表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
114/152

野盗団の動向!

 お久しぶりです。

 ヴォオス戦記を書いている人、南波 四十一です。


 「放たれた」が、「鼻垂れた」に誤変換されていたにもかかわらず、まったく気がつかないくらい疲れている南波であり、昨日からメインのパソコンがたちあがらず、精神的にも疲れさせられている南波でもあります(笑)


 これ以上は愚痴が長くなってしまうだけなので、皆さんはヴォオス戦記本編へどうぞ!


 焼け落ちた集落の跡には死臭が漂い、埋葬されることのなかった死者たちが、腐敗するのではなくカラカラに干からびた状態で転がっている。

 そこはゾン最南部に位置するデニゾバ領東部に点在する集落の一つ。

 これからは集落の一つだったと語られることになる廃墟だ。


 東部に根城を構える野盗団の一部が、常軌を逸したとも言える行動に出たことを受け、ファティマたち奴隷解放運動組織は、その思想普及と東部状況をより詳しく調査するため、まずは滅ぼされたとされる集落を訪れていた。


 石と泥で築かれた暑さに強い家屋も、内側から焼かれて崩れ落ち、無残な姿をさらしている。

 見ても何もないとわかってはいるが、組織の仲間たちは野ざらしにされた遺体から目を逸らすように、天井の抜け落ちた屋根からのぞく青い空を見上げている。


「思っていた以上に徹底的にやられていますな」

 他の仲間たちとは違い、遺体の死因などを調べていたボラが、集落全体を見渡しながら呟く。

「しかも、かなり大規模な襲撃だったようですね」

 ボラの言葉にうなずきつつ、ファティマは地面に刻まれた荷車の車輪の筋を見下ろしながら答えた。

 ファティマの足元では、無数の足跡の中に、数十台分ものわだちが、くっきりと地面に刻まれ続いている。


「デニゾバ軍はこれを追ったようですな」

 轍の跡を追う形で残されている駱駝の蹄跡に目をやりながら、ボラは視線でその先を追った。

「そして戻って来なかった」

 我々も追ってみますか? と問いかけようとしていたボラは、驚きと共に言葉を呑み込んだ。

 襲撃を受けた集落をろくに調べた様子もなく、到着直後に追跡に向かったと思われるデニゾバ軍の部隊の蹄は、集落から出る方向のものは残っていても、戻ってくる方向のものは一つもない。

 この集落を拠点としたわけではないので、戻らなくても不思議はないのだが、ボラの勘もファティマの意見が正しいと感じていた。


「蹄の跡の数から見て、一小隊規模でしょうな。追跡はおそらく野盗共を捕らえることが目的ではなく、いまだその所在が明らかになっていない野盗団のアジトを突き止めることでしょう。この辺りも無数に廃鉱が口を開けているとはいえ、野盗の縄張りは範囲が限られてます。見つけるにしろ、見つけられずに諦めるにしろ、一度は何らかの判断を下したはず。いまだに全騎で追跡しているとは思えません」

 状況からボラが推測を口にする。


「定期連絡がありますから、必ず一度は報告の兵を出すでしょうし、ここから先には確か公式な水場はなかったはずです。集落のことはどうでもよくても、自分自身が干からびて死なないためにも必ずこの集落に戻ります。それがないということは、そういうこと(、、、、、、)なのでしょう」

 自分の言葉を受けてのファティマの意見に、ボラは思わず生唾を呑み込んだ。


 追跡を行ったデニゾバ軍の小隊は、全滅したのだ。


「生きていればいいんですが……」

 隊が全滅したとはいっても、皆殺しになったかどうかまではわからない。

 ゾン人がいくら嗜虐的な性質とはいえ、好んで殺人を犯すわけではない。

 また兵士たちも、命を惜しまず戦いはするだろうが、隊としての敗北が明確な状況でも、死ぬまで戦うことはない。追跡をしているつもりが逆に誘い込まれ、多勢に無勢で囲まれれば、戦わずして降伏することも珍しくない。

 状況次第ではあるが、捕らえられ、捕虜になっている可能性もある。

 普通であればその可能性が高いのだが、今回の野盗団の行動からは、この縄張りに対する見切りがうかがえる。

 もし現在の縄張りを捨てるつもりでいるのであれば、なまじ捕虜に取ってから逃げられ、アジトの位置を知られ、デニゾバ軍を招き入れる危険を冒すより、あっさりと処分してしまう可能性の方が高い。


「仮に追ったとしても、痕跡は消されているでしょう。殺された者たち以外の住人たちが連れ去られたのであれば、即座に追跡などしなくても、痕跡を辿るのは容易です。襲撃直後に到着し、生き残った者や被害状況の確認もせずに追ったということは、この辺りを縄張りとしている野盗団は痕跡を消す技術に秀でているのでしょう。この轍も集落を出てすぐのところで途切れているはずです」

 ファティマの冷静な分析に、ボラはこれ以上の情報収集は不可能だろうと判断する。


「別の集落にも行ってみますか?」

 この集落を訪れる前に、すでに二つの集落を見て回っている。

 今いる集落よりも規模の小さい集落であったが、やはりこの集落同様すべての家屋に火が放たれ、壊滅していた。

 残されていた死体の数が少なかったため凄惨さという意味ではそれほどでもなかったが、その意思は明確に伝わった。


「いえ、もう十分です。野盗団の動きの流れから、おおよその目的地と背後関係は推測出来ました」

 ファティマの言葉にボラは目をむく。

「皆を集めてください。今後の対応を話し合いましょう」

 質問を呑み込み、ボラはファティマの言葉に従った。 

 仲間たちが集まり、ファティマの言葉を待つ。


「各集落の遺体の状況から、襲撃が行われた順番がわかりました。野盗たちは縄張りの集落を南から襲撃し北へと移動しています。抱えている捕虜の数から見ても、アジトへは向かわず、順次捕らえた人々は北へと送っていると見られます」

 ファティマの言葉に、仲間の一人が手を上げる。


「北には東部でも一大勢力となりつつあった野盗団の縄張りがありませんでしたか? 下手に見つかれば、せっかく捕らえた人々を横取りされかねない」

 仲間の言葉に、他の者たちもうなずく。


「位置的に考えても、おそらくデニゾバの北東に位置するサーヴェリラが何らかの形で係わっているでしょう。ただし、その係わりはそれほど大きくはない。東部に広がる野盗団を束ねるほどの動きであれば、カーシュナー様の情報網に必ず掛かります」

