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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
117/152

援軍

 更新が遅れがちで申し訳ありません。


 状況がなかなか落ち着かず、時間を取るのが難しいのですが、なんとかもう少し早く書けるように努力したいと思います。


 ここのところずっと月一投稿ですからね。

 週一は無理としても、月に二本はなんとか上げたいです。

 じゃないといつまで経ってもカーシュナーの出番が来ないですからね(苦笑)


 それではヴォオス戦記の本編をどうぞ!

 ゾン最南端の地デニゾバから端を発した奴隷解放運動は、意外なほどの早さでその勢力を拡大していた。

 奴隷解放という言葉は、奴隷市場を牛耳るゾンにおいて、古くから聞かれる言葉であった。


 言葉が存在した理由は、ゾンが奴隷大国だからだ。


 奴隷という立場から解放されたいと願う人々の怨嗟が、解放という言葉を生み出すのは当然であり、ゾンが変わらずゾンであり続ける限り、解放を求める声がなくなることはない。


 過去においても奴隷の反乱は幾度となく起こり、時にはいくつかの貴族領が滅びることもあった。

 だが、先の展望を持たない勢いだけの力は必ず減速し、解放を許さない権力者たちによって握り潰された。

 奴隷解放とは、ゾンに常に存在する火種であり、何時何処いつどこから火の手が上がっても何の不思議もない。

 南方民族の地における奴隷狩りが封じられてしまった現在、奴隷落ちはより身近な危機となり、人々の不安を煽り立てている。

 高尚な思想などなくとも、奴隷落ちの不安から奴隷解放を口にする者が出てくるのは必然であった。


 デニゾバで起こった奴隷解放運動は、強い反発を招いた当初と打って変わって、一定の共感を呼びながら北上し、デニゾバの隣接領であるナルバンタラーで一気に燃え上がった。

 主要都市部にまではまだ及んでいないが、辺境集落では奴隷による反乱が頻発し、ナルバンタラー軍本隊まで動き出す事態となっている。


 混乱はこれだけでは収まらない。

 広がる混乱に乗じ、各地で野盗団が大胆に行動するようになり、反乱とは異なる被害が各地で広がり始めていた。

 この事態に、成り上がりの機会を求めてゾン南部を訪れていた商人たちまでが加わり、混乱に拍車が加わると同時に一種異様な活気までが加わってしまい、ゾン南部は一領主の力では制御出来ない状況にあった。


 デニゾバ領南東部辺境――。


 この地でも、混乱に一つの方向を定めることになる戦いが始まろうとしていた――。









 デニゾバ東部はこれまで辺境を牛耳っていた一大野盗団が突如姿を消したことによる野盗団同士の力の均衡が崩れたことにより、情勢を大きく変化させていた。

 これまでデニゾバ東部の南方の一角にその縄張りを広げていたダマド率いる野盗団が、その野心を抑えつけていた目の上の瘤的こぶてきな存在が突如消え失せたことで北上し、一気にその縄張りを拡大したのだ。

 この動きを受け、各辺境に潜伏していた野盗団も勢力拡大に動き出し、各地で奴隷狩りが横行するようになった。


 これに対し奴隷解放運動を行っていたファティマは、結果として奴隷狩りを行う野盗団と戦うことになった。

 奴隷落ちを恐れて野盗に身を落とす男たちが続出する中、権力と暴力に抑えつけられどうすることも出来ない女たちを、ファティマは救い出し、保護していた。

 状況に流され、従うしかなかったこれまでの人生から、いきなり状況に抗い、男たちを薙倒して戦うファティマと出会った女たちは、これまでの人生観を根底から覆されていた。


 多くが混乱し、自身の常識から大きく外れた存在であるファティマに恐怖を覚える者も多く存在した。

 だが、感情を押し殺し、何かを楽しんで生きることすら許されない人生を歩んで来た女たちは、男たちを従え、堂々と生きるファティマの姿に、強烈に惹かれる者も多く存在した。


 強烈な輝きを放つ存在がファティマだけであれば、あるいは彼女たちはこれまでの人生がそうであったように、自身の自由と思考を放棄する代わりに、依存して生きる道を選んだかもしれない。

 だが、先を行くファティマを猛烈な勢いで追いかけようと努力するセレンの存在が、彼女たちに考えること、選ぶこと、何よりそれが許される自由が自分たちにあるのだということを教えた。


 セレンは身体こそ大きかったが、覚えが悪く、不器用だった。

 才能という意味で言えば、彼女はそれを持たない人間だった。

 だが、心を失くしてしまったセレンが、自分を取り戻す始めの一歩として手にした剣を放すことはなかった。


 これしかないという想いが、がむしゃらにセレンを前へと進ませた。

 剣を振る手のひらがぼろぼろになるのは当たり前で、踏み込みを繰り返す足の裏の皮までぼろぼろになっていた。

 素振りが様になって来てようやくファティマたちに稽古をつけてもらえるようになると、セレンのぼろぼろ加減は折檻を受けてもここまでにはならないだろうという有様になった。


 そこまでぼろぼろになるとさすがにギュナが止め、男たちも稽古を受けてくれなくなったが、ファティマだけは別だった。

 どれ程傷つこうが、セレンが自分の意思で立ち上がる限りは徹底して厳しく接した。


「赤玲騎士団の訓練はこんなものではなかったぞ」


 凄むわけではなく、ごく当たり前のこととして告げられる事実がさらにセレンを突き動かし、再びファティマの前に立たせた。

 繰り返す稽古に技術は遅々として向上しなかったが、その効果は肉体の方に顕著に表れ始めた。


 性奴隷として過酷な重労働とは無縁だったセレンの手足は、細くて長く、しなやかで美しいものだった。

 だが、ファティマの「食わないと強くはなれない」という言葉と、カーシュナーから送られてくる十分な食料のおかげで、しなやかで美しかったはずの手足は、しなやかで強靭な筋肉の塊と化した。

 当然筋肉は手足にだけつくものではない。

 努力の域を超え、もはや自分で自分を虐待しているに等しいほどの修練は、その肉体を急速に戦士の肉体へと変えていった。


 この変化を目の当たりにし、一番強い衝撃を受けたのは、ファティマやその仲間たちではなく、助け出され、保護されていた女たちだった。

 元女奴隷だけでなく、家に縛り付けられていた女性たちも、内向きの仕事はすべてこなさなくてはならなかったため、肉体的にはセレンよりもはるかに基礎が出来ていた。

 自分たちよりも細い手足のセレンが、あっという間に並みの男よりもはるかに逞しい肉体へと変貌を遂げていく様は、まさしく目に見える可能性そのものだった。

 彼女たちが剣に手を取ることを決意するのに、それほどの時間は必要なかった。


 それからの変化は目を見張るものがあった。

 肉体の変化が精神までも変化させ、一人一人が自分の意思をはっきりと持つようになった。

 性格的に戦いが不向きな者たちも、自分を卑下するのではなく、ファティマたちから様々なことを学び、なかには武具制作に取り組み、あっという間に一端の鍛冶職人になる者いた。

