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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
116/152

野盗と獣人

 ファティマに上段回し蹴りを使わせたら、パソコンに冗談回し下痢と小馬鹿にされた南波です。


 中途半端なタイミングでの投稿申し訳ありません。

 バグや誤字脱字の確認が終わったので、少しでも早く皆さんにお届けしようと、いつもの土曜17時ごろではなく投稿させていただきました。


 それではヴォオス戦記の本編をどうぞ!

「なんだ。ありゃ?」

 全身青一色の隻眼の大男が鼻で笑う。

 その視線の先にあるのは、荷車や瓦礫を利用して作られた防御壁だった。

 そのみすぼらしい見た目に、大男だけでなく、配下の野盗たちも指をさして笑う。


「笑い事ではない」

 だが、一人の男が眉間にしわを寄せ、不機嫌そうに馬鹿笑いする野盗たちを諫める。

「なんだ。なんか問題でもあるのか?」

 まるでごみの寄せ集めのような防御壁を、見た目通りごみの山としか思っていなかった大男が、声を上げた男に問いかける。


「ダマド。集落の残りの連中がたてこもっている場所が見えるか?」

 問われたダマドは、みすぼらしい防御壁ではなく、その先に待っている彼の収入源に(、、、、)目を向けた。

「見えんな。道がくねっているせいもあるが、あんなごみ山でも一応は防御壁だ。またいで通れるほど低いなんてことはない。見えなくて当たり前だろう」

 ダマドは駱駝の背中の上で器用にあぐらをかきながら、どうでもよさそうに答える。


「あんたは細かいことを気にし過ぎだ、イドリス」

 神経質に防御壁を睨む仲間に、ダマドは一つしかない目を細めた。

 ならず者の見本のような顔に、妙な愛嬌が浮かぶ。

 周囲の野盗たちも、団の頭脳であるイドリスの細かさに、苦笑を浮かべる。

 だが、イドリスはそれでも眉をしかめた表情を崩そうとはしなかった。


「ダマド。あんたは今駱駝の背中に乗っているんだぞ。それで防御壁の先が見えないということは、あの防御壁はあんたの今の視線の高さ以上の防御壁ということだ」

 イドリスの指摘に、野盗たちもようやくごみ山のような防御壁をまじめに観察する。

 おおよその高さを理解すると、その表情はイドリス同様不機嫌なものへと変化した。


「防御壁が高いってことは、さっきの連中よりも臆病ってことだ。まともにやり合うつもりなんてねえ。むしろ派手に脅すのに丁度いい薪代わりになるだろ」

 これが土塁でれば面倒だが、自分たちを阻む防御壁はほとんどが壊れた木箱などの木製のガラクタだ。

 建物のように火災を恐れて石材と土で出来ているわけではない以上、乾燥した木製のガラクタなど、油なしでもよく燃える。

 脅しをかけるにはむしろ都合がいいほどだ。


「おい。誰か火をつけて来い」

 緊急を知らせる狼煙を上げられてしまったため、当初の計画ほど時間的な余裕はない。

 ダマドは面倒とばかりに短絡的な指示を出す。

「待ってくれ。臆病なだけであれだけの防御壁を即席で造れるか? 少し警戒した方がいい」

 そんなダマドをイドリスが諫める。


「火事場のくそ力で造ったんじゃねえか? 先の広場が廃材置き場だったかもしれねえし」

 先に荷置き場で捕らえた者たちから、この場所に残りの住民たちがたてこもっているという情報は得たが、この辺りの細かい情報はまったくない。

 集落の比較的富裕層が固まっていたため、悪臭漂う奴隷の収容所周辺になど誰も詳しくなかったのだ。

 

「おいっ! さっさとやれっ!」

 短絡的な指示を出しはしたが、基本ダマドは馬鹿ではない。

 ダマドの言葉には一応の筋が通っているため、明確な根拠のないイドリスはそれ以上止めることが出来なかった。

 だが、そもそも住民たちが一か所にたてこもるなどという反応が予想外なのだ。

 陽動部隊も返り討ちに遭ったようだが、確かな情報がない。

 不意打ちで動揺を誘ったはずが、真っ先に狼煙を上げられてしまっている。

 ただの田舎の集落と割り切るには、不確定要素が多く、それがイドリスに警戒心を抱かせていた。


 指示通り、防御壁に火が放たれる。

 一応投石などの反撃を警戒して近づいたが、何の反応もない。

 わざと聞こえるように話し、たてこもっている住民たちの恐怖を煽っているのだが、悲鳴の一つも聞こえてこない。

 不気味ではあるが、声も出ないくらい怯えていることが大半なので、野盗たちはあまり気に留めていなかった。


 ごみ山のような防御壁に火が放たれ、その真紅の舌が乾燥しきった木材を舐め、あっという間に燃え広がる。

 その光景を下卑た薄笑いを浮かべながら野盗たちが見守っていると、突如として防御壁が自ら猛火を吐き出し、異様に濃過ぎる黒煙までも吐き出してくる。

 狭い通りに挑むように熱波が押し寄せ、それに乗った黒煙が野盗たちに襲い掛かる。


「下がれっ! ただの煙ではないっ!」

 上空へ立ち昇るのではなく、低く這うように進んでくる黒煙の異常さにいち早く気がついたイドリスが、自身も後続を押し退けながら慌てて狭い通路を後退していく。

 間に合わず黒煙に呑まれた野盗たちが悲鳴を上げ、同じく黒煙に呑まれた駱駝たちが半狂乱になって暴れ出す。 

 人間は目と鼻と喉をやられ、その激痛に喉を抑えて転げまわり、駱駝も同様の症状に、周囲の人も駱駝も関係なく薙倒なぎたおしてもがき苦しむ。


「油と薬物が仕込まれていたか……」

 警戒心を刺激されていたにもかかわらず、まんまと敵の罠にはまってしまったイドリスが、悔しさを噛み殺しながら呟く。

 ここで怒りを露にすることが彼の役目ではない。冷静さを保つことこそが彼の役目なのだ。


「時間稼ぎか。舐めた真似しやがって」

 こちらも煙から必死になって逃れたダマドが、咳と共に苛立ちを吐き出す。

「諦めるか?」

 ある意味ダマド以上にはらわたが煮えくり返っているイドリスが、自身の内心を抑えながら尋ねる。

 狼煙を上げられてからすでにかなりの時間が経過してしまっている。

 先に捕らえた住民たちの運搬も考えれば、時間的猶予はそれほどない。

 残りの住民たちがたてこもる広場に続く通路が炎と煙で塞がれてしまっている現状、判断を下すなら早いに越したことはない。


「イドリス。野盗も商人と一緒だ。この商売、舐められたら終わりだ。こんなくそ田舎の平民に舐めた真似されて、黙ってけつまくれるかっ! 奴隷として捕らえられねえなら、一人でも多くぶち殺してやるっ!」

