セレンが思わず抗議の声を上げる。
「ええ、おかしな話よ。でもゾンでは千年以上もの間、人が人を所有し続けて来た。現状奴隷なしで社会基盤を築くことは出来ない。意識の根底に、奴隷有りきで物事を考えることが刷り込まれてしまっているから。そういった人たちにしてみれば、奴隷を失うという結果こそが自分たちの生活を大きく左右する要因であって、その過程はどうしても見過ごされてしまう」
ギュナの言葉に、セレンは苦い表情で納得する。
「一つ聞いていい?」
そこにエミーネが口を挟む。
「奴隷なしじゃゾンがやっていけないって言うのはさすがのあたしでもわかるんだけど、だったら奴隷解放令? って言うのを出したデニゾバの領主も、戦争に勝ってもやっていけなくなっちゃうんじゃないの?」
その問いに、目をむいたのはセレンであった。
そこまで考えが回っていなかったのだ。
「ナルバンタラーとの戦いに勝って、そこで終わりならね」
答えるギュナの表情が、ファティマやボラ同様難しいものになる。
「デニゾバ領主セキズデニンは、奪われた領民を取り返すことが目的なんじゃなくて、ナルバンタラーを攻め滅ぼし、その領民全員を奴隷として手に入れるつもりなのよ」
「なんだってっ!」
セレンがわかりやすい反応を見せる。
「おそらくその野心はナルバンタラーだけじゃないはずよ。きっと南部八貴族領すべてに対して向けられているわ」
「なっ!!」
いつも騒がしいセレンも、これには驚いたきり言葉が続かなかった。
「そんなの奴隷解放でも何でもないじゃないかっ!」
幹部の一人が声を上げる。
「でも、解放された奴隷たちはデニゾバの領主に忠誠を尽くすでしょうね。もしナルバンタラーだけでなく、本当に南部八貴族領を征服することに成功したら、現領民だけじゃなく、ここで解放される奴隷たちも、第一級領民になれるんだから。少しでも目端の利く人間はこぞって今回の奴隷解放令に従うでしょうね。将来の自分の地位を少しでも高めたいなら」
事態の深刻さが浸透した幹部たちは、一様に押し黙ってしまった。
「あたしたちの奴隷解放活動を利用したってことかよっ!」
そんな中、セレンだけは怒りを燃やし続けている。
「私たちの活動で奴隷解放の機運が高まった状況での奴隷解放令は、領主であるセキズデニンを英雄として崇めさせるのに十分な効果がある。利益に聡いゾン人であれば、大きな利益をもたらすであろうことが想像出来るからなおのことその効果は高まるはずだわ」
「ふざけんなっ!」
セレンが地団太を踏んで悔しがる。
「デニゾバ軍の追及がそこまで厳しくなかったのって……」
何かに思い至り、幹部の一人が呟く。
「始めからここまで考えて泳がされていたのかもしれないわ」
顔も知らないデニゾバ領主セキズデニンの手のひらの上に呆然を立ち尽くす姿を幻視した幹部たちは、冬の影響などまったく受けない坑道内にあって、思わず身震いをして幻覚を振り払った。
「しかも厄介なのはそこじゃない」
自身も仲間たちと同じ幻覚を見たうえで、ギュナは言葉を続ける。
「デニゾバの領民に解放者と見做されているセキズデニンから功績を正式に認められ、その上で何の処罰もなく受け入れるという提案をされたことは、詳しい事情を知らない領民からすればとんでもない厚遇であり、栄達に見える。これからの戦いで功績をあげる機会にも恵まれるだろうし、そうなれば豊かな将来が約束されたも同然だから、これを断るということの意味を理解出来ない」
「なんでだよっ!」
理解出来ないということが理解出来ないセレンが苛立ちの声を上げる。
「私たちが奴隷解放を説いて回っていた相手は、奴隷がいる生活が当たり前の状況で生きて来た人たちなの。彼らの耳には私たちの奴隷解放は、奴隷の身分にある者たちの不満の声としてまず耳に入る。人としての尊厳とか、生きる自由とかはなかなか伝わらない。奴隷の身分でなくても、平民は多かれ少なかれ貴族たちの理不尽にさらされて生きているから、悪い意味で虐げられることに慣れてしまっている。今より悪くならなければいいというい考えが染みついてしまっているの」