 避難所然としていたはずのファティマたちの拠点は、瞬く間に武装集団の活動拠点らしくなっていった。


 カーシュナーから食糧支援という大きな後ろ盾こそ得ているが、ファティマの奴隷解放運動は、あくまでファティマの努力によって拡大しなくてはならない。

 ヴォオス人であるカーシュナーが先頭に立っては、反乱は起こせても、最終的な変革は起こせない。

 このままカーシュナーの力だけでゾンから奴隷制度が撤廃された場合、ゾンの社会構造は徹底的に破壊されてしまう。


 そうなればゾンという国は滅び、その後に構築される新たな生活、経済活動の中心からゾン人は弾き出され、意識改革が出来なかった者たちは、各地をさまよった末に滅びることになる。

 その流れは、滅びることになる王族、貴族だけでなく、老若男女問わず弱者をも巻き込み押し流す。

 回避するにはゾン人の手で奴隷制度を廃し、その上で新たな社会構造と生活基盤の構築を成さねばならない。

 自身の理想もあるが、カーシュナーというある意味ゾンにとっての最大の敵が隣にいることで、ファティマは迷わず前に進むことが出来ていた。


 ゾンにとって最も過ごしやすい季節である冬が訪れた。

 だが、冬の影響はゾン中央部までが限界で、ファティマたちが拠点を構えるゾン南部地方に明確な冬は訪れない。

 大陸全土を覆った終わらない冬ですらこの地を雪で閉ざすことは出来ず、むしろ過去にない快適な気候をもたらすに止まった。


 暑さが和らぎ、過ごしやすくなったこの時期に、ゾン南部八貴族領は燃え上がろうとしていた。

 ファティマやカーシュナーの意図とは異なる反乱が各地で発生するようになり、野盗団の動きも活発になっていた。

 これに対しデニゾバ軍もよく働いていたが、隣接する他の貴族領が不審な動きを見せるため、境界線上に兵を配置せざるを得ず、領内の治安維持は難しい状況が続いていた。

 

 野盗団に滅ぼされる集落が多かったが、なかには武装化を図る集落も出てくるようになり、集落同士で奴隷の奪い合いが起こるようになった。そして、そこに奴隷商人たちが加わったことで、抗争はさらに激化し、加速した。

 じわじわと領内全体に戦火が広がり出し、混乱に拍車がかかったとき、ダマド率いる野盗団が南下を開始した。


 ゾン南部における奴隷売買の大きな拠点の一つである都市ファルダハン。

 この都市の支配権を得るために、ダマドは動いたのだ。

 ファティマの奴隷解放組織が成長したように、ダマドの野盗団もその勢力を拡大していた。

 質は劣るものの、その全体兵力は二千を超え、もはやデニゾバ軍が全軍で当たったとしても、容易には討伐出来ないほどの勢力と化していた。


 デニゾバ東部は完全に領主とダマドによる二重支配の構造と化し、搾取される側の人間たちは限界以上に吸い上げられ、困窮した。

 これ以上の勢力拡大も問題だが、支配下にある集落の人々を助けるため、ファティマはダマドの野盗団を討つことを決めた。


 この時の解放運動組織の兵力は千。

 数字だけを見れば倍以上の敵を相手取らなければならない圧倒的不利な状況である。

 だが、デニゾバ領主から見れば両組織とも反抗勢力でしかないが、領民にとってはそうではなく、独自武装した集落などの組織外の勢力は、奴隷解放組織と友好関係を結んでいる。

 これらの組織と連携すれば、その戦力差は二千対千五百にまで縮まり、不利ではあっても戦い方次第で十分覆せる戦力差となる。


 加えて、戦場を開けた土地に設定することが出来ない点で、ファティマたちは数的不利を埋めることが出来た。

 デニゾバ軍からすれば犯罪組織であるダマド野盗団が討伐対象であることはもちろんだが、むしろ奴隷解放を謳う思想犯である解放運動組織の方が、統治者にとっては致命傷になりかねない存在だ。

 この両組織が衝突するのであれば、デニゾバ軍は当然漁夫の利を狙い、両軍の戦いの決着後、両組織討伐に乗り出す。

 中央に近い開けた土地での戦闘は、デニゾバ軍の介入を許す可能性が高く、それはファティマたち以上に、ダマド側にとってより不利な状況を招く。

 結果として両勢力の激突は、デニゾバ南東部の辺境に限定された。


 そして戦端は、三者の(、、、)思惑通り、デニゾバ南東部の、名もない辺境で開かれることになった――。









「予定通り、反逆者たちは南東部の辺境でぶつかることになりそうです」

「ファルダハンという餌に、まんまと食いついたな」

 腹心であるハムザの報告に、デニゾバ領主セキズデニンはにんまりと笑う。 


 ダマドが名を上げるにつれ、その素性も明らかになった。

 セキズデニンの密偵は優秀で、首領であるダマドと、その頭脳とも言うべき存在であるイドリスに関する情報を徹底的に洗い出していた。

 ハムザがまとめて提出した報告を受け、セキズデニンはダマドとイドリスの人となりと、その野心の大きさを正確に測り取り、野盗の割に意外と冷静なこの両者が食いつく餌として、ファルダハン攻略の元となる情報を流したのだった。


 この時点でイドリスはセキズデニンの手のひらの上で踊らされている。

 イドリスの頭脳は優秀だが、見てきた世界の大きさの違いが、セキズデニンとの間に決定的な差を生み、優秀であるがゆえにセキズデニンが用意した正解を、踏み外すことなく辿ってしまっている。

 その視野にデニゾバを納めているイドリスと、南部八貴族領の先に、大貴族の椅子を見ているセキズデニンでは、謀の大きさそのものが違うのだ。


「奴隷たちの解放も(、、、)順調に進んでおります」

「進軍の準備は?」

あわせて進めております。解放作業の終了とほぼ同時に動かせるかと」

 ハムザの答えに、セキズデニンは満足そうにうなずいた。


「オメルは?」

 セキズデニンは、その能力を信頼するもう一人の配下について尋ねる。

「予定通り南西部から北上しつつ、反乱者どもが掲げている奴隷解放の理念を奴隷たちの耳に心地良い形に捻じ曲げながら広げ、反乱を起こさせつつ、その流れをナルバンタラーに拡大しております」


