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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・序
12/152

地下病棟

 ヴォオス西部に出現した謎の略奪者の集団を討伐するため、リードリット麾下きか、五千騎の赤玲せきれい騎士団と、配下のクライツベルヘン軍五千騎と合流したカーシュナーは、一路北上を続けていた。

 本来ならば最短距離を行きたいところだが、二年に及ぶ積雪のため、通行不可能な場所が多いため、南の隊商路をさかのぼっているのだ。


 南の隊商路と西の隊商路とをつなぐ分岐点で、一同は小休止を取った。この場所は、市場というほどではないが、一定数の天幕が常に張られ、休憩や情報交換、場合によっては商談なども行われている。自然発生的に設けられた小規模な商業拠点となっていた。

 分岐点の本道は、そのまま北上する形で王都ベルフィストへと続き、ごく少数の、王都を経由せずに西の隊商路に乗り、そのままルオ・リシタ国に向かう人々のために設けられたのが、もう一本の道になる。


 小休止を終えた部隊は、西の隊商路へと向かう道を、ダーンを先頭に出発した。雪煙を上げながら立ち去る騎馬部隊を、商人の一団が見送っている。

 一団を取りまとめているとおぼしき人物が、騎馬部隊が雪煙の彼方へ消え去るまで手を振る。どうやらここまでの道中を護衛してもらったらしい。


「おや! あんた、プレタのフロリスの旦那じゃありませんか!」

 手を振る商人に、別の商人が声をかける。男は寒さに磨かれた真っ赤な頬をしていた。人好きのする笑顔が、見る者の警戒心をあっさりと飛び越えてくる。

「おおっ! これはピエトさんじゃありませんか! ご無沙汰ですな!」

 プレタのフロリスが、愛想良く応える。

「どこぞの騎士団とここまで同行して来られたんで?」

「ええ、リードリット王女殿下の騎士団に同行を許されましてね。ここまで護衛していただいたんですよ」

「なんと! あの暴れん坊姫将軍様にですか! よく身ぐるみはがされずに無事で済みましたな。山賊よりもたちが悪いと、もっぱらのうわさじゃないですか」


 この発言を聞いたフロリスの同行者の一人が、左右からガシッと腕をつかまれる。

 笑いをこらえるフロリスを、ピエトが怪訝そうに見つめる。

「ところで、ピエトさんは王都へ?」

 話題を変えてきたフロリスに、ピエトも合わせる。

「はい。極上毛皮を手に入れましてね。今貴婦人方の間で毛皮製品が再流行しているので、流行が過ぎる前にさばこうと向かっているところです」

「代わりに何を仕入れる予定なんですか?」

「もちろん食料ですよ。世の中がこんなになっても、王都にだけは山ほど食料がありますからね。フロリスさんはどんな御用で?」

「つまらん仕事ですよ。経営者が旅先で急死したとかで廃業した商人の商売をまるごと買い取ったので、在庫の確認に向かうところです」

「わざわざフロリスさんがですか? 使用人で十分でしょう?」

「世の中きな臭くなってきましたからね。仕事の名目で、しばらく王都にこもる予定なんです」


 ピエトはなるほどと大きくうなずいた。

「私も今回の商売が片付いたら、そうした方がいいかもしれませんな。隊商路筋で商いをしている分には野盗に襲われる心配もありませんが、食料品を扱った商売は日に日に怪しくなってきましたからね」

「命あっての物種ですからね。頃合を見計らった方がいいですよ」

「まったくです。ここで死んだら、私が必死で稼いだ財産を、ここぞとばかりに嫁が散財するだけですからな!」

「それは、死んでも死に切れませんな!」

 ピエトの冗談にフロリスが笑い声を上げる。

「どうです? 王都までご一緒しませんか?」

「それはありがたい。隊商路とはいえ、少人数での旅はいささか心許ないですからな」


 二人の商人はごく自然に合流し、誰の目にも不審な印象を残すことなく王都へと旅立って行った。





「今王都に向かうことが、それほど重要なのか?」

 髪の毛を黒く染められ、その上で顔のほとんどが見えなくなる大きめのフードで頭部をすっぽりと覆ったリードリットが、口を尖らせながらたずねる。

「殿下にはまず、この国の本当の姿をご覧になっていただかねばなりません」

 いつになく厳しい口調でカーシュナーが答える。普段のいたずらっぽい雰囲気はまったく見られない。


 プレタのフロリスに変装したカーシュナーは、部隊の指揮をダーンに任せると、リードリットを連れて王都ベルフィストを目指していた。同行するのはシヴァとアナベルの二人のみである。

 偶然同行したように見えた商人のピエトも、カーシュナーが事前に用意していた密偵であった。ピエトの率いている使用人や護衛の傭兵もすべて、カーシュナーの配下の者たちで、実際に商売も行うが、今回のようにカーシュナーが隠密に行動する際の護衛役が本来の任務となっている。


「私はこの五年間ずっとミデンブルクにおったので、確かに国内の状況にはうとい。国内情勢を一度しっかりと把握しておくことは大事だろう。だが、西部地方で民衆が無法者共の蹂躙に遭っているというこの時に、優先するべき事とはどうしても思えん」