ギュナは悲し気に首を振った。
「今よりマシな暮らしが出来るんだからいいじゃんってことか。確かにそれわかるな~」
ギュナの説明を独自に噛み砕いて理解したエミーネの言葉は、人の核心をついていた。
「わかってどうするんだよっ!」
それに対してセレンが噛みつく。
「あたしらがわかろうがわかるまいが、もう流れは変わらないだろ? だったらわかっている方がいいじゃん」
「ぐぅっ!」
冷静にツッコまれたセレンが呻き声をあげる。
「正直あんたらは頭良過ぎなんだよ。ここに来てびっくりしたもん。読み書き出来る人が多くてさ。でも大抵のゾン人は学がないから偉い人の言うことは大抵正しいって思ってるし、自分にとって儲けになることはもの凄く正しいって思うもんでしょ。それが自分のことならすぐ調子に乗るし、逆にそれが隣近所の他人だったりすればもの凄くひがむ。そこにあんたらが言っているような正しさなんてないからね」
エミーネはそう言うと、仕方ないとばかりに肩をすくめた。
「だからっていつまでもそれを当たり前にしてたら、いつまで経っても変わらねえんだよっ! 損とか得とかでもねえし、他の誰も気にしねえからいいとかでもねえんだっ! 腐っているもんは腐っているし、間違っているもんは間違ってる。あたしらはそれを言い続けるために剣を取ったんだっ! 貴族共の腐った思惑なんか知るかっ! 自分のことしか考えられねえクズ共も知ったことじゃねえっ! あたしらは自分を曲げねえで戦い続けるだけだっ!」
世の中に対する諦めとも、揶揄とも取れるエミーネの態度に、セレンは真っ直ぐな感情をぶつけた。
「その通りっ! 珍しく良い事言うじゃねえかっ!」
ファティマと頭を並べて唸っていたボラが、セレンが感情のままに口にした言葉に笑みを見せる。
「そうですね。そうでした。ここで一時状況をしのぐためであろうと、自分たちの在り方を変えてしまったら、私たちは自分の想いを裏切ることになる。事態は厳しいことになるでしょうが、私たちは私たちの追い求める理想を貫くだけです」
仲間たちのことを考え、何が仲間たちの最善となるかに頭を悩ませていたファティマであったが、仲間たちを中心に思考を展開すること自体が間違いであったことに気がつき、自分の本来の目的に立ち返る。
「ファティマ。どうするつもり?」
ギュナが心配そうに尋ねる。
「改めて我々の意思を示します」
「行くのか?」
「ええ。ファルダハンへ」
ボラの問いに、ファティマはきっぱりとうなずいた――。
◆
「やはりな。女とは愚かな生き物だ」
腹心の部下であるハムザからの報告を受けたセキズデニンは、鼻で笑った。
「一時的に従う振りをするかとも思われましたが、セキズデニン様のご推察の通り、従軍を拒みましたので、事前の指示通り、奴隷解放など建前で、自分たちの利益しか考えていない野盗まがいの集団であるとし、今後奴隷解放という名目で奴隷所有者や集落に攻撃を行った場合は、先の布告で許された罪も含めて即座に処断する旨領民に公布いたしました」
追加の報告に、セキズデニンがうなずく。
ファティマはデニゾバ最南部の都市ファルダハンにおいて、自ら出向き、その意思を示した。
第一に、自分たちが訴える奴隷解放とは、デニゾバに限定されたものではなく、ゾン全体。ひいては大陸全体に向けた活動であり、セキズデニンの行動は奴隷の解放ではないという意志を明確にした。
第二に、セキズデニンに無視された奴隷解放組織のもう一つの主張である女性の人権と尊厳、権利の平等を改めて訴えた。
ゾンにおいて、夫や親から財産の一部として扱われるゾン人女性の解放は、ファティマにとって奴隷の解放に全く劣らない重要な目的の一つであり、特に虐待に対しては武力の行使をためらわない旨を明確にした。
「内容によっては奴隷解放組織の演説を止めるよう手配をいたしておりましたが、民衆の、特に男たちが強い反発を抱くと考えそのまま演説を続けさせましたが、よろしかったでしょうか?」