「ナルバンタラーの状況は?」

「領主であるエバべキルは奴隷たちによる反乱に激怒し、ナルバンタラー全軍をもって、事の鎮圧にあたっております」

「心の臓か頭の血管が破れて死ななければよいがな」

 大きく張り出した腹を抱えて泡を吹くエバべキルの姿を想像し、セキズデニンが意地悪く笑う。


 ゾン人において肥満は富の象徴で、晩年を享楽的に過ごすこともあり、富裕層のゾン人は大半が老いて肥え太る。

 齢六十のエバべキルも例外ではなく、自分の足も見えないほどの見事な太鼓腹の持ち主だった。

 セキズデニンが皮肉で口にしたように、極度の興奮が死を招くことも往々にしてある。


「オメルに支援物資を送れ。ナルバンタラーの戦火を拡大させろ」

 他にも細々(こまごま)とした指示を出す。

 一度の指示でそのすべてを記憶したハムザが退室すると、セキズデニンは執務机の上に大きく広げられた地図に視線を落とした。


「解放者か。陳腐な称号ではあるが、貰っておいてやる」

 デニゾバ南東部に置かれた駒の一つ。

 奴隷解放組織を表す小さな駒を、セキズデニンは取り除いた――。









 今ではデニゾバ東部を牛耳るまでにその勢力拡大させたダマドは、デニゾバ最南端の都市ファルダハンを手中に収めるべく南下していた。

 イドリスのかつてのコネからファルダハンを中心に活動している一部の奴隷商人たちが配下に加わり、現在ファルダハンの奴隷市場を支配している奴隷商人勢力を討つのが目的だ。


 ファルダハンに配置されている役人たちはすでに商人たちが取り込み済みで、あとは実質的支配権を奪い取れば、ファルダハンはダマドの支配下に収まる。 

 金がものを言うゾン社会では、管理こそ役人が行うが、その役人を抱き込めるだけの財力があれば、その経済圏を支配することが出来る。


 もっとも、それにより領主の税収が減るようなことになれば、領主も見過ごすことはない。

 都市を裏側から支配しようと企てる者は、それ相応の実力が必要であり、領主が配する役人以上の利益がもたらすことが絶対条件なのだ。

 もっともそれは、権力以上に財力が大きな力を持つゾンだからこそ成り立つ特殊な関係であり、他の国であればどれほどの利益をもたらそうと、権力こそがすべての貴族が相手では成立しない。


 ダマドも自分一人であれば都市ファルダハンを諦めたかもしれないが、イドリスという頭脳があるから行動に移れた。

 同じようにイドリスも、自身の才覚だけでは都市ファルダハンなど望むことは出来なかった。ダマドというファルダハンの支配層を一掃出来るだけの武力があればこその行動なのだ。


 国王に支配されていない奴隷市場への参入――。


 ゾン全土から、中堅奴隷商人たちが野望を胸にゾン南部八貴族領に集まった。

 国王が絶対の支配権を握る奴隷市場は、大陸を股に掛けて活躍する大商人たちによって牛耳られている。

 だが、市場規模の小さい南部八貴族領の奴隷市場は、大商人たちの支配圏外となっており、中堅規模の奴隷商人でも市場に食い込むだけの余地があった。

 これまで南部八貴族領で奴隷市場を独占していた奴隷商人の規模は集まった中堅商人たちより頭一つほど抜けている程度でしかなかった。

 それでも一人一人では市場を独占している商人たちには到底敵わない。

 野心むき出しで集まった中堅商人たちにとっては、市場を独占している商人は当然敵だが、同じ立場にある他の中堅商人たちも同じく敵だ。

 新規参入者たちは古参の足を引っ張りつつ、競争相手を蹴落とすことにも躍起になっていた。

 

 だがこれまで協調することのなかった中堅商人たちも、このままでは手ぶらで帰るどころか南部八貴族領に投資した分の損失で破産しかねない状況が見えてくると考えを変えざるを得なくなった。

 危機感が高まったところで一人の商人が己の利益を脇に置いてまで調停役に回ったことで、ファルダハンの新興勢力とも言うべき中堅商人たちの同盟が誕生した。

 商人なので同盟というより、組合と呼ぶべきなのだろうが、その目的が血を見ることを辞さないものであるため、商人たちはあえて自分たちが結んだ関係を同盟と呼び、犯行組織であるダマド野盗団と手を組む覚悟も決めたのだ。


 こうして誕生した中堅商人同盟がイドリスと繋がり、ダマド野盗団の南下を呼び込んだのである。


 デニゾバ東部辺境を完全に支配下に置き、デニゾバの北東部に位置する南部八貴族領サーヴェリラとの奴隷取引で利害関係による相互不可侵を成立させたダマド野盗団は、犯罪組織であるにもかかわらず、辺境地帯とはいえ人目をはばかることなく堂々と行軍していた。

 そして、この先で辺境地帯の支配者から、南部八貴族領の裏勢力へと格上げを賭けた戦いが待っていることを、彼らは正しく理解していた。


「あの時邪魔をしやがった連中が、奴隷解放組織(イカレ野郎共)の親玉だったとはな。丁度いい。あの時の借りを返して、ついでに全員ファルダハンで売り飛ばしてやるぜ」

 商人同盟の情報網のおかげで奴隷解放組織の動向を把握しているダマドは、その勢力が予測ではあるが自分の野盗団の半数程度でしかないことも併せて把握していたため、既に勝った気でいた。


「つまらん正義感で無謀な戦いに挑む。時勢が読めない愚か者は早死にしかしないという典型的な例だ」

 ダマドは以前にめさせられた苦杯に対する怒りから、奴隷解放組織に敵意を燃やしているが、奴隷商人として立身出世を目指していた元商人のイドリスは、奴隷に対する根本的な考え方の違いから、激しい嫌悪感を抱いていた。


「だが、おかげで我々の力をファルダハンを中心とした商人連中に見せつけることが出来る。宣伝材料としては格好の獲物だ。その愚かさには感謝せねばならんだろうな」

 怒り以上の嫌悪を抱くイドリスは、皮肉を口にしつつ冷笑を浮かべた。


「なるほど。そういう見方も出来るのかっ! どうせなら観客を呼んで金を取ればよかったなっ!」

 ダマドはそう言って豪快に笑った。

「呼ばなくとも商人連中は子飼いの密偵を派遣しているはずだ。ファルダハンを牛耳った暁には、たっぷりと支払ってくれるだろう。これから先、ずっと」

 再び放たれたイドリスの皮肉に、ダマドもにんまりと笑う。


「待ち構えているところに攻め込むことになるが、策はあるのか?」

 負けるとは微塵も思ってはいないが、大きな被害が出れば手を組んだ商人同盟やデニゾバ軍が余計な欲を出さないとも限らない。

 力の均衡こそがダマドたちがのし上がるための生命線とも言える。

 デニゾバ軍だけでなく、南部八貴族にとっても脅威となるほど勢力を拡大してしまうと、せっかく仲違いしているデニゾバとサーヴェリラが一時的に手を組み、殲滅に動き出してくる可能性が出てきてしまう。それ故の兵力二千。