「西部地方で被害を受けているのはすべて貴族の領地です。これを守るべき領主とその手勢を帰還させないというのならば、私も即座に駆けつけます。ですが、本来その役目を果たすべき者たちが領地へと引き返しているのですから、その責任を果たしてもらえばよいのです。殿下には、今後への心構えを明確にしていただきたいのです」

「心構え? 王族としての役目を果たす覚悟ならば、十分出来ておるぞ」

「それがどの程度のものか、私が真に主君と仰ぐに値するかを見極めるために、王都へ向かうのです」


「カーシュナー卿! いくら殿下がお許しになっているとはいえ、その言いようはあまりにも不遜であろう!」

 アナベルが本気で腹を立てて抗議する。一国の王女に対し、その国の臣民でありながら、選ぶのはこちらだと言っているのだ。アナベルが文句を言うのも当然である。

「血筋を盾に臣従を求めることが殿下の正義ですか?」

「王家に忠義を尽くすことは、ヴォオスに生まれたすべての者に課せられた当然の義務であろう! 臣従を求められるのは当然であり、従うことこそ我らが生まれた意味であろうが!」


 興奮してまくしたてるアナベルを制して、リードリットはカーシュナーに問いかける。

「これから王都で目にするものは、私の決意を揺るがせるかもしれないほどのものということなのか?」

 この問いに、カーシュナーはうなずくだけで答えた。そこから発散される怒りを土台に形成された厳しい気配に、アナベルも口を閉ざす。


「もう向かうことに決めたんだし、とにかく行ってみましょうや。カーシュがここまで言うことが、しょうもないことなわけがねえんだから、西部地方に早く駆けつけるためにも、さっさと済ませちまいましょうぜ」

 カーシュナーの予想外に厳しい気配に、シヴァが珍しく間をとりなす。

「シヴァの言う通りだ。アナベルも心しておけ。私もその気構えで王都へ向かおう」

 事前の細かい説明をしないカーシュナーを不審に思いつつも、他の三人は信じて王都へ向かうことにした。この男の怒りの源が、常に理不尽に対するものであることを知っているからだ――。









 高く、分厚い城壁の向こうで、大陸でもっとも栄える都市は、今日もその栄華を享受する権利を持つものに対してのみ、その城門を開いている。

 権利を持たない者たちは城門のはるか手前で左右に流れ、無秩序に建ち並ぶあばら家の群れの中へと姿を消していく。


 カーシュナーたち一行は第四城壁の門を抜け、王都の一般的な居住区域へと踏み込んでいった。

 大陸各地から様々な人種の集まる王都ベルフィストは、文化の違いや宗教的問題から起こる諸問題を嫌い、この区画を、民族、宗教などによって細かく区分けしている。

 

 この先の第三城壁の向こう側に広がる広大な商業区画へ向かうピエトとはここで別れたカーシュナーたちは、ごく平均的な作りのヴォオス人商人向けの宿へと向かった。

 王都での生活は、王宮内でもごく限られた範囲でしかなかったリードリットは、見るもの聞くものすべてが珍しく、王都行きを渋っていたことが嘘のように興奮していた。

 城門を潜るまでに目にしたあばら家とはまるで違う。

 リードリットは始め、無秩序に並ぶあばら家を、家畜小屋か何かと考えていた。ミデンブルク城塞内に設けられていた畜舎よりもはるかに無様な建物に、人が住んでいるなどと想像することも出来なかったからだ。


 王都へ向かう商人や旅人に群がろうとする物乞いたちが、兵士たちによって打ち据えられ、追い散らされる光景を目の当たりにしたときは、即座にやめさせようとしたリードリットだったが、カーシュナーに有無を言わせず引き戻された。そのときは思わずカッとなって声を荒げてしまい、あやうく正体がばれそうになり、カーシュナーとシヴァに容赦なく殴られもした。


 カーシュナーの目が、すべてを見ろと言っていた。

 改めて自分が何も知らないことを知る。悪意の壁に囲まれて育ったのだから無理もないことではあるが、これから先も、同じ言い訳をして、無知であり続けることは許されない。

 リードリットは衝動を必死で押し殺し、自分と父のこれまでの生活を支えるために租税を納めてきた人々の現実を学び始めた。





 ようやく宿に落ち着くと、リードリットは重いため息をついた。

 真実を知るためには、身分を明かすわけにはいかない。どこの悪党が、自分を即座に縛り首に出来る立場にいる人間の前で本性をさらすだろうか。

 そうとわかっていても、これまでこらえるということをしてこなかったリードリットには、小悪党どもの悪事を見過ごすことは、現実的な痛みに近い精神的苦痛をもたらすものであった。

 ぶん殴ってやりたい!

