奴隷解放組織 対 ダマド野盗団 (その1)
今回一話で戦いの最後まで書きたかったのですが、そうすると3万文字を超えそうだったので、読んでくださる皆さんの負担を考え、切りやすいところで(その1)として投稿させていただきました。
普段であれば全部書ききってから話を分け、その日の内に全話投稿するのですが、そうすると投稿するのが来月になってしまいそうだったので(苦笑)、とりあえず(その1)だけ先に投稿させていただきましたので、(その2)はまた少し間隔が空いてからの投稿となります。
中途半端で申し訳ありません。
それではヴォオス戦記の本編をどうぞ!
名もないデニゾバ領南東部辺境――。
高い空は雲一つなく蒼く澄み渡り、昇る太陽だけが時間の経過を空に刻み込む。
日差しは焼けつくほどではないが、乾いた空気が大地から容赦なく水分を抜き取り、地面をひび割れさせる。
広がる乾いた大地は、これから染み込むことになる血を待ち望んでいるのか、地面に笑みのような亀裂を刻んでいた。
都合三千。
これからこの地で血の流し合いをすることになる人間たちの数だ。
その数はこの地を領有するデニゾバ家当主が抱える正規兵の数と同数であり、中流貴族の領地内で行われる非正規戦闘集団が行う戦としては異例の規模だ。
その三千の中から二千もの兵力を有するダマド野盗団は、敵に倍する兵力でありながら、微塵の油断もなかった。
「偵察部隊が敵と遭遇しました。蹴散らしたそうですが、探っていた場所に伏せていた兵力も一緒に逃げ出してしまったそうで、指示を求めています」
野盗らしくどこか砕けた報告が飛び込んでくる。
「一度退かせろ。敵の撤退はこちらを釣り出すための罠だ。絶対に付き合うな」
報告に対し、イドリスが素早く判断を下す。
「弓箭部隊から報告っす。イドリスさんの予想通りの地点に敵伏兵がいたみたいで、矢の雨を降らせて撃退したそうです」
別の部隊から、別の勝報がもたらされる。
「弓箭部隊はその場で待機。駱駝部隊に補給物資を運ばせつつ、合流したらそのまま先程逃げ出した敵部隊を追え」
兵力で劣る奴隷解放組織が仕込んだ伏兵を、ことごとく撃破し、ダマド野盗団本陣には先程から勝報に次ぐ勝報がもたらされていた。
丘と呼べるほど高くはない場所に陣取ったダマドとイドリスは、視界のはるか先で無秩序に立ち昇る砂煙を見ながら、早くも勝負あったと確信していた。
「敵さんぼろぼろだな。見ろよ。どんだけ慌てりゃあんな無様な砂煙上げられるんだ?」
そう言ってダマドは大笑いした。
「いや、敵の伏兵はすべて的確な場所に配置されていた。それをことごとく潰されれば、正規の軍でもない寄せ集めの集団では、算を乱して逃げ回るのも当然。今回は的確な位置に兵を伏せることが出来ている敵指揮官の優秀さに助けられている。皮肉なことにな」
大笑いするダマドに対し、イドリスは冷笑を浮かべる。
伏兵の配置は、イドリスであれば置くであろう場所に伏せられていた。
もしこちらの兵力に余裕がなく、デニゾバ軍の介入などで全兵力を展開出来ないような状況であったら、こうまで確実にすべての伏兵を叩くことは出来なかっただろう。
だが、イドリスは置かれた状況、地形、敵軍の心理まで冷静に読み取り、気持ちが逸っている野盗たちをダマドが制御したことで、ここまで完勝と呼べる内容で戦場を支配していた。
「こりゃあ、ジャナワルを行かせるまでもなかったな」
勝てるとは思っていたが、狂人扱いしている敵なので、死兵となって最後の一人まで抵抗されることを恐れたダマドは、辺境においては野生動物以上の動きを見せるジャナワルを、敵大将を暗殺するべく送り込んでいた。
この辺りの発想は、正規の軍では思いついてもやらないことだが、つまらない面子とは無縁の野盗であるダマドに躊躇はない。
「そうだな。だが奴が仕事をしてくれれば、その時点で戦いは終わる。奴隷解放組織は首領の求心力によって成り立っているらしいからな。首領が倒れれば闘争心も折れ、降伏するだろう。そうなればより多くの奴隷を手に入れることが出来る」
「だったらもう少し人数を割きゃあよかったな」
より多くの奴隷を手に入れられると聞いたダマドが、失敗したとばかりに声を上げる。
「いや、下手に人数を割くと発見される可能性が高くなる。敵の首領は優秀だ。身辺警護もしっかりとしているだろう。本来なら奴一人で行かせたかったくらいだ」
「そりゃあ、無理だな。あいつは細かい指示は理解出来んからな」
「付けた者たちはいつも通りの道案内だ。とりあえず足さえ引っ張らなければそれでいい。そもそもあんな獣まがいの奴を当てにしていては、この先のファルダハン支配に支障が出る。奇策で勝つのではなく、正面からの力でねじ伏せ、商人同盟を完全に支配下に置く」