 だがこれが半数の千に変わると、デニゾバ軍は動かなくとも、商人同盟がデニゾバ軍につく可能性が出てくる。

 最終的に貴族権力に呑まれるような力を、商人共は取り込もうなどとはしない。

 

「力押しの速攻で倒せれば一番いいが、地形が複雑だ。待ち伏せや罠を仕掛けやすい場所にはしっかりと斥候を放ち、一か所ずつ潰していけばいい。互いに増援はない。数の利を活かして兵力を分散せず、兵力差で圧倒しつつ確実に勝てばいいだけの話だ。兵力を揃えられなかった時点で連中は奇策に頼らなければならない。策のためにさらに細かく分散された兵力など、各個撃破してしまえばこちら側が受ける被害などたかが知れいてる。一番嫌なのは死を覚悟しての正面からの特攻だけだ」

 ダマドの問いに、イドリスは余裕を持って答えた。


「特攻の可能性はねえのか?」

 奴隷解放などを謳う頭のイカレた連中だ。命を捨てての特攻は十分考えられる。

 そんなことになれば、被害は想定よりもはるかに増す。

 商人たちの裏切りを招いてしまえば、ダマドは倒した奴隷解放組織によって足首を掴まれ、ともに死の淵から転がり落ちることになる。

 野盗の身で名誉など気にはかけないが、死に様としては自分たちの手にかかる奴隷解放組織の馬鹿共以下の醜態だ。

 そんな死に方をするくらいなら、ファルダハンなどに色気など出さず、デニゾバ東部辺境の支配者で十分だ。


「特攻はない」

「なんで言い切れる?」

 断言するイドリスに、ダマドが疑わし気に問いかける。

「奴らが愚かではないからだ」

 イドリスの答えはいたって簡単なものだった。


「俺たちはあの集落で連中にしてやられた。デニゾバ東部駐屯所が近かったこともあるが、襲撃に際し、まず始めに緊急事態を告げる狼煙を上げたこと。短時間で俺たちの襲撃をしのぎ切れるだけの防壁を築き上げたこと。素人共を束ね、曲がりなりにも部隊と言えるだけの体裁を整え、これを指揮統率して見せた手腕。頭の中身こそイカレているが、連中を率いている奴は、間違いなく一流の将校だ。だから俺たちは退けられた」

 あの時の屈辱を思い出させられたダマドが不機嫌に唸る。


「頭の切れる奴がこの戦場を選んだんだ。策を弄さずにはおれんだろうし、自信もあるはずだ。馬鹿の行動は読めんが、なまじ自分は頭が切れると思っている奴の行動は予測しやすい。だから断言出来る。特攻はない」

「なるほどな」

 イドリスの説明に、ダマドはようやく納得した。


「本当に忙しくなるのは、この後だ」

 イドリスの視線はすでにファルダハン支配後の世界を見ている。

 元は商人として大きな野心を抱いていたイドリスは、一度は捨てた栄達への道を前に、ダマド以上に気追い込んでいた。

 そんなイドリスに、ダマドは変に警告するような真似はせず、肩をすくめただけで何も言わなかった。


 ダマドはその戦闘能力から野盗団の首領に収まったが、その後の勢力拡大を成功させたのは、その懐の深さにあった。

 ゾン人らしく金に細かいがケチではなく、息の詰まるような独裁体制を敷くことがない。

 そのため部下たちはその能力を十全に発揮することができ、結果として短期間で勢力を、数だけでなく質まで向上させることに成功した。

 

 イドリスの活かし方はその自尊心を傷つけないことだ。

 その知識も知恵も、自分など足元にも及ばないということを認め、受け入れてやる。

 ダマドは計算ではなく天然でやっているが、たとえそれが十人にも満たない小さな集団であったとしても、その集団を率いようと思えば配下の才能を全面的に受け入れるのは難しいことだ。

 ましてやそれが千人をはるかに超える野盗団となれば、部下に能力で及ばないという事実を受け入れるのは、屈辱以上に組織が機能しなくなる危険性もある。

 一つの組織に二人の有力者が存在すれば、割れるのが組織というものだ。


 だが、イドリスはその頭脳と自尊心の高さから、他の野盗たちとはそりが合わない。

 元々野心家の独立商人として活躍していたこともあり、首領となって野盗団を指揮するだけの能力はあるが、肝心の野盗たちがイドリスについて行かない。

 部下たちを引き付けるダマドの求心力と、イドリスを認め、受け入れることが出来る度量の大きさがあってはじめてイドリスはその能力を発揮出来るのだ。


 自尊心は高いが愚かではないイドリスはこの事実を受け入れ、ダマドを活かすことで自分自身が活きるよう行動している。

 無頼の集団である野盗団ではあるが、その集団としての力は並みの軍組織をも上回るものがあった。


「野郎共っ! 目障りな連中をさっさと片付けて、ファルダハンで一杯やるぞっ!」

 ダマドのらしい掛け声に、野盗たちは気勢をあげた。

 戦意(みなぎ)る集団は、戦場目指し速度を上げた――。









 そこはかつて鉱山町として栄えた集落の跡地。

 廃鉱となって人が離れ、今では無人の廃墟と化している。

 ゾン南部の辺境には、このような場所が無数に存在している。

 開拓期にはゾン中から人が集まり、蟻が巣を作るように、あらゆる鉱山に穴を穿って行った。

 蟻と違うのは、欲望の赴くままに掘り進めた結果、自分たち自身を掘り出した鉱石の代わりに埋めるという愚かな結末に辿り着くところだろうか。


 天井の抜け落ちた家屋の中で、ファティマは古い地図を広げていた。

 鉱山地帯を測量したもので、鉱山としての利用価値のなくなった今では二度と作られることのない貴重品だ。

 その側には簡易拡大されたもう一枚の地図が広がっており、各部隊の配置が済んでいる。

 兵士を模した小さな駒は奴隷解放組織の部隊だけでなく、ダマド野盗団の分も用意されており、明日展開されるであろうはずのその配置もすでに済まされている。


「この配置で行こうと思います」

 自分同様地図を子細に眺めていた二人の人物に、ファティマは告げた。

 告げられた二人も、作戦及び配置に穴がないことを確認し、大きくうなずく。


「地形が複雑なのはありがたいけど、やっぱり連携が難しくなるね」

 言葉ほど心配はしていないのが一目でわかる明るい笑みを浮かべてそう言ったのは、元奴隷の少年ミランだった。


「練兵はしっかり出来ているし、戦場全体を俯瞰して見れる指揮官が三人もいるんだから問題ないわ。むしろ地形条件は同じなんだから、地形の把握で勝っている分私たちの方が野盗たちの連携を切り崩しやすいわ」