 彼らは奴隷狩りが目的で、この集落を襲撃している。金品の略奪だけが目的の強盗とは違う。

 殺しても銅貨一枚にもならないので、そもそも戦闘などする気がない。

 なまじ追い込んで、窮鼠猫を噛むではないが、無駄な被害を出すだけ損なのである。

 だが、それはあくまで野盗側が目こぼしとして見逃す流血であって、敵に恐れをなして回避する流血ではない。


「わかった。私は先に捕らえた者たちを移送するが構わんか?」

 元は野心家の中堅商人だったイドリスは、舐められたら終わりの理論を理解しているので、これ以上は言うだけ無駄だと悟り、自身は現実的な対応に回ることにする。

「そっちは任せた。一応デニゾバ軍の動きも監視しておいてくれ。不意は衝かれたくねえ」

 かなり頭には来ているようだが、それでもデニゾバ軍に気を配れるだけの余裕はあるようなので、イドリスは現場を離れることにした。


「あまり舐めてかかるなよ。どうも小賢しい奴がいるようだ」

「ああ。そいつをぶち殺したら撤退だ」

 念のため警告を口にしたイドリスだったが、ダマドに油断はない。

 思考を切り替えたイドリスは、先に捕らえた住人たちの移送に集中することにした。

 結果としてこの判断が野盗団に、当初の予定を大きく下回りはしたが利益をもたらすことになり、その後の撤退への切り替えを素早く行わせることになる。

 

 だが、すべてが治まって後、イドリスは一人後悔することになる。

 この時自分の策を狂わせた相手の力量を図ることが出来なかったことが、後々の野盗団の結末を大きく左右するからだ――。









「贈り物は気に入ってもらえたようですな」

 黒煙の向こう側から響く叫喚に、ボラがニヤリと笑う。

「いつもあんなもの持ち歩いているのか?」

 防御壁に黒煙の元となった薬物を仕込む際、ボラたちを手伝った若者が尋ねる。


 それは目の細かい布袋に封じられていたのだが、ボラに何があっても中身をこぼすなと、これまでのどこか揶揄する雰囲気とは一線を画す厳しい表情で釘を刺されたため、ひどく興味を惹かれたのだ。

 どういう効果があるものなのかは今、目の前で野盗たちが身をもって実験台になってくれているので、ボラが本気で注意を促してきた理由は十分理解出来たが、扱いがかなり危険な薬物を、こうも都合よく持ち合わせていたことが引っ掛かったのだ。


「私たちの活動は、ゾンでは特に強い反発を受けます。演説などは暴力沙汰に発展することも多くあります。防御壁に仕込んだ薬物などは、傷つけずに相手を無力化するには都合がいいのです」

 若者の問いに対し、ファティマが答える。

 説得力があり過ぎる説明に、若者は顔を引きつらせた。


「このまま諦めてくれるかしら?」

 ギュナが誰にともなく尋ねる。

「ないな」

 それに対し、全員が口を揃えた。


「こうなると面子の問題だ。連中は血を見るまでは治まらんだろう」

「やっぱり……」

 ギュナが大きなため息を吐く。


「大丈夫だって。俺たちも精一杯戦うからさ」

 ギュナが戦いに怯えていると勘違いした若者の一人が、ギュナを勇気づけようと声をかける。

「ありがとう」

 その気遣いに対して、ギュナは素直に礼を言う。


 実際は戦いや仲間の負傷を恐れてのため息ではなく、つまらない面子にこだわる野盗たちの頭の悪さに辟易してのため息だったのだが、ここでそれを口にしないところがギュナの美点の一つである。


「まあ、時間稼ぎにはなった。連中に駱駝を降りて崖を回り込むだけの勤勉さがあれば少々厄介だが、そもそも崖を降りる用意はしていないだろう。せいぜいが上から矢を射るくらいしか出来んだろうし、守りの備えは十分だ。むしろ戦術にこだわってくれた方が、丁度いい時間潰しになる」