この戦いは商人同盟にとっても目障りな存在である奴隷解放組織を潰す意味もある。
今後の力関係に、勝ち方が大きく影響する。
下手を打てば利用されるだけで終わることになりかねない。
そんなことはイドリスの矜持が許さなかった。
「わかった。わかった。でもよう。商人共が用意した物資がおおいに役に立っていることは確かなんだから、そう目くじら立てるなよ」
元商人であるイドリには、商人同盟に対する強い対抗意識がある。
それに対し、ダマドには商人同盟に対して含むところは微塵もない。
ようは儲かればそれでいい。
誰がもたらしてくれた富とか、誰のおかげで手に入った金だとかは、ゾン人であるダマドにはどうでもいいのだ。
「……まあ、連中が用意してくれた装備が役に立っていることは認める」
商人同盟が二千人分もの防具に武器、弓まで大量に揃えてくれたおかげで弓箭部隊を中心に伏兵を撃退出来ている。
イドリスも手を尽くしてこれらの補給を行っているが、モノがモノだけにデニゾバ軍の規制も厳しく、なかなか満足な量を揃えることが出来なかった。ましてや質の良いものとなるとほぼ入手不可能だ。
こればかりは野盗という立場では限界がある。
そいう意味ではここまで順調に戦況が推移した功績の一端は、商人同盟にもあると言えた。
「そろそろ本陣を前に進めよう。終わりだ」
「お~い、野郎共。とどめ刺しに行くぞ~」
勝ち過ぎて進行速度が速くなり、前線との距離が開き過ぎたため、ダマド野盗団はその本陣を前に出した。
その背中を、一対の鋭い視線が見つめていることにも気づかず――。
◆
「俺、このままここに住んでもいいです」
そこは周囲に無数に空いた廃鉱跡地の一つ。
そしてこの言葉は、ここで一週間過ごした若者の言葉だった。
「結婚したばかりではなかったか?」
若者の軽口に応えたのは、カーシュナーの押し掛け弟子の一人、イヴァンだ。
「嫁も連れてきます」
イヴァンの言葉に応えた若者の軽口に、周囲にいた者たちが笑う。
「もうここには食料も水も運び込まれることはない。住み着くのは勝手だが、飢え死にするぞ」
「水もないんじゃ飢える前に干からびて死にますね」
イヴァンの言葉に、若者は笑った。
「長い事待たせたな。やるぞ」
それ以上の軽口には付き合わず、イヴァンは告げた。
その一言で、若者だけでなく、この場に集った者たち全員が立ち上がる。
その表情は一瞬で引き締まり、戦いを前にした男の顔になった。
その数五百。
彼らの正体は、ファティマ率いる奴隷解放組織と友好を結ぶ、主にデニゾバ北東部から南部にかけて点在する集落の男たちだった。
イヴァン相手に軽口を叩いていたのは、以前にファティマに鼻を折られた若者だ。
彼らはダマドが動くよりも早くこの地に辿り着き、戦端が開かれる一週間も前から、この廃坑に身を潜めていた。
この動きはファティマが意図したものではない。
彼らと共にイヴァンがいることからもわかる通り、カーシュナーの指示によるものだ。
ファティマは当初、ダマド野盗団との直接的な戦闘を回避しようとしていた。
戦力的に不利なのだから当然だ。
だが努力の甲斐なく、戦闘は避けられない事態となった。
そこで次にファティマが手を回したのが、友好集落への援軍要請だ。
要請を出した集落は、すべてダマドの支配圏に存在する集落で、これ以上のダマド野盗団の勢力拡大を望まない者たちだった。
ファティマの基本戦術は、奴隷解放組織がダマド野盗団を受け、その背後から援軍である集落戦力による挟撃だった。
非正規戦闘集団であるため、他の選択肢はなかったとも言える。
ミランたちが加勢に来てくれた今も、この基本戦術は変わらない。
だがファティマがあずかり知らないところで、援軍が本隊である奴隷解放組織が到着する前に戦場に配置しされていたことで、挟撃は全く異なる意味を持つことになった。
衝突が不可避の状況になってから出した援軍要請は、どう急いでもダマド野盗団との開戦には間に合わないものだった。
ファティマもそのことはもちろん承知の上で、それでも勝てるように戦術を立ててのことであったが、遠方からでもはっきりとわかる援軍と、完全に虚を衝いて現れる援軍とでは、ダマド野盗団の対応が天と地ほども違う。
時期さえ過たなければ、間違いなく勝敗を決する働きが出来る。
そしてこの場には、その時期を見誤らない指揮官が存在する。
「……カーシュナー様には、一生、絶対、敵わない」
それはミランから援軍がすでにこの地に伏兵として存在していると聞かされた直後にファティマがこぼした一言だった。