 頭の中はこの一事で破裂しそうなまでに満たされていた。


「物騒なことを考えているでしょう?」

 部屋は二部屋取ってあるが、のんびりと休憩しているような時間的ゆとりのないカーシュナーたちは、部屋の一つに集まって今後の予定を確認していた。


「お主はよく我慢出来たな!」

 苛立ちを含んだ言葉がカーシュナーに突き刺さる。

「物乞いたちの件ですか? 実際に見たわけじゃありませんが、建国から三百年間ずっと続いてきたことじゃありませんか。今この時も、城壁の外では職を持たない人々が物乞いを続け、兵士に殴りつけられていますよ。女なら身体を売ることが出来る分まだましかもしれませんが、男は盗むか奪うか、それすら出来ない者は先程見かけたように、誰かの気まぐれにすがって生きるしかないないのが現状です」


 カーシュナーの言葉に、アナベルが眉間にしわを寄せる。

「女はいつまでたっても、踏みにじられなければならない。身体を売るなどと、なんと嘆かわしいことか!」

「少年なんかも需要があるんですよ」

「やめてくれ! 聞きたくもない!」

 アナベルは強い拒否反応を示した。幼少期のつらい経験から女性の地位向上を目指して私塾を開いたような人間だ。女性がその能力に応じた扱いを受けることが出来ない現実を常に苦々しく思っている。リードリットに従い、騎士となったのも、男が振るう理不尽な暴力に屈せず、己を貫き通すためだ。

 元々高い理想を掲げていた人だけに、現実の不条理に対し、リードリット以上に過剰に反応してしまうのだ。


「アナベルは残りますか? 覚悟が試されるのは殿下であって、あなたではない。ここから先、いい事なんて何一つありません。無理する必要はないのですよ」

「……カーシュナー卿。あなたはこれから殿下にお見せしようとするすべてのことを、正そうとお考えになられているのでしょう? であれば、余計に知らないわけにはいきません。私は世の不条理と、人の理不尽とに抗うために騎士となったのです。深窓の令嬢のように、無知の箱庭に閉じこもって生きるわけにはまいりません」

 アナベルは背筋を伸ばして答えた。腹の底にしっかりと力を入れたのだろう。


「わかりました。では、行くとしましょうか。これから先、一日でも早くクソ野郎どもを即座にぶん殴れる世の中にするためにね」

 煮えたぎるような怒りを底に秘めて、カーシュナーは笑った。それは実にカーシュナーらしい笑いだった。現実に対する悲壮感など微塵もまとわない。すべてを笑い飛ばしたうえで破壊してやると、その悪い笑顔は語っていた――。









「では、打ち合わせ通りお願いします」

 カーシュナーはそう言うと、用意していた酒瓶から、長々を中身をあおり、安酒臭い息を吐き散らした。続いて王女殿下の腰を抱き寄せ、千鳥足で歩き出す。その後を、同様の体でシヴァが、アナベルを連れて続く。

 目深にかぶったフードのおかげでわからないが、リードリットもアナベルも、顔から火が噴き出るのではないかと思うほど、真っ赤になりながら、全身をがちがちに硬直させてついていく。


 目指す先は、俗に言う<連れ込み宿>であった。

 似たような宿がいくつも軒を連ねている。露骨な姿の娼婦たちが店の入り口で客待ちをしている宿もあり、店主とおぼしき男に追い払われていた。


「ちょっとお兄さ~ん。そんな素人くさい女なんかやめて、あたしにしときなよ~。大満足させてあげるわよ~」

「くぅ~! 大満足かい! 悪くないねえ! でもねえ、今日はこの娘に決めてるの~」

 言いつつカーシュナーはリードリットの臀部でんぶをなで回す。

 リードリットは思わず小さく悲鳴を上げ、硬直する。

「可愛いだろう? 今日が初めてなんだってさあ。 かわいこちゃんはまた今度ね~」

 カーシュナーはそう言うと、娼婦の尻をギュッとつねった。

 不満顔だった娼婦も、これ以上からまれては損とばかりにサッと離れる。離れ際、さりげなくリードリットの尻を思い切りつねっていった。てっきり女だとばかり思っていた娼婦は、筋肉でガッチガチのリードリットの尻に驚き、納得する。