 周囲の地形。敵野盗団の準備。現状における野盗団の心理状態まで加味して、ボラは状況予測を立てている。

 それは恐ろしく正確であり、その正確さを元に、可能な限りの対応策はすでに打たれている。

 ボラの余裕は、待つ緊張感を少しでもほぐすための演技も含まれていた。


 時間を稼いでくれた防御壁であったが、元々がひどく乾燥していた木材を使って作られている。

 目や鼻、喉を焼く黒煙を吐き尽くしてしまうと、防御壁として役割を終えるのも早かった。

 灰の山となった防御壁を踏み越えて、野盗団が攻め寄せてくる。

 だがその足は、灰の山を踏み越えてすぐに止まることになった。

 第二の防御壁が築かれていたからだ。 


「小賢しい真似ばかりしやがって」

 ダマドが苛立ちともに吐き捨てる。

「おい。回り込ませた奴隷共はまだか?」

「思った以上に険しいみたいです」

 答える野盗も、住民たちの予想外の抵抗に苛立ちを見せる。


 ダマドは黒煙で進むことが出来ない状況で、ただ手をこまねいていたわけではなかった。

 住民たちがたてこもっている場所は垂直に近い崖に囲まれた袋小路になっているのだが、その垂直の崖の反対側は、奇岩が立ち並ぶ小規模の岩山になっていた。

 駱駝でなどとてもではないが進むことが出来ない険しい地形で、人間が道具を揃えて挑んでも、簡単に超えることが出来るような地形ではない。

 だが裏を返せば、相応の苦労と時間さえ掛ければ、回り込むことは可能ということだ。  


 ただ待つくらいならと、揺さぶり目的で先程捕らえた奴隷たちを向かわせている。

 荷置き場での戦闘は、戦闘要員であった奴隷たちの裏切りによって呆気なく終わった。

 奴隷たちは今もダマドと交わした奴隷からの解放を信じ、必死で岩山に取りついているはずだ。


「待ちますか?」

 野盗の一人が確認してくる。

 ダマドはすぐには答えず、防御壁の先の状況を観察する。

 二つ目の防御壁は始めのものより小さく、駱駝の上からであればその先を確認することが出来た。

 視線の先には荷車と木箱を組み合わせ、素人が一目見ただけでもはっきりとわかるほど頑丈な防御陣が敷かれている。

 おそらく目の前の不細工な防御壁にも何らかの仕掛けが施されているはずだ。


「そんな時間はねえ」

 知恵の回る人間がいるようだが、それでも大半は素人だ。

 時間を掛けてじっくりと攻めれば制圧は可能だろうが、緊急事態を知らせる狼煙を上げられてしまった時点で時間は制限されてしまった。


 ダマドの中の冷静な部分が撤収を指示してくる。

 目先の損得だけで考えるなら、迷わず従うところだが、縄張りを広げ、デニゾバの東部を牛耳るという野心を持つダマドは、ここで引く姿勢を見ることが、今後の縄張りの支配にどれだけの影響を与えるかまで考えていた。


 多少の血を流しても、恐怖を植え付ける――。


 それが野盗としてダマドが出した答えだった。


「これ以上舐めた真似させんじゃねえっ! 全員ぶち殺せっ!」

 ダマドの怒号を合図に野盗たちが飛び出していく。

 だが道幅が狭いため、一度に襲い掛かれる人数が限られてしまう。

 野盗たちの突撃は、防御壁の間から繰り出された槍によって、あっさりと食い止められてしまった。


「何をやっていやがるっ! 火矢だ。火矢を防御壁の奥にぶち込めっ!」

 もたつく部下に苛立ったダマドは、防御壁の背後にたてこもる住民たちを慌てさせるために、防御壁を無視してその奥へと火矢を放たせた。

 防御壁に火矢を放たなかったのは、先程の二の舞を恐れてのことだ。


 飛距離十分の火矢は、住民たちが盾代わりに使う荷車や木箱に突き刺さって行く。

 その音と衝撃に、隠れている住民たちの間から悲鳴が上がる。

 だが反応はそれだけだった。


 火矢の突き立った防御陣以外の場所から素早く大盾に隠れた消化部隊が飛び出し、あっさりと消し止めてしまう。

 その動きは急ごしらえとは思えないほど組織立っており、少々頭の回転が速い人間がいる程度ではけして対応出来ない処理速度だ。


「……兵士じゃねえな。士官並みの能力があるやつが十人はいねえと、あそこまで統率の取れた動きは出来ねえ。どうなってやがる」

 不意を衝いたはずの襲撃にもかかわらず、まるで事前に情報が漏れていたのではないかと疑いたくなるほど、現状は後手に回らされている。

 その準備の良さから、こちらの行動が読まれているのも確かだ。


 通路の狭さから防御壁に対して人数をかけることが出来ないため、防御壁突破に手間取っている間に、回り込ませていた奴隷たちがようやく崖上に姿を現す。

 奴隷たちは息も絶え絶えの状況で、広場の防衛に参加している奴隷たちに投降を呼びかけた。

 協力すれば奴隷の身分から解放されるという、自分たちを騙す言葉を信じて伝える。

 するとその言葉に応え、広場にいる奴隷たちが反乱を起こし、崖上の奴隷たちが合流出来るよう、梯子を持って駆けつけた。


「てめえら、予定通りに事が運んでるぞっ! あとはその汚ねえごみの山を越えるだけだ。気合入れ直せっ!」

 その様子を確認したダマドが、部下たちを鼓舞する。

 守りが堅い防壁も、内側から攻められればひとたまりもない。

 勝利目前と知った野盗たちは、勢いを増して防御壁に襲い掛かった。


 だが、その興奮は一瞬で覚まされることになる。

 住民側の奴隷を寝返らせることに成功したはずが、ダマドに騙され踊らされていた奴隷たちが広場に降りると、直後に寝返ったはずの奴隷たちによって捕らえられてしまったのだ。

 しかも、ダマドからは距離があり過ぎて何をしているのかわからなかったが、始めは抵抗を見せていたダマド側の奴隷たちがピタリと騒ぐことをやめたかと思った次には、大歓声を上げ、逆に住民側に寝返ってしまったのだ。


 挟撃のはずが、敵戦力の増強に変わる。


「なんじゃそりゃあああぁぁぁっっっ!!」

 ダマドが顔面を真っ赤に染めて怒声を張り上げたのは、無理もない話であった。


 ダマドによって利用された奴隷たちは、ファティマの策によって捕らえられ、奴隷印の除去により真の解放を得た。

 この時先に奴隷の身分から解放されていた者たちから、現在の状況と野盗団の嘘を知らされた。

 本気で奴隷の身分から解放されると信じていた者たちは、ファティマたちによって解放された高揚感と、解放を願う自分たちの気持ちを弄んだ野盗団に対する怒りから、指示を受ける前に野盗団と戦う防御壁へと参戦した。