 そこでファティマはボラに視線を向ける。

 カーシュナーから物資の補給と共に情報も受け取り整理しているのがボラだ。大きな動きがあれば知らないはずはない。

 ファティマの視線に対し、ボラは大きく首を横に振る。


「それがないということは、ここより北側を縄張りとしている盗賊団と話をつけ、一時的な通行権を得るなどした可能性があります」

 これまでも野盗による襲撃はあり、金品だけでなく、人がさらわれることはあった。

 だがそれもせいぜいが十人程度で、今回の襲撃のように、集落の大半の人間を連れ去るなどという大規模なものではなかったので、移動するにしても目立つことはなかった。

 

 奴隷不足の現状で、明らかに奴隷売買が目的とみられる大勢の人間の移動は人目を惹く。

 いくら野盗団の規模が膨らもうが、武力ではゾン南部の貴族が抱える正規の軍には敵わない。

 これまで連れ去られた人々の数を考えると、デニゾバ軍の勢力圏にある中央地帯を、デニゾバ軍に見つからずに抜けることは絶対に出来ない。

 であれば、デニゾバ軍の勢力圏外にある旧鉱山地帯を抜ける以外に狩り集めた人々を奴隷として処理する手段はなく、今回の無茶とも言える襲撃が行われたのは、その手段が確保出来たからだと推測することが出来る。


「サーヴェリラがデニゾバに戦を仕掛けてくるということでしょうか?」

 デニゾバ東部の状況の急変に、仲間の一人が尋ねる。

「それはありません」

 だが、ファティマは確信を持ってその問いを否定する。


「ゾンは目下、王家を中心とした中央貴族と東部貴族との間で緊張状態が続いています。ですが、ここ南部が今でも国王の支配下にあることに変わりはありません。国王の許可なく戦を始めるのは反逆に等しく、たとえ東部貴族と睨み合いを続けている現状でも、ゾン正規軍は動くでしょう。ましてやデニゾバは王家、中央貴族派の南部貴族。東部貴族派とみなされているサーヴェリラは、不用意な動きは見せないはすです」

 否定の後に付け加えられた説明に、仲間たちはうなずいた。


「東部貴族が中央に攻め込むために、その戦力を南に引き付けておくためとかは考えられませんか?」

 別の仲間がファティマに尋ねる。

 これに対して、ファティマではなく、他の仲間全員が首を横に振る。

「サーヴェリラの領主に限って、自己犠牲などという高尚な行いはあり得ん」

 半笑いでボラが、全員が頭に浮かべたことを口にする。


「狙いとしてはいいのですが、利に聡いゾン貴族は、損を前にするとどうしても二の足を踏みます。むしろ裏切りを警戒するあまり互いを信用することが出来なくなり、自滅する確率の方が高いでしょう」

 仮に東部貴族のためにサーヴェリラが挙兵したとしても、東部貴族がサーヴェリラの行動を信じきれない。

 同様に、東部貴族がサーヴェリラに対して利を説き、挙兵を促したとしても、サーヴェリラ領と東部貴族領では距離があり過ぎるため、サーヴェリラとしては挙兵後の救援や支援等に対して確証が得られないため、思い切った行動には踏み切れない。

 互いにまず自分の利益を確保してからでなくては動くことが出来ないため、ゾン貴族間で同盟を結ぶことは難しいのである。


「これからどう行動しますか?」

「我々に何が出来るかはわかりませんが、さらに情報を集めるため、ここより北部の、まだ襲撃を受けていない集落に向かいましょう」

 仲間の問いに、ファティマが答える。


「この辺りの野盗団と敵対関係にあった野盗団の縄張りに入れば何かわかるでしょう。ファティマの読み通りであれば、事態がこれ以上大きくなることはないでしょうが、まだ我々が把握していない要素が絡めば、南部で戦が起こりかねない。カーシュナー様にもお知らせする必要があります」

 ボラの言葉に他の仲間たちも大きくうなずく。


「行きましょう」

 言葉と共にファティマは馬首を巡らした――。

 








 辿り着いた集落は、不安と戸惑いの中にあった。

 普段であれば、まず奴隷制度の廃止、解放のための演説を行うところなのだが、今回は同時に情報収集を行うという目的もあったため、観察と聞き込みに努めていた。


 ファティマたちが訪れた集落は、この周辺では最も大きな集落で、地方流通の起点にもなっていることもあり、住民たちだけでなく、商人などの非定住者などの数も多い。

 そのため集落の規模以上に、その混乱の度合いは大きかった。

 人々は少人数ごとに集まり、聞きかじった不確かな情報を持ち寄り、交換し、その不安と戸惑いをさらに増幅させている。


「何があったんですか?」

 素知らぬ顔でボラが人々の輪に加わる。

 ちなみに女性蔑視の風潮が強いゾンでは、ファティマら女性陣は情報収集には加わらない。

 女性から男性に話しかけること自体が犯罪のように忌み嫌われているゾンでは、下手に話しかけようものなら騒ぎの元にしかならないからだ。

 代わりにボラを筆頭とした男たちが情報収集に走る。


 ボラに対し、不安から一度は険しい視線を送った人々も、ボラのあまりに無知丸出しの表情に警戒を解き、逆に不安を共有することで、少しでも自分の不安を軽減しようと、競って話し始めた。

 その結果得られた情報の中で、現実性の高いと思われるものをより分ける。


「どうやらここらを縄張りとしていた野盗団が、集落を襲撃しない代わりに納めさせている上納金の集金期限になっても現れないらしいです」

 要約した情報を、ボラは待っていたファティマたちに報告する。

「それは確かな情報ですか?」

 予想外過ぎる情報に、ファティマが念を押す。


「間違いないでしょう。デニゾバ軍が討伐してくれたんだと喜んでいる者もいれば、他の地域の集落が滅ぼされたという情報を受け、自分たちもすべてを奪われるのではないかと怯えている者もいて、真逆の内容の情報が錯綜してますが、根っことなる情報は、野盗が突然姿を見せなくなったという一点に絞られます」

 ボラの言葉に、ファティマは眉間にしわを寄せた。


 この辺りの野盗団は古くから存在し、その規模も大きく、そのおおよその拠点の位置も知られている。

 だが、拠点がつかめていない他の野盗団と違い、デニゾバ領内の最大戦力であるデニゾバ軍は討伐に動かない。それはこの辺りの野盗団が、デニゾバ軍をもってして、正面から事を構えるのをためうほどの勢力を誇っているからだ。