ファティマの対応はけして遅いものではない。
情報収集も怠らず、商人同盟とダマド野盗団の動きをデニゾバ軍が掴むよりも早く手に入れていた。
その上で取った可能な限りの最善策の、その上を行かれたのだ。
しかも、戦局を左右する一手のみを打つという形で――。
「わかるよ」
それに対してミランがかけた言葉がこれだ。
ちなみに、その隣りではラニが大きくうなずいていた。
ミランとラニの二人も、カーシュナーが手を打ってから伏兵の存在を知らされた。
潜伏のための食料物資の運び込みと、その痕跡の消去まで考えれば、いったいどれだけ前から情報を掴んでいたのかと言いたくなる。
詳しく知らされていたのは別行動を取っていたイヴァンだけだ。
カーシュナーの底知れなさに改めて驚かされはしたが、ファティマの戦術は変わらない。
だがこの援軍五百の配置により、ファティマは安心して負けることが出来た。
当初から定められていたことだが、敗戦に次ぐ敗戦は、すべて計算によるものだ。
イドリスがファティマの優秀さを認めていたように、ファティマもイドリスの能力を高く評価していた。
そしてその評価がより正確でであったのは、ファティマの方だった。
「損得に対する鋭い商人の嗅覚を、戦術に応用して見せたその才能はたいしたものだけど、見せ金の使い方が下手なのは変わらないようね」
ファティマはイドリスに関する情報はすべて把握していた。
才能があるにもかかわらず商人として大成しきれなかったのは、もちろん周囲の競争相手によって阻まれた部分もあったが、損を負けと捉えてしまい、ある程度の損益を覚悟で大きな勝負に打って出ることが出来ないその自尊心の高さにあったと見抜いていた。
伏兵を配置する位置を、利益を嗅ぎ取る嗅覚で見抜くことは出来たが、損をすること、わざと負けることが出来ないイドリスには、手にした勝利という利益が、いずれ大きな負債となって莫大な支払いを求めてくるということを、見抜くことは出来なかった。
イドリスの想定していた戦場の大半が、その勢力下に収まった。
勝利を確信したダマド野盗団は、最後の仕上げとばかりに一斉に攻め込む。
だがファティマが定めた戦場は、そこから広がっていた。
戦いの終わりを見ているダマド野盗団と、ここからが本当の始まりである奴隷解放組織が、今、初めて正面から激突する――。
◆
追うダマド野盗団に対し、奴隷解放組織は武器を捨て、必死の形相で丘の向こうへと姿を消す。
その後を追うダマド野盗団は全力で追わず、無駄に駱駝の足を痛めることを避けて余裕をもって走っている。
「気を抜き過ぎだ」
そう言いながらため息を吐くイドリスであったが、全力で追うように指示を出すことはしない。
「おっ! 一人だけ元気な奴がいるぞ」
面白そうにダマドが指さすその先には、ダマドに劣らぬ巨漢の男が駱駝を走らせていた。
「ガリプか。女の尻を追いかけているだけだろう」
ダマドの太い指の先を視線で追ったイドリスが、吐き捨てるように言う。
「違いねえ」
奴隷解放組織の主戦力が女であると知って以降、興奮しっぱなしのガリプにうんざりしていたイドリスが苛立つのを見て、ダマドは大笑いした。
「いいじゃねえか。一人で暴走してるわけじゃねえんだ。奴が走れば周りも必死になって追う。結果ここまでずっと奴が先頭になって戦線を押し上げて来たんだ。一応仕事はしてるってことにしておいてやれよ」
まだ笑いながらダマドが取り成す。
本当は一応ではなく、きっちり仕事をしてもらいたいイドリスであったが、野盗にそこまで真剣さを求める方が間違っていると理解しているので、それ以上は何も言わなかった。
「この先の地形がどうなっていたか覚えているか?」
代わりに地形について尋ねる。
「割と開けている。もう伏兵の心配もいらねえ。やばかった土地はもう抜けたからな」
元々デニゾバ南部を縄張りとしていたダマドは、この周辺の地形に詳しかった。
戦術はイドリスが練ったが、その基本となる情報はダマドの知識から成り立っていた。
敵は逃げ崩れ、身を隠す場所もない開けた地形に出た。
後は逃げるその背を討って勝敗を決定的なものにするだけ。
それはもはや戦いではなく、作業と言っていいものであり、野盗たちから戦意は残しつつも危機感が薄れていくのはダマドにもイドリスにもどうすることもできない状況であった。
ガリプが率いる一隊を除いて、丘の向こう側へと逃げ去った奴隷解放組織を追っていた野盗たちが、緩い足取りでようやく丘の中腹に差し掛かった時、突如蝗の大群が飛び立ったかのような音が丘の向こうで響き渡った。