「なるほどね。お兄さんそっち好みかい。それじゃあ、あたしはお呼びじゃないね」

「失礼な~。俺は両方いけるんですぅ。今度君のこと探しちゃうぞぉ」

 再び尻に伸びてきたカーシュナーの手を、ひらりとかわした娼婦は、

「見つけられるもんなら探してごらんよ。その時はあたしじゃなきゃダメな身体にしてやるから」

 なまめかしく笑いながら去っていった。


 硬直の解けたリードリットが素早くカーシュナーの脇腹を殴りつける。アナベルもさりげなく足を踏みつける。そしてシヴァは、笑いの衝動を必死でこらえていた。

 叫ぶわけにもいかないカーシュナーは脂汗を浮かべつつも陽気な酔っぱらいの演技を続け、三人を目的の<連れ込み宿>へと案内した。


「見ねえ顔だな?」

 うたた寝していた不機嫌そうな店主が、カーシュナーに声をかけられ、不機嫌極まりない声で言う。

「あんたに見てもらいたくて、この顔ぶら下げてるわけじゃないからな」

 その態度にムッときたカーシュナーが、負けじと不機嫌そうに言い返す。言いながら、苛立たしそうに足先で床をパタパタと打つ。立ちながら器用に貧乏ゆすりをしているのだ。


「金はあるんだろうな?」

「なかったら違う店に行ってるよ」

 カーシュナーの答えに、男は不機嫌なつらのまま、口元だけで笑って見せた。余計に凶悪な面構えになる。

「よくわかっているみたいだな。うちはよそと違ってシラミだらけなんてことはねえ。出すもん出しゃあそれなりの部屋用意してやる。さっさと出しな」

 カーシュナーはより一層激しく貧乏ゆすりしながらも、素直に四人分の宿代を払う。

 店主は部屋の鍵をカーシュナーとシヴァそれぞれに渡すと、再びうたた寝に戻った。


 上機嫌で店の奥に姿を消したカーシュナーを、全身黒ずくめの男が出迎える。若干細身ではあるが、シヴァに劣らぬ見事な体格に、精悍な顔立ちをした青年だ。十分男前で通るその顔立ちは、先程の店主が愛想良く見えるほど、その表情は不機嫌を表したままの状態で固まり、すべてを台無しにしていた。


「遅いぞカーシュ。あと、合図はもっと上手くやれ」

 表情ほど不満を感じさせない声で男は言うと、顎をしゃくってさっさと歩き出す。

「悪かったよ。どうも貧乏ゆすりは苦手なんだ。それより知ってる? トカッド城塞落としてきたぜ」

 カーシュナーがさりげなく自慢する。

「知っている。だが、遅れた理由にはならん」

 歴史的快挙であるはずなのだが、男はまったく取り合わない。

「相変わらず厳し過ぎだぞ」

 カーシュナーはやれやれとばかりに肩をすくめた。





 男に従って部屋の一つに足を踏み入れる。

 店主が言った通り、清潔なシーツが敷かれたベッドと素焼きの水差しが置かれただけの、さっぱりとした部屋だ。

 

 リードリットが水差しの置かれた台の引き出しを何気なく開けると、中には奇妙な形をした棒状の物体や、用途不明な道具類が入っていた。

「なんだこれは? 護身用の小型の棍棒か? これでは武器としては意味をなさんぞ」

 棒状の物体を取り出したリードリットが、素振りをしながらたずねてくる。リードリットの力で振るえば十分武器として機能するだろうが、これ・・で殴り殺されては、あまりにも情けなくて死んでも死にきれないだろう。


「!!!!! で、殿下! そのようなものに触れてはなりません!」

 アナベルが慌てて取り上げる。そして、何か言いたそうなカーシュナーとシヴァに、

「説明無用! 一言たりとも必要ありません!」

 眼光鋭く言い放った。


「どうでもいいけど、早く戻せば?」

 奇妙な形をした棍棒を握りしめていたアナベルに、シヴァが忠告する。

 言われたアナベルは投げつけるように引き出しに戻すと、慌てて閉める。だが、投げつけられて跳ね返った奇妙な形をした棍棒が挟まってしまい、閉めることが出来ない。

 散々引き出しをガタガタいわせると、アナベルはようやく閉めることに成功した。


 黒ずくめの男が非難の視線をカーシュナーに向ける。

 カーシュナーは笑いを堪えつつ必死に謝るという器用な芸当をこなして頭をひたすら下げた。


「うるさいな! なにガタガタしてんのさ! さっさと入りなよ!」

 突然漆喰塗りの壁の一枚が開き、少女が一人顔を出す。

 黒ずくめの男に促され、一同は少女が開けた壁の向こうの隠し通路へと入る。最後になったカーシュナーの背中に、少女の見事な回し蹴りがさく裂した。

「連れて来る人間の教育くらいちゃんとしてこいよ! 頭いいくせに本当に馬鹿なんだから!」

 蹴り飛ばされたカーシュナーは、今度こそ本当に必死で謝った。









 通路は地下水路へと続き、違法に追加された通路を抜け、一同は迷路の奥へと向かった。

 明かりは少女が持つ周囲をふたで覆われた特殊な作りのランタンのみで、少女の足元をわずかに照らしているのみであった。少女と黒ずくめの男は、足音一つ立てず、カーシュナーも同様に無音で行動していた。 残りの三人も極力物音をたてずについていく。

 幾度目の角を曲がったか、もはや方向もわからなくなったころ、一行は古い通路にたどり着いた。入り口が複雑な作りになっており、錯覚を利用して目につきにくくされているため、知らない者では目の前に立っていても通路の存在に気がつくことはない。


 黒ずくめの男が、壁の中に吸い込まれるように姿を消す。ろくな光源もないため他の者には魔法でも使ったかのように見えた。

 黒ずくめの男のあとに少女が続き、カーシュナーに入り口の造りを教わりながら、アナベル、リードリットと続く。

 