 経済的利用価値が乏しいとはいえ、この野盗団がデニゾバ領北東部を牛耳るからこそ、ファティマはここより南で大胆な行動に出た別の野盗団の行動の背後に、強力な後ろ盾としてサーヴェリラがいるのではないかと推測を立てたのだ。

 だが、その野盗団に何らかの問題が発生したとなると話が変わってくる。

 そして、集落に襲撃を続けている野盗団の動きも読めなくなってくる。


「上納金を回収に来ないなんて、いったい何があったのかしら?」

 ファティマが頭を悩ませるその隣で、ギュナも住民や商人たちと同じ疑問を口にする。


 野盗団にとって、この集落のように、上納金を回収出来る集落をどれだけ縄張りの内に持っているかがその勢力の規模の決め手となる。

 勢力が衰えれば敵対勢力による侵攻を許し、縄張りを手放すことになる。

 それは野盗団にとって死活問題であり、上納金の回収は、彼らの生命線に直結している。

 ならず者ではあっても上納金の回収は真面目に行うし、何より集落の人間に舐められないため、回収の期日などに関しては厳格だ。

 間違っても忘れていて取りに来ていないだけなどということはあり得ない。

 

 住民たちもならず者などに汗水垂らして働いて得た収入を、上納金として奪われたくなどない。

 だが一定の決まりを設けないと、野盗団による襲撃を受けることになる。

 税金を取るだけ取って何もしないデニゾバ軍には大いに不満があるが、その武力を背景に威張り散らすデニゾバ軍に直接文句も言えないので、可能な範囲で被害を最小限にとどめる努力が必要になる。

 また、上納金を納めること自体は業腹ものだが、野盗団に縄張り意識があるおかげで、他の野盗団からの襲撃からは守られているという側面もある。

 もちろん野盗たちに集落の住民たちを守っているなどという意識は皆無だが、縄張りが荒らされれば上納金の上りにも悪影響が出る。

 デニゾバ軍が当てにならない現状、ゾン東部から北東部にかけて最大勢力を誇っていた野盗団は、傭兵に近い役割も担っていたのだ。


 不満はあっても同時に必要でもあった上納金は、それによって集落の安全を確保してくれた。

 逆に、上納金を受け取りに来ないということは、これまで保証されてきた安全が保障されないことを意味する。

 来ても嬉しくはないが、来ないとそれはそれで不安を生む要因にもなる。

 現状集落が不安と困惑とに包まれているのも、無理のない話なのである。


「良さそうな女連れてるじゃねえか」

 そこへ不意に若い男たちの集団が割り込んできた。

 身なりからこの集落でも比較的富裕層に属することが見て取れる。

 見慣れない一団を見つけて観察していたところ、身体の線など全く出ていないにもかかわらず、セレンに目を付けたようで、絡んで来たのだ。

 男たちの一人がセレンの腕を取る。

 

 ゾンにおいて女性の旅人は滅多にいない。

 土地に、家に縛り付けられているからだ。

 例外的に旅をする女性は大道芸人などの大衆娯楽を目的とした旅芸人がほとんどだ。

 そもそも定住地を持たない旅芸人の地位は低い。

 大衆にまで広がる享楽性が、刺激的な娯楽を提供してくれる旅芸人たちに対して一定の理解と寛容性を示すが、流浪の民である彼らに対する大衆の本質は差別的なものだ。


 国が公認するほどの大規模な芸人一座ともなれば話は別だが、各領地の主要都市ではなく、地方の集落などを回る芸人一座では、その座長を務める者でも富裕層と貧困層の丁度中間あたりの立場しかなく、その下と思われている芸人たちは、よくて貧困層の大衆。悪ければ奴隷と変わらない扱いを受ける。 

 大衆の目を楽しませる芸に対しては素直に拍手と歓声を送るが、その存在自体が評価されることはない。


 また、女性は家長の財産であり、自由恋愛など言う言葉すら存在しないゾンでは、男性は性奴隷を所有していない限り、妻以外の女性と性行為を行うことは不可能であり、妻帯者ではない男にその機会は一切訪れない。

 妻を娶るだけの財力がない男は、生涯女性の柔肌とは無縁の人生を送ることになる。


 そのため、旅芸人の女性は、その華麗な芸を目的とした客だけでなく、夜の技を目的とした客の需要も高い。

 これはその土地の有力者と縁を作る上での有効手段として常套化しており、旅芸人の方から誘わなくても、先方から求めてくることがほとんどとなっている。


 セレンに目を付けた若者たちもこの例に漏れず、土地で見慣れない女の旅人を見つけたため、何も考えず、当たり前のこととして行動に出てしまったのだ。

 

 次の瞬間、セレンは微塵の迷いもなく抜剣すると、呆気に取られる若者の顔面に、新調してもらったばかりの剣を振り下ろした。

 仲間の男たちも、全く予想外の反撃に、悲鳴を上げることすら出来ず、ただ固まり、セレンの斬線を目で追う。


 直後に弾けたのは、愚か者の顔面の肉片と血の飛沫ではなく、鋼同士がぶつかり合うことで生じた火花と、剣戟の響きだった。


「セレン。いきなり殺しては駄目。この場合は一応警告は与えなさい」

 振り下ろされたセレンの剣を受け止めたのは、ファティマが抜き放った剣の先だった。

 まだ剣を取って日の浅いセレンの剣は軽いが、それでも迷いなく上段から振り下ろされれば十分な威力となる。

 これを弾き飛ばすでもなければ、押し負けることもなく、ピタリと受け止めて見せたファティマの技量は、ヴォオスでの修練の日々からさらに向上していることをうかがわせた。


 ボラは思わず口笛を吹くと、危うく切り殺されかかった若者の仲間たちの背後に回り込んだ。

 他の仲間たちも、ボラの動きに倣い、愚かな若者たちを取り囲む。


「な、なんだお前らっ!」

 若者の一人が声を上げる。

 恫喝しようとしたようだが、せいぜいが町の喧嘩が限界の者に、戦場で死線を潜り抜けて来たファティマを威圧出来るような胆力は備わっておらず、足こそ一歩前に踏み出したが、残念ながら腰が引けてしまっているため、早くも必死に吠える負け犬の様相を呈してしまっている。