そして次の瞬間。
日差しが陰るほどの大量の矢の雨が空を覆った。
「えっ?」
間の抜けた言葉ではあるが、それはその瞬間の野盗たちの心情を表す最もふさわしい言葉でもあった。
あまりに現実味のない光景に、思考が正しく働かず、野盗たちは降りかかってくる矢の雨に、吸い込まれるように突っ込んで行く。
その様子を、本陣から目の当たりにしているダマドとイドリスも、声もなくただ眺めることしか出来ない。
降り注いだ矢が、次々と駱駝共々野盗たちを薙倒していく。
そして射倒されて初めて気がついた。
降り注ぐ一本一本の矢が、短槍ほどもある巨大な矢であることに――。
「なんだありゃあっ!!」
戦勝気分から一転、地獄の針山に突き落とされたかのような光景に、ようやく声を取り戻したダマドが叫ぶ。
同じ光景を見つめるイドリスは、さすがにすぐには反応出来ず、声を失くしたまま目の前の光景をただただ見つめて呆然とする。
だが驚きはそれだけでは終わらなかった。
これ程の大型の矢が、その後さらに四射、間断なく射込まれたのだ。
運よく始めの斉射を生き残った野盗たちも、その後さらに降り続いた矢の雨に串刺しにされ、命を落とす。
丘を越えて降り注ぐという異常射程の矢の雨により、ダマド野盗団は一瞬にして全体の四分の一もの兵力を失った。
一瞬前までは余裕からゆるめられていたその足は、今では恐怖によって地面に縫い留められ、全員が呆然と立ち尽くす。
「……うそだろ」
誰よりも前を走っていたおかげで、奇跡的に難を逃れたガリプが、背後を振り返って呆然と呟く。
その身は丘の頂付近まで辿り着いており、ガリプ以外は三十人も生き残ってはいない。
その時不意に、ガリプの巨体の上に影が落ちた。
それは丘の頂から伸びた一騎の騎馬の影だった。
ガリプは反射的に振り返った。
そこには、並みのゾン人と比べれば、二倍近い巨体を誇るを自分をさらに上回る巨漢の男が、大剣を肩にかけて見下ろしていた。
目が合った次の瞬間、騎馬の男が一気に丘を駆け下って来た。
頭は悪いがけして臆病ではないガリプは、頭が悪いがゆえに、驚愕に縛られていた身体を反射的に動かし、迎撃に向かった。
駆け下る馬の脚は驚異的だった。
ガリプが三歩も駆け上らないうちに、一瞬で眼前まで迫っていた。
慌てて振り上げたガリプの曲刀と、男の大剣が交差する。
それは打ち合いにすらならなかった。
男が振り下ろした大剣は、ガリプの曲刀など存在しないかのような勢いで振り抜かれ、砕かれた曲刀の破片を従え、持ち主であるガリプを両断した。
その衝撃のあまり、断たれたガリプの身体は放物線など描くことなく、一直線に飛び、地面へと叩きつけられた。
その光景が、呆然と立ちすくんでいた野盗たちにさらなる驚愕をもたらす。
ダマド野盗団屈指の怪力巨漢ガリプを一撃で葬り去ったのはモラン。
まるで金属で出来ているかのような光沢を放つ漆黒の肌が陽光を弾き、人ならざる迫力を演出している。
矢の雨を生き残った他の野盗たちは、部隊長の死を前にしても微動だに出来ず、ただ文字通り見上げるほどの巨漢を、恐怖に射竦んだまま見つめた。
モランはその視線を無表情に見つめ返すと、鞍に装着していた鉄鎖に手を伸ばした。
次の瞬間モランは大剣を構えたまま片手で鉄鎖を振り回した。
死をもたらす鋼の大蛇と化したモランの鉄鎖が、一薙ぎで十人ほどの男たちの顔面を砕き、続く一薙ぎでさらに十人。返す一薙ぎで残りすべての野盗たちの顔面を砕き潰した。
針鼠の様な死体の山に、顔面を潰された死体が加わり、周囲一帯モラン以外に息をする者はいなくなった。
モランは一瞬で鉄鎖を巻き取ると鞍に戻し、大剣を高く掲げた。
「装填っ!」
そして大声で指示を下す。
その時初めて立ちすくんでいる野盗たちの視線がモランから離れ、丘の頂に吸い寄せられた。
いつの間に現れたのか、そこには荷車のように車輪をつけられた大型弩砲のようなものがずらりと並んでいた。
「放てっ!」
そして次に轟いたモランの号令により、大気は再び大量の矢が空気を切り裂く音に呑み込まれた。
ダマド野盗団の装備する弓矢はすべて良質なものだが、それとは比較にならない長距離を飛翔した矢が空中で五本に分かれ、これまでの経験から無意識に安全圏にいると思い込んでいた残りの野盗たちの上に降り注ぐ。
混乱し、逃げ惑っていた敵を追っていたはずの野盗団が、死の雨に追い立てられ、算を乱して逃げ散って行く。
「一人も逃がすんじゃないよっ!」
そこにリュテの声が響き、姉の言葉よりも一歩早く走り出していたティオが、先陣を切って駆けて行く。
その後に、ようやく反撃に転じることが許された女戦士たちが続く。