 ミランの言葉に応えたのはファティマではなく、南方民族の地から姉妹揃ってカーシュナーについて来てしまった三姉妹の末妹ラニだった。


 今回の戦いは奴隷解放組織にとっては初めての大規模戦闘となる。

 軍組織化が目的で集まった集団ではなく、救出された元奴隷や女性たちが、自衛を前提として戦闘集団化したこともあり、質、熟練度共に、練度は十分でもその仕上がりはまだ若い。

 実力では上の若者が、実力に陰りが見え始めて来た年配の兵士に足元をすくわれることがよくあるように、初陣の彼女たちがその実力をすべて発揮することは難しい。

 ましてや部隊の指揮を執るにはあまりに経験が足りない。


 ファティマをこれまで支えて来た幹部たちも、実戦経験が豊富で、個人としての力量は十分なのだが、これが指揮能力となると話が変わってくる。

 個人の強さと指揮能力は、全く別のものであり、戦局を大きく左右するのは、シヴァやオリオン程飛び抜けていない限り、個人の力量ではなく指揮能力の高さになる。

 無能な指揮官が百人の兵士を指揮すると、百人分の力も発揮出来ないのに対して、逆に有能な指揮官が指揮を執れば、数で倍する敵を撃破することも出来る。


 指揮能力は資質に左右されることが大きいく、それは率いる隊の、軍の規模が拡大するにつれ、より大きく影響される。

 だが逆に、率いる兵数が小規模の小隊や中隊などの指揮は、才能によらず、知識と鍛錬を積みげることで身につけることが出来る能力でもある。


 幹部たちの多くが、元々奴隷兵だったこともあり、指揮される立場にあったため、戦場を視る能力が育たなかったのだ。

 現在は新兵たちの訓練を見るかたわら、自身の指揮能力向上に努めているが、付け焼刃では実戦の中で百人の指揮を執るのは難しい。

 軍組織として見たとき、奴隷解放組織の実力は、まだその総数以上の力を発揮出来るだけの域には達していなかった。


 それでも奴隷解放を謳う以上、奴隷狩りを行い、奴隷市場にまで参入せんと南下してくるダマド野盗団を阻止しないわけにはいかない。

 準備が不十分だからと言ってここで手を引けば、ダマド野盗団を武力の中心とした新たな奴隷市場が出来上がってしまう。

 現状でもファルダハンの奴隷市場を攻略することが出来ない状況で、それ以上に強固な市場が完成してしまったら、奴隷解放組織の活動は潰されてしまう。


 自分の組織の状態を正確に把握していたファティマは、まず始めにファルダハンの商人同盟とダマド野盗団の動きを掴んですぐ、デニゾバ軍にその情報を流した。

 だが、デニゾバ軍に動く気配はまったくなかった。

 むしろ領内の奴隷数確保のためなのだろう、領民の奴隷化を黙認している節が確認出来た。


 元々奴隷制度の上にあぐらをかいている者たちだ。

 奴隷解放を謳うファティマたちにとっては味方たり得る存在ではない。

 自分たちの置かれた状況を理解させられたファティマは、奴隷解放組織が不十分な状況でも動くことを決意し、今ある条件で勝利するための策を練り始めた。


 そこに、これまで物資や情報提供などに支援を留めていたカーシュナーから、援軍が送られてきた。

 ミランを筆頭にしたカーシュナーの押し掛け弟子たちである。

 元南方奴隷のモラン。

 ルオ・リシタの元奴隷戦士イヴァン。

 南方民族の三姉妹、リュテ、ティオ、ラニ。

 ファティマにとって同じカーシュナーの弟子である彼らの参戦は、千の軍勢を得る以上に心強い援軍であった。

 彼らの参戦により、奴隷解放組織にとって深刻な問題であった指揮官の不足が一気に解決したからだ。


 今この場にはミランとラニの二人しかいないが、モランとリュテとティオの三人は、指揮系統と連携の確認に出払っている。

 残るイヴァンは別行動となっており、この集落跡地には来ていない。


「しまったっ!」

 その時不意に、カーシュナーの三人の弟子を頼もしげに眺めていたボラが派手な音を立てて額を叩いた。

「どうしました?」

 その芝居がかったしぐさから、緊急を要するようなことではないと察したファティマが冷静に尋ねる。


「セレンのことをすっかり忘れておりました」

「……ああ」

 一拍置いてファティマもボラが何に気がついたか察し、小さくため息を吐く。

「ファティマ、大変っ!」

 そこに、血相を変えたギュナが駆け込み、ボラとファティマは遅きに失したことを悟る。


「どうしたの?」

 セレンと面識のないラニが小首をかしげて尋ねる。

 いまだに少女の域を出ることはないが、部族の<長老>たちを骨抜きにした美貌はさらに磨かれ、何気ないそのしぐさには怪しい色香まで漂い出している。


「あ、あなたのお姉さんたちとセレンがもめているのっ!」

 一瞬ラニの愛らしさに見とれてしまったギュナが、慌てて状況を説明する。

「あら」

 慌てるギュナに対し、ラニから返って来たのは小さな苦笑だけだった。

 隣で聞いていたミランも苦笑を浮かべただけで、動こうとはしない。


「のんびり構えていないで早く止めてっ!」

 業を煮やしたギュナが珍しく苛立ちも露に叫ぶ。

 正直放っておいても問題はなかったのだが、ギュナの精神的負担を考慮して、ファティマはセレンの元へ向かった。

 策も部隊配置も決定した現状で、ファティマ抜きで話し合うようなことは何もなかったミランたちもその後に続く。


 駆けつけたときそこには、部隊の前に仁王立ちで立ちはだかるセレンがいた。

 怒鳴り声をあげているのはセレン一人で、リュテとティオはそんなセレンを面白そうに眺めている。


「あたしはファティマの命令しかきかないっ! 昨日今日来たばかりの連中に命令される筋合いはないっ!」

 ある意味もっともな意見ではあるが、明日に決戦を控えている状況でのセレンのこの反応は、主力である女戦士たちに対するセレンの影響力を考えると、戦況を左右しかねない事態に発展する可能性が高い。