「この辺りにはまだ届いていないかねえ。奴隷解放を目指して活動する女剣士の噂話は?」

 若者の背後から、ボラがニヤリと笑いながら告げる。

「……!! き、聞いたことがあるっ! 最近南の方で馬鹿なことをほざいている頭のイカレた女がいるってっ!」

 吠えた若者とは別の若者が、驚愕に目を見開きながらファティマを見つめた。

「女だったのか……」

 これに対し、ボラは堪えきれないとばかりに大笑いする。


 いきなり笑われた若者は、本来であれば大いに腹を立てるところなのだが、笑いつつ怒気を膨らませていくボラの気配に完全に呑まれてしまい、何も言えずにただ笑い続けるボラに、恐怖をにじませた視線を向けることしか出来なかった。

「女剣士って言っただろ。もし男の女剣士がいるなら連れ来い。金貨一枚やるぞ」

 怒気を瞳に集め、ボラは若者の愚かな発言の上げ足を取る。

  

 気圧されてはいても、自分が初老の男に小馬鹿にされたことはさすがに理解出来た若者が、初めて怒りに顔面を赤く染める。

 その若者がボラに食って掛かろうとした瞬間、ファティマがスッと剣を下げ、セレンの腕をいまだに掴んだままの若者の手首に当てた。


「よそ様の女に手を出した男は、斬手の刑だったな?」

 その動きに合わせて告げられたボラの言葉に、自分に向けられたわけでもないのに、ボラに食って掛かろうとしていた若者は黙り込んでしまう。


 若者たちは今さらになって理解した。

 自分たちは絡んではいけない者たちに絡んでしまったのだと――。


 ファティマの剣先を手首に突き付けられた若者は、何かを言われる前に自分からセレンの腕を放す。

 そして無意識にセレンの目を見る。

 無感情で光を宿さないその瞳には、一切の躊躇がないことに気づいた若者は、今頃になって大量の汗をかきだした。


「お、女のくせに、け、剣を振り回すなんて、卑怯だぞっ!」

 自分が正しいと思い込んでいる若者の一人が、理屈にもなっていない非難の言葉を浴びせてくる。

 これに対し、ボラは鼻で笑ったが、ファティマは剣を納めることで対応する。


「け、剣をよこせっ! 女のくせに、剣なんか持ってんじゃねえよっ!」

 別の若者がファティマの行動に勢いを得たようで、いきなり居丈高に命令してくる。

 この流れに対し、セレンに剣を振り下ろされた若者だけが一歩退く。

 だが、他の若者たちは、父親の権力のおかげで日頃集落の中にあってそれなりに優遇されていることもあり、相手に対する恐怖こそあれ、自分たちの地元では、自分たちの方が有利なのだと錯覚し、普段の強気が顔を出し始める。


「おいっ! もたもたするなっ! 俺の親父はこの集落の相談役の一人なんだぞっ!」

 及び腰だった若者が、気圧されてしまったことに対する怒りからか、ことさら強く前に出る。

 そしてファティマに詰め寄ろうとした次の瞬間、若者は鼻血をしたたらせながらうずくまることになった。

 

 鼻は無残に折れ曲がり、前歯も折れ、唇が大きく裂けている。

 何気にかなりの重傷だ。

 若者はうずくまったまま、目線だけを上げる。

 そこには、冷たく自分を見下ろすファティマの眼光が、自分を射抜くように注がれていた。


「な、なにしやがるっ!」

 別の若者が叫んだ直後、ファティマは動いた。

 まずはうずくまった若者にとどめの蹴りを見舞い、一歩引いていた若者一人を残して全員を叩きのめしてしまう。


「お、俺たちにこんなことして、生きてこの集落から出られると思うなよ。親父たちがそんなこと絶対に許さない……」

「もうやめろ……」

 捨て台詞を吐く仲間を遮り、一人立ち尽くす若者が仲間を諫める。


「親父たちになんて言うつもりだ……」

 頭上から降って来た仲間の言葉に、言葉を遮られた若者が噛みつく。

「ここまでされて黙ってろっていうのかっ!」

「話したければ話せ。女一人に殴り倒されましたってな」


「理由なんてどうにでもなるだろっ! 女のことなんて言わなきゃいいんだからっ!」

「俺たちが隠したって、こいつらが言いふらせばそれまでだ」

「嘘だって言えばいいっ! 赤の他人と俺たちの言葉なら、親父たちは絶対に俺たちを信じるっ!」

「それで、嘘だと思うならこの女と戦ってみろって言われたら、お前はどうするんだよ?」

 嘘を重ねて追い込んだ先で、逆に自分が追いつめられる姿を幻視し、喚いていた若者は青ざめて黙り込んだ。


「この女はあり得ねえくらい強い。でも実際にやり合わねえ連中は、女にボコられる俺たちを、指をさして笑うぞ。親父たちの面子も潰れる。こいつらがただで済まなかったとしても、俺らもただじゃ済まねえ。間違いなく集落から追い出される。そうなれば俺たちは終わりだ」

 集落から追い出されるということは、身分を保証してくれるものを失うということだ。

 奴隷不足の現状、何の後ろ盾もない非定住者など、あっさりと狩られて奴隷市場送りにされてしまう。


「あなたたちには好きな女性はいないのですか?」

 ファティマが不意に尋ねる。

「あなたたちにとって女性とは、あくまで性欲のはけ口でしかないのですか?」

 あまりに急な話の方向転換に若者たちが対応出来ないでいると、さらにえぐるように踏み込んだ質問が重ねられる。


「いたらなんだっていうんだよっ! どれだけ惚れていようが、結局金を持っているかいないかだろう。金を持っている奴だけが、女を好き放題に出来るんだ。女だって金を持っていない奴には見向きもしねえじゃねえかっ!」

 ファティマの問いが心のどこかに刺さったのだろう。始めにファティマにボコボコにされた若者が、ムキになって言い返す。

 ボコボコにされたばかりで言い返せるのは大したものだと、密かにボラは感心し、鼻と口を押さえる若者に布を与える。


「それは違います」

「違わねえよっ!」

 真っ向から否定された若者は、ボラが差し出した布に躊躇していたが、ひったくるように受け取ると、鼻と唇を押さえながら言い返した。


「もう一度言います。それは違います」

「俺の言ったことの何が違うっていうんだよっ!」

 説明してみろとばかりに食って掛かる若者に、他の仲間たちがいたわるような視線を送る。


「まず、金を持っているかいないかと言ったあなたの言葉ですが、現実がそうなっているだけで、それが正しい事というわけではありません。次に、女だって金を持っていない奴には見向きもしないというあなたの意見ですが、ゾン人の女性には、そもそも男性を正しく評価出来るような機会は一切与えられません。見向き以前の問題で、女性に選択権などないのです。だからあなたたちは当たり前のように彼女を連れて行こうとした」