「よく見てな」
突撃する仲間をうずうずしながら見つめるセレンに対し、リュテが釘を刺すように言葉をかける。
「先頭にいたら見えない景色がどんなものか、今日ここでしっかりと学ぶんだよ」
逸る気持ちを抑え、セレンはリュテの言葉にうなずいた。
野盗団全体の統制が乱れ、後方へと崩れる。
その瞬間、ダマド野盗団の背後から、イヴァン率いる援軍五百が現れた。
混乱の上に、さらなる混乱が押し寄せる。
後方に敵がいるはずがない。
潜伏可能な場所はすべて確認し、潜んでいた伏兵を追い散らしたのは自分たちだ。
デニゾバ軍などの、後方から迫る敵影がなかったことも、見張りを立てて確認していた。
安全なはずの背後を塞がれ、完全に退路を断たれた野盗団の秩序は完全に崩壊した。
大型弩砲の射程から野盗団が抜けると、モランも追撃に加わった。
千と五百に挟まれ、数的優位も失った野盗団の逃げ場が完全になくなる。
そこにミランとラニから小隊の派遣指示が届き、モランとリュテが正確に手配することで、野盗団は小集団に分断されて包囲され、各個撃破されていく。
戦いの趨勢は一瞬の逆転劇によって定まった――。
「逃げるぞっ!」
そう言ってダマドがイドリスの駱駝の手綱を掴む。
あまりの事態の急変に思考がついて行かず、茫然自失するイドリスは、ダマドの言葉に反応しない。
だがダマドは構わずイドリスを連れて行く。
「死にたくねえ奴は俺に続けっ! 俺たちは野盗だっ! 兵士じゃねえっ! 負けようが、逃げようが知ったことかっ! 生きてりゃそれでいいんだっ!」
恥も外聞もないダマドの言葉だったが、元々生き方に矜持など持たない野盗たちにはわかりやすかった。
とにかく死なないこと。
生き残りさえすれば、いくらでもやり直せるということを彼らはこれまでの生き方から学んでいる。
その執念がもう少しまっとうな方向に向いていれば別の生き方もあったかもしれないが、階級と差別によって生きる世界に高い壁が存在するゾンでは、正しく生きること自体が難しい。
彼らに選べた野盗以外の人生は、どれも搾取される側の人生であり、少しでもマシな生き方は野盗になる以外になかった。
生まれによって選べる人生が存在しなかった彼らの人生には同情の余地がないでもないが、罪もない者たちから奪うことで食と快楽を得てきた以上、その罪が許されることはない。
そうと知っていても、彼らには野盗として生きていく以外の道は他に存在しない。
生存本能そのものが悪に直結する彼らが、社会から許されることはなく、ファティマたちと相容れることもない。
降伏が死を意味することを理解している彼らは、死の恐怖から来る混乱を、生へとしがみつく執着によって何とか退け、再び統率を取り戻した。
「いったいあの兵器はなんなんだっ!」
ファティマの策によって油断を誘われ、まんまと敵の罠のど真ん中にハマり込んでしまったことはダマドたちの失態だったが、戦況を決定的なまでに覆したのは、奴隷解放組織が使用していた強力な兵器だった。
「ファルダハンの商人共が裏切ったんじゃねえだろうなっ!」
死への恐怖を払いのけるために、ダマドは怒りに身を任せ、思いつくままに叫んでいた。
「……あり得る」
その意図して発したわけではない言葉に、呆然として固まっていたイドリスが反応する。
「あれほどの武器はデニゾバ軍にもないはずだ。奴隷解放なんて馬鹿なことをほざいている連中に用意出来るような代物ではない」
「じゃあ……」
「ああ、商人同盟が、いや、下手をすればデニゾバ以外の他の領主が奴隷解放組織を操り、デニゾバをより混乱させるために私たちを陥れた可能性すらある」
ダマドとイドリスは知らないが、ファティマたちが使用した兵器は、カーシュナーの科学的分野を支えるヨーリーンを中心とした者たちによって開発されたものだ。
これに並ぶだけの性能を有する兵器は、デニゾバ軍どころかゾン正規軍にすら存在しない。
イドリスの推測は全くの見当違いなのだが、ファティマたちが用いた新型の大型弩砲は、それだけの誤解を生むほどの威力だったのだ。
ましてやゾン人の有力者が誰一人その存在を認識出来ていないカーシュナーを、イドリスの情報力で見抜けという方が無理な話であり、むしろイドリスが導き出した推測は、手に入れられた情報から導き出されるものとしては、もっとも現実味のあるものだった。
「ここまで来たというのに……」
挫折感のにじむ言葉がイドリスの口から漏れる。
「馬鹿野郎っ! 東部辺境の支配権はまだ俺たちが握ってんだっ! こんなところで死んでたまるかっ!」
諦めてしまったイドリスを、ダマドは怒鳴りつけた。