「モランの方はどうなってる?」

 憤るセレンをあっさり無視して、リュテがギュナに尋ねる。

「……ええと、確か指揮確認のために実際に部隊を動かすと言って出て行ったけど」

 質問の意図がわからなかったギュナは一瞬迷いつつも、正直に答えた。


「さすがモラン。まあ、あの見た目だからねえ。余程頭がおかしくない限りは誰も逆らわないよね」

 ギュナの答えに感心して見せたのは、尋ねたリュテではなく、その妹のティオだった。

「私たちもぐずぐずしてはいられないわ。彼女たちの集団戦闘の理解度を確かめるためにも、一度部隊を動かす必要がある」

 セレンの後ろで状況を見守っている女戦士たちに目を向けながら、リュテが言う。


「あたしを無視するなっ!」

 まるで目の前にいないかのように振舞う二人に対し、セレンの怒声が飛ぶ。

 それに対し、リュテは無言でセレンの目の前まで詰め寄る。

 並みのゾン人男性よりも頭一つ抜けた長身であるセレンに対し、リュテは全く劣らない視線の高さで真っ直ぐ見つめる。

 そこには睨みつけるといった凄味はなく、純粋にセレンを見極めようという意志だけがある。

 その視線に対し、セレンは全く怯みを見せないのだが、そのせいでひたすら話がややこしくなっているということに、セレン自身は気がついていない。


「抜きな」

 いきなりそう言うとリュテは後方に飛び、間合いをとる。

 言葉の意図を過たず理解したセレンは、迷わず剣を引き抜いた。

 対するリュテは短剣を左手で鞘ごと構えると、右手には腰に括りつけていたボーラという武器の一つを装備する。

 ボーラとは、石の玉を二つないし三つ皮紐などで繋いだ投擲武器の一種で、今リュテが装備しているのは球が二つのかなり小型のものだ。


「そんなおもちゃであたしの相手をする気かい。舐めるんじゃないよっ!」

 叩きつけられた怒気は鋭いものであったが、リュテは肩をすくめただけでまともに取り合わない。

 それは強さに対し真摯に向き合って来たセレンには到底許容出来る態度ではなかった。

 裂帛の気合と共にセレンが踏み込む。

 剣を取ってまだ一年にも満たないとは思えない程の鋭さに、ギュナが悲鳴を上げたが、リュテは自らもセレンに向かって踏み込みながらあっさりとその剣を短剣で払いのけ、その背後を取る。


 驚愕を顔面に貼り付けながらもセレンはその場で振り向くような真似はせず、踏み込んだ勢いをさらに加速させてリュテの攻撃範囲から逃れた。

 間合いを取り、慌てて振り向いた時には、リュテはすでにセレンの間合いの一歩外にまで迫っていた。

 迎え撃つため振り上げた剣を、セレンは振り下ろさずに一拍置く。

 その動きにリュテは一瞬驚きに目を見開くも、次の瞬間にはニヤリと笑みを浮かべ、セレンの間合いに踏み込むことなく再び距離を取った。

 リュテの動きに合わせてセレンも振り上げていた剣を下ろし、中段に構える。

 一転、両者は動きを止めると静かに正対した。


 ギュナや他の女戦士たちが落ち着きなく両者を見守る中、駆けつけたファティマは冷静に見守っていた。

 わずかな攻防であったが、二人の力量差は明白だ。

 動きが派手だったため他の女戦士たちには上手く伝わっていないが、もしセレンが慌てて迎撃のために振り上げた剣を振り下ろしていれば、その時点で勝負はついていた。

 間合いを外されていることに瞬時に気づき、間合いを合わせるために咄嗟に一拍置いたセレンの反応はたいしたものだが、振り上げた時点で次に出せる攻撃は振り下ろすことだけだ。

 たとえあのままリュテが踏み込んで来て、間合いを合わせて剣を振り下ろせたとしても、その軌道が事前にわかってしまっている攻撃でリュテを捉えることは不可能だっただろう。

 リュテがあえて踏み込まずに間合いを外したおかげで助かったが、そうでなければセレンの対応では敗北を回避することは出来なかったのだ。


「あんたは攻め一辺倒だね」

 セレンと正対しつつまともに構えようとすらしないリュテが、呆れたように肩をすくめる。

「やられる前にやる。そうすれば誰も傷つかない。それがあたしのやり方だ」

 今の攻防でリュテの実力が自分よりも上なのはわかった。

 だが、だからといって引き下がるセレンではない。

 自分がまだ未熟であることなど、日々の修練で十分理解している。

 これから数で劣る戦いに臨まなくてはならないというのに、相手の実力が上だからと引いていて、どうしてこれから先の戦いに勝つことが出来るのかというのがセレンの考えなのだ。


「悪くない。ならやって見せな」

 リュテの挑発に、セレンは迷わず乗る。

 だが少し頭が冷えたのだろう。大振りを控え、リュテの体勢を崩しにかかる。

 振りこそ小さいが、どれも受ければ致命傷の一撃だ。

 さすがのリュテも先程の様に背後を取ることは出来ない。


 右に左に切り払い、虚を衝いて足元まで払っていく。

 しかしどの攻撃も、リュテの身体を捉えるどころか、体勢を崩すことすら出来ない。

 セレンは並みのゾン人男性よりも一回り身体が大きく、力の戦いでも引けを取らないところまでその実力は達している。

 だが、それでは駄目なのだということをセレンは理解していた。


 女戦士として、並みの兵士と互角以上に渡り合える程度では、これから先ファティマの隣で戦い続けることは出来ない。

 奴隷兵や下級兵の中でセレンを上回る体格の者は少ないかもしれないが、そこから先の、真の意味での敵と見るべき貴族階級に属するような士官たちの中には、セレンを上回る体格の持ち主は珍しくなくなる。