 中は広くはないが頑丈な通路になっており、奥から人の気配が伝わってくる。

「この通路は、今は血筋が絶えて住む者のいない侯爵家の屋敷に通じている抜け道跡です」

 カーシュナーが説明する。

「当然王宮に申請などされてはいませんから、誰も知りません」

「よく見つけたな」

「秘密の隠れ家はいくつあっても困りませんから」


「本当だよ。裏稼業が専門のあたしらだって、こんな通路は知らなかったからね。おかげで今も王都で活動出来るってもんさ」

 少女が途中で口を挟んでくる。

「お主にしろ、先を歩くあの男にしろ、ここでいったい何をしておるのだ?」

 少女の非礼な態度をたしなめようとするアナベルを手で制しながら、リードリットはたずねた。

「カーシュからは何か聞いているのかい?」

「いや、まだ具体的なことは何も聞いてはおらん」

「じゃあ、もう少し我慢しておくれよ。すぐにつくから」


 少女の言葉通り、一行は最近造られたとわかる新しい通路に入り、広い空間へと出た。

 そこには老若男女問わず、多くの傷病者が身を寄せ合い暮らしていた。

 カーシュナーの存在に気がついた一人の老人が、疲れた足取りでやってくる。ボサボサの白髪は後ろで適当にまとめられ、さして濃くもない髭が、元気のないサボテンの針ようにまばらに生えている。身なりにかまうような余裕のある者など、ここには一人もいない。

 全体的に疲れ切った老人の、異様に大きく見える目だけが生気を放ち輝いている。


「カーシュナー様。よくお越しくださいました。あなた様にはどれほど感謝しても足りません」

 老人はカーシュナーに対しうやうやしく頭を下げた。

 カーシュナーは老人の礼に対し、苦悩のにじんだ笑顔で首を横に振った。

「足りないのは私の方です。先生。あなたのおかげで、救える命がある。本当に感謝しています」

 カーシュナーは枯れ枝のような老人の手を取ると、深々と頭を下げた。


「あのご老人は誰なのだ?」

 リードリットが黒ずくめの男にたずねる。

「医者だ」

 人を寄せ付けない強烈な空気をまとっているにもかかわらず、男は意外にもあっさりと答えてくれた。

「何故このような場所で隠れて治療を行ているのだ? この者たちは罪人なのか?」

「はっ! そうだね。ここにいる連中は、あんたらからすれば全員しょうもない盗人ぬすっとだろうさ!」

「やめろ。言うだけ無駄だ」


 リードリットの言葉にカチンと来た少女がつっかかるのを、黒ずくめの男が止める。一見すると男が冷静に対処しているように映るが、実際は男の冷たさが形になっているにすぎなかった。ある意味少女の方がリードリットに対して正面から向き合っている。たとえそれが怒りの発露であったとしても、男が放つ怒りを通り越した拒絶よりははるかに何かを生み出す可能性があった。

 少女とは心を交差することが出来ても、黒ずくめの男とは、同じ時間同じ場所にいて、同じことをしたとしても、心が交わることはない。どこまで行っても埋まらない距離を開けたまま平行線をたどるだけだ。

 

 リードリットはいったい何がこれほどまでに自分とこの男を隔てているのか知りたかった。気に入られる必要はない。だが、自分のなすべきことをより深く理解するためには必要なことであった。


 リードリットが引かないと感じ取った男は、説明を続けた。

「ここにいる連中は、多かれ少なかれ、盗みは働いたことがあるだろう。人間は食わなければ死ぬ。食い物がない世の中で生きて行こうと思ったら、奪うか盗むしかない」

「働けばよかろう。その賃金で奪いもしなければ盗みもせず、買えばいい」


 リードリットの言葉に、男は疲れたように肩をすくめた。

「まず一つに、仕事がない。仕事があったとしても、それに見合った賃金が支払われることがない。仮に支払われたとしても、買えるような値段で売ってはいない」

「…………」

 リードリットは返す言葉がなかった。


「だからと言って盗むことは罪だと言いたいのだろう?」

「いや、死ぬとわかっていて目の前の食糧に手を伸ばさずにいられる人間などいまい。盗まれるような管理をしている方に問題があるのだ。どう手を尽くしても盗れないようになっていれば、誰も盗人にはならん」

「代わりに死人になるがな」

 シヴァが黒過ぎる冗談を挟んでくる。

 リードリットはこの言葉にも返す言葉を持たなかった。


「ここにいる人たちはね、みんな死んでもいい人たちなんだよ」

 少女が感情のこもらない声で言う。

「死んでいい者などいない」

 元教育者であるアナベルが、たまらず口を挟んだ。

「いるよ。ここにいる人たちは、国が死んでいいって決めた人たちなんだ」

「馬鹿なことを言うな。そのような無法を、国やお優しい陛下がするわけがなかろう!」

「じゃあ、なんでみんな見捨てられたんだい?」

「み、見捨てたわけではない! この異常気象で国には余力がないのだ……」

 アナベルの声には、自分の言葉が陳腐な言い訳でしかないとわかっている響きがあった。


「国中どころか、大陸中の人たちが飢えに苦しんでいるときに、自分たちだけは普段通りの贅沢三昧をするのに精一杯で、余力はないってかい? それはご苦労様でしたねぇ」

 少女の痛烈な皮肉に、アナベルも言葉なく立ち尽くすしかなかった。


「ここにいる人たちはね、本当に死んでもいいって切り捨てられた人たちなんだよ。身寄りもいなければ仲間もいない。一人ぼっちの人たちなんだ。死にかけていたって誰も気にも留めない。死んだらぼろ服を剥がれて、疫病が出ないように外街そとまちの外れに運ばれるだけで、誰に惜しまれることも、見送られることもない人たちなんだよ」