たとえここで多くの手下を失おうと、百も残れば東部辺境の支配は難しくない。
非正規戦闘集団の戦いは、軍と違って公になることはない。
つまりこの敗北も広がることはない。
仮に広がったとしても、百の戦力があれば孤立ている辺境の集落ではどうすることも出来ない。
世の中が乱れている現状、野盗の補充など造作もなく、勢力を回復させることはわけもないことなのだ。
「ファルダハンの商人連中には、きっちりと落とし前をつけさせるぞ」
ドスの利いたダマドの言葉に、イドリスがようやく息を吹き返す。
「その後で、今日の借りを返そう」
ファルダハンがあるであろう方向を睨みつけながら、イドリスが奴隷解放組織に対する報復を口にする。
元商人であったイドリスにとって、その対抗意識は今も商人にある。
戦は軍人のものだ。
戦に敗れること自体、イドリスにとっては成り上がるための一つの手段の失敗に過ぎない。
そもそも戦うことしか頭にない軍人のことを、イドリスは下に見ている。
指揮官と兵士が揃えば戦えると思っている大馬鹿が世の中には多いが、兵糧が整い、武器防具や、それらの運搬手段、さらには補給線の整備と、あらゆる準備が整って初めて指揮官と兵士たちの出番となるのだ。
イドリスに言わせれば、軍資金があってはじめて戦は始められるものであり、戦の英雄など、金を稼げる者の足元にも及ばない。
事実関係とは全く異なるのだが、イドリスの意識はファルダハンの商人たちに向けられ、結果として頭の冴えを取り戻すことになった。
「ダマド。使えない奴はいらない。精鋭を残して後は切り捨てる。選別してくれ」
「任せろ。そのつもりだ」
ようやくまともになった知恵袋に手綱を返すと、ダマドはうなずいた。
素早く命令を下すと有力な部隊を呼び寄せ、それ以外の部隊を外側に配置し、体勢を立て直すための時間稼ぎに使う。
百も残ればと考えていたイドリスであったが、まさかの大敗北にも我を失わず、即逃げに徹したダマドの対応力により、三百の兵が残った。
二千の内千七百を失うことが確定したが、軍と違って元々がならず者の寄せ集めだ。
敗戦の責任を求めてくる領主もいないため、被害規模に絶望することがない。
自分が生き残ることだけを考えた野盗たちの悪あがきが始まった――。
◆
「おいっ! 早く行けっ!」
小声で怒鳴りつけてくる野盗を無視して、ジャナワルは周囲に警戒の目を配る。
大きく戦場を迂回したジャナワルとそのお目付け役たちは、戦況はおろか、奴隷解放組織の秘密兵器である大型弩砲の存在すら知らぬまま、奴隷解放組織本陣の後方に辿り着いていた。
味方の侵攻速度が速過ぎて、身を潜めながら接近を試みていたジャナワルたちは、後退を続ける敵本陣に辿り着けないままここまで来てしまっていた。
後退はしているので味方が優勢なのはわかっているが、崩れたようには見えない敵本陣に、勝敗はまだ決していないと考えたジャナワルのお目付け役たちは、当初の目的である敵大将の暗殺を遂行しようとしていた。
だがその能力を有しているのがジャナワルだけなので、当人たちにどれほどやる気があっても、ジャナワルが思い通りに動いてくれなければどうすることも出来ない。
何に気を取られているのかわからないお目付け役たちは、ようやく辿り着いた敵本陣が再び動く前に、何とかジャナワルを送り出そうと四苦八苦する。
お目付け役の男たちがどうやって任務を理解させようかと悩んでいたその時、不意にジャナワルが潜伏場所から飛び出す。
それまで耳が聞こえていないのではないかと思うほど男たちの言葉に耳を貸そうとしていなかったジャナワルであったが、動き出せば一瞬で敵本陣へと向かって姿を消した。
「行くなら始めからさっさと行けよなっ!」
意思の疎通が難しいジャナワルに苛立っていた男の一人が、舌打ちと共に小声で罵る。
お目付け役と言ってもジャナワルは誰にも制御出来ない存在だ。
道に迷わず、無事敵本陣にけしかけられた彼らは見事任務を果たしたと言える。
正規の軍人でもない彼らが、ここで気を抜いてしまったことを責めるのは酷だろう。
扱いの難しいジャナワルを送り出し、一息ついた直後。
彼らの背後に複数の人影が忍び寄る。
野盗たちは誰一人気づいてはいない。
彼らは油断の代償を、自分たちの命で支払うことになった。
わずかな物音すら立てずに移動していたジャナワルは、同行者たちが殺されたことを鼻腔に届いたわずかな血の匂いから察した。
敵本陣に辿り着いた時、ジャナワルは自分たちの存在を捉えている視線に気がついていた。
そのことを伝えなかったのは、その必要を感じなかったからだ。
このまま逃げようか?