 戦力はいまだに野盗団側が圧倒的に有利。

 だがこの場所を戦場に選んだ時点で数の優位性はそれほど大きくはなく、むしろ士気の逆転により限定された狭い戦場では、ファティマたちの方が優勢にあった。


 逆に防御壁を乗り越えて攻め込みかねない勢いの元奴隷たちを抑えながら、防衛戦は続いていく。

 過ぎる時間はファティマ側に余裕を生み、野盗側には焦りを生んでいく。

 ダマドの苛立ちが限界に達したその時、広場を囲む崖上に、一つの人影が現れた。


「今頃現われやがってっ! 遅いぞ、ジャナワル! また迷っていやがったのかっ!」

 現れた人影に対し、ダマドは怒声を張り上げた。

 その怒声に、現れたはいいが状況がよくわかっていないらしい人影は、崖上でボーっと立ち尽くし、怒声の主を探すようにきょろきょと辺りを見回している。


「おかしら。細かいことは言うだけ無駄っすよ。それよりわかりやすい命令を出してやった方がいいですぜ。でねえと、下手しなくてもあそこでずっと下眺めていますぜ」

 部下の言葉にダマドが駱駝の上で盛大に悪態をつく。

「あ~~っ! どっかに馬鹿に付ける薬はねえかっ!」

 無駄と知りつつダマドは叫ばずにはいられなかった。


「ジャナワルッ! 下の連中をかたずけろっ!」

 怒声が届くとジャナワルは、声の主を確認し、再び左右を見回す。

「馬鹿、下だ。下っ!」

 言葉では上手く伝わらない指示に、ダマドはその大きな身体全体で伝えようとする。


「ついていった奴は何してやがるっ!」

 なかなかに鈍いジャナワルを、一人で行動させるダマドではない。

 ジャナワルの代わりに考えることの出来る者を必ず付ける。敵陣の後背に迂回しての襲撃だ。ただでさえ方向音痴のジャナワルが、一人で目的通りの行動が取れるわけがないのだ。


「置いて行かれたんじゃないすかね。裏は相当険しいらしいすから。下手したら転げ落ちて死んじまってるかもしれませんぜ」

 部下の言葉にダマドは猛獣のように不機嫌に唸った。

 目の前に解放という餌をぶら下げられていたとはいえ、奴隷たちですら何とか超えた崖を、自身の部下が越えられなかったという事実に、より不機嫌になる。


「さっさと行けっ!」

 その苛立ちをぶつけるように、ダマドはさらに大声を上げ、ジャナワルに指示を出す。

 ようやく理解出来たのか、ジャナワルの視線ががけ下に向かい、その身を小さくかがませた。

 直後、まるで大型の猫科動物が崖を下るかのように、ジャナワルは足から降りるのではなく、頭から垂直に近い崖に飛び込んで行った。 


 わずかばかりの凹凸を足場に、まさしく野生の獣よろしく駆け下って行く。

 そして、落下する以上に加速された身体が地面に激突する前に、ジャナワルは岩肌を蹴りつけるとその身を宙に躍らせた。

 恐るべき跳躍力により、ジャナワルの身体は堅固な防御陣の内側へと飛び込んで行く。

 その目が、ファティマにボコボコにされた中年男を捉え、獲物に躍りかかる肉食獣のように襲い掛かる。

 気づいた中年男は、突如自分の真上に現れた獣に悲鳴を上げてへたり込み、その驚くべき身体能力に、命令を下したはずのダマドまで度肝を抜かれる。

 誰もが想定外の事態に驚愕し、その動きを止める。


 だが真の驚愕は、その後に訪れた――。


 へたり込んだ中年男は、反射的に小さく丸まり、次に襲い掛かる苦痛と衝撃に備えた。

 だが衝撃は訪れず、頭上でくぐもった鈍い音が響くのを聞く。

 そして木箱を破壊する騒音がすぐそばで起こり、恐怖で引きつった顔を向けた。

 そこには、中年男に襲い掛かったはずのジャナワルが、木箱の山に埋まる光景が広がっていた。

 咄嗟に何が起こったのか理解出来なかった中年男は混乱し、周囲に視線を向ける。

 そしてその眼は、自分を庇うように立つ一つの背中に止まった。


 直後に周囲から歓声が沸き上がる。

 誰もが度肝を抜かれたジャナワルの身体能力に対し、微塵の遅滞もなく反応して見せた者がいたのだ。


 ファティマである――。


 ダマドはジャナワルの馬鹿さとその能力を過信するあまり、騒ぎ過ぎたのだ。

 ジャナワルの出現に、ファティマだけでなく、広場にたてこもる多くの者がダマドのおかげで気づけた。

 気づいていてむざむざやられるような能無しに、赤玲騎士団の指揮官は務まらない。

 ジャナワルの能力がどれほど高く、予想外のものであっても、ファティマはしっかりと対応して見せたのだ。


「たいして効いてはいまい。さっさと立て」

 ファティマは中年男に襲い掛かったジャナワルを、側面からの飛び蹴りで蹴り落とした。

 軌道を逸らされたジャナワルは自身の勢いもあり、丈夫なはずの木箱を粉砕しながら突っ込むことになったが、ファティマは蹴りつけた足に返って来た感触に、攻撃を見舞った側であるにもかかわらず、脅威を覚えていた。

 その声に応えるかのように、砕けた木箱の残骸を跳ね飛ばしながら、ジャナワルが起き上がる。


 直後、周囲の歓声がピタリと止まる。

 ジャナワルが日よけのために纏っていた外套は、元々の襤褸ぼろさに加え、ファティマの攻撃で木箱の山に突っ込んだことで豪快に破れ、木片に引っかかり、立ち上がった拍子に完全に破れ落ちてしまった。

 そしてそこから現れたのは、顔と言わず腕と言わず、露になった皮膚すべてが、豹紋斑ひょうもんまだら模様の獣だったからだ。


「じゅ、獣人だっ!」

 歓声が一瞬で悲鳴に変わる。

「よ、よおしっ! 相手はジャナワルのアレに(、、、)ビビってるぞっ! てめえら攻め込めっ!」

 頼みの綱のジャナワルが、いきなり蹴り飛ばされる光景を目の当たりにして固まっていたダマドであったが、ジャナワルの姿に(、、、、、、、、)動揺する住民たちの悲鳴で我に返り、部下たちに檄を飛ばす。