「もっとも、そのおかげでこうして保護することが出来る」

 うつむいて口を閉ざした少女に代わって、男が続ける。

「どういうことだ?」

 リードリットが問いかける。


「一人ぼっちということは、いなくなっても誰も探さないということだ。この場所の秘匿性ひとくせいを守るためには必要な条件になる」

「他に困っている人たちは助けないのか? 一人ぼっちではなくとも、生活に困窮している人々はいくらでもいるだろう。他の人たちは助からなくてもいいというのか?」

「逆に問うが、どうすればすべての困窮する人々を救うことが出来る? 教えてくれ」

「…………」


「救う命と見殺しにする命。命に線引をしているのは私であって彼らではありません」

 カーシュナーが会話に加わってくる。

 カーシュナーのこの強烈な言葉に、リードリットはまた言葉を失う。先程から言葉をなくしてばかりいる自分の、人間としての底の浅さが情けなくなってくる。


「食糧が絶対的に足りません。考えもなくわずかな食料を人々に分け与えれば、必ず奪い合いが始まります。力ある者が奪い、力無き者たちは、食料とともにわずかばかりの希望や、場合によっては命すらも奪われるでしょう。始めから終りまでしっかりと管理されない善意など、無用な争いを引き起こす悪意と何も変わらないのです」

「……だから、お主は救う者と見捨てる者とをはっきりと分けたと言うのだな」


 リードリットはその決断を下したカーシュナーという男の覚悟の深さに、改めて心打たれていた。それは善行を成し、その上で罪の意識を背負い込むということだ。

 カーシュナーの行為を偽善とののしる者もいるだろう。命に線引をした時点で、その行いは善とは言えないのかもしれない。それでも、すべてを救えないという事実を言い訳にして、何もしないという選択肢をカーシュナーは選ばなかった。他者が自分をどう評価するかなど、この男にはどうでもいいことなのだ。

 救える命を可能な範囲で確実に助ける。それだけが目的なのだ。


「……この者たちはこれからどうなるのだ?」

「長旅に耐えられるだけの体力が回復次第クライツベルヘンに送られます」

「何もかも手配済みか。お主は本当にすごい男だな」

「何がすごいかって? その全部をお家頼りにやっているんじゃなくて、自分の稼ぎだけでやっているのがカーシュのすごいとこなんだよ」

 いきなり元気を取り戻した少女が、カーシュナーの自慢をする。

「それも最近の話じゃない。この終わらない冬が始まった当初から、この男はすでに動いていた。そのための下準備を考えると、いったいどれほど前からカーシュにはこの国の未来が見えていたのかと驚かされる」

 少女の自慢に黒ずくめの男が説明を補足する。


「俺が何を始めようと、協力してくれるみんながいなければ何一つ形にはなっていなかったさ。みんなのおかげだ」

「よく言う。お前がいなければ、俺たちは間違いなく殺されていた。俺たちの人生は、お前に出会ってから始まったようなものだ」

 リードリットに対してはあれほど強烈な拒絶を示した黒ずくめの男も、カーシュナーに対しては全幅の信頼を置いているようだ。手荒い扱いをした少女も、それが信頼の裏返しだとわかる。三人の間には、多くの困難を乗り越えた者同士にしか生まれない、戦友の絆があった。


 リードリットはそのつながりをうらやましく感じていた。心が深く繋がるには、トカッド城塞攻略だけではまだ足りないようだ。




 

「先生」

 一人の女性が表情の抜けた顔で、カーシュナーたちの会話に満足そうに耳を傾けていた老医師に声をかけた。老人はそれだけで事情を察する。

「カーシュナー様。じじぃめの力が及ばず、救えぬ少年がおります。よろし……」

「見送らせてもらいます」

 カーシュナーは老人の言葉を遮りうなずいた。拒むなどという選択肢はカーシュナーの中にはなかったからだ。


「この子は昨日見つけたんだ……」

 少女がため息のような声で説明する。

 カーシュナーたちの足元に、骨と皮ばかりの小さな少年が、粗末な布でわずかばかりの暖を取りながら、水のように薄い粥を与えられていた。

 カーシュナーがリードリットの背中をそっと押す。

 リードリットは促されるままに少年の隣に膝をつき、小さな手を取った。


 とても小さくて細く、何より軽い。剣を持つことに慣れた硬い手の平にはあまりにも軽すぎて、リードリットは戸惑いを隠せなかった。

 これが人の手なのかと思った。

 視線を転ずると、細すぎる腕の各所に傷跡と、癒えきらない生傷がみられる。

 リードリットの視線に気がついた少女が、思わず語りだす。


「傷だらけだろ? きっといっぱい殴られたんだろうな。妹に食わせてやりたい一心で盗みを続けて、二人っきりで生きて来て、その結果がこれなんてさ、あんまりだろ?」

「妹がおるのか?」

「昨日見つけた時には死んでたよ。死んだ妹をどうすることも出来ずに抱えてうずくまっていたんだ。ごめん。カーシュ。助からないってわかっていたけど……、だから連れてきちゃいけないってわかっていたけど……、放っておけなかったんだよ」