 先程の行いも含めての正論に、若者はすぐには反論する言葉を見つけることが出来ない。


「……た、正しいわけじゃないって言ったけどよ、それが現実だろっ! なんで正しくないことが当たり前になってんだよっ!」

 若者の反論に、それまで若者を見つめていた他の仲間たちも、ファティマに非難の視線を向ける。

「それによって利益を得らる者たちが、自分の利益を守るために、暴力で現実を正せないようにし、暴力に屈した人々や、利益の一部にでもあずかろうとする卑しい者たちが、間違いを受け入れているからです」

 ファティマが返した真っ向からの反論は、これまでのゾンの常識の中で育って来た若者たちには恐怖すら覚えるほどの、新しい視点からの言葉だった。


「間違っているからなんだっていうんだよ。そんなもん俺らに言われたって、どうにもならねえよ。それに、どうにもならねえんだから、その中で少しでもいい思いをしようとしたていいじゃねえか……」

 それは怒りではなく、言い訳だった。

 言っている当人が言い訳だと理解しているから、言葉自体に力がない。

 他の仲間たちも、日常化している理不尽に慣らされて生きてはきたが、それが間違いであるということを理解もしていた。ただ、直視せずに生きている周りの大人たちに倣い、自分たちも見て見ぬふりをし、自分たちに都合の良いことだけを受け入れて来たのだ。


「あんたは奴隷を解放しようとしているんじゃねえのかよ? それと女の話がどうつながるんだよ?」

 尋ねつつもその答えがぼんやりと見えているのだろう。

 鼻を折られた若者は、睨むようにファティマの瞳を見据え、視線をそらさない。


「お前さん、意外を根性あるな」

「ああっ?」

 そこにいきなりボラに割り込まれ、若者が不快気に睨む。

「こいつだけでも先に治療してやっちゃあどうだい? 他の連中と比べても、なかなの重傷だし」

 睨みつけてくる若者を無視して、ボラがファティマに提案する。


「我慢出来ますか?」

 ボラにうなずきつつ、ファティマは若者に尋ねた。

 何に我慢出来るかなどとは聞かない。当然痛みに耐えられるかについて尋ねているのだ。

「泣いちゃうか?」

 ボラがありきたりな挑発を掛ける。


「ざけんなっ! っていうか、お前らに治療なんて出来るのかよっ!」

「そのくらいの傷なら、ここにいる全員が処置出来る」

 誇るでもなく、ごく当たり前の調子でボラが答える。

 だが、ボラたちにとっては当たり前でも、若者たちにとっては驚きの事実だった。

 骨折や裂傷などの治療が出来れば、それだけで地方の集落であれば立派に医者としてやっていける。

 土地の者であるとかないとかなど問題にもならない。

 生まれ育った土地を離れれば、即奴隷落ちとなりかねない現状下では、誰もが羨む技術であった。


「……じゃあ、やってくれよ」

 いまさら後には引けない若者は、まだ血の止まらない顔面を突き出した。

 医療箱を受け取ったファティマが若者の前に座る。

「お前がやるのかよ……」

 自分の顔面を破壊した当人に治療されるのは、この若者でなくとも抵抗がある。

「一番腕がいい。俺がやると間違いなく今より不細工になるが、彼女なら今より男前に仕上げてくれるぞ」

 本当かよと呟きつつも、腹を決めた若者は治療に身を任せる。


 まず麻酔をかけ、折れた鼻を真っ直ぐに治すところから始まり、切れた唇を丁寧に縫合する。

 その様子を見ていた仲間の若者たちは、まず麻酔の存在に驚き、続いてファティマの技量に感心した。

 地方では麻酔薬は高価過ぎるため使用される機会はまずない。

 感覚を失った自分の顔面に不思議そうに触れていた若者も、仲間たちのざわめきに眉をしかめる。


「なんだよ?」

 不明瞭な声で尋ねる。

「お前、マジで前より顔良くなるかもしれねえぞ」

 問われた仲間の一人が驚きに目を見開きながら答える。

「お前顔ちょっと曲がっていただろ? なんか真っ直ぐになってるっぽいぞ」

 別の仲間も不思議なものを見るような目つきで、若者の顔をまじまじと眺めた。


「骨格の歪みを直したんだよ。おそらく歯の噛み合わせもよくなるはずだ。喧嘩でもしたのか知らんが、だいぶ曲がっていた鼻を真っ直ぐにしたから、呼吸も楽になる。まあ、全部治ってからの話だけどな」

 驚きを隠せないでいる若者たちに、奇術の種を明かすようにボラが説明する。


「ガキの頃親父に折られた鼻が、真っ直ぐになっている……」

 皮膚の感覚はないが、なぞった自分の鼻の形が折られる前と明らかに変わっていることに、若者はただ茫然と言葉をこぼすことしか出来なかった。


「ああ、喧嘩じゃなくて折檻せっかんか。少なくとも二回はやられていないか? お前の鼻の曲がり方は、一度じゃそこまでは曲がらないくらい曲がっていたからな」

 そんなことまでわかるのかと、若者は真っ直ぐになった鼻を無意識になでながら感心する。


「治療は済みました。先程の質問に応えましょう」

 てきぱきと道具を片付けながら、ファティマが話を戻す。

「差別は奴隷に限られた問題ではありません。ことゾンにおいては、いたるところに差別は存在しています。裕福な者による貧しい者への差別。男と女という性差による差別。これらは奴隷、平民、貴族、王族という各階級においても存在します。我々は奴隷制度の廃止を大きな目標として掲げていますが、根本にあるのは差別をなくすことなのです」


 若者たちは、この集落という狭い世界の中においては、裕福な家庭に生まれたことで、差別を受ける側ではなく、差別をする側として生きて来た。

 だが所詮は辺境集落の平民の中の話だ。その立場は絶対的なものではない。

 彼らには彼らにしかわからない理不尽が存在し、その理不尽は彼らの立場に対する差別から生まれている。


「どの社会階級においても、女は男の所有物であり、その人権は認められていない。男が階級が下がるごとにその権利に制限が課せられるのとは違い、女は生活水準に差こそあれ、自由意志が許されないという点においては大差がない。ゾンという国において、もっとも深い差別を受けているのが女であり、たとえゾンから奴隷制度を撤廃することに成功したとしても、ゾンから女性蔑視がなくならない限り、女が自由の意思の元で生きていくことは出来ない」