 身の丈はゾン人という括りを超えて、大陸全体の基準から見てもかなり大きい。

 優に180センチは超えている。

 手足は長く、筋肉の筋がくっきりと浮かび上がる様は、まさしくひょうそのものだ。

 威嚇で歪められた顔は敵意むき出しで、喉の奥から発せられる唸り声は低く響き、人々に大型の肉食獣を前にした時以上の威圧感を与えてくる。


 撃墜こそしたが守りの内側に入られてしまったため、この場で戦える者はファティマしかいない。

 それ以外は全員が女子供や年寄りと、ファティマにボコボコにされて戦闘に参加出来ない中年男のような傷病者だけだ。

 非戦闘員がこれだけの相手を前にし、混乱だけで終わるわけがない。

 混乱は即座に恐怖へと変わり、全員が無秩序に逃げ惑う。


 その時、ファティマは剣を鞘ごと剣帯から外すと、大きく音を立てながら抜剣した。


 剣と共にファティマの気も解き放たれる。

 死を告げる音に乗って迫ったその威に掴まれ、逃げ惑っていた人々が凍りつく。

 崩れかけた防御陣であったが、ファティマはただ剣を抜くという行為だけで鎮めてみせた。


「さすが」

 後方の事態を危険と見たボラが、持ち場を離れ、戻ろうとした直後の出来事に、ボラは思わず呟いていた。

「……しかし、なんだありゃあ?」

 そして、一安心したボラは改めて異形の存在に目を向け呟く。

 離れた位置である防御壁付近からでもはっきりとわかる、人とも獣ともつかないその存在に、さすがのボラも度肝を抜かれる。


「ギイイイイィィィィィヤアァァァァァァァァッッッ!!!!」

 そこに、再び混乱を引き起こさんとばかりにジャナワルの咆哮が轟いた。

 防御壁に取りついていた守備兵力の意識が後方へと向かう。


「意識を乱されるなっ! 前に集中しろっ!」

 だが、まるですぐ隣で見ていたかのような間でファティマの叱責が飛び、ボラたちの肩を跳ね上げさせる。

 危ういところで防御壁を越えようとしていた野盗を、ボラが間一髪阻む。

「後ろは気にするなっ! 俺たちは守るべき正面に集中しろっ!」

 周囲の元奴隷や若者たちに檄を飛ばしつつ、自分自身を戒める。


(こんな程度のことでファティマの足を引っ張りでもしたら、カーシュナー様に合わせる顔がない)


 元はカーシュナーの密偵を務めていたボラは、ファティマの活動に共感し、カーシュナーに願い出て、前線から半ば退いていた身をもう一度奴隷解放という最前線に投じた。

 直接の命こそ受けていないが、了承してもらった時点でボラはカーシュナーの使いとしてファティマを手助けしているつもりでいた。

 師であるカーシュナーに代わって側に立つ以上、教え導きこそすれ、逆に助けられてしまっては自分がいる意味がない。

 以降のボラの指揮には一切の隙が無く、野盗たちはついにただの一人も防御壁を越えることは出来なかった。


 防御壁が完全に持ち直したことを気配で察したファティマは、正面の人物に(、、、)意識を集中した。

 周囲では現地の住人たちが獣人が現れたと怯えているが、ファティマは始めから正面の人物を人外の生物などと認識していなかった。

 落ち着いていれば一目でわかる。

 獣のように四つ足で、驚くべき敏捷性を見せるが、その骨格が女性のもの(、、、、、)であることは疑いようもない。

 一見豹を連想させるその外見も、皮膚の色素異常によるものだろう。

 もっとも、ここまで見事なまだら模様になるのは極めて珍しい。


 だが、言ってしまえばそれだけだ。


 ファティマは目の前の人物を、長身の女戦士としてしか見ていなかった。


 まったく動じることのないファティマに対し、むしろジャナワルの方が動揺を覚える。

 自分の外見は愚か、威嚇の咆哮にもまったく乱れる気配がない。

 むしろ、自分の斑模様の皮膚を完全に無視して身体の中心を見据えてくるその目に、ジャナワルは恐怖すら覚える。


「さっさとやっちまえ、ジャナワルッ!」

 そこにダマドからの檄が飛んで来る。

 その声に押されるように、ジャナワルはファティマに襲い掛かった。

 いつの間に手にしたのか、その手には二本の短剣が握られてる。


 猛獣が襲い掛かるがごとく、全身を使って躍りかかるジャナワルの速度は、常人の域をはるかに超えていた。

 周囲で怯える人々は、その姿を目で追うことすら出来ない。

 一瞬で眼前に迫った巨体に対して、周囲で盛大な悲鳴が上がる中、ファティマは敵の剣を捌きつつ、自身も左に回り込んでかわして見せる。


 矢のような勢いで飛び込んだジャナワルも凄まじいものがあったが、それを流れる水のようにするりとかわして見せたファティマの技量は、その上を行っていた。

 それは間近で二人の攻防を見た人々よりも、離れた位置から目にしたダマドたちの方が度肝を抜かれた。


「何もんだ、ありゃ?」

 ダマドが無意識に呟く。

 その周囲にいた部下たちは、呟く言葉すらなかった。


 再びジャナワルの威嚇の咆哮が上がる。

 それに対し、ファティマは終始無言で揺るがない。

 ジャナワルが変則的な動きで撹乱し、ファティマの隙を狙うが、まるですべてを見通そうとするかのようなファティマの瞳は、ジャナワルのすべての攻撃を見切り、防いでしまう。


 直線的な攻撃ではらちが明かないと悟ったジャナワルは、非戦闘員を守るために無数に詰まれた木箱や荷車を足場に、予想外の角度からの攻撃も織り交ぜ始める。

 死角からの攻撃に対し、ファティマは円運動を基本に立ち回り、切り抜ける。

 前後左右からだけではなく、上下からも繰り出される高速攻撃に、さすがのファティマも反撃の糸口がつかめない。

 ファティマの仲間たちが守備兵力から何人か割き、後方の守りに回したが、両者の攻防があまりにも早過ぎて、非戦闘員の盾になるのが精一杯で、二人の攻防に手を出すことが出来ない。