 少女の声は、最後には消え入りそうなほど細く弱くなっていった。

 

 食料に限りがある以上助かる見込みのない者に回す余裕など当然ない。情けを掛けたがために誰かが死ぬ可能性が出てくるのだ。

「待ってくれ、カーシュ。この娘を責め……」

 決まりを破った少女が叱責を受けると思ったリードリットが振り向くと、そこには人目もはばからずに涙を流すカーシュナーの姿があった。

 その後ろでは意外なことに、シヴァと黒ずくめの男が歯を食いしばりながら、ぼろぼろと涙をこぼしている。


 男の涙など、これまで一度も目にしたことのないリードリットが戸惑っていると、小さな手がキュッとリードリットの手を握り締めてきた。

 その弱すぎる力が、命の終わりが近づいていることを伝えてくる。

 リードリットは鼻の奥に痛みが走るのを感じた。


「……ありがとう。生まれて初めて腹いっぱい食べたよ。……妹にも食わせてやりたかったな……」

 それが、少年がこの世に残した最後の言葉だった。


 リードリットは視界が歪むのを感じた。

 完全に力をなくした少年の手に甲に、しずくが一つ落ちる。それが二つとなり、三つとなり、後には数え切れない涙の雨になって降り注いだ。

 歪んだ視界の中で、リードリットは不思議そうに涙の流れを眺めていた。そして気がつく。自分が泣いていることに――。


 感情の奔流がリードリットを押し流す。

 少年の手を優しく包んだまま、リードリットは子供のように声を上げて泣き続けた。

 その背中を見つめながら、少女はカーシュナーに問いかける。


「カーシュ。あと何人こんな風に死ぬんだろうな……」

 その声には己の無力を嘆く響きがあった。

「五百万人は死ぬだろう」

 答えるカーシュナーの声には、冷え切った鋼の響きがあった。決して現実から目を逸らさない鋼鉄の意志を持った者にのみ与えられる悲しい強さだ。


「ご、五百万人だと!?」

止まらない涙を何度も拭いながら、リードリットが驚きの声を上げる。

「ええ、それも、最低で五百万人です」

 カーシュナーの答えに、リードリットはさらなる衝撃を受ける。


「……食料はそこまで不足しておるのか」

「いいえ。国内の食糧備蓄量は、すべてのヴォオス国民を救うのに十分な量があります」

「なっ!! ど、どういうことだ! 食料があるのにどうして五百万人もの民が死なねばならんのだ!」

「そのすべてを王族と貴族が独占しているからです」


 リードリットの表情が凄まじいまでの怒りで歪む。

 世の中の理不尽と、己の無知に対して――。


「カーシュナー。お主は王都へ向かう前に言ったな。私の今後の心構えを確かめたいと」

「はい」

「ならば宣言しよう。お主の予測で死ぬ運命にある民すべてを、必ず救ってみせる。それを邪魔する者は、たとえ叔父上であろうと、宰相のクロクスであろうと、この国のすべての貴族が相手であろうと、すべて排除して必ず成し遂げてみせる!」

「それでは足りません」

 ある意味現ヴォオス社会のすべてを敵に回してでもと宣言したリードリットを、カーシュナーはバッサリと斬り捨てる。


「何が足りぬと申すか? 確かに言葉で覚悟のほどを証明することは難し……」

「バールリウス陛下がお相手であったとしても、その覚悟はおありでしょうか?」

「!!!!」

 無礼にもリードリットの言葉をさえぎって放たれたカーシュナーの問いかけは、驚愕と緊張を生み出す。


「カ、カーシュナー卿! なんと恐れ多いことを口にするのだ! 殿下に謀反むほんをそそのかすおつもりか!」

 興奮するアナベルに、カーシュナーは静かに視線を投げた。普段の悪ふざけぶりが鳴りを潜めると、カーシュナーの放つ気は途端に硬質なものなる。視線を向けられたアナベルは、思わず息を呑んだ。


「殿下がどれ程の事を成し遂げようと、私がどれ程策略を駆使しようと、陛下が否と仰ればそれまでなのです」

「…………」

 アナベルは何か言い返そうと口を開きかけたが、やはり言葉は出てこなかった。たとえ国の実権を握るのが宰相のクロクスであろうと、ただの飾りと侮られていようと、王は王なのだ。

「殿下。お答えは?」


「……父上は、唯一私を愛してくれた人だ。父上の娘でなかったならば、私はとうの昔に死んでいただろう。その父上に逆らうということは、親の恩を忘れる畜生と同じだ。だが、それでもだ。たとえこの身が畜生道に落ちようとも、父上を退けてでも、私は民を救ってみせる。この覚悟は変わらん」

「殿下!」

「許せアナベル。お主の忠誠が、私と同様父上にも捧げられていることはよくわかっておるつもりだ。故にお主に無理について来いと言うつもりはない。騎士団を離れ、父上の元へ行くことを許可する。お主はお主の信念に従うがよい」