 ファティマの言葉はこれまでのゾンの習慣からあまりにかけ離れ過ぎているため、差別がこの国の骨格であり、自分たちも少なからずその骨格の中で立場の弱い者を差別し、立場の強い者からは差別されてきた若者たちも言葉の中心を捉えることが出来ないでいた。


「女が自分の意思で生きられるようになると、何が変わるんだ?」

 女性が差別から解放された未来が全く想像出来なかった若者が、素直に尋ねる。

「すべてが変わります。女性が職業を持つようになり、自分がどう生きたいのかを考え、生き方を選択出来るようになります」

 ファティマに叩きのめされたはずの若者たちだったが、そのあまりにも衝撃的な話の内容に、身体の痛みも忘れて驚き聞き入る。


「これまで女性の結婚は、家長が決めた相手の元に嫁ぐしかありませんでした。ですが、自立し、職業を得ることで、女性は自分の意思で結婚相手を選べるようになります。それは同時に、あなたたち男性にも、親の庇護の下、決められた相手と結婚するのではなく、女性に選ばれるように努力することが求められということです」


「努力って、俺たちに何が出来るんだよ?」

 まだファティマの言葉を想像しきることが出来ない若者が、現実にある自分の状況から想像し、返って困惑してしまう。


「それこそすべてです。女性が生き方を選べる社会において、どうして男性に同じ事が出来ないと思うのですか? あなたたちは私の医療技術に驚いていましたが、正しく学べる場さえあれば、誰もが身に着けることが出来る技術です。差別がなくなれば特権が廃され、望む者には等しく学びの場が提供され、その中で努力する者が、正しくその努力を評価され、多くのものを得る。生得の権利だけで多くのものを得て来た者たちは、努力が足りなければ多くのものを失い、努力した者たちに追い越されていきます」

 少しずつだが、ファティマが語る未来図が脳裏に描けるようになってきた若者たちは、始めに恐怖し、次には突然もたらされた希望に震えた。


「誰の子に生まれたか。そんなことには何の意味もなくなる世界が、間近に迫りつつあることに気づくことが出来るか否かで、その人の人生は大きく変わるでしょう」

 ファティマの言葉に、若者たちが希望に目を輝かせる。

 特にファティマに鼻を折られた若者は、何か思うところがあるようで、心を浮き立たせるのではなく、真剣に考えこんでいる。


「本当にそんなことがあり得るのか?」

 鼻を折られた若者が、疑うというより、どうしても信じられないという調子で確かめてくる。

「ヴォオスではすでに奴隷制度は廃止され、女性の国王が誕生し、女性のみの騎士団まで存在しています。女性の地位向上についてはまだこれからですが、大陸の中心では、すでに動き出している事実なのです」

 平民としては比較的裕福な家庭に生まれ育った彼らだが、大陸隊商路からも大きく外れた地方貴族領の、そのさらに僻地の集落で生まれ育った彼らには、隣国ヴォオスの情報など、ないに等しい。

 ファティマの言葉は彼らにさらなる衝撃を与えることになった。

 千年以上も続いて来たこれまでのゾンの常識からはあまりにかけ離れ過ぎている話に、この話もなかなか頭に浸透しない。


「お前ら、彼女がどうやってお前らを息も切らさずに叩きのめせるだけの強さと医療技術を身に着けたと思ってんだよ?」

 ボラに問われて若者たちは、初めてその疑問にぶつる。

「……え?」

 考えようとしたがこれまで身に着けた知識では全く対処のしようがなく、その口からは何の言葉も生まれなかった。


「私はヴォオスの赤玲騎士団に入団し、多くのことを学び、身に着けました」

「あんた、ヴォオス人なのか……」

「なんでそうなるんだよ!」

 ファティマの言葉に、的外れの言葉を返した若者の頭を、ボラが平手ではたく。


「私はゾンで生まれ、ほとんどの時間をゾンで過ごしました。ある時私は悪霊憑きとされ、処刑されかけました。そこに偶然通りかかったヴォオス人商人に助けられ、ゾンでは生活する場を見つけることが不可能な状態となってしまった私と母は、ゾンを出てヴォオスに渡ったのです」

 他国に渡る。

 それもゾンにとっての最大敵対国であるヴォオスに。

 それはゾンの片田舎で、比較的恵まれた環境で育った彼らには想像すらしたことがない過酷な出来事であった。


「ヴォオスに渡ったことで私の人生は変わりました。ですがそれは、私の力だけで変えられたものではありません。多くの人たちの協力があったからこそです。ですが、最も大きな要因は、ヴォオスという国に、誰もが人生を変えることが出来るだけの社会制度と体制が整っていたことです」

 ファティマの言葉はすでに若者たちの想像の限界を超えていた。

 だが、同時に自分たちをいとも容易く叩きのめしたファティマの存在が、自分たちのこれまでの常識をはるかに超える世界が、確かに存在するのだということを理解させる。


「俺たちもヴォオスに行けば変われるのか?」

 若者の一人が尋ねる。

「変われるかどうかはあなたの努力次第です。ですが、この集落。ひいてはゾンという国にいてはけして得ることが出来ない機会を手に入れることは出来るでしょう。実際にゾン人の商人でも、ヴォオスに行商に赴き、所有していた奴隷を全員解放してヴォオスを商売の起点としている者たちが多数います」

 告げられた新たな事実が、さらなる衝撃を若者たちに与える。


「ゾン商人として、国外にまで足を延ばせるまでに事業を成長させた商人が、その商売の基礎を支えている奴隷を解放する。これがどれほどのことかはわかるよな?」

 衝撃が大き過ぎて上手く話について来れていない若者たちに、ボラが理解出来るように話を砕いて問いかける。

 説明ではなく問いかけという形で発せられたボラの言葉は、若者たちに自分をその商人の立場に置き換えて考えさせたことで、より深く若者たちの心と頭に染み込んだ。


「それを損ではないと計算させるだけの機会が、奴隷制度を廃止し、その上で築き上げられたヴォオス社会にはあるってことだ」

 理解が及んだところで付け加えられたボラの言葉が再び若者たちに強い衝撃を与える。


「私たちは、ヴォオスを羨み、ヴォオスに機会を求めて旅立てと言っているのではありません。ヴォオス人に実現出来た新たな社会の構築を、ゾン人の手で成し遂げるために、その最大の障害である差別と、その差別が生み出した奴隷制度と女性蔑視を失くすべく、活動を行っているのです」