 激しく戦う二人の周囲で、防壁代わりの木箱の山が砕け散り、引き千切られたロープが周囲に散乱する。


「たいした身体能力だ」

 ほぼ垂直の崖を駆け下りて見せた時点でわかっていたことではあったが、実際に剣を交えると改めてその能力の高さを思い知らされる。

 周囲を囲まれている状況に対しても、慣れているというより、しっかりと対策を立てているかのように立ち回り、消して背後を取らせない。

 一見本能のままに動いているように見える動きだが、その動きは一定の練度を感じさせた。


 体格で勝り、おそらく体力も上であろう相手に、これ以上戦いを長引かせるのは危険だ。

 ファティマは目が慣れて来たこともあり、勝負に出る。

 これまで回避して来た攻撃に対し、受け止めると同時に掴みにかかった。

 虚を衝かれ、胸ぐらをつかまれて体勢を崩されたジャナワルであったが、それでも持ち前の身体能力で無理矢理体勢を立て直し、ファティマの手を振り払うと追撃をかわして見せた。


 力と体重で勝るジャナワルの攻撃を受けに回った代償か、ファティマの追撃は浅かった。

 冷や汗をかかされはしたが、かわし切ったジャナワルに、逆に勝機が訪れる。

 ジャナワルの回避に割かれていた意識は一瞬で攻撃に転じ、着地と同時にその足は地面を蹴っていた。


 再び宙に踊る身体――。


 だが、その巨体は舞い上がることなく地に叩き付けられた。

 その足首に絡まったロープによって。


 自分を絡め取ったロープに、ジャナワルは反射的に目を向ける。

 ロープの先端の片方はいまだに木箱にしっかりと絡みついている。

 そしてロープのもう片方は、ファティマの手に握られていた。

 ジャナワルの目が驚愕に見開かれる。


 浅いと思われた攻撃はジャナワルを罠にはめるための誘いに過ぎず、ファティマの本命は、千切れて偶然輪になっていた足元のロープだったのだ。

 間を置かずに踏み込んだファティマの斬撃が、ジャナワルの短剣を一本弾き飛ばす。

 そしてジャナワルは武器を片方失う間に、もう片方の短剣で足首を縛るロープを切り、拘束から脱出する。

 だが、ファティマの前で一拍行動が遅れたのは致命的だった。

 一歩下がる間に二歩踏み込まれ、追撃の刃が襲い掛かってくる。


 勝負あったかに見えたその時、ジャナワルの手に一本のロープが現れた。

 直後、ピンと張られたロープがファティマの踏み込みを阻み、とどめの一撃を不発に終わらせる。


(やはり、かなり知能が高い)


 仕留めそこなったファティマは、深追いはせず、一旦退くと間を空け、仕切り直した。

 対するジャナワルも、野獣のように飛び退くと一声吼え、ファティマとの間合いを図る。


(あの獣のような咆哮も、おそらくそう見せるため)


 威嚇としての効果が高いので断言出来ないが、目の前の少女は(、、、)おそらく獣人とまで呼ばれるその外見に合わせ、知能を低く見せる目的で、人間とは思えないような唸り声を発している。

 本当に知能が低ければ、罠にかかったばかりのロープを咄嗟に身を守るために活用出来るわけがない。

 もっとも、元々ロープの扱いに長けていたのであればファティマの判断は的外れとなるが、そもそもロープの扱いに長けていれば、始めからファティマの罠にかかりはしない。

 罠にかかったということは、少なくともファティマが使ったような活用方法は知らなかったと見るべきで、直後に同じように活用して見せたのは、知能の高さを表していた。


 始めは怯えて逃げ惑っていた人々も、二人の攻防が恐ろしく高次元のものであることに気がつくと、息を呑んで見守り始めた。

 ジャナワルが攻め、ファティマが捌く。

 終始一貫してジャナワルの攻勢に見えるが、一度罠に掛けられたジャナワルの動きにはわずかだが慎重さが含まれるようになり、ファティマの防御を超えることは出来なくなっていた。

 さらに、守る以上に見ることに特化していたファティマは、一見不規則な反射による攻撃に見えるジャナワルの攻めに、一定の型のようなものを見出し始めていた。


「まるで獣のような動きは、予測に対して有効な牽制にはなる。だが、獣の様ではあっても獣ではない。人の骨格に重点を置いて見れば、攻撃の予測は難しくない」

 一つの答えを言葉にし、その言葉を証明するかのように、ファティマは続くジャナワルの連続攻撃をすべて完璧に捌いてみせた。

 これに対しジャナワルが、初めて威嚇ではない苛立ちの咆哮を上げる。


 ジャナワルの瞳に一瞬不安の影が揺れる。

 そこに追い討ちのように、これまで二人の攻防についていけず、眺めているだけしか出来なかった周囲の男たちが、長い棒を手に包囲にかかる。

 ジャナワルの威嚇がファティマだけでなく、周囲にも向けられる。


「お頭、ジャナワルやばいんじゃないすか?」

 ダマドの隣で状況を眺めていた部下が、戦いの熱波の中、額に冷や汗を浮かべて隣のダマドを振り仰ぐ。

 同じことを考えていたのだろう。

 状況を打開するどころか、完全に阻まれてしまっている現状に、ダマドも無言で冷や汗を流す。


 ダマドはその圧倒的な武力で野盗団を率いているが、ジャナワルはその中で唯一武力でダマドを上回る存在だ。

 辺境で噂になっていたジャナワルを、見世物小屋に売り払おうと捕らえたが、その頭の悪さと戦闘能力に目をつけ、戦闘奴隷として売らずに手元に残した。

 組織をデニゾバ東部において最大勢力に手が届こうというところまで拡大出来たのは、ダマドの手腕とイドリスの頭脳があってのことだが、他の野盗団との抗争において、大将として後方で構えるダマドに代わり、前線で戦場を切り開いてきたのは、間違いなくジャナワルの異容と武力だ。