 リードリットの言葉に、アナベルは一瞬も迷わなかった。

「陛下に対する忠誠は、殿下にお仕えすることでございます。それ以外の忠義の形はございません」

 打算も計算もない、芯からの言葉。その姿は、完璧なる騎士と称えられるレオフリード将軍にも劣らない見事なものであった。


 アナベルの忠誠心に信頼のこもった視線で答えると、リードリットはカーシュナーに言った。

「これが私の答えだ。まだ不足か?」

「いいえ。十分でございます」

 カーシュナーは姿勢を正して頭を下げた。


「そうか。ならばこの少年を丁重に葬ってやることにしよう」

 リードリットはそう言うと、少年の世話をしていた女性から少年の身体をもらい受け、大事に抱え上げた。傷だらけの身体がこれ以上傷つかないように――。

「そういうことはあたしらがやるよ。妹の亡骸と一緒に葬ってやりたいからね」

 少女の言葉にリードリットは首を横に振る。

「死に目に立ち会ったのも何かの縁だ。私にも手伝わせてくれ」

 リードリットに対して反発の強かった少女も、この時だけは素直にうなずいた。





 そこは、王都で暮らす非合法な地下住人たちのための非公式な墓地だった。もっとも、墓標があるわけではなく、埋葬した当人にだけわかるような印が残されているだけで、墓地という印象は受けない。


「皆、ここに埋葬するのか?」

 リードリットが疑問を口にする。

「まさか! 弔ってやりたいと思ってくれる人がいた奴だけがここに埋葬されるのさ」

 少女がリードリットの疑問に答える。

「それ以外の死者はどうなるのだ?」

「地下社会にもそれなりの秩序があってね。盗賊ギルドが死体処理のための人間を用意していて、のたれ死んだ連中を外街のはずれにある死体処理用の穴に持って行くんだよ。そうしないと、あっという間に厄介な病気が流行はやりだすし、それが上の町にまで広がったりすれば、上の役人連中が、地下住人の一斉駆除に動き出すことになるから、ある意味地下社会は地上よりも清潔に保たれているのさ」


「お主らも地下社会の住人なのか? カーシュが見込むほどだ、才覚にも優れているだろう? 上で生活しようとは思わないのか?」

「あたしらは、地下社会の住人さ。どうもあんたはここ何年か王都にはいなかったみたいだから知らないだろうけど、去年この地下社会は大混乱に陥ってね。盗賊ギルドも二つに割れて、暗闘暗殺が繰り広げられる、血を流すための地下水路になっちまったんだよ。あたしらはその暗闘に大きく係わっていてね。今の盗賊ギルドの幹部連中に目をつけられているから、地下であれ地上であれ、まともな生活は出来ないのさ」

「それでは……」


「余計な話はそこまでだ。俺たちはここに長居するわけにはいかない」

 黒ずくめの男が二人の会話を遮る。

「そうだね。ごめん。しゃべり過ぎたよ」


 その後は、アナベルを含めた四人で黙々と土を掘り返し、粗布で包まれた小さな二つの亡骸を、ぴったりと寄り添わせて埋葬した。

「日の当たる場所に埋葬してやりたかった」

 リードリットがぽつりとつぶやく。

「地上は寒さと飢えの二重地獄だ。ここの方が暖かいよ。それに、地下ならあたしらが顔を出せるしね」

「そうだな。他の誰よりも、お主が来ることをこの兄妹は喜ぶだろう」


 アナベルが新しい小さな墓土の上に手を置き、祈りの言葉を短く唱える。その手の先には、砕けたガラス片を花の形に埋め込んだ墓石代わりの目印があった。二人の幼い兄妹のために添えられた一輪の花は、ランタンのかすかな光を受けて、微笑むように小さく輝いていた――。





「次の競売がいつになるかわかるか? 二、三日中に開かれないようなら、今回はこれで引き上げるんだけど」

 墓地から戻った黒ずくめの男に、カーシュナーがたずねる。

「お前たちは運がいい。競売は今夜だ」


「なんだ? 競売とは?」

 リードリットがたずねる。

「私が殿下に本当にお見せしたかったものです」

「ということは、ろくでもないものということだな?」

「お察しの通りです。アナベル殿はここに残っても……」

「最後まで見届けます。私とてこの国の現状に怒りを覚えているのです。殿下の覚悟に置いていかれるつもりは毛頭ありません。今後は気遣いは無用に願います」

 アナベルの表情は、戦場にある時とはまた少し違う真剣さで引き締まっていた。それは命を懸ける覚悟とは重さも質も異なる、他人の命を背負い、守るという覚悟だった。


 哀れな兄妹の死と、この地下病院で何とか命を拾った人々の視線が、リードリットだけでなく、アナベルにも強く作用したようだ。その半生を考えれば、アナベルの方がより深く影響されたかもしれない。


「競売って、何を売りに出してるんだ?」

 シヴァが何気なくたずねる。

「人間だよ」

 あまりにも予想外なカーシュナーの答えに、リードリットたちは驚きの声すら出てこなかった――。 

 


   

 

 



 

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