「どうだい? これがお前さんたちが小耳にはさんでいた、頭のイカレた女の、馬鹿な話の中身だ」

 始めに若者の一人が口にした言葉を使って、ボラが皮肉な笑みを浮かべて見せる。


「俺たちに何が出来る?」

 鼻を折られた若者が、はじめのころとは打って変わって真剣な表情で尋ねる。

「まだ何もしないでください」

 なので、ファティマから返って来た、まるでやる気に冷水をかけるかのような言葉に驚き目をむく。


「衝動に突き動かされてはいけません。それこそゾン人らしいしたたかさを発揮してください」

 行動を促され、仲間になるよう説得されると思っていた若者たちは、真剣に自分たちの身を案じるように諫めてくるファティマの瞳を、食い入るように見つめる。


「私たちの言葉をよく吟味するのです。これまで当たり前のこととして受け入れて来た日常を、徹底的に観察してください。その上で私たちの言葉を思い出してください。あなたたちが大きな可能性を得るということは、これまでその可能性を独占していた者たちにとっては大きな脅威となるのです。富を得るためなら何でもするゾン人ですが、得た富を守るときのゾン人の方がはるかに恐ろしい。得た富を背景に、権力でもって自分の地位を脅かす者をことごとく排除しようとします。けして侮ってはいけません」

 ファティマの言葉に、片田舎の平民社会であっても容易に想像出来る権力争いを思い浮かべ、若者たちは生唾を呑み込んだ。


「何もするなって話はわかった。だいぶ鼻から血を流したはずなのに、興奮して頭に血が上ってた。あんたの忠告は真面目に聞く。だが、いつまでそうしていればいいんだ? いつまで待てばあんたたちの語った世の中は来る?」

 他の若者たちよりも一歩先まで決意が進んでいるであろう鼻を折られた若者は、希望を得てしまったからこそ生まれる焦りを覚えていた。

「俺らがじじぃになるまで待たなきゃならないなら、それは俺にとって何の意味もない」

 若者の言葉に、ファティマは一つうなずいた。


「この国の現在の状況は知っていますか?」

 ファティマの問いに若者はうなずく。

「これまでゾン社会の理不尽を支えて来た南方奴隷ですが、もはや新たにゾン社会に供給されることはありません。加えて東部貴族とゾン中央の軋轢は決定的な状況で、もはや衝突は避けられません。そしてゾン軍の基本は歩兵です。そして、ゾンにおいて歩兵を担っているのが奴隷です。社会生活の基盤を支えるための奴隷が不足しているところ加え、戦争にも奴隷が徴発される。今以上に奴隷は不足します」

 ファティマが語る今後のゾンの展望に、これまでどこか遠い場所の出来事のように考えていた若者たちも、現実を身近に感じないわけにはいかなくなる。


「そうなればどうなるか。奴隷狩りの矛先は、地位の低い我々のもとに向けられます」

 とどめのように放たれたファティマの言葉に、若者たちは一様に青ざめた。

「お、俺たちが税を納めなくなったら、く、国が成り立たなくなるんじゃ……」

「国など支配者たちにとってはどうでもいいのです。自分たちの地位さえ守られれば、国民すべてが奴隷になろうが関係ない。いや、むしろ本心では絶対的支配を望み、自分たち以外は全員奴隷であってくれた方が都合がいいと考えています」 

 若者の一人が、現実から逃避するかのように反論するが、本人も本気で信じているわけでもない言葉は、さらに絶望的な言葉で粉砕されてしまった。


「あなたたちは国王や貴族が奴隷になれと命じてきたら、喜んで奴隷になりますか?」

 言葉こそなかったが、どの顔にも明らかな拒絶の表情が浮かぶ。

「喜んで奴隷になる者など一人もいません。我々は遠からず、全員が等しく奴隷に身を落とす危機的状況にあるのだと悟るでしょう。そして戦争が拡大すれば、必ず我々に向けて徴兵という名の奴隷狩り部隊が送り出されてくる。これは私だけが知り得た特別な情報などではありません。現実を見つめ、正しく思考を働かせることが出来れば、誰でも答えに辿り着く、これから先のゾンの姿です。理由はそれぞれ異なるかもしれませんが、人々は必ず立ち上がるでしょう」

 ファティマはここで一度言葉を切る。


「待つ時間などありません。私たちが危険を押してまで行動を起こしたのも、気たるべき戦乱の方向性を、権力者たちの強欲と虚栄心を満たすための破壊と殺戮で終わらせず、より良いゾンの未来を築くためのいしずえとするためなのです」

 待つことを恐れていた若者は、実はすでに変化の始まりが目前に迫っているのだということを理解した。

 そして、変化の結末がどこに辿り着くかで、自分自身がたった今知ることが出来た可能性に満ちた社会に身を置くことが出来るか、今の生活すら保つことが出来ず、奴隷に身を落とすかの岐路に立たされているのだと思い知った。


「まあ、戦乱がどんな形に終わろうが、一度奴隷に身を落とせばそれまでだ。戦に勝ったからって元の身分に戻ることはない」

 若者たちの心の内を見透かしたボラの言葉が突き刺さる。

「それは、このゾンに、ひいてはこの大陸に、奴隷制度などというものがあるからです。奴隷制度そのものがなければ、我々は奴隷落ちという恐怖にさいなまれることも、怯えて暮らすこともなくなるのです」

 ボラの言葉が突き刺した心の傷口に、ファティマの言葉が痛みを伴いつつも染み込む。


「私たちはこれから、あなたたちに話したことと同じ内容の演説を行います。始まってしばらくするとこの集落を牛耳る権力者たちが自警団を使って我々を捕らえようとするでしょう。あなたたちは一連の出来事に一切かかわってはいけません」

「なんでだよっ!」

 若者たちは、まるで自分たちが臆病者であるかのように見える行動に、反発する。


「我々の言葉は、一度で理解してもらうのは非常に難しい問題なのです。立場の弱い者たちには混乱を招く恐ろしい言葉に聞こえ、立場の強い者たちにとっては、自分たちの権力基盤を破壊する恐ろしい言葉に聞こえる。言葉の意味そのものに目を向けてもらうには、何回も、根気強く訴え続けるしかない。今、あなたたちが動いても、自分自身の立場を危うくするだけなのです」