今、この瞬間、ジャナワルが真っ先に考えたことだ。
ジャナワルは幼いころに色素異常によって全身が見事なまでの豹紋斑模様になってしまった。
加えてゾン人女性はおろか、男性と比較しても抜きん出た身体の成長に、父親から悪霊憑きを疑われ、殺されそうになった。
危険を察知した母親が、ジャナワルを鉱山地帯に逃がしたことにより一命を取り留めたが、以降ジャナワルはデニゾバの辺境地帯で厳しい生活を余儀なくされた。
何とか生き繋いでいたジャナワルは、いつの間にか人々から獣人と間違われ、恐れられるようになった。
もっとも人の住まない辺境であったため、人里近くを避けることで衝突もなく時間は流れた。
だがある時、ダマドがジャナワルの情報を耳にし、本物の獣人なら見世物として高く売れると考え罠を張ったことでジャナワルの運命は大きく変わることになった。
蛇や蜥蜴などを主食としてきたジャナワルだったが、この年はゾンでも記録的な酷暑となり、ただでさえ少ない食料である小動物たちが死んでしまい、餓死寸前の状態に追い込まれていた。
主要な水源も干上がってしまい、まともに動くことも出来ない時に、運悪くダマドが現れ、普段であればけして掛かるようなヘマはしないその罠に、掛かってしまったのだ。
罠にかかりはしたが、大人しく捕まるジャナワルではない。
もはや体力などとうの昔に尽きていたが、それでも必死で抵抗した。
死者こそ出なかったが、息も絶え絶えの少女に、ダマドの手下たちは全員叩きのめされた。
空腹と体力の限界から餓死寸前だったジャナワルを、ダマドが持ち前の怪力で何とか取り押さえ、ダマドたちはジャナワルの捕獲に成功した。
手下たちはジャナワルの肌の模様を見て、高く売れると歓喜したが、ダマドはジャナワルの珍しい見た目以上に、その優れた戦闘能力に目をつけた。
売るのではなく戦闘奴隷として手元に置くことに決めたダマドに手下たちは不満を持ったが、その後のダマド野盗団の快進撃は、ダマドとは異なる戦闘能力を有するジャナワルの存在により、加速することになった。
イドリスを加えて現在の形が出来上がると、十人にも満たなかった野盗団は次々と敵対関係にある野盗団を倒してその縄張りを吸収し、瞬く間にその数は百人に達し、デニゾバ南部を牛耳る野盗団の一角を成すまでになった。
戦闘奴隷に身を落とすことになったジャナワルであったが、辺境で一人で暮らすよりも安定して食料を得られることから、そのまま大人しくダマド野盗団に身を置いた。
言葉がわからない振りをし、獣のように振舞っているのは、男ばかりの野盗団の中で己が身を守るためだ。
なので、言葉は当然わかる。
家族の元から逃れて以降は会話をすることはなくなってしまったが、辺境の地で子供が一人で生きるには、生き方を自分で考え出さなくてはならない。
教え導いてくれる者がいないため、言葉を忘れるどころかその思考は常に高速で回転を続けることを強いられ、獣の様な生活とは裏腹に、ジャナワルの知性は磨き上げられた。
自分の容姿が平穏な生活とは無縁であることを理解しているジャナワルは、ダマド野盗団を離れても、身を寄せられる場所がないことも理解していた。
弱い者たちから奪う野盗の暮らしをいい事とは思っていないが、ジャナワルが何をどう考えようと、世の中はジャナワルを否定し、存在することすら認めようとしない。
好むと好まざるとにかかわらず、ジャナワルは他の野盗たち同様選択の余地なく野盗として生きざるを得なかった。
だが組織が大きくなるにつれ、ジャナワルの存在意義は次第に薄れていった。
個の力よりも数の力がダマド野盗団の主軸となったため、知能が低く扱いにくいと思われているジャナワルの利用価値が低下したのだ。
この辺りはそう見えるように仕向けた結果なので、今さらジャナワルにもどうすることも出来ない。
戦力としての評価が下がるにつれ、ジャナワルを足手まといと断じ、当初の目的通り見世物にしてはどうかという意見が出始めた。
ジャナワルの実力を正しく把握し、自分たちの置かれた状況を甘く考えていないダマドはこれまでそういった意見を鼻で笑い飛ばしてきたが、ファルダハンを手中に収めるところまで来たとき、ついにジャナワルの存在に見切りをつけることを考え始めた。
実際には見世物として売り飛ばそうとかを考えたわけではない。