 女戦士に求められるのは力の戦いではなく、技と速さの戦いなのだ。

 今、目の前でセレン相手にリュテが見せているような――。


 理想的とは言い難い。

 セレンの理想はファティマなのだ。

 だが、セレンの力攻めを完璧にいなして見せるリュテの技と速さは、セレンが思い描いている戦士像に極めて近いことに、セレンは気がついていた。


 攻めあぐねていたその時、突如リュテが攻撃を受け流すのではなく弾き返し、間合いを詰めて来た。

 短剣の間合いであるリュテは、体格がほぼ互角のセレンが相手では、長剣を構えるセレンよりも一歩踏み込まなくては反撃出来ない。

 セレンはこの瞬間を待っていた。

 弾かれた剣を引くのではなく、あっさりそのまま放り出すと、即座に自分も短剣を抜き放ち、迎撃する。   


 踏み込んで放たれたリュテの一撃を片手で受け止めると、空いている方の手でリュテを掴みに行く。

 組んでしまえばこれまでの様に簡単にいなすことは出来なくなる。

 セレンはそこから先に光明を見出そうとした。

 だが次の瞬間、セレンはまるで丸太を倒したかのように、自らの力に振り回されて倒れていた。

 何が起きたのかわからないセレンは慌てて立ち上がろうとして、自分の両足が拘束されていることに気がつき愕然とした。


 ここまでリュテは左手で構えた鞘をはめたままの短剣でセレンの相手をしていた。

 右手に持っていた奇妙な武器は一度も使用せず、いつの間にかセレンの意識から消えていた。

 そもそも戦いの最中に右手を見た記憶がない。

 常に半身に構えられ、その右半身はセレンの視界から隠されていた。

 始めに目にしていたのいうのに、余裕のない状況ですっかり失念してしまっていた。


 リュテとしては初めて目にするであろうボーラという特殊な武器に意識を割かれ、集中力が低下するのを期待していたのだが、セレンの戦いの意識は、まだリュテの思惑に惑わされる域にも達していないことを見抜くと早々に隠し、完全に虚を衝けるこの瞬間まで使わないでいたのだ。


 リュテは慌てて拘束から逃れようと短剣を振るおうとしたセレンの手首を取ると背中に捻り上げ、同時に上体を起こすために身体を支えていた残りの腕を足で刈った。

 腕を狩られたセレンは再び地面に倒れ込むことになったが、その時にはすでに両腕は背中で拘束されており、何とか逃れようと暴れた次の瞬間、両手両足を背後で拘束され、弓なりの格好で身動き出来なくなっていた。


「卑怯だぞっ! 今すぐこれを解けっ!」

 ボーラによって完璧に拘束されてしまったセレンが、それでもなおリュテに立ち向かおうと吠える。

 そこに、丸い棒を持ったティオが近づく。

 その棒でセレンを殴打するのかと思った女戦士たちが色めき立ったが、ティオはニコニコと悪意のない笑みを浮かべながら海老反りの体勢で輪になっているセレンの輪の中に棒を通した。

 通された棒の片側を、リュテが取り、二人はまるで狩りで仕留めた獲物を担ぐようにセレンを持ち上げた。


「何しやがるっ! やめろっ!」

 屈辱に顔面を真っ赤に染めたセレンであったが、次の瞬間それどころではなくなる。

 姉妹がセレンを引っ掛けた棒を回転させ始めたのだ。


 面白いようにセレンの身体が回転し、それに合わせて二人が更に回転を速めたため、セレンはその表情が霞むほどの勢いでぐるぐる回されることになった。

 おそらく何か叫んでいるのだろうが、回転が速すぎて全く理解出来ず、悲鳴を上げているのか怒鳴っているのかの区別もつかない。


 散々振り回してから地面に降ろすと、リュテは素早くセレンの拘束を解いてやる。

 自由を取り戻したセレンだったが、三半規管が破壊され、文字通り目をぐるぐるとまわしている状況では、どうすることも出来なかった。


「まず、余裕がなさ過ぎる。そのせいで反応は良くても判断が悪い」

 目を回すセレンに、リュテが駄目出しを始める。

 声はしっかり届いているのだろう。何とか睨み返そうとするが、肝心の目が焦点を定めないのでふざけているようにしか見えない。


「次に、大振りをやめて以降は隙も少なくて良かったけど、それでも単調過ぎる。それどころか速さを意識し過ぎるあまり動きが一定になっていたから、攻撃が簡単に読めたよ」

 リュテの指摘はセレンに向けられていると同時に、二人の攻防を見守っていた他の女戦士にも向けられていた。


「あんたの中では皆の先頭を走って、引っ張って行かなきゃいけないって気持ちがあるんだろうね。それ自体は立派なことだよ。あたしもそういう背中に引っ張られた覚えがあるからね。けどね。先頭を走る奴はコケたら駄目なんだよ」

 焦点の定まらなかった視線がようやく落ち着き、リュテの視線と絡みあう。


「あんたのつまずきが、あとに続く者たちの足を鈍らせる。動きに迷いのある部隊なんて、人数分の仕事も出来やしない」

「じゃあ、どうしろって言うのさっ! 自分には出来ないからって、他の誰かがやってくれるまで待っていろとでも言うのかい? これはあたし自身の戦いでもあるんだ。人任せにしていて、いつになったらあたしは強くなれるのさっ!」

 それは怒りではなかった。

 断固たる決意から来る、譲ることの出来ない想いだった。


「いつかはわからないけど、それはまだ先だね。言っとくけど、私だってまだ強いなんて、どれだけ口が滑ろうが言えないからね」

 セレンが口を開こうとしたその時、モランが駆けつけて来た。

 モランが受け持ったのは男性の元奴隷を中心とした部隊だった。

 練度と連携の確認は高い水準で確認出来たので、全体戦力の主軸である女戦士たちとの連携を確認するべく、何時までも動こうとしない女戦士たちの様子を見に来たのだ。


 馬上に在るのその異容は、あまりに現実離れしていた。

 元々の素質もあったが、たゆまぬ修練の成果として、その肉体は並みのゾン人の三倍以上の体積を誇っている。

 その大きさのすべてが筋肉であることは、語られるまでもなく一目瞭然だ。

 その場の視線がすべてモランに集まる。


「モラン。あんたは強いかい?」

 馬から降り、近づいてい来たモランが口を開くより早く、リュテが尋ねる。

「まだまだだ」

 質問の意図はわからなかったが、モランはその答えが今この場で重要なのだろうと察し、素直に答えた。

 どこから見ても強さの象徴のようなモランの答えに、セレンだけでなく、周囲の女戦士たちも絶句する。


「モランも試してみるかい?」

 リュテの意地の悪い問いかけに、セレンは答えることが出来ない。

「もめたのか?」 

 おおよその状況を理解したモランが、困ったような表情で尋ねる。

「まあね。なまじ団結が強い女は難しいのさ」

 それに対し、リュテは苦笑を浮かべて答える。


「女である以上に、兵士であれないのなら、戦場に立つべきではない」

 モランはセレンだけでなく、その場にいる全員に告げる。

「引くなら決断は早い方がいい」

 そしてそのままファティマに向き直る。


「なんだい。早速臆病風に吹かれたかい。それだけの図体をしていて、自分の強さに自信も持てないような臆病者は、さっさとここから失せなっ!」

 まだ戦いは始まってすらいないにもかかわらず、ファティマに対して撤退を促すようなことを口にするモランに対して、セレンは先ほどの言葉もあり、食って掛かる。


「勇ましく戦って死ぬのはあんたの勝手だけど、あんたの無謀にファティマを巻き込まないでもらえるかい」

 その言葉に対して辛辣な言葉を返したのはモランではなく、リュテだった。

「ファティマが死ねば、ゾン人による奴隷制度と女性蔑視に対しする改革が終わっちまうんだよ。多少剣が振れるようになった程度で、戦場さえも見渡すことが出来ないひよっこが、いつまでも気持ちだけでから回っているんじゃないよっ!」