「いい判断だ。お前を現場に派遣しておいたかいがあったというものだ。自分たちの主張がどれ程世の中の価値観から外れているか理解出来ていないことが身に染みただろう」
「おかげで連中の演説を聞いていた聴衆の一部が暴動を起こしたのでそちらに手を取らされましたが、最後は罵声の中ファルダハンから逃げるように出ていった連中を支持しようなどと考える者は一人も見られませんでした」
「最後まで己を貫いた姿勢は認めてやらんでもないが、連中の言っていることは理想が高過ぎるのだ。食えない理想はすぐに捨てられるし、ゾン人はその辺りの見極めは確かだ。あれでは人はついては来んし、一握りの人間に変えられるほど世の中は甘くはない。最後に私の役に立てただけで十分だ」
セキズデニンは最後に切り捨てるように言葉を結んだ。
「下手に追いこんで戦いに発展しても面倒との仰せでしたので兵を向けるような真似は致しておりませんが、放置しておいてよろしいのでしょうか? 領民に従軍を強いる以上、同じデニゾバ領内で暮らす奴隷解放組織の連中は従軍せぬままでは余計な不満が生まれるのではないでしょうか?」
ハムザが懸念を口にする。
「そうだな。過去の罪は野盗団の討伐を功として許したが、そこに従軍拒否まで含めてしまうとつまらん騒ぎの元になるやもしれん」
「領内からの退去を申し付けてはいかがでしょうか? 活動の正当性を封じたとはいえ、千もの武装戦力は潜在的な脅威となります。厄介払いのついでに従軍を迷う者への見せしめになりますし、行く先で例の演説を続けてくれれば、他の南部貴族にとっての厄介の種にもなってくれると思うのですが」
ハムザの提案にセキズデニンが一瞬考えこむ。
時期を見て兵を向けるつもりでいたのだが、領内から退去するのであれば一切の制約を設けないとすれば、大人しく従う可能性が高く、何より領民たちに度量の大きさを見せることが出来る。
普段であれば領民共の人気取りなどくだらないことと切り捨てるが、今は戦前だ。士気高揚につながればその後の戦いが進めやすくなる。
それに、奴隷解放組織が野盗団との戦いに圧勝したため、討伐するにはその戦力が大きく、安易に兵を向けると当初セキズデニンが想定よりもはるかに大きな被害を出すことになる。
対ナルバンタラーを前に、戦力の消耗は避けねばならない。
加えて、ハムザが言うように、他の領地で奴隷解放運動を続けさせれば、悩みの種どころかその戦力から、確実に他の貴族の戦力を削ぐことが出来る。サーヴェリラあたりに追いやることが出来れば、領主のカマルラマンの手を焼かせられるだろう。
「ナルバンタラーに行かせて向こうで考えを変え、エバべキルにつかれても面倒だ。さりげなく兵を配置し、サーヴェリラないし、キャヴディルに向かうように仕向けろ。そちらに向かう限りは物資の補給なども許可してやれ。まだ使い道があるというのなら、せいぜい働いてもらう」
ハムザの意見を聞き入れ、セキズデニンは奴隷解放組織の追放を決断した。
腹の中では、自分と同じように領土的野心を持ち、今回のゾン国内における混乱に乗じて蠢動するカマルラマンと奴隷解放組織が争い、相打ちにでもなってくれればと考えていたが、さすがにそこまで都合よくはいかないと理解していた。
「サーヴェリラに密偵を放ち、奴隷解放組織と争わせることは可能か?」
新たに浮かんだサーヴェリラに対する工作が捨てがたく、セキズデニンはハムザに尋ねる。
「オメルを使えれば、あるいは可能性はございますが、現状放ってある間者もサーヴェリラ領主カマルラマンの近辺まで食い込めていないのが現状でございます。出来るとすれば、奴隷解放組織がサーヴェリラに入るに際し、カマルラマンに反意有りと噂を流してカマルラマンをたきつけることくらいで、それも奴隷解放組織がサーヴェリラを素通りしてしまってはそれまでとなってしまいます。密偵を割いて工作をして、何の収穫もなしという結果なりかねません」
ハムザの答えはデニゾバ密偵の現状を正確に言い表していた。
それはセキズデニンのつまらない未練を見事に断ち切った。