ただ、これまでの様な利用価値をジャナワルから感じなくなっただけの話だ。
だがジャナワルがダマド野盗団に居場所を確保出来ているのは、ひとえにダマド一人の意思によるところが大きい。
切り捨てられずとも、必要とされなくなれば同じ結果に辿り着く。
そこでジャナワルは自分自身に二つの選択肢を用意した。
ダマド野盗団を離れて再び辺境に逃げ込むか、敵大将を倒して改めて自身の有用性をダマドに示すかの二択だ。
敵の存在を捉えながら警告しなかったのは、お目付け役を排除するため。
これで仮に逃げても、逃げたという事実がダマド野盗団に知られることはない。
ダマド自身は陰湿な性格ではないので問題はないのだが、裏切りを良しとしない者は多い。
堅気の人間と違い、頼れるのは仲間だけという犯罪組織にはよくあることだ。
また、組織としての規律を守るためにも、厳しい対応が必要な部分でもある。
この場合、お目付け役の死体が発見されれば、戻らないジャナワルも任務に失敗し、死んだものと判断され、ダマド野盗団から追手を出される心配はない。
逆に任務に成功した場合は、お目付け役が全員死んでいても問題にはならない。
ジャナワルは最悪任務に失敗し、逃げることになったときは、彼らの口を封じるつもりでいたので、敵が始末してくれたことはむしろ好都合だった。
敵からの追手の気配はない。
どうやら敵は、発見したお目付け役が潜入を図ろうとしていた者全員と考えたのだろう。
発見されたことには気づいたが、暗殺のために派遣された人員の全容までは把握されていないだろうとジャナワルは読んでいた。
もし正確に人数まで把握されていたら、囲まれる前にジャナワルがその場を脱したことに気づき、即座に追手を放ったはずだ。
それがないということは、自分の存在まではまだ気づかれてはいないということだ。
だとすれば、任務はまだ生きている。
このまま敵大将を討つことが出来れば任務を達成することが出来る。
任務さえ果たせば、お目付け役が死んだことなど気に留める者はいない。
ことに今回の様な暗殺任務であれば、敵に発見されること自体が任務失敗の原因になりかねないので、むしろ死んで当然と考えられて終わりだ。
物音一つ立てずに進む。
おそらく背後を守るつもりで岩場を背にして布陣したのだろうが、岩場に隠れる蛇や蜥蜴を追いかけて生きていたジャナワルにとってはむしろ身を隠して近づくための足場を提供してもらっているようなものだ。
案の定近づいてみると、敵大将がいるであろう天幕の背後に見張りの兵は出ていない。
見晴らしの良い地形に移動したことにより、ダマド野盗団の全体が把握出来たことで背後を衝かれる心配がなくなったからだろう。
それでもジャナワルは警戒を解かず、しばらく敵本陣の動きを観察していた。
どうやら敵は反撃に転じているらしい。
時折現れる伝令の足取りは軽く、警備の兵から緊張感は感じられない。
ここまで押し込んで来た速度を考えると信じ難いが、どうやら味方は戦況を覆されたようだ。
その方が都合がいい。
ジャナワルはそう考えた。
勝ちの決まった戦で今さら大将首を取ったところで、軍ではない野盗の集まりではたいして評価はされない。
不利な戦況を覆してこそ、ジャナワルの評価も上がるというものだ。
続いていた伝令の行き来が途絶える。
どうやらかなり戦線を押し返しているようだ。
警備の兵士の意識が完全に前を向き、本陣天幕の背後が隙だらけになる。
行くか、逃げるか。
ジャナワルはここが判断の分かれ目だと悟った。
迷いは一瞬。
ジャナワルは這い寄る猫科の大型獣のように、その大きな身体から気配を消し、音もなく忍び寄る。
そして天幕の端に手を掛け、一気に飛び込む。
そこでジャナワルが目にしたのは、自身に落ちかかる網の目だった。
咄嗟に短剣を振るうが、次々と網を投げられ、身動き出来なくなってしまう。
そしてすかさず網を引かれ、ジャナワルは地べたに這うことになった。
不意に影が落ち、ジャナワルは影を睨みつけた。
天幕の入口からの逆光によって目顔がわからない相手が口を開く。
「ようこそ、エミーネ」
ジャナワルは懐かしいその言葉に心底驚き、言葉を失った――。
なるべく早めに(その2)を投稿したいと思いますので、今しばらくお待ちください。