 そして、これまで声を荒げることのなかったリュテがセレンを一喝する。


「ファティマ以外の命令を聞きたくないのはわかるけどさ、だからって全部が全部ファティマにやってもらおうっていうのは、ファティマに対する甘えだよ? その気持ちの強さはさ、ファティマのために戦いたいからでしょ? それとも、ファティマに変わってあんたがこの組織の一番になりたいの?」

 それまで深くかかわろうとしなかったティオが口を開く。

「ふざけるなっ! あたしにそんなつまんねえ野心なんてねえよっ!」

 それに対し、セレンは顔を真っ赤にして言い返す。


「だったら自分の気持なんか全部捨てて、その代わりに一から十まで、全部ファティマのためになることを考えないと駄目だよ」

「考えているっ!」

「じゃあ、なんでファティマが決めた隊長であるあたしたちを受け入れられないの?」

「……っ!」

 説得するというより、子供が無邪気に尋ねてくるように言葉を重ねるティオに対して、セレンは言い返せなくなってしまった。


「それに、戦いは今回限りじゃない。むしろ、世の中に対してはっきりと武装集団としての意思を示すんだ。今後は今までみたいな奴隷解放を訴える啓蒙活動だけじゃすまなくなってくる。奴隷社会であるゾン全体が敵となってあんたたちに襲いかかってくることになるんだ。そうなればずっと戦いの日々が続く」

「望むところさっ!」

「望んだところで今の実力のままで、どうやってその戦いに勝ち続けるつもりなんだい?」

「強くなってさっ!」

 どこまでも強気を通すセレンに対し、リュテは大げさなため息をついてみせる。


「強くなるまでの間はどうするんだい? ファティマに守ってもらうつもりかい? あんたみたいな図体のでかいお荷物抱えて走り続けられるほど、ファティマは強くはないよ」

「守ってもらうんじゃないっ! あたしが守るんだっ!」

「あたしにボロ負けしたあんたが、どうやって守るっていうのさ? 」

「お前には関係ないっ! とにかく、守るったら守るんだっ!」

「セレン……」

 かたくななセレンを、ギュナが不安気に見つめる。

 これまで姉のようにずっと世話を焼いてくれたギュナに心配をかけてしまい、セレンは顔をうつむける。


「誰も説得出来ないうえに、心配までかけて、情けないねえ」

 そこに、リュテの容赦ない言葉が降り注ぐ。

「待って下さい。セレンはみんなのために必死なんですっ!」

 ついに我慢出来なくなり、ギュナが割って入る。

「知ってるよ。だから言ってるのさ」

 それに対するリュテの言葉は、予想外の肯定だった。


「今回はあたしらも駆けつけられたけど、いつもってわけにはいかない。こいつには、この戦いで何が何でも実力を伸ばしてもらわなくちゃならないんだよ」

 その言葉に、セレンは初めて反感以外の感情のこもった視線をリュテに向けた。


「あんただけじゃない。他の実戦指揮経験のない幹部連中も、この戦いで指揮官としての実力をつけてもらう。偉そうに言ってるように聞こえるかもしれないけど、あたしらだってそこまで経験豊富ってわけじゃない。それでも戦術理解度ではあんたたちよりも上だから指揮を執るんだ。はっきり言うけど、あんたらの協力がなけりゃあ、この戦いはあっという間に数の差で押し切られちまう。あたしらに頼ろうなんて思うんじゃないよ。一人一人がこの戦いで大きく成長して、お互いを助け合うんだ。それが出来ないようなら、まだまだ小さなこの組織は、野盗なんてちんけな存在じゃなく、奴隷制度を何が何でも守りたいゾンの特権階級に呑み込まれて終わるよ」

 リュテの言葉にセレンや女戦士たちだけじゃなく、幹部たちも表情を引き締める。


「あんたはあたしに付きな」

「なっ!」

 リュテの言葉にセレンが驚きの声を上げる。

「先陣を切りたいんだろうけど、それは仲間を信じて譲りな。代わりにあんたはあたしから実戦指揮ってもんがどういうものか、しっかりと盗むんだよ」

 言い返そうとしたその時、周囲の目が変わっていることに、セレンは遅まきながらに気が付く。

 女戦士たちや幹部たちの目には、セレンに対する期待が込められている。

 思わず戸惑ってしまったセレンは、反射的にファティマに目を向ける。


「頼みます。セレン」

 そこには大きな期待がこめられた眼差しがあった。

「……わかった」

 いろいろなわだかまりはあったが、ファティマの期待を裏切れないセレンは、すべてを飲み込んでうなずいた。


「他の連中も、これでいいね?」

 面倒事は全部片づけておこうと、リュテが周囲を見回す。

 そこに不満の影はもう存在しない。


「セレンを下げるから、ティオ、あんたが前線に入りな」

「は~い」

 姉の指示に、ティオはいつも通りの気負いのない返事を返す。

「それじゃあ、全体の連携と伝達の確認を済ませちまおう。時間がない。全員急いで支度しなっ!」

 リュテの指示に、女戦士たちも慌てて動き出す。


「ラニ、ミラン。背中は任せるからね」

「任せてっ!」

「了解」

 リュテの言葉に二人が自信をのぞかせながら答える。


「ファティマ。あんたは総大将として、後ろで『でん』と構えてな。あたし等全員が、あんたを勝たせてやるよ」

 動き出した奴隷解放組織を見渡しながら、リュテはファティマにも言葉をかける。

「お任せします」

「ああ、任されたっ!」


 多少のごたつきはあったが、奴隷解放組織は一丸となって動き出した。


 ゾン最南部における戦いの火蓋が、明日切って落とされる――。

 今頃ですが、フォーチュンクエスト完結おめでとうございます!


 長い付き合いでした。

 ずっと続いていくものと勝手に思っていたので、正直寂しいです。

 また一巻から読み返したいところですが、そんなことをすればヴォオス戦記の投稿が当分の間止まってしまうので、読み返しはヴォオス戦記完結までやめておこうと思います。


 関係のない私事で申し訳ありませんでした。

 出来るだけ次の話を早く投稿出来るように頑張りますので、次回もお付き合いいただければ幸いです。

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