「サーヴェリラも奴隷解放組織も、動向を監視するだけで十分だろう。今はナルバンタラーだ。ここを取れば出来ることが一気に増える。他の貴族領に放っている密偵も監視のために必要な最低限の数を残して呼び戻せ。ナルバンタラー攻略後の平定に集中させる」
サーヴェリラに対する工作をきっぱり諦めたセキズデニンは、自身の野望達成の第一歩に意識を集中した。
サーヴェリラ領主カマルラマンもセキズデニン同様野心を持つ者だが、その視線は隣接するデニゾバ、キャヴディル、コークテラの三領を視界に納めるのが限界だが、セキズデニンの視線は南部八貴族全領とゾン中央まで視界に納めている。
同じ野心家であっても、その判断力と決断力は、明らかにセキズデニンがカマルラマンを上回っていた。
「ナルバンタラー内の反乱奴隷の組織化の進捗状況はどうなっている?」
集中したセキズデニンは判断を次に進める。
「オメルからの報告ではすでに各地の反乱奴隷の組織は終了しており、全体的な統合はセキズデニン様の指示を待っている状況です」
ハムザはセキズデニンの問いに、一拍の間も置かずに答えた。
ナルバンタラー攻略のための布石として、密偵のオメルはファティマたち奴隷解放組織の活動を隠れ蓑に、ナルバンタラーにおいて奴隷の反乱を主導していた。
単発では兵力に勝るナルバンタラー軍に簡単に討伐されてしまうため、反乱を起こす前に軸となる奴隷を事前に手駒としておき、これを陰から支援する形で反乱後の組織化が素早く行えるようにナルバンタラーの各地で暗躍していたのだ。
「ただちに統合するよう指示を出せ。ナルバンタラーの防衛線を、内側から破らせる」
計画が完璧に進行していることに、セキズデニンは気持ちが高揚していくのを感じた。
「それと、奴隷解放組織の連中が従軍しない以上伏せておく意味はない。徴兵した領民共に働きに応じてナルバンタラーの領民を奴隷として与えると伝えろ。これまでの社会的地位は一度解体される。新たな形で迎えることになるデニゾバにおいて高い地位を得られるのは、今の身分にかかわらず、功績を上げた者だけだとな」
それは徴兵されたデニゾバの領民に対する餌であり、興奮剤であり、同時に出陣命令でもあった。
与えられた指示をこなすために、ハムザがセキズデニンの前から退出する。
すべてのことがその日の内に処理された。
従軍を拒んだ奴隷解放組織がデニゾバから追放されることに恐怖を覚える者もいたが、それ以上にセキズデニンが明確にしたナルバンタラー侵攻の真の目的にデニゾバの民は興奮に心を掴まれ、誰もが眠れぬ夜を過ごすことになった。
デニゾバ正規軍を中核としたデニゾバの全戦力は、セキズデニンの目論見通り、高い士気を持ってナルバンタラーへと進軍を開始した。
これに対し、ナルバンタラー領主エバべキルも全軍をもって対抗したが、互いの領地の境界線で火蓋が切られた初戦において、背後を反乱奴隷およそ三千に奇襲され、デニゾバ軍とまともに戦うことも出来ないまま領地深くへと後退させられることになった。
この戦いを契機に、ゾン南部八貴族領は戦乱の渦に呑み込まれることになる。
争うのは南部八貴族同士であったが、同時に王家・中央貴族派と東部貴族派の争いでもあった。
力を蓄える時期にある東部貴族と、西方諸国とルオ・リシタとの間でも緊張状態にあるゾン中央は、互いの事情により長く睨み合いを続けてきた。
だが南部八貴族領の戦いの結果いかんによっては、緊張状態で保たれている中央と東部の均衡が、大きく崩れる可能性が高い。
南部八貴族領の争いに対し、表立って兵を出すような介入はどの勢力も出来ないが、座して結末を待つなどという悠長なことを言っていられる勢力もない。
セキズデニンの野心をきっかけに、膠着状態にあったゾンは動き出すことになる。
歴史の大きなうねりの影で、ファティマたち奴隷解放組織は音もなくその姿を消したのであった――。
年内にもう一話、……は、無理か(苦笑)
とりあえず執筆ペースを取り戻せるように頑張ります。
あ~、でも何とかもう一話は書きたいな~。
期待しないでお待ちください。