 東部最大規模を誇った野盗団が、どういう経緯でそうなったのかは定かではないが、縄張りを放棄して姿を消した。

 自分たちの優位を過信し、その上でダマドたちの行動力を甘く見ての軽挙か、内部で権力争いでも勃発し、組織が割れたのかはこの際どうでもいいが、ダマドはこの機に乗じて東部辺境を手中に収めるため行動した。

 敵対勢力が不在の間に盤石の態勢を作り上げ、万が一縄張りの奪還に戻って来たとしても返り討ちにする算段は出来ている。


 だがその計算には、ジャナワルの武力と、敵を怯えさせるその異容も含まれている。

 ここでジャナワルを失うと、その計算が成り立たなくなってしまう。

 焦りと迷いに挟まれるダマドの元に、とどめとなる知らせが届く。

 デニゾバ軍の到着だ。

 ダマドは怒りでブルブルと震えたが、最後には理性に従った。


「潮時だっ! てめえら退けっ!」

 防御壁に取りついていた部下たちに指示を飛ばす。

「ジャナワルッ! 帰ってこいっ!」

 そして、厳しい包囲網を布かれているジャナワルにも声を張り上げる。


 だが、その命令が届く直前。

 ジャナワルは包囲網から追い立てられるように、一直線にファティマに飛び掛かっていた。

 見事な身体能力ではある。

 だが既に動きを見切っていたファティマにとって、その無謀な突撃は勝負を決める悪手に過ぎなかった。


 突き出された短剣をあっさりと払いのけると、ファティマは剣を返さず、払った勢いのまま上段回し蹴りをジャナワルの側頭部に叩き込んだ。

 咄嗟にジャナワルも蹴りを返したが、それはファティマの外套のフードを弾いただけで、空しく空を切って終わる。


 ファティマの蹴りによって恐ろしい勢いでジャナワルの身体が吹き飛び、防壁代わりの木箱に突っ込んで行く。

 すかさず周囲の男たちが長柄の棒で取り押さえにかかる。

 だがジャナワルの膂力は、並みの男たちが構える木の棒程度で押さえ込めるようなものではなかった。

 へし折られた木の棒が転がり、その後を追うように、押さえようとしていた男たちも地べたに転がされる。


「行っていいぞ」

 そう言ってファティマは剣を引き、ジャナワルの蹴りでフードが落ちて乱れた長い黒髪を手で後ろになでつけた。


「女っ!!」

 遠目からでもはっきりとわかるファティマの美しい黒髪に、ダマドだけでなく、他の野盗たちも驚愕の声を上げる。


「あんな連中のところに本当に帰りたいのなら」

 ダマドたち同様、自分が女であることに気がつき、驚愕に目を見開くジャナワルに対し、自身の後方で騒ぎ散らすダマドたちの方に顎をしゃくりながら、ファティマは皮肉を口にした。


 ファティマの言葉に、取り押さえようとしていた男たちが一旦は引いたが、野盗たちの騒ぎに不安を覚え、再び取り押さえようと動き出す。

「行け。行かぬなら斬らねばならん」

 もう少し言葉を交わしたかったファティマであったが、これ以上は無駄な怪我人が出ると悟り、もう一度退くように促す。

 

 一瞬迷いを見せたジャナワルであったが、再び長柄の棒を持って自分を取り囲もうとしている男たちの動きに決断を迫られ、その場から脱兎のごとく離脱した。

 驚いたことに、垂直に近い崖を横になって駆け抜け、野盗たちに近い崖裏まで登って行ってしまう。

 ジャナワルの脱出を確認した野盗たちも、それまでの勢いが嘘のように、素早く引いていく。


「追うなっ! 相手は武闘派の野盗団だ。身をひそめる防御壁もないところで戦えば、一刀で切り捨てられるぞ」

 興奮から、今度はこちらから防御壁を乗り越えようとしていた男たちに対し、ファティマが言葉の冷水を浴びせる。

 頭に血が上っていた男たちも、しんがりについた野盗たちの猛々しい表情に気がつくと気が萎え、ファティマの言葉に素直に従った。

 ここで死んだら文字通り無駄死にしかならない。


「……ありがとう。あんたらが残ってくれたから、ここにいる人間全員が助かった」

 若者が顔一杯に感謝の念を浮かべながら、ファティマ話しかけてくる。

「確かに私たちは細かい指示を出しはしました。ですが、それに皆が団結して従わなければ、この結果はなかったでしょう。この場に集った人々の決断と行動が、自分たちの自由を守ったのです」

 少し柔らかくなったファティマの言葉に、若者は周囲を見回した。

 緊張と恐怖から解放された人々が、互いの肩を叩き合い、歓声を上げている。

  

「ありがとう。あんたたちがいなければ、俺たちは間違いなく奴隷にされていた。是非礼がしたい。もてなさせてくれっ!」

 そこに、戦いが始まる直前までごねていた奴隷の元所有者たちが声をかけてくる。

 危機に直面し、初めて現実を実感することが出来たのだろう。

 嫌悪どころかまぎれもない憎悪を抱いていたい人々が手のひらを反したように態度を変える。


「ありがたい話ですが、時間がない。私たちの活動は、デニゾバの領主にとって愉快な話ではありません。ここでデニゾバ軍と鉢合わせして、あなたたちに迷惑をかけたくない」

「何言ってんだっ! こんなところにまで堂々と奴隷狩りが来たのは、デニゾバ軍が何もしないからだっ! 威張り散らすことしか能のない連中なんかに、遠慮することなんかないってっ!」

 気が大きくなっているのだろう。住民たちは襲撃の原因とも言えるデニゾバ軍の野盗団放置を思い出し、大いに息巻く。


「気持ちはわかりますが軍を甘く見てはいけない。敵に回せば権力を後ろ盾にしている分、野盗よりもはるかにたちが悪い。我々平民は、兵士たちにはない知恵を使ってしたたかに立ち回る。ゾン人らしく」