 自分たちも強い衝撃を受けた言葉を、一度で聞く人々に理解させ、納得させることが不可能なのは、いまだにその衝撃から抜けきれないでいる自分たち自身が一番よくわかる。

 ましてやこの集落の支配者層にある自分たちの父親たちは、絶対に受け入れられない内容だ。

 自分たちが彼らの言葉を擁護したとしても、誰も聞き入れないだろう。それどころか、下手をしなくても頭がおかしくなったと判断され、捕らえられるはずだ。


「待つ時間はないと言いましたが、考える時間はまだあります。自分はどうしたいのかを見つめ直し、どう行動すれば自分が望む道に辿り着けるかを考えてください」

 ファティマの言葉に全員がうなずき、彼らはそれぞれの居場所へと帰って行った。


「予定外の小演説になったわね」

 去っていく若者たちの背中を見送りながら、ギュナが小さく微笑んだ。

 その手はセレンの手をしっかりと握っている。

 若者たちは気づいていなかったが、ファティマが止めた後、実はもう一度剣を振るおうとしたセレンを押さえ、監視していたのだ。


「意外と聞く耳があったことに驚きました」

 ファティマも素直な感想を述べる。

「奴隷よりははるかにましな環境かもしれないが、それでもその人生にはいろいろな制限があって、理不尽や不条理に対しても我慢を強いられ続けて来たはずだ。反発はもちろん、それなりに思うところもあったんだろう」

 それまでの若者たちをどこか揶揄するようだった口調が、息子を思いやる父親のような優しさを帯びる。


「他の人たちも、私たちの話を彼らのように聞き入れてくれればいいんだけどね」

 ギュナが苦笑と共に思いを口にする。

「無理だな」

「無理です」

 それに対し、ボラとファティマが、まるで自分たちの活動を全否定するかのような言葉を同時に発する。


「これ以上の情報収集は必要ないでしょう。他の集落へ移動する前に、我々の本来の目的を果たしましょう」

 ファティマは、たった今、自分自身で無理だと否定した行動に移ろうとする。

 それに対し、無表情なセレン以外の全員が、その顔に不敵な笑みを浮かべてうなずく。


 彼らは理解していた。

 自分たちの言葉がゾン人の心に簡単には届かないことを――。

 同時に、簡単には届かずとも、諦めずに届け続ければ、全員は無理でも、心ある者には必ず届くということを――。


 彼らが諦めることはない。

 そして諦めない彼らは、これから再び危険に見舞われることを承知の上で、自分たちの言葉を届けるためにに演説を行いにいくのであった――。









「……連中、駱駝まで出してきたか」

 演説を行っていたファティマたちは、これまでがそうであったように、この集落でも支配者層の怒りを買い、その演説を力ずくで止められそうになっているところだった。

 これまでは山刀などを手にした自警団がまとまりもなくわらわらと押し寄せてくる感じだったが、この集落の自警団は特別に訓練でも行っていたのか、駱駝に騎乗し、十数騎とはいえ、統率の取れた動きで突進してくる。


 セレンやギュナのような戦闘向きではない仲間は馬番を兼ねて待機しているので、この場にはファティマを筆頭に、戦闘経験豊かな仲間たちが揃っている。

 誰一人慌てる者はいないが、騎乗している相手と徒歩で戦うのは相当の不利を強いられることがわかっているので、誰もが指示など受けずとも撤退の準備に入っていた。


 集落に被害をもたらすことが目的ではない。

 下手に相手取れば、その気はなくても周囲に被害が出てしまうので、つまらない意地など張らず、速攻で退散することが最も賢い選択である。

 騒ぎを聞きつけ、すでにギュナたちがこちらに向かっているはずなので、素早く合流すべく、演説を行っていた広場に背を向けた。


 だが、その直後――。


 不意に悲鳴が集落に響き渡った。


 仲間はこの場にいる。

 まだ広場の端にさえ辿り着いていない駱駝の騎兵の刃が届くわけがない。

 何事かと振り向いたファティマたちは、自分たちを捕らえるべく駆けつけて来たと思い込んでいた駱駝の騎兵部隊が、次々と集落の人々に襲い掛かっている光景を目にし、驚愕する。


「ファティマ、あれっ!」

 そう言って仲間の一人が指さした先を見て、ファティマも何が起こっているのかを理解する。

 仲間が指さしたのは、騎兵たちの腕に巻かれた青い布だ。


「青布っ! 連中、野盗団かっ!」

 ボラも騎兵の正体に気づき、驚きの声を上げる。

 集落の人々を襲っていたのは、ここより南の地の集落を次々と壊滅させていた野盗団だった。


「なんでやつらがここにっ!?」

 別の仲間も驚きの声を上げる。

 誰もが驚くのは当然で、この集落は青布を腕に巻いた野盗団の縄張りから遠く離れた場所にある。こんな襲撃は、本来この集落を縄張りとしている野盗団が許すはずがないのだ。


「ファティマ!」

 想定外の事態に、仲間たちが指示を求める。

「まずはギュナたちと合流し、馬を確保します」

 その言葉に全員頷き、全力で走り出す。


 さっさと逃げ出す予定が、どうもそうはいかなくなったようだと、ファティマは一つため息を吐く。

 だがその眼には、一欠けらの恐怖もない。

 この偶然の遭遇が、ファティマたち奴隷解放運動組織と野盗団のどちらにとって不幸な出来事であったのかは、これより数刻の後にはっきりとするのであった――。 

 最近は肉体以上に、精神面の疲労が激しい今日この頃です。

 少しずつですが、世の中は事態が好転し始めたようですが、生活が元通りになることはもはやないのでしょうね。

 世界の在りようが変わる時代に生きたことは貴重な体験なので、いつかこの経験を作品作りにいかしたいところですが、肝心の作品作りにマイナス方向となる変化なので、生かせる日が本当に来るのかどうか不安でもあります。


 なかなか執筆状況は改善されませんが、今後もコツコツと書き続けていきますので、気長にお付き合いいただければ幸いです。


 それでは皆様、第二波にはくれぐれもお気お付けになり、お体ご自愛下さい。

 次の投稿でまたお会いしましょう。

 それではまた!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