 皮肉を交えながら、ファティマは忠告して笑った。

 その笑みの美しさに、いまさらながらその美貌に気がつき、男たちが頬を赤らめる。


「俺たちも連れて行ってくれ」

 そこに、意を決した表情の若者が、改めて助けた少女と共に願い出る。

「気持ちは嬉しいですが、今は駄目です」

「どうしてっ!」

 あっさりと首を横に振るファティマに対して、若者が抗議の声を上げる。


「あなたはその少女のご家族を弔ってやらなければならないでしょう?」

 その後の展開があまりに急過ぎて忘れていた大切なことに、若者は少女に目をやると額を押さえてうなだれる。

「私たちは残れません。これはあなたにしか出来ないことです」

「わかってる。それは言われなくれも、俺が責任をもって対応する。でも、俺はあんたたちと行きたいんだ」

 若者は自分の役割を理解していながらも、自分をここまで変えた気持ちを何とか伝えようとする。


「わかっています。そして答えは変わりません。今は(、、)駄目です」

 『今は』の部分を強調したことで、若者はようやくファティマの言わんとするところを理解した。

 行動は必要だ。

 そして、行動することで、物事は大きく変わる。

 だが、いつ行動するかには、適切な時期というものがある。

 行動を急ぐあまり、準備もなく砂漠に飛び出せば、何事も成すことなく干からびて死ぬことになる。


「私たちは平民です。一人一人の力など、貴族たちの気分次第で簡単に潰されてしまう」

 ファティマの言葉に、若者は大きくうなずく。

「だから力を束ねなくてはいけない。貴族の権力に簡単には折られないだけの力を」

 結束することで野盗団の襲撃をしのぎ切った人々を見渡しながら、ファティマが言葉を重ねる。


「でも今は、人々の心の準備が出来ていない」

 ファティマたちに否定的だった住民たちも、その活躍によって助けられたことで見る目を変えたが、だからと言って自分のように今ある財産も故郷も捨ててついて行こうという者はいないだろうと若者も理解する。


「今は準備のための時です。けして隙を見せず、万全の体制を整える必要がある。行動するのはそれからです」

 若者は自分の中の熱い気持ちを抑え、納得した。


「俺たちはどうすればいいでしょうか?」

 そこへ、自由を勝ち取ったが、今後の生活の糧を持たない元奴隷たちが、不安そうに尋ねてくる。

 これに対し、ファティマは直接答えず、若者に目を向けた。


「この場に残った人たちは助かりましたが、先に襲われた荷置き場にいた人たちは連れ去られてしまったでしょう。野盗団はここより南でも奴隷狩りを行っていました。軍の追跡をかわす腕は一級品です。おそらくデニゾバ軍は連れ去られた人々を見つけることは出来ないでしょう」

 ファティマの言葉を、若者は疑わない。

 自分自身そうなるであろうと確信したからこそ、耳を貸さない家族の元を離れ、こちら側に避難して来たのだ。

 

「連れ去られた人々はこの集落の富裕層が主であり、支配者であると同時に指導者でもありました」

 自由の身こそ守ったが、家族を失ったことを改めて実感し、動揺している若者に、ファティマは言葉を続けた。

「この集落の機能が低下すれば、領主はこの集落を切り捨てる可能性があります」

 この言葉に、若者は揺れていた意識を無理やりファティマの言葉に向け直す。

「切り捨てた場合、あなたたちは野盗団にさらわれたものとして処理され、軍によって奴隷として捕らえられるでしょう」

 この言葉に、若者だけでなく、周囲でファティマの言葉に耳を傾けていた者たちも黙り込む。


「あり得るな」

 若者は大きくうなずく。

「彼らを新たな住民として受け入れ、地方流通の中心地としての機能を維持しなければ、この集落の未来はない」

 歓声を上げていた人々も、今では固唾を飲んでファティマの言葉に耳を傾けている。


「そのためには、失われた人々の財を奪い合うことなく適切に管理し、人の配置を行う人間が必要です。あなたがおやりなさい」

 そう言ってファティマは若者の肩に手を置いた。

「お、俺がっ!」

 これにはさすがの若者も慌てる。


「この国は遠からず大きく乱れます。国も領主も、あなたたちのことを顧みることはないでしょう。権力にすがったところで、食い物にされて捨てられるだけ。王族や貴族にとって平民など、自分たちの贅沢のために存在しているに過ぎないのだから」

 これには若者だけでなく、周囲にいる全員が眉間にしわを寄せてうなずく。


「食い物にされないためにも、これまでとは違う集落に築き直さなくてはなりません。それも立派な戦いです」

 この言葉に、若者の目の色が変わる。

「同じ場所で戦うことが出来なくても、志を同じくし、目の前の現実と戦い続けるということは、同じ道を歩むということです」

 若者は不意に視界が歪むのを感じ、必死でこらえた。


「あなたが戦い続け、その努力が実を結ぶことを、一人の同志として、祈っています」

 そう言うとファティマは、若者の肩にかけていた手に一度力を込め、その手を放した。

「いつかまた、必ず会いましょう」

 ファティマはもう一度若者に微笑むと、自らの乗馬を呼び寄せ、その背に跨った。

 その堂々たる姿は、噂話でしか聞いたことがない隣国の、戦女神と謳われる女王の姿を人々に幻視させた。


「また、必ず」

 若者が約束の言葉を返しながら見送るなか、ファティマたちは集落を去った。


 この集落が襲撃の傷跡から目覚ましい復興を遂げるのは、もう少し先の話である――。

 もう少しファティマとジャナワルを暴れさせたかったのですが、状況の設定上あまり長く戦わせるのは現実的ではないなと思い、顔合わせ程度でまとめました。


 相変わらず状況は遅々として進みませんが、なるべく早く次の話を投稿出来るように頑張りますので、次回のお付き合いいただければ幸いです。

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